東京高等裁判所 平成16年(ネ)3330号 判決 2004年9月30日
控訴人・附帯被控訴人
D原梅夫(以下「控訴人」という。)
訴訟代理人弁護士
加藤雅明
被控訴人・附帯控訴人
A野太郎(以下「被控訴人太郎」という。)
他3名
四名訴訟代理人弁護士
石川順子
同
白井劍
同
岡村実
同
河村健夫
主文
一 本件控訴に基づき、原判決主文第四項のうち控訴人に係る部分を取り消す。
二 上記取消しに係る部分の被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
三 本件附帯控訴をいずれも棄却する。
四 控訴費用は控訴人の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
(1) 主文第一、二項と同旨
(2) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
本件控訴をいずれも棄却する。
三 附帯控訴の趣旨
(1) 原判決中、被控訴人らの控訴人に対する請求に関する部分を次のとおり変更する。
(2) 控訴人は、被控訴人太郎に対し四四万円、その余の被控訴人らに対し各二二万円をそれぞれ支払え。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。
四 附帯控訴に対する答弁
本件附帯控訴をいずれも棄却する。
第二事案の概要
一(1) 亡A野花子(以下「亡花子」という。)が平成一一年二月一一日に東京都立広尾病院(以下「広尾病院」という。)において術後療養中に死亡したのは、広尾病院の担当看護婦が投与薬剤をヘパリンナトリウム生理食塩水(以下「ヘパ生」という。)とすべきところ、誤ってヒビテングルコネート液(以下「ヒビグル」という。)としたことによるものであった(以下「本件医療事故」という。)。
本件は、亡花子の遺族である被控訴人ら(被控訴人太郎は夫、被控訴人一郎は長男、被控訴人二郎は二男、被控訴人松夫は父)が、本件医療事故に関し、次のとおり主張して、控訴人に対し後記の金員の支払を求めた事案である。
ア 診療契約の当事者である医療機関開設者の東京都(控訴人の一審相被告)は、診療契約の相手方である患者又はその遺族に対し、原因を究明した上で診療情報や死因を開示し、顛末の報告説明をする法的義務を負い、したがって、東京都の地方公務員で広尾病院の院長である控訴人は被控訴人らに対し、亡花子の死因を開示して顛末を報告説明する義務を負う。
イ 控訴人は、広尾病院の院長で、本件医療事故についての対策会議(以下「本件対策会議」という。)の主催者であり、同事故について広尾病院の対応方針を決定づける立場にあったから、同会議終了後直ちに本件医療事故を警察へ届け出るなどして、亡花子の死因を解明すべきであった。
しかるに、控訴人は、
① 本件対策会議において、本件医療事故を警察に届け出る方針にいったん決定した後で、東京都病院事業部のD川一夫(以下「D川」という。)の発言からくみ取れる病院事業部の意向を受けて、被控訴人ら遺族に誤投薬の可能性を説明した上で病理解剖の承諾を取る方針に転換し、病院事業部の意を受けて、被控訴人ら遺族に対し誤投薬に関する概略的な説明をしただけで病理解剖の承諾を取り付け、病理解剖を担当した医師らから誤投薬の事実はほとんど間違いがないとの報告を受けても、本件医療事故を警察に届け出なかった、
② 亡花子の血液検査の指示に当たっても、a ヒビグルの検出が期待できないような原始的な検査方法によるように指示し、b 広尾病院においてはヒビグルを検出できるクロマトグラフィー等による検査が可能な設備を備えていないことを認識しながら、外部機関へのヒビグルの検出依頼を早急に行わなかった、c 被控訴人ら遺族から求められた中間報告書の提出期限直前に至って、このまま検出依頼をしない状態を続けると被控訴人ら遺族から不信の念を持たれるなどの問題が生じ、このままではもたないとの判断でようやく外部機関に検出を依頼した、d その一方で、病院事業部の指示により民間の外部機関への検出依頼は撤回するなど、ヒビグルを検出する血液検査をなるべく回避しようとして東京都の原因究明義務の履行を妨害した。
控訴人のこれらの行為は、死因究明義務ないし死因解明義務に違反する。
ウ 控訴人は、平成一一年三月一一日に被控訴人太郎に死亡診断書の作成を依頼された広尾病院医師E原夏夫(以下「E原」という。)から死亡診断書の記載内容について相談を受けた。
① 控訴人は、同年二月一一日付けで作成された死亡診断書には死因は不詳の死と記載され、その後、亡花子に対する誤投薬の事実が明らかになりつつあった以上、新たに作成する死亡診断書の死因は外因死と記載するか、少なくとも前回と同じく不詳の死と記載すべきであったのに、E原、A田秋夫(以下「A田」という。)及び副院長両名と相談の上、死亡の種類欄に「病死及び自然死」と虚偽の記載をすることで合意し、E原に指示してその旨の記載をさせ、誤投薬の事実を被控訴人ら遺族に伝えなかった。
② また、控訴人は、被控訴人太郎及びC川竹子の立会いの下に亡花子の死亡宣告が行われたのは同年二月一一日午前一〇時二五分であったのに、医師法二一条の届出義務を回避するため、同年三月一一日付け死亡診断書に死亡時刻を同年二月一一日午前一〇時四四分と記載して、死亡診断書に医療機関に都合のいいような虚偽の事実を記載した。
控訴人のこれらの行為は、被控訴人らに対する情報開示・説明義務に違反する。
エ よって、被控訴人らは、債務不履行又は不法行為に基づき、控訴人に対し損害金(被控訴人太郎につき二四〇万円、その余の被控訴人らにつきそれぞれ一二〇万円)の支払を求める。
(2) これに対し、控訴人は、次のとおり主張して争った。
ア 前記原因究明義務違反の主張を争う。
① 医療機関は、患者が死亡した場合には遺族に対し死亡の経過を説明すれば十分であり、死因解明に必要な措置を提案する法的義務は存しない。医療機関の警察に対する医療事故届出義務を根拠として遺族への説明義務を導き出すことはできないし、憲法が黙秘権を保障した趣旨からも、医療機関が遺族に対し警察へ届け出ることを信義則上の法的義務として負うとはいえない。
② 仮に、医療機関が遺族に対する関係で医療事故を警察に届け出る法的義務を負うとしても、a 控訴人は、平成一一年二月一二日昼前ころに、遺族に対し、亡花子の死亡原因としては心疾患等の疑いがある一方で、薬の取り違えの可能性もあること、死亡原因究明のために亡花子の死体を広尾病院で病理解剖させてほしいこと、もし遺族の側で広尾病院が信用できないというのであれば警察に連絡した上で監察医務院等で解剖を行う方法もあると説明して、病理解剖の遺族の承諾を得て、広尾病院において病理解剖を実施して、臓器や血液を保存し、できる限り真相の究明を目指して、臓器及び血液の組織学的検査や残留薬物検査を行うように広尾病院の職員らに指示した、b 亡花子の血液検査を専門家に依頼した、c その結果、最終的には、控訴人が推し進めた広尾病院による病理解剖を基礎として亡花子の死亡原因が解明されたのであるから、控訴人に原因究明義務違反はない。
イ 前記情報開示・説明義務違反の主張を争う。
① 診療契約の当事者は医療機関と患者であり、遺族は診療契約の当事者でない。
② 仮に、医療機関が診療行為の結果を遺族に説明する義務があるとしても、契約上の義務ではなく、信義則上、診療債務の履行に付随する義務又は医の倫理から要請される義務であること等に照らせば、医療機関としては、遺族に対し、診療行為に基づく結果発生に至るまでの経緯を一応明らかにすれば十分であり、必ずしも厳密な意味において正確な内容でなくとも、概括的な説明をすれば、説明義務は尽くされたと解すべきである。本件において、広尾病院は、本件医療事故の翌日である平成一一年二月一二日、遺族に事故の概要を説明しているから、控訴人に説明義務違反はない。
ウ 平成一一年三月一一日付け死亡診断書に関する主張を争う。
① 上記死亡診断書の死亡欄の記載内容は、原因究明義務や情報開示・説明義務と無関係である。
② 控訴人は、E原から死亡診断書の記載方法につき相談を受けた際、A田らとともにこれに応じ、その際の協議において、病理解剖で急性肺血栓塞栓症とされていることに照らすと現段階では病死と記載する方向でいいという意見に落ち着いたことから、E原にその旨助言したにすぎず、控訴人の助言は、当時の知見に照らせば、不当とはいえない。
③ 医療行為については、医師は独立してその職務を行うものであるところ、診断書の作成はE原の全権に属するから、控訴人の助言は単なる参考意見にすぎず、その助言が法的責任を根拠付けるとはいえない。
エ 控訴人の事故処理は、国家賠償法一条にいう「公権力の行使」に当たるから、公務員個人である控訴人は責任を負わない。
オ 仮に、控訴人に何らかの義務違反があったとしても、それによる損害は、生命侵害に対する慰謝料に包含されており、独立に法的保護に値する損害とは評価できないし、また、説明義務は、医療過誤による賠償請求が肯定されない場合の被害者救済のための法技術であり、本件のように本来的な診療債務の債務不履行が認められる場合に、説明義務違反を独自に責任原因として論ずる必要がない。
二 第一審裁判所は、次のとおり判示して、被控訴人らの請求につき、被控訴人太郎に対し四〇万円、その余の被控訴人らに対しそれぞれ二〇万円の支払を求める限度で認容し、その余を棄却した。
(1) 信義則上の死因解明義務及び説明義務について
ア 患者と病院開設者との間に診療契約が締結されたとしても、当該患者が死亡すれば、同契約は終了するが、① 医療行為に関する情報は病院側が独占しており、しかも、病院側は当該情報に接しこれを利用することが容易であること、② 医師は医療行為をつかさどる者として、一定の公的役割を期待されており、医師法二一条の規定する届出義務もその一つの現れと見ることができること、③ 医療行為により悪い結果が生じた場合、当該患者が生存している場合は、医師には患者に対しその経過や原因について説明する必要があるところ、より重大な患者の死亡という結果が生じたにもかかわらず、医師が説明する義務を何ら負わないというのは不均衡であることからすれば、診療契約の当事者である病院開設者としては、患者が死亡した場合には、遺族からその求めがある以上、遺族(具体的事情に応じた主要な者)に対し、当該事案の具体的内容、保有し又は保有すべき情報の内容等に応じて、死亡に至る事実経過や死因を説明する義務を、信義則上、診療契約に付随する義務として負う。
さらに、上記①及び②からすれば、病院開設者において上記の説明をする前提として、診療契約の当事者である病院開設者としては、具体的状況に応じて必要かつ可能な限度で死因を解明する義務を、信義則上、診療契約に付随する義務として負う。
イ したがって、広尾病院に勤務する控訴人は、東京都の履行補助者として、債権者である亡花子の遺族に対して、東京都の負っている前記死因解明及び説明義務を履行する信義則上の義務を負う。
(2) 控訴人の死因解明義務違反について
ア 被控訴人太郎は、平成一一年二月一一日及び翌一二日、広尾病院において病理解剖を実施することを承諾し、これにより死因を解明してその説明を求める意思表示をしたものと解されるから、広尾病院開設者である東京都は亡花子の遺族に対し、死因解明及び説明義務を負う。そうすると、控訴人は、広尾病院の院長であり、かつ、本件対策会議の主催者であって、本件医療事故について広尾病院の対応方針を決定するに当たり、大きな影響力を有していたのであるから、被控訴人太郎らに対し、本件医療事故について主体的に死因解明及び説明義務を履行すべき立場にあった。そして、医師法二一条が異状死体について医師に届出義務を課していることからすれば、同法は犯罪の疑いがある場合には、当該医療従事者が自ら死因を解明するのではなく、警察に死因の解明をゆだねるのが適切であると解しており、したがって、控訴人は、亡花子を異状死体と認めた場合には、医師法二一条に基づく警察への届出を行い、死因の解明を警察にゆだねることが、死因解明義務としての具体的義務の履行である。
イ 控訴人は、平成一一年二月一二日の本件対策会議において、C山一江看護婦を始めとする関係者から薬剤の取り違えの具体的可能性がある旨の話を聞き、いったんは本件医療事故を警察に届け出るとの広尾病院の方針を決めたこと、しかし、その後来院したD川から病院事業部の見解を聞かされて、これを病院事業部としては警察への届出を消極的に考えているものと解釈した上で、上記方針を転換して本件医療事故を警察に届け出ないことにしたこと、さらに、同日、病理解剖に協力したE海一男医師から警察へ連絡するよう提案されたが、これを入れずに病理解剖するよう指示したこと、病理解剖を行ったB沢十夫医長やD谷三子医師から、亡花子の右腕の静脈に沿った赤色色素沈着を撮影したポラロイド写真を示された上で、薬物の誤注射によって死亡したことはほぼ間違いがないとの解剖の結果報告を受けたが、なお警察に届け出ないとの判断を変えなかったこと、同月二〇日に被控訴人太郎らに中間報告をした際に、病院の方から警察に届け出ないのであれば、自分で届け出ると言われ、ようやく同月二二日、E川九夫衛生局長らと面談の上、警察に届け出たことが明らかである。このような事実経過に照らせば、控訴人は、遅くとも本件対策会議の時点において、亡花子が診療中の傷病以外の原因で死亡した疑いがあると認識し、さらに、解剖結果の報告を受けた段階において亡花子の死体に医師法二一条所定の異状があることを具体的に認識するに至ったのであるから、死因解明義務の具体的履行として、医師法二一条に基づき警察に速やかに届け出て、死因の解明を警察にゆだねるべきであったのに、これを怠り、あえて同月二二日まで届出をしなかった。その当時において亡花子が病死した可能性も完全に否定されたわけではなかったことを考慮に入れたとしても、控訴人は必要かつ可能な死因の解明を行ったとはいえず、死因解明義務違反が認められる。
ここにいう警察への届出とは異状死体があったことの届出にすぎず、それ以上の報告が求められるのではないから、このように解したとしても憲法三八条一項の趣旨に抵触するとはいえない。
(3) 控訴人の説明義務違反について
本件医療事故につき、警察への届出を経て、亡花子の死亡は薬の取り違えによる可能性が高い旨、遺族が広尾病院側から説明を受けていた当時の状況の下において、控訴人は、亡花子が病死や自然死ではないことが明らかであったのに、その事実を認識した上で、死亡診断書の死因を病死として作成させて遺族に交付するように指示し、その結果、亡花子の死因が病死と記載された平成一一年三月一一日付け死亡診断書が亡花子の遺族に交付され、その遺族に亡花子の死因につき混乱と不審の念を招いた。控訴人の上記行為は、被控訴人らに対する説明義務違反に当たる。死亡時刻については虚偽の記載とはいえず、説明義務違反の前提を欠く。
(4) 適用法令について
死因解明及び説明義務は、東京都の病院開設者としての側面に着目して導き出される義務である上、控訴人の前記各義務違反行為はいずれも診療行為に付随する行為であり、診療契約の性質に関し国公立病院と私立病院を区別する合理的理由はなく、本件において、広尾病院が亡花子に対し私立病院と異なる国公立病院独自の医療行為を行ったという事情はうかがわれないことに照らせば、控訴人の前記義務違反行為には国家賠償法ではなく、民法が適用される。
(5) 損害額について
ア 死因解明及び説明義務違反並びに助言義務違反により遺族が被る精神的苦痛は、被害者の死亡に端を発してはいるものの、同各義務違反により、被害者の死亡自体から生ずる精神的苦痛とは別個に発生するから、法的保護に値する。この死因解明及び説明義務違反や助言義務の違反に基づく慰謝料請求は、被害者の死亡に起因する精神的苦痛に対して賠償を求めるものであるから、同人の死亡について精神的に慰謝されるべきことを法が予定している者に限り認められ、上記各義務違反に基づく慰謝料請求は、民法七一一条所定の者又は同条が類推適用される者に限って認められる。
イ 控訴人の立場、その義務違反行為の態様その他本件に現れた一切の事情を考慮すれば、被控訴人太郎に対し四〇万円、被控訴人一郎、被控訴人二郎及び被控訴人松夫に対し各二〇万円の慰謝料をもって相当と認める。したがって、控訴人は被控訴人らに対し、上記損害を賠償する責任がある。
三 これに対し、控訴人が上記判決中の控訴人敗訴部分につき控訴し、被控訴人らが上記判決中控訴人に対する関係で被控訴人の敗訴部分のうち、被控訴人太郎につき四万円、その余の被控訴人らにつきそれぞれ二万円の支払を求める限度で附帯控訴をした。
四 前提事実及び争点は、次のとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の第二の二及び三(控訴人に係る部分のみ)と同じであるから、これを引用する。
(原判決後の弁済についての被控訴人らの不利益陳述)
原判決後、原審相被告である東京都から被控訴人らに対し原判決主文第四項の金員が支払われたことを認める。
(被控訴人らの当審における主張)
被控訴人らは、次の主張を従前の主張と選択的に主張する。
(1) 診療契約は準委任契約であるから、契約の一内容として、医療機関は、委任事務が終了した時には患者に対し顛末を報告する義務があり、特に、医療行為の結果、期待された効果が生じず、死亡したり、症状がより重くなったりした場合には、その顛末を患者ないしその遺族(以下「患者等」という。)に報告する義務がある。まして、誤った医療行為により予期しない結果が生じた場合には、患者等に報告する義務がある。
上記の説明義務の相手方は、原則として診療契約の当事者である患者であるが、患者が死亡したり、意思能力を失ったりした場合には、患者が医療行為を受けていた時点で患者の生活により深くかかわりのある一定範囲の遺族・家族になることが診療契約の内容として含まれている。
(2) 東京都と亡花子との診療契約においては、亡花子の死亡という結果に終わったのであるから、東京都は、死因の報告・説明を遅滞なく遺族である被控訴人らにする義務がある。死因を解明する必要があるときは、死因を解明する義務の履行も遅滞なく行わなければならないし、最終結論までに時間を要する場合には、適時に、その時点で判明している事実について報告・説明することを要する。控訴人は、東京都の履行補助者として、上記義務を履行すべきであった。
(3) しかるに、控訴人は、平成一一年二月一一日午前一一時ころ、遺族から病院解剖の承諾が得られれば警察には届けないという方針を決めていたが、これを秘し、被控訴人らに対し、「広尾病院が信用できないというのであれば、監察医務院や他の病院で解剖してもらうという方法もありますが、どうしますか」などと説明して、広尾病院での病理解剖を承諾するよう誘導した。
また、控訴人は、同日に行われた病理解剖の直後、解剖に当たったD谷医師から、亡花子の死因は九〇パーセント以上の確率で事故死であると思われ、薬物の誤注射によって死亡したことはほとんど間違いないことを確信をもって判断できる旨の報告を受けたのに、同日午後五時ころの被控訴人らに対する説明では、「薬の取り違えの可能性が高くなった」程度にしか説明しなかった。この説明は、事故の確率を低めに表現しており、事実と異なる説明であり、説明義務に反する。
(4) さらに、平成一一年三月一一日付け亡花子の死亡診断書は、花子の遺族である被控訴人太郎が保険金請求のために必要な書類として作成を依頼したものであったが、死亡診断書の交付を受ければ、その記載が医師の死因についての見解として理解するのが当然であり、遺族に対する死因の説明に当たる。
上記死亡診断書は、その作成当時、ほとんど事故による死亡であることが認識されていたのに、「病死及び自然死」と記載されており、事実に反する説明であって、説明義務に反する。
(控訴人の当審における主張)
(1) 上記(1)及び(2)を争う。
医療過誤やその可能性の高い場合、死亡に至る詳細な事実経過や、直接死因を超えた死亡の原因、死因の種類等は価値的、評価的判断であり、病院側にとっては自己に不利益な医療過誤の情報であり、刑事上、民事上の責任を基礎づける事実である。したがって、病院側に、患者の遺族に対し、上記事項まで説明する法的義務を負わせることは、自らの診療上の過失を説明する法的義務を負わせることになり、人間の自然の情に反する。特に、死因についての説明は過失の説明にほかならず、医療従事者に制裁に自ら進んで協力することを求めることになり、憲法三八条の黙秘権の保障の趣旨からも是認できない。
病院側は、遺族に対し、悪い結果発生の経過、すなわち、死亡に至る概括的な診療経過や直接死因を説明する法的義務を負うにとどまる。また、病院側は、死因解明義務も法的義務としては負わない。
(2) 上記(3)を否認ないし争う。
控訴人は、方針を秘したり、広尾病院での病理解剖を承諾するよう誘導したことはない。また、控訴人は、解剖所見を十分説明しており、その内容は問題がない。
(3) 上記(4)を否認ないし争う。
死亡診断書は、保険金を請求するためのものであり、遺族に対し説明するためのものでない。また、医療行為について医師は独立してその職務を行うのであり、診断書の作成はE原医師の全権に属し、控訴人の助言は単なる参考意見にすぎず、その助言に法的責任はない。
第三当裁判所の判断
一 本件控訴に係る被控訴人らの請求について
被控訴人らは、原判決後、不真正連帯債務者とされた原審相被告の東京都から被控訴人らに対し原判決主文第四項の金員が支払われたことを自認しているので、その限りで控訴人の損害賠償債務も消滅していることが明らかであるから、原判決主文第四項の控訴人に係る部分の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
そこで、附帯控訴に係る被控訴人らのその余の請求部分との関係で、控訴人について被控訴人らの主張する債務不履行責任又は不法行為責任があるか否かについて、以下判断する。
二 亡花子の入院・死亡に至る経緯及び死亡後の経過について
亡花子の広尾病院への受診・入院及び死亡に至る経緯、死亡後の経過に関する事実についての当裁判所の判断は、原判決の「事実及び理由」欄の第三の一と同じであるから、これを引用する。
三 被控訴人らの当審における主張(医療契約に基づく説明義務違反)について
(1) 一般に、診療契約は、病院開設者において患者を診断して適切な治療をすることを主な内容とするものであるが、医療行為について患者に対し適時に適切な説明をすることも病院側の付随的な義務としているものと解される。
すなわち、医療行為は患者の生命、身体、健康等にかかわるものであり、患者の自己決定を尊重するためにも、患者は、医療行為に先立ってその内容及び効果の情報の提供を受け、医療行為が終了した際にはその結果についても情報の提供を受ける必要があるし、他方、病院側は上記情報を独占している上、当該情報に接しこれを利用することが容易であるから、病院開設者及びその診療契約の締結診療行為の実施を全面的に代行する医療機関は、特段の事情がない限り、連帯して患者に対し医療行為について説明する義務を負うものと解される。また、医療法は、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るように努めなければならないと規定している(同法一条の四)。さらに、診療契約は準委任契約であるところ、民法は、受任者は、委任者の請求があるときは、いつでも準委任事務処理の状況を報告し、準委任終了の後は遅滞なくその顛末を報告することを要する旨規定している(同法六五六条による六四五条の準用)。
以上のような医療情報の提供の必要性及び医療情報の偏在という事情に、上記法令の規定を併せ考えると、病院の開設者及びその全面的代行者である医療機関は、診療契約に付随する義務として、特段の事情がない限り、所属する医師等を通じて、医療行為をするに当たり、その内容及び効果をあらかじめ患者に説明し、医療行為が終わった際にも、その結果について適時に適切な説明をする義務を負うものと解される。
病院側が説明をすべき相手方は、通常は診療契約の一方当事者である患者本人であるが、患者が意識不明の状態にあったり死亡するなどして患者本人に説明をすることができないか、又は本人に説明するのが相当でない事情がある場合には、家族(患者本人が死亡した場合には遺族)になることを診療契約は予定していると解すべきであるので、その限りでは診療契約は家族等第三者のためにする契約も包含していると認めるべきである。患者と病院開設者との間の診療契約は、当該患者の死亡により終了するが、診療契約に付随する病院開設者及びその代行者である医療機関の遺族に対する説明義務は、これにより消滅するものではない。
(2) これを本件についてみると、亡花子は、関節リウマチにより左中指疼痛及び腫脹が増強したため、平成一一年一月八日、広尾病院整形外科を受診し、診察の結果、慢性関節リウマチ治療のために左中指滑膜切除手術を受けることとなり、E原がその主治医として指定され、同年二月八日、広尾病院に入院したことは前示のとおりであるから、亡花子と医療代行機関である広尾病院の開設者である東京都との間に診療契約(以下「本件診療契約」という。)が締結されたと認められる。そうすると、広尾病院開設者の東京都、及び診療契約の締結や診療行為の実施を代行する医療機関の広尾病院は、それぞれ本件診療契約に付随する義務として、本件医療事故について、所属する医師等を通じて、可能な範囲内でその死因を解明した上で、遺族に対し適時に適切な説明をする義務を負っていた。
控訴人は、広尾病院の院長で、かつ、本件対策会議の主催者であって、本件医療事故について広尾病院の対応方針を決定する際に、大きな影響力を有していたのであるから、東京都の上記説明義務の履行代行者に当たり、また、医療代行機関の代表者であるので、主体的に本件医療事故について可能な範囲内で死因を解明した上で、亡花子の遺族である被控訴人らに対し、適時に適切な説明をする義務を負っていたものである。
なお、被控訴人らの主張する死因解明義務は上記説明義務を尽くす前提として可能な範囲内で行えば足りるものであるから、最終的に説明義務とは別にこの義務があると解する必要はない。また、死因を公正に解明するために本件医療事故を医師法二一条に基づき警察に届け出るべき義務は行政法規上の義務であって、被控訴人らに対する診療契約上ないし不法行為法上の義務であるとはいえないので、この義務を独自の死因解明義務とする被控訴人らの主張は採用することができない。
(3) そこで、控訴人の平成一一年二月一二日の説明が、東京都の履行代行者等として負う説明義務に違反するものか否かについて判断する。
上記の認定事実によれば、控訴人は、平成一一年二月一二日の本件対策会議において、C山一江看護婦を始めとする関係者から薬剤の取り違えの具体的可能性がある旨の話を聞いたこと、また、同日中に病理解剖を行ったB沢十夫医長やD谷三子医師から、亡花子の右腕の静脈に沿った赤色色素沈着を撮影したポラロイド写真を示された上で、薬物の誤注射によって死亡したことはほぼ間違いがないとの解剖の結果報告を受けたことが明らかである。そうすると、広尾病院としては可能な範囲で死因解明義務を尽くしているといえるが、控訴人は、本件対策会議における報告に加え、病理解剖の結果報告を受けて、亡花子の死因が薬物の誤注射によるものであることがほぼ間違いがないと認識したのであるから、遅滞なく遺族である被控訴人らに対し、上記情報を提供して死因について説明する義務があったというべきである。
しかるに、控訴人は、平成一一年二月一二日昼前ころ、被控訴人太郎、同二郎ら遺族に対し、看護婦が薬を間違えて投与した事故の可能性がある旨説明し、間違いの可能性が高いのかとの遺族からの質問に対し、現在調査中である旨回答して、広尾病院による病理解剖の承諾を取り付けたが、病理解剖の結果が判明した後になっても、同日午後五時ころ、遺族である被控訴人太郎らに対し、病理解剖の結果報告をそのまま説明することなく、単に、肉眼的には心臓、脳等の主要臓器に異常が認められず、薬の取り違えの可能性が高くなったとだけ伝え、今後、保存している血液、臓器等の残留薬物検査等の方法で必ず死因を究明すると述べたにとどまったのである。このような控訴人の説明内容は、病理解剖の結果報告の後の遺族である被控訴人らに対するその時点における説明として、不十分で不適切というほかなく、説明義務に違反するというべきである。
(4) 次に、死亡診断書に関する控訴人の行為が、東京都の履行代行者として負う説明義務に違反するものか否かについて判断する。
上記の認定事実によれば、A田は、被控訴人太郎から保険関係の書類として死亡診断書の作成依頼を受け、E原に対し控訴人と相談して死亡診断書を作成するよう求めたこと、E原は、最初の平成一一年二月一二日に書いた死亡診断書では保険金請求手続に支障があるかもしれないと考え、さらに、亡花子の死因は薬物中毒の可能性が高いものの、解剖報告書には肺血栓塞栓症との記載もあったことから、死因の記載を病死にするか中毒死にするかなどを悩み、同年三月一一日夕方ころ、控訴人に相談したこと、この時点では、既に、本件医療事故につき警察へ届け出ており、同月五日に判明した組織学的検査の結果を踏まえ、広尾病院側も亡花子の死亡は薬の取り違えによる可能性が高いことが判明しており、その旨遺族にも説明していたことは前示のとおりである。
そうすると、亡花子が病死や自然死でないことが明らかであった状況の下において、控訴人は、E原から死亡診断書の死因記載について相談を受けたのであるから、広尾病院の院長として、E原に対し、死亡診断書の死因の記載内容を適切に指導・助言して、適正な内容の死亡診断書を作成・交付させ、もって遺族に対する説明義務を果たさせる義務があったというべきである。
しかるに、控訴人は、E原に対し死亡診断書の死因を病死として作成して遺族に交付するように指示し、その結果、E原において「死因の種類」の「病死及び自然死」欄に印の付された平成一一年三月一一日付け死亡診断書を作成の上、亡花子の遺族に交付させ、その遺族に亡花子の死因につき混乱と不審の念を招いたのである。このように、控訴人が、E原に対し死亡診断書の死因記載として病死という不正確な指導・助言を行い、死因が不正確に記載された死亡診断書を作成させて遺族に交付させたのは、被控訴人らに対する説明義務に違反する。
(5) これに対し、控訴人は、説明義務違反はないとして種々の主張をするので、検討する。
ア 控訴人は、医療過誤やその可能性の高い場合には、病院側は、患者の遺族に対し、悪い結果発生の経過、すなわち、死亡に至る概括的な診療経過や直接死因を説明する法的義務を負うにとどまり、死亡に至る詳細な事実経過や、直接死因を超えた死亡の原因、死因の種類等まで説明する法的義務を負わないと主張する。
しかしながら、病院の開設者は、診療契約に付随する義務として、特段の事情がない限り、所属する医師等を通じて、医療行為が終わった際に、その結果につき適時に適切な説明をする義務を負うこと、したがって、広尾病院開設者である東京都、及びその医療行為を代行する機関としての広尾病院は、本件診療契約に付随する義務として、本件医療事故について、所属する医師等を通じて、可能な範囲内でその死因を解明した上で、遺族に対し適時に適切な説明をする義務を負っていたこと、控訴人は、広尾病院の院長で、かつ、本件対策会議の主催者であって、本件医療事故について広尾病院の対応方針を決定する際に、大きな影響力を有していたのであるから、自らも東京都の上記説明義務の履行代行者にも当たり、主体的に本件医療事故について可能な範囲内で死因を解明した上で、亡花子の遺族である被控訴人らに対し、適時に適切な説明をする義務を負っていたことは前示のとおりである。控訴人の上記主張は、診療契約の付随的義務としての説明義務を正解しないものであって、採用することができない。
なお、控訴人は上記主張の根拠として、① 上記事項は、病院側に不利益な医療過誤の情報であり、刑事上、民事上の責任を基礎づける事実であるから、その説明義務を認めることは自らの診療上の過失を説明する法的義務を負わせることになり、人間の自然の情に反すること、② 特に、死因についての説明は過失の説明にほかならず、医療従事者に制裁を受けることを自ら進んで協力するよう求めることになり、憲法三八条の黙秘権の保障の趣旨からも是認できないことを挙げる。
しかし、上記①の点については、上記内容の説明義務は診療契約に付随する義務として認められるのであって、これを認めることが人間の自然の情に反して許されないとはいえない。
上記②の点についても、診療契約に付随する義務として上記内容の説明義務を認めることは憲法三八条一項の趣旨に反しない。すなわち、憲法三八条一項は、何人も自己が刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障したものであるが(最高裁昭和三二年二月二〇日大法廷判決・刑集一一巻二号八〇二頁参照)、上記の説明義務は、病院開設者と患者との診療契約の付随的義務として認められるものであり、この義務の履行により、担当医師は捜査機関に対し自己の犯罪が発覚する端緒を与えることになり得るなど、一定の不利益を負う可能性があるとしても、それは医師免許(人の生命を直接左右する診療行為を行う資格を付与するとともに、それに伴う社会的責務を課すものである。)に付随する合理的根拠のある負担として許容されるのであって、民事上の責任に関する供述、説明を免れることまで保障するものではない。
イ 控訴人は、平成一一年三月一一日付け死亡診断書につき、① 保険金を請求するためのものであり、遺族に対し説明するためのものでない、② 医療行為について医師は独立してその職務を行うのであり、診断書の作成はE原医師の全権に属し、控訴人の助言は単なる参考意見にすぎず、その助言に法的責任はないと主張する。
しかしながら、上記①の点については、当該死亡診断書の直接的な目的は、保険金を請求するために保険会社に提出するためであるものの、死亡診断書は亡花子の遺族である被控訴人太郎の求めに応じて作成・交付されたものであり、遺族に対し死因を説明する面もあるから、死亡診断書の直接的な目的が保険金を請求するためのものであることは、被控訴人らに対する説明義務違反に当たることを妨げる事情にならない。
上記②の点についても、亡花子が病死や自然死でないことが明らかであった状況の下において、控訴人は、E原から死亡診断書の死因記載について相談を受けたのであるから、広尾病院の院長として、E原に対し、死亡診断書の死因の記載内容を適切に指導して、適正な内容の死亡診断書を作成させ、もって遺族に対する説明義務を果たさせる義務があったこと、しかるに、控訴人は、E原に対し死亡診断書の死因を病死として作成して遺族に交付するように指示し、その結果、E原において死因を病死及び自然死とする平成一一年三月一一日付け死亡診断書を作成の上、亡花子の遺族に交付させ、その遺族に亡花子の死因につき混乱と不審の念を招いたことは前示のとおりであるから、控訴人は、E原に対し死亡診断書の死因記載として不適切な指導・助言をしたことは明らかであり、被控訴人らに対し誠実に説明する義務に違反する。このことは、診断書の作成権限がE原医師にあることにより左右されない。
ウ 以上のとおりであるから、控訴人の上記主張はいずれも採用することができない。
四 損害額について
(1) 診療契約に付随する説明義務に違反したことにより遺族が被る精神的苦痛は、被害者の死亡に端を発しているものの、被害者の死亡自体から生ずる精神的苦痛とは別個のものであるから、独立に法的保護に値する。そして、説明義務違反に基づく慰謝料請求は、被害者の死亡に関連する精神的苦痛に対して賠償を求めるものであることに照らせば、民法七一一条所定の者又は同条が類推適用される者に限って認められるべきである。
(2) 控訴人の立場、その義務違反行為の態様その他本件に現れた一切の事情を考慮すれば、被控訴人太郎に対し四〇万円、被控訴人一郎、被控訴人二郎及び被控訴人松夫に対し各二〇万円の慰謝料が相当である。これに被控訴人太郎につき四万円、その余の被控訴人らにつき各二万円を付加して請求する被控訴人らの慰謝料請求は理由がない。この点は、不法行為を原因とする慰謝料請求の場合であっても同様である。
五 結論
以上によれば、原判決主文第四項中の控訴人に係る被控訴人らの請求部分は理由がないから、本件控訴に基づき、原判決主文第四項中の控訴人に係る部分を取り消し、上記取消しに係る部分の請求をいずれも棄却するが、これは原判決後の原審相被告東京都による弁済を理由とするものであって、その事実を控訴人が抗弁として積極的に主張して控訴したものでないから、民事訴訟法六二条を適用して控訴費用は控訴人の負担とする。
また、被控訴人らが本件附帯控訴により求める部分の請求は理由がないから棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当である。したがって、本件附帯控訴をいずれも棄却する。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 福岡右武 畠山稔)