東京高等裁判所 平成元年(ネ)107号 判決 1991年7月16日
控訴人
渡部進
右訴訟代理人弁護士
紺野稔
須賀一晴
秋田徹
中島成
右訴訟復代理人弁護士
佐藤隆男
被控訴人
都市住宅地株式会社
右代表者代表取締役
猪俣節子
右訴訟代理人弁護士
小嶋正己
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 控訴人は、被控訴人から一五〇〇万円の支払を受けるのと引き換えに、被控訴人に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。
2 控訴人は、被控訴人に対し、昭和六二年五月二九日から右建物明渡しずみまで一か月三万五八〇〇円の割合による金員を支払え。
3 被控訴人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、第一、二審を通じて三分し、その二を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
事実
一 当事者の求めた判決
1 控訴人
原判決の控訴人敗訴の部分を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
二 当事者の主張及び証拠関係
被控訴人において、「本件解約申入れの正当事由を補完する立退料として五〇〇万円を支払う用意があるが、右金額に固執するものではない。」と述べたほか、原判決の事実欄第二及び第三記載のとおりである。
理由
一請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。
二本件解約申入れの正当事由の有無について検討する。
<書証番号略>、証人猪俣静也、同佐々木隆三(いずれも当審)及び控訴人本人(原審及び当審)の各供述並びに鑑定の結果(原審)によると、次の事実を認めることができる。
1 本件建物は、外苑東通りに面する間口約五メートル、奥行き約一二メートルの被控訴人所有土地に建ち、南隣りの建物とは密接している。控訴人は、長年、本件建物において家族で小規模な電器店を経営し、一階を店舗及び倉庫に、二階を家族(妻及び電器会社勤務の長男)との住居に使用している。電器店の顧客は、近隣の一般家庭や会社等が主であり、控訴人が平成元年までの三年間に申告した所得金額は毎年三〇〇万円前後から五〇〇万円近くである。
2 本件建物は、明治三七、八年ころに建築されたもので、老朽化が著しい。
すなわち、基礎は大谷石による布基礎であるが、北側の基礎には不同沈下が見られ、一部に補強箇所もある。土台は、北側で腐蝕が進み、補強されており、南側も、直接現認はできないが、建物が南傾していることからして土台の腐蝕は著しいと推定される。柱は、北側の土台との接合部で腐蝕しているものがあるほか、ほとんどの柱が二度ないし五度くらい傾き、その傾斜の向きも南北不同である。床は、一部に傾斜が見られるが、根太の落下その他の床組の朽廃に起因すると認められるところはない。梁には、構造部材として致命的欠陥といえる割れ等はない。外壁の下見板は破損修補箇所が多く、一階西側庇のモルタルは剥離している。屋根の野地板、垂木等は腐朽して瓦がずれ、西側軒は瓦が落下している。
本件建物の一階北東部分は北側に傾斜し、二階南側部分は南側に傾斜して南側隣家(現在空家)の二階に軒が接し、隣家の二階軒樋を押しつぶしている。本件建物の傾斜のために南側隣家が直ちに傾いたり倒壊したりすることはないが、近い将来に軒先破損や壁クラックを引き起こす可能性が十分ある。
本件建物は、継手が金具でなく、ほぞ止めであるため、耐力があり、大きな災害でもなければ差し迫って倒壊する危険はないが、二階南側部分が接している南側隣家が除去されると、傾斜が進行する。また、本件建物の傾斜を是正し垂直に戻すことは、梁と柱との仕口や梁と梁との継手が外れたり壊れたりするなどの危険があり困難である。現状のまま、雨漏り、外壁の破損箇所、床、壁、天井の部分的取替え等の最低の補修を行いつつ使用することを前提に、あえて今後の使用に耐える年数を予測すれば、昭和六三年の時点で五年ないし七年程度と予測されたが、腐朽箇所が建物の基本構造部の全体にわたっているため、個別の部分的補修によって維持しうる段階は過ぎているとみられる。大修繕をするとすれば、基礎の設置、土台の入れ替え、柱等の補強、外壁の張り替え、屋根の垂木等の交換と葺き替えといった工事が必要であり、技術的には可能なものの、経済的には、新築費用(昭和六三年当時で3.3平方メートル当たり四〇万円ないし四五万円。本件建物の床面積に換算すると七七〇万円ないし八七〇万円)を超える費用がかかり、最低でも五、六〇〇万円は必要であると見込まれる。
3 本件建物周辺は、低中層の事務所ビルや小売店舗が立ち並ぶ商業地域であるが、東京都による外苑東通りの道路拡幅計画があり、これが実施されると、本件建物敷地のうち道路から奥行き九メートルの部分までは道路敷地に取り込まれる。しかし、現在のところ、右道路拡幅の実施時期については確たる見通しはない。
4 被控訴人は、信濃町界隈に千数百坪余りの土地を所有しており、本件建物又はその敷地をいま使用する必要があるわけではない。専ら本件建物が倒壊する危険のあることが明渡しを求める理由であり、明渡しを受けたときは、跡地を自動車二、三台分の駐車場として貸す予定である。被控訴人としては、道路拡幅計画があることと採算上の理由から、本件建物について今後手入れをするつもりはない。
三以上の事実によると、本件建物は、基本構造部を含めて全体として老朽化が顕著であり、災害でもなければ差し迫って倒壊することはないにせよ、このまま推移すれば遠からず朽廃に達することが必至であるのに加えて、傾斜のために南側隣家に損傷を及ぼし、今後更にその拡大が予想される状態であり、南側隣家が撤去された場合には、支えを失って傾斜が進み、近隣等に倒壊の不安を与えることになる。そして、右老朽化の程度と大修繕に要する費用等からみて、社会経済的には、もはや大修繕をしてまでその修復、維持を図るべきことを被控訴人に要求するのは無理であるといわなければならない。本件建物について被控訴人がこれまで十分な修繕を行ってきたとは認めがたいけれども、右老朽化はおおむね経年による不可避のものであり、控訴人としても、比較的安い賃料の下で、進んで修繕の要求をすることもなく自ら応急の修理をして間に合わせてきたことが証拠上うかがわれるのであって、本件建物の老朽化について賃貸借当事者のいずれか一方のみに帰責することは相当でない。
してみると、被控訴人には本件建物又はその敷地を自己使用する等の必要性はないが、右のような建物の状況に照らし、本件賃貸借契約を解約することが合理性ないし社会的相当性を欠くということはできない。
四しかし、他方、控訴人が他に代替建物を所有していること又はこれを容易に取得できることを認めうる証拠はなく、本件建物を明け渡すこととなった場合に控訴人の被る生活上及び営業上の打撃が深刻であることは、前記認定事実から推認できるところである。したがって、その打撃に対する配慮を全くせずして即時明渡しを求めることは酷に過ぎるものであり、本件建物の老朽度を考慮しても直ちに正当事由を具備するとはいいがたい。
先に認定したように、本件建物は部分的補修によって維持しうる段階を既に過ぎており、大修繕を行うことも無理であるが、もし最低の補修を加えつつ使用するとしても、使用可能期間は昭和六三年から五年ないし七年程度と予測されるものである。この点を考慮すると、本件の事実関係の下においては、右の使用可能期間に対して応分の金銭補償をすることにより、正当事由が補完されるものというべきであり、その補償額は、いわゆる借家権価格を基礎にするのではなく、控訴人が本件建物で得る収入と残された使用可能期間を基礎にして、年間収入の四年分程度を支払うことをもって足りると認めるのが相当である。そして、前記認定の控訴人の近年の申告所得金額の平均は、年額ほぼ四〇〇万円弱であるので、その約四年分に当たる一五〇〇万円が補償としての相当額となる。
結局、被控訴人の本件解約申入れは、右一五〇〇万円を支払うことによって正当事由を具備するものと認められ、本件解約申入れに基づく明渡請求は、右金員との引換給付を求める限度において認容すべきである。
五次に、<書証番号略>、控訴人本人の供述(原審及び当審)と弁論の全趣旨を合わせると、本件建物の賃料は、昭和四六年九月一三日に月二万二五〇〇円と定められたが、その後は増額に関して合意が成立しないまま控訴人の方で適宜増額した賃料を供託し、昭和六二年五月当時は月三万五八〇〇円を供託していたこと、及び右供託に関して当事者間に特段の紛争はなかったことが認められる。前掲鑑定においては、通常の家賃算定の際に慣用される諸方式によって右時点での本件建物の適正賃料を月六万円と算定しているが、既に認定した本件建物の状況からして、これにつき他への賃貸等による現賃料以上の賃料の取得を想定することは非実際的であり、右鑑定額を採用することはできない。したがって、他に適切な資料のない本件においては、本件建物の賃貸借終了を前提とする賃料相当損害金の額は一か月三万五八〇〇円と認めるほかない。
六以上により、被控訴人の本件請求は、主文一の1及び2記載の限度において正当として認容すべきであるが、その余は棄却すべきである。
よって、これと一部異なる原判決を右のとおり変更することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官岩井俊 裁判官坂井満)
別紙物件目録
東京都新宿区信濃町二一番地一
家屋番号 同町一三番
木造瓦葺二階建店舗
床面積 一階42.90平方メートル
二階20.62平方メートル