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東京高等裁判所 平成16年(ネ)3206号 判決 2004年10月14日

控訴人・附帯被控訴人(被告。以下「控訴人」という。)

財団法人海外漁業協力財団

同代表者理事

同訴訟代理人弁護士

牛嶋勉

被控訴人・附帯控訴人(原告。以下「被控訴人」という。)

主文

1  本件控訴に基づき,原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  上記取消しに係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。

3  本件附帯控訴(被控訴人が当審で追加した請求を含む。)を棄却する。

4  訴訟費用(附帯控訴費用を含む。)は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴の趣旨

(1)  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

(2)  上記取消しに係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。

2  附帯控訴の趣旨

(1)  被控訴人が,3等級22号俸の地位にあることを確認する。

(2)  原判決主文第4項を取り消し,控訴人は,被控訴人に対し,<1> 平成14年7月の未払給与8万5302円及びこれに対する同月16日(給与支払日)から支払済みまで年5分の割合による金員,<2> 平成14年7月から同年11月までの各月の給与差額分各6000円及びこれに対する同年7月から同年11月までの各月16日から支払済みまで年5分の割合による金員,<3> 平成14年12月から平成15年6月までの各月の給与差額分各5900円及びこれに対する平成14年12月から平成15年6月までの各月16日から支払済みまで年5分の割合による金員,<4> 平成15年7月から同年11月までの各月の給与差額分各5500円,同年12月から平成16年6月までの各月の給与差額分各5400円及びこれに対する平成15年7月から平成16年6月までの各月16日から支払済みまで年5分の割合による金員並びに<5> 平成16年7月以降本判決確定までの各月の給与差額分各5400円及びこれに対する平成16年7月16日以降各月16日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。

(3)  原判決主文第5項を取り消す。

(4)  控訴人の所内掲示板に,本件懲戒処分無効確認を明示した謝罪文を掲示せよ。

( なお,被控訴人は,附帯控訴の趣旨には掲げていないが,原判決のうち被控訴人の100万円の慰謝料請求を棄却した部分についても,不服を申し立てているものと解される。また,被控訴人が当審で追加した附帯請求は,不支給の給与及び差額給与に対する遅延損害金の支払を請求する趣旨と解する。)

3  被控訴人の原審における請求の趣旨

(1)  控訴人が,被控訴人に対してした平成14年6月17日付け懲戒処分が無効であることを確認する。

(2)  控訴人が,被控訴人に対してした平成14年6月17日付け懲戒処分により被控訴人の名誉が著しく毀損し信用が失墜したことを確認する。

(3)  被控訴人が,3等級21号俸の地位にあることを確認する。

(4)  控訴人は,被控訴人に対し,15万6602円及び平成15年7月以降毎月金5500円を支払え。

(5)  控訴人は,被控訴人に対し,100万円を支払え。

第2事案の概要

1  本件は,被控訴人が,控訴人の非常勤理事,監事及び評議員に対し,控訴人の常勤理事たちが卑劣で不当かつ違法な行為を行った,控訴人にはもはや自浄能力がないなどと記載した文書を送付したところ,控訴人が,被控訴人の前記行為は,控訴人の名誉と信用を著しく傷つけるものであるとして,平成14年6月17日付けで懲戒処分(3日間の停職。以下「本件懲戒処分」という。)に処したことから、被控訴人がこれを無効であるとして,<1> 本件懲戒処分の無効確認,<2> 停職に伴う不支給の給与8万5302円の支払,<3> 本件懲戒処分による昇給延伸がなかった場合の昇給した地位(3等級21号俸)の確認,<4> 昇給延伸がなかった場合との差額給与として平成14年7月1日から平成15年6月までの間の差額給与合計7万1300円の支払,<5> 平成15年7月1日以降の差額給与月額5500円の支払,<6> 本件懲戒処分により,控訴人における被控訴人の名誉が著しく毀損され信用が失墜したことの確認及び<7> 不法行為に基づく慰謝料100万円の支払を求めた事案である。

2  原判決は,本件懲戒処分の無効確認請求(前項<1>),被控訴人が3等級21号俸の地位にあることの確認請求(同<3>),停職に伴う不支給の給与8万5302円(同<2>)及び平成14年7月1日から平成15年6月までの昇給延伸がなかった場合との差額給与合計7万1300円(同<4>),平成15年7月から本判決確定までの同差額給与請求(同<5>の一部)を認容したが,慰謝料100万円の支払請求(同<7>)を棄却し,本件懲戒処分により,被控訴人の名誉が著しく毀損され信用が失墜したことの確認請求(同<6>)及び本判決確定後の差額給与の支払請求(同<5>の残部)に係る訴えをいずれも却下した。

3  控訴人は,原判決を不服として控訴をしたところ,被控訴人は,附帯控訴を申し立てて,訴えを変更し,前記附帯控訴の趣旨記載のとおりの裁判を求めたが,被控訴人の上記訴えの変更は,従前の請求から,本件懲戒処分により控訴人における被控訴人の名誉が著しく毀損され信用が失墜したことの確認請求(第1項<6>)及び本判決確定後の差額給与の支払請求(同<5>のうち原判決が却下した部分)に係る訴えを取り下げるとともに,地位確認請求(同<3>)の対象を3等級22号俸に交換的に変更し,かつ,不支給の給与と差額給与に対する遅延損害金請求及び不法行為に基づく謝罪文の掲示請求を追加するものである(ただし,平成15年12月分以降の差額給与の支払請求については,減縮された。)。これに対し,控訴人は,謝罪文の掲示請求は,時機に後れたものであるから適当でないが,その余の訴えの変更については,異議がない旨を陳述した。

4  前提となる事実及び争点は,次のとおり補正し,後記5のとおり被控訴人の当審における新たな請求に係る主張を付加するほかは,原判決「事実及び理由」欄「第2 事案の概要」の1及び2(原判決2頁23行目から15頁10行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決10頁13行目から23行目までを次のとおり改める。

「(五) 給与の取扱

控訴人は,本件懲戒処分により,被控訴人の平成14年7月分の給与のうち停職期間中の3日分合計8万5302円を支払わなかった。(争いのない事実)

被控訴人は,前記給与規程細則により,本件懲戒処分から1年間の昇給停止となり,3等級19号俸に据え置かれた。本件懲戒処分がされなければ,平成14年7月1日付けで3等級20号俸に,平成15年7月1日付けで3等級21号俸に,平成16年7月1日付けで3等級22号俸に定期昇給するはずであった。本件懲戒処分がされなかったとすれば,平成14年7月から同年11月までの給与の差額は月額6000円で合計3万円であり,平成14年12月から平成15年6月までの給与の差額は月額5900円で合計4万1300円であり,平成15年7月以降の給与の差額は月額5500円であったが,同年12月の給与改定により,同月から平成16年6月までの差額は月額5400円となった。さらに,同年7月以降の差額も月額5400円である。(争いのない事実)」

(2)  同頁25行目から11頁4行目までを削る。

5  被控訴人の当審における新たな請求に係る主張

(1)  本件懲戒処分がされなければ,被控訴人は,平成16年7月1日付けで3等級22号俸に昇給していたのであるから,被控訴人は,被控訴人が控訴人において3等級22号俸の地位を有することの確認を求める(被控訴人が当審で請求する地位確認の対象は,前記のとおり,3等級22号俸であるが,3等級22号俸は,俸給表に表示された給与の等級にすぎず,それ自体が法律上の地位であるとはいえないから,その趣旨は,3等級22号俸の給与の支給を受けることのできる地位にあることの確認を請求するものと解する。)。

(2)  判決により本件懲戒処分の無効が確認されたとしても,そのことが控訴人の内部に周知されるものではない上,原判決言渡後も控訴人が控訴を申し立てて争っており,被控訴人の精神的苦痛が継続していること,本件懲戒処分が被控訴人の弁解を聴取せずに行われたという手続的違法の瑕疵を帯びていることなどの事情を考えれば,被控訴人が,本件懲戒処分によって被った精神的損害は甚大であり,その無効確認判決だけで解消されるものではない。また,控訴人の内部において,被控訴人の名誉,信用の回復を明確にするためには,控訴人の所内掲示板に本件懲戒処分が無効であることを明示した謝罪文を掲示することが必要である。

第3当裁判所の判断

1  本件懲戒処分は,控訴人の就業規則(就業規程)第42条第1号(「財団に関する法令および諸規程に違反したとき。」)及び第3号(「職務の内外を問わず,財団の信用を傷つけ,または財団に損失を及ぼすような行為があったとき。」)を懲戒事由とするものである。

2  当裁判所も,被控訴人の本件行為は,控訴人の就業規則第42条第3号の懲戒事由には該当しないものと判断する。その理由は,次のとおり補正するほかは,原判決「事実及び理由」欄「第3 争点に対する判断」の2(一)及び(二)(原判決15頁21行目から32頁16行目まで)に説示するとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決24頁21行目の「したがって,」から同25頁7行目末尾までを次のとおり改める。

「しかしながら,労働者は,人的,継続的な性格を有する労働契約の特殊性から,使用者の名誉,信用を毀損してはならないという誠実義務を負う一方で,市民として表現の自由を有しているのであるから,労働者がした使用者の名誉,信用の毀損行為のすべてを懲戒の対象とするのは相当ではなく,当該表現に係る事実の内容が概ね真実であるか,真実であると信じるについて相当な理由がある場合には,その表現の主体,表現の相手方や表現の仕方,表現の目的,意図やその経緯,表現行為の結果などの諸事情を総合考慮の上,当該表現行為が懲戒事由を定めた就業規則(「職務の内外を問わず,財団の信用を傷つけ,または財団に損失を及ぼすような行為があったとき。」)に該当するか否かを判断すべきである。」

(2)  同32頁3行目の「実質的に」から6行目末尾までを次のとおり改める。

「控訴人の就業規則所定の懲戒事由である『職務の内外を問わず,財団の信用を傷つけ,または財団に損失を及ぼすような行為があったとき。』に該当するとはいえない。」

3(1)  次に,控訴人の就業規則(就業規程)第42条第1号所定の懲戒事由(「財団に関する法令および諸規程に違反したとき。」)の存否について検討するに,原審証人Cの証言及び弁論の全趣旨によれば,被控訴人の本件行為によって,文書を送り付けられた控訴人の非常勤理事や監事,評議員(以下「理事等」という。)の中には,控訴人に問い合わせの電話をかけてきた者がおり,控訴人は,近く開催される予定であった理事会や評議員会において理事長が説明する旨を告げて対応したこと,控訴人の理事長が,平成14年6月の理事会及び評議員会の際,理事等に対し,被控訴人に関する調査を人事管理上の都合から実施した旨説明し,お騒がせして申し訳ないなどと陳謝したことが認められる。

被控訴人の本件行為は,平成12年1月29日のBによる尾行に控訴人が関与していたか否かについて,本件文書を理事等に送付して理事等の圧力を利用することにより,自らに有利な解決を図ろうとの意図に基づくものであることが容易に推測し得る。控訴人の組織上,理事は業務執行機関である理事会の構成員であり,監事は監査機関であり,評議員は理事や監事を選任し,あるいは理事長の諮問に応じて助言をする評議員会の構成員であると定められている(<証拠省略>)ところ,これらの理事等を,自己の上記目的を達するために利用することは,控訴人の組織運営上予定されていないことは明らかというべきである上,送付された文書の内容も,控訴人が主導して違法な尾行を行ったことを前提に,控訴人を弾劾するもので,これを受け取った理事等が困惑したことは容易に推測することができるし,前記のとおり,被控訴人の本件行為により,理事長が説明や陳謝を余儀なくされるなど,控訴人の業務に支障が生じたことは明らかである。

ところで,控訴人の就業規則第4条第1項には,「職員は,財団の公益的使命を自覚するとともに,諸規則を守り,責任感と誠実さをもって勤務し,相互に人格を尊重して職場の秩序維持に努め,その職務を遂行しなければならない。」と定められており,控訴人の職員である被控訴人は,同項に基づき,職場の秩序を維持する責務を負担しているのであるが,被控訴人の本件行為は,前記のとおり,控訴人の業務に支障を生じさせたもので,控訴人の職場の秩序を乱したものというほかないから,被控訴人は,控訴人の上記就業規則の規定に違反したといわざるを得ない。したがって,被控訴人の本件行為は,控訴人の就業規則(就業規程)第42条第1号所定の懲戒事由(「財団に関する法令および諸規程に違反したとき。」)に該当するといわなければならない。

確かに,本件行為に関しては,文書の送付を受けた理事等から控訴人に問い合わせがされたり,理事長が説明や陳謝をした程度で事態が収束しており,控訴人の業務に深刻な影響を与えたとまでは評価することはできないが,そのことから直ちに,被控訴人が職場の秩序を乱したことが否定されるものではない。また,前記引用に係る原判決の認定事実によれば,本件においては,控訴人が,平成12年1月29日にBによる尾行が発覚した後,被控訴人が自らあるいは組合や弁護士を通じて,控訴人に申し入れた話し合いに十分な対応をせず,Bによる尾行が控訴人の依頼に基づくものであるかどうかについてもなかなか明確にしようとせず,平成14年5月23日付けの文書による回答で,ようやく抽象的に被控訴人に関する調査を依頼した事実を認めるに至ったものであって,以上の経緯が被控訴人が本件行為に及んだ主要な原因であったと解され,これらは被控訴人のために有利な事情として斟酌されるべきものではあるが,そのことから直ちに,前記懲戒事由の該当性が失われるものではない。

(2)  そして,被控訴人には懲戒処分(戒告)の前歴があることや,本件懲戒処分の内容が3日間の停職という比較的軽いものであったことを考えれば,被控訴人のために斟酌すべき上記諸事情を考慮してもなお,本件懲戒処分が重きに失するということはできないし,他に本件懲戒処分が懲戒権の濫用に当たるというべき事情もうかがうことができない。

(3)  以上のとおり,本件懲戒処分は有効であると解するのが相当というべきである。

(4)  なお,被控訴人は,当審において,本件懲戒処分が被控訴人に弁明の機会を与えることなく行われたもので,手続的にも違法であって,本件懲戒処分は権利の濫用であって無効である旨を主張する。

確かに,被控訴人が平成14年5月31日付けの本件文書を送付する本件行為を行ってから控訴人による同年6月17日付けの本件懲戒処分がなされるまでの間に控訴人から被控訴人に対して弁明の機会が与えられたことを認めるに足りる証拠はないが,控訴人の就業規則上,懲戒手続において,対象者に弁明の機会を与えることを定めた規定はないこと,また,被控訴人が本件行為を行ったことは明らかである上,前記引用に係る原判決の認定事実によれば,被控訴人が本件行為に及んだ背景やその意図,目的は,控訴人においても,容易にこれを知り得ることができたものと解され,これによれば,控訴人においては,被控訴人が弁解として主張したであろう事情は認識していたものとも考えられること,そして,本件懲戒処分は3日間の停職という比較的軽微な内容であること等前記の事情に照らすと,控訴人が被控訴人に弁明の機会を与えずに本件懲戒処分をしたことが権利の濫用として無効であると解することはできない。

よって,被控訴人の上記主張は,採用することができない。

4  まとめ

上記のとおり,本件懲戒処分は有効であるから,被控訴人の本件懲戒処分無効確認請求は理由がない。また,被控訴人のその余の請求(当審で追加された分を含む。)は,本件懲戒処分が無効であることを前提とするものであるから,いずれもその前提を欠くことになり,その余の点について判断するまでもなく失当であるといわざるを得ない。したがって,被控訴人の本件各請求は,全部棄却すべきものであるから,その一部を認容した原判決は不当といわなければならない。

第4結論

以上のとおり,本件控訴は理由があるから,本件控訴に基づき原判決中控訴人敗訴部分を取り消し,上記取消しに係る被控訴人の請求及び被控訴人が当審で追加した請求をいずれも棄却するとともに,本件附帯控訴を棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 濵野惺 裁判官 小林昭彦 裁判官 長久保尚善)

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