東京高等裁判所 平成13年(う)1004号 判決 2001年8月27日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金五〇万円に処する。
その罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期問被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人外立憲和、同豊浜由行共同作成の控訴趣意書並びに同外立憲和作成の控訴趣意書(補充)及び控訴趣意書(補充・答弁書に対する意見)に、これに対する答弁は、検察官奥村丈二作成の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
所論は、要するに、原判決の三年間執行猶予付きの禁錮一年の刑は重過ぎて不当であり、罰金刑が相当である、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果も併せて検討すると、本件は、被告人が、業務として原動機付自転車を運転して、原判示の交通整理の行われていない交差点を原判示の方向に向かい進行するに当たり、前方左右を注視し、進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、遠方の交差点を右折する車両に気を奪われ、前方を注視せず、進路の安全を十分に確認しないまま、漫然約三〇キロメートル毎時の速度で進行した過失により、折から左方路側帯付近を同方向に歩行中の被害者(当時七七歳)を直近に至って発見し、急制動の措置を講ずる間もなく同人に自車前部を衝突させて同人を路上に転倒させ、よって、同人に遷延性意識障害の後遺症を伴う全治不明の頭蓋骨骨折、脳挫傷、右脛腓骨骨折等の傷害を負わせたという業務上過失傷害の事案である。
運転者としての基本的な注意義務である前方注視を怠った被告人の過失は大きく、また、被害者が植物状態に近い重篤な状態となったその結果は重大であって、被告人の刑責を軽く見ることはできないというべきであるから、被告人が、本件を反省し、二度と不注意な運転はしないと誓っていること、長年郵便局職員として真面目に勤務しており、前科前歴も一切ないことなどを考慮しても、被告人を三年間執行猶予付きの禁錮一年に処した原判決の量刑は、その言渡しの時点においては、相当であって、重過ぎるとは認められない。
しかしながら、本件事故は、冬の午後六時過ぎという暗くなったころに起きたものであり、本件事故現場は、団地内の平坦な直線道路上であって、見通しは悪くないものの、走行道路の左側は公園で、道路際にはかなり大きな街路樹木が生い茂り、本件交差点の入口と出口付近に街路灯が設置されているが、薄暗い場所で、当時通行車両もなかった上、原動機付自転車を運転して郵便集配業務に従事している被告人が、普段、追越し車両との事故を回避するために走行道路の左側を原動機付自転車で走行していたことから、本件においてもそのような走行をしていたところ、遠方の車のライトなどに気を奪われ一時的に前方注視を怠った結果、路側帯付近を歩行していた被害者に全く気付かず、同人を目前に迫って発見し、急制動の措置を講じたが間に合わず、衝突して同人を路上に転倒させたものであって、本件事故は、被告人、被害者にとって不運な状況が重なり合って発生したものと考えられないわけではない。
加えて、当審における事実取調べの結果によると、原判決後、被告人は本件の重大性を認識し、更に反省を深めていること、被告人は、郵便局に勤務しながら被害者側に対する賠償問題を解決しようと考えてこれまでどおり郵便集配業務に従事していたところ、被害者に対する医療給付のうち、町田市長の有する老人保健適用分の求償権行使として、求償事務取扱い窓口である東京都国民健康保険団体連合会(以下「連合会」という。)から一三五四万一七一〇円(その後一五四七万〇一九〇円に及んでいることが判明した。)の支払請求を受け、高額な金額に驚きながらも、郵便局での勤務を続けながら、被害者側に対する賠償問題を含め、その責任を果たそうと決意したこと、ところが、その後、所属の郵便局の局長から起訴休職の処分を受け、このまま原判決が確定すると、失職し、退職金が支給されなくなることを認識するに至り、そのような事態になると、年齢等から再就職も困難で従前のような所得を得ることは極めて難しく、妻のパート収入を考慮しても、大学生と高校生を含む家族の生活は苦しくなり、被害者側に対する賠償や連合会の求償に応じられなくなってしまうこと、しかし、被告人は、妻の協力を得てこれらの責任を果たそうという考えが強く、被害者が死亡した(平成一三年五月三日)後にも、遺族に対し、謝罪の気持ちを述べ、できれば、郵便局員として働いて賠償責任等を果たしたいという自己の心情を綴った手紙を送付し、さらに、遺族の代表者との間で、本件に関して、誠実に賠償問題に対応し、賠償義務を果たすことなどを約束した覚書を取り交わし、賠償金の一部として五〇万円を送金したこと、その遺族の代表者は、被告人の謝罪の気持ちを受け入れ、被告人の置かれている立場に一定の理解を示し、郵便局員として働きながら賠償責任を果たさせることが被害者のためでもあると考え、その旨の上申書を作成していること、そして、被害者は生前に症状固定により後遺障害一級三号に認定され、自賠責保険金二一六四万円を受け取っていること、が認められる。
そうすると、これらの事実に、前記被告人に有利な事情を考慮すると、被告人に対しては、再度、自己の刑責の重大性を自覚させるとともに、被害者の遺族への賠償責任等を誠実に実行させることが刑政の目的に沿うものと考えられるから、被告人を三年間執行猶予付きの禁錮一年に処した原判決の量刑は、現時点においては罰金刑に処することとしなかった点において重過ぎるといわざるを得ない。
よって、刑事訴訟法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により被告事件について更に判決することとし、原判決が認定した事実に原判決の掲げる法令を適用し、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金五〇万円に処することとし、その罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高橋省吾 裁判官 本間榮一 山田耕司)