東京高等裁判所 平成11年(ネ)5064号 判決 2000年4月27日
平成一一年(ネ)第五〇六四号 競業行為差止等本訴請求・同反訴請求控訴事件
平成一一年(ネ)第五七二一号 同附帯控訴事件
控訴人
(附帯被控訴人)株式会社イースト
右代表者代表取締役
【A】
控訴人(附帯被控訴人)
【A】
同
【B】
右三名訴訟代理人弁護士
荒木新五
同
宮川博史
被控訴人(附帯控訴人)
株式会社コフィア・システム
右代表者代表取締役
【C】
右訴訟代理人弁護士
福田護
主文
一 原判決主文第一、二項を次のとおりに変更する。
1 控訴人(附帯被控訴人)らは、被控訴人(附帯控訴人)に対し、連帯して金一四三三万四八六〇円及びこれに対する平成七年六月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被控訴人(附帯控訴人)のその余の請求及び控訴人(附帯被控訴人)株式会社イーストの反訴請求をいずれも棄却する。
二 本件附帯控訴を棄却する。
三 訴訟費用は第一、二審を通じてこれを三分し、その一を被控訴人(附帯控訴人)の負担とし、その余を控訴人(附帯被控訴人)らの負担とする。
四 この判決は、第一1項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人(附帯被控訴人。以下、単に「控訴人」という。)ら
1 原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人(附帯控訴人。以下、単に「被控訴人」という。)の本訴請求を棄却する。
3 被控訴人は、控訴人株式会社イースト(以下「控訴人会社」という。)の顧客及び一般顧客に対し、以下のとおりの方法をもって、その取引を妨害してはならない。
(一) 顧客に対し、仮処分決定を示して、控訴人会社がコーヒーサーバー設置等の営業をすべて禁止されているような誤った印象を与えること。
(二) 控訴人会社がコーヒーサーバー設置等の営業をすべて禁止されているかのような言辞を用いること。
(三) 控訴人会社は問題を起こして裁判中なのでやめた方がよいなどの言辞を用いること。
(四) 控訴人会社と取引をすれば裁判沙汰になりかねない、若しくはトラブルに巻き込まれるかのような言辞を用いること。
(五) 控訴人会社は元は被控訴人であったから、コーヒーサーバー設置契約を被控訴人に戻して欲しいかのような言辞を用いること。
(六) その他控訴人会社又はその役員若しくは従業員が違法な行為をしているかのような言辞を用いること。
4 被控訴人は、控訴人会社に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成八年二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
5 本件附帯控訴を棄却する。
6 訴訟費用は第一、二審とも、本訴反訴ともに被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 原判決中、被控訴人敗訴部分を取り消す。
3 控訴人らは、次の方法によって、控訴人会社とコーヒーサーバー設置契約を締結するよう顧客を勧誘することも、右契約を締結することも、してはならない。
(一) 被控訴人の顧客に関する情報を用い、控訴人ら自ら又は控訴人会社の取締役若しくは従業員【D】、【E】、【F】、【G】をして、控訴人会社と契約を締結するよう働きかけ、又は働きかけさせること。
(二) 社名の変更、電話番号の変更、事業所の変更等、控訴人会社が被控訴人のコーヒーサーバー設置契約に関する業務を承継したものと誤認させる虚偽の事実を告知又は流布すること。
(三) 被控訴人は倒産した、又はその危険がある、あるいは被控訴人従業員が被控訴人を退職する予定である、又は控訴人会社に移籍する予定であるとの虚偽の事実を告知又は流布すること。
(四) 控訴人会社の設立年月日について虚偽の事実を告知又は流布すること。
(五) 被控訴人が顧客方に設置・提供していたコーヒーサーバーキャビネット、デカンタ、コーヒーウォーマー、飲料ディスペンサーその他の付属品の全部又は一部を、控訴人会社との契約においても継続使用できるものとすること。
4 控訴人会社は、被控訴人が顧客方に設置・提供していた3(五)記載の付属品で、控訴人会社とコーヒーサーバー設置契約を締結するに至っている顧客に現に使用させているものを使用させてはならない。
控訴人会社は、右物件を当該顧客から受領のうえ被控訴人に引き渡せ。
5 控訴人らは、被控訴人に対し、連帯して金一五二八万四九一一円及びこれに対する平成七年六月一日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
6 訴訟費用は、第一、二審を通じ、本訴反訴とも控訴人らの負担とする。
第二当事者の主張
当事者の主張は、次のとおり付加するほか、原判決の事実「第二 当事者の主張」のとおりであるから、これを引用する。なお、当裁判所も、「控訴人【A】」、「控訴人【B】」、「【D】」、「【E】」、「【F】」、「【G】」の用語を、原判決に準じて用いる。
一 当審における控訴人らの主張の要点
1 原判決は、被控訴人の顧客情報として、①顧客ごとに管理カードが作成され、これが販売ルートごとにファイル化されて保管されるとともに、顧客情報のコンピュータ管理がされていたもの(以下「管理顧客情報」という。)、②業務を通じて従業員が体験的に知ったもの(以下「体験的顧客情報」という。)を掲げ、これについて不正競争防止法二条一項七号の不正競争があったと認定しているが、誤りである。
(一) 控訴人【A】、同【B】、【D】、【E】、【F】、【G】が管理顧客情報を不正に入手したり、不正にプリントアウトないしコピーして持ち出したりした事実はないし、原判決もこれを認定してはいない。
(二) 体験的顧客情報について
(1) 体験的顧客情報は、控訴人【A】の個人的人脈や【D】、【E】、【F】、【G】らが「飛び込み」等によって獲得した顧客に関する情報であるから、その性質上、「保護を受けるべき情報」として他と明確に区別して管理することのできない情報であって、秘密管理性があるものとはいえない。また、体験的顧客情報に関して秘密保持義務が課されたことを示す証拠もない。
また、体験的顧客情報は、新たな顧客の獲得という点においては、格別役に立つものではない。すなわち、この種の顧客は、単に事業所等にサーバーを設置してOCS事業者からコーヒー豆等の定期的な供給を受けているというだけであって、探し出すのが困難な特殊な需要者ではなく、「飛び込み」等の営業によって情報を得ることができる者であるし、顧客の名称、所在等を知っていたからといって、直ちに顧客を確保できるわけでもないのである。
OCS業界では、各OCS事業者が営業活動を行っている地域に関する限り、どの顧客がどのOCS事業者の顧客であるかということは、相互にほとんど知られているし、「飛び込み」等の営業活動の過程において容易に知りうるものであるから、被控訴人の顧客に関する情報は、非公知性を欠いている。
体験的顧客情報は、顧客ないし顧客となりうる者の一般的な嗜好傾向、コーヒーサーバー設置契約を締結してもらうための説明方法、既に競業他社との間でコーヒーサーバー設置契約をしているか否か等々の広範囲の情報が含まれ、被控訴人の役員又は従業員であった者の記憶の中に残されているものである。これらがすべて退職後の使用が制限される「秘密」に該当すると解した場合には、労働者の同業種への転職は著しく困難となり、職業選択の自由、営業の自由を不当に制約することになる。
(2) 仮に体験的顧客情報が被控訴人の企業秘密に該当するとしても、体験的顧客情報は、被控訴人が管理顧客情報を保有する以前に、同情報の元になったものとして控訴人【A】の人脈や【D】、【E】、【F】、【G】らの営業活動を通じて同人らの記憶の中に残されているものであって、被控訴人が保有する情報ではない。
また、体験的顧客情報は、右のようにもともと控訴人【A】や【D】、【E】、【F】、【G】らが取得し、保有していた情報であるから、被控訴人から「示された」営業秘密に当たらない。
(3) 控訴人【A】らの退職後の競業は、自由競争の範囲内の行為として強く保護されるべきであるから、体験的顧客情報の使用については、図利加害目的がないものというべきである。
2 被控訴人の損害について
原判決は、被控訴人の損害を計算するに当たり、被控訴人から控訴人会社に切り替えられた顧客のうち、被控訴人に再切り替えがされなかった顧客(以下「イースト残留顧客」という。)についての被控訴人の平成六年中の売上高を基礎とし、かつ、粗利をもって損害額としているが、誤りである。
(一) OCS事業者のセールスマン(営業担当者)は、主として、「ローラー」と称する一軒一軒「飛び込み」をする方法によって、セールスをしているのである。このことを前提とした場合、控訴人会社の顧客となった者の中には、体験的顧客情報による営業活動の結果としてではなく、控訴人会社の提供するコーヒー豆やサービス等の諸条件を考慮した結果としてそうなった者が多数存在することは明らかというべきである。原判決の損害額の計算方法は、控訴人【A】らが、いかなる正当な手段によっても、被控訴人の顧客に対しては一切営業活動をしてはならない、被控訴人の顧客を控訴人会社の顧客に切り替えたことはすべて違法であるとの前提に立つものであって、不当なことは明らかである。
(二) 顧客情報は、原判決も認めるとおり、その性質上「時間と共に権利性が希薄となる」(六五頁)ものであるから、それが権利性ないし利用価値を有し、かつ、それが使用された可能性があるのは、せいぜい平成七年二、三月に止まるものとみるべきである。そうすると、損害額も、右二か月間の得べかりし利益に止まることにならざるを得ない。
(三) 原判決が述べるとおり、「顧客からすれば、簡単に取引先のOCS事業者を変更することができる」(四四頁)のであり、このことは、控訴人会社開業直後に、相当数の顧客が被控訴人から控訴人会社へ、更にその直後にそのうちの相当数が控訴人会社から被控訴人へ切り替えられ、その後も被控訴人を含むOCS事業者に多数の顧客が切り替えられていることからも明らかである。控訴人会社の顧客として残留している者は、控訴人会社への切替えの直後に被控訴人から再切替えの勧誘を受けながらも、控訴人会社と被控訴人のコーヒー豆やサービス等を比較検討したうえで、その自由意思に基づいて控訴人会社の顧客として止まった者である。このような顧客の自由意思に基づく選択を無視して損害発生を云々するのは、自由競争の理念を無視するものである。
(四) 原判決は、粗利を損害額とした。しかし、損害が被害者の得べかりし利益である場合には、得べかりし売り上げ利益(粗利)から営業活動に伴って支出されるべき販売費及び一般管理費を控除すべきであることは当然であるから、右損害は、粗利ではなく、支出すべき販売費等を控除した得べかりし営業利益(純利益)にならざるを得ない。
OCS事業者のセールスマンの給与は歩合給(あるいは歩合給プラス固定給)であることが一般的であり、被控訴人でも、「設置コミッション」や「営業コミッション」等が給与として支払われていたことからすると、売り上げ減少が直接人件費に影響を及ぼすことは明らかである。
二 当審における被控訴人の主張の要点
1 不法行為に基づく損害賠償請求について
被控訴人は、選択的に不法行為に基づく請求もしている(原判決二一頁)。右は、控訴人【A】及び同【B】による控訴人会社の設立準備行為、控訴人会社の設立、競業準備、競業開始、その競業態様の悪質さをとらえ、一連の行為全体を不法行為としているものである。右一連の行為は、控訴人【A】及び同【B】にとって、取締役としての忠実義務や競業避止義務に反し、信義則にも反するものであるとともに、その競業態様の中には、営業秘密使用、営業誹謗、付属品の流用等の種々の行為が含まれているのである。
2 過失相殺について
カナディアン神奈川の件というのは、平成六年八月に、全国カナディアングループから譲渡の打診があった顧客について、被控訴人が譲り受ける意思がないということであったため、当面カナディアン・ブランドを維持する必要性もあって、湘南ベンディングの休眠子会社をカナディアン神奈川株式会社として、右顧客を譲り受けることにした件のことであり、湘南ベンディングとしては、いずれ右会社を被控訴人と統合する計画であった。そして、控訴人【B】が処分したがっていた被控訴人の顧客を、相場からして決して安い金額ではない一台四万円で被控訴人からカナディアン神奈川が買い取ったものである。右の、カナディアン神奈川による顧客の譲受けにせよ、被控訴人からカナディアン神奈川への顧客の譲渡しにせよ、すべて、控訴人【B】らの意思を確認したうえで行われたことである。
湘南ベンディングと控訴人【A】、同【B】との対立の大きな原因は、湘南ベンディングが本拠を藤沢市から高座郡<以下略>に移転したのに対して、控訴人【A】、同【B】が、従前同社の一角を賃借して被控訴人の本拠としていたのを、独自に藤沢市内に移転することに決定したことなどから、右問題の解決のためのものを含め、全般に両者の意思疎通を十分にするため、平成六年一一月の被控訴人の株主総会で、湘南ベンディングから非常勤役員一名が派遣されることが決定されたことにある。控訴人【A】、同【B】は、親会社から役員を派遣されることによって、被控訴人からの支出により自分個人用の婦人衣料を大量に購入したり、自己の親族等に贈答品を贈ったりというような思い通りの会社運営ができなくなり、これががまんならなかったのである。
3 顧客情報について
(一) 控訴人【A】が管理していた遠隔地(九九ルートと呼ばれる。)の顧客台帳は、控訴人【A】退職後は被控訴人で見つからず、同控訴人が持ち出したことが推定される。控訴人【A】にとって、顧客名簿をコピーして持ち出すのは容易であり、控訴人らの極めて迅速な競業、顧客奪取の事実や控訴人らの競業行為の悪質性からしても、顧客名簿がコピーされて持ち出されたとみるのが経験則に合致する。
(二) 被控訴人の顧客情報の中心は、湘南ベンディングの自動販売機取引先関連で構成されてきたのであって、控訴人【A】の個人的人脈や【D】、【E】、【F】、【G】らの飛び込みによるものが主体ということではない。
そして、「個人的人脈」や「飛び込み」による顧客の開拓も、被控訴人という法人の業務として行われ、法人の顧客情報として組織的に蓄積され、統一的に管理され、それがまた役員・従業員に法人業務遂行のために示されて、その記憶の中にも残っていくのである。
控訴人らは、「体験的顧客情報」として、各役員・従業員がバラバラで開発した顧客情報が各人にバラバラに記憶されているままの状態を想定しているが、原判決が「業務を通じて従業員が体験的に知った顧客情報も、コンピューター管理情報と同様に重要である」と述べるのは、従業員が法人の業務を通じて体験的に知った顧客情報もコンピューターで管理されている情報と同様に重要であるという意味であって、控訴人らのいう右のような情報を指すものではない。
4 損害について
損害について、得べかりし利益を基準とする場合には、人件費等の固定費は依然として基本的に従来と同様にかかるのであるから、これを控除すべきではない。侵害された側の売上げが減少し、その分侵害者の売上げが増大する本件のような場合にまで純利益を基準とすれば、もともと利益の少ない企業、損失を出していた企業は、いくら侵害されても損害は極めて少ないか皆無であるという不合理な結果となる。
第三争点に対する判断
争点に対する判断は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決の理由「第一本訴関係」及び「第二 反訴関係」と同じであるから、これを引用する。
一 原判決の訂正
1 三三頁三行目の末尾の次に、「例えば、平成七年一月に、【F】が、被控訴人の顧客であった美容室ウインク、美容室ウェーブに対して、控訴人会社への切替えを依頼して承諾を受け、同月三〇日に被控訴人のコーヒーサーバーを撤去した際、控訴人【B】は、被控訴人のOCS撤去理由書に、「代替」との文字を消したうえ、事実と異なる「保健所 使用できない」との記載をしているが、これは、同控訴人が当時から控訴人会社への顧客の切替えについて控訴人【A】と協力していたことを窺わせるものである(甲四三、四四の各一・二、四七)。」を挿入する。
2 三八頁六行目の「セールスマン」を「従業員」と、三九頁二行目から四行目までを、「ただし、被控訴人従業員は、定期的に、被控訴人から顧客管理カードを渡されて顧客方にコーヒー豆等の補給に訪問するから、その際に、顧客の住所氏名等管理カードに記載された内容とともに顧客方の実際の場所をも知ることになる。このような業務を通じて従業員が知った顧客情報も、管理カードに記載されたりコンピュータ管理されたりしている顧客情報と同様に重要である。例えば、管理カードに記載されていた正確な顧客名や「何丁目何番地」などという地名は忘れてしまっても、訪問した際の顧客方への道順・目印・顧客の看板等を記憶していて再度右顧客方へ行くことができるとすれば、右道順・目印・顧客の看板等による顧客の記憶も、管理カードの記載と同様、重要な顧客情報ということができるのである。」とそれぞれ改める。
3 同頁八行目から四〇頁六行目までを次のとおりに改める。
「(二) 甲六三によれば、被控訴人においては、控訴人【B】及び同【A】自らが、被控訴人の顧客名簿等は他社に漏らしたり見られたりすることのないようにとの趣旨の注意指導を朝礼において訓戒するなど、顧客名簿に記載されている顧客情報が被控訴人の秘密であり、従業員は右の秘密を守る必要があることを周知徹底させていた事実が認められる。」
4 四〇頁末行の「従業員」から四一頁一行目の末尾までを「従業員の場合には、雇用契約に当然付随する義務として導かれるところである。また、証拠(甲二八、二九、九〇)によれば、被控訴人においては、湘南ベンディングの就業規則を準用して被控訴人の就業規則とすることとされており、その一三条二項に服務規律として「社員は自己の職務に関して知り得たこと、他の社員から聞知したことをとわずすべて会社または会社の取引先の秘密を外部に漏らさないこと」と定められ、これを含む服務規律違反は懲戒事由とされ(同規則六三条一五号)、「業務上の重要な機密を他に漏らしたとき、または漏らそうとしたとき」には、解雇事由とまでされている(同六四条九号)から、従業員の営業秘密保持義務は、右規則からも導かれるものである。」と、四四頁九行目の「簡単に」を「契約した直後はともかく、ある程度以上期間が経過すれば簡単に」と、それぞれ改める。
5 四六頁二行目から四七頁一〇行目までを次のとおり改める。
「(四) 顧客情報利用時の行為
(1) 控訴人【A】は、平成七年二月吉日付けで、控訴人会社・代表取締役【A】の名をもって「かねてより、皆様のご援助のもとに新会社設立を準備しておりましたが この度コフィア・システムより左記の通り新会社発足の運びとなりました」「なにとぞ倍旧の御指導御鞭撻を賜りますようお願い申し上げます」との文言の挨拶状及び「さて、このたび事業所を下記のとおり新設することとなりました。社員一同、心も新たにより一層皆様のご期待に沿うよう努力いたす所存でございますので、」との文言の「事業所新設のお知らせ」と題する文書を同時に被控訴人の顧客に送付した(甲二〇、九三)。
右は、顧客をして、あたかも被控訴人が新会社ないし子会社として控訴人会社を設立したかのように錯覚させる可能性のある記載というべきである。控訴人【A】は、横浜地方裁判所平成八年(モ)第二〇八号競業行為禁止仮処分異議申立事件において、右挨拶状の「この度コフィア・システムより左記の通り新会社発足の運びとなりました」との部分を「この度コフィア・システムを退職し新会社発足の運びとなりました」と変造して書証として提出しており、このことは、控訴人【A】も、前記挨拶状及び「事業所新設のお知らせ」が相俟って顧客をして右のように錯覚させる可能性のあるものであることを認識していたことを裏付けるものである(甲九一、九二)。
(2) また、控訴人会社の役員又は従業員の顧客切替行為に際しては、控訴人【A】、【D】、【E】が、被控訴人の社名、電話番号又は事業所が控訴人会社のそれに変更されたとか、あるいは被控訴人が倒産しそうであるといった虚偽事実を告知し、相手の顧客には同一のOCS事業者と取引をしていると誤解させたり、あるいは被控訴人の信用に不安を感じさせるという方法を用いたことがあったことが認められる(甲八、九の一ないし五、一〇の一ないし四、一一、四五の一、二、四六の一ないし四)。このことに関して、被控訴人が把握して書証として提出している件数は三〇件前後(顧客数)であり、そのうち被控訴人から控訴人会社の顧客となった者は一五件程度にすぎない。しかし、右事実からは、被控訴人が把握できないまま控訴人会社の顧客となった件数が相当存在するものと推認することができる。なぜなら、いったん控訴人会社と取引を開始した場合、当初の告知が虚偽であることを知ったとしても、控訴人らから虚偽の説明をするに至った事情ないしこれを脚色した説明を受けたり、控訴人会社と被控訴人の争いに巻き込まれることを恐れたり、控訴人会社から現在提供されているサービス内容と被控訴人のそれを比較したりなどの結果として、控訴人会社との取引を継続することは十分にあり得ることであり、また、このような顧客が、当初虚偽の事実を告知されたことをあえて明らかにしようとはしないことも、十分あり得ることだからである。そして、このような顧客が控訴人会社との取引を継続することを選択するに当たっては、現に控訴人会社と取引していることが前提となっているから(取引をしていなければ、控訴人らから説明を受けたり、提供されているサービス内容の比較をすることはできない。)、当初の虚偽の事実の告知と被控訴人の受けた後記損害との間には、因果関係があるということができるのである。
(3) 控訴人【A】、【D】、【E】の右(2)の行為は、その行為者が複数であり、複数の顧客先にわたっていることからして、控訴人らの了解のもとに行われたものと認められる。そして、右行為は、控訴人【A】の(1)の行為と相俟って、自由競争の範囲を超える競業行為というべきである。
(五) 証拠(甲五五、六九、七〇、一〇二の一ないし七)によれば、控訴人らは、被控訴人から顧客を切り替えた際に、被控訴人が顧客に貸与していたコーヒーサーバーの付属品であるコーヒーサーバーキャビネット、デカンタ、コーヒーウォーマー、飲料ディスペンサー等の付属品を顧客に使用させていたことがあることが認められる。右も不法行為に該当するというべきである。もっとも、程度の差はあるものの、被控訴人も、控訴人会社から被控訴人に顧客を切替えた際に、控訴人会社のコーヒーサーバーの付属品を返還していない場合があることが認められるから、控訴人らの右違法行為の程度は、右事実をも考慮して評価すべきである(乙三一、三二)。」
6 四八頁九行目の「そのような疑いもできないではないが、」を、「確かに、被控訴人においては、平成七年一一月ころから特殊な経費の支出や取引がなされる異常な状態であったことは認められるけれども、控訴人【A】が業務上横領等に及んだと認定するためには、」と改める。
7 四九頁八行目から九行目までを次のとおりに改める。
「6 控訴人らの行為に対する法的評価
以上のとおり、控訴人らは、控訴人【A】、同【B】が被控訴人の取締役在職中に行った競業避止義務違反の行為、控訴人らの不正競争防止法二条一項七号違反の行為、被控訴人の顧客をして被控訴人と控訴人会社の関係について誤解をさせたり、被控訴人の信用に不安を感じさせたりする行為、コーヒーサーバーの付属品の流用行為をしたことが認められる。これらは、結局は、被控訴人における立場や顧客情報等を利用して被控訴人の顧客を控訴人会社に切り替えることに向けられており、全体として一個の不法行為に該当するというべきである。被控訴人は、本訴において、選択的請求として不法行為に基づく損害賠償請求をしているので、右請求を認めることとし、被控訴人の損害を算定する。」
8 五二頁冒頭から五四頁一行目までを「被控訴人が賠償を求めているのは、控訴人らの前記不法行為によって被控訴人の顧客が控訴人会社の顧客になったことに基づく逸失利益であり、その切り替えられた顧客というのは、別紙一記載の顧客である。右顧客らは、理由二4(一)による再切替えのあった顧客を除いた顧客に相当する。さらに、本訴における被控訴人の請求後に控訴人会社から被控訴人に再切替えされた顧客があるので、その分をも減額する必要がある。」と、五四頁三行目の「まず1の前段に指摘の」を「まず1において指摘した」と、それぞれ改める。
9 六一頁一一行目から六二頁八行目までを次のとおりに改める。
「4 限界利益の算出
証拠(甲三〇、被控訴人本人(原審))及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人のようなOCS事業者は、コーヒーサーバーを顧客方に設置して、そこで消費するコーヒーを顧客に購入してもらい、従業員が二ないし四週間に一度程度定期的に巡回してコーヒー豆等の供給、機器の点検等をするという業態であること、OCS事業における主要な変動費は商品であるコーヒー豆等の原価であること、人件費については、顧客数が減少しても従業員が巡回すべき区域は変わらないため顧客数の減少は従業員減に直結しないこと、被控訴人は従業員に対して、月間売上目標達成に対する奨励金等の支払いをしていたことが認められる。以上の事実によれば、被控訴人の逸失利益としては、失われた売上額からその売上を得るための変動経費のみを控除した限界利益とでもいうべきものと解すべきである。
証拠(甲一〇一の一ないし一〇、一〇三の一、二)によれば、控訴人らの不法行為が発生する直近である平成五、六年ころの被控訴人の変動経費の割合は、別紙三記載のとおり三三パーセントであったことが認められる。右は、平成五年一一月から平成六年一〇月までの毎月の損益計算書をもとに算出したものである。これは、同年一一月に被控訴人が事務所を移転したことから、同年一一月、一二月は、その移転関係費用がかかっており、また、このころは、前記のとおり、特殊な経費の支出や取引がなされる異常な状態であったから、これを除外して、その前年である平成五年一一月、一二月を加えた一年をもって変動経費を算出するのが相当であるため、採用された方法である(甲九〇、一〇九)。
そうすると、被控訴人の逸失利益は、次式のとおり、別紙一の切替え後の推定総売上減少額四二七九万〇六二九円に右売上を得るための変動経費と考えられる四二七九万〇六二九円の三三パーセントを控除した二八六六万九七二一円と認められる。
四二七九万〇六二九円×(一ー〇・三三)=二八六六万九七二一円
控訴人らは、被控訴人の損害について、純利益を基準とすべきであると主張する。しかし、顧客が減少しても、支払うべき事務所の賃借料等の固定経費が減少するものではなく、また、被控訴人のようなOCS事業者の場合は、人件費もこれに比例して減少するというわけのものではないから、被控訴人の逸失利益の損害に当たって純利益を基準とするのが合理的であるとはいえない。」
10 六三頁八行目の「OCS」から九行目の「買収し、」までを「休眠子会社にカナディアン神奈川という名称でOCS事業をさせることとし、」と、六五頁八行の「そこで、」を「一方、控訴人らには、控訴人【A】、同【B】の競業避止義務違反、不正競争防止法二条一項一一号違反の行為、コーヒーサーバーの付属品の流用行為など広い範囲にわたって許されない行為をしているという事情もある。これらの事情を考慮し、」と、同頁一一行目の「一四四二万〇四四二円」を「一四三三万四八六〇円」と、それぞれ改める。
11 六八頁の八行目の次に行を改め、「ちなみに、被控訴人も控訴人会社も、顧客との契約は期間を一年としており、控訴人会社が、控訴人会社から被控訴人に再切替えをし、又はしようとした神奈川トヨタ株式会社鎌倉営業所、株式会社ニューホンダオート・ホンダプリモ横浜東、相模ハムに対して、契約期間が残っていることを指摘したり、違約金を請求したりするなどの行動に出ているという事実があり、控訴人会社への切替え後間もなく被控訴人に再切替えするのは容易ではないことは、このことからも窺えるところである(甲三、四、四一、四二、五八、九〇)。」を加える。
12 六九頁六行目の「不正競業行為」を「不法行為」と改め、七〇頁八行の「証拠はなく」の次に「(控訴人らが平成七年初めころコーヒーサーバーの付属品の流用行為をしていたことは前認定のとおりであるが、右付属品の性質に照らし、それから五年以上を経た現時点において、右顧客らが今なお右付属品を使用し続けているとは認めがたい。)」を加える。
二 当審における控訴人らの主張に対する判断
1 控訴人らは、控訴人【A】が管理顧客情報を不正に入手したり、コピーして持ち出したりした事実はないと主張する。
しかし、控訴人【A】が管理を行っていた九九ルートと呼ばれる販売ルートの顧客台帳は、控訴人【A】退職後被控訴人で見つからなくなっており、一方、被控訴人から控訴人会社に切り替えられた同ルートの顧客の一人リコーテクノネット株式会社について、控訴人会社の伝票には、被控訴人が用いていたのと同一のロケーション番号が記載されている(甲三五の一・二、九〇)。右事実によれば、控訴人【A】は、退職するに当たり、少なくとも九九ルートと呼ばれる販売ルートの顧客台帳を持ち出したものと推認すべきである。
2 控訴人らは、「業務を通じて従業員が体験的に知った顧客情報」を、控訴人【A】の個人的人脈や【D】、【E】、【F】、【G】らが「飛び込み」等によって獲得した顧客に関する情報であり、顧客ないし顧客となりうる者の一般的な嗜好傾向、コーヒーサーバー設置契約を締結してもらうための説明方法、既に競業他社との間でコーヒーサーバー設置契約をしているか否か等々の広範囲の情報が含まれるとし、これを前提として、他と明確に区別して管理することのできない情報であると主張する。
しかし、本判決において説示する「業務を通じて従業員が体験的に知った顧客情報」は、顧客が誰であるかという情報であって、控訴人らが主張するものではないことは前示のとおりである。控訴人らの主張は、前提において失当である。
また、控訴人らは、「業務を通じて従業員が体験的に知った顧客情報」について、右と同様の前提のもとに、これに秘密保持義務が課されたことを示す証拠はないと主張する。しかし、被控訴人において、控訴人【A】及び同【B】が、被控訴人の顧客名簿等は他社に漏らしたり見られたりすることがないようにとの趣旨の注意指導を朝礼において訓戒するなどしていたことは、前認定のとおりである。そして、顧客名簿等を他社に漏らしたり見られたりしてはならないということは、その内容を記憶している場合には、それを秘密にしなければならないという意味であることは自明である。
3 控訴人らは、OCS事業者の顧客は、探し出すのが困難な特殊な需要者ではなく、顧客の名称、所在等を知っていたからといって、直ちに顧客を確保できるわけでもないと主張する。しかし、顧客の名称、所在等を知っていればより効率よく勧誘できるから、これについての情報が重要であることは明らかである。
4 さらに、控訴人らは、OCS業界では、各OCS事業者が営業活動を行っている地域に関する限り、どの顧客がどのOCS事業者の顧客であるかということは、相互にほとんど知られているし、容易に知りうるものであるから、被控訴人の顧客に関する情報は、非公知性を欠いていると主張する。しかし、控訴人らの主張を認めるに足りる証拠はない。ちなみに、控訴人【A】も、顧客名簿に記載されている情報が秘密であることを認め、控訴人会社の顧客リストの提出には否定的な態度をとるところである(甲九〇)。
5 控訴人らは、顧客情報に関して、被控訴人が管理顧客情報を保有する以前に、同情報の元になったものとして控訴人【A】の人脈や【D】、【E】、【F】、【G】らの営業活動を通じて同人らの記憶の中に残されているものであって、被控訴人が保有する情報ではなく、また、被控訴人から「示された」営業秘密に当たらないと主張する。
しかし、被控訴人は、その設立時から相当数の顧客を有しており、その後も従業員が新たな顧客を開拓したとき、他人から新たな顧客を紹介されたときは報奨金ないし謝礼を支払い、また、顧客の開拓を担当する者を雇用するなどして顧客の開拓をしてきたのであって(甲三〇、五四、六八)、このようにして開拓された顧客の情報は、被控訴人が保有するものである。また、被控訴人がこのような形態で顧客の開拓をしてきたことからすれば、控訴人会社に切り替えられた顧客がすべて控訴人【A】の人脈や、【D】、【E】、【F】、【G】らが紹介ないし開拓したものとは考えられない。
しかも、控訴人会社は、平成七年二月中に二一六台、同年三月中に一一八台などというように、短期間に被控訴人の顧客を自己の顧客に切り替えることに成功しているのであって、控訴人会社の従業員の人数を考えれば、これだけの結果を発生させるためには相当効率的な方法を採らなければならないことは明らかであるから、何らかの形で整理された顧客情報を、そのようなものとして使用したものと推認せざるを得ない。そうすると、控訴人会社に切り替えられた顧客中に、控訴人【A】の人脈や、【D】、【E】、【F】、【G】らが紹介ないし開拓したものが含まれていたとしても、これらの切替えが、右の者らが被控訴人から示されずに独自に開発し、まだそれを記憶していたもののみを用いて行われたものと認めることはできない。
さらに、本件で控訴人らの責任の根拠とされているのは、顧客情報の不正使用のみではなく、これを一部として含む一連の違法な行為であることは前述のとおりであり、これらは総体として一個の不法行為をなすものと評価することが可能であるから、控訴人らが用いた顧客情報の中に控訴人らの主張する意味で「示された」ものでないものが含まれていたとしても、そのことをもって控訴人らの責任を否定する根拠とすることはできないものというべきである。
6 控訴人らは、控訴人【A】らの退職後の競業は、自由競争の範囲内の行為として強く保護されるべきであるから、体験的顧客情報の使用については、図利加害目的がないと主張する。しかし、控訴人らの行為が自由競争の範囲内に止まっていないことは前記認定のとおりである。控訴人らの主張は、採用することができない。
7 控訴人らは、控訴人会社の提供するコーヒー豆やサービス等の諸条件を考慮して控訴人会社の顧客となった者が多数存在することは明らかであるから、原判決のような損害額の計算をするのは、控訴人【A】らが、いかなる正当な手段によっても、被控訴人の顧客に対しては一切営業活動をしてはならず、被控訴人の顧客を控訴人会社の顧客に切り替えたことはすべて違法であるとの前提に立つものであって、不当であると主張する。
しかし、控訴人らの行為が、正当な手段を用いているとはいえないことは前認定のとおりである。控訴人会社の提供するコーヒー豆やサービス等の諸条件が一因となって控訴人会社の顧客となった者も存在することは推認に難くないけれども、そのことは過失相殺において考慮すべき筋合いのものである。
8 また、控訴人らは、顧客情報は、その性質上「時間と共に権利性が希薄となる」ものであるから、それが権利性ないし利用価値を有し、かつ、それが使用された可能性があるのは、せいぜい平成七年二、三月に止まり、損害額も、右二か月間の得べかりし利益に止まると主張する。しかし、本件全証拠によっても、顧客情報がわずか一、二か月で利用価値がなくなるものと認めることはできない。
三 当審における被控訴人の過失相殺に関する主張に対する判断
被控訴人は、カナディアン神奈川のOCS事業開始について、いずれ被控訴人と統合する計画であり、カナディアングループからの顧客の譲受けや被控訴人からカナディアン神奈川への顧客の譲渡しについて、控訴人【B】らの意思を確認したうえ行われたものであると主張する。
しかし、右事実を認めるに足りる証拠はない。かえって、被控訴人の親会社及び支配的株主である湘南ベンディング及び【C】の側は、平成六年一一月の株主総会において、湘南ベンディングの【H】常務が、被控訴人の営業範囲である二〇キロメートル以内であっても、顧客を「コフィアに紹介できない。カナディアンに紹介する。」と明言し、控訴人【B】の「カナディアンとコフィアを一つにした方がよいのでは」との発言に対しては回答しないなどの対応をとっていることが認められる(甲六八)。そして、湘南ベンディングから被控訴人への非常勤役員の派遣は、右総会で決定されたことである。湘南ベンディング及び【C】の側の右対応と非常勤役員の派遣を合わせ考えれば、控訴人【A】、同【B】が、いずれ自分たちは切り捨てられるであろうと考える(それが誤解であるか否かは問わない。)ことも無理からぬ面があるというべきである。そうすると、湘南ベンディング及び【C】の側と控訴人【A】、同【B】との対立の大きな原因は、右の点にあると考えるのが自然であり、過失相殺において右の点を考慮することは当然である。
第四結論
以上によれば、その余について判断するまでもなく、被控訴人の本訴請求は、主文一1項の限度で理由があり、その余は理由がないこと、控訴人会社の反訴請求は理由がないことが明らかである。よって、右と結論を異にする原判決主文第一、二項を主文一項のとおりに変更し、附帯控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条、六一条、六四条、六五条を、仮執行の宣言について同法二五九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)