東京高等裁判所 平成元年(行ケ)252号 判決
一 請求の原因一ないし三は当事者間に争いがなく、引用例1及び引用例2に審決の理由の要点2摘示の事項が記載されていることも当事者間に争いがない。
二 成立に争いのない甲第二号証(願書添付の明細書及び図面)、甲第三号証(昭和六二年九月二六日付手続補正書)(両者の総称して「本願明細書」という。)によれば、従来の害虫駆除剤は、木質部分には油剤又は乳剤、土壌面には乳剤又は粒剤の形状により使用されていたが、柱材や壁面のように塗布面が垂直であるため、塗付した油剤又は乳剤の十分な有効量を確保することが困難なことがあり、そのため何度も塗付する必要があつたこと、また、作業条件の厳しい床下等にあつては、作業能率、防除効果の低下、作業者の健康への悪影響がみられたこと、本願発明は、従来技術のこれらの欠点を是正するため、害虫駆除剤を泡沫化することにより施用部位における散布状態を長時間維持することができ、かつ塗布面が垂直面であつても害虫駆除剤の有効量を吸収させることができるとして、前記本願発明の要旨に係る構成を採択したものであることが認められる。
三 取消事由の判断
本願発明と引用発明1が同じ発泡剤(泡立て剤)、乳化剤(泡安定剤)及び駆除剤(防除薬剤)を含有する害虫駆除剤の泡状物の家屋の床下等に適用して害虫を駆除する点で一致していることは、当事者間に争いがない。
1 取消事由(1)について
(一) 本願発明が害虫駆除剤を高速高発泡、すなわち発泡させつつ多量の泡を短時間で送り込む方法を採択しているのに対し、引用発明1が害虫駆除剤の液に泡を生成した後に噴霧器で散布する点において相違するものであることは、当事者間に争いがない。
(二) 成立に争いのない甲第五号証(引用例2)によれば、引用例2には、<1>引用発明2は「少なくとも害獣を窒息させ得る気体を含有する発泡体を害獣類の通路に圧送し、該通路内を発泡体で充満させることを特徴とする害獣防除方法」に関するものであること(特許請求の範囲の記載)、<2>「ねずみ、もぐら等の害獣類は穴又は手の届かない場所に生息しそれによる被害は甚大なものがある。そこで、従来、それらの害獣を防除するには……………毒性の臭いのくん蒸剤を吹き込んで忌避させる方法など用いられてきた。……………(この)場合、一時的に害獣を忌避させる効果を有するにすぎず且つ害獣の通り道と無関係なすき間から気体が容易に漏れて奥深い箇所での効果を充分上げることができない等の欠点を有する。本発明はこれらの点に着目して害獣類を効果的に防除することを目的とするもので、炭酸ガスや窒素の気体、くん蒸剤を発泡体内に含有させて害獣の通路に圧送することを特徴とする。」(一欄一七行ないし三三行)、<3>「送風機1の気体の吸込側に害獣の防除に用いる気体の炭酸ガス、窒素、くん蒸剤等の供給タンク2を連結し、送風管3の内部にタンク4からポンプ5により汲み上げた界面活性剤等の泡発生を噴射するノズル6及び泡発生部材7を設け、これにより害獣防除に用いる気体を含有する発泡体が連続的に作られる」(二欄二行ないし八行及び(別紙図面(二)))、<4>「本発明によると害獣を防除する気体が発泡体に含有されて送られるため、細長い通路の奥深く迄送り込むことが可能で、圧送することにより入口が狭いすき間の場合も容易に供給でき、更に漏洩することなく長期間通路につまつた状態で滞留することができ、……………また…………発泡体が消滅した後は殆ど液体の残留はなくなり過度の湿度をきらう木造家屋等にも最適である」(二欄一六行ないし二四行)ことが記載されていることが認められる。右記載と前記当事者間に争いのない引用例2の記載によれば、引用例2は<1>及び<3>の記載により高速高発泡による泡の散布方法を開示していること、従来の害獣駆除方法では、害獣の通り道とは無関係なすき間から薬剤がもれてしまい、害獣が生息する地中の奥深い場所では十分な効果を奏し得なかつたことに鑑み、かかる欠点是正のため、引用発明2は、害獣防除に用いる気体を含有する発泡体を連続的に作り、これを地下の害獣の通路を経て、生息する奥深い場所まで送り込み、右通路及び生息場所に有効に長時間滞留するようにしたもので、この方法は木造家屋にも適用できるものであることが認められる。
しかして、審決の理由の要点4(一)摘示のとおり、本願発明と引用発明2が有害生物を防除することを目的とする点で共通の技術分野に属することは当事者間に争いがなく、前記のように、引用発明2の方法も木造家屋に適用できるのであるから、引用発明1が採択する発泡剤、乳化剤を含む害虫駆除剤の液に泡を生成した後に家屋の床下部に噴霧器で散布する方法に代えて、右の発泡剤、乳化剤を含む害虫駆除剤に引用発明2の高速高発泡の方法を適用し、害虫駆除剤を泡状物として家屋の床下等に散布する方法を採択することは、当業者にとつて格別の創意を要するものと認めることはできない。
(三) 原告は、本願発明の装置(別紙図面(一))と引用例2記載の装置(同(二))の相違を主張して、高速高発泡が泡の散布方法として公知の方法であるとの審決の判断を争つている。
前掲甲第二号証によれば、本願発明において、高速高発泡に用いられるものとして実施例に示された散布装置(別紙図面(一)第1図、第2図)は、いずれも、ポンプを介し一端は害虫駆除剤の充填されたタンクに接続し、他端には噴霧ノズルを備えたパイプと送風機とを合わせ持つものであり、両者を同時に作動させることによつて多孔板(小孔を有する金網)のところで泡沫化するものであること、その際、泡沫の達成距離はフアンの送風量によつて決定されること、また、発泡させ散布するには、発泡倍率も重要な要件であり、発泡倍率は散布装置、害虫駆除剤及び気泡材の種類、処方等により変化するが、発泡は、1キログラム当たり概ね一五〇ないし五〇〇リツトルの容積の泡を形成しうるようにすることが必要であることが認められる。
そこで、両装置を対比すると、本願発明の装置の送風機4、発泡剤、乳化剤を含む薬剤を噴射する噴射ノズル6、これを先端に取付けたパイプ7、パイプの他端に取付けられた発泡剤、乳化剤を含む薬剤を入れたタンク9、多孔板3又は網材11は、引用例2記載の装置の送風機1、泡発生液を噴射する噴射ノズル6、これを先端に取付けたパイプ(別紙図面(二)に「パイプ」と表示された部位)、泡発生液を入れたタンク4、泡発生部材7にそれぞれ対応し、その機構上実質的な差異は認められず、両者とも高速高発泡装置であるということができる。
原告は、別紙図面(二)によれば、引用例2の記載の散布装置の発泡部材7が中吊りの状態で示されているのに対し、別紙図面(一)によれば右発泡部材7に相当する多孔板3又は網材11が全面に設けられていることが示されていることを理由に前者の装置では大量の泡の送込みはできない旨主張する。たしかに発泡部材が中吊り状態にあれば、大量発泡の現象は起こりにくいかもしれないが、別紙図面(二)は概略の見取図的なものによる発泡機構の説明にすぎず、正確に機構を表示したものであるか否かは疑問といわざるを得ない。他方、前記<3>記載のように引用例2には、「これにより害獣防除に用いる気体を含有する発泡体が連続的に作られる。」と高速高発泡が行われることが開示されており、現に同引用例には、発泡体が害獣の通路、生息場所に長時間有効に滞留することも開示されている。そうであれば、引用例2の装置における発泡部材7が別紙図面(二)に表示されるように中吊り状態に設けられていると即断するのは相当ではなく、引用例2による右開示は高速高発泡が行われる装置を用いることを前提としているものと解すべきである。したがつて、別紙図面(二)にそのまま依拠する原告の主張は採用しがたい。また、同図面の装置に設計変更を加えた装置に関する主張も発泡部材7が中吊り状態に表示されていることを前提としている以上失当であり、成立に争いのない甲第九号証も右主張の裏付けとすることはできない。また、成立に争いのない甲第一〇号証において実験に供した起泡剤は、引用例1の実施例に記載のものであるが、そこに示されるデータは右起泡剤に水道水を加えた六パーセント溶液のもの、すなわち起泡剤のみの起泡の結果であつて、実施例1の薬剤(乳剤希釈液)に起泡剤を加えたものと異なるから、かように水道水を気泡化したものと薬剤乳剤の泡沫との間に相違が生じるのは当然であつて、かかる結果をもつて、引用発明2において泡状物を充満されることがないものとすることは相当でない。
また、原告は、引用例2には発泡体を閉鎖空間内に充満させることにより閉鎖空間の全内面にわたつて薬剤を付着させるという本願発明の技術思想は存在しない旨主張する。しかし、引用例2の前記<4>には、「発泡体で充満させる」、「漏洩することなく長期間通路につまつた状態で滞留する。」と記載されていることからみて、原告の右主張が理由がないことは明らかである。更に、原告は、泡の充満に関連し、いわゆるもぐらトンネルの容積を取り上げ、本願発明が適用される閉鎖空間との相違を主張するが、引用例2はもぐらを害獣の一例として示したに過ぎず、その記載に係る方法が木造家屋にも適用可能であることを示していることは前記のとおりであるから、例えば家屋の天井、床下に生息するねずみも害獣の対象となることは明らかであり、したがつて、引用例2には高容積の閉鎖空間を泡で充満させる態様が示唆されているものということができる。
(四) このように、原告主張の取消事由(1)は理由がない。
2 取消事由(2)について
(一) 成立に争いのない甲第四号証(引用例1)によれば、引用例1には、<1>「本発明は建物、農作物植木等の対象物に病害虫菌の防除用薬剤を散布する方法に関するものである。」(一頁左欄二ないし一三行)、<2>「従来対象物に対する防除防疫用薬剤の散布は手押しポンプ、動力噴霧器などのスプレーにより行われているが、死角にあるものや垂直面、下面等には薬剤が到着しなかつたり流下して対象物に必要量の薬剤を保持させることができないなどの欠点があつた」(一頁左欄一四行ないし一九行)、<3>「本発明方法は、現在一般に用いられている防除薬剤に泡立て剤や泡安定剤等に加えて必要に応じて空気を吹き込みつつ激しく攪拌して出来るだけ微細な気泡を多量に発生させ普通の噴霧器によつてスプレーする」(一頁右欄一五行ないし一九行)、<4>実施例1に関し「バルサンスミチオン10%乳剤………に後記の泡立て用組成液………を添加して空気を吹き込みながら激しく攪拌して泡立てた。これを通常の噴霧器により調理場の床、壁面に撒布し、床下部のゴキブリ発生源を防除のため通風口より充分に泡状物を吹き込む」(二頁左上欄一九行ないし右上欄五行)ことが記載されていることが認められる。(右記載における防除用薬剤、泡立て剤、泡安定剤が本願発明における「駆除剤」、「発泡剤」、「乳化剤」に相当するものであることは、審決の理由の要点3(一)摘示のとおり当事者間に争いがない。)。
(二) 前記(一)によれば、引用発明1は<2>に記載された従来技術の欠点を解決することを課題とするものである以上、明示的な記載がなくても床下部の死角にあるものに適用可能な方法であると認めて差支えなく、現に<4>に記載された床下部のゴキブリ発生源は死角にある場所ということができるし、<3>に記載されているように、多量の気泡を噴霧器により床下部にスプレーすれば、死角にある場所を含め床下部にまんべんなく右気泡が散布されることは明らかである(引用発明1が本願発明同様閉鎖された空間である床下部の害虫防除に関する技術を示していることは、前記のとおり当事者間に争いのないところである。)。
そして、前掲甲第四号証によれば、引用例1の特許請求の範囲には「建物、植木等の対象物に病害虫菌の防除用薬剤を長期間、多量保有させ、吸収率を高め、他への飛散を防ぐために、前記薬剤を泡状にして対象物表面に泡のまま厚い膜状に付着させることを特徴とする薬剤の撒布方法」と記載されており、この記載によれば、泡状化は、害虫駆除剤を長期間、多量に保持させて吸収効率を高め、他への飛散を防ぐために行われるものであることが認められるから、散布しようとする使用目的に応じ濃度、量など害虫駆除剤の作用が有効に機能するよう泡状態を適宜設定することは、当業者が当然に考慮する事項であるから、引用発明1においてもその泡状態の設定により散布された床下部に泡が充満される状態が生じていることは当然予測されるのであり、現に前記<4>の「床下部…………充分に泡状物を吹き込む」との記載は、床下部において泡が膨らんだ状態で充満している状態を示すものということができるのである。
(三) 原告は、引用例1の<4>の記載が床下部に泡状物が充満することを開示するものではないと主張する。たしかに、実施例1に関する<4>の記載のうち「……………攪拌して泡立て、これを通常の噴霧器により……………吹き込んだ」との部分を、床下部に充満するのに必要な量を泡状物を別途にまず容器内で作り、これを噴霧器で吹き込む趣旨の記載とみるならば、原告主張のように床下部に相当する容量の泡状物を収容できる大きな容器が必要となるごとく考えられないではない。しかし、そのように右記載を解することは原告も自ら主張するように非現実的であり、しかも非常に非効率的であり、常識に反することは明らかである。しかして、前掲甲第四号証によれば、引用例1には、「本発明方法は現在一般に使用されている防除薬剤に泡立て剤や泡安定剤等に加えて必要に応じて空気を吹き込みつつ激しく攪拌してできるだけ微細な気泡を多量に発生させ、普通の噴霧器によつて目的物にスプレーする………」(一頁右一五行ないし一九行)との前記記載のほか「実施例四 立木の消毒のため植木にポリエチレンの大きな袋を覆せ、スミチオンマラソン乳剤などの薬液を泡立ててスプレーし、三〇分後泡が消えてから袋を撤去する。従来の方法の欠点であるところの撒布時の薬剤飛散を防ぐことができ、かつ樹木への薬剤吸着量は泡立しない場合のスプレー法に比して三~五倍に増加した。」(三頁左上欄一〇ないし一七行)、「実施例五 芝生、樹木等の除草剤撒布に下記の泡立組成液により実施例1と同様に除草剤を添加して泡立てスプレーした。従来の方法と異なり微粒子の飛散による隣地への飛散がない。」(二頁右上欄二〇ないし三頁左下欄五行)との記載があり、これらの記載と成立に争いのない乙第一号証(昭和三九年一月二五日発行「改著農業機械学概論」)により認められる噴霧器の構造、機能を総合すれば、実施例4及び5においては従来法との対比において噴霧器により霧状物に代えて微細な泡状物を発生させて散布しているものと解されるのである。したがつて、実施例1も同じく引用発明1の実施例であることに鑑みれば、実施例1に関する<4>の記載も噴霧器により微細な気泡を発生させて噴霧することを示したものと解するのが相当であり、これが床下部の壁面等に衝突し、順次拡大し、床下部を充満させるものと認めることができる(微細な気泡が物体との衝突により拡大することは引用例2において、泡発生部材により発泡体が連続的に作られることからも窺い知ることができる。)。そうであれば、<4>の記載を根拠に引用例1が害虫駆除剤の泡状液が床下部を充満させることを開示していないとする原告の主張はその前提において失当である。
(四) したがつて、原告主張の取消事由(2)も理由がない。
3 取消事由(3)について
本願発明の課題が害虫駆除剤を泡沫化することにより施用部位における散布状態を長時間維持し、駆除剤の有効量を確実に作用せしめる点にあり、そのため特許請求の範囲記載に係る構成を採択し、引用発明1及び引用発明2も右同様の課題を有していることは既に述べたとおりである。そして、前記1及び2に検討したように右課題解決のため本願発明が採択した特許請求の範囲記載の構成も引用発明1及び引用発明2から容易に想到されるところであり格別の創意を認めることもできないから、その効果も右両発明から予測し得る範囲を出ないものというべきである。そうであれば、審決に原告主張のような効果の看過はなく、取消事由(3)も理由がない。
四 以上のとおり、原告の主張する取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき違法の点を認めることができないので、審決の違法を理由に取消しを求める本訴請求を失当として棄却する。
〔編注1〕本願発明の要旨は左のとおりである。
発泡剤、乳化剤及び駆除剤を含有する害虫駆除剤を高速高発泡させ、家屋の床下等の区切られた閉鎖空間内に充満させることを特徴とする害虫等の予防及び駆除方法(別紙図面(一)参照)。
〔編注2〕本件における図面は左のとおりである。
別紙図面 (一)
<省略>
別紙図面 (二)
<省略>
<省略>