東京高等裁判所 平成11年(ネ)4243号 判決 2000年3月29日
控訴人(原審原告)
【A】
右訴訟代理人弁護士
島田康男
被控訴人(原審被告)
【B】
右訴訟代理人弁護士
花岡康博
同
村松靖夫
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、原判決別紙書籍目録一の書籍のうち第I部第2章を削除しない限り、同書籍を出版してはならない。
3 被控訴人は、原判決別紙書籍目録二の書籍のうち第7章を削除しない限り、同書籍を出版してはならない。
4 被控訴人は、控訴人に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一〇月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
5 被控訴人は、朝日新聞、毎日新聞及び読売新聞の各朝刊全国版社会面、記名宛名は二倍活字、見出しは三倍活字、本文は一倍活字で原判決別紙謝罪広告目録記載の謝罪広告を各一回掲載せよ。
6 4項につき仮執行宣言
7 訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文と同旨
第二当事者の主張
当事者の主張の要点は、以下に付加するほかは、原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」及び「第三 争点及び当事者の主張」記載のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人
1 不法行為について
原判決は、著作権侵害の有無についてのみ判断し、不法行為を審理判断していない。けだし、他人の研究成果に依拠し、その研究成果をあたかも自己のもののごとく装って発表することは、他人の研究成果を奪い、成果発表の機会を奪い、学者・研究者としての名誉を傷つけるものであり、その発表の仕方が著作権侵害行為になるか否かにかかわらず、不法行為に該当する。原判決のように、被告第一論文並びに被告科研費論文及び第二論文の発表行為が著作権侵害に該当しないというだけでは、その行為が不法行為を構成するか否かを審理、判断したとはいえないのである。
本件で問題となっているのは、いわゆる小説ではなく、学術論文であるところ、学術論文においては、個々の記載の文章上の工夫より、論文の構造、論旨、論理展開が重要視される。新しい論文は、いかなる点が従来の研究と異なるのか、つまり、新しい視点が示されているか、いかなる論理構成が採られているか、といった点で評価される。そして、後輩研究者が先輩研究者と同じテーマで研究論文を発表することは当然に認められることである一方、先輩研究者といえども、自分がその分野の研究で先行したからといって、後輩研究者の研究成果を横取りしたり、研究論文を剽窃したりすることは許されないのである。そのような行為は、研究者の学問的業績に対する権利、利益を奪うものであって、不法行為を構成するものであり、特別法たる著作権法の規定に該当する場合は、著作権侵害をも構成する。
2 依拠について
著作権侵害の問題においては、依拠(アクセス)がなければ侵害が生じないことについて争いはなく、同一あるいは類似の論文であっても、それらの論文が無関係に別個独立に作成されたものであれば、それぞれが著作権法上保護されることになるから、まず、依拠の有無が問題となるのである。しかるに、原判決は、著作権侵害の判断において、同一性の有無のみを判断し、依拠の有無を判断していない。
そして、被控訴人が、既存著作物である原告論文を知っていたことに争いはなく、原判決別表1~6の記述から明らかなように、原告論文と被告第一論文との類似性も認められるのであるから、被告第一論文は、原告論文に依拠したものといえる。
また、被告科研費論文及び第二論文も、原判決別紙第二目録1~6の記述から明らかなように、原告報告に依拠するものである。例えば、被告科研費論文においては、そもそも地方参政権のテーマを論じているにもかかわらず、地方参政権と国政参政権の次元を混同している(同目録2参照)し、参政権の付与がどうして法律問題でなく政治問題となるのかを論証していない(同目録6参照)。しかも、不適切な参考文献が記載されている等、研究者としては有り得ないミスを犯していることから明らかである。
3 翻案について
本件において控訴人は、複製権の侵害ではなく翻案権の侵害を主張するものであるところ、翻案は二次著作物として保護されるのに対して、複製は著作物としての保護が与えられないから、翻案に該当するか否かの判断基準と複製に該当するか否かの判断基準は、当然異なるものとなるが、原判決は、この点についての配慮を払っておらず、結果的にその判断を誤ったものである。
すなわち、複製においては同一性が論じられるが、翻案においては「原著作物を感得し得るか」が論じられるのであるから、「感得し得るか否か」の判断基準は、類似をも含む実質的同一よりも更に広い範囲であり、同一性の薄い場合も含むのである。つまり、原著作物の内面的形式を維持しつつ、これに創意に基づき新たな具体的表現(外部的形式)を与えた場合が、翻案ということになる。
したがって、被告第一論文が原告論文を感得させる場合は、翻案と認められるのであり、自己の創作が付与されていることは、その認定を妨げるものではない。原判決は、この点について、いずれも表現の相違を根拠として翻案を否定しているが、これは、外部的形式の変更にとらわれて内面的形式が維持されていることへの配慮を怠ったものである。
なお、原判決の別表2及び3の記述を分割せずに検討すれば、被告第一論文が原告論文を翻案したものであることがより明確になるものである。
二 被控訴人
1 不法行為について
控訴人の主張するように、「他人の研究成果を自己の研究成果のように装う」という点を判断することは、「研究成果が何か」を判断することになるから、司法にとって可能かどうか疑わしく、このような問題については、一見して明らかに同一の論文であると判断されるような場合を除いて、本来、学界の評価に委ねられるべきものである。仮にこの点を判断するとしても、二つの研究が同一であるというためには、その目的、構成、議論の展開、結論が同じであることが必要である。したがって、二つの研究の同一性の判断は、理論的には表現でなく内容の問題であるとしても、二つの研究が論文という形式で表現されている以上、現実には著作権法上の翻案の有無の判断と大差のないものとなる。
本件の場合、原告論文と被告第一論文並びに原告報告と被告科研費論文及び第二論文をそれぞれ比較してみれば、一見して別個の論文であることは明らかである。しかも、両者は、その目的、構成、議論の展開、結論が全て異なっており、このことは原判決が明確に指摘している。
したがって、被控訴人が、被告第一論文等において原告論文等の研究成果を自らの研究成果のように装って発表したなどという事実は存在せず、控訴人の主張は成立し得ない。
2 依拠について
依拠が同一性とともに著作権侵害の要件であることに異論はないが、その侵害の有無を判断するに際して、まず依拠を判断しなければならないという論理的必然性はない。
そして、被告第一論文は、原告論文とその主張の形式も内容も全く異なり、これに依拠するものではない。けだし、被控訴人は、独自に【C】論文によって議論を展開しているのであって、原告論文を利用しているものではないからである。
また、被告科研費論文は、西欧諸国の事例から外国人の参政権を可能にする要因群とこれを困難にする要因群を分析的に抽出し、その上で外国人参政権を支える論理とこれに反対する論理を考察し、最後に日本において外国人参政権の問題を考えるについての示唆を論じているものである。したがって、被告科研費論文及び第二論文は、原告報告と、その目的、構成、議論の展開、結論等において共通するところはなく、全く別異のものであって、これに依拠するものではない。
なお、原告報告(甲第五号証)そのものにおいては、参考文献が掲げられておらず、控訴人が提出した論文(甲第四号証)は、原告報告の一年後に作成されたものであって、被告科研費論文が刊行された後のものである。さらに、「一九九四年シンポジウム英文報告書」の日本語訳(甲第八号証)にも参考文献が掲げられていない。したがって、原告報告の参考文献をそのまま写したとの控訴人の主張は、全く根拠を欠くものである。
3 翻案について
控訴人の主張のように、翻案において「原著作物を感得し得るか否か」という判断基準は、極めて感覚的なものであって、法律的基準としては何もないに等しい。翻案権侵害の判断基準としては、両著作物の表現形式上の本質的な特徴の同一性が挙げられねばならない。右の著作物の表現形式上の特徴は、著作物の種類によって当然異なるものであるが、本件で問題となっている学術論文においては、必ずしも個々の文章表現上の技法のみにあるわけでなく、「学術研究の主題、対象、そのための例証をする素材等の選択・量・組合せ、配列、論証の具体的な構成・筋道・展開、論述の具体的中身等の具体的な内容と形式を評価の要素」として考察されるべきである。
そして、原判決は、両論文の目的、構成、議論の展開等がいずれも異なるとし、控訴人が別表として掲げる表現部分についても、「類似性がない」「翻案したものではない」としており、被告第一論文等からは原告論文等の表現形式上の本質的な特徴を感得し得ないと結論したことが明らかである。
理由
一 原判決の引用
当裁判所も、控訴人の本訴請求はいずれも理由がないものと判断する。
その理由は、次に述べるとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」の「第四 当裁判所の判断」と同じであるから、これを引用する。
二 当審における控訴人の主張について
1 不法行為について
控訴人は、他人の研究成果に依拠し、その研究成果をあたかも自己のもののごとく装って発表することは、その発表の仕方が著作権侵害行為になるか否かにかかわらず、不法行為に該当するものであるのに、原判決は、著作権侵害の有無についてのみ判断し、不法行為を審理判断していないと主張する。
しかし、原判決は、争点一及び二において、被告第一論文並びに被告科研費論文及び第二論文が、いずれも原告論文及び原告報告を翻案したものであるか否かを詳細に検討した上、これを否定するに至り、このことを前提として、争点三において、これらの論文等の一部に共通する部分があるとしても、被告第一論文並びに被告科研費論文及び第二論文が原告論文及び原告報告を剽窃したものではなく、これらを発表することに違法性があるとは認められないと明確に判断している(原判決六三頁四行~六四頁七行)。そして、このように他人の論文等を翻案したものと認められない論文等の発表が不法行為を構成することを認めるに足る証拠はないから、控訴人の主張を採用する余地はない。
また、控訴人は、学術論文においては個々の記載の文章上の工夫より、論文の構造、論旨、論理展開が重要視され、先輩研究者といえども、自分がその分野の研究で先行したからといって、後輩研究者の研究成果を横取りしたり、研究論文を剽窃したりすることは許されないから、そのような行為は、研究者の学問的業績に対する権利、利益を奪うものであって、不法行為を構成すると主張する。
このような一般的見解自体は正当なものと解されるが、本件の場合、被告第一論文並びに被告科研費論文及び第二論文が、原告論文及び原告報告を翻案したものでなく、これらを剽窃したものでもない上、被告第一論文と原告論文とは、【C】論文の紹介を通じて「エスニシティ」を論ずるという基本的性格において共通する面があり、両者を全体として対比すると、その目的、構成、議論の展開、結論がいずれも異なるものと認められ(原判決三六頁五~七行)、被告科研費論文及び第二論文と原告報告とを全体として対比しても、その目的、構成、論理展開がいずれも異なるものと認められる(同五六頁二~七行)以上、その発表行為が不法行為に該当しないのは当然といわなければならない。
2 依拠について
控訴人は、著作権侵害の問題において、依拠(アクセス)がなければ侵害が生じないから、まず依拠の有無が問題となるにもかかわらず、原判決は、著作権侵害の判断において、同一性(翻案)の有無のみを判断し、依拠の有無を判断していないと主張する。
しかし、同一性(翻案)の有無が、著作権侵害の要件であることに争いはなく、原判決は、争点一及び二において、被告第一論文並びに被告科研費論文及び第二論文が、いずれも原告論文及び原告報告を翻案したものとはいえないと判断しているのであるから、その余の点について判断するまでもなく、著作権侵害は否定されることになる。したがって、原判決が、「被告第一論文が原告論文に依拠したかどうかについて判断するまでもなく」(原判決四七頁一一行~四八頁一行)、「被告科研費論文が原告報告(原告報告書)に依拠したかどうかについて判断するまでもなく」(同六二頁七~八行)と説示した上、著作権侵害は否定したことに誤りはなく、控訴人の主張は、到底、採用することができない。
また、当審における、被告第一論文が原告論文に依拠した旨の控訴人の主張、被告科研費論文及び第二論文が原告報告に依拠した旨の控訴人の主張は、いずれも原審における主張の範囲を実質的に出るものではなく、それらがいずれも採用できないことは、原判決の争点一に関する説示(原判決三〇頁一一行~四八頁六行)及び争点二に関する説示(同四八頁七行~六三頁三行)に照らして明らかといわなければならない。
3 翻案について
控訴人は、本件において複製権の侵害ではなく翻案権の侵害を主張するものであるとし、複製においては同一性が論じられるが、翻案においては「原著作物を感得し得るか」が論じられるのであるから、その判断基準は類似をも含む実質的同一よりも更に広い範囲であり、同一性の薄い場合も含むものであって、原著作物の内面的形式を維持しつつ、これに創意に基づき新たな具体的表現(外部的形式)を与えた場合も翻案であるにもかかわらず、原判決は、表現の相違を根拠として翻案を否定しており、外部的形式の変更にとらわれて内面的形式が維持されていることへの配慮を怠ったものであると主張する。
仮に、控訴人の主張のように、翻案権の侵害を判断するにおいて、「原著作物を感得し得るか否か」という基準を採用するとしても、本件においては、前示のとおり、被告第一論文並びに被告科研費論文及び第二論文が、いずれも原告論文及び原告報告を翻案したものでなく、すなわち、表現上の類似性を欠くものであり、しかも、両者を全体として対比すると、その目的、構成、議論の展開等がいずれも異なるものと認められる以上、前者が後者を感得させるものでないことは明らかである。
したがって、この点に関する原判決に誤りはなく、控訴人の主張は失当といわなければならない。
三 以上によれば、控訴人の本訴請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は正当であり、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民事訴訟法六一条、六七条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)