東京高等裁判所 平成10年(ネ)4850号 判決 1999年12月02日
控訴人
鳴瀬壽一
同
鳴瀬喜布江
右両名訴訟代理人弁護士
松江康司
被控訴人
小出光子
同
小出豊
右両名訴訟代理人弁護士
麦田浩一郎
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人らは、控訴人らから金一〇〇〇万円の支払を受けるのと引換えに、控訴人らに対し、原判決別紙物件目録二記載の建物を収去して同目録一記載の土地を明け渡せ。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らは、控訴人らから裁判所が相当と定める金額の支払を受けるのと引換えに、控訴人らに対し、原判決別紙物件目録二記載の建物を収去して同目録一記載の土地を明け渡せ。
二 被控訴人ら
控訴棄却
第二 事案の概要
一 本件は、被控訴人らに建物所有目的で原判決別紙物件目録一記載の土地(本件土地)を賃貸していた控訴人らが、自己使用の必要があるとして賃貸借契約の更新に異議を述べ、賃貸借契約は終了したと主張して、被控訴人らに対し、本件土地の所有権に基づき、本件土地上の原判決別紙物件目録二記載の建物(本件建物)の収去、本件土地の明渡しを求めた事案である。原判決は、控訴人らの異議には正当事由がないとして控訴人らの請求を棄却したので、これに対して控訴人らが不服を申し立てたものである。
控訴人らは、当審において、裁判所が相当と定める金額の立退料を支払うのと引換えに建物収去土地明渡しを求める旨請求を変更した。
二 右のほかの事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人らの当審における主張)
1 原判決は、本件土地を使用する必要性について、被控訴人小出豊(被控訴人豊)の公認会計士としての業務の必要性を加味して判断したが、これは判断の仕方を誤ったものである。
正当事由の有無を判断するに当たって、賃貸人と賃借人の必要性を比較衡量する際には、生活の基盤としての居住の必要性を中心に考えるべきである。そうすると、控訴人らは、家族構成からして現住居では部屋数及び広さが不十分である一方、被控訴人らは、それぞれ自宅を有し居住スペースは十分である。したがって、被控訴人らには明らかに必要性がない。
なお、控訴人らは、東京湾における船の仕事をしている関係上、現住所から離れた場所に転居することはできないものである。
2 被控訴人豊の計算センターは本件土地でなくてもどこででもできる。被控訴人豊は、他に事務所を借りるよりも本件土地を借りる方が異常に賃料が安いため、本件土地上の本件建物を使用しているだけである。
また、被控訴人豊の計算センターは、控訴人らが調停を申し立てた後に急遽作ったものである。その使用状態をみても、土日以外のウィークデーでも半分の日にち程度しか使用されていない。
3 控訴人らは、正当事由の補完として、被控訴人らに対し、裁判所が相当と定める金額の立退料を提供する用意がある。
(被控訴人らの当審における主張)
1 賃借人の土地使用の必要性は、居住の必要性に限定されるものではなく、事業上、営業上の必要性からも判断されるべきである。
被控訴人豊は公認会計士を個人で開業しているが、この場合、その業務は税理士業務が主体となり、コンサルタント業務のほかに計算代行業務を行うことが不可欠である。そして、そのためには、計算センターを設けることが必要であり、かつ、その経費は極力圧縮しなければ、経営が成り立っていかない状況にある。
仮に、本件建物の計算センターを他に移転するとすれば、本件建物と同等の広さの事務室を賃借するため一か月三〇万円の家賃・共益費を要することになり、本件建物に投下した約四五〇万円の資金が無駄になり、移転の際の敷金や移転先の内装費等を新たに負担する必要が生じるが、経営上、このような負担は不可能である。
2 控訴人らが居住する建物の隣接地には、控訴人鳴瀬喜布江(控訴人喜布江)の父親が代表取締役を務め、控訴人鳴瀬壽一(控訴人壽一)が取締役を務める株式会社縄定(縄定)が所有する二階建建物(床面積各115.70平方メートル、浜喜荘)があり、縄定の従業員三名が居住しているにすぎない。
控訴人らの居住環境が悪いのであれば、控訴人らは浜喜荘を利用することが可能であるが、これが利用されていないことは、控訴人らの居住環境が悪くないことを意味するものである。
3 本件土地の賃貸借に関しては、昭和五二年の更新時には小出かなが本件建物一階に居住しており、二一二万円もの更新料が支払われたという事情がある。控訴人らは、これらの事情を知りながら、本件土地の明渡しを期待して本件土地を取得し、即時の明渡しが困難であることがわかると、七〇〇〇円から一〇万円への賃料増額を通告し、現在に至っている。
また、控訴人らは、調停時においては三三二七万円の立退料を支払うと提案しながら、その後これを三〇〇〇万円に減額し、さらにこれも支払えないとして調停の申立てを取り下げた。本訴においては、当初、立退料の支払もなしに明渡しを求めていたものであり、当審において、立退料の支払と引換えの明渡しを求めたとしても、立退料支払の申出を意図的に遅らせた信義に反する事情があるから、立退料の提供は考慮されるべきではない。
4 仮に立退料の金額を検討するとすれば、本件土地の時価は一平方メートル当たり少なくとも一八〇万円であるから、借地権価格は六六六四万一四〇〇円となる。これに、本件建物の改装費用を加算すると、合計七一一七万九二〇九円となり、立退料としては右金額が相当である。
第三 当裁判所の判断
一 当裁判所は、控訴人らの当審において変更された請求は、一〇〇〇万円の支払と引換えに本件建物収去本件土地明渡しを求める限度で理由があるものと判断する。その理由は、次のとおりである。
1 控訴人らと被控訴人ら双方の本件土地使用の必要性について
(一) 原判決挙示の証拠のほか甲一〇、乙一六の一ないし三及び弁論の全趣旨によれば、原判決の事実及び理由の第三判断の一項記載の事実のほか、次の事実を認定することができる。
(1) 控訴人らには、昭和五〇年生まれ(男)、昭和五二年生まれ(女)、昭和五五年生まれ(女)、昭和五七年生まれ(女)、昭和六〇年生まれ(男)の五人の子供がある。
(2) 控訴人喜布江の父親は、「縄定」の名称で釣り船、屋形船を出す船宿を経営している。同人が代表取締役を務める株式会社縄定は、港湾の土木・浚渫工事等を行っている。控訴人壽一は、縄定の取締役として港湾の工事に従事し、控訴人らの長男も、船宿と港湾の工事の双方の仕事に従事している。
(3) これらの仕事では、船の管理が重要であるため、控訴人らは、結婚以来、東京湾に注ぐ川沿いにある控訴人喜布江の父親の建物(本件土地の隣接地の建物)に居住してきた。
(4) 控訴人らは、本件土地を購入後、本件建物の一階に居住していた小出かなが死亡したため、当時の賃借人の小出敏夫に対し、本件建物の一階部分を賃借できないかと持ちかけたが断られた。
(5) 被控訴人らが供託している本件土地の賃料は、平成一〇年時点では、一か月三万五〇〇〇円であった。なお、被控訴人らが株式会社イシイに本件建物の二階を賃貸していたとき、その賃料は、平成六年一月時点で一か月一七万六三六〇円であった。
(二) (一)で認定した事実によれば、控訴人らが本件土地の賃貸借契約の更新に異議を述べた平成九年一〇月当時、控訴人らの家族七人は、控訴人喜布江の父親が所有する店舗兼居宅に控訴人喜布江の両親とともに居住しており、右居宅には、三畳間一室、六畳間三室及び八畳間二室の居室があることが認められるものの、控訴人らの子供の年齢からすれば、右の住居では、部屋数及び広さが家族数に比して十分でない面があるといわざるをえない。しかも、控訴人壽一及び控訴人らの長男が従事している仕事の関係上、控訴人らは、現住居に近い場所に居宅を構えることが必要であったということができる。
被控訴人らは、控訴人らが居住する建物の隣接地には、縄定が所有する浜喜荘という二階建建物があり、縄定の従業員三名が居住しているにすぎないのであるから、居住環境が悪いのであればこれを利用すれば足りる旨主張する。しかし、縄定が、控訴人喜布江の父親が代表取締役を務め、控訴人壽一が取締役を務める会社であったとしても、縄定は控訴人らとは別個の法人であるから、縄定が所有する建物を控訴人ら自身が所有する不動産と同視することはできない。被控訴人らの主張するところは、他に借りることができる建物がある以上は、自己の所有する不動産であってもこれを使用する必要性は認められないというに等しい。したがって、被控訴人らの右主張は採用することができない。
また、先に認定した事実によれば、本件土地は都市計画上道路予定地とされている。しかし、証拠(乙三、原審における控訴人喜布江本人)及び弁論の全趣旨によれば、都市計画事業の具体的な予定は決まっておらず、事業開始時期はいつとも不明であることが認められる。したがって、本件土地が都市計画上道路予定地とされていることのみから、本件土地に居宅を建築することが現実的でないということはできない。
右によれば、控訴人らが、本件土地上に居宅を建築するため、本件土地を使用する必要性が十分認められる。
(三) 一方、(一)で認定した事実によれば、被控訴人豊は、本件建物の二階を賃借していた株式会社イシイが営業を停止し、賃料も支払わなくなったことから、平成六年に約一〇〇万円の費用をかけてその占有を排除し、平成八年には、約四五〇万円の費用をかけて本件建物を被控訴人豊が経営する公認会計士事務所の計算センターとし、同年六月ころから、その使用を行っていること、もっとも、小出かなが死亡した昭和五七年四月以降は、本件建物の一階は荷物置場として使用されていたにとどまることが認められる。
したがって、平成九年一〇月時点では、被控訴人豊が本件建物を計算センターとして使用するため、その敷地である本件土地を使用する必要性を認めることができるが、昭和五七年四月から平成八年六月ころまでは、被控訴人らが本件建物を直接的に使用する必要性はなかったといわざるをえない。
また、被控訴人らは、被控訴人豊が本件建物を計算センターとして使用する必要がある理由について主張するが、右理由は、本件土地の賃料が他に事務所を借りたときの賃料より低廉であること及び計算センターの移転には費用がかかることをいうにすぎない。
(四) なお、被控訴人らは、賃貸借契約の昭和五二年の更新時の事情を述べるが、平成九年の更新時においては、右時点の賃貸人と賃借人の必要性を比較衡量して正当事由の有無を判断すべきことはいうまでもない。
さらに、控訴人らが本件土地の明渡しを期待して本件土地を購入したとしても、控訴人らは、本件土地の明渡しのみではなく、本件建物の一階部分を借りることなども申し入れ、小出敏夫からこれらの申入れが断られた後は明渡しを求めることはなく、平成六年に本件建物を恒常的に使用する者がいなくなってから、更新時の明渡しを求めて調停を申し立て、購入から約一五年が経った後の賃貸借契約の更新時に異議を述べたものである。したがって、控訴人らが本件土地の明渡しを期待して本件土地を購入したことが、控訴人らの異議を述べた時点の本件土地使用の必要性を減殺するものではない。
(五) 以上のとおり、平成九年一〇月時点においては、控訴人らにも被控訴人らにも本件土地を使用する必要性が認められる。しかし、いずれかが他方より明らかに大きいとまでいうことはできない。
2 控訴人らによる立退料の提供について
当審において、控訴人らは、正当事由の補完として、被控訴人らに対し、裁判所が相当と定める金額の立退料を提供する用意があることを申し出ている。
被控訴人らは、平成六年一二月の控訴人らによる調停申立て以降の経過から、控訴人らが当審において立退料の提供を申し出たとしても、これは、立退料支払の申出を意図的に遅らせたものであるから、考慮されるべきではない旨主張する。しかし、弁論の全趣旨によれば、本訴の原審における和解においても、控訴人らが立退料の提供を申し出ていたことが認められ、当審においても、和解の席上、控訴人らは終始立退料の提供を申し出ていたものである。したがって、控訴人らが立退料支払の申出を意図的に遅らせたということはできず、被控訴人らの右主張は採用することができない。
そこで、立退料の金額について検討する。
すでに認定したように(原判決の事実及び理由の第三判断一の1)、本件土地の賃貸借期間は、平成九年一〇月時点で五〇年に及び、本件建物も右時点では建築後四五年に達する建物であった。そうすると、本件建物に投下された建築資金の回収はすでに終了しているものと認められる。賃借人が投下した建築資金の未回収分を、正当事由の補完として、補填する必要性は認められない。
次に、被控訴人らは、立退料として本件土地の借地権価格を主張する。しかし、本件賃貸借の設定に当たって、権利金が授受された事実は認められない。また、更新時に支払われた更新料の額(昭和五二年に二一〇万円)からみて、その後も権利の対価が支払われた事実は認められない(右更新料は賃料の一時払金と認められる。)。したがって、本件の場合には、賃貸借の終了に当たり、すでに支払われている権利設定の対価について、これを清算する趣旨で、賃借人に金員を交付する必要性を認めることができない。そして、本件では、賃貸借を終了させるに当たり、契約当事者の土地利用の必要性の較差を解消する趣旨で、正当事由の補完を行うのである。本件では、それ以外に賃貸人が賃借人に金員を交付すべき特別な事由を認めることはできない。したがって、本件土地の借地権価格なるものが仮にあるとしても、それは、本件における立退料算定の基礎とすることはできない。
そして、1・(三)でみたとおり、被控訴人らが本件土地を使用する必要があるとする理由は、本件土地の賃料が他に事務所を借りたときの賃料より低廉であること及び計算センターの移転には費用がかかることに帰する。また、被控訴人豊は、本件建物を計算センターにするため約四五〇万円をかけているが、証拠(乙一三の一、一七の一ないし六、原審における被控訴人豊本人)によれば、コンピュータを置き計算センターとして使用している二階部分の改装費は一二四万一八〇九円であったこと、計算センターを置く場所は、被控訴人豊の公認会計士事務所とオンラインでつながっていれば、どこでも構わないことが認められる。そうすると、被控訴人らが計算センターとして他の場所を賃借する場合の賃料と現在の本件土地の賃料の差額の一定期間分と本件建物に投じた改装費を補填すれば、被控訴人らの本件土地使用の必要性の大部分は、満たされるものというべきである。
以上の観点から立退料を算定すると、一〇〇〇万円を上まわることはないものと認められる(賃料差額を一か月一〇万円年間一二〇万円として、五年間補填するとして、六〇〇万円。これに本件建物の二階の改装費一二四万円余を全額加えても、七二四万円である。)。そして、他に移転のために費用を要することがあるとしても、そのすべての負担を賃貸人に求め得るとするのは、相当とはいえない。
そして、控訴人らが本件土地を取得した昭和五七年以降は、被控訴人ら自身が本件建物を使用していた期間より本件建物を賃貸し賃料を得ていただけの期間の方が長いこと(被控訴人らは、本件建物にほとんど居住したことはないから、家財道具置場といっても、小出幸吉又はかなの家財道具が置かれていただけではないかと推測される。)など、本件のすべての事情を考慮に入れると、控訴人らが支払うべき立退料は、右の一〇〇〇万円をもって相当と認める。
二 したがって、控訴人らの請求を棄却した原判決は失当であるから、これを取り消し、控訴人らの当審における変更後の請求を、一〇〇〇万円の支払と引換えに建物収去土地明渡しを求める限度で認容することとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官淺生重機 裁判官菊池洋一 裁判官江口とし子)