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東京高等裁判所 平成14年(う)405号 判決 2002年11月27日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役15年に処する。

原審における未決勾留日数中540日をその刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官佐渡賢一作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人前田裕司(主任)及び同大井法子共同作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

1  所論は、量刑不当の主張であり、要するに、本件は、何の落ち度もなく、抵抗もできないわずか2歳の幼児を、その頸部をマフラーで絞め付け、窒息死させて殺害した上、その死体を遠く離れた民家の庭の土中に埋め、遺棄したという事案であって、犯行動機は独善的かつ非道卑劣であり、犯行は計画的でその態様は残虐で非道極まりなく、結果は幼い命を永遠に奪ったという取り返しのつかない重大なもので、遺族の悲しみは深甚であって、その処罰感情は峻烈であるところ、被告人には本件犯行に対する真しな反省は見られないなどの諸情状に照らすと、被告人の刑責は極めて重く、被告人に有利に斟酌し得る事情を最大限考慮したとしても、被告人を有期懲役刑の最高刑で処断すべき事案であるのは明らかであるのに、原判決は、本件犯行の悪質性を十分評価せず、逆に特に有利に斟酌すべきでない事情を過度に評価し、検察官の懲役18年の求刑に対し、被告人を懲役14年に処したものであって、その量刑は著しく軽きに失して不当であるから、破棄を免れない、というのである。

2  そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果も併せて、検討する。

(1) 本件は、原判決の「罪となるべき事実」に判示のとおり、「被告人が、<1> 平成11年11月22日午前11時50分ころ、東京都文京区ab丁目c番d号真言宗豊山派大本山護国寺境内東側公衆トイレ内において、A(当時2歳)に対し、殺意をもって、同児の頸部を同児が身に付けていたマフラーで絞め付け、よって、そのころ、同所において、同児を窒息死させて殺害し(原判示第一)、<2> 前記日時ころ、前記場所において、Aの死体を所携の黒色手提げバッグに入れ、いったん肩書住居地記載の被告人方に運び込んだ後、新幹線等を利用して静岡県e郡f町gh番地B方まで運び、同日午後4時30分ころ、上記死体をB方庭の土中に埋め、もって、死体を遺棄した(原判示第二)。」という殺人、死体遺棄の事案である。

(2) 関係証拠によれば、本件各犯行に至る経緯、犯行状況等として、次のとおりの事実を認めることができる。

ア  被告人は、平成5年5月に、僧職にある男性と婚姻したことを契機に、郷里を離れて上京し、以後夫が副住職を務める文京区内の寺院が借り上げた肩書住居地の住居で暮らすようになり、平成6年1月に長男を、平成9年2月に長女をもうけた。

イ  被害者であるAの実母のC(以下「C」という。)は、平成5年3月に婚姻して、被告人住居地からほど近い場所にあるマンションに住居を置き、平成6年1月に長男を、平成9年3月に被害者をもうけた。

ウ  被告人の婚姻以来の生活は、家事と夫の寺院での稼働であり、その範囲での交際にとどまるものであったが、平成6年5月、近所の公園に長男を連れて行った際、同年齢の子供をベビーカーに乗せたCの姿が目にとまり声を掛けたことから、Cと知り合い、以後、互いに誘い合わせて、バザーや区の施設である児童館に出掛けたり、お互いの家を訪問したりするなどして交際を深め、平成8年6月に被告人が長女の妊娠を知った際にも、身内以外ではCに最初にそのことを告げ、同年9月には、被害者を懐妊したことが分かったCと共に日本橋の水天宮に安産祈願に行き、その帰途Cの夫の実家にも寄るなどの仲であった。

エ  平成9年4月、互いの長男が共に同じ学校法人D幼稚園に入園することになり、送迎時や園外保育等でもCと一緒になる機会が少なくなかったが、同女が入園後ほどなくして子供同士の仲が良かった別の母親と特に親しく付き合うようになったことなどから、二人だけで誘い合う機会はなくなり、被告人は疎外感を感じるようになった。

オ  同年9月ころには、被告人のCに対するわだかまりの念が増大し、同女の日常のささいな態度、例えば、自分の長男に接する際の言動をとらえては、同女がことさら自分を疎んじているとの思いを一方的に抱くと同時に、その性格についても違和感を強く覚え、ことあるごとに同女の言動が気に障るようになって、嫌悪感を感じるようになった。

しかし、その一方で、元々親しく交際し、同じ地域に居住して子供を同じ幼稚園に通わせる関係にあったCとは、さりげなく付き合いたいとの気持ちも捨てきれず、また、周囲から二人の仲が悪くなったと思われたり、仲違いをするような人間だと見られたくないとの思いも強かったことから、嫌悪感を押し隠して平静を装おうとしたが、かえって緊張感から自然に振る舞えず、こうした心理的な葛藤が続いた結果、嫌悪感は次第に増大していった。

カ  平成10年3月ころになると、被告人は、長男の幼稚園送迎時にCと顔を合わせることさえも嫌になったことから、夫と長男に対し、真の理由を明かさずに転園を提案したが、両名から反対されたため、結局諦めざるを得なかった。

キ  同年4月に長男が幼稚園の年中組に上がった後も、Cに対する嫌悪感は収まらず、感情を押し殺して送り迎えを続けたものの、降園時に出会った際の被告人の長男に対するCの言動等が気掛かりでならず、一人ストレスを募らせ、やがて嫌悪感は憎しみの念に変化していった。

ク  長男が年長組になった平成11年4月、Cが親しくしていた母親が海外に転居したため、その母親との関係で抱いていた疎外感はなくなったものの、新たに長女を連れて行くこととなった児童館の催しに、C親子も参加していたことなどから、接触する機会が減ることはなかったため、Cに対する思いは変わることなく続いていた。そして、同年7月ころからは、夫に対して、同女を「Wさん」と呼んだ上で、その行動を非難する発言を繰り返すようになった。

ケ  同年8月の夏休み中は、Cと顔を合わせる機会も少なかったが、9月以降幼稚園の送迎時に、また毎日のようにCと顔を合わせなければならないかと思うと、我慢ができなくなると同時に憎しみが更に増し、ついに、同女に対する殺意が頭に浮かぶに至った。そこで、夫に対して、「犯罪者になってしまうかもしれない。」と述べ、事態が深刻化していることをほのめかしたところ、夫からは軽く受け流され、それ以上に心中を打ち明けたりすることはなかった。もっとも、日頃の付き合いの中でCを殺害できる現実的な可能性はなく、被告人は、密かに同女に対する憎悪を募らせる日々を送っていた。

コ  そのような中、同年10月初め、被告人は、稲刈りの手伝いのため一時帰省したが、東京に戻った後再びCの顔を見なければならないと思うだけで耐えられず、同女を殺したいとの思いとそれが現実には不可能だとの諦めの気持ちとが交錯するうち、幼い被害者であれば殺害することはできるし、そうすれば母親としての立場でCと顔を合わせることもなくなると考えるに至った。そして、そのころから、夜も眠れなくなり、精神的にも疲労して、夫に対して、「いつも頭の中がWさんのことばかり。頭が割れるように痛い。」などと訴えたりし、同年11月中旬ころには、これまで自ら行っていた幼稚園への長男の送り届けを夫に任せたり、家事をおろそかにしたりするようになった。

サ  被告人は、同月22日、幼稚園に出迎えに行き、幼稚園が終了した後も園庭で遊んでいる長男らに帰宅を促すため、降園門に向かう通路の方に行きかけた際、園庭の南東の角付近に一人でいた被害者に気付くや、とっさに同児を抱えて隣接する原判示の公衆トイレに連れ出した上、殺意をもってその首を同児のマフラーで絞め付けて死亡させた。

シ  被告人は、同児殺害後、所携の茶色手提げバッグ内に折り畳んで入れてあった黒色手提げバッグを取り出し、遺体をその中に押し込めて、同バッグを置いて園庭にいる自分の長男と長女を連れに戻り、被害者がいないのに気付きそれを探すCら園児の母親らの姿を横目に見て、Cからも被害者を見かけなかったかと尋ねられながらも、知らぬ振りをして、急いで二人の子を自転車に乗せるとともに、遺体の入った黒色手提げバッグを自転車に積んで、自宅に戻り遺体入りのバッグを置いた。被告人は、遺体の処置に困惑し、それから、地下鉄、東海道新幹線等を乗り継いで、静岡県内の実家まで赴いた。実家が留守であったため、実家の裏庭の方に回り、物置等も全て施錠されており使用できる用具もなかったため、素手で坪庭風の場所の植木の脇を掘り、遺体から衣類を取って全裸にして、掘った穴に入れ、土をかけ遺体を埋めて隠匿した。その後、被告人は、急きょ上記の鉄道等を使って自宅に戻った。

(3)ア 本件各犯行の態様を見るに、被告人は、何ら責められるべきものもない被害者について、幼く抵抗のできない弱者であるという理由から、殺意の矛先を向け、幼稚園の庭の隅に一人でいた被害者を抱きかかえて付近の公衆トイレに駆け込み、そのような被告人の挙動につき、これまでの交際から違和感もなく異常とも思わず、なされるがままになっていた被害者に対し、その着用していたマフラーで首を絞め付ける挙に及び、被害者の咳き込み苦しむ姿を目にして一瞬ためらったことがうかがわれるものの、その後は一気に絞め続けて死に至らせているのである。被害者とは、その出生以来幼稚園や児童館等で毎日のように顔を合わせてきた上、被告人自身同年齢の女児を抱える母親であったことにも照らせば、本件犯行は余りに酷い所業というほかはない。殺害後の行動も、発覚を防ぐために、遺体を手提げバッグに入れて、被害者の所在が分からなくなってあわてている様子のC及び園庭の者らを横目に、なにくわぬ振りを装うなどして、いったん帰宅した後、新幹線等を乗り継いで、静岡県内の実家まで赴き、庭の冷たい土中に被害者の遺体を埋めて隠匿しているものである。その間、被告人に接した幼稚園関係者、夫、乗客等の中にも被告人の異常等を格別見て取った者はなく、一定の計算を働かせて行動していたことは否定できない。本件各犯行は、その一連の行動を通じ、無垢で幼き命への慈しみの情を見出すことはできず、確定的殺意の下にされた非道、冷酷で、残虐な犯行であり、死体遺棄の犯行状況も非情なものである。

イ  本件各犯行の結果は、被害者において、両親や兄、祖父母らの愛情に囲まれ幸せな日々を過ごし、幼稚園も決まり、翌春からの通園を楽しみにし、幼いなりに、思い描いていたであろう未来への扉を、非常な苦しみのうちに一瞬にして閉ざされることとなったもので、その痛ましさは、いいようもない。そして、被害者は、殺害された後も、死者としての尊厳すら認められず、あたかも荷物ででもあるかのように、小さなバッグに身体を折り畳まれて詰め込まれ、見知らぬ土地まで運搬され、着衣までもすべて剥ぎ取られて冷たい土中に埋められ、3日もの間放置されていたのであり、その後、ようやく全身土まみれの無惨な姿で発見されたものである。被害者の家族についても、突然園内から被害者の姿が消え、その身を案じつつ眠れぬ夜を送った後変わり果てた姿と対面することを余儀なくされたのであり、その衝撃、悲痛には、計り知れないものがあり、当審に至ってもその癒えない心情を述べる両親らの悲痛のほどは余人の推し量れるところでなく、被告人に対する処罰感情は峻厳である。

ウ  以上と同旨の原判決の本件各犯行の態様、結果についての認定、判示に関しては、所論の主張するところも、ほぼ異なるところはないというべきである。

ところで、被告人は、自らも被害者と同年代の子をもつ2児の母親であり、被害者の母親とは同じ幼稚園に子供を通わせるなどして5年以上にわたり平穏な交流を続けてきたものでありながら、本件各犯行に及んだものであり、そのような本件事案の性質にかんがみ、以下項を改めて、その経緯、動機等を考察し、所論の当否を検討する。

(4) 本件各犯行に至る経緯、動機等について

ア  上記(2)のアないしサのとおりの事実及び関係証拠によれば、被告人は、婚姻して上京し他に格別の友人もいない状況下でCと親しくなったものの、長男の入園後、同女から疎外されているとの思いを抱くと同時に、その性格についても、惹かれて知り合った当初の気持ちと異なり、次第に違和感を覚えるようになり、そのような感情の変化、高揚に対し平静を装ったものの、それは嫌悪感、更に憎しみへと変化し、ついには殺意を覚えるまでに至り、さらに、大人のCを殺害することは実際上困難であるが幼い被害者であればそれが可能であり、そうすればCと顔を合わせなくてもすむとの考えから、被害者に殺意を向けるようになったというように、気持ちが変化していったことが認められる。

イ  被告人は、上記のとおり、平成9年9月ころからCに対して嫌悪感を覚えるようになり、さらに、平成11年に入ると憎悪の念を抱き次第にその感情を強めていったが、他方では、幼稚園関係者らの評価を気にして平静を装おうと努め、かえって緊張感を高めていたのであって、このような状況からは、被告人が「過剰適応」を示していたこと、すなわち、人の目を気にして周囲に自分を合わせることで自我を抑圧し、その結果強度のストレスや疲れを感じていたことを認定することができるのであり、そうした被告人の性格が、Cに対する悪感情を一方的に肥大させていったことと関連性を有していることも肯定できる。

ウ  このようにして、Cに対して募る被告人の悪感情が次第に殺意に転化していったのであるが、Cの殺害が実際上困難であるとの認識を前提にして、実行可能な対象として被害者が新たに選別されたものである。もとより、本件当時の被告人とCの毎日の生活状況を見れば、被害者の場合であっても、被告人と一対一になる可能性は乏しく、また、被告人が幼い被害者を殺害することにちゅうちょを覚えていたことも証拠上否定できないところからすると、同年10月ころまでの被告人の心理状況としては、被害者に対する殺害の実行が相当具体的に企図されたとまではいい難い。

エ  このような状況にあって、関係証拠によれば、同年11月に入って、長男、長女の進学、入園問題や近隣の幼稚園での焼き芋会等でCらと接触する機会がそれまでより増大し、そうした中で、被告人の嫌悪感、憎悪感が一層増幅されたことは想像に難くなく、また、本件殺害後、被告人が夫や他の園児の母親らと接した際に、平静さを保持していることなどにも照らせば、被告人が、園庭の隅にいた被害者を認めるや、即座に抱き上げて降園門を出て、そのまま公衆トイレに入って殺害を実行している態様の示すとおり、本件は、事件当日までの間に被害者に対して形成されていた殺意が、とっさに発現して敢行されたと認められる。

オ  これを要するに、当初Cに向いていた殺意は、実行可能性がないとの理由から被害者に転化したところ、上記に認定のとおりの状況の推移並びに被告人の供述によれば、被告人の心理として、被害者が一人になった隙に幼稚園から連れ去って殺害するといった方法も浮かんだものの、実際上そのような機会が訪れる可能性は乏しいので容易ではないとの思いや、何ら落ち度のない被害者を殺害することにはためらいがあったことから、それ以上具体的には検討されないまま、ただ、Cに対する憎悪はこれまでにも増して高まっていた状況下にあって、当日たまたま一人でいる被害者を認めたことから、一気に行動に出たものと認定することができる。

カ  なお、弁護人は、被告人のCに対する殺意の形成について、<1> 長年の摂食障害に端を発した強迫性障害によって、C及び被害者に対する殺意が生じ、<2> 当初これらの殺意は、強迫観念を解消するためのカタルシスとして観念上のものにとどまっていたが、過剰反応からくる日常生活のストレスが高じて、抑うつ状態になり、自己統制が不可能になったことにより、偶然の機会に現実となったものであり、本件には、病的要因が著しく影響、介在している、と主張する。

しかしながら、関係証拠によれば、被告人は、短大を卒業後に就職した病院を退職してから昭和61年に再就職するまでの間、過食の時期があったことがうかがわれるが、再就職した静岡赤十字病院の時期に、過食、拒食による異常が生じた形跡はうかがわれず、同病院を退職し、平成5年に婚姻して以降に、そのような症状が出ていないことは、被告人自らも認めるところである。これに、典型的な摂食障害に見られるとされる症状が被告人について発生したことも証拠上見出せないことにかんがみると、婚姻前の被告人の摂食障害的状況が持続的で深刻なものであったとはいい難い上、婚姻後Cと付き合うようになって以降の被告人の行動状況等を見ても、その時期に被告人が病的な強迫性障害に罹患していたとは認められない。したがって、Cに対する殺意の形成について、原判決の「量刑の理由」一2の(四)に判示のとおり、被告人のCに対する殺意は、比較的長い時間の中で、疎外感、わだかまり、嫌悪、憎しみという段階を経て、最終的に生じたことが認められるのであって、こうした心理上のプロセスは、病的な要因を介在させなくとも相応の理解が可能であり、病的要因の存在を強調する主張は採用できない。そして、被害者に対する殺意の形成についての前記<2>の主張も、原判決の「量刑の理由」一2の(五)の(1)に判示のとおり、同主張の前提となっているCに対する殺意形成についての評価が相当でない上、その殺意が漠然としたものにとどまっていた可能性は否定できないとしても、被害者については、Cの殺害が実際上困難であるとの認識を前提にして、実行可能な対象として新たに選別されたものであって、同様の程度に漠然としたものであったとは到底解されず、被告人の供述及び被害者を取り巻く環境に照らし、具体的な実行に向けて被告人が一歩を踏み出したと評価できるものであり、これは、上記エのとおりのその後の経緯、犯行時の態様からも、理解することができる。また、Cら親子に対する殺意の高まりの結果引き起こされた日常生活の乱れを別とすれば、その高まりと関係のない要因によって被告人が抑うつ状態に陥っていたとも証拠上認め難い。そうすると、弁護人主張のような病的見地から、被告人の上記のとおりの殺意の形成、発現につき、酌むべき事情があるとすることはできない。

(5) 検察官の所論は、<1> 被告人の本件殺害の動機として、被害者を殺害することにより、Cと顔を合わさなくてすみ、ストレスから解放されると考えるとともに、被害者を殺害することでCに死よりもつらい苦痛を与えて、同女に対する恨みを晴らすことができると考えたものであると主張するとともに、<2> 本件殺害について、以前から強い確定的な殺意の下に、犯行の機会や、手段、方法を想定してきた計画的なものであると主張して、その証左として、被告人は、(ア) 被害者が母親の身近にいてCや周辺にいる者らに気付かれることなく被害者を連れ去る機会がめったにないのに、被害者が幼稚園の降園時に母親から離れて一人になることがあるという、その一瞬の機会をとらえてちゅうちょすることなく本件犯行に及んだのであるから、被害者を密かに連れ去る機会があれば、その機を逃さず犯行に及ぼうと意図していたものと解するのが自然である、(イ) 被害者を認めるや、自分の子らが園内で遊んでいるにもかかわらず、直ちに、殺害目的で被害者を抱きかかえて、降園門を出ていることから、その決断の速さや行動の迅速さ、さらに、被害者を殺害した後にその遺体を遺棄するまでにとった行動が平然としていることからすれば、かねてより、強固な殺害意思の下に、殺害の機会をうかがい、かつ、殺害方法に思いを巡らせていたことが、強く推認される、(ウ) 警察官調書(乙10)において、「犯行の四、五日前の11月17日あるいは18日ころには、被害者殺害の機会や方法等について具体的な考えを巡らせ、Cが被害者を連れてその長男を幼稚園まで迎えに行った際、しばしば被害者がCから離れることを知っていたため、その機会を利用して、被害者を人目に付かない場所まで連れて行って殺害しようと考え、殺害場所としてD幼稚園脇の護国寺境内内、殺害方法も絞殺と決めた。」旨供述しており、この趣旨は、後に作成された検察官調書(乙26)の「私は、その前から漠然とではありましたが、Aちゃんを人気のない場所に連れ出して殺そうと思っていたのですが、この時は、私が連れ出せる条件がすべてそろっていました。」などと供述する趣旨とも異なるものではなく、かねてより、本件と同じような機会を事前に想定し、犯行に及ぶ機会として繰り返し思い描いていたことが十分に認められる、(エ) 犯行前日に姓名判断の記事を読んで、自己の長女と被害者との姓名判断の結果を比較し、それを夫に告げて、こだわっていたのであり、被告人の長女と被害者との関係での競争心とも相まって、被告人がいよいよ被害者に対する殺意を募らせる重要な契機となるべき、客観的、外形的な状況がある、(オ) 黒色手提げバッグを茶色手提げバッグに入れて持参しているが、被告人の幼稚園への迎えにこのような黒色手提げバッグを持参する必要はなく、ましてや、自転車を離れて同バッグを携えて幼稚園に向かう必要は全然ないのであって、同バッグは、上記事情をも併せ見ると、被害者を殺害する場所が護国寺境内であるにしても、死体を遺棄するのに適切な場所でなかった場合、その犯跡隠ぺいのため、同バッグに死体を入れて運び、これを遺棄することも考えて用意していたと見るのが自然である、とその理由を指摘する。

しかしながら、<1>については、前記(4)に被告人の被害者に対する殺意の形成の経緯、動機を説示したとおり、被告人は、Cに対する強い憎悪感を抱きながら平静を装って日常接することに強度のストレスを感じて耐え難くなり、同女との接触を断ち切るために、同女の存在を否定することになる殺意を抱いたものである。このような考えが、著しく身勝手で異常な感のするものであることは否めないが、自己のストレスある状態から解放されようと、同女との関係を絶つために同女を殺害する気持ちはあったものの、同女を苦しめようという意図があったことはうかがわれず、被害者の殺害についても、短慮ではあるものの、それによりCとの接触が断たれると考えたためのものであったと認められるのである。被告人は、被害者の死亡により嘆く母親の心境について、「私の気持ちの中には、CさんイコールAちゃん、AちゃんイコールCさんという、二人は同一人物に見える構図ができていて、Aちゃんを殺害することでCさんに対する恨みを晴らすことと、来春以降のCさんとの関係で、付き合うことがなくなり、悩み、ストレス等から解放されるという、二つの目的が一挙に解決できる等の気持ちがあったと思います。現在の悩みや今後の付き合いからの解放とCさんに対する恨みを晴らす気持ちとでは、今、考えてみると、どちらかといえば、恨みを晴らす気持ちのほうが大きかったと思います。」(乙10)などと供述しているところを見ても、被告人は、被害者を殺害することでCに対する恨みを晴らすという気持ちがあったとの供述はしているものの、Cに死よりもつらい苦痛を与える気持ちがあったとは供述しておらず、原審公判においても、「恨みを晴らす」感覚はあったが、相手の大切なものを壊してしまえという感覚はなかった旨供述しているのである。被害者が殺害されれば、当然のことながら、その結果からして母親であるCが非常な悲嘆にくれることは明らかではあるものの、被告人が当初よりそれを意図して、本件犯行を行ったものであるとは、上記のとおりこれを認めることはできない。<2>については、(ア)、(イ)は、幼稚園が終わり、園庭に迎えに来た母親、園児及び母親に同伴した幼児らが未だ帰り切れず遊んでいる中、二人の子供を遊ばせながら、被告人において、かねてよりうかがっていた一瞬の機会を狙ったとすることは不自然である。被告人が、「この日、夫の弁当を寺まで届けることになっていたので、早く帰りたかったのですが、子供が二人とも帰ろうとしないので、私が帰る素振りを見せれば、子供達も私を追いかけてくるだろうと思い、さらに降園門の方へ向かって歩きました。そして、園庭の舗装部分から土の部分へ移る少し手前の辺りでAちゃんが一人で建物の角にしゃがんで園庭の方を眺めているのを見つけました。私の子供二人は、まだ遊び足りないようで園庭の中にいましたし、Aちゃんは他の子供や母親と離れて一人でポツンといましたから、私は、とっさに今ならAちゃんを連れ出せると思いました。」(乙26、原審公判供述)と供述するところは、自然で、臨場感あるもので、信用性に疑いを差し挟むところはなく、関係証拠により認められる当日の降園時の状況にも照らせば、被告人が被害者と一対一になった上で、誰にも見とがめられずに連れ出すことが非常に困難であると予想されたことは疑いの余地がないのであって、かねてより計画遂行のため被害者が一人になる機会をうかがっていたとすべき状況やその形跡を認めることはできない。(ウ)については、同警察官調書(乙10)の後に作成された検察官調書(乙26)における検察官指摘の供述箇所は、一人でいた被害者を見つけ漠然と思っていた殺害の実行を決断したと解せられるもので、前記警察官調書のように幼稚園の迎えのときに被害者が一人になることがあるのでその機会をうかがっていたとする趣旨とは異なる上、同調書をはじめ他のいずれの被告人の供述調書(乙12、23)及び原審供述においても、殺害方法については漠然と幼稚園から被害者を連れ出しどこか人気のない場所で殺してしまおうと思っていた旨供述しているにすぎないのであって、具体的犯行計画に関する上記警察官調書の被告人の供述をそのまま信用することはできない。(オ)については、被告人は、当日、黒色手提げバッグを茶色手提げバッグに入れて持参したことについて、幼稚園への送迎には財布、鍵を茶色手提げバッグに入れて常時持ち歩いていたので、自転車から離れて園内に向かう際、それを離さず持ち歩いたのであり、黒色手提げバッグが茶色手提げバッグの中に折り畳まれて入っていたことについても、平成11年11月10日の幼稚園でのバザーの品物を持ち帰るのに用意して行ったところ、同バザーでは紙袋が出たので、それを使わず、茶色手提げバッグに入れておいてもかさばることもないので、しまい込んだまま持ち歩いていたなどと供述しているが(乙13、原審公判供述)、その供述は、黒色手提げバッグの材質、大きさ(ナイロン様のもの、縦約40センチメートル、横50センチメートル、厚みはほとんどなく、小さく折り畳み可能なもの)や、茶色手提げバッグの形状、構造(甲21、113)等にも照らすと、不自然であるとして疑いを差し挟むようなところはなく、所論指摘のように遺体を入れるために、その目的で当日ないし数日前から常時携帯していたということはできない。その余の(エ)については、本件犯行の前日に姓名判断の本を読んで、それにより自分の子や被害者の姓名につき気にする態度を取っていたことや、被告人の子と被害者との学習、入園等の競争心が高じていたなどの指摘も、原判決が「量刑の理由」一2の(五)の(2)(イ)で判示するとおり、C及び被害者に対する上記のとおりの被告人の意識の中に、そのような関心が含まれていたことは否定できないが、競争心や姓名判断の結果が、本件において被害者に対する殺意を募らせ、これを敢行する重要な契機となったと認めることはできない。所論<2>に指摘の諸事情は採用できず、計画的であったとする主張は理由がない。

(6) そうすると、本件各犯行の経緯、動機について、被告人が、長い期間にわたる内面の葛藤を経て、Cそして被害者に対する殺意を抱くところとなり、その発現として犯行当日の行動がとられたものというべきである。そうした殺意の形成過程を全体として見れば、本件は、とっさにされた発作的、衝動的な犯行とは到底いい難く、被告人は、長期間にわたって、Cの考え、立場を思い遣ることなく、すなわち、人それぞれ親愛の情についての言動、表現は多様であり、一様ではないことなどを理解し、自己の価値観、経験のみに囚われず、視野を広げ柔軟に他者の態度を受容すべき姿勢を取って、Cらと交際すべきところ、このように顧み、配慮することもなく、自分本位な考え方に取りつかれたままに認識、判断、行動したものであって、Cに対する感情が殺意の念が浮かぶまで高まっていったという事態の深刻さについて、真剣に自省すれば、多様な対処手段があり得たにもかかわらず、結局は成り行きに任せ、心中における非合理な攻撃的意思の極度の高まりを放置し続けたことが本件の原因であり、極めて自己中心的で、身勝手、短絡的なものといわざるを得ない。

そして、Cに対して激しい害意を抱かなければならないような、あからさまで理不尽な仕打ち等を同女から受けたことがないことは、被告人自身が認めるところであって、日常的な交際の中で、同女の言動等に対して被告人が一方的に反感や敵意の感情を増殖、肥大させていったというほかはない。これを被害者の両親の側からいえば、知り合った当初のような親しさはその後失われていたものの、被告人の気持ちなど知るよしもない状況下で、同じ年頃の二人の子供を抱える知人としてごく普通の交際を続けていたところ、最愛の娘が突然殺害の標的とされたものであって、このようないきさつから、被害者及びCに、何の落ち度というべきものや、被害者側に本件犯行を誘発したとしていささかでも指摘されるべきところはない。本件各犯行の経緯、動機の面において、被告人のために特段酌量すべきところはない。

(7) 検察官の所論は、また、原判決が、被告人のために酌むべき事情として、被告人は、<1> 犯行の3日後警察署に赴いて自首していること、<2> 捜査、公判を通じて本件各犯行を全面的に認めていること、<3> 被害者やその家族に対し謝罪の情を述べていること、<4> 前科前歴がなく、夫が勤務先を辞職するなど、本件は、被告人の家族にも少なからぬ影響を及ぼしたことがうかがわれること、を指摘している点について、被告人に過度に有利に斟酌していると主張する。すなわち、

所論は、<1> 被告人が自首するに至るまでの経緯及び自首するまでの間の被告人の言動から、被告人には、自己が重大犯罪を敢行したことに対する悔悟の念は全くうかがわれず、それどころか平然とした態度で罪証隠滅を図った上、夫からの再三にわたる自首の説得を受けながら、二人の子供のためなどという名目を借りて、自己の保身ばかり考えて自首の先送りを図っていたのであり、結局は、夫から、いわば背中を押される形で、ようやく自首に至ったと見るべきものであって、被告人が悔悟の念から自発的に捜査機関に自己の犯行を申告したとして、過大に有利に評価することは失当である、<2> 被告人は、遺族に対して何ら実質的謝罪の方策を講じておらず、しかも、被告人の態度から、そもそも謝罪の意思があるのかどうかすら、はなはだ疑わしく、被告人は、本件動機について、自分にもよく説明できない、などといった不自然かつ曖昧な供述をするとともに、捜査段階から、Cのことを一方的に悪し様に言い立て、それを公判で供述するとともに、原審の自己の質問終了後に、同様の陳述書を提出して、被害者の外貌等を誹謗中傷し、また、Cの被害者に対する愛情及び被害感情に疑念を抱かせかねない内容を書き連ねているのであり、被告人は、自己弁護、自己正当化を図るために、かかる供述等を行っているというべきであり、このような態度からは、被害者やその遺族への衷心からの謝罪の意を汲み取ることはできない、<3> その他、原判決が、被告人の家族にも少なからぬ影響を及ぼしたことがうかがわれるなどと判示する酌むべき事情も、通常の社会生活を送る市民には当然のことであり、特段斟酌すべきものではなく、本件の結果の重大性、犯行の残虐性、非道性等と比較すれば、取るに足りない事情に過ぎない、と主張する。

<1>については、自首するまでに、所論が指摘するような直ちに警察に出頭することははばかられる旨の被告人の言動、葛藤等があったことは認められるが、自首が制度として設けられている趣旨の示すとおり、必ずしも真しな反省悔悟に基づくものであることまで必要としないとともに、本件は、被告人において、犯行の翌日には実母に対して犯行を打ち明けたことが認められ、その後逡巡の情を示したことはあったものの、結局夫の説得を受け入れ、未だ捜査機関の疑念が向けられる前の段階において、家族にも影響が生じるであろうことを覚悟しながら、3日後に自ら警察に足を運んだ上、罪を全面的に認める供述をしたのであるから、所論が主張するほど自首の事実を軽く見るべきものとはいい難い。そして、この自首について、原判決において、本件各犯行との関連において、有利な情状として相応に評価すべきものであると判示するとおり、量刑上これを過大に評価したものとうかがうことはできない。<2>については、被告人が、本件について、捜査段階以来、事実を認めて供述していることが認められるのであり、確かに、被告人が、本件犯行の動機等について語るところや、陳述書に記載されている内容を見ると、Cとの交際状況等については細かく述べる一方で、悪感情の高まりを自覚しながらそれを解消するための措置を採ろうとしなかった点について自らに率直に問うことを避けている感が否めず、そのため、自己防衛、自己正当化的な態度が見受けられないわけではない。しかし、犯行の際の具体的な状況については、事実関係を隠すことなく述べていると認められる上、被害者やその家族に対して謝罪の気持ちを述べている点が被告人の心情から出たものであることも肯認できる。そして、当審公判において、そのような言動について思いが至らなかったことを反省していると供述する態度も見られ、被告人の反省悔悟が所論のいうようなものであるとまではいえない。<3>については、所論指摘のとおり、本件における結果の重大性、犯行の残虐性、非道性等と比較すれば、原判決が掲げるその余の酌むべき事情は、特段重視すべきものとはならない。特に、被告人家族への影響について、被告人が、「自分が『犯罪者になってしまったらどうする。』と夫に述懐し、夫から、『Cさんのことか。』と尋ねられ、『もしあなたが何かやったとすれば一家離散だよ。』という会話をした。」(乙24、原審公判供述、同第4回公判証人E証人尋問調書等)などと供述するとおり、被告人による犯罪行為が家族に及ぼす影響について、十分に理解していたことがうかがわれるのである。しかしながら、原判決も、これらについて酌むべき事情として相応の評価をしているのであり、所論主張のように過大視しているとはいい難い。

(8) 以上のとおり、原判決が被告人の量刑について掲げた諸事情、すなわち、本件の結果の重大性、態様の残虐性、非道性、犯行動機の悪質性、遺族の峻厳な処罰感情等の悪しき諸事情とともに、自首を初めとする被告人にとって酌むべき事情の認定、判示について、所論がいうように、「被告人に不利な諸情状を、いずれも表面的皮相的に指摘したにすぎず、真に、これら諸情状の悪質性を考慮したものとは到底いい難い。なぜなら、被告人の有利な情状は、上記悪質性に比較すれば、過度に重視され見誤ったものか、正に取るに足りない事情であり、特に斟酌すべきでない事情を過度に考慮していることから、これが裏付けられる」とするような誤りは特段見出し難い。しかるところ、本件事案の特殊性にかんがみ、なお、全体的な量刑判断の見地から、これら諸事情を総合した原判決の量刑判断が相当であるか否かについて考察する。

本件は、上記のとおりの悪しき情状に加え、都内の文京地区に位置する平穏な幼稚園及びそれに近接する寺院の境内において、上記のとおりの境遇にある被告人により惹起された特殊、異常で凶悪残虐な事件として、地域住民に大きな衝撃を与えるとともに、広くマスコミ等にも報道され、注目された事件である。そして、本件においては、所論も指摘するとおり、何よりも、何の落ち度もない、無垢でいたいけなわずか2歳の女児の生命を一気に無惨、残虐な方法で奪う取り返しのつかない犯行を犯した上、更に遺体を遠方に運んで土中に埋めたという、残虐で酷い態様、結果こそが注目されるべきであり、その愛児を失った実母、実父が当審においても供述する言葉に吐露されている、被害者側のいたたまれない心情、峻烈な被害感情を軽く見ることはできず、この点にこそ注目し、これを重視しなければならない。このような観点から原判決を見ると、原判決は、上記のとおり本件事案の特殊性に思いを致し、特に注目、重視すべき点について、それを汲み取り、斟酌することについて十分でないまま上記量刑に及んだものであり、その刑はいささか軽きに失するといわざるを得ない。検察官の所論はこの限度で理由がある。

なお、弁護人は、答弁書において、本件の特徴を取り上げるなら、殺害の相手が何の非もなかった2歳の子供であったということに尽きると思われ、死体遺棄は、地中に埋めたという態様ではあるが、一般の死体遺棄事件として見た場合には、ごく普通にある態様で、本件において特にそれが悲惨というものではなく、それらは、原判決の懲役14年の量刑に評価され尽くしているというべきであり、本件での情状に関する諸事情を考慮した場合、原判決は同様の殺人事件と比較して、上記の被害者が何の非もない、いたいけな2歳の子供であったことを重大な要素として評価して、やや重い判決であるといわざるを得ないが、決して軽きに失したものとはいい難い、とするが、これは、上記説示のとおり理由がないというべきである。

量刑不当をいう論旨は、理由があり、原判決は破棄を免れない。

3  そこで、刑事訴訟法397条1項、381条により原判決を破棄し、同法400条ただし書を適用して、当裁判所において、更に次のとおり判決する。

原判決の認定した「罪となるべき事実」の原判示第一の所為は刑法199条に、原判示第二の所為は同法190条にそれぞれ該当するところ、原判示第一の罪について所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法45条前段の併合罪であるから、同法47条本文、10条により重い原判示第一の罪の刑に同法47条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役15年に処し、同法21条を適用して原審における未決勾留日数中540日をその刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用は、刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋省吾 裁判官 小原春夫 裁判官 山田耕司)

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