大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成元年(う)862号 判決 1991年9月30日

本店所在地

東京都中央区日本橋本町一丁目三番八号

中央産商有限会社

(右代表者代表取締役 種子田益夫)

本籍

宮崎県小林市大字細野四二九番地

住居

東京都渋谷区広尾二丁目三番二六号

会社役員

種子田益夫

昭和一二年一月二一日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成元年六月三〇日東京地方裁判所が言い渡した判決に対して、被告人らからそれぞれ控訴の申し立てがあつたので、当裁判所は、検察官樋田誠、同小野拓美出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決中被告人種子田益夫に関する部分を破棄する。

被告人種子田益夫を懲役二年に処する。

被告人種子田益夫につき、原審における訴訟費用は、被告人中央産商有限会社との連帯負担とする。

被告人中央産商有限会社の本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人らの連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人関根栄郷、同勝尾鐐三、同石井春水、同安田道夫、同神宮壽雄、同山崎宏征、同福島啓充、同菊地章、同矢作健太郎連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官樋田誠名義の答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、「原判決が認定判示する被告人中央産商有限会社(以下「被告会社」という。)の所得中、(ⅰ)有価証券売却益一八億七八五八万八〇〇〇円、(ⅱ)受取手数料一億円、(ⅲ)受取利息中の七一三〇万六一八二円は、いずれも被告会社の所得ではない。すなわち、<1>伊勢化学工業株式会社(以下「伊勢化学」という。)の株式合計九三万三〇〇〇株(以下「本件株式」という。)を旭硝子株式会社(以下「旭硝子」という。)に売却した主体は、被告人種子田益夫(以下「被告人」と言う。)であつて、被告人は、右株式のうち、八九万〇四〇〇株については喜田幸治(以下「喜田」という。)から預かつていたものを同人の承諾を得て、残りの四万二六〇〇株については自己が大和久正己から購入したものを、それぞれ旭硝子に売却したものであるから、本件株式の売却益一八億七八五八万八〇〇〇円が被告会社に帰属すべきいわれはない。<2>多田静夫名義で福岡通商産業局に提出済の「石油可燃性天然ガス試掘権設定願」に関する権利(以下「本件試掘権」という。)を伊勢化学に一億円で売却したのは、被告人であつて被告会社ではないから、右売却によつて発生した受取手数料一億円は、被告会社ではなく被告人に帰属する。<3>(ⅰ)の有価証券売却益と(ⅱ)の受取手数料を原資として運用した利益である受取利息七一三〇万六一八二円は、被告会社ではなく被告人に帰属する。したがって、被告会社の昭和五六年一一月期の原判決の所得の中から(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)の各所得が除外されるべきであり、そうすると被告会社には同期において申告すべき所得がなかったことになるから、被告人が被告会社の法人税を逋脱したものとはいえず、被告人らは無罪である。仮に、本件株式の売却益が被告会社に帰属するものと認められるとしても、<4>旭硝子に対する本件株式の売却代金は、原判示の約二〇億円ではなく、約一五億円であり、<5>被告人は、旭硝子の関係者らから、本件株式の取引に五名の個人を介在させるという原判示のような売却益の秘匿方法を教えられ、これが税法上許されるものと信じて実行したのであって、信じたことには相当の理由があったから、逋脱の故意又は責任が阻却されるものである。以上の<1>ないし<5>のとおりであるから、原判決は、被告会社の所得について事実を誤認したものであって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。」というのである。

しかし、原判決挙示の被告人の検察官に対する各供述調書及び大蔵事務官に対する各質問てん末書とその余の原判示関係証拠を総合すれば、被告会社の昭和五六年一一月期の所得は、所論が争う(ⅰ)有価証券売却益、(ⅱ)受取手数料、(ⅲ)受取利息などの諸点を含め、総て原判決が認定判示するとおりであると認められ、原審の記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討しても、原判決に所論の事実誤認は見当たらない。所論に鑑み、若干敷衍して説明すると次のとおりである。

一  本件の事実関係について

原判決挙示の関係証拠によると、次の各事実が認められ、これと相容れない被告人の原審第一三回公判期日における陳述及び第一六回ないし第二一回公判期日における各供述(以下「被告人原審公判段階の供述」という。)等は、いずれもたやすく措信することができない。すなわち、

(1)  被告人は、昭和五三年一二月一六日に被告会社を設立し、自ら代表取締役に就任してハンバーグ製造等の事業を開始し、同五六年四月に不動産業を営む丸益通商株式会社(以下「丸益通商」という。)を、同年六月に養魚販売等を営む株式会社丸益産業(以下「丸益産業」という。)をそれぞれ設立して各代表取締役に就任する一方、同五〇年ころから病院経営にも関与するようになつていたが、同五五年一月ころ伊勢化学の宮崎工場長であつた福元公成の紹介で同社代表取締役の喜田と知り合い、同人から同人が代表取締役を兼ねる伊勢開発株式会社(以下「伊勢開発」という。)への融資を要請され、これに応じて、同年五月ころまでの間、数回に亘り、被告人や被告会社の名義で伊勢開発に対して合計約一億五〇〇〇万円を貸し付けた。

(2)  伊勢化学は、昭和二三年三月に喜田の父親の喜田敬市らによつて設立され、沃素(ヨード)の製造、天然ガスの採取等の事業を営んでいたものであるが、同三五年ころから旭硝子の資本参加や役員の出向を受け入れるようになり、同五五年当時における資本金は二億円であり、その出資比率は、旭硝子が五〇パーセント、創業者である喜田一族(実質的には喜田)が約二五パーセント、喜田の後援者である江戸英雄らが約二五パーセントであつた。

(3)  伊勢開発は、昭和五三年に伊勢化学や喜田が出資し、伊勢化学が人員整理をする場合にその受け皿とする趣旨で設立され、土木工事請負等の事業を営んでいたものであるが、伊勢化学に人員整理の必要がなくなつたことなどから翌五四年には伊勢化学との資本関係を絶ち、喜田が自己の責任で経営するようになつたところ、同五五年に納骨同の建築工事等に失敗し金融手形を乱発したことから多額の負債を抱えて、その返済に追われ、前記(1)のとおり被告人らから資金の援助を受ける状態となつた。

(4)  喜田は、昭和五四年一一月ころ前記江戸から数回に亘り合計八〇〇〇万円を借り入れ、同人に対し自己が所有する伊勢化学の株式四九万株に相当する株券を担保として提供していたが、翌五五年五月中旬ころ江戸から自宅の新築資金が必要であるとして強くその返済を迫られたため、そのころ被告人に対し、江戸に担保として提供している株を含めて、喜田が所有し、同人の親族の所有で事実上喜田が支配している伊勢化学の株式が約八九万株あるので、これを全部提供する、八九万株を持てば伊勢化学の株式の四分の一を集めることになり、宮崎工場を伊勢化学から分割することが可能になるので、それを経営したらどうか、ノウハウは私の方で提供する、伊勢化学の宮崎工場を分離することになると伊勢化学の負債約六〇億円の四分の一も引き継がなければならないが、同工場の運転資金は日本開発銀行から融資を受けられるように段取りできるなどと言つて、喜田の保有する伊勢化学の株式の買取り方を要請した。

(5)  被告人は、喜田の右要請に対し、自己の出身地の宮崎で有力企業の一つとみられていた伊勢化学の経営に関与できることを喜び、これを期待して右要請に応じることとし、喜田の話から融資を受けるには被告人個人でなく被告会社として宮崎工場を経営する方がよいと判断して、喜田にその旨回答し、その結果、同月下旬ころには、被告会社が喜田から同人保有の伊勢化学の株式約八九万株を全部譲り受け、その代金については、喜田の希望に従い前記八〇〇〇万円に同人が同月末日までに必要としていた手形決済資金一三〇〇万円を加えて合計九三〇〇万円とすることが決つた。

(6)  被告人は、同年五月下旬ころ、喜田から同人の手元になった伊勢化学の株式四〇万株に相当する株券を預かり、これを被告人及び丸益産業の名義で武蔵野信用金庫江古田支店に担保として差し入れ、同支店から伊勢開発の名義で二億五〇〇〇万円の融資を受けてこれを伊勢開発や被告人の資金繰りなどに充てたのち、かねて被告会社や被告人の顧問として活動していた弘中撤弁護士に対し、喜田から伊勢化学の株式約八九万株を被告会社が譲り受けることになつたので、株式譲渡契約書を作成して貰いたい旨依頼した。

(7)  弘中弁護士は、被告人の右依頼に従つて、昭和五五年五月三〇日付の株式譲渡契約書(以下「本件譲渡契約書」という。)当庁平成元年押第二四五号の8)を作成したが、本件譲渡契約書には、<1>喜田は、昭和五五年五月三〇日現在同人が所有する伊勢化学の株式八九万株(別紙株式目録記載のとおり)を、同日売買価額金九三〇〇万円で被告会社に譲り渡し、被告会社は、これを譲り受ける、<2>喜田は、被告会社の要求があるときは直ちに伊勢化学に対し名義書換の手続きを了する、<3>伊勢化学の代表取締役である喜田は、右株式の譲渡を承認する、<4>被告会社は、喜田に対し伊勢化学の事業発展のために協力する旨の各条項が記載されているほか、末尾には売買当事者である喜田及び被告人、承認者である伊勢化学代表取締役喜田、立会人である弘中弁護士の各署名又は記名等が存在する。

(8)  被告人は、同年六月上旬ころ旧知の吉田得次から六〇〇〇万円を借入し、別途三三〇〇万円を調達して、合計九三〇〇万円を前記伊勢化学の株式の代金として喜田に支払い、同人は、右金員の中から八〇〇〇万円を江戸(同人の秘書役の池田映一を介して)に返済し、江戸から担保として差し入れてあつた伊勢化学の株式四九万株に相当する株券を受け出して、これを被告会社に引き渡した。

(9)  被告人は、被告会社が喜田から取得した伊勢化学の株式(以下「喜田株」という。)について、被告会社の昭和五五年一一月期の決算に当たり、従業員の落合教示らに指示して、被告会社が代表者の被告人から借り入れた三三〇〇万円と別の借入金六〇〇〇万円をもつて右株式を購入した旨の伝票処理及び総勘定元帳への記帳処理をさせた。

(10)  被告人は、同年六月ころ喜田から、伊勢化学の取締役であつた大和久が同人所有の伊勢化学の株式を売却してもいいと言つているがどうか、同人とは伊勢化学で一緒に苦労した仲であり、同人には満足な退職金も支払われていないので、価格については考慮してやつて欲しい旨言われ、喜田からの依頼であり、宮崎工場を分割して経営するためにも必要と考えてこれに応じることとし、大和久と交渉した結果、被告会社として、大和久の希望である一株当たり五〇〇円の価格(代金合計二一三〇万円)で同人から伊勢化学の株式四万二六〇〇株(以下「大和久株」という。)を取得したが、右の売買については契約書などを作成せず、右大和久株の取得資金については、被告会社の同年一一月期の総勘定元帳の代表者勘定及び当座預金科目に公表計上した。

(11)  被告人は、同年一〇月ころ伊勢化学の大株主である旭硝子の本社を訪れ、同社専務取締役の坂部武夫に対し、喜田の意向であるとして、伊勢化学の工場、特に、宮崎工場の分割方を申し入れ、その後何回か同人と交渉を重ねたが、結局、旭硝子から右申入れを拒否されたため、同年一一月下旬ころには伊勢化学の分割構想を断念し、折から伊勢化学に対する支配権を確立する意図で本件株式の買取りを希望した旭硝子に対して、被告会社所有の本件株式を売却することとし、坂部らとの間で売買価格等についての交渉を始めた。

(12)  被告人は、同年一二月中旬ころ坂部との間で本件株式の売買交渉をした際、同人から、被告人の持参した喜田の委任状には伊勢化学の分割などに関する委任は明記されているが喜田株の売却に関する委任の記載がない旨指摘されるや、本件株式は本件譲渡契約書によつて既に被告会社の所有になつているので喜田の委任は不要である旨述べ、坂部において念のために喜田に電話を掛けて確かめたところ、同人は、伊勢化学株の件は本件譲渡契約書のとおり間違いないので被告人との間で話を進めて貰つてよい旨答えた。

(13)  被告人は、旭硝子との交渉に際し、本件株式の売買価格を一株当たり三〇〇〇円とするよう主張すると共に、<1>喜田株売却後の喜田及び同人の長男の伊勢化学における処遇について配慮すること、<2>被告会社が所有する本件試掘権を買い取ること、<3>伊勢開発の負債整理資金を負担することなどを要求したが、折衝の末、昭和五六年一月下旬ころ、両者の間で右、<1>ないし<3>の要求事項はひとまず差し置き、とりあえず、本件株式を一株当たり一六〇〇円の価格(代金の合計は一四億九二八〇万円、但し、有価証券取引税分として別に六七四万七九五〇円を加算する。)で旭硝子が買い取ることとし、同年二月四日ころ本件株式の引渡と代金の支払いがなされた。

(14)  旭硝子においては、引き続き被告人の前記要求事項につき検討した結果、同年三月中旬ころ、<1>喜田らの伊勢化学における処遇については、同人を伊勢化学の代表権のない会長とするなど十分配慮し、<2>本件試掘権は伊勢化学が一億円で買い取るが、<3>伊勢開発とは無関係な旭硝子や伊勢化学が伊勢開発の負債整理資金を負担することはできないので、その代わりに本件株式の価格を再評価し、売買代金を五億円増額することにしたい旨を回答したところ、被告人も右回答を了承し、同年三月二〇日ころ本件株式の売買価格を二〇億〇一八九万六五一〇円(一株当たり約二一四五円六六銭相当。但し、有価証券取引税分を含み、これを控除した代金の合計額は一九億九二八八万八〇〇〇円である。)とすることが確定した。

(15)  被告人は、本件株式の旭硝子に対する売却によつて被告会社に多額の法人税が掛かることを避けるため、旭硝子側の教示に従い、被告会社が本件株式九三万三〇〇〇株を被告人ほか四名の個人に対し、(但し、うち四万三〇〇〇株については、被告会社から昌和商事株式会社を経由して被告人に)、代金合計一億二五〇〇万〇一三五円で分散売却し、右五名の者がそれぞれの株式を旭硝子に売却した旨仮装し、内容虚偽の株式譲渡契約書を作成した上、被告会社の決算に備え、落合に指示して、被告会社の本件株式の売却益として、右五名への売却価格の合計額から喜田に支払つた九三〇〇万円を差し引いた三二〇〇万〇一三五円を公表計上させ、被告会社の有価証券売却益を圧縮した。

(16)  被告人は、被告会社による伊勢化学の宮崎工場の経営に備え、多田取締役の了解を得て、同人の名義で昭和五五年八月八日福岡通商産業局長宛に本件試掘権を取得したが、その後、宮崎工場の分割構想が消滅したため、前記(13)のとおり、本件株式の売買交渉に絡めて本件試掘権の買取り方を旭硝子に要求し、同社との交渉の結果、前記(14)のとおり伊勢化学に買い取らせることに成功し、同五六年三月三一日伊勢化学から代金一億円の支払いを受けた。

(17)  被告人は、被告会社の右収益の一部を秘匿しようと考え、落合に指示して、被告会社が多田から本件試掘権を一〇〇〇万円で購入した上、ペーパーカンパニーである中物産有限会社(以下「中物産」という。)に二四〇〇万円で売却したように仮装させ、その差額一四〇〇万円のみを被告会社の総勘定元帳に記載させて公表計上し、同年一一月期確定申告の際にも、営業外収入の項に受取手数料としてその旨を記載させて、実際の収益一億円との差額八六〇〇万円を除外した。

(18)  被告人においては、本件株式の売却益及び本件試掘権売却益(受取手数料収入)の一部を三和薬品株式会社(以下「三和薬品」という。)ほか四社に貸し付けたり、定期預金、通知預金等として運用し、昭和五六年一一月期において合計七一三〇万六一八二円の受取利息を取得したにもかかわらず、その総てを除外した。

以上(1)ないし(18)の事実が認められるのであつて、(ⅰ)本件株式の売却益である一八億七八五八万八〇〇〇円、(ⅱ)本件試掘権の売却益である受取手数料一億円、(ⅲ)これらを原資とする受取利息七一三〇万六一八二円は、いずれも、被告会社に帰属するものと認めるのが相当であり、その旨判示した上、被告人らに対して原判示法人税逋脱の事実を認定した原判決に誤りはない。

二  被告人の供述の信用性について

所論は、まず、原判決挙示の被告人の検察官に対する各供述調書、大蔵事務官に対する各質問てん末書、原審の第一二回公判期日までの供述(以下「被告人の査察・捜査段階の供述」という。)には信用性がなく、被告人の原審公判段階の供述こそ措信できるのものであつて、原判決は証拠の評価、取捨選択を誤つたものである、と主張する。

しかし、被告人は、本件査察が開始された昭和六〇年四月一六日以降査察官の事情聴取や検察官の取調べに対して詳細かつ具体的な供述をしているところ、特に、喜田株の取得主体については、一貫して、被告会社である旨供述していたのであり(この点を争う所論は、理由がない。)、原審第一回公判期日において公訴事実に間違いない旨陳述しただけでなく、第三回、第四回の各公判期日における被告人質問においても、検察官に対する供述と同趣旨の供述を繰り返していたものであつて、内容的に特に不自然、不合理な点はなく、関係証拠と比照しても核心的部分において相容れないものは見当たらないから、その信用性はたやすく否定できないものと認められる。これに対し、被告人の原審公判段階の供述は、第一三回公判期日(昭和六三年四月二七日)になつてから従前の供述を変更した理由として説明するところに納得できるものが乏しいだけでなく、喜田から預かつていた伊勢化学の株式を同人の了解を得て売却したに過ぎない、と言いながら、喜田株を含む本件株式の売却益について所得税法違反に問われることを心配したなどとしている点に矛盾があり、その余の点をも含め、全体として極めて不自然・不合理なものであつて、到底措信することができない。

所論は、被告人の査察・捜査段階の供述は措信できず、原審第一三回公判期日以降被告人が右供述を変更したことは合理的な理由がある、と主張し、「<1>(a)被告人は、本件査察開始の約一か月前である昭和六〇年三月四日に、喜田から、被告人に預けていた喜田所有の伊勢化学の株式八九万〇四〇〇株を無断で売却されたことなどを請求の原因とする民事訴訟(東京地方裁判所昭和六〇年(ワ)第二二五〇公精算業務履行請求事件、以下「喜田株に関する民事訴訟」という。)を提起されていたので、喜田株を喜田から受領して旭硝子に売却した主体が被告人であることを認めると、喜田株に関する民事訴訟で敗訴して金員支払義務を負つた上で所得税支払義務を負うというダブルパンチを受ける事態が生じる虞があり、(b)被告人が個人として処罰されると、経営していた多数の病院の理事長の地位を退かなければならず、病院経営が破綻する虞があり、(c)税金の支払いの点でも、法人であれば金融機関からの借入が可能であつたことなどから、査察官に対し、本件については所得税法違反ではなく法人税法違反として処理して貰いたい旨要望し、査察官から法人税法違反として処理する場合の問題点が記載されたメモ(原審弁護人請求書証三六号)を渡されるや、これに対して昭和六〇年九月一八日付の答弁書(同三七号)を作成するなどの準備をした上、当時の自己の利益に合致する虚偽の事実を供述したものであり、<2>被告人は、査察官に右要望を受け入れて貰うに際し、査察官との間で、将来、査察段階の供述を覆さない旨約束したことから、検察官の取調べに対しても、右供述と同趣旨の供述をし、<3>原審第一回公判期日においては、公訴事実を認めないと保釈されないとの判断から、査察官や検察官に対する供述を維持したものであるが、<4>原審第一一回及び第一二回公判期日における喜田の証言を聞くうちに、同人の供述こそ真実ではないかと考えるに至つた原審弁護人らから、正しいことを供述するよう説得されたため、これに従つて真相を述べることとしたものであって、以上の事情は被告人の原審公判段階の供述に明らかである。」というものである。

しかし、所論の如く、被告人が、喜田から預かつていた伊勢化学の株式を同人の了解の下に旭硝子に売却したものとすれば、右売却代金のうち喜田株相当分約一九億一〇〇〇万円は、同人の収益となる筋合いであり、これが被告人に帰属すべきいわれはない。そして、大和久株四万二六〇〇株の売却益約七〇〇〇万円は、当時の税法上非課税所得となるから、所論ダブルパンチの事態なるものは、起こり得べくもなく、したがつて、被告人が、所得税法違反と法人税法違反の利害得失を考慮する余地もないことになる。

また、所論の事実関係を前提としても、被告人が査察官に対し、ことの次第をありのままに述べることが、所論<1>(a)の如く、喜田株に関する民事訴訟における被告人の敗訴に繋がるものとは到底考えられない。

そして、本件が法人税法違反事件又は所得税法違反事件のいずれによつて処理される場合であつても、被告人が実行行為者として刑事責任を追及されることに変わりはなく、したがつて、所論<1>(b)の如く、被告人が、病院事業経営への影響を惧れて、法人税法違反による処理を要求したとの弁解も到底成り立たない(ちなみに、被告人は、本件査察開始後の昭和六〇年六月二八日に丸益通証の犯した売春防止法違反事件で、同社の代表者として有罪判決を受けているのであるから、法人の犯罪につき代表者がその刑事責任を追及されることは知悉していた筈である。)。

更に、所論<1>(c)の如く、法人でなければ納税資金の借入が困難であつたとの点は、これを認めるべき証拠がなく、また、仮にそうであつたとしても、脱税が法人であろうと個人であろうと、その納税資金を法人名義で借り入れることに何らの支障はないのであるから、この弁解もまた成り立たない。

のみならず、本件査察段階における所得税法違反容疑から法人税法違反容疑への切換えの内容は、要するに、本件株式が、被告会社から被告人に譲渡された後旭硝子に売却されたか、被告会社から直接旭硝子に売却されたかの違いにほかならず、喜田株及び大和久株を取得した主体が被告会社であるという構成に変更はなかつたのであるから、右切換えについて、所論<1><2>のような被告人の要望やこれに基づく査察当局との「約束」があつたとは考えられない。また、所論「メモ」及び「答弁書」につき付言すれば、担当査察官が、本件株式の取得主体が被告会社ではなく被告人ではないかとの角度からの検討をも怠らなかつたのは、その職責上当然のことであつて、所論「メモ」は、この点について被告人の説明を求めるに際して作成したに過ぎないものと認められ、このことは、当審証人番重賢嘉の証言によつて一層明らかである。所論「答弁書」が、右メモに対応する内容のものであることは明らかであるが、そのことから直ちにその内容が虚偽であるとか 査察官との間に所論約束が存在したとの結論を導き得ないことは 多言を要しない。

また、所論<3>にもかかわらず、被告人は、原審の第一回公判期日において公訴事実を認める陳述をしているのみならず 保釈を許された同第三回、第四回公判期日におていも、喜田株は、被告会社が譲り受けて旭硝子に転売したものである旨の供述をしているのであつて、これらの供述が保釈を得るための虚偽のものとは考えられない。

更に、原審弁護人らは、喜田株に関する民事訴訟においても被告人の代理人として関与し、右訴訟における喜田の言い分や、同人の検察官に対する供述内容を熟知していた筈であるから、所論<4>のように、原審第一一回公判期日以降の喜田の証言に接して初めて被告人の査察・捜査段階の供述の信用性に疑問を抱いたとか、原審弁護人らの説得により、被告人において、公判開始一年以上経過した時点で初めて真実を述べるに至つたというが如きは、余りにも不自然、不合理であつて到底納得し難いところである。まして、原審弁護人らは、本件捜査段階において、被告人が、将来の裁判に備え、知人の高山郁雄をして、内容虚偽の「中央産商有限会社に対する法人税法違反事件の真実について」(昭和六一年一一月二六日付)と題する書面を作成させたことへの対応策に腐心した経験を有するのであるから、被告人の供述の信用性の吟味には慎重であつた筈であり、喜田の原審証言に接するまで、被告人の虚偽の供述に騙され続けていたということはあり得べくもない。

叙上の次第であるから、原審第一三回公判期日以降における被告人の供述変更には合理的な理由がなく、原判決も指摘するように、その供述内容は信用性に乏しいものといわなければならない。縷々の所論にもかかわらず、被告人の査察・捜査段階の供述の信用性は、これを否定するに由ないところである。

右のとおり、措信できる被告人の査察・捜査段階の供述とその余の原判示関係証拠によれば、原判示事実は優に認められるところであるが、所論に鑑み、更に、争点となつている各勘定科目毎に補足して説明する。

三  本件株式の売却益の帰属について

1  喜田株の取得主体及び売却主体について

所論は、「喜田株は、被告人が喜田から預かり、その後同人の承諾を得て旭硝子に売却したものであるから、その売却益が被告会社に帰属するいわれはない。原判決は、被告会社と喜田の間に本件譲渡契約書どおりの売買契約が成立した旨判示し、これを前提として喜田の取得主体及び売却主体は被告会社である旨認定しているが、被告人が原審公判段階で供述しているように、本件譲渡契約書は、被告人と喜田が、立場の違いによる内心の意図の違いこそあるとはいえ、他の債権者から喜田株を守るという共通の目的の下に、通謀して作成した内容虚偽のものであるから、これをもつて前示認定の根拠とすることはできない。このことは、(一)本件譲渡契約書の体裁や内容が杜撰で真実の売買取引のために作成されたものとは到底考えられないこと、(二)九三〇〇万円という金額が喜田株の売買価格としてはあまりに低過ぎること、(三)被告会社には喜田株を取得する動機がないこと、(四)本件譲渡契約書作成後の喜田の一連の言動は、喜田株を売却した者としては、極めて不自然・不合理であること、(五)喜田は、原審公判段階だけでなく、喜田株に関する民事訴訟の法廷や検察間の取調べなどにおいても、喜田株は被告人に預けただけである旨ほぼ一貫した供述をしていること、(六)その他九三〇〇万円の資金の流れや帳簿処理の状況、旭硝子から入金のあつた喜田株を含む本件株式の売却代金の使途若しくは享受状況等に照らしても明らかである。」というのである。

しかし、所論のとおりの事実関係であるとすれば、喜田株の売却益は、被告会社はおろか被告人にも帰属せず、総て喜田に帰属すべき筋合いであつて、被告人においてこれを保有する権限は全くないことになる。所論援用の被告人の原審公判段階の供述が矛盾に満ち、到底措信するに足りないことは、前記二において詳細に論証したとおりである。そして、所論指摘の(一)ないし(六)の諸点は、以下に説示するとおり、喜田株の取得・売却の主体を被告会社と認定する妨げとなるものではない。すなわち、

(一) 本件譲渡契約書の体裁、内容について

所論は、本件譲渡契約書が、他の債権者に対し本件株式の譲渡を仮装するための通謀虚偽表示であることの根拠として、その体裁、内容が極めて杜撰であることを指摘し、例えば<1>契約書作成の時点では、売買の目的物を特定する別紙株式目録が白紙で、後日補充されており、また 契約書の作成日付及び本文第一条中の日付・株式総数が空欄で 後日鉛筆で補充されていること、<2>株式総数が手書きであるのに、売買代金はタイプ印書されている上、本文第一条中の株式総数と別紙株式目録の株式総数とが一致していないこと、<3>別紙株式目録の記載は杜撰であり、喜田の保有に属しない株式まで含まれていること、<4>伊勢化学の株式には譲渡制限がないのに、本文第三条には無用な譲渡承認条項が規定されていることなどを挙げている。

しかし、本件譲渡契約書が他の債権者を欺くための仮装であるとするならば、一見してその杜撰さを看破されるようなものであつては、およそその目的を達し得ない筈である。これに対し、互いに信頼し合つている仲での相対取引であれば、契約書の多少の不備は契約の成立、履行にとつて何らの障害にもならないものといえる。してみれば、所論が本件譲渡契約書の体裁、内容の不備について縷々指摘しているのは、本件譲渡契約書が他の債権者に対する仮装を目的としたものではなく、真実の取引を表していることを立証しているに等しいものと評すべきである。

その点はさて措き、所論<1>ないし<4>のような不備が生じた事情について検討すると、次のような経緯が窺われ、これによつてみれば、喜田と被告会社との間に真実喜田株の売買が行われたことを認めるに十分である。すなわち

関係証拠によれば、喜田株の売買に関する経緯は、前示(4)(5)のとおりであり、喜田自身においても、自己の保有する伊勢化学の株式の正確な株数を確かめないまま、総数約八九万株と認識し、これを一括して被告会社に売却する意思で、被告人と協議した上、約定成立に至つたものであり、その代金を九三〇〇万円と決めたのは、もつぱら喜田側の必要とする資金の額に合わせたものであつて、一株当たりの単価を決めた上でこれに売買株式数を乗じて売買代金額を決定するという方法を取つたものではない。

そして、弘中弁護士は、検察官に対する供述調書中で、本件譲渡契約書の作成の経緯について、次のように述べている。すなわち、昭和五五年五月三〇日の一週間位前、被告人から電話で「株の譲渡契約書を作つて欲しい。売主は喜田幸治で買主は私がやつている中央産商有限会社です。株は伊勢化学株式会社の株で売買代金は総額九三〇〇万円ですが、株数についてはあとで端数が付くかも知れないので、とりあえず空欄にしておいて欲しい。この契約には先生も立会人になつて欲しい。」旨依頼されたので、自ら文案を作成して事務員にタイプを打たせたが、契約日、株式数、目録の内訳については、まだ、被告人から聞いていなかつたため空欄とし、契約書の第三条は、伊勢化学の登記簿謄本を確認しておらず、株式譲渡に制限があるかどうか判らなかつたことから念のために記載し、第四条は被告人の要望で記載しておいたものであり、同月二九日か三〇日にこの契約書を被告会社の事務所に持参し、喜田と被告人に内容を確認して貰つた上、調印の際に、日付と株数を手書きで記載した、というのである。右供述は十分措信できるものと認められ、右供述によれば、所論指摘の諸点のうち<1>ないし<3>の別紙株式目録に関する部分を除けば、何ら「杜撰」と非難されるようなものではない。確かに、別紙株式目録には、本件譲渡契約書本文と整合しない点などがあるといわざるを得ないが、右目録は、被告会社の関係者が喜田から交付された株式の明細書に基づいて後日補充したものであることが窺われるところ、喜田の関係供述等によれば、(a)喜田が自己の保有する伊勢化学の株数について、正確には八九万〇四〇〇株であるのに丁度八九万株と思い違いをしたり、(b)同人が喜田株を被告会社に引き渡す際、別に保管していた知人の未亡人柘植竹子名義の伊勢化学株二万株まで間違えて一緒に引き渡してしまつたり(この点は、その後被告人が間違いに気付き、喜田を介し柘植竹子に対し改めて一〇〇〇万円の代金を支払つてこれを取得したというのであり、同人所有の右二万株が喜田保有株の一部として売買の対象となったものではない。)、(c)その他、計算違いや転記の際の誤りなどから、所論指摘のような本件譲渡契約書の本文との不整合等が生じたものに過ぎないと認められる。したがつて、かかる不整合等の存在は、何ら喜田株売買の事実を否定するものとはいい得ず、更に所論が本件譲渡契約書の体裁・内容の杜撰なことに関して主張する諸点を検討しても、被告会社が喜田から喜田株を売買によつて取得した事実を疑わせるに足りない。この点の所論は総て採用できない。

(二) 九三〇〇〇万円という売買価格について

所論は、「喜田株の売買価格とされる九三〇〇万円という金額について、<1>当時伊勢化学化学の業績は上昇しており、武蔵野信用金庫では、大和証券調査部による鑑定に基づき一株当たり三〇〇〇円と評価し、四〇万株を担保として二億五〇〇〇万円の融資を承知していること、<2>ほぼ同時期になされた大和久株の売買価格は、一株当たり五〇〇円であつたこと、<3>旭硝子からの依頼でなされた山一証券経済研究所の昭和五五年一二月四日付の評価書では、一株二三六六円と評価されていたことなどに鑑みても、本件譲渡契約書記載の代金九三〇〇万円(一株当たり約一〇四・五円)は余りに低額であり、喜田が唯一の試算ともいうべき喜田株をかかる低価で売却することは到底考えられない。」というのである。

しかし、非上場株である喜田株の売買価格は、前示(4)(5)のような経緯で従前からの喜田と被告人との信頼関係及び力関係に基づいて決定されたものであるから、純粋な利潤追求を目的とした取引の場合と比較して九三〇〇万円という売買価格の妥当性を論ずること事態が相当とは考えられない上、被告人や喜田の検察官に対する供述をみると、被告人は、「喜田が、十六銀行は伊勢化学を額面でしか評価してくれない、と言つていたし、伊勢化学の負債の四分の一も引き継がされるので、八九万株で九三〇〇万円はさほど安くないと思つた」旨供述し(昭和六一年一二月六日付供述調書)、一方、喜田は、「金融機関に担保として差し入れても、よくて額面(一株五〇円)にしか評価してもらえなかつた」し(同年同月一二日付供述調書、本文一〇枚綴りのもの)、「喜田株を譲り渡しても、いつか買い戻そうという気持ちがあつたので、価格については被告人の言うとおりの金額で納得した」旨供述し(同年同月一五日付、本文四枚綴りのもの)、更に、弘中弁護士も、検察官に対し、被告人から喜田株を被告会社が九三〇〇万円で買うと聞いて、随分高い金額で買つて大丈夫かなと思つていた旨供述している状況であつて、少なくとも、被告人や喜田は、九三〇〇万円という金額を必ずしも極めて低いものとは認識していないかつたことが認められるから、仮に右価格が客観的にみて低額であつたとしても、これをもつて売買の事実を否定することはできないところである。

ちなみに、所論指摘の諸点について検討しても、<1>武蔵野信用金庫において採用したという大和証券調査部名義の一株当たり三〇〇〇円という評価は、その責任者も算定の根拠も曖昧なものであつて、その数値に疑問がない訳ではない上、同信用金庫は、伊勢化学の株式四〇万株のほか既に担保となつている伊勢開発の山林等を考慮して、所論の金額(一株当たり六二五円に相当する。)の融資を決定したものであり、<2>大和久株の売買価格については、前示(10)のような経緯から、実質的には大和久の退職金を加算する趣旨で決められたものであり、<3>旭硝子が山一証券に評価させたという一株二三六六円という数値は、本件譲渡から半年後のものである上、純粋に経済的な観点からなされたものであるから、所論指摘の諸点をもつて、喜田株の売買価格が極めて不自然であることの証左とすることはできず、所論は採用できない。

(三) 被告会社による喜田株取得の動機、特に伊勢化学の分割と宮崎工場の経営について

所論は、「本件において、伊勢化学を分割し、その約四分の一に当たる宮崎工場を被告会社若しくは被告人が経営するなどという構想(以下「宮崎工場分割構想」という。)が実在したことはなく、右構想は、被告人が査察官に対し所得税法違反から法人税法違反に切り換えて処理して貰うために、その段階(昭和六〇年九月中旬)において初めて捏造したものであつて、このことは、被告人の査察・捜査段階の供述以外に宮崎工場分割構想の存在を窺わせるものが皆無であることのほか、<1>宮崎工場のみを分離しても客観的に経営の成り立つ見込みがなかつたこと、<2>被告人はヨード関係の製造・販売につき素人であること、<3>被告会社においてヨードの製造等を目的とする旨の定款の変更もなされていないし、弁護士や公認会計士らに伊勢化学の分割に関する相談をした形跡がないことなどに照らしても明らかであり、宮崎工場分割構想の存在が否定される以上、被告人が原判示のように被告会社として喜田株の取得を決意する筈はない(後記のとおり、被告会社として本件試掘権を取得する理由もない。)。」というのである。

しかし、被告人が喜田株の取得に当たつて喜田から伊勢化学を分割し宮崎工場を経営することを勧められたと認められることは、前示(4)のとおりであり、被告人が、宮崎工場分割構想を念頭において行動したとみられることは、前示(5)、(10)、(11)、(16)のとおりである。

所論は、宮崎工場分割構想については、被告人の査察・捜査段階の供述以外に、その存在を窺わせるものが皆無であり、被告人の右供述は、査察段階の途中で初めて捏造したものであるから、到底措信できない、と主張する。しかし、弘中弁護士は、検察官に対する供述調書中で、昭和五五年一〇月ころには被告人が「喜田の方から伊勢化学の株式を四分の一手に入れたので伊勢化学の宮崎工場を分割してもらつて経営してみたい」と言つているのを聞いたが、その時になつて初めて、本件譲渡契約書作成時に第四条に「伊勢化学の事業発展のために協力する」と規定したのはそのような経営参加の意味であつたと判つた旨明確に供述しているのであつて、同弁護士は、喜田株に関する民事訴訟における証人としても、昭和五五年夏ころに被告人から伊勢化学の宮崎工場を経営する話を聞いたが、被告人は張り切つていた旨供述しており、同弁護士が、査察段階で虚構の事実を創作した被告人と意を通じて虚偽の供述をしたものとは到底考えられず、被告人が、昭和五十五年夏又は秋の時点で、弘中弁護士に対し、わざわざ嘘をついたものと疑うべきいわれは全くないのであるから、この点に関する同弁護士の供述は極めて信用性が高いものというべきであり、また、右供述に現れているように、本件譲渡契約書に被告人の要望で挿入された第四条の存在は、宮崎工場分割構想の存在を間接的に裏付けるものと認められる。のみならず、被告人は、検察官に対する昭和六一年一二月六日付供述調書や大蔵事務官に対する同年二月二二日付質問てん末書(二〇枚綴りのもの)等の中で、喜田から宮崎工場経営の話を聞いた時には、それが実現すれば、これまでのブローカー的な仕事から転換することができ、実業家として地元宮崎に錦を飾ることができると思つた旨、自己の心境を率直に吐露する供述をしており、その後に喜田から説明されたという伊勢化学の経営状況等に関する供述を含め、十分に措信できるものと認められる。したがつて、喜田が、本心から宮崎工場分割構想を考えた上で被告人にこれを話したのか、客観的にみて実現の可能性があつたのかについては、疑問がない訳ではないけれども、少なくとも、被告人が、喜田からの勧めで宮崎工場分割構想を実現する気持ちになり、これを念頭に置いて行動したものであることは、否定できないところであつて、右構想の存在自体を否定し、これを査察段階において被告人がわざわざ創作したものである旨の所論は、到底採用できない。

なるほど、喜田の関係供述を検討すると、同人は、宮崎工場分割構想について、被告人にそのようなことを話したことはなく、喜田が考えていたのは、伊勢化学の七工場のうち四工場を旭硝子が、宮崎工場を含む三工場を喜田が江戸らの協力を得て経営するという構想(以下「二分割構想」という。)であつて、喜田株を被告人に引き渡したのち昭和五五年七月以降に検討を始めたものである旨、所論に副う供述をしているが、右供述は喜田株に関する民事訴訟係属中のものであり、後記(五)のとおりたやすく措信できない。また、旭硝子の関係者は、旭硝子に対して提案されたのは二分割構想であつた旨、所論に副うかのような供述をしているが、これをよく検討してみると、坂部は、検察官に対する供述調書(本文二九枚綴りのもの)中で、被告人と喜田が一緒に来て二分割案(それも、伊勢化学の八工場のうち五工場を旭硝子が、三工場を喜田らが経営するという分割案)を申し入れてきた旨述べ、一方、友澤潤次郎は、検察官に対する昭和六一年一二月八日付供述調書中で、坂部から、被告人が喜田の委任を受けたとして伊勢化学の分割を申し入れてきたので検討するようにと指示され、喜田に確かめたところその内容は二分割案であつた旨述べているのであつて、必ずしも喜田の供述と符号するものではなく、右坂部らの供述もそのままには措信できない。

そして、所論<1>及び<2>の二点は、宮崎工場分割構想の客観的実現性に疑問を抱かせるものではあるが、必ずしも、被告人が右構想を念頭において行動したことを否定するものではなく(被告人は、検察官に対する昭和六一年一二月一六日付供述調書において、喜田から、宮崎工場につき当面は赤字でも近いうちに黒字になり将来性がある旨言われたと供述しているし、前示(4)のとおり、被告人は、同工場の経営について喜田からノウハウを提供する旨言われていたものである。)、所論<3>の点も、右認定の妨げとなるものとは考えられない。この点に関する所論は、総て理由がなく、採用できない。

(四) 本件譲渡契約書作成後の喜田の言動について

所論は、「仮に、原判示のように喜田が喜田株を被告会社に売却したのであれば、同人は、伊勢化学における実権を喪失することになるところ、喜田は、例えば、本件譲渡契約書作成後の昭和五五年六月一日に被告人に利益を供与するために伊勢化学と株式会社カラブリアン(ジャパン)リミテッドとの間にヨードに関する一手販売基本契約を締結したり、同月下旬ころ伊勢化学の掘さく業者である株式会社日さくに水増し発注して、水増し分の二三〇〇万円を同社から被告人に支払わせたり、同年七月及び八月に将来伊勢化学に金員を支出させる名目として使用するために被告人と協力して合計一九件の可燃性天然ガスの試掘権を出願したり、同年七月から一〇月にかけて江戸と相談の上、旭硝子に対し伊勢化学の二分割構想を提案しており、他面、本件譲渡契約書には名義変更の事項が明記されているのに、名義を変更することなく中間配当金を受領するなど、引き続き伊勢化学の経営の実権を掌握する前提で行動しているのであつて、このような喜田の行動に徴しても、同人に喜田株売却の意思がなかつたことは明らかである。」というのである。

しかし、関係証拠によれば、喜田は、喜田株を売却する当時、被告人を信頼し、被告人を頼りにしていたものであり、江戸の信用を失墜することのないよう喜田株を被告会社に売却してその代金で江戸からの借金を返済した上、将来に亘り被告人や江戸の協力を得て、伊勢化学のほぼ半分を支配していた旭硝子と対抗しようと考えていたことが認められ、また喜田の検察官に対する昭和六一年一二月一五日付供述書(本文四枚綴りのもの)にも現れているように、同人は、一旦、被告会社に喜田株を売却しても、いずれ買い戻したいと考えていたことが窺われるのであつて、喜田が被告会社に対する喜田株の売却によつて伊勢化学の経営の実権を喪失するものと考えていなかつたことは明らかである。したがつて、喜田が売却後も伊勢化学を支配できる者の一人として行動するのは当然であつて、所論指摘の喜田の一連の言動(必ずしも、所論のとおりの事実関係とは認め難いものもある。)を理由に同人の喜田株売却意思を否定することは相当でなく、所論は、その前提において失当といわなければならない。

また、所論指摘の喜田株の名義変更の点について検討すると、被告人の大蔵事務官に対する昭和六一年二月二二日付質問てん末書(二九枚綴りのもの)その他の関係証拠によれば、被告人は、喜田株取得後は、喜田の協力の下に分割した宮崎工場を経営するつもりでいたところ、喜田株の名義を変更して被告会社がこれを取得したことを外部に明らかにすることは、伊勢化学の代表者であり大株主であつた喜田が持ち株を全部売却してしまつたことを意味し、同人の立場上困るであろうし、喜田の協力の下で伊勢化学の分割協議を進める際にも、喜田株取得の事実を秘して喜田の意向を表面に出した方がよいと考えたためであると認められる。したがつて、名義変更をしなかつたことをもつて、喜田に売却意思がなかつたとか、被告会社に取得意思がなかつたことの証左とはいえず(名義の変更がなされない以上、喜田らが中間配当金を受領するのは当然である。)、所論は採るを得ない。

(五) 喜田株に関する喜田の供述の信用性について

所論は、喜田は、本件譲渡契約書の作成後、検察官の取調べを受けた際をも含め、一貫して、喜田株を被告会社に売却した事実を否定し、被告人に預けただけである旨供述しているのであるから、右供述の信用性は高く評価すべきものである、と主張する。

しかし、喜田が喜田株を被告会社に売却し、本件譲渡契約書を作成するに至つた経緯は、前示(4)(5)及び(7)のとおりと認められる。そして、喜田は弘中弁護士から売却意思の確認を求められ、これを肯認した上で本件譲渡契約書に署名しており、その後、前示(12)のとおり、旭硝子が被告会社から喜田株を買い取るに際し、坂部から確認を求められた際にも、喜田株については本件譲渡契約書のとおりである旨回答して被告人の行動を是認し、被告人に異議も述べていないし、売買代金が幾何であるかについても関心を示していないのである。更に、喜田は、昭和五五年五月下旬ころ有賀延興に対し、「実は江戸さんから金を借りていて、返さないと信用にかかわるし、ほかにも金が必要なので、あの株(伊勢化学株の意)を種子田さんに売つた」旨説明している事実が窺われる(有賀の検察官に対する昭和六一年一二月一五日付供述調書、本文八枚綴りのもの)。これらの事実に照らせば、喜田に、喜田株売却の意思がなかつたものとは、到底認められない。なお、有賀は、被告人が喜田に対し、電話で「本当に親戚の株も一緒でいいんですね」と言うのを聞き、その後、被告人から「今のことを覚えておいて下さい」と言われたと述べていることは所論の通りであるが(有賀の検察官に対する同日付供述調書、三枚綴りのもの)、被告人は、喜田の一族の中に、喜田株の売却に不満を抱く者がいて、旭硝子への売却に際しトラブルが生ずることを惧れ、喜田に念を押したに過ぎないものと解されるから、右有賀の供述は、必ずしも所論の根拠となるものではない。また、喜田は、伊勢開発がエー・ビー・シー土木株式会社と社名変更した上で破産宣告を受けた後、旭硝子の関連事業部長である友澤にその事情を聴かれて「伊勢化学の株式は命の次に大事なものだ。今は最も信頼している人に預けてある」旨述べた事実が窺われるが(友澤の検察官に対する昭和六一年一二月八日付供述調書)、喜田としては、友澤に対しては伊勢化学の株式を全部手放したとは打ち明け難い立場にあつたことから、預けた旨の弁護をしたものと解すべきであつて、この点も所論の根拠とはなし得ない。

なるほど、喜田は、喜田株に関する民事訴訟を提起する前から被告人に対して金員の支払いを求め、同五七年六月ころ以降、旭硝子の友澤らをも含めた話合いが続けられていたことが窺われるが、所論援用の友澤らの関係供述(友澤の昭和五六年一二月八日付供述調書に添付された「伊勢関係4者階段要旨メモ」を含む。)によつても、右会談において、喜田が、喜田株を被告人に預けたことを前提として、被告人に対し、旭硝子から受領した喜田株の売却代金と伊勢開発の債務整理資金との精算を求めたものとは認められないところである。また、喜田が、原審第一一回ないし第一五回公判期日において、喜田株につき所論に副う証言をし、これに先立つ喜田株に関する民事訴訟においても、同趣旨の供述をし、この間昭和六一年一二月中旬には、検察官の事情聴取に対しても、必ずしも被告会社に対する売却の事実を認めたとはいい難い供述をしていることは、所論指摘のとおりであるが、喜田株に関する民事訴訟提起後の段階における喜田の供述は、右訴訟における自己の利益擁護の意図からなされていることが明らかに看取される上、内容的に不自然な点や曖昧な点が多く、そのままには措信できない。喜田の供述の信用性に関する所論は、総て採用できない。

(六) その他九三〇〇万円の資金の流れや帳簿処理の状況、旭硝子から入金した喜田株を含む本件株式の売却代金の使途若しくは享受状況等について

まず、所論は、「原判決は、喜田株の取得資金とされる九三〇〇万円について、被告会社の昭和五五年一一月期の決算に当たつて会計伝票及び総勘定元帳への記帳処理がなされている旨判示している、これを被告会社が喜田株を取得したことの根拠としているが、被告会社の右の伝票及び記帳処理は、被告人が旭硝子の田澤潔から教えられ、被告会社の担当者に指示して、翌五六年二月上旬以降に改ざんさせたものであつて、このことは、昭和五五年六月三日付の伝票が24A、12Aと枝番号で起こされていることや、帳簿や伝票の日付や金額に明白な間違いが存在し、急場しのぎの雑な記帳処理がなされていることに徴しても明らかであるから、これらの記帳処理をもつて被告会社が取得主体であることの根拠とはなし得ないものであり、更に、右九三〇〇万円の借入・返済に際し、被告会社の銀行口座を全く経由していないことからも、被告人に被告会社の計算で喜田株を取得する意思のなかつたことが明らかである。」と主張する。

そこで、関係証拠を検討すると、なるほど九三〇〇万円の資金に関する被告会社の会計伝票及び総勘定元帳への記帳処理が、当該取引の時点ではなく後日になつてからなされたものであることは、否定できないところである。しかし、関係証拠によると、被告会社においては、経理を担当する落合らが、日常的なものについては自己の判断で、はつきりしない場合には被告人の指示を受けながら、その都度伝票を起こし記帳処理するものの、最終的には、決算整理の段階で被告人に確認の上処理していたものであり、その結果、伝票を枝番号で起こすこともまま存在したことが窺われる。被告会社の昭和五五年一一月総勘定元帳(当庁平成元年押第二四五号の6)の記載をみても、所論指摘のもの以外にも、例えば、借入金科目の四月二五日の欄、同月三〇日の欄、五月一五日の欄など、伝票を枝番号で起こして処理したと解される例が散見される。それ故、本件九三〇〇万円の資金に関する経理処理も、単なる補正の遅延にほかならないと認めるのが相当であつて、内容虚偽の改ざんであるとする所論には賛成できない。この点に関し所論は、本件九三〇〇万円の資金に関する経理処理は、田澤らの教示による改ざんであつて、このことは被告人が原審公判段階において供述するとおりである、と主張するが、田澤らにそのような教示までする必要があつたとは考え難く、被告人の右供述はたやすく措信できない。なお、被告人が自己又は被告会社若しくはその他の関連会社の顯名、仮名の口座を適宜使用して資金を通用していたことは、関係証拠上明らかであり、九三〇〇万円の資金の借入・返済について被告会社の口座が使用されなかつたとしても、そのことが被告人に被告会社として取得する意思がなかつたとの根拠になるものとは考えられない。

次に、所論は、「喜田株を含む本件株式の売却益の使途又は実質的帰属状況を検討すると、被告会社の事業資金として使用されたものは、全体の約二一パーセントに過ぎず、その余はほとんど被告人と被告人が経営する関連会社で使用されていて、被告人が個人として得た利益だけでも約四六パーセントを占めていることを考慮すれば、喜田株の売却益が被告会社に帰属したものと認めることはできない。」というのである。

なるほど、関係証拠によると、喜田株を含む本件株式の売却益は、被告会社だけでなく、被告人個人及びその余の関連会社も享受していて、その割合を形式的にみれば、被告会社の享受分が少ないともみられるが、関係証拠に明らかなように、被告会社だけでなく、その余の関連会社も総て被告会社がワンマン的に経営し、各会社の資金運用についても被告人がほとんど専断的に決していたものであるから、所論指摘の使途状況はむしろ当然ともいえるのであつて、これをもつて売却益が被告会社に帰属しないことの理由とはいい難く、所論には賛成できない。

その他、所論は、喜田株の取得主体および売却主体について縷々主張して止まないのであるが、その論ずるところを通覧しても、仮に被告人がその主体であつたとすれば、何故に、本件譲渡契約書に被告会社の名義を用いたのかという点についてすら、納得するに足りるだけの合理的説明は見出せず、所論に鑑み関係証拠を再検討してみても、喜田株の取得及び売却の主体に関する原判決の認定に誤りがあるとは認められないから、所論は、総て採用するに由ないものといわなければならない。

2  大和久株の取得主体及び売却主体について

所論は、「本件株式のうち大和久株は、被告人が個人的に大和久から取得して旭硝子に売却したものであつて、このことは、被告人の原審公判段階の供述に現れているほか、<1>大和久自身が大和久株は被告人に売却した旨供述していること、<2>大和久株取得のための出金について、被告会社では昭和五五年一一月期に代表者勘定として経理処理していること、<3>被告会社の確定申告書には保有株式として大和久株が記載されていないこと、<4>被告人は、大和久株について、当初、査察官に対し、自分が取得した旨供述していたものであり、その後、被告会社が取得した旨供述を変更しているものの、右供述変更の理由につき納得できる説明がないことに徴して変更後の供述は不自然であり、変更前の供述こそ信用されるべきであること、<5>大和久株の名義は、大和久から取得した後、西日本開発株式会社をはじめとする二社三名に分散して変更されていて、名義変更されていない喜田株と異なる取扱がなされていることなどの諸点に徴して明らかなところである。」と主張する。

しかし、被告人の査察・捜査段階の供述とその余の関係証拠によれば、大和久株の取得状況は、前示(10)のとおりであり、被告人は、喜田を介して大和久に伊勢化学の株式を売却する意向があることを知り、喜田からの依頼でもあり、将来の被告会社による宮崎工場の経営に備える気持ちから、これに応じたことが認められる。右にみた大和久株取得の経緯及び動機のほか、被告人が大和久株の引渡を受けたのち、これを被告会社の金庫に保管し、その後、旭硝子に対し喜田株と一括して売却し、売却益についても喜田株と区別することなく経理処理していること、他面、関係証拠を検討しても、大和久株のみを被告人が個人的に購入する理由や必要は見当たらないこと等の諸点を併せ考えれば、大和久株を購入して旭硝子に売却した主体は、被告会社と認めるのが相当であり、これと相容れない被告人の原審公判段階の供述は措信できない。そして、関係証拠を検討するに、(ⅰ)大和久の検察官に対する供述調書によれば、同人は、喜田からの紹介があつたため被告人を信用して大和久株を売却したものであるが、その際売却の相手方が被告人個人であるか被告人の関係している会社であるかは気に留めていなかつた旨述べているのであつて、所論<1>のように被告人個人に売却したものと明確に認識していたものとはいえない。(ⅱ)確かに、大和久株の取得資金に関する被告会社の経理処理は、所論<2>指摘のとおりと認められる。しかし、被告人の大蔵事務官に対する昭和六一年二月二二日付質問てん末書(二〇枚綴りのもの)等及び落合の検察官に対する同年一二月一六日付供述調書(一〇枚綴りのもの)によれば、被告会社においては、落合らが被告人の指示に基づいて伝票等の処理をしていたところ、被告人の指示が支払い先やその内容にまで及んでいる場合には、落合らとしてもそのとおりに処理できるが、被告人から具体的指示がない場合には、代表者勘定で処理せざるを得ない状況であつて、大和久株については被告人が使途も言わずに出金させてしまつたため、代表者勘定として処理するほかならなかつたものであることが認められるから、かかる経理処理の存在を理由として被告人を取得主体と認めることはできない。(ⅲ)所論指摘<3>のとおり、被告会社の昭和五五年一一月期の法人税確定申告書には同社の保有株として大和久株が記載されていないが、これは、被告人が落合に計上方を指示するのを失念していたに過ぎないと認められるから(被告人の検察官に対する昭和六一年一二月二二日付供述調書、七枚綴りで二項までのもの)、大和久株の取得主体が被告会社であることを否定するものとは到底いえないところである。(ⅳ)大和久株の取得主体に関する被告人の査察官に対する供述に変更が存し、この変更の理由について具体的説明がなされていないことは、所論<4>指摘のとおりであるが、被告人は、変更後、査察官や検察官に対し被告会社が大和久株を取得した理由について詳細な供述をしており、右供述は納得できるものと認められるから、変更前の供述に信用性があるとする所論<4>には賛成できない。(ⅴ)被告人の大蔵事務官に対する昭和六一年二月二二日付質問てん末書(二〇枚綴りのもの)によれば、被告人が被告会社の取得した大和久株の名義を西日本開発株式会社、ひまわり商事有限会社名義及び三名の個人名義に分散して変更したのは、将来伊勢化学の分割につき旭硝子と協議する際、株主の数が一人よりも数人の方が力が強いと判断したためであることが窺われ、一方、喜田株については、前示のとおり、名義変更をしないことにそれなりの理由と必要があつたことが認められるのであるから、所論<5>の点も大和久株の取引主体が被告人個人であることの根拠になるものとは考えられない。

その他所論が指摘するところを参酌して関係証拠を再検討しても、大和久株の取得主体及び売却主体を被告会社と認定判示した原判決に誤りはなく、所論は理由がない。

3  本件株式の売却価格について

所論は、「仮に、本件株式の売却益が被告会社に帰属すると認められるとしても、旭硝子に対する本件株式の売却代金は、原判示の約二〇億円ではなく約一五億円である。すなわち、本件株式売却代金は、被告人と旭硝子との間で合計一四億九九五四万七九五〇円(有価証券取引税分六七四万七九五〇円を含む。)と決定し、昭和五六年二月四日に支払いを終えているのであつて、その後同年三月二〇日ころに旭硝子から支払われた約五億円(五億〇二三四万二五六〇円)は、本件株式の代金ではない。旭硝子は、昭和五五年一一月以降の本件株式の売買交渉の際になされた被告人との約束に従い、被告人が喜田や伊勢開発のために支出した融資及び負債整理資金の一部である約五億円を喜田や伊勢開発に代わつて第三者弁済したものであつて、このことは被告人の原審公判段階の供述に明らかであるから、原判決は、本件株式の売却益の金額を誤認し、ひいては被告会社の本件株式の益の額を誤認したものである。」というのである。

しかし、本件株式の売却代金は、前示(14)のとおり約二〇億円(二〇億〇一八九万〇五一〇円、有価証券取引税分を含む。)と認められる。なるほど、右金額が確定する過程において、被告人と旭硝子との間で、とりあえず、同社が被告会社所有の本件株式を一株当たり一六〇〇円(代金合計一四億九九五四万七九五〇円、有価証券取引税分を含む。)で購入することとし、昭和五六年三月四日ころにその支払いと本件株式の引渡がなされたことは、前示(13)のとおりであるが、その後旭硝子においては、前示(14)のとおり、本件株式の売買交渉の際に被告人から出されていた要求事項に対する回答として、右要求のうち伊勢開発の負債整理資金を旭硝子が負担するということは到底できないから、その代わりに本件株式の価格を再評価して売買代金を約五億円増額することにしたい旨提案し、被告人がこの提案を受け入れたため、本件株式の売却代金は、最終的に前記の約二〇億円と確定したものである。なるほど、被告人は、所論援用の関係供述調書等において、旭硝子の坂部は、被告人に対して伊勢開発の負債整理資金の一〇億円を必ず支払う旨約束したものであり、昭和五六年三月二〇日に支払われた五億円は、右約束に基づくものであつて喜田株の代金ではない旨所論に副う供述をしているが、坂部らの関係供述調書に照らしてたやすく措信できない。旭硝子に対する本件株式の売却代金について原判決に誤認はなく、所論は理由がない。

4  法人税逋脱の故意及び責任について

所論は、「仮に、本件株式の売却益が総て被告会社に帰属し、被告人が右売却益を秘匿したものと認められるとしても、被告人には右売却益を秘匿して被告会社の法人税を逋脱する故意又は責任がなかつたものである。すなわち、被告人は、昭和五五年一一月下旬ころから旭硝子の坂部らとの間で本件株式の売買交渉を行ううち、坂部から、税金に関する書物の該当部分を示されて一人二〇万株までの取引であれば非課税となる旨の説明を受け、株取引の経験がないためその場ではよく理解できなかつたものの、その後、司法書士、税理士、税務署の職員らに尋ねて、ほぼ右と同旨の回答を得たことから、本件株式の売却を決意して旭硝子との交渉を続け、翌五六年一月中旬以降、坂部から言われるまま、最初は被告会社と旭硝子との本件株式の取引の間に、被告人個人のほか前記丸益産業など被告人の経営する四法人が介在したように仮装した契約書類を作成し、その後、更に、旭硝子の田澤から、非課税とされるのは個人だけなので、取引の中間に名目上介在させるのは法人でなく実在する個人でなければいけない旨教えられて、原判示の方法、すなわち被告会社と旭硝子の取引の中間に被告人ほか四名の個人を名目上介在させ、各取引の株数がいずれも二〇万株未満であつたかのように仮装する方法で、本件株式売却益の秘匿に及んだものであつて、被告人は、原判示秘匿方法が適法であると信じていたものであり、かつ、そう信じたことには、相当な理由があつたから、被告人には法人税逋脱の故意又は責任がなかつた。」というのである。

なるほど、被告人が坂部らに教示されて初めて原判示の売却益秘匿の方法を知つたものであることは、所論のとおりであつて、これを否定する坂部、田澤ら旭硝子関係者の供述は、到底措信できないところであるが、被告人は、税法上個人の二〇万株未満の売買益が非課税とされているとしても、その事実がないのにそのように仮装することは明らかに脱税のための小細工であることを知りながら、大企業の重役である坂部らが教えてくれた方法であり、まさか発覚することはないだろうと考えて敢えてこれを実行したものであつて、所論のように右秘匿方法が税法上許されるものと信じていたとは、関係証拠上到底認め得ないところである。所論は、被告人は、坂部らから原判示の売却益秘匿方法を教えられたのち、税理士や税務署の職員らに対してこの点につき問い合わせ、その結果、右の方法が合法的なものと信じた旨主張するのであるが、被告人の関係供述や落合の前記供述調書によれば、被告人は、「個人が二〇万株未満の取引をした場合、その売却益を申告納税する義務があるかどうか」という点のみを尋ねたというのであるから、税務署の職員らがそのような義務はない旨回答するのは当然であり、被告人が、右回答によつて「個人が二〇万株未満の取引をした場合」ではないのにそのように仮装した場合にも適法に申告納税義務を免れ得るものと信じたとは認められない。その他所論に鑑み関係証拠を検討しても、被告人が原判示方法による売却益の秘匿について、これが税法上許されるものと信じていたとは認められず、この所論は、採用できない。

5  本件株式売却益についてのまとめ

以上1ないし4のとおりであるから、原判決の有価証券売却益に関する事務認定は正当であり、その他所論に鑑み、原審の記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討しても、原判決に所論の誤認は認められない。

四  受取手数料収入について

所論は、「原判決は、本件試掘権及びその売却益が被告会社に帰属するものと認定し、以下の理由を掲げているが、いずれも適切でなく、事実を誤認したものというべきである。すなわち、<1>本件試掘権が被告会社の取締役である多田の名義で取得されているとの点は、同人が被告会社に頼まれて取締役に名を連ねていただけの存在に過ぎないことに、<2>多田は勿論被告人においても個人においても、個人として本件試掘権を出願する事情はなかつたとする点は、むしろ、被告会社には試掘権出願の理由がなかつたが、被告人には、伊勢開発及び喜田に対する多額の債権を回収する手段として、伊勢化学に買い取らせてその返済資金を捻出する必要があり、喜田とも通謀の上、本件試掘権を設定したものであることに、<3>伊勢化学による本件試掘権の買取は、旭硝子に対する本件株式売却の条件として出されていたとの点は、そのとおりであるが、そのことと本件試掘権が被告会社に帰属することとは結びつかないことに、<4>被告会社の経理処理を挙げている点は、そのような処理は被告人の脱税の手段として用いたものに過ぎないことにそれぞれ照らし、いずれも原判示認定の根拠とはなり得ない。」と主張する。

しかし、関係証拠によれば、本件試掘権の出願、売却及び被告会社による経理処理の経緯は、前示(16)(17)のとおりであると認められ、これによれば、本件試掘権及びその売却益は被告会社に帰属していたものと認めるのが相当であるから、原判決に所論の事実誤認はない。

そして、原判決の説示に対する所論の反駁はいずれも採るを得ない。すなわち、(ⅰ)多田は、仮に名目上の素材であつたとしても、原判示のとおり、被告会社の設立手続きに参画し、途中一時期辞任したことはあるものの設立当初から被告会社の取締役であつたものであるから、被告人が個人で本件試掘権を設定したのであれば、そのような地位にある多田の名義を借りる必要は全くない。(ⅱ)前示(13)(16)のとおり、被告会社は、伊勢化学の宮崎工場の経営に備えて、多田取締役の名義で本件試掘権を取得したものであり、その後宮崎工場分割構想が消滅したため、坂部らと折衝の末、伊勢化学にこれを買い取らせるに至つたものである。これに対し、多田が個人として本件試掘権を取得すべき事情は全くなく、また、所論の如く、喜田と被告人が通謀の上、伊勢化学を欺くための方便として本件試掘権を取得したというのは極めて不自然であつて、たやすく信用し難いのみならず、被告人の債権回収を目的とするならば、被告人の名義で取得すれば足りる筈で、多田の名義を藉りる必要は認められない。(ⅲ)本件試掘権は被告会社が宮崎工場経営に備えて取得したものであるから、宮崎工場分割構想が消滅した以上被告会社においてこれを保有する理由もなくなるので、右構想に代わつて浮上した本件株式売却交渉の条件とすることは極く自然の成り行きであつて、本件試掘権及び本件株式が共に被告会社に帰属することの現れと認められる。(ⅳ)被告人の脱税のみが目的であるなら、本件試掘権は、被告人が多田から取得して中物産に売却したことにすれば足りる筈で、これを被告会社の経理に公表計上していることは、たとえその内容に虚偽があるとしても、本件試掘権及びその売却益が被告会社に帰属することの一つの証左というを妨げない。

以上のとおり、所論はいずれも採用するに由なく、事実誤認をいう論旨は理由がない。

五  受取利息収入について

所論は、「本件受取利息は、本件株式の売却及び本件受取手数料を原資とする運用益であり、<1>右原資は総て被告人に帰属するのであるから本件受取利息収入も被告人に帰属することが明らかであるが、<2>仮に、右原資が被告会社に帰属するものと認められたとしても、被告会社がこれを運用したものと即断することはできず、むしろ、右原資からの貸付を受けた三和薬品や有限会社花園観光の関係者らが、貸付主体(債権者)は被告人である旨供述していること、金員貸付の関係書類上、債権者は被告人となつていることなどに徴すれば、右原資を運用したのは、被告人であり、本件受取利息収入は被告人に帰属するものと認められるべきであつて、被告人の査察・捜査段階の供述中、右原資を運用したのが被告会社である旨の供述部分は、被告人が所得税法違反から法人税法違反に切り換えて貰うためにした虚言であるから、措信されるべきではなく、原判決は事実を誤認したものである。」というのである。

しかし、本件受取利息収入が本件株式の売却益及び本件受取手数料を原資とするものであることは、関係証拠上明らかであり、かつ、所論も争わないところである。そして、(ⅰ)本件株式の売却益及び本件受取手数料が総て被告会社に帰属するものと認められることは、既に説明したところである。また、(ⅱ)被告人が右原資を被告会社から利息を支払うなどして、実質的に借り受けて運用したなどの特別の事情は認められないのであるから、右原資の運用益である本件受取利息収入は、被告人が、査察官に対する昭和六一年二月一三日付質問てん末書や検察官に対する同年一二月二二日付供述調書(四枚綴りものも)中で、明確に供述しているように(所論にもかかわらず、右供述は十分措信できるものと認められる。)、運用の際の名義の如何を問わず、総て被告会社に帰属するものと認めるのが相当である。金員貸付の相手方らは、いわゆるワンマン会社である被告会社の代表者としての被告人と被告人個人とを明確に区別することのないまま、金員の貸付を受け利息を支払うなどしていたことが窺われるから、右相手方らの供述や貸付書類上の記載は、必ずしも本件受取利息収入の帰属が被告人であることの証左とはなし難く、この所論は採用できない。

更に、所論は、原資である本件株式の売却益や受取手数料が被告会社に帰属するとしても、その運用益が当然被告会社に帰属するとはいえず、被告人は被告会社に多額の貸付債権を有していたのであるから、その返済を受けることも可能であり、被告会社の本件株式の売却益等の中から貸付金の返済を受けてこれを運用したいということも考えられる旨主張する如くである。被告人が被告会社の本件株式と売却益や受取手数料の中から貸付債権の返済を受けてこれを運用したものと、認めるべき事情は見当たらないから、この所論は採用できない。

その他所論に鑑み、関係証拠を再検討しても、本件受取利息収入の帰属についての原判決の認定は正当であり、所論の誤認は存しない。

六  第一についての結論

以上一ないし五で検討したとおりであつて、原判決に事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

第二控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、要するに、原裁判所は、原審弁護人が、証人として、第二回公判期日において、友澤潤次郎、田澤潔、落合教示、湯原孝久、中村静雄らを申請したほか、第一四回公判期日において、江戸英雄、番重賢嘉、福元公成、喜田武志、小倉岩男、牟田順一の六名を申請したのに対し、第二〇回公判期日において、その総てを却下した上、却下決定に対する異議申立を棄却したが、これらの証人を取り調べることは本件事案の真相の解明に不可欠であつて、原裁判所のかかる証拠決定は違法不当であり、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。しかし、原審の記録及び証拠物を調査して検討しても、原裁判所が、第二〇回公判期日において、それまでの証拠調べ(弁護人請求にかかる喜田ら七名の証人調べや被告人質問を含む。)の結果に基づいて所論指摘の各証人の取調べ請求を却下し、これに対する異議を棄却したことは、何ら違法不当とは認められず、当審における事実取調べの結果は、右結論を左右するものではない。原判決に所論の訴訟手続の法令違反はなく、論旨は理由がない。

第三控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、要するに、仮に被告人らが有罪としても原判決の量刑は重過ぎて不当であり、殊に、被告人に対しては懲役刑の執行を猶予するのが相当であるから、これを破棄すべきである、というのである。

そこで原審の記録及び証拠物を調査して検討するに、本件は、既に見たとおり、被告人が被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、被告会社の昭和五六年一一月期の所得金額が一八億七九八六万五二三六円であつたのに、個人の行つた同一銘柄二〇万株式未満の株式の譲渡による所得が非課税とされていることを利用し、被告会社が旭硝子に対して本件株式を売却した取引の中間に被告人ら五名の個人を名目上介在させて有価証券売却益の大部分を秘匿したほか、架空仕入の計上、受取手数料収入(本件試掘権の売却益)の一部除外、受取利息収入の除外などの方法によつて所得を秘匿し、被告会社の所得金額が一二九二万一九二七円で、これに対する法人税額が三八九万〇五〇〇円である旨虚偽過少の確定申告書を提出してそのまま法定納期限を徒過させ、不正の行為により被告会社の正規の法人税七億八八〇〇万六九〇〇円と申告税額との差額七億八四一一万六四〇〇円を免れた、という事案である。

右に明らかなように、本件は七億五〇〇〇万円を越える巨額な法人税を殆ど全部逋脱した悪質事犯である上、かかる逋脱事犯の動機として特に酌むべきものは認められず、その手段・方法は、所得税法及び租税特別措置法の定めた有価証券取引に関する非課税制度を悪用するなど、大胆かつ巧妙なものであること、被告人は、検察官による取調べ開始の直前に罪証湮滅工作を行い、公判審理段階に至つてもその場限りの弁解を繰り返すなど、事犯に対する反省の態度が少しも窺われず、再犯の虞も否定できない状況であること、被告人には原判決が確定裁判として摘示している懲役前科(執行猶予付)のほかにも、業務上過失傷害及び道路交通法違反の罪による罰金前科二犯あること等の諸点を併せ考えると、被告人らの刑責はいずれも重大といわざるを得ない。

してみると、本件が一回限りの有価証券売却益や受取手数料等の秘匿による逋脱事案であつて、継続的な株式取引や事業所得の秘匿にかかるものではないこと、前記非課税制度の悪用は旭硝子の関係者による教示が発端とみられること、犯行の背景には被告人らが伊勢開発に投入した資金の回収を図りたいという事情が全くなかつた訳ではないこと、既に修正申告がなされ、本税、附帯税、地方税が納付済であること、被告会社の経理体制に改善がみられること、その他被告人の服役が被告会社や被告人の関与する医療関係事業等に与える影響など所論指摘の首肯できる諸点を被告人らのため十分に斟酌しても、本件が被告人に対して、懲役刑の執行を猶予するべき事案とは考え難く、被告会社を罰金二億円に、被告人を懲役二年六月に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

しかしながら、当審における事実取調べの結果によると、被告人は、原判決の言渡し後、甲状腺の疾患により手術を受け、今後の健康に不安が残る状況であること、自己の一連の行為に対して反省の態度を示し、贖罪の趣旨で、法律扶助協会及び日本赤十字社に各五〇〇〇万円、北里研究所及び茨城県牛久市に各二〇〇〇万円、広島県比婆郡東城町に一〇〇〇万円(以上合計一億五〇〇〇万円)を寄附したことが認められ、これら諸般の事情を考慮して、被告人に対する量刑につき再考すると、前叙の犯情に鑑み、懲役刑の執行を猶予することは相当でないものの、被告人に対する原判決の科刑をそのまま維持することは明らかに正義に反するものと認めざるを得ない。

第四結論

以上第一ないし第三のとおりなので、

一  刑訴法三九七条二項により原判決中被告人に関する部分を破棄し、被告人に対し、同法四〇〇条但書に従い更に次のとおり判決する。

原判決の認定した事実に刑種の選択、併合罪の処理(余罪処断)の点を含めて原判決の法令と同一の法令を適用し、その刑期の範囲内で、被告人を懲役二年に処し、原審における訴訟費用は、刑訴法一八一条項本文、一八二条により、被告会社と連帯して負担させることとする。

二  被告会社については、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却する。

三  当審における訴訟費用は同法一八一条一項本文、一八二条により、被告人らに連帯して負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 裁判官 新田誠志)

平成元年(う)第八六二号

○ 控訴趣意書

被告人 中央産商有限会社

被告人 種子田益夫

右被告人らに対する法人税法違反被告事件の控訴趣意は次のとおりである。

平成元年一〇月三一日

右主任弁護士 関根栄郷

右弁護士 勝尾鐐三

同 石井春水

同 安田道夫

同 神宮壽雄

同 山崎宏征

同 福島啓充

同 菊池章

同 矢作健太郎

東京高等裁判所第一刑事部 御中

目次

第一 序・・・・・・二四四

第二 事実の誤認について・・・・・・二四七

一 本件株式の売却益の帰属主体について・・・・・・二四七

1 はじめに・・・・・・二四八

2 五五年五月三〇日付株式譲渡契約書は架空であり、喜田幸治と被告会社との間に本件株式売買の合意が成立したことはない・・・・・・二五二

(一) 株式譲渡契約書について・・・・・・二五三

(1) 株式譲渡契約書の体裁および内容・・・・・・二五三

(2) 売買代金とされる九、三〇〇万円について・・・・・・二六三

(3) 譲渡契約書を作成した喜田幸治側の理由・・・・・・二六九

(4) 譲渡契約書を作成した被告人種子田側の理由・・・・・・二七六

(二) 喜田幸治および被告会社間の売買合意の不存在・・・・・・二八三

(1) 喜田幸治の行動と、売買合意の不存在・・・・・・二八八

(2) 九、三〇〇万円の性質・・・・・・三〇七

(3) 被告人種子田と喜田幸治間の合意内容・・・・・・三〇九

(4) 喜田幸治の検察官に対する供述について・・・・・・三一四

(5) その他、喜田幸治と被告会社において合意の存在しないことを窺わせる事実について・・・・・・三二二

(三) 九、三〇〇万円の資金の流れ、および帳簿上の処理・・・・・・三三一

(四) 大和久株の売却益の帰属について・・・・・・三四八

(五) 伊勢化学の分割という問題について・・・・・・三五五

(六) 脱税の認識ないし違法性の錯誤・・・・・・三六六

(七) 株式売却代金約一五億円と約五億円の性質・・・・・・三七二

(八) 売却代金の使途について・・・・・・三七五

(九) 修正申告と納税について・・・・・・三八四

(一〇) 被告人種子田の検察官に対する本件株式購入についての供述・・・・・・三八五

二 受取手数料および受取利息の帰属主体について・・・・・・三九一

1 受取手数料について・・・・・・三九一

2 受取利息について・・・・・・三九三

三 弁護人の主張、および被告人種子田の供述の変遷について・・・・・・三九六

四 証拠により認定されるべき事実経過・・・・・・四三〇

第三 訴訟手続の法令違反について・・・・・・四四六

第四 量刑不当について・・・・・・四五一

第五 まとめ・・・・・・四五四

第一 序

原審裁判所は、被告人らに対する法人税法違反の公訴事実につき、有罪と認定したうえ、「被告人中央産商有限会社を罰金二億円に、被告人種子田益夫を懲役二年六月にそれぞれ処する。訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。」との判決を言い渡したが、被告人らは、いずれも無罪であるのであって、右判決は、重大な事実誤認をおかしたばかりでなく、訴訟手続の法令違反をおかしたものであって、これらの誤りはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるうえに、仮りに有罪であるとしてもその量刑は著しく重きに失し不当であるので、到底破棄を免れないものと思料する。

すなわち、原判決は、罪となるべき事実として

被告人中央産商有限会社(以下「被告会社」という。)は、東京都中央区日本橋本町一丁目五番地(昭和六〇年二月一七日以前は、同都中央区日本橋一丁目一八番七号第三正明ビル一階)に本店を置き、食肉加工販売等を目的とする資本金三、〇〇〇万円の有限会社であり、被告人種子田益夫(以下「被告人種子田」という。)は、被告会社の代表取締役として同会社の業務全般を統括しているものであるが、被告人種子田は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、昭和五五年一二月一日から昭和五六年一一月三〇日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が一八億七、九八六万五、二三六円あった(別紙1修正損益計算書-略-)のにかかわらず、所得税法及び租税特別措置法の規定上は個人の行った同一銘柄二〇万株未満の株式の譲渡による所得が非課税とされていることに着目し、被告会社が旭硝子株式会社(以下「旭硝子」という。)に対し伊勢化学工業株式九三万三、〇〇〇株を売買代金二〇億一八九万六、五一〇円で売却した取引につき、その中間に被告人種子田外四名の個人を名目上介在させることによって、被告会社が同株式を被告人種子田外四名に対しそれぞれ二〇万株未満に分散して売買代金合計一億二、五〇〇万一三五円で売却し、これを被告人種子田外四名が旭硝子に対して売却したように仮装するなどの方法により所得を秘匿した上、昭和五七年二月一日、同都中央区日本橋掘留町二丁目六番九号所轄日本橋税務署において、同税務署長に対し、被告会社の所得金額が一、二九二万一、九二七円でこれに対する法人税額が三八九万五〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書(昭和六二年押第五四号の1)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、被告会社の右事業年度における正規の法人税額七億八、八〇〇万六、九〇〇円と右申告税額との差額七億八、四一一万六、四〇〇円(別紙2脱税額計算書参照-略-)を免れたものである。

との公訴事実どおりの事実を認定したうえ、前記判決を言い渡したものであるが、右認定事実中の修正損益計算書によれば、右実際所得金額一八億七、九八六万五、二三六円と申告所得金額一、二九二万一、九二七円との差額である当期増減所得金額一八億六、六九四万三、三〇九円(ほ脱所得金額)の内訳は、

有価証券売却益 一八億四、六五八万七、八六五円

受取手数料収入 八、六〇〇万 円

受取利息収入 七、一三〇万六、一八二円

(小計 二〇億 三八九万四、〇四七円)

から

架空売上額 三億 七五七万九、七三三円

架空期末原材料 二六四万六、一三〇円

過少租税公課 三〇万四、六〇〇円

過少交通費 四一万四、六三〇円

過少交際費 三二万六、二七八円

過少支払手数料 四二万二、八〇〇円

過少雑費 一一万三、三八五円

過少支払利息割引料 八六万四、〇一八円

計上漏支店経費 一、八八七万六、二〇〇円

計上漏商品取引売買損 三、三八六万四、〇〇〇円

(小計 三億六、五四一万一、七七四円)

を減算したうえ、

架空当期仕入高 二億二、三五二万一、〇三六円

計上漏賃貸料収入 四九四万 円

(小計 二億二、八四六万一、〇三六円)

を加算した金額とされており、右有価証券売却益、受取手数料収入及び受取利息収入が被告会社のほ脱所得として認定されないこととなれば、ほ脱所得はマイナスとなる関係にあることが明らかである。

第二 事実の誤認について

原判決は、前記有価証券売却益、受取手数料収入及び受取利息収入のいずれについても、これらが被告会社に帰属する旨認定しているが、本件争点たる株式については、被告会社は、これを買入れたことも、売却したこともなく、従ってその売却益が被告会社に帰属するいわれは毫も存しないのみならず、受取手数料収入も受取利息収入もいずれも被告会社に帰属するものではない。ところで、原判決が認定するほ脱所得の内訳は、前記第一記載のとおりである。従って、有価証券売却益等がいずれも被告会社に帰属しない以上被告会社の対象期におけるほ脱所得金額はマイナスであって、免れた税額は無く、被告人らは、いずれも無罪である。原判決の右帰属に関する認定は、いずれも明らかに証拠の取捨選択ないし価値判断を誤った結果、重大な事実の誤認をおかしたものである。

一 本件株式の売却益の帰属主体について

1 はじめに

本件のいくつかある争点のうち最も重要な争点は、昭和五五年五月三〇日付株式譲渡契約書記載の契約が、喜田幸治及び被告中央産商有限会社(以下「被告会社」という。)との間に真正に成立したものであるか、あるいは弁護人が主張するように通謀虚偽表示によるもので、架空の契約であるか否かである。原審は同契約が真正に成立したものとし、本件株式八九万四〇〇株については、被告会社に帰属するものであること、そしてその取得原価は同契約書記載の譲渡代金額である九、三〇〇万円であるとしてほ脱額を認定している。

仮に弁護人主張のように、同契約書が当事者間の通謀虚偽表示により作成されたものであれば、本件株式中八九万四〇〇株については、いつ、どの時点で、誰が、いくらで取得したものであるか証拠上まったく不明となり、検察官の公訴事実を認定しえなくなるものであることは論をまたない。

そして、原判決は「本件株式譲渡契約書の記載内容どおりの事実を認めることができる。」(原判決一八丁裏七、八行)ことの根拠として

<1> 株式譲渡契約書が存在していること

<2> 右契約書の作成の手続きについては、弁護士が立ち会い、被告人種子田及び喜田の意思の確認を取ったうえ、当事者及び立会人の記名押印がなされ、公証人の確定日付を受けていることなど慎重な配慮が払われており、作成手続上の情況的な信用性が認められること

<3> その記載内容についてもその文言の上で債権担保目的でなされたことを窺わせるものがないこと

<4> 右契約書を根拠として被告人種子田及び喜田は本件株式が喜田の財産に帰属しないとして伊勢開発の破産手続を終了し、債権者の追及を免れたこと

<5> 喜田は、本件株式の旭硝子への譲渡に対しさしたる異議も留どめておらず、また、伊勢開発の破産手続終了後も前記精算義務履行の民事訴訟を提起するまでは、負債整理資金と本件株式譲渡代金との精算処理を求めていないこと

<6> 被告人種子田は、旭硝子への本件株式の譲渡の交渉段階、喜田から提起された民事訴訟における応訴の段階、国税当局の査察調査の段階、検察官の取調段階の各時点を通じて右契約書を根拠として被告会社が本件株式を喜田及び大和久から買い受けて旭硝子に譲渡するものである旨ほぼ一貫して表明しており、本件第一三回公判以降に至るまで喜田に対し精算手続をとる姿勢は全くしめさなかったこと

<7> 被告会社の経理面及び税務申告面のうえで、被告会社が本件株式を取得し、被告会社に本件株式売却益が帰属する旨の処理がなされていること

<8> 被告人種子田の本件第一三回公判以降における供述が信用できないこと

をあげている。

しかしながら、原判決の認定は証拠の採否、検討において、極めて杜撰であり「記録を逐一検討し」(原判決二八丁表一二、一三行)たとは到底思えないものである。個々具体的には、のちに項目をわけて詳論するものであるが、あえてここでいくつかをとりあげる。

例えば、伊勢化学の株式の帰属主体及び取得原価を認定するに当たって原判決は、「本件株式譲渡契約書の記載内容どおりの事実を認定することができる。」と断定している(原判決一八丁裏七、八行)。

同契約書の記載によれば、第一条に、「昭和五五年五月三〇日現在甲の所有する伊勢化学工業株式会社の株式八拾九万株(別紙株式目録のとおり)を、甲は昭和五五年五月三〇日に売買価額金九、三〇〇万円にて譲渡し、乙はこれを譲り受けるものとする。」とある。

同契約書によれば、譲渡の対象となる株式は「八拾九万株(別紙株式目録のとおり)」となるところ、同契約書添付の株式目録記載の株数を、単純に合計すると九一万四〇〇株となり、また、同目録に重複して記載された分を除くと、八八万九、四〇〇株となる。いずれにしても、本文記載の「八拾九万株」と「(別紙株式目録のとおり)」との表現とは一致しないのである。

そうすると、一体、原判決のいう「本件株式譲渡契約書の記載内容どおりの事実」とは、何株についての売買の事実を指すことになるのか、不明というほかなく、原判決には、判決に影響を及ぼす理由不備があることは、明らかである。

次に、右譲渡契約書には、売買対象株式は「甲の『所有』する株式」と記載してある。

しかるに、原判決は、喜田から被告人種子田を介して旭硝子に譲渡された株式の内には、名実ともに喜田の「所有」していた株式のほかに、喜田富美子ら喜田以外の名義の株も混在していた事実を認定しているのである(原判決二一丁裏一〇、一一行)。

そして、原判決は、大和久株については、大和久が「所有する」株と明記する一方(原判決一二丁裏九行)、喜田株については、喜田の「保有」する株(原判決一〇丁裏三行、一一丁表一〇行、一三丁裏二行、二〇丁表一一行、二〇丁裏三行、二一丁裏四行、六行、二二丁表九行、一〇行、二七丁裏五行)あるいは喜田が「管理していた株」(原判決二一丁裏一三行ないし二二丁表一行)と表現しており、明らかに「所有」と「保有」とを異なる意義を有する言葉として使い分けているのである。

原判決の一八丁裏七、八行の説示によれば、甲(喜田)の「所有する」株式と記載された本件株式譲渡契約書の記載内容どおりの売買の事実があったことになるはずであるのに、原判決の他の多くの部分では、前記のとおり、喜田の保有する株式についての売買が行われたことを説示しており、しかも、原判決は「所有」と「保有」の法律的意味の違いを認識していながら、これについて何らの説明を加えていない。

更に、原判決は、その七丁裏八、九行において、伊勢化学の株式「九三万三、〇〇〇株」をもって「以下『本件株式』という。」と自ら定義しておきながら、右定義とは異なり、その一部である大和久株を除いた残余の株式のみを指す場合にも、不用意にも、「本件株式」なる表現を使っていたり(一七丁裏六行、一八丁裏四行、一九丁表一二行)、主語と述語の対応が不明確等、原判決の用語・行文は杜撰であって、それが自称するように「記録を唯一検討」(二八丁表一二、一三行)し、「弁論要旨を逐一検討」(二八丁裏八、九行)したものとは、到底言いえないものである。

また、譲渡契約書の文言上、債権担保目的でなされたことを窺わせるものがない等の理由も債権者対策のために通謀虚偽表示で作成した譲渡契約書であれば、当然のことであり、むしろ債権担保の趣旨を窺わせる文言があればその目的を達しえないのであって、同趣旨を窺わせる文言が無いことは本件について譲渡契約の存否の判断の根拠となりえないことは明らかである。

また、「譲渡契約書を根拠として被告人種子田及び喜田は本件株式が喜田の財産に帰属しないとして伊勢開発の破産手続を終了し、債権者の追及を免れた」との記述についても、原審が本件事案を正確に把握していない証左ともいえる。すなわち、破産申立をしたのは伊勢開発という法人であって、喜田個人ではない。そして本件株式は喜田やその親族また拓殖らの個人所有のものであって、その破産手続とは直接に関係がなく、「本件株式が喜田の財産に帰属しないとして伊勢開発の破産手続を終了」したとの認定は何ら根拠がないものである。

その他原判決の認定根拠については項目別に反論を加えるが、総じていえば、原判決は、検察官の公訴事実をそのまま認定することを大前提として、それに添う根拠らしき事項を列記し、弁護人の指摘する種々の合理的疑問点にあえて目をつむり無視したとしか考ええないものである。

被告人種子田は、原判決指摘のとおり捜査段階、また第一回公判においても本件公訴事実を認めていたにもかかわらず、第一三回公判における更新手続中の被告人の認否の段階で否認した。このような被告人の態度は、一面からみれば不埒であり信用しえないものとなる。しかし、手広く事業をし、また多数の社員をかかえる者として、その都度、いろいろな弁明をすることはあながち無理からぬところであるし、また第一回公判において公訴事実を認めたことも、第一回公判で公訴事実を認め検察官申請の書証を認めてその取調べが済まない限り保釈が許可にならないという事情(保釈における原則と例外の逆転化現象と云われている)に鑑みると、被告人種子田にも同情しうる余地があると思われる。しかし弁護人の言わんとするところは、およそ刑事裁判の使命は被告人の弁解がいかに変転しようと、それをもって事案の成否を決するのではなく、あくまでも証拠を精査したうえで、客観的公正に判断し、実体的事実の発見につとめるべきものであるはずであるということである。

また、刑事裁判所は検察官の処理に対して、刑事訴訟法の本旨にのっとって、疑わしきは罰せずの大原則のもと、十分なチェック機能をはたさなければならないものであるということも言うまでもない。

弁護人は、客観的証拠関係から判断して検察官の本件起訴は明らかに誤りであったと確信している(仮に捜査段階において検察官が捜査をつくし、現在弁護人が指摘するような金銭の流れ、帳簿処理の情況等々の事実を掌握していたとすればかかる起訴にはならなかったと思料する)。

控訴審におかれては、弁護人の主張につき客観的証拠と照合しながら虚心坦懐に検討を加え、実体的事実の発見につとめられることを切に願うものである。

以下詳論する。

2 昭和五五年五月三〇日付株式譲渡契約書は、架空であり、喜田幸治と被告会社との間に右売買の合意が成立したことはない。

(一) 株式譲渡契約書について

(1) 株式譲渡契約書の体裁および内容

原判決は、「株式譲渡契約書(以下、『本件株式譲渡契約書』という。)が存在しているところ、右契約書の作成の手続については、弁護士が立ち会い、被告人種子田及び喜田の意思の確認を取ったうえ、当事者及び立会人の記名押印がなされ、公証人の確定日付を受けていることなど前記のとおり慎重な配慮が払われており、作成手続上の情況的な信用性が認められる。」(原判決一七丁裏七行ないし一三行)と形式的事項を列記して簡単に右株式譲渡契約書の真正性を認定してしまっている。

しかし、右株式譲渡契約書が現存することは事実であるが、左のとおり、同契約書の体裁および内容は極めて杜撰であり、真実の高額取引のため、真摯に作成されたものとは到底考え得ない。

ア、譲渡の目的物であるはずの株式の目録が白紙であった

株式の譲渡契約において最も重要な事項の一つに、譲渡目的物である株式の特定があるが、本件譲渡契約書には「株式目録」と表題が付された目録用紙が五枚添付されているものの、右譲渡契約書作成当時右目録用紙は白紙であった。

右譲渡契約書には、公証人藤原高志の昭和五五年五月三〇日付確定日付の証印および契印が押捺されているが、最後の二枚の右目録用紙には何らの記載が存しないに拘らず右契印のみ存することが明らかである。右譲渡契約書作成当時右目録用紙に既に目的たる株式の記入がなされていれば、最後の二枚は全く不要であることが明らかなのであるから、右譲渡契約書に添付することなど断じてあり得ないところである。しかし、現実には、これらが添付され、しかも確定日付の契印まで受けているのである。

イ、右譲渡契約書の作成日付および本文第一条中の日付・株式総数が空欄のまま作成され、後日鉛筆で補充されたままに終わっていると判断される。

右譲渡契約書の原本は、押収されているが、検察官提出の検察官調書の末尾にその写しが添付されているのみでその原本は原審公判廷に顕出されていない。従って、右補充部分が鉛筆書きであることを確認できないのであるが、被告人種子田は、原審公判廷において、「後から私が鉛筆で書いていると思います」「鉛筆だと思います」旨明確に供述している(第一七回公判における被告人種子田の供述)。これに対し、検察官は、この点につき何等の反対尋問もせず物証の取り調べ請求もしていない。この物証は、本件争点に関する最も重要な証拠であるに拘らず、検察官がこのような態度に出るということは、被告人種子田の右供述が真実であるからではないかと推認されるのである。

ウ、株式総数の欄は、手書きであるのに、売買代金額の欄がタイプされているということは、極めて不自然である。

およそ、株式の売買というものは、一株の単価が取り決められてこれに株式数を乗じて売買代金額を算出するという交渉過程を経るものである。従って、株式総数が不分明であれば、売買代金額も必然的に確定しえないことは論をまたない。本件においては、株式総数の欄は、手書きであるから、弘中弁護士の事務所においてタイプされた時点においては、正確な株式総数が把握されていなかったものと考えざるを得ない。被告人種子田もその旨供述している(前同公判廷における供述)。ところが、売買代金額の欄は「9300万円」とタイプされていることが、証拠上明らかである。この事実は、本件譲渡契約書が、株式の単価を全く定めることなく売買代金額が記載されたことを物語っており、真実売買が行われたものとすれば極めて不自然かつ不合理なことである。

右の点から窺われることは、喜田幸治と被告人種子田との間において、売買代金に関するネゴシエイションが全く存在しなかったということである。この点につき、喜田幸治は、原審公判廷において、証人として、「(この株式譲渡契約書は)五月三〇日、中央産商の社長室で見ました、そのときが初めてです。事前に、契約書の内容は聞いておりませんでした」(喜田幸治の代一四回公判における証人尋問調書)、「種子田さんとの間で、一株いくらにしようという話は、出ていません」(同証人の第一一回公判における証人尋問調書)、「(五月三〇日、中央産商の社長室に行ったとき)そのときに、(被告人種子田から)聞かされた内容を申し上げますと、九、三〇〇万円のうちの八、〇〇〇万円というのは後日江戸さんの株をひきとると、八、〇〇〇万円で・・・・それは確か六日か七日だったと思います。それから一、三〇〇万円は、同日に手形が回ってきて、その手形決済に一、三〇〇万円を使って、それを合わせて九、三〇〇万円ということにしよう、というように聞かされました」旨(前回調書)証言している。右喜田証言は、要するに、本件譲渡契約書調印より前には、書面の記載内容を知らされておらず、従って、代金額も知らされていなかったこと、調印の場で初めて九、三〇〇万円という金額が記載されていることを知ったこと、その際、被告人種子田から右金額とした次第を前記の如く聞かされたこと、一株いくらという単価については勿論代金額についても何らネゴシエイションが存在せず、被告人種子田が一方的に定めたものであることを証言しているのであり、本件譲渡契約書の前記不合理さを充分説明する首肯し得る証言である。

ところで、架空の契約書であるとしても、一株の単価を定めた上総代金額を算出した方が外形上自然な訳であるのに、何故本件の如き結果になってしまったのかという点について検討すると、被告人種子田の供述によれば、「(弘中先生に株式譲渡契約書の作成をお願いしたとき)、金額も分からんものは書けんと、売買契約書で金額のないものは書けんということで、……弘中先生は真実のものと思って作ってくれたんでしょうけれども、私自身は架空なものですから金額は言えない状態でしたけれども、とにかく金額も分からないようなものは作れないと言われたものですから、とっさに八、〇〇〇万円江戸さんに払う金と、月末に一、三〇〇万円要ると、それは引受けていましたから、その分を合わせて、とっさに九、三〇〇万円と言ってしまった訳です」「喜田さんとの相談もなく、とっさに弁護士さんに言ってしまった訳です」(第一七回公判における被告人供述)旨供述しているとおり、弘中弁護士とのやりとりの中で、偶然にそのようになってしまった、ということが真相と思料されるのである。

ところで、検察官提出の供述調書等を検討してみても、右の点については、格別特段の合理的事情を看取し得ない。弘中徹の検察官調書(甲四七号証)の中には、本件譲渡契約書の作成状況が記載されているが、同書には、単に右作成の客観的経緯の記載がみられるだけで、前記喜田証言、被告人種子田供述に矛盾する点は認められないのみならず、右特段の事情の存在を窺わせる記載もない。

喜田幸治の検察官調書(甲第二〇号、二九号、三七号証)にも、本件株式はあくまでも預けたもので、契約書は「売買したことにしよう」と言われて作成した旨の記載があるだけで、代金額を交渉した場面の存在を窺わせる記載は全く存しない。

エ、本件株式譲渡契約書は、二通作成されたが、売主とされる喜田と買主とされる被告会社の双方が所持することなしに被告人種子田が二通とも保管していたところ、本件査察調査に際しいずれも押収された。

高額の株式の売買が実際に行なわれたものとすれば、売主・買主の双方がこれを所持するのが、我が国経済取引における常識である。ところが、本件にあっては、喜田及び被告人種子田が一致して証言するとおり、喜田は、はじめからこれを受領せず保管していないのである。検察官調書中にも、右契約書の作成通数、保管方法に関する記載が全くみられないが、これは検察官が意図的に調書中において触れなかったものと推認せざるを得ない。喜田が保管していなかったという事実は、本件譲渡契約書が架空であることを如実に物語る。

オ、後日、補充された本件譲渡契約書末尾添付の株式目録の記載は杜撰である。

目録記載の株数を単純に集計すると九一万四〇〇株となり、本文記載の八九万株と不一致である。

目録を更に検討すると、重複して記載されているものがある。即ち、目録一万目表の千株券の九行目に

いE 〇三九 一枚 一、〇〇〇株

という記載があるが、同二枚目表の千株券の五行目に

いE 〇三四~〇三九 六枚 六、〇〇〇株

という記載があり、「いE〇三九」という記番のもの一枚が重複している。更に、同目録一枚裏の一万株券の欄の一乃至二行目の

いF 〇二三 一枚

いF 〇二四 一枚

という記載は、同二枚目一万株券の欄の四行目

いF 〇二三~〇二四 二枚

という記載と重複している。

右重複に係る二万一、〇〇〇株を差引くと、合計株式数は、八八万九、四〇〇株となり、やはり、本文記載の株数と一致しない。

そこで、弁三三号証の伊勢化学の株主名簿と右目録の記載を突合してみると、右株主名簿には、喜田一族が当時所有していた株式中に「いE〇三九」という記番号の株式は全く存在せず、その代り、千株券

いE 〇四九 一枚

が喜田正子において所有されているのに、右目録に記載されていないという事実がある。

また、右株式目録中に記載されている

へE 〇〇七九 千株券一枚

はE 〇〇二五~〇〇二八 〃 四枚

にE 〇一七二 〃 一枚

ろE 〇六九七~〇六九八 〃 二枚

はE 〇〇二九 〃 一枚

にE 〇一六二 〃 一枚

へE 〇〇六五 〃 一枚

〃 〇〇六七 〃 一枚

〃 〇〇八〇 〃 一枚

いE 〇〇三六~〇〇三八 〃 三枚

にE 〇一六三 千株券一枚

へE 〇〇六六 〃 一枚

にC 〇一七三~〇一七五 百枚券三枚

ほC 〇〇六七~〇〇七二 〃 六枚

〃 〇〇九九~〇〇一〇二 〃 四枚

にC 〇一四二~〇一四五 〃 四枚

〃 〇一七〇~〇一七二 〃 三枚

という記番号の株式合計二万株は、当時、喜田側の人間ではあるが一族ではない拓殖竹子が所有していたものであることが、株主名簿の記載から明らかとなっているが、右二万株は、旭硝子側に売却されていない。右二万株は、被告人種子田において、昭和五六年一月ころ、右拓殖から買取り、同五六年七月以降、丸益通商株式会社、富山勝治、古里盛雄、多田静夫、中物産、尾崎清光等の名義に順次名義書換をなし、現在では、すべて丸益通商の名義に集約されているが、本件査察に際し右株券はすべて押収され、現在、検察官の手元にある。なお、右二万株は、その後の株式配当により増加し、現在では、三万四、一五五株となっている。

右のとおり、前記株式目録には、拓殖の二万株が記載されているが、この二万株は、旭硝子には渡っていないことが明らかである。してみると、旭硝子には、一体何株が渡ったのか、もし九三万三、〇〇〇株が渡ったものとすれば、右二万株の代りに一体誰のどの株が渡ったものであり、その取得経路と原価はいかなることになるのであろうか。前記のとおり一、〇〇〇株不足する分についても同様の疑問が残る。

いずれにしても、ことほど左様に本件株式目録は、杜撰極まりないものであり、到底実際に株式売買を行なおうとする者の作成するような代物とはいえない。

カ、本件株式譲渡契約書末尾添付の株式目録には、明らかに喜田幸治の所有に属さない株式が含まれている。

前記オ記載のとおり、右株式目録には、拓殖竹子所有の株式二万株が含まれており、同株式は、喜田幸治が証言する如く、単なる名義上右拓殖となっているものではなく、実質上も右拓殖のものであって、右喜田には、何らの処分権限もないものであった(喜田幸治の第一二回公判の証人尋問調書)。

右拓殖の二万株を別として、いわゆる喜田一族の株式と一口に言われるものも、その全てが実質上喜田幸治が所有するものではない筈である。何故ならば、伊勢化学は、同人が創業したものではなく、同人の父が創業したもので、その後同人及びその兄弟が経営を承継したものであるから、少くとも、右父親から兄弟が相続により承継した株式は、当該兄弟及び更にその一般承継人に帰属する筈である。少くとも、これを買受けようとする者は、右の点に意を用い、実質上の権利者の承諾を受けようとする筈である。

しかし、本件一件記録上、そのような形跡は全くみられない。宮崎工場を分割して事業を経営しようとするため株を取得しようとする者が、かようないい加減な対応をする筈がない。現に被告人種子田は、旭硝子に売却後、その名義人の一人である喜田富美子らには、後日、株式代金を支払って後始末をつけている。

この事実に対して、原判決は「被告人種子田が後日右株の名義人に金銭の支払いをしたとしても、それは旭硝子に対する本件株式の譲渡による利益の分配金あるいは喜田から右名義人の意向を聞かされるなどした被告人種子田ひいては被告会社の拓殖らに対する贈与的支出であり、当該株式譲り受けの原価とはならない」(原判決二二丁表三行ないし八行)と記述している。

しかし、原判決認定のように、昭和五五年五月三〇日に真正な株式売買がなされたとすれば、何故に名義人に対して被告人種子田が利益の分配金あるいは贈与的支出をしなければならないのか、その合理的根拠、証拠はなにか。原判決は、その理由、根拠をまったく摘示しないまま、かかる認定をしているのであり、まったく理解に苦しむものである。

客観的証拠関係からして到底合理的理由の見いだせないこの利益分配、あるいは贈与的支出説と、弁護人が当控訴趣意書においてるる説明する各事項とを比較すれば、いずれが不合理であるかは、歴然とするものであり、弁護人の通謀虚偽表示による譲渡契約であったとの主張が実体的真実に合致するものであることが理解されると信ずる。

キ、株式譲渡契約書は作成されたが、対応する株券の移動はない。

一般に、株式の譲渡は、その旨の合意と株券の引渡によってなされるが、本件にあっては、四〇万株は、事前に全く別異の理由、即ち、援助資金の金策の担保に供されるべく被告人種子田に引渡されており、残りの四九万四〇〇株(実際の株数は前記オ記載の諸点から四九万四〇〇株ではないと思われるが、便宜上このように表示しておく)は、この時点で江戸英雄の下に喜田の借入金の担保として預け入れられていたものである。本件においては、株券の移動と無関係に、単に前記株式譲渡契約書のみが作成されているだけである。検察官主張のように長年の夢を実現する、即ち実業の世界に進出するための株式の取得であるとすれば、株券の移転と符節を合わせて慎重に契約書を作成する筈であろう。

ク、本件株式譲渡契約書には、明らかに無用の条項がある。

伊勢化学の株式については譲渡制限は存しない。にも拘らず、本件株式譲渡契約書第三条には、右制限の存在を前提とした承認条項がある。これは、伊勢化学の分割を計画していたとの検察官の主張を前提とすれば、極めて不自然である。右分割に強い意欲を持ち、そのために株を取得しようとする者が、当該会社の法人登記簿乃至定款すら閲覧しないということは考えられない。これらを閲覧していれば、右制限の有無は、すぐ判明する。従って、前記承認条項の存在は、被告人種子田が、当時、法人登記簿や定款すら点検していなかったことを物語るといわざるを得ない。

しかも、右契約書の末尾の署名押印の承認者の欄をみると、サインが手書きで代表取締役印さえ押捺されていないのである。

承認権は取締役会にあるので、右第三条が直ちに効力を有することは法律上はないが、当時弘中弁護士によって右のようにタイプされた以上、被告人種子田としては、右承認者の欄も法的に必要なものと信じていたものと考えられる。然るに、右のとおり押印がないままとなっている。右契約書が実際の契約書であれば、同所に押印を求めずにこれを放置することはあり得ないところである。

ケ、本件株式譲渡契約書によれば、買主の要求あり次第株式の名義変更が可能であるものと敢えて明記されているに拘わらず、実際には、全く名義変更がなされていない。

被告人種子田が大和久正己から購入した四万二、六〇〇株については、後記のとおり、同被告人は、昭和五五年のうちに名義書換を了し、同年末の中間配当金を受領しているのに対し、右譲渡契約書の対象たる株式については全く名義変更がなされていないのみならず、右中間配当金も喜田幸治において受領されているのである(被告人種子田の第一八回公判における供述)。仮に、右株式が実際に買取った株式であれば、しかも伊勢化学の宮崎工場の分割を受ける目的で買取ったものであれば、直ちに名義変更を了した上、被告人種子田において、被告会社の名において直ちに旭硝子との間で分割の交渉を開始すべきが当然である。しかし、名義変更も、右のような形での交渉も全くなされていないのである。

(2) 売買代金とされる九、三〇〇万円について

株式売買代金額とされている九、三〇〇万円という金額は、余りにも低きに失し、この金額で売買の合意が成立することは考えられない。換言すれば、喜田側がこの金額で売却することは全く考えられない。

ア、当時における伊勢化学の資産・収益等の状況は極めて良好であり、一株当たりの評価は桁違いである。

伊勢化学工業は、昭和二三年六月ころ法人成りした株式会社でヨードの製造販売を業としてきたが、国内における市場占場率が三五パーセントで、生産額の九〇パーセントを輸出しており、世界的に競争相手が少なく、企業としては安定した部類に属する状況にある。この長期間において赤字を計上したことは、前後二回・短期間のみであり、この赤字も石油ショック等に起因する外的要因によるものであって短期間のうちに対応策を遂げ赤字から脱却しているなど、その企業の体質には強じんなものがあり、今後とも安定成長が望める有望な企業である。そうであるからこそ、旭硝子が途中から資本参加して役員を派遣していたのみならず、本件株式が相当な高額であるにも拘らずこれを取得し、その経営支配権を手中に納めようとしたものである。

具体的に、右会社の業況を数字でみてみると、次のとおりである。

総資産 約六九億七、五一一万円

総負債 約五一億七、三七七万円

売上額 約八八億六、一七五万円

経常利益 約一六億〇、六六七万円

税引前当期利益 約一五億四、七八〇万円

(以下昭和五五年度決算、弁第三一号証)

発行済株式総数は、当時四〇〇万株であるから、税引前当期利益の一株当たりの金額は、約三八七円となり、税引後の当期利益六億九、二八〇万二、五二二円の一株当たりの金額は、約一七三円となる。資産をみても、それぞれ広大な工場敷地を有しているから、その含み資産は相当額に上る筈である。

理論上、配当しようと思えば、一株当たり毎期約一七三円近い高配当が可能な高収益な株式会社である。

イ、伊勢化学という会社の経営支配権については、前記のとおり旭硝子がこれを手中に納めたがっていたものであり、喜田幸治としては、真実喜田側の八九万四〇〇株を手放す決心をするならば、自ら直接旭硝子に九、三〇〇万円をはるかに超える高額で売却し得た筈である。喜田からこの旨持ちかけられれば、旭硝子は、一も二もなく買取ったことは、事案の経緯に鑑み明らかである。

ウ、検察官の主張によれば、本件株式譲渡は、代金九、三〇〇万円の単純な売買とされているが、被告人側から伊勢開発に対する一連の資金援助・負債整理と完全に切り離して、喜田が九、三〇〇万円で本件株式の単純売却に応ずることなど全くあり得ないことである。

喜田幸治が原審公判廷において証言するとおり、同人の収入は、伊勢化学から得る役員報酬・賞与と株式配当金のみで、保有資産には、本件株式を除けばさしたるものがなく、自宅も借家であるから(検察官の反対尋問に対する証言)、本件株式を売却すれば、同人は丸裸になると表現しても過言ではない。

一方、伊勢化学は、前記のとおり、毎年十数億円の利益を生み出す会社である。喜田幸治にとって、本件株式は、財産を生み出し得る唯一の源泉であり、命の次に大事なものである。しかも、喜田は、正当な方法ではないが、伊勢化学を運営する過程において、多額の金員を捻出し得る方法を熟知していた。例えば、その一は、昭和五五年七月七日ころ、喜田幸治の指示により出金された二、三〇〇万円がある。これは、伊勢化学が、株式会社にっさくに対し、宮崎工場の架空杭井工事を発注した形式をとって、右工事代金名下に株式会社にっさくに金員を支払った形をとり、この金員を被告人側に渡したものである(甲第三四号喜田幸治の検察官調書)。その二は、昭和五五年六月一日付「一手販売に関する基本契約」である。これは、伊勢化学が販売するヨードを、必要もないのにカラブリアン・ジャパン社を通すことにして取引額の五%を同社に取得させ、その半分を被告人側の丸益産業に支払わせて取引させるというものである(甲第三〇号喜田幸治の検察官調書)。現に丸益産業は、昭和五五年七月二八日から翌年二月三日までの間、前後九回にわたり、合計四一二万円をカラブリアン・ジャパン社から得ている(甲第四三号有賀延興の検察官調書)。その三は、カラブリアン・アメリカからの借入である。これは、喜田幸治の口ききによって、約四億円を借入れることに成功したものであるが、形式上は無担保である。しかし、無担保、かつ、無条件で米企業が四億円もの金員を貸出すことはあり得ないのであり、これは、恐らくヨードの輸出価格を将来同額相当値引するとか、幾らかのマージンを与えるとか何らかの隠れた約束がなされたに違いない。何となれば、その後、返済がないのに、催促等のトラブルが発生した形跡が全くないからである(甲第三〇号喜田幸治の検察官調書、甲第四三号証有賀延興の検察官調書)。なお、ここで重要なことは、喜田において、その口きき一つで四億円もの金員をいとも簡単に金策し得たという点である。その四は、本件受取手数料絡みの鉱区の件である。これは、喜田幸治が、被告人種子田に利益を得させるべく、すでに伊勢化学において出願準備済みの鉱区の一つを同被告人側の名で申請させたものであり、ゆくゆくは、伊勢化学が同所に工場を増設する際高価に買取るか又は借上げる形にして、売買代金又は使用料名下に金員を被告人側に与えようとしたものである(被告人の原審公判廷における供述)。このような一連の方法は、一種の背任的行為ではあるが、オーナー経営者の場合には蓄財方法等の一つとして世上まま行なわれがちな行為である。喜田は、右に取上げただけでも、昭和五五年の一時期に合計四億二、七一二万円を捻出した訳である。このように、喜田は、協力体制にある江戸英雄らの株式と合わせて伊勢化学の株式の半数を押さえ、その代表取締役社長の地位にあるかぎり、右程度の金員は容易に捻出し得るのである。右は被告人側のための金策であるが、気持一つで自己のために金策することも可能である。旭硝子側が副社長以下に参画していてもこの程度のことができたのであるから、伊勢化学を二つに分割すれば、更に容易になし得る訳である。

持株を失えば、右のような操作は一切なし得ないところとなる。右のような意味においても、命の次に大事なのである。

たったの九、三〇〇万円で、右のような価値ある全株を手放す者がこの世にあるであろうか。

喝取もしくは強取されたというならともかく、九、三〇〇万円で任意に売却する者など断じてあり得ない。

九、三〇〇万円で手放してしまえば、援助資金及び債務整理資金に関する十数億円に上ると見込まれる負債だけが残るのであり、喜田は、この負債の泥沼から脱出する糸口さえなくなるのである。事実売却するとすれば、これらのこれまでの負債及びこれから生ずる負債との兼ね合いが必ずや話題にならなければならないのである。代金額の決定にも右の兼ね合いが反映しなければならないのである。

エ、当時の株価に関する客観的なデータの一つとして指摘すれば、武蔵野信用金庫の下した評価が認められ、これによれば、一株当たり三、〇〇〇円とされている。

昭和五五年五月二四日付丸益産業株式会社名義の有価証券担保差入証(資料四五)の右上部分に、手書きの

というメモ記載があり、これは、担保評価に当たった武蔵野信用金庫が当時大和証券調査部にて鑑定した伊勢化学の株価評価の内容とみられ、これによれば、一株三、〇〇〇円と評価されたのである。それゆえに、二億五、〇〇〇万円の融資が実現したのである。同融資の他の物的担保たる山林は、弁五号証不動産鑑定評価書によるまでもなく、大して資産価値の認められないものであり、同融資が、専ら、本件株券の担保価値に基き実現したことは明らかであるといえる。

オ、大和久正己の株式を購入した価格は、一株当たり五〇〇円である。

大和久正己から被告人種子田が伊勢化学の株式を購入した時期は、昭和五五年六月ころと認められ、検察官主張の喜田株の取得時期と概ね同時期であるにも拘らず、大和久からの取得価格は一株五〇〇円である。八九万株を九、三〇〇万円で買ったとすると、一株当たり一〇四円四九銭強ということになるが、この株価の著しいくい違いは、極めて不合理である。

カ、旭硝子では、山一証券経済研究所に株価の評価を依頼し、昭和五五年一二月四日付の同研究所の評価書を徴しているが、これによれば、伊勢化学の株価は、一株二、三六六円である。

キ、被告人側からすれば、以上のように非常に価値ある株式であることを知っていたにせよ、知らなかったにせよ、安く手に入れるにこしたことはない訳であるが、売買は、両当事者の合意により成立するものであるから、喜田幸治に九、三〇〇万円で売却する意思が皆無である以上、被告人側の内心の動機として如何なにことがあったとしても前記株式についての売買の成立が認定される余地はない。

ク、これに対して原判決は「右株は市場に公開されたいわゆる上場株ではなく、当時右株を担保に金策しようとしても伊勢開発及び喜田の負債状況からして額面(一株五〇円)で評価した銀行等からの融資を受けることは困難な状況にあることを喜田も被告人種子田も認識していたこと、しかも、喜田は倒産必至の伊勢開発の負債整理を依頼した被告人種子田に全幅の信頼を寄せ、将来伊勢化学を二分し、その一方の経営を被告人種子田に委ねる意図を表明して右株を譲渡したことを併せ考えると、右株の譲渡代金が九、三〇〇万円であることもあながち不合理とはいえず、右代金額をもって喜田は右株を単に預けただけで譲渡したものではないとはいえない。」と判示している。しかし、前記のとおり実際には本件株式譲渡契約書作成の直前に、武蔵野信用金庫から右株四〇万株(八九万四〇〇株ではない)を担保にして二億五、〇〇〇万円の融資を受けているのであるし、喜田が旭硝子宛に右株を売却する意向を表明すれば旭硝子側は直ちに高額をもって買受けたであろうことも前記のとおりである。また喜田が「将来伊勢化学を二分し、その一方の経営を被告人種子田に委ねる意図を表明して右株を譲渡した」との認定も明らかに誤認であることは、別項で詳論するが、およそ喜田が自己の持ち株を譲渡してしまえば会社のオーナーではなくなるのであるから被告人種子田に「経営を委ねる」ことなどが出来るわけがないことである。

原審は、あえて証拠にもとずく真相の究明を放棄しているとしか考えようのない認定である。

(3) 株式譲渡契約書を作成した喜田幸治側の理由

喜田幸治が、架空の株式譲渡契約書を作成するについては、当時の喜田幸治及び伊勢開発をとりまく状況の中で、その必要性と必然性があったものである。

すなわち、伊勢開発は、親会社である伊勢化学の人員整理の受皿会社として設立され、土木工事の受注、排水処理の機械を販売することなどを営業目的としていた。設立当初、伊勢化学は郡山化成株式会社に売却したプラントの据付工事を請負ったが、赤字となり、その後、山梨県上野原の山林から砂利を採取して販売しようと計画したが失敗、その他足利寺自然公園墓地造成工事を受注するため業者に多額の紹介料を支払ったり、共輪寺納骨堂設立計画を進めるに当たり、立替金、謝礼や手形貸付などで多額の出資をしたりして、出費ばかりを重ねていった。

このように土木関係の仕事は話しとしてはあるが、まとまらなかったり出費ばかりを重ねて、会社経営を悪化させるばかりのものであったため、喜田幸治は、会社運営上の経費を生み出すため商品売買を行うこととし、第二営業部を開設し、「くらしのポール」というアルミ製の室内装飾品を販売することにしたものである。

しかし、この「くらしのポール」についても、販売総代理店となるための保証金、仕入代金、前払金などで、一億円以上をつぎこんだが、その商品は、ほとんど、売れずに更に赤字を増大させていった。

そして資金繰りのため、融通手形の交換、手形借入れ、更には鰻などの商品を手形で仕入れてバッタで売るなどして会社経営はいわゆる火の車の状態で自転車操業をしていたのである。

すなわち資産として決算書に計上されている受取手形、売掛金、仮払金、前払金のほとんどが回収不能や架空のもので実体のないものであり、伊勢開発は設立当初から営業による収入は殆どといってよい程無く、ただ出費を続けて赤字を増大させていたのである(甲一三六、破産管財人報告書など)。

被告人種子田が伊勢開発に融資をした最初は、昭和五五年一月で、それは全く別のルートで手形割引をしたものであるが、同年二月からは、喜田幸治からの依頼で融資をはじめ、その金額は当初三、〇〇〇万円であるが、この時期には既に伊勢開発はいつ倒産しても不思議ではない状態であった。しかし、喜田幸治はそれを隠して、優良企業である伊勢化学の社長であることを背景にして被告人種子田に近づき、被告人種子田から次々と金を引き出していったのである。そして後記のごとく同年五月下旬に被告人種子田は、右伊勢開発の経営の実態を知ったわけであるが、その伊勢開発及び喜田幸治の実情を有賀延興が伊勢化学の株を預かる際の事情として当公判廷で次のように証言している。

「喜田さんがお持ちだった全株だとおっしゃった株式を一時私預かっておりました。それは当時喜田さんが非常にいつ何が起きるか分からんと、暴力団に追っかけられて家にもいられないというようなお話だったので、危険だから私がお預かりしましょうと、私の自宅に大きな金庫がございますので、その中に入れてお預かりしていました。」

この有賀証言にある伊勢化学の株を預かった時期については具体的に証言がないが、この株は、江戸英雄から昭和五五年五月六日に喜田幸治が返還を受けた四九万株のことではなく、武蔵野信金江古田支店に質権設定された四〇万株のことと認定できるものである。

ところで資料三九の貸付稟議書によれば、伊勢開発が武蔵野信金江古田支店に二億五千万円の借入申込したのが昭和五五年五月七日になっており、さらに同稟議書には「担保拘束方法その他条件」欄に、「別紙有価証券四〇〇千株質権設定」と記載されている。また被告人の原審公判廷における本人尋問の結果でも、喜田幸治より株券四〇万株を預かったが、その時期は昭和五五年四月に五、〇〇〇万円を貸付けた際で、事実上の担保として預かったものであり、武蔵野信金江古田支店から伊勢開発名義で二億五千万円を借り入れるにあたり同支店に喜田幸治とともに右株券を持参して、銀行員に右株券を見せた旨を供述し、喜田幸治も原審公判廷では武蔵野信金江古田支店から伊勢開発の名義で二億五千万円を借り入れる際、同支店へ行き、被告人が右株券を銀行員に見せていた旨それに照応する証言をしている。ということはおそくとも昭和五五年五月七日以前に有賀延興は喜田幸治から預かった株を喜田幸治に戻しており、喜田幸治はそれを被告人種子田に渡したものであるから、有賀延興の証言する「喜田が暴力団に追いかけられて家にもいられない」状況というその時期は、昭和五五年四月頃とみれば間違いないと思料される。

また、上原鹿蔵証人は、伊勢開発の負債につき、「当初は三億かそこらと思っていたんですが、それがだんだんと整理していくうちに商品を買ってきてはバッタで売ったりなんかしましたから十六億ぐらいになっております」と証言している(昭和六二年九月一六日付証人尋問調書)

さらに福元公成が当時記載していたと認められる手帳(昭和六一年一二月一八日付福元の検察官調書添付資料、以下福元手帳という)の昭和五五年五月二一日欄には、「伊勢開発手形乱発、数億円か」との記述があり、大蔵事務官作成の負債整理資金使途調査書では、同年五月二六日に被告人が弘中弁護士に弁護費用として一〇〇万円を支払っていることが明らかである。この事情について被告人種子田は、原審公判廷で「喜田らの話ではこの当時伊勢開発は三億五~六、〇〇〇万円位あれば会社を維持できるとの話であり、また伊勢開発の手形を同社の社員であった三前、高柳らにパクられた(詐欺)との話だった。そこでパクられた手形については弘中弁護士に依頼して刑事告訴することにした」旨の供述をしている(昭和六三年八月二四日付本人尋問調書)。

事実、弁護人が弘中弁護士より提供を受けて、原審公判廷に証拠として提出した弁四〇号証昭和五五年六月付告訴状、弁四一号証昭和五五年六月付告訴状、弁四二号証昭和五五年六月三日付手形パクリ屋等にかかわる手形詐欺事件図では伊勢開発が高柳節夫、三前栄造、吉川太兵衛、柴田悦二、福井巴らを詐欺事実で水上警察署に告訴していることが認められるのである。

更に福元手帳昭和五五年五月二六日欄には「T氏タケシTeLあり、伊勢開発大詰め」、同年五月二七日欄には「T氏社長TeL伊勢開発不渡り、一九時四五分上京T氏事務所で話し合い、社長T氏弘中二時まで」、同年五月二八日欄には「八時三〇分伊勢開発(T・喜田)話し合い決裂、T事務所へ(喜田と)なだめる、夕方帰県」と各記述がある。この各記述は短文ながらその当時の伊勢開発、及び喜田の身辺の極度に緊迫した状況を如実に物語るものといえる。

この時期の伊勢開発の状況につき被告人種子田は、「予定していなかった手形が取立かなんかに回すとか回ったということだった…。自分が伊勢開発の事務所へ行き何気なく三橋の机の引出しを開けたらたくさんの手形の耳が出てきた。これは喜田、三橋らが自分には内緒にしていたものだった。驚いて、宮崎から経理担当者を呼んで整理させたところ、その手形金総額は九億四千万円余の膨大な金額になり、被告人はその実態を知ってびっくりした。」旨を供述している。(弁三八、三九号証 関東銀行、一六銀行手形一覧 昭和六三年八月二四日付及び同年九月二八日付本人尋問調書)。

また伊勢開発(新商号エービーシー土木株式会社)の破産申立事件(東京地方裁判所昭和五五年(フ)第八六号)における代表取締役上原鹿蔵の審問調書(弁四八号証)によれば、負債総額は一六億一、三三二万二、六一七円であると申し述べている。この金額は正確なものではないとしても、いずれにせよ、そのような多額の負債をかかえ四苦八苦していたのが実情であったことが認められるのである。

すなわち、融資の発行や、手形によって商品を購入していわゆるバッタで処分して当座の資金を得ること、手形割引の名目で資金を得る、支払期日の追った手形のジャンプ等々、まさに伊勢開発は倒産寸前の末期症状を呈していたのであり、一方債権者には暴力団、右翼、市中金融業者らがおり、彼らは喜田幸治を追いかけ回していた。その債権者らは当然伊勢開発の資産が皆無であることは熟知しているのであって、このような場合債権者らは、喜田幸治ら役員の個人資産や親会社とみられていた伊勢化学をねらって債権回収を計るのが常套手段である。そして喜田幸治の個人資産といえば、まさに本件の伊勢化学の株式しか無かったのであり、同株に債権者のねらいが集中することは、関係者において容易に想像されたところであると言えるのである。

事実、伊勢開発の破産申立後に喜田幸治その他の役員個人や、伊勢化学宛に責任追及がなされ、法的にも民事訴訟が次々と提起されている。

すなわち、

<1> 弁四九号証は伊勢開発株式会社債権者有志一同の作成名義での書面であり、宛先は空欄になっており不明ではあるが、文面からして旭硝子宛のものとも認められるところ、その内容は、伊勢開発は伊勢化学の事務所を使用し、隣接しており、両者の社名も並んでおり、社員も伊勢化学のOBや在籍者もおり、代表取締役も同一である。誰しもが伊勢化学と伊勢開発は完全に一体の会社と認識し、取引する側は伊勢化学が全面的に責任を負うものと判断して信用してしまう。伊勢開発は取込詐欺まがいのことをしたり、幻のゴルフ場で融資を釣ったり、そのあげくに計画倒産をした。喜田社長は刑事上、民事上、社会的制裁には潔く服してもらいたい、などというものである。まさに、伊勢開発倒産当時の同社をとりまく債権者らの見方を如実に示した資料である。

<2> 弁五三号証は、金銭消費貸借抵当権設定契約公正証書であり、債権者中森正彦、債務者喜田幸治で、債務額八〇〇万円のものであるが、これは喜田個人が公正証書に基づく債務名義のある金銭債務を負担していた事実を物語る。

<3> 弁五四ないし五六号証は、東京地方裁判所、昭和五五年(ワ)第七八三一号損害賠償請求事件の訴状等の資料であり、原告株式会社ユニヴァーサルコンサルタント、被告喜田幸治、上原鹿蔵、大和久正己で一、五〇〇万円の損害賠償を求めている事件である。その請求原因は、喜田ら伊勢開発の役員三名につき商法二六六条ノ三による取締役の個人責任を求める内容のものである。

<4> 弁五八号証は、東京地方裁判所、昭和五五年(モ)第七二三一号債権仮差押申請事件の仮差押決定書であり、第三債務者を伊勢化学工業株式会社として、同社の喜田幸治に対する基本給、扶養手当、賞与、役員報酬、退職金等に対して仮差押えをなしたものであり、弁五九ないし六二号証は、その裏付けとなる喜田幸治個人の連帯保証債務等である。

<5> 弁六四ないし六九号証は、東京地方裁判所昭和五五年(ワ)第八一〇五号売買代金請求事件の訴状、準備書面、和解調書等の関係書類であるが、これは原告丸善、被告伊勢化学工業株式会社となっており、その請求原因では、伊勢開発が原告宛に商品代金として振出した約束手形について、その支払いを伊勢化学に求めているものであり、その理由として伊勢開発は、資本構成、役員構成からしても被告会社である伊勢化学に完全に支配された子会社であるうえ、被告会社の土木、食品業務を担当した一部門として企業活動も完全に支配されている。従って、いわゆる法人格否認の法理により被告会社に対し売買代金債権を主張しうるものであると述べている。

<6> 弁七〇ないし七二号証は、東京地方裁判所、昭和五五年(ワ)第八〇九〇号損害賠償請求事件の訴状、取下書等の書類である。この事件は、原告東京エイアンドアイ株式会社、被告喜田幸治、大和久正己、上原鹿蔵、三橋繁雄、浅沼茂政、高柳節夫とする損害賠償請求事件で、請求原因では、まず、主位的請求として、被告らは伊勢開発の経営状態を知り自己破産申立をせざるを得ない状況にあって、手形を振り出しても決済する見込みがないのに、商品代金支払いのための損害を与えたもので、民法七〇九条、七一九条により損害賠償を請求するというものであり、予備的請求としては、被告らに対して、商法二六六条ノ三により伊勢開発の役員である喜田幸治、大和久正己、上原鹿蔵に対して取締役の個人責任に基づき損害賠償を請求するというものである。

このような状況から明らかなように、その当時喜田幸治は、伊勢開発にからむ問題で民事上、刑事上の責任を追及されている立場にあったものである。その喜田幸治が今後事業家として、且つ、それまでの名士という地位を保って生きていく手段としては、優良企業である伊勢化学のオーナー社長としてその地位を保つ以外に方法がないことは明らかである。反面、債権者としては喜田幸治が「命の次に大事なもの」と思い、且つ資産的価値のある伊勢化学株をねらってくることは容易に想像しうるものであった。それがゆえに、有賀延興に株券を預けて守ろうとしていたのである。

従って喜田幸治としては、被告人種子田が債権者対策のため架空の株式譲渡契約書を作成しておこうと言った時、一も二もなくその方法に賛同して同契約書に調印しているものであって、それは、喜田幸治のおかれた環境の中でその善し悪しは別として必要なことであったし、かかる架空譲渡契約書を作成する必然性もあったものである。

(4) 譲渡契約書を作成した被告人種子田側の理由

本件の架空譲渡契約書を作成することについては、被告人種子田にとってもその必要性があったものである。その事情は次のとおりである。すなわち、被告人種子田は前記の如く福元公成の紹介で喜田幸治と知り合い、喜田幸治が宮崎県下で優良企業といわれている伊勢化学の代表取締役であったことから、同人と交際をしておけば、将来何らかの商売上のメリットがあると考えて交際をはじめ、例えば、昭和五五年一月九日東京駅で喜田幸治、福元公成と待ち合わせ、共に夕食をとったあと、銀座のクラブに飲みにいく等しているのである(福元手帳一月九日欄記載)。

その後、被告人種子田の経営する丸益産業は、昭和五五年一月二九日第三者からの依頼で伊勢開発の振出手形一、〇〇〇万円のものについて手形割引をしたが、同年二月に入り、被告人種子田は喜田幸治から直接三、〇〇〇万円の融資の申込を受けた。被告人種子田としては、前記のような伊勢開発の実情をまったく知らないため、よい客がついたとの感覚でその融資申込に応じて二月六日に伊勢開発に対して丸益産業で三、〇〇〇万円を貸付けた。

ところが、その直後である同年二月中旬、再び喜田幸治は被告人種子田に対して五、〇〇〇万円の融資申込をなしてきたが、被告人種子田としては、まだ喜田幸治を疑うことをせず、その融資申込に応じて、同年二月一五日、二、五〇〇万円(但し利息を天引して手取り二、一五九万五、八九一円)、二月某日九〇〇万円、二月二〇日、一、六〇〇万円、合計五、〇〇〇万円を貸付けた(弁二八号証、伊勢開発総部長三橋繁雄名義、丸益産業宛預り証、昭和六三年八月二四日付本人尋問調書)

被告人種子田は、当時それ程資金力があるわけではなく既に合計九、〇〇〇万円の融資をしたことで、喜田幸治の要望を充分に受け入れ、これで終わるものと思っていたところ、同年三月中旬、再び喜田幸治より五、〇〇〇万円の借り入れの申込みを受け、内心どうなっているのかと思ったが、喜田幸治の説明では共輪寺納骨堂建設工事や足利寺の墓地造成工事のために資金がいるとのことであった。そこで、被告人種子田は丸益産業と取引のあった武蔵野信金江古田支店に交渉をして、伊勢開発名義で五、〇〇〇万円の手形貸付の申込をなし、丸益産業で裏保証することによって、同年三月一八日、同信金から手形貸付で五、〇〇〇万円の融資を受けさせた(資料三九、貸付稟議書の当金庫との取引状況欄記載、資料四〇、貸付稟議書、資料四二、借入申込書)。

これは、借入申込名義は伊勢開発であるが、実質的には被告人種子田、ないし丸益産業において支払保証をなしているものであって、被告人種子田ないし丸益産業の伊勢開発に対する貸付金と評価されなければならないものであった。

しかし、同年四月に入ると喜田幸治はさらに五、〇〇〇万円の融資申込みをなしてきた。被告人種子田は、この申込みにも応じて同年四月一八日から月末にかけて合計五、〇〇〇万円を貸付けた。被告人種子田は、これまでの貸付けについては伊勢開発の振出手形の割引の形で融資しており、喜田幸治あるいは伊勢開発から何らの担保も取っていなかったが、融資額も二億円近いものとなり(武蔵野信金江古田支店よりの手形貸付五、〇〇〇万円を含む)、その債権回収も心配になったことから、喜田幸治から伊勢化学の株式四〇万株を受取って、これを自己が保管することにした。被告人種子田と喜田との間で、その株式についてどのような契約になるかについて明確な合意があったとは認定しえないが、喜田幸治としても、これまでの多額の借入れにつき何等の担保も提供していなかったのであるから、伊勢化学株を被告人種子田に渡すのは実質的に担保となることは認識していたと認められ、また被告人種子田の方も、この伊勢化学株を預かることによって、実質的に担保にしようとしていたのであるから(昭和六三年八月二四日付被告人種子田の本人尋問調書)、当事者の暗黙の合意として伊勢化学株が喜田幸治から被告人種子田に担保として提供されたと認められるものである。但し、担保といっても更に法的にいかなる担保か、すなわち質権設定か譲渡担保か等についてまで当事者間に合意があったとは認められず、要は被告人種子田が預かって保管することによる事実上の債権確保の手段だったものと思われる(この点は後述する)。

いずれにせよ、この時点で伊勢化学株四〇万株は、被告人種子田の手元に来た。

ところが、この五、〇〇〇万円の融資実行の直後から喜田幸治は再び融資の申込みをしてきた。

ここにいたり被告人種子田は、あまりにも異常であると考え、これまで伊勢化学という優良企業をバックにした心配のない会社と考えてきた伊勢開発及び喜田幸治に対して疑問を抱き、伊勢開発の土木建築部門の担当者である上原鹿蔵をよんで伊勢開発の営業、経営状況を聞いた。しかし、上原鹿蔵は、自分の担当している土木建築部門の営業状況や資金需要を説明したもので、伊勢開発が前記のように多額の手形を発行したり、詐欺まがいな行為をしている商品販売部門の実情を話さないまま、今後三億六、〇〇〇万円位の資金があれば会社は正常に経営されていく旨を被告人種子田に説明し、資金援助を求めた。被告人種子田としては、右の三億六、〇〇〇万円余の資金援助によって伊勢開発が正常に経営されていくのであれば、自己の貸金の回収もできるものと思って、同規模の資金援助をすることを覚悟して、昭和五五年五月七日付で武蔵野信金江古田支店に伊勢開発名義で二億五、〇〇〇万円の運転資金の借入申込をなした。

(添付資料三九、貸付稟議書)。

同貸付稟議書の純与信額の欄には、与信額として三億円と記載されている。同借入は、昭和五五年五月二四日に実行されたが、被告人種子田は、この借入枠の中で資金運用をしながら伊勢開発に対し資金援助をするつもりでいた。しかし、その後も被告人種子田に説明していない手形が振込まれる等から被告人種子田が追及したところ、喜田幸治側から商品販売部門で手形を詐取された等の話が出てきて、それにつき弘中弁護士に依頼して刑事告訴手続きをとることにしたことは前記のとおりである。

福元手帳の昭和五五年五月二一日欄の「伊勢開発手形乱発数億円か、T氏、喜田氏、協力体制にあり、グランドパレス泊」の記載はこの頃の状況を指している。

ところが、その後被告人種子田は伊勢開発の事務所へ行った際に、何気なく三橋の机の引出しを開けたところ、多数の発行済手形の耳を発見し、驚いて三橋を追及するとともに、急拠、宮崎から経理担当者を呼び寄せて、この発行済手形の耳を整理させた。それが弁三八、三九号証の手形一覧であり、弁三九号証の最終頁には「五五年五月二九日現在、一六銀行発行分六億三、七九三万九、二二八円、関東銀行手形発行分二億八、九一九万六、七五四円、合計九億二、七一三万五、九八二円」と記載があり、九億二、〇〇〇万円余の発行済手形があったことを表わしている。

被告人種子田は、この金額を聞いて愕然とし、喜田幸治及び、紹介者である福元を呼び付けて追及するとともに、専門的立場からの助言を得るため弘中弁護士をも呼んで話し合った。福元手帳の昭和五五年五月二七日欄に「T氏社長Tel(伊勢開発不渡り)一九、四五上京、T氏事務所で話合、社長・T氏・弘中二・〇〇まで」との記載があり夜中の二時まで話し合ったことが認められる。

被告人種子田としては三億円余の資金援助を考えればよいと考えていたところ、実際には一〇億円近い手形が発行されていたことを知ったのであるから、まさに青天のへきれきのような事態であって、これまで被告人種子田を欺してきた喜田幸治、三橋らに腹を立ててこの事態の打開策を強く求め、且つ、弘中弁護士の意見を聞いたのである。弘中弁護士は専門的な立場から、伊勢開発の負債額と資金状況を聞いて、破産申立をせざるを得ないのではないかと助言した。被告人種子田としては、既に暴力団まがいの債権者が喜田幸治を追いかけまわしている状況や、多額の発行手形債務の現実を考え、自らの手に負えるものではなく伊勢開発を破産申立せざるを得ないのではないかと考える反面、自己の債権の回収を計ることができるかどうか、それをあきらめざるを得ないものか等を思い悩むとともに、何らの対策もなく、ただ被告人種子田に頼む頼むの一点張りの喜田幸治に対し立腹していたものである。

福元手帳昭和五五年五月二八日欄には「八・三〇 伊勢開発(T・喜田)話合い決裂、T事務所へ(喜田氏と)なだめる、夕方帰県」との記載があり、これは被告人種子田と喜田幸治の話し合いが、前夜から引続いてなされ、一旦は決裂したが、喜田幸治、福元公成が被告人種子田の事務所へ行き、被告人種子田をなだめて伊勢開発の整理に協力させるようにしたことを物語っている。

これにつき被告人種子田は原審公判廷において、話し合いが決裂したあと喜田幸治と福元公成が事務所へ来て、今後の伊勢開発の負債整理と資金援助をしてくれるのであれば、現在江戸英雄に八、〇〇〇万円の担保として渡してある、伊勢化学株四九万株を、江戸英雄に返済する八、〇〇〇万円を追加融資してくれることを条件に被告人種子田に預けること、伊勢化学にからむ利権(後のカラブリアンとの契約等の趣旨)を被告人種子田に提供する等と言って涙ながらに頼んできたので伊勢開発の整理をしてあげる気になった旨を供述している。

この時期の伊勢開発及び喜田幸治の末期的状況の中で、被告人種子田としては、法的な破産手続に移行させることもやむを得ないと考えるにしても、自己の債権回収の確保を優先したいと考えることも当然であり、その方策を思い悩んでいたと推認されるのである。その中で喜田幸治が、江戸英雄に預けてある伊勢化学株四九万株を、江戸英雄に対する返済金八、〇〇〇万円を融資することを条件としているとはいえ、被告人種子田に預けると言ったことは重要なことであった。

すなわち、伊勢化学株については、昭和五五年五月二四日武蔵野信金江古田支店から二億五、〇〇〇万円を借入れるに当たり、伊勢化学株四〇万株を担保として提供して質権設定がなされている。資料四五の昭和五五年五月二四日付の丸益産業株式会社名義の有価証券担保差入証には「一株三、〇〇〇円、大和証券調査部」と手書きの記載がある。これは武蔵野信金江古田支店において伊勢化学株への質権設定に当たり、大和証券に株の評価額を調査させ、その結論を同信金の担当者が記載しておいたものと思料されるのであり、一株当たり三、〇〇〇円とすれば四〇万株で一二億円となるものであった。被告人種子田としては、この評価額を武蔵野信金江古田支店の担当者から知らされてはいないが、同株が二億五、〇〇〇万円の担保として認められたことを認識しているのであり、伊勢化学株が、かなりの価値を有するものとは思っていたものである。従って自己の債権を確保する方法としては、喜田の唯一の資産であるこの伊勢化学株を預かることによって事実上の担保とする必要があり、且つ、他の債権者からの追及をかわし、自己が優先的に弁済を受けうる形にしなければならないと考えることも自然である。

事実、被告人種子田は、原審公判廷において、「喜田さんはとにかく助けてくれと、不渡り出ないようにしてくれという一心、私も不渡りするわけにいかないし、今まで出ておる金をまずどういうふうにして確保するかということで頭いっぱいですね。伊勢開発が助かるということよりも、まず、今まで出ておる銀行に責任を負っている問題、自分の出ておる金、こういうものは何もないんですから、この中からどう確保するかということの、助けるということを喜田さんに言いながら自分の確保のことを精一杯考えていたと思います。…」と供述している(昭和六三年八月二四日付本人尋問調書)。こうして被告人種子田は、喜田幸治が江戸英雄に対し返済しなければならない八、〇〇〇万円の追加融資を条件に、江戸に預けてある四九万株の伊勢化学株を被告人種子田に預けるという話にのり、その株券を自己の手元に保管することにしたが、自己が保管しているというだけでは債権確保の手段としては不十分であることは明らかである。すなわち、そのままではあくまでも喜田の所有資産であることが明白であって、他の債権者からの差押え等の追及は免れえず、喜田幸治が個人破産の宣告を受ければ、その株は全て破産財団に組み込まれ債権者らへの平等弁済の原資となってしまうものである。

被告人種子田としては、これまで出捐した金、及び今後支出していくであろう整理資金や、整理手続に要する費用等について、それを確保する手段や目途がなければ、喜田幸治の要請に応じて、整理を引受けるわけにはいかないことは当然であるから、まず、伊勢化学株について、他の債権者の追及をまぬがれて、自己が優先的に弁済を受けうる状態を作らねばならず、そこで考え出したのか、架空の株式譲渡契約書を作っておき、他の債権者が伊勢化学株をねらってきた場合には、売却済であるとしてその追及を免れるという手段であった。またその架空譲渡契約書の成立を第三者に信用させるため、情を知らない弘中弁護士に右契約書の作成を依頼し、且つ、被告人種子田、喜田幸治の契約書調印の際、同弁護士に立会わせ証人的役割をはたさせたものである。

一方、喜田幸治は前記のとおり、被告人種子田に、一〇億余の負債をかかえ且つ暴力団等も債権回収に入っている伊勢開発及び喜田幸治自身の債務の整理をさせるには資産価値のある伊勢化学株を被告人種子田に預けるという条件を提示しなければ被告人種子田が乗ってこないと考えて、その条件を提示して結局被告人種子田を納得させたのであり、被告人種子田から債権者対策用に架空の譲渡契約書を作成しておこうという提案に対して、この提案は喜田の意図とも合致するものであったため、一も二もなく賛同して、その手続を進めたものである。

この点につき被告人は、原審公判廷で、「どうしてでも破産にもなるかもしれないという一抹の大きい不安がありますし、もし自分で整理やれないときに破産になるかもしれない。そのときには、その株そのものをはき出さなくちゃならないので、債権者のほうには私のものだということで、悪いことですけれども、私が自分で出している金の確保もありますので、それを債権者に見せて自分のものだといえるようなものを、弁護士を入れて作っておけば、真実味があるだろうと思って。」と端的に供述している(昭和六三年九月二八日付本人尋問調書)。

すなわち、この時点では被告人種子田及び、喜田幸治の立場の違いによる内心の意図の違いはあるが、いずれにせよ他の債権者から伊勢化学株を守るという点では一致しており、その手段の善し悪しは別として、当事者にとっては、このような架空の譲渡契約書を作成する緊急の必要性があったものである。

(二) 喜田幸治および被告会社間の売買合意の不存在

弁護人らは、本件株式九三万三、〇〇〇株の、内八九万〇、四〇〇株については、喜田幸治より被告人種子田が預かり保管中のところ、後日喜田幸治の承諾を受けた上で、内四万二、六〇〇株については、被告人種子田が大和久正己よりこれを購入し、合計九三万三、〇〇〇株を旭硝子に売却したものであって、その行為の主体は被告人種子田であって、被告会社ではないと主張している。

これに対し原判決は、結論として「本件株式を購入し旭硝子に売却した行為の主体は、被告会社である」と判示していると思われる。

弁護人らは、喜田幸治から被告会社が本件株式のうち八九万〇、四〇〇株を購入した事実が存在しないことを主張・立証するため、数多くの事実について論及している。

ところが、原判決を詳細に検討してみても、被告会社が喜田幸治より本件株式のうち八九万〇、四〇〇株を購入したという事実について明確に判示している部分が存在しない。

原判決が右八九万〇、四〇〇株につき、被告会社が喜田幸治より購入したとする事実を判示しているかの如く推量できる箇所は次のとおりである。

一箇所目は、「昭和五五年五月ころ、右江戸に対する借金を返済しようと考え、被告人種子田に対し、右江戸に担保提供している株を含め喜田の保有する伊勢化学の株八九万株余全部を提供するとか、伊勢化学の業績が良好なので被告人種子田らから援助を受けた分は返済できるとか、伊勢化学の宮崎工場は将来素晴らしい生産拠点になる、八九万株持てば全株式の四分の一を集めることになり、宮崎工場を伊勢化学から分割させられるのでそれを経営したらどうかなどと申し向けて江戸への返済資金を出してほしい旨申し入れたところ、被告人種子田は、同月下旬ころ、多数債権者から債務の返済を迫られる伊勢開発にはさしたる資産がなく、同社の代表者である喜田においても右伊勢化学の株式以外に資産価値のある財産のないことなどの点をも配慮し右株式を手元に確保しようと考え喜田の右申し入れを承諾し、被告会社を代表する被告人種子田と喜田との間で、同人が江戸に返済する右八、〇〇〇万円に伊勢開発が同月末日までに必要とする手形決済資金一、三〇〇万円を加えた合計九、三〇〇万円をもって右八九万株の譲渡代金とする旨の合意をした」(原判決一〇丁表一三行乃至一一丁表五行)の部分である。

しかしながら、右判決部分を詳細に検討してみると、矛盾に満ちた判決内容である。

右判示部分によれば、「江戸への返済資金を出してほしい旨申し入れた」のは喜田幸治であり、右申し入れを受けたのは被告人種子田となっている。また、「右株式を手元に確保しようと考え喜田の右申し入れを承諾し」たのは被告人種子田となっている。

原判決どおりとするならば、意思の合致をさせた行為の主体は喜田幸治と被告人種子田であって、被告会社ではない。また、意思の合致をみた内容は、喜田幸治が申し入れた「江戸への返済資金を出してほしい」ということについてでなければならない。即ち、右判示部分から結論づけられることは、喜田幸治が被告人種子田に対し、江戸への返済資金を出してほしい旨申し入れ、被告人種子田はこれに対して、右株式を手元に確保しようと考えてこれに応じたというものである。

ところが原判決は、突如被告会社を登場させ、「被告会社を代表する被告人種子田と喜田との間で、同人が江戸に返済する右八、〇〇〇万円に伊勢開発が同月末日までに必要とする手形決済資金一、三〇〇万円を加えた合計九、三〇〇万円をもって右八九万株の譲渡代金とする旨の合意をした」と判示し、被告会社と喜田幸治との間で八九万株の譲渡代金を九、三〇〇万円にする旨の合意をしたと判示している。

しかし、この内容は、被告会社と喜田幸治間の譲渡代金の金額の合意であって、喜田幸治から被告会社へ八九万株を売却しようという事実を認定したものではない。

前述のとおり、弁護人らは、八九万〇、四〇〇株を預かった主体は被告人種子田であって被告会社ではないと主張し、これに対し検察官は、被告会社が喜田幸治より購入し旭硝子へ売却したと主張し、この点は本件における最大の争点となっているものである。

それゆえ原判決が、もし仮に検察官の主張どおりの事実を認定するならば、本件株式のうち八九万〇、四〇〇株につき、いつ、どこで、どのような状況下で、喜田幸治と被告会社との間で譲渡についての合意が成立したのか、明白に判示する必要がある。

ところが詳細に検討してみても、被告会社が喜田幸治より八九万〇、四〇〇株を購入した事実を明確に判示した箇所は存在せず、右のとおり、曖昧な事実認定となっている。これは、無理矢理検察官の主張に沿った結論を採用したからにほかならない。

原判決が認定している右事実を前提としても、その認定事実から推測できる事実は、喜田幸治と被告人種子田間において、<1>江戸への返済資金を貸付ける、<2>八九万〇、四〇〇株については、被告人種子田が担保的意味あい、及び他の債権者からこれを防衛するため預かっておく、<3>被告会社が九、三〇〇万円で買ったような形にしておこう、というような合意が両者間に成立したと考えるのが自然であって、右認定部分から喜田幸治と被告会社間において、八九万〇、四〇〇株について譲渡の合意が成立したと認定するのは不可能である。

二箇所目は、「第一三回公判以降における供述が後記のとおり信用できないこと等の事実によれば、本件株式譲渡契約書の記載内容どおりの事実を認めることができる」(原判決一八丁裏六行乃至同八行)と結論づけた部分である。

しかし、本件譲渡契約書には、<1>八九万株を九、三〇〇万円で譲渡する旨の合意、<2>名義書換の手続についての合意、<3>事業発展のために協力する旨の合意、等々が記載されており、原判決が本件譲渡契約書の記載内容のうち、どの部分の事実を認定したのか不明確である。

原判決が右判示部分によって喜田幸治と被告会社との八九万株の売買の合意を認定したとするならば、極めて曖昧、杜撰な判決と言わざるを得ない。

また、本件譲渡契約書第一条によれば、「昭和55年5月30日現在甲の所有する伊勢化学工業株式会社の株式八拾九万株を、甲は昭和55年5月30日に売買価額9300万円にて譲渡し、乙はこれを譲り受けるものとする」と記載されており、記載内容によれば、譲渡の対象は、昭和五五年五月三〇日現在甲の所有する株式である。原判決は「譲渡契約書の記載内容どおりの事実を認めることができる」と判示しているが、とするならば、喜田幸治の所有していない喜田富美子や拓殖らの所有株式については、売買の合意が成立していないという結論になるのではないだろうか。

それにも拘らず、原判決は「喜田が譲渡した株の中に喜田富美子や拓殖ら喜田以外の名義の株が混在していたことは弁護人指摘のとおりであるが、喜田はこれらを含み自己が管理していた株全てを譲渡することを被告人種子田に約し、」(原判決二一丁裏一一行乃至二二丁表一行)と判示しており、認定した事実間において矛盾が存在している。

三箇所目は、「結局、本件株式譲渡契約書その他の関係証拠を総合考慮すれば、被告会社が本件株式を喜田から譲り受け、旭硝子に譲渡した主体であり、従って株式売却益の帰属主体であることを認めるのに十分である」(原判決一九丁表一一行乃至一九丁裏一行)と結論づけた部分である。

右判示部分についても、結論のみを記載しており、被告会社が喜田幸治より譲り受けた具体的内容についての事実認定はなされていない。

弁護人らは、前述のとおり、喜田幸治と被告会社間においては、八九万〇、四〇〇株についての売買の合意が成立していないと主張し、その理由をあらゆる角度から展開している。

しかし原判決は、これらについて一顧だにせず、ただ一言、「弁護人が前記主張のほか弁論要旨中で縷々論述するところを逐一検討しても、被告人種子田及び被告会社の本件法人税法違反の故意の点を含め犯罪成立を否定すべき事情も存在しない」(原判決二八丁裏八行乃至同一〇行)と判示しているのみで、真実、弁護人らの主張を真摯に検討を加えたとは推定し難い。

喜田幸治と被告会社との間において売買の合意が成立したか否かについては、<1>喜田幸治の昭和五五年五月三〇日前後の行動を分析し、<2>売買代金とされる九、三〇〇万円の性質について検討を加え、<3>被告人種子田と喜田幸治間において順次どのような合意が成立していったか、その合意の内容について検討をし、<4>本件公判前に喜田幸治が検察官に対してどのような供述をなしたのか詳細に調べ上げ、<5>その他あらゆる観点から分析し、検討を加えることによって、初めて実体的真実が浮かび上がってくるものと思料する。

(1) 喜田幸治の行動と売買合意の不存在

昭和五五年五月三〇日以降の喜田幸治の行動で、喜田幸治が本件株式中八九万〇、四〇〇株を処分したと判示する原判決と明らかに矛盾する多くの事実が存在する。

それらの事実から、喜田幸治と被告会社間に本件株式売買の合意が成立していなかったことが明白に推認できるものである。

ア ヨードに関する一手販売に関する基本契約

従来、伊勢化学は、その商品であるヨードをアメリカに販売する場合には、カラブリアン・アメリカ・リミテッドに販売しており、この場合、輸出については三菱商事が間に入っており、また、輸出に関する事務連絡等の事務手続はカラブリアン・ジャパン・リミテッドに依頼し、三%乃至は五%のマージンを支払っていた。

また、ヨーロッパに輸出する場合は、全て三菱商事が間に入っており、三菱商事が一定の手数料をとっていた。

尚、これらの事情については、喜田幸治の検察官調書(甲三〇号証)、および有賀延興の検察官調書(甲四二号証)により明白である。

伊勢化学の代表者であった喜田幸治は、昭和五五年六月一日頃、この伊勢化学の商品であるヨードの販売手数料に着目し、これを被告人種子田に支払うことにより、従来被告人種子田が喜田個人および伊勢開発に対して有していた貸付金および立替金等の債権、並びに将来に向けて立替える立替金支払請求債権に充当しようと考えた。

喜田幸治は、伊勢化学から直接被告人種子田に右販売手数料を支払うことは、従来被告人種子田が伊勢化学から販売手数料を一度も受け取ったことがなく、また輸出手続等の実務にも精通していなかったため不自然であると考え、そこで従来より伊勢化学と販売について実績のあったカラブリアン・ジャパン・リミテッドを利用しようと考えた。

伊勢化学のヨードの過去における輸出実績は、六〇億円から八〇億円にものぼり、最低でも六〇億円は下らないという実績であった。

喜田幸治は、この販売を一手にカラブリアン・ジャパン・リミテッドに扱わせることにし、五%の手数料をカラブリアン・ジャパン・リミテッドに支払い、右カラブリアン・ジャパン・リミテッドは受領した手数料の半額である二・五%を被告人種子田に支払うという三者間の約定が出来上がった。

その結果、伊勢化学とカラブリアン・ジャパン・リミテッドとの間に「一手販売に関する基本契約」(資料一一二)が調印され、被告人種子田が立会人となって署名捺印をしている。尚、この契約書の文案はカラブリアン・ジャパン・リミテッドの有賀延興に任され、右有賀延興は知り合いの弁護士である平本祐二弁護士に書面の作成を依頼している。

この三者の約定に基づき、カラブリアン・ジャパン・リミテッドの有賀延興は、自社が伊勢化学より受領した手数料のうち半分を、被告人種子田の経営する丸益産業株式会社に送金して支払った事実も存在する(資料一一三)。

このように、三者の間で約定されたことが実行されれば、カラブリアン・ジャパン・リミテッドは年間、最低でも三億円の手数料を受領することになり、また被告人種子田はそのうちから最低でも一億五、〇〇〇万円もの金銭を受領できるという、大きな利権である。

このような大きな利権を、カラブリアン・ジャパン・リミテッドおよび被告人種子田に継続的に認めていくには、伊勢化学が極めて収益率の良い会社であることのみならず、喜田幸治がオーナー社長の地位を維持していくことが必要条件であり、そうでなければ到底継続的に実現できる筈のないことである。

原判決判示の如く、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日に被告会社に本件株式を真実処分していたとするならば、喜田幸治のオーナー社長たる地位はなくなり、次期総会においては取締役の地位さえ喪失することは必然であり、それのみならず、本件「一手販売に関する基本契約」についての背任性が、他の株主等から強く追及される可能性が大であって、とても契約を調印できるような状況にはなかった筈である。

喜田幸治が本件「一手販売に関する基本契約」を調印できたのは、この三者における約定に基づいて、被告人種子田に支払うことが十分可能であると考え、且つ、自己の伊勢化学のオーナー社長たる地位が不変であると考えたからに他ならない。

喜田幸治は、本件「一手販売に関する基本契約」が他の株主等の目に触れた場合、自己の保身上極めて不利になることは十分承知しており、そのため喜田幸治は、本件「一手販売に関する基本契約」調印後、この契約書を廃棄処分している。

被告人種子田は、検察官調書(乙第七号証)において、被告人種子田、喜田幸治、有賀延興との三者会談の結果、「伊勢化学のヨード輸出は、全部カラブリアン・ジャパン・リミテッドを通し、カラブリアン・ジャパン・リミテッドに五%のマージンを落とす。それを中央産商とカラブリアン・ジャパン・リミテッドとで分ける」という決定をした旨の供述をしている。

しかし、マージンを分けることになったのは、被告会社とカラブリアン・ジャパン・リミテッドとではなく、被告人種子田とカラブリアン・ジャパン・リミテッドとの二者である。

このことは喜田幸治の検察官調書(甲第三〇号証)にも明らかなとおり、この「一手販売に関する基本契約」の成立した趣旨は、被告人種子田が喜田幸治および伊勢開発に貸付けていた貸付債権、および立替金請求債権、並びにこれからの立替金請求債権の支払に充当するべく立案されたものである。

被告人種子田の原審公判廷における供述でも明らかなとおり、被告会社が喜田幸治および伊勢開発に対して有していた債権は殆どなく、あっても被告人種子田の名義的債権に過ぎなかったものである。

被告会社が伊勢開発等に債権を有していなかった事実は、検察官提出の甲第一三六号証「破産管財人による債権届出表」に被告会社の名前がなく、被告人種子田、丸益産業株式会社の名前が存することからも明らかである。

喜田幸治および伊勢開発に債権を有していない被告会社に、年間最低一億五、〇〇〇万円、一〇年間で一五億円にもなる大きな利権を与える必要性も理由も存在しない。

有賀延興の検察官調書(甲第四二号証)にもあるとおり、有賀延興は喜田幸治より「のぶさん(有賀のこと)、この五%の半分を種子田さんにやるんだよ」と言われている。

また、喜田幸治の検察官調書(甲第三〇号証)においても、「伊勢化学の取引先であるカラブリアン・ジャパン・リミテッドに五%の口銭を払い、その半分を種子田に支払うことにより、伊勢開発の債務整理資金を種子田に返済したことにしようと考えたことがあります」と供述している。

更に本件「一手販売に関する基本契約」でも立会人として署名捺印しているのは被告人種子田個人であって、被告会社ではない。

本件「一手販売に関する基本契約」の実行としてカラブリアン・ジャパン・リミテッドより手数料を受領しているのも、丸益産業株式会社であって被告会社ではない。

本件「一手販売に関する基本契約」における手数料受領者として被告会社が登場してくるのは、被告人種子田の検察官調書(乙第七号証)のみである。

被告人種子田は大蔵事務官に対する質問てん末書(乙第三八号証)において、「伊勢化学のヨード輸出に関し、何%かのマージンを支払ってもよいと言われたので、多額の融資を行った」旨の供述をしており、喜田幸治および伊勢開発に対する債権者が被告会社でないところから、本件「一手販売に関する基本契約」における手数料の受領者も被告会社である筈がないものである。

被告人種子田が、前記検察官調書において、手数料受領者を被告会社と述べたのは、本件株式の譲渡益の帰属者を何とか被告会社にしてもらおうとしていたところから、喜田幸治および伊勢開発との法律行為の当事者を被告会社としなければならないと考え、手数料の受領者を被告会社と供述したものに過ぎない。

本件「一手販売に関する基本契約」に基づく手数料の受領者が、被告人種子田なのか、あるいは被告会社なのかの点はともかくとして、被告人種子田および伊勢化学の喜田幸治、カラブリアン・ジャパン・リミテッドの有賀延興の三者において、前述のような販売手数料算出の企画が立案され、一部実行されたことは、右三者の検察官調書によっても明白であり、その継続的実現は、喜田幸治の伊勢化学におけるオーナー社長としての地位が不動なものであって初めて可能性の発生するものである。喜田幸治が真実本件株式を被告会社に売却する意思を有していたならば、このような発想は起こり得ようもなく、また調印されたとしても、実行可能性としては極めて低いものと言わざるを得ない。

以上のとおり、昭和五五年五月三〇日時点で喜田幸治は本件株式を処分する意思を有しておらず、また、被告会社の代表者である被告人種子田がこの時点で本件株式を取得する意思を有していなかったことは明白である。

イ、試掘権の設定

伊勢化学の代表者であった喜田幸治は、被告人種子田と謀り、被告人種子田のために、宮崎県東諸県郡高岡町ほか合計一九件の試掘権を、昭和五五年八月頃、福岡通商産業局へ出願している。尚、その明細は後記一覧表のとおりである。

本件出願について、被告人種子田は全くその手続等が分からず、専ら伊勢化学の喜田幸治が被告人種子田のために設定した。

被告人種子田が用意したものは申請名義人であり、被告人種子田の名義にすると、被告人種子田と伊勢開発および喜田幸治との従来のつながりから、第三者をして疑念を生じさせることを慮り、自己の使用人であった多田静夫の名義を使用することとし、その旨を喜田幸治に伝えている。

喜田幸治としては、被告人種子田の伊勢開発および喜田幸治に対する債権の支払の手段として、高利益を上げている伊勢化学から金銭を支出するためには、予めこのような利権を被告人種子田に与えておかなければ、伊勢化学の出金の理由がつかないと考えたからである。

これは、あくまでも伊勢化学の被告人種子田に対する債権の支払手段として考え出された利権であり、国税当局も認めているとおり、本件試掘権に独自の価値が存するものではない。

因に、伊勢開発および喜田幸治に対して債権を有していたのは、前述の通り、被告会社ではなく、被告人種子田である。

喜田幸治は、自己が伊勢化学のオーナー社長としての地位を継続させることができるならば、他の意見を排しても、この試掘権の買取を理由に、伊勢開発らに対する被告人種子田の債権の支払用資金を伊勢化学から捻出できると考えたものである。

もし仮に、原判決判示の如く、喜田幸治が本件株式を既に被告会社に譲渡していたとするならば、既にオーナー社長としての地位を喪失しているわけであり、次期総会には代表者の地位のみならず取締役の地位さえも喪失することは必然であり、そうするとこのような立案が実行できる筈がない。

先のヨードに関する「一手販売に関する基本契約」の場合と同じく、オーナー社長としての地位を喪失し、代表者が他の者に代わることがあれば、本件試掘権設定の趣旨が洗い出され、特別背任罪の追及さえされかねない状態である。

喜田幸治が被告人種子田に対してこのような利権を予め与えておいたのは、喜田幸治が今後も伊勢化学のオーナー社長としての地位を継続・保持できると考えていたからに他ならない。

即ち、昭和五五年五月三〇日時点において、喜田幸治が被告会社に対して本件株式を処分する意思を有していなかったことは、このことからも明白である。

尚、喜田幸治がオーナー社長の地位を喪失した後になって、伊勢化学は本件試掘権を一億円で取得している。

しかし、これは後に述べるとおり、本件試掘権の価値を認めて伊勢化学が取得したのではなく、別の理由によるものである。

即ち、被告人種子田は、本件株式を旭硝子に譲渡するに際し、自己が伊勢開発および喜田幸治に対して有していた負債整理資金一〇億円余(資料五七)の債権を、伊勢化学の親会社であるところの旭硝子に対して、立替えて支払ってくれるよう条件を出していたものである。尚、被告人種子田は、その後の債務整理資金等を合わせて、合計一一億二、〇〇〇万円の金額を提示している(喜田幸治の原審公判廷における供述)。もしこの条件が認められなければ、約一五億円で売買が成立している本件株式の売買も白紙にするとの条件であった。

何とか本件株式を手に入れたかった旭硝子としては、被告人種子田の債務整理資金一一億円余の資金捻出を種々検討したが、中々合理的な解決策は見出すことが出来なかった。何となれば、本件負債整理資金は被告人種子田の伊勢開発及び喜田幸治に対する債権であり、法的には旭硝子は局外者であるからである。

そこで旭硝子としては、やむを得ず、いくつかの方策をとることになったものである。

五億円については、本件株式売買代金に上乗せをするということで処理をし、一億円については、本件試掘権を一億円で伊勢化学に買取らせるというものである。また二、四〇〇万円については、伊勢化学が被告人種子田の経営する西日本開発に対して、宮崎工場坑井追加工事という架空工事をでっちあげ、これによって支払うというものである。

右のように、本件試掘権の一億円は、被告人種子田の伊勢開発および喜田幸治に対する債権の支払手段として考え出されたものであり、その実質は、被告人種子田の伊勢開発および喜田幸治に対する債権の、旭硝子による第三者弁済である。

本件試掘権の移動状況を契約書で見てみると、

(一、〇〇〇万円) (二、四〇〇万円) (一億円)

<1>多田静夫 → <2>被告会社 → <3>中物産(有)(代表者は種子田) → <4>伊勢化学となっている(資料六八、多田静夫の検察官調書(甲第一〇七号証)添付資料<1>)。

しかしこれらの契約書は、後日、譲渡税を圧縮するため考え出された方便に過ぎず、全く真実のことではない。

本件試掘権を被告会社で取得したと供述しているのは被告人種子田のみであり、被告人種子田が本件試掘権の帰属を被告会社と言いはったのは、本件株式の譲渡益を何とか被告会社に帰属させたいと考えたため、これらの権益の帰属者も被告会社と供述したものに他ならない。

原判決は、本件試掘権の帰属者を被告会社であると認定しているが、その証拠としては、被告人種子田の供述のみである。

喜田幸治が本件試掘権を設定させた理由を考えるならば、本件試掘権の帰属者は被告人種子田であり、この点からも原判決は事実誤認をしていると言うべきである。

出願権明細書

ウ、日さくに対する水増し発注

伊勢化学の代表者であった喜田幸治は、昭和五五年六月下旬頃、伊勢化学の掘さく業者であり、発注先である株式会社日さくに対して水増し発注をし、その水増しされた分二、三〇〇万円を右株式会社日さくより被告人種子田に支払わせている。

尚、右二、三〇〇万円は、被告人種子田の指示により、丸益産業株式会社に入金されている。

これらのことは、喜田幸治の検察官調書(甲第三四号証)、および濱口昌の検察官調書(甲第六九号証)により明白である。

喜田幸治としては、このような手段によって、被告人種子田の伊勢開発および喜田幸治に対する債権の支払をなそうとしたものである。

この事実からも、この当時喜田幸治が伊勢化学のオーナー社長であり、且つ、今後もオーナー社長としての地位を継続・保持できることを前提として行ったものであると考えられる。

もし原判決判示とおり、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日当時、本件株式を被告会社に処分していたならば、まもなく代表取締役および取締役の地位も喪失するであろうことは自明であって、そうすればこのような出金は、特別背任罪として追及されることが当然に予想され得るものである。

それにも拘らず、喜田幸治が被告人種子田の伊勢開発らに対する債権の処理手段としてこのような方法をとり得たということは、喜田幸治自身が今後も伊勢化学のオーナー社長としての地位を継続・保持できると考えたからに他ならない。

即ち、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日時点において本件株式を処分する意思が全くなかったことは、このことからも明白である。

エ、旭硝子に対する伊勢化学の分割案の提供

伊勢化学の株式は、従来、旭硝子が二分の一、喜田幸治一族で四分の一、江戸英雄関係で四分の一、という割合で保有されていた。

昭和五四年から昭和五五年頃の伊勢化学は、経常利益二〇億円を出す優良な会社であった。

工場としては、千葉県内に六ケ所、新潟県内に一ケ所、宮崎県内に一ケ所の計八工場を有していた。

伊勢化学の代表者であった喜田幸治は、自社の二〇億円の経常利益と八工場という面に着目し、右工場を二分割にし、即ち、宮崎工場、新潟工場、および千葉県内の工場一ケ所の合計三工場を喜田幸治および江戸英雄側が取得し、残る千葉県内の五工場を旭硝子側が取得して、伊勢化学をその保有する株式によって二分割にし、独自に経営しようというものである。

こうすることによって、喜田幸治としては、伊勢開発に絡む自己の不始末を共同出資者である旭硝子に察知されることもなく、自己が新しく経営する分割された新会社の利益中より種々の手段をもって、被告人種子田の伊勢開発らに対する債権を処理できると考えたものである。

尚、喜田幸治としては、伊勢化学の資産・負債を二分割するため、自己の経営する新会社は年間経常利益一〇億円と考えていた。

喜田幸治は、この案につき、共同で二分の一を保有する江戸英雄の同意をとりつけなければ実現が不可能であるため、まず江戸英雄に、伊勢開発の負債整理で被告人種子田に債務を有していること、伊勢化学を旭硝子とで二分割し、自己の経営することになる新会社の利益からこの負債を整理したい旨相談をもちかけた。

喜田幸治が江戸英雄に対してこの相談をもちかけたのは昭和五五年七月頃であり、江戸英雄は従前より喜田家の相談役的立場であったところから、快く喜田幸治の提案を了承している。

その結果、喜田幸治は、当時旭硝子の専務取締役であった坂部武夫に対して、この伊勢化学の二分割案を申し入れ、右坂部武夫も個人としてはこれに賛成し、社内で検討してみることを約束してくれたものである。

昭和五五年一〇月になっても、旭硝子側から前向きの回答が得られないところから、喜田幸治は被告人種子田を交え、三井不動産の江戸英雄の部屋で、江戸英雄と共に、被告人種子田に旭硝子へ強力に交渉してもらうことを話合ったこともある。

このような事実は、喜田幸治の検察官調書(甲第二四号証)、坂部武夫の検察官調書(甲第四八号証)によって明らかである。

このように喜田幸治は、本件株式が売却されたとされる昭和五五年五月三〇日以後である昭和五五年七月より一〇月にかけて、伊勢化学の二分割案を真剣に討議し、旭硝子にたいして提案している。

もし仮に、原判決認定のとおり、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日に本件株式を処分しているのであれば、江戸英雄や旭硝子に対する伊勢化学の二分割案というものは全く実現不可能なことであり、このような分割案が江戸英雄に対して相談され、旭硝子に対して提案されたということは、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日に本件株式を処分などしておらず、自らが所有していることを前提としている行為であると言える。このことからも、喜田幸治と被告会社との間において、昭和五五年五月三〇日に本件株式についての株式売買の合意が成立していないことは明白である。

オ、本件株式の名義書換および配当金受領者

原判決により被告会社が旭硝子に売却したとされる本件株式九三万三、〇〇〇株は、大きくいって二つに分類されるものである。

その一つは、いわゆる喜田株とされる喜田幸治一族の保有していた株であり、その株式数は八九万〇、四〇〇株である。

もう一つは、大和久正己が保有していた株であり、その株式数は四万二、六〇〇株である。被告人種子田は、大和久正己より取得した四万二、六〇〇株につき、昭和五五年七月、名義を自己が経営する「西日本開発株式会社」「ひわまり商事有限会社」および「被告人種子田の子供たち」の名義に変更している(乙第四一号証、資料七七)。

それにも拘らず、被告人種子田は、喜田株八九万〇、四〇〇株についてはその後一貫して株式の名義書換をしておらず、また喜田幸治もこれをさせていないものである。

このことから言っても、昭和五五年五月三〇日に喜田幸治が被告会社に本件株式中、八九万〇、四〇〇株を売却していないことが明白である。

国税当局も捜査段階において、この点に疑問を有しており、被告人種子田に何ゆえ喜田株八九万〇、四〇〇株について名義書換をしなかったのかという質問をしている。

これに対し、被告人種子田は、

<1> 喜田さんは伊勢化学の代表者であり、大株主でもある。

旭硝子と企業分割の話を進める上で、大株主として交渉する必要があった。

<2> 喜田さんは代表者であり、全株を売却してしまったと知れると、立場上困るであろうと考えた。

<3> 現に株は所有しているわけだから、名義にはこだわらなかった。

等々の理由を申し述べている(乙第四一号証)。

しかし、被告人種子田の列挙した理由は、被告人種子田が本件譲渡益の帰属を何とか被告会社にしてほしいと期待したために考え出された理由に他ならない。

<1>の理由については、旭硝子に本件株式譲渡契約書を示さなかった時点ならば納得できたとしても、その後においても名義書換をせず、最終的には、昭和五六年二月本件株式を処分するまで名義書換をしなかった理由にはなり得ない。

また、<2>の喜田幸治が本件株式を売却したことが他にもれると、立場上困るだろうとの理由も、一方では本件株式譲渡契約書を共同経営者である旭硝子に提示していることを考えると、そのような配慮が被告人種子田に働いたとは考え難い。

さらに、<3>の現に株式を占有しているので名義にはこだわらなかったとの点であるが、右理由が真実であるならば、何ゆえ四万二、六〇〇株の大和久正己株について名義変更を行ったのか、理解に苦しむところである。

いずれにしても、これらの理由は、本件株式譲渡益の帰属を被告会社にしようとして、国税当局と被告人種子田とが考え出したのちの理由に他ならないと思われる。

尚、伊勢化学は、昭和五五年一二月一五日、一株につき五円の中間配当を実施している(弁第三一号証、資料七四)が、当然のことながら、被告人種子田は、名義書換をした大和久正己株四万二、六〇〇株については、中間配当金を取得している。

しかしながら、被告人種子田は、喜田株八九万〇、四〇〇株については何ら中間配当金を得ておらず、この中間配当金は喜田幸治一族において受領されている。その金額は四四五万二、〇〇〇円である。

被告人種子田は、大和久正己株四万二、六〇〇株についての中間配当金二一万三、〇〇〇円の支払通知を受けており、本件株式について一株当たり五円の中間配当金があることは熟知していたものである。

それにも拘らず、喜田幸治は当然の権利として四四五万二、〇〇〇円もの中間配当金を受領し、株式の所有者とされる被告人種子田は、これに対して一言の苦情も言わず、双方とも当然のこととして処理している。

伊勢化学の法的処理としては、名義書換がなされない以上、旧株主に支払うことをもって免責されることは当然である。

しかしながら、旧株主である喜田幸治と、新株主である被告人種子田との間においては、当然のことながら、喜田幸治は四四五万二、〇〇〇円もの不当利得をしていることになり、喜田幸治は受領した中間配当金を被告人種子田に引き渡すべきである。

ましてや、被告人種子田が大蔵事務官に申し述べたように、喜田幸治の立場を慮って名義書換をしなかったということならば、なおさらのことである。

しかし、両者の間では、一度もそのことについて話合いが持たれたこともなく、喜田幸治が中間配当金を受領するのは当然のこととされていた。

このことは、喜田幸治が昭和五五年一二月に至っても本件株式の保有者であると自認しており、また、被告人種子田もこれを認容していたからに他ならない。

即ち、このことからも、原判決認定のように昭和五五年五月三〇日、喜田幸治が本件株式を被告会社に処分したということは、誤りであることが明白である。

カ、喜田幸治の一〇億円余の借用書の作成

喜田幸治は、被告人種子田の求めに応じ、昭和五五年一〇月一八日、被告人種子田の喜田幸治および伊勢開発に対する負債整理資金立替金返還請求債権を主たる債務とし、準備費貸借契約により、一〇億円二、八四八万四、三二七円也の借用書に署名捺印している(資料五七)。

これは、被告人種子田が、昭和五五年一〇月までに喜田幸治に貸付けていた債権、伊勢開発の負債整理のために立替えていた金員等、喜田幸治より支払を受けねばならない金員が一〇億二、八四八万四、三二七円となっていたものである。

被告人種子田は、この段階において、喜田幸治より確認をとっておくべきだと考え、弁護士弘中徹を立会人として、第三者より回収した伊勢開発の手形・債権証書第一式書類を示して、喜田幸治に確認を求めている。

尚、被告人種子田が、現実に支出した金額と借用書金額とに差が生じたのは、伊勢開発が振出した手形等を回収した場合は、その支出した金員に拘らず、手形額面で喜田幸治が責任を負うという両名の合意があったためである(資料五五)。

もし、原判決認定のとおり昭和五五年五月三〇日に九、三〇〇万円で本件株式を喜田幸治が処分していたならば、当然のことながら、九、三〇〇万円が本件確認債権額の中に入っているのか否かについての双方の話合いがあるべきところ、弁護士立会の確認であるにも拘らず、そのような話題は一切出さず、被告人種子田が喜田幸治に支払った九、三〇〇万円も右一〇億二、八四八万四、三二七円に包含されたまま、確認書が作成されたものである。

もし、九、三〇〇万円で本件株式が売却されていたということが真実であるならば、被告人種子田が主張する確認債権一〇億二、八四八万四、三二七円から、九、三〇〇万円が控除されねばならない筈である。

そのような作業が一切なされず、話題にさえもならなかったということは、原判決認定の昭和五五年五月三〇日における九、三〇〇万円による本件株式売買行為が虚偽のものであったという他はない。

キ、本件株式を被告人種子田が旭硝子に処分するに際してなした、喜田幸治の承認および喜田幸治の委任状作成

旭硝子の専務であった坂部武夫は、本件株式売買の話が煮詰まった段階で、被告人種子田から、本件株式売却について「喜田幸治が被告人種子田を代理人とする」旨の委任状を取得しようと試みている。

このことは、旭硝子の専務であった坂部武夫が、本件株式の所有者は依然として喜田幸治であると知悉していたからに他ならない。

旭硝子の坂部武夫は、被告人種子田に、喜田幸治の委任状を取得するよう指示し、被告人種子田は喜田幸治に委任状を作成させ、これを坂部武夫に提出している(資料五八)。

この委任状には、喜田幸治が被告人種子田を代理人と定め、

<1> 喜田幸治の進退の件

<2> 種子田益夫に対する返済の件

<3> 伊勢化学を旭硝子と分ける件

<4> 役員増員の件(喜田ほか二名、旭硝子三名、社員三名)

らの事項が委任されている。

委任状の作成日付は昭和五五年一二月一八日付である。

もし仮に、原判決認定の如く、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日に本件株式を被告会社に処分しているならば、喜田幸治からこのような委任状を取得する必要性は、旭硝子にとっても、また被告会社にとっても、全くなかったものと言わざるを得ない。

株主でもなくなった喜田幸治が、何の理由をもって、伊勢化学の種々の問題や、伊勢化学を旭硝子と分割する件につき、被告人種子田を代理人とする必要があったのであろうか。

旭硝子の専務であった坂部武夫、および被告人種子田が、このような委任状を喜田幸治からとりつけたのは、所有者が喜田幸治であることを両者とも熟知しており、そのため、本件株式を旭硝子が取得した後になって、真実の所有者である喜田幸治から何らかの異議の申立てが出されることを慮って、それに備えるため作り出されたものであると見るべきである。

尚、旭硝子の坂部武夫は、更に念をおして、喜田幸治に本件株式の取得について了承を求めている。

これについて喜田幸治は、「この株は被告人種子田に預けてあるものであって、自分の所有するところのものである」旨主張したのであるが、旭硝子の坂部武夫はこれに対し、「株式は現に持っている人本人の権利であり、預けたと言っても、それは通らない。この株が種子田の手元から方々に散らばるようなことがあると、伊勢化学としては非常に困るし、この際旭硝子で買取っておき、後は悪いようにしないから話合いましょう」などと申し向けて、喜田幸治の了承をとっている。

尚、前記の委任状には、株式売却についての委任事項が欠落している。これは、売買の形式の上で、喜田幸治と被告会社間の本件売買契約書を利用しようと、被告人種子田および旭硝子の坂部武夫が了承し合ったため、右委任状中、株式売却の件と委任事項が欠落していると考えられる。尚、旭硝子としては、喜田幸治には江戸英雄らがついており、そのため、喜田幸治より直接買取るよりは、本件売買契約書を形式上利用し、被告会社を通じて買取った形にした方がより良いと考えたものと推定できる。

喜田幸治作成の右委任状に、株式売却の件の委任事項が欠落しているからと言って、昭和五五年五月三〇日喜田幸治から被告会社に有効に本件株式が譲渡されたことを推認せしめるものではない。

さらに、旭硝子の坂部武夫は、本件株式取得について、江戸英雄にも連絡を入れ、その了承を求めている。

このことからも、旭硝子側が、本件株式の真実の所有者は被告会社や被告人種子田ではない、ということを熟知していたことが推認されるものである。

(2) 九、三〇〇万円の性質

原判決は、九、三〇〇万円の性質に関し「同人が江戸に返済する右八、〇〇〇万円に伊勢開発が同月末日までに必要とする手形決済資金一、三〇〇万円を加えた合計九、三〇〇万円をもって右八九万株の譲渡代金とする旨の合意をした」(原判決一一丁表二行乃至同五行)と判示している。

右原判決の認定によれば、売買対象物の株式の価値をまったく顧みることなく、とりあえず必要であった手形決済課金一、三〇〇万円と、江戸英雄に対する返済資金八、〇〇〇万円の合計金を売買代金とすることにしたというものであって、両者間において真実売買の意思が存したとは考えられないものである。

もし仮にこの九、三〇〇万円が売買代金であるとするならば、喜田幸治から被告会社に対して九、三〇〇万円の領収証が発行されていて然るべきである。しかし、そのような領収証が発行されたという事実も、またその証拠も存在しない。

それのみならず、被告人種子田は、喜田幸治が江戸英雄に差入れていた借用証(弁第八六号証~同第八八号証、資料一〇九~一一一)を江戸英雄から受領するや、これを喜田幸治に渡すこともせず、自己で保管し、昭和五五年一〇月一七日に至り、公証人高橋幹男の確定日付を取得している。

もし仮に九、三〇〇万円が売買代金であるのならば、これらの借用証は、喜田幸治が返還を受けるべきものであって、被告人種子田が受領・保管するような筋合のものではない。

しかしながら、この借用証の返還については、両者において一度も話題に出たこともなく、喜田幸治が返却を求める気持ちも、また被告人種子田が返却をしようとする気持ちもなかったものと推定できる。

即ち、被告人種子田は、江戸英雄に支払った八、〇〇〇万円について、売却代金の一部として支払ったつもりはなく、喜田幸治の江戸英雄に対する債務を第三者弁済したものと考えていたものである。

そのため、将来喜田幸治から返済を受けるべく、喜田幸治の江戸英雄への借用証を自らが取得し、且つ、これに確定日付を施している。

更に被告人種子田は、昭和五五年一〇月一八日に至り、被告人種子田の喜田幸治および伊勢開発に対する債権にして、喜田幸治に責任を負担してもらう債権につき、一〇億円余の借用証を取得している。

この際も、九、三〇〇万円が右一〇億円余に含まれているものか否かの話合いもなく、九、三〇〇万円を包含したまま借用証が作成されている。

これらの事実から推測して、九、三〇〇万円は本件株式の売却代金ではなく、被告人種子田の喜田幸治および伊勢開発に対する債権と考えるのが妥当である。

(3) 被告人種子田と喜田幸治間の合意内容

被告人種子田と喜田幸治との間に成立したと認められる合意は、第一に伊勢化学株を「預ける」「預かる」であり、第二に債権者対策のために「架空の譲渡契約書を作成する」ことである。

被告人種子田と喜田幸治の間における伊勢化学株に関する合意は、本件の関係証拠から摘出すると、五つあると思われる。

即ち、第一は、昭和五五年四月、被告人種子田が伊勢開発に五、〇〇〇万円を融資するにあたり、喜田幸治から伊勢化学株四〇万株(正確には有賀株等も含まれており、四〇万株以上と推定できる)を預かる時点における当事者の合意。

第二は、武蔵野信金江古田支店より伊勢開発名義で二億五、〇〇〇万円を借入れるに際し、右四〇万株に、質権設定がなされているが、前記貸付け稟議書、担保差入証でも明らかなとおり、昭和五五年五月七日に借入申込をするに当たり、右株券が同金庫に担保提供されることを前提として提示され、同月二四日には、被告人種子田個人および丸益産業株式会社名義で担保提供がなされているが、この武蔵野信金江古田支店に対する担保提供の合意。

第三には、昭和五五年五月二六日頃から同月二八日頃までの流れの中での合意、即ち、被告人種子田が、伊勢開発において一〇億円近い手形債務を負っていることを発見して立腹し、喜田幸治、三橋らを追及するとともに、伊勢開発への資金援助および負債整理から手を引くか、あるいは継続するか、伊勢開発で破産申立をするか等の深刻な検討がなされ、福元手帳昭和五五年五月二八日欄の「八・三〇伊勢開発(T・喜田)話合い決裂、T事務所へ(喜田氏と)なだめる 夕方帰県」と記載のある喜田幸治と福元が被告人種子田の事務所に行って被告人種子田をなだめて成立した合意。

第四は、本件の株式譲渡契約書の調印時点における合意。

第五は、昭和五五年六月七日、江戸英雄に八、〇〇〇万円を返済することにより伊勢化学四九万株(この数字も正確ではないが)の返還を受け、被告人種子田がその株券を受取り保管した時点における合意である。

まず、第一の四月の合意については、当時被告人種子田は、伊勢開発ないし喜田幸治に対して既に多額の融資をしていたが、喜田幸治から何等の担保提供も受けておらず、さらに融資の申込を受けたので、その担保になるものとして、喜田幸治から伊勢化学株四〇万株を現実に預かったものであり、喜田幸治は、有賀延興に保管させていた喜田一族の株および有賀延興の株を併せて有賀延興に持ってこさせて、被告人種子田に預けたものである。

この株について法的に如何なる担保権が設定されたかは、前記のとおり当事者間に明示の合意がなく判然としないが、少なくとも担保含みで被告人種子田に預けられたものであることは疑問の余地がなく、法的に評価すれば担保含みの寄託といえる。

第二の武蔵野信金江古田支店への担保差入れについては、右第一の寄託の延長として、被告人種子田および喜田幸治間に、既に被告人種子田に預けてある伊勢化学株を武蔵野信金江古田支店宛に二億五、〇〇〇万円の借入のための担保として提供することの合意があったもので、その合意に基づき五月二四日に武蔵野信金江古田支店に被告人種子田および丸益産業株式会社名義で担保として差入れられ、株券も同支店に現実に引渡されて、旭硝子に売却する直前まで同支店に保管されていたものである。即ち、被告人種子田、喜田幸治間のこの合意は、あえて法的に構成すれば、右のような形で被告人種子田に寄託されている伊勢化学株につき担保提供(質権設定契約)するという内容の担保提供を承諾する契約が成立したものと言える。

次に第三の、昭和五五年五月二八日、被告人種子田の事務所において、喜田幸治および福元公成が被告人種子田をなだめる際に、被告人種子田および喜田幸治間で成立した合意は何かであるが、被告人種子田の原審公判廷における供述、喜田幸治の証言を併せ考えると、喜田幸治はこの時、被告人種子田に対して、江戸英雄に八、〇〇〇万円の担保として預けてある伊勢化学株四九万株を、江戸英雄に対する返済金八、〇〇〇万円を追加融資してくれることを条件に「預ける」と言ったものであり、被告人種子田はこの喜田発言を受けて、伊勢化学株四九万株を「預かる」ことにしたものであると認められる。これによって被告人種子田はなだめられ、伊勢開発の整理に資金援助を含めて協力することになったものである。この合意は、あえて法的に構成すれば、条件付寄託の予約契約(寄託は要物契約であるから)、あるいは、後記の第五の合意と併せて、寄託契約の成立とみるべきものであろう。その寄託の目的物は、伊勢化学株四九万株である。

次に第四の本件株式譲渡契約書調印時の合意であるが、経過を見れば、被告人種子田は、江戸英雄に対する返済金八、〇〇〇万円を追加融資することが条件だったとは言え、四九万株を預かることになったが、自己の債権確保のためには不十分であり、他の債権者からの追及を免れるためには、被告人種子田、喜田幸治間で架空の譲渡契約書を作成しておく必要があると考え、その旨を喜田幸治に電話をして話し、喜田幸治もその趣旨に賛同して、伊勢化学株の、既に武蔵野信金江古田支店に担保差入れしている四〇万株と、将来江戸英雄に八、〇〇〇万円を返済することによって返還されるであろう四九万株の、合意八九万株について譲渡契約書を作成することにして、被告人種子田において、弘中弁護士に依頼して書面を作成させ、当事者双方が調印したものである。その調印日については、同譲渡契約書には、昭和五五年五月三〇日と記載され、且つ、五月三〇日の確定日付があるが、被告人種子田は原審公判廷において、五月二九日夕刻に調印し、翌日公証人役場で確定日付を受けた旨供述している。調印が夕刻であることは検察官も論告中で認めているところであるが、公証人役場で確定日付をとるには夕刻の調印後では無理であり、被告人種子田の供述するようにその翌日に確定日付をとったと解するのが自然である。とすれば、契約調印日時は、昭和五五年五月二九日夕刻となる。

この五月二九日の調印の時点では、弘中弁護士の昭和六一年一二月一六日付検察官調書、被告人種子田の原審公判廷における供述、喜田幸治の証言によっても、伊勢化学株の売買について通常なされるべきであろう具体的な話合いは全くなく、ただその書面の記載を確認して、喜田幸治は自署押印し、被告人種子田は被告会社のゴム印と代表者印を押捺し、弘中弁護士も弁護士印を押捺して立会人となっている。

即ち、この場では通常無ければならない、売りましょう、買いましょうという意思表示は全く無いままに調印して、本件の譲渡契約書を完成させている。

この被告人種子田が喜田幸治に電話をし、債権者対策のため架空の譲渡契約書を作成しようと話して、喜田幸治がこれに賛同し、二九日の夕刻、この書面に調印した行動をどう評価するかであるが、厳密に言えば、結局被告人種子田と喜田幸治とは、債権者対策のため、売主喜田幸治、買主被告会社とする架空の株式譲渡契約書という内容虚偽の書面を作成することについて合意したものであるといえる。

この場合の合意の当事者は、あくまでも喜田幸治と被告人種子田であって、喜田幸治と被告会社ではない。喜田幸治と被告会社との間には、何の意思の合致も存しないものである。

被告人種子田が、被告会社の代表者の地位をあわせ有しているところから、この譲渡契約書に調印したこと自体をもって、喜田幸治と被告会社とき間において売買の意思表示があったものとする見解も、或いはあるかもしれないが、喜田幸治は、被告会社を相手として如何なる意味でも意思表示をしたという気持ちを有しておらず、売買の意思表示は成立していないと言うべきである。

一歩を譲って、喜田幸治と被告会社との間において売買の意思表示が成立したとしても、被告会社の代表者である被告人種子田および喜田幸治の内心の意思は、債権者対策のための架空の売買であって、双方がそれを十分知悉しているものであるから、虚偽表示で無効というべきである。

第五に、昭和五五年六月七日、江戸英雄に八、〇〇〇万円を返済することによって返還を受けた伊勢化学株四九万株を被告人種子田において受領して、以後保管していた行為についての評価ではあるが、これは前記第三の喜田幸治において被告人種子田をなだめる際の合意である条件付寄託の予約契約の履行としてなされた寄託契約の成立とみればよいものと思われ、同時に被告人種子田と喜田幸治との間で八、〇〇〇万円の貸借の成立(この金額は、その後被告人種子田と喜田幸治との間で確認された負債整理資金の確認額一〇億二、八四八万四、三二七円の中に加入されて、被告人種子田の喜田幸治に対する債権となっている、資料五七、昭和五五年一〇月一八日付借用書)があったものである。要は、本来は、昭和五五年五月三〇日付株式譲渡契約書の調印により、単純に株の売買があったものと評価すべき事案ではなく、前記のように、伊勢化学株については、その時点、その場面によって各々の理由により別個の当事者の合意があったものであり、それを仔細に検討しなければ実体的真実は顕現されないのである。

弁護人らが強調したいことは、伊勢化学株八九万株という多量で財産的価値も高く、且つ、伊勢化学の設立以降、喜田一族、江戸英雄らと旭硝子との関係が微妙に絡みあって、喜田幸治にとって財産的価値以上の意味合いがあり、喜田幸治のいう「命の次に大事な株」を売り買いするとすれば、当然当事者の間で様々な事項について、言葉に出して協議した上で、「売ります」「買います」という言葉が交わされなければならない筈だということである。

ところが、関係証拠からみて、被告人種子田と喜田幸治との間で出た言葉は「預けます」「預かります」という言葉である。即ち、表示された言葉としては、まさに預託の意思表示のみである。例えば、昭和六一年一二月一二日付、喜田幸治の検察官調書は、検察官が公訴事実を立証する供述を得たものと位置付けて、証拠申請して採用されたものであるが、同供述調書を仔細に検討すると、本件株式譲渡契約書作成に際して当事者間に表示された「言葉」が如実に顕わされている。

即ち、検察官は、喜田幸治に昭和五五年に五月三〇日付株式譲渡契約書の作成の経緯を供述させて、一見株を売却したものである旨の供述を得ているようであるが、同検察官調書には、行を変えた上で段落をつけて供述させている部分がある。これは供述調書作成の際、当事者間の具体的表現、言葉のやりとりを供述させて記載する手法として通常使われるものである。従って、当事者間の言葉のやりとりを知るには、その部分を点検しなければならない。以下、項を改めて次に詳述する。

(4) 喜田幸治の検察官に対する供述について

ア、本件有価証券売却益についての帰属に関する喜田幸治の検察官調書における供述を検討するに、

昭和六一年一二月一〇日調書(甲一九)第五項においては、

問 種子田が伊勢開発の資金繰りのために昭和五五年一月から倒産の六月までの間に約一億五、〇〇〇万円の金を出してくれたのは、種子田としてはどういう採算を考えていたからなのでしょうか。

答 私は、昭和五五年一月に種子田さんに借入を申込む際、伊勢開発を助けてくれ、伊勢化学工業は年間二〇億円からの経常利益をあげているから、将来必ず返済できるという話をしました。それに、当初は五、〇〇〇万円貸して欲しいという申込みをしただけで、伊勢開発の負債総額を種子田さんに話していませんでしたので、種子田さんとしては、ずるずると段々大きな額を出さなければならなくなり、困ってしまったのだと思います。そこで五月下旬頃には、後に話す様に私が持っていた伊勢化学工業の株を渡してくれと要求される様になったのです。

というのであって、被告会社の名前も売買の話も出ておらず、担保的な意味で種子田から株を渡してくれと要求されたということだけである。

同年一二月一二日付調書(甲二〇)は、喜田幸治が伊勢化学の株式を渡すことに関して唯一の詳しい供述を内容とするものであるので、これを詳細に検討する。

まず、その第一項の供述は次のとおりである。

私は、昭和五五年五月末に私が持っていました伊勢化学工業の株八九万〇、四〇〇株を代金九、三〇〇万円で種子田益夫が経営する中央産商有限会社に売り渡しておりますので、そのことについてお話します。

私は昭和五四年五月頃、江戸英雄さんから期限一年の約束で八、〇〇〇万円借入し、私の持っていた伊勢化学工業の株四〇万株を担保に差し入れておりました。昭和五五年五月にはその返済期が来た訳ですが、江戸さんはちょうど自宅を新築中でしたのでお金も必要なことだろうと思い、私はぜひとも江戸さんに八、〇〇〇万円返済したいと思いました。

そこで私は、五月二〇日頃中央産商に種子田を尋ね、

江戸さんに八、〇〇〇万円借りて伊勢化学工業の株四〇万株を担保に差し入れているが、早く返済したいので返済資金を貸してもらえないだろうか。これからも色々と面倒を見ていただくので、私の持っている伊勢化学工業の株八九万株全部を預けます。

と言って、八、〇〇〇万円の借入れ申込みをしたのです。

すると種子田の方では、

大切な株を私に預けてくれるなら面倒をみましょう。伊勢開発の倒産は必至であるから、株の名義は私の方に移しておいた方がいいだろう。

と言うのでした。

私も財産としては、伊勢化学工業の株しかありませんので、これを伊勢開発の債権者に取られたくはありませんでした。

当時は種子田を信頼しておりましたので、種子田の方の名義にしておいた方がいいだろうと思いました。

種子田は、

八、〇〇〇万円で売買したことにしよう。

と言っていました。

私としても、八、〇〇〇万円で種子田に買ってもらっておけば後日私の方で買い戻す機会があるのではないかと思い、種子田に株を売り渡すことにしたのです。

右供述は、「私は昭和五五年五月末に私が持っていました伊勢化学工業の株八九〇、四〇〇株を代金九、三〇〇万円で種子田益夫が経営する中央産商有限会社に売り渡しておりますので、そのことについてお話します。」で始まり、「私としても八、〇〇〇万円で種子田に買ってもらっておけば後日私の方で買い戻す機会もあるのではないかと思い、種子田に株を売り渡すことにしたのです」で終わっている。この供述で先ず気が付くことは、初めは中央産商に売り渡したことが、終わりでは種子田に売り渡したことになっている点であるが、この点については後に触れることにして、売り渡したことについて供述しているその内容は、「江戸さんに八、〇〇〇万円借りて伊勢化学工業の株四〇万株を担保に差入れているが、早く返済したいので返済資金を貸してもらえないだろうか。これからも色々面倒をみていただくので私の持っている伊勢化学工業の株八九万株全部を預けます」と言って八、〇〇〇万円の借入申込みをしたところ、被告人種子田から「大切な株を私に預けてくれるなら面倒をみましょう。伊勢開発の倒産は必至であるから株の名義は私の方に移しておいた方がいいだろう」「八、〇〇〇万円で売買したことにしよう」と言われ、喜田幸治としては、財産として伊勢化学工業の株しかなく、これを伊勢開発の債権者に取られたくなく、当時被告人種子田を信頼していたので被告人種子田の名義にしておいた方がいいと思ったというのであって、この内容から明らかな如く、喜田幸治と被告人種子田の間では売買に関する合意などは一切なく、そこにあるのは、まず喜田幸治が被告人種子田から江戸への返済資金八、〇〇〇万円を借入れること、今後色々面倒をみてもらうことのために伊勢化学工業の株八九万株全部を預けること、債権者対策として被告人種子田の名義にしておくこと、そのためには八、〇〇〇万円で売買したことにしよう、という当事者の合意のみである。

この内容からすれば、初めの「売り渡しておりますので、そのことについてお話します」は「売り渡したことにしてありますので、そのことについてお話します」であり、終わりの「買ってもらっておけば後日私の方で買い戻す機会もあるのではないかと思い、株を売り渡すことにしたのです」は「買ってもらったことにしておけば後日私の方で受け戻す機会もあるのではないかと思い、株を売り渡したことにしたので」でなければならない。

次に、第二項には、

その後五月下旬頃、種子田が

伊勢開発の債権者が押しかけて、伊勢化学工業の株を持ち出すといけないから、株券を早く預けてもらった方がいい

という話がありました。

とあり、第三項には、

五月二〇日頃、種子田の方に伊勢化学工業の株を売り渡すことを決めてから五月三〇日までの間に、種子田の方から伊勢開発の手形決済資金として一、三〇〇万円を出してもらいました。

種子田の方から、この一、三〇〇万円についても売買代金に加え様という話がありましたが、私もそれに異存はありませんでしたので売買代金額は九、三〇〇万円と決まったのです。

江戸さんに対する返済資金八、〇〇〇万円はまだ受け取っていませんでしたが、種子田が、

伊勢開発の債権者が来るといけないから早く売買契約書を作ろう

というので、五月三〇日に中央産商の事務所で売買契約書を作りました。(中略)

当時の私の気持ちとしては、種子田さんに株を売り渡したものの、私の方に資金が出来たらばなんとかそれを買い戻したいという気持ちがあったのです。

ですからその様な念書を書く様なことはしなかったと思います。

(中略)

種子田の方からこの株を買い戻すと言っても伊勢開発の負債整理資金を出してもらっていますので、それを返済しなければとてもこの株を返してもらえないと思っていました。

とあり、これらを総合しても、確定的売買を裏付ける当事者の合意は全く存在せず、かえって喜田幸治が、株は預託したものであり、売買契約書は仮装のものであることを主張していた事実を優に認め得るものである。

そして喜田幸治の言う預託は、伊勢開発への資金援助および負債整理資金の担保のためであり、喜田幸治においてこれらの負債を返済しなければ株を受け戻せないと認識していたものである。

次に、調書上の表現自体からしても、帰属が中央産商なのか種子田個人なのかについて、驚くべき不一致がある。

先にも述べたように、昭和六一年一二月一二日付調書(甲二〇)第一項には、冒頭部分では「種子田の経営する中央産商有限会社に売り渡しておりますので、そのことについてお話します」とあるが、終わりの部分では「種子田に株を売り渡すことにしたのです」となっており、

昭和六一年一二月一二日付調書(甲二二)第一項では、

昭和五五年一二月下旬頃、旭硝子の坂部専務から電話があり

種子田が(喜田さんの)株を売りに来ているが知っているか

という問い合わせがあったのです。

私はそれまで種子田から(中央産商に)買ってもらった伊勢化学工業の株を売り出すという話は聞いてませんでしたので

聞いていない

と言ったところ、坂部さんの方では、

株は株券を所持している者の権利だから万一どこかへ持って行かれると混乱するので旭硝子で買っておきたい

と言うのでした。

私は、確かに坂部さんの言う様に種子田が他に持って行ってしまったのではこまるが、旭硝子に買っておいてもらえば後日私が資金を得た時に話し合いにより買い戻せる時もあるのではないかと思い了承したのです。

私は坂部さんからの問い合わせにより初めて(種子田が)私から買った株を処分しようとしていることを知った訳ですが、私はそのことを種子田さんの方に直接確認したりはしませんでした。

となっている。

甲二二で特に注意すべき点は、喜田幸治から株を買った主体が、夫々わざわざ後から挿入されていながら、その主体が異なっていることである。即ち、先には「中央産商に買ってもらった」という部分の「中央産商に」が挿入され、後では「種子田が私から買った株を」という部分の「種子田が」が挿入されているのである。

これら指摘した箇所は、喜田幸治から株を買った主体を記載してある最も重要な部分であり、検察官ないし検察事務官の誤記とかいうことでは到底すまされないものである。のみならず、被告人種子田は被告会社の代表者としての種子田であるかの如く、検察官は冒陳ないし論告で主張されるが如きであるが、右指摘の箇所においては明確に「中央産商」と「種子田」を書き分けているのであるから、検察官の主張は皮肉にも検察官調書によって完全に崩れ去っているといわなければならない。

これらの調書上の表現による以上、取調検察官は結局、喜田幸治から伊勢化学の株式を買った主体が、被告会社であるか被告人種子田個人であるか確定し得なかったものと言わざるを得ないことになる。

イ、以上述べたように、本件有価証券売却益の帰属に関する喜田幸治の検察官調書は、その内容において極めて杜撰極まりないものであるが、アで指摘した喜田幸治の「株は被告人種子田個人に預けたのであり、売買契約書は債権者対策のために作成した仮装のものである」旨の供述部分は、取調検察官にとっては公判維持上根本的な弱点になるところであるにも拘らず、結局はこの点についての喜田幸治の供述を否定し得なかったことを物語るものであって、この供述部分はまさに信憑性があるものであると言わなければならない。

喜田幸治は、本件法人税法違反事件について東京国税局が査察に入る以前に、被告人種子田に対して、伊勢化学の株式を預託したことを前提として、精算請求の民事訴訟を提起しており、その主張は検察官調書の前記供述部分と同一趣旨であり、且つ、原審公判廷における喜田幸治の証人尋問の前に右民事事件において原告本人としてやはり同一趣旨のことを供述しており、原審公判廷における供述も含めて、その主張・供述は一貫しているものである。この点からしても、前記供述部分の信憑性は高いものであるというべきである。

この供述部分は、被告人種子田と喜田幸治の間に伊勢化学の株式が売買されたとするには余りに不自然な表現である。否、寧ろ、売買を否定する言葉と言えるものである。真実に伊勢化学の株が売買されたとすれば、右のような表現になりようがなく、「売ります」「買います」「売買条件は…」などという、売買契約成立のための端的な表現がなければならない筈である。

それにも拘らず、売買契約成立のための端的な表現がなく、寧ろ、前記のような表現がなされたというのは、まさに原審公判廷で喜田幸治および被告人種子田が言ったように、本件株式は喜田から被告人種子田に預託されたものであったと見るのが自然である。

従って、ただ単に売買契約書の存在することをもって、本件株式の売買がなされたものと見ることは、明らかに誤りである。

(5) その他、喜田幸治と被告会社において合意の存在しないことを窺わせる事実について

前述の通り、あらゆる角度から見て、喜田幸治と被告会社との間において、昭和五五年五月三〇日に本件株式売買契約が成立していないことは明白である。

更に付加して論述するならば、両者間に本件株式売買行為が存在しなかったことは、次のような諸事実によっても明らかである。

ア 友澤潤次郎の検察官調書(甲第五〇号証)

友澤潤次郎は、昭和五二年七月より昭和五九年三月まで、旭硝子の関連事業部長をしており、その関係から関連会社の一つであった伊勢化学の内容についても詳しく知悉していた者の一人であった。

また、旭硝子は、二分の一の大株主として、伊勢化学に湯原副社長外何人かの幹部社員を出向させており、その出向者の一人である足立総務部長から、昭和五五年頃になって伊勢開発の債権者たちが押しかけて来るようになった旨の報告を受け、また喜田幸治からも伊勢開発の事業内容等につき事情聴取を行っていたところ、昭和五五年六月中旬に至って、伊勢開発が倒産し、エービーシー土木(株)と社名を変更して、破産申立をしていることが判明し、心配になった友澤潤次郎は喜田幸治の所有する伊勢化学の株式について喜田幸治に尋ねてみると、喜田幸治は、「伊勢化学の株は、命の次に大事なものだ。今は最も信頼している人に預けてあるから、ご心配なく。」と返答し、この時点で友澤潤次郎は、本件株式が喜田幸治によって信頼できるという第三者に託されていることを確認している(原審第一八回公判被告人種子田供述)ものであり、当然のことながら、友澤潤次郎のこの話は旭硝子の坂部武夫にも伝わったはずである。

これは、エービーシー土木(株)が破産申立をした昭和五五年六月一七日以降の話しであり、喜田幸治が被告人種子田に本件株式を預け、債権者対策を講じていたことを立証するものである。

本件株式を喜田幸治が所有していたのでは、これを買取ることはできないと考えていた旭硝子の坂部武夫は、被告人種子田が示した本件株式売買契約書を利用しようと考え、喜田幸治に対し「株は現に持っている者の権利だ。預けたなどと言っても通らない。種子田がこの株を他にバラまいてしまっては、伊勢化学も大変だ。」などと申し向け、旭硝子の本件株式取得について、喜田幸治の了承を取り付けているものである。

繰り返して主張するが、友澤潤次郎が喜田幸治より「本件株式が信用のおける第三者に預けられている」旨の話を直接聞いたのは、少なくとも昭和五五年六月一七日(エービーシー土木の破産申立日)以降のことであり、昭和五五年五月三〇日以降において、喜田幸治と被告会社との間において本件株式売買についての格別な行為が行われたという事実は全く存在しない。

そうするならば、昭和五五年五月三〇日における喜田幸治と被告会社との売買が虚偽のものであるということは、このことからも推論できるものである。

イ 有賀延興の検察官調書(甲第四一号証)

有賀延興は、同検察官調書の中で、「喜田より電話があり、喜田から預かっていた株券と、自己が所有している伊勢化学の株券とを併せ持ってくるように連絡を受け、指示通り持参した。喜田から預かっていた株券を渡すと、喜田は種子田に『これでお願いします』とその株券を種子田に渡していた。その後、喜田が私に対し『君の分持って来たか』と言うので、自分の分を渡すと、種子田が社員の落合を呼び、これに指示して、私の株券の預り証を寄こした。」と供述している。

すなわち、喜田幸治は自己の保有する株券を、また有賀延興は自己の所有する株券を、それぞれ被告人種子田に預け、被告人種子田はこれを預かったのである。被告人種子田が喜田幸治及び有賀延興から株券を預かった時期は、その後、喜田幸治が預けた株券が武蔵野信用金庫江古田支店に担保として入っているところから、昭和五五年四月頃と考えられる。

原判決は、

「五月下旬ころ…、被告会社を代表する被告人種子田と喜田との間で、…九三〇〇万円をもって右八九万株の譲渡代金とする旨の合意をした」(判決書一一丁表一ないし五行)と

認定しているが、もし、右認定が真実だと仮定するならば、右合意時点である五月下旬ころには、四月に預けた喜田株と有賀の株の区分けの問題が出て然るべきであるが、そのような話題が出たという証拠はどこにも存在しない。

一緒に預けたにも拘らず、その内の一部である喜田株を売却するというのに、その区分けについて全く話が出ないというのは不自然であり、寧ろ昭和五五年五月末ころには、売買の意思等が双方ともに無かったと見るのが妥当な結論である。

なお、この供述書の中で有賀延興は、喜田幸治から「実は江戸さんから金を借りていて、返さないと信用問題にかかわるし、他に金も必要なのであの株を種子田に売った」と聞いた旨供述している。

しかし、江戸英雄は一度も金の催促をしたことはなく、八、〇〇〇万円という金銭の返済を要するものではなかった。また、他に金が必要だという理由も、八、〇〇〇万円を除くと、たった一、三〇〇万円であり、「命の次に大事なもの」と喜田幸治の言う株券を右代金で処分するはずがなく、また処分する理由としては、極めて希薄であり信用し難い。

むしろ、右供述は江戸英雄の八、〇〇〇万円と手形決済資金一、三〇〇万円の合計金が、本件株券売却代金とされる九、三〇〇万円に合致することを、予め知っていた検察官の誘導に基づくものと考えるのが自然である。

何となれば、有賀延興は、喜田幸治の売却代金等につき、全くその内容を知らなかったからである。

仮りに右有賀の「喜田幸治が本件株式を売却した」という供述が真実だとしても、有賀延興も伊勢開発に対する大口債権者の一人であり、そのため喜田幸治が本件株式を売却したと偽り説明したとしても、むしろ自然のことと考えられる。何故なら本件株式売買が架空のものであることは一切債権者には知らせず、喜田幸治と被告人種子田のみ知る内密のことであったからである。

このことは被告人種子田の原審の第一八回公判廷における供述で明確になっている。すなわち「(株式譲渡契約書は)債権者に見せるために作ったということは、私と喜田さんと江戸さんと福元さん、四人しか知らな」かった。「債権者から(喜田株)を守るために、どこに対しても、これは種子田のものだということにしようという打ち合せがしてありましたので、有賀さんも債権者の一人でしたので、そう言ったと思います」と供述している。

更に、有賀延興は本供述調書(七丁裏)の中で、被告人種子田から「君は紳士だから聞くんだけど、俺が伊勢化学の株を旭硝子にいくらで売ろうが、構わないよな」と聞かれた旨の供述がある。

もし仮に、喜田幸治が真実昭和五五年五月末日に本件株式を売却処分しているならば、その取得者である被告人種子田がいくらで第三者に処分しようと、それは誰にも関係のないことであり、第三者の有賀延興に意見を求めるような筋合いのものではない。(原審第一八回公判被告人種子田の供述)

被告人種子田の胸中を推測すれば、喜田幸治から預かったものを処分しようとしたとき、その後において喜田幸治がどのような苦情の申立てを言ってくるのだろうか、と種々思い巡らし、喜田幸治の亡兄時代より付き合いのあった有賀延興に、それとなくその感触をあたってみた、というのが真実ではないかと考えられる。

即ち、このことからも、喜田幸治と被告会社との昭和五五年五月三〇日付売買契約は架空なものであったということが、推定できるものである。

ウ 有賀延興の検察官調書(甲第四五号証)

有賀延興は、同検察官調書において、「伊勢開発が倒産し、その事務所だったところに丸益が入ってきた後であり、冬の寒い時に、丸益の事務所で、種子田が喜田に電話をしており、種子田は『本当に親戚の人の株も一緒でいいですな。本当にいいんですな』と喜田に確認をとっており、その後、私に『有賀さん、今のこと覚えておいて下さい』と言っていた」旨の供述がある。

この有賀延興の供述によると、時期は本件株式を旭硝子に処分する直前頃の会話と考えられる。

被告人種子田は、喜田幸治から預かった株券の中に、親戚の株券が混じっていることを心配し、それらも一緒に処分してもよいものか否かについて、喜田に確認を求めていたこと明らかである。

もし仮に、原判決認定の通り、昭和五五年五月末日に九、三〇〇万円で以って右八九万株の譲渡代金とする旨の合意をしていたものならば、このような会話は出るはずもなく、このことからも、昭和五五年五月末日における喜田幸治と被告会社との本件株式売買が虚偽のものであったことを推定できるのである。

エ 被告人種子田の本件株式売却代金の喜田幸治への精算と、喜田幸治の民事訴訟の提起

被告人種子田と喜田幸治との間においては、旭硝子が本件株式を取得した後になって精算の問題が発生しており、被告人種子田と喜田幸治、旭硝子の友澤潤次郎、伊勢化学の新代表者である荒川との間で、会談が持たれている。

このことは、友澤潤次郎、田澤潔の各検察官調書(甲第五〇号証、同第五四号証)によっても明らかである。

この会談の中で、被告人種子田は、五億円程度なら喜田幸治に対して精算義務を履行しようではないか(原審第一八回公判被告人種子田供述)と提案している。

しかしながら、本件株式売買が形式上「喜田幸治→被告会社→五人の個人→旭硝子」と移転されたことにして処理されているため、被告人種子田が喜田幸治に支払う五億円の金の性質と、その税務処理との問題で、中々決着がつかず、その後、お互いの弁護士が代理人となって話し合いは継続され、昭和六〇年初めごろまで続いたが(右原審第一八回公判被告人種子田供述)結論が出ぬまま時間が経過し、昭和六〇年三月四日に至り、喜田幸治は被告人種子田を相手どって、精算義務履行請求の民事訴訟を東京地方裁判所に提起している(弁第三〇号証、資料七三)。

もし、原審認定の通り、喜田幸治が本件株式を昭和五五年五月末日に処分しているものならば、購入者である被告人種子田が他者にいくらで売却しようと、そのことに関して精算義務などというものが問題になる筈もなく、また、喜田がわざわざ多額の費用(印紙代だけでも二五〇万円以上を要する)をかけてまで民事訴訟を起こす訳もない。

途中、被告人種子田が一部にもせよ、五億円の精算義務を口にしたこと、右民事訴訟が本件刑事処分の強制捜査前において裁判所に提起されていること等を考えあわせると、昭和五五年五月末日の喜田幸治の本件株式の処分行為はなかったとするのが自然である。

このことについて、原判決は左記の通り認定している。

「喜田は、昭和五六年四月ころには、被告人種子田自身から旭硝子への本件株式売却で儲けたので喜田も気の毒だから五億円分けてやる等いわれ、以後右五億円の支払につき被告人種子田と交渉するも解決を見なかったことなどから、昭和六〇年三月四日、自らを原告とし、被告人種子田を被告として、金五億円の支払いなどを求める精算義務履行請求事件を東京地方裁判所に提起し、その中で伊勢化学の株式八九万四〇〇株は被告人種子田に預託したものであり、右株の売買代金とされている九、三〇〇万円は、喜田の江戸に対する借金の返済資金八〇〇〇万円と伊勢開発や喜田が昭和五五年五月に処理しなければならない手形等の決済資金の合計額で、これは被告人種子田からの借入金であって、右株の譲渡代金ではないなどと主張している。これに対し、被告人種子田は、本件の弁護人である関根弁護士らを代理人として応訴し、右八九万四〇〇株は被告会社が喜田から代金九、三〇〇万円で買い取った旨主張した。」(原判決一六丁裏一行ないし一七丁表三行)

原判決は、要するに、被告会社が喜田より九、三〇〇万円で本件株式を買い取り、旭硝子に二〇億円で売却して儲けたので、喜田に五億円を儲けた内から分けてやる等言ったことから、以後、五億円の支払いにつき、当事者で交渉が行われたというのであるが、真実、被告人種子田に本件株式が売却済であるならば、儲けた内から分けてやるかどうかは被告人種子田個人の意思の問題であって、喜田側から分けてくれと言って交渉を持つこと自体不自然であることくらい、良識ある社会人であればただちに見抜けるものであり、且つその交渉も旭硝子側から友澤潤次郎、伊勢化学からは荒川社長らが出席し、数回に亘って四者会談を聞き、その上、田澤潔を書記役に付けて「伊勢関係四者会談要旨メモ(甲第五〇号証末尾添付)を作成する程の大々的なことをするはずがない。

また、右要旨メモを一読すれば、被告人種子田が「儲けたので喜田が気の毒であるから五億円分けてやる」という様な雰囲気は全く看取されず、反対に喜田側も明らかに精算義務の履行を請求している事実が窮知できるのである。

右四者会談が不成功に終った後、喜田幸治は風間、三浦両弁護士を立てて精算義務の履行を求め、被告人種子田も関根、弘中両弁護士を代理人として、これに対応し、五、六回に亘って示談交渉を重ねたが、結局、和解に至らず、原判決認定の通り、昭和六〇年三月四日、東京地方裁判所に民事訴訟を提起したものである。

右の如き経過の中で、喜田の民事訴訟が提起されたもので、被告人種子田側としては、原告喜田の主張する精算義務履行請求の内容が全体として金二〇億円もの高額であったこと、将来、被告人種子田が精算に応ずるにしても、有利に和解により解決する必要があったために、原告喜田の「請求原因」を認める答弁書を提出することができず、又認めるには余りにも複雑な事情が内在していたために、取り敢えずこれを否認する答弁書を提出して争う姿勢を取ったに過ぎない(そのような争い方は民事訴訟では通常行われていることである。例えば、交通事故の加害者が被害者である原告の請求の棄却を求めるが如き)のであり、その後の準備手続等においても同様な趣旨で応訴していたものである。

従って、被告人種子田は右民事訴訟で精算義務履行請求を否定したのではなく、反対に、被告人種子田が積極的に五億円の精算義務を履行しようとしていた事情も窺うこともできるのである。

原判決が認定していないが、右民事訴訟は、弁論、証拠調べを経た後、裁判所の和解勧告に従い平成元年一月二二日裁判上の和解が成立している。

和解の内容は、被告人種子田が喜田幸治に対して和解金として、金一〇億円の支払義務のあることを認め、和解の席上金五億円を支払い、残金五億円については伊勢化学の株式五万株を以って支払に充てるものとするというのである。

右和解で明らかな如く、被告人種子田は喜田幸治の本件株式預託による精算義務履行したものである。

この事実から明らかな様に、原判決が、

「喜田は、本件株式の旭硝子への譲渡に対しさしたる異議も留めておらず、また、伊勢開発の破産手続終了後も前記精算義務履行の民事訴訟を提起するまでは、負債整理資金と本件株式譲渡代金との精算処理を求めていないこと、」(原判決一八丁表五行ないし八行)

と認定しているが、右認定は明らかに事実を誤認していると言わねばならない。

(三) 九、三〇〇万円の資金の流れ、及び帳簿上の処理

(1) 概説

原判決は、「(6) 被告人種子田は、同年六月上旬ころ旧知の吉田得次から六、〇〇〇万円を借入し、別途三、三〇〇万円を調達して合計九、三〇〇万円を喜田に支払い、そのころ喜田から伊勢化学の株八九万四〇〇株の引渡を受けたところ、被告会社においては、昭和五五年一一月期の決算にあたり、落合教示が被告人種子田の指示に基づき、同社が代表者から借り入れた三、三〇〇万円と、別の借入金六、〇〇〇万円をもって右株式を購入した旨の伝票処理と総勘定元帳への記帳処理をしている。」(原判決一二丁表裏)ことをもって、本件株式譲渡契約書の記載内容どおりの事実を認める根拠のひとつにあげている。

しかし、昭和五五年一一月期の決算にあたり、被告人種子田の指示に基づき判示のような伝票処理と総勘定元帳への記帳処理がなされていることは確かであるが、これは翌期における帳簿の改ざんであり、問題はそれ以前の本件株式譲渡契約書作成及びこれに続いて九、三〇〇万円を出金したときに被告会社の伝票処理がどのようになされていたか、それを右のように変更した経緯及びその原資の流れを充分検討した上で判断すべきであるのに、原判決は、右経緯、原資等につき何ら目を向けず期末における右改ざん処理が株式譲渡契約書作成内容と一致していることのみを根拠とする点で重大な事実誤認をしているといわざるを得ない。そこでこの点について検討を加えることとする。

ア 株式譲渡代金であると原判決が認定する九、三〇〇万円の金員の実際の流れは、検察官の立証のみによっては極めてあいまいであった。

査察官作成の調査書においても、単に会計伝票の仕訳内容が明示されているだけで、九、三〇〇万円自体の金員の具体的詳細な移動状況は極めて分り難い内容となっていて、不分明と言って過言でない内容であった。

しかし、右金員の実際の流れを確定することは、極めて重要である。ある物の売買がなされた場合に、その買主が誰であるかの確定につき疑問が生じたとすれば、その確定作業の重要な一内容として、当該売買代金の実質上の負担者の探究が不可欠であることは、捜査・立証上の常識である。この点、本件捜査・立証に際し、右の点があいまいにされたままになっていることは、極めて異例なケースと言ってよい。捜査官・検察官が、これらの点を調べることを失念したとは考え得ない。後述するこの点に関する具体的な事実関係を解明した上でこれを正確に把握していた筈である。有能な査察官が、右の如き初歩的調査を失念又は省略することは考えられないからである。従って査察官も検査官も、後述する真相を把握し承知の上で、敢えてこれを記録上あからさまにしない挙に出たものと推測される。この点をぼかした理由は、右の点の真相が、検察官の主張と根本的に相容れないからである。

イ 即ち、被告会社が実際に本件株式を買ったものであるならば、被告会社がその代金を用意し、支出していなければならない筈である。ところが、本件においては、被告会社は、本件当時、その代金を用意することは勿論、その支出もしていないのである。世の中には、何らかの理由によって、簿外で購入するという例もあるが、本件では、簿外で購入したという形跡もないし、検察官もそのような主張をしていない。簿外で購入するなら、簿外で処理するに足りるだけの合理的事情ないし合理的必要性等の特段の事情の存することが必要であるが、そのような事情も全く存しない。

かえって、本件においては、検察官の冒頭陳述及び被告人の捜(調)査中の自白内容によれば、被告会社が本件株式を取得した動機・目的は、専ら伊勢化学の発行済み株式の約四分の一を入手することによって、伊勢化学からその有する宮崎工場の分割を受け、被告会社の名において右宮崎工場を経営し、ヨード製造業を営み、被告人種子田の男子一生の夢たる実業界への進出を実現しようとしたことにある、と明確かつ断定的に特定されているのであるから、本件株式を簿外で取得することなど全くあり得ないところである。被告会社の名前を前面に押し出して広大な物的施設たる工場を経営しようというのであるから、本件株式の取得は、公明正大なことであり、誰はばかることなくその代金を作りその支払いをなすべきが当然な筈である。簿外処理であるとか、何らかの操作を加えるとか、かようなことをなすことはあり得ない筈である。

ウ 従って、もし当時被告会社の手持資金に不足があったとすれば被告会社の名において堂々の借入れをすればよろしい筈である。そして、当該借入金は、被告会社の公表経理されているいわゆる表の預金口座に堂々と振込を受けるなどして受入れれば良い筈である。そして、公表の預金口座に九、三〇〇万円を集中して代金を準備し、これを原資として、小切手、預手、振込み又は現金等で支払えば良い筈である。

ところが、本件においては、詳細後記のとおり、借入れをなした事実はあるもののこれを被告会社の名においてした事実はなく、しかも、当該借入金は振込送金されているのに被告会社の預金口座ではなく別人の口座で受入れており、さらに、九、三〇〇万円という金員を特定の預金口座に預金として集中している事実はあるのにその特定の口座が被告会社のものではないという事実がある。更に加えるに、このようにして集められた金員の出金の状況を検討してみても、形ばかりにせよ、被告会社を通したという形式すら存せず、被告会社を全く経由しないで支出されているのである。

エ 被告人種子田に本件九、三〇〇万円の支払いは被告会社のためになすものであるとの意思あるいは株式売買代金であるとの意思が少しでも存していたならば、右のような資金の動かし方をする筈がない。被告会社の帳簿を見れば、日々大量の金員が動いており、しかも関係会社相互間の資金移動も比較的多く見られるところであるから、被告人種子田は、それなりに資金の各会社への帰属とその処理に意を用いていたことは明らかであるからである。被告人種子田が、右のような資金の動かし方をしたのは、九、三〇〇万円を貸金であると考えていたからに外ならない。資金については、いろいろな会社名義で従来から貸付けていたからどの会社名義の預金に資金を集めてもよかったのである。

オ 以上に述べたことは、実際の資金の流れとこれに伴なう問題点であるが、次に会計伝票及び帳簿の、各経理処理について述べてみたい。実際の資金の流れが前記のとおりであることからする当然の帰結とも言えるが、当時、被告会社は、右九、三〇〇万円につき、何らの経理処理をしていない。株式取得の点についても何らの経理処理をしていない。被告会社が九、三〇〇万円で買ったのであれば、実際の資金が被告会社の内部を通るし、内部を通れば資産勘定たる預金口座の入出金に変化を生ずるから、必然的にその旨の経理処理がなされるのであるが、本件では、資金が通っていないので、全く何らの経理処理がなされていないのである。この点は、突き詰めて論ずれば、経理処理をなす意思があれば、資金の動かし方として形ばかりにせよ被告会社の預金口座を一旦は通した筈であり、逆に言えば、被告会社が本件株式を買ったとの意識が全くなかったから、資金の流れにおいて被告会社を形式的にせよ通さず、従って株式を九、三〇〇万円で買ったとの経理処理もしていないのである。このように、資金の流れ方及びこれに連動する経理処理の有無という点は、当時における被告人種子田の本件株式売買の意思、特に被告会社のためにする意思を即物的に論証する誠に重要な論点なのである。

カ なお、検察官が原審公判の最終段階に至って弁護人の求めに応じて開示された被告会社の会計伝票及び帳簿には、被告会社が九、三〇〇万円で本件株式を購入した旨の経理処理がなされている。しかし、これは会計伝票の起票も帳簿への計上も、いずれも翌期に入り当期の法人税申告期限を徒過しながら遡ってなされたものであり、しかもこれは、単なる計上漏れの補正の遅延というものではなく、実際は、実体に反する虚偽の伝票の差し込み等による会計帳簿の遡及的改ざんなのである。ところで、本件調査・捜査の段階において、右会計伝票、帳簿が改ざんされたものであるとの事実は、伝票の番号の記載の不統一(ナンバーリングと手書き)、不連続(同じ番号のものにAを付してもう一つの伝票を作る方法)等の事実によって、容易に看破し得た筈である。かくの如き経理操作を専門に扱う査察官や経済係検察官にとっては、右は容易なことであると考えられるからである。弁護人らは、昭和六一年一一月二九日付落合教示の検察官調書末尾添付の資料を何度めかに見直したときに、資料<4>の伝票写のみが添付されていて関連する株式取得の伝票写が添付されていないことに疑問を持ち、何故添付されていないのであろうかという理由につき検討するうち、右伝票の番号が手書きで「24A」とされているのに資料<18>の伝票の番号はナンバーリングで記されていることに気付いた。そこで、経理担当者を追及するなどして当時の経理処理の仕組み、実態の解明に尽力したところ、右のとおり、後日作り直した事実が明らかになってきた。そこで更に、何故後日作り直さなければいけなかったのかにつき調べを進めた結果、昭和五五年五、六月当時には被告会社の預金口座を九、三〇〇万円が経由した事実すらないということが浮かび上がってきた次第である。そこで、検察官に伝票、帳簿等の開示を求め、右の事実を確認することができたのである。見ることができる伝票が若干の枚数では、右に気付かないこともあり有るが、すべての伝票、帳簿を全体的に観察点検すれば、右改ざんの点は、プロなら直ちに看破し得る。落合教示の前記検察官調書に株取得に関連する伝票が一部しか添付されていないという事実の裏には、関連する全部の伝票を添付すると改ざんの事実が露見しやすいとの配慮が窺われるとの疑念を捨て切れない。

なお、右検察官調書の本文の内容、特に第六項の供述記載は、昭和五五年五、六月当時、前記九、三〇〇万円が被告会社を経由した事実が全くないとの事実、及び、右当時会計処理が全くなされていないとの事実と明らかに矛盾し、これら事実を単純に無視して作成されていること及び後記の伝票、帳簿の改ざんの事実につき全く触れていないことなどから、検察官の作文か、又は、右落合が無批判的に検事に迎合して作成されたものであることが明らかであり、右のような供述部分を有する以上右落合の検察官調書は他の部分を含め全体として信用できないことを付言しておきたい。

以上に概説したとおり、資金の実際の流れ、及び、経理処理がなされた時期というテーマは、いずれも、互いに関連し合いながら、昭和五五年五、六月当時、被告人種子田において、被告会社のため(又は被告会社の計算において)、本件株式を購入する意思が存しなかったことを浮きぼりにし、これを如実に物語る重要な論点であるので、以下にその実態を詳述する。

(2) 資金の流れ

ア 検察官は、本件九、三〇〇万円のうち六、〇〇〇万円は、被告会社が吉田得次から借入たものと認定している。

しかし、実際の資金の流れは、次のとおりであり、借入名義人が被告会社でないのみならず、借入金自体も被告会社には全く入金されていない。

即ち、昭和五五年六月五日、宮崎銀行東京支店の小林一郎名義の普通預金口座に吉田得次から、「イシハラタカシ」名義で五、六四〇万円が送金されている(五、六四〇万円という金額は、六、〇〇〇万円に対する月六分の一か月分の利息である三六〇万円が天引されて、送金されてきたことによる)(資料一一六、弁第九〇号証、資料一一八)。そして、小林一郎名義の右口座から右入金日である六月五日に、うち、五、四〇〇万円が払戻されて、平和相互銀行池袋支店の丸益産業株式会社の普通預金口座に入金されている。

イ また、その翌日である六月六日には、被告人種子田は、自己がかねて被告会社に貸付けていた金員(代表者勘定)の中から三、四〇〇万円の返済を受け(代表者勘定)て、同金員を小林一郎名義の口座に入金した上、同日、同額の三、四〇〇万円を払い戻して、右丸益産業株式会社の口座に入金している。

ウ このようにして、被告人種子田は、平和相互銀行池袋支店の右丸益産業株式会社の普通預金口座に、同口座の前残と合わせて九、三〇〇万円に上る資金を集めた。そして、同日、同口座から九、三〇〇万円が現金で払い戻されて、うち八、〇〇〇万円が喜田幸治の江戸英雄に対する借金の返済として右江戸の代理人池田映一に対し被告人種子田により立替支払われているのである(資料一一五)。

右のとおり、本件九、三〇〇万円は、前記吉田からの借入金のうちの五、四〇〇万円、被告会社から被告人種子田への代表者勘定(返済)として小林一郎名義の右口座に振込まれた三、四〇〇万円、更に、丸益産業株式会社の右普通預金口座の残高中の五〇〇万円の三口の資金が合体して、その原資となっているのであって、これらの資金を被告会社が支出した事実は存しない点に注目すべきである。

そして、これら資金の手当及び預金口座の移動及び払戻等は、すべて被告人種子田の判断及び指示によってなされているのである。

エ ところで、丸益産業株式会社の右口座について、国税局及び検察官は、被告会社の簿外口座とみている節がある(例えば、乙第四号証の問一一の質問の中で、「九、三〇〇万円は平和/池袋の丸益産業(株)名義普通預金口座(簿外口座)から六月六日に払い出されており、帳簿上は六月三日に支払っている」との記載がある)。

もっとも、国税局は右のうち後記の被告会社の帳簿に記載されている三、三〇〇万円(正確には三、四〇〇万円)について、「三、三〇〇万円は簿外の借入金を代表者勘定で受け入れたものである」(甲一一……有価証券売却益調査書一四頁)としているので、小林一郎名義の預金口座を被告会社の簿外口座とみているかどうか必ずしも明らかではない。しかし、平和相互銀行池袋支店の丸益産業株式会社の口座の入出金の状況をみると、これが被告会社の簿外口座と認定するのは、明らかに誤りであり、かつ、右三、三〇〇万円(正確には三、四〇〇万円)を、被告会社の簿外の借入金と認定することは正しくない。

すなわち、小林一郎名義の普通預金口座は、その入出金の状況及び被告人種子田の公判廷の供述等からして、被告人種子田個人の預金口座であるとみられる上、六月六日、被告会社から小林一郎名義の口座に移った三、四〇〇万円については、被告会社の帳簿上代表者勘定として処理されているからである(弁第九一号証の一六、資料一二〇参照)。

オ 被告会社が本件株式を買ったのが本当であり、右九、三〇〇万円がその代金であるとするならば、何故、前記吉田からの振込を前記小林一郎口座で受入れるようなことをするのであろうか。被告会社は、平和相互銀行目黒支店に当座預金口座をもっているほか、他の銀行口座も有している。前記のような動機・目的の下に本件株式を買ったのであれば、右のいずれかの被告会社の預金口座で受入れれば良いのである。例えば、右平和相互銀行目黒支店の当座預金口座に受入れたとすれば、同口座には、同日付代表者勘定名下に出金して前記小林一郎口座に振込送金されて前記九、三〇〇万円の一部を構成することになる三、四〇〇万円が残高としてあった訳であるから、前記のような煩雑な預金の移しかえを何らすることなく、単純に九、三〇〇万円を集めることができた訳である。しかも、そのようにした方が、経理処理も容易で明快である。

更に、前記のように集められた九、三〇〇万円は、その支払いに際し、被告会社の預金口座を通過させられた事実すらないのである。

カ 次に、右のうち、吉田得次から借入れた六、〇〇〇万円の返済状況を見ると、昭和五五年九月二日、平和相互銀行目黒支店から多田静夫名義で、鹿児島銀行本店の「吉田トクジ」名義の普通預金口座に六、〇〇〇万円が振込送金されて、返済されていることが明らかであり(弁第九二号証)、かつ、この返済資金は被告会社から出金されていないのである。

ところで、右借入金が、被告会社が実際に借入れたものであり、しかも、本件株式の取得資金として借入れたものであるならば、何ら隠しだてする必要はないのであるから、被告会社の名において返済すべきが当然である。更に、被告会社において返済資金を作るべきである。被告人種子田が返済資金を金策したとしても、一旦、代表者勘定名下に被告会社の預金に入金するなどすべきである。しかし、実際の事実関係は、右のとおり、被告会社は出金しておらず、送金名義人にすらなっていないのである。この事実にも注目すべきである。

また、小林一郎名義の口座から出金された前記三、四〇〇万円及び丸益産業株式会社の口座から出金された前記五〇〇万円についても、その後何らの返済又はうめ合わせ等のための資金移動は、形式的にせよ何らなされていない。

キ 吉田得次から借入れた六、〇〇〇万円に関する利息の支払についてみると、最初の一か月分の利息については、元金から三六〇万円天引されていることは前記のとおりであるが、その後昭和五五年九月二日六、〇〇〇万円を返済するまでの間の同年七月七日及び同年八月六日、いずれも三六〇万円が各月の利息として支払われている。これらの金員は、被告人種子田が、被告会社から従来貸付けている金員の返済を受け(代表者勘定)、前記吉田に対し、支払いをなしたものである。

ク 原判決は、以上の弁護人主張の実体には全く目を向けず、問題の九、三〇〇万円について「旧知の吉田得次から六、〇〇〇万を借入し、別途三、三〇〇万円を調達して合計九、三〇〇万円を喜田に支払い」と認定してしまっているのであり、この点は到底承服し難い。

(3) 被告会社の帳簿上の処理

ア 以上のような九、三〇〇万円の資金の動きに対し、被告会社の帳簿の記帳をみると、次のとおりである。(資料一一九)。

すなわち、まず九、三〇〇万円の出金についての処理は、

六月三日付の伝票(弁第九一号証の四の伝票番号24Aのもの及び伝票番号12Aのもの、資料一二〇)によれば

借方 貸方

<1> 有価証券 三、三〇〇万円 代表者勘定 三、三〇〇万円

<2> 有価証券 六、〇〇〇万円 借入金 六、〇〇〇万円

と仕訳されて、総勘定元帳に記載されている。

この処理と真実の資金の流れとの間には不一致がある。

すなわち、右<2>仕訳は、有価証券を借入金六、〇〇〇万円によって取得したとするものであるが、右借入金六、〇〇〇万円とは一体何を指すのかが全く明らかではない。右<2>の借入金が吉田得次からの借入金であるとすると、小林一郎名義もしくは右丸益産業株式会社の預金口座からの入出金が被告会社の簿外か否かは別としても、吉田得次から借入れたのは六、〇〇〇万円ではあるが、これから一か月分の利息三六〇万円が天引されているのに、この天引利息の処理が帳簿上全くなされていない上、小林一郎名義口座への五、六三〇万円の入金、あるいは同口座からの五、四〇〇万円の出金及び同額の丸益産業口座への入金のいずれとも金額が一致していないのである。

イ また、右の<1>の仕分についてみると、これは被告会社が代表者から三、三〇〇万円を借入れて有価証券を取得したとするものである。

しかし、前記資金の流れによって明らかなとおり、本件で問題となっている九、三〇〇万円は、五、四〇〇万円と三、四〇〇万円の二口の資金が平和相互銀行池袋支店の丸益産業株式会社の口座に入金され、これに同口座にあった資金が五〇〇万円加わっているのであるから、三、三〇〇万円という金額は真実の資金の動きとも全然一致していないのであり、そのころ被告人種子田個人が被告会社に三、三〇〇万円を貸付けた事実も、そのような証拠も何ら存しないのである。

しかも、九、三〇〇万円を出金したのは、六月六日であり、喜田側に渡ったのちそれ以降であるにも拘らず、被告会社の帳簿上は、九、三〇〇万円の出金前である六月三日と記帳されており、この点でも真実と不一致が生じているのである。

ウ そこで、何故に右のように理解困難な経理処理がなされているのかについて検討してみると、実際の資金の流れを全く無視して吉田得次からの借入金の金利の天引分を考慮せず、吉田得次からの借入れ金額を六、〇〇〇万円とすると、残額は三、三〇〇万円となるところから、九、三〇〇万円という金額に単純に合わせるために、右のような借入金六、〇〇〇万円と代表者勘定名目の三、三〇〇万円という二口の経理処理をして、表面的なつじつま合わせをしたにすぎないものと思料されるのであり、何故に、このような表面的かつ目茶苦茶なつじつま合わせをしたのであろうかという点につき重大な疑問を抱かずにはおられない。この点は、前記のとおり、被告会社が、翌期になってから会計伝票等を遡及的に改ざんしたために、このような結果になっているのであり、詳細は、後記(4)において述べる。

エ 次に、右吉田得次からの借入金とされている六、〇〇〇万円の返済に関する被告会社の伝票(弁第九一号証の三三、伝票番号24A)及び元帳を見てみると、九月五日付で

借方 貸方

<3> 借入金 六、〇〇〇万円 代表者勘定 六、〇〇〇万円

と仕訳されている。

右処理は、被告会社が代表者から六、〇〇〇万円を借用して、吉田に対する借入金を返済したという趣旨である。しかし、この六、〇〇〇万円は前記のとおり多田静夫名義で吉田得次に送金したものであり、当時、被告人種子田が被告会社に対し、六、〇〇〇万円という金員を実際に出金した事実もない上、実際に送金して資金移動した日付である前記九月二日という日付とも一致していないのである。

オ 次に、前記七月七日及び八月六日の利息支払の経理処理をみると、

借方 貸方

七月七日(弁第九一号証の二一、伝票番号45)

<4> 支払利息 三六〇万円 当座 三六〇万円

八月六日(弁第九一号証の二八、伝票番号87)

<4> 支払利息 三六〇万円 当座 三六〇万円

となっているのである。

つまり、右二回分の利息は、被告会社の当座から支出されているのである。

しかし、ここで注目すべきことは、右<4><5>の伝票上借方の「支払利息」の記載はいずれも従来「代表者勘定」となっていた、即ち、代表者への返済とされていたのに、これに線を引いて「支払利息」と訂正されていることである。これは、実際は、前記(2)キ記載のとおり、被告人種子田が、被告会社から、右各三六〇万円の返済を受けて、前記吉田からの個人的借入金六、〇〇〇万円の支払利息に充当していたものであることを示しており、ただ、翌朝になって、伝票を遡及的に改ざんした際、右のように線を引いて訂正したことを如実に物語っているのである。

(4) 会計帳簿の改ざん

ア 国税局の調査及び検察官の捜査の過程では、何故か全く触れられていないのであるが、右の伝票及び帳簿上の記載は翌朝になってから改ざんされたものであり、その時期は、昭和五六年二月初頃である。

右改ざんの事実は、第二〇回公判における被告人種子田の供述及び被告会社の右伝票、元帳等の体裁及び記載内容等によって、明らかである。

すなわち被告人種子田は、旭硝子との間で同会社に九三万株余を売却する旨の合意が成立したころ、旭硝子の田澤部長から本件株式が被告会社の帳簿上計上されているか否かを尋ねられ、計上していない旨を返答したところ、同部長から、それでは早急に本件株式を購入した事実等を被告会社の帳簿上に記載しておかなければいけないとの指示・指導がなされた。

旭硝子側は、前記昭和五五年五月三〇日付株式譲渡契約書が架空のものであることを察知していたが、架空とはいえ同契約書が存在すること、被告人種子田が株券を現実にその支配下においていること、同被告人は右株券を旭硝子に引渡す気であること、喜田幸治なら何とか言い含められると見込まれること等の諸事実を奇貨として、この際、正常取引とはいえないが、強引に右株券を自己の手中に納めてしまおうと考え、それには、架空とはいえ同契約書が正当なものであるような外形を整えさせ、同契約書を正当なものと誤信したと主張し得るだけの状況作りを遂げようと考え、被告人種子田に対し、右のように指示したものである。右事情を理解した被告人種子田は、右指示を受入れなければ旭硝子は買取りに応じない気配であったところから、急拠、会計伝票等を遡及的に改ざんして右指示に応じることとした。しかし、時間的に余裕がなかったことから、昭和五五年一一月期の決算及び税務申告期限である昭和五六年一月末日を徒過した昭和五六年二月初頃に至り、急拠被告会社の帳簿及び伝票の書きかえ作業をなした。

イ 右書きかえ、即ち改ざんの内容は、本件株式を被告会社が喜田から九、三〇〇万円で購入し、被告会社がその代金を支払った、という趣旨の伝票類を新たに作成し、伝票綴に差込むことであったが、前記のとおり、実際の資金の流れは、右趣旨に全く沿わない実態であったので、委細はこれを無視し、単純に表面を糊塗して辻つまを合わせて済ませることとし、当時存した被告人種子田個人の吉田得次からの借入六、〇〇〇万円という事実をここにすり替えて被告人種子田ではなく被告会社が右吉田から右金員を借入れたことにしたのである。実際に借入れた手取額は五、六四〇万円であったが、右天引の点も無視した。通常、借入金の相手方勘定は、預金又は現金等の資産勘定となるのが自然であるが、そのような実態がないので、相手方勘定を直接有価証券とせざるを得なかった。そして、右六、〇〇〇万円と九、三〇〇万円との差額三、三〇〇万円については、真実を一切無視して被告人種子田が被告会社に貸付けた金をもって充てたとの事実をねつ造して、代表者勘定名下に処理することとした。かくして作成されたのが、前記<1>及び<2>の伝票である。委細を無視したから、作成日付も、適当に入れたので実態に合っていない。これを従来から正規に作成されていた伝票綴に遡って差込むこととした。

ところで、被告会社では、かねてから毎月会計伝票を作成しており、しかも、月ごとに、作成順に、会計伝票一枚ごとに、ナンバーリングを用いて一連番号を付することになっていた。従って、右<1>及び<2>の伝票に付する番号に問題が生じた。右両伝票の日付である昭和五五年六月三日付の他の伝票が綴られているところに右<1><2>の伝票を綴り込まなければならないが、その前後の他の伝票には、既にナンバーリングで一連番号が付されているから、右<1><2>の伝票に番号のつけようがなくなったのである。その月の全伝票をすべて作り直す方法もあったが、被告会社では、その手数を省き、単に、右<1>の伝票は、六月分のナンバーリングの「12」番の伝票の次に入れることにして、<1>の伝票の上部に手書きで「12A」と枝番を付した番号を付したのである。同様に、<2>の伝票は、ナンバーリングの「24」番の伝票の次に入れることにして、「24A」と手書きで番号を付したのである。従って、他の伝票は、ナンバーリングで番号が表示されているのに、右<1>及び<2>の伝票だけは番号が手書きなので、一見して不自然である。

吉田得次からの借入六、〇〇〇万円も被告会社の借入として右のように処理した以上、その返済についても新たに伝票を起こす必要が生じたので、前記<3>の伝票を遡った日付で作成した。借方「借入金」の相手方勘定としては、通常、現金、預金、手形等が来るのが自然であるが、そのような実態がないので、代表者勘定を用いるほかなかった。この伝票についても、右<1><2>の伝票と同様の番号の問題が生じたが、右同様に、九月分のナンバーリングの「24」番の伝票の次に入れることにし、手書きで<3>の伝票の上部に「24A」と記載して済ませた。

右借入金の利息については、前記のとおり、被告人種子田は、被告会社から返済を受けた(代表者勘定)金員をもって支払っていた事実が存した関係上、それぞれ支払った当時に、伝票が作成されていた。訂正前の<4><5>の伝票が右のようにして作成されていた伝票である。即ち、いずれも

借方 貸方

代表者勘定 三六〇万円 当座預金 三六〇万円

という仕訳の伝票である。完璧に改ざんするためには、右<4><5>の伝票は、これをすっかり作り直すべきであったのに、被告会社では、時間的余裕がなかったためか、右両伝票については、作り直すことなく、単に、借方の「代表者勘定」なる文字の上に線を引いて、その上部に「支払利息」と書入れて、訂正の形で処理した。従って、伝票の番号は、ナンバーリングのままとなっている。

右のような伝票の改ざんと符節を合わせて、総勘定元帳も作り直すなどの改ざんを遂げているが、改ざん作業がスムーズに進まなかったのか、総勘定元帳は日付の順序等が前後したりしている。

以上の一連の改ざんを遂げた上、これと符節を合わせる内容の法人税確定申告書を提出した。右改ざん等に時間を要したので、期限後申告となっている。

(5) 結論

ア 以上のとおり、被告会社は、九、三〇〇万円を全く金策しておらず、従って、その支払いもしておらず、支払いをした形を作るため預金口座を通すという操作すらしておらず、伝票等の公表経理への計上も翌期に改ざんしてなしたものであり、その内容も虚偽である。従って、被告会社が、本件株式を喜田幸治から九、三〇〇万円で購入したとの事実は、全くの虚偽であることが明らかである。

イ なお、昭和五六年二月初に至って被告会社の帳簿に九、三〇〇万円に関する記帳をした事実はあるが、被告人種子田が、旭硝子の前記指示により記帳及び帳簿操作をするに至ったという経緯からして、被告会社で喜田株を九、三〇〇万円で取得したものと認識して、それ故に記帳したものとは到底認められない。したがって、単に被告会社の伝票、元帳に株式取得に関する出金等の記帳があることをもって、被告会社が喜田株八九万株を取得したものと断ずることは誤りである。

ウ また、昭和五五年一一月期の被告会社の法人税確定申告書に保有有価証券として、本件八九万株が計上されていること及び翌期の右同申告書に九三万株の五名に対する売却益が計上されている事実が存することも確かである。しかし、これも被告人種子田としては、右伝票及び元帳への記帳と平仄を合わせるため、右申告書へ計上して申告したものであって、これをもって右株式八九万株が被告会社に帰属すると速断することも誤りである。

被告会社の伝票、元帳及び法人税確定申告書に収入がある旨記載がある分について、国税局及び検察官はその実態を調査した上、被告会社には粉飾決算があったものとして、その分について、これを減算しているところである。従って、被告会社の帳簿や申告書の記載は、元来、信用性が全く存しないものというべきであり、本件八九万株の取得の有無及び売却益についても、実質的に判断すべきであって、伝票や元帳、もしくは確定申告書に記載されているか否かの形式のみで判断することは誤りである。

エ 原判決が以上の諸点を全く無視したものであることは「被告会社においては、その公表帳簿で右株は同社が買い入れたものである旨の処理をしていることは前記認定のとおりであり(被告会社における決算に右株の購入に関して期末修正をし、枝番を付した修正伝票を起票したことは被告会社が右株が被告会社に帰属するとの認識を有したことの現れであって、かかる処理がなされたことから直ちに右株の譲渡が虚構のものであることにはならない。)」(原判決二二丁裏)と判示していることから明らかである。

原判決は、公表帳簿の期後の改ざんを正しい期末修正と見て、それ故に本件株式が被告会社に帰属することの認識を有していた根拠としているが、これは帳簿及び伝票の記載を正しいものと形式的に断定したものであって、これまで詳述した諸点に照らし到底納得できない。

オ なお、本件株式売却益の帰属に関しては、当時旭硝子が公表帳簿上どのように処理したかも重要な問題と思われるが、これについては何ら明らかにされていないことを付言しておくこととする。

そして本件株式売却益の帰属については、法人税法の実質課税の原則に従い、以上詳述した事情を考慮し、その実質を充分把握して判断されるべきことである。

(四) 大和久株の売却益の帰属について

(1) 原判決の判示と問題点

原判決は、「(7) 喜田は、同年五月ころ、伊勢化学の元常務取締役であった大和久正己に対し、同人が所有する伊勢化学株四万二、六〇〇株について処分する意向があるかどうか打診したところ、一株五〇〇円位で処分したいとの意向だったことから被告人種子田に右株の買取方を要請し、被告人種子田が大和久と交渉した末、同年六月ころ、大和久は被告人種子田側に右株式を代金二、一三〇万円で譲り渡した。その際、契約書等は作成せず、大和久自身、右株の譲渡先が被告人種子田個人なのか被告会社なのかについては特に意識はしていなかった。一方、被告会社においては、同年一一月期の総勘定元帳の代表者勘定及び当期預金科目に右株購入資金を公表計上している。」(原判決一二丁裏、一三丁表)ことを根拠とし、かつ、被告人種子田が国税局の調査の初期の段階を除き、国税局の調査、検察官の取調べ段階を通じ大和久株は被告会社で購入したものであることを認めていることから、これが売却益は被告会社に帰属する旨、判示する(原判決一八丁表裏)。

しかし、代表者勘定として処理したことは被告会社に帰属しないことを明らかにしたものであって、この点原判決は重大な事実の誤認をしている。すなわち、代表者勘定により株式取得代金を出金したということは逆に代表者自身が購入したというべきだからである。だからこそ国税局の調査、捜査段階では、落合教示らに、右代表者勘定として処理したのは誤りであったとまで、その供述自体無理であり誤りと断ぜざるを得ない供述をさせてしまっているのに、原判決はこの点をも看過しているのである。

また、原判決は、大和久株及びその売却益の帰属に関する被告人種子田らの国税段階における供述の変遷が重要であるのに、これらの点も看過してしまっているものといわざるを得ない。以下これらの点について検討する。

(2) 原資と被告会社の帳簿処理について

被告人種子田が、大和久正己から伊勢化学の株式を取得するにあたり、被告会社からその取得資金を出して購入していることは明らかである。

しかし、この関係の伝票及び元帳(資料一一九)の処理をみると、昭和五五年六月二七日

借方 貸方

代表者勘定 一、六三〇万円 当座 一、六三〇万円

また、昭和五五年一一月二〇日

借方 貸方

代表者勘定 七三〇万円 当座 七三〇万円

となっており、被告会社の当座から合計二、三六〇万円が代表者勘定として支出され、これが大和久株取得資金となっていることは明らかである。もっとも大和久株取得の際、一株五〇〇円で合計四万二、六〇〇株であったから金額合計は二、一三〇万円である。

ところで問題は、株式取得資金が被告会社から出金されているとはいえ、当時代表者勘定として処理し、以降もそのままになっていることである。

また、大和久から取得した株式については、喜田株八九万株の場合と異なり、売買契約書は作成されておらず、代金と引きかえに株の授受が行われていること、更に、喜田株の八九万株の場合と異り、被告会社の法人税確定申告書の保有株式として大和久株が記載されていないことに特徴がある。

他方、昭和五六年一月二七日付の被告会社の伝票(伝票番号一五二)には

借方 貸方

伊勢株

貸付金 二一三四八三五〇 落合 一九万株 有価証券 九、三〇〇万円

〃 一四六〇六七三五 種子田 一三万株

〃 二五〇〇〇〇〇〇 〃 四万三、〇〇〇株

〃 一四六〇六七三五 〃 一三万株

〃 二五〇〇〇〇〇〇 〃 四万三、〇〇〇株

〃 二一三四八三五〇 種子田 一九万株

フジノ

〃 二一三四八三五〇 種子田 一九万株

昭吾

〃 二一三四八三五〇 古里 一九万株

と記載されている。

つまり、伊勢株を被告会社が五名に売却し、その代金については五名に対する貸付金として処理した伝票であるが、これによれば大和久株も被告人種子田に売却された旨の記載がなされているのである。

そして、大和久株は昭和五五年七月に西日本開発株式会社へ二五、〇〇〇株、ひまわり商事有限会社へ二、六〇〇株、種子田安郎へ五、〇〇〇株、種子田吉郎へ五、〇〇〇株、種子田益代へ五、〇〇〇株がそれぞれ名義変更されていて、喜田株八九万株が名義変更されないまま売却されたのと動きを異にしている。

国税局の調査書によれば、「大和久正己からの伊勢株の購入は、簿外となっているものの嫌疑法人から種子田益夫ほか四名に譲渡したとする昭和五六年一月二七日に嫌疑法人が公表に計上した譲渡利益の計算において、大和久正己から取得した株式分も含まれているから嫌疑法人の所有株式であったと判断される。また、代表者種子田益夫も『嫌疑法人のもの』と供述している」(甲第一一号証、九頁)とし、更に「大和久正己から取得した四二、六〇〇株は譲渡契約書、領収書などの物証は存しないが、種子田益夫の供述、譲渡人大和久正己の申述書に基づき一株当たり五〇〇円で総額二、一三〇万円として確定した」(甲第一一号証、六頁)として、大和久株が被告会社に帰属するものであると判断している。

しかし、右のように当初から代表者勘定として処理し、以後修正等がなされていないのに、これを簿外と認めることは全く根拠のない短絡といわざるを得ず、また、右の点などからも、公表計上の利益計算に大和久株分が含まれていることをもって被告会社所有の株式と速断することも誤りである。

(4) 次に、被告人種子田の供述を見ると、被告人種子田は国税局の調べの当初「大和久株四三、〇〇〇株は、昭和五五年七月大和久から私が買ったもの」(昌和商事から私が買ったのは誤りで当初から私が買ったもの)」と供述していたのに「乙第三六号証、問一〇の答)、その後、「ヨード製造を中央産商で行うため取得したのだから中央産商のもの」(乙第四一号証、問九の答)と供述し、大和久株を買った主体は被告人種子田ではなく被告会社であると変更するに至った。

しかし、何故被告人種子田が当初被告人種子田個人で買ったと供述したのか、その後被告会社が買ったと供述を変更した理由については、何ら具体的な供述がなされていない。

そして、大和久株については、被告会社の帳簿には取得に関し一切計上されていない。この点について被告人種子田は、「落合に購入事実、代金支払を言わなかったので、落合も計上できなかったものと思う。」(乙第四一号証、問九の答)とか、「大和久株は私の経営の西日本開発、ひまわり商事、私の子供名義に昭和五五年七月変更したので、落合が個人的なものと判断して、代表者勘定で処理したものと思います。」(同問一〇の答)と供述し、また、大和久株を右西日本開発等へ名義変更した理由について、被告人種子田は、「取得資金は、中央産商から出ておりますので、本来であれば、中央産商名義にすべきもの」だが、「将来分割問題で株主権行使に一人より数人の方が力が強いと判断したもの」とか「思いつきでやったもの」(乙第四一号証、問二一の答)と供述する一方、昌和商事の名前で売った点について「中央産商で買ったもの」だが、「中央産商の帳簿に計上されていなかったので、旭ガラスに譲渡する際、中央産商の名前を出すことができなかったので、昌和商事の名前を使っただけである」(乙第四八号証、問六の答)と供述している。

そして、被告人種子田は検察官調書において「大和久株は、喜田から大和久が家を買う資金が要るから退職金を含めた金額で買ってやってくれと頼まれて買うことになったが、大和久から買ったのは、中央産商が宮崎工場経営のために集めたものであるから、中央産商のものである」旨供述しており(乙第七号証六項、乙第九号証六項)、また、被告会社の法人税確定申告書に大和久株が記載されていなかった点について「大和久から中央産商が買った四万二、六〇〇株は、昭和五五年一一月期の申告の際には、中央産商の保有株にのってなかったが、これは私が、落合に計上しておくように指示するのを忘れただけのことです。」(乙第二一号証二項)と供述している。

いずれにせよ、大和久株について、被告人種子田は被告人種子田個人で買ったと当初供述したのに、後に合理的な理由ないし説明のないまま、被告会社で買ったものであると供述が変更されていること、しかも被告会社の帳簿及び法人税確定申告書に大和久株の記載がない点について、被告人種子田が指示を忘れた上に、落合が同人の判断で被告会社の取得株としなかっただけのことであるなどとして、いとも簡単に供述していることが、かえって不自然であると言わなければならない。

すなわち、検察官主張のとおり被告人種子田が被告会社で伊勢化学の宮崎工場を経営し、実業界への進出を計ろうとして伊勢化学株を取得したものであれば、なぜ、この大和久株について、被告会社で取得した経理処理をしなかったのか多大の疑問があり、単にその処理を忘れたとかいうことではすまされない重大な問題である。

そして、大和久株については、証拠上喜田株以上にこれが売却益の帰属に関し被告会社であると認定する原判決および検察官の主張に重大な疑問があり、中間配当受取状況等からしても、むしろ被告人種子田が当初国税局で供述したとおり、右売却益は被告人種子田に帰属するものと思料する。

なお、被告人種子田の検察官調書には「中央産商からダミー五個人に売ったときの契約書には、大和久株も含まれていました。」とあるが(乙第二一号証第二項)、これは明らかに誤りであり、契約書上四万三、〇〇〇株は昌和商事から被告人種子田へ売ったことになっていることを付言しておく(乙一九号証の添付資料<3>の昌和商事株式会社と種子田益夫との間の株式譲渡契約書参照)。

(4) 検察官の論告についての反論

検察官は、大和久株の売買益が被告会社に帰属する根拠として、<1>大和久株購入資金が被告会社の当座預金から代表者勘定で支出したとして公表計上されていること<2>被告会社から被告人種子田ほか四名に売却したとして処理した際、被告会社の総勘定元帳に大和久株を含めて公表計上していること<3>被告人種子田は旭硝子の坂部に大和久株を含めて一括買取らすよう求めていることなどをあげている。しかし右<1>については、先に述べたとおり代表者勘定として支出されているのであり、これにより被告会社が取得した根拠とはなりえない。原判決はこの検察官の誤った主張をそのまま是認してしまっており、この点で重大な事実の誤認を犯している。また、右<2>については、これこそ右<1>の関係からも誤った経理処理であって、これをもって売却益が被告会社に帰属する根拠とはなりえない。また、右<3>については、一括して買取りを求めたとしても、大和久株は前記のとおり、被告人種子田個人が買取ったものであるから、旭硝子に一括買取りを求めたとしても、これをもってその売却益が被告会社に帰属する根拠とは全くなりえない。大和久正己自身も大和久株は被告人種子田に売ったものと供述しているところである(大和久正己の検察官調書、甲第三九号証参照)。

そして原判決は、以上の諸点を看過ないし無視し、検察官の主張をそのまま是認したため重大な事実誤認を犯したものといわざるを得ない。

(五) 伊勢化学の分割という問題について

伊勢化学の分割という問題については、他の箇所において相当程度触れられているが、なおここで項を改めて論述しようとする趣旨は、右問題のもつ論点を正確に理解することが本件真相を解明する上に以外に重要であるに拘らず、原審裁判所は、右論点を正当に理解しているとは到底考えられないような説示を原判決理由中に漫然と示しているからである。

(1) 原判決中関連する説示の適示

原判決中右問題点に関連する説示をその理由中から適記すれば、左のとおりである(丁数は判決書に表示の丁数である)。

ア、「一方、喜田は、・・・・・昭和五五年五月ころ、右江戸に対する借金を返済しようと考え、被告人種子田に対し、・・・・・伊勢化学の株八九万株余全部を提供するとか、伊勢化学の業績が良好なので被告人種子田らから援助を受けた分は返済できるとか、伊勢化学の宮崎工場は将来素晴らしい生産拠点になる、八九万株持てば全株式の四分の一を集めることになり、宮崎工場を伊勢化学から分割させられるのでそれを経営したらどうか、などと申し向けて、江戸への返済資金を出してほしいと申し入れた・・・」(一〇丁表終りから三行目以下一〇丁裏にかけて)

イ、「被告人種子田は、昭和五五年九月ころから被告会社の代表取締役として・・・・旭硝子の・・・・専務取締役坂部武夫との間で伊勢化学の分割案、特に同社宮崎工場の割譲等につき交渉を重ねた・・・・」(一三丁表七行め以下)

ウ、「本件株式譲渡契約書作成に際して・・・・喜田は、種子田側から受ける資金の返済は、伊勢化学を分割し、同会社宮崎工場等を喜田側が経営することによって生ずる利益をもって返済可能であり、被告人種子田側にその実質的経営権を渡すなどと被告人種子田に申し向け、被告人種子田もこれを了承していたことが認められ」(二一丁表六目行以下)

エ、「しかも、喜田は、倒産必至の伊勢開発の負債整理を依頼した被告人種子田に全幅の信頼を寄せ、将来伊勢化学を二分し、その一方の経営を被告人種子田に委ねる意図を表明して右株を譲渡したことを併せ考えると・・・・」(二三丁表一行目以下)

原判決に示された説示は、右に見たとおりであるが、これらの説示は、漫然と読むと一見もっともらしく感じられる。しかし、本件証拠関係を冷徹に分析総合した上慎重なる検討を加えると、右は、前後矛盾するという重大なる過ちを犯しており、ひいては、右過ちが株式売却益帰属についての最終的判断の誤りを招来していることが明らかになるのである。

そこで、本件証拠関係に即し、右につき検討を加えてみよう。

(2) 分割に関する二説の対立

伊勢化学の分割と一口にいうが、本件一件記録上現れている分割に関するストーリーには、二とおりのものがある。しかも、両者は、両立し得る関係にはなく、いずれかが真実であり、残りは虚偽である筈のものである。その二とおりの話とは、左の二説である。

A説(伊勢化学の四分の一に相当する宮崎工場を分割する説)

これは、被告人種子田の検察官に対する供述調書の中において供述されているもので、検察官の冒頭陳述もこの考え方に基づいて構成されているのであるが、その内容は、次のようなものである。

即ち、「喜田側で持っている全株式約八九万株余をまとめれば伊勢化学の全株式の約四分の一に相当するから、同株式を持つ者は、伊勢化学から同社の総資産のうち約四分の一に相当する宮崎工場の割譲をうけることを同社に要求することができる。そこで、被告会社において、喜田幸治から、喜田側の右約八九万株の譲渡を受けたうえで、被告会社が伊勢化学から同社宮崎工場の割譲を受け、これを経営すればよい。被告人種子田は、喜田幸治から本件株式譲渡に際し右の如き申し入れを受け、かねて実業界に打って出ることが同被告人の夢であったことから、これを承知し、自ら宮崎工場を経営する目的の下に、被告会社の名で、右喜田から約八九万株の株式を購入した。」という概要のものである。

この説は、右内容を骨子とするもので、被告会社が喜田から本件株式を単純に買いきったものであるとの結論を最も容易に導き易い説である。この説の発生の由来、及び、同説が虚偽であること等については、別項の被告人種子田の供述の変遷に関する項を参照されたい。なお、この説は、被告人種子田の検察官調書等にみられるだけで、他に補強証拠が皆無である。

B説(伊勢化学を折半的に二つに分割する説)

この説は、喜田幸治が終始一貫して供述・証言している説で、旭硝子側の坂部武夫、友澤潤次郎らもその検察官調書の中において同旨の分割の話が存した旨供述しているほか、被告人種子田の原審被告人質問における供述内容とも合致している説であるが、その内容は、次のようなものである。

即ち、「伊勢化学の株主構成の概要は、旭硝子が五〇パーセント、喜田側が二五パーセント、江戸英雄等が二五パーセントである。従って、喜田側の二五パーセントと喜田の後ろ楯である江戸らの二五パーセントを合わせれば約五〇パーセントになる。そこで、喜田側が江戸等の賛成を得た上で、旭硝子と交渉し、伊勢化学を対等額で二つに分割し、その一つを旭硝子で、他の一つを喜田側と江戸等の連合で、それぞれ別会社にして独自に経営して行く、具体的な分割方法としては、宮崎工場、新潟工場及び千葉県内六工場中の一工場を喜田側と江戸等の連合が取得し、千葉県内の残り五工場を旭硝子側が取得する」という内容のものであり、右のようなプランを考え出したのは喜田幸治、考え出した時期は本件株式譲渡契約書の日付より大分後の昭和五五年七月ころ、旭硝子側と右の内容で現実に交渉したのは更に遅い同年秋ころである。

この説においては、喜田幸治が被告人種子田又は同人の会社に対し喜田側の株式を譲渡することは内容的に全く含まれていないし、全く予定されてさえいない。この説の内容を実現しようとした喜田幸治の狙いは、従来から伊勢化学に出向してきている旭硝子側の役員を一掃することによって、自ら会社経営を私物化しその収益をもって被告人種子田側に対する返済資金を捻出することにあった。従って、喜田が株式を手放すことなど全く考えられない訳である。

(3) 右二説は、内容が全く異なる。

右二説は、伊勢化学という会社を分割するという点では共通しているが、分割の内容が異なるだけでなく、分割を求める主体、従って分割された後の工場を経営する主体が全く異なる。A説によれば、分割を求めるのは、被告会社であり、分割される宮崎工場のオーナーは、被告会社である。法技術上の対処として将来新会社が設立されるなどのことがあったとしても、そのオーナーは、やはり被告会社である。はっきりしていることは、喜田幸治は、オーナーの立場に立つことが全く不可能であるということである。即ち、同人が分割後の宮崎工場にかかわることがあり得るとすれば、その関係は雇われ役員又は従業員としてしかあり得ないということである。

B説によれば、分割を求めるのは、喜田側と江戸等の連合体である。分割される三工場のオーナーは、当然右の連合体である。三工場を経営する新会社が別途設立されることになるとすれば、喜田幸治は、新会社の約五〇パーセントの株主となる筈であり、喜田側と江戸等の従来の関係からみて喜田幸治がそのオーナー社長として君臨することが当然予定されている。

なお、形式論理的に組み合わせを考えれば、被告会社が喜田側から約八九万株を譲り受けたうえ江戸等と連合を組み、旭硝子との間で対等に伊勢化学を二つに分割するという説が成立する余地も論理的には存するが、本件記録上そのような説が存したとの証拠は全くないので、論議の対象としない。

(4) 右二説の内いづれが真実であるかは、株式の譲渡が存したか否かという点と密接な関係がある。

A説が本件当時実際に存した話であるとすれば、喜田が被告会社に本件約八九万株を譲渡したことになるはずである。また、喜田は、伊勢化学の株主ではなくなるはずである。株主でなくなれば、その時点から喜田は、伊勢化学(又は分割後の宮崎工場)のオーナーではなくなるのであるから、これを私物化する余地はなくなる。株式の譲渡を受けた時点から伊勢化学(右同)は、被告会社の持物になるのであるから、被告人種子田としても喜田幸治としても、伊勢化学(右同)が上げる収益は、被告人種子田側のものであって、喜田幸治がこれを自由になしうると考える余地はないことになるからである。従って、株式の譲渡後、喜田が、伊勢化学の収益をもって被告人種子田側に対する債務の返済をなすなどということは、あり得ないことになる。

一方、B説によれば、当然のことながら、喜田幸治は、伊勢化学の株式を被告会社に対しては勿論誰に対しても譲渡していないことになる。喜田幸治は、オーナーの地位を維持することになる。従って、分割後の会社を私物化する余地が生まれる。従前からの江戸等と喜田との関係からみれば、喜田は、江戸等の了解を得たうえでのこととなろうが、分割後の会社の収益をもって、自己又は伊勢開発の被告人種子田側に対する債務の返済をなすことが事実上可能となる。

以上のように、A説かB説かという論点は、株式の譲渡の存否に直結し、かつ、分割後のオーナーが誰になるかに直結しており、従って、将来その収益をもって被告人種子田側への返済をなし得るか否かについての結論を左右するのである。

(5) 原判決の前記(1)記載の説示は、内在的矛盾が存する。

以上の理解を前提として、前記(1)記載の原判決の説示を検討してみよう。

(前記(1)アについて)

原判決は、喜田が被告人種子田に申し向けた話の内容として

1 伊勢化学の株八九万株余全株を提供する

2 伊勢化学の業績が良好なので被告人種子田らから援助を受けた分は返済できる。

3 伊勢化学の宮崎工場は将来素晴らしい生産拠点になる、八九万株もてば全株式の四分の一を集めることになり、宮崎工場を伊勢化学から分割させられるので、それを経営したらどうか

という三点をまず認定し、その結論として「江戸への返済資金を出してほしい」旨の申込を認定している。右各認定をするに足りる具体的証拠がどこにあるかいささか分り難いのであるが、認定根拠の点はひとまずおくとして、右のような認定自体がおかしいのである。即ち、右の2の発言が仮に存したとすれば同発言自体が、喜田が自己側の株式を手放さないことを意味しているのである。もし手放して被告人種子田側が購入すれば、同被告人側がオーナーになるのであるから、喜田としては、同被告人側の持ち物が生み出す果実をもって自己又は伊勢化学の同被告人側に対す負債の返済をなすことは考えられないからである。伊勢化学の収益をもって返済するということは、喜田側が伊勢化学のオーナーであり続けることを意味するのである。

喜田側が株式を手放しても、特殊な業界の経営ノウハウをもっているから喜田は社長であり続けられれば、その収益をもって秘かに返済をなし得るのではないかとの反論も予想されなくもない。確かに、被告人種子田側がぼんやりしていれば、右の如きこともあり得なくはない。しかし、同被告人との関係において公然となし得ることではない。全株を譲渡する以上、会社の収益は、株の譲渡を受けた者の根源的支配下にあり、雇われ社長の自由になし得るところではないからである。雇われ社長が自由になし得るのは、自己の役員報酬のみである。従って、全株を譲渡しようとする者が、右2のごとき話をすることはあり得ないのである。

右3は、前記A説である。A説が虚構であることは後述するが、右の意味において、右2と3は、矛盾していることが明らかである。

なお、前記(1)アの引用部分は、その説示の前後をみると、喜田の被告会社に対する本件株式売却の申込みとして位置付けられているかのようであるが、右引用部分自体からは、株式の売買の申し込みとは、到底考えられない。右1は、担保提供の申込みのようであり、2は、借入の申込みのための発言のようであり、3は売買の雰囲気が多少は出ているものの、その結論の「・・・などと申し向けて、江戸への返済資金を出してほしいと申し入れた」旨の認定に至っては、金員借入方の申込みそのものである。

(前記(1)イについて)

前記(1)イ記載のとおり、原判決は、被告人種子田が、昭和五五年九月ころから

4 被告会社の代表取締役として

5 坂部との間で伊勢化学の分割案、特に宮崎工場の割譲等につき交渉を重ねた

旨を認定している。

右4の点については、喜田の証言及び検察官調書、坂部武夫の検察官調書、友澤潤次郎の検察官調書のいずれによっても、否定されている。即ち、被告人種子田が昭和五五年九月ころから旭硝子側と伊勢化学の分割問題について交渉を重ねた点について、右証言及び各検察官調書は、一致してこれを認めているが、その際の被告人種子田の立場については、喜田幸治の代理人とされているのである。被告会社の代表者の立場で交渉を重ねたとの証言も供述も一切存しない。

右5は、前記A説であるが、これが虚構であることは、後述する。

(前記(1)ウについて)

前記(1)ウ記載のとおり、原判決は、本件株式譲渡契約書作成に際して、喜田は

6 種子田側から受ける資金の返済は、伊勢化学を分割し、同会社宮崎工場「等」を喜田側が経営することによって生ずる利益をもって返済可能であり

7 被告人種子田側にその実質的経営権を渡す

などと被告人種子田に申しむけた旨認定している。しかし、右6と7は、明らかに矛盾している。即ち、6では、喜田側が経営すると言い乍ら、7では被告人種子田側にその実質的経営権を渡すといっていること自体が先ずもって矛盾であるほか、内容的にみても、前記3、5においてA説を採用し乍ら右6においては「宮崎工場等」として分割対象工場を他の工場に拡げている点において3、5と矛盾しているし、さらに、6において、分割後の工場を喜田側が経営すると認定していることは、明らかに前記A説と矛盾し、喜田が株式を手放さないことを意味すると言わざるを得ない。これは、喜田と被告会社間に株式の売買があったとする原判決の結論と矛盾する。右6のようなことは、喜田が、株式の所有権を失わない場合に初めていえることである。

右7の認定もおかしい。「実質的経営権」とは一体何か、このような表現は、実質と形式がくい違う場合に用いられるものであるが、原判決は、喜田から被告会社に対する単純なる売買を認定している筈であろうから、原判決の立場によれば、従前の喜田側の株は全て被告会社に移転しており、分割後の宮崎工場は形式上も実質上も一切完全に被告会社の持ち物になる筈であり、喜田側には何らの権利も権限も皆無となる筈である。そこには、実質と形式のくい違いは全く存しない。また、実質的経営権を「渡す」などというのもおかしい。わざわざ渡さなくても、株式が被告会社に移転すれば、被告会社の持ち物になるのであるから、その経営権は、持ち主の意のままとなるが当然であって、わざわざ喜田側から「渡される」余地などないからである。

(前記(1)エについて)

前記(1)エ記載のとおり、原判決は、喜田が

8 将来伊勢化学を二分し、その一方の経営を被告人種子田に委ねる意図を表明して右株を譲渡した旨認定している。

右の如き認定をなす証拠など本件記録上全く存しないと思うが、証拠の点を別としても、右認定自体矛盾している。即ち、第一に、前記のとおり原判決は、前記A説によって論旨を進めて来ているに拘らず、ここに至って突然B説に転じていること自体矛盾である。第二に、B説に立つのであれば、喜田が被告会社に株式を売却した旨認定していることと矛盾する。第三に、「一方の経営を被告人種子田に委ねる」と認定しているが、喜田が全株を被告会社に譲渡してしまえば、喜田は、オーナーでも何でもないただの人になってしまうのであるから、経営を委ねるとは如何なる意味か不明である。前記7についてした前記批判がすべてここに当てはまるので、ここに引用する。「委ねる」余地など残らない筈なのである。

以上に述べた原判決の矛盾は、端的に言って支離滅裂といっても過言ではない程であり、誠に理解に苦しむところである。

(6) 宮崎工場分割説(前記A説)は、虚構である。

宮崎工場分割説(前記A説)は、被告人種子田が供述していたところである(質問てん末書の途中から検察官調書まで)。他に、同説を供述・証言するものはいない。書証・物証もない。

右と虚構の自白である。右が虚構であることについては、他のか所において述べられているので、重複は避けるが、ここで、一点だけ指摘しておくと、次のとおりである。

即ち、右の自白を正しいものと仮定したとして、同自白を他の関係証拠と整合性をもたせて理解することができるであろうか、という点である。

被告人種子田は、本件株式譲渡を受けるに際し、喜田幸治から、宮崎工場の分割の話を受けて、自ら同工場を経営することを決心し、そのために本件株式を被告会社において購入したこと、その後旭硝子と宮崎工場の分割について交渉を重ねたことを自白しているわけであるが、右喜田は、本件株式譲渡の時点で分割の話をしたこと自体を否定し、その後出たことのある分割の話の内容についても右を否定し、前記B説を一貫して主張しているのである。しかし、喜田の右のような主張については、同人が本件株式に絡んで民事訴訟を提起しこれが継続中であったから、強いて虚偽を主張しているとの見方があるいは成り立ち得るかもしれない。

しかし、分割交渉の相手方である旭硝子の坂部武夫や友澤潤次郎らが、現実に交渉した分割問題の内容が前記B説であった旨断言していることについては(同人らの各検察官調書)、どのように考えるのであろうか。右の坂部や友澤らは、この点につき、強いて虚偽を述べる理由も必要性もなければその可能性もない。従って、旭硝子側との交渉の中で論ぜられた分割問題というのは、前記B説のいう分割論であったことは、これを認定せざるを得ないと思料する。原判決は、この点簡単に「宮崎工場の分割等につき交渉を重ねたが」とだけ認定していて右坂部や友澤の各検察官調書の右供述部分を単純に無視しており、これら供述部分が信用できない理由につき何ら判断していないが、これは証拠の取捨選択を誤っている。旭硝子ほどの大会社であるならば、本件分割問題につき十分検討したが税務対策上これに応じられないとの理由で拒否回答した以上、この点に関する検討資料がファイルとして社内に残されている筈であり、然らずとしても右は骨の折れる検討作業であった筈であるから、その任にあった者である友澤や坂部が記憶を誤る筈がないのである。これらの点は、同人らの証人尋問をなせば、明白になる筈であった。ところで、実際に交渉された分別内容が、前記B説であったとすると、被告人種子田は、なぜB説を提案したのであろうか、ということが解明されなければならない。前記自白内容のとおり、宮崎工場の分割を狙っていたとすれば、被告人種子田は、なぜ旭硝子に対し、宮崎工場、新潟工場、千葉の一工場の分割を提案したのであろうか。この点は、どう考えても了解不能である。

右が了解不能である理由は、そもそも宮崎工場分割説が虚構であり、査察調査の途中において、被告人種子田が作り出した嘘の話だからなのである。

(六) 脱税の認識ないし違法性の錯誤

(1) 被告人種子田が旭硝子との株式売買をするに至った経緯は、次の通りである

(ア) 昭和五五年九月ごろ、被告人種子田は伊勢化学の分割に関する交渉をするために小宮山四郎代議士を同道して旭硝子を訪れ、同社の山下社長、坂部専務に面会した後、坂部専務が窓口となって以降交渉することになり、被告人種子田は何度か右会社を訪れて、伊勢化学の分割の話をしていた。

被告人種子田が提案したとする分割案は、前記の通り伊勢化学の宮崎工場のみを分離して、これを被告会社で経営するというのではなく、同社の千葉県内一工場と新潟工場、宮崎工場を喜田側に分離してくれというものであったが、旭硝子側は昭和五五年一一月二〇日ごろ、右分割案には反対である旨の意思表示がなされたものの、坂部専務より、

「自分は、将来近々社長になる。旭硝子としてはハロゲン法則というものがあって、ハロゲン法則というものは、四つある内三つは旭硝子が持っている。あと一つがヨードの元素だ。ヨード会社が自分のところに無いんだ。三つは自分の旭硝子の手中に入れているんだけれど、伊勢化学の持株比率が五〇パーセントだと自分の子会社にならない。」

「旭硝子としては『世界の旭』にさせるため、伊勢化学を完全な子会社にしたい。」

「(被告人種子田が株譲渡に)協力してくれれば、将来旭硝子の原料輸入を扱わせる。」とか「旭硝子の不動産を扱わせる」「伊勢化学からのマージンを取るのを認める」「中央産商を有限会社から株式会社にしなさい。そうすれば、旭硝子も出資して旭硝子の子会社扱いにします」

などの種々の利益を供与するが如き発言をして、喜田株の譲渡方を強く要求して来た。旭硝子としては、伊勢化学の株式を取得する利益は大きいことと、被告人種子田が本件株式をテコにして経営に影響力を行使することを嫌ったために、如何なる手段を講じても取得したかったのである。

(イ) 被告人種子田は、昭和五五年一二月ごろ、旭硝子側の強い反対態度により、会社分割を諦めざるを得ないと判断した後、売却するにしても、伊勢化学株は喜田幸治から預かったいるものであることを坂部専務に説明したところ、坂部専務は喜田幸治に対する説得は自分が責任をもってするから心配ない旨返答したので、被告人種子田は、自己が保管中の伊勢化学株を売却する気になった。しかし、被告人種子田は株式売却の条件として、伊勢開発の負債整理のために負担した金員を回収すること、喜田幸治が会長にのこれること、又その息子を役員に入れること、鉱区口を買い取ること等の提案をした。その際、一審の問題点は株式譲渡に絡む税金問題であった。

被告人種子田としては、喜田に貸付けた負債整理資金等の回収ができなくなり、その上、当時、自分も多額の負債を負担し弁済する必要に迫られていたので、資金を必要としていたが、株式を売却したことによって、多額の税金を負担するようであれば、株式を担保にして金銭の借入れをした方がよいと考え、「株を売らない方が良い」旨を匂わせたところ、坂部専務は既に先を読んでいる様子で、

「税金がかからない良い方法がある。二〇万株以下の取引には税金がかからない。そのような特別の例外がある」

と言って、濃いオレンジ色の表紙の本(縦二〇センチメートル、横一五センチメートル、厚さ三センチメートル位の税金の専門書で、質疑応答形式のもの)を開いて説明してくれた。

その時、坂部専務は真剣で右書物の該当個所を示すために、わざわざ被告人種子田の坐っている隣に来て、

「一人二〇万株以下の数量の売買には課税されない」

という趣旨の事が書いてあった箇所を指で示して被告人種子田を説得した。

被告人種子田は、それ以前に株式を取扱ったことが全く無く、坂部専務の説明が充分に理解できなかったので、昭和五五年一一月頃、司法書士、税理士、更に、日本橋税務署等で確認をした結果、課税されないことに確信を持つに至った。

被告人種子田は節税になる方法を教示してもらい、坂部専務に対する尊敬の念を一層深め、旭硝子に対し株を売却することを決めた。

(ウ) 昭和五六年一月半ば過ぎ、坂部専務から株の値段の提示があり、同人より電話で

「前に話しておいた五つの名前をどこにするのかを決めて下さい」

と催促されたので、被告人種子田はともかく実在するものであれば法人でも良いと考え、

「丸益商事(株)、昌和商事(株)、西日本開発(株)、ひまわり商事(株)、種子田益夫」の各名前を用意して旭硝子を訪問した。

その時に坂部専務、田澤は証券会社が算定したという九三万三、〇〇〇株で約一五億という金額を提示して来たので、被告人種子田はすぐにこれを了承した。

被告人種子田は用意して来た前記五名義の名前を書いたメモを坂部専務に渡したところ、同人より、

「中央産商から株を分けた契約書を作って持って来て下さい。中央産商に多少利益を付けた方がいい」

との助言を得て、旭硝子より契約書の雛形を見せて貰い、且つ「伊勢化学工業(株)株式売買」と題する書面(弁第一一四号証)を旭硝子が作成し、これに基づき、「売主側で用意するもの」と同書面に記載されているものを被告人種子田側で用意して作成した。

(エ) 被告人種子田は、旭硝子側の要請による右弁第一一四号証に基づき、書面を用意して昭和五六年一月二七日旭硝子へ赴き、五名義に分けた契約書を坂部専務(友澤、田澤同席)に渡したところ、その席で、突然に、田澤が

「法人の取引は二〇万株に達しなくとも税金がかかる」

と言い出し、坂部専務も不意を突かれた感じで、

「今日は取引ができないのか」

と叱る様に言っていた。

田澤は、被告人種子田及び坂部専務に対し、旭硝子株式会社の名前入り用紙に記載された「伊勢化学(株)株式売買」と題する書面(弁第一一四号証)を示し、右趣旨を説明して弁解していたが、坂部専務は取引ができなかったことを非常に悔しがり、

「農林中金に金を用意させていたのに」

と愚痴をこぼしていたところ、気を取り直して被告人種子田に、

「申し訳ない。僕の教え方が悪かった」

と言って詫び、更に個人名を五名用意する様に依頼した。

その際、田澤も「実在する人物でないと課税される」旨付け加えて念を押し、五名義を介在させれば、その契約が架空であっても税金は課税されない旨話しをしていた。

被告人種子田は気を取り直して「種子田昭吾」「古里盛雄」「種子田フジノ」「落合教示」「種子田益夫」の五名の名前を田澤に伝え、ただ「種子田フジノ」は高齢で金を持たない人間であるから心配である旨を話したところ、田澤は実在すれば「大丈夫です」と言って、被告人種子田を安心させた。

右の経過は、全て、旭硝子側の指導によって行なわれたもので、被告人種子田が所得税法及び租税特別措置法の非課税制度の存在すら全く知らなかったことを如実に示すものである。

(オ) 被告人種子田は、直ちに右五名の個人名義にて売却する売買契約書を作成する様社員に指示し、その際、田澤から左記のとおりの教示を受けた。その内容の要旨は、

「中央産商から五人の個人に株代金の貸付をしたという会計処理をし、株代金が入った段階で、一旦用立てた貸付の処理を返済ということで始末する。

旭硝子の用紙を使い且つ旭硝子側で記入して一覧表にした「伊勢化学(株)株式売買」と題する書面を渡され、その内容の通りの契約書を作成すること。」

というものであった。

被告人種子田は会計処理については全く理解できなかったので、その場から落合教示に電話で右種子のことを連絡して確認を取った。その際、坂部専務と田澤は

「このようにすれば、社長(被告人種子田)は株の代金を大っぴらに使えますよ」

と節税できる旨を強調して被告人を安心させ、同被告人も一流会社の次期社長となる人で且つ東京大学を卒業した坂部専務らの発言でもあるので、絶対課税されるものはないと確信するに至ったものである。

(カ) 被告人種子田は右の通り、旭硝子側で作成された「伊勢化学(株)株式売買」と題する書面に従って、本件株式を旭硝子に譲渡したのであるが、被告会社から被告人種子田ら五名の個人に譲渡し、右個人五名から旭硝子にそれぞれの株を譲渡するという形式で譲渡する方法に関し、原判決は、「被告人種子田側の発案にかかるのか、旭硝子側の発案にかかるのかはともかくとして」とし、その認定を回避している。

確かに、坂部武夫(甲第四九号証)、友澤潤次郎(甲第五〇号証、同第五一号証)、田澤潔(甲第五三号証)によると、被告人種子田の発案によって「伊勢化学(株)株式売買」と題する書面が作成されたものとする旨の供述がなされているが、本件事件が発覚し、国税局、検察庁の捜査が開始されるや、坂部ら三人は、右捜査に対しての対策を協議し、脱税の教唆に該当する様な前記の発言を一切否定すべく供述を合せた疑いもあるし、一流上場企業の社長、常務等幹部の職にあるものが被疑者として取調べられない限り、認める様な供述をするはずがない。むしろ、前記の通り旭硝子側で、本件株式を何が何でも取得する必要があったこと、被告人種子田は税金が課かる位であるなら売却しないと発言していたこと等の諸事情を考慮に入れると、被告人種子田の供述の方が臨場感もあり且つ一貫性を有しており、信用できるものである。

また、旭硝子の名前入りの用紙を用い、旭硝子側で作成されたこと明白な「伊勢化学(株)株式売買」と題する書面の内容を検討してみると、先ず、丸秘扱いとされた書面であること、売主で準備するものとして1売却代金領収書、2印鑑、3株券、買主で準備するものとして1売買約定書、2有価証券取引書、3株券受領書、4小切手、5立替金領収書として、それぞれの当事者に指示していること等を総合すると、被告人種子田の供述通り、旭硝子側の意思で作成されたことが明白であり、旭硝子側は本件法人税法違反事件に関して共犯として検挙されるべきであるのに、検察官はこれを看過しているものであり、片手落ちと言っても過言でない。

してみると、旭硝子の発案によって個人五名を介在させて本件株式の譲渡がなされたものと認定すべきである。

(キ) 以上の事実によれば、被告人種子田には節税の意思はあっても、税をほ脱する意思は全くなかったものであると言うべきである。

仮に然らずとしても、自らの行為が違法であると認識しなかったことに錯誤があり、そう誤信したことに相当の理由があるというべく、違法性の意識の可能性がなかったものとして故意ないし責任が阻却されると言わなければならない。

(七) 株式売却代金約一五億と約五億円の性質

(1) 原判決は次のとおり認定している。

ア 被告人種子田は、旭硝子側との本件株式売買交渉の中で、株の代金については一株一、六〇〇円(合計約一五億円)とすること自体には了承したものの、

イ 旭硝子側は、伊勢開発の負債整理資金を提供することについてはこれを拒絶し、本件株式の代金を約五億円上乗せし、右天然ガス鉱区の試掘権の買入、伊勢化学における喜田らの処遇につき被告人種子田の要求を受け入れることとし、昭和五六年三月一七日ころ、本件株式九三万三、〇〇〇株を被告会社から代金総額二〇億一八九万六、五一〇円(一株二、一四五円相当)で購入することとした。(原判決一四丁表一二行ないし一四丁裏六行)

(2) 弁護人は本件株式九三万三、〇〇〇株が被告人種子田個人に帰属するものであることは繰り返し主張しているところであるが、株式の売買代金についても原判決は形式のみにとらわれ、伊勢開発並びに喜田幸治の負債整理資金は、本件株式売買と無関係であると安易に判断した為に過った事実を認定したのである。

(3) 本件株式は被告人種子田が旭硝子に対し、一四億九、九五四万七、九五〇円で売却したもので、前記アの金額とイの金額との差額五億〇、二三四万二、五六〇円は被告人種子田が喜田幸治もしくは伊勢開発のために支出した融資及び負債整理資金に対する旭硝子による第三者弁済であって株式売買代金ではない。

すなわち、被告人種子田は株式の売却につき、乗り気ではなかったところ、旭硝子の強い要望により売却することとなったが、その際、売却をする条件として、前記融資資金並びに伊勢開発の負債整理資金一〇億円余を株式売買代金とは別に旭硝子が負担することを約束したこと、この約束が履行されないときは、同被告人は一切旭硝子に株式を売却しない固い決意を伝え、それを旭硝子側は知っていたこと(被告人の検察官調書乙第九号証、同乙第一〇号証、第一八回公判廷の被告人種子田の供述、坂部武夫の検察官調書乙第四八号証)、昭和五六年二月四日、被告人種子田と旭硝子との間で金一四億九、九五四万七、九五〇円にて売却する旨の有価証券売買約定書が締結されていること、その契約締結に際し、旭硝子側で用意した「伊勢化学工業(株)株式売買」(資料弁第一一四号)と題する書面で双方相互に確認して契約締結に至っていること、右約定書に基づいて、旭硝子側から株式売買代金全額の預金小切手が被告人種子田に交付され、被告人種子田より株式九三万三、〇〇〇株全株が旭硝子に引き渡されていること、などの事実が認められるのみならず、友澤潤次郎は、

「伊勢化学工業の株の価額については、最初の話し合いの時には、種子田は一株三、〇〇〇円位の金額を主張し、旭硝子の方では一、二〇〇~三〇〇円を主張しました。そして二回目の一月二七日頃の話し合いの席において、とにかく株価は一、六〇〇円で決めようということで、双方、一応納得したのです。種子田側から出ていた色々な要求については、今後も話し合うことにし、株の売買については中央産商が持っている九三三、〇〇〇株を一株一、六〇〇円で旭硝子が買うことに決めたのです。伊勢化学工業は旭硝子の重要な子会社なので、種子田の方で持っている株を他へ売られては困るという考えがあり、株の買取りについては早く話を決めたかったので、この問題だけ別に話しを進めたのです。種子田は一月二七日頃の話し合いの場において、他の事項の話しの具合いによっては、この株の売買の話もキャンセルする。」

と供述(甲第五〇号証)している通り、本件株式全株を約一五億円で売買取引をし、その取引が完結したことは明白である。

経済取引上、同時履行の関係にある双務契約について、一方が一部履行し、他方が全部履行することは通常ではあり得ない事であり、ましてや輾転流通する株式や約束手形等有価証券においては、双方とも全部を同時に履行するものである。してみると、株式売買代金全額と株式全部とが同時に履行されたものと見るのが合理的であるし、経済人同志である当事者が原判決認定の如く常軌を失した取引をするはずが無いし、不利益を被る被告人種子田が右のような取引を認容するはずが無い。

(4) 原判決は「旭硝子側は伊勢開発の負債整理資金を提供することについては、これを拒絶し」たと認定しているが、右負債整理資金一〇億の支払の合意は昭和五五年一一月中旬から下旬ごろ、旭硝子の応接室で、被告人種子田と坂部専務との二人の間で明確に支払いの約束でなされ(乙第八号証、同第二二号証、原審第一八回公判被告人種子田供述)、その後同年一二月中旬、坂部専務から委任状の作成を要求された際にも、又昭和五六年二月四日、旭硝子より本件株式の売買代金支払いの際にも確認されているのであり、本件株式の売買とは別に負債整理資金の弁済の問題が取り上げられ、その都度、坂部専務より負債整理資金約一〇億円を喜田幸治、伊勢開発に代って支払うという約束を繰返しているもので、原判決の認定の如く、負債整理資金の支払いを拒絶した事実は一切存在しない。

被告人種子田も二月四日に負債整理資金一〇億円を支払ってくれるものと思って調印に臨んだところ、負債整理資金の支払いが遅れることを説明され、その時この点を追及すると、坂部専務は「社長解っていますよ。こちらの方で出し方を研究させるから、ちょっと時間を下さい。約束は必ず守りますから、今日の取引は株の取引としてやりましょう」(原審第一八回公判被告人種子田供述、乙第一〇号証)と言い、被告人種子田は「一〇億円の問題は片づけてくれるのでなければ、株の取引は全てキャンセルするから」(乙第一〇号証)と言って株の取引の合意と、右一〇億円の支払いとは別個のものとして支払うとの合意が成立したので、被告人種子田は本件株式全部を坂部専務に交付し、本件株式売買を結了させているのであり、原判決は明らかに事実の誤認をしている。

(5) 以上のとおり、昭和五六年二月四日に支払われた株式売買代金約一五億円と同年三月二〇日に支払われた約五億円とは全く性格を異にするもので、後者は株式売買の名目にはなっているものの、その実質は旭硝子において前記のとおり負債整理資金の一部を伊勢開発及び喜田幸治に代わって支払ったものである。

(八) 売却代金の使途について

(1) 原判決は、本件の有価証券「売却益は被告会社に帰属するもの」と認定しているが、関係証拠によれば、被告会社に帰属しているとは到底認められない。

利益の帰属の主体を判断するのに、その利益の実質的享受社が誰にあるかを判定することが極めて重要である。

原判決が認定するように、本件の有価証券の売却益が被告会社に帰属しているとすれば、売却代金が、当初、架空名義の預金等によって分散秘匿されていたとしても、結局はその利益が被告会社に還流され、被告会社が「売却益を享受した」と見られる状況がなければならないはずである。

本件について株式売却代金の流れを見ると、到底、被告会社に売却利益が還流したと認めることはできない。

(2) 原判決は、

「被告人種子田は、旭硝子が被告会社に本件株式の譲渡代金〔一九億九二八八万八〇〇〇円(有価証券取引税九〇〇万八五一〇円控除後)〕として、同年二月四日一四億九二八〇万円、同年三月二〇日五億八万八〇〇〇円を農林中央金庫本店振出の自己宛小切手で受け取り、それぞれその日のうちにこれらを現金で引き出し、その殆どを武蔵野信用金庫、平和総合銀行、宮崎銀行の仮名預金口座、被告会社や丸益産業等被告人種子田が代表取締役をしている関係会社の預金口座に一旦入金し、その後、三億一〇〇〇万円余が貸付金として、代表者勘定として二億四八〇〇万円余が、また、被告会社を含み被告人が代表取締役をしている関係会社の事業資金として九億三七〇〇万円余が使用されるなどしている。」(原判決一五丁裏一〇行ないし、一六丁表九行)

と認定している。

右原判決の認定は、弁護人主張の通りであるが、原判決は本件株式の譲渡代金の使途について、更に、「被告人種子田は、丸益産業等多数の会社の経営権を一手に掌握し、金銭を運用するのにどの会社を利用するかについて自ら決定できる立場にあったことが窺われ、かかる立場にあった被告人種子田が前記1の(11)、(12)で認定した通り、本件株式譲渡により被告会社に多額の税金が掛かるのを免れようと被告会社と旭硝子の中間に被告人種子田ら個人五名を介在させる措置まで講じていることに鑑みると、本件株式の譲渡代金のうち、帳簿上被告会社を通し、あるいは被告会社における代表者勘定を利用する形で使用した金額の占める割合が少ないことをもって本件株式の売却益が被告会社に帰属しないとは認められない。」(原判決二三丁裏三行ないし一三行)

として、結局、「売却益は被告会社に帰属した」と結論付けているのである。

(3) 原判決は、本件株式の売却益にうち、被告会社が実質的利益の享受を受けた割合が少ないと認定しているものと考えられるが、正に右認定通りであり、甲第一八号証株式譲渡代金使途調査書を精査分析してみると、株式譲渡代金等の使途総額金二二億円余のうち、被告会社において実質的、終局的利益を享受し他金額は金四億六、〇〇〇万円余で、全体の僅か二一・二パーセントに過ぎない。

他方、被告会社以外の被告人種子田個人並びに被告人種子田の関係会社の事業資金として使用され、それ等の者が得た利益は、実に一七億三、〇〇〇万円余に上り、使途総額全体に対し七八・八パーセントとなる。

このことは実質的所得者課税の原理上、全体を被告会社の収益と評価することができないことを意味するもので、敢えて言えば、収益を享受する者としては被告人種子田個人と判断するのが合理的であるはずである。

(4) 原判決は、本件株式の売却益が被告会社に帰属する理由として、

「被告人種子田は丸益産業等多数の会社の経営権を一手に掌握し、金銭を運用するのにどの会社を利用するかについて自ら決定できる立場にあった」

ものと認定しているが、右は弁護人が主張する通り、被告人種子田が売却益の享受者であることの理由付けになり得ても、被告会社に帰属する理由にはなり得ないのである。

何故なら、実質的、終局的利益を享受する者は、多数の会社の経営権を一手に掌握している被告人種子田個人であって、被告会社ではないからである。

国税局の右株式譲渡代金使途調査書は、前記の通りこのことを如実に物語っているものであり、且つ、正確な調査であったことを裏付けたものと言ってもよい。

更に、原判決は、

「本件株式譲渡により被告会社に多額の税金が掛かるのを免れようと被告会社と旭硝子の中間に被告人種子田ら個人五名を介在させる措置まで講じていること」

を理由として掲げているが、これも又、被告人種子田個人が自己に多額の税金が課税されない様に旭硝子から教示されるままに行った措置であり、被告会社に利益を帰属させるために講じられたものでは断じてない。

被告人種子田の立場からすれば、被告会社には、その公表帳簿上受入れている金三、二〇〇万円の利益を享受させても、それ以上本件株式売却益の大きな部分を享受させる意思はなかった。それは前記の通り、金四億六、〇〇〇万円余のものを享受させても、それ以上の利益を被告会社に帰属させる意思はなかったのであるから、原判決が、

「被告会社から被告人種子田ら五名への本件株式の譲渡を仮装した措置も究極のところ被告会社から旭硝子へ直接譲渡することによって生ずる被告会社の株式売却益に対する課税を免れる脱法的手段としてなされたもので、このことは、被告人種子田自身本件株式の売却益が被告会社に帰属するとの認識の上に立ってとった措置とみるのが自然である。」

と認定しているのは、明らかに右使途を正確に理解せずして下した誤った判断であると言わざるを得ない。

(5) 以上の通り、原判決は、帳簿上被告会社を通じ、あるいは被告会社における代表者勘定を利用する形で使用した金額の占める割合が少ないことを以って、本件株式の売却益が被告会社に帰属しないとは認められないと判断しているが、何故そう判断したのか全く理解できない。

(6) 国税局は本件株式譲渡代金等の使途について次の通りである旨主張するので、この主張に基づいて詳述する。

A1 預金 三億五、九〇〇万円

2 貸付金 三億一、〇〇二万円

3 建物 一五〇万円

4 代表者勘定 二億四、八八二万八、九五〇円

5 借入金 六〇〇万円

6 伊勢開発勘定 三億三、九二〇万一、七三四円

小計 一二億六、四五五万〇、六八四円

B関係会社の事業資金として運用

1 中央産商(株) 三億七、八七五万四、二四四円

2 丸益産業(株) 二億七、三九五万六、〇七九円

3 (株)丸益産業 三六万六、〇〇〇円

4 丸益通商(株) 四、三〇〇万円

5 西日本開発(株) 三二九万七、一七六円

6 ひまわり商事(有) 二億三、八三一万五、八〇四円

小計 九億三、七六八万九、三〇三円

合計 二二億〇、二三九万九、九八七円

(7) そこで、右国税局の使途金額について、前記甲第一八号証により本件株式売却益の実質上の帰属者を明らかにする。

(ア) 預金 三億五、九〇〇万円の実質的収益の帰属

甲第一八号証株式譲渡代金使途調査書三三頁によると、右金員は被告人種子田個人の支配管理に係る定期預金であって、一、四〇〇万円を預け入れた一六銀行を除いて全て武蔵野信用金庫に預け入れられたものである。

右金員のうち昭和五六年八月二五日武蔵野信用金庫江古田支店に預金された四、〇〇〇万円については本件株式譲渡代金以外の資金(種子田個人もしくはその関係会社の独自の営業活動によって得られた資金)が流入した疑いもあり、右金員全額を株式譲渡代金と断定するのは早計であるが、いずれにしても、この預金はそれぞれ架空名義で預金されて、被告人種子田の支配下にあったものであって、被告会社に帰属するものと認定する根拠は全く無い。これは被告人種子田が、本件査察調査・捜査に当って帰属主体を被告会社にするために、この預金も被告会社に帰属すると供述しただけにすぎないものであり、客観的根拠は全く無いのである。

反対に被告人種子田は「個人的消費額一億六、八〇〇万円、その他関係会社からの借入金等合計三億円位株式譲渡代金を使い、大変贅沢をし、最低でも貴局の計算したものは使っている」(乙第四六号証一五項)旨供述していることから判断すると、終局的収益の帰属は種子田個人とみるのが自然であり合理的である。

(イ) 貸付金 三億一、〇〇二万円の帰属について

前記甲第一八号証三三頁に記載されている(有)花園観光の二、〇〇〇万円(昭和五六年四月一五日付)を含めて全て被告人種子田が同人並びにその従業員落合教示名義でそれぞれ貸付けたもの(甲第九号証受取利息調査書六頁)である。

三和薬品に対する金八、〇〇〇万円の貸付金は、株式譲渡代金の一部を宮崎銀行本店田中食肉センター(株)名義の口座を経由し、昭和五六年三月二六日付貸主種子田益夫として金銭消費貸借公正証書を作成している(甲第九号証三頁)が、その受取利息合計二、七四五万円全額を被告人種子田が受取り(乙第一号証昭和六一年二月一三日被告人の収税官吏に対する質問顛末書によると領収書も種子田個人名義で提出されている)、実質上の利益を得ている。

その他南日本商事、尾崎清光、富永吉武、富山勝博、東貞光外に対する貸付金は右と同じく被告人種子田個人が貸付け利息等利益収益は、全て被告人種子田個人が享受しているもので、それらが被告人種子田個人に帰属するものであること明白である。

(8) 代表者勘定名下の二億四、八八二万八、九五〇円の収益の帰属について

代表者勘定は、代表者被告人種子田が被告会社に対して金員の貸付をしたり或い貸付けた金銭の返済を受けたりする一時的な勘定科目であるが、本件の代表者勘定をみると、要は、被告人種子田個人が費消したと思われる金員を、本件調査の段階で、ただ単に、被告会社の代表者勘定の科目に入れ込んで処理したものにすぎないものであり、その収益の享受者は被告人種子田個人であることは明らかである。(この点に関し、乙第四六号証に個人的借入金の返済に約二億五、〇〇〇万円を使った旨の供述があり、検察官の調査と一致している)

(9) 伊勢開発勘定とされている三億三、九二〇万一、七三四円の収益の帰属について

前記甲第一八号証三六頁によると、昭和五五年五月に武蔵野信金江古田支店から伊勢開発名義で借り入れた二億五、〇〇〇万円の返済として二億五、三九九万三、一五〇万円を使っていること、また、伊勢開発の債権者である日本ゴルフ信販、有賀延興らに対する支払いとして八、〇〇〇万円余を使っていることを併せて、伊勢開発勘定として処理しているものである。しかし、武蔵野信金江古田支店よりの借り入れは被告会社ではなく、別項で既に述べたとおり、伊勢開発名義で借り入れたものの、実質は同支店と取引のあった丸益産業ないし被告人種子田の借入れとみるべきものであり、その返済について被告会社がこれをなしたとする証拠は全く無い。また、日本ゴルフ信販、有賀延興らに対する支払いも、伊勢開発の負債整理の一環として被告人種子田が実行したものであって、被告会社とは無関係である。

すなわち、この伊勢開発勘定も、株式売却代金の中から武蔵野信金への返済や伊勢開発の負債整理資金に使っていることを本件調査の段階で、ただ単に、伊勢開発勘定として被告会社に組み入れて処理したものにすぎず、被告会社の勘定科目とする客観的根拠は皆無である。

ただし、武蔵野信金江古田支店よりの借入金二億五、〇〇〇万円が実質的に被告会社に帰属していたとすれば、名義等の如何にかかわらず、その返済は被告会社のためになされたものであって、株式売却益が被告会社に帰属すると言えるかも知れない。そこで、右借入金二億五、〇〇〇万円を誰が使ったのか、その使途を検討し、使った者が実質上の利益の享受者となる。甲第一七号証負債整理資金使途調査書によれば、

被告人種子田個人が費消したと考えられるもの 八、八四一万円

被告会社で使用したもの 八、〇八七万五、一四四円

伊勢開発(株)の資金として支払ったもの 六、四二五万八、二五〇円

丸益産業(株)で使用したもの 一、九一八万円

合計 二億五、二七二万三、三九四円

(右甲号証によると、二億五、〇〇〇万円を超える金員は伊勢開発の提供した供託金二、六七〇万円のうち一、七〇〇万円並びに同者振出小切手五〇〇万円のうち三〇〇万円が流入したものと考えられる。)

となり、被告会社で費消したのは、金八、〇八七万五、一四四円にすぎず、敢えて言えば、この金額が国税局の分類した伊勢開発勘定中の被告会社受益分ということになる。

(10) 以上の通り、株式譲渡代金等の二二億〇、二三九万九、九八七円の使途金額を実質的・終局的利益の享受者別に分類すれば、左記のとおりである。

被告会社の事業資金として運用されたものは建物一五〇万円、借入金六〇〇万円(これも意味不明)、事業資金の三億七、八七五万四、二四四円及び前記の八、〇八七万五、一四四円の合計金四億六、七一五万九、三八八円となり、右使途総額の僅か全体の約二一・二%に過ぎない。

他方、被告会社以外の被告人種子田個人並びに関係会社の事業資金として使用されたものは実に一七億三、五二四万〇、五九九円となり、使途総額に対し約七八・八%となる。その内訳は左記のとおりである。

被告人種子田個人に帰属するもの

一〇億一、四〇五万八、九五〇円

丸益産業(株)の事業資金として運用したもの

二億九、三一三万六、〇七九円

ひわまり商事(有)外二社の事業資金として運用したもの

二億八、四九七万八、九八〇円

伊勢開発(株)勘定

一億四、九四六万六、八二四円

このように、株式譲渡代金等の使途を詳細に分析してみると、終局的実質的収益の割合が一番大きいのは被告人種子田個人であって、全体の四六パーセントにもなり、次いで丸益産業(株)、ひまわり商事(有)、丸益通商(株)、(株)丸益産業等の関連会社合計額が二六・二パーセントにもなっている一方、被告会社の割合は前記の通り僅か二一・二パーセントと全体の四分の一以下である。

(九) 修正申告と納税について

本件法人税法違反事件について、被告会社において、昭和六一年三月一三日国税局の調査結果に基づき修正申告を行い(弁第九六号証)、且つ、これにつき本税及び附帯税並びに地方税を完納したことは事実である(弁第九七号証、同第九八号証)。

このように、修正申告をして国税及び地方税を完納したのは、これまで詳述した通り、被告人種子田としては国税局の調査段階で、被告人種子田個人に対する所得税法違反事件から被告会社に対する法人税法違反事件へと変更してくれたこと及びこれを後日被告人種子田において、変更することはせず修正申告をして完納することの約束をしていたことによるものである。決して、本件株式売却益等の帰属を真実、被告会社のものと認めて修正申告・納税をなしたものではない。

従って、この修正申告及び納付の真実を本件株式売却益等の帰属を左右するものと見るのは正しくない。

(一〇) 被告人種子田の検察官に対する本件株式購入についての供述

(1) 被告人種子田の本件株式購入に関する検察官調書を要約すると次のとおりである。

即ち、

<1> 昭和五五年五月から六月にかけて、被告会社は喜田幸治より八九万四〇〇株を、大和久正己から四万二、六〇〇株を購入し、それを併せて旭硝子に売却した。

<2> 喜田幸治から買受けた八九万四〇〇株の株式は、伊勢化学の株の約四分の一に当たり、「伊勢化学の宮崎工場は、伊勢化学と分割することが出来るから、これを経営してみないか」と喜田幸治から申し込みを受け、しばらく考えた後、八九万株を買取ってヨード製造事業に乗り出し、実業家として故郷に錦を飾りたいとの気持ちからこの申入れを受けることにした。

<3> 開発銀行等から融資を受ける関係上、工場を経営する会社を被告会社とし、株の譲受けは被告会社ですることにした。

等々というものであり、要するに、被告人種子田の供述によれば、「本件株式を取得した動機は、四分の一の株式を取得して宮崎工場を分割し、実業の世界に乗り出す」「融資を受ける等の関係から、本件株式を譲受ける会社は被告会社にした」というものである。

被告人種子田の供述の変遷については、国税当局に対する供述の変遷と併せ、のちに詳述するが、大局的には、同変遷の過程の一局面として、被告人種子田の検察官調書が作成されており、そのこと自体において信用性がないものである。

(2) 検察官調書を具体的に見ても、次のとおり、虚構であることは明らかである。

ア、分割計画

被告人種子田の検察官調書(乙第四号証)によれば、喜田幸治から「江戸さんに預けてある四九万株と、自分の四〇万株とで、伊勢化学の株の四分の一になるので、これを買ってほしい。伊勢化学の宮崎工場は、伊勢化学と分割することが出来るから、これを経営してみないか」という申込を受けたことになっている。

またこの申込について、被告人種子田は「一〇日間程考え、伊勢化学の株八九万株を買取り、宮崎工場を経営してヨード製造事業を行おうと決意した」旨の供述がなされている。

確かに、昭和五五年の後半に至り、伊勢化学の分割の話が喜田幸治から出ていることは事実である。

しかし、伊勢化学を四分の一に分割し、それに相当するものとして、宮崎工場を分割するなどという話は、一度も出たことがない。

喜田幸治の検察官調書(甲第二四号証)によれば、伊勢化学の分割の話を持ち出したのは昭和五五年七月頃になってからである。本件株式売買時とされる昭和五五年五月三〇日前に、そのような話が出たというような証拠は何処にも存在しない。

また、同検察官調書によれば、このとき喜田幸治が持ち出した企業分割案は、旭硝子側と喜田幸治・江戸英雄側との、二分の一ずつの分割案であった。

坂部武夫の検察官調書(甲第四八号証)によれば、昭和五五年一〇月頃に、被告人種子田が喜田幸治と二人で旭硝子本社に赴き、「伊勢化学の会社を二つに分割し、一方を旭硝子が経営し、もう一方を喜田幸治側で経営したい」旨持ち出してきたという供述がある。

坂部武夫の供述によれば、喜田幸治の持ち出した分割案というのは、「千葉県内の五ケ所の工場を旭硝子側がとり、千葉県内の残一ケ所の工場、新潟県内の一工場、および宮崎県内の一工場を喜田幸治側がとって分割する」という内容であった旨の供述がなされている。

以上のとおり、喜田幸治の検察官調書および坂部武夫の検察官調書のどちらをとってみても、伊勢化学の四分の一分割案というものは何処にも出てこない。

これは、被告人種子田が、自己が取得した株式がたまたま四分の一であったところから、四分の一分割案を査察調査の段階において考え出し、これに宮崎工場を充てたものに他ならない。

即ち、宮崎工場を分割して経営する目的をもって、四分の一の株式(本件株式)を取得したなどという被告人種子田の検察官に対する供述は、全くの虚構である。

喜田幸治の当公判廷における供述によれば、宮崎工場のみでは、その当時でも赤字であり、宮崎工場のみを分割経営するなどということは、経済的に実現不可能な案であると考えられる。

この点からしても、宮崎工場分割の話は虚構であることが明白である。

イ、被告会社を受皿会社

被告人種子田は、検察官調書において、「開発銀行から融資を受ける等のため、工場を経営する会社に中央産商を充て、本件株式の譲受けも中央産商で行うことにした」旨の供述をしている。

しかし、被告会社は、資本金三、〇〇〇万円の有限会社であり、ハンバーグ等の製造及び食肉加工等を主たる目的としていた会社である。その食肉加工等の本業も軌道には乗っておらず、検察官主張のとおり、ありもしない売上を計上し、粉飾をしていたような会社である。このような状態の会社が、開発銀行等の政府系金融機関から融資を受けられるなどとは到底考えられないことは、被告人種子田においても充分知悉していたものである。

政府系金融機関から融資を受けるため、被告会社を受皿会社にしたなどという供述は、あとになって考え出されたことであり、伊勢化学が政府系金融機関から融資を受けていたことにヒントを得たものである。

また、開発銀行等政府系金融機関から融資を受けるという目的を持ったにも拘らず、小規模会社の形態をとる有限会社を受皿会社にしたということは、素直には受けとり難い。

被告人種子田の経営する会社には、株式会社もあり、それを受皿会社に充てることも十分考えられた筈である。

この理由も、あとで考案された理由と考えるのが自然であり、被告人種子田の検察官調書は虚構に基づくものである。

ウ、企業分割についての方法論およびその準備

被告人種子田は、「宮崎工場を分割し、実業の世界に乗り出す為に本件株式を中央産商で取得した」旨の供述をしているが、被告人種子田は、その具体的方法等につき、一切弁護士、会計士等に相談したことがなく、分割・経営をどのように進めるかの研究さえしていない。

「宮崎工場を分割する」と一口に言っても、その方法は法律的・経理的・人事的にかなり複雑な問題を含んでいる。

それにも拘らず、被告人種子田は、事前にこれらのことについて、一切弁護士にも会計士にも相談をしたという形跡が存在しない。被告人種子田の周りには弁護士も会計士も存在しており、いつでも相談に応じてもらえた筈である。

それにも拘らず、相談の形跡が一切ないということは、企業を分割し、宮崎工場の経営に乗り出すこと自体が虚偽であると見るのが妥当である。

また被告人種子田は、本件株式を取得したとされる昭和五五年五月三〇日以前に、宮崎工場を分割し経営するために必要と考えられる準備行為のうち、ひとつもこれを実行していない。

その準備行為として考えられるものの中には、通常、<1>工場の視察 <2>工場の土地・建物等の所有関係並びに担保設定関係の調査 <3>試掘権等の設定状況 <4>工場独自の採算性 <5>工場の人事・労務の実情 <6>工場独自の諸問題 <7>工場独自の負債の明細 <8>スタッフによる検討 <9>社員・事務所の準備 <10>分割の可能性の模索、特に江戸、旭硝子、三鬼陽之助との接触、等々が考えられる。

しかし被告人種子田は、昭和五五年五月三〇日以前において、これらのひとつをも実行していない。

宮崎工場を分割し、事業の世界に乗り出そうという者が、これらの調査を全くせずして、株式を取得するなどというような非常識なことが果たしてあり得るのだろうか。

結局のところ、宮崎工場を分割して事業の世界に乗り出すという供述は、これらのことからも全くの虚構であることが明らかである。

エ、本件株式取得資金および経理処理

被告人種子田は、宮崎工場を経営する会社として被告会社を充てることとし、株の譲受けも被告会社で行った旨の供述をしているが、この株式取得における代金の支払、および帳簿処理については、既に前記(三)で述べたとおりであり、予め本件株式の譲渡人を被告会社と決定していたということとは、明らかに矛盾する。

この点も、被告人種子田の検察官調書における虚構である。

オ、被告会社および丸益産業の定款変更

丸益産業株式会社の商業登記簿謄本の目的欄をみると、昭和五五年六月七日に「沃素、臭素及びこれ等の化合物並びに医薬品の製造、加工及び売買」「ニッケル、コバルト等の金属及びこれ等の化合物の製造、加工及び売買」の目的が追加されている(弁第八三号証、資料一〇六)。

因に、これは前述のとおり、被告人種子田がヨードの「一手販売に関する基本契約」によって、カラブリアン・ジャパン・リミテッドからヨードの販売手数料を受領するために、目的欄を追加変更したものであり、丸益産業株式会社がヨードの販売手数料を受領することになるや、直ちに行われたものである。

しかし、被告会社の商業登記簿謄本の目的欄を見ても、ヨードに関する定款変更はなされていない(弁第八四号証、資料一〇七)。

もし仮に、被告会社が真実宮崎工場を分割経営するということになったなら、被告会社も直ちに定款変更されていて然るべきであろう。昭和五六年二月二一日、被告会社は定款変更しているのにも拘らず、ヨードに関する目的は追加されておらず、「競争馬の生産、飼育及びレース出走による賞金の獲得」等が追加されているのみである。

また資本金、役員等についても、何らの変化がなく、本件株式を取得するにつき、被告会社をもって宮崎工場を経営しようとしたという供述は、全く虚偽のものであることが明白である。

以上のとおり、検察官に対する被告人種子田の供述は、本件株式売買の受益者を被告会社とするために作り出された虚構である。

二 受取手数料および受取利息の帰属主体について

1 受取手数料について

原判決は、「本件試掘権は被告会社に帰属するものと見るのが相当であり」(原判決二五丁表二行乃至同三行)と判示し、その理由の一つとして、「本件試掘権は、被告会社の設立手続きに参画し、途中一時期辞任したことはあるものの設立当初から被告会社の取締役である多田静夫名義をもって昭和五五年八月八日福岡通商産業局長宛に出願されたものであること」(原判決二四丁表八行乃至同一一行)を掲げている。

確かに、多田静夫が被告会社の取締役の欄に名を連ねていた時期が存したことは事実であるが、これは単に被告人種子田より「名前を貸してくれ」と頼まれて名義を貸していたものに他ならない。多田静夫は、被告人種子田に印鑑等を預けており、被告人種子田は自らが経営するいくつもの法人の取締役に多田静夫の名前を連ね、その名義を利用していたものである。よって、多田静夫が被告会社の取締役であるということは、本件に関し全く意味のないことである。

また原判決は、前記のとおり「多田静夫が被告会社の設立手続きに参画した」旨述べており、如何にも多田静夫が被告会社の内部において重要なる職責を有しているかのような表現をしているが、実際には、多田静夫は被告人種子田の使い走り程度の仕事をしていたに過ぎず、原判決の掲げるこの理由は、全くの事実誤認というべきである。これらのことについては、多田静夫の検面調書をみれば一目瞭然である。

次に原判決は、「多田はもちろん被告人種子田においても個人として本件試掘権を出願する格別の事情はなかったこと」(原判決二四丁表一二行乃至同一三行)を理由として掲げている。

しかし、被告会社においては本件試掘権を出願する格別の理由はなかったものであるが、被告人種子田には本件試掘権を出願する明白な理由が存在していたものである。即ち、被告人種子田は、伊勢開発および喜田幸治に対して多額の債権を有しており、この債権を回収するために、伊勢化学から何らかの名目を設けて出金させる必要があったのである。そこで本件のような試掘権をでっちあげておき、いずれ機をみて伊勢化学にこれを買取らせ、被告人種子田の債権を減らそうと謀ったものである。

弁護人らが再三述べてきたとおり、被告会社が伊勢化学を経営するなどということはあり得ないことであり、被告会社で試掘権を取得しておく理由も全く存在しない。仮に、被告会社においてその必要性が存していたのであれば、正々堂々と被告会社の名前で本件試掘権の出願を為していた筈である。

本件試掘権出願は、被告人種子田の喜田幸治および伊勢開発に対する債権の弁済資金を伊勢化学から捻出しようとした、被告人種子田および喜田幸治両名の企画に他ならない。この点についても、原判決は明らかに事実誤認をしているというべきである。

尚、この件に関しては、一-(二)-(1)-イ「試掘権の設定」で詳細に述べたとおりである。

次に原判決は、「伊勢化学による本件試掘権の買取は旭硝子に対する本件株式譲渡のいわば条件として被告人種子田から坂部に要請されたものであったこと」(原判決二四丁表一三行乃至二四丁裏二行)を掲げている。

確かに、本件試掘権の買取は本件株式譲渡の条件として出されているものである。しかし、だからといって、本件試掘権が被告会社に帰属するという理由にはなり得ない。元々、本件試掘権の買取は、被告人種子田の喜田幸治および伊勢開発に対する約一一億円余の債権をどのようにして処理するかという問題の解決策の一つとして画策されたものである。旭硝子が、被告人種子田の喜田幸治および伊勢開発に対する債権の弁済のために出金する名目が立たなかったため、本件試掘権の設定を利用して、これを伊勢化学に買取らせることにより、その目的を達したものである。原判決は理由にもならない理由を述べているというべきである。

更に原判決は、「落合教示に指示して被告会社が多田から一、〇〇〇万円で購入し、これをペーパーカンパニーである中物産有限会社に二、四〇〇万円で譲渡したとし、差額一、四〇〇万円を被告会社の昭和五六年一一月期の総勘定元帳に記載させて公表計上し、昭和五七年二月一日に所轄税務署長宛に提出した被告会社の昭和五六年一一月期の法人税確定申告書の損益計算書中の営業外収入の項にこれを記載していること」(原判決二四丁裏四行乃至同一一行)を掲げている。

しかしこれは、被告人種子田が本件試掘権を直接伊勢化学に売却した形にすると莫大な税金がかかるところから、その脱税の手段として立案されたものに他ならない。このことをもって、本件試掘権が被告会社に帰属する理由にはなり得ないものである。

最後に原判決は、「被告人種子田としては当初から本件試掘権が被告会社に帰属するとの認識を有していたこと」(原判決二四丁裏一二行乃至二五丁表一行)をその理由として掲げている。

しかしながら、このような事実を認定し得る証拠はどこにも存在しない。

以上、原判決が「本件試掘権は被告会社に帰属する」として掲げている理由を逐一検討してみたが、原判決を肯首し得る点は全く存在せず、原判決は明らかに事実誤認をしているというべきである。

2 受取利息について

(一) 原判決は「右受取利息は被告会社に帰属するものと言うべきである」(判判決二五丁裏三行乃至同四行)と判示している。

その理由として、本件株式売却益および本件受取手数料収益の帰属者は被告会社であり、受取利息は右収益を原資として発生したものであることを掲げている。

しかし、本件株式売却益および受取手数料収益の帰属者が被告会社ではなく、被告人種子田であることについては、既に詳細に論述したとおりである。当然の帰結として、本件受取利息も、被告会社ではなく、被告人種子田に帰属するものである。

原判決は明らかな事実誤認をしているというべきである。

(二) 原判決が認定した被告会社の除外した利息収入、預金収入の内訳は、次のとおりである。

<1> 三和薬品株式会社 二七四五万円

<2> 有限会社花園観光 一六七九万九七二七円

<3> 南日本商事株式会社 一一二〇万円

<4> 鬼沢商事株式会社 七八〇万円

<5> 株式会社ドリーミーエメ 二一〇万円

<6> 普通預金 九三万一〇一七円

<7> 通知預金 一三六万四一五九円

<8> 定期預金 四三万六〇九七円

<9> 定期預金 三二二万五一八二円

右貸付金、預金は、被告会社に帰属するものではない。

例えば、<1>の三和薬品株式会社に対する貸付金を例に検討する。

この貸付金額は金八、〇〇〇万円であり、貸付人は被告人種子田個人、借入人は三和薬品株式会社、貸付年月日は昭和五六年二月四日である。尚、この金銭消費貸借については、被告人種子田と三和薬品株式会社との間において、昭和五六年三月二六日、金銭消費貸借契約公正証書が作成されている(福島敏昭の昭和六一年一二月三日付検面調書添付資料<2>-1)。

金銭の借入先である三和薬品株式会社においても、また、この債務を連帯保証した福島敏昭においても、債権者を被告会社と認識したことは全くなく、明白に被告人種子田であると供述している(福島敏昭の昭和六一年一二月三日付検面調書)。

利息については、三和薬品株式会社から約束手形が振出されており、この約束手形については、被告人種子田が関東銀行東京支店の落合教示名義の口座で取立てているものである。

右債権は明らかに被告人種子田の三和薬品株式会社に対する債権であり、その果実である利息は、当然に被告人種子田に帰属するものである。

更に、<2>の有限会社花園観光に対する貸付金について検討する。

右貸付金についても、被告人種子田が有限会社花園観光に貸付けており、利息の領収についても、領収書を被告人種子田名義で発行し、交付しているものである。

被告会社の名義はどこにも登場してこず、借入人においても、被告会社を相手としている認識が全くない。

明らかに右債権は被告人種子田の有限会社花園観光に対する債権であって、その果実である利息も当然に被告人種子田に帰属すると言うべきである。

(三) 被告人種子田は本件利息収入等につき、種々の理由をつけて、被告人種子田に帰属するものではなく、被告会社に帰属するものである旨供述していたことがあるが、これは被告人種子田において、有価証券譲渡益を何とか個人帰属から法人帰属へ切り換えてもらうために考え出された理由であり、全く事実に反するものである。

このことを以て、本件利息収入が被告会社に帰属すると判断することは極めて危険である。

(四) 原判決は、本件利息収入が被告会社に帰属する理由として、その原資である有価証券譲渡益および受取手数料収益が被告会社に帰属し、その運用益であることのみを理由として掲示している。右有価証券譲渡益等が被告会社に帰属しないことは既に述べたので、この点については、ここでは論じないこととする。仮に百歩を譲って、右有価証券譲渡益等が被告会社に帰属するとしても、当然にその運用益である利息が被告会社に帰属するというものではない。

原判決は、被告人種子田が被告会社に利息等を支払って実質的に原資を借り受けて運用したと認むべき特段の事情が存在しないので、本件利息収入は被告会社に帰属すると判示している。しかし、被告人種子田は被告会社に多額の貸付債権を有しており、その返済を受けることは十分可能であり、被告人種子田が被告会社から利息を支払って原資を借りている事実が存在しないからと言って、本件利息収入等が当然に被告会社に帰属するというものではない。

原判決は明らかに事実誤認をしていると言うべきである。

三 弁護人の主張及び被告人種子田の供述の変遷について

原判決は、被告人種子田の捜査段階における自白が虚偽であると決めつけるわけにはいかないとしてその信用性を肯定し、前記一及び二記載の弁護人らの主張に沿う被告人種子田の原審第一三回公判以降における供述は、各時点における自己に最も有利な見解を前後の一貫性なしに主張する不合理な供述で、被告人の弁解に信用性を認むべき事情は存しないとして、これを排斥しているが、弁護人の主張及び被告人種子田の供述には、変遷はみられるものの、変遷したことについては、それぞれ首肯し得るに足りる合理的理由が存するのであり、各時点の供述につき、そのときどきの背景事情との相関関係において、立体的にこれを捉えるならば、そこに一貫して伏在する実体的真実が存するのであって、被告人種子田の捜査段階における自白こそ虚偽であり、第一三回公判以降における供述こそ実体的真実を物語っているのである。

そこで、以下、まず、原判決のこの点に関する判示が皮相で、かつ、誤りであることを指摘し、次いで、弁護人の主張が変遷した真の事情、及び、被告人種子田が捜査段階において虚構の自白をなすに至った真の事情、並びに、第一三回公判以降真相を供述するに至った真の事情を明らかにする。

1 原判決は、その理由中に、「弁護人らの主張に対する判断」という項目を設け、種々判断を示しているが、いずれも皮相であり、事象の核心を的確についたものではなく、誤っている。以下、具体的に反論する。

(一) 「弁護人らの主張に対する判断」中冒頭から二六丁裏九行めまで(判決書の丁数による。以下同)の説示についての反論

変遷の経過は、概ね原判決記載のとおりであるが、これに続く被告人種子田の質問てん末書、検察官調書の自白の信用性に関する判事には承服し難い。

確かに、本件は、一回の株式譲渡行為に関わるほ脱事犯であることは認めるし、その利益の帰属主体が誰かは基本的事項であることも認める、さらに被告人種子田の供述は、その点を意識していることも認める。しかし、だからといって、「従って信用できる」との結論にはならない。「意識している」から勘違いする筈がないとの論理は成立するかもしれないが、「意識している」から嘘をつく筈がないとの論理は成立しない。意識しているからこそ嘘をつく危険性が大なのである。

自白が「多くの資料を根拠にした詳細かつ具体的なもの」だから信用できるとの点も承服し難い。我々弁護人は、被告人が捜査官の苛酷な取調べに耐え切れず苦しまぎれに虚偽の自白をしたなどと主張しているのではない。詳細は後述するが、被告人側の事情に基く被告人側の発意で、査察調査の中途段階において虚偽の自白をなすに至ったものであること、査察官は、なかなかこの虚偽自白を採用してくれず、「こういう点はどうなる」「この点はどうだ」などと、虚偽自白の有する不自然さを再三指摘するので、その都度もっともらしい話を作って申出ることを繰り返すうちに、嘘とはいえそれなりに完結したストーリーが完成するに至ったものであること、これを後述する査察官に対し提出した「答弁書」なる書面に集大成し、以後、この虚偽自白が質問てん末書、検察官調書として発展し、完成されたものであること、等の点を主張しているのである。従って、それなりに概ね符号する客観的資料は割合多く存するし、ある程度の具体性と詳細さを備えていることも当然である。従って、自白が虚偽か否かを判定する上に重要なことは、多くの客観的資料を根拠にしているかどうかではなく、かつ、具体的詳細か否かではなく、要は、他の関係証拠と重要な点において一致するか否か、特に、弁護人が虚偽であると主張するポイントにおいて、他の合理的裏付証拠を有しているか否かという観点から慎重な検討が加えられるべきである、ということである。残念ながら、原判決には、右の角度からの検討が欠落している。ものの売買であるのか否か、その当事者が誰であるのか、その後これを売ったのが誰であるのかという事が論点なのであるから、まず売買か否か、当事者が誰かという点については、売主とされる者と交渉したのが誰か、交渉内容の具体的詳細な内容はどうか、交渉結果として成立した合意は何か、買主とされる者がこれを買おうとした動機は何か、動機との兼ね合いにおいて合意の再吟味の要はないか、代金とされる金は誰がどのように用意したか、その金は支払時誰の金であったか、法人が買主とされているのであれば法人として通常なすべき手順で金が動いているか、通常なすべき手順で経理処理がなされているか、代金とされる金は誰から誰に支払われているか、ものは誰から誰にどのようなルートで動いているか、その後のトラブルがないか等の諸点について、自白が関係証拠と合致しているかを検討しなければならない。これらの点につき、本件自白が虚偽であり、関係証拠と合致しないことは、既に詳細に述べてきたところであるので、重複は避けるが、本件においては、自白上買主とされている被告会社が代金とされている金員を負担した事実がなく、勿論その金策もその支出もこれをなした事実がなく、被告会社は、当時、期中において常時経理処理事務をなしていたにもかかわらず検察官が本件株式を購入したとする当時株式購入の経理処理がなされた事実がないのみならず、かえってこれと矛盾する経理処理がなされていた事実があること等がいずれも証明されており、また、被告人種子田が、検察官に対し、被告会社において本件株式を買ったことには訳があるとして詳細に自白している動機の点即ち宮崎工場の分割という点については全く裏付けがなくかえってこれを否定する関係者の証言・供述が存することが明らかとなっており、原判決は、これらの点にさしたる判断を示すことなく、漫然と前記のとおり自白の信用性を肯定していることは、誠に不当である。単に証拠の取捨選択ないし価値判断を誤ったに止まらず、採証法則に違反しているといっても過言ではない。

(二) 前同二六丁裏九行めから二七丁表七行めまでの説示についての反論

原判決は、被告人種子田が虚偽の自白をしたとする理由として「本件株式の売却益が被告人種子田に帰属することを主張すると喜田からの民事訴訟で敗訴する」旨要約しているが、正確な要約とはいえない。正しくは「本件株式を被告人種子田が喜田幸治から預かったのみであることを認めると、民事訴訟でかなりの額の金員を支払えとの判決がでる(一部敗訴の)危険がある」と要約すべきである。

(三) 前同二七丁表八行めから同丁裏三行めまでの説示についての反論

同丁表一〇行め上から二字め以降の「被告会社」は、何回読み返しても意味が分からない。「被告人種子田」とすべきところ、右のように誤記したのではないかと考えられる。このような誤記と仮定して以下述べる。

「本件株式の譲渡主体が被告人種子田であることが直ちに敗訴につながるとは思われず」と判示する部分に対しまず反論する。右は失当である。弁護人も被告人も、「本件株式の譲渡主体が被告人種子田であると敗訴する」などと主張していないからである。「譲渡主体」とあって「譲渡主体」とされていないことからすれば、右は、旭硝子に対する売却を念頭に置いていると思われるが、我々が問題にしているのは、対旭硝子の関係ではなく、対喜田幸治との関係である。この点において、まず、右は、失当である。

要するに、民事訴訟に関し、我々が主張していることは、次のとおりである。

民事訴訟において、喜田は、被告人種子田個人を被告として金員の一部請求を求めてきた。これに対し、被告人種子田は、喜田と本件株式を巡る法律関係が存する当事者は、被告人個人ではなく、被告会社であるということを骨子として応訴した。その理由は、本件株式に関して喜田側と法律関係が存したのが被告人個人であることを正直に認めてしまうと、喜田と被告人個人間には本件株式に関し何らの書面が存しないことから、本件株式を売買で買ったものであるとする証拠、その他原告の請求原因を明確に否定するに足りる証拠はないことになり、ひいては、審理を重ねるうち勢い単に預かったに過ぎないとの真相が証明されるに至り、結局は、相当高額の金員の支払いをせざるを得ない事態に追い込まれる。途中で和解するにせよ、判決を受けるにせよ、相当高額の金員の支払いを余儀なくされるであろう、と見込まれた、一方、たまたま作成されていた内容虚偽の本件株式譲渡契約書を真実なりと強弁することによって、株は会社が買ったものであって、被告人個人は、本件株式には何のかかわりもないと主張すれば、喜田側は、本件譲渡契約書が通謀虚偽表示であることを立証しなければならなくなり、その立証は容易ではない筈であるから、被告人種子田としては安心である。もし、喜田側が、被告会社を被告として訴訟を起こしてきても、単純な売買ですべて履行済みであると主張すれば足りる、と判断したものである。端的に言えば、本件譲渡契約書が真実であると強弁することが、民事訴訟の対応としては最も良策である反面、本件の真実に即して応訴するとなると全額か一部かはともかく相当高額の金員を支払わねばならなくなる危険を感じた、ということなのである。詳細は、後述する。

次に、原判決が「所得帰属を判断すべき客観的資料について特段の変化の窺われない本件にあっては、右所論指摘の事情から被告人種子田の捜査段階における自白が虚偽であると決めつける訳にはいかない」と判示する部分について反論したい。

客観的資料については、相当程度に変化がある。すなわち、乙号証についていえば、質問てん末書が新たに顕出されて供述に変遷があったことが判明した、また、弁号証の国税局名称入りメモ(弁第三六号証)、国税局に提出した「答弁書」(弁第三七号証)等と相まって被告人の虚偽自白の生成過程が明らかとなった(詳細は後述する)。甲号証の関係では、被告会社の帳簿・伝票類が新たに物証として提出され、これら物証と関係弁号証と相まって、購入代金とされる九、三〇〇万円が被告会社から支出されていないこと及び被告会社の帳簿伝票に本来計上されるべき時期に計上されていないことが判明した。関係弁号証及び福元公成の手帳のメモ等がクローズアップされることによって、昭和五五年五月当時及びその前後のころの緊迫した背景事情が明らかとなり、関係検察官調書の内容と当時の状況が著しく異なることが大局的に判明した。その他、本控訴趣意書中において屡屡述べているような諸諸の事実が明らかとなってきているのである。これらを直視すれば、原判決は、いささか強引の度が過ぎる。

(四) 前同二七丁裏四行めから二八丁表二行めまでの説示についての反論

原判決が「喜田は、第一一回ないし第一五回公判において・・・被告会社に売却したことはなく・・・・・被告人種子田個人に預けただけであるなどと供述しているが・・・・喜田が内心そのような気持を抱いていたことは理解し得るものの、それが株式譲渡契約書作成時に表示された形跡のないことは前記認定のとおりであり」と判示する部分について反論したい。

株式譲渡契約書作成時に表示された形跡がないというが、株式譲渡契約書作成時とは一体どの時点を言っているのであろうか。弘中弁護士が立会ったとき、即ち、署名押印したときの意味であれば、確かに、喜田の右気持ちは、敢えて言葉では表示されていない。しかしだから何だといおうとするのか。そのとき表示されていないから九、三〇〇万円で被告会社に売却したことになるのだと原審裁判所は言うつもりであろうか。もしそうだとすれば失当である。右署名押印の時点だけを捉えて、そこに至る一連のやり取りを切り離すということは、法律家の取るべき方法ではない。例えば、ある実際の合意をなした上、これと異なる内容の架空の契約書を作ることを合意して、その一方当事者が架空契約書の準備を引受け、数日後、両者が会合して架空契約書に調印したという事例を想定すれば、調印時には、これが架空であることを両当事者が熟知しているので敢えてそのことを口頭で確認し合わなくとも、その数日前の右合意と一体的に観察して、通謀虚偽表示となることは当然のことである。本件においては、まず、株券を預けるとの真実の合意ができ、次いで、債権者対策の万全を期するため書類上だけ売買したことにし、その旨架空契約書を作成しておく旨の合意ができたのである。架空契約書は、被告人種子田が準備することになった。そして、その準備ができた。その上で、喜田幸治と被告人種子田が会合し、弘中弁護士が立会った。そして、署名押印したのである。架空契約書に署名押印したこと自体を表示行為とみれば、売買の表示行為は存したことになろう。しかし、内心的効果意思は、両当事者とも全く有しておらず、そのことを両当事者は、承知し合っていた。なぜなら、署名押印に先行して、架空契約書を作成しようという明示の合意が存在していたからである。

次に、原判決が「喜田の当審証言を聞くに及んでそれが真実だと考えたという被告人種子田の弁解は不自然であり」と判示する点について反論する。

右の判示は、何か誤解をしているのではなかろうか。被告人種子田は、右のような弁解はしていない。被告人種子田は、当事者であるから、はじめから本件真相を最も良く知っていたことは当然である。喜田の当審証言を聞いてそれが真実だと初めて考えた、というようなことは、あり得ない。

原審において、弁護人が主張したのは、「弁護人が喜田の証言するところが真実ではないかと考えるに至り、弁護人が被告人を追求したところ、被告人が喜田のいうところはいずれも真実であると認めた」ということである。(弁論要旨二二七頁参照)。

(五) 前同二八丁表三行め以下同丁裏一行めまでの説示についての反論

被告人の供述が変遷していることは明らかである。変遷しているという意味においては一貫していないことも事実である。各時点において、税務上又は民事若しくは刑事上最も有利な主張をなした結果になっていることも事実である。

しかし、肝要なことは、実体的真実である。虚偽の自白をなすに至る前の供述内容、その当時の被告人の置かれていた状況、虚偽の自白をなすに至る経過とその背景事情等を立体的、総合的に考察して判断して頂きたいのである。調査機関、捜査機関に対してなした供述(自白)自体に一貫性がないとしても、立体的、総合的に判断すれば、供述が変遷するに足りるだけの合理的理由、事情が存するのであり、そこに一貫して流れる真相が伏在しているのであって、現時点の供述が真実であることが理解されるのである。

利害打算を超えて常に真実を述べるべきであるとの道徳律からすれば、被告人種子田のとってきた供述態度は不誠実であるとの非難を避けられない。この意味では、不誠実であることは認めるが、しかし、供述の変遷は不合理ではない。現時点の供述も不合理ではない。不誠実さに対する非難の情の余り、実質的真実の発見を見失うことは許されないと信じる。

(六) まとめ

以上のとおり、本件において、弁護人の主張及び被告人種子田の供述は変遷している。原審裁判所は、原審の審理の途中において変遷したことにより感情的になられたのではないかと危惧している。そのため急拠被告人質問のみを遂げて結審されるに至ったのではないかと懸念している。

弁護人としても、もっと早期に弁護人自身が真相を看破すべきであったことを反省している。

しかし、実体的真実の発見こそ我々法律家の使命と信じている。そこで、裁判所に、本件の実体的真実をより良く御理解頂くため、いささか冗長にわたるかもしれないが、敢えて、項を改め弁護人の主張の変遷及び被告人の供述の変遷について、その詳細を明らかにしたい。

2 被告人及び弁護人の主張の変遷の概要

(一) 被告人種子田及び弁護人は、原審第一回公判において公訴事実については、これを全部認め、あわせて検察官提出にかかる書証及び証拠物に対して、その取調べにつき同意した。ただし、主任弁護人は、書証については同意はするが、その供述内容の信憑性については、弁護人からの証人申請によりこれを争うこともあり得ることを留保した。

(二) 昭和六二年三月一八日の第二回公判において弁護人は喜田幸治外一六名、合計一七名の証人尋問申請をした。その立証趣旨は夫々の証人に関する立証趣旨に記載したとおりであったが、さらに本件事案に対する弁護人の主張及び争点を明らかにし、前記証人申請の必要性を裏付けるため、昭和六二年四月二二日冒頭陳述書を提出した。

右冒陳の要旨は、被告会社が喜田幸治から伊勢化学の株式八九万〇、四〇〇株を買取ったことを前提として、その売却益の認定にあたっては、第一点として、被告会社は、伊勢化学の右株式を伊勢開発株式会社及び喜田幸治に対する資金援助ないし債務整理に関連して取得したものであり、その取得原価とされる九、三〇〇万円は、そもそも形式的な数字にすぎず、取得原価としての適否の判断にあたっては、当事者の意思の検討は勿論、資金援助額、債務整理への見通し、その予想額、現実の出金額等の確定が必要であり、その上で取得原価との関連性の有無が検討されるべきであること、第二点として、検察官の冒陳によれば、昭和五五年五月頃までの伊勢開発にたいする融資額は一億五、〇〇〇万円とされ、また伊勢開発の負債整理に六億七、〇〇〇万円余りを出捐したに過ぎないのに、他方昭和五六年一一月までに伊勢開発から合計七億九、〇〇〇万円余りの仮払いを受けているとされるが、現実の出捐額は検察官の主張をはるかに上回るものであり、かつ、仮払いの内五億円については、被告人種子田側に帰属していないこと、第三点として、喜田幸治は、本件に関する東京国税局による査察着手前である昭和六〇年三月四日、東京地方裁判所に種子田個人を被告として五億円の支払請求の民事訴訟を提起し、東京地方裁判所民事第一二部に昭和六〇年(ワ)第二、二五〇号として現在係属中であり、右訴訟における喜田側の主張は、種子田との間に成立した伊勢開発ないし喜田幸治の債務整理に関する委任契約の内容として、本件株式の旭硝子への譲渡代金に対する精算請求を要求しているものであり、本件株式の譲渡を債務整理資金を債権とする処分精算型の譲渡担保として、その精算金を求める法的構成を主張する余地も十分考えられることから、法的構成の整合性が検討されるべきであることを主張した上で、第四点として、本件犯行の動機、状況について、旭硝子への株式売却は旭硝子からの強い要望によるものであり、かつ、株式譲渡課税を免れるために旭硝子側から種々教示を受け、被告人としてはその当時は勿論、その後も課税は受けないものと信じきっていたものであり、まず情状面で、硝子側の教示ないし指示の具体的内容、経過が明らかにされるべきであり、その結果、被告人種子田の犯意自体にも影響なしとはいえないことを主張したものであった。

右冒陳と前記証人申請との関連をみるに、証人申請一、二、及び五乃至一四の各証人は、冒陳第一点乃至第三点に関する立証であり、証人申請三、四は冒陳第四点に関する立証であった。

(三) 右証人申請の必要性を判断するため昭和六二年四月二二日、同年五月二〇日の二回にわたり、被告人本人質問が行われ、その結果、昭和六二年六月一九日の第五回公判より弁護人の前記証人申請に基づく証拠調が開始され、証人申請七、大和久昇、同八、柿崎武二、同九、審良裕正、同一〇、圷光衛、同一一、小林範凡、同一二、上原鹿蔵、同一三、有賀延興、同一四、佐野勝義、同六、三橋繁雄の各証人の証拠調が行われ、昭和六三年一月一九日(第一一回公判)より喜田幸治証人の証拠調が開始された。

喜田幸治の証言内容については、既に詳述したところであるが、その最も重要な点は、伊勢化学の株式八九万四〇〇株は、被告会社に売ったものではなく、被告人種子田個人に預けたものであること、昭和五五年五月三〇日付の株式譲渡契約書は、債権者対策のため作成した仮装のものであること等の点であった。

喜田幸治証人の尋問に際しては、前記民事訴訟事件において、すでに喜田幸治の原告本人尋問の第一回が昭和六二年一二月二四日に行われており、かつ訴状、準備書面等による喜田側の主張もあり、喜田幸治の供述するところは予め予想し得るところであった。

しかし、これとやや異なる内容の喜田の検察官調書がその後作成されていたこともあり、喜田の言うことには信用性がないのではないかとの予断もあった。

そこで弁護団としては、喜田幸治との数回かつ長時間にわたる事前打合を慎重に遂げ、同人の証人尋問をなした。ところが、弁護団としては、慎重かつ詳細な検討を加えた結果、意外にも、喜田幸治のいうところこそ真実ではないかとの結論に達したのである。

(四) 右の次第により、弁護人は被告人種子田本人に対し、喜田幸治のいうところ、すなわち、伊勢化学の株式は、被告会社に売却したのではなく、喜田幸治が被告人種子田個人に預けたものであること、昭和五五年五月三〇日付の株式譲渡契約書は、債権者対策のため作成した仮装のものであることの二点を主要点として、その真実であるかどうかについて、追求したところ、被告人種子田は、喜田幸治のいうところはいずれも真実であること、それならばなに故に、第一回公判において公訴事実をみとめたのかの点については、第一点としては、公訴事実を争えば、保釈にならないと思っていたこと、第二点としては、喜田幸治との前記民事訴訟との関連で被告人種子田個人が喜田幸治から伊勢化学の株式を預かったことを認めれば、民事訴訟が不利になると思ったこと、第三点として国税局の調査の段階で、同被告人の方から国税局に嘆願して個人の所得税法違反事件から、被告会社の法人税法違反事件に変更してもらった経緯があり、国税局担当者に対する信義からその主張を変えられなかったこと等を、はじめて弁護人に対し供述するにいたった(原審第一六回公判、第二〇回公判における被告人本人供述参照)。

(五) ここにいたって弁護人は、公訴事実に対する認否を変更する必要があると考え、そのための冒頭陳述書の作成に着手し、事前に裁判所に対してもその旨の申入れをなしていたところ、折柄、昭和六三年四月二七日の第一三回公判において更新手続きがなされたため、その時に被告人種子田、弁護人の意見陳述の場面で公訴事実に対する認否の変更を行い、同日付意見陳述書を提出したものである。

3 被告人種子田の供述の変遷の概要

(一) 被告人種子田の本件株式売買に関する供述を、国税局調査段階(質問てん末書)、検察庁取調段階(検察官調書)、原審公判(公判廷における供述)の各段階を通じて検討すると、次のように変遷している。

まず、質問顛末書(乙第三四号乃至四八号証)においては、初期の昭和六〇年四月一六日付(乙第三四号証)、同年四月一七日付(同第三五号証)、同年五月一四日付(同第三六号証)においては、伊勢化学株式を喜田幸治から被告会社が購入し、次いで、被告人種子田個人が被告会社から購入し、最後に旭硝子が被告人種子田個人から購入したのである、すなわち売却益は個人に帰属する旨供述していたものが、同年九月一九日付(同第三七号証)以降の供述では、喜田幸治から購入したのは被告会社であるが、旭硝子に売却したのは個人ではなく被告会社である、すなわち売却益は被告会社に帰属する旨供述を変え、検察官調書では、そのまま一貫して被告会社に売却益が帰属するものであることの供述を維持し、さらに原審公判においては、第一回公判において公訴事実を認めながら、第一三回公判において公訴事実記載の株式は、被告人種子田が個人として喜田幸治から預かり、これを旭硝子に譲渡したもので、右株式譲渡は、被告会社としてなしたものでない、すなわち売却益は被告会社に帰属するものではなく、個人に帰属するとして公訴事実に対する認否を変更したものである。

(二) 右のように供述を変更するに至ったいきさつについては、第一六回公判及び第二〇回公判において被告人が述べているところである。

それによると、第一点は、被告人種子田は、昭和六〇年四月一六日国税局から所得税法違反で査察を受け、その後継続して調査を受けたが、国税局の査察前に喜田幸治から伊勢化学の株式を被告人種子田個人に預けたものをだまって売ったということで一八億余のうちの五億について一部請求訴訟を提起されていたため、個人が喜田幸治から株を取得し旭硝子に転売したとの趣旨で本件の脱税を認めると、民事事件でも負けるおそれがあり、そうなると個人の所得税と喜田幸治への支払とダブルパンチを受ける危険があったこと、また、当時、被告人種子田は経営する各病院の理事長をしており、個人で罰せられると理事長を降りなければならず、そうなれば医師の引上げ、信用の失墜などから病院の経営もがたがたになるおそれがあったこと、また税金の支払についても個人では支払能力が無く、法人であるならば銀行から借入れて支払うことができること等から国税局の調査中途の段階から個人から法人(被告会社)へ切り換えて貰うようお願いをしたところ、国税局の担当者から、個人から被告会社に切り換える場合のポイントをメモにより示唆され、これに基づき昭和六〇年九月一八日付の答弁書を作成して提出した結果、国税局が苦労して所得税法違反から法人税法違反に切り換えてくれたものであること。第二点は、この経過において国税局担当官との間で将来覆さない約束があったことから、検察庁の取調べの段階では、前記答弁書及び供述変更後の質問顛末書通りの筋書に基づいて供述したものであること、第三点は、本件一回公判においては、法人税法違反の事実を認めないと保釈されないと思い公訴事実を認めたものであること、第四点は、しかるに、喜田幸治の証人尋問の過程において、喜田の供述するところについて弁護団から真実はどうかと確かめられ、真実を裁判所に言いなさいといわれたため公訴事実に対する認否を変更したものであること、等に要約できる。

第一点については、被告人種子田のいう民事訴訟は本件に関する昭和六〇年四月一六日の東京国税局査察着手前である昭和六〇年三月四日に喜田幸治から被告人種子田に対し訴訟が提起されており、訴状(第一一回公判証人喜田幸治尋問調書添付資料七三)によれば、喜田幸治が被告人種子田個人に、債務整理に関する委任契約により預けた、伊勢化学工業株式八九万〇、四〇〇株を、被告人種子田が旭硝子に売却したことにより精算請求として一九億三、二八九万四、四〇〇円のうち五億円を請求する趣旨であり、これに対する昭和六〇年四月八日付答弁書(第一六回公判被告人本人尋問調書添付資料七八の一)では、請求の棄却を求め、請求の原因に対する答弁は留保し、原告の主張する債務整理に関する委任契約の内容の明細、五億円請求の法的根拠等について釈明を求めていたものであって、査察着手時は、右民事訴訟に関して被告人種子田と訴訟代理人である関根合同法律事務所との間で事実関係についてその打合せが継続し、対策が協議されている最中であったことは明らかである。

したがって、この民事訴訟との関連において被告人種子田のいうように、右伊勢化学株式を、喜田幸治から被告人種子田個人が預かり、同個人が旭硝子に売却したことを認める供述をするならば、直接或は、間接的に右民事訴訟において、五億円の請求は勿論一九億余りの請求に対して不利になると被告人種子田が認識したことは極めて当然であったと言わなければならない。

さらに、国税局による調査段階における被告人種子田の質問顛末書(乙第三四号証ないし同四八号証)を検討してみると、まず昭和六〇年四月一六日付(乙第三四号証)、同年四月一七日付(同三五号証)、同年五月一四日付(同第三六号証)から同年九月一九日付(同第三七号証)までの間に約四ケ月間の空白が存在すること、そして同年九月一九日は被告人種子田が法人税法違反事件に切り換えて貰うために提出したという答弁書(弁第三七号証)の作成年月日である昭和六〇年九月一八日の翌日であり、かつ同年九月一九日付質問顛末書の内容から、右答弁書に拠って、問、答のかたちで顛末書が作成されていることは明らかである。すなわち問三及びその答えは、答弁書(1)の「株券を喜田幸治氏から取得した理由及び経緯」に対応し、問四及びその答は、答弁書(2)の「中央産商有限会社で株券を取得しなければならなかった理由」に対応し、問五、問六、問七、問八、問九、問一一及びその各答は、答弁書(3)の「中央産商有限会社から、種子田他四名に株券を売却した理由、経緯」と、同(4)の「旭硝子に株券を売却するに至った理由、経緯」に対応し、問一〇及びその答えは答弁書(5)の「伊勢開発の負債を整理しなければならなかった理由、経緯」に対応するのである。

ここに重視すべきは、弁第三六号証のメモの存在である。このメモは東京国税局の用紙に記載されており、国税局担当官が作成したものであることは容易に推認し得るものである。このメモの1から5までの項目と右答弁書の1から5までの項目は、順序が一部異なるものの、その内容は、全く同一であることは明らかであり、答弁書がメモによって作成されたものであることは疑う余地がない。そうだとすれば、そのメモの存在自体、被告人種子田にかかる所得税法違反から法人税法違反事件への切り換えの懇請に応じて、国税局担当者がクリアーすべき問題点を示してくれたものとみるのが自然である。若し、国税局側の判断で所得税法違反から法人税法違反に切り換えるのであれば、調査継続中の段階で、このようなメモによる指示をすることは不自然であり、質問顛末書において直接、被告人種子田の供述を求めればすむことであるからである。

そして、同年九月一九日付より後の質問顛末書は、同年九月一九日付質問顛末書の内容の更に詳細な補充ないしは確認に終始し、昭和六一年二月二二日付の質問顛末書に至り各てん末書の冒頭に表示されるけん疑事実が種子田益夫の所得税法違反から中央産商有限会社の法人税法違反に変更されるのである。

右各事実に徴すれば国税局調査段階で所得税法違反から法人税法違反に切り換えてもらったとの被告人種子田の本公判における供述は、まさに真実を述べるものであることは明らかである。

ところで、所得税法違反けん疑で査察という強制調査に着手した東京国税局が、そう簡単に法人税法違反けん疑に切り換えるということは通常そもそも考えられないことであり、しかも、その変更は、前述した如く被告人種子田が提出した答弁書によってなされたことは明らかであり、国税局担当者が、被告人種子田個人からの法人税法違反への切り換えの懇請について、その心情を理解し、被告人種子田のために配慮、努力をしてくれた結果であり、そしてこのことは、被告人種子田においても十分認識したところであって、したがって、第二点として被告人種子田がいうように、担当官とのやりとりの場面において、将来、また法人から個人に覆さないとの「約束」が交されたことは推認するに難くないところであり、被告人種子田と国税局担当官との心情的交流の中から生まれたこの「約束」を、その後の検察庁取調段階及び認否変更前の本件公判において、信義的にも覆えすことができなかったものであることも理解し得るところである。

さらに、被告人種子田は第三点として保釈の点を挙げている。ここにおいて弁護人も現在の刑事裁判手続きにおける保釈の運用の現実について一言せざるを得ない。すなわち、第一回公判におけるいわゆる罪状認否の段階で、被告人種子田及び弁護人が公訴事実を争わず、検察官請求証拠に同意しない限り、まず保釈は許可されないというのが現在の保釈運用の一般の現実であると言っても過言ではない。

この点については、刑事訴訟法八九条の権利保釈の除外事由である罪証湮滅のおそれの有無の判断の問題として議論がなされているところである(筑摩書房、刑事手続上一一、「勾留、保釈」二五九頁以下)が、議論はさておき、本件の如き、公訴事実上脱税金額も多額の脱税事件において、被告人種子田なり弁護人が第一回公判において公訴事実を争えば、保釈の可能性は全くなかったことは、事前においてすでに明らかであった。牛久、大阪、高知、八幡、小倉と六つの病院を、ワンマンとして実質的に経営し、従業員数八九〇名を抱える被告人にとって勾留期間が一ヵ月でも長引けば、月末の資金繰等に致命的な打撃を蒙ることは明らかであり、被告人種子田にとっては、それはまさに社会的、経済的面から企業的に死を意味するものであり、ベッド数一五〇〇の患者、八九〇名の従業員、その家族の将来を考えれば、保釈になることは、唯一絶対の選択肢であったことは容易に理解されるところである。

第四点は、まさに本件における実体的真実にかかわる点であり、本件における実体的真実については控訴趣意書において詳述したところである。

以上、検討してきたところによれば、被告人種子田の供述の変遷については、その局面、局面において、供述を変更する必然性と合理的理由が存在することが明らかであり、原判決が指摘する如き、その場その場で最も有利な虚言を弄してきたとかいうものではなく、ましてや訴訟の引きのばしや、裁判の公正な判断を阻害する目的でなされたものでは、決してないものであることが理解されよう。以下、以上に述べたことを詳述する。

4 「否認のための否認」ではない。

(一) 被告人種子田の供述は、原審公判審理の途中の段階に至って初めて主張されたというようなものではない。

一見すると、第一三回公判において突然否認に転じたようにみえるが、被告人の供述の変遷を査察調査の段階まで遡って慎重に吟味し直せば、右否認の内容たる現在の供述というものは、第一三回公判において初めて言い出されたものではなく、詳細後記5記載のとおり、査察調査の比較的初期の段階において被告人種子田と査察官との間で深く論議が交わされた内容なのであり、かつ、同論議を経て、同被告人が、詳細後記5記載の経過及び判断の下に、「答弁書」(弁第三七号証)を提出するなどして、虚偽の自白(昭和六〇年九月一九日付以降の同被告人の質問てん末書乙三七号証以下及び検察官調書・乙第三号証以下の各供述)へと進展して行く基になっているものなのである。

(二) 被告人種子田の供述は、喜田幸治の主張・証言に乗ろうとするものでは断じてない。

右(一)に記載したとおり、被告人種子田の供述は、査察調査の比較的初期の段階で既に議論されている内容なのであって、公判審理の途中で、苦しまぎれに喜田幸治の従前の主張や証言に乗ろうとしたというような軽薄なものでは断じてない。

(三) 質問てん末書(乙第三四号証以下)を通じ、被告人種子田は、終始、喜田幸治から株式を購入したのは被告会社であることを認めているかのように、一見すると感じられなくもないが、この点も詳細後記5記載のとおり、その内容を堀り下げて検討すればそのように単純なものではない。

5 査察調査開始時の供述から本件公訴事実(検察官の冒頭陳述内容)に沿う虚偽自白をなすに至る(昭和六〇年九月一九日)までの間の被告人種子田の供述の変遷状況

(一) 本件査察調査開始当時における被告人種子田の基本的認識

(1) 昭和五五年五月乃至六月当時、喜田幸治・被告人種子田間においては、本件伊勢化学の株式は、担保的意味合いを含めつつ主として暴力的債権者対策の趣旨の下に単純に寄託されたに過ぎないものであったが、同寄託の右のような目的から必然的に右両者間以外の他の者に対する関係においては、右の事実は秘匿され、本件株式譲渡契約書が真実であるかのように振舞われていた。

その後、既述の経緯の下に、旭硝子にこれが売却されるに至ったが、喜田としては、被告人種子田に対するその当時までの債務を直ちに返済すべき目途が全く立たなくなっていた状況の下にあり、しかも、同被告人が、一連の負債整理等で恩義を強く感じるため頭が上がらなくなっていた人物であると共に、その言動等から発する無言の威圧感が存したことの故に、その申入れに対し抗し切れないとの心情から、右売却に際しこれを承認した。以後売却代金の精算へと話が進み、被告人種子田から五億円の精算・支払いをしたい旨の申出を受けることになって、右喜田は、その時点では、一連の負債が一切帳消しになるとの認識の下で、一応これで満足する気持となり、ここに、暗黙のうちに、被告人種子田が喜田幸治に五億円を支払うことによって両者間の関係の一切を精算する旨の合意が成立し、右喜田は、その支払いを受けるべく支払方法ないし支払形式につき交渉を継続するところとなった。

(2) 右のような次第であったので、被告人種子田としては、対外的には、即ち喜田幸治以外の者に対する関係においては、本件伊勢化学の株式は、被告会社が購入したものであるとのポーズを取り続け、このポーズのまま被告会社が右株式を旭硝子に売却するという形式でこれを貫き通し、同会社の公表帳簿等もそのように改ざんして符節を合わせ、その旨の申告手続内容までこれに沿う処理をしてしまった。

従って、被告人種子田としては、本件株式を喜田幸治から購入した者は、被告会社ではないこと、真実は寄託を受けていたに過ぎなかったものであること等を敢えて、外部に明らかにする必要性のないまま、時間が経過した。

(3) その後、昭和六〇年に至り、前記2記載のとおり、喜田幸治から民事訴訟を提起されるに至った。同訴訟における喜田の主張する事実関係は、その骨子において真実であったが、被告人種子田としては、その対応如何では一八億円余の支払義務を負担させられかねない心配があった。被告人は、前記合意の五億円の限度で支払いに応ずることはやぶさかではなかったが、右喜田の訴訟の構成が、一八億円余の請求権があるとの前提に立つものであったため、その対応に苦慮し、右喜田の主張する事実関係を真実であると認めることはできないと判断し、あれこれ検討するうち、結局、右喜田から買取ったものを旭硝子に売ったということであれば、右喜田に対する支払義務が生ずる余地は全くないことになるので、本件株式譲渡契約書を真実なりと強弁しようと判断するに至った。幸い、作成に立会った弘中徹弁護士はじめ、関係者は、譲渡契約書が仮装であることに気付いていないので、右強弁は、容易に看破されないものと見込まれ、しかも、右の如く強弁すれば、喜田幸治との取引当事者は、被告会社であったこととなり、右民事訴訟の被告は種子田個人であるから、訴訟戦略上も一石二鳥と考えられたのである。

右民事訴訟の被告代理人として依頼した関根栄郷弁護士には、右の線で虚偽の事実を真実なりと偽って説明し、応訴の手続を進めて行くことにした。

(4) 以上のような状況の下で、突然、本件査察調査が開始されたのである。

(二) 査察調査の初日に被告人種子田が供述した内容の検討

(1) 被告会社が喜田幸治から本件伊勢化学の株式を購入したものであることを認めている点についての検討

<1> 被告人種子田は、強制査察調査初日である昭和六〇年四月一六日、査察官に対し、被告会社が右喜田から伊勢化学の株式八九万〇、四〇〇株を九、三〇〇万円で買ったものである旨供述している(同日付質問てん末書乙第三四号証問五以下)。

<2> 右<1>記載のとおり供述していることは事実ではあるが、これは、前記(一)記載の事情が存したことの故に、被告人種子田が自ら進んで偽り説明したに過ぎないものであり、到底真実ではない。

ところで、ここで特に留意すべきことは、査察官は、この時点においては、喜田幸治から株を取得した者が誰であるかという論点については問題意識を全くもっていなかったと推認されることである。査察官は、右当時、被告会社が伊勢化学の株式を所有していたことは当然の事実としてこれを全く疑わず、被告会社の先、即ち被告会社から旭硝子に売却されるまでの間の取引当事者として介在したのが誰であるかという点のみを問題にしていたことが明らかであるからである。査察官は、強制調査開始前の内偵調査段階において、関係者の税務申告書類を調査することは当然の事務処理であるから、被告会社及び旭硝子の各申告書類及び公表帳簿等を調べている筈であり、これらを点検すれば、右のように被告会社が株式を所有しこれを売却した旨の公表経理がなされているため、同経理処理を頭から信用して、これに何らの疑問を抱かない方がむしろその時点では自然と思われるのである。

従って、査察官は、被告人種子田の前記供述を軽く真に受けてこれを真実なりと誤信し、質問てん末書に記載したものと合理的に推認されるのである。

以上の次第で、右供述記載は、十分なる吟味を全く経ることなく記載されたものであり、信用できないものである。

(2) 「伊勢化学の三工場の一つを株と引換えに分割を受けて経営してみてはどうか」と喜田幸治に言われた旨の供述についての検討

<1> 右のような工場分割に関する供述をなしていることは事実である(問五の答)。

<2> しかしながら、その内容を見ると、時期的には、株式の売買及び株券の引渡がなされた後に出た話とされており、出来事の流れにおける位置付けとしては、株式購入の動機とは全く関連性のない位置付けとなっている。

即ち、その後の昭和六〇年九月一九日質問てん末書以降検察官調書に至るまで一貫している自白内容は、宮崎工場の分割を受けてヨード製造事業に乗り出し自己の夢を実現するため、伊勢化学の四分の一の株式を購入した、という内容である。従って、同自白を正しいものと仮定すれば、宮崎工場を分割しようとの考え、喜田幸治とのその旨の話合いは、昭和五五年五月三〇日より前に存在していなければならず、かつ、右考え・話合いは、株式取得の動機として位置付けられなければならないのである。しかるに、被告人種子田の強制査察調査初日におけるこの点に関する供述は、その時期的順序もその位置付けも、右と全く異なる内容となっている。

およそ、人間の記憶というものは、正直に答えようとしても時期については狂いを生じがちであるけれども、物ごとの流れというか、出来事の順序、筋道については、少なくともその大筋において間違えるものではない。

右のような観点から検討してみると、永年の自己の夢を実現するため宮崎工場の分割を受ける目的の下に株式を取得したということが真実であるならば、代金の金額が半端でないこと、男子一生の夢の実現に関することであること等の事情と相まって、宮崎工場の分割の話し・考えが株式取得の前に存したか、株式取得後に起こったことかにつき、勘違いや記憶違いが発生することは、一般正常人を基準とする記憶心理学上あり得ないことである。

右の一事をもってしても、強制査察調査初日の被告人種子田の供述は信用し難いことが明らかである。

(3) その他の明らかに不合理な供述についての検討

<1> 売買契約を締結したその席で株券は被告人種子田が受取って会社内の金庫に保管した旨の供述(問五の答)

<2> 代金九、三〇〇万円は、江戸の代理人池田に支払った旨の供述(右同)

<3> 株式取得後一三億円の借金があることが分かった旨の供述(右同)

<4> 右<3>記載の喜田の借金があることを知って驚き、株式を売却して喜田の借金を返済しなくてはと考えた旨の供述(右同)

<5> 右<4>の記載の喜田の借金返済の一方策として、喜田から前記(2)記載の工場分割の話がでたので旭硝子の友沢と交渉するに至った旨の供述(右同)

<6> 株式売却の理由は、喜田の借金返済のためであった旨の供述(問一〇の答)

目ぼしい不合理な供述を拾っただけで以上のとおりである。

前記<1>は

株式譲渡契約書作成の場で株券の交付は全く存在していない

との客観的事実と大きくくい違う全くの虚偽の供述であり、同<2>は、

池田映一に支払った金額は、八、〇〇〇万円である

との客観的事実に明らかに反しており、同<3>は、

伊勢開発に巨額の負債があることが突然判明しその善後策を巡って深夜まで激論をたたかわしても結論に至らず、話合い決裂、再相談等を繰返すうちに、株式譲渡契約書の作成に至った(福本メモ等)

との劇的な作成経緯を伴なう客観的経過に著しく反しており、同<4>は、いかなる客観的事実にも符号しない理解不能な内容であり、同<5>は、前記(2)記載のとおり不合理であり、さらに同<6>は、

伊勢開発に対する援助資金、同会社のため立替えた負債整理資金の回収のために売却したものであって、喜田(伊勢開発)の借金返済は株式売却までにあらかた完了している。

との客観的事実に明らかに反している。

何故に被告人種子田の供述が至るところ以上のように不合理だらけであるのかについて考察する。

同被告人の供述全体をみると、右にみたとおり、その物語の筋道において全く目茶苦茶であるが、筋道という観点を捨象して、話を構成する個々の出来事に分解すると、個々の出来事自体は、本件当時存在した事柄又はこれをアレンジした事柄であることに気付く。

即ち、被告人種子田は、過去に存した出来事の断片を実際の話の筋道とは異なる虚偽の筋道に沿って拾い出して供述しているのである。どのような虚偽の筋道かというと、株式は喜田幸治から買ったものであること、買ったのは被告会社中央産商であること、これをその後、被告人種子田が被告会社から買って旭硝子に転売したこと、喜田幸治関係の借金返済分八億円余りは株式売却益ではないこと、というような筋道である。

結局、被告人種子田は、ある日突然という形で出先から国税局に引張られ査察官から追求され、十分なる心の準備のないまま返答したという状況下において、

ア、前記(一)記載の心理の故に、本件株式は、喜田幸治から被告会社が買取ったものであること

イ、売却益が過大に認定されないため、伊勢開発絡みで出金した金員は原価と認めて貰いたいこと

の二点だけはこれを主張し、供述したのであり、これら二点をもっともらしく説明しようとして種々の事情を補足的に説明し、供述したのである。ただ、右アの点は虚偽であるので、本件当時における実際の事実経過をそのまま述べる訳に行かず、追及を受けながら苦しまぎれにできるだけもっともらしくなるよう心掛けてその場の作り話をしたものであろう。そうでなければ、いくら何でも前記のような余りにも不合理な供述をすることは考えられない。

右イの点については、被告人種子田は、従来その理論構成など考えたこともなかったことであったので、どのように理論構成ないし事実構成をすれば原価と認めて貰えるのか、全く経理・税理上の知識を欠いていた。従って、原価として認容され易い事実構成という考慮を全く加えることができないまま、右アについて前記のような筋書きを適当に供述してしまったのである。しかし、右イ自体の重要性は直感的に感じ取り、これを強く主張したのである。この点は、詳細後記する利益の帰属の主体に関する供述の変更をもたらす大きな要因となっているので、留意されたく、ここに一言付言しておく次第である。

(三) 喜田幸治から本件株式約八九万株を取得した者が被告会社であるとの点については、一見すると、質問てん末書中の供述は始終一貫しているかのような観を呈している。

(1) 質問てん末書中の株式が譲渡された当事者に関する供述記載の要点を図化すると、次のとおりである。

(昭和六〇年四月一六日付質問てん末書)

(同年四月一七日付右同)

右同

(同年五月一四日付右同)

右同

(同年九月一九日付右同)

以後これで一貫している。

(2) 右(1)記載の変遷状況を形式的に観察すると、供述が変化したのは、喜田幸治と被告会社との間の取引ではなく、被告会社から旭硝子に移転する部分だけである。従って、ややもすると、喜田幸治と被告会社との間の取引自体については、終始一貫していて供述の変化が全くなかったかのように見える。

しかし、これは正しくない。実際には、質問てん末書に直接表わされていない取調べ状況・供述の変遷が隠れているのである。それは、質問てん末書が飛んでいる昭和六〇年五月一四日から同年九月一八日までの間の取調べの中にある。右期間は約四か月間と比較的長期間であるが、この間被告人種子田の質問てん末書が全く作成されていない。しかし、査察官の被告人の呼出し、取調べは、この間も頻繁に続行されていたのである。

(3) 後記(四)以下に右期間中の取調べの状況および内容について述べるが、その前提として、予め左の点を指摘しておくので留意願いたい。

<1> 昭和六〇年四月一六日には、本件株式譲渡契約書は発見されるに至っておらず、従って押収されていないこと。

<2> 右株式譲渡契約書は、翌四月一七日、被告人種子田により任意提出されて領置されるに至っていること。

<3> 昭和六〇年四月一六日(第一回)、同月一七日(第二回)、同年五月一四日(第三回)の各取調べの結果たる質問てん末書には、いずれも伊勢開発(喜田幸治)の負債整理等に支出した金員相当額はこれを株式売却益から控除されたい旨の被告人種子田の再三かつ執拗な申出の供述記載があるのに、昭和六〇年九月一九日以降の質問てん末書には、これがないこと。

<4> 右<2>記載の任意提出に係る書類中には、伊勢開発(喜田幸治)の債務一覧表が含まれていること(質問てん末書末尾添付の資料参照)。

<5> 昭和六〇年九月一八日には、被告人種子田は、査察官に対し、「答弁書」と題する一種の上申書を提出していること(弁第三七号証)。

<6> 本件公訴事実の立証には不必要である筈の伊勢開発勘定調査書と題する調査書が査察官によって作成され本件公判廷に書証として提出されていること。

(四) 被告人種子田の供述は、決して、喜田幸治から本件株式を購入した主体が被告会社であるとの点で首尾一貫していたものではない。

(1) 被告人種子田は、昭和六〇年四月一六日付質問てん末書においては、前記のとおり、本件株式は、喜田幸治から九、三〇〇万円で買ったけれども、これを売却した理由は、喜田幸治(伊勢開発)の借金を返済するためであったこと、従って、自分のもうけのうち喜田幸治の借金返済分八億円余りは自分の利益とは考えていないので考慮されたい旨(問一〇、一一の答)申出ているが、これは、伊勢開発に対する資金援助・負債整理として支払済みの金員を回収するために本件株式を売却したという厳然たる事実があり、実質上右支出済みの金員が株式売却益の計算上控除項目(原価)に該当するという考え方が被告人種子田の中に一貫して存続していた関係上なされた供述であり、同主張には強いものがあった。

(2) 同月一七日には、前記債務一覧表が任意提出されたが、これは右原価性につき査察官に十分なる認識を得さしめようとして提出されたものである。

(3) 査察官は、同月一七日以降約一か月をかけて押収証拠品等各種資料や被告人種子田の供述等を総合的に検討した後の同年五月一四日、被告人種子田を呼出して取調べをなしているが、同日付質問てん末書によると、同日の取調べの要点は、

ア、九、三〇〇万円は安過ぎないか(問一二)

イ、被告人種子田が負債整理等で実際に負担したのは、伊勢化学から五億〇、四〇〇万円を喜田幸治を通して受領しているので、八億円前後ではないか(問一三)

ウ、旭硝子から追加で支払われている五億円の理由(問一七)

エ、負債整理は売買の条件か(問二一)

といったような点であった。右要点を中心に質問調査をなしているということは、被告人種子田が査察調査初日から執拗に主張していた負債整理等に支出した金員の原価性について、これを真正面から検討課題として取上げざるを得なくなったということを物語る。九、三〇〇万円という金額が余りに安過ぎ、被告人種子田主張の負債整理が事実とすれば、これを原価と考える余地があることは否定し切れなかったためと推認される。

しかし、この時点では、被告人種子田は、なお株式の流れにつき、喜田幸治→被告会社→被告人種子田→旭硝子という線を維持している。

(4) 同年五月一四日以降、査察官は、精力的に、被告人種子田の負債整理の実態解明に乗り出している。

検察官提出の甲号証である伊勢開発勘定調査書は、右調査の結果を取りまとめたものであるが、同調査書の末尾に表示されている同調査書作成の根拠となっている証拠の作成日付等を検討すると、同年七月、八月ころの日付のものがかなり見られる。特に、回答書は、照会から回答まで時間を要すること、特に本件では、当時から更に五年前の事象についての照会回答であることを考え合わせると、同年五月ころから右解明に精力的に着手したものと思われる。

右解明に注がれた査察官の努力には敬意を払うべきものがある。対象が、非常に多数に上る関係者であり、しかも帳簿等が完備している一流大企業ではない零細業者、暴力団筋の金融業者等種々雑多な関係者であり、更に五年前の古い取引を調べようとするのであるから、非常に気の重い、骨の折れる作業であったことは、想像に難くない。

この間、被告人種子田の取調べは、連日のようになされた(被告人種子田原審公判廷における供述)。

(5) 右実態の解明が少しずつ進み、被告人種子田の取調べも同様に進むに従って、査察官も、本件株式の流れを含め全体像を認識するに至ったと思われる。喜田幸治の提起していた民事訴訟の内容も十分に検討したと思われる。

右全体像を認識するにいたって、査察官は、

本件株式は、喜田幸治から被告会社に売却されたというのは本当か、代金は本当に九、三〇〇万円なのか、それでいいのか、被告会社から被告人種子田に本当に売られたのか

右のような流れではなく、喜田幸治から被告人種子田に売却されたのではないか、その場合代金はいくらか、それとも喜田幸治から被告人種子田に預けられたのか、あるいは譲渡担保であったのか

というような、本件の基本的事実関係の把握の仕方に問題意識を抱くに至った。

一方、被告人種子田は、右のようなことに拘泥することなく、単純に負債整理等のため支出した金員を原価に見て欲しい旨を主張し続けていた。

査察官側からすれば、被告人種子田主張の右金員を原価として認容することは、当初の事実構成、即ち昭和五六年一月になってから被告会社から被告人種子田が本件株式を買って同年二年これを旭硝子に売却したという構成の下では困難であった。その理由は、負債整理資金等を支出した主たる時期は昭和五五年であり、かつ、負債整理資金等を出金した主体は被告人個人と見るのが自然で、被告会社をその主体とみることは実態に合致しないという事実関係が次第に判明したためである。伊勢開発勘定調査書を仔細に分析することによって、右の次第を看取ことができる。

(6) そして、同年八月から九月にかけて、査察官が到達した心証、結論は、次のようなものであった。

即ち、負債整理等のため支出した金員(但し、実際負担額)は、本件株式売却益の結果に取り込まざるを得ない。しかし、右金員の大半を支出したのは被告会社ではない。それは、被告人種子田個人であるとみざるを得ない。しかも、支出の時期は、その多くが昭和五五年中である。事犯の全ぼうを観察するに、担保その他取得の名目・性質の点はともかくとして本件株式を喜田幸治から取得したのは被告人種子田個人である。旭硝子に売却したのも同被告人個人である。被告会社は本件株式取引に無関係である。被告会社は、九、三〇〇万円すら出金していない、というようなものであった。

右は、本件真相に肉迫する相当程度に正しい理解を含むものであった。査察官をして、ここまで理解するに至らしめたのは、被告人種子田の前記原価性の主張が執拗であったためである。

しかし、被告人種子田は、原価性の認容を求めていただけであって、喜田幸治から取得したのが被告人個人であるように認定されたい旨求めていたつもりはなかったので、査察官が右のような心証を形成したことは、同被告人にとって誠に意外なことであった。現在、我々弁護人が冷静に検討すれば、右原価性を主張すればするほど論理的帰結として右のような心証に至るべきものであることは分かるが、素人である当時の同被告人は、そこまでの頭の整理がなされていなかったと思われる。

(7) いずれにせよ、同被告人にとっては、査察官から右のような心証である旨の披れきを受け、これが真相ではないかとの追及を受けて困惑しつつも、仮に右のとおり自白した場合の利害得失を検討した。

右のように認める自白をすると、喜田幸治との民事訴訟に敗訴する危険性が高くなるが、仮に敗訴すれば、本件脱税はなかったことになるのか否かにつき、そのころ被告人種子田が尋ねたところ、査察官は、仮に敗訴して一〇数億円を支払うこととなっても、申告期が異なるので、昭和五六年二月の株式売却による事実上の所得自体が遡って消失することはあり得ず、従って、敗訴しても脱税は成立し、被告人種子田にとってダブルパンチを受けることの危険性は否定し得ない旨の説明をなした。また、査察官の右の如き心証に基づく事実を基にして仮に税額を計算してみると、負債整理等の原価として数億円を認容されると仮定しても、その税額は、所得税の税率が高いこともあって、本件公訴事実よりも高額になる危険性があることが判明した。その他、前記3記載のとおりの諸事情もあった。

そこで、結局、あらゆる角度から検討して、その時点において、被告人種子田が最も得であると判断したことは、被告会社が喜田幸治から本件株式を九、三〇〇万円で購入し、これを同被告会社が旭硝子に転売したものと構成することであった。被告会社が被告人種子田に一億二、六〇〇万円で売却し、同被告人が旭硝子に転売したと構成することも、同被告人個人に課される所得税額を試算すると巨額となり過ぎ著しく不利であった。

右のように構成すると、被告会社が負債整理等に殆ど金員を支出していないため、これを原価として認容される途を閉ざすことになるが、法人税率は、所得税率より相当低いので算出される税額は結果的には低くなること、前記ダブルパンチの危険が除去されること等の利点が存した。

(8) そこで、被告人種子田は、そのころ、早速、査察官に対し、右のような事実構成をされたい旨を強く働きかけ、陳情した。しかし、前記経緯の下に心証を形成していた査察官は、おいそれとこれに乗ってこなかった。それでも同被告人は、なお陳情をくり返した。同被告人個人名義ではさしたる資産がないので納得できないが、被告会社であれば如何なる金策措置をとっても納税するしその見込みもあること、将来再び原価性の主張はしないこと、被告人個人が取得した旨の主張もしないこと、右を固く誓約すること等の条件も示した。査察官としても、前記心証の下に証拠固めを遂げるには、債務整理資金の流れの解明、同金員の負担者の確定、これら金員の金策上の経費額の確定、個々の実際支払額の確定等の詳細につき、すべて裏付資料を取り揃えねばならず、この作業を完成させるには、なお相当の手間と期間を要するだけでなく、果たして手間をかけても完全に事実関係を詰め切れるものか否かにつき確たる見通しがないという心配が存した。

そこで、結局、査察官も妥協し、被告人種子田の右誓約を信用して、同被告人の前記陳情を受け入れることに決し、同被告人に対し、喜田幸治から本件株式を購入したのが被告会社であることを十分納得させられるだけの事実を整理して記載した書面を出すように求め、同書面作成の要点をメモした国税局の名称入りの罫紙を渡した(弁第三六号メモ・資料)。

(9) 右罫紙に記載されたメモを受けて、被告人種子田は虚実取り混ぜて、虚偽のストーリーを完成し、これを「答弁書」(弁第三七号証)に取りまとめて、昭和六〇年九月一八日に、査察官に提出した。そして、これが最終的には検察官調書へとつながって行くのであり、検察官の冒頭陳述へと発展するのであるが、このストーリーは、右のような経過で考え出された虚構なのである。

ところで、右罫紙のメモ及び「答弁書」をじっくり分析して頂きたい。力点は、どこに置かれているであろうか。本件株式を被告会社で取得したことについてはそうしなければならなかった理由があること、本件株式を喜田幸治から取得したのはヨード事業経営の目的が全てであって貸金・立替金の担保というような性質は全くなかったこと、伊勢開発の負債整理と本件株式の取得は無関係であること等の点に重点が置かれていることは、明らかである。喜田幸治から取得した者は被告人種子田ではないのか、取得理由は売買ではなく担保ではないのか、あるいは単に預けられただけではないのか、といったような問題意識が査察官に存しなかったとするならば、右のようなメモを介して右のような答弁書が完成する筈がないのである。右答弁書は、比較的論理的に整理されており、昭和六〇年四月~五月ころの質問てん末書の内容とは、著しくストーリーが異なっている。「宮崎工場の分割を受けてヨード業界に進出する」との野心・計画が根幹に据えられ、だから株式は純粋に買い切ったものであって、担保ではなく、貸金や負債整理と直接の関係がない、あるいは、だから、中央産商で買わなければならなかった等の結論を導いているのである。逆にいえば、このような結論を導きたいがために、右のような根幹を設定したのである。要はこの根幹が虚偽だということなのである。

即ち、右の根幹に関するストーリーは

虚……宮崎工場の分割を受ける

右分割が株式取得の目的である。

実……株式譲渡契約書作成の何か月後に、喜田幸治が伊勢化学を二つに分割してその一つを同人において取得したいと言い出し、旭硝子とその旨の交渉に被告人種子田も後半において関与したことがある

というような虚と実を取り混ぜて作られた創話なのである。

(10) 査察官も、右虚偽のストーリーを妥協的に受入れて、翌九月一九日からその旨の質問てん末書を作成するに至った。しかし、査察官は、被告人種子田が将来供述を変えることを心配してか、その後、色々工夫を加えて、将来供述変更をなし難くするための質問を意識的に随所に織り込んでいる。

(11) 以上に述べたことが、供述変遷の要点である。被告人種子田が、原審第一六回公判及び第二〇回公判において供述しているところ、および、乙号証の全体並びに関係する他の証拠をあらゆる角度から慎重に分析、総合した結果、以上が真相であると確信している。

特に、右指摘した「メモ」「答弁書」及び被告人のこれに関する供述は、本件事犯の真相の糾明に絶対不可欠ともいうべき重要な論点であるにも拘らず、検察官は、全くこれにつき反対尋問を行おうとしなかったことが明らかであるが、これは、一体何を意味すると解するべきであろうか。右の論点に関する弁護人らの主張が真実であり、この点を探求すればするほど、検察官の描く構図が虚偽であることが明確になるからであろう。

更に、伊勢開発勘定調査書が作成されたこと自体が重要な論点の一つであると考える。検察官が冒頭陳述において主張する事実関係が正しいものとすれば、右調査内容は、単なる情状に過ぎないものであり、一つの独立した調査書として作成されるべきものではないのである。にも拘らず、同調査書が作成されているのである。しかも、査察官の調査書中、作成に最も時間と労力を要したものが、同調査書なのである。ここまでの努力を傾注して同調査書を作成したということ自体が、査察官が本件を単純な売買とは見ていなかったことを如実に物語ると言って過言ではないと考える。

四 証拠により認定されるべき事実経過

取調済みの関係証拠により証明された本件の一連の事実の経過は、次のとおりである。

1 有価証券売却益について

(一) 被告人種子田と喜田幸治との出会い

被告人種子田は、昭和五四年ごろ、福元公成から喜田幸治を紹介されて知り合うようになった。

福元公成は、同五五年一月当時、伊勢化学工業株式会社(以下伊勢化学という)の宮崎工場長をしており、かねて喜田幸治から伊勢開発株式会社(以下伊勢開発という)の資金繰りが苦しいとの話を聞かされており、喜田幸治がしかるべき融資先を物色していることを知っていたこと、他方、被告人種子田が金融関係の仕事もしていて、かなりの金を動かしていることを知っていたことから、被告人種子田に伊勢開発への融資等支援を依頼するものを目的として、喜田幸治および被告人種子田の両者を改めて引き合わせた。

(二) 被告人種子田の喜田幸治及び伊勢化学に対する認識

被告人種子田は、従前より伊勢化学が地元の優良企業として新聞等で度々紹介されていたこと等から、伊勢化学の名前はよく知っており、伊勢開発支援を機会に伊勢化学及び喜田幸治に接近し、将来の商取引上の有利な地位をつくり出したいという考えを持つに至った。

(三) 昭和五五年一月当時の伊勢開発の経営状況

伊勢開発は、昭和五三年三月、伊勢化学の希望退職者の受皿会社として設立されたものであるが、同五五年一月当時には、伊勢化学との資本関係はなく、伊勢開発の全株式は代表者喜田幸治が実質上所有し、喜田幸治の個人会社となっていた。

喜田幸治は、伊勢開発を土木工事請負を中心とした会社として発展させようと意図していたが、手掛けた足利寺の墓地造成工事および共輪寺納骨堂建設工事等でかなりの出費をしていたものの、これに関する入金は殆どなく、経営事情は火の車の状態であった。

そのため喜田幸治は、各種物品販売に手を出し、何とか伊勢開発の窮状を打開しようと図った。しかし、この物販の計画も悉く失敗に終り、その日その日の資金繰りのために次々と手形を乱発する状態であった。

(四) 被告人種子田が、伊勢開発ないし喜田幸治に融資するに至った経緯

そこで喜田幸治は、昭和五五年一月中旬ごろ、被告人種子田を東京の事務所に訪ね、被告人種子田に伊勢開発への融資の申込をした。その際、喜田幸治は、前記のような伊勢開発の経営の実情を秘匿し、伊勢開発は伊勢化学の子会社であり、伊勢化学は年間二〇億円からの経営利益を出している会社であるから、その返済に心配はない旨を話し、被告人種子田を安心させて融資の申込をした。

これを受け、被告人種子田は、そのような優良な親会社があるのなら、そちらから援助を受ければよいのではないかと考えないわけではなかったが、大会社にはそれなりの種々の事情があるのだろうと考え、この際伊勢化学および喜田幸治らに接近しておく方が得策と考えて、この話に応じ融資をすることにした。

その結果、被告人種子田は、自己の経営する丸益産業株式会社、被告人個人等の名義で、同五五年一月三〇日から同年四月ごろまでの間に、合計一億五、〇〇〇万円余を融資したものである。

なお、原判決は、「昭和五五年当時被告人種子田経営にかかる会社としては被告会社が基幹会社であった」(判決書九丁表)と認定しているが、これは前記のとおり被告人種子田が捜査段階において、帰属主体を被告会社とするために虚偽供述したことをそのまま認定したものであり、関係証拠でも明らかなとおり、喜田幸治ないし伊勢開発に対する多額な貸付もその大部分を丸益産業株式会社において貸しつけているし、武蔵野信金江古田支店からの伊勢開発名義の借り入れに当っても、担保提供者は丸益産業株式会社であった。また、丸益産業株式会社の商業登記簿謄本の目的欄を見ると、昭和五五年六月七日に、「沃素、臭素及びこれ等の化合物並びに医薬品の製造、加工及び売買」「ニッケル、コバルト等の金属及びこれ等の化合物の製造、加工及び売買」の目的が追加されており、これは、前記のとおり、丸益産業株式会社がヨードの「一手販売に関する基本契約」によってカラブリアン・ジャパン・リミテッドからヨードの販売手数料を受領するために追加変更したものであって、要は、昭和五五年当時の基幹会社は丸益産業株式会社であり被告会社ではなかった。被告会社は、有限会社であって、わずかに食肉加工販売をしていた零細企業で、その事業も軌道に乗らず、架空売上を計上して粉飾決算をしているような会社で、基幹会社でありえないことは明らかである。

(五) 第一回目の株券寄託

被告人種子田は、前記一億五、〇〇〇万円余のうち、昭和五五年四月に貸付けた五、〇〇〇万円の貸付に際し、従来喜田幸治より何らの債権担保処置をとっていなかったことから、喜田幸治が所有または管理する伊勢化学の株式の一部約四〇万株(株式数については必ずしも正確ではない)を事実上の担保として預かりたい旨を申入れ、喜田幸治もこの申込を受けて、被告人種子田に伊勢化学株約四〇万株を預けることとし、たまたま右株式が有賀延興のところに保管されていたことから、有賀延興に連絡し、右株式を持参させ、右株式を被告人種子田に引渡した。

なお、この際喜田幸治は、有賀延興が所有する伊勢化学株七、〇〇〇株についても、有賀延興をして持参させ、被告人種子田に引き渡しているものである。

被告人種子田と喜田幸治とのこの株式の引渡についての法律的意味は、両者において必ずしも明確に表示されていないため正確ではないが、被告人種子田の、伊勢開発および喜田幸治に対する、現在および将来の債権の担保の趣旨で寄託されたものと言える。

(六) 被告人種子田の伊勢開発等に対する追加融資資金等の調達

被告人種子田は、既に喜田幸治および伊勢開発に対して約一億五、〇〇〇万円余の融資をしているのみならず、今後も喜田幸治および伊勢開発に相当の追加融資をせねばならない状況もあり、且つ、自己の運転資金も必要となり、これらの資金を調達するため、自己の取引先である武蔵野信用金庫から資金を調達しようと考えた。

しかし、被告人種子田は、自己の経営する丸益産業株式会社等の名義で借入をするとそれだけ同信用金庫からの資金調達の枠が狭まり、後日資金調達が困難になるとの判断から、この際伊勢開発名義をもって借入をおこし、その資金を利用しようと考え、昭和五五年五月七日武蔵野信用金庫江古田支店に伊勢開発名義で借入申込をなし、被告人種子田個人および丸益産業株式会社がこれを保証し、担保を差入れる融資方法で同信用金庫の承諾をとった。

この資金借入は、法形式上は伊勢開発が債務者であるが、実質上の借主は被告人種子田であり、同五五年五月二四日同信用金庫江古田支店から二億五、〇〇〇万円の貸付を受けて、これを被告人種子田が受取り、被告人種子田においてその一部を伊勢開発へ貸付するなどして使用し、後日被告人種子田において弁済を完了している。

なお、この融資の際、喜田幸治は前記の伊勢化学の株式約四〇万株を同信用金庫に担保提供することを了承し、被告人種子田は、同年五月二四日ごろ、丸益産業株式会社および被告人種子田名義で同信用金庫にその株券を担保差入れ(質権設定)をしている。

(七) 株式譲渡契約書作成の経緯

(1) 喜田幸治は、昭和五五年五月に入っても、被告人種子田に対し融資の申込をしてきた。

被告人種子田としては、それまでにもかなりの額の融資をしているのにも拘らず、次々と融資申込のあるのに驚き、事情を聞きたいと考えて、喜田幸治に対し福元公成と一緒に来るように申し向けた。

これを受けて喜田幸治は、五月上旬ごろ、福元公成および上原鹿蔵常務を同行して、被告人種子田の事務所を訪ねた。この席上、被告人種子田は「一体いくら位あれば伊勢開発は立直ることができるのか」と質問したところ、上原常務が「約三億六、〇〇〇万円位あれば大丈夫」との答弁をなし、被告人種子田もそれを信じて資金繰りを考えてみたが、その後五月二一日ごろ、物販関係で手形を乱発し、その手形を詐取されているとの事実も明らかにされた。そこで、この手形を詐取された件については、弘中弁護士に依頼して刑事告訴の手続をとることにした。

(2) 被告人種子田としては、喜田幸治らが説明する三億六、〇〇〇万円位の資金援助はやむを得ないと考えていた。

ところが、同五五年五月二六日ごろ、被告人種子田が伊勢開発の事務所に立寄った際、偶然、経理担当の三橋の机の中に振出済みの多数の手形の耳があることを発見した。被告人種子田はこれを見て、喜田幸治らが伊勢開発の会社の実情をまだ正直に説明していないと直感し、早速これを集計させてみたところ、未決済手形と借入金の合計が全く予想外の一〇億円余の金額に達することが判明した。

そこで、被告人種子田は、五月二七日ごろ、急遽、福元公成を上京させ、被告人種子田、福元公成、喜田幸治、弘中弁護士を交え、深夜二時頃まで対策を協議した。その際、被告人種子田は、伊勢開発を倒産させる以外に解決の方法がないことを主張したが、自己の対面を慮る喜田幸治は何らの対策を示さぬまま被告人種子田の主張にも賛同せず、ただ協力を依頼するだけの曖昧な態度に終始していた。

そのため、この会議では結論が出ず、翌二八日午前八時三〇分ごろから伊勢開発の事務所において、被告人種子田、喜田幸治、福元公成の三者において話合を継続した。しかし喜田幸治がなお前夜と同じように曖昧な態度をとり続けたため、被告人種子田は、これ以上の援助はできないものと判断し、立腹して、一切手を引く旨の発言をして退席し自己の事務所に帰った。

これに困惑した喜田幸治、福元公成は、被告人種子田の事務所を訪問し、被告人種子田をなだめ、援助に関する種々の条件を提示した。喜田幸治は、この時、被告人種子田に対し、債権者との交渉は被告人種子田に一切依頼したい、債務整理に必要な資金を被告人種子田において立替えてほしい、喜田幸治が個人保証をしているものを優先的に整理してほしい旨依頼し、且つ、被告人種子田に立替えてもらう金員については、必ず喜田幸治および同人の息子が連帯の上、被告人種子田が回収した手形や借用証書の額面で返済すること、また、喜田幸治が江戸英雄に八、〇〇〇万円借入れた際、担保として預けてある伊勢化学の株券四九万株については、被告人種子田において江戸英雄に八、〇〇〇万円返済してくれれば、右株券を被告人種子田に預けることなどを申し向けた。

喜田幸治は、江戸英雄から昭和五四年一一月一九日に三、〇〇〇万円、一一月三〇日に三、〇〇〇万円、一二月四日に二、〇〇〇万円の合計八、〇〇〇万円を借入れており、その担保として伊勢化学の株式約四九万株を差入れていた。

被告人種子田は、喜田幸治の申入れに対し、このまま伊勢開発の負債を放置したまま倒産させてしまえば、喜田幸治は当然伊勢化学の社長の地位を失脚するのであろうし、従来融資していた金員の回収もできないのではないか、そうであれば今後自分が喜田幸治から伊勢開発の債務整理に関する全権の委任を受けるならば、同会社の債務等につきその真実の実情を把握できるし、喜田幸治から伊勢化学の株式を全て預かっておいて、伊勢開発の負債の手当てをなして喜田の失脚を防げば、従来伊勢開発に融資していた金員も、これから伊勢開発のために出す債務整理資金も、伊勢化学等から回収することが可能ではないか等との判断のもとに、喜田幸治の申入れを受入れることとし、喜田幸治に対し伊勢化学株を預かる旨を申し述べて承諾し、ここに伊勢化学株約四九万株につき、被告人種子田において、江戸英雄に対する弁済金八、〇〇〇万円の追加融資をすること、および、それと引換えに約四九万株の交付を受けることを条件にした寄託契約が成立した。

以上の次第で、被告人種子田は、伊勢開発に対する援助ないし負債整理に協力を継続することとなり、喜田幸治および福元公成は被告人種子田の事務所を退室した。しかし、伊勢開発を倒産させるか否かはなお結論に至らないままであった。

なお、本株式の処理については、被告人種子田は、債務整理の進展に応じて、今後喜田幸治と相談して決定しようと思っていた。

(3) ところで、被告人種子田は、一人になってから今後の事態の推移等につき総合的に思索をめぐらすうち、喜田幸治から既に預かっている約四〇万株、および今後預かる約四九万株の合計約八九万株の伊勢化学株式について、株は自分が預かっているだけでは安全ではなく、他の債権者から株を守ることを考えると自分が買った形をとっておいた方が安全であると考えついた。そこで被告人種子田は、同月二九日ごろ電話で喜田幸治に対し、債権者から伊勢化学を守るためには架空の売買契約書を作成しておいた方がよい旨提案したところ、喜田幸治も一も二もなく賛同し、内容を含めて、その契約書の作成方を被告人種子田に一任した。被告人種子田は、喜田幸治との右合意に基づき、同日、弘中弁護士に株式の譲渡契約書の作成方を依頼したが、売買期日ならびに株数は空欄にしてもらった。なお、被告人種子田は、右約八九万株の株式の買受名義人につき、架空の契約書であったところから、法人名の方がもっともらしいと考え、思いつくままに被告会社名義とした。

被告人種子田は五月二九日、喜田幸治とこの譲渡契約書の株数の欄に「八九万株」と書き入れて、株式目録空欄のまま喜田幸治が署名捺印し、被告人種子田が中央産商のゴム印を押し、その名下に社印を押捺して書面を作成した。この書面を作成した時は、既に夜になっていたため、被告人種子田は、その翌日、社員に書面を公証人役場に持参させ、確定日付をとった。また、売買期日欄はその日に鉛筆で記入している。

さらに、右売買契約書上の売買代金欄の九、三〇〇万円は、喜田幸治の江戸英雄に対する返済分八、〇〇〇万円と、とりあえず当面の伊勢開発の手形決済資金一、三〇〇万円分の、合計九、三〇〇万円を記載したものに過ぎない。

なお、売買契約書は仮装のものであるため、印紙も貼付せず、二通作成したものの、被告人種子田がその二通とも保管することとした。

(八) 会社整理についての基本合意

被告人種子田は、前述のとおり、本件株式約八九万株を預かったところから、伊勢開発を倒産処理するか否かはともかくとして、その債務整理を行うこととした。

そして、昭和五五年六月二日ごろ、被告人種子田および喜田幸治は、被告人種子田が債権者から手形小切手等を回収した場合は、被告人種子田が出捐した金額を問わず、回収した手形、借用証書の額面で喜田幸治が責任を負う旨の合意をなし、喜田幸治はその旨の書面を被告人種子田に差入れた。

(九) 破産宣告に至る経緯

被告人種子田は、伊勢開発の債務整理について喜田幸治から全権の委任を受けたものの、その整理全般については、伊勢化学及び伊勢開発の株主であり有力者の一人である江戸英雄の了承を取らなければならないと考え、昭和五五年六月二日ごろ、喜田幸治、福元公成を同道し、江戸英雄を訪問した。

その際、喜田幸治は、江戸英雄に対して、自己の所有し、または管理する伊勢化学株を被告人種子田に寄託して同被告人に伊勢開発の債務整理を依頼すること、伊勢開発の事務所を、その整理の遂行上、被告人種子田に事務所として使用させること、および江戸英雄に対する八、〇〇〇万円の債務については被告人種子田が肩代わりして返済すること、等を報告し了承を求めたところ、江戸英雄も被告人種子田がこの整理にあたることに賛同し、これを了承したものである。

被告人種子田は、いよいよ伊勢開発の債務の整理を遂行しようと考えたものの、負債総額が一〇億円以上にも上っており、しかも債権者数もかなりの数にのぼり、手形が輾転流通するものである上、これを把握することも難しく、また、かなりの割合の伊勢開発振出の手形等が悪質な債権者に流れていることが予想されていたため、伊勢開発の事業を継続し、不渡を出さないで債務整理を進めることは事実上困難と考え、債務整理を行う便法として、伊勢開発につき破産手続をすることによって整理しようと考えた。

被告人種子田が右のような決意をしたのは、同年六月四日ごろであり、被告人種子田は直ちに弘中弁護士に破産申請手続きを依頼した。

そこで弘中弁護士は、伊勢開発の社員等に手伝わせて破産申立書を作成したが、他方、それと並行して、被告人種子田は、伊勢開発と伊勢化学との対外的な混同を避けるため、伊勢開発の商号をエー・ビー・シー土木株式会社と変更することにし、六月六日同登記を了した。

なお、伊勢開発は、第一回不渡を昭和五五年六月一〇日、第二回不渡を同月一四日に出して銀行取引停止処分を受けた。

弘中弁護士は、エー・ビー・シー土木株式会社につき、同年六月一六日、東京地方裁判所に破産の申立をなした。これに対し、同月一七日代表者審尋がなされた後、同月一八日、同裁判所昭和五五年(フ)第八六号事件として破産宣告がなされた。その後、被告人種子田は、伊勢開発の事務所に丸益産業株式会社の看板を出して、伊勢開発の債務整理にあたったものである。

(一〇) 江戸英雄に対する喜田幸治の債務の支払および株券の授受、第二回目の株券寄託

被告人種子田は、昭和五五年六月七日、喜田幸治および江戸英雄との約定に従い、喜田幸治が江戸英雄から借入れた八、〇〇〇万円について、江戸英雄の代理人である池田映一に現金にて支払をなし、それと引換えに伊勢開発の株式約四九万株、および喜田幸治名義の江戸英雄に対する借用証三通の引渡を受け、これを被告人種子田個人名義で武蔵野信用金庫に保管していた。

なお、右八、〇〇〇万円の捻出および支払方法について一言すると、前記のとおり、同金員は被告人種子田の喜田幸治に対する貸付金であって、被告会社の株式購入代金ではなかったことから、被告会社においてこれを金策することを何らせず、被告人種子田個人の立場において、三代目小桜一家本部長吉田得次から借入れた五、六四〇万円、および当時被告人種子田が宮崎銀行東京支店に小林一郎なる仮名にて設定していた普通預金口座の残高、ならびに丸益産業株式会社が平和相互銀行池袋支店に有していた普通預金口座の残高等をやりくりして捻出したものであり、しかも右八、〇〇〇万円の支出に際しては、当然のことながら、その当時、被告会社の預金口座を全く介していないし、被告会社の伝票および帳簿等に計上する手続を何らしていないものである。

(一一) 被告人種子田の債務整理の遂行状況について

被告人種子田は、喜田幸治との約束に基づき、破産宣告後、引続き伊勢開発の事務所に常駐し、債権者との折衝にあたり、次々と債務の整理を遂行した。その後、同五五年一〇月一八日に至り、被告人種子田は、これまで回収した手形等につき、社員にその金額の集計をさせ、弘中弁護士に借用証書の文案を作成してもらった上、喜田幸治に回収手形等の原本を示して確認させ、右借用証書に署名捺印させた。なお、その金額は一〇億二、八四八万四、三二七円であり、当然のことながら、右金額の中には本件株式売買代金とされている九、三〇〇万円の債権も包含されているものである。その後も被告人種子田は、約定に従って債務整理の業務を遂行し、その業務は昭和六一年ごろまで継続しているものである。

(一二) 伊勢化学の分割計画について

昭和五五年七月ごろ、喜田幸治は、伊勢化学を旭硝子と喜田幸治側とに二分割してこれを経営していけば、その利潤によって被告人種子田が援助および債務整理のためこれまで支出し、且つ、将来支出するであろう金員を返済し、同人に預けてある株式も取り戻せると考え、その旨を江戸英雄に話して了承をとり、旭硝子の坂部武夫専務に会社の分割を申入れた。

喜田幸治が考えていた伊勢化学の二分割とは、喜田側が宮崎工場、新潟工場、千葉工場の一つの合計三工場を経営し、旭硝子側が千葉の五工場を経営する内容のものであった。

同五五年九月から一〇月にかけて、被告人種子田も喜田幸治の依頼を受けて旭硝子に赴き、伊勢化学の前記の分割案に基づき交渉したが、後述のとおり、一〇月下旬に至り坂部武夫より、含み資産が多いこと、税務上の損失が多大であること等を理由に分割ができない旨、拒絶された。

なお、被告人種子田は、旭硝子と分割についての交渉をする直前に、喜田幸治と共に江戸英雄を訪ねて相談した結果、被告人種子田において、旭硝子に対し、強力に次のようなことを要請しようという話合がなされた。

第一は、伊勢化学の役員増員問題であり、第二は、伊勢化学の分割の問題、第三は、分割が不可能の場合、喜田幸治の進退問題がおこるが、その時は同人を取締役会長に推すこと、さらに旭硝子が分割に応じない場合は、被告人種子田がこれまで負担し、将来負担するであろう債務整理資金等を旭硝子側に出捐させる方法について等であった。

(一三) 被告人種子田が大和久正己、柘植竹子から伊勢化学の株を買取った事実

被告人種子田は、喜田幸治の依頼により、昭和五五年六月、大和久正己が所有する伊勢化学の株式四万二、六〇〇株を二、一三〇万円で取得しており、また同五六年一月ごろ、同じく柘植竹子の所有する株式二万株を一、〇〇〇万円で取得している。

被告人種子田は、大和久正己より買受けた四万二、六〇〇株につき、昭和五五年七月、名義を自己が経営する西日本開発株式会社、ひまわり商事有限会社、および被告人種子田の子供達に名義変更手続をしている。

また、柘植竹子より買受けた二万株につき、昭和五六年七月、丸益通商株式会社、富山勝治、古里盛雄、多田静夫、中物産株式会社等に名義変更手続をしている。

(一四) 株式売買の経過

(1) 被告人種子田は、それまで旭硝子に対し、喜田幸治の代理人として企業分割等の交渉を行ってきたものであるが、旭硝子の坂部武夫から明確に分割を拒否され、その後何の進展もないことから、自己が単に喜田幸治の代理人もしくは喜田幸治、伊勢開発等に対する債権者としての立場にとどまらず、伊勢化学の四分の一の株券を現に所持する立場にある者であることを示すため、前記株式譲渡契約書を坂部武夫に見せて、その反応を探ったものである。

一方、坂部武夫は、本件株式が喜田幸治の所有にあり、被告人種子田は単に預かっているものであることは、友澤潤次郎より報告を受けて熟知していたが、被告人種子田と喜田幸治との間においてこのような株式譲渡契約書が作成されていることを知り、これを奇貨として、喜田側から本件株式を旭硝子側に取得しようと企図した。これは、伊勢化学の株主構成が、従来、旭硝子側の喜田側とで五〇パーセントずつの力のバランスが保たれており、旭硝子の完全支配ができなかったからである。

そのため坂部武夫は、被告人種子田に対し、自分は近々旭硝子の社長になる予定であること、年商八〇〇億円程度の機械輸入の商権を与えられる可能性のあること、旭硝子の不動産関係を任せることができる可能性があること等々、旭硝子と協力していくことのメリットを強調し、被告人種子田を説得し、本件株式を取得しようとしたものである。

(2) 他方、被告人種子田としては、旭硝子と組めば将来種々のメリットがあると考え、坂部武夫の申出に応ずることとし、その条件として、

<1> 喜田と喜田の息子を役員で残すこと

<2> 被告人種子田が伊勢開発の債務整理資金等として出捐していた一〇億円余の資金を返済してもらうこと

<3> 宮崎県清武町に設定した鉱区(試掘権)を買取ってもらうこと

等を提示したところ、これに対して坂部武夫は、これらの問題については極めてあっさり と承諾した。

(3) その際、株式譲渡にかかる課税問題が話題となったが、坂部武夫は、二〇万株未満に分けて売却すれば税金がかからないという税務上の特例があるから税金はかからないとして、その方法について具体的に被告人種子田に教示したものである。

右のような方法があることを知らなかった被告人種子田は、坂部武夫が教示した、二〇万株未満に分けて売却すれば税金がかからないという特例は真実であるか否か心配になったため、昭和五五年一一月末ごろ、宮崎の牟田司法書士および妹婿が税理士をしている社員の落合教示にそのことを確認してもらったり、さらに日本橋税務署にも確認をとり、間違いがないことを知った。

坂部武夫の教示した方法が真実であると判ったため、被告人種子田は、坂部武夫の申入れてきた株式売買に応じようと決意した。

(4) 坂部武夫は、被告人種子田が株式売買の決意をするや、直ちに喜田幸治のところに電話をかけ、「種子田が伊勢化学の株を売りに来ているが知っているか」と言って喜田幸治の様子を探り、喜田幸治が「預けてあるだけで売る気はない」と言って、必ずしも株式売買について賛成できない態度を示すや、これに対し「そんなことを言っても株の場合は通用しない。持っているものが権利者だからな。種子田はどこへ売るか判らない。旭硝子が取得しておいた方がよいのではないか」等と申し向け、喜田幸治をして株式売却を承諾させているものである。

一方、坂部武夫は、この株式の権利者が実際は喜田幸治であることを知っていたため、喜田幸治との後日の紛争を防止しようと考え、被告人種子田に対し、喜田幸治の委任状をとってくるように要求している。

(5) 昭和五六年一月中旬、坂部武夫から株式売買についての値が決定したという連絡があり、その値段は一株約一、六〇〇円で約一五億円というものであった。被告人種子田は、自分が想像していたよりも高額の値がついたことから、これを受け入れた。

その際、実際の取引当事者は、売主被告人種子田、買主旭硝子であるにも拘らず、外形上、前記株式譲渡契約書を利用しようという合意が成立したものである。

外形的形式を整えるため、坂部武夫は被告人種子田に対し、被告会社より譲受けることにする五つの名義を用意するように指示し、被告人種子田が、<1>丸益産業株式会社、<2>冒和商事株式会社、<3>西日本開発株式会社、<4>ひまわり商事有限会社、<5>種子田益夫の五つの名義を用意したところ、坂部武夫は、被告人種子田に対し、「被告会社から右の五つの名義に株を分けて譲渡したという売買契約書を作るように」と指示し、且つ、被告会社の帳簿、伝票等をそれに合わせて作り直すように指示した。被告人種子田はその指示に従い、五つの名義に株を分けて譲渡する形の契約書を作成し、同五六年一月二七日、旭硝子の応接室に赴いた。

なお、そのころ被告人種子田は、被告会社の伝票、帳簿等を遡って変更し、あたかも喜田幸治より被告会社が本件株式を買入れたかのように処理した。

旭硝子側は、坂部武夫、友澤潤次郎、田澤潔の三人が同席し、この席上、田澤潔が「法人だと二〇万株に達しなくとも課税される」旨の発言をなし、坂部武夫は再び被告人種子田に、個人で五つの名義を用意するよう指示した。

被告人種子田は、<1>種子田昭吾、<2>古里盛男、<3>種子田フジノ、<4>落合教示、<5>種子田益夫の五つの名義を伝え、坂部は被告人種子田に契約書作成上の注意点を教え、契約日を二月四日とするとの指示をした。

被告人種子田は、被告会社から前記五名義人への売買契約書を作成し、同五六年二月四日、これを旭硝子に持参し、坂部武夫、友澤潤次郎立ち会いのもとに売買契約書に調印し、被告人種子田は株券の全部を交付し、これと引換えに農林中金の預手で一四億九、二八〇万円を受領した。

(6) 坂部武夫は、被告人種子田との株式売買契約の条件として、被告人種子田が伊勢開発の債務整理資金等として出捐していた一〇億円余を返済する旨の約束があったところから、伊勢化学の湯原副社長に、被告人種子田に一〇億円を出す方法を検討させていた。

しかし、法的にその方法が発見できず、昭和五六年三月中旬ごろ、坂部武夫は被告人種子田に対し、税務対策上、一〇億円余の金員を出す方法がない、仕方ないので五億円については、手取額が五億円になるように調整して株式売買代金にこれを上乗せするという形で支払い、残五億円については、伊勢化学から喜田幸治の仮払金勘定の名目下に支出し、被告人種子田に支払われている五億四〇〇万円と相殺して処理しよう、と提案した。これに対し被告人種子田は、坂部武夫の要求を受入れた。

なお、その際、坂部武夫は帳簿処理上直ちに仮払を処理できないので、被告人種子田の関係会社で五億円を借りた形にしてほしいと依頼し、被告人種子田はこれに応じ、ひまわり商事有限会社と伊勢化学との間で架空の金銭消費貸借契約を締結した。そして、後日この契約書により支払請求を受けることを防止するため、伊勢化学代表者の喜田幸治から、右金銭消費貸借契約が架空のものである旨の念書を受領しておいた。

被告人種子田は、同五六年三月下旬ごろ、旭硝子の応接室で農林中金の預手で五億八万八、〇〇〇円を受領し、旭硝子との株式売買契約書を坂部武夫の指示どおりに作成し直した。

(一五) 喜田幸治の民事訴訟の提起と和解

喜田幸治は、被告人種子田が寄託中の本件株式を売却した後においてその精算を要求している。被告人種子田も五億円程度なら精算義務に応ずる旨の態度を示していたものの、その税務処理等の問題で解決がつかないまま時間が経過し、喜田幸治は昭和六〇年三月四日に至り、被告人種子田を相手どって、精算義務履行請求の民事訴訟を東京地方裁判所に提起した。

その後、弁論、証拠調べを経たのち、裁判所の和解勧告に従い、平成元年一月二二日、裁判上の和解が成立した。

和解の内容は、被告人種子田が喜田幸治に対して和解金として一〇億円の支払い義務のあることを認め、和解の席上五億円を支払い、残五億円については、伊勢化学の株式五万株をもってこの支払に充てるものとするというものであった。

そして被告人種子田は、右和解条項どおり、それを履行した。

第三 訴訟手続きの法令違反について

一、原判決には、審理不尽に基づく理由不備及び事実誤認が認められ、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において訴訟手続の法令違反があり、到底破棄を免れないものと思料する。

これまで詳述してきたとおり、原判決が本件株式譲渡益を被告会社に帰属するものと判断して、被告人種子田及び被告会社を有罪と認定したことについては重大な事実誤認があると思料するが、それには原審が弁護人の真実究明の上から極めて重要なものと思料して申請した証人を審理を急ぐ余り不必要なものと速断してすべて却下し、これに対し弁護人が異議の申立をしたにも拘らず、原裁判所はこれを棄却して証拠調べを終了してしまったことに大きな問題があると思料する。

すなわち弁護人は原審において、昭和六二年三月一八日の第二回公判において、証人として友澤潤次郎、田澤潔、湯原孝久、落合教示、中村静雄らを申請したほか、本件公訴事実を争うようになった後の同昭和六三年五月二七日の第一四回公判において、証人として江戸英雄、福元公成、喜田武志、番重賢嘉、小倉岩男及び牟田順一の六名を取調べ申請した。

しかるに、原裁判所は第二〇回公判において、突如これら弁護人申請の証人の取調べ申請をすべて却下した。そこで弁護人はこの却下決定は違法であるとして異議申立をしたが、裁判所はこれを棄却して証拠調べを終了することを宣した。

二、弁護人は、昭和六三年四月二七日の第一三回公判において、本件株式譲渡益の帰属等に関し全面的に争うことを意見陳述書により、できる限り詳細かつ具体的に明らかにしたところである。しかも現に証人喜田幸治及び被告人種子田は右意見陳述書に添う証言及び公判供述をしていたのであるし、検察官が後に申請し、取調べを了した被告人種子田の国税局における質問てん末書によれば、当初本件株式譲渡益は、被告人種子田に帰属する旨述べていたことが明らかであり、更に、この供述が後に被告会社に帰属すると変更されているものの、その際に、国税局係官から法人税法違反事件に変更するにあたり、指示事項がメモ(弁第三六号証)にして被告人種子田に渡されているという特異な事実が存したことなどの事情が明らかとなってきたのである。

1 そこで弁護人は、本件事案の真相を明らかにする必要から証人申請をしたのであるが、これら証人は、本件株式譲渡益の帰属に関し直接間接に極めて重要な意味をもつ証人ばかりである。

すなわち右落合教示は、被告人種子田並びに同被告人経営の関連会社の経理を担当していたものであり、殊に本件株式譲渡に関連する被告会社の経理処理に関し、被告人の指示を受けて処理したものである。そして同人の検察官調書においては八九万株に関連する九、三〇〇万円の経理処理は、あたかも株式譲渡契約書作成当時なされたものである如く供述しているが、この点は前記のとおり、後日決算期に至り伝票及び元帳等を改ざんしたものであることが原審公判で明らかになったのであるから、当初の伝票、元帳への記帳はどのような経緯で作成され、その後伝票、元帳を改ざんしたのは誰の指示により何故なされたのか、その経緯を明らかにさせることが本件株式の取得の有無、経緯、譲渡の際の被告人の真意を知る上で極めて重要であり、本件事案の真相を明らかにする上で同人の証言は必要不可欠である。

そして、経理処理が被告人の原審公判における供述どおりとすれば、本件株式売却益の帰属を判断する上で重要であり、原判決と異る結論を導く可能性があるのである。その意味で極めて重要な証人というべきである。

2 また、番重賢嘉と小倉岩男は、本件脱税事件の調査を担当した、大蔵事務官であり、この両名とも被告人種子田から事情を聴取し、質問てん末書を作成しているものである。

そして極めて重要なことは、原審で明らかになったように、被告人種子田については、同被告人個人の所得税法違反の嫌疑で調査を開始し、その後しばらく同事件で調査したのち、同被告人に対する嫌疑を被告会社に対する法人税法違反事件に変更して調査していることが明らかである。

しかも、本件で重要な問題は被告会社に対する法人税法違反の嫌疑に変更された理由が何であったのか、被告人種子田の原審公判供述のとおり、被告人種子田の方からお願いして変更されたものかどうかが極めて重要である。検察官は被告人種子田のこの点に関する公判供述及び重要な物証であるメモ(弁第三六号証)があるのに、同被告人に何ら尋問していない上、論告においてもこの点について何ら言及していないのである。検察官がこの点について、何ら尋問もせず論告で言及しないのは、被告人種子田の供述変更の経過は、同被告人の公判供述が真実であり反論できないからではあるまいか。

もし、被告人種子田の右の点に関する公判供述及び前記メモが真実でないとすれば、検察官として進んで右番重らを証人尋問して否定するであろうに、これもしていないのである。

そこで、むしろ原裁判所としてはこの点は判決に影響を及ぼす重要な事実として疑問をもち真実を究明しようとするのが自然だと思われるのに、原裁判所は検察官と同様この点について一顧だにしていないのであり、これまた誠に不可解である。

3 更に、福元公成は喜田幸治に被告人種子田を紹介し、右喜田幸治と被告人種子田との間の本件株式の授受に至る経緯を充分承知している者で、同人作成のメモの記載にもみられるように、本件真相を解明する上で極めて重要な人物であり、同人を尋問すれば、本件株式は被告人種子田が右喜田幸治から預かったものであって譲り受けたものでないことが明らかになると思料されるのに、原審はこの証人を取調べていないのである。

4 次に、友澤潤次郎、田澤潔の両名は、旭硝子において本件株式の譲渡を積極的に進め深く関与しているものであり、被告人種子田の本件株式譲渡益が同被告人に帰属するとの供述との関係で、旭硝子側の対応が、旭硝子側関係者の捜査時における供述どおりであったか否かをこれまで詳述してきたところからして充分検討する必要があると思料されるものであるほか、被告人種子田との間で実際に行なわれた伊勢化学の分割に関する交渉内容が前記第二、一、2(三)記載のA説であったかB説であったかを究明することも誠に重要であり、これら実体的真実を発見するためには、右両名ら旭硝子側証人を取調べることが不可欠なものであるが、原裁判所はこれら旭硝子側の重要な証人を一切公判で取調べなかったのである。

そして原判決は「被告人種子田は、旭硝子への本件株式譲渡に関し、同被告人側の発案にかかるのか旭硝子側の発案にかかるのかはともかくとして、被告会社に多額の法人税が掛かるのを回避すべく、被告会社からいずれも被告人種子田を代表者とする冒和商事株式会社ら四社及び被告人種子田個人に本件株式を分散譲渡した上これを旭硝子に売却するとの形をとることとした」(原判決一四丁裏)と判示して、課税を回避する方法を発案したのが旭硝子か、被告人種子田であるかの判断を回避してしまっているのである。

しかし、原判決が右の判断を回避した点こそ、所得の帰属、ほ脱犯意の有無等本件の成否に大きく影響するばかりか、情状の面からも看過できない重要な問題であるというべきである。

右のような判示を見ただけでも原判決に、充分審理を遂げたとは到底云い難いし、右のような関係者を公判で取調べれば異った結論が出る筈であるし、少くとも右のような重要な点について、どちらの「発案にかかるのかはともかくとして」というような曖昧なことになることはあり得ないものと思料する。

5 次に湯原孝久は、本件株式譲渡代金に追加されたとされる五億円との関係で、その元となった伊勢化学の喜田幸治に対する仮払金をひまわり商事の債務として処理した経緯を承知しているものであって、本件株式譲渡益の中に右五億円が入るべき性質のものか否かに重要な意味を有する。また、江戸英雄は、国税局、検察官の調べを受けていないが、喜田幸治が被告人種子田に伊勢化学株式を預けた経緯、その後被告人種子田が旭硝子に本件株式を譲渡した経緯について、右喜田幸治から相談や報告を受け、かつ、旭硝子関係者とも接触がある重要な証人である。しかるに原審は右両名の取調べ請求をも却下しているのである。

6 以上、弁護人が原審において申請した重要な証人について述べたが、その他の弁護人申請証人も本件事実及び情状に関し立証上必要と思料される証人であるが、原審はこれらもすべて却下してしまい、弁護人の立証の道を閉ざしてしまったのである。

そして、以上述べた証人の重要性等に照らすと、原審は審理不尽というべきであり、しかもその結果事実誤認及び理由不備となっており、そして原判決には、判決に影響を及ぼす法令違反があるというべきであり、この点において到底破棄を免れないものと思料する。

第四 量刑不当について

一、原判決は量刑の理由として、「本件は、ハンバーグ製造販売(宮崎工場)や金融業を営業目的とする被告会社の業務全般を総括していた被告人種子田が、被告会社の業務に関し、喜田が代表取締役をしている伊勢化学の株式を被告会社が買い入れ、これを旭硝子に売却することによって得た一八億円を超える売却益を秘匿するなどして、被告会社の昭和五五年一一月期の法人税七億八四一一万円余をほ脱した事案であって、ほ脱額が非常に高額で、ほ脱率も九九・五パーセントと高率に及んでおり、このことのみをもってしても、本件は重大な事犯というべきである。

そして、被告人らの本件犯行の動機にはなんら酌むべき事情はないこと、その所得秘匿の手段・方法は、被告会社が本件株式を旭硝子に売却するにあたり、所得税法及び租税特別措置法の定める有価証券取引に関する非課税制度を悪用し、右売却の中間に被告人種子田やその家族ら五名の個人を介在させ、右五名個人による譲渡であるかのごとき仮装分散策を弄するなど、大胆かつ巧妙であること、被告人種子田は、検察官による取調開始前夜には知人に頼んで「中央産商有限会社に対する法人税法違反についての真実について」と題する書面を作成させ、これを被告会社の従業員に隠匿させるなど罪証湮滅工作を行ったこと、改悛の情も希薄であること、その他被告人種子田の前科等の情状を併せ考えると犯情は悪質で、被告会社及び被告人種子田の刑責は重いといわなければならない。」とし、

他方において「もっとも、被告会社及び被告人種子田は本件株式を取得するについては喜田の求めに応じて多額の資金融資をするなど伊勢開発の負債整理に努力してきたこと、昭和六一年三月一三日国税当局の調査結果に基づき本件法人税違反につき修正申告を行い、その本税、附帯税、地方税を納付していること、被告人種子田は喜田に対して合計一〇億円の解決金を支払うことで同人との民事訴訟を和解により終結させたこと、被告人種子田の医療関係事業における今日までの活動状況、被告人種子田が服役すると右医療事業をはじめ多数の事業に深刻な影響を及ぼすことになることなど、被告会社及び被告人種子田のために有利な、又は、同情すべき事情も認められる。」としながらも、被告人種子田の刑責の重大性にかんがみると被告人種子田のために酌むべき諸事情は刑期の点で考慮するのが相当であるとして、被告人種子田に対し懲役二年六カ月の実刑判決を言渡した。

二、しかしながら本件事案の経過内容、態様、動機等の諸般の状況に照らすとき、被告人種子田に対する原判決の量刑は不当に重いものというべきである。

1、原判決は、本件は、ほ脱額が非常に高額で、ほ脱率も九九・五パーセントと高率に及んでおり、このことのみをもってしても、本件は重大な事犯というべきであるとするが、「そもそも直接国税逋脱犯に対する処罰は、その基礎に「申告納税制度」の維持の存ずることに鑑みれば、一般に、右犯罪の情状を論ずるに当たっては、特にほ脱にかかる不正手段の態様において、申告納税制度の根幹を否定する程の反社会性、反道徳性を帯び、一般国民の納税意欲(納税倫理)に著しい支障を生ぜしめる程の悪質性が認められ、かつ、犯行結果としてのほ脱税額が著しく高額であるか否かを重視しなければならない。」(東京地裁刑事第二五部昭和五六年六月二九日判決)というべきであり、後に述べる本件における経緯、動機、態様、本件ほ脱所得の特殊性等、量刑上被告人に有利に斟酌すべき諸点に鑑みるとき、ただ単にほ脱金額の高額性、ほ脱率の高率性のみをもって「申告納税制度」の根幹に触れる悪質な事案であると速断するのは、相当でないと思料する。

2、本件はそのほ脱所得とされる所得の中その殆どが株式の売買益によって占められており、被告会社がその売却益に対する法人税を免れるため旭硝子に本件株式を売却するにあたり被告人種子田外四名の個人による譲渡であるかの如く仮装し、所得税法及び租税特別措置法の定める非課税制度(原則非課税)を利用したものとされている事案であり、本件における株式売買は、投資を目的としたものではなく、ただ一回だけの取引であって継続性、反復性は全くないものである。したがって、本件における除外収入は継続的な売上除外とか架空経費計上とかによるものではなくただ一回の株式の市場外売買によるものであって、本件ほ脱所得の内容を構成する所得の特殊性として量刑上被告人に有利に斟酌すべきである。

3、原判決は、被告人らの本件犯行の動機にはなんら酌むべき事情はないとしているが、この点は情状に関しても重大な事実誤認であるといわなければならない。

本件株式の旭硝子への売却に際し、被告人種子田が、売却益に課税されることを懸念したのに対し、旭硝子側から税金のかからない方法として最終的に「二〇万株未満、五人の名義分散」を教示されたことは証拠上明らかであることは既に詳述したとおりであり、(前述第二、一(六))、この旭硝子の教示によって被告人種子田は課税されないものと信じていたものである。この点は、本件犯行の動機として被告人のために斟酌すべき重要な事情であるにもかかわらず、原判決は事実認定中においても「同被告人側の発案にかかるのか旭硝子側の発案にかかるのかはともかくとして」(原判決一四丁裏)としてこの点に対する判断をあえて回避していることは到底許容しがたいところである。

のみならず、旭硝子の本件株式取得は正に被告人種子田を結果的に欺もうしてなされたものというべく、旭硝子は、本件法人税法違反事件に関して共犯ともいえる立場にあるにも拘らず、法的にも社会的にも一切の制裁を受けておらず、被告人種子田だけを厳罰に処するとすれば旭硝子との衝平の観念にかける憾なしとしない。

三、被告人種子田は、従来から赤十字事業の推進のため、日本赤十字社に多額の社資を納入したり(昭和六〇年一一月一九日)、同人が実質的に経営する牛久愛和病院の地元である茨城県牛久市に対し、市民福祉の一層の向上を図るために合計金弍千萬円の寄付をなし(平成元年八月二九日)、また財団法人法律扶助協会に対し金五千萬円の贖罪寄付をしている(平成元年八月二八日)。

これらを含めて情状については当審において立証する予定であるが、既に延べた諸点に原判決が掲記する被告会社及び被告人種子田のために有利な、又は同情すべき事情を勘案すれば、原判決の量刑は不当に重いもので破棄されるべきであると思料する。

第五 まとめ

これまで詳述した諸般の証拠に照らして明らかなとおり、検察官が本件を法人税法違反事件として起訴したことは、重大な事実誤認に基づくものであり、ひいては法令の適用を誤ったものである。

そして検察官がこの様な重大な事実誤認を犯した主な原因は、実体的真実と相違する東京国税局の誤った査察結果に対し、なんら十分な吟味を施すことなく安易にこれを容認し、かえって被告人種子田の自白を偏重してその虚偽であることを見抜き得ず、したがって、検察官による捜査活動が第一次捜査(調査)機関に対するチェック作用として全く機能せず、いわゆる上塗り捜査に堕していたことによるものと断ぜざるをえない。

すなわち、たとえば本件の真相を解明する上で最も重要な人的証拠である喜田の取り調べにあたり、同人が担当検察官に対し「本件株式は種子田に預けたものであり、売ったものではない。国税局でもその旨主張したが聞き入れられなかったが、預けたのが事実だ。」と訴えたにもかかわらず、検察官はこれに耳を貸すことなく、もっぱら国税局の告発事実を真実とする予断の下に、「種子田は買ったといっておるし、現に譲渡契約書がある以上は、その様な主張は通らない。」として、本件株式の売買を認めさせた前述の通りの矛盾撞着に満ちた不自然な供述調書(昭和六一年一二月一二日付検面調書)を作成している。検察官が、性格的に優柔不断な喜田をして強引に右供述調書に署名捺印させたであろうことは、検察官の論告要旨の三六ページないし四〇ページに引用されている昭和六三年五月二七日の当公判廷における強引かつ索強附会ともいうべき尋問状況からも容易に推察し得るところであるが、もし検察官において実体的真実を発見すべく虚心に喜田の供述に耳を傾け、また被告人種子田の自白を偏重するすることなく、それら供述の内容の真否につき慎重な吟味を重ねていたならば、本件のような事実誤認に基づく処理の誤りはこれを避けることができたものと思料する。

もとより、検察官と第一次捜査(調査)機関とは緊密な連絡を保持すべきものではあるが、同じ行政機関の中にあって殊更両者が二段階的に別個の機関として設けられているのは、とりもなおさず人権を保障しつつ事案の真相を解明することを制度的に担保しようとするものであることにかんがみ、いやしくも両者が安易に一体的な癒着をするが如きことがあってはならないことは多言を要しないところである。そしてこのことは、同じ国家機関の中にあって、裁判所が検察官と別個の機関として設けられていることについても同様である。否、むしろ裁判所にはよりつよい厳格な姿勢が要求されている。

しかるに、従来問題となった再審における無罪事件などを顧みると、そのほとんどが、検察官において第一次捜査機関の捜査結果をいわゆる上塗り捜査したに止まり、さらに裁判所が検察官の捜査や処分を安易に是認して、実体的真実を解明するための厳しい司法的チェックを怠ったことに基因するものであると認められる。

しかも、このような裁判所の検察に対する安易な信頼や、ややもすれば検察活動の過誤を見逃し、あるいはこれを救ってやろうとするがごとき好意的ともいえる姿勢が、憲法の定める三権分立や司法の独立を危うからしめ、法の支配と人権保障を危殆に頻せしめることになるといわざるを得ない。

原判決は、まさに、検察の起訴の過誤を見逃し、あるいは救ったものであって、到底容認されるべきではないと思料する。

以上の観点から、弁護人としては、あえて賢明なる控訴裁判所に対し原審公判廷に顕出された全証拠につき精査を加えた上、本件につき、すべからく無罪の判決を賜りたく上申する次第である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例