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東京高等裁判所 平成12年(ネ)1745号 判決 2001年2月06日

控訴人・附帯被控訴人

学校法人東京醫科大学

(以下「控訴人」という。)

右代表者理事

内田安信

右訴訟代理人弁護士

加藤済仁

松本みどり

岡田隆志

桑原博道

右訴訟復代理人弁護士

木ノ元直樹

許功

児玉安司

西内岳

蒔田覚

被控訴人・附帯控訴人

甲野太郎

(以下「被控訴人」という。)

右訴訟代理人弁護士

宮田眞

主文

一  控訴人の控訴に基づき、原判決中被控訴人に関する部分を次のとおり変更する。

二  控訴人は、被控訴人に対し、金二九九三万一四六三円及びこれに対する平成六年七月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人のその余の請求を棄却する。

四  被控訴人の附帯控訴を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その三を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決中被控訴人に関する部分を次のとおり変更する。

2  控訴人は、被控訴人に対し、二九九三万一四六三円及びこれに対する平成六年七月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被控訴人のその余の請求を棄却する。

4  附帯控訴棄却

二  被控訴人

1  控訴棄却

2(附帯控訴として)

控訴人は、被控訴人に対し、二五〇万円及びこれに対する平成六年七月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  被控訴人と甲野花子(原審の相原告)の二男である二郎は、慢性腎不全の治療のため、控訴人の附属施設である東京医科大学八王子医療センターで、被控訴人から摘出した腎臓を移植する生体腎移植手術を受けたが、術後一二日目に死亡した。

本件は、被控訴人が、控訴人の術後管理及び事前準備に過失があったために二郎が死亡したと主張して、控訴人に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、二郎の被った損害に対する損害賠償金(逸失利益、慰謝料等)の相続分三五〇〇万一九二四円、被控訴人の固有の損害に対する損害賠償金(慰謝料)八一九万円、弁護士費用六〇〇万円の合計四九一九万一九二四円とその遅延損害金の支払を求めた事案である。

原判決は、被控訴人の請求を、二郎の損害賠償金の相続分二七二三万一四六三円、被控訴人の固有の慰謝料八一九万円、弁護士費用三五〇万円の合計三八九二万一四六三円とその遅延損害金の限度で認容した。これに対し、控訴人は、被控訴人の固有の慰謝料が認容された部分について控訴を申し立てた。また、被控訴人は、附帯控訴を申し立て、弁護士費用の追加分二五〇万円とその遅延損害金の支払を求めた。

二  右のほかの事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の当審における主張)

1 原判決は、生体腎移植手術を行う控訴人と臓器提供者(ドナー)である被控訴人との間の契約において、控訴人は、被控訴人に対して、摘出した腎臓を適正に機能させるための術後管理に必要な相当期間中、臓器受領者(レシピエント)に対して適切な医療行為をすべき義務を負っているとしたが、これは判断を誤ったものである。

臓器の提供は第三者の治療をするとの目的を動機とする行為である。しかし、本件のように、摘出された臓器が、その時点で、レシピエントに移植されるばかりの状態となっているときは、臓器の支配権はドナーではなくレシピエントにあると解すべきである。したがって、臓器の摘出を行う医療機関とドナーとの間の契約においては、移植の目的をもって安全に臓器を摘出することだけが合意内容になっているとみるべきである。摘出手術が終了した時点では、契約はその目的を達したことになる。

仮に、摘出された時点で臓器の支配権が移らないとしても、臓器がレシピエントの体内に移植された時点以降は、臓器はレシピエントの身体の一部となり、当該臓器に対してドナーの支配は及ばない。したがって、この臓器についてドナーが自らの契約の対象とすることはできない。

いずれにせよ、摘出医療機関とドナーとの間の契約には、レシピエントの治療に関する部分までは含まれない。

2 原判決は、ドナーの、摘出された腎臓がレシピエントに移植されることによりレシピエントの治療が適切に達成されるとの期待は法的保護に値するとしたが、これは判断を誤ったものである。

ドナーやその家族は、自らの提供した臓器等が生かされ、移植医療が成功することを期待するであろうが、それは、法的に保証されるものとはいえない。

他人の身体・健康上発生した悪しき結果に対しては、民法七一一条によって救済されるべきである(本件においては、この点は二郎の慰謝料で評価されている。)。

3 原判決が認定した被控訴人の慰謝料額は、前提を誤り、多額に過ぎるものである。

原判決は、二郎の逸失利益の算定に当たっては、移植手術が成功したこと、すなわち、被控訴人が片方の腎臓を失ったことを前提にしている。この場合、被控訴人は自らの腎臓の喪失について損害賠償は請求できない。一方で、被控訴人について、移植手術が失敗したことを前提に、自らの腎臓の喪失について慰謝料を認めるのは、同じ腎臓の喪失について二重に損害の填補を受けることになる。

本件では、二郎の術後管理が成功しても失敗しても被控訴人は一腎臓を喪失したままである。術後管理の失敗と一腎臓の喪失との間には因果関係がない。腎臓の提供が無に帰したことと被控訴人が腎臓を失ったこととは別個の損害であり、腎臓の提供が無に帰したことによる精神的苦痛は、二郎の死亡による精神的苦痛に包摂されている。

なお、自賠責保険の八級の賠償額は、逸失利益も含む額であるが、被控訴人に逸失利益が生じたのかどうかは明らかになってはいない。

(被控訴人の当審における主張)

1 臓器移植のうちでも、ドナーが特定の者に対し臓器を提供するという場合における医療機関とドナーとの間の契約においては、医療機関の債務に腎臓を摘出すること及びこれをレシピエントに適切に移植することが含まれているというべきである。そして、レシピエントの執刀手術に近接する術後管理は、移植手術の範疇に入っており、そこに過失があれば、医療機関のドナーに対する債務不履行となる。

ドナーが臓器を提供するのは、臓器移植が特定のレシピエントの治療に劇的な効果があるという強い期待に起因する。したがって、その契約の内容としては、臓器を移植すれば足りるというものではない。

また、二郎の健康回復という点でみれば、この目的は、二郎と控訴人との間の診療契約で評価しつくされているともいえる。しかし、被控訴人が主張するのは、ドナーから摘出した腎臓が摘出するに値するだけの機能を果たしたかというものであり、直接的に二郎の生命・身体を対象にするものではない。臓器に関しても人格的権利があり、これは他に移転することはできず、ドナーに専属するものである。

2 ドナーが特定の者に対し臓器を提供するという場合におけるドナーのレシピエント治療に対する期待は、自らの臓器を失うという犠牲と引換えの強い期待であり、法的保護に値する。また、ドナーの期待を、摘出された臓器がレシピエントに有効に移植されて機能を果たすはずであるという期待ととらえても、これは、法的保護に値する。

3 自らの腎臓を摘出して提供しながら、全く効果がなく、結果として臓器を失うだけとなった被控訴人には、ドナーとして、遺族としての損害とは別個の損害が生じている。

民法七一一条による遺族の固有の慰謝料請求権が認められる場合でも、死亡した者の慰謝料請求権を相続することで総額としての慰謝料額が増加することはないというのが、現在の実務である。しかし、ドナーの慰謝料請求権は、右の場合とは異なる。

被控訴人は、臓器摘出によって実際上の社会生活に制限を受けている。

原判決の認定した慰謝料額は、多大ではない。

第三  当裁判所の判断

一  当裁判所は、被控訴人の固有の慰謝料の請求は、二郎の慰謝料の相続分(花子の相続分を含む。)と合計して二〇〇〇万円の限度で理由があり、それを超えるものは理由がないものと判断する。その理由は、次のとおりである。

1  事実の経過

原判決挙示の証拠と甲三の二の一ないし三三によれば、本件の事実の経過として、次のとおり認めることができる。

(一) 二郎(昭和四六年三月一日生)は、昭和六二年に調理士の資格を取得し、昭和六三年に寿司店に入社し、寿司職人として勤務した。二郎は、平成三年一二月ころ、杏林大学附属病院で慢性腎不全と診断され、寿司店を退社し、以後、透析治療を受けていた。

(二) 二郎と被控訴人は、平成四年八月ころ、杏林大学附属病院の主治医と協議して、今後二、三年程度の間に、二郎の治療のため、被控訴人から摘出した腎臓を二郎に移植する生体腎移植手術を受けることを決意した。そのため、二郎と被控訴人は、右主治医から、控訴人医療センターの紹介を受けた。

二郎と被控訴人は、平成五年一二月、控訴人医療センターの移植コーディネーターの説明を聞き、早期に控訴人医療センターにおいて生体腎移植手術を受けるとの考えに変わった。

(三) 平成六年六月二一日、生体腎移植手術を受けることを目的として、二郎が控訴人医療センターに入院し、同月二八日、被控訴人も入院した。

手術前の検査では、二郎の心肺機能は正常で、慢性腎不全以外の合併症はみられなかった。被控訴人の腎臓にも異常はみられなかった。

(四) 同年七月一四日、乙川一郎医師(乙川医師)を二郎の執刀医とし、斉藤燈医師を被控訴人の執刀医として生体腎移植手術が行われた。同手術は、被控訴人から右腎臓を摘出し、それを直ちに二郎に移植するものであった。

当日、二郎は、午前九時に手術室に入室し、拒絶反応防止のため脾臓を摘出された後、腎移植のため、午前一一時三四分右側腹部が切開され、午後五時四八分閉腹が終了した。そして、午後六時四五分に手術室を退室した。

一方、被控訴人は、午前九時三〇分ころ手術室に入室し、午後三時三〇分ころ病室に戻った。

(五) 二郎は、午後七時ころ病棟に帰棟した。

翌一五日午前一時ころ呼吸が苦しいとの訴えがあり、その後も様々な症状があって、同日午前三時八分ころ、二郎は、痰の絡みが著名で呼吸困難な状態となり、午前三時一〇分ころ呼吸停止状態に陥った。二郎の全肺野にはびまん性の湿性ラッセル音が認められ、二郎は肺水腫を引き起こしていた。

(六) 乙川医師は、七月一四日午後八時から同日午後九時の間に、二郎に利尿剤であるラシックス五アンペアを投与するとともに、二五パーセントアルブミン溶液の点滴による投与を開始した。同アルブミン溶液は、翌一五日午前三時過ぎまでに合計約七五〇ミリリットルが投与された(手術室において投与されたものを加えると、投与量は総計九〇〇ミリリットルとなる。)。アルブミンは、低アルブミン状態であると利尿剤の効きがよくないため、利尿剤の効果を発揮させるよう投与されるものであるが、強力な血漿増量効果があることから、循環血液量が正常ないし過当の患者に対して急速に注射すると、循環障害及び肺水腫を起こすおそれがあった。

二郎の適正体重(透析終了時に余分な体液が除去され、血液などの細胞外液が是正されたときに、浮腫、胸水、腹水の貯留、肝腫大、心拡大もなく、血圧もほぼ正常で心胸郭比が四〇パーセント台であるときの体重)は、56.2キログラムであり、手術前日の七月一三日午後六時四〇分ころの透析終了時の体重は、56.4キログラムであった。その後、手術を挟んで同月一五日午前三時過ぎまでの間の二郎の水分摂取量は、輸液等により少なくとも一万ミリリットルから一万一〇〇〇ミリリットルであった。一方、排泄量は、多くとも約五〇〇〇ミリリットルであった。このため、二郎の水分出納は、七月一三日午後六時四〇分ころの透析終了時から同月一五日午前三時過ぎまでに約五〇〇〇ミリリットルないし約六〇〇〇ミリリットル水分が超過していることになった。

しかし、乙川医師は、術中及び術後の水分出納は、二〇〇〇ミリリットル程度の増加にすぎないと認識していた。

(七) 乙川医師らの蘇生術により、二郎は、七月一五日午前四時には自発呼吸を再開した。その後、乙川医師らは、二郎を集中治療室に移し、救命治療を続けたが、二郎は、同月二六日午後三時五五分死亡するに至った。

2  術後管理の過失の有無

当裁判所も、原審同様、二郎の死因は肺水腫であり、肺水腫を引き起こした原因は、輸液や血液製剤等の過剰投与による溢水状態に加え、アルブミン溶液による血漿増量効果によって、血中膠質浸透圧が急上昇して、組織間質に移動していた水分が血管内に戻り、循環血液量の急激な増加を招いたことによるものであること、腎移植の術後管理に当たっては呼吸管理と体液管理を慎重に行うことが必要であり、二郎の場合、尿量が不十分であることを前提として、術中、術後の輸液、血液製剤等の投与を制限し、体液管理をすべき注意義務があったにもかかわらず、乙川医師の術後管理には、二郎の水分バランスが摂取量が排泄量を約五〇〇〇ミリリットルないし約六〇〇〇ミリリットル超過する溢水状態となっているのを正しく認識せず、アルブミン溶液の投与を継続した注意義務違反があったこと、乙川医師の右過失と二郎の死亡との間には因果関係があるものと判断する。その理由は、原判決の第三当裁判所の判断の二ないし四(六〇頁以下)記載と同一であるからこれを引用する。

3  患者本人以外の者による診療契約の締結の可否

ある人の疾病を治療するとの診療契約は、医療機関とその患者との間でのみ締結することができる(意思能力、行為能力が欠ける者の場合に、代理人が契約したり、第三者のためにする契約として締結されたり、事務管理として契約される場合があることは別である。)。診療契約ではあっても、他人の身体を対象とする契約は締結することができない。診療は、通常、患者の身体への侵襲であり、どのような治療を受けるかは、患者自身のみが決定することができる事柄、すなわち人格権に属する事柄であるからである。患者本人と医療機関との間で診療契約を締結するほかに、親子、配偶者であっても、医療機関との間において、他者である患者の疾病を治療することを目的とする診療契約は締結することができない。

本件においては、腎移植手術の前に、二郎と控訴人との間及び被控訴人と控訴人との間に契約が締結されている。そして、控訴人が、腎臓摘出手術と移植手術とを同時に担当するため、被控訴人と控訴人との間の契約においては、二郎に移植するために被控訴人の腎臓を摘出し、これを二郎に提供することが控訴人の被控訴人に対する契約上の債務となるものと解される。しかし、二郎に対する移植手術が開始された後は、移植手術を適切に遂行することは、二郎と控訴人との間に締結された診療契約の問題となる。移植手術は、二郎の身体への侵襲であり、移植手術を受けるかどうかは、二郎のみが決定することができる事柄であるからである。したがって、医療機関である控訴人とドナーである被控訴人との間の契約において、レシピエントである二郎の術後管理に必要な期間を含め、レシピエントに対して適切な医療行為を行うことが、医療機関の債務の内容となることはない。

被控訴人は、医療機関である控訴人には、ドナーである被控訴人から摘出した腎臓について、摘出するに値するだけの機能を果たさせる債務があるとも主張する。しかし、被控訴人から摘出された臓器ではあっても、すでに二郎に移植された腎臓について、二郎に対する治療とは別に、その機能を果たさせる債務は考えることができない。腎臓に機能を果たさせることは、二郎に対する治療そのものであるからである。

以上の次第であって、二郎に対する術後管理に過失があったとしても、それを、ドナーである被控訴人に対する債務不履行であると認めることはできない。

控訴人の債務不履行を理由とする被控訴人の慰謝料請求は、その前提を欠くものであって、採用することができない。

4  親の立場を離れてドナーとしての慰謝料請求権が認められるか

被控訴人は、ドナーが特定の者に対し臓器を提供する場合におけるドナーのレシピエント治療に対する期待は、犠牲と引換えの強い期待であり、法的保護に値すると主張する。

被控訴人が抱く期待は、臓器移植手術が成功すればよいというだけではなく、レシピエントである二郎に対する治療全般が成功し、二郎が通常人と同じ生活を送れるようになってほしいとの期待である。これは、親子等関係の深い者が抱く通常の期待である。法は、民法七一一条において、この期待が害された場合に親など患者と関係の深い者に固有の慰謝料請求権を認めている。しかし、この民法七一一条の慰謝料請求権以外には、患者の生命について親といえども法的な利益を有するものではない。これは、人格を第一に尊重する現行法体系のもとでは、患者の生命身体は患者固有のもので、患者以外の者は、親といえどもこれを支配し利益を受けるべきものではないからである。そして、この理は、子の命を救うため自分の腎臓を提供するほど特別に深く子を愛している親の場合でも、変わりはないものである。

したがって、法的にみれば、被控訴人に、親の立場を離れてドナーとしての期待を観念することはできない。

被控訴人は、摘出された臓器がレシピエントに有効に移植されて機能を果たすはずであるというドナーの期待が、法的保護に値するとも主張する。

しかし、レシピエントの回復とは別に、人の身体の一臓器のみを取り上げてその臓器の機能に対する法的期待を観念することもできない。このことは、人の治療とは別個に腎臓に機能を果たさせる法的債務を考えることができないのと同じである。

以上のとおり、患者の親として子に臓器を提供したドナーは、治療上の過失により移植が成功せず子の生命が失われたときは、親として民法七一一条により子を失った精神的損害について慰謝料の支払を受けられるのであって、失われた臓器のドナーとしてその臓器の喪失それ自体の賠償を受けることはできないものである。

5  慰謝料請求権の相続と固有の慰謝料の関係

民法七一一条により子を失った親に固有の慰謝料請求権が認められる場合に、その親が子の健康の回復や命の救済を願い、自分の腎臓の一つを提供したドナーであるときには、親が子を失ったことによる精神的苦痛は、そのような提供をしていない親がその子を失う場合の精神的苦痛よりも大きいというべきであろう。そして、被控訴人は、そのようなドナーである親として、精神的損害の賠償を受けるべきである。

ただ、本件においては、原判決が認めた二郎の慰謝料二〇〇〇万円には、被控訴人の精神的苦痛に対する固有の慰謝料分が評価されているものと認められる。

すなわち、死亡時において、二郎は一家の支柱というべき立場にはなかった。むしろ、被控訴人ら両親がその世話をする立場にあったものと認められる。そうすると、右の二〇〇〇万円の金額は、二郎本人の慰謝料とその両親の慰謝料とに分けて考えれば、その合計額として十分な金額であり、親である被控訴人が臓器の提供までして子の生命を救おうとした事実を考慮しても、その親の慰謝料を含めた額として、相当な額であると認められる。

そして、民法七一一条による親固有の慰謝料請求権のほかに、親が子の慰謝料請求権を相続する場合に、その請求の仕方によって慰謝料の総額が変わることはなく、請求の仕方いかんにかかわらず同一の慰謝料額を認めるのが実務の考えであることは、被控訴人も述べるところである。

そうすると、本件の場合は、被控訴人は、二郎の損害賠償金の相続分の支払を受けることにより、被控訴人固有の慰謝料の支払も受けているものというべきであって、それとは別個に更に追加して慰謝料の支払を求める請求は理由がないといわざるをえない。

二  したがって、原判決のうち被控訴人の固有の慰謝料八一九万円とそれに関する弁護士費用八〇万円の請求を認容した部分は失当であって、取消しを免れない。

なお、控訴不可分の原則により、被控訴人に関する限り、二郎の損害賠償金の相続による請求も控訴審に移審している。そして、証拠(乙二二)によれば、控訴審に事件が係属した後、控訴人と被控訴人とが、二郎の損害賠償金の相続分については、原判決が認容した金額を控訴人が被控訴人に支払い、被控訴人はその余の請求を放棄するとの合意をし、控訴人が右金額を支払ずみであることが認められる。しかし、右の合意ができたことによって、事件が控訴審に係属していること自体を消滅させることはできず(控訴不可分の原則からすれば、控訴人が控訴の一部取下げをすることは許されない。)、被控訴人の側から訴えの一部取下げがされたわけでもない(被控訴人が二郎の損害賠償金の相続による請求部分について訴えを一部取り下げることは可能であるが、そうすると、右請求についての原判決も消滅することになる。)。したがって、二郎の損害賠償金の相続による請求も当審に係属しており、右請求に関する原判決に対しては控訴人も被控訴人も不服を述べていないので、原判決を右の範囲に変更することとする。

また、被控訴人の附帯控訴は、被控訴人の固有の慰謝料の請求が理由がない以上、失当であるから、これを棄却することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・淺生重機、裁判官・西島幸夫、裁判官・江口とし子)

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