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東京高等裁判所 平成10年(う)245号 判決

被告人 エムディ・サイフザマン・コビル

〔抄 録〕

二 控訴趣意一(訴訟手続の法令違反の主張<1>)について

1 所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、検察官は、平成九年一〇月二三日の原審第二回公判期日において、カマル・ザマンことエムディ・ヌル・マハマッド・ムラ(以下「ムラ」という。)、ムクターことエムディ・ソレマン・アリ(以下「アリ」という。)及びエムディ・マスード(以下「マスード」という。)の検察官に対する各供述調書の不同意部分について、供述者がいずれも強制退去処分を受けているために公判準備又は公判期日において供述することができないとして、証拠調べ請求をした。これに対し、原裁判所は、同期日に、右各供述調書の不同意部分をいずれも刑訴法三二一条一項二号前段に該当する書面として、証拠として採用した上、原判決において、それらを原判示第一の事実を認定するための証拠に掲げている。しかしながら、アリが強制送還されたのは、右第二回公判期日の後の同月二九日であり、同期日の際には、同人は、未だに日本国内におり、公判準備又は公判期日において供述することができない状態にはなかった。すなわち、検察官は、アリが既に強制送還されたか否かについて、虚偽の主張をしたか、調査をしないで、証拠調べ請求をしたものである。したがって、同人の供述調書の不同意部分は、同号前段に該当する書面ではない。さらに、この点に照らすと、検察官は、ムラ及びマスードについても、同人らが既に強制送還されたか否かについて調査をしないで、証拠調べ請求をしたものと推定される。このような請求の仕方は、同号前段に反し違法というべきである。したがって、右各供述調書の不同意部分を証拠として採用した原審の訴訟手続には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるというのである。

2(一) 原審記録を調査して検討すると、次のような手続経過が認められる。すなわち、検察官は、平成九年一〇月二三日に行われた原審第二回公判期日において、ムラ(原審検察官請求証拠番号甲第一五号及び第一六号。以下、甲乙の番号は、原審検察官請求証拠番号を示し、弁の番号は、原審弁護人請求証拠番号を示す。)、アリ(甲第一八号)及びマスード(甲第二〇号)の検察官に対する各供述調書について、証拠調べの請求を行った。これに対し、被告人(原審弁護人)は、ムラの甲第一六号調書並びにアリの甲第一八号調書中及びマスードの甲第二〇号調書中の各一部については証拠とすることに同意したが、ムラの甲第一五号調書並びにアリの甲第一八号及びマスードの甲第二〇号各調書のその余の部分については証拠とすることに同意しないとの意見を述べた。そして、検察官が、ムラの甲第一五号調書並びにアリの甲第一八号調書中及びマスードの甲第二〇号調書中の各不同意部分について、供述者がいずれも強制退去処分を受けているために公判準備又は公判期日において供述することができないと主張し、刑訴法三二一条一項二号前段に該当する書面として、証拠調べ請求をした。これに対し、被告人(原審弁護人)が異議がないとの意見を述べ、原裁判所は、同期日に、甲第一六号調書並びに甲第一八号調書中及び甲第二〇号調書中の各同意部分については、これらをいわゆる同意書証として、甲第一五号調書並びに甲第一八号調書中及び甲第二〇号調書中の各不同意部分についても、検察官の右主張を認めて、これらをいずれも証拠として採用し、その取調べを終えた。ところが、同年一一月一三日に行われた原審第三回公判期日に至り、検察官から、右各供述者の国外退去の状況に関し、検察事務官作成の電話聴取書(甲第四三号)並びに法務省入国管理局警備課長作成の捜査関係事項回答書二通(甲第四四号及び第四五号)の取調べの請求があり、これらの資料によると、ムラ及びマスードはそれぞれ退去強制処分を受けて、ムラにおいては同年八月四日に、マスードにおいては同年九月一七日にいずれも自費出国により送還されていたが、アリについては、同人も退去強制処分を受けたものの、強制送還されたのは、同年一〇月二九日であったことが判明した。そして、同期日において、原審弁護人や被告人から、ムラの甲第一五号調書並びにアリの甲第一八号調書中及びマスードの甲第二〇号調書中の各不同意部分について、直ちには証拠から排除することなどを求める等の申立は行われなかったが、証拠調べに引き続いて行われた最終弁論の中で、原審弁護人は、ムラの甲第一五号調書及びアリの甲第一八号調書中の不同意部分については証拠能力がないという趣旨の主張をしている。

(二) この点、原判決は、「補足説明」の三の項で、弁護人が、被告人が原判示第一の事実の殺人未遂の嫌疑によって逮捕される以前から選任されていた私選弁護人であり、被告人が同事実によって起訴された後もムラらの証人尋問等の証拠保全の請求を行わず、右各不同意調書や不同意部分に係る検察官の証拠調べ請求に対して異議がないとの意見を述べ、さらに、アリの日本から出国した時期が判明した原審第三回公判期日にもアリの甲第一八号調書中の不同意部分の取調べについて何ら明確な異議を留めていないことなどに照らすと、検察官が、十分な調査をすることなく、右不同意部分を刑訴法三二一条一項二号前段該当書面として請求したのは明らかな手落ちといえるが、右各不同意調書や不同意部分につき、同号前段該当書面としての証拠能力は十分に肯認できると解するのが相当であるとの判断を示している。

3(一) そして、ムラの甲第一五号調書及びマスードの甲第二〇号調書中の不同意部分については、前記2(一)認定のとおり、検察官において、同号前段に該当する書面として証拠調べ請求をした原審第二回公判期日(同年一〇月二三日)には、すでに、ムラ及びマスードが日本国から自費出国により強制送還されて、その時点で日本国内に所在しておらず、公判準備又は公判期日において供述することができない状態となっていたのであるから、同号前段に定める形式的要件を備えていたことは肯認できる。もっとも、検察官が、ムラらの国外退去の事実を立証する資料を、証拠として採用された同期日ではなく、その次回である原審第三回公判期日(同年一一月一三日)に提出していることをみると、検察官が、ムラらを証人として喚問できなくなった事情につき、果たして事前に十分な調査をしていたのかどうかについては疑問があるといわざるを得ない。とはいえ、前記のとおり、原審第三回公判期日に取り調べた法務省入国管理局警備課長作成の捜査関係事項回答書二通(甲第四四号及び第四五号)その他関係各証拠によると、ムラが送還されたのは、被告人がムラに対する殺人未遂等の嫌疑で逮捕される以前の同年八月四日であり、また、被告人が原判示第一のムラに対する殺人未遂の事実で起訴されたのは同年九月一五日であるところ、マスードが送還されたのは、その翌々日の同月一七日であって、しかも、右両名の送還は自費出国という方法で行われていることに照らすと、検察官として、右両名の各送還前に、右両名の証人尋問を裁判官又は裁判所に求める時間的余裕などはなかったものと認められる。すなわち、検察官が、ムラの甲第一五号調書及びマスードの甲第二〇号調書中の不同意部分につき、ムラ及びマスードが国外にいることを理由に、同号前段に該当する書面として証拠調べ請求をしたことが、手続上公正さを欠くものということはできないのである。したがって、原裁判所が、原審第二回公判期日に、ムラの甲第一五号調書及びマスードの甲第二〇号調書中の不同意部分につき同号前段に該当する書面として証拠調べを行ったことは、結果的には違法なものではなく、原判決が「補足説明」の三の項で、これらの証拠能力につき判断を示しているところも、結論的に維持することができる。

(二) しかしながら、アリの甲第一八号調書中の不同意部分については、アリが強制送還されたのは、同年一〇月二九日であるから、同年一〇月二三日に行われた原審第二回公判期日に、これを同号前段に該当する書面として証拠調べを行った際には、同号前段の適用に当たっては、供述者が「国外にいるため」という要件を欠いていたのであり、右調書の不同意部分を証拠として取り調べたことが客観的に違法であったことは明らかである。しかも、右証拠調べは、検察官の、アリはすでに退去強制処分を受けて国外にいるという、事実と異なる主張に基づき行われたものであり、検察官が調査不十分のためにこのような主張をするに至ったものかどうかはともかく、結果的に違法な証拠調べを行ったことにつき、検察官に第一次的な責任があるということはいうまでもない。しかも、原裁判所としても、原審弁護人が、右調書の不同意部分につき同号前段に該当する書面として取り調べることに異議がないとの意見を述べているとはいえ、検察官に対し、アリが何時いかなる方法で国外へ退去するに至ったのか釈明を求め、あるいは疎明資料を提出させるなど、一定の調査を行っていればかかる誤った結果は生じなかったものということができる。その意味で、右調書の不同意部分に係る証拠調べに右のような瑕疵が生じたことについては、原裁判所にも手落ちがあるといわざるを得ない。加えて、公判準備又は公判期日でアリの証人尋問を行うことにつき、原審第二回公判期日からアリが現実に出国した一〇月二九日までの間に、少なくともその実現を目指して請求手続を進めることも可能であったと認められるのである。そうすると、右のような手続もとられないまま終わっていることに照らしても、本件瑕疵は重大なものであり、本件瑕疵のあることが判明した原審第三回公判期日には、アリがすでに強制退去処分を受けて、「国外にいるため」という同号前段所定の要件を充たす状態になっていたからといって、直ちに本件瑕疵が治癒したなどということは許されない。なお、原判決は、前記のように、原審弁護人が、原審第三回公判期日において、原審第二回公判期日にはアリが在日していたことが判明した後も何ら明確な異議を留めていないとして、右調書の不同意部分につき証拠能力を認め得る根拠の一つに掲げているが、原審弁護人は、証拠調べの行われている間には証拠排除の申立てなどは行わなかったものの、その直後に行った最終弁護の中では、ムラの甲第一五号調書及びアリの甲第一八号調書中の不同意部分については証拠能力がないという趣旨の主張をしているのであり、本件瑕疵に関し、被告人(原審弁護人)から責問権の放棄があったなどと認めることもできない。

以上のとおり、アリの甲第一八号調書中の不同意部分については、同号前段に定める要件を欠いていたのであるから、証拠能力がなく、これを証拠として採用して取調べを行ったことは違法というほかない。もっとも、後記五でみるとおり、原判示第一の事実を認定するに当たり、右調書中の不同意部分を証拠から除外しても、その判断にさほど大きな影響を及ぼすものとは考えられないのである。したがって、原判決には、右調書中の不同意部分の証拠調べにつき所論指摘のような訴訟手続の法令違反があるが、右違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかなものということはできない。

4 以上要するに、結論的に、原判決には、所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令の違反はないのである。論旨は、理由がない。

(松本時夫 中谷雄二郎 高橋徹)

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