東京高等裁判所 平成15年(ネ)1881号 判決 2003年10月22日
控訴人
東芝コンポーネンツ株式会社
上記代表者代表取締役
安島隆
上記訴訟代理人弁護士
早瀬真
被控訴人
千葉県信用保証協会
上記代表者理事
松戸和雄
上記訴訟代理人弁護士
北村明
同
宮下進
同
菅野亮
同
上田優子
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
主文同旨
第二事案の概要
一 本件は、被控訴人が、A野花子の控訴人に対する退職金(本件退職金)債権の四分の一について仮差押えをした上で、その後これを差し押さえ、取立権に基づき、第三債務者である控訴人に対して、二八四万五二〇〇円の支払を求めた事案である。
控訴人は、上記仮差押命令の送達を受けたのは、本件退職金のA野への振込送金を取引銀行に依頼した後であり、同依頼に基づく金員がA野の預金口座に振り込まれて本件退職金債権が消滅したとして、被控訴人への支払義務を否認して争った。
二 原審は、控訴人は、控訴人への本件仮差押命令送達後振込完了までに本件仮差押命令に従って送金依頼額の一部撤回をすることが可能であったから、控訴人による本件退職金のA野への支払は被控訴人に対抗し得ないとして、被控訴人の請求を認容した。
三 当裁判所は、原審と異なり、控訴人がした本件退職金のA野への支払は、仮差押債権者である被控訴人に対抗することができ、被控訴人の請求を棄却すべきものと判断した。
四 前提事実(争いのない事実、証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実)
(1) A野は、平成一三年一二月三一日限り控訴人を退職し、控訴人から退職金一一三八万〇八〇〇円(本件退職金)を支給されることになっていた。
(2) 被控訴人は、A野が控訴人から支給される、仮差押命令送達日以降支払期の到来する以下の債権にして一七四九万二〇七〇円に満つるまでにつき、仮差押命令を申し立て(千葉地方裁判所平成一三年(ヨ)第五〇八号)、平成一三年一二月二六日、これに基づく債権仮差押決定がされ(本件仮差押命令)、同決定正本が、同月二七日午前一一時ころに第三債務者である控訴人に送達された。
① 給料から所得税、住民税、社会保険料を控除した残額の四分の一(前記残額が月額二八万円を超えるときは、その残額から二一万円を控除した金額)
② 賞与から①と同じ税金等を控除した残額の四分の一(前記残額が二八万円を超えるときは、その残額から二一万円を控除した金額)
③ 上記①②により弁済しないうちに退職したときは、退職金から所得税、住民税を控除した残額の四分の一宛①②と合計して上記金額に満つるまで
(3) 被控訴人は、A野が控訴人から支給される平成一三年一二月三一日に支払期の到来した退職金(本件退職金)から所得税、住民税を控除した残額の四分の一(二二二一万七三七七円に満つるまで)につき、債権差押命令(本件仮差押命令の本差押えへの移行)を申し立て(千葉地方裁判所木更津支部平成一四年(ル)第一四二号)、平成一四年五月七日、これに基づく債権差押命令が発令され(本件差押命令)、同月八日、同命令正本が第三債務者である控訴人に送達された。
(4) 本件退職金のうち、本件仮差押命令及び本件差押命令の対象となったのは、二八四万五二〇〇円である。(なお、A野が他から支払を受けた適格退職年金及び厚生年金一時金から控除された源泉徴収額を、本件仮差押命令及び本件差押命令の範囲の算定に当たって考慮すべきであるとの控訴人の主張は採用し得ない。)
(5) 控訴人は、本件仮差押命令の送達を受ける前である平成一三年一二月二六日、株式会社千葉銀行(茂原支店)に対し、同月二八日にA野の預金口座に本件退職金を振込送金するよう依頼した。千葉銀行は、控訴人が本件仮差押命令の送達を受けた後である同月二八日、A野の預金口座に本件退職金を振込送金した。
五 争点及び争点についての当事者の主張
本件の争点は、本件退職金債権についての控訴人のA野に対する振込みによる弁済をもって、仮差押債権者である被控訴人に対抗することができるかである。
(控訴人の主張)
控訴人は、振込みの方法により本件退職金全額を支払い、本件仮差押命令及び本件差押命令の目的である本件退職金債権は消滅した。
本件仮差押命令は、第三債務者たる控訴人による千葉銀行への振込依頼の完了後に控訴人に送達されたが、控訴人は、A野に対する本件退職金の支払義務の履行として、千葉銀行に振込みを依頼した以上、その後に本件退職金の一部の仮差押命令の送達を受けた場合においても、本件退職金の弁済をもって、同債権の仮差押債権者である被控訴人に対抗することができるというべきである。
第三債務者が債権仮差押命令の送達を受ける前に債務者に対し債務支払のために小切手を振り出していた場合には、同送達後にその小切手が支払われたとしても、第三債務者は債務の消滅を仮差押債権者に対抗することができるとされた事案(最高裁昭和四六年(オ)第五二一号同四九年一〇月二四日第一小法廷判決・民集二八巻七号一五〇四頁)に照らしても、本件のように銀行への振込依頼が適法・有効に終了した後においては、これによる決済が保護されるべきである。振込依頼の場合には、依頼の完了後においては、仕向銀行・被仕向銀行間の決済によって、当該債務が消滅すると期待するのが通常であり、債権決済の期待の程度は、決済前の手形や小切手よりも振込依頼完了後の振込依頼の方が格段に高い。
また、仮差押命令送達時に、第三債務者において既に弁済の準備が進み又は弁済に着手しており、弁済を中止することが困難である場合には、その後弁済がなされれば、第三債務者はこれを債権者に対抗できるものと解すべきであるところ、本件はその場合に該当することが明らかである。すなわち、控訴人がオンラインシステムによる給与等の振込依頼手続について千葉銀行との間に結んでいる契約によれば、伝送後の振込データの取消し・変更はできない。依頼済みのデータの取消し・変更が可能であるとしても、本件仮差押命令は、控訴人における同年の仕事納めの日の午前一一時に守衛所に送達され、振込金額を訂正するためには同日午後三時までに振込依頼の取消し並びに訂正後の金額での振込依頼の伝送及び伝送のファクシミリの案内をしなければならず、これらの処理が可能であると控訴人が確信を持てなければ、千葉銀行(茂原支店)への振込依頼の取消依頼をすることはできず、少なくとも控訴人がこのように考えたことについて非難される理由はない。
(被控訴人の主張)
第三債務者が債務者に対する金銭債務の履行のために私人に金銭を託した後に、債権仮差押命令の送達を受けた場合、第三債務者は、委託を解消して支払を差し止める義務を負うことは疑問の余地がないが、銀行に対する送金依頼は、理論的には、私人に対して金銭の支払を委託するのと何ら変わらない。
銀行に対する送金依頼をもって、債権仮差押命令に対抗できるとすると、第三債務者が、毎月一定額を債務者の口座に送金することを銀行に依頼した後、債務者の第三債務者に対する債権が差し押さえられた場合、第三債務者は全額を送金依頼済みであることを理由に分割の支払を継続しても差押債権者に対抗できることになるが、このような結論が常識に合わないことは明らかである。
控訴人が指摘する最高裁判決(最高裁昭和四六年(オ)第五二一号同四九年一〇月二四日第一小法廷判決・民集二八巻七号一五〇四頁)は、小切手債権が、原因債権と切り離された別個の権利であるから、原因債権について仮差押決定がされても、その効力が小切手債権には及ばないとしているのであり、本件とは事案を異にする。
控訴人は、本件仮差押命令送達後、送金依頼の訂正をするための時間的余裕があったにもかかわらず、本件仮差押命令に対抗できるものと軽信し、千葉銀行に対する連絡すらしなかったのであるから、控訴人の本件の振込依頼に基づく弁済をもって、仮差押債権者である被控訴人に対抗できないことは明らかである。
第三当裁判所の判断
一 事実経過
(1) A野は、平成一三年一二月三一日限りで控訴人を退職し、控訴人から退職金一一三八万〇八〇〇円(本件退職金)を支給されることになっていた。(前提事実)
(2) 控訴人における労働組合と控訴人との間の給与振込に関する協定では、控訴人は、従業員の申出により、賞与及び給与等を銀行振込の方法により支払うことができるとされている。A野は、同協定に基づき、控訴人に対し、自己の退職金を、中央労働金庫木更津支店の同人名義の預金口座へ振込みの方法で支払うことを依頼した。
(3) 控訴人は、平成一三年四月二〇日、千葉銀行(茂原支店)との間で、下記内容の同銀行のパソコンバンクサービス及びオンラインデータ伝送サービス(以下「ちばぎんオンラインシステム」という。)の利用契約を結んだ。
ア このサービスは、控訴人のコンピューター(端末機)を通じた依頼に基づき、千葉銀行における控訴人の普通預金口座から資金を引き落とし、同銀行又は同銀行の提携金融機関における受給者の預金口座へ給与や賞与の振込みを行う場合等に利用する。
イ 控訴人は、あらかじめ伝送内容(受付サービス種類、合計件数、合計金額)をファクシミリにより通知した上、所定の内容を端末機を通じて千葉銀行が指定したセンターコード宛てに送信する。(利用規定三条一項)
ウ 千葉銀行にデータ伝送を行った後は、控訴人は、送信したデータ自体には瑕疵がないときは、データの内容を取消し・変更できない。(利用規定三条三項)
エ 千葉銀行が受信したデータ内容に瑕疵(金額欄が空欄であるとか、フォーマットに合っていないなどの不備があることをいう。)がある場合は、控訴人は、その内容を修正して速やかに再送信する。(利用規定三条四項)
オ 本サービスの利用日・利用時間は、千葉銀行が定めた営業日・時間内とする。(利用規定三条五項)
(4) ちばぎんオンラインシステムを通じて振込依頼を行い、受理された後、振込依頼金額の変更をするには、当初依頼内容及び組戻依頼内容を銀行備付けの「振込組戻・訂正依頼書」に記入して提出し、千葉銀行の個別の承諾を得て振込依頼の取消し(組戻)をした上で、変更後の振込依頼につき、上記(3)イに従い、予め伝送内容をファクシミリにより通知し、所定の内容を端末機を通じて送信することとされている。
(5) 控訴人は、平成一三年一二月二六日、ちばぎんオンラインシステムを通じて、千葉銀行(茂原支店)に対し、同月二八日にA野の預金口座に本件退職金を振込送金することを依頼し、これは、依頼当日、千葉銀行に受理され、ちばぎんオンラインシステムの中に依頼履歴として電磁記録された。
(6) 控訴人は、労働組合との間の協定により、原則として退職の日(A野については、平成一三年一二月三一日)に退職金を支払うこととされ、また、千葉銀行その他の銀行の平成一三年末の最終営業日が一二月二八日(金)であったこともあり、上記のとおりの依頼をした。
(7) 本件仮差押命令正本は、平成一三年の控訴人年内最終営業日(仕事納め日。終業予定時午後〇時一五分)であった、同年一二月二七日午前一一時ころ、控訴人の守衛所において送達された。
(8) 控訴人は、下記の経緯を経て、千葉地方裁判所に対し、A野が平成一三年一二月三一日付退職となっており、給与及び退職金は既に支払済みであり、仮差押えにかかる債権は存しない旨の陳述書を提出した。
ア 控訴人の総務担当主任B山太郎は、本件仮差押命令受領後、A野に対する振込みの中断の可否について、人事勤労担当課長C川松夫に質問し、C川課長から、A野の給与は支払済みであり、本件退職金の振込手続は前日に完了しており、支払を止めるのは無理である旨告げられ、更に、C川課長は、本件退職金の振込依頼の取消しの可否を経理部主計担当主任D原竹夫に確認し、窓口営業終了時刻である午後三時までに千葉銀行(茂原支店)の窓口に赴いて手続をとる必要があると言われた。
イ 総務部長E田梅夫は、C川課長から報告を受け、同月二七日午後〇時二〇分ころ、本件退職金の振込手続は完了し、振込依頼を変更する時間的余裕もないとして、これを前提に裁判所に回答させることとし、総務部の担当者は、千葉地方裁判所に陳述書の書き方等について問合せをした上、標記のとおり、陳述書を提出した。
(9) 千葉銀行は、同月二八日、控訴人の振込依頼に基づき、同銀行の控訴人の預金口座から本件退職金に相当する額を引き落とし、中央労働金庫木更津支店のA野の預金口座に振込送金した。
二 争点について
(1) 前項において認定した事実によれば、要するに、控訴人は、平成一三年一二月三一日を弁済期とするA野に対する本件退職金債務につき、同月二六日、千葉銀行に対し、同月二八日にA野の指定する銀行口座に振替送金するよう依頼し、同月二七日、被控訴人の申し立てた、上記退職金債務についての債権仮差押命令の送達を受けたが、送金依頼を撤回せず、同月二八日、千葉銀行により、控訴人口座からA野の指定する銀行口座への送金手続がされたというのである。
(2) 債権の(仮)差押えの後差し押さえられた債務を弁済しても、第三債務者は、(仮)差押債権者に対して弁済の効力を主張することができないとされ(民法四八一条)、前記認定事実の下では、本件において、控訴人の依頼を受けた千葉銀行がA野の指定する銀行口座への振替送金の手続をし、控訴人のA野に対する本件退職金債務について弁済の効力が生じるのは、控訴人が前記債権仮差押命令の送達を受けた前同年一二月二七日に後れる翌二八日であり、差し押さえられた債務についての弁済の効力を生じる時点と差押命令の送達時期との先後に従う限り、民法の前記法条の適用を免れ難くみえる。
(3) しかしながら、本件における従業員の給与に限らず、一定の時期に大量に金銭債務を弁済する場合、個別的に現金を振り分けることに伴う労力を節約し、かつ生じうる過誤をも防止し、正確で確実な弁済を期することをも目的として、現在、金融機関を通じた振込手続が信頼性の高い決済手段として広く利用されており(公知の事実である。)、この手続を利用する債権者及び債務者とも、振込依頼手続を完了すれば、依頼内容に従った振込みが金融機関によって実行され、有効な弁済がされることが確実であると信頼するに至っていると推認しうることにかんがみると、第三債務者が、金融機関に対し、債務の本旨に従った弁済をするために、差押債務者が指定した口座への振込みを依頼した後に、差押命令(仮差押命令についても同じ。)の送達を受けた場合、弁済期までに長い期間がある時期に振込依頼がされたなどの特段の事情がない限り、第三債務者の依頼に基づいて金融機関がした差押債務者に対する送金手続が差押命令の第三債務者への送達後にされたとしても、第三債務者の上記振込依頼に基づく弁済をもって差押債権者に対抗することができると解するのが相当である。事業者も、個人も、クレジットカードやローン等の信用制度、公共サービス等期間単位で清算することを要するサービスの利用の拡大等のため、金融機関を通じて債権債務関係を決済することが日常的に行われるようになって久しく、これを利用する事業者、個人、ともに大きな利益を受けているのであり(公知の事実である。)、このような事情の下においては、債権者も、債務者が上記仕組みを利用していることを前提として権利の確保を図るべきで、弁済期に伝統的な方法による債務の決済が行われることのみを予定して自らの権利が確保されると期待しうる所以ではないというべきである。
(4) 本件についてこれをみるのに、前記認定事実によれば、控訴人は、平成一三年一二月二六日、A野に対する本件退職金債務の弁済期(平成一三年一二月三一日)に遅滞することなく弁済するため、取引銀行に対し、同銀行の年内最終営業日でもある二日後の同月二八日に本件退職金をA野の指定する口座に送金することを依頼し、同日、これに従って同銀行がA野に対する送金手続をしたというのであり、このような事実経過の下においては、上記特段の事情も認められず、控訴人が同銀行に送金依頼をした翌日で同社の年内最終営業日の終業時刻の約一時間前、同銀行がA野に対する送金手続をした前日の同月二七日、控訴人が本件退職金債権についての本件仮差押命令の送達を受けた事実を考慮しても、控訴人は、本件退職金の弁済をもって、仮差押債権者である被控訴人に対抗することができるというべきである(被控訴人が反論として掲げる例は、本件の判断に関わりを有しない。)。
第四結論
以上のとおりであり、被控訴人の請求は理由がないから、これを認容した原判決は取り消すべきであり、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 江見弘武 裁判官 岡光民雄 市川多美子)