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東京高等裁判所 平成15年(ネ)3920号 判決 2004年3月11日

控訴人(被告) 日産火災海上保険株式会社訴訟承継人 株式会社損害保険ジャパン

同代表者代表取締役 甲山A夫

同訴訟代理人弁護士 小野寺富男

同訴訟復代理人弁護士 松村龍彦

被控訴人(原告) 有限会社アニー

同代表者取締役 乙川B雄

同訴訟代理人弁護士 古田兼裕

同 宮本岳

同 新田明哲

同 市川謙道

同 城島聡

主文

1  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第1、第2審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

主文第1ないし第3項同旨

第2事案の概要

原判決事実及び理由欄の「第2 事案の概要」のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決12頁2行目の「丙谷」を「パリスの代表者である丙谷(以下「丙谷」という)」と、同頁3行目から4行目にかけての「以下「富士火災」」を「以下「富士火災」という」とそれぞれ改める。)。

第3当裁判所の判断

当裁判所は、被控訴人の本件請求は理由がなく、これを棄却すべきものであると判断する。その理由は、次のとおりである。

1  <証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1)  被控訴人は、平成10年7月6日に設立された資本の総額300万円の婦人靴の販売を業とする有限会社である。

(2)ア  被控訴人代表者の乙川B雄(以下「乙川」ということがある。)は、酒小売業を営む有限会社a屋の代表者乙川C郎の子であり、被控訴人の肩書住所地(本店所在地)には乙川(持分3分の2)と乙川C郎(持分3分の1)が共有していた居宅兼店舗(酒店)が存在するが、この建物の店舗部分は、有限会社a屋の店舗であって、被控訴人の営業には全く利用されていなかった。

イ  有限会社a屋の設立は昭和36年2月28日であるが、乙川家の家業としての酒店の経営は大正3年の創業であり、地元で地歩を築いてきたものであるけれども、大型ディスカウント店の進出により経営不振に陥り、被控訴人が設立される数か月前の平成10年2月18日には上記の居宅兼店舗とその敷地(乙川C郎の所有である。)の所有権が、譲渡担保を原因として酒類の卸元である株式会社bに移転された。被担保債権は約1億円であり、1か月50ないし60万円を支払い、10年間で返済するという約定である。株式会社bは、後記(6)エ(ア)の損害調査担当者の丁沢に対し、債務者である乙川屋や担保設定者の乙川らがこの担保物件を受け戻すことができなかったときは、乙川らに対し退去を求める考えであると述べた。

ウ  上記建物の居宅部分には乙川C郎とその妻D子及び乙川の家族らが同居生活をしていたが、有限会社a屋は、平成14年5月20日銀行取引停止処分を受けて事実上倒産し、同日乙川C郎や乙川の家族らは同所からいわゆる夜逃げ状態で他に転居した。

(3)ア  乙川は、婦人靴の販売業を営むパリスの代表者の丙谷と友人であったため、被控訴人を設立することとなったが、それまで家業である酒店を手伝っていたものであり、婦人靴販売の経験は全くなかった。

イ(ア)  被控訴人には従業員はおらず、戊野が被控訴人の専務取締役の肩書を付した名刺を使用していたが、戊野は被控訴人の取締役ではなかった。戊野は、婦人靴販売業を営む鳴海屋を経営していたが、同社が倒産し、同社や戊野個人の信用では取引ができなくなった。しかし、鳴海屋の顧客であった北関東の中堅スーパーマーケット伊勢甚(ベイシア、以下「ベイシア」という。)が、鳴海屋がマルヤマから仕入れてベイシアに販売していた商品を引き続き購入したいと希望し、戊野に対しこの商品の取引を継続する方法はないか打診してきた。戊野は、何人かの同業者に相談したところ、丙谷から、パリスの名前で取引をすることを勧められ、戊野は、パリスの名前でマルヤマから商品を仕入れ、パリスの名前でベイシアやその他鳴海屋のかつての顧客にこれを販売し、その販売代金はパリスの預金口座に入金された。

(イ) 被控訴人が設立された後、丙谷は、マルヤマとの取引をパリスの名前ではなく、被控訴人の名前で行おうとしたが、マルヤマから被控訴人と取引する約束をした覚えはないと抗議され、パリスの名前に戻して取引が継続された。マルヤマから仕入れた商品は戊野が管理し、戊野は、乙川から被控訴人の得意先にも販売させてほしいと頼まれたが、乙川が、マルヤマが設定した売値よりも高値で売却するような話をしたことから、戊野とマルヤマの信頼関係を損なうような行為に出るおそれがあると判断し、これを断った。

(ウ) 本件倉庫1階には、戊野が管理するマルヤマからの仕入商品のほか、パリスや被控訴人の商品が保管されていた。

(エ) 被控訴人とパリスとの間で、マルヤマから仕入れた商品の販売代金は、パリスの預金口座に入金された後、パリスが手数料を差し引いて被控訴人の預金口座に入金する処理がされた。そして、ベイシア以外の顧客に対する売上の利益が戊野の収入となっていた。

ウ  被控訴人は、平成10年8月ころから営業を始め、パリスの紹介により、イタリー商会、株式会社フィールド、株式会社ヨシミ商事、株式会社ラドーレディース、株式会社ネモキン、株式会社クレッセント、マロンシューズ工業所等とも取引をするようになったが、本件火災後株式会社損害保険サービスの調査員が仕入先訪問をしたところ、次の(ア)ないし(キ)のとおり、被控訴人の評判は概ね不評であった。(ア)被控訴人に対する売掛金の支払は毎月20日締め翌々月支払の約束であるが、支払状況は決して良いとはいえず、これ以上特に話すことはない(株式会社フィールド)。(イ)現金払の条件で取引を始めたが、平成10年9月の仕入分を12月に入って支払うなど入金が初めから遅れがちであったため、平成11年に入ってしばらく入金があるまで商品は売らないと通告した(株式会社ヨシミ商事)。(ウ)被控訴人との取引は平成10年9月に始まって平成11年4月に終わっており、恐らくこれからも取引はないと思う。実質的に平成10年10月が取引のピークであったが、回収に平成11年4月までかかった。(株式会社ラドーレディース)(エ)被控訴人との取引は平成10年8月以降細々と続いて来たが、平成11年7月以降仕入がなくなっている。支払がきれいであるとはいえないが、極端に悪いわけでもない。ただ、平成11年5月31日に入金があってから、7月28日まで58万円ほど支払がない状態であり、同日の入金も手形による支払であった。(株式会社ネモキン)(オ)平成11年5月と6月に2か月続けて仕入れてくれたが、その後取引はなくなった。平成11年6月末で280万円の売掛金があったが、入金がなく推移し、交渉の結果9月に入って受け取った手形が決済され、全額回収できた。(株式会社クレッセント)(カ)被控訴人は、パリスに連れられてやってきて、少しずつ商品を仕入れるようになった。いつもパリスが注文する商品と同じ物を発注していくことが多い。平成10年10月ころから時々仕入れていく程度である。(イタリー商会)(キ)被控訴人とは平成11年6月に取引しただけであって、こちらから取引を断った。被控訴人は当社の古くからの取引先が納めていたデパートに同じ物を納入したため、その取引先から苦情が来て迷惑した上、支払代金をなかなか支払わず、さんざん請求して平成11年10月に漸く入金されたところで、もう取引はしないことにした。被控訴人は6月に仕入れた商品の代金を4か月後の10月に支払ってくる有様であって、もう被控訴人のことは話したくもない。(マロンシューズ工業所)

エ(ア)  パリスが被控訴人に商品を卸した上、被控訴人が顧客に販売する形態の取引については、乙川が上記の丁沢に提出した平成11年8月3日付経緯書によると、a パリスは、百貨店の催事専門の婦人靴卸売りを専門に営業し、伊勢丹、西武百貨店以外の百貨店と取引があるところ、新たに西友との取引を始めることになり、西友との取引を別会社を設立して行いたいというパリスの考えから被控訴人が設立されたものであって、被控訴人の取引先は基本的には西友であり、そのほかに三越、そごう、東武百貨店とも取引がある、b ただし、被控訴人としての取引口座はないため、全てパリスの口座を使用させてもらい、催事専門の商品を納入している、c 催事専門の場合は売れた分だけ仕入れてもらうという方式であり、各取引先からの代金の支払はパリス宛になっている、d 被控訴人が売り上げた商品の代金は取引先からパリスに入金され、その中からパリスのマージンが差し引かれて振込又は小切手で被控訴人に入金される、というものである。

そして、被控訴人とパリスとの間で取り交わされた平成10年8月1日付企画催事出店覚書(以下「催事出店覚書」という。)によると、被控訴人とパリスとの同覚書に係る商品売買取引の売買契約成立の時期は、被控訴人が顧客に出店商品を販売し、主催者から売上金額から主催者所定の歩率を控除した代金(売上仕入高)がパリスに入金されたときとする旨の条項があるから、上記の乙川作成の経緯書の記載内容と合致するものであり、被控訴人が百貨店の催事に出店して顧客に販売した商品については、被控訴人が既に顧客に販売した分だけをパリスから仕入れるものであり、被控訴人は、この取引のための商品について、顧客に販売する前に仕入れる必要はなく、また、売れ残りの在庫が発生することはないことになる。

なお、日産火災(以下控訴人に吸収合併される前の日産火災を含めて「控訴人」という。)から依頼された調査・鑑定担当者己原は、被控訴人は専らパリスの口座を借りて営業しており、商品の保管場所も同じであるから、上記のように売れた分だけ売買する方式は明快であって、デメリットもない筈であり、後述するとおりパリスが被控訴人に対し多額の売掛があるように会計処理することは実態に反するものであるとの見解を示している。

(イ) パリスの代表者である丙谷が丁沢に提出した平成11年12月16日付経緯書によると、a 被控訴人は設立されたばかりの会社であって、百貨店等と取引できる訳もなく、当初パリスが各百貨店等に持っている取引口座を被控訴人が使用して営業を開始した、b パリスが商品の一部を被控訴人に卸し、被控訴人が販売管理を行っている、c 取引先から売上金の支払はパリスに対してされ、その中からパリスが5パーセントのマージンを取り、残余を被控訴人の口座に振り込んでいる、d 被控訴人の売上はパリスからの振込が全てとなっているなどというものである。また、原審証人丙谷の証言によると、a パリスが被控訴人に商品を卸し、被控訴人がパリスの名前で百貨店に販売して、取引先からの販売代金はパリスの口座に入金されるが、被控訴人がパリスから商品を仕入れた時点で、パリスがこの商品について売掛金を計上し、取引先からパリスの口座にその販売代金が入金されたときは、その上代(販売代金)から5パーセントを控除した残金全部を被控訴人の口座に振込入金し、パリスの被控訴人に対する売掛金との相殺勘定をすることはない、b パリスが被控訴人に対する商品の売掛を計上してから、その支払がされるまでの期間は大体2か月である、c 被控訴人がパリスから仕入れた商品の代金は、被控訴人が平成11年3月末国から融資を受けた借入金(被控訴人が同年4月に埼玉県信用保証協会の信用保証の下で王子信用金庫から融資を受けた後記(4)アの借入金をいうものと解される。)で一度全額返済を受けた、d 本件火災発生前の分についてもほぼ決済されていたなどというのである(もっとも、原審証人丙谷の証言には、パリスと被控訴人との取引は帳簿に載せておらず、手数料を雑収入で計上しているだけである旨の供述部分もあり、その供述内容は必ずしも一貫している訳ではない。)。

オ(ア)  しかし、パリスから被控訴人に対する入金は、戊野が管理していたマルヤマから仕入れてベイシア等に売却する取引については、順調に処理されていたが、ほかの取引についてパリスから被控訴人に対する振込入金は少なかった。すなわち、被控訴人が丁沢に対して提出した後記(6)エ(カ)の被控訴人のパリス宛の請求書のうち三越、松坂屋、そごうに対する売上分については、パリスから被控訴人に対する振込入金は全くなく、西友、さいか屋、岐阜近鉄に対する売上分についても歯が抜け落ちたような入金状況であった。

(イ) また、被控訴人が催事出店のための商品をパリスから仕入れた場合には、靴のサイズや色等を記載したパリス発行にかかる納品書が被控訴人に存在していなければならないが、そのような書類も存在しない。

(ウ) そのほか、パリスも被控訴人も、両者間の取引について売掛台帳や仕入台帳は作成していないと主張しており、当該取引の明細を記載した補助帳簿等は存在しない。

カ(ア)  パリスは、昭和55年4月に設立された婦人靴販売業を営む株式会社であるが、その前身である個人事業は昭和35年4月の創業である。

(イ) パリスは、百貨店を主体とする婦人靴卸業を営み、最近では年商3億5000万円ないし3億8000万円であるが、平成9年3月期、平成10年3月期の決算は、いずれも若干ではあるがいわゆる赤字決算となった。

(ウ) パリスは、平成9年8月7日に国民金融公庫から2600万円の、平成10年1月12日に王子信用金庫から3000万円の各長期借入金の融資を受け、同年5月17日本件倉庫を建築した。

(エ) 本件倉庫には、パリスの商品が保管されていたが、1階の一部には戊野がパリスの名前でマルヤマが購入した商品や被控訴人が上記ウの取引先等から購入した商品も保管されていた。

(オ) 被控訴人代表者(乙川)は、本件倉庫1階をパリスから賃借している旨供述し(なお、被控訴人代表者尋問は原審において実施されたものであるが、以下の記述において、特にこれを断らないこともある。)、後記の被控訴人の決算書には、被控訴人がパリスに対し月額25万円の賃料を支払っている旨の記載があるが、被控訴人代表者は、この賃貸借について契約書は作成していないと供述した。そして、被控訴人代表者は、本件控訴人訴訟代理人から、本件倉庫に保管されることになる被控訴人所有の在庫商品についてパリスが加入している損害保険の対象になるかどうか確認したという慎重な態度をとっている被控訴人代表者が、何故賃貸借契約の契約書を作成しなかったのかと質問されて、「賃貸契約は、別にそこまではしなかったですね。」と返答し、さらに、例えば今回のようなトラブルがあったときに、契約書を取り交わしていないと問題になるという心配はしなかったかと質問されて、「いや、別にそれはなかったですね、話合いの中で。」と返答して、重ねて同趣旨の返答を繰り返した。ところが、本件被控訴人訴訟代理人が、パリスが保管しているという本件倉庫の賃貸借契約書の写しを示して、この点を質問したところ、被控訴人代表者は、契約書を作成したどうか記憶はないと曖昧な返答をした(なお、被控訴人代表者は、被控訴人が所持していた契約書は、多分火災でなくなったのではないかとの供述もするが、本件火災により通常契約書等の保管される事務所等が焼毀されたと認めるべき証拠はない。)。

(カ) 上記(オ)の賃貸借契約書の写しには、被控訴人がパリスから賃料月額25万円で本件倉庫1階100平方メートルを賃借している旨の記載があるが、上記イ(ウ)のとおり、本件倉庫1階は、パリスもこれを使用していたものであって、被控訴人が排他的にこれを使用していたものではなく、また、被控訴人代表者は、パリスも本件倉庫1階の一部を使用していることを理由に賃料の減額を請求しなかったのかと質問されて、被控訴人がパリスから本件倉庫2階の事務所の一部の使用を許されていたから、賃料の減額の請求をしなかったと供述した。

キ(ア)  乙川は、被控訴人の財務会計書類として、現金日計帳の作成、振替伝票の記入及び借入金科目の補助簿の作成をしていただけであって、経営上重要な補助簿である売上帳、仕入帳を作成していなかった。そして、現金日計帳や振替伝票も、日付と相手方先名と金額だけが記載されており、この記載にかかる取引がどのような内容のものであるかについては相手方先名で推定するしかなく、非常に大雑把で、稚拙な記入となっており(このような記載内容では、補助簿等を作成することも覚束ない。)、そのため、被控訴人の財務会計書類によっては、最も重要な仕入、売上げの個別的な検討をすることは困難である。なお、乙川が損害鑑定の担当者に追加資料として提出した決算書、総勘定元帳の内容も、伝票の情報を入力するだけのものであって、どうにか決算書が作成できる程度のものである。

(イ) 税理士庚崎E介作成にかかる被控訴人の第1期(平成10年7月6日から平成11年2月28日まで)の確定申告書(ただし、税務署の受理印は押捺されていない。)添付の決算書によると、同期の被控訴人の売上は6545万2006円、仕入が5862万6971円、期末棚卸高が1225万4260円であり、売掛金残高が1029万3709円(うちパリス分が85万円)、買掛金残高が2238万5138円(うちパリス分が1160万9765円)となっている。そして、代表者である乙川の給与として101万円ほど計上した上で、同期の利益は僅か1万7615円であり、ようやく黒字を計上している状況である。なお、上記の期末棚卸高について、被控訴人代表者は、現物棚卸をしたわけではないことを自認し、仕入先の伝票と売上伝票との付け合わせによるものであると供述している。

(ウ) 乙川は、家業の酒店に従事していた平成8年及び平成9年にはそれぞれ216万円、281万5800円の所得があった旨の申告をしたが、被控訴人が設立された年である平成10年の所得は申告しなかった。

また、乙川は、平成11年に入って料金不払のためNTTドコモから携帯電話を使用を停止されたことがあり、同年7月には全く携帯電話を使用していなかった。

ク(ア)  ところで、被控訴人は、設立から約1か月後の平成10年8月21日に、控訴人との間で、保険の目的を自動車(メルセデスベンツ、大宮300<省略>、以下「被保険車両」という。)とし、保険期間を同日から5年間、保険料を1か月2万4650円、保険金額を500万円とすること等の約定からなる自動車保険契約を締結した。

(イ) 被保険自動車は、被控訴人設立の直後であり、かつ、被控訴人が上記(ア)の自動車保険契約を締結する約1か月前の平成10年7月15日にパリスを所有名義とする所有権移転登録がされたものであり、同保険契約締結当時もパリスの所有名義のままであった。なお、その後被保険自動車について同年6月3日にパリスから被控訴人への所有権移転登録が、次いで、同年9月11日被控訴人から辛田への所有権移転登録がそれぞれされた。

(ウ) 被控訴人代表者は、原審の被控訴人代表者尋問の際、被保険自動車の購入について、被保険自動車は丙谷の所有であり、同年9月か10月ころ(上記(ア)の自動車保険契約締結の日の後になる。もっとも、被控訴人代表者は、その後の質疑応答で、8月か9月ころに譲渡を受けた記憶もあるなどと述べている部分もある。)丙谷から購入したが、買主が乙川個人であるか被控訴人であるかはっきりしない旨、代金500万円の約束であったが、月々の分割払であり、大体1か月10万円ぐらいずつの支払であるが、支払方法は決まっていたわけではない旨曖昧な供述をしているほか、被保険自動車は世界に500台しかない稀少価値のある自動車である旨供述している。

(エ) 被控訴人は、上記保険契約締結の日の翌日である同月22日の早朝(午前4時10分)に、出会頭衝突の交通事故により被保険自動車のリヤスポイラー等が損傷したとして115万円の保険金を受領した。

(オ) 被控訴人はその後上記自動車保険の5回目の保険料を支払期日である平成10年12月31日までに支払わず、平成11年1月31日まで支払期限の猶予を受けた。そうしたところ、被控訴人は、世界に500台しかない稀少価値のある自動車であるという被保険自動車を同月4日午後8時30分から同月5日までの間路上に駐車中に悪戯された上車内が盗難の被害に遭ったとして、同年2月24日に控訴人に保険金の支払を請求し、いわゆる全損の損害の補填として保険金500万円を受領した。

(カ) 被控訴人やパリスは被保険自動車について廃車手続をせず、同年6月3日にはパリスから被控訴人への所有権移転登録手続をし、次いで、同年9月11日被控訴人が辛田に対し被保険自動車を譲渡してその旨の所有権移転登録手続をし、この間に被保険自動車の修理がされた。被控訴人代表者は、原審の被控訴人代表者尋問において、自分が直接被保険自動車を修理したわけではないとか、その時点で既に自分の所有ではなくなっていると供述する一方で、自分が修理代を支払って被保険自動車を補修したとも供述し、また、被控訴人は被保険自動車を他に譲渡していないなどと供述して、被控訴人から辛田に対する被保険自動車の譲渡を否定する趣旨の供述もするほか、同年6月3日になってからパリスから被控訴人に被保険自動車の所有名義を変更した理由については分からないとか、覚えていない旨曖昧な供述をしている。そして、被控訴人代表者は、上記の保険金500万円は丙谷に渡したと供述している。

(キ) 被控訴人の第1期、第2期の決算報告書には、被控訴人が被保険自動車を取得したことや上記の各保険金を受領したことは、記載されていない。また、被控訴人は、平成10年8月にパリスの紹介で王子信用金庫(朝日町支店)に当座預金口座を開設し、取引によって生じる収支の決済口座として利用してきたが、上記(エ)、(オ)の各保険金の支払については、この当座預金口座ではなく、同支店の被控訴人名義の普通預金口座が振込先として指定されていた(なお、丁沢が平成11年8月20日と同年10月28日に同信用金庫営業係長と面談した際には、同係長は、被控訴人は普通預金口座は開設しておらず、また、乙川個人の口座もないと説明していた。)。

(4)ア  被控訴人は、平成11年4月23日、控訴人との間で、本件倉庫内の被控訴人所有の商品・製品等を保険の目的とし、保険金額5000万円とする本件保険契約を締結したが、朝日生命保険に勤務していた乙川の妻の上司が控訴人の特約店になっており、その紹介を受けたものである(なお、この特約店は、前示の自動車保険契約締結に関与した特約店でもあった。)。ところで、当時被控訴人は、保険金額を大きく下回る価額の商品しか所有していなかった。この点について、被控訴人代表者は、「これは、一応7月というか、そういう売れる時期を迎えて、期末在庫も1200万、それに対して、これから仕事がどんどんどんどん入っていくという形において、最長で大体5000万円ぐらいのものは在庫としてなるんではないかという見込みで、ネット5000万円まででということで。」と供述し、大きく在庫を増やすための資金については、「こちらは、一応4月の段階で銀行のほうで2500万の融資を受けてますし、あと、実家のほうで約600万ほどの融資を受けてます。それとあとは、買掛という形がありますので。」と供述している。

しかし、被控訴人が平成11年4月16日に埼玉県信用保証協会の信用保証の下王子信用金庫から借り受けた2450万円のうち1944万8930円はパリスに支払われ、残余も他の支払に充てられ、将来の仕入のための資金は残らなかった(上記の被控訴人からパリスに対する支払は被控訴人代表者が自認するところである。そして、そのうち約754万円は実質上パリスが被控訴人のために立て替えたマルヤマに対する仕入代金の返済に充てられたと考えられ、また、後記2(1)エ(エ)の平成11年4月22日支払の332万9616円及び306万2690円もこの借入金の一部を充てたものと考えられるが、残余の支払の根拠となった取引は必ずしも明確ではない。なお、後記2(1)エ(イ)のとおり、パリスの被控訴人に対する売掛金集計表には、平成11年4月を含め同月から平成12年3月までの間被控訴人からパリスに対する売掛金の弁済は一切なかった旨が記載されている。いずれにせよ、被控訴人がパリスに対し、将来の仕入代金を先払いする関係にないことは、被控訴人代表者や丙谷の供述によっても明らかであるから、これが将来の仕入のための資金に充てられたものではない。また、被控訴人代表者は、上記の借受金からパリスに支払った約2000万円を控除した残金は、実家から融資を受けていた600万円の返済金の一部に充てたと供述するところ、上記(2)イ、ウの事実に照らしても、被控訴人代表者の乙川の実家が被控訴人のため600万円もの援助するだけの余力があったとは認め難い上、被控訴人の第1期の決算書には負債として買掛金が計上されているだけであって、そのような借入金の記載はないのであるから、上記の供述部分は信用することができないが、いずれにせよ、上記の借入金からパリスに支払った残金を将来の仕入のための資金として利用することはできなかったものである。)。

かえって、被控訴人が作成した第1期の決算書によっても2万円に満たない程度の利益しかなかった被控訴人が、上記の王子信用金庫からの借入の返済のため、同年5月から毎月41万7000円の支払義務を負担することになり、また、上記の借入の直後に控訴人と締結した本件保険契約により控訴人に対しても保険料の支払義務を負うに至ったものである。そして、被控訴人は、同年5月7日には当座預金の残高がマイナスになり、その後しばしば当座預金の残高がマイナスになるなど資金繰りに窮し、上記(3)ウのとおり仕入先に対する返済も滞っていたものである。

イ  被控訴人が設立されてから9か月経過した平成11年4月23日になって本件保険契約を締結した理由について、被控訴人代表者(乙川)は、原審における被控訴人代表者尋問において、本件倉庫の所有者であるパリスから火災保険に入っていると聞いたので、被控訴人所有の在庫商品についても大丈夫であろうとの認識でいたところ、あとで自分の分は自分で保険を掛けなければならないと聞いたので、あわてて本件保険契約を締結したと供述する一方で、在庫商品の保険のことについては、大分前、すなわち、被控訴人が本件倉庫に入ったころに丙谷から聞いたと述べ、その後上記カ(オ)のとおり乙川がそのような慎重な態度を採ったことを前提とした質疑応答もかわされているのであって、この点についても被控訴人代表者の乙川は矛盾した供述をしている。

(5)  平成11年7月11日午前4時35分ころ無人で出入口が完全に施錠された本件倉庫1階において本件火災が発生した。火災専用電話により川口消防署に通報があった。同消防署の調査員(消防司令補)壬岡作成の同月16日付の火災調査書には、出火原因について、乙川が前日午後11時から当日午前1時まで喫煙しながら靴製品の値札付け作業を行い、終わったころ友達が来たので、喫煙しながら雑談し、その後食事をするために施錠して外出したところ、その間に出火して本件火災が発生していることから、煙草の火種が灰皿から落下し無煙燃焼を継続し、時間の経過とともに出火したものと推定されると記載されている。また、同調査書には、焼き物を除去しながら発掘したところ、関係者の説明のとおり灰皿(ブリキ製、直径14cm、高さ6cm)が発掘され、同発掘箇所に強い炭化が見分されたと記載され、同調書添付の「出火箇所の焼き状況」の写真には出火箇所及びその周辺には多くの靴が乱雑に積み重なっている状況が写されている。同調査書は、出火原因については、放火、電気関係を徹底的に考察したが、出火に基づく原因究明に至らなかったとし、放火であると考え難い理由としては、外部の者が侵入して放火する可能性はないところ、本件倉庫の所有者が火元関係者の親会社であり、二社で同様の靴卸業を経営していることから内部関係者による放火は極めて考え難いとし、主として放火の動機の点を問題にし、結論を出したものである。

被控訴人代表者(乙川)は、原審の被控訴人代表者尋問において、段ボールの上に灰皿を置き、煙草を吸いながら上記の作業を行っていたと供述した上、本件倉庫から外出したときの状況について、外出するときに乙川と当時本件倉庫に一緒にいたという乙川の友人の癸井とも、煙草の灰が全て消えていることを確認した上で外出したのかと質問されて、確認したかどうかについては答えないで、「消えてるという認識の下で出ました。」と述べ、煙草の灰皿の周りに燃えるようなものがなかったかと質問されて、「燃えるようなものというと、段ボールとか紙とかですね。」と返答し、そういうものが散乱している中に、灰皿を置いて外出したのかと質問されて、「結果的にそういうことかと思いますが、ちょっとそこら辺は。」などと供述している。

(6)ア(ア) ところで、パリスは富士火災との間で本件倉庫内に保管しているパリスの商品を保険の目的とする損害保険契約を締結していたが、同保険会社から依頼された株式会社中央損保鑑定事務所の丑木が、同月12日に調査のため本件倉庫を訪れ、パリスの代表取締役である丙谷やパリスの従業員から事情を聴取したところ、丙谷やパリスの従業員は、丑木に対し、本件火災の原因は被控訴人の従業員の煙草の火の不始末ではないかと述べたほか、本件倉庫にはパリスの商品と被控訴人の商品があり、パリスの商品は本件倉庫の2階及び1階の1部正面からみて右側部分(本件倉庫の左右を表示する場合は以下同じ。)に保管され、本件倉庫1階左側に被控訴人の商品が保管されている旨説明し、また、商品の箱と中身は全く異なること、小売店から返品された売れ残りは違う箱で返品されることもあることなどを説明した。

(イ) 上記の調査当時、本件倉庫の状況は罹災品である靴の足数を正確に数えることができる状態ではなかったので、丑木は、建物の収容面積と保管状況の点から本件倉庫2階に保管されているパリスの商品は約3000足、本件倉庫1階右側部分に保管されている商品はそれより少なく、本件倉庫に保管されているパリスの商品は全部で5700足であると判断した。

また、富士火災から依頼された株式会社首都圏リサーチは、パリスから提出された決算書の3月末時点での商品棚卸高や平成11年4月から7月までの請求書等の財務会計関係の書類の記載内容から見た判断として、罹災在庫商品5772足とし、その罹災総額5472万673円とするパリスの申告の内容は整合性があると富士火災に回答した。

そして、富士火災は、本件火災により商品が罹災したことによるパリスの損害は約4800万円であると認定した。なお、パリスが富士火災との間で締結した商品を目的とする保険契約の保険金額も5000万円であった。

イ(ア) 被控訴人代表者は、同月13日に現場調査に訪れた有限会社古澤損保鑑定事務所の寅葉に対し、同年2月末の在庫商品は5000足程度で、価額は1500万円程度である旨、本件火災発生時の在庫商品は7000ないし8000足であった旨説明したほか、本件倉庫1階の右側にスーパーマーケット用の商品を、左側には百貨店用の商品を保管していると説明し、本件倉庫1階にパリスの商品があるとは説明しなかった(被控訴人代表者も、この点の説明をした記憶はないと供述しているところである。)。

(イ) 乙川は、その後本件倉庫1階にパリスの商品も保管されていることを知った控訴人から、この点の回答を求められ、平成12年3月1日付念書により、控訴人に対し、被控訴人の罹災商品の保管スペースなどを回答したが、その際には本件倉庫の左側の一番端の棚の一番上段部分のみにパリスの商品が保管されていたと回答したほか、6か月以上も前のことなので、パリスもよく覚えていないようである旨付記した(なお、被控訴人とパリスとの合意によって本件倉庫1階のうち各自の商品を保管する場所が明確に区分され、そのとおり実行されていたとすれば、乙川が上記の回答をした当時においても、各自の商品の保管場所の区分は明確だった筈であって、本件火災の発生が上記の回答より6か月前であるからといって、パリスが本件火災当時の商品保管場所の区分をよく覚えていないなどということはありえない。)。

また、乙川は、本件訴訟においては、パリスの商品と被控訴人の商品の保管場所の区分について、上記の念書の記載とも異なる内容の陳述書(甲第12、第13号証)を提出している。

ウ 乙川は、本件火災発生直後から、控訴人に対し、本件倉庫が使用できないと営業に重大な支障が出るので、現場に残った商品を早急に搬出したい旨の申出をし、商品搬出の同意を繰り返し求めた。控訴人は、この時点では本件倉庫内に被控訴人所有商品以外の商品が保管されていることや、有限会社であれば当然備えておくべき仕入台帳や売掛台帳等の補助帳簿を被控訴人が作成していないといった事実を知らなかったので、これに同意した。

エ(ア) 控訴人から本件火災による被控訴人の損害の鑑定を依頼された株式会社損害保険サービスの担当者丁沢(以下「丁沢」という。)は、平成11年7月17日に本件火災現場である本件倉庫に赴いたところ、商品や什器備品等は全て搬出され、焼残物は存在しなかった。丁沢は、罹災商品が搬出され、確認ができないため、乙川に対し、在庫商品の裏付けとなる帳簿等関係資料の提出を求めたところ、乙川は、丁沢に対し、被控訴人の売上及び仕入はほとんどがパリス経由であり、帳簿は作成しておらず、伝票類で処理していると返答した。そこで、丁沢は、乙川に対し、損害明細書とその裏付けとなる資料を提出するよう求め、乙川は後日提出すると返答した。

(イ) 乙川は、多忙を理由に損害明細書やその裏付け資料をなかなか提出せず、本件火災発生から2か月後の同年9月8日になって、損害明細書である本件一覧表(甲第7号証)とパリスからの請求書(平成10年9月売上分から平成11年5月売上分まで)及びパリスほか8社からの納品伝票だけを提出したが、乙川は、決算時の棚卸台帳、売上台帳、仕入台帳は作成していないとして提出しなかった。

(ウ) 丁沢は、同年9月20日、同年10月18日及び同年12月26日にパリスの代表者である丙谷と面談して調査した。丙谷は、丁沢に対し、被控訴人は実績のない会社であり、仕入ルートも販売先もなく、百貨店と取引できるわけではないので、パリスの口座を使って被控訴人が商品を販売している旨、被控訴人はパリスや自分が選んだ仕入先から商品を仕入れ、パリスの名前で得意先に納品し、売上金は各得意先からパリスの口座に入金され、そのうち被控訴人から請求された分の商品代金の95パーセントを被控訴人に振り込み、残余の5パーセントを手数料としてパリスが取得する旨、パリスから被控訴人に対する支払は全て銀行振込にしているので、売上は銀行口座で把握できる筈である旨の各説明をした。そして、丙谷は、パリスは被控訴人との取引について売掛台帳、買掛台帳は作成していないとして提出しなかった。また、丙谷は、本件火災による損害明細表を作成するについて、実棚卸をしなければ実際にどの商品が何足残っていたかを把握することは不可能であり、今更損害明細の内容についてどうこう言っても、控訴人が罹災品の実棚卸をせずに処分をしても構わないといったため、罹災商品は処分してしまっているのであるから、控訴人に責任の一端があるのではないと述べたほか、損害額算出根拠に関して正確に把握するのは難しいと繰り返し述べた。

(エ) 丁沢は、パリス以外にも被控訴人の仕入先が存在することを知ったので、その仕入先から直接実態を調査しようとしたところ、乙川から、丁沢らが仕入先に行くのは困ると言われたため、なかなか実行することができず、同年10月16日に漸く実態調査の日程について乙川と合意ができ、同月下旬に株式会社フィールドほか8社から直接実態調査をすることができた。そして、その結果は、上記(3)ウのとおり、被控訴人の評判は概ね不良であり、仕入代金の支払遅滞の事実があること等が明らかになった。なお、これらの取引先は全て当然のことながら被控訴人との取引につき売掛台帳を作成していた。

(オ) 丁沢は、同年11月29日に乙川を訪ね、これまでに提出された書類だけでは被控訴人申告に係る損害の妥当性を検証できないので、金員の出入りが分かる資料及びパリス宛の請求書以外に売上を確認できる資料を提出するよう求めたが、乙川は、平成11年の営業記録を記載した手帳を提出しただけであった。なお、丁沢はこれを写真撮影することとした。

(カ) 結局、被控訴人は、控訴人に対し、通常であれば作成されている筈の売上帳、仕入帳すら作成していないとしてこれを提出をせず、現金日計表と振替伝票を提出しただけであり、しかも、これらの書類には日付と相手方先名及び金額程度の記載しかなく、どのような内容の取引なのかは相手方先名で推定するしかないという非常に大雑把なものである。また、被控訴人が調査会社の依頼に対して提出した資料も、被控訴人代表者が事故後現場で確認して作成したものであると主張する本件一覧表のほかは、被控訴人のパリス宛ての請求書、マルヤマからパリス宛請求書や被控訴人の小切手帳程度である。そして、被控訴人も丙谷も、丁沢らに対し、本件倉庫1階にパリスの商品が保管されているとは告げなかった(原審証人丙谷も、丁沢にこの点の説明をしなかったことを自認し、「聞かれないことは話さないんじゃないですか。」と述べている。)。

(キ) なお、パリスは、本件火災によるパリスの被害は保険金により填補されたとして、乙川に対し、損害賠償の請求をしていない。

以上の事実が認められ、甲第12、第13号証、第22、第23号証、第77号証、第95号証、原審証人丙谷の証言、被控訴人代表者尋問の結果中、上記の認定に反する部分は採用し難く、他に上記認定を覆すに足りる証拠はない。

2  そこで、さらに検討する。

(1)ア  被控訴人代表者(乙川)作成の本件一覧表には、本件火災による被控訴人の罹災商品は6232足であり、仕入価格は4325万5007円であると記載されているところ、被控訴人代表者の乙川の陳述書である甲第12号証には、廃棄物処理業者が被災品を廃棄処分していた平成11年7月16日から同月19日までの間に、乙川が被控訴人の罹災商品の数を数えながら、その靴の仕入先と上代(販売価格)をメモし、本件一覧表をまとめたものであると記載されている。しかし、上記1(6)エ(ア)のとおり、丁沢が平成11年7月17日に本件火災現場である本件倉庫に調査に赴いた際には、既に本件倉庫内の商品や什器備品等は全て搬出され、焼残物は存在しなかったものであって、平成11年7月16日から同月19日までの間に罹災商品の数を数えたとの上記陳述書の記載は事実に反するものである。そのため、被控訴人代表者(乙川)は、原審における被控訴人代表者尋問の際には、上記の陳述書(甲第12号証)の記載内容とは異なり、罹災商品の数を数えたのは、本件火災発生の2、3日後であり、平成11年7月16日から同月19日までの間には廃棄物処理業者が罹災商品を廃棄している際に大体最終確認をしたなどと述べて、辻褄を合わせようとしているが、最終確認とは具体的にどのような内容の行為であるか明確ではなく、また「大体」などという曖昧な表現をしている。

イ  また、被控訴人代表者は、上記の罹災商品の数を数えた際、現場で罹災商品を見て、型番の分かるものは型番を記入したほか、型番の分からないものでも靴のデザインから上代が分かるので、順次メモに型番、数量、上代、靴のデザインを記入し、これをまとめて本件一覧表を作成したというのであるが、本件一覧表には靴の特定にとって重要な型番の記載がないものが多数あるほか、被控訴人代表者は、重要な証拠というべき上記のメモを廃棄し、現存しないというのであって、極めて不自然である。

ウ  <証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、本件一覧表には、既に返品されたもの、催事出店用の商品としては高額にすぎるもの(小売値9万8000円の靴95足)、本件火災発生後に仕入れたものであって本件火災は当時存在していなかったもの及び上代が仕入先の納品書の記載と符合しないものがあることが認められ、そして、上記の高額な商品の仕入先であるというイタリー商会発行の納品書について、この商品の納入分(全部で100足)についてだけサイズ毎の数量の記載がないなど不自然な点が認められる。

エ(ア)  上記1(4)アのとおり、被控訴人には、第1期の期末在庫から本件火災発生時までの間に3000足もの在庫を増やすだけの資金はなかったものであるところ、被控訴人代表者は、買掛により在庫を増やす方法もある旨の供述をするけれども、上記1(3)エ(ア)のとおり、乙川が丁沢に提出した経緯書に記載されたパリスと被控訴人との約定及び催事出店覚書記載の約定によれば、被控訴人は顧客に売れた分だけパリスから仕入れるのであるから、被控訴人の主要な取引先であるパリスからの仕入については、買掛による在庫が増える余地はないものである。

(イ) また、パリスが損害鑑定担当者己原に提出した資料のうちの売掛金集計表(乙第3号証の添付資料)には、本件火災発生の直前の同年6月末日の時点におけるパリスの被控訴人に対する売掛金は3424万7564円である旨や、平成11年4月から平成12年3月までの間被控訴人からパリスに対する売掛金の弁済は一切なかった旨、また、平成11年4月末日の時点におけるパリスの被控訴人に対する売掛金は2447万101014円である旨が記載されているところ、この集計表の記載は、上記(ア)のとおり、上記の乙川作成の経緯書及び催事出店覚書記載の約定に反するものであるだけでなく、上記1(3)エ(イ)のとおり、原審証人丙谷は、パリスの被控訴人に対する売掛金について、被控訴人が平成11年3月末に融資を受けた借入金(同年4月に被控訴人が王子信用金庫から融資を受けた借入金をいうものであると解されることは前述したとおりである。)で一度全額返済されたとか、本件火災発生前の商品代金もほぼ完済されていたと証言しているのであるから、平成11年4月から同年7月までの間被控訴人からパリスに対する売掛金の弁済は一切なく、同年4月末日時点の売掛金が2447万101014円であり、同年6月末日時点の売掛金が3424万7564円であるという上記の集計表の記載はこの証言と矛盾するものである。

また、原審証人丙谷、被控訴人代表者とも、パリスの被控訴人に対する売掛金について、パリスがその売掛を計上してから被控訴人がその支払をするまでの期間は大体2か月であるというのであり、被控訴人の売上が順調だったというのであるから、そうであれば、被控訴人からパリスに対し平成11年4月から平成12年3月までの間全く売掛金の支払がないということは考え難いところである。

上記のとおり、パリスが己原に提出した売掛金集計表の記載と、原審証人丙谷の証言及び被控訴人代表者の原審供述は、互いに矛盾するものであって、いずれも信用することができず、被控訴人が己原に提出した買掛金の集計表(乙第3号証の添付資料)の記載も同様に信用することができない。

(ウ) そして、上記1(3)エ(イ)、オ(ア)のとおり、丙谷の平成11年12月16日付経緯書には、被控訴人の売上はパリスからの振込が全てであるというのであるところ、上記1(3)オ(ア)のとおり、パリスから被控訴人に対し実質上戊野が担当していたマルヤマからの仕入商品の売上分については順調に振込入金が行われていたものの、それ以外の取引、とりわけ、被控訴人のパリス宛の請求書に記載された三越、松坂屋、そごうに対する売上分についてはパリスから被控訴人に対し全く振込入金なく、西友、さいか屋、岐阜近鉄に対する売上分についても相当部分が振込入金がされていないのであるから、これら振込入金のない売買取引にかかる商品については被控訴人がパリスから仕入れたものではなかったものというべきである。

(エ) 被控訴人は、パリスの援助を受けていたし、また、平成11年7月ないし9月にかけて、市川松坂屋と草加西友の2店において閉店セールが行われ、同セールでは普段の5倍程度の売上げ、大幅な利益が見込めることから、本件火災発生当時、出荷するための在庫を大幅に増やしていたと主張するが、売上を伸ばすためには仕入が先行しなければならないところ、上記のとおり、被控訴人に普段の5倍もの売上を実現するだけの仕入をする能力があったとは認め難い上、本件火災発生の前に被控訴人が大幅に売上を伸ばしていたのであれば、この売上に相当するパリスから被控訴人に対する振込入金がなければならないのに、乙第1号証及び弁論の全趣旨によれば、平成11年3月から同年6月までのパリスから被控訴人への振込は、マルヤマとの取引分を除くと、同年3月31日に24万3150円、同年4月15日に64万8858円、同月22日に271万9890円、同月30日に156万9960円、同年6月15日に58万1826円の振込入金があっただけであり、被控訴人の第1期(平成10年7月6日から平成11年2月28日まで)の決算書記載の売上高6545万2006円に比較して到底大幅な売上の増加があったとはいえないことが認められ、また、被控訴人の売上が順調であれば、被控訴人のパリスに対する売掛金の弁済がされる筈であるのに、乙第1号証及び弁論の全趣旨によれば、平成11年3月から同年6月までの間に被控訴人からパリスに支払われた商品代金は、マルヤマ取引分を除いて、同年4月22日の332万9616円及び306万2690円だけであったことが認められ(なお、上記(イ)のとおり、パリスの売掛金集計表の記載は、平成11年4月から平成12年3月までの間被控訴人からパリスに対する売掛金の弁済は一切なかったというものである。)、これらの事情に照らして、被控訴人の上記主張も採用することができず、甲第19、第20号証の各1、2もこの判断を左右するに足りない。

(オ) 以上のとおりであって、被控訴人には第1期の期末在庫から本件火災発生時までの間に3000足もの在庫を増やすだけの資金はなかったものであり、また、被控訴人が買掛により在庫を増やしたと認めることもできない。

(2)ア  卯波金属作成の本件廃棄証明書(甲第4号証)には、上記申請書の廃棄処分期間に当たる平成11年7月16日から同年7月19日までの間にパリス及び被控訴人分の罹災靴約1万2000足ないし1万2200足を廃棄した旨の記載がある。しかし、この証明書には作成日付の記載がないところ、原審証人卯波は、この証明書は同人が記憶に基づいて作成したが、何時作成したかは覚えておらず、本件火災があった年であるか、それとも2、3年経ってからであるかどうかについても覚えていないなどと暖昧な供述をし、また、本件火災による罹災品の廃棄や罹災した靴の足数の確認は、いずれも丙谷から依頼されたものであって、被控訴人とは接点がなかったが、丙谷から頼まれて、パリスではなく、被控訴人宛の上記アの証明書を作成したと供述している。そして、同証人は、本件倉庫内に同月19日まで靴が存在したとか、同日靴の搬出が終わったと供述したが、同月17日の時点で本件倉庫内の靴が全部搬出されている写真(乙第1号証の一部)を示されると、「搬出」とは役所に入れたということと聞き違えたと述べた上、本件倉庫内に何時まで靴があったか覚えていないなどと述べた。また、同証人は、同月16日までに本件倉庫から搬出されている靴等の焼残物を同月19日に処分場に運搬するまで何処でどのように保管されていたのかと質問されて、この点についても記憶はないなどと曖昧な供述をしている。

イ  原審証人卯波は、卯波金属が丙谷から依頼されたという本件火災による罹災品の運搬について、廃棄物の運搬について法令上義務付けられている台帳への記載をしていないことを自認し(なお、同証人は、同社が廃棄物処理業者として廃棄物の運搬したときの書類は全部とってあると供述している。)、また、被災品の数を数えることは本来廃棄物処理業者の仕事ではないことも自認している。

(3)ア  前示のとおり、本件火災発生後の本件倉庫の状況は、靴の数を数えることが困難な状況にあったものであって、本件火災による被害の確認について重大な利害関係を有する保険会社(富士火災)の調査担当者でさえも、パリスの罹災商品の数を確認するに当たって現場で靴の数を数える方法は断念し、パリスから提出された決算書の3月末時点での商品棚卸高、平成11年4月から7月までの請求書等から被害申告内容の整合性を検討しているものであるのであって、そのような状況にもかかわらず、乙川や卯波が現場で罹災した靴を一足ずつ数えたということ自体にも疑問がある。

とりわけ、前示のとおり、乙川については、控訴人に対し、本件倉庫が使用できないと営業に重大な支障が出るので、現場に残った商品を早急に搬出したい旨の申出をして、控訴人の同意を得たという事情があったのであるから、その後時間をかけて罹災品の数を確認したということは非常に不自然である(なお、原審証人丙谷の証言中には、丙谷らは本件火災発生の日の翌日である平成11年7月12日から同月16日まで5日間かけて罹災品の数を数え、その後さらに同月16日から同月19日までの間廃棄物処理業者が罹災品の数を数えたなどという供述部分もある。)。

また、本当に乙川が上記(1)イで述べているような方法による確認、すなわち、現場で罹災商品を見て、型番、上代、靴のデザインをメモして個数を確認するという実棚卸に近い方法による確認をしたものであり、また、卯波も本件火災現場で被災品の確認をしたのであれば、乙川や丙谷は、調査担当者の丁沢に対し、その事実を述べる筈であって、そのような行動をとらず、かえって、丙谷が、丁沢に対し、本件火災による損害明細表を作成するには実棚卸をする必要があるのに、控訴人が罹災品を処分をしても構わないといったので処分してしまったから、今更損害の明細についてどうこういっても正確に把握できないなどと述べることは非常に不自然である。

イ  そのほか、被控訴人代表者の供述や陳述書の記載内容には、次のとおり信用性に疑問を抱かせる事情がある。すなわち、前示のとおり、被控訴人代表者は、本件倉庫1階にパリスの商品が存在することを控訴人に告げなかったこと、その後本件倉庫1階のパリス商品の保管場所を記載した平成12年3月1日付念書を控訴人に提出したけれども、本件訴訟において提出された乙川の陳述書(甲第12、第13号証)の記載と異なる点があること、上記念書、陳述書に記載されたパリスの商品の保管場所は、丙谷かあるいはパリスの従業員が丑木に説明した保管場所とは左右が逆になっていること、被控訴人代表者は、原審の被控訴人代表者尋問の際に初めて被控訴人の商品とパリスの商品とは箱の色で区分されていたとし、パリスと記載されている濃紺の箱には被控訴人の商品が、パリスと記載された緑色の箱にはパリスの商品がそれぞれ入っていたと供述するに至ったが、上記1(6)ア(ア)のとおり、丙谷やパリスの従業員は、富士火災から依頼された損保鑑定事務所の丑木に対し、商品の箱と中身は全く異なること、小売店から返品された売れ残りは違う箱で返品されることもあることなどを説明していたのであって、箱の色によって商品を区別していたとは考え難いこと、以上の事情が認められる。

(4)  甲第48号証(川口市長作成の平成11年7月16日付廃棄物処理手数料減免承認書)によれば、同承認書には、申請者として丙谷、排出期間として平成11年7月16日から同月19日までとそれぞれ記載された上、廃棄物の重量が8670kgである旨が記載されているが、この廃棄物の内容を証する客観的な証拠はない。もっとも、原審証人卯波の証言中には、上記廃棄物は靴と紙類であり、8割は靴であった旨の供述部分があるけれども、同証人は、上記の廃棄物に本件火災によって焼損した床や壁の廃材が含まれるかどうか、あるいは、これらの廃材を処分場に運んだかどうかについて質問されると、良く覚えていないとか、床材であれば役所に運んだかも知れないとなどと曖昧な供述しているほか、上記(2)ア、イの事情に照らして採用することができない。

そもそも廃棄物の重量から罹災した靴の足数を正確に算定することは困難であるというべきであって、そのような方法は合理的な推定方法とはいえない。

(5)  原審証人丑木は、本件火災発生の日の翌日の本件倉庫内の罹災商品(靴)の足数について、正確に数えられる状況ではなかったが、建物の収容面積や罹災商品が置かれている状況を考え、本件倉庫2階にある罹災商品は約3000足であると推測した旨、本件倉庫1階のうち丙谷あるいはパリスの従業員からパリスの商品が保管されている部分であると指示された同階右側部分にあった散乱した状態の罹災商品の足数は、本件倉庫2階にある罹災商品の足数より少なく、これと本件倉庫2階にあった罹災商品と合わせた足数は5772足であると判断した旨、本件倉庫1階左側部分にあった罹災商品は、本件倉庫1階右側部分に比べて散乱の状況の程度は低かったが、足数としてはどちらが多かったかは分からなかった旨それぞれ供述している。

また、乙第16号証、原審証人寅葉の証言によれば、本件火災発生の日の2日後の本件倉庫1階の状態は、罹災商品が散乱している状況であったが、寅葉は、棚にあったものを中心に罹災商品の足数を数えることとし、一つの棚に収納できる靴の足数を基準にして、実際に棚にあった罹災商品が棚全体のスペースに占めるおおよその割合を検討した上、これを乗ずる方法で本件倉庫1階の罹災商品の足数を算定し、棚にあった罹災商品は全部で約5510足であると推定したこと、また、後日本件火災発生直後の本件倉庫1階の写真に基づいて床に積み上げられた罹災商品(ただし、出火場所付近に床に積み上げられたものを除く。)を推定したところ、この罹災商品の足数は約430足と判断されたこと、以上の事実が認められる。

上記の証拠ないし事実によれば、本件火災発生当時本件倉庫1階には全部で約5940足の商品があった可能性があるが、上記1(6)ア(イ)の事実によれば、少なくともそのうちの約2770足(本件倉庫1階及び2階にあったパリスの罹災商品合計5772足から本件倉庫2階にあった罹災商品約3000足を控除した足数)はパリスの所有する商品であったというべきである。そして、残余の約3170足についても、次の事情、すなわち、上記(1)エのとおり、被控訴人は、主要な仕入先であるパリスから催事出店用の商品を仕入れる場合には、顧客に販売した分だけ仕入れるのであって、顧客に販売する前に仕入れる必要もなく、売れ残り在庫が発生する余地もなかったこと、上記(3)イ、1(6)イの事情によれば、本件倉庫1階についてパリス所有の商品を保管する場所と被控訴人所有の商品を保管する場所とは明確に区分されておらず、両者の商品が混在していたと認められること、上記1オ(イ)のとおり、被控訴人がパリスから商品を仕入れた場合に存在する筈の靴のサイズや色等を記載したパリス発行にかかる納品書が被控訴人に存在していないことなどの事情に照らせば、この全部が被控訴人所有の商品であったと断定することはできない。

(6)  上記(1)ないし(5)の事情に照らせば、本件火災により焼損した被控訴人所有の靴の数や価額についての前掲甲第4号証、第7号証、第12、第13号証の各記載、原審証人丙谷、同卯波の各証言及び被控訴人代表者の原審供述には不自然、不合理な点が多々あって採用することができず、被控訴人代表者の陳述書である甲第22、第23号証及び第77号証、卯波の陳述書である同第72号証、丙谷の陳述書である甲第95号証も同様に採用することができない。

被控訴人が提出する伝票等(<証拠省略>)は既に説示した事情に照らして、本件火災により焼損した被控訴人所有の靴の数等を証するものとはいえず、他に本件火災によって被控訴人に被控訴人主張にかかる被害が発生したことを認めるに足りる証拠はない。

(7)ア  かえって、乙第1ないし第3号証、第12号証、第14号証、原審証人丁沢、同己原の各証言及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人のように有限会社であるにもかかわらず信頼できる帳簿等を備えていない商人については、当該業種全体の利益率や客観的な資料から把握できる営業の規模・実績等から適正在庫高を算定し、これにより、本件火災発生当時の被控訴人所有の在庫高を推定するのが合理的な方法であること、そして、上記の方法によると被控訴人の適正在庫高は1360万円であると算定できること、以上の事実が認められ、この事実と上記1の認定事実によれば、本件火災発生当時の被控訴人所有の在庫商品の仕入額は、せいぜい1360万円程度であると推認することができる。

イ  ところで、仮に上記(5)で述べた本件倉庫1階にあった罹災商品約5940足のうちパリスの所有であると認められる約2770足を控除した残余の約3170足全部が被控訴人所有の商品であったとした場合でも、上記1(6)イ(ア)のとおり、本件火災発生の日の2日後、被控訴人代表者自身寅葉に対し平成11年2月末日の在庫商品は5000足程度であり、その価額は1500万円(ただし、決算書においては1225万4260円と計上されていることは前示のとおりである。)と述べていたことに照らせば(この陳述によれば、平成11年2月末日の時点における在庫商品の1足当たりの平均価額は約3000円となる。)、その仕入額は上記アの適正在庫高1360万円を超えないものというべきであり、他にこの罹災商品の仕入額を算定しうる的確な資料はない(なお、原審における被控訴人代表者尋問の結果によれば、パリスが主に百貨店に、被控訴人は主にスーパーマーケットにそれぞれ商品を販売しており、パリスは被控訴人より高価な商品を扱っているものであると認められるところ、上記1ア(イ)のとおり、富士火災は、パリスの本件火災による罹災在庫商品5772足についてその損害額は約4800万円と認定しているから、1足当たりの平均の額は約8300円となるものである。)。

3  以上によれば、本件火災による被控訴人の罹災商品の数が6232足であり、その仕入価格は4325万5007円であるという本件一覧表は、事実に反するものであり、かつ、上記1の認定事実や上記2で説示した事情によれば、被控訴人は、本件一覧表の記載が事実に反することを知りながら、意図的な損害額の不実申告や虚偽の証拠提出などを行ったものであるというべきであり、信義則上許されない目的をもって損害額の申告をしたものであると認められる。

したがって、控訴人は、本件保険約款第3章26条4項により、被控訴人に対し本件保険金の支払義務を負わないものというべきである。

4  以上によれば、被控訴人の本件保険金請求は理由がない(なお、原審が被控訴人の本件損害賠償請求を棄却した部分について、被控訴人は不服申立てをしていないから、同請求は当審の審判の対象ではない。)。

第4結論

以上によれば、原判決中被控訴人の請求を認容した部分は相当ではないから、これを取り消し、被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用は第1、第2審とも被控訴人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 髙橋勝男 裁判官 長秀之 西田隆裕)

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