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東京家庭裁判所 昭和30年(家)13797号 審判 1959年7月16日

本籍・住所 東京都

申立人 吉村敏枝(仮名)

所在不明

相手方 ウエン・トシヨシ・タナカ(仮名)

主文

申立人を相手方と申立人との間の子であるジアニー・ヨシコ・タナカ及びマービン・トシマサ・タナカの親権者に指定する。

理由

本件申立の要旨は次のとおりである。

日本国籍を有する申立人とアメリカ合衆国の国籍を有する相手方は、昭和二十二年八月○日結婚し、即日居住地であつた横浜市中区長に婚姻の届出をして法律上の夫婦となつた。その後、昭和二十三年三月夫婦そろつてアメリカ合衆国ロスアンゼルス市に渡航し、申立人は相手方との間に昭和二十三年六月○○日ジアニー・ヨシコ・タナカを、昭和二十六年五月○○日マービン・トシマサ・タナカ(両人共米国籍)の二人の子をうんだ。

申立人は、昭和二十七年七月○日実母の病気見舞のため右二人の子供を連れて日本に帰えり、其の後、右実母の病気の経過が良好でなかつた事情もあつて米国へ帰ることがのびのびになつたため相手方の怒りを買い、相手方から訴を起されアメリカ合衆国カリフォルニヤ州ロスアンゼルス郡に所在するカリフォルニヤ州シュペリアル・コートに離婚の訴訟が係属するに至り(同裁判所第四五七五八八号)、同裁判所は右離婚訴訟について、昭和二十九年八月十九日カリフォルニヤ州の法律に基づき、離婚中間判決をなし、翌昭和三十年九月八日離婚終局判決をした。

かかる事情で、申立人はさきに記載したとおり、昭和二十七年五月前記ジァニー・ヨシコ・タナカ及びマービン・トシマサ・タナカの二児を連れてアメリカ合衆国より日本に帰つて以来引続き右二児を申立人の許において監護養育しているので申立人を親権者に指定されたい。と言うにある。

案ずるに、申立人主張の事実は、申立人本人尋問の結果と申立書に添附せられている戸籍謄本その他の証拠書類によつてこれを認めることができる。而して親子間の法律関係は、法例第二〇条により、先ず父の本国法によるべく、若し父あらざるときは母の本国法によるべきところ、申立人本人尋問の結果によつて本件父(相手方)の本国法であると認むべきカリフォルニヤ州法をみるにカリフォルニヤ民法第一三八条において監護養育(custody)を定める権限は裁判所のみこれを有し、監護養育する者(custody)の指定は、離婚手続においてなすものと定められているが、離婚訴訟における被告が訴訟開始に先だつて子と共にカリフォルニヤ州を去り、且つ、送達が公示によつてのみ行われた場合には、裁判所の権限は、婚姻そのものの解消にのみ限られ、子の監護教育の決定をする管轄権を有しない。又カリフォルニヤ裁判所は、その土地管轄内にない子の監護教育(custody)を定めることができないとされている。(Dearing’s Civil Code of California 1949, § 138 参照)

本件申立人と相手方に対するカリフォルニヤ州シュペリアル・コートの中間判決及び終局判決には本件事件本人等二児の養育監護についての具体的記載のないのはこれによるものと推測される。よつて進んで当裁判所が本国法にいわゆる監護教育(custody)の決定の問題をも包含するものと解せられる本親権者指定申立事件について裁判権を有するや否やの問題について検討するに、アメリカ法において、未成年の子の養育監護者の指定に関する裁判権については、いくつかの理論があり、その一は、当該未成年の子の住所地を管轄する裁判所に裁判権があるものとし(Goodrich Conflict of Laws 1949 p. 421)この住所はアメリカ国際私法でいう厳格な意味における住所でなければならないか、単なる居所でよいかについては争があつて、リステイトメントの立場は、厳格な意義における住所としているが(Restatement 1934, 117)、実際に住んでいる居所によつて裁判権を認めている裁判例もあるという。(Stumberg, Cases on Conflict of Laws 1956 p. 352)

次に未成年の子の住所は何処にあるかについては、未成年の子が嫡出である場合は一般に父の住所を当該未成年の子の住所とするが(Goodrich, Conflict of Laws 1949 p. 83)、母に対しても、父と平等の権利を付与する事例が増加しつつあり、特に、父母が離婚している場合の未成年の子の住所は、母が離婚後その未成年の子を連れて一緒に住んでいる場合はその母の住所を当該未成年の子の住所とし(Goodrich, Conflict of Laws 1949 p. 88)(Wolf, Private International Law 1950 p. 118)、これは母が離婚後に、再婚している場合も同じであるとされている。

(Goodrich, Conflict of Laws 1949 p. 89; Wolf, Private International Law p. 118)

カリフォルニヤ州最高裁判所の判例(Sampsell v. Superior Court in and for Los Angeles County(1949)32 Cal.2d 763,197 P.2d 739)によれば特定の国の裁判所が両親について人的裁判権を有し、又、子が現実にその州に居り、且つ、そこに住所がある場合に、その裁判所がその子の養育監護(custody)を決定する裁判権を持つことには問題がない。問題が起こるのは以上の内一つ以上の要素が欠けた場合であるといい、且つ、同判例は、子の養育監護者指定の手続に関して三つの理論があるといい次のように述べている。

(一)  は子の親に対する人的裁判権を基礎とするもの(Anderson v.Anderson 74 w. Va 124,126 81 SE 706)

(二)  子の住所のある国の裁判所の管轄に服するとするもの(Restatement 117,148; Beal, Conflict of Laws p. 717 Dorman v. Friendly, 146 Fla 732 740 1 So 2d 736)

(三)  は子がその州(State)内に現実に居なければならない。裁判所にとつて基本的な問題は何が子の最善の利益であるかを決定することである。そして、最も資格のある裁判所は子に接した裁判所であるとする(Stumberg, Conflict of Laws p. 299 Sheehy v.Sheehy 88 N.H. 223 225,186 A I 107 A L R 635)

以上の観点にたつて本事件をみるに本事件の申立人は米国の国籍を有する男子と離婚した日本国籍を持つ母であつて昭和三十年九月八日夫と離婚後引続いて日本に住みその後日本の国籍を有する他の男子と再婚しているのであるから、日本に住所があることには問題が無い。

又事件本人等二児は、昭和二十七年五月以来母と共に現実に日本におり、アメリカ合衆国の国際私法によつても母の住所である日本に住所を有するものと解される。

事件本人等の父は申立人尋問の結果によるとアメリカ合衆国カリフォルニヤ州にいるものと推定されるが住所不明であり、昭和二十七年以来事件本人等を養育監護していない。しかも此等二児は母の再婚した夫の許で暮し、幸福に養育監護されている。又、証人吉村守正の証言によつて、申立人の現在の夫は本事件において申立人が事件本人等二児の親権者に指定されることに同意していることも極めて明かである。

カリフォルニヤ裁判所は、同州の民法第一三八条によつて「カリフォルニヤ州に居ない事件本人に対し、養育監護者を指定することはできない」と規定し、且つ、同条は又、「未成年の子の養育監護の問題については子の福祉が最高の考慮である」と定めている。かかる場合、アメリカ合衆国においては一般に子供の住所地の法律に準拠すべきものと解釈されているので、(Sampsell v. Superior Court in and for Los Angeles County, Supreme Court of California, in Bank, 1948 32 Cal. 2d 763,197 P. 2d 739)法例第二九条に則り本件事件本人等の子供の住所地法である日本の法律により処断すべきである。

よつて日本民法第八一九条、同民法附則第一四条家事審判法第九条乙類第七号の規定を類推し、申立人を右二児の親権者に定めることが妥当である。斯る趣旨の審判を求める本申立は理由があるので、これを認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 加藤令造)

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