東京高等裁判所 平成13年(ネ)1531号 判決 2001年12月11日
控訴人
破産者三洋証券株式会社 破産管財人 桃尾重明
訴訟代理人弁護士
難波修一
同
内藤順也
同
西山哲広
同
渡邉光誠
同
岩城肇
訴訟復代理人弁護士
捻橋かおり
被控訴人
株式会社 あおぞら銀行
代表者代表取締役
丸山博
訴訟代理人弁護士
賀集唱
同
松尾翼
同
森島庸介
同
村上義弘
主文
一 被控訴人は、控訴人に対し、七億四六三六万四三八三円及び内金三億円に対する平成一一年四月二八日から、内金三億円に対する同年七月二八日から、内金一億円に対する平成一三年四月二八日から各支払済みまで年六パーセントの割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人の負担とする。
三 この判決の主文第一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
(主位的請求)
主文同旨
(予備的請求)
被控訴人は、控訴人に対し、七億〇四九八万九〇三九円及びこれに対する平成一二年七月二二日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。
二 被控訴人
控訴棄却
第二事案の概要
一 本件は、破産者三洋証券株式会社(三洋証券)の破産管財人である控訴人が、「被控訴人が、三洋証券に対する貸金債権及び遅延損害金債権をもって、三洋証券が保有する原判決別紙債券目録記載の被控訴人発行の金融債(本件金融債)の償還債務と相殺したこと(本件相殺)が違法であり、その結果、控訴人が、本件金融債を換価することが事実上できなくなり、本件金融債の額面金額及び利息金額の合計額の損害を被った」と主張して、被控訴人に対し、不法行為に基づき、損害賠償金七億〇四九八万九〇三九円及びその遅延損害金の支払を求めた事案である。
原判決は、控訴人の請求を棄却したので、これに対して控訴人が不服を申し立てたものである。
控訴人は、当審において訴えを変更し、本件金融債の元利金償還請求権に基づく元金合計七億円、償還日までの利息四六三六万四三八三円及び各元金に対する償還日後の遅延損害金の請求を主位的請求として追加し、不法行為に基づく従前の請求を予備的請求とした。
二 以上のほかの事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人の当審における主張)
(1) 金融債を含む社債は、株式会社の一つの債務の分割的一部として発行され、その内容は社債申込証の内容によって一律に定められる。社債は統一的一体性をその本質とする。発行会社とある社債権者との間の社債に関する法律関係を、社債申込証に記載された以外のその社債権者と発行会社との間に存在する個別の事情に基づいて処理することは、社債の本質に反し、認められない。社債の償還は社債申込証で定められた時期及び方法でのみ行われる。このような社債の性質上、社債を相殺に供することは償還期限の前後を問わず認められず、被控訴人による本件金融債の相殺は効力を有しない。
原判決別紙債券目録記載(一)及び(二)の債券の利率は年三・五パーセント、同(三)の債券の利率は年二・七五パーセントである。同(一)の債券については平成九年一〇月二七日まで、同(二)の債券については同年七月二七日まで、同(三)の債券については平成一〇年一〇月二七日までの各利息は支払済みである(争いがない。)。
よって、控訴人は、本件金融債の元利金償還請求権に基づき、元金合計七億円、原判決別紙債券目録記載(一)の債券三億円については平成九年一〇月二八日から償還日である平成一一年四月二七日まで、同(二)の債券三億円については平成九年七月二八日から償還日である平成一一年七月二七日まで、同(三)の債券一億円については平成一〇年一〇月二八日から償還日である平成一三年四月二七日までの利息の合計四六三六万四三八三円及び各元金に対する各償還日後の年六パーセント(商事法定利率)の割合による遅延損害金の支払を求める。
(2) 原判決は、本件金融債は、三洋証券と被控訴人との間の銀行取引約定第七条①項(本件相殺条項)にいう「その他の債権」に含まれるとしたが、これは誤りである。
上記(1)記載の社債の性質を考えると、本件金融債は本件相殺条項にいう「その他の債権」には含まれないと解すべきである。
仮にそうでないとしても、① 本件金融債は本来無記名社債であり、違法な手段で登録名義についての情報を入手しない限り、被控訴人は受働債権の存在を知り得ず、相殺の対象になり得ないものであること、② 金融債の真の権利者と登録名義人が異なることは珍しくないこと、③ あらかじめ定められた買入消却や繰上償還以外の社債の期限前償還は行わない慣習が確立していること及び④ 社債の取扱いについては画一性が要求されることからすると、少なくとも、償還期限前の本件金融債は本件相殺条項にいう「その他の債権」に含まれないと解するのが当事者の合理的意思に合致する。
(3) 原判決は、本件金融債について、償還期限までの利息を付ければ、発行会社において期限の利益を放棄して、支払をすることができるとしたが、これは誤りである。
本件相殺条項に基づき、本件金融債を受働債権として相殺をするためには、本件金融債の期限の利益を放棄しなければならない。ところが、社債を償還期限前に償還すると社債の売買により利益を得る機会を社債権者から奪うことになるから、民法一三六条二項但書により許されない。また、社債の期限前償還ができないとの商慣習法があるから、社債について期限の利益を放棄することはできない。
(4) 仮にそうでないとしても、本件相殺は、権利の濫用である。
被控訴人がたまたま無記名社債の発行会社と登録機関を兼ねていたから、本来知り得ない本件金融債の登録名義についての情報を知り得たに過ぎない。登録機関として知り得た情報は他の目的のために使用してはならない。このような違法な行為によって可能となった本件相殺は権利の濫用である。
(5) 被控訴人は、本件相殺の際、償還期限までの利息を付していない。したがって、被控訴人による期限の利益の放棄及び本件相殺はいずれも不適法である。
(6) 仮に本件相殺が適法であるとしても、被控訴人は、登録機関として知り得た秘密を、守秘義務に違反して、発行会社としての自己の利益に使用した。
控訴人は、この不法行為により、七億〇四九八万九〇三九円の損害を被った。
(7) 本件相殺が違法、無効または不適法であり、控訴人が、被控訴人に対し、本件金融債に基づく元利金返還請求権を有しているとしても、控訴人は損害を被っている。
控訴人は被控訴人による相殺の意思表示の結果、本件金融債を売却して換価することができなくなり、その間に本件金融債の償還期限が到来してしまった。その結果、本件金融債は、相殺の抗弁が付着して無価値となった。
(被控訴人の当審における主張)
(1) 社債について発行会社からの相殺を否定する理由はない。
ア 社債の内容が社債申込証等の社債契約によって決せられることから、相殺が許されないということはできない。このことは、設権性・無因性・文言性を有する完全有価証券である手形について相殺が認められていることからも、明らかである。
イ 社債は、善意取得(商法五一九条)及び抗弁切断(民法四七三条)による流通保護が図られているから、相殺を認めても流通の利益が損なわれることはない。登録債は、民法上の指名債権にすぎないから、有価証券法理による保護を受けないが、これは登録債に内在する危険である。
ウ 社債金額の均一性の要請は、社債の本質的な性質から導かれたものではなく、単に社債権者集会における議決権算定のための技術的なものにすぎない。また、これは、社債発行時点における制約にすぎない。
エ 商法は、個々の社債権者が個別に権利行使をすることを禁止していない。個別の権利行使の結果生じる不平等は、それが著しく不公正な場合に取り消されるにすぎない(商法三四〇条)。仮に個別の権利行使の結果が不公正な場合においても、当然に無効になるものではない。
オ 登録債については、社債の譲受人は登録を受けるまで、その社債が二重譲渡されたり、譲渡人が償還を受けたりする危険にさらされている。社債が譲渡人と発行会社との関係で相殺されてしまう危険もこのような登録債に内在する危険の一つにすぎない。
カ 社債は、その償還期限が到来すれば相殺の対象になる。本件相殺条項により本件金融債は期限が到来したと解されるから、本件相殺は有効である。
キ 登録債は、債券の発行を伴わないものであり、意思表示のみによって譲渡できるから、民法上の指名債権と同様の性質を有する。それゆえ、社債券の発行を伴う社債の相殺の可否にかかわらず、登録債については相殺は可能と考えるべきである。
ク 社債の市場における価格付けを保証するために、ある社債権者の権利関係が、社債申込証等の社債契約の内容によってのみ画一的に処理され、その社債権者と発行会社との間に存在する相殺権等の社債契約外の事由が一切反映されないと解することは、現行法の規定を逸脱した解釈である。商法は、総額引受の場合に社債契約の内容を自由な合意により決することを認めている(商法三〇二条)。また、個々の社債権者と発行会社との間で他の社債権者と異なる処理がされた場合においても、それが当然に無効になるものではなく、かかる処理が著しく不公正な場合に取り消されるにすぎない(商法三四〇条)。
ケ 金融債は、実質的には預金と同視し得るものである。債権の購入者も、自らの借入金と保護預りの債権が相殺されることを当然に予想している。
コ 社債は、単純な金銭債務であって、債務の性質が相殺を許さないものであるとはいえない。
(2) 仮に、本件相殺が無効であったとしても、被控訴人は、平成九年一二月二日当時被控訴人が三洋証券に対して有していた貸付元金五億八五五九万〇〇一五円及び遅延損害金六二八万九〇七六円並びに保証債務履行請求権一六三億〇七五一万五五七三円をもって、控訴人の本訴主位的請求に係る債権とを対当額において相殺する。
(3) 被控訴人は本件金融債の元利金支払場所として登録情報を知りうる立場にあった。したがって、被控訴人が登録情報を入手したことは、社債等登録法に違反するものではない。
(4) 金融債の真の権利者と登録名義人が一致しないことは当然のことではない。また、このような取扱いは、商慣習化しているものではなく、法的に保護されるものではない。登録された社債について登録を対抗要件とすることは強行法規であり、登録を怠った社債権者はそのことによる不利益を甘受せざるを得ない立場にある。
(5) 社債の期限前償還はしないとの商慣習法はない。
(6) 社債の取扱いについて、すべての場合に画一性が要求されている訳ではない。たとえば、発行会社が破産した場合に、発行会社に対して債務を負担している者が、弁済期にある社債上の債権を自働債権とし、発行会社に対する債務を受働債権として相殺することは許されている。
(7) 被控訴人が、本件相殺に際し、社債に相殺日までの利息しか付していないことは、三洋証券と被控訴人との間の銀行取引約定第七条③項の特約に基づく適法な処理である。
(8) 社債に償還期限が付されていることにより社債権者が得られる利益は、償還期限までの利息を得られることであって、社債を売買する利益はこれに含まれない。
(9) 本件相殺が有効であるとすると、控訴人の債権である本件金融債の元利金償還請求権は相殺によって満足されて消滅するから、控訴人に何ら損害は生じない。また、本件相殺が無効であるとすると、控訴人の債権である本件金融債の元利金償還請求権は何ら影響を受けることなく存続する。したがって、いずれにしても控訴人に損害が生じることはないから、不法行為を理由とする控訴人の請求は失当である。
第三当裁判所の判断
一 当裁判所は、控訴人の主位的請求は理由があるものと判断する。その理由は、次のとおりである。
二 事実の経過
本件の事実の経過は次のとおりである(これらの事実は当事者間に争いがない。)。
(1) 被控訴人は、昭和五二年一〇月一日、三洋証券との間で、手形貸付、証書貸付その他一切の取引に関して生じた債務の履行に適用されるものとして、下記の内容を含む銀行取引約定(本件約定)を締結した。
記
五条①項1号(期限の利益の喪失)
三洋証券について、会社更生手続開始の申立て等があったとき、被控訴人から通知催告等がなくても被控訴人に対する一切の債務について当然に期限の利益を失い、直ちに債務を弁済する。
七条(差引計算)
① 期限の到来、期限の利益の喪失、買戻債務の発生、求償債務の発生その他の事由によって、被控訴人に対する債務を履行しなければならない場合には、その債務と三洋証券の預金その他の債権とを、その債権の期限のいかんにかかわらず、いつでも被控訴人は相殺することができる。
③ 前二項によって差引計算をする場合、債権債務の利息、割引料、損害金等の計算については、その期間を計算実行の日までとして、利率、料率は被控訴人の定めによるものとし、また外国為替相場については被控訴人の計算実行時の相場を適用するものとする。
(2) 被控訴人は、平成六年四月二七日、同年七月二七日及び平成八年四月二六日、本件金融債を、償還方法及び期限につき下記のとおり定めて、それぞれ発行した。本件金融債はいずれも登録債であり、被控訴人が登録機関であった。
記
ア 発行日から五年目に償還する。
イ 発行日から一年経過以降はいつでもその全部又は一部を繰上償還することができる。
ウ 一部償還は、抽せんによる。
エ 被控訴人は、いつでも買入消却することができる。
(3) 三洋証券は、平成九年一一月三日に会社更生手続開始を申し立て、平成一一年一二月二一日に右申立てが棄却された後、同月二八日に破産宣告を受け、控訴人が破産管財人に選任された。
(4) 三洋証券は、前記会社更生手続開始の申立て前に、本件金融債を資産として保有していた。
(5) 被控訴人は、平成九年一二月二日の時点で、三洋証券に対し、前記会社更生手続開始の申立て前の原因に基づき、貸付元金五億八五五九万〇〇一五円及びその遅延損害金六二八万九〇七六円並びに保証債務履行請求権金一六三億〇七五一万五五七三円を有していた。
(6) 被控訴人は、本件約定七条①項及び③項の定めに基づき、平成九年一二月二日、三洋証券の当時の保全管理人藤島昭に対し、三洋証券に対する上記(5)記載の債権の一部と、本件金融債の平成九年一二月二日現在の償還債務合計金七億〇四九八万九〇三九円とを、平成九年一二月二日を計算実行の日として、対当額にて相殺する旨の意思表示をした(本件相殺)。
三 社債を受働債権とする相殺の可否について
上記事実経過によれば、本件相殺は、社債である本件金融債を受働債権としてされたものである。
当裁判所は、発行会社がする社債に対する相殺、すなわち社債を受働債権とする相殺は、償還期限の到来前であるか到来後であるかにかかわらず、許されないものと考える。その理由は、次のとおりである。
(1) 社債は、株式会社が、債券発行の方法により、巨額かつ長期の金員を公衆から借り入れるものである。社債の借入総額は同一金額の個々の社債に分割され、各社債権者の権利の内容は同一のものとなる。
社債は、消費貸借の一形態ではあるが、消費貸借としての一般的性質をそのまま維持するものではなく、消費貸借が極端に定型化され、大量性、集団性、公衆性といった色彩を帯びたものである。そして、社債がこのような性格を有することは、各社債権者の権利が定型化され個性を喪失し、その金額以外の点においては一つのものが他のものと全く異なるところのないことを意味する(田中耕太郎・商法研究第一巻「社債の法律的特異性」(昭和四年)六〇一、六五七、六九四~頁ほか社債に関する多数の文献参照)。
社債について相殺が可能であるとすると、相殺の抗弁が付着した社債は、他の社債と異なる個性を有するものとなり、それは上記の社債の性格と相容れないものとなる。
(2) 商法は、総額引受による場合を除き、社債の発行に社債申込証の作成を必要としている(商法三〇一条)。このことは、それにより社債の内容を各社債について同一ならしめることを意味している(総額引受の場合及び長期信用銀行が債券を発行する場合には社債申込証の作成を要しないが、これらの場合にも社債の内容は社債契約によって定められ、各社債について同一となる。)。
発行会社と社債権者との間の権利関係は、社債申込証または社債契約の内容によって決せられるのであり、それ以外の個別の法律関係の影響を受けないことが予定されている。
社債について相殺が可能であるとすると、社債が社債権者毎に異なる個別の法律関係の影響を受けることになり、発行会社と社債権者との間の権利関係が社債申込証または社債契約の内容によってのみ決せられるという法の趣旨に反することとなる。
(3) 社債の大量性、集団性、公衆性は、社債が市場において売買され、それによって投資家が容易に資金を回収できることを要求する。それ故、社債は、市場における取引に適したものでなければならない。
市場における社債の取引を可能にするためには、ある社債が他の社債と全く異なるところがないことが必要である。何故ならば、債権の内容に個性ないし個別性を与え、債権の価値に影響を及ぼす事由に多様性を認めるならば、同一の社債について同一の時点において単一の価格が成立することがなくなり、社債の価値を集団的に判定する市場を構築することができないからである。すなわち、そのような個性ないし個別性が与えられた場合、一つの社債は他の社債と、その内容が異なり、経済的価値も異なることとなる。そして、それは取引所における集団的な競争売買の対象となる適格性を欠き、市場価値を付けることができなくなる。そのような市場価値のないものは、一般公衆の投資対象として不適格であり、社債の公衆性に反するのである。
社債が、一つのものが他のものと全く異なるところがない債権であるためには、債権の発生要件は社債毎に異なるものであってはならない。同様に、社債の定められた償還や時効以外の債権の消滅原因を認めるわけにはいかない。何故ならば、定められた償還以外の債権の消滅原因、例えば特定の社債について代物弁済が認められれば、社債の価値は、その消滅原因の内容次第で、一つのものが他のものと全く同一であるとはいえなくなるからである。
このことは、発行会社からする相殺についても当てはまる。ある社債について反対債権による相殺の可能性があり、他の債権にそれがなければ、それらの社債の価値は異なることになる。ある社債について相殺が可能であれば、社債の譲渡があった場合にも譲受人は相殺の対抗を受けることがあり得る。それでは、その社債と他の社債とが全く異なるところがないとはいえず、価格形成が困難になる。それ故、相殺は認められないのである。
これは、単に取引の安全の問題ではない。社債を社債として成り立たせること、すなわち一般公衆の投資対象たらしめる公衆性、すなわち取引市場による市場価値を成り立たせ、投資の尺度を提供し、換金の可能性を保証することがここでの問題なのである。したがって、善意取得や抗弁の切断の法制度によって、一定の条件の下に社債の流通が保護されているからといって、社債について相殺を認める訳にはいかないのである。
以上のとおり、社債について相殺を認めると、一つの社債が他の社債と異なるものとなる可能性が生じる。そして、その結果、社債の市場取引のための不可欠の条件を満たさないことになる。それ故に社債については相殺が認められないのである。
(4) 社債の大量性、集団性、公衆性は、社債権者の団体的保護のための制度を必要ならしめる。
分割された個々の社債の金額は、社債の総額に比して非常に小さなものとなる。このことは個々の社債権者が発行会社に対して権利を行使することを困難ならしめ、社債権者の団体的保護の必要性を生ぜしめる。
社債権者の権利が、一つのものが他のものと金額以外は全く異ならないという利害共通の存在であることは、社債権者の団体的保護の必要不可欠の条件でもある。利害が共通であることにより社債権者は一個の利益団体となり、団体的保護を可能ならしめるのである。
商法は、社債権者の団体的保護のための制度として、社債管理会社及び社債権者集会の制度を設けている。そして、これらの制度は、以下のとおり、一つの社債が他の社債とその内容において異なるものでないことを前提としている。
まず、商法は、社債権者集会の制度において、各社債権者が社債の最低額毎に一個の議決権を有することを前提としており、各社債の金額は均一であるか、または最低額を持って整除できるものであることを要すると定めている(商法二九九条)。社債について相殺を認めると、自働債権が社債の額を下回る場合に、この規定に反する社債が生じる。その社債については議決権を認めることが困難になり、上記の前提に反する結果をもたらすことになる。
また、社債管理会社は、社債権者集会の決議により、総社債について支払の猶予、不履行によって生じた責任の免除または和解をすることができると定めている(商法三〇九条の二)。そして、社債権者集会の決議は総社債権者に対して効力を有するのである(商法三二七条二項)。このことは、すべての社債を同様に扱うことを意味している。相殺を認めることになると、相殺の対象となる社債は他の社債と権利の内容が異なることになり、すべての社債を同様に扱うという社債権者の団体的保護の前提に反することになる。
(5) また、社債については、発行会社がこれを相殺で消滅させることや、相殺可能を前提に取引するなどの、相殺の担保的役割を期待できるような一般的状況は存在しない。
社債については、証券が発行されるのが原則形態である。そして発行される証券は、自由に処分できる。証券が発行されている場合には、発行会社にとって社債権者が誰であるかを把握することは困難である。したがって、社債権者が誰であるかを発行会社が把握してする社債に対する相殺は、事実上不可能である。すなわち、そもそも社債に対する相殺を期待できる状態にない。登録債の場合であって、発行会社が登録機関となっている場合には、事実上社債権者の確知が可能となるが、本来その登録は発行会社が社債権者を確知するためになされるものではない。登録がされた結果たまたま社債権者が誰であるか知り得ることがあるとしても、そのことから発行会社が相殺の期待を有しているということはできない。
さらに、社債について相殺を認めると、登録債については権利者の確定が事実上可能であり、相殺の可能性が生じるため、登録債とそれ以外の社債が価値の異なる二つの商品になってしまう。これは、前述の社債の市場性を失わせるものであり、社債の公衆性に反するものである。
(6) 発行会社からの相殺は認められないが、社債の差押えは認められる。差押えを認めることは、社債がその金額以外は一つのものが他のものと異ならないという性質に反しない。また、差押えを認めることが社債の市場価値を毀損することもない。そして、差し押さえられた社債を市場で換価することにすれば、社債の交換的価値は実現される。このように、社債を差し押さえて換価することは可能であるから、社債について発行会社からの相殺が認められないとしても、特段の不都合は生じない。
(7) そして、償還以外の消滅原因が否定されることは、償還期限後においても変わりはない。償還期限後でも、社債の公衆性や団体的保護の必要性が失われるとはいえないからである。償還期限後の相殺ができるとすると、償還期限が近づくにつれて、相殺の可能性が高まり、そのことが価格に影響することになり不都合である。
(8) また、社債等登録法施行令は、社債が償還により消滅したときに会社から登録機関への通知を義務づけながら(社債等登録法施行令六五条)、償還以外の方法により消滅した場合の規定を設けていない。そして、商法及び社債等登録法中に、社債が償還以外の方法によって消滅することを予定している条項はない。
(9) 以上の諸点を総合考慮して判断すると、社債については、その性質上発行会社からの相殺が許されないものと解するのが相当である。
四 社債を対象とする相殺約定の効力について
本件相殺条項(すなわち本件約定の七条①項)で相殺の対象とされる「その他の債権」に、社債の償還債務が含まれるか否かは、明白ではない。
しかし、仮に含まれるとしても、発行会社からする社債の相殺を許すことができないのは、三に述べたとおり、単に取引当事者間の公平を維持するためではなく、公けの制度である社債の制度を維持するために必要であるためである。したがって、社債を対象として発行会社が相殺できる旨を定める約定は、公序に反するものとしてその効力を認めることができない(民法九〇条)。
五 結論
以上のとおりであって、発行会社である被控訴人がする相殺は許されず、その効力を生じないものといわなければならない。本件金融債の元利金償還請求権は、今なお控訴人の当審における主張(1)記載のとおり存在するから、その支払を求める控訴人の主位的請求は理由がある。
なお、控訴人の第一審における請求(不法行為に基づく損害賠償請求)を棄却した原判決主文第一項は、上記請求が当審で予備的請求とされ、かつ、主位的請求が認容された結果、これに対する応答の必要がなくなったので、当然にその効力を失うものである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 淺生重機 裁判官 西島幸夫 渡邉左千夫)
<以下省略>