東京高等裁判所 平成11年(ネ)6008号 判決 2000年8月29日
控訴人
豊生コンポジットミラー株式会社
右代表者代表取締役
【A】
右訴訟代理人弁護士
加藤貞晴
被控訴人
市光工業株式会社
右代表者代表取締役
【B】
右訴訟代理人弁護士
堤淳一
同
安田彪
同
石田茂
同
石黒保雄
右補佐人弁理士
【C】
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
原判決を取り消す。
被控訴人は、原判決添付の別紙物件目録(一)、(二)記載のバックミラーを製造し、販売し、又は販売のために展示してはならない。
被控訴人は、右物件目録記載のバックミラー、その半製品(同目録(一)、(二)記載の構造を備えているが、製品として完成するに至っていないもの)及び成形用曲げ型を廃棄せよ。
訴訟費用は、第一審、二審を通じて被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文と同旨
第二当事者の主張
当事者双方の主張は、次のとおり付加するほか、原判決の「理由」中の「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する。
一 当審における控訴人の主張の要点
本件発明の構成要件Aにおいては、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域は、斜めに配置されるのに対して、原判決添付の別紙物件目録(一)記載のバックミラー(以下「控訴人物件一」という。)の構成aにおいては、球面部と非球面部が水平線を境に垂直方向に配置されている点で、同目録(二)記載のバックミラー(以下「控訴人物件二」という。)の構成aにおいては、球面部と非球面部が垂直な線を境に水平方向に配置されている点でそれぞれ相違することは、事実である。
原判決は、本件発明の構成要件Aの、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域が斜めに配置されるとの構成が、本件発明の課題解決手段を基礎付ける特徴的な部分、すなわち本質的部分であると認定し、これを前提として、右各相違は本質的部分に係る相違であるとし、控訴人の均等の主張を認めなかったが、失当である。
1 本件明細書の記載等について
(一) 本件明細書には、「鏡を製造するために使用されるのし型の曲面形状を形成する際の製造」(三欄三行、四行)を容易にすることを本件発明の課題とするとの趣旨の記載があり、この課題こそが本件発明に特有の課題である。そして、この課題を解決する手段を基礎付ける特徴的な部分が、同一線上に中心点を位置させる曲率半径がより大きい区域、曲率半径がより小さい区域をもうけ、右区域の境界を大なる曲率半径に小なる曲率半径を内接させて順次移行して継続するようにすることを通してミラーを作製すること、である。
このことは、本件発明と同一の発明者による甲第一八号証に開示された発明(特開昭五七ー一八六五五三号公報)や本件発明に至る経緯からも明らかである。すなわち、甲第一八号証に開示された発明と本件発明との相違点に鑑みれば、本件発明は、後方視認区域、接合区域、下方視認区域をばらばらの形状とするのではなく、いずれも球面とし、その曲率半径の中心点を同一線上に設定し、後方視認区域と接合区域の境界部位、接合区域と下方視認区域の境界部位においては、それぞれ大なる曲率半径に小なる曲率半径を内接させて順次移行させることにより、甲第一八号証発明と同様、一つのミラーによって広範な視認範囲を得、かつ、距離感を正確に把握できるようにするとともに、甲第一八号証発明では欠落していた、ミラーを製造するために使用されるのし型の曲面形状を形成する際の製造を容易にするという課題をも解決しようとするものである。
右によれば、左右方向の視認範囲を画定するためにミラーをどのように構成するかということが、本件発明の本質的部分でないことも、また、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域を下方一側辺側に偏在させたことが、本件発明の課題解決手段を基礎付ける特徴的な部分でないことも、いずれも明らかである。
(二) 原判決は、その、一枚の鏡のみで広範な視野を確保する公知技術を挙げての分析手法から推測すると、本件発明を、車輌直下の斜め外方の前輸部分一帯の死角を解消するために、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域を下方一側辺側に偏在させたミラーと、とらえているものと思われる。しかし、本件発明をそのようにとらえることは正しくない。
本件発明の下方視認区域において車輌直下の斜め外方の前輸部分一帯が視認できるとしても、それは下方一側辺側に曲率半径の小さい領域があることの効果にほかならない。下方一側辺に曲率半径の小さい領域が存在すれば必要にして十分であり、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置しようと垂直方向に配置しようと関係ない。後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置しても、下方一側辺側に曲率半径の小さい領域が形成されなければ車輌直下の斜め外方の前輸部分一帯を視認することはできない。このことは、本件明細書の発明の詳細な説明欄の記載をみても、もっぱら曲率半径との関係で説明されており、区割形成が垂直であるから欠点が生じたなどとは記載されていないのである。
2 出願の経過の参酌について
原判決は、出願当初の明細書の特許請求の範囲が、拒絶査定に対する審判において拒絶理由通知を受けた後の手続補正により限定され、その後に、特許すべきものとの審決がなされたという、本件発明に係る出願経過を、後方視認区域、下方認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域をバックミラー本体の下方一側辺側に偏在させたことが、本件発明の課題解決手段を基礎付ける特徴的部分であるとする根拠の一つとしているが、誤っている。
原判決のようにいえるためには、①「後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域をバックミラー本体の下方一側辺側に偏在させた」とはいえない引用例を示されたのに対して、「後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域をバックミラー本体の下方一側辺側に偏在させる」ような補正をし、そのような補正により引用例との相違を明確にしたことをもって特許されたという場合であるか、あるいは、②もともと、「後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域をバツクミラー本体の下方一側辺側に偏在させる」構成であったものにつき、その後の意見書などにおいて、右構成こそが引用例と相違する点であることが明確にされ、それにより特許されたという場合であるかの、いずれかでなければならない。しかし、本件発明は、右のいずれの場合にも当たらない。
本件発明に係る出願当初の明細書の特許請求の範囲の記載からすると、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域が斜めに配置されていること、下方視認区域がバックミラー本体の下方一側辺側に偏在していることは自ずと明らかであるから、①の場合には該当しない。
本件発明の出願経過で示された実開昭五四ー一二〇九五〇号公報、特開昭五四ー一五三四四八号公報(以下「甲第四号証刊行物」という。)、実願昭五一ー六一四六八号(実開昭五二ー一五三二五二号)の願書に添付した明細書及び図面の内容を撮影したマイクロフィルム(以下「乙第一一号証刊行物」という。)の三つの引用例によって指摘された問題点は、すべて、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域が斜めに配置されていることと無関係であるか、又は、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域が斜めに配置されていることにより解消されるものでなかったかのいずれかであり、②の場合にも該当しない。
二 当審における被控訴人の主張の要点
1 本件明細書の記載等について
控訴人は、本件明細書の発明の詳細な説明には、のし型の曲面形状を形成する際の製造を容易にするという課題を解決することが記載されているとし、他方で、区割形成が垂直であるから欠点が生じたなどとは記載されていないと主張する。
しかし、本件明細書の発明の詳細な説明には、「鏡面の曲率が一定であるため特に前輪部分に対応する下方側面を視認することができず、該部分が死角となって前輪巻き込み事故の多発を招来する結果となっていた。」(二欄一二行~一五行)との問題を解決することを目的の一つとして本件発明の構成を採用し、その結果、「・・・下方視認区域7により従来死角部分とされていた車輌直下の斜め外方の前輪部分一帯を明確に視認することが出来る。」(五欄一〇行~一二行)という本件発明の重要な特徴が明記されている。
控訴人の右の主張は、全く理由を欠いているばかりか、そもそも、前提を誤った主張であって主張自体失当である。
なお、控訴人は、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置しても、下方一側辺側に曲率半径の小さい領域が形成されなければ車輌直下の斜め外方の前輸部分一帯を視認することはできない旨主張する。
しかし、本件発明は、出願当初から、「下方一側辺側に曲率半径の小さい領域が存する」ことを前提としたうえで、「車輌直下の斜め外方の前輪部分一帯を視認する」作用効果を得ることを目的とし、その後、控訴人による手続補正が重ねられた結果、「後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域を下方一側辺側に偏在させた」ことによってようやく特許されたのであるから、右のとおりの作用効果を生ぜしめるために、斜めに配置したことが正に本件発明の課題解決手段を基礎付ける特徴的な部分にほかならない。
2 出願の経過の参酌について
発明の出願経過については、控訴人主張のように、その過程において示された引用例との異同のみを判断の対象とするのではなく、当初の出願から特許されるに至るまでの全体としての手続の経過を判断の対象とすべきである。
本件において、控訴人は、出願過程において、控訴人指摘の各引用例を示され、拒絶理由通知を受けたことによって、自ら手続補正を重ね、その結果、本件発明は、出願当初の特許請求の範囲を変更して、「斜行線を設定し・・・その斜行線に沿って、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を形成すること」、「各区域がいずれも球面であること」等に限定して、ようやく特許されたのであり、この手続の経緯に照らすと、「後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し」、「下方視認区域をバックミラー本体の下方一側辺側に偏在させたこと」は、正に本件発明の課題解決手段を基礎付ける特徴的な部分であると解すべきである。
なお、控訴人は、出願当初の明細書の記載によれば、右の特徴的な部分が存することは自ずと明らかであると主張するけれども、出願当初の明細書に指摘のような特徴的な部分が全く認められないことは、右のとおり、控訴人自ら出願当初の明細書の記載の変更を重ねた手続の経緯に照らしても明らかというべきである。
第三当裁判所の判断
当裁判所も、控訴人の本件請求は理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほか、原判決の「第三 争点に対する判断」のとおりであるから、これを引用する。
一 本件明細書の記載等について
1 本件明細書の特許請求の範囲の記載が、「曲面体より成り上下方向を長手状とする矩形状のバックミラー本体の一側辺の上辺側寄りに位置する交点を設定すると共に、他側辺の下辺側寄りに位置する交点を設定し、かかる交点を結ぶ線の中間点と直交する斜行線を設定し、該斜行線上に中心点を位置させ、且つ交点を通過する所定半径にて円弧を描いて境界を設けると共に、同中心点より前記半径より大なる半径にて一側辺の下辺側寄りと交差すると共に、下辺の他側辺側寄りと交差する円弧を描いて境界を設け、バックミラー本体の上方他側辺側に偏在すると共に、略半分の面積を占める球面からなる後方視認区域と、バックミラー本体の下方一側辺側に位置する球面からなる下方視認区域と、両区域を継続させる球面からなる接合区域とに区割形成し、一方中間点を垂直に通過する線を設定し、該線上に中心点を位置させる後方視認区域の球面の曲率半径を所定の規格値と成し、又同線上に中心点を位置させる下方視認区域の球面の曲率半径を後方視認区域の曲率半径より小と成し、又同線上に中心点を位置させる接合区域の球面の曲率半径を後方視認区域の曲率半径より小と成すと共に、下方視認区域の曲率半径より大と成し、前記境界部位の曲率半径を大なる曲率半径に小なる曲率半径を内接させて順次移行して継続する様にしたことを特徴とする車輌用バックミラー。」というものであることは、当事者間に争いがない。
右記載によれば、本件発明において、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに区割し、下方視認区域をバックミラー本体の下方一側辺側に位置するように配置したことは、特許請求の範囲の記載自体から一義的に明らかであるにとどまらず、右各境界が斜めであることを示すための記載を除けば、特許請求の範囲には「一方中間点を垂直に通過する線を設定し、該線上に中心点を位置させる後方視認区域の球面の曲率半径を所定の規格値と成し、又同線上に中心点を位置させる下方視認区域の球面の曲率半径を後方視認区域の曲率半径より小と成し、又同線上に中心点を位置させる接合区域の球面の曲率半径を後方視認区域の曲率半径より小と成すと共に、下方視認区域の曲率半径より大と成し、前記境界部位の曲率半径を大なる曲率半径に小なる曲率半径を内接させて順次移行して継続する様にした」という曲率半径に関する記載が残るのみであり、しかも、この曲率半径に係る構成は、後方視認区域、下方視認区域、接合区域の構成を前提としていることは右記載自体から明らかであるから、右各境界が斜めであることを示すための記載は、特許請求の範囲の記載全体との関係において、本件発明の中核ともいうべき地位を占めているということができる。このことに、発明の技術的範囲は特許請求の範囲の記載に基づいて確定されるものであって、特許請求の範囲には、本来、特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみが記載されるべきものであることをあわせ考えると、右構成が本質的部分でないということは、容易に認めることのできないものというべきである。したがって、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに区割するという構成は本質的部分でない、と認定し得るためには、それを正当化するよほど強固な根拠となる事情が存在しなければならないというべきである。
2 控訴人は、本件発明の課題として、「ミラーを製造するために使用されるのし型の曲面形状を形成する際の製造を容易にする」との記載があり、この課題こそが、本件発明に特有の課題であるとし、これを前提として、左右方向の視認範囲を画定するためにミラーをどのように構成するかということは、本件発明の本質的部分ではないとし、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域を下方一側辺側に偏在させたことが、本件発明の課題解決手段を基礎付ける特徴的な部分でないと結論付けている。
しかしながら、本件発明の課題として、「ミラーを製造するために使用されるのし型の曲面形状を形成する際の製造を容易にする」との記載があり、仮に、この課題が、本件発明に特有の課題であるとしても、右課題の存在をもって他の課題の存在を否定することになるわけではないから、直ちに、左右方向の視認範囲を画定するためにミラーをどのように構成するかということが本件発明の本質的部分でないことには結び付かない。控訴人の主張には論理の飛躍がある。
かえって、本件明細書をみると、「本発明は車輌用のバックミラーにおいて1体のバックミラー内にて後方および下方死角部分を視認可能ならしめる様にした車輌用バックミラーに関するものである。従来、トラック、バス等の大型車輌に装着されている広視界バックミラーは運転席から車輌の両側に沿って後方を安全視認するのに使用されているが、鏡面の曲率が一定であるため特に前輪部分に対応する下方側面を視認することができず、該部分が死角となって前輪巻き込み事故の多発を招来する結果となっていた。そこで下方部分の視認を可能にするためバックミラーの曲率半径を規定値より小となして視認範囲を広範に設定することも考えられるが、かかるバックミラーでは通常の後方視認時において遠近感が失われて安全走行に支障を来たす欠点を有していた。」(二欄五行~二一行)、「要するに本発明は・・・後方視認区域4において通常の遠近感により車輌の後方を明確に視認することが出来ると共に、下方視認区域7により従来死角部分とされていた車輌直下の斜め外方の前輪部分一帯を明確に視認することが出来る。」(四欄三五行~五欄一二行)、「よって運転中の判断を確実にして且つ瞬時に行えることにより、安全性を大幅に向上出来る等その実用的効果甚だ大なるものである。」(六欄一二行~一五行)との記載があることが認められ、右記載によれば、本件発明の特許請求の範囲の構成を採用することによって、ミラーの後方視認区域で通常の遠近感により車輌の後方を明確に視認することができ、かつ、ミラーの下方視認区域で車輌直下の斜め外方の前輪部分一帯を明確に視認することができるという顕著な効果を奏するものであるとしているのであるから、本件発明において、後方と斜め下方の視認範囲を決するに当たってミラーの曲面をどのように組み合わせるかということは、本件発明の構成に欠くことのできない重要な事項であることが明らかである。
左右方向の視認範囲を画定するためにミラーをどのように構成するかということが本件発明の本質的部分ではないとする控訴人の主張は、失当というほかない。
3 控訴人は、本件発明の下方視認区域において車輌直下の斜め外方の前輸部分一帯が視認できるとしても、それは下方一側辺側に曲率半径の小さい領域があることの効果にほかならず、下方一側辺側に曲率半径の小さい領域が存在すれば必要にして十分であり、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置しようと垂直方向に配置しようと関係ない旨主張する。
しかしながら、一般に、車輌直下の斜め外方の前輸部分一帯が視認できるという効果を奏させようという場合、常にある定まった構成が要求されるというものではなく、構成によってもたらされる他の効果との相関関係などにより種々の構成を採り得るものである。そして、本件発明の場合においては、通常の遠近感により後方を明確に視認できるといった効果をも考慮して、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに区割するという構成を採用することにしたのである。このことは、前述のとおり、本件明細書において、「そこで下方部分の視認を可能にするためバックミラーの曲率半径を規定値より小となして視認範囲を広範に設定することも考えられるが、かかるバックミラーでは通常の後方視認時において遠近感が失われて安全走行に支障を来たす欠点を有していた。」(二欄一六行~二一行)として、車輌直下の斜め外方の前輪部分一帯の視認を可能にしつつ、同時に、通常の後方視認時における遠近感を維持することが、本件発明の課題の一つであることが明示され、その構成により、この課題が解決されることが、「・・・後方視認区域4において通常の遠近感により車輌の後方を明確に視認することが出来ると共に、下方視認区域7により従来死角部分とされていた車輌直下の斜め外方の前輪部分一帯を明確に視認することが出来る。」(五欄八行~一二行)として、明示されていることによって明らかである。このようなとき、前輪部分一帯の視認を可能にするという効果のみを取り上げて、下方一側辺側に曲率半径の小さい領域が存在すれば本件発明の目的を達成するうえで必要にして十分であるなどということは、許されないのである。
しかも、本件発明は、後記認定のとおり、出願当初、特許請求の範囲において、既に、「曲面体より成るバックミラー本体を、上方内辺側に偏在すると共に略半分の面積を占める後方視認区域と、バックミラー本体の下方外辺側に位置する下方視認区域と、両区域を継続せしめる接合区域とに区割形成せしめ、後方視認区域から下方視認区域へ至るに従い曲率半径を小ならしめる様にしたことを特徴とする車輌用バックミラー」という構成としており、また、発明の詳細な説明において、「要するに本発明は・・・後方視認区域4において通常の遠近感により車輌の後方を明確に視認せしめることが出来ると共に、下方視認区域7により従来死角部分とされていた車輌直下の斜め外方の前輪部分一帯を明確に視認せしめることが出来」(乙第一号証二頁左下欄四行~一六行)るとしていたものを、手続補正によって、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに区割するという構成にしたものであるから、控訴人の主張は、拒絶理由通知に対して特許請求の範囲を補正していながら、補正前の構成を持ち出してこれを採用せよというに等しいものであり、このような主張が許されないことは明らかである。
その余の控訴人の主張も採用の限りでない。
二 出願の経過の参酌について
1 証拠(甲第一四号証、乙第一号証、第五号証、第六号証、第七号証~第一〇号証)によれば、次の事実が認められる。
(一) 出願当初の明細書の特許請求の範囲は、「曲面体より成るバックミラー本体を、上方内辺側に偏在すると共に略半分の面積を占める後方視認区域と、バックミラー本体の下方外辺側に位置する下方視認区域と、両区域を継続せしめる接合区域とに区割形成せしめ、後方視認区域から下方視認区域へ至るに従い曲率半径を小ならしめる様にしたことを特徴とする車輌用バックミラー」というものであった。
(二) 特許庁が、拒絶査定に対する審判の段階で、平成二年一二月一〇日付けでした拒絶理由通知には、次の記載がある。
「本件出願の発明は、その出願前に国内において頒布された下記の刊行物に記載された発明に基づいて、その出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が、容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。
記
1)実願昭五一ー六一四六八号(実開昭五二ー一五三二五二号)の願書に添付した明細書及び図面の内容を撮影したマイクロフィルム(昭和五二年一一月二一日特許庁発行)(曲面体より成るバックミラー本体の内辺側に略2/3位の面積の後方視認区域とバックミラー本体の下方外辺側に下方視認区域を設け、前者の曲率半径を大とし、後者の曲率半径を小とし、両者をフェアーになるように接続した点)
2)特開昭五四ー一五三四四八号公報(複数の曲率半径の相互の曲率半径の中心をミラー本体の中心線上に位置させ、前記曲率半径の相互の曲率半径を、大なる曲率半径の内周に小なる曲率半径の外周を接する様にした点)なお、バックミラー本体の区域の中心線をどのように定めるかは当業者の必要に応じて採用し得る設計的事項にすぎない。」
(三) 出願人【A】他一名(以下「出願人ら」という。)は、平成三年八月二七日付け意見書に代える手続補正書において、本願明細書の全文を補正し、前記のとおりの特許請求の範囲とし、これを受けて、特許庁は、平成四年一〇月二日、本件発明が特許すべきものとの審決をし、平成五年三月二五日、設定登録をした。
なお、出願人らは、右補正に先立ち、平成三年二月二五日付けの手続補正書で、バックミラー本体の横幅と縦長との比、視認区域を区割形成する際の中心点の設定と円弧の半径、及び、各視認区域を形成する球面の曲率半径について数値限定をした特許請求の範囲に減縮するという補正をしたものの、特許庁から、六月一七日付けの拒絶理由通知で、このような数値限定がどのような根拠の下になされたのか、当業者が容易に理解できる程度に発明の詳細な説明中に記載されていないなどとされたため、右のとおり、本願明細書の全文を補正したものである。
2 まず、注意すべきことは、出願当初の明細書の特許請求の範囲の記載によれば、バックミラーの区割は、後方視認区域が上方内辺側に偏在し、下方視認区域が下方外辺側に位置し、その間に両区域を継続せしめる接合区域が存在するという構成であったのであるから、下方視認区域がバックミラーの下方の外辺側に偏在している構成であることは明らかであり(このことは、控訴人も認めるところである。)、この構成から考えると、被控訴人物件一のような水平線を境に垂直方向に配置されているものも、被控訴人物件二のような垂直の線を境に水平方向に配置されているものも、いずれも包含していないことが明らかであるから、本件は、出願の経過で特許請求の範囲が減縮されたために、被控訴人物件一及び同二が本件発明の構成要件を充足しないことになったというものではない、ということである。
3 本件発明の出願人らは、平成二年一二月一〇日付けの拒絶理由通知によって、乙第一一号証刊行物に、曲面体より成るバックミラー本体の内辺側に略三分の二くらいの面積の後方視認区域とバックミラー本体の下方外辺側に下方視認区域を設け、前者の曲率半径を大とし、後者の曲率半径を小とし、両者をフェアーになるように接続した技術事項が記載されていると指摘され、これに対して、前記のとおりの特許請求の範囲に補正し、下方視認区域の偏在の内容を減縮し、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置することによって、下方視認区域を下方一辺側に偏在させた構成としたものである。このように、出願人は、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置することをもって、乙第一一号証刊行物の技術と異なることを強調していることが明らかである。
特許庁から類似の引用例を示されて、これと共通する特許請求の範囲の構成部分を変更し、新たな構成とし、特許すべきものとされている以上、これが本質的な部分でないといえないことは明らかである。これが本質的な部分でなく、あってもなくてもよいとすれば、拒絶査定後の補正にもかかわらず発明の要旨が実質的に変わっていないのに、特許すべきものとされ、設定登録されたことになるからである。
4 控訴人は、原判決のようにいえるためには、①「後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域をバックミラー本体の下方一側辺側に偏在させた」とはいえない引用例を示されたのに対して、「後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域をバックミラー本体の下方一側辺側に偏在させる」ような補正をし、そのような補正により引用例との相違を明確にしたことをもって特許されたという場合であるか、あるいは、②もともと、「後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置し、下方視認区域をバツクミラー本体の下方一側辺側に偏在させる」構成であったものにつき、その後の意見書などにおいて、右構成こそが引用例と相違する点であることが明確にされ、それにより特許されたという場合であるかの、いずれかでなければならないとして、原判決における本件発明の本質的部分の認定判断を論難する。
しかしながら、仮に、控訴人の立場を採用するとしても、本件発明が右①の場合に該当することは、前記3に述べたところに照らして明らかというべきである。のみならず、自らの責任において、特許庁の拒絶理由通知に対して、拒絶査定を免れるために、本件明細書のとおりに減縮して、後方視認区域、下方視認区域及び接合区域を斜めに配置するという新たな構成を加えて特許を求め、これによって特許すべきものとされたのであるから、仮に補正が必要以上に発明を減縮するものであったとしても、控訴人の主張するような理由で、出願の経過の参酌が、限定的に解されなければならないものではないというべきである。いずれにせよ、控訴人の主張は、採用することができない。
三 以上のとおり、控訴人の請求は、いずれも理由がないから、これを棄却すべきであり、原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。よって、本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担について、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)