大判例

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東京高等裁判所 平成元年(う)129号 判決

被告人 篠原伸一

〔抄 録〕

第二控訴趣意中、原判示第二、一の事実に関する事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判決は、吉田容枝(以下、「容枝」という。)の殺害事実について、被告人が本件前夜あらかじめ布製紐を用意していたことを挙げて、当初から計画的に実行した犯行である旨認定しているが、被告人は、室内を掃除していた際、右紐を見付けて、何の気なしに温風機の上に置いていただけのことであって、本件犯行には計画性が認められないから、原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して、所論の当否を検討すると、まず、原判決が原判示第二の事実認定の用に供した各証拠によれば、被告人は、原判示のとおり、近隣に居住する女子高校生の容枝に対し情交関係を求めてみようと考えるようになり、その機会を窺っていたところ、たまたま妻が上京し、被告人が子供の面倒をみるため留守番をすることになったことから、かねての思いを遂げようと決意し、登校しようとする同女を呼び止めて自宅店舗内に誘い込み、情交を迫ってみたものの、同女がこれを拒絶し、逃げ出そうとしたため、自己の行為が発覚することを恐れる余り、同女を殺害しようと決意し、布製紐を用いて同女の頸部を絞め付け、その場で窒息死させて殺害したものであることが優に認められ、その限りで、原判決の罪となるべき事実の認定に事実の誤認は存しない。

ところで、原判決は、原判示第二、一の「被害者吉田容枝殺害に至る経緯」の項において、被告人は、犯行前日の夜、自分が容枝に情交関係を求めた際に起こるであろう事態について種々思いを巡らしていたとき、「店舗内のテレビ台の下の棚に置かれていた長さ約五、六〇センチメートルの布製紐を偶然見つけ、万一同女が性交に応ぜず騒ぎ出すなどしたら自己の同女に対する振舞いを同女の両親や近隣の人々に知られ、自己ばかりか家族までもここに住めなくなってしまうであろうとも考え、そのような場合には右紐で同女を殺害することまで思い浮かべてそのときのため右紐を店舗内の温風機上に移しておいた。」との事実を認定し、容枝殺しの犯行が、前夜から予期された計画的なものであるかのように判示している。

被告人は、捜査段階において、ほぼ原判決の認定にそう内容の供述をしており、司法警察員に対しては、「容枝が騒ぎ出したら、紐で脅し、いうことを聞かなかったら、自分のやったことが露見しないように、首を絞めてしまうほかないと考えて、紐を温風機の上に出しておいた。」旨(司法警察員に対する昭和六二年一月二三日付供述調書)、検察官に対しては、「情交関係を遂げようと、遂げまいと、いずれの場合であっても、容枝が自分のやったことを両親や警察に言い付けるような態度であれば、同女を紐で絞め殺してしまうほかないとの気持ちになった。」旨(検察官に対する同月三一日付供述調書)供述していたが、原、当審公判においては、「紐は掃除をしていたときに偶然出てきたもので、そこへ置いておきましたが、容枝を殺そうという気持ちはなく、用意してそこへ出したんじゃありません。」とか、「紐は、前夜片付けをしたとき出したのは間違いないんですけど、今考えても、何に使おうとして出したんだか分かりません。」などと供述するようになっている。

確かに、本件前夜、被告人が布製紐をテレビが置かれたケースの中から出して温風機の上に置いたこと自体は、被告人が終始争わないところであるが、当時、被告人が計画していたことは、近隣に居住する女子高校生の容枝が登校する機会を狙い、同女を言葉巧みに自宅店舗内に誘い込んで、情交関係を求めるというものであり、翌日、同女が登校するか否か、登校するとしても、それが何時で、被告人が声をかけることができるか否か、声をかけることができたとしても、同女を店舗内に誘い込めるか否かなど、不確定な要素が多く、とりわけ、同女を店舗内に誘い込めたとしても、その後どのような推移をたどるかは全く想像の域を出なかっただけでなく、被告人の原審公判における供述によれば、被告人は自己の目論みが成功し、事の露見と発覚も抑えられるのではないかと軽信していた節が窺われ、仮に被告人が最悪の事態を予測して同女の殺害を考えていたとするならば、右の布製紐は、長さ約五、六〇センチメートルの頸部を一周して余すところは僅かという比較的短いもので、現に、本件犯行途中で同女の頸部から外れそうになったことからも窺われるように、人の頸部を絞めるために用意するには必ずしも十分な長さのものとは考えられず、同女殺害の準備という観点からは、他に適当な紐や電気コード類が被告人の身辺になかったわけではないことなどを考慮にいれると、被告人の捜査官に対する前記各供述は、前夜、布製紐を持ち出したことについて、口下手の被告人が捜査官の理詰めの追及を受け、その理由を思うように説明できないまま、容枝殺害という重大な結果を引き起こしたことに対する自責の念にもかられ、右紐をあらかじめ準備したかのように述べざるをえなかったものとの疑いが残り、その信用性をたやすく肯定するのは相当でない。

むしろ、関係証拠及び本件事案の経過をみれば、被告人は、容枝が店舗出入り口から逃げ出そうとしたことから、自己の行為の露見、発覚という密かに恐れていた事態が発生した危機的状況のもとで、不安と恐怖に動転するとともに、容枝の抵抗により自己の目論みが阻止されたことに対する怒りも加わって、衝動的に同女の殺害を決意したものであり、前夜、布製紐を持ち出した際には、未だ同女の殺害までは予測していなかったと認められるから、原判決のした事実の認定には、その限りで事実の誤認があるといわざるをえないが、右の誤認は、殺人罪の成否を左右するものでも、それのみで犯情に重大な影響を及ぼすものでもないから、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認とまではいえない。論旨は結局理由がない。

第三控訴趣意中、量刑不当の主張について

所論は、要するに、本件各殺人の犯行はいずれも計画的な犯行とはいえず、偶発的なものに過ぎないうえ、被告人が反社会的な人格障害者とは認められないことにも照らせば、被告人に更生の見込みがなく、社会の一員として生存する意義を見出せないとは確信できず、被害者らの遺族に対して、被告人所有の土地、建物を換価して相応の損害賠償がなされることが予定されている等の諸事情を併せ考慮すれば、被告人について死刑を選択することは相当でなく、無期懲役をもって処断すべきである、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して、所論の当否を検討すると、本件は、栃木県鹿沼市内で理容店を自営する被告人が、昭和五八年八月一三日午後零時二〇分ころ、被告人方店舗兼居宅内の居宅玄関土間において、かねてよい感情を抱いていなかった隣家の二男稲川弘樹(当時六歳)が分解修理中のドライヤー部品を踏み付けたことに激高し、いきなり背後から同人を捕らえ、その頸部に右ドライヤーの電気コードを一回巻き付けて両手で力一杯絞め付け、そのころ同所で同人を窒息死させて殺害し、いったん自宅押し入れ内にその死体を隠し入れたのち、その日のうちに、同市郊外の雑木林にこれを投棄し、約三箇月後、同人の行方を捜し歩いていたその母親らによって、完全に白骨化した状態で発見されるまで放置し、更に、その後三年余を経た昭和六一年一一月二五日午前八時三〇分ころ、近隣に居住する女子高校生吉田容枝(当時一六歳)を前記自宅店舗内に誘い込み、同女に情交関係を迫ったが、これを拒絶され、その発覚を恐れて、いきなり同女の前頸部に背後から布製紐を回し、紐の両端を握った両手拳を強く後頭部付近に押し当てて同女の頸部を絞め付け、そのころ同所で同女を窒息死させて殺害し、その直後同女の乳房や陰部を弄ぶなどしたうえ、その日のうちに、同女の死体を屋外に運び出し、普通貨物自動車に乗せて、同市郊外の杉林にこれを遺棄し、十数日後、山苔採りにきた者らに発見されるまで放置していたという事案である。

本件各殺人の犯行の動機や経緯は、既にみたように極めて衝動的でかつ一方的であり、特に容枝に対する犯行は、淫らな欲望を充たされなかったことに端を発していて(所論は、容枝の側にも被告人の犯行を誘発するような状況があったと主張するが、関係証拠上、そのような事情は見出し難い。)、被害者らは、いずれも事情も分からぬまま非業の死を遂げるに至ったものと認められ、また、その犯行の態様は、自己の眼前で、抵抗する術もない幼児と女子高校生の頸部をいきなり電気コードや布製紐で絞め付けてその場で窒息死させるという、冷酷で残忍非情なものであって、その結果、痛ましくも前途に富む若い貴重な人命が一度ならず二度までも奪われるに至っており、無残にもこの世を去った被害者両名の不憫さはもとより、愛児を奪われた被害者らの両親とその親族の悲嘆、無念、憤激の情には察するに余りあるものがある。被告人が各殺害の犯行後、死体をいずれも遺棄したほか、容枝の死体をけがし、犯跡を隠蔽するため被害者両名の所持品を破棄し、投棄するなどしていること、右遺族の被害感情がなおもって宥和されず、被告人に対し極刑を望んでいること、さらに、本件各犯行は地方都市で発生したもので、その地域社会に格段の計り難い衝撃を与えていることなどをも併せ考慮すれば、被告人の刑事責任が極めて重大なことは論をまたない。

しかし、翻って考えると、本件各殺人の犯行は、いずれも状況に支配された機会的、偶発的なものであり、容枝殺害の犯行を当初からの計画的な犯行であるかのように判示する原判決の認定部分がそのまま維持できないことは、先に説示したとおりである。また、被告人が三年余の期間をおいて二度も人命を奪っていることについて、これを被告人に反省悔悟の念が乏しいことの証左としてみることもできないわけではないが、被告人の原、当審公判における供述等の関係証拠を子細に検討してみれば、その間、被告人が良心の呵責にさいなまれ、犯行の発覚を恐れて、戦々恐々として暮らし、下痢、不眠、円形脱毛症等に悩まされたり、間々、仕事上のしくじりを犯すなどしていたことが窺われ、原判示のように、被告人に人間としての一片の良心も見受けられないかのように決め付けるのは相当と思われず、さらに、被告人は捜査、公判段階を通じ、本件について自らの認識、記憶するところを概ね率直に供述して終始自己の非を認め、拘置所においても読経を続けて被害者らの冥福を祈るなど、自責悔悟の念も明らかである。

加えるに、原判決も判示するとおり、被告人は、若いころから理容師として真面目に働き、独立して理容店を開いた後は、同じ理容師である妻と結婚し、夫婦二人で理容店の経営に当たり、創意工夫を怠らず、営業も順調に推移し、家庭内では、妻と被告人の実母との折り合いが悪いため、間に立って種々思い悩むことも多かったが、夫婦仲はよく、二人の子供をもうけて円満に暮らしており、本件まで、不起訴となった昭和五七年ころの雑貨店における万引き事件一回を除けば前科前歴は見当たらず、問題となるような性的非行などを起こしたこともなく、原審鑑定人小田普及び当審鑑定人保崎秀夫の各鑑定の結果によれば、被告人は、精神発達が未熟で、内部葛藤を処理する能力に欠け、衝動のコントロールが悪いため、時に葛藤を衝動行為で発散する傾向があったが、知的水準は普通であり、精神病的状態にはなく、情性欠如者の典型ないし中核群に属する反社会的人格障害者ではないというのであり、これらの諸点に照らせば、被告人を性格偏倚の著しい、社会生活に適応し難い者と断定することは早計であって、当三九歳の年齢をも考慮すると、被告人には、矯正の余地がなお残されているものとみるのが相当である。また、被害者両名の遺族は、被告人に対し損害賠償を求める民事訴訟を提起し(容枝の遺族の関係では原告勝訴の判決が確定している。)、被告人所有の宅地三筆及び建物一棟については、右損害賠償債権の執行を保全するため仮差押決定がされていて、右土地等の換価により相応の損害賠償がなされることが予定されており、被告人もかねてそれを望んでいる。

以上のような諸般の情状を併せ考慮するとともに、死刑は人間の生命を永遠に奪い去る冷厳な極刑で、真にやむをえない場合における窮極の刑罰であって、その適用は慎重の上にも慎重に行われなければならないことから、近時本件のような事犯に対する量刑においては、死刑の選択について極力慎重な配慮を加える傾向にあることを看過できないことにもかんがみると、被告人について死刑という窮極の刑罰を選択した原判決の量刑を真にやむをえないと断定することには、逡巡と躊躇を禁じえず、その意味で原審の量刑は重きに失し、維持し難いものがあるといわざるをえない。被告人を死刑に処した原判決の量刑不当をいう論旨は理由がある。

(柳瀬 横田 井上)

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