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東京家庭裁判所 昭和37年(家)10692号 審判 1963年7月16日

申立人 本間十郎(仮名)

主文

東京都練馬区高松町一丁目○○○○番地墓地二七歩の承継者を申立人と定める。

理由

申立人は主文同旨の審判を求めたので、考えるに、本件記録添付の不動産登記簿謄本および土地台帳謄本によれば、主文記載の墓地(以下本件墓地という。)の所有者は本間庄蔵である事実が認められる。そこで、まず、本間庄蔵につき相続が開始したかどうか、すなわち同人が死亡したかどうかについて考えるに、本件記録添付の戸籍謄本、戸籍抄本、東京都練馬区長作成の「証明書」と題する書面、当裁判所調査官遠藤富士子の調査報告書、申立人審問の結果、その他の証拠資料を綜合すれば、次の事実が認められる。

本間庄蔵は、文政三年(西歴一八二〇年)八月六日出生したものであるから、昭和三八年七月一日現在において生存しているものとすれば満一四二歳の高齢に達しているものであるところ、東京府北豊島郡上練馬村大字上練馬○○○番地から他へ転籍したことによる同人の除籍簿が昭和三三年二月二二日づけ東京法務局長の許可に基き東京都練馬区長によりすでに廃棄処分されているため、現在、本間庄蔵の戸籍関係を追及することが極めて困難である。そして庄蔵の身分関係は別紙身分関係図記載のとおりであるところ、同人の親族或いは姻族にあたる、申立人、本間太郎、本間吉蔵、山口さく、大橋宇門、大橋正雄および本間よねは、いずれも、庄蔵、同人の妻かつ(文政一二年四月一五日生)および同人の娘すま(安政五年五月一四日生)については何らの消息を有していない。

以上の事実が認められる。

そして、上記認定の事実に、昭和三〇年度国勢調査の結果による、当時生存男子の最高年齢は満一一一歳であるという事実(この事実は当裁判所書記官森千恵子の電話聴取書により認められる。)を併せ考えると、本間庄蔵は、昭和三八年七月一日現在において、生存している可能性が全くないもの、すなわち死亡しているものと考えるのが相当である。もつとも、死亡の時期は不明であるが、墳墓の承継者指定を求める本件に関する限り、死亡の時期の確定は必要でない。

そこで、次に本件墓地の承継者として誰が適当であるかについて考える。

本件墓地の所在する東京都練馬区において、祖先の祭祀を主宰すべき者についての慣習は明らかでない。

当裁判所調査官遠藤富士子の調査報告書、申立人、本間太郎、本間吉蔵、山口さくに対する各審問の結果によれば次の事実が認められる。

本間庄蔵らの身分関係は前記認定のとおりであるところ、本件墓地には、申立人の祖父本間八郎らが埋葬され、いわゆる「本間家の墓」として代々続いてきたものであるが、大正七年三月一〇日本間邦蔵(申立人らの父で八郎の子)が死亡した時は、場所的関係から当時新宿区角筈にあつた長楽寺に埋葬された。

そして、申立人は、昭和二六年以来本件墓地へ墓参し、事実上本件墓地の管理をしており、同人以外に本件墓地へ墓参する者としては、本間太郎位で庄蔵の子孫らは管理又は墓参することはない。

なお、本間太郎は前記長楽寺にある墳墓を承継しており、本件墓地を申立人において承継することに同意している。

以上の事実から考えれば、本件墓地は申立人において承継するのが最も適当である。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 加藤令造)

身分関係図<省略>

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