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東京高等裁判所 平成11年(ネ)3102号 判決 2000年3月14日

控訴人 富岡政雄

被控訴人 国 ほか三名

代理人 田村利郎 内田健文 ほか三名

主文

一  原判決を次のとおりに変更する。

1  (甲事件)

控訴人と被控訴人国との間において、

(一)  別紙物件目録一記載の土地と同目録五記載の土地の境界が別紙図面1中のZ点とY点を結んだ直線であると確定する。

(二)  同目録二記載の土地と同目録五記載の土地の境界が別紙図面1中のX点とY点を結んだ直線であると確定する。

2  (乙事件)

控訴人と被控訴人国を除くその余の被控訴人らとの間において、

(一)  別紙物件目録二記載の土地の北西端と同目録三記載の土地の南東端の境界接点が別紙図面1中のX点であると確定する。

(二)  別紙物件目録二記載の土地の北西端と同目録四記載の土地の北東端の境界点のみの確定を求める訴えを却下する。

3  (丙事件)

被控訴人国を除くその余の被控訴人らと控訴人との間において、

(一)  別紙物件目録六(四)記載の土地部分が右被控訴人らの共有に属することを確認する。

(二)  その余の共有権確認請求を棄却する。

二  控訴人と被控訴人国を除くその余の被控訴人らとの間に生じた訴訟費用は、第一、第二審を通じてこれを一〇分してその九を控訴人の負担とし、その余を右被控訴人らの負担とし、控訴人と被控訴人国との間においては生じた訴訟費用は第一、第二審を通じて全部控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  控訴人と被控訴人国との間において

(一) 別紙物件目録一記載の土地(以下「四七九番の土地」という。)と同目録五記載の土地(以下「本件道路」という。)の境界が別紙図面1中の二〇二点と二〇五点を結んだ直線であると確定する。

(二) 同目録二記載の土地(以下「四八〇番の土地」という。)と本件道路の境界は同図面中の二〇五点と二〇四点を結んだ直線であると確定する。

3  控訴人と被控訴人国を除くその余の被控訴人ら(以下「被控訴人ちよら」という。)との間において

(一) 四八〇番の土地の北西端と同目録三記載の土地(以下「四七八番一の土地」という。)の南東端の境界接点が別紙図面1中の二〇四点であると確定する。

(二) 四八〇番の土地の北西端と同目録四記載の土地(以下「四七八番二の土地」という。)の北東端の境界接点が別紙図面1中の二〇四点であると確定する。

(三) 別紙物件目録六(一)記載の土地部分の所有権確認請求を棄却する。

4  訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二事案の概要

一  当事者間に争いのない前提事実等

1  控訴人は、四七九番及び四八〇番の各土地を、被控訴人国は本件道路を、被控訴人ちよらは四七八番一及び四七八番二の各土地をそれぞれ所有している。

2  四七九番の土地と本件道路、四八〇番の土地と本件道路及び四七八番一、二の各土地の公図上の位置関係は、別紙図面5のとおりであって、<1>四七九番の土地はその西側で本件道路と隣接し、<2>四八〇番の土地は、本件道路とその北側の境界の一部、及びその西側において四七八番の二の土地と各隣接しているが、四七八番一の土地とは、四八〇番の土地の北西端と四七八番一の土地の南東端の一点を境界点としてのみ接しているものである。

3  本件道路はいわゆる赤道であって、その幅員は公図等から一・八メートルであると推認されるところ、現在、四七八番一の土地と四七九番の土地の間には、現況道路の土地部分は存在していない。本件道路の現地の位置につき、控訴人は別紙物件目録七(一)記載の土地部分であると主張し、被控訴人ちよら及び被控訴人国は別紙物件目録七(二)記載の土地部分であると主張している。

4  控訴人は、被控訴人国との間において

(一)四七九番の土地と本件道路の境界(以下「本件道路境界1」という。)が別紙図面1中の二〇二点と二〇五点を結んだ直線(以下「控訴人主張線1」という。)であると主張するのに対し、被控訴人国は同境界は別紙図面1中の二一四点と二一五点を結んだ直線(以下「本件国主張線1」という。)であると主張して、その境界の確定を求めている。

(二) 四八〇番の土地と本件道路の境界(以下「本件道路境界2」という。)は同図面中の二〇五点と二〇四点を結んだ直線であると主張するのに対し、被控訴人国は同境界は別紙図面1中の二一五点と七一点を結んだ直線であると主張して、その境界の確定を求めている。

5  控訴人は、被控訴人ちよらとの間において

四八〇番の土地の北西端と四七八番一の土地の南東端、四八〇番の土地の北西端と四七八番二の土地の北東端は、別紙図面中の二〇四点を境界点として接していると主張して、その各土地の一端の境界点のみの確定を求めている。

6  被控訴人ちよらは、控訴人との間において、別紙物件目録六(一)の土地(以下「本件係争地」という。)のうち別紙物件目録六(二)の土地部分(以下「本件係争地一部分」という。)は、四七八番一の土地の一部であり、別紙物件目録六(三)の土地部分(以下「本件係争地二部分」という。)は、四七八番二の土地の一部であって被控訴人ちよらの共有に属する土地であると主張するのに対し、控訴人は、本件係争地一部分は四七九番の土地と本件道路の現地であって控訴人も通行自由権を有する土地であると主張して、被控訴人ちよらの所有権を争っているので、その所有権確認を求めている。

なお、被控訴人ちよらの丙事件請求は被控訴人国との間では原判決の認容した主文三項のとおりの内容で確定している。

二  争点

本件における主要な争点は、控訴人と被控訴人のそれぞれの土地の使用占有状況、並びに各関係土地の公図(別紙図面5)上の形態から、本件道路の現地の位置、なかんずく本件道路と四七八番一の土地との境界(以下「本件第一境界」という。)を確定し、次いで四七八番二の土地と四八〇番の土地の境界(以下「本件第二境界」という。)の北端の位置を審究することにより本件係争地の所有関係を確認することである。控訴人は、本件第一境界は別紙図面1中の二〇三点と二〇四点を結ぶ直線(以下「控訴人争点主張線」という。)であると主張するのに対し、被控訴人国及び被控訴人ちよらは、本件第一境界は別紙図面1中の二一三点と七一点を結ぶ直線(以下「被控訴人ら争点主張線」という。)であると主張している。

(争点に関する控訴人の主張)

1(一) 本件道路は現地においてその形状を認めることはできないから、その現地は公図に基づいて確定するのが相当である。

(二) 現在四七八番一の土地と北側道路を隔てるブロック塀(以下「本件ブロック塀」という。)が別紙図面2、3に記載のとおり存するが、本件ブロック塀の基礎部分にはかつては石積(以下「本件石積」という。)が存した。本件石積は、控訴人主張の本件道路の現地の北西端である別紙図面中の二〇三点までしかなかった。それは、被控訴人ちよらにおいては、右二〇三点までが四七八番一の土地の東端と考えていたことを示している。

(三) 本件係争地一部分上に現在ある現存の便所は、昭和四一年に建築されたものであり、現在ある大溜は昭和四八年ころ設けられたものである。

(四) 本件係争地一部分上に現在生け垣として栽植されている珊瑚樹は以前にあった生け垣のさらに東側に植えられたものである。

2 被控訴人ちよ方においては、本件道路を昭和二〇年以前の戦争中から侵食したものである。

3 本件道路はいわゆる法定外公共用財産であり、管理者である群馬県知事は公用廃止の手続をとっていないから、本件係争地のうち本件道路部分は時効取得の対象とはならない。

(争点に関する被控訴人ちよらの主張)

1 四七八番一、二の各土地は、亡冨岡傳次(以下「伝次」という。)が、大正一一年四月二一日、冨岡熊五郎から買い受け、昭和三一年三月五日、冨岡武(以下、「武」という。)が相続し、さらに昭和六三年一月五日、被控訴人ちよらが相続したものである。

2(一) 四七八番一の土地の現地は、被控訴人ら争点主張線の西側に位置し、右主張線上には以前から生垣が存して、本件道路との境界は明らかであったし、その敷地内には、大正一五年に伝次が建築した木造瓦葺平家建の居宅一棟(登記簿上の床面積二四坪五合)(以下「本件旧建物」という。)が存したほか、本件係争地一部分上には、別紙図面1ないし3(以下「本件図面」という。)の記載の位置に便所(以下「本件旧便所」という。)、柿木(以下「本件柿木」という。)、大溜(糞尿を肥料にするため発酵させるための肥料溜、以下「本件大溜」という。)が、被控訴人ちよが、昭和一八年一月一一日に武と結婚して、本件旧建物に居住するようになった当時既に存在していた。

(二) なお、本件図面中に車庫と記載のある位置にある車庫(以下「本件車庫」という。)は、昭和四二年に、武が建築したものである。また、本件石積は本件ブロック塀の基礎部分の全部に亘って存しなかったものである。本件旧便所は取り壊されてほぼその場所に現存の便所(以下「本件便所」という。)が建築されたものである。

3 四八〇番の土地と四七八番二の土地の本件第二境界は、本件図面中の九五点、九四点、七五点を順次直線で結んだ線である。それは、被控訴人ちよ方と控訴人方では、数十年前から右各土地の境界に沿ってそれぞれ三五センチメートル幅の土地を出し合って畦道(以下「本件畦道」という。)を設置していたものであるが、その際、被控訴人ちよ方においては、本件畦道の四七八番二の土地側部分に沿って樹木を植えていた。現在でもその切株(以下「本件切株」という。)が別紙図面2、3に「木株」との記載の位置に残存している。

4 したがって、本件係争地一部分は四七八番一の土地の一部であり、本件係争地二部分は、四七八番二の土地の一部であるので、本件係争地は被控訴人ちよらの共有に属するものである。

5 仮に、被控訴人ちよらの本件係争地に関する主張が認められないとしても、

(一)武は、昭和三七年九月九日、一時その所有権を手放していた四七八番一、二の各土地を再度買い戻して、同日本件係争地の占有を開始し、以降昭和六三年一月五日までその占有を継続し、以降、被控訴人ちよらがその占有を承継して現在に至っている。

(二) 被控訴人ちよらは、平成一〇年九月九日の原審口頭弁論期日において、武の法的地位を相続により承継した相続人として取得時効を援用するとの意思を表示した。

(三) よって、武は、昭和五七年九月九日の経過をもって本件係争地について所有権を時効により取得した。

(四) 仮に、本件係争地の内に本件道路が含まれていたとしても、その部分は、被控訴人ちよ方においてこれを自己の屋敷地の一部として長年使用してきたものであるから、既に事実上の公用廃止処分がなされたものと解されるべきである。

(被控訴人国の争点に対する主張)

1 国の本件各境界についての主張は、従前の主張を撤回して、原判決確定とおりの境界であると主張する。

2 仮に、本件道路が被控訴人ちよらの時効取得地としての対象とされるとしても、本件道路はいわゆる法定外公共用財産であり、管理者である群馬県知事が公用廃止の手続をとっていないのであるから、本件道路が時効取得の対象とならない。

公共用財産について取得時効が成立するためには、公共用財産が、<1>長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、<2>公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、<3>その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、<4>最早その物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった場合であることを要する。しかるに、四七八番一の土地と四七九番の土地の間には、昭和六三年一月五日ころまで本件道路の現地に該当する里道の形態をもつ土地(以下「本件通路」という。)が存在していたのであり、控訴人がそれを自己の耕地として取り込んで耕作するまで、それを通路として利用していたのであるから、本件道路については公共用財産としての形態、機能の喪失があったものとはいえず、公共用財産として維持すべき理由がなくなったとはいえない。

第三争点等に対する当裁判所の判断

一  (境界確定について)

本件各土地の所有の経過、占有、使用状況等については、前記争いのない事実、並びに<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

1  本件各土地と同所四七八番の土地(以下「旧四七八番の土地」という。)は、武の父である伝次が大正一一年四月二一日に買い受けたものであるが、伝次が昭和三一年三月五日死亡したことから武が相続により承継した。しかし、同土地は、その後強制競売により齋藤秀明に競落された後、田口重徳が所有するところとなっていたが、武が、昭和三七年九月九日、これを買戻したうえ、昭和四六年八月二三日、現在の四七八番一、二の各土地に分筆した。そして、四七八番一は武の居宅の宅地として使用され、四七八番二の土地は従前どおり畑として以降も使用された。そして、前記のとおり武は、昭和六三年一月五日に死亡したため、現在被控訴人ちよらが右両土地を相続して共有している。

2(一)  旧四七八番の土地のうち四七八番一の土地部分は、その分筆前から宅地とされていて、伝次は、遅くも昭和初期ころには同地上に本件建物に改築される前の本件旧建物を建築するとともに、その便所として本件係争地一部分上の本件図面の中の各記載の場所に本件旧便所を建築し、そのころ本件大溜を設けた。

(二)  被控訴人ちよは、昭和一八年一月一一日に武と結婚して本件旧建物に居住を開始したが、その当時には既に本件係争地一部分上の本件図面の中の記載の場所にかなり成長した本件柿木が存在していた。そして、武と被控訴人ちよの夫婦とその家族は、前記のとおり旧四七八番の土地の所有権を失った期間も本件旧建物に居住を続けていた。

(三)  武は、昭和四二年秋ころ、本件旧便所が台風によって倒壊したことから、同所に本件旧便所を本件図面中の当該位置に現存する本件便所に建て直し、そのころ、本件車庫を建築した。

(四)  四七八番一の土地は、その北側にある公道より一段高くなっていたため土止めの意味もあって以前から敷地の北側には公道に沿って本件石積が存在した(ただし、本件係争地一部分の北側部分全部に本件石積が存したか否かは不明である。)。武は、昭和四六年ころ、四七八番一の土地はその北側に関しては本件図面中の二一点付近から二一三点までの間に本件ブロック塀を築造した(なお、本件係争地一部分中の本件図面中の二一三点付近には現在樫の木が二本あり、また、右ブロック塀の内側の敷地内には樫木の垣根が存在しているが、その樫木等は被控訴人ちよらのものであることは明らかであるが、それが植えられた経緯は証拠上定かではない。)。

(五)  そして、四七八番一の土地は、その東側については、本件旧建物が建てられたころにすでに武方の生け垣が存在し、その東外側に沿ってリヤカーがゆっくり通れる幅員のあるいわゆる馬入(赤道)と呼ばれていた本件通路が存し、本件通路は前記公道からその南側の突き当たりの当時桑畑であった四七九番、四八〇番の各土地で農作業をするため控訴人ないしその父清によって主として使用されていたものであったが、武と被控訴人ちよの家族の裏口からの出入りとしても使用されていたもので、他には近所の者が、本件通路の北端の入り口部分付近に自転車を止める程度に利用されていた。

(六)  本件係争地の東側には本件図面中の二一三点と七一点を結ぶほぼ直線上に珊瑚樹の被控訴人ちよ方の生け垣が現在存在するが、右珊瑚樹の生け垣は、昭和四二年ころに、同所部分に存した樫木の生け垣を伐採して植え替えされたものである(ただし、その南北の両端の本件図面中の二一三点及び七一点には境界杭等その境界点を正確に示すものは存在しなかったため、右植え替えがどの程度正確に従前の樫の木の生け垣線を再現したものかは、その栽植作業の性質からすると疑いがある。)。もっとも、控訴人ないしその先代清等からその植え替え線が従前の生け垣線を越境している等の抗議が本件紛争に至るまでされたことはなかった。

(七)  本件通路は、前記認定の位置に少なくとも昭和五〇年ころまでその大部分は存したことは客観的に明らかであり(鑑定書添付の昭和三五年、昭和四五年、昭和五〇年各撮影の航空写真参照)、その後も昭和六三年一月に武が亡くなる前まではその存在が確認できる状態であったが、控訴人が本件通路はその所有する四七九番の土地の一部であり、本件道路の現地は本件係争地一部分中にあるべきであると主張して、次第に本件通路を耕作して侵食するようになり、平成三年四月には前記珊瑚樹の生け垣の根本近くまで自己の畑として取り込んでしまったため、消滅するに至った。

3  被控訴人ちよ方と控訴人方の双方は、いずれも畑であった四七八番二の土地と四八〇番の土地の間に双方が帯状の土地を出し合って本件畦道を設置した(ただし、その出し合った土地の幅員については、被控訴人ちよらは三五センチメートルと供述するが、通常の畦道としての幅員としては多少疑問があるも、実際に存在した本件畦道の幅員に関する客観的証拠はない。)。そして被控訴人ちよ方にあっては四七八番の二の土地のうちの耕作地部分の東側に本件畦道との境を示すものとして桑の木を植えていたが、成長し過ぎたので昭和四六年ころ右桑の木を抜いてカイズガイブキの木に植え替え、さらに昭和六二年には右カイズガイブキの木も伐採した。被控訴人ちよらと控訴人との間においては、四七八番二の土地と四八〇番の土地は、本件図面に記載のとおりの状態で隣接していて、その境界の北端の地点については争いになっている。

本件図面中の九四点と七五点結ぶ直線の西側には同線から多少離れた位置に前記カイズガイブキの木の切り株六個が線状に同図面記載の該当位置に現存している(しかしながら、本件第二境界の北端の位置を客観的に示す境界杭、境界木等の何ら存在しない。右北端の境界点が別紙図面1中の七五点であり、その南端の境界点が別紙図面2、3中の九五点であることについては双方当事者等の同所付近の耕作状況以外にはなく、他にその客観的根拠は見あたらないものである。さらにその北端の点が、控訴人主張の別紙図面1中の二〇四点であることを推測させる証拠は全くない。)。

4  四七九番及び四八〇番の各土地は、控訴人ないしその先代の清が同じく所有していたと見られる同所五〇七番及び同所四八一番の各土地と共に控訴人方において畑地として以前から耕作されているものであるが、四七九番の土地と本件道路との間の境界を示す境界杭、石、樹木等は何ら存在しない。

二(公図との形状の比較等について)

鑑定の結果及び本件各土地を含む地域の公図である別紙図面5によれば、公図上における四七八番一、二の各土地、四七九番の土地、四八〇番の土地、本件道路の位置関係並びに各その境界線の形態は、別紙図面5(公図)に記載のとおりである。右によれば、本件第一境界と本件第二境界の公図上の関係は、別紙図面5(公図)中のハ点の一点で接続しており、同ハ点においてやや東側に傾く「くの字」形となっていること、同ハ点は、四七八番一の土地の南東端、四七八番二の土地の北東端、四八〇番の土地の北西端、本件道路の南西端の四筆の会合点となっていることが認められる。

これに対し、本件第一境界線であると被控訴人ちよらが主張する前記本件珊瑚樹の生け垣線である本件図面中の二一三点と七一点を結んだ線と本件第二境界線の北端点とされる別紙図面1中の七五点は、一点において交わることがないことにおいて公図上の境界線の形と矛盾する。また、控訴人が主張する本件第一境界の境界線は、昭和初期から存在する本件旧便所、本件大溜、本件柿木より西側で本件旧建物側寄で、しかも昭和五〇年まで存したことが客観的に認められる本件通路のはるか西側寄りに存することとなり、本件係争地一部分の占有状況と著しく矛盾するものである。

三  以上の本件係争地一部分の占有、使用状況の経緯並びに本件通路の存在した位置、公図上の本件各境界線の形状とその関係等の以上の事実関係を総合勘案すると、本件道路と四七八番一の土地との本件第一境界の位置は、本件旧便所、本件大溜、本件柿木の東側であって、ほぼ現在の珊瑚樹の生け垣線に沿うものでその栽植作業による以前の生け垣線の復元の誤差の範囲であるとみられ得る直線であり、本件第一境界線と本件第二境界線が一点で接続することから公図の形状とも合致し、また、被控訴人ちよらの土地が別紙図面1中の前記木株線より東側にも存することを総合すると、別紙図面1中の二一三点と同図面中の七一点と七五点の点を結んだ線の間のX点とを結んだ直線と確定し、かつ、四七八番二の土地と四八〇番の土地の本件第二境界は、その北端の起点をX点とするのが相当である。

また、本件道路の幅員は前記のとおり一・八メートルであるので、四八〇番の土地と本件道路の本件道路境界2はX点と二一〇点とを結ぶ直線上のX点から一・八メートル東側の地点であるY点とX点とを結ぶ直線すなわち同図面中のY点とX点を結んだ直線と確定するのが相当である。

そして、四七九番の土地と本件道路との本件道路境界1は、X点と二一三点を結ぶ直線と平行なY点を通る直線と二一三点と二一四点を結ぶ直線との交点であるZ点とY点を結ぶ直線であると確定するのが相当である。

したがって、控訴人と被控訴人ちよらとの間においては、前記本件第一境界線及び第二境界の北端が別紙図面1中のX点であって、本件第二境界線はややX点からすると東方向に傾いているべきであることからすると、本件係争地二部分は四七八番二の土地の一部分であり、本件係争地一部分のうち、別紙物件目録六(四)の土地は四七八番一の土地の一部分であることは明らかなので、右各土地部分は被控訴人らの共有に属することが認められるが、本件係争地一部分のうちの別紙物件目録六(五)記載の土地(以下「本件取得時効対象地」という。)は、本件道路の一部であるので国有地であると認められる。もっとも、被控訴人ちよらと被控訴人国との間では、丙事件についての原判決部分は附帯控訴等がないので確定しているので、控訴人と被控訴人ちよらとの間でのみ右のとおり判断することとなる。

四  なお、被控訴人ちよらの主張する本件取得時効対象地についての取得時効の主張については、前記認定のとおり同土地が前記珊瑚樹の生け垣の四七八番一の土地の内側に存するので、武次いで被控訴人ちよらが昭和四二年ころから、その屋敷地の一部として現在に至るまで占有していることは認められるが、右珊瑚樹の生け垣の東側には本件取得時効対象地とならんで本件道路の大部分に当たる本件通路が昭和六三年ころまで存し、主として控訴人によってではあるが赤道として使用されていたことも前記のとおりであるから、未だ事実上公用廃止処分がなされたものとは認めるのは相当でないので、公共用地として私人の取得時効の対象とはならないものと認められる。

したがって、被控訴人ちよらの右取得時効の主張は採用できない。

五  ところで、境界確定訴訟という類型の民事訴訟が認められているのは、境界はもともと地番と地番との全体の界であって、地番によって表示される一筆の土地は私的所有・取引の単位であると同時に、地租改正の沿革的関連が示すとおり課税上の単位でもあり、その境界が市町村の境界となりうる公法上の単位であって、私人には一筆毎の土地の範囲を勝手に決める自由はない。したがって、所有権の範囲の争いは通常の所有権確認訴訟により得るのである。そのため境界確定訴訟は、境界の紛争は各隣接する筆毎に周囲の筆境とできるだけ矛盾のないように裁判所が当事者の申立てに拘束されることなく定めるものであるから、特段の事情(長大な境界の特定の一部のみに争いがあって、その確定によって一筆全体の確定がなされたのと同様の効果があるとき、又は、一筆の土地の同一境界に隣接する所有者を異にする複数の土地の一部とのみ境界の確定が必要とされるような場合等)のない限り、当事者が、隣接する各筆の境界全部を求めるのではなく、一筆の土地の境界の任意の一部や起点となる点のみの確定を求めることは許されないものと言わざるを得ない。

しかるところ、本件においては、控訴人は、自己の主張する本件各土地の境界の位置を前提に、境界線をもって隣接している本件四八〇番の土地と四七八番二の土地の境界については、特段の事情もないのに、あえてその境界全部の確定を求めずに、その境界の北の一端のみの境界点の確定を求めているものと認められるので、その訴えは境界確定訴訟としては利益を欠いて不適法であるというべきである。

第四結論

以上によれば、本件各土地の境界線の各確定は前記のとおりであるが、前記のとおり境界線をもって隣接している四七八番二の土地と四八〇番の土地の北端の境界点のみの確定を求める訴えは却下すべきであり、被控訴人ちよらの控訴人に対する本件係争地についての共有権の確認については、別紙物件目録六(四)記載の土地部分については理由があるが、その余の本件係争地である同目録六(五)記載の土地部分については理由がない。

よって、右と異なる原判決を変更することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 鬼頭季郎 慶田康男 廣田民生)

物件目録<略>

図面目録<略>

(参考)第一審(前橋地裁 平成五年(ワ)第七一号 平成五年(ワ)六七八号 平成一〇年(ワ)第二一〇号平成一一年四月二八日判決)

主文

一 甲事件

1 甲事件原告所有の別紙物件目録記載一の土地と同記載五の国有地との境界が別紙図面1(訴訟部分重図)記載二一四と二一五の各点を結んだ直線であることを確定する。

2 甲事件原告所有の別紙物件目録記載二の土地と同記載五の国有地との境界が別紙図面1(訴訟部分重図)記載二一五と七一の各点を結んだ直線であることを確定する。

二 乙事件

1 乙事件原告所有の別紙物件目録記載二の土地と乙事件被告ら所有の同記載三の土地との境界が別紙図面1(訴訟部分重図)記載七一、七五の各点を結んだ直線であることを確定する。

2 乙事件原告所有の別紙物件目録記載二の土地の北西端と乙事件被告ら所有の同記載四の土地の北東端とが別紙図面1(訴訟部分重図)記載七五の点において接することを確定する。

三 丙事件

別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇三、二一三、七一、七五、九四、A(九四、二〇四の各点を結ぶ直線と一九八、二〇〇の各点を結ぶ直線との交点)、一九八、B(九四、二〇四の各点を結ぶ直線と一九七、一九八の各点を結ぶ直線との交点)、二〇四及び二〇三の各点を順次結ぶ直線で囲まれた土地について、丙事件原告らが所有権を有することを確認する。

四 訴訟費用は、甲乙丙の全事件を通じてこれを三分し、その一を甲乙事件原告・丙事件被告の、その一を乙事件被告・丙事件原告らの、その余を甲丙事件被告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の請求

一 甲事件

1 甲事件原告(以下全事件を通じて「原告政雄」という。)

原告政雄所有の別紙物件目録記載一の土地(以下「四七九番」という。)と同記載五の土地(以下「本件道路」という。)との境界が別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇二、二〇五の各点を結んだ直線であることを確定する。

原告政雄所有の別紙物件目録記載二の土地(以下「四八〇番」という。)と本件道路との境界が別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇五、二〇四の各点を結んだ直線であることを確定する。

2 甲事件被告(以下全事件を通じて「被告国」という。)

原告政雄所有の四七九番と本件道路との境界が別紙図面1(訴訟部分重図)記載一九九、二〇〇の各点を結んだ直線であることを確定する。

原告政雄所有の四八〇番と本件道路との境界が別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇〇、一九八の各点を結んだ直線であることを確定する。

二 乙事件

1 原告政雄

原告政雄所有の四八〇番の北西端と乙事件被告冨岡ちよ(以下全事件を通じて「被告ちよ」という。)、同松村しげ子、同冨岡博一(以下全事件を通じて「被告博一」といい、右三名を一括して「被告ちよ等」という。)所有の別紙物件目録記載三の土地(以下「四七八番一」という。)の南東端が別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇四の点において接することを確定する。

原告政雄所有の四八〇番の北西端と被告ちよ等所有の別紙物件目録記載四の土地(以下「四七八番二」という。)の北東端とが別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇四の点において接することを確定する。

2 被告ちよ等

原告政雄所有の四八〇番と被告ちよ等所有の四七八番一の境界が別紙図面1(訴訟部分重図)記載七一、七五の各点を結んだ直線であることを確定する。

原告政雄所有の四八〇番の北西端と被告ちよ等所有の四七八番二の北東端とが別紙図面1(訴訟部分重図)記載七五の点において接することを確定する。

三 丙事件

1 被告ちよ等

別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇三、二一三、七一、七五、九四、A(九四、二〇四の各点を結んだ直線と一九八、二〇〇の各点を結ぶ直線との交点)、一九八、B(九四、二〇四の各点を結ぶ直線と一九七、一九八の各点を結ぶ直線との交点)、二〇四及び二〇三の各点を順次結んだ直線で囲まれた土地(以下「本件係争部分」といい、そのうち、同記載二〇三、二一三、七一、七五、C(一二、七五の各点を結ぶ直線と九四、二〇四の各点を結ぶ直線との交点)、A、一九八、B、二〇四及び二〇三の各点を順次結んだ直線で囲まれた土地を「係争部分1」と、その余の同記載七五、九四、C及び七五の各点を順次結んだ直線で囲まれた土地を「係争部分2」という。)について、被告ちよ等が所有権を有することを確認する。

2 原告政雄、被告国

被告ちよ等の請求を棄却する。

第二事案の概要

本件は、前記第一のとおり、甲事件において、四七九番、四八〇番を所有する原告政雄が右両土地と本件道路との境界の確定を、乙事件において、原告政雄が四八〇番と被告ちよ等が所有する四七八番一、二との接点の確定を求め、丙事件において、被告ちよ等が本件係争部分について所有権を有することの確認を求める事案であるが、全事件を通じて、主要な争点は、本件道路の位置である。

一 争いのない事実

1 原告政雄は四七九番、四八〇番を、被告ちよ等は四七八番一、二をそれぞれ所有している。

被告国は、本件道路を所有している。

2 四七八番一、二、四七九番、四八〇番及び本件道路の公図上の位置関係は、別紙図面5(公図)のとおりである。本件道路は、別紙図面5(公図)上、四七八番一(西側)と四七九番(東側)の間の赤色部分に位置して右両土地に隣接し、南方の四八〇番に通じている。

四七八番一、二、四七九番、四八〇番及び本件道路のおおまかな地形、位置関係は、別紙図面4及び別紙図面5(公図)のとおりである。

3 しかし、本件道路の正確な位置については当事者間に争いがある。

現地においては、本件道路が存在せず、四七八番一と四七九番が直接に隣接しているかのような状態になっており、四七九番、四八〇番と本件道路との境界は明らかでない。

また、本件係争部分の所有者につき当事者間に争いがある。

二 甲事件における当事者の主張

1 原告政雄

本件道路は現地においてその形状を認めることはできないから、公図に基づいて確定するのが相当である。そこで、公図に基づくと、本件道路は、別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇二、二〇三、二〇四、二〇五及び二〇二の各点を順次結んだ直線で囲まれた土地か、または、同記載一九九、二〇〇、一九八、一九七及び一九九の各点を順次結んだ直線で囲まれた土地ということになる。

従って、四七九番と本件道路との境界は別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇二、二〇五の各点を結んだ直線、または、同記載一九九、二〇〇の各点を結んだ直線とし、四八〇番と本件道路との境界は同記載二〇五、二〇四の各点を結んだ直線、または同記載二〇〇、一九八の各点を結んだ直線とするのが相当である。

2 被告国

本件道路は現地においてその形状を認めることはできないから、公図に基づいて確定するのが相当である。そこで、公図に基づくと、本件道路は別紙図面1(訴訟部分重図)記載一九九、二〇〇、一九八、一九七及び一九九の各点を順次結んだ直線で囲まれた土地というべきである。

従って、四七九番と本件道路は境界は別紙図面1(訴訟部分重図)記載一九九、二〇〇の各点を結んだ直線とし、四八〇番と本件道路との境界は同記載二〇〇、一九八の各点を結んだ直線とするのが相当である。

三 乙事件における当事者の主張

1 原告政雄

前記二1のとおり、本件道路は、別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇二、二〇三、二〇四、二〇五及び二〇二の各点を順次結んだ直線で囲まれた土地であり、四八〇番の北西端と四七八番一の南東端が同記載二〇四の点において接するものとし、四八〇番の北西端と四七八番二の北東端も同記載二〇四の点において接するのが相当である。

2 被告ちよ等

四七八番一、二は、亡冨岡傳次(以下「傳次」という。)が、大正一一年四月二一日、冨岡熊五郎から買い受け、昭和三一年三月五日、冨岡武(以下「武」という。)が相続し、さらに昭和六三年一月五日、被告ちよ等が相続したものである。四七八番一上には、大正一五年に傳次が建築した木造瓦葺平家建の居宅一棟、建坪二四坪五合、付属建物便所一棟外(以下「本件建物」という。)があるが、被告ちよは、昭和一八年一月一一日に武と結婚して以来、これに居住している。

係争部分1ないし原告政雄及び被告国が本件道路であると主張する部分には、柿ノ木、大溜、便所、生垣等があるが、これらは被告ちよが武と婚姻し本件建物に居住するようになった当初から既に現在の位置に存在していた。また、係争部分1にある車庫は、昭和四二年、武が被告博一のために建築したものである。

右占有状態に照らせば、本件道路は、別紙図面1(訴訟部分重図)記載二一三、二一四、二一五、七一及び二一三の各点を順次結んだ直線で囲まれた範囲に位置するというべきである。

従って、四八〇番と四七八番一の境界は別紙図面1(訴訟部分重図)記載七一、七五の各点を結んだ直線であるとし、四八〇番の北西端と四七八番二の北東端とは同記載七五の点において接するものとするのが相当である。

四 丙事件における当事者の主張

1 被告ちよ等

(一) 本件係争部分のうち、係争部分1は被告ちよ等所有の四七八番一の一部であり、係争部分2は被告ちよ等所有の四七八番二の一部である。

(二) 取得時効

武は、昭和三七年九月九日から昭和五七年九月九日まで、本件係争部分を占有していたから、武のために本件係争部分について所有権の取得時効が完成した。

武は昭和六三年一月五日に死亡し、被告ちよ等が武を相続した。

被告ちよ等は、平成一〇年九月九日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用するとの意思表示をした。

2 原告政雄

(一) 被告ちよ等の主張(一)は否認する。

本件係争部分は、本件道路及び四七九番、四八〇番の一部である。

(二) 被告ちよ等の主張(二)(取得時効)について

武が本件係争部分を占有していたとの点は否認する。

本件道路はいわゆる法定外公共用財産であり、管理者である群馬県知事は公用廃止の手続をとっていないから、時効取得の対象とはならない。

3 被告国

(一) 被告ちよ等の主張(一)のうち、地別紙図面1(訴訟部分重図)記載二〇三、二〇四、B、一九七及び二〇三の各点を順次結んだ直線で囲まれた土地が四七八番一の一部であることは認めるが、その余は否認する。同記載一九七、一九八、二〇〇、一九九及び一九七の各点を順次結んだ直線で囲まれた土地は本件道路の一部である。

(二) 被告ちよ等の主張(二)(取得時効)について

武が本件係争部分を占有していたとの点は不知。

本件道路はいわゆる法定外公共用財産であり、管理者である群馬県知事が公用廃止の手続をとっていないのであるから、本件道路が時効取得の対象とならないことは明らかである。

公共用財産について取得時効が成立するためには、公共用財産が、<1>長年の間、事実上公の目的に使用されることなく放置され、<2>公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、<3>その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、<4>もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった場合であることを要する。

しかるに、四七八番の東側には昭和六三年一月五日以降まもなく原告政雄が耕作を始めるまで里道の機能をもつ土地が存在していたのであり、これが本件道路に代わるものとして利用されていたのであるから、本件道路については依然として公共用財産としての形態、機能の喪失が認められるとはいえず、公共用財産として維持すべき理由がなくなったとはいえない。

第三判断

一 甲事件及び乙事件について

1 前記争いのない事実、<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 四七八番一、二は、昭和四六年八月二三日、四七八番を分筆したものである。分筆前の四七八番は、大正一一年四月二一日、武の父である傳次が売買により所有権を取得し、昭和三一年三月五日、相続により武が所有権を取得したものである。その後、右土地は、強制競売により齋藤秀明が取得し、次いで田口重徳が買い受けたが、昭和三七年九月九日、武がこれを買戻した。昭和六三年一月五日、被告ちよ等が武から相続により四七八番一、二の所有権を取得した。

(二) 四七八番一、四七九番、本件道路及び係争部分1付近の状況について

(1) 別紙図面2(C)記載のとおり、四七八番一(宅地)上には、木造瓦葺平家建の居宅一棟、建坪二四坪五合、付属建物便所一棟外(本件建物)があるが、これは大正一五年に傳次が建築したものである。武の妹千代子(大正八年生)も、本件建物で生まれて成育した。被告ちよは、昭和一八年一月一一日に武と結婚して以来、本件建物に居住している。

本件建物の敷地部分の使用状況は、前記(一)の分筆前の四七八番の所有権が齋藤秀明、田口重徳に移転した前後において変わらず、継続して右敷地として使用されていた。

(2) 別紙図面1(訴訟部分重図)、別紙図面2(C)記載のとおり、係争部分1には、柿ノ木、大溜、便所、車庫等があり、東端には生垣がある。

このうち、柿ノ木、大溜は、千代子(大正八年生)が子供であった昭和初めころには、既に現在の位置に存在していた。便所は、昭和四二年秋、台風の被害で倒壊した際、同じ場所に再築されたものである。車庫は、昭和四二年、被告博一が車を購入したのに伴い、武が建築したものである。

(3) 別紙図面1(訴訟部分重図)記載二一三の点に近い部分には樫の木が二本あり、二一から二一三にかけては樫の木の垣根が、その北側道路沿いにはブロック塀が築造されている。

ブロック塀は昭和四六年ころ築造されたものであるが、それ以前には四七八番一が北側の道路より一段高くなっていたため土止めの意味もあって道路にそって石積みが存在した。

(4) 生垣も、千代子が子供であった昭和初めころには、既に現在の位置、即ち別紙図面1(訴訟部分重図)記載二一三と七一の各点を結ぶ直線上に存在した。

現在の生垣は珊瑚樹からなっている。当初は樫の木の垣根であったが、昭和四二年四月ころ、武及び被告ちよが、もとあった樫の木を引抜いて、同じ場所に、現在の珊瑚樹の垣根を植え直した。

(5) 以上の経過で、生垣、即ち別紙図面1(訴訟部分重図)記載二一三と七一の各点を結ぶ直線以西の係争部分1は、昭和初めころには既に、武ないしその父の傳次が本件建物の敷地の一部として管理使用していたものであり、武が昭和六三年一月に死亡した後は被告ちよ等が同じく管理使用してきたものであった。

そのことについて、武が死亡して後記(6)の問題が生じるころまでは、原告政雄を含む関係者から何ら異議、抗議等はなかった。

(6) 生垣の東側には、南端で四八〇番に接し、リヤカーが通れる程度の幅の通路(以下「本件通路」という。)があった。千代子(大正八年生)が子供であった昭和初めころ、既に本件通路があり、生垣を境にして西側の本件建物敷地と東側の本件通路は一見して区別できる状況であった。本件通路の位置は、概ね別紙図面1(訴訟部分重図)記載二一三、二一四、二一五、七一及び二一三の各点を直線で結んだ範囲内であった。

本件通路は、古くから地元において、「馬入り」と呼ばれ、いわゆる里道として認識されていたものであり、主として当時桑畑であった四七九番、四八〇番等で農作業をするため原告政雄ないしその父清が使用していたが、被告ちよ等も四七八番一の北側にある通路へ出るための近道として利用することがあった。しかし、右通路は四八〇番にぶつかったところまでしかなかったため、他の人が利用することはほとんどなく、せいぜい、北端の入り口のところに自転車を止める程度の利用がされたにすぎなかった。

本件通路は、昭和六三年一月に武が亡くなる前までは存在したが、その後、原告政雄が本件通路は係地部分1中にあるべきであるなどと主張し、次第に本件通路を耕作して侵食するようになり、平成三年四月には珊瑚樹の根本近くまで耕作するに至って消滅した。

(三) 四七八番二と四八〇番の境界付近について

(1) 四七八番二は、同番一と分筆される前後を通じて武及びその家族が畑として使用占有していた。

(2) 当初、四七八番二と四八〇番とは別紙図面1(訴訟部分重図)、別紙図面2(C)各記載の九四、七五の各点を結んだ直線を中心に双方が土地を出し合い、そこに畦道が存在し、右畦道と四七八番二の境界を表すために、昭和四六年までは桑の木が、その後はカイズカイブキの木が植えられていた。

(3) 昭和六二年、木が大きくなりすぎたため、被告博一により伐採され、現在はその切り株が残っている。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

これに対し、原告政雄は、同原告が本件通路を耕作して侵食したことを否定し、被告ちよ等が生垣を樫の木から珊瑚樹に植え替えた際に元の場所より東側に植えて土地を取り込んだものであると主張する。

しかしながら、生垣が樫の木から珊瑚樹に植え替えられたのが昭和四二年であるところ、鑑定書添付の航空写真によれば、昭和四五年及び昭和五〇年当時本件通路は存在していたことが認められるから、本件通路が浸食されて消滅したのはその後となり、生垣が植え替えられた際に本件通路が浸食されたとはいえず、この点に関する原告政雄の主張は採用できない。現在、生垣の東側は通路部分がなくて、すべて原告政雄によって耕作されていることをも併せ考えれば、かつて存在した本件通路を浸食したのは原告政雄以外に考え難い。

2 右事実関係を総合すれば、かつて存在した本件通路の位置に本件道路があるものと認められる。そして、これと<証拠略>とを総合考慮すると、本件道路は別紙図面1(訴訟部分重図)記載二一三、二一四、二一五、七一及び二一三の各点を順次結んだ直線で囲まれた範囲にあるというべきである。

そして、本件道路の右位置関係を前提とすると、四七九番と本件道路との境界は別紙図面1(訴訟部分重図)記載二一四、二一五の各点を結んだ直線であり、四八〇番と本件道路との境界は同記載二一五、七一の各点を結んだ直線であり、四八〇番と四七八番一の境界は同記載七一、七五の各点を結んだ直線であり、四八〇番の北西端と四七八番二の北東端とが同記載七五の点において接しているとするのが相当である。

3 もっとも、公図は、その距離等の正確性には難があるが、境界が直線か曲線か、或いはいかなる線であるかについては比較的正確であるとされているところ、別紙図面5(公図)において、四七八番一と本件道路(赤道)との境界線は四七八番二と四八〇番との境界線にほぼ直線的につながっているようにみえる。これは、別紙図面1(訴訟部分重図)記載七一、七五の各点のところにおいて境界線が屈折しているとする右2の認定とは相違している。

しかしながら、別紙図面1(訴訟部分重図)記載七一、七五の各点を結んだ直線の距離は一・七八メートルとされていて、比較的短く、その程度の境界線の屈折の存否まで別紙図面5(公図)において正確に表示されているかについては、四七八番一、二、四七九番、四八〇番、その他の付近の土地は比較的地積が広いが、それらの土地の他の境界線についても、その詳細が同図面上に表示されているのか、本件道路は無番地の国有地(里道)であるが、その隣地との境界線が同公図上において十分管理され表示されてきたのかなどに関連して、疑問がないわけではない。

以上の点も考慮に入れて検討すると、前記1の占有状況が認められる本件においては、別紙図面5(公図)において四七八番一と本件道路(赤道)との境界線が四七八番二と四八〇番との境界線にほぼ直線的につながっているようにみえることをもって、別紙図面1(訴訟部分重図)記載七五、七一の各点付近の境界線を定める決定的な資料とすることはできず、右表示は未だ2の結論を左右するものとはいえない。

4 また、公簿面積と対照してみると、鑑定の結果によれば、本件道路と四七九番、四八〇番の境界を別紙図面1(訴訟部分重図)記載の二一四、二一五、七一の各点を結んだ直線とし、四八〇番と四七九番一の境界を同記載七一、七五の各点を結んだ直線とすると、被告ちよ等所有の四七八番一、二の合計実測面積はその合計公簿面積より八一・〇四平方メートル増となるが、原告政雄所有の四七九番、四八〇番に、四七九番の地積を決定する関係にあるその東に位置する五〇七番も加えた合計実測面積もその合計公簿面積より六・〇四平方メートル増となるから、2の結論を覆すものとまではいえない。

二 丙事件について

1 右一で判示したところによれば、本件係争部分のうち、係争部分1は四七八番一の一部であるから、これが被告ちよ等の所有であることは明らかである。

2 次に、本件係争部分のうち、係争部分2については、前記認定したとおり、四七八番二は、同番一と分筆される前後を通じて武及びその家族が畑として使用占有していたものであり、四七八番二と原告政雄所有の四八〇番とは別紙図面1(訴訟部分重図)、別紙図面2(C)各記載九四、七五の各点を結んだ直線を中心に双方が土地を出し合い、そこに畦道が存在し、右畦道と四七八番二の境界を表すために、昭和四六年までは桑の木が、その後はカイズカイブキの木が植えられ、現在ではその切り株が残っているものである。

これによれば、四七八番二と四八〇番との境界は別紙図面1(訴訟部分重図)記載九四、七五の点を直線で結んだ直線であるとするのが相当であり、係争部分2については四七八番二の一部として、やはり被告ちよ等の所有であるというべきである。

3 以上によれば、本件係争部分はすべて被告ちよ等の所有であるということができる。

三 よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 村田達生 中野智明 鈴木陽一郎)

物件目録<略>

図面目録<略>

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