東京高等裁判所 平成11年(行ケ)184号 判決 2000年1月27日
原告
株式会社エアーリンク
代表者代表取締役
A
訴訟代理人弁護士
吉武賢次
弁理士
B
被告
特許庁長官C
指定代理人
D
E
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1原告の求めた裁判
「特許庁が平成10年異議第91484号事件について平成11年5月6日にした決定を取り消す。」との判決。
第2事案の概要
1 特許庁における手続の経緯
原告は、登録第4126798号商標(平成8年6月7日商標登録出願、平成10年3月20日設定登録。本件商標)の商標権者である。本件商標は「ダイレクトライン」の片仮名文字と「DIRECT LINE」の欧文字を上下に横書きして成り、第36類「生命保険契約の締結の媒介、生命保険の引受け、損害保険契約の締結の代理、損害保険に係る損害の査定、損害保険の引受け、保険料率の算出」を指定役務とする。
平成10年7月15日本件商標について商標登録異議の申立てがあり、特許庁において平成10年異議第91484号事件として審理されたが、平成11年5月6日、「登録第4126798号商標の登録を取り消す。」との決定があり、その謄本は同月26日原告に送達された。
2 決定の理由の要点
(1) 平成11年1月11日付けで、原告に下記の取消理由を通知した。
本件商標は、「ダイレクトライン」「DIRECT LINE」の文字を書して成るものである。
そして、登録異議申立人(ダイレクト ライン インシュアランス パブリック リミテッド カンパニー)の提出に係る証拠を総合勘案すれば、「ダイレクトライン」及び「DIRECT LINE」の文字は、登録異議申立人の名称の略称として取引者、需要者の間において広く認識されていたものと認められる。
そうとすれば、本件商標は、登録異議申立人の名称の著名な略称より成るものと認めざるを得ず、しかも、商標権者は、本件商標の登録を受けるについて、登録異議申立人の承諾を得ているものとは認められない。
したがって、本件商標は、商標法4条1項8号に違反して登録されたものと認める。
(2) 原告の意見
原告は、意見書を提出して概要次のように主張し、証拠方法として審判乙第1号証ないし審判乙第9号証を提出した。
(2)-1 商標法4条1項8号に規定する「著名な」の文字をいかに解すべきかであるが、他人の承諾を得ないことにより、人格権の毀損が客観的に認められるほどの著名性、稀少性等を要求されると解すべきである。そして、この著名性の程度にあっても登録出願時の需要者・取引者層、地域性、業種、経済環境等を考慮すべきものと解される。すなわち、本号が人格権保護の立場をとりつつも、商標法の目的から逸脱しない範囲で規制が行われると解すべきものであり、当該略称の著名性について上記した種々の事情を捨象して判断することは、法目的はもちろんのこと、本号の趣旨からも逸脱する。
(2)-2 理由補充書11頁中段に「…異議登録異議申立人もまもなく我が国での営業活動を開始する予定である。」と記載されているように、登録異議申立人は現時点においてさえも我が国での営業活動はしていないから、そもそも広告宣伝活動は一切していないことは明らかであり、ましてやほぼ2年前の本件登録出願時においては我が国において広告宣伝活動はしていないのは明白な事実である。外国保険業者は、日本国内に支店等を設けて大蔵大臣の免許を受けなければ広告宣伝活動を行い得ないことから支店や日本法人が存在していない以上、本件商標登録出願時はおろか現在でも広告宣伝活動は一切していないことは明らかであり、よって、「DIRECT LINE」「ダイレクトライン」が登録異議申立人の略称として著名性を獲得していることはあり得ない。したがって、登録異議申立人の引用商標は、本件商標の出願時において、本号に規定するところの登録異議申立人の名称の「著名な略称」として需要者、取引者の間において広く認識されていたものとは到底認められるものではない。
(2)-3 「DIRECT LINE」「ダイレクトライン」が我が国において何も特異なネーミングではなく実際の商取引の場において普通に各種商品・役務に採択使用されている具体例を審判乙第1号証ないし審判乙第6号証として提出する。これら事実からも明らかなごとく、「DIRECT LINE」「ダイレクトライン」はそもそも広く採択使用され得る可能性を持った商標といえるものである。
(3) 決定の判断
登録異議申立人が提出した審判甲第2号証、審判甲第21号証ないし審判甲第44号証を総合すると、登録異議申立人は、1985年(昭和60年)に設立された英国の保険会社であり、保険の直接販売を成功させた会社として欧米では極めて著名であると認められる。また、登録異議申立人は、「ダイレクトライン社」、「ダイレクト・ライン社」、「ダイレクト・ライン」、「ダイレクトライン」、「Direct Line社」などの略称をもって、本件商標の登録出願前に、我が国においてもしばしばその事業活動が業界新聞や業界誌上で紹介されていた事実が認められる。
そうしてみると、少なくとも本件商標の指定役務に係る業務を行っている保険業界においては、本件商標の登録出願の時に、登録異議申立人及びその前示略称は既に著名となっていたものと判断できるから、本件商標を構成する「ダイレクトライン」、「DIRECT LINE」の文字からは登録異議申立人が直ちに認識されるものであって、本件商標は、登録異議申立人の著名な略称を表す商標といわざるを得ない。
ところで、原告は、「DIRECT LINE」「ダイレクトライン」が我が国において何も特異なネーミングではなく、普通に各種商品・役務に採択使用されており(審判乙第1号証ないし審判乙第6号証)、これら事実からも、「DIRECT LINE」「ダイレクトライン」は広く採択使用され得る可能性をもった商標といえる旨主張する。
しかし、原告が、本件商標を採択した意図がどのようなものであったかにかかわりなく、少なくとも保険業界においては、前記認定のとおり本件商標からは登録異議申立人が直ちに認識されるものであって、本件商標は、登録異議申立人の著名な略称を表すものということができる。
したがって、通知した前記取消理由は妥当なものであり、本件商標は、商標法4条1項8号に違反して登録されたものであるから、その登録は、同法43条の3第2項の規定に基づき、取り消すべきものである。
第3原告主張の決定取消事由
決定は、登録異議申立人及びその前示略称は、本件商標の登録出願の時に著名となっていたと誤って認定し、本件商標が商標法4条1項8号に該当すると誤って判断したものであるから、取り消されるべきである。
1 決定は、欧米では極めて著名であると認定し、そして、我が国においてもしばしばその事業活動が業界新聞や業界誌上で紹介されている事実が認められるとして、その結果、我が国の保険業界においては、本件商標の登録出願の時に、登録異議申立人及びその前示略称は著名となっていたものと判断できるという事実認定をしている。
しかしながら、仮に欧米で著名であったとしても、「我が国においてもしばしばその事業活動が業界新聞や業界誌上で紹介されている事実」をもって、我が国の保険業界において本件商標の登録出願時に直ちに商標法4条1項8号に該当するほどの著名性を獲得していたとは到底考えられない。
2 登録異議申立人は、その名称及び略称を用いて本件登録出願時に、我が国において営業活動はもちろんのこと、全く広告宣伝活動をしていない。そもそも、保険業法上、外国保険業者は、日本国内に支店等を設けて大蔵大臣の免許を受けなければ広告宣伝活動を行うことはできないことからすると、少なくとも本件商標の登録出願時に登録異議申立人の支店や日本法人が存在していない以上、その広告宣伝活動は一切ないことは明らかである。
3 株式会社保険研究所発行「Insurance 平成10年版」の平成9年度「生命保険統計号」(甲第4号証)によれば、我が国における生命保険会社は、国内会社が40社、外国会社が3社、計43社あり、これらに従事する従業員数は約133万人、これらの個人代理店は約171万店(法人代理店は678店)、集金人は約5000人存する。
「Insurance 平成10年版」の平成9年度「損害保険統計号」(甲第5号証)によれば、国内会社は33社あり、約10万人が従事している。
したがって、生保、損保の各会社の全従業員数は、約143万人であり、生保の個人代理店及び集金人を合わせると、保険業界には約316万人もの多くの人が携わっており、本件商標の登録出願時にいまだ活動していない登録異議申立人の名称又は略称をどの程度の者が知っていたかはなはだ疑問である。仮に、大手生保、損保会社の一部の者が知っているからといって、著名性が確立されているとはいえない。
第4決定取消事由に対する被告の反論
登録異議申立人が欧米で著名な保険会社であったからこそ、その事業活動が我が国の業界新聞や業界誌上で紹介され、我が国の保険業界で関心を持たれていたと考えられる。登録異議申立人が我が国においていまだ活動していない保険会社なのに、我が国の業界新聞や業界誌上で紹介されたのは、むしろ、登録異議申立人の著名性を示している。
業界新聞や業界誌は、その業界の多数の者が目を通しているとみてよく、そこに特定の者の略称として普通に使用される表記は、その業界の多数の者に、その特定の者を指すものとして認識されるから、その特定の者の著名な略称というべきである。
第5当裁判所の判断
1 甲第2号証、第21号証ないし第44号証によれば、決定が認定したように、登録異議申立人(ダイレクト ライン インシュアランス パブリック リミテッド カンパニー)は、1985年(昭和60年)に設立された英国の保険会社であり、保険の直接販売を成功させた会社として欧米では極めて著名であると認められる。また、登録異議申立人は、「ダイレクトライン社」、「ダイレクト・ライン社」、「ダイレクト・ライン」、「ダイレクトライン」、「Direct Line社」などの略称をもって、本件商標の登録出願前に、我が国においてもしばしばその事業活動が業界新聞や業界誌上で紹介されていた事実を認めることができ、その認定に誤りはない。
2 特に、甲第2及び第6号証によれば、F著「ダイレクト・インシュアランス直販保険会社(増補改訂版)」(1997年12月保険毎日新聞社発行)に、ダイレクト・ライン・インシュアランスは、1985年英国ロンドンの郊外に、バンク・オブ・スコットランドの子会社として設立されたこと(15頁)、直販専門会社ダイレクト・ラインの英国保険業界、中でも自動車保険マーケットに与えた影響は大きなものがあったこと、自家用自動車保険の分野で、ダイレクト・ラインは1995年には、それまでトップ・シェアを誇っていたノーウィッチ・ユニオンを抜きリーディング・カンパニーの地位を占めるに至ったこと(25~26頁)の記載があり、28頁の「資料2.3.1 英国の直販損害保険会社(1)(年間収入保険料20億円以上のもの)1996年」の順位1位として、「Direct Line Insurance」が挙げられていることが認められる。
同書の初版は1996年(平成8年)7月発行なので、本件商標の登録出願よりも約1か月後のものであり、また、同書のまえがきには「筆者は直販保険会社に関する可能なかぎりの情報をロイター通信社のパソコン・ネットワーク・システムなどを利用してあつめ、それをつなぎ合わせるという手法によって実態の解明を試みた。残念ながら入手できる情報には限界があった」と記載されていることが認められる。しかしながら、甲第21号証によれば、本件商標の登録出願前である平成8年4月26日に発行されたG著「21世紀の保険システム」(保険毎日新聞社)41頁以下にも、「2.6. ダイレクトライン社」という独立の1項目が設けられ、同社に関する説明が詳細に紹介されており、その中で「この会社は保険の直接販売を成功させた会社として欧米では極めて著名であるが、その成功の度合いも設立後わずか10年弱で総合自動車保険の分野で業界1位の引き受けを行っているのだから、その衝撃は並の物ではない。」と説明されていることが認められ、本件商標の登録出願日より前に発行された甲第34ないし第44号証の保険毎日新聞及び海外保険情報における「ダイレクト・ライン社」の紹介記事、その他甲第23ないし第33号証の新聞記事データベースからの検索結果に表れる日経金融新聞(甲第31号証は日本経済新聞)の記事(本件商標の登録出願日より前のもの)における「ダイレクト・ライン・グループ」あるいは「ダイレクト・ライン」などの紹介によれば、本件商標の登録出願日より前に、「ダイレクト・ライン社」は、英国の直販保険会社として我が国にも繰り返し業界紙において報道されてきたことが認められるのであり、F著の前記書物が本件商標登録出願よりも1か月後に刊行されたものであることをもってしても、決定の前記認定に誤りがあるとすることはできない。また、同書のまえがきの記載も、「ダイレクト・ライン社」の実態に関する詳細かつ正確な情報収集に限界があったことを述べているにとどまり、我が国において登録異議申立人(ダイレクト ライン インシュアランス パブリック リミテッド カンパニー)が、「ダイレクト・ライン社」、「ダイレクトライン」などの略称の下に紹介されてきたとの前記決定の認定を左右するものではない。
3 なお、「ダイレクト・ライン社」を紹介する前記日経金融新聞及び保険毎日新聞は業界紙であるが、甲第46号証によれば、1997年において、日経金融新聞の発行部数は5万1000部、保険毎日新聞の発行部数は甲第34ないし第41号証の損保版で3万部であることが認められ、甲第4号証(「Insurance 平成10年版」の平成9年度「損害保険統計号」)によれば、損害保険の国内会社が平成9年度において33社あり、従業員総数は約10万人であることが認められるのであり、この数値と対比すれば、上記業界紙は相当数の発行部数であることが明らかであり、保険業界、とりわけ損害保険業界関係者の相当割合の者が「ダイレクト・ライン社」の名を、本件商標登録出願時において知っていたものと推認することができる。
4 原告は、少なくとも本件商標の登録出願時に登録異議申立人の支店や日本法人が存在していない以上、その広告宣伝活動の一切ないことは明らかである旨主張し、弁論の全趣旨によればこの原告主張事実は認め得るものであるが、このことをもってしても、上記認定事実を左右するものではない。
5 したがって、上記1摘示の決定認定事実によれば、「少なくとも本件商標の指定役務に係る業務を行っている保険業界においては、本件商標の登録出願の時に、登録異議申立人及びその前示略称は既に著名となっていたものと判断できるから、本件商標を構成する「ダイレクトライン」、「DIRECT LINE」の文字からは登録異議申立人が直ちに認識されるものであって、本件商標は、登録異議申立人の著名な略称を表す商標といわざるを得ない。」とし、「本件商標は、商標法4条1項8号に違反して登録されたもの」であるとした決定の判断に誤りがあるということはできず、原告主張の決定取消事由は理由がない。
第6結論
以上のとおりであり、原告の請求は棄却されるべきである。
(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 市川正巳)