東京家庭裁判所 昭和34年(家)1324号 審判 1959年6月15日
申立人 田中とき(仮名)
主文
申立人の氏を「石田」に変更することを許可する。
理由
一、申立人は主文と同趣旨の審判を求めた。その理由の要旨は、申立人は大正一二年六月○○日石田太郎と婚姻し、協議離婚した昭和三三年一二月○○日までの長い期間「石田」姓を呼称しており、またその間の昭和二五年○○○生命保険相互会社に入社し爾来現在までの一〇年間「石田とき」として外務に従事し相当の業績をあげてきたのである。
しかるところ右に述べたように昭和三三年一二月○○日夫太郎と協議離婚したのであるが、いま婚姻前の「田中」姓に復するにおいては、社会生活上のみならず業務の関係についても避けることのできない多大の不利益、損失を蒙ることになる。以上の次第で申立人の氏を「田中」から「石田」に変更するについてやむを得ない事由があるので、これが改氏の許可を求めるというにある。
二、よつて審按するに、家事審判官藤原昇治に対する申立人および参考人糸井力の各供述、当裁判所調査官藤代護の調査報告書二通、申立人の戸籍謄本二通、福田仁作成の申立人に対する勤務証明書一通を綜合すれば、申立人は田中治郎、同みよの長女として明治三六年三月○○日出生し本年五六才になるものであるが、大正一一年石田太郎と結婚(婚姻届は大正一二年六月○○日)して以来「石田」姓を自己の氏として称呼してきたものであり、子供ができなかつたところから昭和四年に当時三才であつた糸井力を養子に迎え円満な家庭を築くことに努めてきたところ、夫太郎において他に女をつくつたり勤務先の金銭の無断費消をしたことなどから、同人と申立人、養子力の関係が次第に悪化し、夫は昭和三二年四月以降申立人等との同居を拒むようになつて申立人はやむなく昭和三三年一二月○○日夫太郎と協議離婚しその際申立人に同情して養親子関係を解消した力及びその妻子と事実上共に生活するようになつたこと、かくて申立人は婚姻前の「田中」姓に復するに至つたのであるが、申立人としてはその生涯の最も重要な部分である二〇才から五六才までの三六年間「石田とき」として社会生活を送つてきたところから自己を表象するに「石田とき」以外の氏名は考えられないようになつていること、これに加え申立人はいまだ「石田」姓であつた昭和二九年九月○○日○○○生命保険相互会社に外務員として入社し、現在既に五年の長期にわたる勤務年数を算するばかりでなく、その担当職務は保険契約の勧誘に止まらず掛金の徴収にも携つており、申立人にとつてはこの仕事が殆んど唯一、最大の生活費の収入源であるところから孜々として努めた結果、今では月平均の契約高は五件金額にして約一五〇万円、集金高は月平均三〇〇件約四〇万円ないし五〇万円にのぼる業績をあげ、同社○○月払支社○○営業所地区所長の地位を占めるに至り、その月収も一万五千円を下らないものであること、しかも上記の事情によつて会社関係においては申立人を指称する氏名はすべて「石田とき」となつておりこれに基いて一切の書類が作成されているばかりでなく、右の如く長期にわたり「石田とき」として保険契約の勧誘および集金に従事してきたところから申立人は「石田」として知られており顧客の中にはわざわざ申立人を指名して契約をする者がある程対顧客関係における信頼をもかちえ、保険外務員として確固たる地歩を築いているものであること、他方申立人の上司は、申立人がいま旧姓を称するにおいては会社関係のみならず顧客に対する関係においても少からぬ混乱、疑惑を生じこれによつて円滑にいつている仕事に重大な支障を生ずる虞があるとして申立人が石田姓のまま業務に従事することを希んでおり、申立人としても右のような事態が発生するにおいてはその唯一の収入源が脅かされ生活が危胎に瀕するであろうことなども考慮し、これを避けるため依然として事実上石田姓を使用していることをそれぞれ認めることができる。
これをみるに、申立人が石田太郎との二六年にわたる婚姻期間をつうじ「石田」を自己の姓として呼称してきたことによりその婚姻前の「田中」姓は申立人にとつて全く個人識別の標識としての機能を喪失していることを容易に窺うことができ、しかも太郎との婚姻の解消が前記認定のとおり申立人において責を負うべき事情のもとになされたのではない状況下において「田中」姓への復氏を当然とすることは申立人に一方的に精神的苦痛を与え酷であるばかりでなく、申立人が「石田とき」として五年の間営々として生命保険外交業務に携り相当広範囲な業務上の活動をなし、その道での社会的信用をも獲ている事実をみれば、申立人がこれを用いてきた個人識別の標識たる「石田」姓を、突然「田中」姓に変更することによつて、申立人が恐れている如く、その勤務先の会社および顧客に対する経済的接触ことに信用関係を混乱させるであろうし、場合によつては申立人に対する無用の疑惑を生じひいてはその生活の基礎をも脅かし、申立人に対しはかり知れない苦痛不利益を負はせるに至る虞なしとはしえないこと、これに反し、申立人において引続き「石田」姓を称することは申立人自身のみならず、その接触ある社会の利益のためにも適当であることは容易に首肯しうるところである。
三、ところで本件は離婚によつて復氏したものが、婚氏と同じ氏を称したいとする場合であるが、かかる場合改氏の要件たる「やむを得ない事由」として更に何らか考慮しうるものがあるか否かについて以下論及する。
さて、旧来の家名としての氏の機能は、家制度の廃止、両性の平等、個人主義思想の発展にともない、夫婦とその子の呼称として質的転換を遂げるに至つたことは周知のとおりである。しかしまた、氏は名とともに個の表象であり人格の同一性認定の有力な標識であつて、かかる点から、文化、経済生活の複雑化せる近代社会において法的安定をはかるため氏の不可変更性の要請は必然的なものということができよう。
ところで、わが夫婦同氏の制度は、夫婦の一方に対し、その者の生来の表象であり同一性の標識であつた氏の放棄および他方の氏への改氏を強いることとなり、その者に対しただに精神的苦痛を与えるに止まらず、改氏によつて社会生活上の、なかんずく取引関係での混乱を惹起し、もつて氏の不可変更性の根本理由である法的安定性を害するに至るばかりでなく、婚姻による改氏を強いられるのが多く女性の側にある現実をみれば、憲法上保障される両性の本質的平等が実質的に冒される結果を招来するおそれさえあるうえ、本来婚姻と夫婦同氏制が必然的に連繋するものとは解せられず、むしろ氏は婚姻から解放さるべきであるとする思潮を併せ考えると、婚姻に伴い氏を同じくするか別氏とするかの選択の余地のない夫婦同氏制は根本的に再考されなければならないであろう。
ちなみに諸外国の法則をみるに、英国においては妻は当然夫の氏を称するものではなく、妻にとつて婚姻前の氏より夫の氏を称する方がより適切である場合に夫の氏を取得させ、またソビエト、(一九二六年婚姻親族後見法第七条)、中国においては夫婦が共同氏を称するか各固有の氏を引続き使用するかはその任意選択に任せられ、夫婦同氏制をとるドイツにおいては妻は夫の氏に自己の婚姻前の氏を副えることを妨げられることはない(民法の領域における男女の同権に関する法第一三五五条)。これをみると、夫婦が夫々の固有の氏を尊重することによつて個人の尊重ひいては両性の本質的平等を具現し、他面、固有の氏の尊重が個人の同一姓の認定、法的安定性に益することをうかがい知ることができる。このような法制は婚姻と氏の関係について参考とすべきものが多いであろう。
飜つて離婚による復氏の制度につき検討を加えてみよう。
婚氏は改氏した者にとつて第二次的な個人の表象であるところ、子女の出生、経済的文化的その他複雑多岐にわたる社会生活上の折触面の増大と深刻化により、ことに婚姻期間が長期にわたればわたる程、婚氏が個人の表象、同一性認定の標識としてその機能を増大し、ついには婚氏を以てしなくてはその機能を果しえず、これに反比例して婚姻前の氏はその表象・標識としての価値を減じあるいは全く失つてしまつている場合すらあることはまことにみ易いところである。しかるに離婚によつて当然に婚姻前の氏に復せしめるにおいては、婚姻によりやむなく従前の氏を捨てたものに対し再度の犠牲を強要することとなつて、この者に多大の困惑、精神的苦痛を与え、他方、復氏者の同一性の認識を困難ならしめて人間関係、経済関係において無用の混乱を生ぜしめひいては復氏者の信用の失墜をきたすことは推測に難くない。しかもこれによつて不利益を蒙るものが、一方的に、婚姻により改氏した者―しかもその多くは女性―にあることをみれば、この制度が果して正義に合するものであるかにつき疑念なしとしない。
以上述べた如き諸欠陥あるに拘わらず、何故に離婚による婚姻解消と氏の変動を結合させなければならないのであるか。しかも、配偶者の一方の死亡による婚姻解消の場合には、他方(もちろん離婚により改氏した者に限る)は当然復氏することなく、復氏すると否とはその意思に委ねられていることをみれば、婚姻解消と氏の変動につき制度の一貫性を欠くものといわざるをえない。いづれも法律上婚姻関係解消の場合であるからその取扱を二、三にすべきではないであろう。配偶者の死亡による婚姻解消は当事者の意思によらない場合であるから特別の保護を受くべきものとするのであろうか。そうであれば、自己に離婚原因なく、もしくは責むべき点少くして離婚の止むなきに至つた者に対し同一の保護を与えなければ公平を欠くであろう。また離婚後に婚氏を称することによつて離婚の事実を不分明ならしめ身分関係の識別に混乱を生ずることを理由とするのであろうか。しかしかかる混乱は、夫婦同氏制を採ることによつて必然的に生ずる結果であり、夫婦別氏制の場合には起りえないことであつて、夫婦同氏制こそ再考されなければならないこと前述のとおりである以上、右の如き理由は末をみて本を顧りみないものといわざるをえない。また右議論をしばらく措き、右の混乱に対処するに離婚した旨の何らかの標識があれば足りるのであつて離婚と復氏制を結合させなければならない必然的な理由を発見するに苦しむところである。例を諸外国にみると、夫婦同氏制をとる米国の二、三の州(例イリノイ州離婚法第一七条)および西ドイツ(一九四六年新婚姻法第五四条)おいては、離婚によつても妻は当然復氏することはなく、復氏するか否かはその自由意思にまかせられ、また復氏した場合にも離婚した旨を示して婚氏を称することが認められるところであり、フランスにおいては離婚によつて妻は復氏するけれども婚氏を称することは事実上容認されているところであつて、夫婦同氏制が検討されなければならないこと前述のとおりであるが、同氏制を採る場合においても離婚による復氏制は十分に反省されなければならないであろう。
氏が先に述べたとおり、人格同一性認定の有力な標識であるとすれば、これを一貫して称呼することが社会秩序に合し、呼称制度の確保をはかる国家利益にも添うわけであるから、改氏を軽々に許すべきでないことはいうまでもない。しかしながら、現在の氏を称することによつてその者が社会生活上測り知れない不利益を蒙るに反し、氏を変更することによつてかえつて当人の利益になり、ことに別氏方がその者の同一性の標識としてより役立つ場合においては、個人の利益をして呼称秩序・国家利益に優先させるべきであろう。制度がそうであるように「氏制度も人の福祉に奉仕すべきものであつてこれを難渋にするものであつてはならない」筈である。
されば離婚による復氏者が婚氏と同一の氏を称したいとする場合に、復氏により不利益を受けるに反し婚氏と同一の氏を称することが利益となり、同一性認定の標識としてより役立つ場合が多いであろうし、夫婦同氏制、離婚による復氏制が前述の如き問題点を含むことを併せ考えれば、以上述べた諸点は改氏許可の基準である「やむを得ない事由」を検討するにあたり大いに参酌されて然るべき事項であろう。
五、果して然らば、以上認定の諸事実ならびに論及した諸点を併せ考えれば、本件改氏についてはやむを得ない事由あるものというべく、よつて本件申立を許可することとし主文のとおり審判する。
(家事審判官 加藤令造)