東京高等裁判所 平成13年(ネ)567号 判決 2002年4月24日
控訴人(原告)
A野太郎
他1名
控訴人ら訴訟代理人弁護士
藤田謹也
同
寺島秀昭
同
牧野英之
同
小林豊
同
森本哲也
被控訴人(被告)
国
代表者法務大臣
森山眞弓
訴訟代理人弁護士
伴義聖
指定代理人
小沢正明
他4名
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
(1) 被控訴人は、控訴人A野太郎に対し、一四四二万五〇〇〇円及びうち一三一〇万円に対する平成六年一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 被控訴人は、控訴人A野二郎に対し、一四四二万五〇〇〇円及びうち一三一〇万円に対する平成六年一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
二 控訴人らのその余の控訴をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人らに対し、それぞれ四四五六万一四五七円及びうち四〇五一万〇四一六円に対する平成六年一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
四 仮執行宣言
第二事案の概要等
一 事案の概要
(1) 本件は、被控訴人の開設する国立東京第二病院(現在の国立病院東京医療センター。以下「本件病院」という。)において耳下腺腫瘍摘出手術を受け、その手術創からの出血を原因とする顔面腫脹等により気道が閉塞するなどした結果死亡したA野一郎(以下「一郎」という。)の権利義務を相続した一郎の父控訴人A野太郎(以下「控訴人太郎」という。)及び一郎の母B山花子の権利義務を相続した控訴人A野二郎(以下「控訴人二郎」という。)が、被控訴人に対し、上記病院の医師が、①手術中において適時に輸血すべき注意義務を怠った、②呼吸経路の確保のため手術中に行っていた気管内挿管を術後においても維持すべき注意義務を怠った、③予防的に気管切開をしておくべき注意義務を怠った、④呼吸状態を管理し、一郎が気道閉塞に陥った場合には輪状甲状膜穿刺又は気管切開等をして気道を確保すべき注意義務を怠ったなどと主張し、被控訴人に対し、診療契約上の債務の不完全履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償として、それぞれ四四五六万一四五七円(合計八九一二万二九一四円)及びうち弁護士費用を除く四〇五一万〇四一六円に対する一郎死亡の日である平成六年一月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
(2) 原判決は、本件病院の医師らに控訴人ら主張の注意義務違反が成立するとは認められない旨判断し、控訴人らの請求をすべて棄却したので、控訴人らが控訴をした。
二 前提となる事実(当事者間に争いのない事実は、証拠を掲記しない。)
(1) 被控訴人は、東京都目黒区東が丘において、本件病院(平成一〇年四月一日に国立病院東京医療センターとその名称を変更して現在に至っている。)を開設している。
本件当時、D原竹夫(以下「D原医師」という。)は本件病院の耳鼻咽喉科に勤務する医師であり、C川松子(以下「C川看護婦」という。)は本件病院に勤務する看護婦であって、いずれも被控訴人の被用者であり、その履行補助者である。
D原医師及びC川看護婦は、本件病院の業務として、後記(3)ないし(6)のとおり、一郎に対し手術をするなどしてその治療に当たった。
(2) 一郎(昭和四八年一一月二三日生)は、控訴人太郎及びB山花子の間の長男であり、控訴人二郎は、控訴人一郎及びB山花子の間の二男である。
一郎は、後記(6)記載のとおり、平成六年一月二五日、死亡し、その権利義務を控訴人太郎及びB山花子が各二分の一ずつ相続した。B山花子は、平成七年一二月二一日、死亡し、控訴人二郎がその権利義務のすべてを相続した。
(3) 一郎は、耳下腺腫瘍の既往歴があり、その最初は、平成二年一一月二一日、耳下腺付近が痛むことから、本件病院の耳鼻咽喉科でD原医師の診察を受けたものであり、その際、右耳下腺腫瘍と診断され、平成三年一月八日、本件病院に入院し、同月一〇日午後二時八分ころから同日午後五時四二分ころまで、D原医師等の執刀により右耳下腺腫瘍の摘出術を受け(以下においては、この手術を「第一回手術」という。)、同月二九日、退院した。
(4) 一郎は、平成四年八月ころ、再度、耳下腺付近が痛むようになったため、同月一九日、本件病院で診察を受け、右耳下腺腫瘍が再発していると診断され、同月二四日、本件病院に入院して化学治療を受け、同年九月一八日、一旦退院し、同月二四日、本件病院に再入院し、同月二八日午後二時二五分から同日五時四二分ころまで、D原医師等の執刀により右下顎軟骨肉腫腫瘍摘出術を受け(以下においては、この手術を「第二回手術」という。)、同年一一月一四日、退院した。
(5) 一郎は、第二回手術を受けて退院した後も、本件病院を訪れて経過観察を受けていたが、平成五年一一月ころ、第二回手術後の定期検査において、耳下腺付近に異常が発見され、平成六年一月二一日、本件病院に入院し、同月二四日午後一時五三分ころから同日午後六時一四分ころまで、D原医師等の執刀により右耳下部軟骨肉腫の腫瘍摘出術(下顎部分切除)を受けた(以下「本件手術」という。)。
(6) 本件手術を受け終わり、病室に戻された一郎は、平成六年一月二四日午後九時四〇分ころ、顔面の腫脹が著明になり、そのころ、当直の外科医が呼び出され、また、気道分泌物を除去するべく口腔内吸引が試みられたが、その吸引に至らず、一郎の状況は何ら好転せず、さらに午後一一時五分ころから午後一一時一〇分ころまでの間にD原医師の執刀によって一郎に気管切開が施されるなどしたが、同月二五日午後八時二五分ころ、一郎は、死亡し、その死因は、D原医師の死亡診断では「術後出血性ショックによる心不全」と表示された。
(7) 一郎の本件手術後の容態に関する看護記録の記載は、別紙看護記録(乙第五号証の抜粋)のとおりであり、C川看護婦が記載したものであるが、同月二四日午後一〇時三〇分ころの一郎の容態について、「観察(S・O)」の欄に「呼吸停止」との記載がされている。
三 主たる争点及び主たる争点に関する当事者双方の主張
(1) D原医師ら本件病院の担当医師らの過失の存否
ア 控訴人らの主張
(ア) 本件手術中の注意義務違反
本件手術においては、手術中の平成六年一月二四日午後二時三〇分ころ(以下においては、平成六年一月二四日の出来事については、年月日を省略して時刻のみを記載する。)以後、一郎の手術部位から大量の出血が生じ始め、午後四時二五分ころには、出血量が、健康な成人において輸血無しで手術を済ますことができる限界とされる一五〇〇グラムを超える一五〇八グラムに達し、さらに手術終了時点の午後六時一四分ころまでの出血総量が二六二〇グラムに及んでいる上、手術前に一六・四/dlであった一郎のヘモグロビン値が午後三時五五分の採血時において一二・七/dl、午後五時五分の採血時において九・五/dlとなり明らかな貧血症状を呈した。このような状況の下では、D原医師らの担当医師(以下「D原医師ら」という。)は、遅くとも午後四時二五分ころの時点で、輸血を開始すべきであったところ、これを午後五時二五分ころまで行わなかったものであり、このような輸血の遅れが一郎の死亡をもたらしたものである。
(イ) 本件手術終了直後の注意義務違反
a 耳鼻咽喉科領域における手術、特に頸部の手術において、出血の持続及び血腫の増大がある場合は、血腫による気道の圧迫や浮腫などによる呼吸困難が発生しやすいところ、本件手術は、下顎部という出血の起こりやすい部位の手術であり、しかも、本件手術中に緊急輸血をしなければならない程の大量出血(出血総量二六二〇グラム)が発生した上、本件手術直後においてもエラテックスガーゼの脇からたらたらと出血し、その量が三〇〇グラムにも及ぶ状況になっており、さらに、本件手術においては、出血に対し全量を濃厚赤血球及びアルブミン製剤のみで補ったことから、血液凝固因子の相対的不足が生じており、一郎については、播種性血管内凝固症候群(DIC)が起きやすい状況にあった。したがって、D原医師らは、本件手術直後の時点において、一郎につき、血腫の増大や浮腫による気道狭窄、気道閉塞が発生することを十分予見することが可能であった。
b 上記aの事情に鑑みれば、本件手術を担当したD原医師らは、一郎に気道狭窄、気道閉塞が生じることを予測し、本件手術において施された気管内挿管を本件手術後も維持し、又は予防的に気管切開をするなどして一郎の呼吸経路を確保しておくべき注意義務が存したところ、D原医師らは、血液ガス検査等により一郎の容態のチェックもしないまま、本件手術終了後約一六分を経過したにすぎない午後六時三〇分ころの段階で気管内挿管を抜管し、かつ、予防的な気管切開もしなかったものであり、D原医師らに過失があることは明らかである。
(ウ) 本件手術後の管理における注意義務違反
a 一郎は、本件手術後も出血が続き、午後六時五〇分ころにはその量が三〇〇グラムに達し、午後七時一五分ころには呼吸が不規則で鼾様の呼吸をするようになり、午後八時三〇分ころには、やや右顔面が腫脹し、午後九時ころには、右顔面に腫脹が存在し、血圧が低下し、脈拍数及び呼吸数が増加し、鼾様呼吸をし、チアノーゼの症状を呈するなどDICの進行によるプレショック状態になり、午後九時四〇分ころには、右頬部の腫脹が著明で、右口角が浮腫様となり、破裂しそうな状況となるなどし、時間の経過とともに顔面の腫脹が増大し、気道狭窄、気道閉塞が進行していったものである。したがって、一郎については、遅くとも午後九時ころには、呼吸状況を改善するための措置をとる必要があった。
b D原医師らは、前記(イ)、aのとおり、本件手術直後の時点において、一郎につき、血腫の増大や浮腫による気道狭窄、気道閉塞が発生することを十分予見することが可能であったから、自ら一郎の容態を観察して呼吸経路確保のため適切な措置をとり、又は、看護婦に指示して一郎の呼吸数や動脈血酸素飽和度(SAO2)を観察させるなどして一郎の呼吸状態を管理させ、適切な時機に医師を呼んで医師が呼吸経路確保のため適切な措置をとることができるようにすべき義務が存したところ、その義務を怠り、自ら一郎の容態を観察して呼吸経路確保のため適切な措置をとることをせず、また、看護婦に対しその旨の指示をしないで、上記aのとおり、午後九時四〇分ころ、右頬部の腫脹が著明になるまで一郎を放置し、気道狭窄を進行させるままにしたものであり、D原医師らに本件手術後の管理に過失があることは明らかである。
(エ) 一郎の気道狭窄、気道閉塞後の救命措置に関する注意義務違反
a 一郎は、午後九時ころには気道狭窄、気道閉塞のおそれがあることが明白になり、午後九時四〇分ころには、気道狭窄により呼吸障害を起こしていることが明らかであった。
気道閉塞により呼吸停止に陥った場合、脳は、わずか五、六分で不可逆的損傷を被り回復が不可能となってしまうから、患者が気道閉塞により呼吸不全に陥ったときには、短時間の間に緊急に気道を確保することが必要となる。気道閉塞が生じた場合の気道確保の方法としては、気管内挿管を行う方法が一般的であるが、これが効を奏さない場合は、速やかに、①輪状、甲状靱帯の穿刺、②輪状、甲状靱帯の切開、③気道切開及び④注射針による気管穿刺等のいずれかの処置を行い、気道を確保すべきである。また、一郎の場合、気道閉塞の原因は、創部内に形成された血腫が気道を圧迫したことであるから、切開手術により血腫を除去することにより気道閉塞の原因を取り除き、気管内挿管を容易にすることも可能であった。
b 担当看護婦は、D原医師らから、一郎の術後の呼吸管理について適切な指示を与えられていなかったため、午後九時四〇分ころに至るまで、一郎の容態に応じた対応をとらず、同時刻ころようやく当直医を呼んだが、当直医の到着した時刻は午後一〇時ころであり、一郎は、呼吸困難の状態が悪化の一途をたどったまま放置されたため、既に、右頬部から上頸部にかけての腫脹が著しくなり、喉頭が圧迫され、気管内挿管をすることができない状態になっていた。
c 当直医は、到着後、一郎の気管内挿管による気道確保を試みたが、挿管することができないまま時間がたち、午後一〇時三〇分ころには一郎が呼吸停止の状態になった。D原医師は、午後一〇時四五分ころ、一郎のもとにやってきて、当直医らと同様に一郎に対し気管内挿管を試みたが、奏功しなかったので、午後一一時五分ころになりようやく気管切開を行い、一郎の気道を確保したものである。
D原医師らは、一郎が呼吸不全の症状を呈しているのであるから、上記a記載の気道を確保する措置を直ちに講ずるべき義務があったところ、気道浮腫、喉頭浮腫が著しいため気管内挿管が困難であることを認識しながら、延々と気管内挿管を試み続け、それ以外の気道確保の措置をとらなかった過失により、一郎を、午後一〇時三〇分ころの呼吸停止から午後一一時五分ころに気管切開を開始して午後一一時一〇分ころにこれを完了するまで約四〇分間無酸素状態に置き、その結果一郎の脳に不可逆的損傷を与え、死に至らしめたものである。
なお、被控訴人は、午後一〇時三〇分ころの時点において、一郎の呼吸が停止した事実はない旨主張するが、これは自白の撤回に当たり異議がある。
イ 被控訴人の反論
(ア) 本件手術中の注意義務違反についての反論
D原医師らは、本件手術中、午後五時八分ころ、出血量が約二〇四八ミリリットルから二三九〇ミリリットルの間のときに一〇〇〇ミリリットルの赤血球濃厚液の輸血を開始し、最終的に総出血量二六二〇ミリリットルに対し、一〇〇〇ミリリットルの輸血及び四五五〇ミリリットルの輸液をし、本件手術終了時のヘモグロビン値を約九・五/dlに保っており、一郎の血圧(一三五/六五)及び呼吸は安定しているのであり、本件手術に関し、D原医師らに、輸血をするのが遅れた等の過失は存在しない。
(イ) 本件手術終了直後の注意義務違反についての反論
a 術後管理として、本件手術後において、一郎に術後出血が生じることについて注意をすべきことは、当然であるが、D原医師らは、本件手術において、手術終了時の止血処置を十分に行い、本件手術後も看護婦が定期的に病室を訪れて出血の有無を確認していたのであり、そこに落ち度はない。一郎は、午後九時四〇分ころ、容態が急激に変化したものであり、本件手術終了時において、ヘモグロビン値が約九・五/dlに保たれており、血圧(一三五/六五)及び呼吸も安定しており、術創からの出血はなく、動脈血酸素飽和度(SAO2)も九九パーセントに保たれ、呼名にも反応していたなどの事情に鑑みると、D原医師らにおいて、本件手術直後において、一郎の容態が急激に変化するおそれがあると予見することは極めて困難であった。
なお、本件手術後において、エラテックスガーゼの脇からたらたらと三〇〇グラムにも及ぶ出血があったということはない。これに対応する看護記録の記載は、ポーティナーに溜まった血液の量を指すものである。
b 上記aのような事情からすれば、D原医師らが、午後六時三〇分の段階で気管内挿管を抜去したことに何らの過失もない。また、予防的気管切開は、頸部気腫、軟骨壊死、気管壁壊死の合併症が発生する可能性があり、必ずしも安全なものではないのであり、上記aのような一郎の本件手術直後の容態に徴すると、予防的に気管切開をしなかったからといって、当時の医療水準に照らし、D原医師らに落ち度があったということはできない。
(ウ) 本件手術後の管理における注意義務違反についての反論
a 一郎の容態は、時間の経過とともに悪化していったものではない。一郎は、午後九時ころにおいては、血圧が一一四/五二、体温が三七・六度、脈拍が一二〇/分、呼吸数が二〇/分であり、右顔面にやや腫脹があり、鼾呼吸を認めるものの呼吸苦の訴えはなく安定していたが、午後九時四〇分ころ、急激に様態が変化したものであり、上記(イ)、aのとおり、D原医師らにおいて、本件手術直後において、一郎の容態が急激に変化するおそれがあると予見することは極めて困難であった。
控訴人らは、一郎についてDICが進行し、午後九時ころにはプレショック状態にあった旨主張するが、一郎には皮下出血も認められず、下記(エ)の気管切開時においても出血傾向はなかったから、容態が急変する前に一郎がDICを発症していたとは認められないし、午後九時ころの一郎の血圧等のバイタルサインによれば、同時刻ころ、一郎がプレショック状態にあったとも認められない。
なお、一郎は、何らかの原因により、創部内で出血が生じ、その結果、環血液量の低下から血圧が低下し、それと同じころ、出血塊が創内を充満することにより、内方(気道側)への圧力のため気道狭窄を生じ、午後九時四〇分ころの時点で、急速に意識消失、心肺機能低下を起こしたものと考えられる。
b D原医師らは、本件手術において、止血措置を十分に行い、ドレーンにて血液の排出を行った上、D原医師において、午後六時五〇分ころ、一郎の創部の耳介下方からの少量の出血に対し、エラテックス(絆創膏)で圧迫固定するなどして止血し、さらに、午後八時ころ、病室を訪れて、エラテックスガーゼに出血による汚染がなく、一郎に呼吸苦がないことなどを確認している。また、夜勤の看護婦は、他の患者を巡視しているとき以外は、一郎の病室で状態を観察しており、病状の変化に十分注意を払っていた。
看護婦は、午後九時四〇分ころ、一郎の様態が突発的に変化したので、急遽医師を呼び、心肺機能の蘇生を第一に考えた措置が行われたのであり、本件手術後の管理に過失はない。
(エ) 一郎の気道狭窄、気道閉塞後の救命措置に関する注意義務違反についての反論
a 看護婦は、午後九時四〇分ころ、一郎の容態が突発的に変化したので、急遽、当直医及び主治医を呼んだ。
当直医のE田梅夫医師(以下「E田医師」という。)は、最初に一郎の病室に駆けつけ、気道を確保するため、エアウェイを入れて舌を持ち上げようとしたが、喉の圧迫が強く不可能であったので、喉頭鏡を用いて気管内挿管を試みたが腫れがひどく咽頭が圧迫されていた上、一郎が動くため挿管できなかった。次いで、外科研修医当直のA田春夫医師(以下「A田医師」という。)が、喉頭鏡を用いて気管内挿管を試みたが、咽頭圧迫による口腔内の浮腫がある上、一郎の体動もあって気管内挿管ができなかった。D原医師は、一旦帰宅していたが、二二時三〇分ころ、病院に到着し、アンビューバックで補助呼吸をし、心臓マッサージをしながら気管内挿管を試みたが、咽頭が圧迫されていて気管内挿管ができなかった。そこで、D原医師は、気管内挿管が不可能と考え、B野夏夫医師(以下「B野医長」という。)とともに一郎の気管切開を行った。
以上のとおり、D原医師らは、気管切開には出血、気胸等の危険性があるため、まず、安全に気道確保することを第一に考えた措置として気管内挿管を懸命に行い、それがほぼ不可能と判断された時点で気管切開を行ったものであり、その選択は医師の裁量の範囲を逸脱するものではなく、一郎の気道狭窄、気道閉塞後の救命措置に関して過失があったとはいえない。本件は、医師が患者に対して拱手傍観していたというようなものではなく、あたかも戦場のような救命救急医療の現場において、医師らが一郎の救命のため、ぎりぎりの選択を行ったものであり、第三者が結果だけを見てその選択の当否を評価することは極めて困難なのである。
b 気管閉塞による緊急時の気道確保の措置は、第一に気管内挿管であり、これが不可能な場合に気管切開をするべきであり、控訴人ら主張の輪状、甲状靱帯の穿刺、又は切開及び気管穿刺は、本件においては、出血塊により一郎の頸動脈、頸静脈、甲状腺等の位置が大きくずれている可能性があって、そのため、頸動脈や頸静脈等の損傷を引き起こし、制御不能の大出血や気道内出血を起こすおそれが強い上、自発呼吸が微弱な状況ではその効果も少ないことを考慮すると、本件でこれらの措置を実施することは相当でない。なお、切開手術による血腫の除去は、本件手術が広範囲かつ深部にわたるため、頸動脈、頸静脈の位置を含め頸部周辺が解剖学的に変異しており、血腫除去のため創部を切開すれば、頸動脈、頸静脈を損傷するなどして致命的な二次出血が生じるおそれがあるので、本件で血腫除去を行うことは相当でない。
また、看護記録には、一郎の容態につき、「二二時三〇分呼吸停止」との記載があるが、これは、苦しいという発言がなくなり、ぐったりとしたという意味であり、文字どおり呼吸が停止したわけではなく、その時刻も確実なものではない。
(2) 一郎の被った損害
ア 控訴人らの主張
(ア) 一郎が本件手術を受けて死亡したことによる損害は、以下のとおり、七九八二万〇八三二円である。
a 逸失利益
一郎は、死亡当時、都立高校の定時制課程の三年生であり、生存していれば、平成七年三月に卒業して少なくとも六七歳まで四六年間就労することが可能であった。そこで、男子労働者全年齢平均年収五五七万二八〇〇円、中間利息の控除につきライプニッツ方式(ライプニッツ係数一七・八八〇〇)、生活費控除割合五〇パーセントにより逸失利益を計算すると、その額は四九八二万〇八三二円となる。
557万2800円×17.8800×(1-0.5)=4982万0832円
なお、一郎の腫瘍は、良性の耳下腺腫瘍(多形腺腫)であり、被控訴人が主張する間葉性軟骨肉腫ではなく、その予後は全く良好である。これは、第二回手術により摘出された腫瘍の病理検査をしたC山秋夫医師(以下「C山医師」という。)が、その腫瘍につき「少なくとも軟骨肉腫ではない」としていることから明らかである。また、最近では、悪性の骨肉腫であってもその五年生存率は六〇パーセントないし七〇パーセントまで改善している。したがって、一郎は、本件手術を受けて死亡しなければ、満六七歳まで稼働し得たものである。
b 慰謝料
一郎は、高校に在学中の二〇歳の前途有為な青年であり、両親の離婚により母と暮らし、やがて一家の柱となるべきものであったことを考慮すれば、一郎の死亡による精神的損害は三〇〇〇万円を下らないというべきである。
(イ) 葬儀費用
控訴人太郎とB山花子は、一郎の葬儀費用として一二〇万円を支出した。控訴人二郎は、B山花子の葬儀費用相当の損害を相続した。
(ウ) 弁護士費用
弁護士費用相当の損害は、各四〇五万一〇四一円である。
(エ) 一郎の前記(ア)の損害賠償請求権は、控訴人太郎と控訴人二郎(ただし、B山花子の相続を介して)が二分の一ずつ相続したので、控訴人らの損害賠償請求権は、各四四五六万一四五七円となる。
7982万0832円÷2+120万円÷2+405万1041円=4456万1457円
イ 被控訴人の反論
控訴人らの損害の主張は争う。
一郎は、間葉性軟骨肉腫に罹患しており、しかも、三年間のうちに二度も再発、手術を繰り返し、化学療法も効果がなかったものであり、その予後は不良といわざるを得ないから、一郎には稼働能力がなく、したがって、逸失利益相当の損害を認めることはできない。なお、C山医師は、一郎の腫瘍が「少なくとも軟骨肉腫ではない」との意見を訂正している。
仮に就労可能であるとしても、一郎は、術後の顔面神経麻痺、下顎部分切除による開口障害及び顔貌の変化により就労に支障を来すことが予想される。
第三当裁判所の判断
一 当裁判所は、D原医師らには、閉塞した一郎の気道の確保のため気管切開を開始する時期が遅れた過失があり、そのため一郎が死亡したものと認められるのであるから、被控訴人は、控訴人らに対し、不法行為(使用者責任)又は債務不履行(不完全履行)に基づく、一郎死亡による損害を賠償すべき責任を免れないと判断する。そのように判断する理由は、以下のとおりである。
(1) 《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。
ア 平成三年一月八日の第一回手術は、D原医師が執刀医となり、B野医長及びD川冬夫医師(以下「D川医師」という。)が助手となって行われた。手術は、一郎の耳介前方から耳垂を回り込むように切開を加え、さらにS状になるように下顎角後方へと切開をのばし、舌骨の高さまで切開するなどして、耳下腺深葉部に存在する腫瘍を、周囲の一部組織を含み肉眼上ワンブロック丸ごとを全部摘出した。
第一回手術において摘出された一郎の腫瘍について病理検査が行われた結果、腫瘍の一部につき、下顎周囲の軟部組織から発生したものと考えられる骨外性間葉型の軟骨肉腫とするのが妥当とされた。
イ 一郎は、腫瘤の再形成が認められたため、平成四年八月二四日、本件病院に再入院し、いずれも抗ガン剤であるアドリアマイシン、シスプラチン、5FUの投与等を受けたが、腫瘤の大きさに変化がなく、化学療法に効果がなかったため、同年九月二四日、本件病院に再入院し、同月二八日、D原医師が執刀医となり、E原一夫耳鼻咽喉科医長(以下「E原医長」という。)が助手となって第二回手術が行われた。第二回手術においては、第一回手術と同様に、一郎の耳介前方から耳垂を回り込むように切開を加え、さらにS状になるように下顎角後方へと切開をのばし、舌骨の高さまで切開するなどして、耳下腺表面から確認することができた腫瘍の核出(腫瘍のみの摘出で骨、筋肉、神経を摘出しないもの)をした。D原医師は、臨床診断として、一郎の腫瘍を軟骨肉腫と診断した。
第二回手術において摘出された一郎の腫瘍について病理検査が行われた結果、検査に当たった本件病院のC山医師から第一回手術で摘出された腫瘍と今回摘出された腫瘍とは同じ腫瘍と考えられ、構成細胞に異形が乏しく、軟骨細胞には異形が見られないので唾液腺由来の腺腫と考えられ、少なくとも軟骨肉腫ではないとの報告がされた。
D原医師は、C山医師の報告が第一回手術で摘出した腫瘍についての病理検査の結果と違っている上、腺腫にしては再発が早すぎると考え、慶應大学病院理学教室に病理組織検査を依頼したところ、間葉性軟骨肉腫との回答を得た。そこで、確定診断を軟骨肉腫とした。
なお、C山医師は、その後、再検討をした結果、第二回手術により一郎から摘出された腫瘍が、「唾液腺の良性腫瘍―多形腺腫」ではなく悪性の骨外性腫瘍間葉性軟骨肉腫であるとの判断に異存はない旨表明している。また、佐賀医科大学医学部病理学講座のB原三夫教授は、第二回手術において摘出された一郎の腫瘍について、軟骨肉腫であるとの積極診断はさらに検査が必要であるが、少なくとも免疫染色結果から腺腫とするのには否定的である旨の意見(なお、第一回手術により摘出された腫瘍については軟骨肉腫の組織像であると判定している。)を述べており、本件病院のC田四夫医師は、骨外性腫瘍間葉性軟骨肉腫であるとの意見を述べている。
ウ 平成六年一月二四日、本件手術が行われ、D原医師は、本件手術に先立ち、一郎及び母であるB山花子に対し、今回は下顎の後ろ側を取ること、今回の手術で最後にするため、腫瘍をできるだけ十分に切除し、腫瘍のみならず、一部の筋肉、神経、骨なども取ること、前回よりも出血量が多くなる手術であること、輸血する可能性があること、顔面神経は可能な限り保存するが、かなり難しいこと、顎関節を切除するので顎の噛み合わせが難しくなり、開口も今より悪くなり、特に切除側では噛むことができなくなること、顔面神経が保存できない場合には切除側の閉眼困難、口唇の下垂などが出現すること、二、三年間再発がなければ、顔面の変形や、顔面神経麻痺の形態的改善の手術を施行する予定であることなどを説明した。
エ 本件手術の経過は、次のとおりである。
(ア) 本件手術は、D原医師が執刀医となり、E原医長及びB野医長が助手となって、午後一時五三分から午後六時一四分まで行われた。本件手術は、一郎の耳介前方から耳垂を回り込むようにカーブした後下顎下縁約二センチメートルに沿って舌骨の高さまで切開し、咬筋の一部、耳下腺を除去しながら、下顎骨を除去し、その後、内側の腫瘍を周囲の組織を一部含めて摘出した。
(イ) D原医師は、咬筋切断時及び下顎骨切断の直後において動脈性の出血があったため、血管結紮や出血部電気凝固で止血し、さらに、下顎骨内側の腫瘍摘出後においても、外側翼突筋付近からの出血が多かったので、同様の方法で止血をした。D原医師は、ゼルフォーム(水分を含むと軟らかくなり組織にとけ込むゼラチン素材)を止血部にあて、パッキング(圧迫)して筋肉とともに周囲を縫合して最終的な止血をし、血液等の排液と陰圧による止血効果持続とを目的として、創部にポーティナーを使用してチューブドレーン二本を挿入し、創部を二層に縫合し、陰圧にて内陥し、さらに圧迫包交して本件手術を終了した。
(ウ) 一郎の出血量は、午後二時三〇分ころで二〇四グラム、午後三時ころで四〇八グラム、午後四時過ぎで一二二五グラム、午後四時二五分ころで一五〇八グラム、午後五時ころで一六六三グラム、午後五時二五分ころで二三九〇グラムであり、最終的な総出血量は二六二〇グラムであった。D原医師は、一郎に対し、本件手術の初めから輸液をしており、午後五時三〇分ころにはその量が三六〇〇グラムになっていたが、出血量が多いため、午後五時二五分ころから赤血球濃厚液一〇〇〇ミリグラムの輸血及び等張アルブミン製剤(加熱ヒト血漿蛋白PPF〔膠質液〕)五〇〇ミリリットルを投与した。なお、最終的な輸液の量は四五五〇グラムとなった。
(エ) 本件手術における一郎の血圧、脈拍等の推移は、以下のとおりである(なお、ヘモグロビン値以外の数値はおおよその数値である。)。
① 通常値 血圧一一四/四八、脈拍七八、ヘモグロビン値一六・四
② 午後一時一七分 血圧一二〇/七一、脈拍五七
③ 午後三時五五分 血圧一二〇/六五、脈拍一一五、ヘモグロビン値一二・七
④ 午後四時二五分 血圧一四〇/五五、脈拍一〇五
⑤ 午後五時八分 ヘモグロビン値九・五
午後五時一〇分 血圧一〇五/五〇、脈拍一二〇
⑥ 午後六時三〇分 血圧一三五/六五
また、動脈血酸素飽和度(SAO2)は本件手術中を通じて九八パーセントから一〇〇パーセントに保たれていた。
オ D原医師らは、午後六時三〇分ころ、術後の血圧が一三五/六五と安定し、自発呼吸が出てきた上、呼名に反応し、咳反射があったので、気管内挿管を抜管し、午後六時三五分ころ、麻酔を終了し、一郎を手術室から病室(五〇七号室)に搬送した。
カ 一郎は、午後六時五〇分ころ、半覚醒の状態で病室へ帰室した。一郎は、帰室した時点で血圧が一六〇/七八、脈拍が七二、体温が三六・八度、呼吸数が一四であり、呼吸が不規則で、四肢冷感があり、チアノーゼがあって、全身の色が不良であった。また、一郎の手術創から出血があり、タラタラとエラテックスガーゼの脇から流れ出す状況であり、出血量は約三〇〇グラムであった。そこで、D原医師は、ガーゼを追加し、エラテックスで圧迫固定し、止血を確認し、C川看護婦に指示して止血剤であるアドナ1A(一〇〇グラム)を点滴に混入して投与した。
キ 一郎は、午後七時一五分ころ、呼吸がやや不規則となり、鼾様呼吸をするようになった。そこで、C川看護婦は、バスタオルを丸めて肩枕となるように一郎の両肩に挿入しあてがった。
ク 一郎は、午後七時三〇分ころ、血圧が一六〇/五八、脈拍が八八、体温が三七・二度、呼吸数が一四であり、呼吸は鼾様であったが、四肢冷感は消失しており、C川看護婦に疼痛の有無を聞かれると、開眼してうなずきこれに答え、すぐにまた閉眼する状況であった。なお、一郎は、鼻腔及び口腔より血性の痰が引く状態であった。
ケ D原医師は、一郎の家族に本件手術の内容、経過及び結果を説明した後、午後八時ころ、病室を訪れ、一郎の様子を見たところ、創部等からの出血がないことが確認できたので、C川看護婦に対し、午後九時までに尿量が五〇ミリリットル以下であったら利尿剤を静脈注射するように指示した。
コ C川看護婦は、巡回中の午後八時三〇分ころ、一郎の家族から、一郎が、頭を手で持ち上げようとしている旨聞き、病室に赴いて一郎に声をかけた。C川看護婦は、一郎が何かを言ったが聞き取れなかったので再度問いかけたところ、一郎が手でOKのサインを出した。一郎のこのときの状態は、やや右顔面が腫脹していたが、呼吸状態はスムーズであり、時々開眼するがすぐに閉眼する状況であった。
D原医師は、午後八時三〇分ころ、C川看護婦から、上記のような一郎の状況を聞いた上、帰宅した。
サ 一郎は、午後九時ころ、血圧が一一四/五二、脈拍が一二〇、体温が三七・六度、呼吸数が二〇であり、右顔面に腫脹があり、約四〇〇グラムの出血(午後六時五〇分からすると約一〇〇グラムの出血。)があった。このころ、ポーティナーが必ずしも十分には効かなくなり、創部からの血液がエラテックガーゼ上に流出していた。また、一郎は、創痛があり、四肢冷感はないものの、爪の色が悪くややチアノーゼの症状を呈しており、鼾様呼吸もみられた。C川看護婦は、創痛に対し、鎮痛剤を筋肉注射するとともに、尿量が少ないため、D原医師の指示に従い、利尿剤を静脈注射した。さらに、C川看護婦は、午後九時二〇分ころ、一旦病室を出て記録室に戻り、他の看護婦に相談し、記録を整理した後D原医師に連絡することとし、記録の整理をしていたところ、午後九時四〇分ころ、一郎の親族から、一郎が苦しんでいるので来てほしいとのナースコールを受けた。
シ C川看護婦は、他の看護婦と一緒に一郎の病室に赴き、バイタルサインを測定し、様子を確認した。一郎は、血圧が一一四/五二、脈拍が九三、呼吸数が二〇であり、鼾様呼吸がひどくなっており、右頬部の腫脹が著明で、右口角が浮腫様で破裂しそうになっていた。C川看護婦は、直ちに外科の当直医師であったE田医師に一郎の病室に来てほしいと連絡し、一郎の両肩に枕を挿入し、口腔内の吸引をしたが、痰を吸引することはできなかった。
ス E田医師は、午後一〇時ころ、一郎の病室に駆けつけた。一郎は、血圧が一〇三/三六、脈拍が一一七であり、呼吸が不規則で、鼾様呼吸が著明であり、「苦しい、苦しい」と言っていた。そこで、その場にいた看護婦が、D原医師に電話連絡をして様子を知らせたところ、D原医師も来院することとなった。
セ E田医師は、午後一〇時ころから、一郎の喉に異物が詰まっていないことを確認した上、気道を確保するため、舌を持ち上げる機械であるエアウェイを入れようとしたが、喉の圧迫が強く不可能であったので、他の当直医を呼ぶように看護婦に指示しながら、喉頭鏡を用いて気管内挿管を試みたが、腫れがひどく咽頭が圧迫されていた上、一郎が動くため、挿管できなかった。次いで、病室に来たA田医師が、喉頭鏡を用いて気管内挿管を試みたが、咽頭圧迫による口腔内の浮腫がある上、一郎の体動もあって気管内挿管ができなかった。E田医師は、気管切開も考えたが、患者の手術の状況がわからないことや気管切開の経験がないことから、リスクが大きすぎると判断し、これを行わなかった。
ソ 一郎は、午後一〇時三〇分ころ、呼吸停止の状況になった。E田医師は、A田医師及びさらに来室したA川二夫医師は、アンビューバックを用いて補助呼吸を行いながら、気管内挿管を続けたが、気道が見えない状況であり、気管内挿管をすることができず、午後一〇時四五分ころには心拍が低下し、自発呼吸がない状態が続き、心臓マッサージが始められた。
タ D原医師は、午後一〇時四五分ころ、病室に到着し、アンビューバックで補助呼吸をし、心臓マッサージをしながら気管内挿管を試みたが、咽頭が圧迫されていて気管内挿管できなかった。そこで、D原医師は、気管内挿管が不可能と考え、来室したB野医長とともに、午後一一時五分ころから一郎の気管切開を行い、午後一一時一〇分ころに気管切開を完了した。
チ 一郎の心拍は、手術後、上昇してもすぐに〇へ戻ってしまう状況であり、血圧の測定も不能であったが、D原医師らの蘇生措置により、翌日の平成六年一月二五日午前〇時一〇分ころ、心拍が再開した。しかし、自発呼吸がない状態は改善せず、一郎は、同日午前一時二五分ころ、救命センターに転送された後、同日午後八時二五分に死亡した。
ツ D原医師は、一郎の腫瘍について、右耳下部軟骨肉腫の再発との確定診断を下しており、本件手術で摘出された一郎の腫瘍につき病理検査をした前記B原三夫教授は、唾液腺外の間葉系組織に原発した軟骨肉腫と考えるのが妥当であるとし、前記C田四夫医師も同様の見解を述べている。
テ D原医師は、一郎の家族に対し、一郎の本件手術後の症状について、「術後に創部から急激な出血及び皮下に出血した為の気道の圧迫により心肺停止 その後心臓は回復するも、出血がつづき」、「術後の出血から来る咽頭浮腫、呼吸の停止した時間が長く、脳組織のダメージが大きいと思われる。」と説明した。
ト 以上の事実経過並びに鑑定人長谷川誠作成の鑑定書及び「鑑定追加」と題する書面によれば、D原医師による死亡診断上は、直接死因として(本件手)「術後の出血性ショックによる心不全」と表示されているが、一郎の実質的な死因は、本件手術の手術創からの出血により手術創に形成された血腫のため気道が圧迫閉鎖された結果生じた呼吸障害に基づく脳組織の著しい不可逆的損傷とこれによる心肺機能の停止と認められる。
(2) 上記(1)の認定に対し、被控訴人は、看護記録には、一郎の容態につき、「二二時三〇分呼吸停止」との記載があるが、これは、苦しいという発言がなくなり、ぐったりとしたという意味であり、文字どおり呼吸が停止したわけではなく、その時刻も確実なものではない旨主張し、《証拠省略》中には、被控訴人の上記主張に沿う供述、意見及び陳述部分が存する。しかし、本件手術に関するカルテには、看護記録以外の部分にも午後一〇時三〇分ころに一郎の呼吸が停止したことが二か所にわたって明記されている上、D原医師は、一郎の家族に対し、「術後に創部から急激な出血及び皮下に出血した為の気道の圧迫により心肺停止 その後心臓は回復するも、出血がつづき」、「術後の出血から来る咽頭浮腫、呼吸の停止した時間が長く、脳組織のダメージが大きいと思われる。」と説明し、一郎に呼吸停止又は肺機能の停止があったと自ら説明していること、「呼吸停止」との記載がある看護記録は、他の記載と良く整合しており、このような意味合いの明白な用語を看護婦という専門職員が、被控訴人が主張するような曖昧な身体状況を指すために看護記録の重大な看護局面の記述に軽々用いるなどということはほとんど理解しがたく、むしろ、その用語が普通に用いられるような状況が実際に認識されたのでそのように記載されたものと解するのが自然であり、その信用性は高いものであること、被控訴人は、一郎が午後一〇時三〇分ころ呼吸停止に陥ったことは、本訴が提起された以後においてもこれを認めていたところ、控訴人らが、一郎の呼吸停止の時間からみてD原医師らによる気管切開の開始時刻が午後一一時五分ころであって、気管切開開始までの時間が長く、この点で過失がある旨の主張をするに至って、にわかに、呼吸停止の事実自体やその時刻が午後一〇時三〇分であることを争いだしたという応訴経過があること(記録上明らかである。)、加えて、D原医師らの上記供述等は、いずれも本件病院関係者の供述等であり、その信用性には慎重な吟味を必要とすることなどを総合勘案すると、D原医師らの上記供述等をもって、看護記録に明記された「呼吸停止」との記載を無視して一郎に呼吸停止がなかったとか、その時刻が午後一〇時三〇分ではなく、それより後の時刻であるとか、呼吸停止から気管切開までの時間が上記(1)の認定よりも短かったとかと認めることはできないものである。そして、他に、被控訴人のこの点での主張を認めるに足りる証拠は存在しない。
(3) 前記(1)の認定事実に基づき、D原医師らに診療契約上の債務不履行(不完全履行)が存在するか否かを検討する。
ア 本件手術中の注意義務違反について
控訴人らは、本件手術においては、D原医師らが、遅くとも午後四時二五分ころの時点で、輸血を開始すべきであったところ、これを午後五時二五分ころまで行わなかったものであり、このような輸血の遅れが一郎の死亡をもたらしたものである旨主張する。
しかし、一郎は、前記のとおり、本件手術の手術創からの出血により手術創に形成された血腫のため気道が圧迫閉塞され、呼吸ができなくなったことを原因として死亡したと認められるところ、本件手術の手術創に血腫が形成された時間は、原審における鑑定の結果にあるように、午後九時から午後九時四〇分ころの間及びそれ以降のことであり、そのころの間に手術創に形成された血腫により気道狭窄が進行したものと認められる。そうすると、仮に、控訴人ら主張のように輸血の開始時期が遅れたとしても、それが相当因果関係をもって一郎の気道閉塞を生じさせたと認めるに足りる証拠はないから、輸血の遅れに関して一郎の死亡という結果発生を防止すべき注意義務違反の有無を問うことは相当とは解されず、控訴人らの前記主張は、理由がない。
イ 本件手術終了直後の注意義務違反について
控訴人らは、D原医師らが、本件手術直後の時点において、一郎につき、血腫の増大や浮腫による気道狭窄、気道閉塞が発生することを十分予見することが可能であったことを前提として、D原医師らには、一郎に気道狭窄、気道閉塞が生じることを予測し、本件手術において施された気管内挿管を本件手術後も維持し、又は予防的に気管切開をするなどして一郎の呼吸経路を確保しておくべき注意義務が存したと主張し、D原医師らは、本件手術終了後約一六分を経過したにすぎない午後六時三〇分ころの段階で気管内挿管を抜管し、かつ、予防的な気管切開もしなかったのであるから、D原医師らに過失があるなどと主張する。
しかし、本件手術直後の午後六時三〇分ころの一郎の状態は、血圧が一三五/六五と安定し、自発呼吸が出てきた上、呼名に反応し、咳反射があったものであり、この時点で一郎の気道が閉塞するような事態になるとの具体的な予見は不可能であったといわざるを得ない。確かに、本件手術後、直ちに気管内挿管を抜管しないで気管内挿管を維持し、又は予防的に気管切開をしておけば本件のような一郎の死亡という事態は防ぐことができた可能性があると考えられるが、それは、鑑定人が説くように、結果論というべきであり、D原医師らが、これらの措置を講じなかったからといって、これをもって直ちに過失があるということはできない。
ウ 本件手術後の管理における注意義務違反について
控訴人らは、一郎が、本件手術後も出血が続き、午後九時ころには、DICの進行によるプレショック状態になり、午後九時四〇分ころには、右頬部の腫脹が著明で、右口角が浮腫様となり、破裂しそうな状況となるなどし、時間の経過とともに顔面の腫脹が増大し、気道狭窄、気道閉塞が進行していったものであり、一郎については、遅くとも午後九時ころには、呼吸状況を改善するための措置をとる必要があったのであり、D原医師らは、自ら一郎の容態を観察して呼吸経路確保のため適切な措置をとり、又は、看護婦に指示して一郎の呼吸状態を管理させ、適切な時機に医師を呼んで医師が呼吸経路確保のため適切な措置をとることができるようにすべき義務が存したところ、その義務を怠り、自ら一郎の容態を観察して呼吸経路確保のため適切な措置をとることをせず、また、看護婦に対しその旨の指示をしないで、午後九時四〇分ころ、右頬部の腫脹が著明になるまで一郎を放置し、気道狭窄を進行させるままにしたものであり、D原医師らに本件手術後の管理に過失がある旨それぞれ主張する。
しかし、一郎は、本件手術後、午後六時五〇分ころ、半覚醒の状態で病室へ帰室したが、その際、血圧が一六〇/七八、脈拍が七二、体温が三六・八度、呼吸数が一四であり、呼吸が不規則で、四肢冷感があり、チアノーゼがあって、全身の色が不良であったが、午後七時三〇分ころの段階では、血圧が一六〇/五八、脈拍が八八、体温が三七・二度、呼吸数が一四であり、四肢冷感は消失しており、症状が改善している上、午後八時三〇分ころにおいても、声をかけたC川看護婦に対し、手でOKのサインを出すなどし、呼吸状態がスムーズであったこと、そして、C川看護婦や一郎の家族が、本件手術後の一郎の容態を具に見ていながら一郎がプレショック状態に陥っているような状態にあることに気づいていないことを総合考慮すると、一郎が、午後九時ころ、DICの進行によるプレショック状態になっていたとは認められないのであり、一郎について、遅くとも午後九時ころには、呼吸状況を改善するための措置をとる必要があったということはできないから、D原医師らにその点について過失があったとは認められない。また、C川看護婦は、一郎が、午後九時ころ、血圧が一一四/五二、脈拍が一二〇、体温が三七・六度、呼吸数が二〇であり、右顔面に腫脹があり、爪の色が悪くややチアノーゼの症状を呈しており、鼾様呼吸もみられたことから、午後九時二〇分ころには、記録を整理した後D原医師に連絡することとしており、さらに、午後九時四〇分ころ、一郎の親族から、一郎が苦しんでいるので来てほしいとのナースコールを受け、一郎の病室に赴き、一郎の様子を確認して直ちに当直医に連絡して病室に来てもらっているのであり、その措置が遅きに失したとまでいうことはできないものである。そうしてみると、この点で、D原医師らに控訴人らの主張にあるような本件手術後の管理に関する過失があるとも認められない。
エ 一郎の気道狭窄、気道閉塞後の救命措置に関する注意義務違反について
a 前記(1)のとおり、一郎は、午後七時三〇分ころ、血圧が一六〇/五八、脈拍が八八、呼吸数が一四であり、呼吸は鼾様であったが、四肢冷感は消失した状態であったのが、午後九時ころ、血圧が一一四/五二、脈拍が一二〇、呼吸数が二〇であり、右顔面に腫脹があり、爪の色が悪くややチアノーゼの症状を呈しており、鼾様呼吸もみられる状態になり、C川看護婦において、D原医師に連絡することが必要であると考えるに至っていること、そして、午後九時四〇分ころ、一郎の家族からナースコールを受けた段階では、一郎の鼾様呼吸がひどくなっており、右頬部の腫脹が著明で、右口角が浮腫様で破裂しそうになっていたことを考慮すると、鑑定の結果にあるとおり、一郎は、午後九時ころから次第に症状が悪化し、午後九時四〇分ころの段階になって、著しい気道狭窄により呼吸障害を起こしたものと認められる。
そして、気道閉塞により呼吸停止に陥った場合、脳は、わずか五、六分で不可逆的損傷を被り回復が不可能となってしまうから、患者が気道閉塞により呼吸不全に陥ったときには、担当医師としては、短時間の間に緊急に気道を確保すべき義務を負うというべきである。
b ところで、一般的には、気道確保の方法としては、気管内挿管が最も普通の方法であり、控訴人らの主張のような①輪状、甲状靱帯の穿刺、②輪状、甲状靱帯の切開、③気管切開及び④注射針による気管穿刺、⑤切開手術による血腫の除去等は、いずれも患者の身体に重大な侵害を加え、かつ、これにより頸動脈、頸静脈の切断等の副次的な障害を引き起こす可能性があるから、医師としては、気道が狭窄し又は閉塞した患者の気道確保の方法としては、通常は、気管内挿管の方法によるのが相当であり、これが功を奏さない場合又は功を奏さないことが合理的に予見することができる場合には、その具体的な状況に応じ、相当な他の方法をとるべきである。
本件においては、D原医師らは、気管内挿管を幾たびも試みた結果、これが不可能と判断し、その判断に至るや引き続き気管切開を行ったのであるから、D原医師らが輪状、甲状靱帯の穿刺又は切開、気管穿刺及び切開手術による血腫の除去等の方法を採用しなかったからといって、その採用しなかったこと自体を直ちに過失ということはできない。
c しかし、一郎は、午後九時ころから徐々に容態が悪化し、午後九時四〇分ころに至って、気道狭窄により呼吸障害を起こしたものと認められるところ、一郎の気道狭窄は、前記認定のような、本件手術の内容、手術創の部位、範囲、止血の方法、出血した血液等の排液の方法その他から見てある程度事前に懸念された手術創からの出血が現実化し、この出血により手術創に形成された血腫が一郎の気道を圧迫閉塞することによって生じたものであり、この発生機序の進行は、一郎が午後九時前ころから九時四〇分すぎころまでの間に次々と示した容態(手術創からの出血がエラテックスガーゼの脇から流れ出したり、しばしば鼾様呼吸がひどくなったり、顔面腫脹が続き爪の色の悪さやチアノーゼの症状がみられたり、右頬部の腫脹が著明となり右口角が浮腫様で破裂しそうになったりなどの様子)からも推測可能であったとうかがわれるのみならず、実際に、その直後の午後一〇時ころになって、E田医師によって気管内挿管の試みが開始され、さらに、A田医師及びA川医師も加わって気管内挿管が試みられた際にも、一郎の喉の腫れがひどく咽頭が圧迫されていたことが明らかになっているのであって、一郎の気道狭窄に対しては、遅くとも、この時刻ころまでには、上記の血腫の圧迫のために気管内挿管が奏功せず、又は奏功しないことが合理的に予見することができたものといわなければならない。ところが、午後一〇時三〇分ころには、一郎の呼吸が停止したにもかかわらず、上記の医師らは、アンビューバックを用いて補助呼吸をしているとはいえ、なお、午後一〇時四五分ころまで気管内挿管の試みを継続したばかりか、本件手術による手術創の状況をよく知る主治医として呼ばれたD原医師が同時刻ころ病室に到着した後も、D原医師に対し上記のような不奏功の経過も十分に伝えられないで、さらにそのD原医師によって気管内挿管の試みが何の見通しもなく延々と続けられ、結局、気管内挿管が不可能であるとの判断に到達してD原医師らが気管切開を開始したのが午後一一時五分になったという経過が認められるのである。このような一連の経過に徴すると、D原医師らの措置は、「気道閉塞により呼吸停止に陥った場合、脳は、わずか五、六分で不可逆的損傷を被り回復が不可能となってしまう」ため、「短時間の間に緊急に気道を確保すべきである」という救命の原点に反するところといわざるを得ず、その結果、一郎を短くとも約四〇分間無酸素状態に置き、一郎の脳に不可逆的損傷を与え、死に至らしめた過失があるというべきである。
これに対し、被控訴人は、D原医師らが、気管切開には出血、気胸等の危険性があるため、まず、安全に気道確保することを第一に考えた措置として気管内挿管を懸命に行い、それがほぼ不可能と判断された時点で気管切開を行ったものであり、その選択は医師の裁量の範囲を逸脱するものではなく、一郎の気道狭窄、気道閉塞後の救命措置に関して過失があったとはいえない、本件は、医師が患者に対して拱手傍観していたというようなものではなく、あたかも戦場のような救命救急医療の現場において、医師らが一郎の救命のため、ぎりぎりの選択を行ったものであり、第三者が結果だけを見てその選択の当否を評価することは極めて困難である旨主張する。しかし、前記のとおり、本件手術については、手術前から手術創からの出血が多量となることが予想されており、相当入念な止血や排液のための手当てがなされたとしても、その手術創からの出血が避けられないことも予想されていたのであり、そして、もしその出血が現実化したときにはあるいはその手術創に血腫が形成されて気道を圧迫閉塞するに至る可能性も、本件手術の内容、手術創の部位、止血の方法等からみて全くあり得ないことではなかったのであるし、しかも、実際にE田医師らが気管内挿管の試みを始めた当初において、既に、喉、喉頭の圧迫が明らかに診察されていたのであるから、気管内挿管が奏功しないことがその前後ころまでには合理的に予見することができたものというほかなく、そうすると、本件病院の医師らが一郎の気道狭窄に対し気管内挿管が功を奏さないとの判断を下すのが遅れたことは明白というべきである。被控訴人が主張するような、あたかも戦場のような救命救急医療の現場であるからといって、上記の結論が左右されるものではない。したがって、被控訴人の上記主張は、採用の限りではない。
(4) 控訴人らの損害について
ア 一郎の損害
(ア) 一郎の逸失利益について
前記(1)の認定事実によれば、一郎の腫瘍は、間葉性軟骨肉腫であり、悪性の腫瘍であると認められる。控訴人らは、C山医師作成の病理検査報告書において、第二回手術における一郎の腫瘍が「少なくとも軟骨肉腫ではない」とされていることを根拠として、一郎の腫瘍が良性の耳下腺腫瘍(多形腺腫)である旨主張するが、C川医師が、後にその見解を軟骨肉腫であると改めている上、佐賀医科大学医学部のB原三夫教授が、第一回手術及び第二回手術で摘出された一郎の腫瘍につき、軟骨肉腫の組織像である、又は唾液腺外の間葉系組織に原発した軟骨肉腫である旨の意見を述べており、第二回手術で摘出された腫瘍も上記各二回の手術により摘出された腫瘍と同じ部位の腫瘍であるから、B原三夫教授の見解に従えば、これを軟骨肉腫と考えるのが合理的であることに加えて、一郎が三年間の間に二回も再発、手術を繰り返したという経過に鑑みると、一郎の腫瘍が良性の耳下腺腫瘍(多形腺腫)であるとは認められず、控訴人らのこの点での主張は、採用することができない。
そして、間葉性軟骨肉腫に罹患した患者の予後が必ずしも良くなく、その五年生存率が最近の文献によっても六〇パーセントないし七〇パーセントである上、一郎については、化学療法の効果がなく、三年間の間に二回も再発、手術を繰り返していることを考慮すると、一郎に稼働能力があったと認めることは困難である。したがって、一郎の逸失利益相当の損害を認める余地はなく、一郎の働きたいという意思又は期待が本件手術により摘まれてしまったことを慰謝料算定の要素として考慮することができるにとどまるというべきである。
(イ) 慰謝料について
一郎が高校に在学中の二〇歳の青年であり、両親の離婚により母と暮らし、やがて母をも支えるような社会人となるように期待されていたこと、上記のように一郎の働きたいという意思又は期待が本件手術により摘まれてしまったことなど本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、その精神的苦痛を慰謝するには二五〇〇万円をもってするのが相当である。
イ 葬儀費用について
葬儀費用相当の損害としては、総額一二〇万円(控訴人太郎六〇万円、B山花子〔控訴人二郎〕六〇万円)が相当である。
ウ 弁護士費用相当の損害について
弁護士費用相当の損害については、本件訴訟の難易、期間等諸般の事情を考慮すると、上記ア及びイの認容額二六二〇万円の約一割に当たる二六五万円(控訴人らそれぞれにつき一三二万五〇〇〇円)とするのが相当である。
(5) 請求についてのまとめ
以上のとおり、控訴人らの請求は、不法行為(使用者責任)又は債務不履行(不完全履行)に基づき、被控訴人に対し、それぞれ一四四二万五〇〇〇円及びそのうち弁護士費用相当の損害を除く一三一〇万円に対する一郎死亡の日である平成六年一月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。
三 よって、控訴人らの請求は、上記(5)の限度で理由があるからその限度で認容し、その余は理由がないから棄却すべきところ、これと一部結論を異にする原判決は、一部不当であるから、原判決を上記(5)のとおり変更し、仮執行の宣言については相当でないので、これを付さないこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条二項、六一条、六四条、六五条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 雛形要松 裁判官小林正は転補のため、裁判官萩原秀紀は転官のため、それぞれ署名押印することができない。裁判長裁判官 雛形要松)
<以下省略>