東京家庭裁判所 昭和38年(家)12744号 審判 1965年9月27日
申立人 藤田はる(仮名)
相手方 沢田安彦(仮名)
主文
相手方は申立人に対し財産分与として金八〇万円を支払え。
理由
第一、申立人及び相手方の主張
申立人は、相手方は申立人に対し財産分与として金一千万円を支払えとの審判を求め、その理由の要旨として「申立人は昭和二五年一〇月二〇日相手方と内縁の夫婦関係を結び、相手方と同居してその長男明男、二男文男、四男茂の世話及び相手方の営むクリーニング業、パチンコ遊技場、理髪業、質屋業等の手助けをしてきたが、昭和三七年一二月一七日に至り、相手方から蹴る等の暴行を受けた上今すぐに出て行けと申向けられたので、申立人としてはその理由は不明であつたが一時の感情にかられた挙動と思い、実弟木原一男の許に身を寄せ、その後神奈川県○○○町の祈祷行者原本二郎の許で祈祷の日々を送つていたところ、相手方が他の女性と結婚したとの風聞に接したので、昭和三八年三月四日申立人は○○○町を引き揚げ、その頃内縁の夫婦関係は解消したものである。相手方は不動産を含め金三千万円を下らない資産を有するのでその三分の一である金一千万円を内縁の夫婦関係の解消に伴う財産分与として、支払を求めるため本件申立に及んだ」と主張し、
相手方は、本件申立は却下すべきであると主張し、「内縁の夫婦関係の解消の場合には民法第七六八条の適用はないので、本件申立は家庭裁判所の審判事項に当らないものである。仮りに本件申立が審判事項であるとしても、財産分与については昭和三八年二月二〇日申立人と相手方との間に示談成立し、一切解決したので申立人は最早財産分与を求め得ないものである。仮りに、なお申立人において財産分与を求めうるとしても、申立人は理髪業の経理を管理中金三八〇万円の使途不明の支出を生ぜしめたので、相手方はその賠償請求権をもつて申立人の財産分与請求と相殺する」と主張した。
第二、当裁判所の判断
一、相手方提出の「相手方沢田民男の抗弁と主張」と題する書面沢田きみ子の戸籍謄本並びに、証人村田久男同本田一郎同島田いと及び同夏井三郎の各尋問の結果、申立人及び相手方の各審問の結果を綜合すると次の事実を認めることができる。すなわち、昭和二五年一〇月頃当時東京都大森において芸妓をしていた申立人と被服販売の会社を経営し、その妻が子供を残して家を出たため子供三人を抱え不自由な生活をしていた相手方とが、相手方の知人中村某の紹介で知合い、相手方はその妻きみ子と正式に離婚していなかつたが事実上は離婚と同様であつたので、両名は同年一一月頃から東京都台東区浅草○○○町○丁目一八番地の相手方宅に同棲し、夫婦関係を結んだこと、その際相手方は申立人の勤務先に対する借用金二万円余を申立人に代つて弁済し、申立人の実母藤田カツを引取つて世話し、一方申立人は右カツと共に相手方の子である長男明男(当時一一歳で肺結核を患い自宅療養中であつた)次男文男(当時八歳)四男茂(当時四歳)の療養監護と家事をみることになつたこと、相手方は生地被服の販売、婦人服の仕立業等職業を転々と変え、一方ではクリーニング業も営んでいたが、申立人は当時専ら家事に専念していたところ、昭和二七年五月頃申立人と相手方は相手方の現住所である東京都品川区○○○の住居に移転し、同所でパチンコ店を経営することになり、相手方が資本を出して申立人名義で営み申立人は玉売り、景品の準備、客の監視等を委かされ約三年程続けたが利益がないため閉店し、その後は店を改造して酒場を約四ヵ月洋服の月賦販売を約三年と種々その営業をかえ、申立人も家事の傍その手伝をして来たこと、申立人がもと理髪店で見習をしていたことから、昭和三二年一一月頃理髪店を開業することになり、相手方の出資により申立人の名義で右住居の一部を改造して理髪業を始め、申立人はその経理一切を委ねられ、かつ、時々はバリカンや剃刀を持つて直接顧客にあたることもあつたこと、一方相手方は右理髪業の監督等をなす傍昭和三二年頃から右住居において使用人に委かせて質屋営業をはじめ従前から経営していたクリーニング業をも継続し、実質的には右三つの営業の営業主であつたこと、申立人と相手方はおおむね円満な家庭を営んでいたが、申立人に酒乱の傾向があるところから、酒を飲んだ際など稀には相手方との間に争いを生じたこともあつたこと、ところが昭和三七年頃には申立人は理髪業者の会合その他で夜更けて帰宅することが多くなり、外泊朝寝などもあつたため相手方において申立人に不貞行為があるのではないかと疑を抱くに至り、更に、同年一二月一四日頃相手方が申立人に対し理髪業の収支決算の報告を求めたところ申立人がこれを詳かにしなかつたことから両者の間が険悪になり、遂に同月一七日申立人は相手方宅を出て、申立人の異母弟木原一男の許に身を寄せ、その後前記○○○の原本二郎の許に身を寄せていたこと、昭和三八年二月二〇日相手方宅に申立人、相手方、前記木原一男、申立人の実母藤田カツ、相手方の営む質屋業の雇人村田久男、前記原本二郎、申立人の親戚である島田いと等が寄合い、申立人と相手方の夫婦関係の処理を協議することになつたが、申立人がおくれたため原本二郎等において相手方と話合い夫婦関係の解消を確認し申立人の衣類などを持ち帰ることを取りきめたので、おくれて来た申立人もこれを了承し同日衣類の選別をなし、その後これを持ち帰つたこと、申立人と相手方は以上のように同棲していたがついに婚姻の届出をしなかつたことを認めることができる。以上の事実によれば、相手方は妻きみ子と離婚していないが、きみ子は相手方宅を出てすでに長く、相手方と事実上離婚と同様の事情にあり、申立人と相手方との前記同棲生活は、周囲からも正当な夫婦と認められていたことが明らかであるから、申立人と相手方との関係は単なる私通関係と認めるべきでなく、いわゆる内縁の夫婦関係と認めるのが相当である。
二、申立人は内縁の夫婦関係の解消に伴い財産分与を求める旨主張するが、民法第七六八条は、法律上の婚姻の離婚の場合のみを規定しているので、これが直接適用されるものとはなし難い。しかしながら、財産分与の制度は、一般に夫婦関係の解消に伴う慰藉料、解消後の扶養及び夫婦関係継続中に取得した財産の清算等のため財産を分与すべきものとし、専ら夫婦であつたものの対内的関係を律するものとして考えられているので、これは、夫婦関係の実体のある限り、すなわち夫婦として同棲し互に扶助協力する生活関係の存在する限り、適用さるべき必要のあるものであり、これに反し、夫婦関係の実体のないところには、たとえ法律上の婚姻関係が存在するとしても、財産分与を認める余地の存しないものといわねばならない。申立人と相手方との関係はいわゆる内縁の夫婦関係で周囲からも正当な夫婦関係と認められて十数年を経ていること前認定のとおりであるので、それに財産分与の制度が夫婦であつたものの対内的関係を律するもので、直接第三者に利害を及ぼすものでないことに鑑み、前記のような夫婦関係については、たとえ内縁であつても財産分与を認めるが相当と考えられる。よつて、当裁判所は前記の如き内縁の夫婦関係には民法第七六八条の準用あるものと解し、かような場合には家事審判法第九条第一項乙類五に準じ家庭裁判所の審判事項に該当するものと解するを相当と考える。
三、よつて、進んで案ずるに、記録添付の不動産登記簿謄本(六通)、○○生命保険相互会社月掛料金課作成名義の回答書、○○○生命保険相互会社証券課長作成名義の回答書、○○証券株式会社○○営業所長井門繁作成名義及び同営業所作成名義の各回答書、相手方作成の資産明細書、○○相互銀行○○支店員作成のメモと称する書面、○○信用金庫本店営業課作成名義の回答書と申立人及び相手方の各審問の結果を総合すれば、相手方は、申立人との内縁の夫婦関係成立前において、すでに、東京都台東区浅草○○○町○丁目一八番地の一の借地上に家屋番号同町二七四番木造亜鉛メッキ銅板葺二階建居宅一棟建坪九坪五合六勺外二階一〇坪の家屋、東京都品川区○○○○丁目五六〇番地の宅地六六坪一合二勺、同地上の家屋番号同町一九一番木造瓦葺平家建居宅一棟建坪一四坪、家屋番号同町一九三番の一木造瓦葺平家建店舗一棟建坪二七坪及び家屋番号同町一九三番の三土蔵造瓦葺二階建物置一棟建坪四坪外二階四坪の家屋三棟、長野県○○○郡○○町○○所在の土地約三〇坪同地上の建物二階建約二五坪並びに前記台東区○○○町一丁目所在の宅地約三一坪を所有していたこと、相手方は、その後申立人との夫婦関係成立後である昭和二六年頃右○○○町の土地を売却し、昭和三〇年頃境界につき係争中の前記長野県所在の土地につき和解が成立し新たに約一〇坪を約一〇万五千円で買取り、昭和三二年頃前記○○○所在の家屋を約六〇万円を出費して改造したこと、また、相手方の動産については、申立人との夫婦関係を解消した当時において、株券が各銘柄をあわせ少くとも五万株投資信託合計二三九口預金が少くとも二〇〇万円などがあり、これに現金その他を加えると動産その他が総計金五〇〇万円を下らない価値を有するものであつたことが認められ、○○○町の土地の代金は長野県の土地その他に費消したものと認められ、また、申立人と相手方との夫婦関係成立当時相手方に現金預金証券動産など格別のものがあつたと認められないので、申立人と相手方の夫婦関係が解消された当時の相手方の資産は、その夫婦関係成立の当初に比し少くとも五六〇万円を下らない額を増加しているものと考えることができる。
しかして、申立人は前認定のとおり相手方との夫婦関係成立の当初からその解消直前の昭和三七年一二月頃まで終始家事の責任者であり、また相手方の病弱な長男次男の療養監護並びに四男の養育にあたつて来たのであり、他方、少くとも昭和三二年一一月以降相手方の経営する事業の一である理髪業につき経理一切を委かされ、かつ、理髪の手伝い等をなしてきたのであるから相手方の資産の増加につき相当な貢献をなしているものと認むべきであり、以上認定の相手方が相当の不動産を有しすでにクリーニング業を営んでおり、相当の出資をして理髪業質屋等をはじめた事情を考慮し、その他一切の事情を併せ考慮するときは、右増加額の三分の一は申立人の貢献によるものと認めるのを相当と考える。ところで、証人本田一郎、同夏井三郎の各尋問の結果、申立人と相手方の各審問の結果並びに記録添付のトコヤ、ユカイ金銭出納簿、伝票を総合すれば、申立人がその経理を委かされていた理髪業の純利益は、昭和三二年一一月以降昭和三七年一二月までの約五ヵ年間一ヵ月平均五万円を下らないものと推定され、右五ヵ年間に少くとも金三〇〇万円の純利益があつたものと計算されるのに、申立人において預金現金あるいは投資信託等の形で相手方に引渡したものは約一〇〇万円であり、ほかに申立人は毎月金八千円位を生活費として使用しその五ヵ年の総額は約五〇万円と考えられ、残額一五〇万円は使途不明にして申立人においてその責のあるものと推認せざるを得ない。この金額を申立人において相手方に引渡しているとせば、前記約五六〇万円にこれを加えたものが夫婦関係中に増加した資産であり、この三分の一が申立人の貢献によるものとし、それより右約一五〇万円を、申立人に責任のあるものとして、控除すれば、約八六万円となる、これに前認定の事実その他一切の事情を考慮すれば、申立人に分与すべき金額は金八〇万円を相当と考える。
相手方は、財産分与については昭和三八年二月二〇日示談が成立し、申立人は最早これを求め得ないものであると主張するが、証人村田久男、同島田いとの各尋問の結果及び申立人の審問の結果を綜合すれば、昭和三八年二月二〇日相手方宅に申立人、原本二郎、村田久男、島田いと、木原一男相手方等が会合し、夫婦関係解消の話合のなされたことは認められるが、財産分与について協議が成立したとか、申立人がその請求を放棄するような話合のあつたことを認めるに足りず、他に相手方の主張を認めるような証拠がない。また、相手方は申立人に金三八〇万円の使途不明の出資があると主張するが、前認定のとおり約一五〇万円につきこれを認めうるに止り、その余につき相手方の主張を認めるに足る証拠がない。
よつて、右金八〇万円の範囲において、申立人の申立を相当と認め主文のとおり審判する。
(家事審判官 脇屋寿夫)