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東京高等裁判所 平成11年(ネ)2948号 判決 1999年12月20日

控訴人

田口正夫

田口行代

右両名訴訟代理人弁護士

久保田昭夫

宮坂浩

石井麦生

被控訴人

山口善久

右訴訟代理人弁護士

高田利廣

小海正勝

石原寛

山川隆久

青木英憲

遠藤賢治

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  訴訟費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人らの控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人らに対し、各金四三五六万四一九九円ずつ及びこれに対する平成六年一〇月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、一、二審を通じて、被控訴人の負担とする。

4  仮執行宣言

二  被控訴人の答弁

主文同旨

三  控訴人らの本訴請求の趣旨

右控訴人の控訴の趣旨2のとおり。

第二  当事者の主張

本件における当事者双方の主張は、原判決四頁一〇行目に「原告ら」とある次に「(以下、控訴人田口正夫を「控訴人正夫」、控訴人田口行代を「控訴人行代」という。)」を加え、同五頁一行目に「東京都」とあるのを「東京都八王子市」に改め、同一三頁六行目の次に行を改めて、

「右稚幸の逸失利益について、控訴人らは、各自二分の一ずつを相続した。」を加えるほかは、原判決の「事実」欄の「第二 当事者の主張」の項の記載のとおりであるから、この記載を引用する。

すなわち、本件は、平成六年一〇月八日に左肩甲軟部悪性腫瘍の全身転移による急性呼吸不全(甲三の死亡診断書)のため死亡した稚幸について、その前年の五月七日に本件診療所に来院した同人を診察し、その左肩背部にできた瘤様の隆起について手術を行った被控訴人の治療行為に関して、悪性腫瘍の可能性を疑い、必要な諸検査を行い、あるいは他の医療機関に転医させる等の慎重な措置を採るべき注意義務の違反等があったといえるか否かが争われている事件である。

第三  当裁判所の判断

一  稚幸に対する診療の経過等

稚幸及び被控訴人の身上等、本件診療所及び永山病院における稚幸に対する診療の経過、稚幸の死亡に至る経緯等は、原判決の「理由」欄の「第一 争いのない事実」及び「第二 証拠及び弁論の全趣旨により認定した事実」の各項の説示のとおりであるから、この説示を引用する。ただし、原判決二四頁二行目に「八ないし一四」とあるのを「一一ないし一三」に、「二ないし八」とあるのを「二、三、七、八」にそれぞれ改め、同三行目に「書類送付嘱託に対する永山病院の送付書類、」とあるのを削除し、同二六頁一行目に「(以下「本件腫瘤」という。)」とあるのを「(以下「本件病変部」という。)」に改めるとともに、以下にそれぞれ「本件腫瘤」とある箇所をいずれも「本件病変部」に改め、また、同二八頁三行目から四行目までの「6」の項の記載を「控訴人行代は、稚幸が診療を受け終わった後、同人が同控訴人に対し、「おふくろ、取ってきたよ。脂肪の塊だって。」と言ったものと供述している。」に、同三〇頁三行目に「診療された旨」とあるのを「診療されたい旨」にそれぞれ改める。

右の事実経過等からすれば、本件において、被控訴人に控訴人らの主張するような医師としての注意義務違反があったものといえるか否かを判断するには、被控訴人が稚幸を診察した当時の本件病変部の形状及び性質がどのようなものであり、その形状及び性質に照らして、被控訴人の行った本件手術等の処置に不適切ないし不十分な点があったと考えられるか否かを検討する必要があることとなる。

二  本件病変部の形状と本件手術の内容について

1  被控訴人本人は、平成五年五月七日の診療時における稚幸の本件病変部の所見を、左上背部に鶏卵大でドーム状の波動を触れる状態の隆起を認めるもので、「膿瘍」であったものとし、これに対する処置として、診察を待つ他の患者が一五名から二〇名程度いる状況の中で、古屋の補助の下に、本件病変部にメスを入れて二センチメートル程度の切開を行ったところ、灰色の膿が少量の血液と共に排出され、さらに、切開部の周囲を指で押して排膿を促し、膿の量が多かったことから、稚幸をうつ伏せから立位にして更に排膿させ、膿が出なくなったところで、切開部からガーゼを挿入し、約一五分で処置を終えたものであり、カルテ(甲二、乙一の1)には、病名を「背部膿瘍」、処置の内容を「切開」と記載し、また、診療の点数として、皮膚切開術の二八〇点を示す「二八〇」の数字を記入したものと陳述(乙三)あるいは供述している。

また、本件手術の補助に当たった古屋も、稚幸の本件病変部にメスで三センチメートル前後の切開が入れられると、灰色の膿が驚くほど多量に排出されたとし、右の被控訴人本人の供述等と同旨の陳述(乙七)あるいは供述を行っている。

2  もっとも、本件レセプト(甲六)の傷病名欄には、稚幸の傷病名が「背部腫瘍」と記載されていること、また、本件手術の後、稚幸が控訴人行代に対して、「脂肪の塊を取ってきた」との趣旨を話していたことがうかがえること、さらに、稚幸が、後に永山病院の医師に対しても、同様の説明を行っていたものと認められることは、前記引用に係る原判決の説示にあるとおりであり、これらの事実を根拠に、控訴人らの側では、稚幸の本件病変部の症状が、単なる「膿瘍」ではなく、実は「腫瘍」であったものであり、本件手術の内容も、右の「腫瘍」を「切除」するというものであったと主張していることは、前記のとおりである。

しかしながら、右の本件レセプトの記載の点については、被控訴人及び本件レセプトの記載を行った本件診療所の職員である南部百子(以下「南部」という。)は、被控訴人の行ったカルテ(甲二、乙一の1)上の病名の記載の「膿瘍」の文字が「腫瘍」と紛らわしいものとなっていたため、南部がこれを読み誤って、本件レセプトに「腫瘍」と記載してしまったものであると陳述(乙三、八)あるいは供述しており、確かに、右のカルテ上の病名の記載が、「膿瘍」あるいは「腫瘍」のいずれであるかをにわかに判読し難いようなものとなっており(もっとも、乙一〇、一一、一二及び一三の各1ないし3、一四からすれば、被控訴人の筆跡としては、これは「腫瘍」ではなく「膿瘍」の記載と読み取れるところである。)、しかも、そこに記載された処置の内容が「切開」であって「切除」あるいは「摘出」ではなく、その診療の点数も当時の皮膚切開術の点数に相当する二八〇点と記載されていること(乙一五の保険点数便覧の記載によれば、この皮膚切開術の診療の点数に比して、腫瘍摘出術の診療の点数は、桁違いに大きな点数となることが認められる。)からすると、この被控訴人らの供述等には、首肯できるところがあるものというべきである。また、本件病変部の部位等からして、被控訴人による本件手術の具体的な施術内容等を稚幸自身が直接目にする機会があったものとは考えられないことからすると、右の稚幸自身の説明にどの程度の真実性があるかについても、疑問の余地が存するところである。

3  さらに、前記の被控訴人本人の供述等にあるとおり、本件手術が、他の外来患者を多数待たせたままの状況で行われた、約一五分程度の短時間で終了するような簡単なものであり、切開部の縫合も行われていないことなどからしても、本件病変部が「膿瘍」の症状を示していたものであり、被控訴人がこれを単に「切開」したにとどまるものであるとする右の被控訴人本人の供述等は、十分信用に値するものというべきである。

三  被控訴人の注意義務、過失について

右に認定したとおり、平成五年五月七日の診療時における稚幸の本件病変部の症状が膿瘍であり、これに対して被控訴人の採った処置が単なる皮膚切開術であったものと考えられることからすると、本件病変部の症状が腫瘍であって、しかも、本件手術の内容が右腫瘍の切除ないしは摘出術であったことを前提として、被控訴人に、必要な組織検査等の慎重な措置を採ることを怠った過失があるとする控訴人らの主張は、既にその前提を欠くこととなるものというべきである。

もっとも、控訴人らは、本件病変部が膿瘍の症状を示していたとした場合においても、被控訴人としては、排出された膿の内容を確認するため、これを細菌培養検査に回すべき注意義務があるものとも主張しており、確かに、臨床医師のための手技のマニュアルを記載した書物(甲一八、一九)に、切開・排膿法の一内容として、採取した膿を細菌培養に提出するという方法が記載されているところである。

しかし、仮に、稚幸の本件病変部に見られたような膿瘍を切開した場合において、排出された膿について細菌培養検査を行うべきことが、医師としての一般的な注意義務とされているものと仮定した場合においても、この細菌培養検査を行うことによって判明するのは、感染症の原因となった菌の種類が何かということにとどまり(乙一八)、これによって癌細胞の有無が判明するというものではないことが認められる(証人間瀬泰克)。そうすると、本件においては、被控訴人が仮にこの細菌培養検査を行っていたとすれば、何らかの方法で、稚幸の悪性の軟部腫瘍(癌)による死亡という結果を避けることが可能になったはずであるという因果関係の存在を肯定することは困難なものといわざるを得ず、その意味において、控訴人らの右の主張も失当なものというべきである。また、本件の場合に、更に進んで、本件病変部の組織診又は細胞診検査を行うべきことが、医師としての注意義務とされるものと認めることも、到底困難なものというべきである。

結局、本件においては、被控訴人に控訴人らの主張するような医師としての注意義務違反があったものとすることはできないこととなる。

第四  結論

以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、控訴人らの本訴請求には理由がないこととなり、これを棄却した原判決は相当であるから、控訴人らの本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 涌井紀夫 裁判官 増山宏 裁判官 合田かつ子)

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