東京家庭裁判所 昭和38年(家)11011号 審判 1964年4月01日
申立人 日野邦子(仮名) 外一名
右法定代理人親権者母 日野ふみ(仮名)
相手方 田中新治(仮名)
主文
相手方は申立人両名に対し、その扶養料として、各自につき、昭和三九年四月より申立人らが一八歳に達するまで、毎年(イ)一月より六月までは一ヵ月金一万円、(ロ)七月は金二万円、(ハ)八月より一一月までは一ヵ月金一万円、(ニ)一二月は金二万円を毎月末日限り、申立人ら方に持参または送付して支払え。
理由
本件申立の要旨は、「申立人らはいずれもその親権者日野ふみを母として出生し、その後相手方より認知されたものである。相手方は従来より引き続き今日まで○○鋼管株式会社に勤務し、海外派遣を命ぜられるなどしている優秀な社員であり、相当多額の給与を受け、しかも自己名義の建物を所有している。相手方は申立人らの出生後、扶養料を支払つてきたが、最近ではこれを支払わないため、申立人らが成人に達するまで相当額の扶養料の支払いを命ずる旨の審判を得たく、本申立におよんだ」というのである。
本件記録に編綴の各戸籍謄本および当裁判所調査官の調査報告書によると、申立人日野邦子は日野ふみの非嫡出子として昭和三〇年六月一日に出生し、同三二年一二月二日相手方によつて認知され、申立人日野栄治は同じくふみの非嫡出子として昭和三三年二月四日に出生し、同年五月一三日相手方によつて認知されたものであること、右申立人ら両名は母ふみおよび母方の祖母サキとともに肩書住所に居住し、母ふみの監護養育を受けており、申立人邦子は今春小学校三年生に進級し、申立人栄治は今春小学校に入学すること、申立人らの母・親権者ふみは前示のとおり申立人らと同居し直接その監護養育にあたつており、無職無収入であるところ、申立人らについてはそれぞれ相当額の生活費、教育費などを必要とする状態にあること、これに対し相手方は後に認知するとおり相当の資産収入のあることが認められる。してみると、申立人らはいずれも要扶養状態にあり、その母ふみにおいて同人らと同居し引取扶養しているが、無収入であるため、その父たる相手方は扶養の義務を負い、しかも金銭の支払いをもつてその責を果たさねばならなぬものである。
よつて進んで、その扶養の程度および方法につき考えるに、前示当裁判所調査官の調査報告書、○○鋼管株式会社作成の相手方についての給与証明書、当裁判所の相手方に対する審問の結果および相手方提出の証拠資料を総合すると、相手方は昭和三六年一二月米国への出張を終えて帰国して以来、妻典子とともに肩書住所に同居しており、また相手方の母まつはかねて病気療養中のところ昭和三八年一二月二五日死亡し、相手方の父哲治(当七九歳)は病気のため入院中であり相当高額の入院費を費しているほか、妻典子も病弱なため相当な医療費を支出していること、相手方は肩書住所に建坪二〇坪の家屋を所有しこれに居住しているが、右家屋の一部を増改築するに際し、その費用にあてるため勤務先会社から六〇万円を借りうけたが、これを昭和三八年六月限りで分割弁済を終えたこと、相手方は○○鋼管株式会社に二〇数年来勤務し、現在同社市場開発部課長の職にあり、昭和三八年一月より一二月までに右会社から毎月支給を受けた給与(支給額より住民税などを控除したもの)はおよそ金八万三、〇〇〇円前後であり、そのほかに同年度の夏期慰労金として手取り金二九万八、〇〇〇円、年末慰労金として手取り金四一万五、〇〇〇円の支給を受けており、その年間総額は金一七二万一、四七〇円、月額平均一四万三、四五五円であること、相手方は裁判所調査官の面接調査に際し(昭和三八年三月一四日)、申立人らに対する扶養料支払いの問題につき、「申立人ら代理人の谷川弁護士と交渉した結果、月額二万円程度を給料中から控除して送金するよう大体の了解ができている」旨述べたことがそれぞれ認められる。以上認定の事実そのほか本件についての調停および審判の手続における一切の事情を考慮し、とくに相手方は未成熟子たる申立人らに対していわゆる生活保持の義務を有することを考えると、相手方が申立人らに支払うべき扶養料の額は、申立人らの扶養請求の意思表示が明確に相手方に到達したと認められる昭和三八年三月(本件申立にもとづき当職が当裁判所調査官に事実調査を命じ、同調査官が相手方に面接し本件扶養の問題につき調査したのは昭和三八年三月一四日である)より申立人らが一応未成熟子たる域を脱するとみられる満一八歳に達する月まで、毎年(イ)一月より六月までは一ヵ月金一万円、(ロ)七月は金二万円、(ハ)八月より一一月までは一ヵ月金一万円、(ニ)一二月は金二万円を申立人ら方に持参または送付して支払うを相当とする。
ところで、前記各証拠によれば、相手方は昭和三八年八月頃金三〇万円を申立人ら代理人谷川弁護士を通じて申立人らに扶養料の一部として交付していることが認められる。ただし、その充当関係は必ずしも明らかでないが、前記各証拠および本件における諸般の事情を勘案すると、右金員は申立人らが相手方に本件扶養請求をしたことが明認され、その請求権が具体的に確定し履行期がすでに到来し、もしくは逐次それが到来する昭和三八年三月分以降の扶養料に充当するため授受したものとみるのが相当である。してみると、右三〇万円は昭和三八年三月分より同三九年三月分までの扶養料の支払いに充てられたものというべきであり、したがつて相手方としては昭和三九年四月分以降の前示割合による扶養料を支払えば足りるのである。
そのほか相手方は、米国に出張中月額一五〇ドルを約三年間にわたり申立人らの親権者ふみに送金したが、相手方の考えでは、右金額は一般扶養料の二倍以上にあたる金額であるため、少くともその半額は親権者ふみにおいて貯蓄する趣旨で送金し、同人もこれを諒承したものであると主張するが、右主張自体からも明らかなとおり、それは相手方の希望的観測にすきないのみならず、申立人らの親権者ふみが右送金(その金額の点はひとまず措く)の趣旨を相手方主張のとおり諒解していたことを認めるに足る証拠資料がないので、右主張は採用の限りでない。
なお、付言するに、(イ)昭和三八年二月分までの過去の扶養料を立替支払つた者が民事訴訟手続によつて相手方に請求することは妨げないところであるし、(ロ)相手方に対し前示のとおり扶養料の支払いを命じたが、将来申立人らの生活状態、相手方の経済状況その他客観的事情の推移変化により右扶養料の増減があり得るし、また(ハ)扶養料支払いの終期を申立人らが満一八歳に達する月までと定めたが、その後もなお申立人らにつき扶養必要な状態が継続するならば、その当時における当事者の生活状態、経済状態を見合せて扶養料の支払いを継続することがあるのは勿論のことである。
以上の次第で主文のとおり審判する。
(家事審判官 岡垣学)