東京高等裁判所 平成16年(ネ)1706号 判決 2004年12月28日
控訴人
学校法人 Y大学
同代表者理事
野口鉄也
同訴訟代理人弁護士
加藤済仁
同
桑原博道
同
岡田隆志
同
大平雅之
同
蒔田覚
被控訴人
A野花子
他2名
上記三名訴訟代理人弁護士
吉川孝三郎
同
吉川壽純
同
中島ゆかり
主文
一 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
二 同取消しに係る被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求める裁判
一 控訴の趣旨
主文同旨
二 控訴の趣旨に対する答弁
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二事案の概要
本件は、控訴人が開設するY大学医学部附属大橋病院(以下「控訴人病院」という。)において、冠動脈の狭窄病変治療のため施行した待機的経皮的冠動脈形成術(以下「PTCA」という。)の手術中に死亡した亡A野太郎(以下「太郎」という。)の相続人である被控訴人らが、控訴人に対し、控訴人病院の担当医師らにおいて、(1)亡太郎にはPTCAの医学的具体的適応がなく、PTCAを施行すべきでなかったのに施行したこと、(2)PTCA施行についての説明義務違反があること、(3)PTCA施行中に手技上のミスにより左前下行枝に穿孔を生じさせたこと、(4)左前下行枝に穿孔が生じた時点で心のうドレナージを行うべきであるのに怠ったこと、(5)左冠動脈主幹部に亀裂が生じた後、直ちにステントを挿入すべきであるのに怠ったこと、(6)異常が生じた時点で冠動脈造影を行うべきであるのに怠ったこと、(7)経皮的心肺補助装置(以下「PCPS」という。)を準備・使用すべきであるのに使用しなかったこと、(8)緊急の冠動脈バイパス手術(以下「CABG」という。)の準備をしていなかったことなどを主張し、不法行為(使用者責任)による損害賠償請求権又は診療契約の債務不履行による損害賠償請求権に基づき、被控訴人A野花子については三九八一万〇八二三円、被控訴人B山一郎及び同C川春子については各一九九五万五四一一円並びに各金員に対する亡太郎の死亡の日の翌日である平成一二年五月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求めた事案である。
一 前提となる事実(末尾に証拠等を掲げた事実のほかは、当事者間に争いがない。)
次のとおり、付加・補正するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「一 前提事実(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)」記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決三頁一三頁冒頭から同一五行目末尾までを、以下のとおり改める。
「(ア) 亡太郎は、昭和一五年九月三日生まれの男性であるが、平成一二年五月二三日午後零時三〇分、控訴人病院において、PTCA施行中の冠動脈破裂による急性心筋梗塞により死亡した(甲B一、二の①、乙A一一)。」
(2) 同四頁三行目「乙A一・四頁」を「乙A一・二頁、四頁」に改める。
(3) 同頁一七行目「別紙診療経過一覧表」を「別紙診療経過一覧表(ただし、同表一頁「一二・五・一六」欄の「伴うの」を「伴う」に、同表二頁「二:一〇」欄の一行目「左冠動脈(前下行枝)にバルーン(カッティングバルーン)の張を開始」を「左冠動脈(前下行枝中間部)にバルーン(カッティッングバルーン)の拡張を開始」に、同頁「年月日(日時)」欄の「二:二〇」を「二:二〇ころ」に、同頁同欄「二:二〇」の一行目「左前下行枝中間部の破裂」を「左前下行枝中間部(拡張部)の破裂」にそれぞれ改める。
二 争点及びこれに対する当事者の主張
次のとおり、付加・補正するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 争点」記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 原判決五頁一六行目の次に行を改めて、以下のとおり加える。
「 また、上記(ア)の状態を二枝病変(左前下行枝近位部を含まない場合)と理解したとしても、左前下行枝から右冠動脈末梢への側副血行路は、上記ガイドライン(乙B一)の危険にさらされた側副血行路派生血管の病変であるから、PTCAは原則禁忌である。」
(2) 同頁二一行目の末尾に以下のとおり加える。
「そして、PTCAは、CABGより危険性が高いので、亡太郎の冠動脈の狭窄病変治療のためにはCABGを施行すべきであった。」
(3) 同六頁一四行目から同一五行目にかけて「(乙四・三〇頁)」を削る。
(4) 同七頁一四行目「(甲A一・二八頁以下)」を「(甲A一・二九頁以下)」に改める。
(5) 同頁一六行目「(「(甲A一・二二頁)」を「(甲A一・二三頁)」に改める。
(6) 同八頁一行目の次に行を改めて、以下のとおり加える。
「 すなわち、本件について治療対象となるのは、左前下行枝七番(中間部)のみであり、一枝病変に準じて扱うべきである。冠動脈病変は、冠動脈造影による狭窄度により評価される。冠動脈の五〇パーセントないし七五パーセントを有意狭窄として捉えうるとしても、これは病態としての評価であって、PTCA、CABG等の血行再建術の適応を検討する際の病変としてはカウントしない。
ここにおいて、カウントされるのは、AHA分類九〇パーセント以上をいうのであって、本件では一応、左前下行枝七番(中間部)、右冠動脈の三番の二枝病変としてカウントされ、二枝病変と理解される。また、三枝病変において、原則CABGとされているのは、CABGであれば一回の手術において複数の病変の治療が可能であるのに対し、PTCAの場合には、①三枝病変においては多くの施設では、二回以上に分けてPTCAを施行することになること、②三か所にPTCAを施行した場合には、その再狭窄の割合を考慮すると、さらにPTCAの実施が必要となることにかんがみ、医療経済上の問題となるところが大きいためである。そして、治療の対象が一か所であれば、上記①②の問題はなく、多枝病変であろうとも一か所の治療であれば、合併症のリスクは一枝病変の場合と同様である。
本件においては、AHA分類九〇パーセント適応の観点からは、上述のとおり二枝病変と一応は理解されるが、治療対象となるのは、左前下行枝中間部病変(七番)のみであり、一枝病変に準じて扱うことが可能である。」
(7) 同頁三行目「(乙A一・二二頁、二三頁末尾の治療方針決定欄)」を削る。
(8) 同頁一一行目の次に行を改めて、以下のとおり加える。
「 また、仮に、右冠動脈#3をも病変として捉えたとしても、二枝病変(左前下行枝近位部を含まない場合)として、原則PTCAの適応の症例であったことは明白である。そして、右冠動脈#3の約三cmの慢性完全閉塞については、①PTCAの成功率は極めて低いこと、②同所の灌流域は小さいこと、③心筋シンチグラフィにおいて虚血が確認されているのは左前下行枝の領域であったこと、④左前下行枝中間部の病変が解決されれば、心機能の回復が可能であったことにかんがみると、治療対象としなかった控訴人病院の判断に誤りはなかった。
オ 左前下行枝から右冠動脈末梢への「側副血行路」を、PTCAの適応を判断する際の上記ガイドライン(乙B一)の「危険にさらされた側副血行路派生血管の病変」と理解することはできない。
PTCAが上記「危険にさらされた側副血行路派生血管の病変」に対して原則禁忌とされている理由は、PTCAを実施した際に、バルーンの拡張により一時的に病変部より末梢の血流が途絶えることになるので、側副血行路より血流を得ている血管の血流も途絶えることになる。これが一時的な血流の途絶であれば、再灌流により心筋への影響はないが、病変部に完全閉塞を来すと、これから血流を得ている末梢部分も同時に虚血に陥り、広範囲に心筋が壊死してしまう。したがって、病変部により末梢の血管から側副血行路によって血流を得ている血管が存在する場合には、PTCAは原則禁忌となることを記載したものがガイドラインの内容である。
(ア) 前回PTCA時の状況
前回PTCAに先立つ平成一一年一一月の造影検査において、①左前下行枝、②回旋枝、③右冠動脈自身からの右冠動脈末梢への側副血行路が確認されており、右冠動脈自身の側副血行路もかなり発達していることが確認されている。また、平成一二年二月の前回PTCA時においては、①左前下行枝、②回旋枝、③右冠動脈自身からの右冠動脈末梢への側副血行路は、いずれも発達している。右冠動脈末梢は、左前下行枝以外からの側副血行路により、血流を得ている。
また、心筋スペクトル検査の結果によれば、下壁には固定欠損が認められており、下壁(右冠動脈末梢部灌流域)には心筋梗塞を起こしていると判断される。控訴人病院では、この結果及び、右冠動脈完全閉塞部が末梢(#3)であったことから、右冠動脈は治療対象外としている。
確かに、左室造影において左心室下壁の壁運動の低下は見られるも全く動いてはいない状況ではないことから、右冠動脈末梢部の心筋がすべて壊死していたかとの点については評価が分かれる。仮に、これらの心筋の一部が生存していたとしても、末梢部であることに照らせば、そこへの血流が途絶したとしても、その灌流域は小さく、このため致死的な結果が惹起されることは否定的である。
したがって、右冠動脈末梢に対する左前下行枝からの血流途絶による影響は大きくなく、左前下行枝中間部病変を危険な側副血行路派生血管の病変として理解することは誤りである。いずれにせよ、この側副血行路の存在が、PTCAの医学的具体的適応を否定するものでないことは明白である。
(イ) 本件PTCA時の状況
この段階において、左前下行枝は逆向きの血流(下から上に上がってくる血流)を受けており、左前下行枝自身も側副血行路を受けていたものと考えるのが合理的である。そして、左冠動脈から逆行きにきているものが、更に側副血行路となって右冠動脈にいくことはありえない。したがって、本件PTCA時において、左前下行枝は、側副血行路の派生血管ではないことになる。
また、右冠動脈末梢への血流は、前回PTCA時に比し、右冠動脈自身からの側副血行路、左回旋枝からの側副血行路によって維持されており、中隔枝から右冠動脈への血流は低下している。
加えて、右冠動脈末梢への血流が途絶したとしても、それによる影響は小さいことは、前回PTCAの状況と同様である。
そして、前回PTCAの成績が良好であったことからもPTCAを行ってはいけない範疇の危険側副血行路ではないことが裏付けられていたのであるから、本件PTCAの医学的具体的適応があったことは明白である。
なお、医学的具体的適応は、科学的・医学的に客観的に決定された医学的適応を前提に具体的症例への当て嵌めを行うものであり、患者の同意の有無によって適応が肯定されたり、否定されたりするものではない。」
(9) 同頁一二行目「オ」を「カ」に改める。
(10) 同九頁二一行目「カ」を「サ」に改める。
(11) 同一〇頁二二行目「亡太郎は、本件PTCAを受けることとしたものである。」を「亡太郎は、本件PTCAは亡太郎の症状に対して一般的適応を有し特に難度(危険度)の高いものではなく、また、亡太郎の症状に対してCABGを実施することは困難であると誤解して、本件PTCAを受けることとしたものである。」
(12) 同一一頁二行目の次に行を改めて、以下のとおり加える。
「ウ また、亡太郎の冠動脈の狭窄病変は、原則的にはPTCA禁忌の症例であり、CABGという別な治療方法の選択肢が存在し、その方がむしろ危険性が低く、再狭窄が防げるという利点もあったにもかかわらず、控訴人病院は、CABGについて心臓外科医の判断を求めていない上、亡太郎に対してはCABGの実施が困難である旨の誤った情報を開示している。
したがって、控訴人担当医師らには説明義務違反があるから、亡太郎の本件PTCAに対する承諾についてはその自己決定権の行使としての有効性を欠いている。」
(13) 同一二頁一九行目の次に行を改めて、以下のとおり改める。
「 すなわち、PTCA・CABG双方の医学的具体的適応が認められる場合において、日本ではCABGは高侵襲性から敬遠される傾向にあり、PTCAを選択するのが大部分であり、したがって、控訴人担当医師らが亡太郎に対しCABGの適応があることを伝えたとしても、亡太郎がCABGを選択することは到底考えられない。ましてや、CABGの治療方法(①心臓を止めての手術であること、②全身麻酔によること等)及びそれによる合併症のリスクを説明した場合(CABGの場合、院内死亡が一・九四パーセント、心筋梗塞が四パーセント、脳血管障害が〇・八ないし二・六パーセント、感染症が一・八ないし四・一パーセントである。PTCAの死亡率が〇・五パーセント、その他の合併症一パーセント以下であることから、CABGは極めてリスクが高い。)にはなおさらである。そして、本件においては、亡太郎は、既に一度PTCAを施行し、良好な結果を得ていたことから、再度のPTCAを望んでいたと考えるのが合理的である。このような患者に対し、あえてCABGの手技、リスクを説明するというのは、いわば「儀式」的な行為であって、そのような説明を行うか否かは医師の裁量によるところである。
そして、患者からの他の治療方法を望むなど具体的な意思表示等がなされるなど特段の事情がない限り、循環器内科医師としては、他科(循環器外科)の治療内容、その合併症についてまで説明すべき法的義務はない。そもそも他の治療方法を選択する意思のない患者に対し、医学的具体的適応が認められる他の治療方法を説明することを法的に義務づける意味はない。」
(14) 同頁二四行目冒頭から同二六行目末尾までを、以下のとおり改める。
「エ 控訴人病院では、前回PTCAを行うに際し、血行再建の方法として、CABGの存在についての説明を行っており(乙A六)、亡太郎は前回PTCAの際の同意書添付の説明書などによっても血行再建術としてPTCAの外にCABGの存在を知っていたが、CABGを希望する意思表示は一切なく、CABGの具体的治療方法・リスクについての説明を求めることはなかった。そして、亡太郎は、非常に怖がりの性格であって、平成一一年一一月の段階で、D原医師がカテーテル検査の必要性、リスクを説明の上、同検査を勧めた際にも、同検査自体を怖がって、これを拒絶する程であり、同人が侵襲を伴う治療には消極的であった。そして、亡太郎は、前回のPTCAを経験し、良好な成績を得ていたから、医師の勧める治療行為に反してまで、CABGを望むことは到底考えられない。」
(15) 同一三頁三行目「説明のほか、」を「説明し、亡太郎がPTCAに同意すれば、」に改める。
(16) 同一三頁一七行目の次に行を改めて、以下のとおり改める。
「カ 異なる治療方法が存在した場合に、他の治療方法を説明するかどうかは医師の裁量事項であり、「患者の同意の有無」によって検査・治療の医学的な効果、リスクは全く変化しないのであり、患者の同意の有無により「適応」が変化することはない。そして、PTCAとCABG双方の医学的具体的適応がある場合、いずれの治療方法を選択するかについては、当該医療機関の裁量が大きく働くのであって、いずれの治療方法を選択したとしても当該治療行為が違法となることはない。少なくとも本件PTCAは、患者の同意によってのみその治療が許容される実験的な治療行為でも、原則PTCA禁忌の症例でもないことは疑いの余地はない。さらに、控訴人の担当医師らは、亡太郎に対し、PTCAの方法、そのリスクについて説明書まで交付して説明しており、亡太郎はこれらを理解した上で、PTCAに同意しているのであるから、亡太郎に対する自己決定権の侵害はなく、本件PTCAの施行が適法であることは明らかである。
したがって、医学的具体的適応のある複数の治療方法が存在する場合の説明内容は、医師の裁量に委ねられており、医学的具体的適応のある特定の治療方法だけを説明したとしても、この説明の妥当性が問題となることはあっても、違法の問題となる余地はないから、控訴人担当医師らに説明義務違反はない。」
第三当裁判所の判断
一 争点(1)について
(1) PTCAとCABGの医学的具体的適応について
ア 《証拠省略》によると、PTCAの医学的具体的適応については、一九九三年(平成五年)にアメリカ合衆国において作成されたACC/AHAのPTCAガイドライン(以下「ACC/AHAガイドライン」という。)があったが、当時の日本においてはなく、各施設の判断で施行されていたこと、その後日本循環器学会、日本医学放射線学会、日本冠疾患学会、日本胸部外科学会、日本血管内治療学会、日本心血管インターベンション学会、日本心臓血管外科学会及び日本心臓病学会が参加した合同研究班によって、日本国内及び海外の診断、治療評価の情報をもとに、冠動脈疾患に対する薬物療法、PTCA、CABGの役割がより有効かつ適切に行われるにはどうあるべきかとの視点から研究班班員の意見を集約する形で一九九八(平成一〇)―一九九九(平成一一)年度の報告として、「冠動脈疾患におけるインターベンション治療の適応ガイドライン(冠動脈バイパス術の適応を含む)―待機的インターベンション―」(乙B一。以下「本件適応ガイドライン」という。)が発表されたこと、そこで、本件PTCA当時には本件適応ガイドラインの内容がほぼ一般化していたこと、もっとも、本件適応ガイドラインにおいて、新しいデバイスの進歩や症例の積み重ねによりPTCAとCABGの適応や手技はめまぐるしく変化していくものであり、本件適応ガイドラインのみで杓子定規的に治療方針が決定されるものではなく、これを参考に個々の症例において各治療法を十分に検討した上で治療方針を決定すべきであって、今後更なる改定が必要になるとされていることが認められる。
イ 前掲証拠によると、本件適応ガイドラインを基準とすると、PTCAとCABGの医学的具体的適応については、以下のとおり検討されるべきものであることが認められる。
(ア) PTCAとCABGとの比較
① 一般的には、PTCAとCABGのいずれの治療法も選択しうる一枝疾患では、三年後の死亡、心筋梗塞の発生率はPTCA、CABGとの間に有意的な差は認められない。しかし、再狭窄率がCABGと比較してPTCAで高いため再血行再建施行の頻度はPTCAの方がCABGよりも高い。また、前下行枝一病変についてPTCA、ステント、左内胸動脈(LITA)をもちいたCABGと比べると有意差はないが、LITAをもちいたCABG、ステント、PTCAの順に二年後の死亡率は低い傾向にある。多枝疾患においてはその病変形態により予後は異なるものの、PTCA又はCABGのいずれの治療法も選択しうる病変においては一枝病変の場合と同様に、三ないし六年後の死亡、心筋梗塞の発生率はPTCA、CABGとの間に有意な差は認められないが、再血行再建施行の頻度はPTCAの方がCABGと比較して有意に高い。一年後の生活の質(QOL)についても非完全血行再建率により補正すると両群間に有意差は認められない。ただし、DM群においては、CABGと比較してPTCAの方が五ないし一〇年後の死亡率、急性心筋梗塞発生率は高くなっている。
五ないし一〇年後の生存率については、前下行枝近位部を除く一枝疾患ではPTCAがCABGより良好であるが、三枝疾患、前下行枝近位部を含む二枝疾患ではCABGがPTCAより良好である。その他の病変では差は認められない。再血行再建術については、より早期にCABGよりPTCAで多く認められる。
② PTCAの利点は、低侵襲性であり、再PTCAが比較的容易であって、短時間で可能であることであるが、その欠点は、再狭窄率が高く、不適当な病変があり、多枝病変における完全血行再建がしばしば困難であることである。
CABGの利点は、開存率が高く、狭窄病変形態に関係なく完全血行再建術が可能であることであるが、その欠点は、高侵襲性であり、死亡率が高く、再CABGが容易でないことである。
(イ) PTCAとCABGの適応決定に対して考慮すべき事項
① 安全性について
a PTCAの合併症
(a) 院内死亡;約〇・六パーセント(日本における報告;〇・三七パーセント)
(b) 急性心筋梗塞;約一・五パーセント(日本における報告;一・七九パーセント)
(c) 緊急パイバス術;約一・四パーセント(日本における報告;〇・四九パーセント)
(d) 急性及び亜急性冠閉塞(三ないし七パーセント)(日本における報告;五・八パーセント)
なお、血栓性冠閉塞は、抗血小板薬、ヘパリンの使用により予防する。
冠動脈解離(二五ないし六〇パーセント)は、従来は急性冠閉塞の大きな原因であったが、ステントの発達により急性冠閉塞を回避できる確率が高くなった。
(e) 冠動脈穿孔(POBA;〇・二パーセント未満)
DCA、ロータブレータなどの新しいデバイスによるアテレクトミーでは一・三ないし一・八パーセントの冠動脈穿孔がある。
(f) 側枝閉塞;大きな側枝については側枝を保護するデバイスや手技の選択が心要
(g) 大動脈解離は、ガイディングカテーテルの操作に関連する。
(h) 穿刺部出血(〇・四九パーセント)
後腹膜腔への出血では重篤な状態となる。特に、新しいデバイス使用時はガイディングカテーテルが太くなるため注意を要する。
b CABGの合併症
(a) 院内死亡 初回待機的CABG;一・九四パーセント
(b) 周術期心筋梗塞(三・六パーセントないし四・六パーセント)(日本における報告;三・四パーセント、あるいは二・二パーセント)
(c) 脳血管障害(〇・八ないし二・六パーセント)
(d) 感染症(一・八ないし四・一パーセント)(日本における報告;一・八パーセント)
② 厚生大臣の定める施設基準について
a PTCA(経皮的冠動脈形成術、経皮的冠動脈血栓除去術及び経皮的冠動脈ステント留置術)の設置基準
(a) 循環器科の経験を五年以上有する医師が一名以上勤務している。
(b) 当該医療機関が心臓血管外科を標榜しており、心臓血管外科の経験を五年以上有する医師が常勤している。ただし、心臓血管外科を標榜しており、かつ、心臓血管外科の経験を五年以上有する医師が一名以上常勤している他の保険医療機関と必要かつ密接な連携体制をとっており、緊急時の対応が可能である場合は、この限りではない。
b 経皮的冠動脈形成術(高速回転式経皮経管アテレクトミーカテーテルによるもの)(ロータブレータ)の施設基準
(a) 循環器科及び心臓血管外科を標榜している病院である。
(b) CABGを年間三〇例以上実施しており、かつ、PTCAを年間二〇〇例以上実施している。
(c) 循環器科の経験を五年以上有する医師が一名以上勤務しており、心臓血管外科の経験を五年以上有する医師が一名以上常勤している。
(ウ) PTCAの原則禁忌
① 次の場合には、本件適応ガイドラインではPTCAの原則禁忌となる。
a 保護されていない左冠動脈主幹部(unprotectedLMT)の病変
b 三枝障害で二枝の近位部閉塞
c 血液凝固異常
d 静脈グラフトのび漫性病変
e 慢性閉塞性病変で拡張成功率の極めて低いと予想されるもの
f 危険にさらされた側副血行路(jeopardized collaterals)派生血管の病変
ただし、悪性腫瘍、脳血管障害、肺疾患、肝不全、高齢者などのCABGハイリスク症例・不適当症例において、インターベンション(血管再建術)が必要と判断されたときのみPTCAの適応となる。特に、上記①は、心臓外科のスタンバイのもと、ステント・DCA・ポンプ灌流バルーン・自己灌流バルーン・IABP・PCPS等の実績が十分な施設で慎重に行う必要がある。
② もっとも、本件PTCA実施以降である平成一二年九月一〇日に発行された甲B一一(御厨美昭著『図説・心臓カテーテル法―冠動脈・左室造影とカテーテルインターベーション』(改訂版)八二頁以下)では、PTCAの原則禁忌として、aプロテクトされていない左主幹部病変、b主要三枝中の二枝が完全閉塞で残りの一枝の病変の二例を基準としており、PTCAの原則禁忌とはされないが、PTCAの危険性が高くCABGの方が安全と考えられる例として次のように掲記している。
a 前下行枝、回旋枝起始部の病変
バルーン拡張後、左主幹部に内幕損傷が及ぶ危険があり、TypeB(やや複雑な病変)、同C(複雑病変)ではCABGの方が安全である。
b jeopardized collateralのdonorartery(危険にさらされた側副血行)
PTCAに失敗すると広範な心筋梗塞となり、生命の危険性がある。このような場合には必ず側副血行を受けている血管(recipient artery)の狭窄に対してPTCAを行い、次いでdonor artery(側副血行を出している血管)の狭窄解除を試みるべきである。Recipient arteryのPTCAが不成功、ないし困難な場合にはCABGを行う。
c 陳旧性貫壁性心筋梗塞で非梗塞責任血管の病変
この場合には、PTCAで冠閉塞をきたすと二枝の心筋梗塞になり、生命の危険性がある。この二枝がRCA(右冠状動脈)とLCX(左冠状動脈)の場合は梗塞範囲は比較的狭くPTCAは可能であるが、LADを含む場合はTypeA以外はCABGの方がよいと考えられる。
(エ) PTCAの適応
① 適応決定に必要な項目
負荷心電図や負荷心筋シンチグラフィ等によって一過性・可逆性の心筋虚血が証明され、冠動脈造影等によって病変部位、病変形態(狭窄度、狭窄長、偏在性等)、病変末梢の支配領域の大きさといった冠動脈病変の評価をして、適応を決定することとなるが、適応決定に必要な項目は次のとおりである。
a 冠動脈病変の評価:冠動脈造影による狭窄度と形態評価、フローワイヤー、圧ワイヤーによる機能的狭窄度の評価、血管内超音波検査(IVUS)による病変部の狭窄度評価と形態評価など
b 心筋虚血の証明:方法として負荷心電図、負荷心筋シンチグラフィ、負荷心エコー図、症状などがある。
② 冠動脈造影による適応
有意狭窄(何パーセント以上の狭窄が有意であるかは必ずしも一致した見解はない。)があり、その灌流域に心筋虚血が証明されている場合は適応となる。
a 実測五〇ないし七五パーセント狭窄で心筋虚血のサインが認められない場合
一般的にはPTCAの適応はない。
b 実測七五パーセント以上の狭窄で心筋虚血のサインが認められない場合
PTCAの適応がないとされているが、心筋梗塞の既往、家族歴、職業、年齢を考慮に入れ、さらに、狭窄病変の進行しているもの、近位部、入口部などの主要部分ではPTCAの適応となる。
③ 病変形態による適応
ガイドワイヤー、デバイスの改善、新しいデバイス(DCA、TEAアテレクトミー、ステント、ロータブレータなど)の登場により、ほとんどの狭窄病変に対してPTCAを行いうるようになってきている。ただし、長いび漫性の病変、石灰化の強い病変、慢性完全閉塞性病変については、PTCAの適応となりうるが、初期成功が得られても再狭窄率が高く、再PTCA又はCABGが必要になる確率が高いことから、PTCAを行うかどうかについては考慮が必要である。
④ 罹患枝数による適応
本件適応ガイドラインにおいては、AHA分類九〇パーセント以上の狭窄の有無によって罹患枝数を検討する。
a 一枝病変
一般に、PTCAのよい適応がある。左前下行枝近位部病変では病変部位、形態によりPTCAに適していなければMID―CABも含めてCABGも考慮する。
b 二枝病変(左前下行枝近位部病変を含まない場合)
病変部位、形態が適していればPTCAの適応がある。
c 二枝病変(左前下行枝近位部病変を含む場合)
一般的にCABGの適応とされてきた。しかし、ステントの発達により病変部位、形態がよければ、PTCAの適応も考慮する。
d 三枝病変
原則的にはCABGの適応である。
e 左主幹部に病変
原則的にはCABGの適応である。
(オ) CABG(待機的CABG)の適応
冠動脈造影上七五パーセント以上の狭窄があり、その灌流域の心筋虚血に対し手術効果が大きく、手術の危険性が少ない場合はCABGのよい適応となる。
① 適応決定に必要な項目
a 冠動脈造影による狭窄度、形態評価
b 心筋虚血の証明:方法として負荷心電図、負荷心筋シンチ、負荷心エコー図、症状などがある。
② 罹患枝数による適応
a 一枝病変
大きな左前下行枝近位部病変、PTCAが困難な病変形態の場合、PTCA不成功例について、CABGの適応がある。
b 二枝病変
左前下行枝近位部の病変を含む場合、左前下行枝近位部病変がPTCAの困難な病変形態の場合(特に慢性閉塞性病変)、危険にさらされた側副血行路の場合にCABGの適応がある。
c 三枝病変の場合
原則的にはCABGの適応がある。
d 左主幹部病変
原則的にはCABGの適応がある。
e その他
PTCA後の再狭窄を繰り返すものについて、CABGの適応がある。
(2) 控訴人病院の特質等及び亡太郎の病状等について
ア 控訴人病院等
控訴人が開設する控訴人病院は、PTCAの高度先進医療設備及びスタッフが整う施設であり、本件PTCA当時の厚生大臣の定めるPTCAの施設基準を満たす病院であって、年間三五〇ないし四〇〇例のPTCAを実施し、控訴人のPTCAについての学会発表も旺盛になされていたが、緊急バイパス手術に至っていたのは二年に一件程度であり、全PTCA施行例のうち〇・二パーセント未満の割合であった(乙A一一、原審における鑑定人A田)。
亡太郎の主治医であったE田医師は、昭和五七年五月に第七三回医師国家試験に合格し、平成九年一〇月から控訴人の大学医学部内科学第三講座講師を勤めているが、日本心血管インターベーション学会の指導医であって、これまで約三〇〇〇例のPTCAを施行していた(乙A一一、原審における証人E田)。
イ 亡太郎の心臓の状態等
(ア) 疾患の発症及び経過
亡太郎は、平成元年に糖尿病を発症し、平成一〇年に眼底出血があり、平成一一年八月に心電図に異常(狭心症、陳旧性心筋梗塞(無症候性))が認められたが、喫煙歴は一日に約六〇本で三〇年に及んでいた(甲A一、乙A一一、原審における証人E田)。
(イ) 平成一一年九月九日
心電図の異状精査の結果、右冠動脈末梢部分で陳旧性心筋梗塞を窺わせる所見が認められた(甲A一・五頁から一〇頁まで、一三頁、一五頁、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
(ウ) 同月二一日
運動負荷タリウム心筋スペクト(負荷心筋シンチグラフィ)検査により、心臓下壁に固定欠損が認められることから、同部心筋に梗塞を起こしたものと判断でき、同部位を灌流している右冠動脈末梢部分に病変があると考えられた。また、心尖部及び前壁中隔の心尖部側に再分布が認められ、左前下行枝の領域の虚血があると判断された(甲A一・一六頁、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
同日のマッピング心電図検査の結果、右冠動脈領域障害による後下壁の心筋梗塞があると診断された(甲A一・一九頁、二〇頁)。
(エ) 同年一一月三〇日
冠動脈造影の結果、右冠動脈三番に一〇〇パーセント狭窄、左前下行枝六番に七五パーセント狭窄、同七番及び八番に九〇パーセントのび漫性の狭窄、左回旋枝一四番に七五パーセント狭窄、同一五番に七五パーセント程度と考えられる狭窄が認められた(甲A一・二三頁、乙A一七、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。左回旋枝には末梢にもう一か所(合計三か所)狭窄が認められた(乙A一七、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
左心室造影の結果、右冠動脈四番部分は軽度の壁運動の低下を認めるが、十分な壁運動は保たれ、心筋の活動性はよいと判断され、前下行枝の中隔枝領域の中隔側と後壁及び左回旋枝領域の下壁も心筋の壁運動は保たれており、駆出率(左心室内の血液が一回の収縮で大動脈に駆出された割合で正常値は六五ないし七〇パーセント以上である(原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。)も七三パーセントと正常範囲であり、全周性に壁運動は保たれていると判断される(甲A一・二三頁、乙A一七②、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。このことから、同年九月の心電図検査及び運動負荷タリウム心筋スペクトの結果、右冠動脈末梢部分(左心室下壁部分)で陳旧性心筋梗塞があると診断されるものの、心筋が残存すると判断できる(原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
右冠動脈末梢部分(左心室下壁部分)には、左前下行枝から中隔枝を介して、及び、左回旋枝から、それぞれ側副血行が来ており、右冠動脈閉塞部(三番)手前からも閉塞部前後を架橋する側副血行(ブリッジングコラテラール)が来ている(乙A一七①②、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)が、左前下行枝から中隔枝を介して右冠動脈末梢部へ至る側副血行が非常に多く、右冠動脈末梢部は主として左前下行枝から血流を受けているものと判断される(乙A一七①②、原審における鑑定人B野、同A田)。
(オ) 平成一二年二月八日
平成一一年一一月の時点よりも、右冠動脈末梢部分の血流量が増えたことが認められ、左回旋枝からの側副血行が増えた可能性があるが、左前下行枝の中隔枝を介した側副血行も増えており、そして、左前下行枝からの側副血行が右冠動脈末梢部分への側副血行の中で最も多い(乙A一八①、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
前回PTCAが行われたことにより、左前下行枝六番の七五パーセント狭窄が二五パーセントに、同七番及び八番の九〇パーセント狭窄が二五パーセントに改善したことが認められる(原判決別紙診療経過一覧表、乙A一・一一頁、七七頁、乙A一八①ないし③)。
(カ) 平成一二年五月一六日
冠動脈検査の結果、右冠動脈三番の一〇〇パーセント狭窄、左回旋枝の一五番の七五パーセント狭窄を含む三か所の狭窄のほか、前回PTCAを行った左前下行枝六番から八、九番くらいのところまで、血流の遅延を伴う程度の高度狭窄(九九パーセント狭窄)が認められた(乙A二・二六頁、乙A一九、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
左心室造影の結果、平成一一年一一月と比較すると、前下行枝の高度狭窄のために左心室前壁から心尖部の壁運動が大幅に低下し、駆出率も六一パーセントであり、下壁の部分の壁運動の低下も認められた(乙A二・二六頁、乙A一九、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。左前下行枝から中隔枝を介しての右冠動脈末梢部への側副血行は平成一二年五月一六日時点でも認められるが、多少の遅延を伴い、同年二月段階よりも減っており、右冠動脈閉塞部手前から右冠動脈末梢部への側副血行が以前よりもはっきりしていることから、左前下行枝からの側副血行が減少したために下壁の部分の壁運動の低下につながっていると考えられる(乙A一九、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。左前下行枝の狭窄部以下は、右冠動脈閉塞部手前からの側副血行又は左回旋枝からの側副血行から血流を受けている可能性がある(乙A二・二六頁、乙A一一、乙A一九、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
(3) PTCAの適応について
ア 上記(2)のとおり、亡太郎の冠動脈疾患の状態は、前回PTCA後の再狭窄であり、左前下行枝中間部に九九パーセントの造影遅延を伴う狭窄が存することに照らすと、薬物療法のみでの対応は考えられず、治療方法としてPTCAとCABGが検討される症例であった(乙A一〇、乙A一一、いずれも原審における証人D原及び同E田、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
(ア) 心筋虚血の存在
上記(2)のとおり、亡太郎には、運動負荷タリウム心筋スペクト検査により、左前下行枝領域に虚血が存在することが判明している。しかし、左回旋枝領域については、運動負荷タリウム心筋スペクト検査では異常は認められておらず、壁運動も考慮すると、虚血はないものと認められる(甲A一・一六頁、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
また、右冠動脈末梢部については、陳旧性心筋梗塞が認められ、既に心筋が壊死している部分があると考えられるが、残存心筋があり、側副血行によって活動性が維持されていることから、残存心筋が虚血に陥っているとはいえないと考えられる。
(イ) 罹患枝数
上記(2)のとおり、亡太郎には、右冠動脈、左前下行枝及び左回旋枝に狭窄が認められるところ、左回旋枝の三か所の狭窄のうち一五番が最も大きい病変であるが、その狭窄は七五パーセント程度と考えられ(なお、控訴人病院においては、九〇パーセントと判断されているが(甲A一・二三頁、二九頁)、この点は原審における鑑定人B野、同C山、同A田に照らすと、採用することができない。)、しかも、比較的末梢の病変であるから、AHA分類の九〇パーセントを基準とすると有意な病変とはいえない。そして、右冠動脈三番は一〇〇パーセント狭窄、左前下行枝は九九パーセント狭窄であるから、罹患枝数は、これら二枝病変にとどまると認められる(原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
なお、亡太郎の右冠動脈と左回旋枝は比較的末梢の病変であるから、そこが必ずしも血行再建がなされなくとも余り予後に影響は及ぼさない病変であった(乙A一一、原審における証人E田、原審における鑑定人B野)。
(ウ) 病変部位・形態
上記(ア)及び(イ)のとおり、亡太郎は二枝病変であったが、本件PTCAに当たり、左前下行枝はその中間部である六番から九番までに狭窄を起こしており、前回PTCA後の再狭窄で、九九パーセント狭窄であり、しかし、近位部病変を含まない病変であり、そして、右冠動脈の病変は遠位部の閉塞で、その灌流域が極めて小さいため、治療目的としては特別考慮する必要はなかったから(いずれも原審における証人D原及びE田、乙A一〇、乙A一一)、これら事実によれば、本件PTCAを行うに当たり、PTCAの原則禁忌に該当する事由はなかったと認められる(乙A一一、原審における証人E田、原審における鑑定人B野、同C山)。
(エ) 側副血行等
右冠動脈末梢部は、左前下行枝、左回旋枝及び右冠動脈閉塞部手前からそれぞれ側副血行を受けており、これら側副血行は下壁の壁運動に必要であり、側副血行のうち、主たるものは左前下行枝からの側副血行であって、左前下行枝からの側副血行は、平成一一年一一月段階から前回PTCAの間に増えていたことが認められる(原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
しかし、前回PTCAの結果は良好であって、PTCAが施行できない範疇の危険側副血行路ではなかったものであり、左前下行枝は逆向きの血流(下から上に上がってくる血流)を受けており、左前下行枝自身も側副血行路を受けていたものと考えられるので、左冠動脈からの逆行きの血流が、更に側副血行路となって右冠動脈に行くことはありえず、本件PTCA時には、右冠動脈抹消への血流は、前回PTCA時に比し、右冠動脈自身からの側副血行路、右回旋枝からの側副血行路によって維持されており、中隔枝から右冠動脈への血流は低下し、左前下行枝からの側副血行も減少しており、そして、回旋枝の方までPTCAの障害が及ぶことは想定できず、右冠動脈末梢への血流が途絶したとしてもその影響は小さく、したがって、左前下行枝中間部病変をPTCAの適応を判断する際の「危険にさらされた側副血行路派生血管の病変」と解することはできないと認められる(原審における鑑定人B野、同C山)。原審における鑑定人A田には、左冠動脈から右冠動脈への側副血行は危険側副血行であるとの部分があるが、同鑑定結果部分は、上記認定の事実に照らして採用することができない。
イ そこで、上記のように亡太郎の病変形態、罹患枝数、危険側副血行路はなかったことに加え、PTCAとCABGとで、三年ないし六年後の死亡率、心筋梗塞の発症率に有意差がないこと、また、CABGは心臓を停止させて人工心肺により灌流を図るものであり(甲A九)、外科的手術であるため身体的侵襲が大きいこと、控訴人病院は、PTCAの高度先進医療設備及びスタッフが整う施設であったことを併せ考慮すると、本件適応ガイドラインを基準としても、本件PTCA当時亡太郎にはPTCAの医学的具体的適応があったものと認められる。
なお、原審における鑑定人A田は、亡太郎の同意があればPTCAの適応が是認される旨の意見を陳述するが、医学的具体的適応が患者の同意の有無によって決定されると解することは相当でない。次に、被控訴人らは、前回PTCAにおいて、解離が生じたこと等から、本件PTCAの適応がなかったと主張するが、前回PTCAにおいては、発生した解離の修復がなされ、血流が保たれており(乙A一一、乙A一八の②③、原審における証人E田、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)、また、前回PTCAにおいてCPK(クレチアン・キナーゼ)の上昇が認められるものの、その程度は正常値の一・五倍程度であり、解離の修復がされたことなどを考慮すると、一過性の軽度の虚血の可能性はあるが、有意な上昇とは認められない(乙A一一、いずれも原審における証人E田及び同D原、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。さらに、PO2の低下が起こったことについても、血流が改善され、前壁から心尖部の壁運動も良好であり(乙A一・一三頁)、造影剤の使用、脱水の状況等による影響も考えられることからすれば、心機能の低下によって生じたとも考えにくく(原審における鑑定人B野、同C山、同A田)、本件PTCAに悪影響を及ぼすものとは認められないので、本件PTCAの適応の判断には影響しないというべきである。
(4) CABGの適応について
ア 上記のとおり、本件PTCA当時、亡太郎の症状は二枝病変であり、左前下行枝に病変がある症例であるから、本件適応ガイドラインを基準としても、CABGの適応があると認められる(甲A二、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。もっとも、CABGを実施する場合、前下行枝三か所、右冠動脈末梢一か所のほか、場合によっては左回旋枝三か所もバイパスすることになり、バイパス部位や数の点から手技的にも難度は高くなり、心機能が低下していることから、二、三パーセントの合併症の危険があると考えられる(原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
ところで、本件PTCAにおいて、結果的には緊急CABGで内径の小さい末梢にしかバイパスできなかった(乙A二、五及び一一、原審における証人E田)が、予定手術(待機的CABG)であれば、上記箇所をバイパスすることは可能であったことが認められる(甲A二、原審における鑑定人B野、同C山、同A田)。
イ 以上によれば、亡太郎にはPTCAとCABGのいずれも医学的具体的適応があるものというべきである。
二 争点(2)について
(1) 控訴人担当医師らの説明と亡太郎の同意について
ア 《証拠省略》によると、以下の事実が認められる。
(ア) PTCAとCABGには身体に対する侵襲性の違いがあり、アメリカなどに比べて、日本においては、侵襲性の高い治療方法が避けられる傾向があり、CABGよりもPTCAが患者に好まれる傾向がある。そして、亡太郎は、平成一一年一一月の冠動脈造影検査を嫌がって拒否したことがあり、前回PTCAについても担当医師からの説得によってこれに応じたものであって、侵襲性の低い治療方法を好む傾向が強かった。
また、亡太郎は、控訴人病院から、上記冠動脈造影検査の際、検査の意義及び概要、起こりうる合併症等について記載された説明書を受け取って説明を受け、また、前回PTCAに際して、PTCAの概要、効果、起こりうる合併症等について記載された説明書を受け取って説明を受け、さらに前回PTCAを受けるに際しては、控訴人担当医師らからCABGについても説明を受けたが(乙A六)、これを希望せず、また、CABGの具体的治療方法及びリスクについての説明を求めることはしなかった。
(イ) D原医師は、亡太郎及び被控訴人花子に対し、平成一二年五月一七日の昼ころ、控訴人病院病棟のシネ室(個室)において、約三〇分前後にわたり、本件PTCAについて、①前日の冠動脈造影検査で左前下行枝中間部に再狭窄が発見され、PTCAをもう一度行った方がよいこと、②CABGについても検討したが、血管が細くてバイパスを繋ぐ適切な部位が存在しないこと、③PTCAによる侵襲はCABGに比較して小さいこと、④再狭窄においてもPTCAによる対応が可能であり、PTCAの適応があること、⑤本件PTCAでは、前回PTCAでも使用したカッティングバルーンを使用すること、⑥PTCAも身体に対する侵襲であるから一〇〇パーセント安全ではないこと等を説明した。
(ウ) D原医師は、亡太郎及び被控訴人春子に対し、同月一九日、亡太郎のベッドサイドにおいて、PTCA用の説明書(乙A六)がなかったため、心臓カテーテル検査(冠動脈造影)用の説明書(乙A七)を代わりに示しながら、①本件PTCAではロータブレータではなくカッティングバルーンを使用するが、適宜適切な治療器具を使用して拡張を図る予定であり、基本的には前回PTCAと同様であること、②PTCAにおいては、冠動脈穿孔、血栓塞栓症、心筋梗塞などもろもろの合併症が一パーセント以下の確率で起こりうること、〇・五パーセント以下ではあるが死亡することもあること、③CABGに比して低侵襲であることを説明し、心臓カテーテル検査(冠動脈造影)用の説明書(乙A七)に「PTCA」と書き加え、同意書に亡太郎の署名押印を得た上で、同説明書を改めて熟読するよう求めた。
(エ) 亡太郎は、CABGの治療方法を知っていたが、本件PTCAを受けるに際し、CABGに関する関心を示さなかった。
イ 上記アの認定事実によると、亡太郎は、以前にPTCAと手技に類似性のある冠動脈造影検査及び前回PTCAを受けたことがあり、それぞれについてその都度、検査・治療方法の概要、効果、起こりうる合併症等について記載された説明書を受け取って説明を受けており、D原医師は、本件PTCAを施行するに先立ち、亡太郎に病変の概要、PTCAの必要性、適応、手技の概要、危険性について説明し、更に、数日後、亡太郎にPTCAの説明と同内容の心臓カテーテル検査(冠動脈造影)用の説明書を示して本件PTCAの概要及び合併症等について説明をしたから、亡太郎は、D原医師の本件PTCAについての説明内容を理解し、その上で本件PTCAを受けることに同意したものと認められる。
(2) そこで、説明義務違反の有無について検討すると、医師は少なくとも診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に従った医療行為をなせば足りるのであるから、既に治療方法として確立されているものがあれば、それを選択する前提として、その説明をすれば、医師としての説明義務は尽くしたものと解される。そして、どのような医療行為を受けるかについての患者の自己決定権は、医師の説明義務の有無・内容・範囲等を検討するに当たり重要な要因であるが、専門的知識及び技量を有する医師の行う医療行為は専門的、技術的であり、また、患者の実際の病気の内容、程度、病状の進行、医療行為の効果、患者側の性格その他の固有の事情などは不確定要素が伴うから、上記のような医療水準に従った医療行為の範囲であっても、医師が如何なる医療行為を選択するかについては、当該医師行為の専門的高度に応じた医学的判断に基づく医師の裁量権が認められるものというべきである。そして、医師の患者に対するその医療行為の説明については、当該医療行為の種別、内容及びその必要性及びこれに伴う危険性の程度、緊急性の有無、患者の年令、性格、家族関係等の知りえた個別事情等を踏まえ、説明の時機、内容及び表現等についてはその裁量に委ねられているものと解するのが相当である。
本件においては、亡太郎には冠動脈の狭窄病変があり、控訴人は亡太郎とその治療についての診療契約を締結したところ、上記認定のとおり、亡太郎はPTCA適応であり、PTCAは臨床医学の実践における医療水準に従った医療行為であって、控訴人病院は、PTCAの高度先進医療設備およびスタッフが整う施設であり、本件PTCA当時の厚生大臣の定めるPTCAの施設基準を満たす病院であって、年間三五〇ないし四〇〇例のPTCAを実施し、控訴人のPTCAについての学会発表も旺盛になされていたが、緊急バイパス手術に至っていたのは二年に一件程度であり、全PTCA施行例のうち〇・二パーセント未満の割合であり、主治医のE田医師は、日本心血管インターベーション学会の指導医であって、これまで約三〇〇〇例のPTCAを施行しており、亡太郎は低侵襲性のある治療方法を望んでいたから、これら事実を考慮すると、D原医師がその知見と経験に照らし、亡太郎に対する治療としてPTCAを選択したことは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に従った医療行為であるということができる。
次に、亡太郎は、前回PTCAの前にPTCAの概要、効果、起こりうる合併症等について記載された説明書を受け取って説明を受け、D原医師は、本件PTCAに先立ち、亡太郎及びその家族に対し、病変の概要、PTCAの必要性、適応、手技の概要、危険性について説明し、更に、数日後、亡太郎にPTCAの説明と同内容の心臓カテーテル検査(冠動脈造影)用の説明書を示して本件PTCAの概要及び合併症等について説明し、亡太郎は侵襲性の低い治療方法を好む傾向が強く、前回PTCAの際に控訴人担当医師らからCABGについても説明を受けたがこれを希望せず、本件PTCAを受けるに際してもCABGに関する関心を示さず、そして、亡太郎の冠動脈の狭窄病変に対する治療として、CABGを実施する場合、前下行枝三か所、右冠動脈末梢一か所のほか、場合によっては左回旋枝三か所もバイパスすることになるので、バイパス部位や数の点から手技的にも難度は高くなり、心機能が低下していることから、二、三パーセントの合併症の危険があると考えられたから、PTCAよりもCABGの方が安全で、効果も大きく、予後も良好であるとはいえなかったので、以上のような事実に照らすと、D原医師が亡太郎及びその家族に対し亡太郎の冠動脈の狭窄病変に対する治療方法としてCABGとPTCAについて行った説明は、亡太郎及びその家族が本件PTCAを受けるかどうかを判断するにつき必要な情報を包含しており、医師の裁量の範囲内のものであると認められ、そして、その際、D原医師がCABGとPTCAを並列的に説明せず、PTCAに重点をおいて説明したことも、不当ということはできない。
もっとも、被控訴人らは、控訴人担当医師らが亡太郎及びその家族に対し、本件PTCAの具体的な危険性や本件PTCAと比較した場合のCABGの利点について何ら説明せず、CABGの実施が困難である旨の誤った情報を提供し、また、PTCAの侵襲性がCABGよりも低いことを強調したために、亡太郎が本件PTCAはその症状に対して適応を有するもので、特に難度(危険度)の高いものではないと誤解し、さらに、亡太郎の症状に対してCABGを実施することは困難であると誤解して、本件PTCAの実施に同意したものである旨主張する。しかし、上記認定のとおり本件PTCAは亡太郎の冠動脈の狭窄病変に対し医学的具体的適応がある治療方法であり、そして、D原医師は亡太郎に対し、CABGについても検討したが、血管が細くてバイパスを繋ぐ適切な部位が存在せず、PTCAによる侵襲はCABGに比較して小さいと説明したところ、血管が細くてバイパスを繋ぐ適切な部位が存在しないとの説明は、上記のように亡太郎に対するCABGは手技的にも難度が高くなることを平易に述べたものと解され、その他の説明部分は事実に反するものではなく、また、亡太郎は前回PTCAを受ける際に控訴人担当医師らからCABGについても説明を受けていたから、控訴人担当医師らがPTCAやCABGの適応につき亡太郎に誤った説明をし、そのため亡太郎がPTCAやCABGの適応につき誤解して本件PTCAの実施に同意したものと認めることはできない。
(3) 説明義務違反を理由とする不法行為又は債務不履行による損害賠償請求について
以上のとおり、D原医師の亡太郎に対する上記説明は、その裁量の範囲を逸脱するものではないから説明義務違反は認められず、患者の選択権及び自己決定権を侵害するものではないので、被控訴人らの説明義務違反を理由とする不法行為(使用者責任)又は診療契約の債務不履行による損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
三 争点(3)ないし(8)について
争点(3)ないし(8)に対する当裁判所の判断は、原判決「事実及び理由」中の「第三争点に対する判断」の二ないし七(原判決五二頁一一行目冒頭から同六二頁二一行目末尾まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
第四結論
以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人らの控訴人に対する本件各請求はいずれも理由がない。
よって、被控訴人らの本件各請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきであり、これと異なる原判決中控訴人敗訴部分は相当ではないから取り消すこととし、訴訟費用の負担について民訴法六七条、六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大喜多啓光 裁判官 水谷正俊 河野清孝)