東京高等裁判所 平成元年(行ケ)248号 判決 1991年7月10日
原告 ダンロップ・ホールディングズ・ピーエルシー
被告 特許庁長官
補助参加人 株式会社ブリヂストン
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を九〇日と定める。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 特許庁が、平成元年五月二二日、同庁昭和四五年審判第一五九五号事件についてした補正の却下の決定を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決
二 被告
主文第一、二項と同旨の判決
第二請求の原因
一 特許庁等における手続の経緯
原告は、一九六五年(昭和四〇年)二月一〇日、イギリス国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和四一年二月一〇日、名称を「ゴルフボール」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をしたところ、昭和四四年九月二九日、拒絶査定を受けたので、昭和四五年二月二五日、これに対する審判の請求をし、特許庁は、同請求を昭和四五年審判第一五九五号事件として審理した。
原告は、昭和四六年一二月一一日、明細書の全体を補正した手続補正書(以下「本件手続補正書」といい、本件手続補正書による手続補正を「本件補正」という。)を提出したほか、さらに明細書の一部を補正した結果、本願発明は、昭和四九年七月一五日、出願公告されたが、補助参加人から特許異議の申立てがされ、昭和五三年七月一四日、右異議の申立ては理由がある旨の決定とともに、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がされた。
原告は、右審決を不服として、東京高等裁判所に右審決の取消訴訟を提起し、同裁判所は、同庁昭和五三年(行ケ)第二〇〇号事件として審理した上、昭和六三年四月二八日、右審決を取り消すとの判決をし、同年五月二日、右判決は確定した。
特許庁は、前記審判事件について更に審理の上、平成元年五月二二日、「本件補正を却下する。」との決定をし、その謄本は、同年八月九日、原告に送達された。なお、出訴期間として九〇日が附加された。
二 本件特許願に添付された明細書(以下「当初明細書」という。)記載の特許請求の範囲
核およびそれの被覆よりなるゴルフボールであって、而もこの被覆物が少くとも一種のモノオレフィンと、それと共重合しうる少くとも一種の不飽和カルボン酸との共重合体を含む組成物より形成されていることを特徴とするゴルフボール。
三 本件補正の主な内容
1 本件補正に基づく特許請求の範囲
核および被覆よりなるゴルフボールであって、この被覆はエチレンと三~八個の炭素原子を含む少なくとも一種の不飽和モノカルボン酸との共重合体からなる組成物から形成されており、この共重合体は上記の酸の三〇重量%までを含有していることを特徴とするゴルフボール。
2 実施例Vの追加
三種の共重合体、すなわちそのうちの二種は実施例I(CP2)および実施例IV(CP3)において使用されたエチレンとアクリル酸とを基本としたもので、一種はエチレンとメタクリル酸とを基本としたもの(CP4)、をバレル温度一八〇ないし二三五℃、型温度三五℃でエジビック四五SR(Edgwick 45SR)機でそれぞれ射出成型した。このようにして形成されたゴルフボールの殻を一六〇℃の温度で一分間、ボールあたり一〇トンの圧力を使用して、標準の糸を巻いた核の上に圧縮成型した。
満足すべきボールが製造され、これらのボールの試験で得られた結果をつぎの第VI表に示す。
第VI表
CP2
CP3
CP4
………
………
………
………
全距離(ヤード)
二二五
二二七
二二九
全飛行(ヤード)
二五四
二五〇
二五二
………
………
………
………
四 本件決定の理由の要点
本件補正は、一六〇℃、一分間、ボールあたり一〇トンの圧力を使用して、標準の糸を巻いた核の上に圧縮成型したゴルフボール(以下「特定条件で成型したゴルフボール」という。)を新たに追加しようとするものである。
しかし、当初明細書には、特定条件で成型したゴルフボールについては記載されておらず、また、示唆もない。
そして、本願の出願時において、特定条件で成型したゴルフボールが当業者において自明であったものと認めることはできない。
しかも、本件手続補正書によれば、特定条件で成型したゴルフボールの、全飛行が二五二ヤード、全距離は二二九ヤードであり、これは当初明細書に記載されたゴルフボールの、全飛行が二三八ヤード、二四二ヤード、二四四ヤード、全距離が二一八ヤード、二一七ヤード、二一八ヤード(当初明細書第一八頁第V表参照)であるのに比べて優れたものであって、本件手続補正書によって補正された、特定条件で成型したゴルフボールが当初明細書に記載されたゴルフボールと同等のものであるとは認めることはできない。
したがって、本件補正は、明細書の要旨を変更するものであるから、特許法第一五九条第一項で準用する同法第五三条第一項の規定により却下すべきものと認める。
五 本件決定を取り消すべき事由
本件決定は、本件補正により加入された「一六〇℃、一分、一〇トン」の成型条件(以下「特定条件」という。)が本願ゴルフボールの発明の要旨に関するものではないにもかかわらず、これを発明の要旨に関するものであると誤認し(取消事由1)、当初明細書において本願発明のゴルフボールが明白に記載されていて、特定条件が本願発明の出願時の当業者に自明であるのに、これが自明でないと誤認し(取消事由2)、本願発明のゴルフボールの作用効果を誤認した(取消事由3)結果、本件訂正は当初明細書の要旨を変更するものであると判断を誤った違法があるから、取り消されるべきである。
1 取消事由1
本件決定は出願公告決定前の手続補正に関する。出願公告決定前の補正は、願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内である限り、明細書の要旨を変更しないものと見做されることは、特許法第四一条に明定されているところである。
本件補正は、全文訂正明細書を提出したものであって、その全文訂正明細書中において特許請求範囲の記載についても補正されているものである。
本件決定は、右特許請求の範囲の補正については、全く触れていない。このことは、被告は右特許請求の範囲についての補正は、全て当初明細書の記載事項の範囲内のものであることを認めていることを示すものである。
すなわち、本願発明がゴルフボールという物の発明であり、出願前公知の共重合体の中から特許請求の範囲記載の特定の組成を選択し、これをゴルフボールの外皮材として使用することについて有用性を見出した用途発明であって、本願発明の構成要件は、当初明細書に全て開示されていたものである。
しかも、本願発明のゴルフボールの外皮材として使用する共重合体は、出願前公知の共重合体であり、本願発明は、この公知の共重合体を「ゴルフボール」の外皮材として採用した用途発明であるところ、ゴルフボールの製造方法そのものも、また出願前周知のところであって、製造方法は本願発明の要旨となりうる技術事項たりえないのである。
したがって、本願発明は「ゴルフボール」なる物の発明であり、その成型条件の如何を発明の要件としていない以上、卒然として「成型条件」を持ち出して「同等」か否かの論議をしていることも凡そ根拠のないことである。
そもそも「明細書の要旨」とは、特許請求の範囲に記載された技術事項をいうものであり(「明細書の要旨変更」に関する審査基準参照)、「要旨変更」とは、明細書を補正した結果、特許請求の範囲に記載した技術的事項が当初の明細書記載による技術的事項の範囲内のものでないものとなったときのみ、その補正が明細書の要旨を変更したものとされるのである(同審査基準)。
本願発明は物の発明であり、今問題とされている特定条件はいささかも本願特許請求の範囲に記載された「ゴルフボール」としての要件についての技術的事項に影響するものでないから、被告の要旨変更の主張の誤りは明らかである。
2 取消事由2
(一) 本願発明のゴルフボールは、特定条件のみによって初めて効果を奏するというものではない。本件決定は、あたかも本願発明のゴルフボールの効果が、特定条件の採用のみによって得られるものであるが如くに誤認したものという外はないが、その誤りであることは、当初明細書の記載において既に本願発明のゴルフボールが記載されており、そのゴルフボールの効果についても同明細書に明白に記載されていることからも明らかである。
当初明細書には次のとおり記載されている(甲第二号証六頁一七行から七頁四行)。
<1> ゴルフボールを製造する便利な方法は他の成分を混合して後に共重合体組成物を半殻状に成型することであって、その各々の殻は半球状のカップである。
<2> 次いで二つのカップは核を封入する適当な大きさの型に入れられ、加圧下で加熱されて二つのカップを融合し核にしっかりと固着させ、しかもゴルフボールには通例の模様のある表面を得させる。
すなわち、右に記載されたゴルフボールの製造方法は、ゴルフボールの外皮となる半球状のカップを二つ用意し、次いで核を封入する型内で「加圧、加熱下で、二つのカップを融合し核にしっかり固着させる」ことである。
そして、右二つの半球状の外皮材が融合するとは、外皮材か溶融状態となって合体することである。
また、核はゴムの糸巻状態になっており、この核にカップが固着するとは、外皮材が溶融状態となってゴム糸巻のゴム糸間に流れ込んで固まり、齟み込み状態となることである。
右のことは、ゴルフボールの当業者に自明のところであるから、当業者は外皮材の物性に応じて成型条件を適宜選択できるのである。
しかして、右に示されたように、加圧、加熱下で外皮材を溶融状態にする基準として、外皮材の物性中着目されるのは軟化及び溶融流動に関する両物性であり、通常前者を把えるものとしてビカー軟化点か、また後者を把えるものとしてメルトフローインデックスがそれぞれ採用されている。
また、ビカー軟化点は、材料が軟化し始める温度であって、この温度で直ちに材料が溶融して流動するものではなく、更に温度を上昇させ、かつ加圧することによって材料は溶融して流動するようになる。この溶融流動性はメルトフローインデックスによって知ることができるところ、その測定は一九〇℃の温度下での材料の流れ量により測定される。
したがって、ゴルフボール製造業者は、外皮材の軟化特性と溶融流動性の両者をみて、成型条件を適宜選択するものである。
(二) 特定条件が本願出願時の当業者に自明でない、とする認定も誤りである。
まず要旨変更か否かの判断は、当初明細書から特定条件が自明か否か、の問題なのであるから、本件決定が特定条件で成型したゴルフボールが当業者において自明であったと認めることができない、としていることは、既にその判断基準そのものにおいて誤りを犯しているものである。当初明細書から自明であることについては以下のとおり明らかである。すなわち、当初明細書には次のとおり記載されている。
(イ) 本発明に従うゴルフボールの製造では、高温、例えば一二〇℃乃至一五〇℃で上記共重合体を上記の充てん剤および(あるいは)交さ結合剤とミル上あるいはインターナルミキサー(internal mixer)中で混合することにより上記の共重合体組成物を製造する(甲第二号証明細書六頁八行から一三行)。
(ロ) その交さ結合剤を通常約一五〇℃で混合し、この温度で約一五分間共重合体と反応させる(同六頁一六、一七行)。
(ハ) (半殻成型については)二つのカップは核を封入する適当な大きさの型に入れられ、加圧下で加熱されて二つのカップを融合し核にしっかりと固着させ、しかもゴルフボールには通例の模様のある表面を得させる(同六頁二一行から七頁四行)。
(ニ) 上記の半殻を軟化するのに必要な温度が核に損害を与えるにたるものであってはならず、即ち使用する共重合体組成物が八〇℃あるいはそれ以下のビカー軟化点を有さねばならぬことがこの成型操作中重要なことである(同七頁四行から八行)。
右の記載はゴルフボールの成型に当たって、当業者にとって必要にして充分な操作の記載である。
さらに、本願発明の「ゴルフボール」の外皮材に採用する共重合体は前述のとおり公知のものであり、その組成並びに物性が与えられ、それによって良いゴルフボールの得られることも当初明細書に開示されているのであるから、これをみる当業者は、このゴルフボールの製造条件の詳細については、適宜に採用し得るところである。
よって特定条件は当初明細書から当業者にとって自明のものであり、本件決定の認定は誤りである。
3 取消事由3
(一) 本件決定は、特定条件で成型したゴルフボールの「全飛行が二五二ヤード、全距離二二九ヤード」をとり上げている。これは、実施例VのゴルフボールCP4についてのもの(VI表)であるが、本件決定は、このゴルフボールの全飛行(打撃点からボールの停止点までの距離)、全距離(打撃点からボールの落下点までの距離)は、当初明細書のV表の全飛行、全距離に比べて優れており、そしてこの両者は同等のものではないと認定している。しかしこれは表Vと表VIの対比の視点を完全に誤っている。
すなわち、ゴルフボールの全飛行、全距離のテストは、室内における化学実験のようにフラスコ中でなされる一定条件下での実験とは異なり、屋外でなされ、その日の風向、風速等に影響されるものであるから、同一ボールであってもテスト時の気象条件等により全飛行、全距離は異なるものである。
したがって、異なる日時でのテストにおいて得られた数値同士を比較することはできない。
仮に、百歩譲って表Vと表VIとを直接対比するとしても、表Vと表VIとは同等のものと評価されるべきものであって、表VIに示された全飛行、全距離が表Vに示された全飛行、全距離と比べて優れており、その故に本願発明のゴルフボールの効果が表VIの記載で初めて見出されたとする本件決定の判断は明らかに誤りである。
(二) 本件決定が全飛行、全距離のテストの対比の方法自体の解釈及び結論を誤ったものであることは前述のとおりであるが、そもそも本件決定は本願発明のゴルフボールの作用効果そのものを、基本的に誤認しているものである。
以下、このことを、本件補正後の特許請求の範囲の記載に該当する当初明細書に記載されたゴルフボール(甲第二号証明細書一一頁第I表実施例IのD、一三頁第二表実施例IIのG及びH、一六頁第三表実施例IIIのL、一八頁第四、第五表実施例IVのM、N及びO)に基づき明らかにする。
(1) 新規なゴルフボールの外皮材としての成功
本願優先権主張日(昭和四〇年二月一〇日)前五〇年以上にわたって、ゴルフボールの外皮材として用いられていたものは、トランス1・4ポリイソプレンを主成分とする外皮材(バラタ材)を用いたもののみである。しかしながら、このバラタ材は高価であり、かつこのバラタ材を外皮とするゴルフボールは、抗切断性において著しく劣るものであったため、これに代替し得る外皮材によりゴルフボールを製造することは当業者の最大の課題であったところ、本願発明はこの課題をはじめて解決したものである。
(2) 抗切断性について
本願発明のゴルフボールは、本願発明の構成を採用することにより従来のゴルフボール(バラタ材を外皮としたゴルフボール)に比べて著しく優れた抗切断性を有している。
当初明細書一〇頁四行から末行に示されたEはバラタ材であり、また同一一頁一行から三行に示されたFは右バラタ材(E)を二硫化炭素で硬化したものである。そこで、当初明細書に示された前記本件補正後の特許請求の範囲に記載されたゴルフボールに該当する実施例との抗切断性の対比を示すと次のとおりである。なお、抗切断性は表中CRの値によって示されており、数値の高い方が優れている。
実施例IのD
実施例IIのG
H
実施例IIIのL
実施例IVのM
N
O
バラタ E
F
四六〇(当初明細書一一頁第I表)
四三五(同一三頁第II表)
四五〇(同)
三四〇(同一六頁第III表)
五〇五(同一八頁第IV表)
四三五(同)
三三〇(同)
二七五(同一一頁第I表)
三〇〇(同)
また、右実施例D、G、H、L、M、N及びOの抗切断性の平均値は、三九二・二であり、バラタE及びFの同平均値は二八七・五であって、当初明細書には、本件補正後の発明の実施例の抗切断性及びこれがバラタ材に対し優れていることが示されている。
そして、本件補正により追加された実施例VのCP4の抗切断性は四〇〇であって(本件公告公報・甲第七号証六頁第六表)、出願当初の明細書に記載された右D、G、H、L、M、N及びOの抗切断性と実質的に同一である。
(3) 本件補正後の特許請求の範囲に該当するゴルフボールの以上述べた作用効果は、当初明細書に記載されている。
しかるに、本件決定は、一部の全飛行、全距離のみに着目し、またその対比の方法自体を誤り、かつ本願発明のゴルフボールの最も重要な作用効果である抗切断性を無視したものであって、作用効果そのものを誤認したものに外ならない。
第三請求の原因に対する認否及び主張
一 請求の原因一ないし四の事実は認め、同五の主張は争う。
二 本件決定の認定判断は正当であり、原告主張の違法はない。
1 取消事由1について
ゴルフボールが同等であるか否かを判断する指標としてゴルフボールの性能があり、ゴルフボールの性能が材質、形状、成型条件などによって影響するものであることは技術常識である(乙第一、二、五号証)。そして、補正された特定条件は出願当初の明細書に記載されていた成型条件とは異なるものであり、特定条件で成型したゴルフボールは、当初明細書に記載されていたゴルフボールと比較して著しく優れた性能を持つものであるから、補正されたゴルフボールは当初明細書に記載されていたものではない。また、補正された特定条件は当初明細書に記載されていたものではなく、出願時において自明の条件でなかったものである。実施例Vの追加によって当初明細書に記載されていたゴルフボールに比べて著しく優れた性能をもつ全く新しいゴルフボールを追加したことになり、その結果、特許請求の範囲に記載した技術的事項が当初明細書に記載した事項の範囲内でないものとなったのであるから、審査基準でいっている要旨変更であることは明白である。
成型条件は技術的事項に影響を与えるものであるから、原告の「特定条件は特許請求の範囲に記載された「ゴルフボール」とその要件についての技術的事項に影響するものではない」という主張は妥当でない。
2 取消事由2について
(一) 本願発明の要旨は、特許請求の範囲に記載されたとおりのゴルフボールに関するものであって、そのゴルフボールは当初明細書に記載された成型条件で製造されたゴルフボール又は本願の出願当時に当業者に自明の成型条件によって製造されたゴルフボールと同等のゴルフボールといわなければならない。
したがって、当初明細書に、成型条件がどこまで具体的に記載されていたか、また、出願時の技術水準がどうであったかということが重要になる。
しかるに、当初明細書には、本願発明のゴルフボールの具体的な成型条件が全く記載されていない。
当初明細書の実施例Iには、試験板の成型条件である「・・・一〇〇℃で成型する。」(公告公報六欄二七行)、実施例IVに「・・・一〇〇℃で成型する。」(公告公報一〇欄四行から五行)という記載はあるが、ゴルフボールについてそれ以外に何らの成型条件も記載されていない。
甲第二号証(当初明細書)六頁一七行から七頁四行に記載されていることはゴルフボールの一般的な成型条件にすぎない。
(二) 原告の主張する(二)の(イ)(ロ)には、一五〇℃という記載はあるが、(イ)(ロ)の記載はゴルフボールの外皮材に採用する共重合体組成物自体を製造するための条件であって、ゴルフボールを成型する条件ではなく、(ハ)(ニ)は、出願時の技術水準に基づくゴルフボールの成型操作を示すものではあっても、特定条件までも示唆するものではない。
また、特定条件で成型したゴルフボールが、当初明細書に記載されたゴルフボールに比べて著しく優れた飛距離をもつ点で出願当初のゴルフボールと同等でないと判断したのである。
原告は、特定条件で成型したゴルフボールが、当初明細書の記載に基づいて適宜に採用される条件の範囲で製造したゴルフボールであることについての根拠を何ら示しておらず、むしろ、前項で述べたように、当初明細書の記載、出願時の技術水準及び乙第四号証からみると、原告の主張とは反対に、特定条件で成型したゴルフボールが、当初明細書に開示のない著しく飛距離の優れた効果を有することからも、適宜に採用し得る成型条件によって成型したゴルフボールでないことは明らかである。
(三) したがって、本件決定の「当初明細書には、特定条件で成型したゴルフボールについては記載されておらず、また、示唆もない。そして、本願の出願時において、特定条件で成型したゴルフボールが当業者において自明であったものと認めることはできない。」と認定、判断したことに誤りはなく、原告の主張は理由がない。
3 取消事由3について
(一) 実施例には、風向、風速について特に記載はないので、V表とVI表において気象条件等により全飛行、全距離は異なっているという主張は理由がない。また、従来においてもゴルフボールの飛行距離について、気象条件は特に記載されていないので(たとえば、乙第五号証、特公昭五六-二六四二二号公報)、原告の「同一ボールであっても気象条件等により全飛行、全距離は異なるものである。したがって、異なる日時でのテストにおいて得られた数値同士を比較することはできない。」という主張は、少なくとも同一明細書の実施例に関する主張としては妥当でない。
(二) 一方、ゴルフボールの効果の指標として飛距離は、ゴルフボールの極めて重要なファクターの一つとなっており、たとえば、乙第五号証の公報三頁及び五頁では、三ないし九メートル(三・三ないし九・九ヤード)の距離の延びによって、それぞれ予期できない優れた効果があるものとして評価されている。
これに対し、特定条件で成型したゴルフボールは、当初明細書に記載されたゴルフボールに比べ、全飛行において八ないし一四ヤード、全距離において一一ないし一二ヤードと、先行技術からみて格段に優れているのみならず、当初明細書の実施例IVのM、N、O、Pのゴルフボールはすべて飛行不安定であり、その上M、N、Pは半殻カバーが割れたこと(乙第六号証)を考慮すると、原告が表Vと表VIとは同等のものと評価されるべきものであるという主張は理由がない。
したがって、本件決定が「本件手続補正書によって補正された、特定条件で成型したゴルフボールが当初明細書に記載されたゴルフボールと同等のものであるとは認めることができない。」とした点に誤りはない。
(三) 抗切断性は、当初明細書の各実施例からも明らかなように、原告は板状物によってその効果を立証している。このことからも抗切断性は共重合体そのものによって発現されることは明らかである。
したがって、抗切断性の値が実質的に同一であるという理由だけで当初明細書に記載されたゴルフボールと補正により追加されたゴルフボールとが同等であるとはいえないから、本件決定が作用効果を誤認したという原告の主張は妥当でない。
第四証拠<省略>
理由
一 請求の原因一ないし四の事実(特許庁等における手続の経緯、当初明細書記載の特許請求の範囲、本件補正の主な内容及び本件決定の理由の要点)については、当事者間に争いがない。
二 原告は、本願発明は物の発明であり、その成型条件は本願特許請求の範囲に記載された「ゴルフボール」としての要件についての技術的事項に影響するものではないから、要旨の変更には当たらない旨(取消事由1)主張する。
しかしながら、たとえ物の発明であっても、製造方法の如何によっては、その物の性質が影響を受けることは当然あり得ることであり、明細書の詳細な説明の欄又は図面に、当初明細書の記載から当業者にとって自明でない製造方法を補正することによって、特許請求の範囲に記載された技術的事項が実質的に変わることになる場合は、そのような補正は要旨を変更する補正であるといわなければならない。
したがって、本願発明が「ゴルフボール」という物の発明であるとしても、特定条件で成型されたゴルフボールが当初明細書に記載されていたゴルフボールと比較して著しく優れた性能を持つものである場合には、特定条件でゴルフボールを成型することについて、当初明細書には何ら記載されておらず、また出願時において当業者に自明の条件ではないときには、かかる特定条件で成型されたゴルフボールについての実施例を追加することは、特許請求の範囲に記載された技術的事項に影響を与えるものであると解するのが相当である。
三 そこで、まず、特定条件で成型されたゴルフボールが当初明細書に記載されていたゴルフボールと比較して著しく優れた性能を持つものであるか否か(取消事由3)について検討する。
1 まず、飛距離についてみるに、前記認定のとおり、本件補正によって追加された実施例Vには、特定条件で成型したゴルフボールの全飛行が二五二ヤード、全距離が二二九ヤードと記載されており、また成立に争いのない甲第二号証によれば、当初明細書に記載されたゴルフボールの全飛行は二三八ヤード、二四二ヤード、二四四ヤードであり、全距離は二一八ヤード、二一七ヤード、二一八ヤードであることが認められる。
原告は、ゴルフボールの全飛行、全距離のテストは、屋外でなされ、その日の風向、風速等に影響されるものであるから、異なる日時でのテストにおいて得られた数値同士を比較することはできない旨主張する。
確かに、ゴルフボールの全飛行、全距離は気象条件によって左右されることは常識であるが、しかし、これらの数値は、いずれも原告によって測定されたものである上、当初明細書においても、本件補正によって追加された実施例においても、いずれも風向、風速等が記載されていないことに照らせば、これらのテストは、双方とも風の影響を無視し得る条件の下で測定されたものと解するのが相当であるから、テストの日時が異なっているが故に両テストの結果が正確に対比し得ないとする原告の右主張は理由がない。
2 次に、抗切断性についてみるに、前掲甲第二号証、成立に争いのない甲第四号証によれば、当初明細書には、特許請求の範囲に記載された共重合体をゴルフボールの外皮材に使用することにより、バラタ材を用いたゴルフボールに比べて優れた抗切断性を有するゴルフボールが得られたこと、すなわち、本願発明の実施例D、G、H、L、M、N及びOの抗切断性は三三〇から五〇五であって平均三九二・二であるのに対し、バラタ材を用いたE、Fの抗切断性は三〇〇以下であること、一方、実施例Vのゴルフボールの抗切断性は四〇〇であることが認められ、右事実からすれば、抗切断性に関する限り、当初明細書に記載されたゴルフボールと本件補正によって追加された実施例Vのゴルフボールとの間において、格段の相違はない。
3 以上の事実によれば、本件補正によって追加された実施例Vのゴルフボールと当初明細書に記載されたゴルフボールとを比較すると、抗切断性については格段の相違はないものの、全飛行において八ないし一四ヤード、全距離において一一ないし一二ヤード長いことが認められる。
ところで、ゴルフボールの効果の指標として、飛距離が極めて重要な要素とされることは当裁判所に顕著であり、成立に争いのない乙第五号証によれば、キャリー(飛距離)が三ないし八メートル(三・三ヤードないし八・八ヤード)長くなることにより優れたゴルフボールの発明であるとして特許請求していることが認められ、右事実からすれば、ゴルフボールの特性については、抗切断性ばかりでなく全飛行及び全距離もゴルフボールの性質としては重要な要素となると解されるから、全飛行が八ないし一四ヤード、全距離が一一ないし一二ヤード長くなることは、当初明細書に記載されたゴルフボールよりも本件補正によって追加された実施例Vのゴルフボールが優れたものであると解するのが相当である。
4 原告は、本願発明のゴルフボールは、本願発明の構成を採用することにより従来のゴルフボールに比べて著しく優れた抗切断性を有しているにもかかわらず、本件決定は、一部の全飛行、全距離のみに着目し、本願発明のゴルフボールの最も重要な作用効果である抗切断性を無視したものである旨主張する。
しかしながら、前掲甲第二号証及び第四号証によれば、本件補正により実施例Vとして加えられたゴルフボールの抗切断性の試験は、実施例IないしIVと同じく実際にゴルフボールを成型した後にその効果を確認しているのではなく、外皮に使用する材料を板状物に成型したものについて効果を確認しているものと認められるから、それから得られた数値は、ゴルフボールの成型条件から由来したものではなく、抗切断性についての効果の同一性は、特定条件によるゴルフボールの性能の優劣に直ちに影響するものではない。
したがって、本願発明のゴルフボールの最も重要な作用効果が外皮材の抗切断性にあるとしても、特定条件によって成型されたゴルフボールの作用効果が抗切断性のみにあるとはいえない。
5 してみれば、本件決定が「本件補正書によって補正されたゴルフボールが当初明細書に記載されたゴルフボールと同等のものであるとは認めることができない。」と認定判断したことに原告主張の違法はない。
四 次に、特定条件で成型するゴルフボールが当初明細書に記載されているか否か、また、本願出願当時、当初明細書から特定条件が自明であったか否か(取消事由2)について検討する。
1 原告は、当初明細書において既に本願発明のゴルフボールが記載されている旨主張する。
しかしながら、前掲甲第二号証によれば、ゴルフボールの成型条件について、当初明細書六頁一七行から七頁四行には、「ゴルフボールを製造する便利な方法は他の成分を混合して後に共重合体半殻状に成型することであって、その各々の殻は半球状のカップである。次いで二つのカップは核を封入する適当な大きさの型に入れられ、加圧下で加熱されて二つのカップを融合し核にしっかりと固着させ、しかもゴルフボールには通例の模様のある表面を得させる。」と記載されていることが認められるが、右記載は、ゴルフボールの一般的な成型条件を記載したものであって、具体的な成型条件について記載されているとは認められず、他に具体的成型条件を記載した箇所は見当たらない。
したがって、当初明細書に特定条件が記載されていたものとは認められない。
2 そこで、本願出願当時、当初明細書から特定条件が自明であったか否かについて検討する。
(一) 前記のとおり、当初明細書には、ゴルフボールの一般的な成型条件の記載はあるものの、具体的な成型条件については何らの記載もない。
(二) 前掲甲第二号証によれば、当初明細書には、前記1で認定したゴルフボールの一般的な成型条件についての記載のほか、以下の記載があることが認められる。
<1> 本発明に従うゴルフボールの製造では、高温、例えば一二〇℃乃至一五〇℃で上記共重合体を上記の充てん剤および(または)交さ結合剤とミル上あるいはインターナルミキサー(internal mixer)中で混合することにより上記の共重合体組成物を製造する(甲第二号証六頁八行から一三行)。
<2> その交さ結合剤を通常約一五〇℃で混合し、この温度で約一五分間共重合体と反応させる(同六頁一六行から一七行)。
<3> 上記の半殻を軟化するのに必要な温度が核に損害を与えるにたるものであってはならず、即ち使用する共重合体組成物が八〇℃あるいはそれ以下のビカー(vicat)軟化点を有さねばならぬことがこの成型操作中重要なことである(同七頁四行から八行)。
(三) しかしながら、右<1>、<2>の記載は、本願発明のゴルフボールの外皮材に採用する共重合体組成物自体を製造するための条件であって、ゴルフボールの成型条件ではないし、また、右<3>の記載及び前記1で認定したゴルフボールの一般的な成型条件は、出願時の技術水準に基づくゴルフボールの成型操作を示すものであることは認められるが、特定条件までも示唆するものとは認められない。
(四) さらに、出願当時のゴルフボールの一般的な成型条件について検討する。
<1> 前掲甲第二号証によれば、当初明細書には、実施例Iについて「小さい試験板を一〇〇℃で成型し」(甲第二号証一〇頁一八行)と記載されており、また実施例IVについて、「小さい試験板を一〇〇℃で成型する」(同一七頁一七行から一八行)と記載されていることが認められる。
<2> 成立に争いのない乙第一号証によれば、特公昭三九-一五五七三号公報には、「本発明の実施例に使うためには室温又は芯部の緊張したゴム巻線に悪い影響が認められる点より低い温度で硬化することが望ましい。この点はゴムの特性とゴムに加えられる張力によって幾分変わるが、一般に七九℃(一七五F)を超す温度は被覆の成形、固化及び硬化中常に避けなければならない。何故ならばこの点を越える温度では通常緊張したゴムの損傷が認められるからである。」(乙第一号証二頁左欄七行から十四行)と記載されていることが認められる。
<3> 成立に争いのない乙第二号証によれば、特公昭三七-五七三〇号公報には、「ゴルフボールの硬化の場合、例えば、低温度即ち九〇℃を越えない温度を使用することが心に被害を与えないために重要である(乙第二号証一頁左欄一一行から一三行)と記載されていることが認められる。
<4> 成立に争いのない乙第三号証によれば、特公昭三八-二六二九〇号公報には、「次に型を閉じ、一〇〇℃に加熱したローラを持つプレスに移す。そして加圧下に一五分間硬化させる。」(乙第三号証二頁右欄四一行から四二行)と記載されていることが認められる。
<5> 以上の事実によれば、本願の出願時には、芯の劣化を避けるためには、外皮材を加熱する温度は一〇〇℃以下でなければならないことが一般的であったと認められる。
(五) したがって、本願発明のゴルフボールの外皮材に採用する共重合体が公知のものであって、それによって良いゴルフボールが得られることが当初明細書に開示されているとしても、このことから特定条件が当業者にとって自明であるとはいえない。
(六) この点に関し、原告は、加圧、加熱下で外皮材を熔融状態にする基準として、外皮材の物性中着目されるのは軟化及び熔融流動に関する両物性であり、通常前者を把えるものとしてビカー軟化点が、また後者を把えるものとしてメルトフローインデックスがそれぞれ採用されており、ゴルフボール製造業者は、外皮材の軟化特性と熔融流動性の両者をみて、成型条件を適宜選択するものである旨主張する。
しかしながら、前記のとおり、当初明細書におけるビカー軟化点に関する記載は、ゴルフボールの一般的な成型条件に関するものであり、また、前掲甲第二号証によれば、当初明細書におけるメルトフローインデックスに関する記載は、外皮材に使用する共重合体あるいは単一重合体そのものについてのものであって、ゴルフボールの成型条件に関するものではないことが認められる。また、成立に争いのない甲第一一号証の二によれば、「プラスチックス」一五巻一二号には、本願発明の外皮材に該当するものとし得る「サーリンA」について、そのビカー軟化点及びメルトフローインデックスに関する記載はあるが、これらの記載は、本願発明の外皮材に使用する樹脂の特性を示すものとはいえても、ゴルフボールの成型条件を直接開示するものではないと認められる。
前記のとおり、一般的に、ゴルフボールの成型には、外皮材の軟化物性や熔融流動物性だけを考慮するだけでは足りず、糸巻芯の劣化防止をも十分配慮しなければならないことからすれば、ビカー軟化点及びメルトフローインデックスに関する記載から直ちに特定条件による成型が自明であり、適宜選択できるものであるとはいえない。
3 してみれば、その余の点を判断するまでもなく、本件決定が「当初明細書には、特定条件で成型したゴルフボールについては記載されておらず、また、示唆もない。そして、本願の出願時において、特定条件で成型したゴルフボールが当業者において自明であったものとは認められない。」としたことに、原告主張の誤りはない。
五 よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第一五八条第二項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 元木伸 西田美昭 島田清次郎)