東京家庭裁判所 昭和37年(家)3213号 審判 1962年8月27日
申立人 川村友子(仮名)
相手方 川村淳一(仮名)
主文
一、相手方は申立人に対し、婚姻費用の分担として、昭和三十七年一月一日以降一箇月金一〇、〇〇〇円づつを当月十五日限り(既に期限を経過した分は本審判確定の日の翌日限り)東京家庭裁判所に寄託して支払え。
二、相手方は申立人に対し、相手方住居に存置してある申立人所有の夜具一組、座蒲団五枚及びミシン一台を申立人に送付して引き渡せ。
理由
申立人と相手方とは、昭和三十四年十月十八日結婚式を挙げて、相手方実家にその父母らと共に同居し、同年十一月五日婚姻届出を了した。しかしながら、申立人と相手方とは、結婚当初からとかく和合を欠き、遂に同三十五年十二月十日別居という事態に立ち到り、爾来今日に至つている。この間、相手方から同三十六年一月二十一日当庁に対し申立人との離婚を求める調停(件名は夫婦関係調整)申立がなされ、十数回の期日を重ねたが、同三十七年三月二十七日不成立に終つた。本件は始め、右調停係属中の同三十六年十二月四日申立人から、長女恵子の出産等に要した諸費用を含む別居時以後の婚姻費用につき、相手方の分担を求める調停として申し立てられ、前記離婚調停と併行して期日を重ねたが、これまた前記期日に不成立に終り、乙類審判事項であるところから、審判に移行したのである。
以上が、当裁判所が知り得た本件審判に至るまでの外部的経過の概略である。
ところで、相手方は、申立人との別居は、申立人の恣意に基く一方的な家出に由来するものであること、申立人が昭和三十六年八月十二日に分娩した長女恵子は、真実は相手方の子ではないことを主張して、申立人の本件申立に応じない。
しかしながら、当裁判所が取り調べたところを仔細に検討し、綜合して考えると、申立人と相手方とは、結局いはゆる性格の相違から、僅か一年余で、その婚姻共同生活を中断し、別居せざるを得なかつたのみか、少くとも昭和三十六年一月二十一日以降は、申立人のみならず相手方もこの別居を容認するまでの事態に立ち到つたものとみるのほかはない。蓋し、申立人と相手方とは、それぞれがかなり異つた環境に生育し、自ら、その心情、志向、行動態様等において相当の差異を有していたところ、結婚生活に対する相互の期待感に食い違いがあつたことも加わつて、結婚当初から些末な事柄の一々について意志の疎通を欠き、期待外れ感を累増させ、緊張を高めていつた挙句、この緊張状態からの脱出として、別居という非常事態が現出したものと理解するのが相当である。この場合、申立人が自ら家をとび出したのか、それとも相手方が追い出したのかという平面での評価は、さまで重要ではない。ただこの間において、申立人の行動に、若干の思慮と忍耐とに欠ける点が認められ、特に自己の母親との心理的癒着が当事者間の和合を妨げたふしがうかがわれるとしても、相手方にも、その主観的な意識はどうであれ、夫として、妻である申立人との適応のための工夫と努力と能力とに十分でなかつたことが指摘されねばならない。而して、相手方自身昭和三十六年一月二十一日前記離婚の調停を申し立てることによつて、申立人との別居状態を当然に容認したものといわなければならない。
かくして、昭和三十五年十二月十日以後今日に至る当事者の別居が、専ら申立人の我儘勝手な行動に基因し、その責は一方的に申立人にあるとする相手方の主張は採るを得ない。
又、恵子が相手方の子ではないとの相手方の主張については、本件にあらわれた限りの一切の資料を精査しても、これを認めるに足りない。相手方は、申立人が高校時代盲腸手術により欠席したというがそれは偽りであるとか、結婚時処女でなかつたとか、河久保医院において妊娠中絶や診療を受けなかつたのにあると虚偽を述べているとか、結婚後も他男と交際しているとかと主張するが、いずれも的確な心証を惹くに至らないばかりか、かりに右が事実としても、恵子が相手方の子でないことをまで証するに足りないことは勿論である。ただ申立人との性交渉が、昭和三十五年九月中旬頃からはないという主張(申立人はこれを否定し、同年十二月中旬頃まであつたという)については、これが事実とすれば、もとより恵子は相手方の子ではないことになるが、この点については、相手方自身の供述以外にこれに副う証拠は見出せないのみならず、申立人が恵子を懐胎した当時、申立人について他男との性交渉の存在を推認させる資料すら、何も現れていない。そうである以上、当裁判所としては、恵子を申立人と相手方との間の嫡出子として取り扱うの外はない(もし相手方が、この点につき、あくまで自己の主張をとおそうと思うならば、よろしく嫡出否認の訴、或いは家事審判法第二三条による審判を以て、事理を弁別する道をえらぶべきであつたであろう。本婚姻費用分担事件並びに前記夫婦関係調整事件の各調停の過程において、調停委員会はしばしばこの点を示唆したが、相手方は、この方法をとらなかつた事実がある)。
以上の次第であるから、相手方は、申立人に対し、別居後と雖ども、夫婦が夫婦である限り負うべき婚姻費用(末成熟子の養育費を含む)の分担義務を、全面的に免れるということはできない。
しかしながら、長女恵子の出産をみるまでの期間は、前記の如き別居の経緯等に鑑み、申立人において自己の生活費は自らが負担すべきが相当であると考えられるから、恵子の出産後における申立人母子の生活費(恵子の出産に関連して要した諸費用を含む)について、相手方が然るべき分担義務を負えば足りると考えられる。
ところで、相手方は、昭和三十六年八月当時すでに、額面において一箇月金二一、九一二円の給料を得ており、ほかに同年六月の賞与として額面金五三、九〇〇円、同年十二月の賞与として額面金六五、二〇〇円を得ているから、これらから諸税金を控除しても、一箇月平均約金三〇、〇〇〇円を取得し得る給料生活者であり、特段の事情のないかぎり、少くともこの程度の生活は維持しうるものと推測される。これに対して、申立人は、栄養士の資格を有し、婚姻前及び婚姻共同生活中職について少くとも一箇月金一二、〇〇〇円の給料を得ていたが、長女恵子の出産を控えて昭和三十六年二月十六日に退職し、出産後現在まで専ら恵子の養育に当つており、その生活費は一箇月約金二万円を超え、これをやむなく申立人の実家からの援助によつてまかなつている状況であるが、再び右と同程度の給料を得て就職し得る可能性があり、自らの生活は自らにおいてほぼ保証し得る余地が認められる。なお、申立人は、長女恵子の出産に関し、約金五万円の支出をしたが、他方別居に際し、相手方との婚姻共同生活中において相手方と協力して蓄積した約金一〇五、〇〇〇円の貯金を携帯し、これを自己と恵子との生活費及び養育費に費消している。
当裁判所が取り調べた以上の事実のほか、本件にあらわれた当事者双方の別居の経緯、生活程度等一切の事情を綜合して考えると、相手方の申立人に対する婚姻費用(未成熟子たる長女恵子の養育費を含む)の分担額は、一箇月金一〇、〇〇〇円を以て相当とすべきところ、長女恵子出産後昭和三十六年十二月末日までの、出産費用約金五万円を含む申立人母子の生活費に対する分担分は、申立人が別居の際持参した前記の約金一〇五、〇〇〇円によつてまかなわれたものとみなすべく、結局相手方は昭和三十七年一月分以降の分担金を支給しなければならないことになる。そこでなお、当裁判所は、諸般の事情を考慮し、相手方が申立人に対し、婚姻費用の分担金として、昭和三十七年一月一日以降一箇月金一〇、〇〇〇円ずつを、当月十五日限り東京家庭裁判所に寄託して支払うこと、並びに、申立人及び長女恵子の生活に必要であるところから、相手方住居に存置してるあ申立人所有の夜具一組、座蒲団五枚及びミシン一台を申立人に送付して引き渡すことを相当と認め、主文のとおり審判することとした。
(家事審判官 高野耕一)