東京高等裁判所 平成10年(ネ)1781号 判決 1999年6月08日
控訴人
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
岡垣宏和
同
原勝己
同
浅野晋
被控訴人
乙田花子こと乙本花子
右訴訟代理人弁護士
伊藤幹朗
同
芳野直子
同
杉本朗
同
上条貞夫
主文
一 原判決中控訴人に関する部分を次のとおり変更する。
二 被控訴人は控訴人に対し、六〇万円及びこれに対する平成六年一〇月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 控訴人のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、一、二審を通じて、控訴人に生じた費用の二分の一を控訴人の、控訴人に生じた費用の二分の一と被控訴人に生じた費用を被控訴人の、各負担とする。
五 この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は控訴人に対し、一〇〇万円及びこれに対する平成六年一〇月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
4 仮執行宣言
二 被控訴人
控訴棄却
第二 本件事案の概要は、原判決(平成一〇年四月二〇日付更正決定により更正後のもの)の事実及び理由の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、一審相原告丙川二郎及び同丁山月子関係部分を除く。なお、原審において一審相原告丙川二郎、同丁山月子の請求はいずれも棄却されたが、同人らは控訴せず、右請求棄却判決は確定している。なお、控訴人は、本件書簡による名誉毀損と本件教授会における発言(キス発言)による名誉毀損に基づく損害賠償として合計一〇〇万円を請求し、その内訳を明示していないが、右の趣旨は右各損害についてそれぞれ一〇〇万円を下らないものと主張し、ただその上限を画して合計一〇〇万円を請求するものであると解する。)。
第三 当裁判所の判断
一 本件書簡による名誉毀損について
1 被控訴人が控訴人に関する記載のある本件書簡を木下教育長宛てに送付したことは当事者間に争いがないところ、控訴人は、右書簡は原審裁判所の送付嘱託により神奈川県教育庁管理部総務室長から送付されたもの(<証拠略>はその写し)と同内容であると主張し、被控訴人は、右書簡の控えであるとして(証拠略)を提出し、右送付嘱託にかかるものとは一部内容が異なる旨主張する。右(証拠略)と(証拠略)とを対比すると、書簡の二枚目の「開学派」に関する記載部分(その要旨は「この問題が看過できないのは、このような無法が、これまでにいた他の女性教員に加えられていた無法と同様に、ある一派にとって邪魔な教員に対して加えられた系統的で執拗な攻撃である。これら無法の背景には丙川二郎教授と甲野太郎教授(控訴人)という二人の教授を中心とする「開学派」と呼ばれる派閥が学内を長年にわたって牛耳り、県民の財産である外語短大を私物化している実態がある。長年にわたり心ある教員は彼らの手によって辞職させられるか、呆れて自ら辞職している。私の不在中にも「開学派」による執拗で陰湿な女性蔑視、人権無視の攻撃が続いております。」というものであり、外語短大における「開学派」なる派閥の専横を指弾するものである。)が前者には存在するが後者には存在しないことがもっとも大きな相違であるところ、被控訴人は右送付嘱託にかかる文書は教育庁により改竄されたおそれがある旨供述(原審)するが、教育庁において右文章を挿入すべき理由は見いだしがたいし、教育庁において改竄したことを窺わせる証拠はなく(木下正雄は、平成九年三月九日付陳述書において、右陳述書作成のため教育庁総務室が保管している本件書簡を確認したが、同人が引き渡した当時の文書と同一も(ママ)のであった旨陳述記載している。)、むしろ、右記載部分は、これに続く「私としてはもはや堪忍袋の尾が切れた思いです。」との文章に違和感なく繋がるものということができる。なお、(証拠略)にも「開学派」に関する部分の記載部分がないが、(証拠略)は被控訴人が保管していた本件書簡の控えからその一部を抜粋したものにすぎない。そうすると、前記送付嘱託にかかる(証拠略)は教育庁により改竄されたおそれがある旨の被控訴人の前記供述はとうてい採用することができず、本件書簡の内容は(証拠略)のとおりであった(したがって、右書証は被控訴人により真正に作成された)と認めることができる。
2 被控訴人が本件書簡を木下教育庁(ママ)宛に送付した経緯と木下教育庁(ママ)の処置についての当裁判所の判断は次のとおり付加、訂正するほかは原判決書一〇頁七行目から一二頁三行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。
(一) 原判決書一〇頁九(ママ)行目の「(証拠略)」を「(証拠略)」と改め、同行目の「(証拠略)」の次に「控訴人本人(原審)、」を加え、同一一頁一行目の「右書類が」を「右書類の写しが」と改め、同二行目の「右関係者」の次に「(坂本助手)」を、同五行目の「右大学関係者」の次に「(教員と助手の二名)」をそれぞれ加える。
(二) 原判決書一一頁七行目の「従前と同じ回答であった。」を「、同人は、書簡問題については、三国助教授は事実関係を否認し、上原助教授は肯定し、矛盾するも物証なく追求困難、坂本助手は、書簡写しを前田講師室に持参したことを認めたので、書簡取り扱いに妥当を欠くので注意されたい旨学長より厳重注意した経過に相違ない旨の回答がされた。」と改め、同九行目から一〇行目の「木下教育長宅(ママ)宛」の次に「宛先を「木下正雄教育長殿」として」を加える。
(三) 原判決書一二頁三行目の次に、行を改めて以下のとおり加える。
「(三) 木下教育長は、平成五年八月二四日、控訴人、岡垣憲尚学長、丙川二郎教授、木村教授、髙崎教授を神奈川県教育委員会に呼び出し、教育委員会側の久保管理部長、総務室長立ち会いの下で、控訴人らに対して本件書簡記載の事実について、釈明を求め、真偽のほどの確認をした。控訴人らは、これに対して事実無根である旨の弁明をしたが、さらに控訴人は帰りがけに独り呼び止められて教育長室に行き、木下教育長から再度強く事実究明を受けた。」
3 本件書簡は、木下教育長殿と記載された本文二枚と「神奈川県外語短期大学における「開学派」による大学私物化、および人権侵害、女性差別一覧表」(以下「別紙一覧表」という。)と題する別紙一八枚からなるものであるが、本文及び控訴人に関する部分の概要は以下のとおりである(<証拠略>)。
(一) 本文は、教育庁宛に手紙を出すとどこかで留められて木下教育長に届かないおそれがあるので自宅宛てに発信したこと、自己紹介やドイツでの在外研究などについて述べた後「外語短大では、男女平等を推進する県の方針とは全く反する女性蔑視、人権無視の無法がまかりとおっている。私の在外研究が認められた際にも、無法な妨害工作があり、個人のプライバシーにかかわる重要書類の持ち出し及び女性蔑視の暴力団まがいの脅しなどが加えられた。この問題が看過できないのは、このような無法が、これまでにいた他の女性教員に加えられていた無法と同様に、ある一派にとって邪魔な教員に対して加えられた系統的で執拗な攻撃である。これら無法の背景には丙川二郎教授と甲野太郎教授(控訴人)という二人の教授を中心とする「開学派」と呼ばれる派閥が学内を長年にわたって牛耳り、県民の財産である外語短大を私物化している実態がある。長年にわたり心ある教員は彼らの手によって辞職させられるか、呆れて自ら辞職している。私の外語短大における三年という短い体験に徴しても、外語短大は真理の探求と伝達を目的とする学問の府ではなく、「開学派」の一部教員の私物と化している。投書等対策委員会の不正に対し、県として厳正な処分をお願いする。」旨が記載されている。
(二) 控訴人に関しては、別紙一覧表の「二 個別行為」において、「開学派」が総体として、どのように大学の私物化と邪魔になる教員に対しての人権無視、女性差別の無法を行ってきたかを見たが、ここでは「開学派」のそれぞれがその際にどのような役割を果たしてきたかをみるとして、まず控訴人は、「開学派」の表の中心人物であるが、用心深い性格から、繰り人形となった学長を動かしたりして、自分は目立たないようにしていることが多いとした上で、「控訴人の大学に対する哲学」と小括した項では「控訴人は飲み会を通じて被控訴人を自派に取り込もうとしたが、そのような飲み会での控訴人の生の発言として「職員は飲ませればいくらでも言うことを聞く。」、「事務局と仲良くすれば、大学から金はいくらでも引き出せる。」を挙げ、これが実行に移されたことを推測させるのは「開学派」がらみの大学財政をめぐる黒い噂が絶えないことである旨を記載し、次いで「セクハラと女性蔑視」と小括した項では以下のとおり記載しているほか、「謀議を進める飲み会中心の人物」、「学内情報漏洩の中心人物」との小括をもうけて、控訴人は飲み会に誘うことによって自派に取り込もうとしており、控訴人にとっては教授会の議論よりも飲み会の謀議の方が重要なのであり、控訴人は学内の重要情報を学外者に漏らしていることは明らかである旨記載されている。
「控訴人が女性蔑視の考え方の持ち主であることは、繰り返されるセクハラによって明らかだ。一例をあげると、平成三年四月の職員歓送迎会の場で、女子職員二人の乳房をむんずとつかんだ。見かねた被控訴人が注意すると、「こうすると女は喜ぶんだ。時々こうしないと女を忘れる」と暴言を吐いた。さらに「告訴されますよ。」と注意すると、「こちらからしてやる」と意味不明の暴言を続けた。被控訴人に対しても「キスさせろ」と強要した。その場にいた他の女子教員が「研究室で女子学生の太ももをなでているのを見ましたよ」と言ったのに対しても、ただ苦笑しただけだった。控訴人にとってセクハラが常態になっていることの例であろう。県立外語短大はほとんど百パーセントが女子学生である。そのような大学で教える資格が全くないことを証明するのが、控訴人の女性蔑視思想に基づくセクハラの数々である。」
なお、本件書簡の別紙一覧表では、「開学派」に属する者として、大学開学時のメンバーである丙川二郎教授及び控訴人を中心とするN教授、I助教授、丙川二郎教授の庇護の下にいるE助手と同教授の影響下にいる副主幹を指すとして、前記「二 個別の行為」の項で「県との歪んだパイプ役」、「無断の台湾旅行」、「重要文書による被控訴人の在外研究の中傷」、「図書館の私物化」等と題して記載しているものである(右のうち人物のアルファベット表記は教育庁において送付嘱託に応じて書類を送付する際に実名をアルファベット表記にしたものと推認される。<証拠略>)。
4 そこで、本件書簡による名誉毀損の成否について検討する。
(一) 被控訴人は、本件書簡は私信にすぎない旨主張するところ、なるほど本件書簡は木下教育長の自宅宛てに配達されたものではある。しかしながら、その宛名は「木下教育長殿」とされており、かつ、本来は勤務先に宛てて差し出されるべき性質のものであったことは本件書簡の本文の記載からも明らかであって、本件書簡は個人宛ての単なる私信ではなく、木下教育長に宛てた外語短大の運営のありよう等に関し、右書簡の内容について教育委員会あるいは教育長としての対処を求めているものであることはその内容からも読みとれるところであり、現に、本件書簡は木下教育長から教育庁総務室の担当者に引き渡され、また、控訴人は本件書簡に名前を挙げられた丙川二郎教授らと共に、教育委員会の管理部長ら立ち会いの下に本件書簡に記載の事実についての存否確認等を求められたものであることからすれば、本件書簡に公然性がないということはとうていできない。被控訴人の前記主張は、それが本件書簡には公然性がないから名誉毀損に該当しないあるいは違法性がないと主張するものであったとしても、採用することができない。
(二) 本件書簡には、控訴人が主張するような控訴人のセクハラの実態を調査して欲しいとの文言はないが(<証拠略>)、前記認定の控訴人のセクシャルハラスメント(以下「セクハラ」と略する。)に関する記載は、「職員歓送迎会の場で、女子職員二人の乳房をむんずとつかんだ」ことなどを具体的に明確に摘示し、控訴人においてはセクハラが常態になっていることを指摘するものであって(さらに、これは控訴人の女性蔑視思想に基づくもので、同人は本件外語短大で教える資格がないことを証明するものであると結論づけている。)、当時外語短大の教授の地位にあった控訴人の社会的評価を低下させるものであることは明らかである。
(三) 本件書簡の右控訴人のセクハラに関する記載のうち、「平成三年四月の職員歓送迎会において、女子職員二人の乳房をむんずと掴んだ。見かねた被控訴人が注意すると、「こうすると女は喜ぶんだ。時々こうしないと女を忘れる」と暴言を吐いた。さらに「告訴されますよ。」と注意すると、「こちらからしてやる」と意味不明の暴言を続けた。」との記載部分については、右言動自体が職場(ママ)歓送迎会における宴会の場であることを考慮しても極めて粗野で乱暴な言動であって、真実そのような言動がされたとすれば言語道断であるというべきであるが、真実そのようなあからさまな言動がなされたかについては、被控訴人の原審における本人尋問(第一回)においては、「控訴人から酒を飲みに行くよう誘われたとき、控訴人は酒を飲むと態度が変わり、女性の身体に触るような場面を見せつけられた。」「控訴人は、教職員の飲み会でもいつの間にか女性の方に寄ってきて、自分では止めて欲しいといえない女性職員や飲食店の女性に対して身体を触るなどをしていた。平成四年五月ころ行われた教職員の歓送迎会で、女性職員の席に控訴人がやってきて酌をさせ、なにくわぬ調子で女性職員の胸に触りました。胸を触られた女性職員は二名いるが、迷惑がかかるので名前はいえない。」旨供述し、陳述書(<証拠略>)においては、「平成三年春の教職員歓送迎会において宴会が進むにつれて、控訴人が女子職員の側に寄ってきて、側にいた女子職員の胸を触ったりするのを見せられました。このような女性蔑視的な行為を止めるよう注意したところ、反省するどころか「逆に訴えてやる」といっていた。控訴人はその言葉どおりに本訴を提起したものである。」旨記載しているにすぎず、原審において教育庁から本件書簡の写しが送付されて、これが(証拠略)として提出され、次いで被控訴人も同人が所持していた右書簡の控えを(証拠略)(一部は抜粋)として提出した後になって提出された被控訴人の陳述書(<証拠略>)においては「平成三年六月に教職員歓送迎会が行われ、宴会が進むにつれ控訴人が酔っぱらったらしく、女性職員のテーブルに近づいてきて、女性職員の間に座り込んだ。二人の女性職員から交互にお酌をしてもらっていたが、右側の女性職員に対し「若い人はいいね」と何気ない調子を装いながら右手で彼女の乳房を掴んだ。女子職員は「甲野先生たら」と言って手を振り払いましたが、控訴人はにやにやしていただけであった。そして左側の女性職員に杯をだしてつがせ、その女性にもさりげない調子を装って乳房を触った。私が、「そんなことをすると訴えられますよ。」というと、控訴人は、「逆にこっちから訴えてやる。」とうそぶいていた。」旨記載し、被控訴人本人尋問(原審第二回)においては「右陳述書の記載は現場で実際に受けたことを書いた。歓送迎会の出席者は、教員一八名、職員二〇名の外止(ママ)めた人を含めると四〇人を超えていた。本件書簡に記載されている「こうすると女は喜ぶんだ」との部分については、陳述書(<証拠略>)にその旨記載しなかったのは、既に述べていることであるから書かなかった」旨供述しているのであって、本件書簡の写しが証拠として提出される以前には被控訴人の供述(原審第一回)や陳述書(<証拠略>)の記載においても、「女子職員二人の乳房をむんずと掴んだ。控訴人が「こうすると女は喜ぶんだ。時々こうしないと女を忘れる」と暴言を吐いた」との供述や記載はないし、本件書簡写しの提出後における供述や陳述記載の内容も前記のとおり日時や態様において必ずしも一致しないのである。
これに対して、被(ママ)控訴人は、同人の本人尋問(原審)や陳述書(<証拠略>)において一貫して右言動を否認しているのであり、これと後記のとおり本件書簡記載の事実のうちの「その場にいた他の女子教員が「研究室で女子学生の太ももをなでているのをみましたよ」と言ったのに対しても苦笑しているだけであった」との事実を認めるに足りないこと並びに証拠(<証拠略>、原審における一審相原告丁山)に照らすと、前記被控訴人の各供述や陳述書の記載から本件書簡の前記記載内容が存在したことを認めるには足りず、他にはこれを認めるに足りる的確な証拠はない。
次に、本件書簡の「その場にいた他の女子教員が「研究室で女子学生の太ももをなでているのをみましたよ」と言ったのに対しても苦笑しているだけであった」との記載については、被控訴人は右他の女性職(ママ)員とは一審相原告丁山のことである旨供述(原審第二回)しているが、原審における一審相原告丁山の供述及び(証拠略)及び弁論の全趣旨に照らすと、被控訴人の右供述は信用しがたく、他には右事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
また、「(ママ)被控訴人に対して「キスさせろ」と強要したとの記載についても、被控訴人の供述(原審一、二回)や陳述書(<証拠略>)以外にこれを裏付ける的確な証拠はなく、以上検討してきたところと控訴人の供述(原審)に照らすと、被控訴人の右供述や陳述記載はたやすく信用することができないし、その他には右事実を認めるに足りる証拠はない(この記載にかかるやりとりは、四〇人ほどが参加した歓送迎会の宴会の席でのやりとりではあるが、控訴人と被控訴人との会話を内容とするものであって、被控訴人において客観的な証拠によって裏付けることに困難が伴うとしても、そのことはこれを否定する控訴人にもいえることである。)。
(四) 以上によれば、本件書簡において指摘する控訴人のセクハラの事実については、これを真実であると認めることはできない(なお、仮に、当事者間のやりとりである「キスさせろ」と強要したとの記載部分を除外したとしても、摘示事実の主要部分について真実性の証明がないことに変わりはない。)。
そこで、被控訴人において本件書簡の右記載事実についてこれを真実と信ずるについて相当の理由があったかどうかについてみるに、本件書簡のセクハラに関する記事の枢要部分を構成する「控訴人が女子職員二人の乳房をむんずと掴んだため、控訴人が注意すると「こうすると女は喜ぶんだ。時々こうしないと女を忘れる。」と暴言を吐いた。」との記載事実は、主として控訴人の被控訴人に対する言辞であるところ、右事実にかかる被控訴人の供述や陳述記載が信用しがたいことは前記のとおりであるし、前記丁山において被控訴人が「研究室で女子学生の太ももをなでているのをみましたよ」と誤解させるような言動をしたことを窺わしめる証拠はなく、他に被控訴人において右記載事実が存在すると信ずる相当の理由があったことを認めるに足りる証拠はない。
(五) 以上によれば、被控訴人は木下教育長宛に送付した本件書簡のセクハラに関する記事により控訴人の社会的評価を低下させ、名誉を毀損したものというべきであり、控訴人は外語短大の教授の地位にあったものであるところ、前記のとおり右記事の記載内容は控訴人がセクハラを常態とし教育者としての資格がないという趣旨のものであったこと、これにより控訴人は任命権者である教育長から第三者立会の上で右記事記載の事実について究明を受けたこと等の諸事情を総合勘案すると、被控訴人の右名誉毀損の不法行為によって控訴人が被った精神的損害に対する慰謝料としては五〇万円と認めるのが相当である。
二 教授会における発言による名誉毀損について
1 証拠(<証拠・人証略>、原審における控訴人)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、「大学浄化委員会設置の提案」と題する書面により、外語短大における無届けの非常勤問題の処分がテレビ、新聞等で首都圏一円に報道されたことを踏まえて大学浄化委員会の設置を提案し、平成六年二月二六日の教授会において、右提案は議題として討議され、被控訴人は、大学浄化委員会設置の目的は投書等対策委員会の報告を公正な立場から再調査し、真相を明らかにすることにより、大学の浄化を行うことである旨説明し、投書等対策委員会はその委員の構成からして不適当であったなどとして大学浄化委員会の設置の必要性を述べたが、結局被控訴人以外の賛成はなく被控訴人の右提案は教授会では採択されなかったこと、右討議のころ、控訴人は被控訴人の言動が信用できないものの例として、控訴人には身に覚えのないセクハラの事実があると被控訴人から指摘されたことを挙げて、セクハラの事実があるのなら具体的に述べるよう被控訴人に要求したのに対し、被控訴人は控訴人から「キスさせろよと言われた」旨発言し、右の発言に憤激した控訴人が「何時、どこでだ」と問い糾したところ、被控訴人は「今は手元に資料がないので答えられない」旨応答したことが認められる(しかし、被控訴人の応答後さらに具体的な特定がなされたり、これを求めて追及がなされたことを認めるに足りる証拠はない。)。なお、控訴人は原審における本人尋問において、平成六年一月一九日の教授会でセクハラについての発言がされたのかとの問いに対し、被控訴人が「キスを強要した」旨の発言(以下「キス発言」という。)をした旨供述し、教授会での発言の日について「原告代理人の質問では平成六年六月(一月の誤りと思われる)一九日ということでしたが、訴状には一月二六日と記載されており、どちらが正しいのですか」との被告(被控訴人)代理人の尋問に対して、「今は資料がないので日にちはわかりません」と答えている。また、神奈川県教育委員会は、前記の分限免職処分に対する不服審査のなかで、当初右発言のなされた教授会は平成六年一月一九日であると主張し、その後右教授会の日を同月二六日と訂正している(<証拠略>)。しかし、右両教授会は一週間の違いで開催されているのであって、控訴人の右供述に日時の点で正確さを欠くところがあったとしても、教授会において、控訴人のセクハラ行為の例として、被控訴人がキス発言をしたということについては一貫しており、右日時の不正確故にその供述の信用性が失われるものではない。さらに、(証拠略)(被控訴人提出の平成六年一月二六日教授会の会議の録音テープの反訳書)には、右キス発言は見当たらないが、そうであるからといって教授会の一部始終が全部右録音テープに録音されているものと認めるべき証拠もないので、右に掲記した各証拠(<証拠略>を除く)に照らして、右の発言が右録音テープに録音されていないからといって右の認定を左右するには足らないし、原審における被控訴人の供述(原審第一回)中右認定に反する部分も採用することができず、他には右の認定を動かすに足りる証拠はない。
2 右認定の事実によれば、右のキス発言は、控訴人によるセクハラ行為があったことの例示として発言されたものであることは明らかであって、控訴人の社会的評価を低下させるものであるといわなければならない。
なお、被控訴人の右発言に相当する控訴人のセクハラの事実については、これが真実であるとか、被控訴人においてこれが真実であると信ずるについて相当の理由があったことについては主張立証がなく、仮に右セクハラの事実が前記平成三年六月のことをいうものとすれば、これが真実であるとか、真実であると信ずべき相当の理由があったことを認めることができないことは、前記のとおりである。
そうすると、被控訴人は右キス発言により控訴人の社会的評価を低下させ、その名誉を毀損したものというべきであるが、控訴人が前記のとおり外語短大の教授の地位にあるものであることや右発言が教授会の席でなされたものであることのほか、被控訴人の右発言は、前記認定のとおりいわば口論のような多少感情的なやりとりになったなかで、控訴人に追及され、具体的な行為の特定を求められたのに対する応答の形でなされたものであり、結局被控訴人が手元に資料がないので答えられない旨回答し、それ以上の具体的な摘示も追及もされることなく終わったものであること等の諸事情を勘案すれば、被控訴人の右名誉毀損の不法行為によって控訴人が被った精神的損害に対する慰謝料としては一〇万円と認めるのが相当である。
三 以上検討してきたところによれば、控訴人の被控訴人に対する本件請求は、被控訴人に対し六〇万円及びこれに対する本件不法行為の日の後であることが明らかな本件訴状送達の日の翌日である平成六年一〇月二三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるというべきであるから、これと一部結論を異にする原判決を主文のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条、六四条、六一条を、仮執行宣言につき同法三一〇条を適用して、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結日・平成一一年二月四日)
(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 宗宮英俊 裁判官長秀之は、填補のため署名押印できない。裁判長裁判官 小川英明)