東京家庭裁判所 昭和42年(家)11887号 審判 1967年12月19日
本籍 住所 東京都
申立人 清水勝久(仮名) 外一名
国籍 中華民国 住所 台湾省台北市
事件本人 陳文志(仮名) 中華民国四一年(昭和二七年)五月一〇日生
主文
申立人らが事件本人を養子とすることを許可する。
理由
一、申立人らは、主文と同旨の審判を求め、その事由として述べるところの要旨は、
1、申立人らは、昭和二年三月二七日挙式のうえ事実上の夫婦として同棲し、昭和一七年二月二九日に正式に婚姻の届出を了した者である。
2、事件本人は、陳鑑守およびその妻陳楊美芳の間の長男として中華民国四一年(昭和二七年)五月一〇日に出生した中華民国の国籍を有する未成年者である。
3、申立人らは、その間に実子がなく、かねて申立人らが台湾に居住していた当時親交のあつた亡楊業徳の孫にあたる事件本人を養子として迎えたいと思い、昭和四二年六月二〇日申立人清水たみにおいて台湾に渡航したうえ中華民国台湾省台北市において事件本人と面接し、申立人両名と事件本人との間に公証書により養子縁組契約を結び、その旨戸籍吏に届出手続を了し同年七月一六日帰国したこと。
4、事件本人は、右養子縁組契約に基づき、申立人夫婦の許に来るため、中華民国政府より出国を許可されたのであるが、日本に入国を許可されるためには、更に日本において養子縁組の手続を了することが必要になつたので、本件養子縁組につき家庭裁判所の許可をえるため、本件申立に及んだ
というにある。
二、審案するに、本件記録添付の各戸籍謄本、台湾台北地方法院公証処公証人徐嘉麟作成の公証書正本、家庭裁判所調査官三井博志の調査報告書並びに申立人両名に対する各審問の結果によれば、次の事実が認められる。
1、申立人らは、昭和二年三月二七日挙式のうえ事実上の夫婦として同棲し、昭和一七年二月二九日に正式に婚姻の届出を了した者であること、
2、事件本人は、中華民国人である陳鑑守およびその妻陳楊美芳の間の長男として中華民国四一年(昭和二七年)五月一〇日に出生した中華民国の国籍を有する未成年者であること、
3、申立人清水勝久は日本画家であるが、昭和一四年頃、当時台湾に居住していた養母清水みつのすすめで、写生旅行のため申立人清水たみとともに台湾に渡航したのであるが、そのまま台湾に滞在し、約一年間台湾専売局の嘱託として煙草の箱の図案かき等の仕事をした後、台北帝国大学医学部の嘱託となり、教授用の掛図の製作等の仕事をすることになつたこと、
4、台湾滞在中申立人らは事件本人の母陳楊美芳の父である楊業徳(酒卸商)と親しく交際するようになり、申立人ら夫婦の間に実子がなかつたところから、いずれ右美芳を申立人ら夫婦の養子とする旨の約束がなされたのであるが、楊一家が中国大陸の汕頭に移住し、大東亜戦争が勃発したため、その間の連絡もとれず、そのままになつたこと、
5、申立人らは終戦後昭和二二年五月一日に日本に帰国したのであるが、たまたま昭和四一年一〇月に日華美術交流会の展覧会が台湾台北市で開催された際、申立人清水勝久は右会に出席するため台湾に渡航し、同月一七日から同年一二月五日まで台湾に滞在したのでその間前記業徳の消息を調査したところ、同人は既に死亡していたものの、その妻楊辛秀某に再会することができ、更に同女を通じ、同女の娘である前記美芳並びにその嫁ぎ先の陳鑑守一家とも知り合うことができたうえ、右美芳から「自分は養子になれなかつたので、自分等夫婦の長男である事件本人を養子にしてほしい」といわれたので、同申立人も、事件本人を養子として迎える気持になり、帰国したこと、
6、申立人清水勝久は帰国後、右の事情を申立人清水たみに話したところ、同申立人も事件本人を養子とすることに賛同し、自ら昭和四二年六月二〇日、台湾に渡航し、事件本人および陳鑑守一家と面接し、事件本人の性格や意向なども充分確かめたうえ、同年六月二一日事件本人、その父母陳鑑守、陳楊美芳とともに、台湾台北地方法院公証処に赴き、申立人ら夫婦が事件本人を養子とする旨の公証書を作成し、同月二九日この公証書に基づき、養子縁組届出を了し、同年七月一六日帰国したこと、
7、事件本人は、右養子縁組により、中華民国政府より出国を許可されたのであるが、日本国政府よりの入国許可がえられないため、来日できない旨の連絡が、事件本人の父母から申立人らの許にあつたので、申立人清水勝久が法務省入国管理局入国審査課に赴き入国許可方の促進を求めたところ、同課係員より日本法による養子縁組の手続がとられない限り入国は許可されないから、至急その手続を了するようにとの指示があり、そこで申立人らは本件申立をしたものであること、
8、事件本人は現在高校一年在学中であるが、日本への入国が許可され次第、来日し、申立人らと同居する積りでおり、申立人らは事件本人を当分日本語学校に通わせ、日本語を習得させたうえ、学力に応じ、日本の中学か高校の相当学年に編入させ、学業を続けさせる積りでおること、
9、また事件本人の母陳楊美芳も事件本人とともに来日し、約六箇月間申立人らの許に滞在し、事件本人が申立人らになつき、かつ日本の風習になじむのを見届けたうえ帰国する予定であること、
10、申立人清水勝久は、六三歳、申立人清水たみは六七歳であり、老齢である点がやや心配であるが、両名とも健康であり、経済的にも安定しており、事件本人も一五歳であるので、監護養育の点に障害となるものはまずないこと、
三、右認定の事実からすると、養親となるべき申立人らがいずれも日本国人であり、養子となるべき事件本人は中華民国人であり、本件はいわゆる渉外養子縁組事件であるので、まずその裁判権および管轄権について考察するに、養親となるべき者または養子となるべき者の一方が日本に住所を有する限り、日本の裁判所は裁判権を有すると解すべきであり、本件においては、養子となるべき事件本人は、なお中華民国台湾省に在住するが、養親となるべき申立人らは、東京都に住所を有しているので、本件養子縁組については日本の裁判所が裁判権を有し、かつ当家庭裁判所は管轄権を有することは明らかである。
四、次に本件養子縁組の準拠法について考察するに、日本国法法例第一九第一項によると、養子縁組の要件につき、各当事者につき、その本国法によるべきものであるから、本件養子縁組の要件については、養親たるべき申立人らについてはその本国法たる日本国法、養子たるべき事件本人については、その本国法たる中華民国法が、それぞれ適用されることになるといわなければならない。
五、そこで本件養子縁組の要件を日本国民法および中華民国民法によつて審査する。
まず、日本国民法(同法第七九二条ないし第八一七条)と同様に、中華民国民法(同法第一〇七二条ないし第一〇七九条)も養子制度を認めているので、本件養子縁組を成立させることは可能である。
また、養子縁組の成立には、中華民国民法によれば、書面をもつてなすことのみが要求され(同法第一〇七九条)、日本国民法の如く、未成年養子縁組が成立するために、裁判所の許可(同法第七九八条)を要しない。しかしながら、養子縁組の成立のため裁判所の許可を要するかどうかの問題は、養親たるべき者の側、養子たるべき者の側双方に関する成立要件と解されるから、養親たるべき者が日本人である本件養子縁組については、日本国民法によつて家庭裁判所の許可が必要であるというべく、したがつて当家庭裁判所が本件養子縁組を審査して許可不許可を決することは適法である。
次に日本国民法は養親と養子との間には一定の年齢差を要求していないが、中華民国民法は、養親は養子より二〇歳以上年長でなければならないとする(同法第一〇七三条)。この点も養親たるべき者の側、養子たるべき者の側双方に関する成立要件と解され、養子たるべき者が中華民国人である本件養子縁組については、中華民国法の要求する右の年齢差の要件を充たすことが必要であるが、本件養子縁組においては、養子たるべき者が一五歳、養親たるべき者の一方が六三歳、他方が六七歳であるので、この要件を充たしていることは明らかである。
また、日本国民法では養親たるべき者が夫婦である場合共同で縁組をすることを要する(同法第七九五条)こと、中華民国民法と同様であるが(同法第一〇七四条)、この要件は専ら養親たるべき者の側に関する要件であり、したがつて日本国民法によりこの要件を充たすことを要し、本件養子縁組の場合、養親たるべき申立人両名が共同で縁組をしているので、この要件をも充たしている。
六、以上の如く、日本国民法および中華民国民法によつて審査するに、申立人らが事件本人を養子とすることには何等妨げとなるべき事情はなく、しかも本件養子縁組の成立は前記認定の事実および家庭裁判所調査官三井博志の調査報告書によつて事件本人の福祉に合致するものと認められるので、申立人らが事件本人を養子とすることを許可することとし、主文のとおり審判する次第である。
(家事審判官 沼辺愛一)