東京高等裁判所 平成11年(う)1335号 判決 1999年10月15日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、主任弁護人平松和也作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官上田勇夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、要するに、法令解釈適用の誤りの主張であって、(一)被告人の本件行為は公職選挙法(以下「法」ともいう。)一九九条の二第一項、二四九条の二第三項の構成要件に該当しないのに、被告人を有罪とした原判決は、右各条項の解釈を誤って適用した違法がある、(二)罰則の適用除外を定めた法二四九条の二第三項一号、二号が限定列挙規定で被告人に有利な類推解釈を許さないものとすれば、法一九九条の二第一項及び二四九条の二第三項は、憲法一三条、一四条に反し無効であり、仮にそうでないとしても、本件行為が法一九九条の二第一項、二四九条の二第三項の構成要件を充足するものとの原判決の解釈適用を許す趣旨であるとすれば、その解釈適用を許した限度で、右各条項は違憲であって、いずれにしても本件行為を処罰する法律上の根拠がないことになるから、原判決は破棄を免れず、被告人は無罪である、というのである。
そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。
一 原判決挙示の関係証拠によれば、次の事実が認定できる。
1 被告人は、御宿町助役であったところ、平成九年九月下旬ころ、次期町長選挙に出馬しないことを表明していた御宿町長伊藤治昌から出馬要請を受けたことなどから、同選挙への立候補を決意し、同年一〇月に入って立候補の準備等を開始して後援会を設立し、同年一一月一五日付けで御宿町助役を退任し、同月二七日に次期町長選挙への出馬表明の記者会見をした。
2 被告人は、右退任前の同月一三日、御宿町役場の臨時職員を除く町長以下の全職員で構成される親睦団体「職員互助会」主催の送別会で、町から報奨金二〇万円、互助会から餞別金一九万円合計三九万円を贈呈された。
3 被告人は、同年一二月上旬ころから、妻を同伴して職員宅を訪問し、「在職中はお世話になりました」などとお礼の挨拶をしたりしながら、いずれもビール券五枚入りの封筒を、合計二〇名の職員には直接手交し、合計二三名の職員にはその家族を介して渡し、さらに、町外に居住し、あるいは在職中被告人と接触が少なかった者等合計四九名の職員にはいずれもビール券五枚と同趣旨の礼状入りの封筒を郵送して、原判示のとおり、そのころから同月下旬ころまでの間に、合計九二名の職員に対し、ビール券合計四六〇枚(時価合計三三万七六四〇円相当)を供与して寄附した。
4 被告人は、翌年二月二〇日ころ、被告人からのビール券を受け取った職員が公職選挙法違反で処罰されると騒いでいるのを知って、甲野太郎収入役に対し、電話でビール券の回収を依頼し、同月下旬ころ、それまでに回収できたビール券と手元に残っていたビール券を焼却した。
5 同月二四日、御宿町町長選挙が告示され、同年三月一日の投票の結果、被告人が他の二名の立候補者を破って当選し、同月一三日に御宿町長に就任した。
二 以上の事実関係によれば、御宿町長の候補者になろうとする被告人がした本件行為は、在職中世話になったこと等に対する謝礼の趣旨で、退職後間もない時期に、同町職員合計九二名に対しビール券合計四六〇枚を供与して寄附したというのであって、その時価が総額でも被告人が退職に際し受けた前記餞別金及び報奨金の合計額以下であり、一人当たりでみてもビール券五枚(時価三六七〇円相当)を寄附したにとどまるから、法二四九条の二第三項柱書にいう「当該選挙に関せず、かつ、通常一般の社交の程度を超えない」寄附に該当することが明らかである。
所論は、論旨(一)につき、社会的儀礼として行われ、濫用されて選挙の公正を害するおそれのない行為には、罰則の適用除外を定めた法二四九条の二第三項一号、二号の趣旨を類推して構成要件該当性が阻却されると解釈すべきところ、本件は、御宿町役場に三八年間在職した被告人が、退職に際し、在職中支えてくれた部下職員にその謝礼としてビール券五枚を各交付したという事案で、最終職階が助役であった被告人は少なくとも正規職員全員の助力を得て職責を全うしてきたことになるから、これに対して謝礼をすることは社会的儀礼として相当なことであり、しかも御宿町役場では、退職職員は、町や互助会から受ける餞別等をもって他の職員に酒席を設けたり、記念品その他の寄附をすることが慣行とされ、義務として履行されてきており、被告人は右慣習に従ったのであって、退職時という区切りのときに行われた寄附であるから、濫用のおそれも選挙の公正を害するおそれもないと主張する。
しかし、本件行為は、前記選挙を間近かに控えた時期に、その選挙への立候補を予定して退職した被告人によって一一〇名余の御宿町職員の大多数といえる九二名の職員に対し、自宅を訪問し、あるいは郵送するなどの方法で個別にビール券を供与するという態様でされ、しかも、訪問した場合の多くは、妻をも同道していることなどに照らすと、退職時の謝礼の慣行に関する所論を前提としても、本件行為は、法二四九条の二第三項一号、二号が定める事由を類推して考える余地のない態様のものといえる。本件のような行為が許容されるとするならば、所論にもかかわらず、「濫用されて選挙の公正を害するおそれ」が多分にあり、「金のかからない政治を実現し、選挙の公正を確保する」という法二四九条の二第三項の立法目的に反することになることは明らかであって、関係証拠によれば、被告人からビール券を供与された職員の中に、右供与は被告人が立候補するという次期町長選挙に絡むものではないかと考えた者が相当数いたことが認められることもこれを裏付けるものといえる。所論のいう退職に際しての謝恩ないし返礼の慣行も、原判決が説示するように、選挙がからむ事態においては不適当な慣行であるといわざるを得ない。
したがって、被告人の本件行為が法一九九条の二第一項、二四九条の二第三項に該当するとした原判決は正当であって、構成要件該当性を争う論旨はその前提を欠き、失当というほかない。
してみると、論旨(二)も、その前提を欠くものというべきであるから、その余の点につき論及判断するまでもなく、採用できない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 龍岡資晃 裁判官 植村立郎 裁判官 波床昌則)