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東京高等裁判所 平成11年(ネ)4783号 判決 2000年4月25日

控訴人 小林善範

右訴訟代理人弁護士 中村裕二

同 瀧澤秀俊

被控訴人 上杉聰

<他2名>

被控訴人ら訴訟代理人弁護士 土屋公献

同 高谷進

同 小林哲也

同 小林理英子

同 加戸茂樹

同 五三智仁

同 高橋謙治

主文

一  原判決主文第一項を次のとおりに変更する。

1  被控訴人らは、原判決別紙採録状況(三〇)に示される漫画のカットを含む原判決別紙被控訴人書籍目録記載の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない。

2  被控訴人らは、控訴人に対し、各自金二〇万円及びこれに対する平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二五〇分し、その一を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、原判決別紙被控訴人書籍目録記載の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない。

3  被控訴人らは、控訴人に対し、各自金二六二〇万円及びこれに対する平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決及び仮執行宣言

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二事案の概要

事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の事実及び理由「第二 事案の概要」のとおりであるから、これを引用する。なお、当裁判所も、「控訴人書籍」、「被控訴人書籍」、「カット1」ないし「カット57」、「控訴人カット」、「原カット(イ)」ないし「原カット(ホ)」、「原カット」、「被控訴人論説」、「控訴人漫画」、「採録頁」の用語を、原判決に準じて用いる。

(当審における控訴人の主張の要点)

一  引用における附従性(主従関係)について

主従関係とは、両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量、並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点にわたって確定した事実関係に基づき、かつ当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対して附従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべきである(東京高裁昭和六〇年一〇月一七日判決・無体集一七巻三号四六二頁)。

本件においては、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量、並びに被引用著作物の採録の方法、態様は、次のとおりである。

1 引用の目的

被控訴人書籍における控訴人カットの採録は、控訴人漫画に対する批評を目的としているということである。それを主従関係との関連で言うと、控訴人漫画を批評する被控訴人の文章がまず主体的に独立して存在し、カットは、あくまで「主」となる批評文章の理解を補足し、参考資料として情報を補うという「目的」の限度においてのみ、「従」として認められるものというべきである。そうだとすると、本文そのもの(しかも重要な部分)を被控訴人自身が書く代わりにカットをして語らしめ、もってカットを本文の構成要素として使う「目的」で採録する場合は、もはや「従」とは認められないことになる。

被控訴人書籍では、三二のカット(カット1、8、9、12、16、17、18、19、20、26、27、32、33、34、35、36、37、38、39、40、41、44、45、46、47、48、49、50、51、54、56、57)に関しては、カットを取り去ると文章としてはつながらず、独自主体的な存在たり得ていない。すなわち、「カットをして語らしめる」ために採録されているから、文とカットとの主従関係は認められない。

2 両著作物のそれぞれの性質・内容

(一) 漫画カットは、商品価値及び情報量の二点において、文字著作物の一文節とはその本質を異にしている。漫画カット自体の存在価値を踏まえたうえで文章との主従関係を検討すべきである。

(二) 漫画カットには、強力なアイキャッチ力・メッセージ伝達力・顧客吸引力があり、それはすなわち、商品力・商品価値なのである。まして、控訴人の作品は、単行本だけでも毎号数十万部ずつ売れているのであるから、そのカットの持つ商品力は大きい。実際に、山岡白竹堂が「カット1」を印刷した扇子「ゴー扇」を発売した際のカット使用料は三〇万円、東京都消費者センターが控訴人書籍中のカットをキャンペーンのポスターに使用した際のカット使用料は一五〇万円であった。このような漫画カットの特質に照らすと、漫画カット(とりわけヒット作品のカット)を使うと言うことは、それだけの商品価値、顧客吸引力、すなわち経済的メリットを借用するということである。

右のような漫画カットの持つ本質的特徴、文字著作物との重大な差異は、主従関係の認定において、極めて重大な要素である。

(三) 一般に、絵と文字の結合表現である漫画カットには、著者のメッセージや多様かつ大量な情報が凝縮されている。ことに、「ゴーマニズム宣言」では、ネーム(せりふ)が非常に多く、背景や登場人物の描写も極めて精緻で具体的写実的であるところに大きな特徴がある。

読者は被控訴人書籍中の簡単な一行コメントを読まなくても、それとは全く無関係に、控訴人カットに込められた多様かつ大量の情報やメッセージを直接感得し、もって控訴人カット自体を「読む」ことができる。その意味で、漫画カットは作品の一部分や一コマであっても十分独立の「読み物」になっているのである。

(四) 主従関係とは、引用する著作物と引用される著作物との相関関係によって決まるものである。そうだとすると、一コマであっても独自に極めて大きな商品価値と情報量と訴求力を持つ漫画カットを「従」として「引用」するためには、そのカットを批評する文章の方には更に高度の存在価値や著作物性が認められなければならない。しかし、被控訴人が書いた批評文は、例えばカット6については一行触れているだけであり、カット31については抽象的で陳腐な「感想」を一言述べているだけであって、カットの批評とはほど遠く、到底、それ自体が「主」となり、カットを「従」として無断利用するだけの相対的価値のある文章とは言い難い。

(五) 控訴人カットは、それだけで商品価値を有し、独自に取引の対象となりうるものである。また、情報量の多さやアピール力の強さから、それだけで読者にとって「読む」対象となり得ている。そのため読者は、被控訴人の文章とは関係なく、控訴人カットの複製物から控訴人の意見やメッセージを感得し、これを「読む」ことができる。控訴人カットは、「読者がその助けを借りて被控訴人の文章を理解するためだけのもの」とは、言い得ない。

3 分量

(一) 文章の量

「主」と「従」というためには、両者相拮抗するが一方が他方を若干上回るという程度では足りない。カットを批評する文章が「主」であり、カットが「従」といえるためには、量的に見て、カットのそれを大きく上回るボリュームの文章が必要である。ましてや、前記のような漫画カットのもつ付加価値や情報量の大きさに鑑みると、それに対して文章が「主」と認められるためには、圧倒的なボリュームがなければならない。ところが、控訴人カットの方が、被控訴人がそれに触れた文章よりもボリュームがあることは一目瞭然である。

(二) 頁中の占有率

カットと文章とを量的に比較するための一つの指標として、被控訴人書籍の控訴人カット採録頁中における、文章と控訴人カットとの占める面積割合を考慮すべきである。

この観点から被控訴人書籍の控訴人カット採録頁をみると、①控訴人カットが二分の一ないしそれ以上大きな占有率のもの(原判決別紙「採録状況」の番号で、六、八、九、一〇、一三、一六、一九、二〇、二六、二八)、②控訴人カットが三分の一ないしそれ以上大きな占有率のもの(同二、五、一二、一四、一八、二四、三〇、三二、三三、三五、三六、三八、四二、四四、四六、四七)がある。これほど多くの部分を控訴人カットが占めていると、読者はまず控訴人カットの方に目を奪われ、その内容を読まされることになるのは必定であるから、控訴人カットが頁の中で主たる構成要素となっているということができる。

(三) 数の多さ

被控訴人書籍では、合計九〇頁の間に、五七カット(六九コマ)を複製掲載している。本件証拠上、一般漫画批評や控訴人作品批評、批判の出版物は極めて多数存在しているが、一人の作者の一つの作品からこれほど大量のカットを無断で「引用」した例は一つもない。非常識というほかなく、「引用」の濫用以外の何ものでもない。また、そのような数の多さからも、被控訴人書籍が控訴人カットに強く依存していることが明白となる。

4 被引用著作物の採録の方法・態様

(一) カットをして語らしめる方法

被控訴人書籍では、読者に対し、本文の代替としてカットに含まれるネーム(セリフ)を読ませ、カットをして語らしめたうえで、そのネームに対する被控訴人の批評・反論を加えるというやり方が多くとられている。これらでは、いずれも、カットが文章の主要かつ不可欠な構成要素となっており、カットを取り去ってしまうと本文自体が成り立たなくなる構成となっている。

「主従関係」が認められるためには、まずカットを批評する文章が独自主体的に存在しなければならないから、その成立自体がカットに強く依存している文章をもって「主」とし、文章の成立に不可欠な構成要素となっているカットをもって「従」とするような強引な認定は論外である。

(二) 拡大複製

被控訴人書籍では、原カットよりも拡大して複製した物を掲載している箇所が七か所ある。本件では拡大複製する合理的必要性はない。被控訴人がカットに求めているのは、大きなカットのインパクトによって読者の関心を強く引きつける効果、あるいは文章量の少なさをカットの大きさでカバーし、頁を埋める効果などを意図したものとしか考えられない。

二  同一性保持権侵害について

1 本件は、無断引用した物について、さらに改竄をしているという事案であり、著作権者は、二重にその権利を侵害(制限)されているのである。著作権の保護と公的利用のバランスを図るという法の基本理念に照らすと、著作権者に二重の犠牲を強いるためには、「やむを得ない」改変か否かの解釈認定においては、より一層慎重な吟味が必要であり、他にとるべき方法が全くなく、真にやむにやまれぬ状況でない限り、不適法とすべきである。

引用者としては、無断引用することで別の第三者の権利を侵害するおそれがあるというのであれば、その第三者の権利侵害と著作権者の権利侵害のどちらがより深刻で現実的かという対比が必要であり、その結果によっては、例えばそのカットの引用をやめ、文字で表現するよう努力するということも求められるべきである。

2 カット4、53、54について

(一) 原判決は、「醜い」、「不快」という曖昧不明確な判断基準を用いており、例外規定として本来慎重厳格に行われるべき「やむを得ない」の解釈としては、あまりに安易である。「似顔絵」の掲載においては、「モデルが不快に思うだろうから」などと目隠しを施すことはあり得ない。なぜなら、似顔絵とは、モデルの一瞬の表情の特徴をとらえ、そこを強調して表現することで、ときにはモデルの人格・人間性まで浮き彫りにし、見るものに共感を覚えさせる表現手法として広く社会的に認知され、受け入れられているからである。風刺画や似顔絵では、「辛辣さ」や「醜さ」こそが作者の主観的主張であり、出版物においての売り物である。もちろん、そのような「醜い」作品に対してモデル本人が名誉感情侵害を理由に著作者に抗議し、削除を求めるのは自由である。しかし、そのような重要な部分を、そのモデル本人ではない第三者が、「醜い」などという極めて抽象的曖昧な概念を用い、「他人の推測的不快感」を理由に、著作物を勝手に改竄してよいということは、著作権法の精神にかなうものではない。

(二) 原判決は、「描写された人物の両目部分に目隠しを施すという改変方法は、描写された人物の権利を保護するために一般に広く行われている方法であ」るとしたが、写真ではなく、漫画や似顔絵に目隠しを入れるなどというのは、一般的に広く行われている方法ではない。作者の主観・主張が相当程度含まれてくる似顔絵と、一瞬の表情を機械的に焼き付ける写真とは、その本質において根本的に異なる表現方法であるから、両者を単純に同列に扱うことは短絡的である。

また、一般に目隠しが使われるのは、当該人物が特定できないようにして、そのプライバシーを保護する目的である。描写の「醜さ」や当該人物の「不快感」の排除や「名誉感情」の保護を目的としているのではない。そして、本件においては、目隠しは、当該人物が特定できないようにする目的でされたものではなく、目隠しを施す合理的理由は存在しない。

(三) カット4、53、54について、目隠しされたカットの方は、非常に汚らしく、人物の雰囲気を実に怪しげなものにしているから、黒い目隠しは描写の「醜さ」を軽減してない。

(四) 仮に、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)がモデルを「醜く」描き、名誉感情を侵害しているとすれば、その侵害者は著作者である控訴人である。被控訴人は、その似顔絵について「醜い」と批判的に扱っているのであるから、モデルの人格的利益を侵害する危険はない。

(五) 被控訴人書籍においては、多数の似顔絵を引用しているが、そのうち目隠しをしているのは、わずか三か所であり、目隠しせずに引用しているのが一〇か所に及ぶ。そこでは、目隠しを施すか否かについて明確な基準があるわけではなく、全く恣意的、場当たり的に行われている。以上から見ると、改変を許さなければ「当該著作物の引用を断念せざるを得ない。」などというせっぱ詰まった状況が全く存在しないことは明らかである。

(六) 被控訴人書籍においては、控訴人の描写力やイメージ操作について論評し、その一環としてカット4を「醜い」と評している。そうだとするなら、批評の対象であるカット4を正確にそのまま引用しなければならないはずである。それをあえて目隠しによって覆い隠し、「醜くない」絵に変えた上で不正確な引用をするのは論理矛盾である。

3 カット27について

原判決は、①被控訴人による加筆があっても、「原カットの内容は完全に認識できる」こと、②読者が加筆部分を「控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない」ことを理由に、右加筆行為が著作権法二〇条一項の改変に当たらないと判断したが、誤りである。

(一) 著作物への無断加筆が行われると、その瞬間、原著作物とは異なった表現がもたらされるのであり、自己の創作物の形を変えられたことそれ自体による精神的苦痛が発生する。その加筆が「原カットの内容は完全に認識できる」ものであることや、加筆部分を「控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない」こととは関係がない。

(二) 控訴人の作品では、コマ割の欄外スペースに控訴人自身が手書きでコメントを書き込むのが通例となっている。したがって、読者が加筆部分を控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは十分に存在する。

4 カット37について

原判決は、①配置変更によっても各コマを読む順序に変更が生じる可能性はない、②原カット(ハ)をそのままのコマ割で引用するために縮小すると、小さな文字で書かれたセリフ部分が判読しにくくなるとして、コマの配置変更をやむを得ない改変であるとしたが、誤りである。

(一) 漫画におけるコマの配置は、各コマを読む順序、すなわち文字の流れだけに止まるものではない。カット37の原カット(ハ)では、左端のコマ(以下「第三コマ」という。)に控訴人自身(似顔絵)を登場させ、直前にある中央のコマ(以下「第二コマ」)のセリフを受けて、そのコマに対してはっきりと視線と人差し指を向け、まとめのセリフを言わせているのに、カット37では、右のような控訴人の構成意図が全く無視され、第三コマの控訴人の視線と指はあらぬ方向を指し示し、間の抜けた意味のない構図になってしまっている。

(二) また、縮小複製してカット中の文字が小さくなる場合には、ネーム(セリフ)の文字は本文中で抜き出して引用するという可能かつ容易な方法があり、現実にそのようにしている書籍があるから、原カット(ハ)をそのままのコマ割で引用するために縮小すると、小さな文字で書かれたセリフ部分が判読しにくくなることは、やむを得ないことの理由とはならない。

原判決は、カット37の被控訴人書籍での配置場所を「見出しの表示及び導入部の後」と、あたかもそれが所与の前提であるかのように扱っている。しかし、同カットがそこでなければならない必然性はない。同カットの採録頁には、見出しの周辺に大きな空白がある。また、例えばカット22ないし24のように見出し導入部のない頁で一段をすべて使ったなら、原カットのままで容易に収めることができる。さらに、見出しを避けるため、例えばカット3のように引用したカットとそれに触れた被控訴人の文章とが別の頁にかかったとしても特段の問題はない。

原判決は、レイアウトに関するわずかな工夫すら怠り、安直にコマ割を変更した被控訴人の行為を簡単に容認して、控訴人に一方的犠牲を強いたものであって、バランスを失している。

(カット37における同一性保持権侵害についての当審における被控訴人らの反論の要点)

一  右綴じで横方向に読み進む漫画においては、左端のコマと下段の一コマ目のコマは連続しており、控訴人漫画においても同様であって、左端のコマを下段に引用しても、控訴人漫画の意味内容が変化するものではない。したがって、複数のコマのうち、レイアウトの都合から左端のコマのみを下段に引用しても、改変に当たらない。

二  カット37の上段のコマ(以下「第一、二コマ」という。)と下段のコマ(第三コマ)を、それぞれ別々に引用することも認められ、このような引用が改変に当たる余地はない。本件では、レイアウトの都合上、第一、二コマを上部に、第三コマを下部に引用したにすぎず、そもそも改変には当たらない。

三  カット37の第一、二コマは、全体が一つの四角い枠線で囲まれているから、全体として一つのコマである。そして、原カット(ハ)の控訴人を示す人物像が指さしているのは、第一、二コマの全体であり、カット37の控訴人を示す人物像も、第一、二コマの全体を指し示している。したがって、原カット(ハ)とカット37は同一の意味内容となっている。「第三コマの控訴人の視線と指はあらぬ方向を指し示し、間の抜けた意味のない構図になってしまっている」という控訴人の主張は、失当である。

四  仮に、カット37のコマの移動が改変に当たるとしても、意味内容に変更を加えるものではなく、極めて軽微な変更である。他方、カット37は、被控訴人書籍において詳細に批判されるべき重要なカットであった。そして、読者に被控訴人の批判を理解してもらうためにも、右カットを、カット37の程度の大きさで引用する必要があったから、その結果、第三コマを下段に引用せざるを得なかったのである。

したがって、右改変は、著作権法二〇条二項四号の著作物の性質及び利用の態様上やむを得ない改変に当たるものである。

第三当裁判所の判断

当裁判所は、控訴人の本訴請求は、カット37に関する同一性保持権侵害を理由とする、被控訴人書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め、並びに、慰謝料及びこれに対する遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がないと判断する。その理由は、次のとおり付加・訂正するほかは、原判決の事実及び理由「第三当裁判所の判断」一ないし三と同じであるから、これを引用する。

(当審における控訴人の主張に対する判断)

一  引用における附従性について

1 引用の目的について

控訴人は、被控訴人書籍では、三二のカットに関して、カットを取り去ると文章としてはつながらず、本文が独自主体的な存在たり得ていないことを理由として、本文そのものの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているとし、これを前提に、本文とカットとの主従関係は認められないと主張する。

しかし、カットを取り去った場合に文章がつながらなくなるとしても、そのことをもって、直ちに、本文そのものの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているとみる根拠とすることはできない。カットを取り去った場合に、文章がつながらなくなる原因としては、様々なものがあるからである。例えば、同じく他人の詩の一部を引用するとしても、自分の言いたいことについて文章を書く代わりに、他人の詩の一部を引用して代替するという場合もあれば、他人の詩を批評するためにその一部を引用し、それについて批評の文章を書く場合もある。前者の場合、詩の部分を取り去れば文章がつながらなくなるのは当然であり、この場合には、本文そのものの重要な部分を書く代わりに「他人の詩の一部をして語らしめた」ということができよう。後者の場合でも、その引用部分を取り去れば、批評の対象がなくなってしまい、やはり文章がつながらなくなる。しかし、こちらの方では、批評の対象を引用によって明示しているために(引用しなければ、批評の対象を示せないことも多いであろう。)、それがなくなれば、批評の対象がなくなってしまって、文章がつながらなくなってしまうにすぎないのである。そして、このような場合に、本文そのもの(批評)を書く代わりに引用された詩に「語らしめ」ているということができないことは明らかというべきである。

控訴人主張の三二のカットについて、控訴人カットを取り去った場合に文章がつながらなくなる理由は、後者の例に対応するものである。すなわち、右三二のカットは、被控訴人論説の批評対象そのものを引用によって明示し(カット8、9、12、16、17、18、19、20、26、33、34、35、36、38、39、41、44、45、46、47、48、49、50、51、54、56、57)、被控訴人論説の批評対象に対応する控訴人カットを示し(カット27、32、37、40)、あるいは、「次のように読者に問いかけるコマがあり」との記述に続いて批評の対象としている「読者に問いかけるコマ」の例証を提示している(カット1)ため、控訴人カットを取り去ると何を批評しているのか分からなくなることが原因となって、文章としてはつながらなくなるにすぎない。このように、控訴人カットは、批評の対象を示すために採録されているものであって、本文そのものの重要な部分(すなわち、批評)を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているものではない。したがって、右三二のカットについて、本文とカットとの主従関係は認められないとする控訴人の主張は、前提を欠くものであって、失当である。

2 両著作物のそれぞれの性質・内容について

控訴人は、①漫画カットには、強力なアイキャッチ力・メッセージ伝達力・顧客吸引力があり、それはすなわち、商品力・商品価値があり、一コマであっても独自に極めて大きな商品価値と情報量と訴求力を持つ、②漫画カットを「従」として「引用」するためには、そのカットを批評する文章の方には更に高度の存在価値や著作物性が認められなければならない、③被控訴人が書いた批評文は、一行であったり、抽象的で陳腐な「感想」を一言述べているだけであったりで、カットの批評とはほど遠く、到底、それ自体が「主」となり、カットを「従」として無断利用するだけの相対的価値のある文章とは言い難い、と主張する。

しかし、文章が、商品価値や情報量において、漫画カットに劣るとしても、そのことをもって、文章が漫画カットに対して、主従関係に立てないというものではない。

《証拠省略》によれば、被控訴人書籍においては、批評を加えている部分である本文の方が、控訴人カットよりも、被控訴人書籍における主題(すなわち、漫画家としての控訴人の活動姿勢全般を対象とした論説(批評)、及び控訴人漫画のうち慰安婦問題を取り上げた箇所についての批判、反論)に関して重要な位置を占め、高い存在価値を持っていることは明らかである(原判決の事実及び理由の「第三 当裁判所の判断」一4認定に係る、控訴人カットの採録が被控訴人書籍の読者に対して与える効果参照)。換言すれば、被控訴人書籍において著者が論じようとし、実際に論じたことの中心となっている事柄は、右主題に係る論説(批評)、批判、反論であり、それはすなわち本文の部分である。

一方、《証拠省略》によれば、控訴人書籍は、控訴人自身「意見主張漫画」であると自認するものであり、その意見は各話ごとに主張・表明されていることが認められる。そして、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画のごく一部にすぎず、被控訴人書籍の前記主題に係る批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められない。

以上の点からすれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係があるということができるのである。

3 分量について

控訴人は、漫画カットに対して文章が「主」と認められるためには、文章の方が量的にみて圧倒的なボリュームがなければならないと主張する。

しかし、漫画カットであることから、直ちにそれに対して文章が「主」と認められるためには、文章の方が量的にみて圧倒的なボリュームがなければならないというものではない。

また、控訴人は、カットと文章とを量的に比較するための一つの指標として、被控訴人書籍のカット採録頁中における、文章と控訴人カットとの占める面積割合を考慮すべきであるとし、これを根拠として、主従関係を判断しようとする。

しかし、《証拠省略》によれば、被控訴人書籍では、控訴人カットを例証又は資料とする論説が、カット採録頁だけでなく、前後の頁にわたって書かれていることが認められるから、カット採録頁における文章と控訴人カットとの占める面積割合をもって主従関係を判断すべきものではない。

例えば、被控訴人書籍において、カット6に関して直接論及した記述内容は、同カット採録頁の「「わしはこの薬害エイズ問題で決定的に『運動』が嫌いになった!」と一人叫ぶシーンは印象的だ。」というものである。しかし、《証拠省略》によれば、被控訴人書籍では、同カットの属する章「「よしりんヘンシーン!」の謎」において、前後四頁にわたって「よしりん(控訴人)の変身」を主題とし、これについて批評を加えた被控訴人論説が書かれており、右カットは、カット5とともに、右批評に対応するカットとして、象徴的ないし印象的な例として挙げられているものと認められる。右の例をみれば、カットと文章とを量的に比較するに当たって、控訴人カット採録頁における文章とカットとの占める面積割合をもって判断されるべきではないことは明白である。

そして、《証拠省略》によれば、被控訴人書籍においては、各章ごとに一つの小主題を論じており、控訴人カットは右各小主題に関する被控訴人論説の例証又は資料となっていること、その各章における控訴人カットと文章との割合は、第九章が全体で八段あるうち控訴人カットが四段程度を占めているほかは、控訴人カットの分量はいずれも三分の一ないしそれ以下であり、被控訴人書籍全体としてみても、控訴人カットの分量は五分の一に満たないことが認められる。

控訴人は、被控訴人書籍では、合計九〇頁の間に五七カット(六九コマ)を複製掲載していることを指摘して、控訴人カットの引用数が多いから分量の点からみて主従関係がない旨主張する。

しかし、控訴人は、その意見を、「意見主張漫画」として漫画という表現形式によって表現しているのである。ところが、他人の意見を批評、批判、反論しようとすれば、他人の意見を正確に指摘する必要があるから、控訴人の意見を批評、批判、反論するために、その意見を正確に指摘しようとすれば、漫画のカットを引用することにならざるを得ないのは理の当然である。そして、その批評、批判、反論が多岐・多面的にわたればそれだけ引用する漫画カットの数も増加することになるのは、やむを得ないところである。

右事情を前提に前認定に係る被控訴人書籍における控訴人カットの分量の全体に対する比率を考慮すれば、引用されたカット数が前記の程度であるとしても、被控訴人書籍の本文とカットとの間には、十分主従関係が認められるというべきである。

4 被引用著作物の採録の方法・態様について

控訴人は、被控訴人書籍では、読者に対し、本文の代替としてカットに含まれるネーム(セリフ)を読ませ、カットをして語らしめたうえで、そのネームに対する被控訴人の批評・反論を加えるというやり方がとられており、カットを取り去った場合には文章がつながらないことを理由として、文章とカットとの間に主従関係がないと主張する。

しかし、カットを取り去った場合に、文章がつながらなくなるとしても、そのことをもって、文章とカットとの間に主従関係がなくなるというものではないことは前示のとおりである。

被控訴人書籍では、控訴人書籍におけるカットよりも拡大して複製した物を掲載している箇所が七か所(カット8、11、21、25、30、33、46)ある。右のように拡大複製する合理的必要性については、疑問がないではないが、そのことは、本文と控訴人カットとの間の主従関係を失わせるものではない。

5 主従関係についてのまとめ

以上検討したところ、とりわけ、控訴人書籍が「意見主張漫画」として、漫画という表現形式によって意見を表現したものであり、被控訴人書籍は、右意見に対する批評、批判、反論を目的とするものであること、及び、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画のごく一部にすぎず、右批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められないことを考慮すれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係が成立しているというべきである。

控訴人カットに独立した鑑賞性があることは認められるけれども、控訴人書籍と被控訴人書籍の右関係に照らせば、そのことによって、被控訴人論説と控訴人カットとの右主従関係が失われるということはできないのである。

二  同一性保持権侵害について

1 控訴人は、引用の場合においては、「やむを得ない」改変か否かの解釈認定は、より一層慎重な吟味が必要であり、他にとるべき方法が全くなく、真にやむにやまれぬ状況でない限り適法とすべきではないと主張する。

しかし、著作権法二〇条二項四号においては、「やむを得ない改変」か否かについて、引用であるか、それ以外の場合であるかを特別に区別していない。そして、これを実質的に考えても、引用は、新しい文化活動をしようとする者と著作権者との調整として、著作物の利用を許した規定であって、著作物の利用が許されているという点において、著作物の利用が許されている他の場合と異なるものではない。そうである以上、「やむを得ない」改変か否かの解釈において、「やむを得ない」か否かが「引用」との関連において判断されるという当然の点は別として、他の場合と異なる基準を設けなければならない理由はないのである。

控訴人の主張は、採用することができない。

2 カット4、53、54について

(一) 控訴人は、①風刺画や似顔絵では、「辛辣さ」や「醜さ」こそが作者の主観的主張であり、出版物においての売り物であるから、これを第三者が、「醜い」などという極めて抽象的曖昧な概念を用い、「他人の推測的不快感」を理由に、著作物を勝手に改竄してよいということは、著作権法の精神にかなうものではない、②一般に目隠しが使われるのは、当該人物が特定できないようにして、そのプライバシーを保護する目的であって、描写の「醜さ」や当該人物の「不快感」の排除や「名誉感情」の保護を目的としているのではない、③目隠しされたカットの方は、非常に汚らしく、人物の雰囲気を実に怪しげなものにしているから、黒い目隠しは描写の「醜さ」を軽減してないと主張する。

しかし、風刺画や似顔絵であるからといって、他人の名誉感情を不当に侵害してよいものではないことは当然である。そして、醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあるか否かということは、単なる主観によるものとしてではなく、常識に照らして客観的なものとして判断することができるものである。原判決別紙対比表(一)、(四)及び(五)を見れば、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)は醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあり、カット4、53、54においては、目隠しによって、名誉感情を侵害するおそれが低くなっていることが明らかであるから、右目隠しは、相当な方法というべきである。《証拠省略》によれば、カット53、54において描写された人物本人は、その原カットの描写を不快に感じたこと及び目隠しによってその不快感が減少していることが認められ、右事実は、前記認定が正しいことを裏付けるものである。

なお、控訴人は、写真ではなく、漫画や似顔絵に目隠しを入れるなどというのは、一般的に広く行われている方法ではないと主張するが、目隠しは広く行われている方法であるから漫画ないし似顔絵に適用したとしても異様な印象を与えることもないのであって、相当な方法であるか否かについて、写真であるか似顔絵であるかを区別しなければならない理由はない。

(二) 控訴人は、仮に、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)がモデルを「醜く」描き、名誉感情を侵害しているとすれば、その侵害者は著作者である控訴人であり、被控訴人は、モデルの人格的利益を侵害する危険はないと主張する。

しかし、カット(イ)、(ニ)、(ホ)をそのまま引用した場合には、被控訴人書籍が読まれることによって、更にモデルの名誉感情を侵害するおそれがあることは明らかであり、被控訴人に、右名誉感情の侵害を強いなければならない理由はない。そして、このことは、モデルから責任を追及されるのが控訴人であるか被控訴人であるかとは別の問題であるから、控訴人の主張は失当である。

(三) 控訴人は、被控訴人書籍において、引用した似顔絵のうち、目隠しをしているのが三か所、目隠しをしていないのが一〇か所で、目隠しを施すか否かについて明確な基準があるわけではなく、全く恣意的、場当たり的であるから、改変を許さなければ「当該著作物の引用を断念せざるを得ない。」などというせっぱ詰まった状況が全く存在しないと主張する。

しかし、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)は醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあり、カット4、53、54においては、目隠しによって、名誉感情を侵害するおそれが低くなっていることは前示のとおりである。そうである以上、他にも醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあるカットがあるとしても、右目隠しが相当な改変でなくなるものではない。

(四) 控訴人は、被控訴人書籍においては、控訴人の描写力やイメージ操作について論評してカット4を「醜い」と評しているから、批評の対象であるカット4を正確にそのまま引用しなければならないはずであると主張する。

しかし、カット4は、目隠しによって減少しているとはいえ、なお、原カットの描写の様子を理解することはできる(すなわち、原カット(イ)ほどではないが、なお「醜い」)から、これを「醜い」等という批評の対象とし得るものである。そして、このように名誉感情を侵害するおそれを減少させる相当な方法があるのに、批評するに当たって、これをしてはならないという理由はない。

3 カット27について

(一) 控訴人は、カット27について、原カット(ロ)とは異なった表現がもたらされていることを前提として、その加筆が「原カットの内容は完全に認識できる」ことや加筆部分を「控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない」こととは関係がないと主張する。

しかし、被控訴人書籍中、カット27が採録された頁の前頁において、同カットに関し、「これを次の私が書き入れた手書き文字のようにするとわかりやすい。」との記述が存在することは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」二1(二)のとおりであり、右記述とともにカット27をみれば、被控訴人書籍の読者は、原カット(ロ)内に位置する加筆部分を、控訴人著作物のうちの該当個所を特定、強調するために被控訴人が書き込んだものであると明確に認識できることは明らかである。そうである以上、右読者は、控訴人著作物に関するものとしては、カット27を、右加筆部分が存在しない表現、すなわち、原カット(ロ)と同じ表現として認識するものと認められる。したがって、カット27をもって、原カット(ロ)と異なった表現をもたらすものとすることはできない。控訴人の主張は、前提を欠くものであり、失当である。

(二) 控訴人は、控訴人の作品では、コマ割の欄外スペースに控訴人自身が手書きでコメントを書き込むのが通例となっているから、読者が加筆部分を控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは十分に存在すると主張する。

しかし、被控訴人書籍においては、カット27の手書き文字は、被控訴人が書き入れたものであることが明記されているのであるから、読者が誤解することがあるとは考えられない。

(原判決の訂正)

七四頁一〇行目から七六頁二行目までを次のとおりに変更し、七九頁一行目から三行目までを削る。

「(四) カット37について

(1)  カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは、著作権法二〇条一項にいう「改変」に当たるものである。

(2)  被控訴人らは、右綴じで横方向に読み進む漫画においては、左端のコマと下段の一コマ目のコマは連続しているから、複数のコマのうち、レイアウトの都合から左端のコマのみを下段に引用しても、改変に当たらないと主張する。

しかし、例えば学術論文において、著作者が改行しなかった箇所を、出版する際に出版者が改行したという例を考えれば分かるように、読み進む順序が変わらないからといって、同項にいう「改変」に当たらないというものではない。

本件についてこれをみると、原カット(ハ)においては、第三コマの人物像が第一、二コマの左側に書かれ、その視線と指さした指の方向が第二コマを向いているのに対し、カット37においては、第三コマの人物像は、第一、二コマの下方にあって、その視線は、その右の空白ないしその先の第一、二コマの右の方に向いており、原カット(ハ)における、第一、第二コマと第三コマの位置関係を用いた表現が改変されていることは明らかである。

この点に関して、被控訴人らは、カット37の第一、二コマが、全体として一つのコマであることを前提として、原カット(ハ)の控訴人を示す人物像が指さしているのは、第一、二コマの全体であり、カット37の控訴人を示す人物像も、第一、二コマの全体を指し示しているから、原カット(ハ)とカット37は同一の意味内容となっていると主張する。

しかし、カット37の第一、二コマには、女性が殴られているのを軍人が煉瓦の蔭から見て驚いている場面と、軍人が業者に押印させているらしい場面の二つの異なった場面が左右に書かれているから、第一、二コマは二つのコマというべきである。のみならず、同じコマを指さしているとしても、そのコマのどの部分を、どの方向から指さしているかということ自体が控訴人書籍における表現なのでおるから、同じコマを指さしているから改変ではない、ということもできない。

(3)  また、被控訴人らは、第一、二コマと第三コマを、それぞれ別々に引用することも認められるから、カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは改変に当たらないと主張する。

しかし、第一、二コマと第三コマを、それぞれ別々に引用した場合、読者は、引用された第一、二コマと第三コマの位置関係が控訴人書籍の位置関係とは異なっていることを理解できるのに対し、カット37のように引用した場合には、読者は、控訴人が「新ゴーマニズム宣言第三〇章」において、カット37のコマ割を用いて表現したものと認識するものと認められる。したがって、カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは、第一、二コマと第三コマを、それぞれ別々に引用したものと同列に論じることはできない。

被控訴人らの主張は採用することができない。

(4)  被控訴人らは、カット37の改変は、意味内容に変更を加えるものではなく、読者に被控訴人の批判を理解してもらうためにも、右カットを、カット37の程度の大きさで引用する必要があったから、著作権法二〇条二項四号の著作物の性質及び利用の態様上やむを得ない改変に当たると主張する。

確かに、原判決別紙対比表(三)によれば、カット37においては、各コマを読む順序に変更がないこともあいまって、第三コマの控訴人の似顔絵が述べているまとめのセリフが第二コマの絵及びセリフを受けていることを認識できるから、第三コマにおける右セリフの意味は、原カット(ハ)におけるそれと同じものとして理解することができるものと認められる。しかし、意味が同じものとして理解できるとしても、カット37が、原カット(ハ)における表現を改変したものであり、表現の微妙な部分まで同じといえるものではないことは明らかである。

そして、《証拠省略》によれば、カットを縮小して引用したためにカット中の文字が小さくなっているものの、セリフの文字を本文中で抜き出して引用しているため、これを容易に判読できる書籍があること、また、縮小複製しない場合には、カット37の採録頁の見出しの周辺の空白を使用する方法、カット22ないし24のように見出し導入部のない頁で一段をすべて使う方法、カット3のように引用したカットとそれに触れた被控訴人の文章とが別の頁にかかるようにする方法などがあることが認められ、これらの事実に照らせば、カット37において原カット(ハ)の配置を変更したのは、被控訴人書籍のレイアウトの都合を不当に重視して原カット(ハ)における控訴人の表現を不当に軽視したものというほかはなく、被控訴人ら主張に係る著作物の性質、引用の目的及び態様を前提としても、カット37の右改変を、著作権法二〇条二項四号の「やむを得ない改変」に当たるということはできない。

(5)  以上によれば、カット37の右改変は、控訴人が控訴人書籍において有する同一性保持権を侵害したものというべきであり、弁論の全趣旨によれば、被控訴人らの右著作者人格権侵害の行為は、少なくとも被控訴人らの過失によるものであること、及び、控訴人が、被控訴人らの右行為によって精神的苦痛を受けたことが認められる。右苦痛の慰謝料としては、控訴人は漫画家として著名であること、カット37は原カット(ハ)と意味が同じものとして理解できるものであること、右侵害行為の内容、程度その他本件記録上認められる諸般の事情を総合すると、二〇万円を相当と認める。」

第四結論

以上によれば、控訴人の本訴請求は、同一性保持権侵害を理由とするカット37を含む被控訴人書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め(なお、被控訴人らは、カット(ハ)の著作者である控訴人から、本訴を提起されているのであるから、カット37が控訴人の同一性保持権を侵害する行為によって作成されたものであることを知っていることは明らかである。)、並びに、右同一性保持権侵害に基づく慰謝料二〇万円及びこれに対する侵害日である平成九年一一月一日から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がない。これと異なる原判決は異なる限度で不当であり、控訴人の本件控訴は右の限度で理由があるから、以上の趣旨に従い原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法六一条、六四条、六五条、六七条を適用し、仮執行宣言は必要ないものと認めて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 山田知司 宍戸充)

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