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東京家庭裁判所 昭和30年(家)11554号 審判 1955年10月25日

申立人 小原イト(仮名)

相手方 小原明(仮明)

主文

相手方は申立人に対して昭和三十年十月末日以降毎月末日限り一ヶ月金二千円宛を支払うべし。

理由

申立人は当五十五歳、相手方は当五十八歳であつて、結婚三十数年に亘り、その間に四子を儲け、長男は銀行員、次男は会社員として何れも独立して生計を立てて居るもの、三男は当十六歳、四男は当十五歳で両子とも申立人の膝下にて養育せられ目下高等学校、中学校に在学中である。

申立人と相手方との夫婦仲は必ずしも円満でなく昭和三十年四月口論の末、相手方は申立人方より家出し爾来アパート住をしているものであるが、現在会社に勤務して一ヶ月一万円前後の収入がある。申立人は内職等により月六千円位を得ているが、長男及び次男よりの若干の援助によりて子の教育にあたつているものである。

申立人は相手方との間に生活並に両者間の未成熟の子の養育等について相手方との間に婚姻費用の分担についての協議を求めるも相手方はこれに誠意を示さないので婚姻費用分担につき主文の通り定めこれが支払を為さしめるを相当として主文の通り審判する。

(家事審判官 村崎満)

事件の実状

一、私共母子三人が苦労して満洲(○○)から引揚げて来た時一年余り先に○○から引揚げていた、夫の最初の言葉はこうでした、「子供二人(当時八歳と七歳)はお前が連れて帰つたのだからお前が養え、俺は自分一人位なら何とかやつて行ける」。

この無責任で血も涙もない夫に対し私は二人の子供の生命を守る為に直ちに昼夜の別なく働いて二人の子供を養つて来た。この間夫は就職しており乍ら、一銭の支給もせず妻子をなぐるけるの暴行が絶えず私の顏面も二目と見られぬ面そうにし全治四〇日要したことがある。

食糧事情の悪かつた時に空腹を訴える子供に隱れて自分だけ毎夜の如く納屋へ行つて満腹していた。

二、夫の暴行に堪えられず私の里へ母子三人移つてからも一銭の支給もなかつた。

三、当時○○にいた長男が一家再建と家庭の団楽を念願して全財産を投出して○○に借家し夫や毋子共一つ屋根の下に住むことになつたが、夫が商売に失敗し生活が苦しくなつたので長男が一ヶ月以上も説得してやつと夫が日傭労働に出ることになり、夫婦で日傭労働に出ることは認めて項けないので夫の了解を得て○○の妹の世話で○○の病院に住込んで働いた。其後長男が東京に転勤したので子供二人を私が引取り夫は安定所の仕事の関係上長男の世話で○○に下宿した。

四、私が○○で働き始めて以来、私共はどん底生活をしながら、私は朝暗い中から夜おそく迄必死になつて働き、四男は母の苦労を少くする為と云つて自殺しかけたことがあつた程です。私の弟を介して夫に頼んでも終に一銭の支給もなかつた。

五、次男が東京から関西に出張して来て私共の生活を見て今更乍ら驚き会社から大金を借りて小さい家を建て東京へ呼んでくれた。一家の再建と円満な家庭を願う長男次男とも相談し父が父らしく皆なで心を一にしてもう一度努力して見ようという事になり父を○○から呼ぶことになり○○で別居してから三年間一銭の支給もなく何一つ義務を果さない夫を呼ぶ為私は東奔西走して夫の現在の定職を見つけた。○○で立退き要求されていた夫は喜んで来た。

六、この様に夫からリードしてもらうことは何一つなく皆なで夫をもりたてて呼んだ結果は私共一同の努力の甲斐もなく裏切られた。

刄物を振り廻しての暴行に安眠できず果ては家を焼くとか酒代を稼いでおけとかするのです。妻子を思う情どころか充分食べていても相変らず自分一人かくして食し、いつも不足ばかり云つて暴れるので窒息しそうです。

七、昨年夏頃から夫が家を出る、離婚してやると事毎に云つて暴れるのは自分だけが可愛いく夫は生活費を出したくなくなつたからです。自分の収入は自分一人が着服したいのです。其の為にこそ生活費を気持よく出さず、出してもらうのに必ず一騷動です。

八、以上の理由から家庭の平和と、お互の幸福の為夫が出て別居する事になりましたが二人の子供の養育費を出さないので困つて居ります。又私もこれ以上はいくら努力しても夫婦の関係も無意味なので夫も同意していますこと故この際離婚したいと思います。

私も上京以来日傭にて働き只今勤めている会社で夜遅く迄自ら希望して残業して働き終戦以来の無理がたたつてこの一年間前より足の関節が痛み医者から静養する様云はれていますがビッコを引き乍ら働いて生活と闘つておりこれ以上の仕討に堪へられません。

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