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東京家庭裁判所 昭和46年(家)11860号 審判 1972年3月16日

申立人 小野和夫(仮名)

主文

記載錯誤につき

一  本籍石川県鳳至郡○○村○○△△番地△号筆頭者(戸主)小野照洞の除籍(除籍の日明治三六年九月一二日―推定)中、同籍孫宏明の家族との続柄欄中、「四女みよ私生」とあるを「根本了泉母みよ長男」と訂正する。

二  本籍鳳至郡○○村字○○△△番地△号筆頭者(戸主)小野まつの除籍(除籍の日明治四四年一二月六日)中、同籍甥永明の父母欄中、記載のない父の氏名を「根本了泉」と、父母との続柄「私生子」とあるを「長男」と、家族との続柄欄中「私生子男」とあるを「長男」とそれぞれ訂正する。

三  本籍石川県鳳至郡○○村字○○△△番地△号筆頭者(戸主)小野たけの除籍(除籍の日大正元年一二月一二日)中、同籍甥宏明の父母欄中、記載のない父の氏名を「根本了泉」と、父母との続柄「私生子男」とあるを「長男」とそれぞれ訂正する。

四  本籍石川県鳳至郡○○村○○△△番地△号筆頭者(戸主)小野泰明の除籍(除籍の日昭和二八年三月五日)中、同籍妻の甥宏明の父母欄中、記載のない父の氏名を「亡根本了泉」と、父母との続柄「私生子男」とあるを「長男」と、家族との続柄欄に「私生子男」とあるを「長男」とそれぞれ訂正する。

五  本籍東京市台東区○○△丁目△△番地△筆頭者(戸主)小野和夫の改製原戸籍(新戸籍編製による消除の日昭和三八年九月一六日)中、記載のない父の氏名を「亡根本了泉」と、父母との続柄「男」とあるを「長男」とそれぞれ訂正する。

六  本籍東京都台東区○○△丁目△△番地△筆頭者小野和夫の現戸籍中、同籍夫和夫の父母欄中、記載のない父の氏名を「亡根本了泉」と、父母との続柄「男」とあるを「長男」とそれぞれ訂正する。

以上の各戸籍訂正を許可する。

理由

一  申立人は主文と同旨の審判を求め、その事由として述べる要旨は、

1  申立人は戸籍上申立外亡母みよの非嫡出子として記載されている。

2  しかしながら右みよは申立外亡根本了泉と婚姻中の明治二四年四月三〇日申立人を分娩したものであり、申立人は真実は右みよ、了泉両名の長男である。

3  ところが申立人の出生後間もなく明治二四年五月一四日右みよ、了泉両名は離婚したため、申立人の出生届出がおくれ、明治二五年四月二七日右みよの非嫡出子として届出られたものである。

4  申立人は永年非嫡出子として扱われ精神的苦痛をなめてきたが、最近戸籍訂正の方法を知り前記戸籍の記載を真実に合致させるため本件申立に及んだ。

というにある。

二  本件記録添付の各戸籍謄本、住民票抄本および申立人に対する当裁判所の審問の結果によれば、次の各事実を認めることができる。

1  申立外亡小野照洞、同うめ間の四女みよ(明治六年三月二七日生)は明治二一年五月五日申立外亡根本了泉のもとに嫁し、同日適式に同人との婚姻届出を了したが、同人と不仲になり、明治二四年五月一四日同人と協議離婚し、同日適式に離婚届出を了したこと。

2  右みよは明治二四年四月三〇日実家である右照洞方で申立人を分娩したが、当時既に右みよと右了泉の間は不仲になつていたため、右了泉は同人の長男として申立人の出生届出をすることを拒んだので、やむなく右みよは明治二五年四月二七日に申立人を非嫡出子として出生届出をなし、申立人は右照洞が筆頭者(戸主)となつている本籍石川県鳳至郡○○村○○△△番地△号の戸籍に記載されたこと。

3  右みよは離婚後しばらく右照洞方に身を寄せていたが、明治三二年一〇月四日申立外亡広田春海に嫁し、適式に同人との婚姻届出を了したので、以後申立人はもつぱら祖父母にあたる前記照洞、うめに育てられたこと。

4  明治三六年九月一二日右照洞が死亡し、家督相続により長女の申立外まつが戸主となり、次いで明治四四年一二月五日同女が死亡し、家督相続により右照洞の六女申立外たけが戸主となり、さらに大正元年一二月一二日右たけと入夫婚姻した申立外小野泰明が戸主の地位を承継し、それぞれ順次本籍石川県鳳至郡○○村○○△△番地△号の筆頭者となつたこと。

5  申立人は、右照洞以降泰明に至るまでの各戸主が筆頭者となつている戸籍に順次記載されていたが、大正一一年八月二九日右小野泰明の家から分家し、北海道函館市○○町○○番地に新戸籍を編製し、筆頭者となり(その後東京市台東区○○町○丁目△△番地△に転籍)、大正一一年一一月二日許可により名宏明を和夫と変更し、大正一一年一一月二七日申立外久保さなえと適式に婚姻申出を了し、同女との間に長女節子、二女かほる子、三女信子、長男亡勝、二男俊夫、四女まち子を儲けたこと。

6  この間右ふさは大正二年五月二七日に、同みよは昭和二八年一二月一八日に、同了泉は大正六年一二月二九日に、あいついで死亡し、現在では申立人の出生当時の詳細な事情を知るすべはないこと。

7  申立人は戸籍訂正の手続を知らなかつたので、長年他人から私生子と罵られ、精神的苦痛を強いられてきたが、最近その方法を知つたので、本件申立に及んだこと。

三  前記認定の事実によれば、申立人は実母申立外亡みよが、申立外亡根本了泉と婚姻中懐胎した子であることは明らかであり、右両名の間の嫡出子と推定するのが相当である(民法施行法(明治三一年法律第一一号)第七一条、民法第七七二条第一項)。そして他に右推定をくつがえすに足りる資料の認められない本件においては、申立人が右みよの非嫡出子である旨の戸籍の記載は錯誤によるものといわなければならない。本来かかる戸籍の記載は、嫡出父子関係という基本的な身分関係の発生消滅にかかる問題であるから、戸籍法第一一六条により嫡出父子関係存在確認の判決または審判に基づいて訂正されなければならないのであるが、既に関係人が死亡している以上戸籍法第一一三条により戸籍の記載が錯誤によるものとして訂正が許されるものといわなければならない。

ところで明治三一年七月一六日施行の旧民法(同年法律第九号)第七三三条第一項によれば申立人は父である右了泉の家に入るべきであるが、同法施行当時申立人はすでに母方の祖父右照洞の家にあつたので同法条の適用はなく(民法施行法第六三条)、右照洞の家族となり以後戸主の地位を承継した右小野まつ、同たけ、同泰明の各家族となるものと解される(旧民法第七三二条第一項、第二項)。

そうすると申立人に関する真実に合致しない出生届に基づいて記載がなされた本籍石川県鳳至郡○○村○○△△番地△号筆頭者(戸主)小野照洞の除籍(除籍の日明治三六年九月一二日―推定)中、同籍孫宏明の家族との続柄欄中、「四女みよ私生」とあるを「父根本了泉みよ長男」と訂正し、以下関連戸籍にこれに対応して必要な戸籍の訂正を許可するのが相当である。

よつて、申立人の本件申立は理由があるので主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

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