東京高等裁判所 平成10年(う)2041号 判決 2001年12月13日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
一 本件控訴の趣意は、主任弁護人大西昭一郎、弁護人笠原慎一及び解任前の弁護人鈴江辰男共同作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官森川大司作成名義の答弁書(訂正書を含む。)記載のとおりであるから、これらを引用する。
二 控訴趣意中、法令適用の誤り等に関する主張について
1 論旨は、要するに、次のようなものである。
原判決は、罪となるべき事実として、オウム真理教(以下「教団」という。)の出家信徒で教団幹部であった被告人が、教団代表者であるA、教団幹部であるB、C、Dらと共謀の上、教団脱退等の意思を翻さない教団信徒のE(当時21歳)を殺害しようと企て、平成元年2月上旬ころ、静岡県富士宮市内の教団敷地に設置されたコンテナ内の独房において、同人の頸部にロープを巻いて絞め付け、更に、その頸部を手で強く捻るなどして頸髄及び脳幹部損傷による呼吸及び循環停止により同人を死亡させて殺害し(原判示第1の事実)(以下「E殺害事件」という。)、被告人が、A、B、C、D、F及びGと共謀の上、かねて教団を批判しこれと対立する活動をしていた弁護士H(当時33歳)、その妻I(当時29歳)及びその長男J(当時1歳)を殺害しようと企て、同年11月4日未明ころ、横浜市内のH方において、いずれも就寝中の、Hに対し、その頸部に腕を巻き付けて絞め付けるなどして同人を窒息死させて殺害し(同第2の1の事実)、Iに対し、その着衣の襟等を強く引いて絞め付けるなどして同人を窒息死させて殺害し(同2の事実)、Jに対し、その口を手で塞ぐなどして同人を窒息死させて殺害した(同3の事実)(以下「H一家殺害事件」という。)との事実を認定判示するとともに、何らの減軽もすることなく被告人を死刑に処している。しかしながら、
(一) 被告人は、Aからマインドコントロールを受け、同人の指示に従うことが真理の実践であり最高の修行であって、その命令であれば殺生も善行となり救済となるという教義を擦り込まれ、その価値基準を変容させられた結果、本件各犯行に及んだのであって、各犯行当時行為の統御能力を欠いていたか少なくともこれを狂わされていたというべきであるから、心神耗弱による刑の減軽に関する規定が適用されるべきである。
(二) 一方、教団においては、信者らは最終解脱者とされたAと一対一の関係で結ばれ、同人への帰依を競い合う状況にあり、その指示に逆らうときは無間地獄に堕ちて永遠に真理(救済)に巡り会えなくなるとされ、このことは真理を求める信者らにとって非常な恐怖となっておりひとりとしてAの指示に従うことを拒否する者はいなかったのである。このような異常な環境の中で被告人にのみAの指示と異なる行動を期待することは不可能であったか少なくとも著しく困難であったのであるから、期待可能性の減退を法律上の事由と解して刑を減軽すべきである。
(三) しかるに、原判決は被告人がAによって価値基準に変容を来されていたことを認定しながら、平成7年法律第91号による改正前の刑法(以下、単に「刑法」という。)39条2項を適用しないばかりか、期待可能性の減退による刑の減軽も行っていないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
2 そこで、原審記録を調査して検討すると、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の項において説示するところは正当として是認することができ、当審における事実取調べの結果を併せて検討しても、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはなくひいて法令適用の誤りはない。以下順次説明する。
(一) 本件各犯行は、原判決認定のとおり、その動機は教団という組織を防衛することにあるというものであって、その実現にはいわば邪魔者を抹殺するという方法をとろうというのであるから、犯行の動機において不合理性、不可解性といった面は見出すことができない。また各犯行に当たっては被告人を含む実行行為者が一堂に会しAを中心として謀議を遂げ、この謀議に従った方法等により殺害実行に及んでいるのである。そして、H一家殺害事件にあっては、当初の謀議によるH弁護士のみの殺害が困難とみるや、改めてAとの電話連絡により、その家族も殺害することの謀議を遂げているのであって、被告人を含む共犯者全員に犯行実現の徹底が図られている。もとより、被告人もこれらの謀議を通じて本件各犯行が自己が出家までして所属した教団という組織を防衛するためであるとの認識をもっていたと優に認められる。のみならず、本件各犯行直後から死体の処理等につき犯跡隠蔽のための周到な措置がとられ、被告人もその一翼を担っていたのである。なお、被告人が精神病等精神障害の状況になかったことは明らかである。このような本件各犯行の動機や前後の状況に照らすと、そこには責任能力を問題とするような異常性や他の適法行為を行うことの期待可能性がないなどとの状況は看取し難いと解される。所論中には、被告人に関しては本件各犯行が組織防衛のためであるとの意識はなかったとの主張があるが、被告人も加わった謀議においてAから例えばE殺害事件に関しては「Eは、Kの事件のことを知っているから、このまま抜けたんじゃ困る。」との発言やH一家殺害事件に関しては「被害者の会も大きくなる。H弁護士をこのまま放っておいたら大変なことになる。」との発言等がなされ、これらを踏まえて殺害を了としていることのみに徴しても、この主張は採用できないといわなければならない。
(二) 所論も本件各犯行自体から窺われる以上のような状況は大筋においてこれを否定するものとは解されないところ、これを前提としつつ法律上許されないことを承知しながら修行あるいは救済の名のもとに、敢えて殺人を犯すということが果たして了解可能といえるか等の点を指摘して前記のような主張を展開している。
しかしながら、被告人の教団への入信、修行、出家等に関する事情は原判決認定のとおりであって、被告人がAの「教義」を信じ、その指示に従うことは、自らの任意かつ主体的な判断によっていたものであり、この被告人の判断を阻害する事情は全くないことが明らかである。そして、被告人は、Aの「殺人も善行となり救済となる」などという独善的かつ反社会的な「教義」に基づく指示に従うことについても自己の修行の深化に役立つなどと自ら合理化していたことを自認していることからも明らかなとおり、これまた被告人が自らの判断でAの指示に応えていたと認めるのが相当である。
加えて、被告人は、Aから「大師」の肩書を授与され教団幹部の中枢の立場を得て、同人から教団にとって重要な事項について意見を求められることが度々あったこと、その間にあって被告人は教団の出版に関する営業責任者として活動し、信徒の指導等にも当たっていたこと、そして、被告人は、原判示K事件において在家信徒であるKが死亡した際、被告人にその責任を転嫁するようなAの言動に反発を覚え、死亡の事実を公表した方がよいとの意見を述べ、それが容れられずKの死体を護摩檀で焼却処理する際には大変なことをしているという思いで葛藤を覚えた旨、E殺害事件においてはその殺害に至る場面で、Eの心境等についてAと異なる見方を示し、これが受け容れられずにEを殺害することとなったときには驚きと恐怖で混乱した旨、H一家殺害事件においては同弁護士を殺害するという話に強い心の動揺を覚えた上、H宅付近でその妻子までをも殺害するというAの指示を伝え聞いて可哀想だと思い、最悪になったと口走り、一家3人を殺害することを思うと緊張感と怖さから鳥肌が立った旨それぞれ述懐していること、被告人はH一家殺害事件の約3か月後には教団から大金や預金通帳を無断で持ち出して脱退し、教団関係者に現金を奪回されるや、再三にわたりAに電話による直談判をして生活資金を要求しこの要求を呑ませていることなどが関係証拠により認められる。
確かに、所論も指摘し、原判決も説示するとおり、長期間にわたる特殊の環境下における修行等の過程で、Aの指示に従うことが真理の実践で、最高の修行であると説かれるなどして、一定程度価値基準の変容を受けたであろうことは、これを否定し難いと考えられるが、被告人も入信以来、Aの言動の不合理な点等を自覚し、疑念や反発を抱き、葛藤を覚えることも少なからずあったと述べていることからも窺われるとおり、被告人はこのような葛藤に抗して結果としてAの権威を高め、教団組織の拡大発展に他の教団幹部ともども寄与してきたと認めるのが相当である。
そして、前記認定の諸事情を併せ考慮すれば、被告人が修行等に努めAを信じて価値基準の変容を受けたとしても、人格それ自体が破壊されるというようなものではないと解される上、そのような変容も、被告人が自らの意思でかつ自ら望んだことによって生じたものというべきである。もとより、本件各犯行に当たって、被告人がAの命令に従わざるを得ないような物理的拘束を受けていたなどの切迫した事情になかったことも明らかである。
なお、所論は、原判決の被告人はH一家殺害事件から約3か月後に比較的あっさりとAに見切りを付けて脱会したとの説示は皮相の見解であるとし、原判決は被告人が脱会等に至るには深刻な心の動揺と葛藤がありその後もAへの信仰を相当期間捨て去ることができなかった点を看過しているとも論難するが、所論は道徳的悔悟、宗教的改心等に至る内面的変化の問題と犯罪行為の回避等の問題を同列にみているきらいがないではなく、この点において賛同することができない。被告人においては、Aに対する帰依や教団における修行等を自ら重要と判断した結果、本件各犯行に及び、所論指摘のような深刻な心的葛藤等の末とはいえ、その信仰等を捨てる決断ができたからこそ、H一家殺害事件の約3か月後教団を脱会したものと認められるのであって、いずれも被告人の主体的な判断、選択の結果であることは疑う余地がないというべきである。
(三) したがって、本件各犯行当時、被告人がAや教団から強度の心理的な拘束を受けて行動制御能力が著しく障害されていたから心神耗弱による刑の減軽を行うべきであり、また適法行為に出ることを期待することが困難な状況にあったから刑を減軽すべきであるとする各所論は採用することができない。
原判決には、所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはなくひいて法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。
三 控訴趣意中、量刑不当に関する主張について
1 論旨は、要するに、被告人を死刑に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であるというのである。
2 そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討することとする。
本件は、前記のとおり、教団幹部の地位にあった被告人が、A及び複数の教団幹部らと共謀の上、脱会しようとした出家信徒及び教団批判をしていた弁護士及びその家族2名を殺害したという合計4名に対する特異かつ凶悪な殺人事件である。以下、所論にかんがみ、まず自首減軽の要否について検討した後、各事件の情状を検討することとする。
(一) 自首減軽の要否
所論は、被告人には原判示各罪について自首が成立し、刑法42条1項を適用して自首減軽をすべきであるというのである。なお、検察官は答弁においてH一家殺害事件については自首の成立も認められない旨主張する。なるほど、捜査機関による平成7年4月5日から同月7日未明にかけての断続的な事情聴取の末同事件の申告に及んだ経緯等に照らせば、とりわけ自首の要件の一つである申告の「自発性」に欠けるとの見解も理解できないではないが、捜査機関として被告人を追及するすべがなく説得の域を出るものではなかったと認められるのであるから、なお「自発性」の要件に欠けるところはないとして被告人に自首を認めた原判決の認定が不当であるとは解されない。
ところで、被告人の自首が、H一家殺害事件の事案解明に大きく貢献したこと、E殺害事件については、闇に葬られていた状態の同事件の犯罪事実を明るみに出し、その解決に寄与したことは所論指摘のとおりである。
しかしながら、被告人が自首したのは、H一家殺害事件から実に5年5か月余り経た平成7年4月である上、その間、被告人は、平成2年2月に教団を脱会した後学習塾を開くなどして子供達を教えながら通常の生活を送る一方、原判決が認定するとおり、H弁護士らの家族、同僚弁護士等を中心としたH一家に対する救出等の活動が全国的に展開され、遺族らの悲痛な姿を報道等を通じて知っていたのである。被告人に自首の時点においては反省、悔悟の情が認められるとはいえ、このような長期間、しかも遺族らの悲痛な姿に関する報道に接しながら、自首に至らなかったとの事実は改悛による責任を減少させ若しくは被告人に対する非難を減少させるにほど遠い事情といわなければならない。のみならず、被告人は、平成2年9月捜査機関からH一家殺害事件に関して事情聴取を受けた際、Jの遺体遺棄場所を図示した匿名の投書の事実を認めながら、捜査攪乱目的の投書であるなどと欺き、同事件当日は独房修行中であったなどとアリバイを主張した。その後も、被告人は、1ないし3か月に1回程度、警察と電話等で連絡を取り合っていたが、同事件への関与については、自らはもちろん教団のそれも否定し続けていたものである。このような態度は、本件のような重大犯罪にかんがみると、強い非難に値するというべきである。所論は、自首を遅らせた原因として被告人に勇気がなかったこと、悪夢を思い起こしたくなかったこと、Aとの深刻な心理的な葛藤等の存在が背景に存したことなどを挙げて原判決の自首減軽をしない理由に関する説示を論難するが、前二者は自己保身や自分の気持ちの平穏を優先させるというに過ぎず、後者についても、前述のとおり、被告人が自ら望んで築いたAや教団との関係に由来するものであるから、これらは特段評価するに足りる事情とはいえない。
してみると、以上のような自首に至る経緯等に本件各犯行の罪質、態様を併せ考えると、事案解明への貢献という自首制度の政策的な側面を十分考慮しても、被告人に対し、自首減軽を行うのは相当でないと考えられる。したがって、所論は採用できず、自首減軽をしなかった原判決に誤りはない。
(二) 本件各犯行に関する情状
原判決が「量刑の理由」の項において認定説示するとおりであるが、特に以下の諸点が指摘できる。
(1) E殺害事件については、Kの死体焼却に関与したEが教団脱会を申し出たのに対し、独房に監禁され翻意を迫られても応じないばかりか、脱会を認めなければAを殺すなどと述べ続けたことから、EによるK事件の公表が教団の宗教法人化や組織拡大の障害となることを恐れ、その口封じのため殺害したのであって、その動機には酌量の余地は全くなく、教団の利益のためには信徒の生命すら顧慮しないという独善的かつ身勝手極まりない犯行といわざるを得ない。
犯行態様は、Aの命を受けた教団幹部数名が敢行した組織的なものであり、コンテナ内の独房で両手両足を縛られ抵抗できないEに対し、目隠しをし、ロープを首に掛け4人がかりでその両端を引き、その間に頭に手を掛け首を捻って殺害したのであって、卑劣、残忍かつ非情である。Eは解脱を求めて教団に出家したのに、その信じていた教団幹部らによって21歳の春秋に富む尊い生命を無惨にも奪われたのであって、犯行に際して受けたその苦痛や恐怖には絶大なものがあったと窺える。両親は音信不通となって以来その行方を探し、6年以上も経て遺骨すら手にすることができないままその死を知らされたのであって、手塩に掛けて育てた我が子の命をこのような理不尽な所業で奪われた遺族の衝撃は極めて大きい。にもかかわらず、慰藉の措置は全く講じられていない。両親の被害感情は峻烈である。
(2) H一家殺害事件は、教団批判の急先鋒であり、教団被害者の会の指導的立場にあったH弁護士の存在が、教団発展の大きな障害になるとし、その妻や1歳の幼児までをも道連れに殺害した事案であって、卑劣、残忍かつ法治国家の理念を踏みにじる理不尽極まりない犯行である。しかも、教団の活動を妨害している者は悪行を積んでいるからその殺害はその者の救済につながるなどという荒唐無稽で得手勝手極まる屁理屈を「教義」と称し、このような凶悪かつ理不尽な犯行の正当化に用いているのであって、法秩序に対する露骨な挑戦といわざるを得ない。
犯行は、首謀者であるAと被告人を含む複数の教団幹部らによる綿密な謀議に基づいた組織的かつ計画的なものである。また、殺害の態様に至っては、いずれも就寝中の3人に対し、馬乗りになり、顔面を殴打し、足を押さえ付け、頸部を絞め付け、手で口を塞ぎ、腹部を蹴り付け、無抵抗の幼児にさえも二人がかりでタオルや手で口を押さえ付けるなどして、いずれも窒息させ、3人の命を奪い去ったものであって、残虐というほかない。また、IによるJ助命の哀願を無視して幼な子の生命を奪い去った凶行には慄然とせざるを得ない。
H弁護士は、信徒やその親の権利救済のため弁護士として正当な活動を被害者の会の中で最も精力的に行っていたために教団の標的とされ妻子ともども惨殺されたのであって、極めて悲惨というほかない。いずれも前途のある3名の尊い生命が奪われた結果は誠に重大である。深夜自宅で就寝中に突然襲われ必死の抵抗や哀願もむなしく愛児と共に惨殺されたH弁護士やその妻の感じた恐怖や肉体的苦痛は推察に難くなく、誕生してわずか1年余の幼い命が奪われたことは殊の外哀れで、同人らの無念さは察するに余りある。そして、その存命を信じて救出活動を続けた挙げ句の果てに最悪の悲報に接した遺族の落胆や憤りの大きさは計り知れないものと推察される。しかるに、慰藉の措置は全く講じられていない。遺族は被告人に対し極刑をもって臨むことを求めている。
また、罪証隠滅工作は徹底されているところ、各遺体は長野県、新潟県及び富山県の山奥の地中に穴を掘って埋没され、5年数か月経ていずれも死蝋化するなど見るも無惨な状態で発見されるに至っている。
加えて、同事件は、弁護士一家が突然行方不明になった事件として報道機関等により大きく取り上げられ、遺族や同僚弁護士が中心となって、全国的に救出活動が展開されていたこともあって、その社会的影響にも甚大なものが窺える。
(3) 所論は、本件が組織犯罪として敢行されたものである以上、実行行為者の役割に比べ、首魁や犯罪の立案・計画をし若しくは統率をした者の責任がより重視されるべきであり、とりわけ教団におけるAの絶対優位性を十分考慮すべきであるとして原判決の量刑説示を論難している。
しかしながら、被告人は、既に認定説示したように、Aの権威を高め、その権威確立に寄与するとともに、違法なものを含めた教団の活動、その組織の拡大発展をも助長させてきたことが認められるのであり、教団の中にあって被告人の存在が軽く見られるべきであるなどとは到底いえない。しかも、本件各犯行を許されるものではないとの認識に立ちながら被害者を目の前にして敢えて自ら実行に踏み切った点において反規範性は顕著であって、被告人に対する非難の程度は首謀者に比してもさして劣るともいい難いと考えられる。所論には賛同することができない。そして、被告人は、E殺害事件では、その謀議の場に参加して殺害の指示を受け容れ、Eの頸部に掛けられたロープを引っ張るという殺害行為を分担している上、遺体を焼却するなどの罪証隠滅工作も行っており、H一家殺害事件では、その謀議に加わり、Aの指示を応諾し、H弁護士の頸部を右腕で絞め付けるという実行行為を分担したほか、犯行実現のための諸行動、すなわちH弁護士の住所の聞き出し、玄関ドアの施錠確認、犯行時刻の提案などを行い、犯行後も、3人の遺体の運搬、埋没の作業にも深く関わるなど、犯行の準備段階から事後の罪証隠滅工作まで終始関与し、重要な役割を果たしている。
(4) 被告人のために酌むべき事情をみると、前記のように被告人は自首し、捜査、公判を通じ、進んで本件各犯行について詳細に供述し、教団関係者の法廷における証言等も含め、教団の実情や関連する情報の供述を積極的に行って、本件各事案及び教団の実態等の解明に貢献し、真摯な反省の態度を示している。被告人は本件各犯行の謀議に加わってはいるものの、各犯行の発案や計画の立案を積極的に推進したというものではないこと、前記のように自らの意思によったとはいえ、被告人が教団における生活の中で一定程度価値基準の変容を受けたこと、被告人は生後間もなく養子に出され、養親の下で必ずしも十分な愛育を受けられない中で生育し、そのような生育歴が教団への入信やAを信じ込む遠因ともなっていること、教団に入信する以前は職を転々としながらも真面目な生活を送っており、前科もないこと、教団脱退後は学習塾で子供達を教えながら通常の生活を送ってきたことなどが認められる。
(三) 結論
本件各犯行の罪質、理不尽かつ反社会的な動機、犯行態様とりわけ残忍若しくは冷酷な殺害方法、幼児1名を含む4名の命を奪ったという結果の重大性、遺族らの峻烈な被害感情、社会的影響の大きさ、被告人の果たした役割、犯行後の情況など一切の事情を総合考慮すれば、前記の被告人のために酌むべき諸事情を最大限考慮しても、その罪責は誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないものと認められるのであって、このような罪責の重大性に徴し、被告人に対しては死刑をもって臨むほかないとの結論に達した原判決の量刑は、死刑がその適用において慎重であるべき究極の刑罰であることを考えても、やむを得ないものであって、これが重過ぎて不当であるとはいえない。
この点について所論は、本件のような社会的関心の高い組織犯罪においては、同じ教団によって起こされた他事件の被告人との量刑の均衡も重要であり、とりわけ、地下鉄サリン事件等の実行犯とされたLが無期懲役判決を受け確定していることを指摘し、原判決とLに対する判決を対比検討した上、Lを格段に超える悪性を有するとはいえない被告人を死刑に処することは、刑の均衡を欠くという。しかしながら、前説示のとおり、本件については自首減軽をするのは相当でないことなどの事情にかんがみれば、Lに対する量刑と対比することは相当でないというべきである。論旨は理由がない。
四 よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河辺義正 裁判官 廣瀬健二 裁判官 園原敏彦)