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東京高等裁判所 平成10年(行ケ)128号 判決 2000年3月15日

原告

アメリカ合衆国

代表者

訴訟代理人弁理士

被告

特許庁長官E

指定代理人

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成6年審判第19804号事件について、平成9年11月5日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文1、2項と同旨

第2当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、1984年9月19日にアメリカ合衆国でした国際特許出願(PCT/US85/01769)に基づく優先権を主張して、昭和60年9月18日、名称を「精製し3回クローニングした肝炎A型ウイルス」とする発明(以下「本願特許発明」という。)につき、特許出願(特願昭60-504247号)をしたが、平成6年7月27日に拒絶査定を受けたので、同年11月28日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を、平成6年審判第19804号事件として審理した上、平成9年11月5日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、平成10年1月10日、原告に送達された。

2  本願特許発明の特許請求の範囲請求項1に記載された発明(以下「本願発明」という。)の要旨

3回クローニングした肝炎A型ウイルスHM-175株である均一ウイルス組成物からなる肝炎A型の弱毒化生ウイルスをヒトを除く哺乳動物に投与することにより、ヒトを除く哺乳動物に感染防御抗体反応を起こさせる方法。

3  審決の理由

審決は、別紙審決書写し記載のとおり、本願発明が、「INFECTION AND IMMUNITY,Vol.32,No1(1981)p.388~393」(甲第3号証、以下「引用例1」という。)及び「PROCEEDINGSOF THE SOCIETY FOREXPERIMENTAL BIOLOGY AND MEDICINE,Vol.172(1983)p.357~358」(甲第4号証、以下「引用例2」という。)に記載された発明(以下「引用例発明1」及び「引用例発明2」という。)に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした。

第3原告主張の取消事由の要点

審決の理由中、本願発明の要旨の認定、引用例1(審決書3頁3~4行を除く。)及び2の記載事項の認定、本願発明と引用例発明1及び2との対比の一部(同4頁3~10行、4頁17行~5頁2行、5頁11行~6頁3行)は、いずれも認める。

審決は、本願発明と引用例発明1及び2との対比判断に当たり、引用例発明1に開示された技術内容の認定を誤った結果、本願発明との一致点の認定を誤る(取消事由1)とともに、進歩性の判断を誤り(取消事由2)、本願発明の有する顕著な作用効果を看過した(取消事由3)ものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  取消事由1(一致点の誤認)

1 審決が、引用例発明1について、継代培養された肝炎A型ウイルス(HAV)HM-175株が「マーモセットやチンパンジーへの感染実験がなされ」(審決書3頁3~4行)と認定したこと、「同引用例では、その継代培養によるウイルス株をチンパンジーなどへ感染関連の抗原評価実験に用いられ」と認定したこと(同4頁10~12行)は、いずれも誤りである。

確かに、引用例1には、抗原性を評価する実験として、免疫蛍光(IF)分析に関する記載が存在し、免疫蛍光分析の使用により、アフリカミドリザル腎臓(AGMK)細胞中で継代培養されたHM-175株が、その細胞中で実際に成長する事実が判明された旨が開示されている。

しかし、引用例発明1には、継代培養されたHM-175株の、チンパンジーやマーモセットなどの動物への感染実験に関する記載はもとより、「継代培養によるウイルス株のチンパンジーなどへの感染関連の抗原評価実験」に関する記載は、何ら含まれていない。

しかも、引用例発明1の抗原性評価実験(免疫蛍光分析)では、HM-175株を含め3種の野生型HAV株が採用され、この野生型株で感染されたチンパンジーより得られた高度免疫血清を、何回か継代培養するとともに、各継代レベルでの抗原性が測定されているだけである。この引用例発明1のHAV株の抗原性評価実験は、生ワクチンの開発過程でなされるような、チンパンジーなどの動物への感染及び感染実験に関連するものではないのである。

すなわち、ウイルスが生ワクチンとしての効能を有するか否かを確かめるためには、該ウイルスの動物への感染実験が不可欠とされるが、ウイルスが適する生ワクチン候補株であるためには、該ウイルスは、動物感染実験において、感染力、免疫原性及び弱毒化を有するものでなければならない。しかし、引用例発明1のインビトロ抗原性評価実験は、以下のとおり、この3つのインビボ(生体内)性質(感染力、免疫原性及び弱毒化)に関連するものでなく、ウイルスの生ワクチンとしての有効性を確認する間接的な実験に相当するものとはいえない。

A  感染力

ウイルスがインビボで感染力を有するためには、個々のウイルスタンパク質が感染性ウイルス粒子の中に適切に組み入れられることが必要とされる。これに対し、引用例発明1の免疫蛍光(IF)分析は、HAV抗原表現、すなわち抗体のウイルスタンパク質との反応性を測定するものであって、必ずしも感染性ウイルス粒子との反応性を測定するものではない。

したがって、当業者といえども、インビトロの抗原性分析における継代培養されたHAVの使用の事実より、その継代培養HAVがインビボで感染力を具えているか否かを予測することができるものではない。

B  免疫原性

抗原性とは、引用例発明1の免疫蛍光分析で測定されるように、ウイルス(抗原)が特定の抗体と反応若しくは結合する能力をいう。他方、免疫原性とは、ウイルスが投与された動物における抗体の生成のように、免疫応答を刺激するウイルス(抗原)の能力をいう。したがって、両者は異なる性質のものであり、ウイルスの免疫原性を評価するためには、該ウイルスで接種された動物が必ず必要とされる。

また、ウイルスが動物に投与されたとき、抗体を単に生成させるだけでは、不十分であり、有効なワクチン候補株のウイルスにあっては、中和するエピト-プに対して反応性のある抗体の生成を刺激することができなければならない。例えば、HAVの個々の構造タンパク質は、該タンパク質が注入された動物において抗体を生成させることはできるが、中和する抗体を生成させることはできない。

したがって、引用例発明1に開示された抗原性評価実験は、継代培養されたHAVの免疫原性についての間接的な実験に相当するものではない。

C  弱毒化

ウイルスは、抗体と容易に反応して疾病をひき起こす。

つまり、総ての野生型ウイルスは、抗原性があって弱毒化されていないので、抗原性と弱毒化との間には、何ら関連がないことは明白である。したがって、引用例発明1の抗原性評価実験は、インビボでの弱毒化の有無に関連しないものである。

2  審決が、引用例1について、「ウイルス株がワクチン候補株として有用であるかもしれない旨の記載がなされ」(審決書4頁12~14行)と認定していることは認めるが、「臨床実験前の動物実験段階の弱毒化ウイルス株として有用であるとする可能性を示唆している」(同4頁14~16行)と認定したことは誤りである。

すなわち、一般にワクチンには、不活化ワクチン、生ワクチン及び組換え体の産生物があるが、引用例1には、「ここに記載されたHAV株は・・・血清学試験向けの抗原の源として・・・有用であると証明するかもしれない。」と記載されており、上記の「ワクチン候補株」がこれらワクチンのいずれを指すものとも特定していない。また、複製しないウイルス抗原は、血清学試験及び不活化ワクチンにとって普通のことである一方、弱毒化ワクチンは、生存しているウイルスがインビボ複製することを必要とするので、上述の血清学試験向けの「抗原」とは、不活化ワクチンを教示するものといえる。その上、引用例1は、HAV抗原発現の最大までの期間が継代接種を増加するとともに減少した旨を開示している(甲第3号証390頁右欄)。

したがって、当業者は、引用例1の上記の記載箇所を読んだ場合、細胞培養中で当該ウイルス(HAV)の更なる継代接種をなすことは、診断法における使用及び不活化ワクチンの用途にとって必要とされる大量のウイルス抗原の産生を可能にするものであると信じ込むであろう。つまり、引用例発明1は、当業者の関心をHAVの不活化ワクチンに向けさせるものである。

以上の判断は、引用例1の共著者の1人であるJ氏が宣言書(甲第12号証の1、以下「本件宣言書」という。)で述べている見解と一致するものである。

しかも、引用例発明1が、継代培養されたHAVの動物への感染実験を開示しておらず、その抗原性評価実験が、継代培養されたHAVの感染力、弱毒化及び免疫原性に関連するものでないことも、前記のとおりであるから、引用例発明1は、継代培養されたHM-175株が臨床実験前の動物実験段階の弱毒化ウイルス株として有用である可能性を示唆するものではない。

2  取消事由2(進歩性判断の誤り)

1 ウイルスを継代培養して弱毒化し、生ウイルスのワクチンを開発することが常套手段であり、引用例発明2が、HAVの分野において、CR326株の継代接種によるチンパンジーに対する弱毒化を開示するものであること(審決書4頁17行~5頁2行)は認めるが、引用例発明1が、前述したように、細胞培養中で継代接種されたHM-175株がHAV生ワクチンに適する弱毒化ウイルス株として有用である旨を何ら示唆していない以上、当業者に対して、HAV生ワクチンを生成するために、引用例発明2の教示事項を引用例発明1に開示されたHAVのHM-175株に適用することの動機付けを与えるものでなく、引用例発明1を知る当業者であっても、引用例発明2に基づいて、HAVのHM-175株の継代接種による弱毒化の試みを容易に想到できるものではない。

しかも、引用例発明2のHAVのCR326株と、引用例発明1のHAVのHM-175株とは、2つの異なる細胞内において各々成長しているものであり、引用例発明1が、3種の異なるHAV株が同一の細胞内で大変異なる性質を示す点を明確に開示していることを考慮すれば、引用例発明2のCR326における弱毒化の成功は、当業者に対して、CR326とは遺伝子型が異なるHAV株のHM-175について、細胞培養中での継代接種による弱毒化の成功を容易に予測させるものではない。

このように宿主細胞特異性の顕著な相違がCR326とHM-175との間に存在することは、甲第14号証「Siegl et al .Journal of Virological Methods,9(1984)53~67頁」に「マーモセットで継代培養されたウイルスのうち、CR326は、容易に37℃でPLC/PRF/5細胞に適合することができるが、HM-175は、同じ細胞系で32℃でのみ元どおりに複製したという観察は、個々の分離物間の遺伝子差異を暗示するものである。」と記載されるように、本願出願前において当業者間に既に知られていたことである。

したがって、審決が、「引用例1の肝炎A型ウイルスHM-175株を継代培養を通して弱毒化するか否かを確認し、換言すると、本願発明において、肝炎A型ウイルスHM-175株を弱毒化して、この弱毒化ウイルスをヒトを除く哺乳動物に投与し、その哺乳動物に感染防御抗体反応を起こさせ得たとしても、この点に当業者にとって格別発明力を要する程の技術的困難性あるものとはいえない。」(審決書5頁3~10行)と判断したことも誤りである。

2 クローニングがウイルスの培養において均一ウイルス組成物を得るためになされる本願出願前の周知技術であり、また、本願出願前にHAVの分野において、継代培養による弱毒化ウイルス(CR326)に対して3回クローニングが行われていたこと(審決書5頁14行~6頁3行)は認めるが、引用例1には、継代接種されたHM-175株が弱毒化されている旨を示唆する記載も、また、それが細胞培養中での更なる継代接種により弱毒化され得る旨を示唆する記載もない。このように、未クローニングの弱毒化ウイルス集団が存在しない場合又は存在しないと思われる場合に、当業者は、このようなウイルス集団に対して3回クローニングを容易に試みようとはしないであろう。

したがって、審決が、「本願発明において、前記弱毒化生ウイルス株を3回クローニングして均一ウイルス組成物となすことは、当業者が容易に採用し得る程度のことというべきである。」(審決書6頁4~7行)と判断したことは誤りである。

3  取消事由3(顕著な作用効果の看過)

本願発明は、肝炎A型ウイルス(HAV)HM-175株の連続継代接種及び3回クローニングをなすことにより、ワクチン特性を満足する弱毒化HAV生ウイルスを産生することができたという発見に基づいて完成したものであって、本願発明に係る方法は、「弱毒化HAV生ウイルス」と「該弱毒化HAV生ウイルスを用いる感染防御抗体反応」とに特徴を有するものである。

これら2つの特徴の組合せは、引用例発明1及び2に開示されてもおらず、かつ、それら2つの引用例発明より何ら予測又は示唆されるものでもない。

したがって、審決が、「本願発明の効果についても、当業者が容易に予測し得る程度を越えないものというべきである。」(審決書6頁8~10行)と判断したことは誤りである。

第4被告の反論の要点

審決の認定判断は正当であって、原告主張の取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由1について

1 引用例発明1に開示された「マーモセットやチンパンジーへの感染実験」は、野生型HAV株のもののみで、継代培養によるHAV株のものについては必ずしも明確に記載されているとはいえない。しかし、このような「マーモセットやチンパンジーへの感染実験」は、結局のところ、継代培養を通じて製造したワクチンを野生型HAV株に感染した動物に投与し、ワクチンとしての有効性を確認する上でも欠くことのできない実験となり、また、抗原評価実験についても、そのようなワクチンとしての有効性を確認する実験のいわば間接的な実験に相当すると解される(乙第1号証15頁左欄、乙第3号証15頁参照)。

引用例1において、ウイルス株がワクチン候補株として有用であるかもしれないとする以上、これを実際的に確かめようとすれば、ウイルス株の継代培養後、抗原評価実験だけでなく、チンパンジー(霊長類)などの動物に対する感染実験をしなければ意味をなさないことは当然である。

2  生ワクチン及び不活化ワクチンの製造については、それが可能か否かだけでなく、その元となるウイルスが大量に量産できるか否かに大きく負っている(乙第1号証5頁右欄、乙第2号証48頁参照)。引用例発明1においても、MS‐1、SD‐11及びHM‐175という3種の肝炎A型ウイルス(HAV)株を組織細胞で継代培養を行うということは、該ウイルスの大量培養が可能か否か、すなわち、それらHAV株がワクチンの製造に適しているか否かについての研究に他ならない。そして、引用例発明1では、それらHAV株の中で、抗原評価実験により抗原性の強い、又は抗原量が大きい、すなわち、ワクチン候補株としてHM‐175株が有望であることを開示している。もちろん、「ワクチン候補株」といえば、引用例1において、不活化ワクチンに向けたものを指すとの特段の断りがなされていない以上、生ワクチンに向けてのものを敢えて除外していると解すべき理由はない。

したがって、審決が、引用例発明1が、「臨床実験前の動物実験段階の弱毒化ウイルス株として有用であるとする可能性を示唆している」(審決書4頁14~16行)と認定したことに誤りはない。

2  取消事由2について

1 引用例1の表3「AGMK細胞培養中のHAV:細胞培養継代(HM‐175)」には、AGMK1~7回の継代とマーモセット6回に続くAGMK1~8回の継代接種の例が示されており、このような継代接種レベルのHM‐175株は、弱毒化されるに十分な回数の条件を具備しているものと解される。

しかも、ウイルスを継代培養して弱毒化し、生ウイルスのワクチンを開発するようなことは常套手段であり(乙第1号第5頁、乙第2号証44~45頁参照)、HM‐175株と同種の肝炎A型ウイルスの仲間であるCR326株が、継代培養により弱毒化し、弱毒化ワクチンを得ることに成功していることは、引用例発明2によって既に知られている。

したがって、引用例発明1の1~8回継代接種されたHAVのHM‐175株を、更に継代接種し弱毒化することは、引用例発明1及び2から当業者が予期し得る事項であり、この点に関する審決の判断(審決書5頁3~10行)に誤りはない。

また、審決は、HM‐175株の継代培養による弱毒化が遺伝子の観点から容易としたものではないから、遺伝子型が異なることを理由に、HAV株HM‐175が継代接種によって弱毒化することを当業者が予測できないとする原告の主張は失当である。

2 引用例1は、前記のとおり、継代接種されたHM-175株が弱毒化されている旨を開示しているから、これに対して3回クローニングを試みることは、当業者が容易になし得ることである。

したがって、この点に関する審決の判断(審決書6頁4~7行)に誤りはない。

3  取消事由3について

原告の本願発明の効果に関する主張は、これまで述べてきた範囲内のものであり失当である。

第5当裁判所の判断

1  取消事由1(一致点の誤認)について

審決の理由中、本願発明の要旨の認定、引用例1(審決書3頁3~4行を除く。)及び2の記載事項の認定、本願発明と引用例発明1及び2との対比の一部(同4頁3~10行、4頁17行~5頁2行、5頁11行~6頁3行)は、いずれも当事者間に争いがない。

1 引用例1(甲第3号証)には、「表題」として、「アフリカミドリザル腎臓細胞培養におけるヒトA型肝炎ウイルスの増殖:一次分離及び連続継代培養」(同号証388頁冒頭抄訳1頁)、「概要」として、「ヒトA型肝炎ウィルス(HAV)は、アフリカミドリザル・・・腎臓(AGMK)一次細胞培養中にて増殖した。HAVの3つの株:MS-1、SD-11及びHM-175が使用された。細胞は、キヌザル継代培養材料又はヒト臨床検体が接種され・・・直接免疫蛍光法により染色された。・・・HM-175株は、最も強烈な免疫蛍光を生じた。このHAV株は、細胞培養中で数回連続継代接種された。・・・ここに記載されたHAV株は、・・・血清学試験向けの抗原の源としてまたワクチン候補株として有用であると証明するかもしれない。」(同388頁上段抄訳1頁)、「材料及び方法」として、「3種のHAV株が用いられた。これらの株のうちの2種(MS-1およびSD-11)は、実験的感染(2,9)および合衆国における食物媒介流行病(5)から、それぞれ、得られた臨床検体より誘導されたものであり、また第三の株(HM-175)は、オーストラリアにおける自然発生より得られた。・・・総ての接種物は、チンパンジー接種、キヌザル接種もしくは双方により測定されるとおり、感染性ウィルスを含むものであることが判明していた。・・・使用された検体には、次のものが含まれる。HM-175、20%糞便懸濁物;HM-175、キヌザル継代接種・・・SD-11、血清;SD-11、キヌザル継代接種・・・MS-1、血清;MS-1、キヌザル継代接種・・・これら接種物は、次の理由のために使用された。それらは、世界のいろいろな区域からの接種物を代表するものであり、また、いろいろな疫学背景からのものである。ある場合には、それらは、以前に十分形質決定されそして周知であるところのウィルス株を代表していた。それらは血清学技術により決定された大量のHAV抗原(HAV Ag)を有する糞便試料に由来する。・・・それらはチンパンジーおよびキヌザルにとって総て感染性であった。霊長類に対する接種力価は、決定されつつあるが、この論文の内容物に入手できていないものである。」(同388~389頁抄訳2~3頁)、「結果」として、「キヌザルでの連続継代培養後のHAVインビトロの繁殖・・・最も大きい量の蛍光は、6回キヌザル継代HM-175株に接種された培養において検出された。・・・AGMK細胞中のHAVの連続継代培養・・・初期実験における最も良い結果は、HM-175の糞便継代-およびキヌザル継代-HAVを用いて得られたので、続いての実験は株HM-175に限ることとした。・・・最大のHAVAg発現までの期間は、継代接種を増加するとともに、減少した。3回の継代接種にて・・・発現に11週間を必要とした。5回の継代接種では・・・4週間に減少した。」(同389~390頁抄訳3~4頁)、「議論」として、「この研究は、HAVはヒト臨床検体から直接、AGMK細胞培養中に分離しそして連続増殖することができることを示している。・・・HM-175株は、直接分離されたもしくはキヌザル継代接種の後のいずれも、MS-1株またはSD-11株のいずれよりも、一貫して、より多くのウィルス抗原を産生した。・・・臨床検体からワクチン生産に適する細胞株(一次AGMK細胞)中へのHAV直接分離により、該ウィルスのさらなるインビトロ培養によりワクチン開発に適する株が収量されるであろうという望みが出てきた。」(同391~393頁抄訳6~7頁)と記載されている。

これらの記載によれば、引用例発明1では、「キヌザルで継代培養された」HM-175を含む3種のHAV株が使用されたこと、これらは十分形質決定され周知のウイルス株を代表するものであり、チンパンジー及びキヌザルへの接種によりこれらに感染性であることが判明していたこと、霊長類に対する接種力価が決定されつつあること等を開示しているものと認められる。そうすると、引用例発明1においては、本願発明と同様に、継代培養された「ヒト」の「肝炎A型ウイルスHM-175株」が、「ヒトを除く哺乳動物」である「チンパンジーやキヌザル」に投与され、これに感染して抗原性を示していたものと認められる。なお、引用例1では、上記のとおり、HAV株を「アフリカミドリザル腎(AGMK)細胞」で継代培養し、その免疫蛍光等の分析実験を行ったことは開示されているものの、この継代培養されたHAV株によるマーモセットやチンパンジーへの感染実験を行った旨の具体的記載がないから、この点に関する審決の認定(審決書3頁3~4行)は誤りであるが、この程度の誤認が、上記認定を左右するものでないことは明らかである。

したがって、上記認定事実に照らして、引用例1に継代培養されたHM-175株のチンパンジーやマーモセットなどの動物への感染実験に関する記載はもとより、継代培養によるウイルス株のチンパンジーなどへの感染関連の抗原評価実験に関する記載が含まれていないとする原告の主張が誤りであることは明らかであり、これを採用する余地はない。

2  審決が、引用例1について、「ウイルス株がワクチン候補株として有用であるかもしれない旨の記載がなされ」(審決書4頁12~14行)と認定していることは当事者間に争いがない。

原告は、審決が、「臨床実験前の動物実験段階の弱毒化ウイルス株として有用であるとする可能性を示唆している」(審決書4頁14~16行)と認定したことが誤りであり、上述の血清学試験向けの「抗原」が、不活化ワクチンを教示するものであって、引用例発明1は、当業者の関心をHAVの不活化ワクチンに向けさせるものであると主張する。

しかし、引用例1には、前記のとおり、「ここに記載されたHAV株は、・・・血清学試験向けの抗原の源としてまたワクチン候補株として有用であると証明するかもしれない。」「臨床検体からワクチン生産に適する細胞株(一次AGMK細胞)中へのHAV直接分離により、該ウィルスのさらなるインビトロ培養によりワクチン開発に適する株が収量されるであろうという望みが出てきた。」と記載されており、この「ワクチン」が、弱毒化ウイルス株である生ワクチンか、不活化ワクチンのいずれであるかは示されていないが、継代培養されたHM-175株が、「ワクチン候補株」すなわちワクチンウイルス株として有用であるとする可能性については明確に開示している。

そして、生ワクチンが代表的なワクチンであることはいうまでもなく、「ウイルスを継代培養して弱毒化し、生ウイルスのワクチンを開発するようなことは、常套手段である」(審決書4頁17~18行)ことは原告も認めており、この生ワクチンの開発に継代培養によるウイルス株の弱毒化が不可欠であることは、技術常識でもあるところ、引用例発明1では、HM-175株が継代培養可能であることを実験により確認した上で、HM-175株がワクチンウイルス株として有用である可能性がある旨を開示しているのであるから、当業者が、ここにいう「ワクチン」について、不活化ワクチンのみを教示しており、弱毒化ウイルス株である生ワクチンを排除しているものと解することは極めて不自然であり、原告の主張は明らかに失当といわなければならない。

そして、このような引用例1に関する当業者の客観的認識は、同引用例の共著者による本件宣言書(甲第12号証の1)の記載により左右されるものでないことは当然といえる。

したがって、審決の上記認定(審決書4頁14~16行)に誤りはない。

3  さらに、原告は、ウイルスが適する生ワクチン候補株であるためには、該ウイルスが、感染力、免疫原性及び弱毒化を有するものでなければならないが、引用例発明1のインビトロ抗原性評価実験は、この3つのインビボ性質に関連するものでなく、ウイルスの生ワクチンとしての有効性を確認する間接的な実験に相当するものとはいえないと主張する。

しかし、引用例1の上記の記載によれば、「インビトロ抗原性評価実験」において、HAVのHM-175株が、アフリカミドリザル腎臓(AGMK)細胞中で増殖することが述べられており、このことは、HM-175株が他のヒト以外の哺乳動物の細胞内でも増殖し、感染する可能性があることを示すものと認められ、しかも、引用例発明1自体が、前示のとおり、HAVのHM-175株がチンパンジー及びキヌザルへ接種され感染性があることを開示しているのであるから、当該実験に用いられたHM-175株が感染力を有する可能性があることは明らかといえる。

また、HM-175株が、直接免疫蛍光法により他のHAV株より大量の免疫蛍光を生じることも示されており、このことは、HM-175株が他のHAV株より強力な抗原性を有することを開示するものであるから、他の株より強力な免疫原性を有している可能性があることを示すものと認められる。

この点について原告は、抗原性と免疫原性とが異なる性質のものであり、ウイルスの免疫原性を評価するためには、ウイルスが動物に投与されたとき、抗体を単に生成させるだけでは不十分であり、有効なワクチン候補株のウイルスにあっては、中和するエピト-プに対して反応性のある抗体の生成を刺激することができなければならないと主張する。

しかし、引用例発明1は、前示のとおり、HM-175株がワクチンウイルス株として有効である可能性を開示するものであり、その結論を導くための前提となった抗原性評価実験において強い抗原性が認められたのであるから、これが免疫原性をも有している可能性があることを、当業者は当然推測するものであり、これらの実験によって反応性のない抗体しか生成できていないと否定的に認識するものでないことは当然である。

そして、引用例発明1の抗原性評価実験が、継代培養されたHAVのHM-175株を接種して行われており、結論において、このHAV株がワクチンウイルス株として有効である可能性を開示するものである以上、その継代培養によって、弱毒化が達成される場合があることを前提として実験が行われたものと当業者は合理的に理解するものといえる。

したがって、引用例発明1の抗原性評価実験は、それ自体が直接的に感染力、免疫原性及び弱毒化を示すものではないが、これらと無関係に行われたものでないことが明らかであり、強い抗原性を有する旨を確認した点で生ワクチン開発のための動物感染実験に関連するものと認められ、その有効性を確認する間接的な実験といえるから、これに反する原告の主張は採用できない。

2  取消事由2(進歩性判断の誤り)について

1 ウイルスを継代培養して弱毒化し、生ウイルスのワクチンを開発することが常套手段であり、引用例発明2が、HAVの分野において、CR326株の継代接種によるチンパンジーに対する弱毒化を開示するものであること(審決書4頁17行~5頁2行)は、当事者間に争いがない。

原告は、引用例発明1が、細胞培養中で継代接種されたHM-175株が肝炎A型生ワクチンに適する弱毒化ウイルス株として有用である旨を何ら示唆していない以上、当業者に対して、HAV生ワクチンを生成するために、引用例発明2の教示事項を引用例発明1に開示されたHAVのHM-175株に適用することの動機付けを与えるものでないと主張するが、引用例発明1が、継代接種されたHM-175株がHAV生ワクチンに適する弱毒化ウイルス株として有用である旨を示唆していることは前示のとおりであるから、この主張を採用する余地はない。

また、原告は、引用例発明2のHAVのCR326株と、引用例発明1のHAVのHM-175株とは、2つの異なる細胞内において各々成長しているものであり、引用例発明1が、3種の異なるHAV株が同一の細胞内で大変異なる性質を示す点を明確に開示していることを考慮すれば、引用例発明2のCR326における弱毒化の成功は、当業者に対して、CR326とは遺伝子型が異なるHAVのHM-175株について、細胞培養中での継代接種による弱毒化の成功を容易に予測させるものではないと主張する。

しかし、ウイルスを継代培養して弱毒化し、生ワクチンを開発することが常套手段であることは、原告も自認している上、引用例発明2に開示されるウイルスCR326と本願発明で対象とするウイルスHM-175が、生物学的性質や遺伝子型を異にするとしても、もともと継代培養によるウイルスの弱毒化が、予測し難いウイルスの遺伝子の突然変異に依存するものであることは、当業者の技術常識であるから、引用例発明2における継代接種によるCR326株の弱毒化に接した当業者が、上記のような遺伝子型等の相違を理由として、HM-175株に対して、継代接種による弱毒化の手法を適用することを断念するものではないことは当然であり、前記の常套手段及び引用例発明2を前提として、生ワクチン開発を試みることに格別の困難性はないから、原告の主張は採用できない。

したがって、審決が、「引用例1の肝炎A型ウイルスHM-175株を、継代培養を通して弱毒化するか否かを確認し、換言すると、本願発明において、肝炎A型ウイルスHM-175株を弱毒化して、この弱毒化ウイルスをヒトを除く哺乳動物に投与し、その哺乳動物に感染防御抗体反応を起こさせ得たとしても、この点に当業者にとって格別発明力を要する程の技術的困難性あるものとはいえない。」(審決書5頁3~10行)と判断したことに誤りはない。

2 クローニングがウイルスの培養において均一ウイルス組成物を得るためになされる本願出願前の周知技術であり、また、本願出願前にHAVの分野において、継代培養による弱毒化ウイルス(CR326)に対して3回クローニングを行うことが、引用例2に開示されていること(審決書5頁14行~6頁3行)は、当事者間に争いがない。

そうすると、前示のとおり、引用例発明1から示唆される継代接種されたHM-175の弱毒化ウイルスについて、このような周知及び公知の技術である3回クローニングの手法を行うことが、極めて容易であることは明らかである。

原告は、引用例1には、継代接種されたHM-175が弱毒化されている旨を示唆する記載も、また、それが細胞培養中での更なる継代接種により弱毒化され得る旨を示唆する記載もないから、当業者が、このようなウイルス集団に対して3回クローニングを試みようとはしないであろうと主張するが、その引用例発明1に関する前提が誤りであることは前示のとおりであるから、この主張も到底採用できない。

したがって、審決が、「本願発明において、前記弱毒化生ウイルス株を3回クローニングして均一ウイルス組成物となすことは、当業者が容易に採用し得る程度のことというべきである。」(審決書6頁4~7行)と判断したことに誤りはない。

3  取消事由3(顕著な作用効果の看過)について

原告は、本願発明が、HAVのHM-175株の連続継代接種及び3回クローニングをなすことにより、ワクチン特性を満足する弱毒化HAV生ウイルスを産生することができたという発見に基づいて完成したものであり、この方法は、「弱毒化HAV生ウイルス」と「該弱毒化HAV生ウイルスを用いる感染防御抗体反応」とに特徴を有するものであって、これら2つの特徴の組合せは、引用例発明1及び2に開示されておらず、かつ、それら2つの引用例発明より何ら予測又は示唆されるものでもないと主張する。

しかしながら、引用例発明1が、有用な「ワクチン候補」として継代接種されたHAVのHM-175株を開示するものであり、これに対して、引用例発明2に開示され、周知の技術でもある3回クローニングの手法を行うことが、当業者にとって極めて容易であることは、前示のとおりであるから、原告主張の上記効果は、いずれも当業者の予測の範囲内のものといわなければならない。なお、本願発明の感染防御抗体反応を起こさせる方法は、HAVのHM-175株の連続継代接種及び3回クローニングをなすことにより生じる弱毒化HAV生ウイルスすべてを対象とするものであるから、原告が、上記の手法により、本願発明の実施例に開示されたような特定の「弱毒化HAV生ウイルス」(例えば、原告が、アメリカン・タイプ・カルチャー・コレクション(American Type CultureCollection)に寄託したもの)を得たことの効果を主張するものであるとすれば、これは、本願発明の特許請求の範囲の記載に基づかない失当な主張であり、いずれにしても原告の主張を採用する余地はない。

したがって、審決が、「本願発明の効果についても、当業者が容易に予測し得る程度を越えないものというべきである。」(審決書6頁8~10行)と判断したことにも誤りはない。

4  以上のとおり、原告主張の取消事由にはいずれも理由がなく、その他審決に取り消すべき瑕疵はない。

よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担並びに上告及び上告受理の申立てのための付加期間の指定につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条、96条2項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)

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