大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京家庭裁判所 昭和40年(家イ)4140号 審判 1965年12月24日

申立人 (内田)カツ(仮名) 外二名

右申立人等法定代理人親権者 田村美子(仮名)

相手方 田村一男(仮名)

主文

相手方は申立人らをそれぞれ認知する。

理由

一、申立人らは、主文同旨の審判を求め、その事由として述べる要旨は、

(一)  申立人らの母田村美子(旧姓内田)は、昭和二五年八月頃内田益男と結婚式を挙げ、事実上の夫婦として鎌倉市○○一、六〇六番地において同棲生活に入り、昭和二六年八月一四日正式に鎌倉市長に対し同人との婚姻届出を了し、同人との間に同年七月一七日長女みちこ、昭和二九年六月二九日長男忠男をもうけたのであるが、結婚当初から夫婦間の折合がとかく円満を欠き、とくに昭和三一年四月二八日夫婦が相手方からその所有する鎌倉市○○○四一番地所在二階建アパートの階上の部屋を賃借して同所に転居してからは夫婦喧嘩が絶えず、申立人の母田村美子は、昭和三二年一二月二五日の夜右内田益男からひどく殴打されることがあつたため、同月二七日茨城県常陸太田市○○町の実家に戻り、爾来、右内田益男とは別居し事実上離婚状態となり、その後、昭和三九年一〇月九日確定の裁判により同人と離婚した。

(二)  ところが、右田村美子は、正式に右内田益男と離婚する以前である昭和三三年一二月二四日より相手方と事実上の夫婦として、相手方の現住居において同棲生活に入り、相手方との間に昭和三四年一〇月一九日に申立人(内田)カツを、昭和三六年四月二日に申立人(内田)玲子を、昭和四〇年六月一五日に申立人田村宏一を出生し、その後前述の如く右内田益男との離婚手続を了したので、昭和四〇年八月一四日正式に東京都台東区長に対し相手方との婚姻届出を了した。

(三)  右の如く、申立人(内田)カツおよび申立人(内田)玲子は、真実右田村美子と相手方との間に出生したものであるにもかかわらず、それぞれその出生当時、母である右田村美子と前記内田益男との間には、なお法律上婚姻が継続していたため、右申立人両名は右田村美子と内田益男との間の嫡出子であるとの推定を受けることになり、それぞれ出生当時に出生届をなすときは、内田益男の戸籍に入ることになるので、右田村美子はこれを嫌い、未だに出生届が未了である。よつて右申立人両名は、相手方の認知をえて相手方と母田村美子の間の子として出生届出のうえ戸籍に登載されたく、本件申立に及んだ。

(四)  また、申立人田村宏一も、前述の如く、真実右田村美子と相手方との間に出生したものであつて、相手方は昭和四〇年八月一四日正式に母田村美子との婚姻届出を了したので、同日付で右申立人の嫡出子出生届をなし、これが受理され、戸籍上相手方と田村美子の間の長男として記載されているのであるが、右申立人の出生時は母田村美子と前記内田益男の離婚後三百日以内であつて、右申立人も母田村美子と内田益男の間の嫡出子であるとの推定を受けるため、本来右出生届は受理されるべきでないのが誤まつて受理されたものである。したがつて、このまま放置するときは、戸籍訂正によりその記載を消除されるおそれがあるので、審判により相手方の認知をえて、右申立人の身分関係を確定しその戸籍記載が正当であることを確保したいので、本件申立に及んだ。

というのである。

二、本件につき、昭和四〇年一二月二四日に開かれた調停委員会の調停において、相手方が申立人らをそれぞれ認知することにつき、当事者間に合意が成立し、その原因についても争がないので、当裁判所は、本件記録添付の各戸籍謄本、各母子手帳の写し、家庭裁判所調査官代田和一の調査報告書並びに申立人らの法定代理人親権者田村美子および相手方に対する各審問によつて、必要な事実を調査したところ、一の(一)ないし(二)に記載したとおりの事実が認められる。

三、ところで、民法第七七九条によれば、被認知者は嫡出でない子でなければならないから、相手方が申立人らを認知できるためには、申立人らが嫡出でない子であることを要する。民法第七七二条第一項によると、妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定され、また同条第二項によると婚姻の解消から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定されるのであつて、かかる夫の子すなわち嫡出子と推定される子については、民法第七七四条および第七七五条により、夫から子またはその親権を行う母を相手方とする嫡出否認の訴のみによつてその嫡出性を否認することができるのである。しかしながら、かかる嫡出推定は、子の懐胎期間中、夫が失踪宣告を受け、失踪中とされるとき、または夫が出征中、在監中、外国滞在中などであるとき、あるいは夫婦が事実上離婚状態にあるとき等、夫と妻との間における同棲交渉が欠如していることが外観的に明瞭である場合には、排除され、かかる場合には、子と夫との間の関係は、嫡出否認の訴でなく、親子関係不存在確認の訴によつて争いうるものと解される。

そうだとすると、本件申立人らはそれぞれ一応母田村美子と前記内田益男との間の嫡出子であると推定されるのであるが、右田村美子は、前記認定の如く、昭和三二年一二月二七日その実家に戻り、爾来前記内田益男とは別居し、事実上離婚状態となり、申立人らの懐胎期間中母田村美子と右内田益男との間における同棲交渉が欠如していることが外観的に明瞭であるから、右の嫡出推定は排除されるものといわなければならない。

そして、前記認定の如く、申立人らと右内田益男との間には父子関係は存在せず、申立人らの母田村美子は昭和三三年一二月二四日から相手方と同棲し、相手方との間の子として申立人らを懐胎し分娩したのであつて、申立人らはいずれも嫡出でない子であるといわなければならない。

四、よつて申立人らがそれぞれ相手方に対し認知を求める各申立は理由があるというべく、当裁判所は調停委員山県三郎、同田中寿美子の意見を聴いたうえ、家事審判法第二三条に則り、主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例