東京高等裁判所 平成11年(ネ)2282号 判決
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
控訴棄却
第二事案の概要
本件事案の概要は、次のとおり当審における当事者双方の主張を付加するほかは、原判決の事実及び理由の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決書一八頁一〇行目の「地代」を「家賃」と改める。)。
一 控訴人の主張
1 賃料増額の意思表示について
(一) 本件では、平成五年一〇月一日時点での賃料増額を求める意思表示がない。すなわち、被控訴人が平成四年七月一〇日、同年一〇月一日からの賃料を月額六〇〇万円とする旨意思表示したことにより、平成四年一〇月一日時点で、六〇〇万円を上限として相当額に増額された地代が、平成六年一〇月一日時点で賃料増額の意思表示がされるまで変動することなく継続するはずであった。ところが、平成四年一〇月一日の地代については、月額三五〇万円とする調停が成立したため、平成六年一〇月一日までの地代は、右「増額請求の結果である相当額」ではなく、右調停(合意)により定まった賃料が継続することになった。よって、平成六年一〇月一日における地代額は月額三五〇万円である。
(二) 仮に、右調停による合意が控訴人が被控訴人に対して支払うべき平成四年一〇月一日から平成六年九月三〇日までの差額賃料をいくらにするかについて成立した合意に過ぎず、依然として平成四年七月一〇日の賃料増額の意思表示の結果、相当額に増額された効果が存続しているとしても、その場合の平成六年一〇月一日の地代額は、平成四年一〇月一日時点でいくらに増額されたかの問題となるところ、原判決は右時点での相当賃料額について慎重な検討をせず、本件鑑定を無批判的に採用するもので失当である。
2 弁済提供について
(一) 控訴人は、被控訴人に対し、平成一一年八月二日、平成五年一〇月分から平成一〇年一二月分の地代について、控訴人が相当と考える賃料(平成六年九月三〇日までは月額三五〇万円、同年一〇月一日から平成七年一二月三一日までは月額四五〇万円、平成八年一月一日からは月額五〇〇万円)と既に支払った賃料(月額三五〇万円)の差額元本六九〇〇万円を被控訴人名義の銀行口座に振り込む方法で支払った。ところが、被控訴人は、右送金に対し、その受領を拒否し、平成一一年八月九日、右金額を控訴人に返金してきた。
(二) なお、その後、控訴人は、被控訴人に対し、同月三一日、同月分の地代として、控訴人が相当と考える賃料五〇〇万円を前同様の方法により支払ったが、これについても被控訴人は右金員のうち一五〇万円を返金してきた。
二 被控訴人の主張
1 賃料増額の意思表示について
控訴人は、平成四年七月一〇日の増額の意思表示を撤回していない。平成六年の意思表示(原判決事実及び理由の「第二 事案の概要」の一の6記載の平成五年一〇月一日からの請求)は、右増額後の平成四年一〇月一日から一年間に限り請求する賃料額の上限を下げたものに過ぎないし、本訴提起後の調停において、控訴人と妥協するため、やむを得ず段階的増額の提案をし、調停委員の説得を受けて、その余の賃料額算定の基礎となるものではないということで、右平成四年一〇月一日から平成五年九月三〇日までの期間についてのみの一部調停を成立させたものである。右調停により成立した最終合意賃料を前提に相当地代額が算定されるべきであるという控訴人の主張は右の経緯を無視し、また段階的賃料増額請求の全体が訴訟となっている場合において、その一部の期間の賃料のみについて調停で定められた賃料を当該訴訟において基準賃料とするものであって失当である。
2 弁済提供の主張について
(一) 控訴人が平成一一年八月二日に六九〇〇万円を被控訴人の銀行口座に送金してきたこと、及び被控訴人がその受領を拒否したことは認める。なお、控訴人が被控訴人に対し、同月三一日に五〇〇万円を送金してきたこと、及び被控訴人がそのうち一五〇万円を控訴人に返金したことも認める。
(二) 債務者が弁済提供により免責を受けるためには、右弁済提供が債務の本旨に従ったものであることを要する。しかしながら、控訴人の右送金は、月額地代額を平成五年一〇月一日から平成六年九月三〇日までを三五〇万円、同年一〇月一日から平成七年一二月三一日までを四五〇万円、平成八年一月一日以降を五〇〇万円とするものであり、右金額は、控訴中とはいえ、原判決の認容額と対比しても著しく乖離するものであって、とうてい債務の本旨に従ったものとはいえない。また、控訴人は、借地借家法に基づく従前地代との差額に対する利息の請求を権利濫用であると主張して、右利息金を提供していない。
さらに、債権者が債務の弁済について受領を拒否したときは、債務者は供託することができるが、控訴人は、右金員の返還を受けた後に供託をしていない。控訴人としては、増額幅について係争中であり適正地代額を知り得ないとしても、控訴人が相当と考える地代額を供託しない以上、債務不履行の責任を免れないというべきである。
第三争点に対する判断
一 当裁判所の争点に対する判断は、1ないし6のとおり原判決を改訂し、7以下に当審における控訴人の主張に対する当裁判所の判断を付加するほかは、原判決の事実及び理由の「第三 争点に対する判断」欄に説示のとおりであるから、これを引用する(ただし、争点4(更新料請求権の存否)についての判断部分を除く。右争点にかかる更新料の請求部分については、不服申立がないので判断しない。)。
1 原判決書三二頁五行目の末尾に、以下のとおり加える。
「 その後、片倉生命は日産生命に吸収合併され、本件土地は、昭和二三年一一月一〇日、同年三月三一日包括移転を原因として、日産生命(当時の商号は日新生命保険相互会社)に所有権移転登記された。また、本件土地について昭和一二年二月一日締結された控訴人と片倉生命との土地賃貸借追加契約証(甲一の二)において、右賃貸借契約の期間は昭和一〇年一月一日から六〇年間、賃料は原契約の時から二〇年間増減しないこと、転貸及び賃借権の譲渡ができることなどが約され、新館について右当事者間で右同日締結された建物賃貸借追加契約証(甲三の三)において、右賃貸借契約の期間は昭和一二年一月一日から二〇年間、賃料は原契約の時から二〇年間増減しないこと、転貸及び賃借権譲渡ができることなどが約された。」
2 原判決書三二頁一〇行目の末尾に「なお、右土地、建物の売買は、日産生命から被控訴人に持ち込まれたものであり、被控訴人は日産生命の意向によって右売買契約に先立って控訴人と接触しなかった。控訴人は、右売買については日産生命からも事前の連絡を受けておらず、右売買契約成立後の同年四月ころ初めてこれを知ったものである。」を加える。
3 原判決書三三頁三行目の「困難であるとの態度であり、」の次に「被控訴人は新館だけでも先に開発工事をしたいという趣旨で、新館についての賃貸借契約の解約を申し入れたが、これも被控訴人の同意が得られず、結局」を加える。
4 原判決書三七頁一一行目の「ましてや、」から同三八頁三行目末尾までを、以下のとおり改める。
「 また、控訴人が主張する主観的事情としては、控訴人と片倉生命とが親会社、子会社の関係にあり、設立したばかりの片倉生命の経営基盤を安定させるために、被控訴人からの賃料という形で確定し、安定した収入を得ること等、恩恵的な関係が主たる事情であったと認められ、その他の事情については、原審証人秋山隆夫は「その他は何となく、いわく言い難しと言うんでしょうか」との旨証言しているが、具体的内容は証言していないのであって、結局のところ、右主観的事情とは、もっぱら控訴人と片倉生命がかって親会社、子会社の関係にあったことに帰するものといわざるを得ない。そして、被控訴人が本件土地や新館を取得するに当たって控訴人との事前折衝はなかったものであり、被控訴人が本件各賃貸借契約を承継した際に控訴人に対して示した日産生命から受領していた控訴人との契約書関係書類には前記のような賃料額が投下資本の六パーセントに当たる金額が基準とされていたことなどの事情が明記されたものはなかったことは前記のとおりであり、その際控訴人と被控訴人との間で右のような合意がされたことを認めるに足りる証拠もない。ましてや、控訴人と被控訴人とは資本提携関係も、親会社・子会社の関係にもないのであって、前記の控訴人主張の主観的事情を存続させる基本的な事実関係を欠くものである上、本件賃料額増額の意思表示がされた平成四年七月一〇日時点では、被控訴人が賃貸人となってからも既に二〇年程を経過しているのであって、控訴人主張の主観的事情は、本件賃料額の査定に当たって格別考慮すべき重要な事情とは認められない。」
5 原判決書四一頁二行目の「からといって、」の次に「そのことは本件土地と新館について同一当事者間で賃貸借契約が成立している以上格別異とするに足りないのであって、」を、同四二頁六行目の「である」の次に「(なお、被控訴人は新館の賃貸借契約の賃料について、前記調停の過程で本件土地についての地代額についての妥結を図るために、従前の賃料額のまま据え置くことにしたものであり、本訴においても右新館の賃料額についての請求はしていない。)」を、それぞれ加える。
6 原判決書四九頁九行目の「平成六年の請求は」を「前記平成六年の平成五年一〇月一日から月額五〇〇万円とする請求は、被控訴人が平成四年七月一〇日に増額の意思表示をした後に、控訴人と具体的な増額幅についての交渉を行ったが合意に達せず日時が経過した段階の平成六年一月になって、被控訴人としての譲歩案として、過去の時点である平成四年一〇月一日からの賃料額とともに、平成五年一〇月一日からの賃料額として提案したにすぎないのであるから」と改める。
7 控訴人の当審における主張1について
(一) 控訴人の右主張の(一)を採用することができないことは、既に判示したとおりである。
(二) 控訴人の右主張の(二)については、平成四年一〇月一日当時の適正地代額が月額五〇〇万円を下るものでないことは、既に判示したとおりである。右の月額五〇〇万円は、それ以前の地代額と比較すると二・五倍に相当するものであるから大幅な増額となるものではあるが、平成四年当時の固・都税額と対比すれば一・一四倍弱であるし、前回の平成元年の増額以降も右固・都税額の増加が著しいものであったこと及び証拠(甲一四、一五)を総合して考えれば、右月額五〇〇万円の地代額が相当性を欠くものであるとはいいがたい(なお、本件鑑定(甲一四)では、平成八年一月一日の適正地代を基準に消費者物価指数等を用いた逆スライド指数による平成四年一〇月一日時点の算定賃料も参考にしている。)。控訴人の右主張も採用することはできない。
なお、平成四年以降も本件土地の固・都税額は著しく増加し、平成六年当時のそれは五四六万四四九一円に達していたものであるところ、前記月額五〇〇万円の地代は、右固・都税額を下回るに至ってさえいたのであるから、平成六年一〇月一日当時不相当になっていたものと認めることができる。そして、平成六年一〇月一日時点における適正地代額は六〇〇万円を下らないものと認められることは、既に判示したとおりである(平成八年当時の固・都税額が右月額賃料額六〇〇万円を上回るに至ったことも前記認定のとおりである。)。
8 控訴人の当審における主張2について
控訴人が被控訴人に対し、平成一一年八月二日、平成五年一〇月分から平成一〇年一二月分の地代として六九〇〇万円を被控訴人の銀行口座に振り込む方法で支払ったこと、ところが、被控訴人は、右送金に対し、その受領を拒否し、平成一一年八月九日、右金額を控訴人に返金したことは当事者間に争いがない。そして、右六九〇〇万円は、控訴人が相当と考える賃料(平成六年九月三〇日までは月額三五〇万円、同年一〇月一日から平成七年一二月三一日までは月額四五〇万円、平成八年一月一日からは月額五〇〇万円)と既に支払った賃料(月額三五〇万円)の差額の合計額であり、控訴人は、被控訴人に対し、右金員を差額の賃料元本として送金したものであることは控訴人の主張自体から明らかである。しかしながら、一部弁済の提供については、分割可能な金銭債権であっても原則として債務の全額であることを要すると解すべきであるところ、控訴人が送金した金額は、原判決が認容した金額に元本金額だけでも一億九〇〇〇万円以上不足するほか、利息金を含まず、元本に充当するというものであること、本件のような賃料増額請求にかかる適正賃料額が争われる場合には、借地借家法一一条二項により、被控訴人は、その増額を正当とする裁判が確定するまでの間は相当と認める金額を供託することができるとされていることからすれば、控訴人の右金員の提供はこれをもって賃料債務の適法な提供に当たるとはいいがたいものといわざるを得ない。控訴人としては、右法条に基づき相当と認める金額を供託することによって、その範囲内で履行遅滞の責を免れることができるから、右のように解したからといって格別の不利益を被るものでもない。控訴人の前記主張は採用することができない。
9 なお、控訴の理由に鑑み、借地借家法の利息請求が権利濫用であるとの控訴人の主張についての当裁判所の判断を念のため付言しておくこととする。
控訴人は、現下の低金利時代にあっては、本来借地借家人保護の立場にある利息の年一割の利率が懲罰的利率と化しており、将来の一割の請求をおそれて、借地人としては自己が相当と考える額を超えて支払わざるを得ないのであり、過払い分が返還されるということは実体法上の観念論に過ぎず、解決するまでの期間、本来支払う必要のない金額を支出して運用できないという不利益を負い、他方、地主は本来調達できないはずの高金利の資金を運用できることになるから、被控訴人の本件利息請求は権利の濫用であり、これを認めなかった原判決は経済社会の常識に妥当した生きた法解釈とはいえない旨主張する。しかしながら、借地借家法一一条二項の規定は、賃料増額につき当事者間に協議が整わないときは、賃借人はその増額を正当とする裁判が確定するまでは自己が正当と認める賃料を支払っておけば足り、後日裁判によって右支払額が適正賃料に不足することが明らかとなっても、履行遅滞(賃料不払)の責めを負うことはないが、そのかわり不足額に年一割の利息を付して支払うものとして、賃貸人と賃借人との利害の調整を図っているものであるから、不足額について年一割の利息の支払いの定めが賃借人に一方的に不利益を与える趣旨でないことは明らかであるし、控訴人の指摘するように現在の我が国が低金利時代にあるからといって、借地借家法に定める右年一割の利率が公序に反するものとはとうてい認めることができない。控訴人の右主張も採用することができない。また、控訴人は、本件鑑定によるスライド法、差額配分法、比準法(賃貸事例比較法)の試算結果を前提としても、本件賃貸借契約の特殊性に鑑みれば、右三手法を七対二対一あるいは六対三対一の割合で考慮すべきである旨主張するが、本件鑑定は本件地代額の算定に当たって現行賃料が固・都税額を大幅に下回っていたことからスライド法では純賃料(現行賃料から固定資産税額を控除したもの)の算定ができないとしながらもスライド法で得られた結果も参酌し、差額配分法の積算賃料ないし比準法の比準賃料から控除する現行賃料を固定資産税相当額と仮定し、差額配分について三分法を採用したものであって、その算定方法が控訴人の主張するスライド法(本件では同法による資産賃料額は固・都税額を下回る。)の比重を七割ないし六割とする算定方法より合理性を欠くものとは認めがたい。控訴人の右主張も採用することができない。
二 以上によれば、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法六七条、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 宗宮英俊 裁判官 川口代志子)