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東京高等裁判所 平成元年(ネ)2376号 判決 1992年3月26日

控訴人・附帯被控訴人(控訴人という。)

右代表者法務大臣

田原隆

右指定代理人

三代川俊一郎

外二名

被控訴人・附帯控訴人(被控訴人という。)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

石田省三郎

池宮城紀夫

上間瑞穂

主文

一  控訴人の控訴に基づき、原判決中控訴人の敗訴部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

二  被控訴人の附帯控訴を棄却する。

三  訴訟の総費用は被控訴人の負担とする。

理由

第一本件の事実関係

一当事者間に争いがない本件の概要

1  被控訴人は、昭和四六年一一月一六日、復帰前の沖縄の刑法による殺人被疑事件により通常逮捕され、同年一二月八日那覇地方検察庁により、同法による殺人被告事件の被告人として起訴された。右起訴に当たったのは、同地方検察庁検察官検事Tであり、その起訴状記載の公訴事実は、次のとおりである。

「被控訴人は、かねてより警察権力に反感を抱いていたものであるが氏名不詳の者数名と共謀の上、一九七一年一一月一〇日午後五時五〇分頃、浦添市勢理客一番地中央相互銀行勢理客出張所先交叉点に於いて、警備の任に当たっていた琉球警察警備部隊第四大隊第二大中隊第二小隊所属巡査部長Y(当四九年)を殺害せんと企て、同人を捕捉し、角材・旗竿で殴打し、足蹴し、顔面を踏みつけた上、火炎瓶を投げつけ、焼く等の暴行を加え、よって右警察官を前記日時頃、前記同所に於いて、脳挫傷、蜘蛛膜下出血等により死亡させて殺害したものである。」

2  右公訴事実について、検察官は、刑事第一審の第一回公判期日(昭和四七年二月二五日)において、弁護人の求釈明に答えて、次のとおり釈明した。

(1) 本件殺人の共謀とは、実行行為共同正犯の意である。

(2) 本件の共謀の具体的日時場所は、起訴状記載の数名の者が山川巡査部長を捕捉し、角材、旗竿で殴打し、足蹴にしているのを被控訴人が認め、そこで数名の者と共謀して殺意を生じたものである。

(3) 被控訴人の具体的行為は、炎の中から炎に包まれているY巡査部長の肩をつかまえて引きずり出し、顔を二度踏みつけ、脇腹を一度蹴った行為である。

T検察官は、右釈明及び冒頭陳述を通じて、本件殺人被告事件の訴因として、被控訴人が右(3)の行為(以下「第二行為」という。)を行ったという点を特定した。そして、右第二行為の数分前、勢理客交差点付近を警備していたY巡査部長が火炎びんを投げた過激派の者らを追って交差点内に入って来た際、被控訴人がY巡査部長の右腰のあたりを右足で一回蹴った行為(以下「第一行為」という。)は、訴因外とされた。

3  これに対し、被控訴人は、捜査段階から一貫して、自己の行為はY巡査部長の殺害を意図したものではなく炎に包まれていたY巡査部長を消火救出しようとしたものである旨の供述を繰り返し、無罪を訴え続けた。

本件被告事件は、那覇地方裁判所において審理され、刑事第一審は、被控訴人を懲役一年に処し、二年間刑の執行を猶予する旨の判決を言い渡した。

刑事第一審判決に対し検察官及び被控訴人の双方が控訴し、福岡高等裁判所那覇支部における審理の結果、刑事控訴審は、昭和五一年四月五日、被控訴人の主張を認め、被控訴人の行為は、Y巡査部長に対する殺害行為ではなく、率先した救助行為としての消火行為と目するのが合理的である旨判示して、第一審判決を破棄して被控訴人に対し無罪の判決を言い渡し、右刑事控訴審判決は上告されることなく、同月二〇日に確定した。

二本件刑事事件発生の状況等

刑事事件判決(<書証番号略>)の認定したところを参酌し、その資料とされた証拠等(<書証番号略>)に本件の証拠(<書証番号略>、被控訴人の供述)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被控訴人は、埼玉県鴻巣市に居住し、染色業を営んでいたが、昭和四六年一一月八日、沖縄の伝統工芸である紅型工芸を見学・研究するため沖縄に赴いた。

2  昭和四六年一一月一〇日、那覇市与儀公園において、沖縄県祖国復帰協議会主催の「沖縄返還協定の批准に反対し完全復帰を要求する県民総決起大会」が、数万人の参加者を集めて開催された。

被控訴人も、右大会とこれに引き続くデモ行進に参加した。被控訴人の身体は、大柄であり(身長一八二センチメートル)、当日は白色のアノラックを着て薄色のズボンをはいていて、目立っていたが、覆面など自己を隠すものを身に着けていなかった。

同日午後三時五五分ころ、右大会に参加していた革マル派集団が、大会警備していた琉球警察警備部隊に対し火炎びんを投げたことから、警備部隊が右公園内に入り、右革マル集団を規制しようとしたところ、会場内にいた過激派集団が警備部隊に投石したり、旗竿で突きかかったりして攻撃を加えて、両者は衝突した。

被控訴人は、かねて機動隊を含む警察権力に反感を抱いていたところから、その時、警備部隊に対し「機動隊粉砕」、「機動隊帰れ」などと大声で叫んだりした。

3  同日午後四時過ぎころ、右大会参加者らによって与儀公園から浦添市字仲西の米国民政府庁舎前までデモ行進が行われ、被控訴人もこれに参加した。途中、過激派集団は、高橋派出所や天久変電所等に火炎びんを投げながら浦添市字勢理客一番地先の勢理客交差点に至り、午後五時四五分ころ、同交差点付近を警備していた琉球警察警備部隊の警察官に対し火炎びんを投げ始め、警察官は同交差点の北西側にある勢理客派出所やトヨタオート沖縄株式会社の方向に退避した。

被控訴人は、右交差点内の北よりに位置してこの様子を見ていた。

琉球警察警備部隊所属のY巡査部長は、火炎びんを投げた過激派の者らを追って交差点内に入ってきたが、逆に過激派の者らに捕捉され、棒で殴打されたり足で蹴られたりして、被控訴人とぶつかるような状態でそのそばに近づいた。

このとき、被控訴人は、Y巡査部長の右腰あたりを右足で一回蹴った(これが第一行為である。)。

4  その後、被控訴人は、右交差点のやや北側の路上に移り、勢理客派出所やトヨタオート沖縄株式会社の方向を見ていた。

その間、Y巡査部長が交差点内に仰向けに倒れたところ、過激派集団の者は、Y巡査部長の方へ寄って来て、棒で殴打したり、ところかまわず足で蹴ったり踏んだりする等の暴行を加えた。さらに、Y巡査部長に火炎びんが投げつけられ、炎が同巡査部長の身体を包むようにして燃え上がった。

5  被控訴人は、自己の左方二〇ないし三〇メートル先の道路上に突然炎が燃え上がり、同所に人が倒れているのを見て、その方に走って行った。そして、その場でY巡査部長に対し被控訴人のとった行動が第二行為として本件刑事事件で問題とされることになった。

6  被控訴人の右行為に引き続き、付近にいた他の者が身体ごとY巡査部長に覆いかぶさったり、付近に落ちていた警察官の盾を同巡査部長の身体にかぶせたり、デモ隊の旗で覆ったりして消火した。

Y巡査部長は、午後五時五五分ころ、自動車で病院に運ばれたが、脳挫傷、蜘蛛膜下出血を負ったほか、全身に打撲傷、骨折、火傷等を受け、外傷性脳障碍によって死亡した。

被控訴人は、右の際右手に火傷を負ったので、付近の者が消火行為をしている間にその場を離れ、同交差点から五〇ないし六〇メートル北側の安謝橋電機店前付近に移動した。被控訴人が第一行為をした時から現場を離れて移動するまでは数分間の出来事であった。

7  被控訴人がなお安謝橋電機店前付近路上にいたころ、応援のため勢理客交差点に到着した警備部隊が同交差点を警備していた警備部隊と共に過激派集団等に対する強力な検挙活動を開始した。被控訴人は、これを見て、警備部隊に向けて、「もっと人道的に扱え」「犬だ、殺せ」などと叫んだ。

8  被控訴人は、右事件後も沖縄に滞在していたが、同月一六日午後四時二〇分ころ、琉球博物館で陳列品を見ていたところを通常逮捕された。

三捜査の経過

争いのない事実、証拠(<書証番号略>、証人嘉手苅福信、同Tの各証言)及び弁解全趣旨によると、次の事実が認められる。

1  本件刑事事件の発生した当日のデモ行進について、警察は、あらかじめ情報収集のための警察官を配備したが、デモ隊から排除されたため、周辺の事情は目撃できたものの、Y巡査部長殺害の現場の状況を目撃することはできなかった。

警察は、本件事件の直後から、事件の情報を得ようとしたが、当時は沖縄県民のほとんどが返還協定の批准に反対であったので、警察に対する協力者が得にくい状況にあった。警察は、全軍労(全沖縄軍労働組合)等の幹部を通じて目撃者を確保しようとしたが、協力を断られ(<書証番号略>によると、全軍労等の幹部が自らの目撃状況を供述していることは認められる。)、また、マスコミ関係者やアマチュアカメラマンが現場に多数いたので、これらの者の目撃者を探したが、これらのグループからも捜査に対する協力を得られなかった(<書証番号略>は右の認定を左右しない。)。

そこで、警察は、検察官の指示に基づき、多数の警察官による採証班を組織し、目撃者及び写真等の物的証拠の収集に力を注いだ。その結果、目撃者として、宇保、前川がみつかり、また、後述する平野写真、前田写真を入手した。

2  捜査当局は、(1)被控訴人が公園の集会の現場にいたこと、(2)被控訴人が集会の現場やY巡査部長殺害の現場付近で、「機動隊帰れ」「私服がいるぞ」「犬だ。殺せ」などと叫んでいたこと、(3)事件を報道した読売写真に被控訴人がY巡査部長に暴行を加えているような状況が撮影されていたこと等から、被控訴人にY巡査部長殺害の容疑があるものと判断して、一一月一五日逮捕状を請求し、一一月一六日被控訴人を逮捕した。

3  被控訴人は勾留され、勾留期間満了当日の一二月八日、前記公訴の提起がなされた。

四起訴時の証拠関係と検察官の判断

争いのない事実、証拠(<書証番号略>、証人Tの証言)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

1  検察官の収集した証拠

検察官は、右事件を起訴するに当たり、収集した警察官作成の捜査関係書類、供述調書、写真、フィルム、証拠物など多くの証拠を検討し、被控訴人の第二行為を立証するについては、(一)平野写真、(二) 読売写真、(三) 宇保供述、(四) 前川供述が特に重要な証拠であると判断した。

(一) 平野写真(<書証番号略>。平野が撮影したもの)

平野写真は、本件事件当時、平野が仰向けに倒れているY巡査部長の右足の方向から撮影したものであって、被控訴人がY巡査部長の左側に位置し、そのそばで右足を上げているところが写されており、そのまま足を下ろすとY巡査部長の左腰部又は腹部あたりに当たるように見えるものである。Y巡査部長の頭部又は上半身右側付近にはヘルメット、覆面姿の者二人が同巡査部長の身体の上に棒を構えるような形で立っている様子も一緒に写っている。

(二) 読売写真(昭和四六年一一月一一日付け読売新聞一面に掲載された上段・下段二葉の写真(<書証番号略>)

上段の写真は、第一行為に関するもので、過激派集団がY巡査部長を取り囲んでこん棒などで殴打している状況とともに、被控訴人が倒れかかったY巡査部長の前部からその腹部付近を右足で蹴り上げている場面が撮影されている写真である。

下段の写真は、倒れたY巡査部長が横たわり、火炎びんが投げつけられて燃え上がっている状況において、被控訴人がY巡査部長の右足付近に立って、右足で何かを踏みつけているような状況が撮影されている写真である。被控訴人の足がY巡査部長の身体に当たっているかどうかは、はっきりしない。Y巡査部長のわきにはヘルメット姿の多数の者が立っている。

読売新聞では、「過激派に取り囲まれたY巡査部長は、めった打ちにされ(写真上)、火炎ビンで火だるまになった(写真下)」との説明が加えられていた。

(三) 宇保供述(目撃者宇保の警察官(<書証番号略>)及び検察官(<書証番号略>)対する供述)

宇保供述は、宇保が事件当日友人の前川、仲宗根とともにたまたま勢理客交差点を通りかかって、倒れたY巡査部長の位置から約一〇メートル余り離れたところにある高さ約1.80メートルのブロック塀の上で目撃した状況を述べたものである。その供述内容はおおむね次のとおりである。

宇保は、勢理客交差点東側にある協生電気水道工事社の前に立ってデモ行進を見ていたところ、Y巡査部長がデモ隊に捕まり、引きずられるようにして、道路の中央付近に来た。宇保は、よく見えるように、また、とばっちりを受けては大変と思い、右協生電気の西側の高さ約1.80メートルのブロック塀の上に上がってそこから見た。デモ隊に捕まったY巡査部長は、ヘルメットを被った男に角材のようなもので殴られて倒れ、倒れたところを一〇名くらいの者がこん棒で殴ったり足蹴にしたりしていた。そのとき、Y巡査部長に火炎びんが投げられ、火だるまになった。その後、背が高く体格もがっちりして、白いジャンパーのようなものを着たヘルメットを被らないざんばら髪の男(被控訴人)がY巡査部長を火の中から引き出して右足で頭(顔)や腹を蹴ったり踏んだりした。それから、周囲の男が旗などで火を消した。宇保は、この状況を倒れているY巡査部長の足の方から見ていた。

以上が宇保供述の内容である。

(四) 前川供述(前川の警察官に対する供述。<書証番号略>)。

前川供述は、宇保と行動を共にしていた前川が宇保とほぼ同一時刻に同一場所で目撃した。Y巡査部長に対する火炎びん投てき前の過激派集団の暴行と、その後Y巡査部長を盾や旗により覆って消火しようとした行為の状況を述べている。第二行為そのものは目撃していない。

(五) なお、検察官は、捜査中に吉川が撮影した一六ミリフィルム(吉川フィルム。<書証番号略>)を入手していた。これは、右同時刻ころ、吉川が倒れているY巡査部長の右頭部方向から左頭部方向に移動しながら同巡査部長を中心としたアングルで撮影したものであり、周囲の者は上半身が写っていない。検察官は、吉川フィルムを検討したが、被控訴人の上下する足がY巡査部長の身体に当たった場面が写されていないので、被控訴人の犯罪行為を立証する証拠にはならないと判断した。

また、検察官は、前田の撮影した写真(前田写真。<書証番号略>)も入手していた。

前田写真は、第二行為の前後を撮影した四枚の写真で、そのうち一番目の写真には、倒れたY巡査部長に駆け寄って行く被控訴人が写っており、二番目の写真は倒れたY巡査部長を数名の者が取り囲んで足を動かしている写真で、被控訴人が写っているかどうか、また写っている者の具体的行為が何であるか判然としないものであり、いずれも第二行為のもつ意味合いを直接解明するものではなかった。

2  被控訴人の供述

被控訴人の捜査段階における供述は、次のとおりである。

(一) 逮捕直後の昭和四六年一一月一七日には、第二行為に関連して、「警察官を助けたいと思ったが、着衣に火をかぶっては危険だと思ったので、何もすることができず、見ているだけだった」と述べたのみで、被控訴人自身何らかの行為をしたことは述べなかった(警察官調書。<書証番号略>)。

(二) 同月一九日の勾留質問において、「火を消そうとした」と述べたが、第一行為を含めた暴行の事実は否認した(勾留質問調書。<書証番号略>)。

(三) 同日の取調べで、第一行為を認めるようになり、「以前から警察権力に反感を抱いていたので倒れようとしているY巡査部長を蹴った」と述べた(警察官調書。<書証番号略>)。

(四) 同月二〇日になって、第二行為に関連して「手をさしのべて火の中から警察官を助け出そうとしたが、靴の底に火がついていたし、自分自身が火をかぶるのではないかと思い、助け出すのを断念した」と述べた(警察官調書。<書証番号略>)。

(五) 同月二一日には、「警察官を引っぱり出そうと手を出しかけたが、火の勢が激しく、靴の底の火を地面に叩いて消すのに精一杯で、助けるのを断念した」と述べた(検察官調書。<書証番号略>)。

(六) 同月二三日には、「読売写真(下段)は被控訴人かどうか分からない。平野写真に写っている右足を上げた姿は警察官を助け出すのと火を消すための一連の動作の一部である」と述べたが、それ以上の具体的説明はせず、Y巡査部長を救助するために引き出したかどうかについてはむしろこれを否定する趣旨の供述をした(警察官調書。<書証番号略>)。

(七) 同月二九日には、「警察官を引き出して火を消そうと思ったが、炎にあおられたのと靴に火がついたのとでやむなく断念し、靴についた火を消し、そのあとで、倒れている警察官の火を足で消そうとした」と述べ、自己のための消火行為から被害者であるY巡査部長のための消火行為をも述べるようになった(警察官調書。<書証番号略>)。

このように、被控訴人は、当初からY巡査部長を助けたいと思ったと述べながら、第二行為が救助のための消火行為として火を踏みつけたものであることは途中まで具体的には述べなかったものであり、また、救助のために火の中からY巡査部長を引きずり出したことは、弁護人が刑事第一審の第一三回公判期日における冒頭陳述で初めて主張するに至ったものである。

3  検察官の証拠判断

検察官は、捜査官の捜査報告書、現認報告書、写真撮影報告書等により本件に至る集会及びデモ行進の状況、過激派の行動を把握し、また、これら及び読売写真、前川供述等により、被控訴人が与儀公園において「機動隊粉砕、」「機動隊帰れ」などと叫んでいたこと、その後過激派の集団とほぼ行動を共にしていたこと、第一行為の暴行を加えたこと、第二行為の直後ころに被控訴人が機動隊に対し「犬だ、殺せ」などと叫んでいたことを把握していたものであり、これに加え、平野写真、宇保供述、読売写真(下段)等によって、第二行為において山川巡査部長を踏みつける等の加害行為を加えたものであると判断し、有罪と認められる嫌疑があると判断した。被控訴人の消火行為であるとの弁解については、消火行為としては不自然であり、前後の被控訴人の行動(機動隊に対して「犬だ、殺せ」などと叫んでいること、第一行為の暴行を加えていることなど)からしても、信用しがたいと考えた。そして、上司である次席検事の決裁を受けて、本件を起訴したものである。

五刑事公判の経過

争いのない事実、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

1  刑事第一審

(一) 刑事第一審では、まず検察官申請の証人平野、平野写真及び証人宇保等の各証拠調がなされ、右検察官申請の各証人は、ほぼ捜査段階の供述のとおり証言した。

次いで、弁護人申請の証拠調に入り、証人前田、証人吉川、証人宮城及び吉川フィルム並びに前田写真の各証拠調がなされた。右の各証人は、おおむね、本件第二行為は被控訴人が消火のために火を踏み消しているものであると証言した。

そして、第一八回公判期日に検察官の申請で読売写真の証拠調がされた。

(二) 刑事第一審判決は、被控訴人の第二行為について、Y巡査部長の顔面、脇腹を踏みつけたものと認定するのは困難であり、同人の身体周辺の火を踏み消す行為であったと考えることがむしろ合理的であると判示した。しかし、現場で他のデモ隊員の一部の者がY巡査部長に対して行った殴打、足蹴り、火炎びん投てき等の暴行につき被控訴人も傷害の認識の限度で共謀があったと認めて前記のとおり被控訴人を傷害致死罪で有罪とした。

2  刑事控訴審

(一) 刑事控訴審判決は、殺人と目される第二行為及び共謀のいずれの事実も認められないとして、被控訴人を無罪としたものである。

(二) 刑事控訴審判決は、第二行為に関し、おおむね次のように判示した。

平野写真は、吉川フィルムと対比してみるべきであるが、吉川フィルムを子細に検討してみると、Y巡査部長を踏みつけているとは認められず、他方、被控訴人及び他の者が路上の炎を踏み消し、さらには他の者がY巡査部長の身体に楯や旗をかぶせて消火行為をしていることが認められる。

平野証人は、至近距離から目撃して被控訴人がY巡査部長の身体を踏みつけていると証言したが、同証人は第二行為の前後を十分に観察しているかどうかなどの点に疑問がある。

宇保証人は、捜査段階とほぼ同一の証言をしたが、第二行為は見る者の角度によっては、Y巡査部長を踏みつけているとも火を踏み消しているとも見えるものであり、宇保証言にはなお合理的疑問が残る。

他方、刑事事件で取り調べた前田、上原、宮城、吉川(吉川フィルムの撮影者)、金城、大井らは、いずれも、第二行為を目撃して、消火行為であると証言している。

また、Y巡査部長の傷害の部位等からしても、被控訴人が踏みつけて殺害したとは断定できない。

こうしてみると、被控訴人の第二行為は、殺害行為とは正反対の、率先した救助行為としての消火行為と目するのが合理的である。

以上が刑事控訴審の判断である。

第二検察官による本件控訴提起の違法性の有無について

一公訴提起の違法性の判断について

刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるということはなく、公訴提起時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、公訴提起時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解すべきであるところ、公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である。

したがって、公訴の提起後その追行時に公判廷に初めて現れた証拠資料であって、通常の捜査を遂行しても公訴の提起前に収集することができなかったと認められる証拠資料をもって公訴提起の違法性の有無を判断する資料とすることは許されないものというべきである。

二検察官は公訴の提起前に通常要求される捜査を遂げたか。

1  吉川フィルムの撮影者である吉川を取り調べなかったことについて

被公訴人は、検察官が吉川フィルムを入手しながら、これを十分に検討せず、かつその撮影者である吉川から事情を聴取しなかったのは、通常要求される捜査を遂げなかったものであると主張する。

(一) 吉川フィルムの内容について

(1) 証拠(<書証番号略>、吉川フィルムの検証の結果)によると、次のとおり認められる。

吉川フィルムの本件と関係のある部分は七〇コマ、数秒ときわめて短時間のものであり、前記のとおり、路上に倒れているY巡査部長を中心としたアングルで撮影されているため、周囲の者の上半身が写っていないものである。そして、他の証拠と合わせ検討すると、被控訴人と認められる者の下半身が写っているところ、被控訴人の足は交互にY巡査部長の身体又はその付近を踏みつけているように見えるものであるが(見ようによっては蹴っているかのようにも見える。)、それがY巡査部長の身体に触れているかどうかははっきりしないものである。

この点につき、刑事控訴審判決においては、吉川フィルムにおける被控訴人の足は、Y巡査部長を踏んでいると明瞭に認められる箇所はなく、かえってその37ないし56コマからすると、Y巡査部長の左腕付近の路上の火を踏み消していることがかなりの程度看取されるとし、他の者も消火とみられる行為をしているから、被控訴人の行為もY巡査部長を救助するために火を踏み消す意図のもとになされたのではないかと考える十分な余地があるとしている。

しかしながら、右刑事控訴審判決でも、被控訴人の足の動きが消火活動と見られる余地があるというにとどまるものである上、そのような判断は、刑事事件の公判手続において、裁判所が、弁護側の行った多くの立証活動その他の多数の証拠調べの結果をも踏まえて吉川フィルムを子細に見直し分析した結果、右のようにみることができたものというべきであって、吉川フィルムだけをみた場合、あるいは捜査段階で検察官の手元にあった証拠に照らしてみた限りでは、当然に右刑事控訴審判決のように判断することができるものであったとまではいいがたい。また、吉川フィルムを平野写真と対比してみても、吉川フィルムの内容自体から、その証拠価値が平野写真の証拠価値に勝るものであることが明らかであるとは認められない。

(2)  そうであるとはいえ、吉川フィルムは、第二行為の意味付けをするについては重要なものであり、被控訴人の前記弁解を前提にしてみるならば、被控訴人がY巡査部長の身辺の炎を踏みつけて火を消そうとしている状況を撮影したものであるとみることができないものではなかった。

したがって、検察官としては、平野写真、読売写真、宇保供述、前川供述等の証拠があったとしても、吉川フィルムの内容、撮影時の状況等をさらに明らかにするため、撮影者である吉川を取り調べることが可能であれば、同人を取り調べるべきものであったと考えられる。

(二) 吉川の取調べの可能性について

ところで、証拠(<書証番号略>、証人T、同嘉手苅福信、同吉川の各証言)によると、次の事実が認められる。

(1) 吉川は、当時、フリーの報道カメラマンであったが、他二名とチームを組んで本件集会及びデモ行進の取材をし、第二行為の現場の状況を撮影した。

吉川は、その撮影後、機動隊に追われて本件現場からやや離れた安謝橋電機店わきの小路を逃げる途中、カメラが重かったのでこれを放り投げたことから、公務執行妨害として現行犯逮捕された。吉川は、逮捕当日は、取調べに対し黙秘し、翌一一月一一日の警察による取調べにおいて、取材活動を行っていたものであり、公務執行妨害には当たらないと供述した。

ところで、吉川は、フィルムの内容及び撮影されているものが消火活動であることを警察官に話し、調書を一通作成された旨証言するが、T検察官は、フィルムに何が写されているかについては調書に記載されていなかったと証言する。この点は、吉川の調書が本件に証拠として提出されていないので、確定できないが、いずれにせよ、この段階では、フィルムは現像前で吉川自身フィルムを見ていないのであるから、撮影内容を詳細に供述したとは認められない。

吉川は、同月一二日にT検察官からも取調べを受けたが、その際は撮影場面の内容について説明しなかった。検察官は、吉川が報道カメラマンであることの裏付けがとれたので、勾留請求することなく、処分保留のまま同日吉川を釈放した。

(2) 警察は、吉川を逮捕した際に吉川フィルムの任意提出を受けたが、沖縄にはこれを現像する設備がなかったので、本土に送って現像してもらい、一一月下旬か一二月初めころ現像されたフィルムを受け取った。以後、警察官及び検察官は、吉川フィルムについてコマ送りをスローにしたりして検討した。しかし、機械がなかったので、映写しながらコマを止めて検討することはしなかった。その結果、検察官は、吉川フィルムには、Y巡査部長に対する加害行為も写されていると考えたが、上半身が写されていないので被控訴人の犯行を立証するには不十分なものと判断し、また、消火行為としては不自然と考えたこともあって、被控訴人が消火行為をしている写真とは判断しなかった(そして、起訴後の一二月一〇日、一一日に吉川フィルムの焼付けをし、そのうち何コマかについては拡大写真を作成した(<書証番号略>の写真焼付報告書)。検察官は、これらについてもさらに検討したが、前記の判断に変更の必要をみなかった)。

しかし、同検察官は、吉川から撮影時の状況を聴取するため、また、吉川自身の処分を決定する必要もあったので、検察庁事務官及び警察署を通じ、本人に対し何度か呼出しをしたが、同人は一度も呼出しに応ぜず、同人の協力が得られなかった。このため、吉川の処分についても、結局、相当後になって、供述調書も身柄請書も作成しないまま不起訴処分にした。

この点につき、吉川は、警察や検察庁から呼出しを受けたことはないと供述し、<書証番号略>(吉川の母の陳述書)にも、これにそう陳述が記載されているが、前記のように、吉川自身の処分を決定する必要もあったのであり、一度も呼出しをしなかったとは考えられない。

(3) 右捜査当時、沖縄返還協定の批准に批判的な市民感情等から、沖縄の報道機関、カメラマンや一般市民は、本件事件の捜査に極めて非協力的であった。このため、捜査官は、個人的なつてなどをたよりに協力者を求めて情報収集に努めざるをえなかった(前田写真、平野写真及び読売写真の入手経路や撮影者の協力状況も後記のとおりである。)。吉川においても、呼出しを受けたことは否定しながらも、当時警察や検察庁に反感を抱いていたので、取調べのため呼び出されても出頭しなかったであろうと供述しているのである。

(三)  以上に検討したように、検察官は吉川フィルムを検討したが、フィルム自体では、被控訴人が消火をしているかどうかははっきりしないものであり、また、吉川は呼出しに応じなかったと認められるものであるから、検察官が吉川フィルムの検討を怠ったとか、あるいは公訴の提起前に吉川を取り調べなかったことが捜査を怠った結果であるとはいいがたい。

2 前田写真の撮影者である前田を取り調べなかったことについて

被控訴人は、検察官が前田写真を入手しながら、その撮影者である前田を取り調べなかったのは、通常要求される捜査を遂げなかったものであると主張する。

(一) 証拠(<書証番号略>、証人上間金一、同T、同嘉手苅福信、同前田の各証言)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(1) 前田は、写真業を営んでおり、本件デモ行進の状況の写真撮影をしていたものであるが、本件現場でY巡査部長が過激派集団に倒され、火炎びんが投げられた状況及びその後の状況を吉川らと反対側から目撃し、その間四枚の前田写真を撮影した。

(2) 前田は、前田写真を焼付し、店を訪れる友人らに示していたが、同郷の後輩の稲福から求められてそのネガを貸した。

警察は、捜査協力者を通じて、右ネガを焼付けした前田写真を入手したものであるが、これは前田には無断で行われたことであった。このように前田写真は、撮影者である前田の意思によらずに警察が入手したものであるため、写真入手報告書(<書証番号略>)にも「提供者の要望により、氏名、住所、年齢を秘す」と記載された。

(3) T検察官は、前田写真を検討したが、一番目の写真は被控訴人が倒れたY巡査部長に駆け寄っていく写真であり、二番目の写真からは被控訴人の行為が明らかでなかったため、加害行為を立証するものとしては十分でなく、また、被控訴人の主張する救助活動の証拠であるとも判断しなかった。また、前田からの写真の入手状況が前記のとおりであり、警察からも前田の協力が得られない旨の報告を得ていたので、前田から供述を求め、撮影状況の詳細を聴取することは当初から断念していた。

(二)  以上の事実からすると、前田は重要な目撃者であり、目撃状況等を聴取する必要性がなかったとはいえないにしても、右認定のような事情のある捜査状況下で検察官が前田を取り調べないこととしたことをもって、通常行うべき捜査を怠ったものとみることは相当でない。

3  その他の目撃者について

前記のとおり、第二行為については、他にも目撃者として報道関係者がおり、これらのうち数名(<氏名略>)は、刑事事件の公判において弁護側の証人として目撃状況を証言し、第二行為は消火行為であると証言した。そして、このように報道関係者の中に第二行為を目撃していた者がいたこと自体は、捜査当局も認識していた。

しかしながら、これらの者は、当時はその氏名も判明していなかったものである上、前記のとおり、当時の沖縄の市民感情は警察に対して非協力的であり、また、報道関係者からも捜査に対する協力が得にくかったため、捜査官は個人的なつてを求めて情報の提供者を探さざるを得なかった事情を考えると、捜査官がこれらの目撃者を捜し出して取り調べることは著しく困難であったというべきである。

4  以上に検討したところからすると、検察官の証拠の収集について被控訴人主張のような手落ちがあったとは認めがたいというべきである。他に検察官が本件公訴の提起に当たり通常要求される捜査を遂行しなかったことを認めるに足りる証拠はない。

三検察官の判断過程が合理的であったか。

1  前記認定のとおり、検察官は、本件公訴の提起に当たり、与儀公園の総決起大会から本件事件現場までのデモ行進と共にした被控訴人の行動の経過を検討した上、収集していた警察官作成の捜査関係書類、供述調書、写真、フィルム、証拠物など多くの証拠を検討し、とりわけ平野写真、読売写真、宇保供述及び前川供述が重要な証拠であると判断し、被控訴人に対し有罪と認められる嫌疑があるとの心証を持つに至ったものである。

そこで、検察官の右各証拠の証拠価値に対する判断が合理的なものであったかどうかについて検討する。

(一) 平野写真について

証拠(<書証番号略>、証人上間金一、同仲間守栄、同嘉手苅福信、Tの各証言)によると、次の事実が認められる。

(1) 平野は、古物商兼写真機材販売を業とするアマチュアのカメラマンであり、本件当日は過激派の集団に密着して多くの場面を撮影していたものである。平野写真は、そのうちの一枚であり、その内容は前記のとおりである。

(2) 平野は、事件後間もなく、知人を通じて紹介された警察官から協力を要請され、当初は積極的ではなかったが、撮影者の氏名を明らかにしない約束で平野写真及びネガを貸した。右の際、平野は警察官に、平野写真は被控訴人がY巡査部長を踏み付けている場面だと説明した。

T検察官は、平野写真は、被控訴人がY巡査部長を踏みつけている場面を写したものと考え、宇保供述及び読売写真とも符合するので、本件行為の決定的証拠であると判断した。

(3) そこで、同検察官は、警察に対し平野から事情を聴取するように指示したが、事情聴取が困難であるとの報告を受けたので、公訴提起前(勾留満期に近いころ)、自ら平野宅に赴き、平野から、平野写真の撮影方向、撮影時間、撮影内容を聴取し、メモを取った。平野は、右写真は、被控訴人がY巡査部長を踏みつけている写真であることを明言した。もっとも、平野は、氏名を秘匿して欲しいと強く要望したので、供述調書は作成しなかった。

(4) 以上によると、平野写真が被控訴人の加害行為を立証するものとした検察官の判断は、根拠のあるものであったということができる(平野は、刑事公判においても、被控訴人がY巡査部長を踏みつけていたと明確に証言している。)。

被控訴人は、平野写真を吉川フィルムと対比検討すれば、平野写真に証拠価値のないことが明らかになったはずであると主張するが、吉川フィルムの内容自体がはっきりしないものであり、たやすく右主張のようにいえるものでないことは、前記二の1(一)(1)で判示したとおりである。

したがって、検察官が、平野供述と相俟って平野写真を重要なものと考え、かつ、吉川フィルムによってもその証明力は滅殺されないと判断したことが不合理なものであったとはいいがたい。

(二) 読売写真について

証拠(<書証番号略>、証人嘉手苅福信、同Tの各証言)によると、次の事実が認められる。

(1) 読売写真の内容は前記のとおりであるが、警察は、一一月一二日の資料入手報告書において既に読売写真を収集しており、T検察官も早い段階でこれを検討していた。

同検察官は、上段の写真は、被控訴人がこん棒をふるっている過激派集団と現場共謀をして暴行を加えている写真であると判断し、下段の写真は、上段の写真の遅くとも数分後の状況の写真であって、被控訴人が第一行為と一連をなすY巡査部長に対する加害行為として、倒れた同巡査部長を踏んでいるものと考えた。そして、平野写真と相俟って、被控訴人の第二行為が加害行為であることを裏付ける証拠となるものと判断した。

そこで、検察官は、読売写真を撮影した酒匂記者から事情を聴取したいと考え、東京地方検察庁を通じて同新聞社と接触をもとうとしたが、断られ、実現しなかった。

(2) 読売写真についての検察官の右判断が特に不合理なものであったとはいえない。

(三) 宇保供述について

証拠(<書証番号略>、証人宇保、同嘉手苅福信、同Tの各証言)によると、次の事実が認められる。

(1) 宇保は、当時一七際の大工見習いの少年で、事件当日友人の前川、仲宗根とともに市内で催されたプロレスの興業を見物に行く途中、たまたま勢理客交差点を通りかかって、本件に遭遇し、一〇メートルあまり離れたブロック塀の上から第二行為の状況を目撃したものである。

(2) 宇保供述は、前記のとおり、被控訴人がの中からY巡査部長を引き出して頭(顔)や腹を蹴ったり踏んだりしたというものである。もっとも、三回にわたる供述を子細に見ると、被控訴人がY巡査部長の頭(顔)を蹴ったのか踏んだのか、腹を踏んだのか蹴ったのかの点がはっきりしないが、被控訴人が右足でY巡査部長の頭(顔)及び腹を数回踏んだり蹴ったりして暴行したという点では一貫している。

(3) ところで、宇保は、当時、少年保護事件のために保護観察中であった。しかし、このことから、宇保が警察官や検察官に迎合して虚偽の供述をしたことを疑うべき形跡は認めがたい。かえって、宇保は、できれば事件にかかわりあいたくないという気持であったので、進んで供述したわけではなく、このため、供述は控えめであった。また、刑事公判においても、宇保は、検察側証人として、細部はともかく、右供述調書とほぼ同一の証言をして、反対尋問によっても供述内容に特段の矛盾等は現れていない。この点に関し、宇保は、差戻後の当審における証言において、消火ではないかという気持もあったとか、警察で写真を見せられ、顔を踏んでいるのではないかと何度も言われたので、そう供述したなどと証言しているが、同時に、検察官の調べでは、被控訴人の暴行の回数につき調書を直してもらったと証言しているのであって、無理な取り調べがあったとはいえず、供述調書及び刑事公判における証言に照らすと、宇保が捜査官に対し自己の認識したところを供述したものと認めることができる。

(4) 次に、宇保の目撃の正確性が問題となるが、当日の日没は、午後五時四二分であり(<書証番号略>)、本件の発生はその七、八分後であるが、当日の天候が曇であったこと(<書証番号略>)を考慮しても、日没直後でいまだ薄明現象がある状態であり、また、炎やカメラのフラッシュ等があったにしても、宇保の目撃位置からいって事態をほぼ正確に目撃できる状況にあったとみることが誤りであったとはいえない。

(5) これらの点に加え、宇保供述は平野写真及び前川供述とも符合していたものであることからすると、検察官が宇保供述を信用したことは無理からないところがあるとしなければならない。

(四) 前川供述について

前川供述は、被控訴人の第二行為そのものを直接目撃した状況を供述するものではないが、前川の目撃したその前後の状況は、宇保の供述と一致していたものであり、これをもって宇保供述及び平野写真を補強するものとした検察官の判断も不合理とはいいがたい。

2  被控訴人の供述に対する検察官の判断について

(一) 被控訴人の捜査段階の供述の変遷は、先に認定したとおりである。

このように、被控訴人は早い段階から、Y巡査部長を救助したいと思った、あるいは救助しようとしたと述べてはいたものの、その供述は変遷しており、消火行為のために火を踏みつけたことは途中になって述べられたものである上、証拠上明白な第一行為については逮捕当初はこれを否認していた。また、吉川フィルム及び前田写真も直ちには被控訴人の消火行為を証明するものではなく、他に被控訴人の弁解を裏付ける的確な証拠があったとも認められない。

(二) そして、先にみたとおり、第一行為は明らかに被控訴人の暴行を示すものであり、かつ、その前後に被控訴人は「犬だ、殺せ」などと叫んだりした証拠資料があったのであり、また、被控訴人の行動を目撃した宇保が前記のように供述し、これにそう読売写真、平野写真が存在し、平野も捜査官に加害行為であると述べていたのであるから、第一行為の数分後になされた第二行為が加害行為でなくて全く逆の消火行為であるという被控訴人の弁解は、検察官にとって、これらの証拠資料から容易に信用しがたいものであったというべきである。たしかに、刑事控訴審判決のいうように、それまで危害を加えた者であっても、炎に包まれた被害者を見るに及んで、加害行為から一転して救助行為に変わることもあり得ないではないが、それを裏付ける資料は検察官の手元になかったものであり、被控訴人の供述も前記のとおり変遷があったとすれば、検察官が右のとおり判断したことも当時としては無理からぬこととしなければならない。検察官が当初からいわれなく予断と偏見をもって捜査に当たり、被控訴人の弁解に耳を傾けなかったという被控訴人の主張は当たらない。

(三) 結局、本件公訴提起時において検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案すれば、公訴提起当時、第二行為について有罪と認められる嫌疑があるとした検察官の判断が合理的根拠を有しないものであったということはできない。

四そうすると、検察官の本件公訴の提起は、違法とはいいがたい。

第三検察官による本件公訴追行の違法性の有無について

一公訴追行時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当であり、公訴の提起が違法でないならば、原則としてその追行も違法でないと解すべきである。

二本件についてみると、前記のとおり、本件公訴の提起は違法とはいいがたいところ、前記認定の事実によると、本件刑事被告事件の審理の過程で、宇保及び平野は、捜査段階の供述又は聴取の結果と同趣旨の証言をしたものであり、検察官が、これらの事実により、公訴の提起時において重要な資料とした宇保供述や平野写真等の証拠価値が一層強められたと確信し、客観的に有罪と認められる嫌疑があると考えたことをもって合理性を欠くものであるということはできない。吉川証言、前田証言、宮城証言等の弁護側の立証活動によって、第二行為が消火行為であるとの疑いを否定できないとして無罪判決がなされたとしても、これによって本件公訴の追行が直ちに違法とされるべきものではない。

第四結論

以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の本件請求は失当として棄却すべきであり、これを一部認容した原判決は不当である。

よって、控訴人の控訴は理由があるから、原判決中控訴人の敗訴部分を取り消して被控訴人の請求を棄却することとし、被控訴人の附帯控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官岩井俊 裁判官小林正明)

別紙一 被控訴人の主張の要旨

一 検察官は公訴の提起前に通常要求される捜査を遂行したか。

1 吉川フィルムについて

(一) 吉川フィルムの重要性

刑事控訴審判決の判示するように、吉川フィルムが被控訴人の消火活動を写し出していることは、吉川フィルム自体を捜査すれば明らかであり、また、吉川フィルムの場面と平野写真の場面とは近接しているのであるから、吉川フィルムによって平野写真の証拠価値は減殺されるはずのものである。

検察官は吉川フィルムを入手し、一応検討したが、当初から、本件における吉川フィルムの重要性を認識せず、吉川フィルム自体も十分検討しようとせず、平野写真と対比検討するという発想がなかったものであって、現に比較検討をした形跡がない。

(二) 吉川の取調べを行わなかったことについて

したがって、検察官は、吉川から事情を聴取することに熱心ではなく、吉川の呼出しをするかどうかを警察に任せきりにしていたものである。そして、警察も吉川の呼出しをしたことはない。吉川は、フリーのカメラマンであって、全軍労とは関係がなかったから、全軍労を通じて呼出しをすることなどはありえない。捜査当局は吉川の住所等を把握しており、吉川も押収されたフィルムの返還を求めて何度も警察を訪れているし、吉川の自宅は検察庁からも至近距離にあり、検察庁や警察に知人もいたのであるから、捜査当局が吉川から事情を聞こうと思えば容易にできたものである。

2 前田を取り調べなかったことについて

検察官は、起訴時に、前田写真の撮影者が前田であることを知っていた。

前田写真は、前田の知人を通じて捜査当局の手に渡ったもので、正規の手続を経て入手したものではなかったが、捜査当局が前田から事情聴取をしようとしたならば、前田はこれに応じ、本件の目撃者として、被控訴人の消火行為を明確に説明していたはずであるのに、捜査当局は、直接前田本人と会って事情聴取をすることをしなかった。捜査当局が前田に協力を求めようとしたことはない。

検察官は、当初から、市民が捜査に非協力的であるとの予断をもち、有力な目撃証人の吉川や前田から事情を聴取しようとする努力すらせず、警察に迎合しやすい宇保だけを取り調べた。捜査当局は、有力な情報が得られるはずの報道機関などに対しても何ら協力要請をしなかった。しかしながら、市民は、決して捜査に非協力ではなかった。仮に市民が非協力であったとしても、それは誤った起訴を正当化するものではない。

3 以上のとおりであるから、検察官は、公訴の提起に当たり、通常要求される捜査を遂げていない。

二 検察官の心証について

1 宇保供述の信用性の検討について

(一) 検察官は、宇保を現場に連れて行ったか。

T検察官は、宇保を現場に連れて行って、その供述の信用性を確認したと証言したが、同検察官は、刑事事件における宇保の証人尋問で右の事実を確認せず、本件の第二審に至って初めて右のように証言したものであって、その内容も前後矛盾しており、かつ、右引き当たりに関する関係文書が刑事事件でも提出されていないのである。また、宇保は、差戻後の当審において、右引き当たりの事実を否定している。

したがって、検察官の証言は、虚偽のものであって、自己の過失をとりつくろうための創作にすぎない。

(二) 宇保の捜査段階の供述は、信用できるものであったか。

宇保は、本件現場をおもしろ半分に、やじ馬的に見ていたにすぎず、被控訴人の動きを特に注視していたものでもない。しかも、宇保は、当時、少年保護事件で試験観察中であったこともあって、捜査当局に迎合しやすい立場にあった。

また、宇保が目撃した時点の現場付近は、日没後であったことに加え、火炎びんによる炎や写真のフラッシュなどにより輝度が一定せず、したがって、客観的・科学的に見て、被控訴人の足の状態を明確に認識することの困難な状況にあった。

さらに、宇保の供述自体も、目撃したという男が警察官の頭あるいは顔を殴ったのか、踏み付けたのか、腹を踏み付けたのか、蹴りあげたのかについて、またその回数についても極めてあいまいなものである。これは、捜査官に迎合的に供述したことによるものである。

さらに、宇保は、取調官から平野写真や読売写真を見せられ、被控訴人が殺害犯人であるとの予断の下に取り調べられたものであるが、検察官は、警察における取調べを吟味するどころか、かえって、自らも、被控訴人は過激派であるなどと言って宇保の取調べをした。

このように、宇保の警察段階の供述は、信用性の乏しいものであり、刑事公判において、宇保が所在不明になると、その所在を十分調査せずに、安易に宇保の検察官調書を刑事訴訟法三二一条書面として採用を求めたことからして、検察官自身宇保供述の信用性に疑問をもっていたものである。

2 平野写真の評価について

T検察官は、「公訴提起前、平野宅に何度も赴き、同人から平野写真のネガを受け取った際、平野写真の撮影方向、撮影時間及び撮影内容を聴取した」と証言したが、右証言も、同検察官の創作であって、虚偽のものである。

すなわち、右のネガは、本件の捜査に従事していた上間が平野から直接受領し、これを嘉手苅に渡し、一一月一五日には既に警察によって焼き付けられているのであるから、検察官が一二月八日ころになって自ら平野からネガを受け取るはずがない。

また、平野宅を訪れたという日時、回数に関する証言も曖昧で前後矛盾しており、検察官の証言は虚偽のものである。

したがって、検察官は、平野宅を訪れて平野写真について聴取したものではない。

3 その他の証拠の検討について

(一) 被控訴人の供述の評価について

被控訴人は、捜査段階から、Y巡査部長を炎の中から引き出したことを認め、それは消火行為の一環であると訴え続けていた。しかるに、検察官は、その訴えに耳を傾けなかったものである。また、被控訴人は、白色のよく目立つアノラックを着、覆面などはせずに行動していたものであり、衆人環視の中で、このような目立つ姿で殺害行為を行うと評価することはできないはずである。

(二) 被控訴人の取調べについて

検察官が被控訴人の取調べを行ったのは、勾留請求の際の弁解録取を含めても二回にすぎず、実質的な取調べはわずか一回であり、その一回も被控訴人に手記を書かせたにとどまるものである。検察官は、当審において、被控訴人の取調べは八回行ったが、供述が変遷していたため供述調書を作成しなかったと証言したが、調書を作成できないという状況はなく、右の証言は信用すべきでない。供述が変遷していたのであれば、むしろ、その都度調書を作成すべきである。

このようないわば手抜きの取調べは、T検察官があまりに多くの身柄事件を担当していたため被控訴人から十分な弁解を聞く時間がなかったものであるが、しかし、被控訴人が消火行為を明確に供述し、手記にも記載していたのであるから、検察官としては、その裏付け捜査をすべきであるのに、予断にとらわれて被控訴人の弁解に耳を傾けようとしなかった。

4 これらによってみると、検察官が公訴提起時に収集した証拠資料を総合勘案しても、第二行為について有罪と認められる嫌疑があったとはいえず、検察官が嫌疑ありとした心証は合理的根拠があったとはいえない。

なお、当時の沖縄では、米法の刑事訴訟法的な公判中心主義の発想があり、T検察官の本件捜査及び公訴提起もそのような発想の下で行われた。また、当時の沖縄における検察の体制からして、同検察官は、多くの身柄事件を一人で処理しなければならない事情にあり、極度に多忙であった。本件公訴提起は、同検察官の公訴提起に対する安易な考え方と右の多忙さとが相俟って、十分な捜査が行われないままになされたものである。

三 したがって、本件公訴提起は、違法である。

別紙二 控訴人の主張の要旨

一 吉川及び前田の取調べをしなかったことが通常の捜査を怠った結果ではないことについて

1 通常の捜査を遂げることの法的意味について

検察官が収集していた手持資料のほか他の資料を収集・検討すべきであるのは、既に収集した証拠資料及び被疑者の供述などを総合して、通常の検察官が公訴提起の可否を決するに当たり、当該証拠が不可欠と考えられ、これらにつき捜査を尽くすべき職務上の注意義務がある場合に限られ、さらに捜査を尽くすことが必ずしも重要でない場合や、相手方の不協力や証拠の存在を把握できないため捜査を尽くすことが不可能な場合には、右注意義務はないと解すべきである。

2 吉川の捜査について

捜査官及び検察官は、吉川フィルムを映写・検討したが、Y巡査部長の周囲の者の上半身が写っておらず、それ自体では消火活動が明らかでなく、被控訴人と思われる人物の足がY巡査部長の身体に接触しているかどうかも明らかではなかったので、平野写真及び宇保供述以上に被控訴人の特定及び行為の判定に直接役立つものではないものと判断した。

客観的にも、吉川フィルムでは、被控訴人の足がY巡査部長に当たっていると見得る余地が十分にあり、むしろ加害行為を裏付けるものともみることのできるものであって、消火行為を写したものと断定することは不可能である。

そして、検察官は、警察あるいは全軍労事務局を通じて吉川を呼び出したが、吉川はこれに応じなかったものである。

してみると、検察官は、本件起訴の合理性を裏付ける他の証拠を入手しており、吉川フィルムの証拠価値が必ずしも明らかでなかったから、吉川を取り調べることが必要不可欠であったとはいえず、また、それが可能であったともいえない。

3 前田の捜査について

検察官は、前田写真を検討して、その二番目の写真からは被控訴人の行為が明らかでなく、証拠価値は大きくないものと判断し、また、入手時の状況から協力が得られないとの報告を受けていたので、その供述を求めることは当初から断念していた。

そして、平野写真、宇保供述、読売写真等を収集していた状況において、前田の取調べが必要不可欠であるとはいえず、また、入手時のいきさつからして、供述を期待できないことが明らかであったから、検察官が前田を取り調べなかったことに何らの職務上の義務違反はない。

二 公訴提起時の収集証拠による有罪の嫌疑の判断について

1 読売写真

検察官は、読売写真の上段写真は被控訴人がY巡査部長を蹴っているもので、他の者との現場共謀を認定する証拠であり、下段の写真については、その後数分以内の行為であって、被控訴人が倒れたY巡査部長を踏んでいる場面であると考え、これらが被控訴人の加害行為の立証に決め手になるものであり、他の証拠と合わせ第二行為の加害行為を認めることができると判断したが、右判断は自然かつ合理的であって違法ではない。

2 平野写真

平野写真の被控訴人の足とY巡査部長の位置関係からすると、被控訴人がそのまま足を下ろせばY巡査部長の腰部又は脇腹辺りを踏みつけることになると認められるものであり、検察官は、第二行為の加害行為を立証する決定的な写真であると判断し、宇保供述を裏付けるものと判断した。

また、警察官上間及びT検察官は、平野から写真又はネガを借り受けるに際し、平野から、右写真は被控訴人がY巡査部長を踏みつけている場面であることを聴取・確認した。

したがって、検察官の右判断及び他の証拠と総合して、右写真が第二行為の加害行為を立証するものとした検察官の判断に不合理はない。

3 宇保供述

宇保供述は、被控訴人が火だるまになったY巡査部長を引きずり出してその頭を蹴ったり、腹を踏んだりした様子を近くの塀の上から目撃した状況を供述したものであるが、偶然の目撃者としての立場、供述態度、目撃の位置等からして、また平野写真とも符合していたので、検察官は重要な証拠と判断した。

そして、検察官は、検察官による取調べの前日、宇保を現場に連れて行き、ブロック塀の上からY巡査部長の倒れていた位置を検証し、明暗状況についても現実に確認したというべきであるが、仮にそうでないとしても、検察官自身、目撃状況の検討を現場で行っており、宇保供述の信用性は高いから、検察官が宇保証言の信用性を高いものとした判断に不合理な点はない。

4 被控訴人の供述

捜査段階における被控訴人の第二行為に対する弁解は、終始、Y巡査部長に付いていた火を足で踏んだことを否定しており、引き出し行為についても、これを行う意思はあったものの、実行できなかったとして、Y巡査部長の身体に触れたことがないとする趣旨で、一貫していたものである。

検察官は、宇保供述や平野写真を収集していたところ、これらに対する被控訴人の弁解には不自然な点があり、第一行為についても否認するのみであったこと等に照らし、被控訴人の弁解は自己の刑責を免れるためのものであると判断したものであって、右判断に不合理はない。

5 その他の証拠及び前記各証拠の総合的検討

検察官は、本件公訴提起までに第二行為を補強し、推測させる証拠として、前川の供述、機動隊員の捜査報告書、現認報告書、Y巡査部長の死因に関する鑑定書等、多数の証拠資料を収集していたが、これらによると、過激派集団による火炎びん投てきなどの機動隊に対する攻撃があり、これらと前後して被控訴人は「機動隊員帰れ」等とやじをとばしていたこと、その後Y巡査部長に対する撲殺、焼殺という残忍かつ異常な事態があったが、デモ行進に参加した団体等も過激派集団に呼応するかの気勢を示していたことが窮われた。また、Y巡査部長の死因は被控訴人の行為と矛盾するものでなかった。

このような雰囲気の中で、前記宇保供述、平野写真、読売写真等の証拠から第二行為を加害行為と判断した検察官の判断は合理性を有するものというべきである。

6 第一行為と第二行為の関連に係る判断について

被控訴人は、第一行為については結局これを認めたものであり、証拠資料によると、第一行為と第二行為との間は比較的短時間と認められたのであるから、これらを一連の加害行為であると判断し、第二行為を消火行為と判断しなかった検察官の判断は、当時の手持証拠の総合評価として合理的であった。

なお、本件刑事事件において無罪判決が確定したのは、検察官の不用意な訴因限定によるものであり、少なくとも第一行為については有罪の嫌疑があったものである。

三 公訴追行における違法性の不存在

本件公訴の提起に違法はなく、刑事公判において宇保及び平野は証人として捜査段階の供述を維持したのであり、これら刑事公判の経緯に照らしても、公訴の追行に違法の点はない。

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