東京高等裁判所 平成15年(ネ)2878号 判決 2005年3月31日
控訴人 X11 ほか9名(仮名)
被控訴人 国
代理人 宮田誠司 石川さおり 藤澤裕介 峯金容子 高橋一雄 山田聡 原克好 松島晋
主文
本件各控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は控訴人らに対し、それぞれ2000万円及び各金員に対する平成10年12月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人は控訴人らに対し、それぞれ原判決別紙謝罪文を交付して謝罪せよ。
4 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
5 第2項につき仮執行の宣言
第2事案の概要
1 事案の概要は、原判決の「事実及び理由」第2の冒頭に記載のとおりである。すなわち、本件は、いわゆる日中戦争当時、旧日本軍の兵士らによって強姦等の被害を受けたと主張する控訴人ら10名(本人又はその遺族)が、被控訴人国に対し、損害賠償等を請求する事案である。
原審は控訴人らの請求をいずれも棄却したため、控訴人らが原審の判断を不服として控訴した。なお、第1審原告Gは、当審に訴訟係属後の平成16年(2004年)○月○日死亡し、控訴人X11が訴訟を承継した。
2 前提となる事実、争点及び争点に関する当事者双方の主張は、次のとおり控訴人らの当審における補充的主張を付加するほか、原判決の「事実及び理由」第3及び第4に記載のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人らの当審における補充的主張)
(1) 民法709条又は715条に基づく国の責任について
本件加害行為は、ごく一握りの不良兵士による軍紀逸脱行為などではないという意味で、兵士らが所属する部隊そのものの行為とみるべきであり、主として第1中隊支配下の現地駐屯軍の部隊活動であったことは明らかである。そして、本件加害行為は、軍紀が弛緩して丸ごと犯罪者集団と化した現地軍部隊が部隊として実行した、戦闘行為とは関係のない不法行為であり、現地軍の単なる不法な実力行使であって、ここには、軍事力の有無による事実上の力関係における優越関係があっても、法律上存在したのは、加害者―被害者という対等な私法上の関係でしかない。すなわち、本件加害行為が軍隊の軍事力(武装)を背景とした行為であり、仮に戦時下の外地における戦闘活動が法律上は権力作用(公権力の行使)に当たるとしても、本件加害行為がおよそ公権力の行使と関係のない行為であることは明らかであり、ここに国家無答責任の法理が登場する余地はない。
また、中国人女性らの拉致・監禁・輪姦という本件加害行為は、軍本隊による治安地区での「慰安所」設置という兵士らへの性的「娯楽」サービスの提供に対応する、準保安地区における現地軍組織(分遣隊)による自前の「慰安所」設置や「慰安婦」の強制調達であって、これを国の事務(軍の事務)としての行政目的としてみた場合は、兵士らの「福利厚生」のための性的「娯楽」サービスの提供という位相に位置するものである。したがって、本件加害行為は、戦争作用や権力的作用の場面に当たるものでなく、軍本隊による「慰安所」設置と同じく、私経済作用の場面に当たることは明らかである。
以上のとおりであって、本件加害行為は組織体としての旧日本軍自体の不法行為又は旧日本軍に属する個々の兵士の不法行為であるから、国は民法709条の不法行為責任又は同法715条の使用者責任に基づき、控訴人らが本件加害行為によって被った損害を賠償する義務がある。
(2) 国家賠償法附則6項の適用について
国家賠償法附則6項は、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と規定しているところ、被控訴人は、附則6項にいう「従前の例」とは、従前に採用されてきた国家無答責の法理を意味する旨主張するが誤りである。すなわち、国家無答責の法理が「従前の例」となるためには、それが実体法上の法理であり、かつ、実定法に根拠を有するものでなければならないが、そのような実体法上の根拠規定は存在しなかった。行政裁判法16条は、「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定していたが、この規定は手続法上の規定にすぎず、また、大審院が権力的作用に基づく国の賠償責任を否定していたとしても、判例法理にすぎないから、いずれも「従前の例」には該当しない。民法の起草委員は、民法の適用を排除する特別法が制定されない限り、民法に基づく国の不法行為責任が成立するという見解を有していたところ、そのような特別法は制定されなかった。行政裁判法16条の規定は、公務員の違法な公権力の行使による損害が生じた場合、国の損害賠償責任が成立することを前提としていたと解されるのであって、その上で、「損害要償ノ訴訟」を制限した手続法上の規定にすぎない。したがって、行政裁判所が廃止された現在、民法の不法行為の規定を適用する上で、裁判所が国家無答責の法理に拘束される理由はない。
第3判断
1 当裁判所も、控訴人らの請求はいずれも理由がないので棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおりである。
(1) 本件加害行為ないし本件被害について
本件加害行為ないし本件被害に関する認定は、原判決の「事実及び理由」第5の1に記載のとおりであるから、これを引用する。
(2) 被控訴人の国際法上の責任について
当裁判所も、被控訴人が国際法上の国家責任法理ないしハーグ陸戦条約に基づき、控訴人らに対して損害賠償責任を負う旨の主張は、採用することができないものと判断する。その理由は、次のとおり訂正し付加するほか、原判決の「事実及び理由」第5の2に記載のとおりであるから、これを引用する。
ア 原判決33頁4行目の「見解の対立がある」から次行の「検討するが、」までを次のとおり改める。
「見解の対立があるが、被控訴人の日華平和条約・日中共同声明等による請求権の放棄の主張は、控訴人らの損害賠償請求権の成否に関する予備的主張である(当審準備書面(4)の第3。したがって、控訴人らの損害賠償請求権がそれ以外の理由によって認められない場合には、上記主張について判断する必要はない。)。そして、」
イ 原判決33頁13行目末尾に次のとおり加える。
「控訴人らがいう国際法の間接的適用の主張についても同様であって、国が個人に対して直接の損害賠償責任を負うべき旨を規定した国際法ないし条約が存在しない以上、その間接的適用によって国が個人に対して損害賠償責任を負うというようなことはない。すなわち、国が個人に対して損害賠償責任を負うかどうかは国内法の定めるところによるというべきである。」
(3) 被控訴人の中華民国法上の責任について
控訴人らは、本件加害行為に基づく不法行為責任の成否は、法例11条1項により、不法行為地法である中華民国法が準拠法となるべき旨主張する。
ところで、国家賠償責任(国の公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて違法に他人に損害を加えた場合における国の賠償責任)については、その法的性質は一般の不法行為責任と同じであるとして、法例11条によって準拠法を決定すべきであるとする説(法例11条適用説・<証拠略>)と、国家賠償の問題は、国際私法によって準拠法を決定すべき私法的法律関係ではなく、法例11条は適用されないとする説(国際私法不適用説・<証拠略>)がある。当裁判所は、後説が説くように、国家賠償責任は、国家の利害ないし政策と深く関係する問題であって、平等な私人間の衡平の観点から、被害者が被った損害を加害者に負担させるという私法の領域の問題とは異なるから、法例11条は適用されないと解するのが相当と判断する。そして、仮に法例11条が適用されるとしても、同条2項は、外国において発生した事実が日本の法律によれば不法行為に当たらないときは、同条1項の規定を適用しない旨を定めているから、国家賠償法を含む日本法も累積的に適用される(国家賠償責任を私法的法律問題として法例を適用する以上、国家賠償法も適用される。)。
したがって、いずれにせよ、本件加害行為について被控訴人が損害賠償責任を負うかどうかは、日本の法律によって決せられる(日本の法律によって損害賠償責任が認められるのでなければ、賠償責任を負わない)ことになる。
(4) 被控訴人の日本法上の責任について
ア いわゆる国家無答責の法理について
憲法17条の規定を受けて、昭和22年10月27日、国家賠償法が制定・施行されたが、同法1条1項は、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」と定め、公務員の不法行為に基づく国及び公共団体(以下、単に「国」という。)の損害賠償責任を規定している。公務員の不法行為の成立を前提とし、これに基づく損害の賠償責任を国が代わって負うことにしたもの(いわゆる代位責任)と解される(通説的見解)。また、公権力の行使に当たる公務員の不法行為であるから、いわゆる権力的作用ないし公法上の行為に関するものであり、非権力的作用ないし私法上の行為については、民法715条の使用者責任等の規定が適用される。すなわち、国家賠償法1条1項と民法の不法行為規定は、その適用領域を異にし、前者は公務員の権力的作用ないし公法上の行為について、後者は公務員の非権力作用ないし私法上の行為について適用される。そして、国家賠償法施行前すなわち明治憲法下において、公権力の行使に当たる公務員の不法行為について国の損害賠償責任を定めた法律(一般的な根拠規定)は存在しなかった。これは、当時の立法例として特に異例なものではなく、「王は悪をなし得ず」という英国の法諺にもみられるように、公務員(国の機関)に違法行為をする権限はなく、公務員の違法行為は国の行為ではない(違法行為の責任は、当該公務員が個人として負うべきである)という考えなどに基づいたものと思われる。したがって、国家賠償法施行前の公権力の行使に当たる公務員の不法行為について、国は損害賠償責任を負わない(いわゆる国家無答責の法理)。国家賠償法附則6項が、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と規定したのは、その趣旨を定めたものと解される(最高裁判所昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3巻225頁参照)。
控訴人らは、国家無答責の法理が国家賠償法附則6項にいう「従前の例」となるためには、それが実体法上の法理であり、かつ、実定法に根拠を有するものでなければならないが、そのような実体法上の根拠規定は存在しなかった旨主張する。しかしながら、上記のとおり、明治憲法下において、公権力の行使に当たる公務員の不法行為について国が損害賠償責任を負うことを定めた法律は存在せず、その賠償責任は否定されていた(大審院の判例も、公務員の違法な公権力の行使について、国に賠償責任はない旨を判示していた)のであって、「従前の例」によるとは、そのことを意味するというべきである。控訴人らは、行政裁判法16条の「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」との規定は手続法上の規定にすぎず、行政裁判所が廃止された現在、裁判所が国家無答責の法理に拘束される理由はない旨主張するが、同法の原案の作成に関与したモッセの意見書(<証拠略>)は、官吏が国権を執行するに際して違法に第三者に加えた損害については、特別の法律上の規定がない限り、国は賠償責任を負わない旨を述べていたから、上記規定は、単に手続法上の制約を定めたものではなく、国家無答責の法理を前提とする規定であったと解される。また、控訴人らは、民法の起草委員は、民法の適用を排除する特別法が制定されない限り、民法に基づく国の不法行為責任が成立する旨の見解を有していたところ、そのような特別法は制定されなかったとも主張し、法典調査会の民法議事速記録(<証拠略>)には、起草委員であった穂積陳重の答弁中、その趣旨の見解を述べた部分がある。すなわち、穂積委員は、民法715条の草案(草案では723条)の審議の際、軍艦が個人の船に衝突して沈没させたという例について、「此條ガ当リハシナイカト云フ御相談ヲシタノデ特別法ヲ作ラナイデ是レデ押通シテ仕舞ウト云フ丈ケノ決心ハ我々三人共ナカツタノデアル併シ若シ特別法ガナカツタラバ是レガ当タルジヤラウト云フ考ヘハ三人共持ツテ居ル」と述べていた。しかし、そこでいう「特別法」が何を意味するかは必ずしも明らかでなく、穂積意見によっても、「特別法ヲ作ラナイデ是レデ押通シテ仕舞ウト云フ丈ケノ決心」はなかったのであり、その答弁に対して質問者(高木豊三)は、「只今ノ御答デ能ク分リマシタ官吏ニ対シテ賠償ヲ求メルト云フコトヲ御書キニナラウカト云フコトデ獨逸ノ様ニシヤウト云フ御趣意デアリマスカ」、(穂積)「サウデス」ということで終わっているから、立法者の意思が、公務員の職務上の不法行為につき民法(現行715条)を適用して国の賠償責任を認めることにあったとまでいうことはできない。その後、同じく起草委員であった梅謙次郎は、国について民法715条を適用することを否定する見解を述べ(<証拠略>。ただし、立法論としては、国の責任を認めるべきであるとする。)、富井政章も同旨の見解を述べていた(<証拠略>。ただし、国の責任を否定する裁判例は「甚不当」としているから、個人的見解としては、国の賠償責任を認めるのが妥当とするものであったと思われる。)。
イ 本件加害行為について
控訴人らの主張によれば、本件加害行為は、ごく一握りの不良兵士による軍紀逸脱行為ではないという意味で、兵士らが所属する部隊そのものの行為とみるべきであり、現地駐屯軍の部隊活動そのものであったというのである。そうだとすれば、本件加害行為は、旧日本軍がその戦争目的を遂行する過程で組織的に行った違法行為であり、強制・命令を本質とする軍隊の活動に随伴して行われた違法行為であるから、公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて違法に他人に損害を加えた場合に当たるというべきである。すなわち、本件加害行為は、国の権力的作用ないし公法上の行為に関するものであるから、その損害賠償責任について適用されるべき法律は国家賠償法である。なお、仮に本件加害行為が一部の兵士の軍紀逸脱行為であり、外形的にみて旧日本軍の行為ということができない場合には、個々の兵士の不法行為責任が問題となるのみであって、国家賠償責任を問うことはできない。
控訴人らは、本件加害行為は戦闘行為ないし公権力の行使とは関係のない不法行為であり、現地軍の単なる不法な実力行使であって、そこには加害者―被害者という対等な私法上の関係しかない旨主張するが、本件加害行為が軍隊の活動(権力的作用)に随伴して行われたものであることは上記のとおりであって、対等な私法上の関係に基づくものということはできず、また、控訴人らが主張するような私経済作用の場面に当たるということもできない。
したがって、本件加害行為については国家賠償法の適用が問題となるところ、その附則6項は、同法施行前の行為については、なお従前の例によると規定し、上記のとおり、本件加害行為が行われた当時、公権力の行使に当たる公務員の不法行為について国の損害賠償責任を定めた法律は存在せず、また、民法の不法行為規定を適用することはできないから、本件加害行為につき被控訴人の損害賠償責任は生じないというほかない。
控訴人らは、国家無答責の法理は専ら「行政作用」について論じられてきたところ、軍事を「軍政」と「軍令」に二分した場合、戦争行為は、「行政作用」に含まれる「軍政」の場面でなく、統帥権の行使に係る「軍令」の場面に位置づけられていたから、戦争行為として行われた本件加害行為について国家無答責の法理が適用される前提がない旨主張する。十分には理解し難い主張であるが、明治憲法下において、統帥権の行使の分野について国家賠償責任が論じられていなかったとしても、この分野については、国家賠償責任が否定されるのは当然とされていたためではないかと考えられる。また、控訴人らは、国家無答責の法理が適用される対象は「統治権に基づく権力的活動」であり、統治権は領土高権及び対人高権であるから、同法理が適用される場面は、国内における公法関係であるか、外国における日本国民に対する公法関係であるかのいずれかということになり、控訴人らのように、外国において被害を受けた中国人民に国家無答責の法理が適用されることはない旨主張するが、同様に、十分には理解し難い主張といわなければならない。損害を加えられた者が日本人であるにせよ外国人であるにせよ、公権力を行使する公務員の不法行為について国の損害賠償責任を定めた法律(一般的な根拠規定)は、戦前には存在しなかった。
以上のとおりであるから、本件加害行為について被控訴人に日本法上の損害賠償責任がある旨の控訴人らの主張を採用することはできない。
(5) 事後的な救済を怠ったことに基づく被控訴人の責任について
当裁判所も、本件加害行為につき、控訴人らが主張する立法の不作為等を理由とする被控訴人の損害賠償責任は認められないものと判断するが、その理由は、原判決の「事実及び理由」第5の5の(3)ないし(5)に記載のとおりであるから、これを引用する。
2 以上によれば、控訴人らの請求は、その余の争点について判断するまでもなく、いずれも理由がないので棄却すべきである。そうすると、同旨の原判決は相当であり、本件各控訴はいずれも理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 大内俊身 小川浩 大野和明)