東京高等裁判所 平成12年(ネ)3723号 判決 2001年7月19日
控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)
医療法人正和会
代表者理事長
宮城福正
訴訟代理人弁護士
古谷和久
同
池尾奏
同
木ノ元直樹
控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)
社会福祉法人恩賜財団済生会
代表者理事
山下眞臣
同神奈川済生会業務担当理事
山本修三
訴訟代理人弁護士
平沼高明
同
上村恵史
同
加々美光子
同
平沼直人
同
水谷裕美
同
福岡總一郎
被控訴人兼附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)
甲野花子
外三名
右三名法定代理人親権者
甲野花子
右四名訴訟代理人弁護士
三木恵美子
同
杉本朗
主文
1 控訴人社会福祉法人恩賜財団済生会の本件控訴及び被控訴人らの本件附帯控訴に基づき、原判決主文一ないし三項を次のとおり変更する。
(1) 控訴人医療法人正和会は、被控訴人甲野花子に対して、三七三七万八七三四円及びこれに対する平成七年一二月九日から、被控訴人甲野一郎、同甲野次郎及び同甲野三郎に対して、各九八四万六二四四円及びこれに対する平成七年一二月九日からそれぞれ支払済みに至るまで各年五分の金員を支払え。
(2) 控訴人社会福祉法人恩賜財団済生会は、被控訴人甲野花子に対して、三六〇万円及びこれに対する平成七年一二月九日から、被控訴人甲野一郎、同甲野次郎及び同甲野三郎に対して、各一〇〇万円及びこれらに対する平成七年一二月九日からそれぞれ支払済みに至るまで各年五分の金員を支払え。
(3) 被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
2 控訴人医療法人正和会の本件控訴を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二〇分し、その一を控訴人社会福祉法人恩賜財団済生会の負担とし、その九を控訴人医療法人正和会の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。
4 この判決主文1の(1)の原判決認容額を超える部分は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人医療法人正和会(以下「控訴人正和会」という。)
(1) 控訴の趣旨
ア 原判決中、控訴人正和会の敗訴部分を取り消す。
イ 取消しにかかる部分の被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
(2) 附帯控訴に対する答弁
本件附帯控訴をいずれも棄却する。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
2 控訴人社会福祉法人恩賜財団済生会(以下「控訴人済生会」という。)
(1) 控訴の趣旨
ア 原判決中、控訴人済生会の敗訴部分を取り消す。
イ 取消しにかかる部分の被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
(2) 附帯控訴に対する答弁
本件附帯控訴をいずれも棄却する。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
3 被控訴人ら
(1) 控訴人らの本件各控訴の趣旨に対する答弁
本件各控訴をいずれも棄却する。
(2) 附帯控訴の趣旨
ア 原判決主文一ないし三を次のとおり変更する。
イ 控訴人らは、連帯して、被控訴人甲野花子(以下「被控訴人花子」という。)に対して六九九三万五三五五円、その余の被控訴人に対して二六二四万五一一八円及びこれらに対する平成七年一二月九日から支払済みに至るまで年五分の金員を支払え。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人らの負担とする。
第2 事案の概要
1 本件は、平成五年二月ころから平成六年九月ころまで控訴人済生会が経営する恩賜財団済生会横浜市南部病院(以下「南部病院」という。)に通院して精神疾患の治療を受けていた甲野太郎(以下「太郎」という。)が、状態が悪化したことにより、平成六年九月一一日に家族及び知人に付き添われて控訴人正和会の経営する精神病院である日野病院に入院したところ、入院当日の深夜に同病院の隔離室内で縊首により自殺したため、太郎の妻である被控訴人ら(以下、太郎の妻甲野花子を「被控訴人花子」と、子である甲野一郎、同次郎及び同三郎を「被控訴人一郎」、「被控訴人次郎」及び「被控訴人三郎」という。)が、控訴人済生会に対しては、太郎の疾患はうつ病であったにもかかわらず、南部病院の担当医師であったA医師が診断を誤り、神経症ないしヒステリー性人格障害と判断してうつ病治療に必要な診療をせずに、太郎を自殺するに至らしめたと主張し、また、控訴人正和会に対しては、太郎に自殺念慮があり自殺の予見可能性があったにもかかわらず、日野病院のB医師は自殺を予防する措置をとることなく、太郎を隔離室で自殺するに至らしめたと主張して、それぞれ診療契約上の債務不履行に基づき、合計一億四八六七万〇七〇九円と訴状送達の日の翌日である平成七年一二月九日から支払済みに至るまで年五分の遅延損害金の支払を求めた事案である。これに対し、控訴人済生会は、太郎はうつ病ではなく、南部病院のA医師の診断と太郎に対する治療に誤りはないうえ、当時の太郎の症状に照らして、控訴人済生会に太郎の自殺について予見可能性はなく、太郎の自殺とA医師の治療との間には相当因果関係はないと主張し、控訴人正和会は、太郎の疾患はうつ病ではなく、心因反応であったとして、当時の太郎に自殺の具体的危険性はなく、B医師の処置と太郎の自殺との間には相当因果関係がないと主張して、それぞれ損害賠償責任の成立を争った。
第一審は、太郎の精神疾患はうつ病であったと認定し、それぞれの担当医師には、太郎の自殺につき予見可能性があり、各担当医師の診療過誤と太郎の自殺との間にも相当因果関係が認められると判断したが、控訴人らの不真正連帯責任を否定し、太郎の素因と、控訴人済生会及び控訴人正和会の各責任の割合を二対五対三であると判断して、この責任割合に従って各控訴人の賠償額を認定し、控訴人済生会に対しては、被控訴人花子につき五七九万五五二四円、その余の被控訴人につき各七一四万〇一七四円及びこれらに対する遅延損害金の、控訴人正和会に対しては、被控訴人花子につき一五四七万七三一四円、その余の被控訴人につき各四二八万四一〇四円及びこれらに対する遅延損害金の各支払を命じた。
2 前提となる事実及び当事者の主張
前提となる事実及び当事者の主張は、次のとおり補正、付加するほか原判決「事実及び理由」欄の第二の二及び第三のとおりであるから、これをここに引用する。
(1) 補正
原判決七頁九行目から一〇行目にかけての「診察を受けた。」を「診察、投薬処方、治療相談などを受けてきた。」に、同二二頁二行目の「自殺を予見していた」を「自殺を予見し得た」にそれぞれ改める。
(2) 当審で付加した当事者の主張
ア 控訴人正和会
(ア) 太郎は、入院当時、ビール缶で自分の頭を打つ、屋根に登って飛び降りようとする、切れないナイフで自殺のまねをするなどのほかには、自傷的行為はなく、妻の首を絞めたり、ビール缶で妻の頭を殴るなどの他害行為のみを訴えていた。自殺未遂、自殺企図と評価されるべき行為はなく、過去に自殺未遂、自傷行為の経験もない。B医師は太郎が自傷行為、自殺未遂行為を行ったということを被控訴人花子から聞いていないし、南部病院からの紹介状ないしカルテにも記載がない。また、太郎は、「最低一か月は入院します。」と治癒への決意を記載し(乙1の7)、改善の意欲が明らかに見られた。このような事情の下で、直ちに太郎に自殺の危険性があったと判断することはできず、これを予見せよというのは不可能を強いるものである。
なお、自殺の予見可能性を認定するに際しては、病名がうつ病であったか心因反応であるかは本質的なことではなく、本人の症状からその危険性が認められるか否かが重要である。太郎がうつ病であったとしても、直ちに自殺の危険性が高まるわけではなく、うつ病であったことが自殺の危険性判断の重要要素というわけではない。
(イ) 太郎がたまたま救急当番医であった日野病院に入院したことから、当時の太郎の現状にどう対処するかの臨床上の問題があった。太郎は、相当程度飲酒し、著しく興奮していたのであるから、本人の検査、問診等には限界があり、当時の精神状態の鎮静をまず念頭に置き、その後に既往症等の情報を整理検討し、的確な診断名を付けるのが臨床現場の常識である。
B医師が太郎を一度診察してうつ病と診断していたことから、直ちに自殺の予見可能性が出てくるわけではない。入院当日の午前中は、太郎はB医師と面会したが、すぐに帰宅しており、妻の相談は、「自殺のまね」に言及するものの、家族に、緊急に自殺の危険性があるとの認識があるとは窺われない内容であった。当日のケースワーカー記録(甲2の1)は、翌日太郎の自殺を聞いて書かれたものであるし、神奈川県立精神保険センターの受付票(乙2)の記載も抽象的な自殺の危険性が記載されているのみであり、太郎の当日の診察内容から自殺の具体的危険性ないし予見可能性を導き出すのは、臨床の実態にはそぐわない。特に太郎は、当時酩酊しており、通常の病院では入院のみならず外来も拒絶される状態であったから、慎重な問診が可能であったとはいえないのである。
(ウ) 日野病院が太郎を隔離室に収用したのは、当時の状況から適切な処置であり、太郎の興奮鎮静のために精神神経安定剤であるセレネース、レポトミンの注射をするとともに、隔離室収容を指示し、その後の太郎の状況にかんがみて、催眠鎮静剤イソミタールの注射を指示したのであるが、他に適切な方法があったわけではないから、このような処置に過失はない。また、看護記録(乙6)に記載はないが、C看護婦らは、太郎の不穏行動により一五分間隔で巡回していたのであり、午後一一時三〇分にも巡回を実施している(乙12)から、監視を緩めたわけではない。何ら異常がない場合に看護記録の記載をしないのは、むしろ通例的なことなのである。
(エ) 笠原鑑定書(乙30)は、「ICD―10は国内では診療基準として確立しているとはいえず、これに基づいて外来診察をするのは例外的である。」と述べている。また、同鑑定書は、太郎の症状を検討し、うつ病と断定はできず、神経症とする診断が誤りとはいえないと結論付けている。さらに、「精神病院勤務に慣れた医師であっても、平成六年九月一一日の太郎の状態を検討して、太郎に自殺の危険が切迫していると判断することは困難であり、当夜に自殺が決行されることは、精神病院勤務医の予見能力を超える事態であった。」としている。
(オ) 患者の自殺の危険性が高いか否かは、医療水準上要求される医学的知識と経験に基づく医師とスタッフの合理的な判断に委ねられている。したがって、医師の判断が不合理なものとされた場合に初めて注意義務違反が成立する。太郎の場合には、深刻な自殺念慮、希死念慮は窺えない。各病院のカルテにはそのような記述は一切ないうえ、過去にも自殺未遂等の経験を有していない。証拠に現れているのはいずれも「自殺のまねごと」であり、医師からみてこれらを自殺念慮と理解することはできない。このような状況の下でB医師が自殺の危険性を認識しなかったことは合理的であり、同医師に過失があるということはできない。
イ 控訴人済生会
(ア) 三吉譲医師は、被控訴人花子の主治医であり、その意見書と法廷供述は、三吉医師自身が認めているように、被控訴人側に立った当事者的なものであり、第三者的な客観性がなく信用できない。
(イ) 神経症は、ICD―10ではその分類項目が消えたが、各項目に分類されたにすぎず、その神経症としての実態は存在する。また、そもそもICD―10は三分の一程度の大学で使用されているにすぎず、総合病院、一般病院では殆ど使用されていない。我国には明治以来の精神医療の伝統と特異な発達があり、ICD―10、DSM―Ⅳなどの基準は普及していないのである。
(ウ) 太郎の症状は、了解可能なものばかりであり、まさに神経症の実態に符合するものである。また、太郎の錯乱と他人に対する暴力は、通常うつ病では解釈のつかないものであり、人格障害、複雑酩酊、ヒステリー症状等によるものと判断したA医師の診断に誤りはない。「自殺のまねごと」をしたことはあるが、自傷行為は一度もないから、太郎に自殺念慮があったとはいえない。また、顔貌が生気を失い、口をきかず、一日中横になって将来を悲観的に考えるといううつ病特有の症状もなかった。太郎がうつ病であったという診断は成り立たない。A医師に誤診はなく、その治療方法にも過失はない。A医師が使用した治療薬の効能は、いずれも太郎の症状に有効なものであり、症状の悪化につながるものではなかった。南部病院の治療した期間においては、太郎の経過は概ね良いと見られるのであり、悪化していたとはいえない。また、太郎の自殺につき予見可能性があったということもできない。A医師の作成した紹介状の内容に過誤があるということもできない。なお、太郎は、DSM―Ⅳにいうメランコリー型の特徴も見られなかった。太郎の自殺の予見は不可能であったといえる。
(エ) また、日野病院のB医師は、南部病院の紹介状の内容に拘束されず、精神科医として独自に診察行為を行っているのであるから、上記紹介状が日野病院の診察に具体的に影響を及ぼしたという根拠はなく、また、南部病院の診察等が太郎の自殺と相当因果関係を有しているということはできない。
ウ 被控訴人ら
(ア) (控訴人正和会の主張に対して)
何らの診断なしに入院させることはあり得ないから、日野病院が入院させたということは、太郎の症状について診断していることを示している。太郎の飲酒についても診察ができないほどの酩酊であれば、なぜ入院させたのかということになる。太郎は最低一か月は入院し退院請求はしないという誓約をしているが(乙1の7)、このような入院は任意入院とはいえない。またイソミタール投与も呼吸抑制作用による呼吸停止の可能性を検討することなく行われている。
仮に、太郎に自殺企図が認められなかったというのであれば、隔離室ではなく、一般の閉鎖病棟に入れれば良い筈である。著しい興奮、いらつきが隔離室入院の原因であるというのであれば、そのような状態は、任意入院の方式の選択を不可能にする筈である。太郎の当時の状況に適した処置がとられていれば、自殺を防止し得た可能性が高いのである。
自殺の危険性が記載されている神奈川県立精神保険センターの受付票(乙2)は、医師の手によるものではないが、当時の太郎の状況を示している。医師は先入観を持たずに太郎を診察すべきであったのである。また、「自殺企図」と書かれたケースワーカー記録(甲2の1)も医師の指示によるものであることは明らかである。
(イ) (控訴人済生会の主張に対して)
三吉医師が被控訴人らの立場に立って意見書を作成していることと、三吉医師がICD―10という定評のある基準で診断した診断内容の信頼性とは別問題である。
太郎の症状をICD―10の分類を当てはめれば、うつ病エピソードに該当する。DSM―Ⅳに当てはめても同様である。
(ウ) 太郎は、自宅の屋根に登って狭い縁を歩いたりしているし、被控訴人花子に包丁を隠されたので、パン切り包丁を持ち出して実際に自傷行為を行っている。大うつ病のみならず、気分変調性障害を含むうつ病患者の自殺率は一五%だというのが国際定説であり、一般にうつ病患者の自殺率は一般人の三六倍ないし五八倍にも及ぶ。太郎の診察に当たっては、うつ病を疑い、その症状の個体差、自殺念慮の強弱等の個体差、症状の変化に伴う同念慮の変化を注意深く診察すべきであった。
被控訴人花子は、太郎の自殺行動を直接A医師とB医師に話しているし、太郎の自殺を防止してほしいと願って日野病院に太郎を託したのである。
第3 争点に対する判断
1 事実の経緯
(1) 太郎の自殺に至るまでの経緯、その自殺に対する予見可能性に関する両病院の診療経過を認定する。
前記前提事実に、甲第1号証、第2号証の1・2、第52号証の1ないし5、第64号証の1ないし8、乙第1号証の1ないし12、第2ないし8号証、第11ないし第13号証、第14号証の1ないし10、第15、第24、第26号証、丙第1、第3、第6、第8号証、証人A(第一回、第二回)、同Cの各証言、被控訴人甲野花子本人尋問の結果を総合すれば、次の事実が認められる。
ア 太郎は、平成五年二月八日、ひどい頭痛と肩こりを訴えて控訴人南部病院精神科の外来を訪れ、A医師の診察を受けた。同医師は、太郎に問診した結果と、太郎に付き添って来院した被控訴人花子にさほど深刻な状態に陥っている様子が見られなかったことを考慮して、暫定的に太郎を神経症と判断した。その後平成六年三月七日までの太郎に対する診療経過は原判決別表のとおりであり、この間A医師は、各診療時ごとに、長いときで一〇分から二〇分、短いときで五分から一〇分程の診察をしていた。また、太郎の症状は、平成六年二月まで、頭痛・肩こり、睡眠障害であり、仕事に対する姿勢が積極的となるなど良好な時期もあったが、概ね一進一退を繰り返していた。そして、平成六年三月二三日以降、太郎の症状に悪化等が見られ、その経緯は、次のイないしニのとおりである。
イ A医師は、三月二三日、太郎が原判決別表のとおり睡眠障害を訴えたことから、うつ病、うつ状態に適応があるテトラミドの効果を疑い、同様の効果を有するデジレルを処方するとともに、睡眠障害に対する対策としてデパスを処方したが、四月一日には、デジレルの処方により睡眠障害が悪化したと判断し、テトラミドに処方を変更するとともにその量を増やし、精神遮断薬としてヒルナミンと神経症やうつ病における不安、緊張、抑うつ、睡眠障害等に適応があるデパスを処方した。
ウ 次いで四月一八日には、A医師は、原判決別表のとおり、太郎が「調子が悪くて、夜中に何度も起きてしまう。神経過敏になってしまって、集中力がない。だらしなくなってきたような気がする。」「自分で自分のことをコントロールできなくなり、体重も落ちた。」旨の訴えをしたことから、太郎に精神運動抑制が生じてきたと判断してうつ病を疑い、筋弛緩薬であるリンラキサー、不安、緊張、抑うつ、睡眠障害に適応があるソラナックス、不眠症に適応があるロヒプノール、ヒルナミン、デパスの処方を増やすとともに、抗うつ薬をより薬効の強いプロチアデンに変更して処方した。
エ しかし、五月二日には、太郎から「体調はよくなっている。夜中に起きることもなくなった。薬はあっている。」旨の発言があったため、A医師は、太郎の症状が状況によって短期間に変化すると判断し、うつ病の疑いを否定し、環境によって症状が変化する心因反応的なものが原因であるとの見方を強めた。
五月一六日、太郎は「体調が良くなってから疲れやすい。」などと言ったが、A医師は、太郎とのやりとりの中で太郎が他人に対し依存的であると感じ、心因的なものが大きく、その症状が神経症の範疇に属するもので、うつ病ではないとの考えを深め、抗うつ剤を減量した。
オ 六月一日、太郎が別表のとおり「夕方異常に眠くなる。よく眠れているが、寝起きが悪い。」旨の発言をしたので、A医師は、睡眠が良好な反面、朝起きてからすっきりしないのは、就寝時に服用した薬の効果が朝まで残っていることに原因があると考え、神経遮断薬を半分に減量し、それでも影響があるようであれば、服用を中止してもよい旨太郎に説明した。また、日中の体調は良い様子だったので、昼食後の薬の処方を中止した。
六月二二日以降七月一九日までは、太郎は「薬を飲んでいる方が調子がよい。」が「気力がない。」、「睡眠薬を飲まないと翌日はだめ。」などと発言し、投薬を続けないと症状が容易に改善しない旨を訴えていたが、A医師は、太郎の症状にさほど変化がないものと診断した。
カ 他方、被控訴人花子は、六、七月ころから太郎の症状が目に見えてひどくなり、ちょっとしたことでイライラしたり、物を投げたり、タオルやベルトを首に回して自殺を試みるような行為をしようとしたので不安になり、八月一日、A医師を訪ねて控訴人南部病院に赴いた。
同被控訴人は、A医師に対し、太郎が自殺をするような行為をし、死にたいと言っていたことを話し、「入院はできませんか。」と尋ねたが、同医師は、同被控訴人から太郎に自殺を試みるような行為によって生じた傷がないことを聞いたうえで、深刻な状況にないと感じたため、「一旦入院すると仕事にも影響するし、それほどの必要性があるのか。」と尋ね、同被控訴人も直ちに入院の手だてをとろうとはしなかったため、六月二二日に処方したのと同様の薬を二週間分処方した。
キ 翌八月二日、被控訴人花子の母が癌で死亡し、同月五日には被控訴人三郎が出生した。被控訴人花子は、右分娩直後も太郎の状態が気にかかり、病院を抜け出して太郎の様子を見に自宅に帰るほどであった。
そして、被控訴人花子が入院中の病院へ戻った後の同日深夜、太郎は、太郎の母と子供二人(被控訴人一郎及び同次郎)が見ている前で包丁を持ち出し、自殺しようとしたので、これを母親が制止した。
ク 翌八月六日、太郎自ら自己の状態が病気であると思い、A医師に電話をかけ、「昨日とおととい、忙しくて眠れず、夜中に錯乱状態になった。食事がのどを通らない。ヒステリーのようになって、夜中に刃物を持ち出した。入院したい。」などと訴え、入院治療を希望したが、A医師は南部病院には精神科の入院設備がないと言ってこれを断った。
ケ そこで太郎は、実兄が精神病で入院したことのある被控訴人正和会の日野病院に相談したところ、紹介状があれば入院できるとのことであったので、同日、南部病院を訪れ、A医師に日野病院宛の第一紹介状(乙第1号証の9)を書いてもらった。その際、太郎は「眠れないことにいらいらして死にたくなってしまう。妻の母の通夜と妻の出産が重なって混乱した。仕事も芳しくない。」などと述べていたが、A医師は、太郎の口調が冷静であり、しっかりしているように見えたので、太郎の症状は心因反応的な状態であると考え、抗不安薬であるセルシンを筋肉注射したところ、太郎が落ち着いたので、緊急に入院しなければならないような状態であるとは考えなかった。
そこで、A医師は、右の紹介状において、太郎は「もともと肩こり、頭痛で平成五年二月八日から当院で診療しているが、最近、家庭的なこと、仕事上のことで不眠となり、錯乱状態、ヒステリックとなり、本日当科受診、貴院への入院を希望」している旨の記載をした。
コ 太郎は、同日(八月六日)正午ころ、右の第一紹介状を持参して、同人の母親とともに日野病院を訪れ、入院治療を希望した。
その際に太郎を診察したB医師は、太郎をうつ病であると診断して、カルテを調製し、入院治療を行うことにしたが、太郎は、入院生活等の説明を看護婦から聞いているうちに同病院の雰囲気に嫌気がさし、言を翻して入院を拒絶したため、午後一時三〇分ころ、そのまま帰宅することになった。
ところが太郎は、当日午後七時ころ、自宅で刃物を持ち出して錯乱状態になり、控訴人南部病院の救急外来を受診し、前同様セルシンの注射を受けて帰宅した。
サ 太郎は、八月八日にA医師に電話し、「六日に日野病院に行ったが、自分の入院する所ではないと思って入院は断った。」と入院を拒絶した理由を述べたが、太郎の話しぶりが落ち着いていたために、A医師は、緊急に入院させる必要はないものと判断した。
シ 被控訴人花子は、被控訴人三郎を出産した後、八月一一日に退院し、自宅に戻ったが、このころから太郎には、手やタオルで被控訴人花子の首を絞める、自分の飲んでいるビールを被控訴人花子の頭からかける、包丁を取り出す、突然玄関を飛び出して屋根に登り、その縁を歩き廻り、黙って下を見つめるといった行動が見られるようになった。
ス 被控訴人花子は、八月一二日、通院を嫌がった太郎に代わって薬をもらいに控訴人南部病院を訪れ、A医師に対して、「太郎はもともとヒステリックな性格だった。プライドが高く、能力以上のことを望む。日野病院には入院したがらない。」等の太郎の近況を報告した。A医師は、八月六日の太郎の電話報告の内容とも併せ考え、被控訴人花子に対して、太郎はうつ病や分裂病といった精神病ではなく、神経症で性格的な問題による症状が出ていること、病気ではないから薬による治療の効果はあまりないこと等を説明し、前回同様の薬を処方した。
セ 次いで、八月二七日にも太郎に代わって被控訴人花子が来院し、前回と同様の薬を取りに来た。A医師は、被控訴人花子から、太郎が相変わらず不眠でヒステリックであること、まるで子供のようであること等の報告を聞いたが、同被控訴人にさほど深刻な様子が見られなかったことから、八月六日、七日のような混乱状態は収まったものと判断し、前回までと同様の薬を二週間分処方した。
ソ 太郎は、九月二日夜、自宅で包丁を持ち出し、板張りの堅い襖を包丁で繰り返し突き刺し、自分の首を包丁で刺す格好をした。被控訴人花子が太郎を止めようとしている間に太郎の母親が物音を聞きつけて警察を呼んだところ、太郎の状態は収まった。
そこで、被控訴人花子と太郎の母親は、翌三日、控訴人南部病院に行き、A医師に対し前夜の太郎の行動を報告した。同医師は、被控訴人花子の話し振りやその内容から、太郎には性格的な問題と心因的な問題が大きく原因し、太郎の前夜の行動は、被控訴人花子の出産や被控訴人花子の母の通夜といった家庭上の出来事や、太郎の営む仕事上の困難に対する心因反応の一種であり、演技的・逃避的なものであると判断されること、太郎の症状についてはヒステリー人格及びヒステリー症状と診断されることなどを被控訴人花子に説明した。しかし、被控訴人花子は、太郎の入院治療を強く希望し、他方でプライドが高い太郎が日野病院への入院を望んでいないという事情があったので、A医師は、横浜市立大学付属福浦病院宛の第二紹介状(乙第1号証の12)を書いた。
この紹介状は、診断名を「ヒステリー」とし、「もともと肩こり、頭痛で平成五年二月八日当科受診となった患者ですが、最近、家庭的なこと、仕事上のことで、ときに錯乱状態となり、自殺のまね事をくり返しておりますが、他人の前ではおとなしくしています。かなり不安が強く、無気力になっており、貴院への入院を希望しております。」として、入院治療を依頼するものであった。
タ 被控訴人花子は、九月六日以降、太郎の様子がますますおかしくなり、本当に自殺をするのではないかとの危惧を抱くようになり、同月九日、実家の父親を呼び寄せたが、太郎は右父親にも暴力を振るう状況であった。
翌一〇日も太郎は昼からビールを飲み、状態が悪かったので、被控訴人花子が神奈川県立精神保健センターに電話相談したが、酒を飲んでいることを告げると、「それではどこでもだめですよ。」と回答された。
チ そこで、被控訴人花子と父親は、翌一一日朝早く被控訴人正和会の日野病院を訪ね、太郎の入院治療を依頼しようとしたが、本人を同行していないこともあって入院手続をとることを拒否されたため、同日九時三〇分、右精神保健センターに相談したところ、再び控訴人日野病院を勧められたので、今度は太郎を伴って同日午前中に控訴人日野病院を訪れ、B医師に太郎が自殺しようとする行為や自傷行為をすることを話して、入院させてくれるよう依頼した。しかし、太郎はB医師に失礼な態度をとり、入院したくないと言ったので、同医師は「本人がすがる思いになるまで駄目ですね。」と言って太郎を帰宅させた。
ツ ところが、右帰宅後、太郎は、ビールを二缶ほど飲み、そのビールを自分の頭にぶつけるなどして半狂乱状態になったため、被控訴人花子は、太郎の仕事上の提携会社の知人など二人を呼び寄せて、太郎を制止してもらうとともに、同日午後五時半ころ、知人とともに三たび日野病院を訪れ、入院治療を希望した。
同病院に着いた太郎は、飲酒のため赤面しており、問診をしたB医師に対し「個室に入ってゆっくり休みたい。」、「入院して必ず病気を治す。」などと興奮気味に声高に話し、また「とにかく助けて下さい。死ぬつもりはないんです。」と訴えた。また、被控訴人花子はこの時もB医師に対し、太郎が死のうとして自傷行為をしたことを話した。
テ B医師は、太郎のこのような病状から精神分裂病を疑い、同日(九月一一日)午後六時二〇分、「不穏」(精神的にいらいらして落ち着かない興奮状態にあること)を理由に同人を入院させて隔離室に収容することにし、看護婦に対し、精神神経安定剤として主に精神の不安・緊張を和らげるセレネース、アキネトン、レポトミンの注射を指示した。
ト C看護婦は、入院に際して被控訴人花子から太郎の状態を聴取したところ、被控訴人花子は、太郎が自営業の経営がうまくいかずいらいらした状態であり、不眠が続いていたこと、被控訴人花子にビールをかけたり、ビール瓶で叩き、首を絞めるなどしたほか、ビールの缶で自分の頭を叩くなどの自傷行動をしたことを話した。
ナ 太郎は、午後六時三〇分ころ隔離室(保護室)に入り、C看護婦から上記注射を受けた。太郎は、隔離室に入室後、約一五分おきに「ここから出たい。」「たばこを吸いたい。」などと叫びながら隔離室の扉を強く連打するなどしたため、その度ごとにC看護婦と看護助手のDが巡回し、本人を説得して静まらせた。
しかし、太郎の右のような状態が容易に収まらなかったので、C看護婦は、午後九時三〇分ころ、カルテを持参してB医師に指示を仰いだところ、同医師は太郎に対し、催眠鎮静剤であるイソミタールの筋肉注射を行うよう指示し、C看護婦は、太郎に対して指示どおりの注射を行った。
太郎は、その後も午後一一時ころまでは依然として隔離室の扉を叩く等の行為を繰り返していたが、午後一一時一五分ころ、C看護婦が巡回した際にはようやく静かになり、扉に背を向け布団の上に座って静かにしていた。
ニ しかし、C看護婦が、同日(九月一一日)午後一一時四五分ころ巡回して隔離室を見に行ったところ、太郎が着用していたTシャツを脱いで扉の「のぞき窓」の鉄格子にくくりつけ、これを首に巻き付け首を吊っているのを発見し、驚いて直ちにD看護助手を呼び、二人で太郎の首に巻き付いたTシャツを取り、太郎を隔離室の床に横たえるとともに、医局にいたB医師を呼び、心臓マッサージと人工呼吸を行った。しかし、太郎は既に心肺停止状態で、手指にチアノーゼが出ていた。
B医師はまもなく到着して時刻を確認し、C看護婦とともに引き続き約二〇間近く心臓マッサージと入工呼吸(マウストゥーマウス)を行ったが、心肺蘇生には至らなかったため、B医師は、最初に太郎の状態を確認した午後一一時五〇分を太郎の死亡時刻として診療録に記載した(乙第13号証)。
2 太郎の自殺に対する予見可能性について
(1) 太郎の罹患していた精神障害ないし神経障害の疾病について
ア 控訴人済生会南部病院のA医師は、前記認定のとおり、太郎は精神的、心理的な原因によって持続的に身体症状や精神症状が表れる神経症と判断し、その後一時内因性うつ病を疑ったこともあったが、結局これを否定し、神経症との診断を変えず、他の病院に対する紹介状においてもヒステリー性格と外因要因によるヒステリー症状という判断を伝えていた。
イ 控訴人正和会日野病院は、前記認定のとおり、平成六年八月六日の時点で太郎がうつ病であると判断し、その後同年九月一一日の入院時に精神分裂病であると疑ったが、その後太郎の自殺後と推認される時点で心因反応と診断を変更した。
ウ 原審において鑑定証人となった三吉譲精神科医師は、甲第15、第16、第50、第57号証の各意見書、甲63号証の反論書及び証言において、本件記録に現れたカルテ等の一件資料から、太郎はうつ病であると明確に診断すべきであったとの見解を示している。
エ 当審において提出された乙第30号証の鑑定意見書を作成し提出した精神科医学者笠原嘉(名古屋大学名誉教授)は、本件記録に現れたカルテ等の資料から太郎について「自己愛性格に基づく気分変調症」の疑いがもっとも強く、うつ病(正確にはうつ病エピソード)と診断すべきであったとは断定できず、神経症であるとの診断は誤りではないという見解を示している。
オ 当審において乙第37号証の鑑定意見書を作成提出した精神病学者保崎秀夫(慶応義塾大学名誉教授)は、本件記録に現れたカルテ、被控訴人花子等の陳述等の一件資料から、太郎について神経症、反応性うつ状態、反応性錯乱状態という経過を経ており、広義の心因反応に属するものと思われるが、分裂病的な要素も鑑別上無視できず、予想外の転帰から分裂病圏の診断にかなり傾いているとの判断を示している。
カ 以上の各医師や精神科医学者等の意見を総合すると、笠原教授や保崎教授がその意見において述べているように、太郎の精神障害ないし神経障害の疾病について、医学的に診断を下すことが難しい症例であったことが認められる。しかしながら、太郎の疾病について心因性、神経症、うつ病、分裂病のいずれであるかについて確定的な診断をすることが難しければ、その診察治療を担当する医師としては、そのいずれであっても、この時々の症状について、できるだけ正確に情報を集め、その時々の症状に最も適した治療、投薬処方、その他の方法で対処すべき義務を診療契約上の債務として負っているものというべきである。なかんずく、前記認定事実によれば、本件において被控訴人花子や太郎は、太郎の自殺企図を恐れ、これを防止することを主眼とした治療や監護についての診療を求めていたものであることは明らかである。診療を受託した医師としては疾病診断が難しい症例であればあるほど、複眼的診断をして、考えられる様々な疾病に対応して、最悪の事態をも考慮に入れたうえで、治療上の対処をすべきである。したがって、本件においては、医師は、太郎がうつ病であることの可能性、表に現れた自殺企図や自殺行為から推認され得る自殺の可能性をも念頭に置いて治療、監護すべきであり、医師が自己の診断を絶対視し、これを前提として、太郎の自殺についての個別的医学的に予見可能性を論ずべきではなく、一般的な水準の医学的知見を前提としつつも、法的見地から予見可能性と予見義務の有無を判断しなければならない。
(2) 控訴人済生会南部病院の診断と診療経緯
前記認定事実によれば、A医師は、太郎を当初は神経症と診断し、これに即した投薬治療を行ったが、通院約一年二か月後には、精神運動抑制が出てきたと判断してうつ病を疑い、そのための投薬を行ったものの、容易に軽快したことから、うつ病の疑念を打ち消し、心因反応的な症状あるいは神経症という診断に傾斜していき、投薬処方も抗うつ剤を減少させたものと認められる。
しかし、六月、七月ころには、太郎の家族の面前での自殺行為を窺わせる行動が出てきたので、不安になった被控訴人花子は、A医師に入院治療を希望したものの、A医師は事態に大きな変化があるとは考えずに、従前と同様の投薬治療を続けていたところ、八月初旬に被控訴人花子の実母の死亡、被控訴人花子の三男三郎の出産などの出来事が続いたうえ、中古車販売会社をスバルの業務提携会社とする仕事上の変化があったために、太郎には様々な疲労が蓄積したと推認され、以後太郎の精神状態は悪化していったものと認められる。A医師は、八月一日に被控訴人花子から太郎が自殺しようとする行為をし、死にたいと言っていたことなどを聞いており、また、八月六日には太郎から電話で不眠と錯乱状態に陥ったこと、刃物を持ち出したことなどの告知を受けるとともに、来訪した太郎から「眠れないことにいらいらして死にたくなってしまう。」などという告白を聞き、入院希望を訴えられたが、南部病院には入院施設がなかったことから、入院治療をあっせんする趣旨の第一紹介状を太郎に与えたに止まり、太郎は、これにより日野病院に入院しようしてB医師の診察を受けたが、結局、日野病院での入院を翻意して入院しなかったことが認められる。このことをA医師は本人から電話で報告を受けたが、その口調には落ち着きがあったので、A医師は、緊急入院の必要はないと判断し、八月一二日に来訪した被控訴人花子に対して、太郎はうつ病や分裂病といった精神病ではなく、神経症の症状と性格的な原因による問題行動が出たものという診断を示したものと認められ、被控訴人花子からの太郎の家庭内トラブルに関する報告についても、上記診断の範囲内のものと認識していたものと推認される。しかし、九月二日夜の太郎の包丁による襖への切りつけ、自分の首に包丁を向けた行動などにより警察沙汰になったことについては、翌日来訪した被控訴人花子から聞いたA医師は、太郎の現在状況を知ったうえ、前記認定の第二紹介状を書くなどして、太郎に対する緊急治療行為の必要を感じていたものと推認される。
前記認定のとおり、第二紹介状の太郎に対する診断名は「ヒステリー」であり、その症状に関して「自殺のまねごと」の行動があると紹介されているものの、A医師の太郎の疾患に対する診断は、基本的に精神病とはいえないとするものであったことは前述のとおりである。被控訴人らは、太郎の病名はうつ病であり、これはICD―10の基準及びMSD―Ⅳの基準に照らして明らかであり、A医師がその診断を誤ったために、予見可能性が高かった自殺の危険を見落とし、自殺防止の治療をすることができなかった過失があると主張する。確かに、甲第15、第16、第50、第57、第63号証及び証人三吉譲によれば、精神科医師三吉譲は明確に太郎にうつ病との診断を下すことができるとの見解を示していることが認められるが、他方では、乙第30、第37、第42号証と弁論の全趣旨によれば、ICD―10(精神障害についての国際疾病分類)及びDSM―Ⅳ(精神科診断統計マニュアル)の基準は、本来統計的分類基準であって、精神疾患の診断のガイドラインの役目を果たすものであるが、日本の臨床医療においては未だ一般的に普及した基準ではなく、欧米とは独自に発達した日本の精神病医学の影響をも残している精神病の臨床医療における基準等に従えば、A医師が太郎の症状を神経症、人格障害、ヒステリー症状等によるものと判断したことにもそれなりの医学的な合理性があったものと認められる。このように太郎の症状をうつ病と診断するか否かは、臨床医学上の診断基準の設定と当てはめの問題であるが、うつ病の診断基準の設定は、乙第30号証の笠原意見書と弁論の全趣旨によれば、いまだ今日の精神病医学上の問題でもあるものと認められる。しかしながら、もともと医師の注意義務は、その当時の臨床医療において一般的であった医学的知見を前提として判断すべきものであるから、A医師の太郎に対する診断に過失があったか否かについては、当時の精神病臨床医学の一般的基準によって誤診の有無を判断する以外にない。したがって、前記認定のとおり、必ずしも臨床医療の現場では一般的な基準となっていたとはいえないICD―10、DSM―Ⅳの基準をそのまま適用してA医師の疾病診断の是非を判定することは必ずしも相当でないというべきであるうえ、それらの基準によって具体的治療方法や投薬の是非が判定されるものではない。甲第7、第9号証、乙第16号証、丙第2号証によれば、顔貌が生気を失い、口をきかず、1日中横になって将来を悲観的に考えるといううつ病特有の症状については、一応前述の一般的基準に該当する要素となっていたと認められる。前記認定事実と甲第2号証の2、原判決別表の記載によれば、A医師は、太郎の診察に当たっては当初から顔貌の様子を注目していたと認められ、四月一八日には太郎の精神運動抑制が出てきたと認定して、うつ病の発病を疑ったものの、その後の軽快によりこの疑いを消失させ、従前の神経症とする診断での投薬が続けられたものと認められる。したがって、この時点でのA医師の診断と診療行為に過失があるとまで認めることはできない。
(3) A医師の過失
しかしながら、前記認定によれば、六、七月ころに自殺のまねごとをするという変化が見られ、八月初旬以降、疲労の蓄積等により太郎の精神状態は悪化し、錯乱状態の発生、入院治療の希望表明という変化があったのであるが、A医師が、太郎の変化ないし悪化を、九月三日ころに家族ないし仕事上の困難等に対する心因反応、演技的・逃避的なものと診断したことについては、太郎本人に対する直接の診察行為による的確なその時々の精神状態の把握をしないままになされたものであって、従前の診断結果を漫然と維持しただけのものであるといわざるを得ず、八月六日に入院を希望した太郎を診察した日野病院のB医師が太郎を直ちにうつ病と診断していたこと、約四か月前にはA医師自身も精神運動抑制が出たことからうつ病発病を疑い、この疑いは一旦消失したものの、当時の太郎に生じた家庭上又は仕事上の困難等が再度の精神運動抑制を発現している蓋然性があることに照らせば、前記臨床上の一般的基準によっても、太郎をうつ病と診断する余地もあったと推認される。
甲第10号証、第13号証の6、第69号証によれば、うつ病の症状悪化により、自傷又は自殺の観念や行為が発生し、重症になると自殺の危険が際だって大きく、各種精神障害を有する患者の自殺率は一般人口のそれと比較して約一五倍であるのに対して、うつ病患者の自殺率は一五%であって、一般人口のそれの約三六倍ないし五六倍に上るとの報告例、重症うつ病患者の自殺は一般人口に比べて七〇から五〇〇倍にも上るという報告例があることが認められるから、前記認定のとおり、A医師が太郎をうつ病と診断する余地もあったということは、同時に太郎の高い蓋然性による自殺の危険性を認識するべき余地もあったことになる。
控訴人済生会は、当時の太郎の行動はすべて了解可能なものであり、ヒステリーと診断したA医師の診断に誤りはないと主張するが、当時の太郎の行動の把握は、被控訴人花子からの伝聞によるものであり、八月六日以降太郎には直接の本人問診がないまま、「自殺のまねごと」についての詳細な分析が必ずしもされているとはいえないと認められるし、約四か月前には精神運動抑制が出たことを認定しているのであるから、当時の太郎に生じた家庭内又は仕事上の困難等が再度の精神運動抑制を発現している蓋然性があったと推認されることは前述のとおりである。したがって、A医師の下した太郎がヒステリー性格及びヒステリー症状であるという心因反応的症状あるいは神経症であるとの診断は、その方法が適切な診断方法によるものでなく、安易な疾病診断であったということができ、誤診の余地があり、そのために疾病の具体的状況に応じた適切な治療を施す機会を失わせた可能性があるから、太郎に対する診療契約上の義務を誠実に尽くしておらず、債務不履行に当たるものといわなければならない。
3 控訴人済生会の責任
(1) 前記認定のとおり、太郎は、九月一一日に入院した日野病院の隔離室において、入院直後に自殺したものであるところ、A医師の第二紹介状には、診断名が「ヒステリー」と記載され、自殺の危険性についても「自殺のまね事」という表現で記載されていたが、太郎の控訴人正和会との診療契約による日野病院への入院は、その時点から太郎の治療及び安全保護は控訴人正和会が行うということを意味するものであり、控訴人済生会との診療契約は終了したものと認められるし、日野病院のB医師は、約一か月前に太郎を直接診察し、「うつ病」という診断を下していたこともあるから、第二紹介状の「ヒステリー」という診断の記載がB医師の誤診を招いたと認めることもできない。したがって、太郎の自殺は、控訴人済生会との診療契約関係が断絶した後の事故であり、A医師の前記診療契約上の債務不履行の結果として発生したものといえないから、太郎の日野病院での自殺と控訴人済生会の債務不履行との間には相当因果関係があるということはできない。しかしながら、少なくとも、A医師が太郎の自殺の危険性を察知し、適切な治療方法等をとっていれば、自殺に至らなかった可能性があると認められる。
(2) このように、医師の患者に対する診療契約上の債務不履行と患者の自殺との間の相当因果関係は証明されないが、医師の債務不履行がなければ、患者が自殺しなかった可能性があれば、医師は患者がその可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき債務不履行責任を負うと解されるから、死亡した太郎の相続人である被控訴人らは、控訴人済生会に対して、診療契約上の債務不履行として、太郎が自殺しなかった可能性の利益を侵害された損害につき、慰謝料の請求権を有するものと解するのが相当である。
(3) そこで、控訴人済生会の債務不履行がなければ、太郎が自殺しなかった可能性の利益を侵害されたことによる慰謝料の額を検討するに、前記認定の諸般の事情を総合考慮すると、太郎の慰謝料として六〇〇万円を認めるのが相当である。したがって、被控訴人花子がその二分の一の三〇〇万円の、被控訴人一郎、同次郎及び同三郎がそれぞれの六分の一の一〇〇万円の各慰謝料請求権を相続により取得したものと認められる。
また、本件訴訟の追行のための弁護士費用の損害が被控訴人花子に生じているものと認めるのが相当である。したがって、控訴人済生会に対する認容額の一割に相当する六〇万円を被控訴人花子の弁護士費用による損害と認めるのが相当である。
(4) そうすると、控訴人済生会に対する損害賠償請求権の額は、被控訴人花子が三六〇万円、その余の被控訴人らが各一〇〇万円と認められる。
4 控訴人正和会の責任
(1) 太郎の自殺についての予見可能性について
日野病院のB医師が八月六日に入院を希望して来た太郎を診察し、うつ病との診断をしていたことは前記認定のとおりである。B医師により作成された太郎の診療録である乙第1号証の3の病名の欄には、うつ病を示す「D」の記載の上に精神分裂病を示す「S」が一旦書き加えられ、その右横に心因反応を示す「R」の文字が記載されていることが認められるから、これらの記載の変更は、八月六日の時点で太郎をうつ病と診断した後に、精神分裂病との診断変更があり、最終的には心因反応との診断をしたことを示すものとなっているが、B医師による太郎の面接は、八月六日を除けば、九月一一日中の二回のみであり、当審で控訴人正和会が自ら主張するように、九月一一日の面接は、日曜日の当番救急病院としての対応であったと認められるので、B医師が太郎の疾病診断を的確にできるような問診その他の診断方法を講ずる余地はなかった筈であり、精神分裂病、心因反応という変更の診断を下すべき合理的根拠があったとは認め難いから、その変更は、いずれも太郎の死亡の後に記載されたものと推認される。
ところで、前記認定事実によれば、九月一一日に症状が悪化した太郎が、午前中に被控訴人花子とその父親に付き添われて日野病院を訪れ、B医師に太郎の自殺するような言動や自殺行為のことを話して、入院を申し出たこと、しかし、太郎は日野病院への入院に難色を示し、B医師に対して礼を失する行動をしたので、同医師は、「本人がすがる思いになるまで駄目ですね。」と言って帰宅させたこと、帰宅した太郎は、ビールを飲んで半狂乱状態になったので、被控訴人花子は、同日の夕刻に再度太郎を日野病院に連れて行ったところ、太郎は、飲酒のため赤面していたものの、B医師に対し、「個室に入ってゆっくり休みたい。」「入院して必ず病気を治す。」「とにかく助けて下さい。死ぬつもりはないんです。」と訴えて、入院の許可を得たこと、B医師は、「不穏」(精神的にいらいらして落ち着かない興奮状態にあること)を理由に太郎を隔離室に収容することにし、看護婦に精神神経安定剤(セレネース、アキネトン、レポトミン)の注射を指示し、興奮状態が鎮静しない太郎に対して、午後九時三〇分ころ、催眠鎮静剤イソミタールの筋肉内注射を行なわせたところ、午後一一時ころにその効果が生じたものの、午後一一時四五分ころ、着用していたTシャツを脱いで鉄格子に掛けて縊首し、まもなく死亡したことが認められる。
控訴人正和会は、B医師は被控訴人花子から太郎の自殺言動や自傷行為について聞いていない旨主張する。上記事実関係によれば、太郎は、日野病院に入院することを当日の午前中は忌避していたものの、夕方には、興奮状態にありながらも「入院して必ず病気を治す。」「とにかく助けて下さい。死ぬつもりはないんです。」とB医師に懇願する態度を示していたことが認められるが、同行した被控訴人花子は、B医師に当時及び当日の太郎の家庭内での自殺するような言動や自傷行為を報告していたと供述しており、同人が九月一一日の午前中に電話した神奈川県立精神保健センターから控訴人日野病院に送付された受付票である乙第2号証には、太郎が屋根に登って飛び降りようとしたり、刃物を持ち出して自殺のまねをするといった行動が記載されているから、被控訴人花子は、太郎の自殺するような言動等をB医師にも告げていたと認めるのが相当である。また、前記認定の被控訴人花子がC看護婦に告げた内容もB医師に伝達されていたと推認され、さらに、A医師の前記第二紹介状は、B医師の診断のための重要な資料となっていたと推認すべきものである。そうだとすると、B医師は、太郎の家庭での異常言動ないし錯乱行動についての認識を有していたものと認められ、その中には家人が制止した自殺しようとする言動と制止が困難になった自殺念慮を懲憑する行動とが含まれていたのであるから、当時、太郎をうつ病と診断していた(又はその疑いを有していた)B医師とすれば、太郎の前記行動は、まず、自殺念慮の発現、あるいは自殺企図の現れではないかとの疑いを抱くべきものであったと認められる。現に、太郎の自殺の後の記載であると推認される甲第2号証の1のケースワーカー記録にも「不眠、心内不穏、自殺企図」との記入があることが認められるところ、この記載にB医師の判断が影響していたか否かは不明であるが、当時の日野病院の関係者の間には、太郎に自殺企図があったとの認識があったことを示している。これらの事情によれば、日野病院入院に際しての太郎の状況に照らせば、自殺の客観的な危険性と予見可能性があったと判断するのが相当であり、特に太郎の症状を当面うつ病と診断していたB医師にとっては、太郎の自殺については予見可能な事情を認識していたものというべきである。
控訴人正和会は、太郎については過去に自殺未遂行為ないし自傷行為がなく、南部病院と日野病院のカルテにも自殺念慮又は自殺企図を窺わせる記載がないから、太郎について自殺を予見することができない状況があったと主張するが、前記認定のとおり、カルテ以外の判断資料によれば、自殺の予見は客観的に可能であったと認められる。また、自殺の危険性の有無に対する判断は医師の専門的判断に委ねられるべきものとも主張するが、B医師は、太郎の入院当時に太郎の自殺念慮を否定的に判断すべき十分な問診その他の診察をしていなかったのであるから、うつ病であると仮診断した患者について自殺の危険性がないと簡単に判断したというのは、前記認定にかんがみ、にわかに信用し難いし、仮にそのように判断したというのであれば、軽率な判断をした過失があるといわざるを得ない。
(2) 控訴人正和会の責任
以上のとおり、太郎の日野病院入院時においては、太郎に自殺の客観的危険性があったと認められ、B医師にとっては自殺に対する予見可能性があったと認められるうえ、被控訴人花子らが当面自殺の危険を防止するために入院措置を望んで控訴人正和会との診療契約を締結したと認められるから、控訴人正和会には、太郎の自殺の防止を図るべき診療契約上の義務があったと認められる。
前記認定のとおり、太郎は入院の約五時間後に隔離室において自殺しているから、そこで控訴人正和会に、診療契約上、太郎の自殺という結果回避義務の履行に不十分な点があったか否かについて検討する。
控訴人正和会は、太郎は当時飲酒し興奮状態にあったから、太郎を隔離室に入室させ、精神神経安定剤のほか、催眠鎮静剤を投与したことも、当時の太郎の治療行為として過誤のある処置ではなく、隔離室の巡回その他の隔離室管理においても落ち度があったとはいえないから、B医師らの日野病院担当者には前記結果回避義務の違反は成立しないと主張する。
前記認定によれば、太郎は、八月六日にも日野病院への入院機会があったのにこれを回避し、九月一一日の午前中にも、誠実に入院しようという態度を示さなかったために入院を拒絶されてしまうという行動をとった経緯があるから、太郎が日野病院への入院について内心は忌避したい気持を持っていたことが推認されること、また、隔離室に拘束された太郎が午後一一時ころまで、ドアを連打するなどの処遇に対する不従順な態度を採っていたのに、約四時間にわたって、看護婦による説得、投薬で本人に忍耐を強要した行為が本人の屈辱感、挫折感、不安感を抱かせたと容易に推認することができること、前記認定の数日前からの家庭での言動等に照らせば、当時の太郎にはある程度の自殺念慮があったと認められるし、これを予見することもできたと認められるから、翌日以降の診断及び経過観察によって太郎の当時の精神障害の病的解明やその病状の程度の判断をして適切な治療対策を立てるまでは、隔離室において太郎の安全を確保し、その自殺を防止することが当面の第一次的課題であったということができ、太郎に対する投薬処方だけに止まらず、自殺衝動を抑制するに至る身体抑圧の措置をとるか、監視の度合を強化することによって、太郎の自殺を防止すべき義務が日野病院にあったというべきである。しかるに、B医師や看護婦らは、太郎に対して身体的抑圧の措置をとることはなかったことや、C看護婦も午後一一時一五分ころに巡回した際に、太郎がようやく静かになり、扉に背を向けて布団の上に座っているのを目視しているが、その後午後一一時四五分ころに巡回して太郎が自殺しているのを発見するまで、その間の巡回を怠り、太郎の顔の表情等の観察による意識の動勢の探知を怠ったものであるから、日野病院には太郎の自殺の危険性に対してこれを認識し、その自殺という結果を回避する義務を尽くしていなかったものというべきである。なお、控訴人正和会は、乙第6号証の看護記録には記載されていないが、C看護婦が午後一一時三〇分にも巡回して太郎の隔離室を監視したと主張し、乙第12号証及び証人Cの証言中にはその主張に沿う陳述があるが、同主張事実を裏付ける客観的な証拠はなく、太郎が着用していたTシャツを脱いで扉の鉄格子にくくりつけ、これを首に巻きつけて首を吊る作業をするに要する時間や太郎が首を吊って発見された時には心肺停止の状態にあって手指にはすでにチアノーゼが出ていており、心臓マッサージや人工呼吸の効果もなかったのであるから、そのようなチアノーゼが出て心肺蘇生にも至らない状態が出現するまでに要する時間を考慮すると、太郎が午後一一時三〇分の時点で異常がなかったとは考え難い。したがって、そのころに看護婦が巡回したという上記各証拠はたやすく採用することはできない。
以上によれば、控訴人正和会には、太郎の自殺につきこれを防止すべき診療契約上の債務の不履行があり、これにより生じた損害につき賠償の責任を負うものというべきである。
(3) 寄与度ないし過失相殺
前記認定によれば、太郎が隔離室に入院することとなり、その際にB医師の必要な問診や診察等が受けられなかったため、その当時の精神障害の内容、程度及び自殺念慮の強弱、真偽について的確な判断がなされなかった理由は、本人が酩酊し、興奮状態にあったことや被控訴人花子らの入院要請が緊急なものであったことによるものであったと認められる。また、本件において、太郎の精神疾患がうつ病であったかどうかが、太郎の疾患はそれ自体において典型的疾患の症状が明白に現出していなかったために、必ずしも明確に判断できるものではなかった。したがって、このような太郎自身の落ち度、素因、被控訴人花子側の事情を斟酌すると、民法四一八条を適用ないし準用して、太郎の死亡による損害の三割を減額し、控訴人正和会の損害賠償の責任の範囲をその七割に止まるものと認めるのが相当である。
(4) 控訴人正和会の負うべき損害額について
ア 太郎の死亡による損害のうち、太郎の逸失利益は、賃金センサスの産業計全労働者の平均賃金五三七万六三〇〇円により算定するのが相当であり、就労可能年数を六七歳までの三一年間、生活費控除を三割としてライプニッツ計数を使用して中間利息を控除すると、その額は五八六八万二〇九九円となる。
5,376,300×15.5928×(1−0.3)≒58,682,099
イ 太郎の葬儀費用については、被控訴人花子が取得する損害賠償請求権であると認められ、本件債務不履行と因果関係のある範囲の損害は一二〇万円の範囲で、損害と認めるのが相当である。
ウ そして、前述のとおりの太郎の落ち度及び素因及び被控訴人側の事情による過失相殺等による減額を斟酌すると、各被控訴人の損害賠償請求権の額は次のとおりとなる。
太郎の逸失利益
四一〇七万七四六九円
被控訴人花子の葬儀費用 八四万円
エ 慰謝料については、前記認定事実と弁論の全趣旨によれば、太郎とその家族は、太郎の自殺を防止しようとして控訴人正和会との診療契約を締結したという経緯があったこと、太郎は一家の主であり、子である三人の被控訴人らは未だ幼く、養育の負担を被控訴人花子が一手に担わざるを得ないことが認められ、これらの事情とその他の前記認定の諸般の事情を総合すると、太郎の慰謝料額を一二〇〇万円、被控訴人花子の慰謝料を四〇〇万円、その余の被控訴人らの慰謝料をそれぞれ一〇〇万円と認めるのが相当である。
オ そこで、太郎の損害賠償請求権について被控訴人らが相続したので、各被控訴人らの取得し得る損害賠償請求権の額は次のとおりとなる。
被控訴人花子の損害賠償請求権の額
三一三七万八七三四円
その余の被控訴人らの損害賠償請求権の額 各九八四万六二四四円
カ 弁護士費用
また、本件訴訟の性質にかんがみ、被控訴人花子には弁護士費用についての損害も生じているものと認めるのが相当である。その額は、被控訴人らの認容額の約一割に相当する六〇〇万円と認めることとする。
キ 合計
以上を合計すると、各被控訴人らが控訴人正和会に対して取得する損害賠償請求権の額は次のとおりとなる。
被控訴人花子の損害賠償請求権の額
三七三七万八七三四円
その余の被控訴人らの損害賠償請求権の額 各九八四万六二四四円
5 結論
以上によれば、被控訴人らの本件請求のうち、控訴人済生会に対するものは、被控訴人花子が三六〇万円とこれに対する遅延損害金、その余の被控訴人らが各一〇〇万円とこれらに対する遅延損害金を請求する限度で理由があるが、その余は理由がなく、控訴人正和会に対する請求は、被控訴人花子が三七三七万八七三四円とこれに対する遅延損害金、その余の被控訴人らが各九八四万六二四四円とこれらに対する遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。
よって、控訴人済生会の本件控訴及び被控訴人らの本件附帯控訴に基づき、これと結論を異にする原判決を上記のとおり変更し、控訴人正和会の本件控訴は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・鬼頭季郎、裁判官・慶田康男 裁判官・齋木教朗は転官のため署名押印することができない。裁判長裁判官・鬼頭季郎)