東京高等裁判所 平成11年(ネ)1317号 判決 2000年4月19日
控訴人兼被控訴人(第一審被告。以下「第一審被告」という。) ダイナラブ・ジャパン株式会社
右代表者代表取締役 リー・ツェン・イン
右訴訟代理人弁護士 小杉丈夫
同 中村千之
同 片岡朋行
同 宮川英治
控訴人兼被控訴人(第一審原告。以下「第一審原告」という。) トラフィックソフトウェア・リミテッド
右代表者取締役会長 ペトュール・ブロンダル
右代表者取締役 エイリクール・ベンジャミンソン
同 ハーマン・クリスジャンソン
右訴訟代理人弁護士 喜田村洋一
主文
一 第一審被告の控訴に基づき、原判決中第一審被告敗訴部分を取り消す。
二 第一審原告の請求を棄却する。
三 第一審原告の控訴を棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 第一審被告
主文第一、二項同旨
二 第一審原告
原判決を次のように変更する。
第一審被告は、第一審原告に対し、金五七二二万五〇〇〇円及びこれに対する平成八年一二月一九日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 前提事実(争いがないか、証拠上明らかな事実)
1 第一審原告(以下「原告会社」ともいう。)は、ソフトウェアの開発販売等を業とするアイスランド国法人(公開有限責任会社)である。
トマス・ラグナーソン(以下「ラグナーソン」という。)は、平成七年九月当時、原告会社の代表者専務取締役であった。
2 第一審被告(以下「被告会社」ともいう。)は、コンピューター及びソフトウェアの開発販売等を業とする株式会社である。
リー・ツェン・イン(通称フィッシャー・リー。以下「リー」という。)は、平成七年九月当時、被告会社の取締役であった。
3 原告会社は、「オブジェクトファックス」という名称のソフトウェア(以下「本件ソフト」という。)を開発し、その製品を販売している。
本件ソフトは、コンピューターでファックスへの送信及びファックスからの受信を容易に行うためのプログラムである。
4 被告会社は、一九九五年(平成七年。以下、年を示すときは西暦で示す。)一月三〇日、原告会社との間で本件ソフト(ウィンドウズ三・一対応)についてのライセンス契約を締結して、日本における本件ソフトの独占的販売権を取得し、その製品の総発売元となった。
被告会社は、原告会社に対し、その対価として一五〇〇万円を支払った。
原告会社は、その後、被告会社の協力を受けて本件ソフトの日本語版を開発し、被告会社は、同年七月ころから、日本国内において本件ソフト(日本語版)の製品の販売を始めた。
5 ラグナーソンとリーは、一九九五年九月八日、原告会社及び被告会社間のメモランダム・オブ・アンダスタンディング(memorandum of understanding between DynaLab Japan and Traffic Software。以下「本件メモ」という。)を作成し、これに署名した。
本件メモには、右両名のほか、同席した原告会社のフレイン・ジャコブソン(以下「ジャコブソン」という。)、被告会社のシー・ジェー・チャン(以下「チャン」という。)も署名した。
本件メモの記載内容(原文は英文)は、左記のとおりである。
記
1 支払
一九九五年一一月一日 一二万五〇〇〇ドル
一九九六年二月一日 一二万五〇〇〇ドル
一九九六年五月一日 一二万五〇〇〇ドル
一九九六年八月一日 一二万五〇〇〇ドル
合計 五〇万ドル
2 支払は銀行(信用状)によって保証されるべきこと
3 ロイヤルティ 小売価格の八パーセント
一九九六年一月一日から開始
4 ソースコードの引渡し
最初の支払後
オブジェクトファックス(日本語版)
オブジェクトファックス(ウィンドウズ九五対応・日本語版)の引渡し
一九九六年の第二四半期内
5 領域
オブジェクトファックス(日本語版・台湾語版)
日本、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、タイ
二 第一審原告の主張(請求の原因等)
1 原告会社と被告会社は、一九九五年九月八日、本件メモにより、次の内容の契約(以下「本件契約」という。)をした。
(一) 被告会社は、原告会社から本件ソフトのソースコードの開示を受ける。
(二) 被告会社は、原告会社に対し、右開示に対する対価として五〇万米ドルを一九九五年一一月一日、一九九六年二月一日、同年五月一日及び同年八月一日に一二万五〇〇〇米ドル宛分割して支払う。
(三) 右支払は銀行の信用状で保証される。
(四) 被告会社は、原告会社に対し、一九九六年一月一日以降、本件ソフトを売却したロイヤルティとして小売価格の八パーセントを支払う。
(五) 原告会社から被告会社に対するソースコードの引渡しは、被告会社の第一回の支払がされた後に行われる。
本件ソフト(ウィンドウズ九五対応・日本語版)の引渡しは、一九九六年の第二四半期に行われる。
(六) 本件ソフトの日本語版と中国(台湾)語版の販売領域は、日本、台湾、シンガポール、マレーシア、タイである。
2 リーは、本件メモを指して、ラグナーソンに送信した一九九五年一二月八日付け書簡(以下「本件書簡」という。)において「一九九五年九月八日に署名した契約(contract)」と明記し、また、一九九六年一月一八日付け書簡において「貴社との契約(our contract with you)」と記載し、さらに、同月二四日付け書簡において「我々の現存の契約(our existing agree-ment)」と記載しているから、第一審被告が本件メモによる合意を契約と考えていたことは明らかであるが、仮に第一審被告において本件メモの作成の際に本件契約を締結する意思がなかったとしても、
(一) リーは、右の本件書簡等の記載によって、本件メモにより契約が成立しているとの認識を第一審原告に生じさせ、その結果、第一審原告は、日本における他のビジネスパートナーをさがす機会を喪失し、日本国内において自社製品を販売することができないこととなって損失を被るに至ったものであるから、第一審被告が本訴において契約が成立していないと主張することは、禁反言の法理に照らし許されない。
(二) また、リーは、本件書簡によって、本件メモによる合意が契約であることを承認したものであり、これにより本件メモが契約としての効力を生じ、又はその内容どおりの契約が成立したというべきである。
3 被告会社は、一九九五年一一月一日を経過しても、一二万五〇〇〇米ドルの支払をしなかった。
このため、原告会社は、同年一二月七日、本件契約の履行を求めたところ、被告会社は、同月八日、不可抗力のため支払日を若干延期してほしい旨の回答をした。
しかるに、被告会社は、その後約一年間にわたり本件契約の履行をしない。
4 第一審原告は、第一審被告に対し、本件訴状をもって、本件契約を解除する旨の意思表示をし、本件訴状は、一九九六年一二月一八日、第一審被告に送達された。
5 原告会社は、被告会社の本件契約の不履行(債務不履行)により、少なくとも五〇万米ドルの損害(得べかりし利益の喪失)を被った。
五〇万米ドルは、五七二二万五〇〇〇円に相当する。
なお、原告会社は、本件契約の解除によって、右得べかりし利益を失う一方、本件ソフト(ウィンドウズ九五対応・日本語版)の引渡義務を免れたものであるが、これにより支出を免れた経費は、技術者の日本への出張費用約五〇〇〇ドルに過ぎず、それ以上の経費を免れたとする証拠は存しない。
6 よって、第一審原告は、第一審被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償金五七二二万五〇〇〇円及びこれに対する一九九六年(平成八年)一二月一九日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで商事法定利率年六パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める。
7 第一審被告の主張2項は争う。
三 第一審被告の主張
1 本件メモは、契約交渉の中間段階で作成されたいわゆるレター・オブ・インテント(letter of intent、予備的合意文書)であり、本件メモの作成段階においては、ライセンスの対象(第一審被告が第一審原告から引渡しを受けるべきソースコードの内容)が不特定であるなど、契約の重要な要素について両当事者間に確定的な意思の合致がなく、これらの点につき更に交渉をした上で契約内容を確定することを予定していたものであるから、本件メモにより契約が成立したということはできない。
したがって、本件メモによる合意によって第一審被告に本件メモに記載の支払義務は生じていないから、その支払をしなかったことによって債務不履行責任を負うものではない。
2 仮に本件メモによる合意に契約としての効力が認められるとしても、第一審原告と第一審被告は、本件メモ作成後の契約交渉中に、ソースコードの引渡しと第一回の支払は引換給付とすること、契約書署名日をもって第一回の支払日とすることで合意をしたから、一九九五年一一月一日以降、双方の債務はともに期限の定めのない債務として同時履行の関係に立つというべきである。
しかるに、第一審原告は、催告に当たり自らの債務について弁済の提供をしなかった上、かえって、第一審被告に対する本件ソフトのソースコード及び本件ソフト(ウィンドウズ九五対応・日本語版)の引渡しについて、その履行をしない意思を明確にしたのであるから、第一審原告の方が履行遅滞に陥っていたというべきであり、第一審被告に履行遅滞はなく、また、第一審原告においてその履行遅滞を主張することは、信義則上許されない。
したがって、第一審被告には履行遅滞はないから、第一審原告のした解除は無効であり、また、第一審被告に損害賠償義務は発生しない。
3 第一審原告は、損害の発生及びその額について具体的な主張立証をしていないから、損害は認められるべきでない。
第三当裁判所の判断
一 第一審原告は、第一審被告が本件メモによる合意に基づき一九九五年一一月一日に一二万五〇〇〇米ドルを支払う義務を負っていたにもかかわらず、その支払をしなかったことが債務不履行に該当するとして、第一審被告に対し、右合意を解除する旨の意思表示をした上で、債務不履行に基づく損害賠償を求めている。
これに対し、第一審被告は、本件メモによって契約は成立しておらず、第一審被告に五〇万ドルの支払義務は発生していないから、一二万五〇〇〇ドルの不払によって債務不履行責任を負うものではない旨主張している。
そこで、本件メモの作成により第一審原告と第一審被告との間に本件メモに記載された内容の契約が成立したものと認められるか否か、そして、これによって、第一審被告が五〇万米ドルの支払義務を負ったことになるか否かについて、検討する。
二 《証拠省略》によれば、本件メモ作成の事情、状況及び作成後の経過として、次の事実を認めることができる。
1 原告会社と被告会社は、一九九五年一月に本件ソフト(ウィンドウズ三・一対応)についてライセンス契約を締結した上、原告会社において被告会社の協力を得て右ソフトの日本語版を開発し、同年七月ころから被告会社において日本国内でその製品の販売を開始した。
被告会社は、本件ソフトの日本国内での販売に成功するためには、そのソースコードの開示を受ける必要があると考えたことから、原告会社にその開示を求め、両社間で電話やファックスによりその可能性に関し折衝が行われた。
原告会社は、本件ソフトのソースコードは、その開発に八年間の期間と多額の費用をかけた同社の重要な資産であることから、右ソースコードの開示には慎重であったが、開示の条件等につき契約ができれば被告会社の要請に応えることができるとの姿勢を示していた。
2 ラグナーソンは、同年九月上旬、原告会社のジャコブソンとともに訪日し、被告会社の担当者らと本件ソフトのソースコードの開示の条件等を巡って交渉をしたものの、ラグナーソンらが離日する前日(同月八日)になっても、交渉がまとまらなかった。
ラグナーソン及びジャコブソンとリー及びチャンは、ラグナーソンらの出発を翌早朝に控えた右九月八日夜、ラグナーソンらが宿泊していた青山プレジデントホテルの近くで会食し、その後同ホテルに赴いて本件ソフトのソースコードの開示に関して交渉をしたところ、二、三時間後に基本的事項について了解に達するに至った。そこで、ラグナーソンがホテルのフロント備付けの用紙にペンで右了解事項の内容を手書きし、これに右出席者四名が署名した。
こうして作成されたのが本件メモであり、その記載内容は、前記第二の一5の「記」のとおりである。
3 ラグナーソンは、同年九月一七日、リーに対し、書簡と契約書案をファックス送信し、これに対するコメントを求めた。
右契約書案は、全体が一四か条四八項から成る詳細なものであり、供与されるライセンスの内容、支払、ロイヤルティ、費用、検査、権原、商標、期間、解除、権利譲渡、準拠法、保証、免責等に関する条項を含み、前文に「本契約は本件ソフトの日本語版のソースコードのライセンスに適用される」旨、第一条b項に「ライセンスが供与される製品は本件ソフトの日本語版の製品についてのソースコードである」旨、第一条f項に「原告会社は被告会社がウィンドウズ九五に対応する本件ソフトの日本語版の製作をするのに必要なあらゆる協力をする」旨の記載がある。
これに対し、被告会社(担当者清水)は、同年一〇月二日、ラグナーソンに対し、契約書案の修正を求める書簡をファックス送信し、ラグナーソンは、同日、被告会社に対し、返事の書簡と修正を施した契約書案をファックス送信した。
右契約書案において、前記契約書案の前文については「本件ソフトの日本語版の製品のソースコード」と、第一条f項については「ウィンドウズ九五に対応する本件ソフトの日本語版のソースコードの製作」と修正されていた。
4 その後、一九九六年一月まで、契約書の修正案や修正意見等を交換するなどして、電話やファックスにより契約条項の内容を確定するための交渉がされたが、原告会社は早期に契約書の成案を得ることを望んだものの、被告会社の対応は概してかんばしくなく、次第に消極的になって、結局、契約書の成案を得るに至らないまま、交渉は終了した。
5 右の交渉の過程において、次の経緯があった。
(一) 本件メモにおいて最初の支払日とされた一九九五年一一月一日を目前にした同年一〇月三〇日、被告会社は原告会社に対し、「被告会社としては法務部の承認を得た後でなければ支払ができない。その承認がないので一九九五年一一月一日までに一二万五〇〇〇ドルの支払はできない。」旨を法務部が作成したとする契約条項に関するコメント文を添付してファックス送信し、また、同日、被告会社の委任を受けた弁護士事務所から原告会社に対し、「最近依頼人から契約を受け取り、十分に検討する時間がないので、現時点では契約に署名しないよう依頼人に助言した。契約の署名前である現時点では、被告会社は最初の支払はしない。」旨のファックスによる通知がされた。
(二) 原告会社は、同年一一月一四日、その前に被告会社側から送付された契約書案に手書きで修正を施したものを被告会社に送付したところ、同月一七日、被告会社の清水はラグナーソンに対し、「リーはアグリーメントの内容についてほぼすべて合意し、あなたと話したいとのことです。」旨のファックス送信をし、また、同日、被告会社(チェン)からラグナーソンに対し、「アグリーメント一、二、四及び八項については理解(understand)するが、法務部の検討が終わるまでは承認の返事はできない。被告会社でアグリーメントを書き直して送付する。」旨のファックス連絡があった。
(三) ラグナーソンは、リーに対し、同年一二月七日、「今朝、太田氏及びチェン氏から、あなたが九月八日に東京で署名した合意(agreement)を遵守(honour)しないようであるとの電話連絡を受けた。この違反は被告会社の信用に影響を与えるであろう。」と記載した書簡を送ったところ、これに対し、リーは原告会社に対し、同月八日、「誤解をお詫びする。当社は一九九五年九月八日に署名された契約を確実に遵守するつもりである(Dyna-lab surely will honor the contract that was signed on September8, 1995)。しかしながら、我々ではどうすることもできない不可抗力により、その発効日を若干延期して頂きたい(we wish to postpone the effective date a little bit)。」と記載した書簡(本件書簡)を送った。
さらに、リーはラグナーソンに対し、一九九六年一月一八日、「本件ソフトの結果は期待したほどではなかった。これが原告会社との契約を延期したい理由である(That's why we want to delay our con-tract with you)。」旨を記載した書面を、同月二四日、「本件ソフトのソースコードに関する我々の現存の契約(our existing agreement)についての提案を伝えるのが遅延して申し訳ない。」旨を記載した書簡をそれぞれ送付した。
三1 右認定事実及び前記第二の一の前提事実に照らすと、本件メモは、ラグナーソン及びリーらが二、三時間の交渉で了解に達した事項をラグナーソンにおいてホテルのフロント備付けの用紙にペンで記載したもので、その内容も基本的な事項について文章体でなく箇条的に記載するにとどまるものであり、そして、その後、原告会社から被告会社に前示二3のような詳細な条項を含む契約書案が送付され、これについて交渉が重ねられ、修正案や修正意見等が何度かやり取りされたものの、結局契約書の調印に至らなかったのであり、また、《証拠省略》によれば、ソフトウェアのソースコードに関するライセンス契約は、通常、右契約書案に見られるような詳細な条項を含む契約書を交わすことにより締結されるものであることが認められる。
これらの事情を総合考慮すれば、本件メモは、両社間において以後本件ソフトのソースコードに関するライセンス契約の締結を目指して協議を進めるために、その基礎となるべき基本的な事項について了解に達した事項をメモ書きにしたものに過ぎず、以後この基本的了解事項をベースとして協議をした上で必要な条項を盛り込んだ契約書の成案を得るとの予定の下に作成署名されたものと認めるのが相当であって、ラグナーソン及びリーらにおいて、法的拘束力を有するものとしての契約を締結するとの意思をもって作成し、署名したものと認めることはできないというべきである。
2 第一審原告は、後日詳細な契約書を作成することを予定したものであっても、契約が成立するためには当事者の意思表示の合致が存すれば足りるのであり、本件メモの内容は明確であってライセンス契約において最も重要な事項が定められており、その後の交渉によっても何ら変更のなかった事項であるから、本件メモによる合意は契約としての効力を有するものである旨を主張する。
しかしながら、本件メモの記載内容は、ライセンス契約における基本的な事項を示すものであるということができるとしても、それのみをもって契約により生ずる当事者間の権利義務関係を確定するに足りるものということができないことは明らかであり、そしてそれを確定するに必要な事項については更に協議をした上で契約書を作成することを予定していたものである以上、そこにその時点において了解に達した事項が記載されているからといって、その事項のみについて直ちに契約としての効力を発生させる意思をラグナーソン及びリーらにおいて有していたものと推認することはできないというべきである。
もし、右のような体裁及び内容の本件メモに当事者を拘束する契約としての効力を持たせることを署名当事者が意図したのであれば、その旨を特に明記することこそ自然であるというべきである。
なお、本件メモの記載内容のうち五〇万ドルの支払に関する部分に限っていえば、その内容は明確で一義的であるということができるが、その支払は本件ソフトのソースコードのライセンス供与の対価としてされるべきものであることが前記認定事実の経過から明らかであるところ、供与されるべきライセンスの具体的内容が後日の協議により確定されることを予定したものである以上、その支払義務についてのみ後日の協議と無関係に効力を発生させる趣旨のものと解することができないことは明らかである。
3 また、第一審原告は、リーが本件書簡において本件メモを指して「the con-tract」と呼んだことなどをもって、被告会社において本件メモにより契約が成立したものと考えていたことの証左である旨を主張する。
たしかに、前記二5(三)のとおり、リーは、本件書簡等において、本件メモを指して「the contract」又は「agreement」と呼び、またその効力発生の延期を求める旨の意思表明をしている。
しかしながら、右1、2に述べたところに照らすと、リーが書簡中で「the con-tract」等の用語を用いたことから、直ちに、同人において本件メモの記載内容が契約としての効力を有し、後日契約書の調印に至ると否とにかかわらず被告会社においてその記載の支払義務を負うものとの認識の下に本件メモに署名したものと認めることはできないというべきである。
4 以上のとおりであるから、本件メモの作成によって本件メモに記載された内容の契約が成立したものと認めることはできず、したがって、これによって本件メモの記載に係る五〇万ドルにつき第一審被告の第一審原告に対する支払義務が発生したものということはできない。
5 第一審原告は、リーが本件書簡等において本件メモを「the contract」と呼んだことから、第一審被告が本訴においてこれを契約でないと主張することが禁反言の法理に照らし許されない旨及びその時点で本件メモが契約としての効力を生じ、あるいはその内容による契約が成立するに至った旨を主張する。
しかしながら、当該記載は、契約交渉にはたけていても法律の専門家ではないリーが経営者として発した書簡において、本件メモを指して「the contract」等と呼び、これを遵守又は尊重する(honor)旨述べたものにとどまり、本件メモが契約として当事者を法的に拘束する効力を有すること自体を表示したものではない。そして、前記二5(一)、(二)に認定のとおり、本件書簡が発せられる前の段階において、被告会社の実務レベルからは、被告会社の法務部門の承認を得て契約書に署名するまでは支払をすることができない旨の意思が原告会社に伝えられているのである。加えて、本件メモを取り交わした趣旨が前記1判示のとおりのものと認められる以上、ラグナーソンにおいてもその趣旨は当然に了解していたものと認めるべきであり、そうとすれば、リーが右のとおり「the contract」等の用語を用いたからといって、これによりラグナーソンが本件メモにより両社間に契約が成立したものと考えるに至ったと認めることもできないものというべきである。
したがって、リーが本件書簡等において本件メモを「the contract」等と呼んだことをもって、被告会社が原告会社に対し、本件メモが契約としての法的効果を有し、契約書の調印に至ると否とにかかわらず本件メモに基づく被告会社の五〇万ドルの支払義務を認める旨を表明したものであり、これに反する主張が禁反言の法理により許されないものということはできないし、また、リーが本件メモを「the contract」等と呼んだことにより、その時点で本件メモが契約としての効力を生じ、あるいは本件メモの内容による契約が成立したものということもできないというべきであって、第一審原告のこれらの主張は、採用することができない。
6 なお、第一審原告は、前記二5(二)に認定のとおり、一九九五年一一月一七日当時、被告会社の担当者から被告会社のリーらが契約条項につきほぼ了解した旨の連絡があった旨を指摘するけれども、右認定のこれらの連絡文面によれば、これらはいずれも契約条項についての協議の過程における状況の抽象的な報告に過ぎないものというべきであるから、以上の判断を左右するに足りるものということはできない。
四 以上によれば、第一審原告と第一審被告の間に本件メモの記載内容のとおりの契約が成立したものと認めることはできないから、第一審被告の債務不履行を理由とする第一審原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないというべきである。
よって、第一審原告の請求は棄却すべきであるから、第一審被告の控訴に基づき、右請求を一部認容した原判決を取り消した上、右請求を棄却することとし、また、第一審原告の控訴は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 濱崎恭生 裁判官 田中信義 松並重雄)