東京高等裁判所 平成17年(う)1419号 判決 2007年2月28日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役1年6月に処する。
この裁判確定の日から3年間その刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は,主任弁護人伊藤廣保,弁護人鍋谷博敏,同山岡通浩,同武藤いづみ共同作成の控訴趣意書記載のとおりであり,これに対する答弁は,検察官牧野忠作成の答弁書記載のとおりであるから,これらを引用する。
第1 事案の概要と争点
1 事案の概要
被告人は,医師として川崎協同病院に勤務していたところ,昭和60年ころから外来で被告人の診察を受けていた喘息患者の甲野太郎が,平成10年11月2日(以下,同月の出来事については平成10年11月の表記を省略することがある。),気管支喘息重積発作により心肺停止となって同病院に運び込まれた。同人は,救命措置によって蘇生し,気管内チューブを挿管したままではあるが自発呼吸ができるようになっていたものの,重度の低酸素性脳損傷による昏睡状態を脱することができず,重度の気道感染症と敗血症も合併していた。被告人は,16日,太郎に自然の死を迎えさせるためとして気管内チューブを抜管し(以下「本件抜管」という。),その後に発現した苦悶様呼吸を鎮静化させるために,鎮静剤のセルシン及びドルミカムを投与し,さらに筋弛緩剤であるミオブロックを投与し,太郎はその日のうちに死亡した(以下,この16日の出来事を「事件」というときがある。)。
本件は,被告人が本件抜管とミオブロック投与により太郎を窒息死させたとして殺人罪に問われている事案である。
2 争点
原判決は,①被告人は,看護婦(平成10年当時の名称。以下では准看護婦も含める場合がある。)に命じて太郎にミオブロック3アンプルを静脈注射させ,同人は呼吸筋弛緩に基づく窒息により死亡したと認定し,②本件抜管時には同人の死期は切迫しておらず,同人の治療中止の意思が認められず,治療義務の限界も到来していなかったとして本件抜管の違法性を認め,被告人に対し殺人罪の成立を認めた。
論旨(当審弁論要旨による主張も含む。)は,①被告人は,ミオブロックは1アンプルを点滴投与したのであって,ミオブロック投与は殺人の実行行為ではなく,死因はミオブロックによる窒息ではない,②本件抜管時には,太郎の死期は切迫しており,被告人は治療中止についての太郎の意思を推定するに足りる家族の要請に基づき本件抜管を行ったので違法性がないとして,原判決には事実誤認があるという。
第2 争点に対する判断
1 前提となる事実
(1) 被告人の経歴
被告人は,昭和54年5月に医師免許を取得し,昭和56年5月に川崎協同病院での勤務を始めて以来,同病院内科での勤務を続け,平成10年当時は,同病院の呼吸器内科部長であった。
(2) 太郎の家族構成,病歴
太郎は,昭和15年*月*日生まれの型枠大工で,妻花子との間に2男1女がいた。長男一郎と次男二郎は,同人の下で稼働しており,一郎は妻一美と,二郎は妻二美とそれぞれ結婚して独立した後も川崎市内の同人方の近くに住んでいた。長女三美は夫丙山三郎と結婚し,同様に川崎市内に住んでいた。
太郎は,昭和59年9月に気管支喘息と診断され,同年12月に川崎公害病患者に認定され,以降,川崎協同病院に通院するようになり,昭和60年ころから被告人が主治医となった。同人は,喘息を患っているという自覚に乏しく,また,治療より仕事を優先していたため,薬がなくなったころや悪化したころに受診するという状況であった。
(3) 平成10年11月2日から15日までの経過
ア 太郎は,2日,仕事帰りの車内で気管支喘息の重積発作を起こし,同日午後7時ころ,心肺停止状態で川崎協同病院に運び込まれた。同人は,救命措置により心肺は蘇生したが,意識は戻らず,人工呼吸器が装着されたままICUで治療を受けることとなった。当日,救命措置に関わった医師は,家族に対し,「一旦心肺停止状態となったが,バイタルサインも不安定で,急変すると死へ至る可能性が高い。仮に今の不安定な状態を乗り切っても,意識が戻る可能性は低く,意識が戻っても後遺症は必発と考えられる。できる限りの治療は続けていく。」と説明した。
同人には心肺停止時の低酸素血症により大脳機能のみならず脳幹機能にも重篤な後遺症が残り,死亡する16日まで深い昏睡状態が続いた。
イ 被告人は,4日から太郎の治療の指揮をとった。同人の血圧,心拍等は安定していたが,気道は炎症を起こしており,喀痰からは黄色ブドウ球菌,腸球菌が検出された。
被告人は,花子や一郎らから太郎が倒れた経緯などを聞き,病状を説明した。
同日のカルテには,「残念なことに患者の仕事一途なことが災いした。救急車を呼ぶことも拒否していたとのことで仕方がない。今は祈るしかないのでできるだけ声かけして欲しい。9割9分は植物状態と家族に説明。この数日間はまだ急激な血圧低下の可能性はあり。」との記載があり,カーデックス(看護記録中の引継メモ)にも同様の記載がある。また,同日付の入院診療計画書には,治療計画として「レスピレーター,気管支拡張剤,ステロイド,昇圧剤,救命措置,対症療法 やれる限り努力します。」との記載がある(なお,カルテ等には略語が多数使われているが,適宜,通常の表記にして記載する。)。
ウ その後,太郎に自発呼吸が見られたため,6日,人工呼吸器が離脱されたが,舌根沈下を防止し,痰を吸引するために気管内チューブは残された。
エ 8日,太郎の四肢に拘縮傾向が見られるようになり,被告人は,脳の回復は期待できないと判断した。
被告人は,花子,一郎,二郎らに病状を説明した。
同日のカルテには,「9分9厘は脳死状態でしょう。自発呼吸は安定しており,人工呼吸器もはずれた。生命的には落ち着いてきた。挿管チューブもはずしたいが,まだ痰があること,舌根沈下もありえるので,もう2〜3日入れておく。抜管したあと,呼吸悪化した際,再挿管は行わない方向であるが……。高気圧酸素療法を予定するがあまり期待できず。最悪の植物状態となり,安定すれば一旦退院もありえる。」との記載があり,カーデックスにも同様の記載がある。
オ 9日から太郎の四肢の拘縮予防のために関節を伸ばすリハビリが始まった。
花子は,もともと精神的に線が細く,太郎が倒れた2日から混乱していたところ,同日,不眠を訴えて被告人の診察を受け,抗うつ剤及び睡眠導入剤を処方された。
同日のカーデックスには(記載上は5日とされているが,8日と11日との間に記載されていることと記載した看護婦の出勤状況からみて9日の記載と解すべきである。),「妻より」,「病状的なことは医師の説明で納得しているし,不明なところは今のところないが,金銭面について少し心配があるとの由。」との記載があり,その記載に続けて別の看護婦の「今のままの状態では家族で介護する余裕がない。」との記載がある。
カ 10日から4回の予定で,太郎に対し,高濃度の酸素を与えて脳細胞を賦活化させることを目的として高気圧酸素療法が実施されたが,11日の途中で痙攣を起こしたため中止された。被告人は,11日,高気圧酸素療法の中止を花子らに説明した。
同日のカルテには,「家族も患者がかわいそうで見てられないとのことで覚悟を決められつつある。」「あまり汚れないうちに終わりにしてあげたい。」「7時30分に抜管するもすぐに呼吸低下。」「残念ながら再挿管とする。」との記載がある。
キ 被告人は,12日,一般病棟の個室で「お看取り部屋」と呼ばれていた南2階病棟***号室(以下「本件病室」という。)へ太郎をICUから移し,看護婦に酸素供給量と輸液量を減らすよう指示し,急変時に心肺蘇生措置を行わない方針を伝えた。
ICU退室サマリ(ICU看護婦から一般病棟看護婦への申送書)には,「申し送り事項・問題点」の欄に「家族は今のままの状態では家族で介護する余裕がないと,あきらめかけている状況。」,「処置・リハビリテーション」の欄に「DNR」(急変時に心肺蘇生措置を行わない方針)との記載がある。
ク 被告人は,13日,花子らに一般病棟に移ったことなどを説明した。
同日のカーデックスには,「家族に説明し,家族はあきらめた様子でナチュラルコースである。点滴を減らしていく方向。」との記載がある。
ケ 16日の経緯
(ア) 太郎の喀痰からは,ペニシリン耐性肺炎球菌,緑膿菌,セラチア菌が検出された。また,白血球数が1万5000(正常値3500〜9000),CRPが27.1(正常値0.0〜0.5)と極めて高く,細菌感染症に敗血症を合併した状態であった。
(イ) 午後5時30分ころ,花子とともに一郎,一美,二郎,二美及び三美が各人の子を連れて本件病室に集まり,午後6時ころ,被告人が看護婦春野四美とともに同病室に入った。被告人は,家族が集まっていることを確認し,本件抜管を行った。
本件抜管について,カルテには,「家族の抜管希望強し。」「大変つらいが夕方,家族が集まってから抜管することとする。」「6時3分,家族の了承を得て抜管。」との記載があり,看護記録には,「午後5時30分,家族(妻)より希望あり,挿管チューブ抜管して欲しいとのこと。」「乙川医師確認,挿管チューブ抜管する。」との記載がある。
(ウ) しばらくすると,太郎が上体を持ち上げ,海老のように背を仰け反らせて体を痙攣させ,顔を苦悶するように歪ませ,息を吸おうとすると胸がへこむという奇異呼吸を始め,ゴーゴーという気道の狭窄音と痰がガラガラと絡む音が部屋に響いた。被告人は,本人にとっても家族にとってもよくないと思い,鎮静剤で呼吸抑制作用もあるセルシン合計4アンプルを静脈注射した(セルシンとドルミカムの静脈注射については,看護婦に指示して注射させたことも含む。)。これにより体の動きは抑制されたもののガラガラ,ゴーゴーという音を出す苦悶様呼吸は消えなかったため,複数回続けて鎮痛剤ドルミカムを静脈注射したが,苦悶様呼吸は続いた。
(エ) 被告人は,ドルミカムを点滴投与するよう看護婦に指示した上で,冷静になるために一旦本件病室を出ると,医師夏山四郎を認めた。被告人は,同人に状況を説明して助言を求めると,同人は「ミオブロックがいいよ。」と一言だけ答えた。ミオブロックは一般病棟になかったため,ICUのナースステーションからミオブロックを入手した上で,被告人は,午後7時ころ,太郎に対してミオブロックを投与した。同人の呼吸は午後7時3分ころに停止し,午後7時11分ころに心臓が停止した。
ミオブロックの投与について,カルテには,「午後7時過ぎ」の記載を二重線で削除した上で「午後7時前,ミオブロックの点滴注射行う,数分で呼吸低下。」との記載がある。一方,看護記録には,ドルミカムとセルシンの投与に続けて,「ミオブロック3アンプルを静脈注射」との記載がある。
(オ) 医師秋森五郎は,同日午後9時ないし10時ころ,ICUの看護婦冬木五美から「一般病棟の看護婦がミオブロックを取りに来たということは問題じゃないですか。」と言われたため,南2階病棟まで行き,太郎のカルテと看護記録を確認すると,ミオブロックが使用された後に呼吸停止となったと記載されていたため,翌日朝に当時の院長空山六郎に報告した。空山は,被告人らから事情を聴取したが,医師不足の問題があったことや被告人を評価する患者もいたことから,同病院の最高意思決定機関である管理会議には報告しないこととした。
コ その後,家族からも病院内でも事件が問題とされることはなかったが,平成13年,同病院内において被告人と麻酔科の海野医師との間で麻酔器の使用を巡る対立が生じたところ,同年10月下旬,海野が,当時の院長山川七郎に対し,太郎のカルテのコピーを見せて,被告人を辞めさせなければコピーをばらまくなどと言って迫った。山川は,医療倫理的,法的に問題があると考え,管理会議に報告し,事件が再び問題となった。そして,事件は公表される方向となり,同年12月30日,被告人は退職届を提出し,同病院幹部は,平成14年4月に記者会見をして,事件を公表した。
2 ミオブロックの投与方法及び太郎の死因について
(1) 太郎の死因
ア 所論は,医師北野八郎作成の鑑定書(当審弁2)及び当審証人北野八郎の供述(以下,併せて「北野鑑定」という。)を援用して,死因は①脳幹機能障害による舌根沈下,②脳幹機能障害による咳反射機能の低下で,感染症によって増加した喀痰が貯留し気道を閉鎖,③脳幹機能障害による呼吸抑制機能の低下,④複合的に薬剤が投与されたことによる呼吸機能低下等が可能性として挙げられるが,どれが主たる死因かは確定できないという。また,所論は,炭酸ガスナルコーシスによる呼吸停止の可能性も否定できないともいう。
北野鑑定は,結局は低酸素血症の進行により呼吸停止を来したという主張であるところ,呼吸停止を来すほど低酸素血症が進行していたならば,心筋も働きが弱まり心電図の波形も乱れるはずであるが,呼吸停止の午後7時3分の直前である午後7時2分の時点での心電図の波形は乱れておらず,低酸素血症の進行による呼吸停止が死因とは認められない。所論は,上記午後7時2分の波形は,同日午後2時15分の波形に比べて異常な波形に近づいているというが,所論も認めるとおり,両者の違いはわずかであり,所論が心機能低下による呼吸停止の例として挙げる波形(原審弁44,45)と比べると上記午後7時2分の波形は正常なものと認められる。また,炭酸ガスナルコーシスによる呼吸停止は,北野鑑定も言及しておらず,これも死因とは認められない。
イ 上記午後7時2分の時点での心電図の波形からすれば,呼吸が停止した7時3分の時点では,心筋は正常に作動している状態で呼吸だけが強制的に止められたと認められる。これは,「太郎の呼吸が穏やかになった後,余りにも穏やかになったので心配になったが,モニターの波形を見て安心していると,被告人が『呼吸が止まっても心臓は動いているのよねえ』とつぶやいた」旨の二美の供述とも符合する。そうすると,太郎はミオブロックによって呼吸筋が弛緩させられ呼吸が止められたことによって窒息死に至ったと認められる(当審証人南野九郎)。
(2) ミオブロックの投与方法及び投与量
ア 看護婦東野六美は,本件病室内で被告人からミオブロック3アンプルを静脈注射するよう命じられ,ミオブロックをICUのナースステーションに取りに行き,自分の要求したアンプル数かそれ以上のミオブロックが入っていた箱をICUの看護婦から渡され,それを一般病棟のナースステーションまで持って帰り,3アンプルを注射器に詰めて本件病室に戻り,太郎の中心静脈に挿入されたカテーテルの点滴管の途中にある三方活栓に注射器を差し込んで注射し,その後,同人の呼吸が落ち着いたと供述する。
まず,東野供述は,太郎の死亡原因がミオブロックによる窒息死であることと符合する。また,同人は,ミオブロック3アンプルを静脈注射したことについて,ミオブロックをICUのナースステーションに取りに行き,一般病棟まで持ち帰り,自分が静脈注射したという一連の流れの中で覚えていると記憶の理由を具体的に説明しているところ,同人がICUにミオブロックを取りに行ったことは,冬木供述及び秋森供述に裏付けられており,間違いのない事実であって,その間違いのない事実と一連の流れであるミオブロックの静脈注射についての供述は信用できるというべきである。さらに,ミオブロックを静脈注射したという点に関する同人の供述には,原審及び当審における尋問を通じて全く動揺がみられない。したがって,同人の上記供述は信用できるというべきである。
イ 所論は,以下のような根拠を挙げて東野供述は信用できないとするが,いずれも採用できない。
(ア) 所論は,ミオブロック3アンプルが静脈注射されれば1分以内に呼吸がすとんと止まるのであるが,東野は太郎がミオブロックを投与されてしばらくした後も弱い呼吸をしていたと供述していることと矛盾するという。
東野は,ミオブロックを静脈注射して,空アンプルをナースステーションに捨てに行き,他の病室に寄ったかどうかは確かではないが,本件病室に戻ったときは,太郎がまだ胸を動かして弱い呼吸をしていたと供述するが,この部分に関する同人の供述には曖昧な点が多い。また,同人は,当時,経験が浅く,ミオブロックを静脈注射すれば直ちに呼吸が止まることを知らなかったのであるから,注射後も太郎がまだ生きているかのように見えたとしても不自然ではない。そうすると,上記所論は前提を欠くというべきである。
また,所論は,ミオブロック3アンプルの静脈注射と数分で呼吸が低下した旨のカルテの記載は矛盾するという。しかし,そもそも「数分」という時間が計測したものでないこと,東野は輸液ルートにある薬剤を流し込むということはしておらず,通常の作用発現時間よりは時間がかかることなどを考慮すると,カルテの上記記載はミオブロック3アンプルの静脈注射の認定の妨げにならない。
(イ) 所論は,秋森に抗議するなど筋弛緩剤についての意識の高かった冬木が,通常は1アンプルしか使わないミオブロックを,一般病棟の看護婦に箱ごと渡したり,余分に渡したりするのは不自然という。
ミオブロックの使用量は,説明書によると,患者の体重1kg当たり0.08mgであるから,体重の重い患者の場合は1アンプル(0.4mg)以上必要になるし,追加投与の場合も1アンプル以上必要とされる。また,通常の使用量を3アンプルとする医師もいるのであるから(原審証人西野十郎),ミオブロックが1アンプルを超えて使われることは異常なこととはいえず,冬木が東野にミオブロックを箱ごと渡したとしても不自然とはいえない。
(ウ) 所論は,東野は,太郎の左側の輸液ルートから静脈注射したと供述するが,太郎の輸液ルートは右側にあったことと矛盾するという。しかし,輸液ルートの左右についての供述が不正確であるからといって,同人の供述全体が信用できないということにはならない。
(エ) 所論は,東野がミオブロック3アンプルを静脈注射して直ちに呼吸停止が起これば家族が騒然となって,同人が衝撃を受けるはずなのに,注射した結果を見ていない,覚えていないというのは不自然という。しかし,後記のとおり,家族が太郎の死を覚悟していたとすれば呼吸停止が起こっても騒然とはならないから,上記所論は前提を欠く。
(オ) 所論は,東野は,被告人のみに責任を擦り付けようとする川崎協同病院の幹部らの誘導や,平成14年4月の同病院による事件公表後のマスコミ報道に接して記憶が変容したというが,抽象的な可能性を指摘するに止まるものであって,東野供述の信用性を覆すような事情とはいえない。
ウ 被告人は,ミオブロック1アンプルを自ら点滴投与したと供述する。しかし,ミオブロックは,人工呼吸器を装着する際に呼吸筋を弛緩させる目的で静脈注射される薬剤であって,呼吸を鎮静させる目的で点滴投与される例というのは全くないのであるから,夏山の「ミオブロックがいいよ。」という言葉を聞いただけで,呼吸を鎮めるために点滴投与するという,ミオブロックの本来の用法とは目的も投与方法も違うことを思い付いたというのは不自然である。仮に思い付いたとすれば,点滴投与でも不用意に行えば窒息の危険があるのだから,夏山との間で薬剤の濃度や点滴の速度についてのやりとりがあってしかるべきであるが,そのようなやりとりはなかったのであって,やはり夏山の言葉で点滴投与を思い付いたという被告人供述は信用できないというべきである。
3 本件抜管の法的評価について
(1) 本件抜管についての家族の要請の有無
ア 花子ら太郎の家族は,原審公判廷(期日外尋問を含む。)において,本件抜管に至る経緯について,概ね次のように供述する。
家族は,太郎の回復について諦めたことはなく,8日にはカルテに記載されているような説明を受けたが,時間をかけてでも諦めずに面倒を見てほしいと被告人に対して頼んだ。家族は,12日に太郎が一般病棟に移ったのは良くなっているからだと思っていた。花子と一美は,13日,気管内チューブを挿管したままにしておくと,手足の関節が拘縮する,ばい菌に冒されて痰が汚れるなどと被告人から説明され,抜管のために家族に集まってほしいと言われた。両名は,何のために家族が集まらなければならないのか理解できず,家では一郎らもなぜ集まらなければならないのかと疑問を述べたが,とにかく医師が言っていることだからということで家族で病院に行くことにした。16日は,家族揃って病院に出かけたので,花子が午後3時ころに被告人に抜管を要請したということはない。家族は,抜管すれば呼吸が困難になるということを理解しておらず,本件抜管の直前も抜管すれば最期になるなどの説明は聞かなかった。
イ 被告人は,捜査段階並びに原審及び当審公判廷において,概ね次のように供述する。
家族は,太郎の回復については悲観的で,介護については消極的な態度をみせていた。被告人は,8日の家族との面会の際に再挿管をしないことを確認し,13日には,花子に対し,一般病棟に移ると急変の危険が増すことを説明した上で,急変時に再挿管を行わないことを再確認した。16日の午後,被告人は,花子から,「みんなで考えたことなので抜管してほしい,今日の夜に集まるので今日お願いします。」と言われて,抜管を決意した。同日午後6時ころ,被告人は,集まった家族に対して,覚悟はできているかと確認すると,誰も異論を挟まなかったので,本件抜管を行った。太郎が亡くなると,家族から「お世話になりました。」と言われた。
ウ 原判決は,家族の供述は互いに符合しており信用できるとして,本件抜管については家族の要請はなかったと認定したが,その一方で,被告人は本件抜管について家族の了承があるものと誤信していたと認定した。
エ 被告人供述の信用性の検討
(ア) 本件抜管について家族の要請があったという被告人の供述は,①カルテ及びカーデックスの記載内容,②家族が太郎の苦悶様呼吸が続いても被告人に対処を求めず,太郎が死亡しても被告人に死亡原因を問い質したりはしなかった上,前記のようにその後約3年経って病院で事件が問題化するまで家族のほうから苦情等はなかったこと,③本件抜管から太郎の臨終まで断続的に立ち会い,家族の帰宅するまでの様子を見ていた春野が,家族は太郎の死を覚悟し,納得していたようであったと供述していること,④東野も家族と被告人との間で了解があると感じたと供述していることにそれぞれ符合するものであり,これだけの裏付けのある被告人供述は排斥できないというべきである。確かに,被告人において家族を諦めの方向に誘導した嫌いもあり,また家族との意思の疎通も必ずしも十分ではなかったとはいえるけれども,医師として家族からの要請もないのに,あえて本件抜管を行わなければならないような理由も見い出し難い。
(イ) 上記①について,原判決は,カルテの記載は相当乱雑で正確性に疑問があり,カーデックスは,カルテの引写しにすぎず証拠価値はないという。まず,手書きのカルテが乱雑なのはいわば当然であって,乱雑だから内容も不正確ということはできない。次に,カーデックスは,カルテの引写しのところも多いが,9日の記載のように看護婦独自の記載もあること,その記載内容に沿う記憶があると供述する看護婦が2名いることに照らすと,カーデックスには独自の証拠価値が認められる。
また,原判決は,入院して1週間で介護のことを心配するのは不自然であり,太郎の経営していた有限会社甲野工務店の経営は順調で経済的な心配をすることはなかったのであって,9日のカーデックスの記載は不自然であるという。しかし,太郎は,入院以来,意識が全く戻らず,医師からは明るい見通しの説明がなかった上,花子は精神的に相当不安定になっていたのであるから,将来の介護の心配をするのは全く不自然ではないし,自宅介護となると家屋の改築を含め相当の費用が必要であって,甲野工務店の経営が順調であったとしても,経済的な心配をするのも不自然ではない。
したがって,カーデックスの記載に裏付けられたカルテの記載は信用できるといえる。
(ウ) 上記②について,原判決は,家族は抜管は治療と思っていたのだから被告人に助けを求めなかったのは不自然ではないという。しかし,一郎は太郎が搬送された際には土下座までして救命を求めたのであって,このように感情をあらわにする人物が,太郎の苦悶様呼吸が止まらないのに何も被告人に求めなかったのは,太郎の死を覚悟していたという証拠というべきである。
(エ) 上記③④についてであるが,原判決は,春野と東野のこの点に関する供述や上記①のとおりカーデックスの記載に沿う供述をする看護婦2名の供述を,曖昧である,正確性に問題があるなどとして排斥するが,春野らは事件から4年以上経過した後に証言しているのであるから,その供述に曖昧な点や不正確な点があるのは当然といえ,むしろ,それだけ時間が経過しても,春野らが,家族は悲観的であった,本件抜管は家族の了承があるように感じたと供述していることは,被告人供述の裏付けになるというべきである。
オ 原判決は,家族の供述は互いに符合しているとする。しかし,三美と三郎は,三美は,気管内チューブは自発呼吸を助けるためのものであることは分かっており,家族会議の中で抜管に反対したが,他の家族が抜管に納得しているので仕方ないということになったと供述しており,抜管の意味も分からず本件抜管に臨んだとの花子らの供述と矛盾する。そもそも,何の意味かも分からず子供5名を含む家族全員病室に揃うという花子らの供述は内容自体が不自然といえる。また,被告人は9日に花子の精神状態を診察しており,花子と被告人との間で抜管についての認識に大きな食い違いがあったというのは考え難い。
カ 以上からすれば,原判決は,家族からの要請はなかったと認定しているが,これがあったとする被告人の供述は,花子らの原判決の認定に沿う供述に照らしても,なおこれを排斥することはできない。家族からの要請の有無は,被告人の本件抜管の適法性判断の上で重要な事実と仮定することができるから,家族からの要請がなかったと認定するには合理的な疑いが残るといわざるを得ない。この意味で家族からの要請があったことを否定することはできない。
(2) 本件抜管に至る経緯についての認定
被告人供述とカルテ,看護記録からすれば,本件抜管に至る経緯は,次のとおりである。
ア 2日に,太郎が気管支喘息重積発作により心肺停止となって川崎協同病院に運び込まれ,救命措置によって蘇生したが,同人の脳には重篤な後遺症が残り,昏睡状態が続いた。被告人は,診察の指揮を執り始めた4日に家族と面会し,意識の回復は難しいこと,この数日中に急変する可能性と,その週を乗り切れば安定期に入る可能性が高いことを説明した。
イ 被告人は,8日の家族との面会で,病状を説明した上で,「呼吸状態が悪化した場合には,再度人工呼吸器を付けない方法もあるのですが,それでよろしいでしょうか。」と聞くと,家族は了解した。また,被告人は「本来ならば人工呼吸器とともにチューブも抜くのが普通ですが,痰詰まりを起こしたり,舌根が落ちて窒息することも考えられますので,すぐには抜けません。もう二,三日様子を見て,呼吸状態がもう少し良くなったころを見計らって管を抜いてみたいと思います。しかし,肺炎等の影響で呼吸が悪化した場合に再挿管するかどうかは,今の脳障害からすると難しい問題です。再挿管しないで,自然にみていくという方法も考えられます。ご家族で検討しておいて下さい。」と言った。そして,被告人が「昔は,ずっと最期まで診てあげることもできたのに,今の医療制度ではそれは難しくなりました。病状が安定すれば,意識障害というだけで,いつまでも病院に置いてあげるわけにはいかないんですよ。」と言うと,花子は,「家族で仕事をしており,一人欠けても大変で,何の保障もない。自分も体が丈夫ではなく,一人では介護する自信がない。お嫁さん達も小さい子供がいて,介護の手伝いは難しい。施設に入れることは経済的にも余裕がない。」と答えた。
ウ 11日,被告人が意識回復への一縷の望みを託して行った高気圧酸素療法が中止となったことを花子と一美に対し説明すると,花子は「それも駄目なんですね。見ているのも辛い。」と言った。被告人は,その様子を見て花子は覚悟を決めつつあると感じ,被告人自身としても,余り汚れないうちに終わりにしてあげたいという思いを抱いた。
エ 被告人は,13日,花子らに対し,一般病棟に移ると痰詰まりによる急変の危険が増すことを説明し,急変時には再挿管を行わないことを再確認し,輸液の点滴を減らしていく方針を伝えた。また,被告人が花子の目の前で気管内チューブを抜いてみたが,すぐに呼吸が低下したため,「管を抜けるような状態ではありませんでした。残念でした。」と言って再挿管した。
オ 16日の午後,被告人が花子と面会すると,花子が突然「この管を抜いてほしい。」と言った。被告人が「管を抜けば呼吸状態が悪くなり最期になりますよ。奥さん一人では決められることではないですよ。家族で来られる人は全員来て下さい。」と言うと,花子が「みんなで考えたことです。実は,今日,夜,みんなで集まることになっています。今日お願いします。」と答えた。被告人は,喘息の治療よりも家族のために仕事を頑張ることを優先してきた太郎が,このような意識のない状態で,家族に介護され,精神的にも経済的にも負担をかけることは望んでいないだろうと考え,抜管することを決意した。同日午後6時前に家族が集まり,被告人が「奥さんから管を抜いてほしいと要望が出ました。管を抜けば呼吸が落ちてきて最期になります。早ければ数分ということもありますので,看取ってあげて下さい。みなさん,覚悟はできていますか。それでよろしいでしょうか。」と尋ねたところ,誰も異論を挟まなかったので,被告人は本件抜管を行った。
(3) 本件抜管に対する評価
ア 所論は,①太郎は,重度の低酸素性脳損傷による遷延性昏睡に加えて細菌感染症によりすでに治療不可能で回復の見込みがなく,約1週間後には死が不可避な終末期状態にあり,②被告人は,同居している家族等,患者の生き方,考え方等をよく知る者による患者の意思の推定等を手掛かりに太郎の意思を探求した上で,治療を中止すべく同人の意思を推定するに足りる家族からの強い要請に基づき,気管内チューブを抜管したもので,本件抜管は許容される治療中止であったという。
イ(ア) いわゆる尊厳死について,終末期の患者の生命を短縮させる治療中止行為(以下,単に「治療中止」という。)がいかなる要件の下で適法なものと解し得るかを巡って,現在さまざまな議論がなされている。治療中止を適法とする根拠としては,患者の自己決定権と医師の治療義務の限界が挙げられる。
(イ) まず,患者の自己決定権からのアプローチの場合,終末期において患者自身が治療方針を決定することは,憲法上保障された自己決定権といえるかという基本的な問題がある。通常の治療行為においては患者の自己決定権が最大限尊重されており,終末期においても患者の自己決定が配慮されなければならないとはいえるが,患者が一旦治療中止を決定したならば,医師といえども直ちにその決定に拘束されるとまでいえるのかというと疑問がある。また,権利性について実定法上説明ができたとしても,尊厳死を許容する法律(以下「尊厳死法」という。)がない状況で,治療中止を適法と認める場合には,どうしても刑法202条により自殺関与行為及び同意殺人行為が違法とされていることとの矛盾のない説明が必要となる。そこで,治療中止についての自己決定権は,死を選ぶ権利ではなく,治療を拒否する権利であり,医師は治療行為を中止するだけで,患者の死亡自体を認容しているわけではないという解釈が採られているが,それはやや形式論であって,実質的な答えにはなっていないように思われる。さらに,自己決定権説によれば,本件患者のように急に意識を失った者については,元々自己決定ができないことになるから,家族による自己決定の代行か家族の意見等による患者の意思推定かのいずれかによることになる。前者については,代行は認められないと解するのが普通であるし,代行ではなく,代諾にすぎないといっても,その実体にそう違いがあるとも思われない。そして,家族の意思を重視することは必要であるけれども,そこには終末期医療に伴う家族の経済的・精神的な負担等の回避という患者本人の気持ちには必ずしも沿わない思惑が入り込む危険性がつきまとう。なお,このような思惑の介入は,終末期医療の段階で一概に不当なものとして否定すべきであるというのではない。一定の要件の下で法律にこれを取り入れることは立法政策として十分あり得るところである。ここで言いたいのは,自己決定権という権利行使により治療中止を適法とするのであれば,そのような事情の介入は,患者による自己決定ではなく,家族による自己決定にほかならないことになってしまうから否定せざるを得ないということである。後者については,現実的な意思(現在の推定的意思)の確認といってもフィクションにならざるを得ない面がある。患者の生前の片言隻句を根拠にするのはおかしいともいえる。意識を失う前の日常生活上の発言等は,そのような状況に至っていない段階での気楽なものととる余地が十分ある。本件のように被告人である医師が患者の長い期間にわたる主治医であるような場合ですら,急に訪れた終末期状態において,果たして患者が本当に死を望んでいたかは不明というのが正直なところであろう。このように,自己決定権による解釈だけで,治療中止を適法とすることには限界があるというべきである。
(ウ) 他方,治療義務の限界からのアプローチは,医師には無意味な治療や無価値な治療を行うべき義務がないというものであって,それなりに分かりやすい論理である。しかし,それが適用されるのは,かなり終末期の状態であり,医療の意味がないような限定的な場合であって,これを広く適用することには解釈上無理がある。しかも,どの段階を無意味な治療と見るのか問題がある。結果回避可能性のない段階,すなわち,救命の可能性がない段階という時点を設定しても,救命の可能性というものが,常に少しはある,例えば,10%あるときは,どうなのか,それとも0%でなければならないのかという問題がつきまとう。例えば,脳死に近い不可逆的な状況ということになれば,その適用の余地はかなり限定され,尊厳死が問うている全般的局面を十分カバーしていないことになる。少しでも助かる可能性があれば,医師には治療を継続すべき義務があるのではないかという疑問も実は克服されていない。医師として十中八,九助からないと判断していても,最後まで最善を尽くすべきであるという考え方は,単なる職業倫理上の要請にすぎないといえるのかなお検討の余地がある。しかも,治療義務限界説によれば,治療中止を原則として不作為と解することが前提となる点でも,必ずしも終末期医療を十全に捉えているとはいい難い。本件でも,ミオブロックの投与行為は,明らかに作為というべきで,これもまた治療行為を中止する不作為に含めて評価するのは,作為か不作為かという刑法理論上の局面に限れば,無理があるといわざるを得ない。
(エ) こうしてみると,いずれのアプローチにも解釈上の限界があり,尊厳死の問題を抜本的に解決するには,尊厳死法の制定ないしこれに代わり得るガイドラインの策定が必要であろう。すなわち,尊厳死の問題は,より広い視野の下で,国民的な合意の形成を図るべき事柄であり,その成果を法律ないしこれに代わり得るガイドラインに結実させるべきなのである。そのためには,幅広い国民の意識や意見の聴取はもとより,終末期医療に関わる医師,看護師等の医療関係者の意見等の聴取もすこぶる重要である。世論形成に責任のあるマスコミの役割も大きい。これに対して,裁判所は,当該刑事事件の限られた記録の中でのみ検討を行わざるを得ない。むろん,尊厳死に関する一般的な文献や鑑定的な学術意見等を参照することはできるが,いくら頑張ってみてもそれ以上のことはできないのである。しかも,尊厳死を適法とする場合でも,単なる実体的な要件のみが必要なのではなく,必然的にその手続的な要件も欠かせない。例えば,家族の同意が一要件になるとしても,同意書の要否やその様式等も当然に視野に入れなければならない。医師側の判断手続やその主体をどうするかも重要であろう。このように手続全般を構築しなければ,適切な尊厳死の実現は困難である。そういう意味でも法律ないしこれに代わり得るガイドラインの策定が肝要なのであり,この問題は,国を挙げて議論・検討すべきものであって,司法が抜本的な解決を図るような問題ではないのである。
(オ) 他方,国家機関としての裁判所が当該治療中止が殺人に当たると認める以上は,その合理的な理由を示さなければならない。その場合でも,まず一般的な要件を定立して,具体的な事案をこれに当てはめて結論を示すのではなく,具体的な事案の解決に必要な範囲で要件を仮定して検討することも許されるというべきである。つまり,前記の二つのアプローチ,すなわち患者の自己決定権と治療義務の限界の双方の観点から,当該治療中止をいずれにおいても適法とすることができなければ,殺人罪の成立を認めざるを得ないことになる。ここで重要なのは,いずれのアプローチが適切・妥当かということを前提とするのではなく,単に仮定しているということである。いずれかのアプローチによれば,もちろん,双方によってでもよいが,適法とするにふさわしい事案に直面したときにはじめて,裁判所としてその要件の是非を判断すべきである。ことに本件については,以下に述べるように,いずれのアプローチによっても適法とはなし得ないと判断されるのである。そうすると,尊厳死の要件を仮に定立したとしても,それは,結局は,本件において結論を導き出すための不可欠の要件ではない傍論にすぎないのであって,傍論として示すのは却って不適切とさえいえよう。
ウ そこで,所論の検討に入らなければならないが,それに先立ち,所論の前提について検討する。前記で認定したところによれば,被告人は4日に太郎の診察を始めてから16日の本件抜管に至るまで,同人の余命について診断を下したという形跡はないし,被告人自身,原審公判廷において,「抜管しない場合の余命については,1週間になるのか,二,三週間になるのか分からない。場合によっては1か月以上かもしれない」旨述べるとおり,余命についての確固たる見通しは持っていなかった。また,被告人は,本件抜管についての家族の意思は確認しているものの,家族の抜管の意思を手掛かりに抜管が太郎自身の意思によるものかどうかを探求したというわけではない。被告人は,長年,同人を診察してきたが,全て外来診療であり,家族の意思が同人の意思と直ちに同視できるかどうかを判断できる立場になかった。
したがって,被告人は,本件抜管の際,約1週間後には太郎の死が不可避と判断していたとも,抜管が太郎の意思に基づくと判断していたとも認められないのであり,所論は,被告人の認識していなかったことを主張するものであって,前提を欠くというべきである。
エ そこで,上記二つのアプローチから本件を検討することとし,まず,患者の自己決定権によるアプローチからみることにする。すなわち,本件抜管が太郎の意思に基づくものかどうかについて検討するに,太郎が自分自身の終末期における治療の受け方についてどのような考え方を持っていたのかを推測する手掛かりとなる資料は,証拠上,全く不明である。同人の人生観,死生観,宗教観を探る資料もないし,同人が終末期医療について意思を表明していたかどうか,表明していたとしてもどのような内容であったのかということも分からない。家族の意思は,同人の意思を探求するための大きな手掛かりではあるが,手掛かりの一つにすぎず,家族の意思のみをもって同人の意思と同視することはもとよりできない。なお,家族の意思が表明された場合は特段の事情がない限り患者本人の意思と同視すべきという見解もあり得るが,前述したように,これでは家族による患者本人の意思決定の代行を認めることと同じことになるし,代諾といってみても,その実体にそう違いがあるとはいえない。しかも,その見解によっても,患者が終末期状態であることが前提であるから,後述のように太郎の死期が切迫していたとは認められない本件については,そもそも当てはまらないものといえるし,家族からの要請の有無についても,本件では,原審と当審では判断を異にするような一種微妙な証拠判断にかかるものであって,その見解が予定していると思われる家族の明確な意思表示があったとまでは認められないから,やはり,同見解によっても,適法とはされない事案であると考えられる。
したがって,本件抜管が太郎の意思に基づいていたと認めることはできない。
オ 次に,治療義務の限界によるアプローチからみることにする。すなわち,太郎の余命についてどうみるかである。この点については,南野鑑定(医師南野九郎作成の鑑定書2通(原審甲15,当審検2)並びに原審及び当審における証人南野九郎の供述を併せて,このようにいう。)は,脳波や画像といった余命を推定するために必要な臨床的情報が揃っておらず,発症から未だ2週間の時点であることからも幅をもたせた推定しかできないと指摘した上で,太郎の余命は,①昏睡から脱却できない場合,短くて約1週間,長くて約3か月程度,②昏睡から脱却して植物状態(完全に自己と周囲についての認識を喪失すること)が持続する場合,最大数年,③昏睡・植物状態から脱却できた場合,介護の継続性及びその程度により生存年数は異なるとする。これに対して,北野鑑定は,脳幹機能障害と全身状態の重篤さに加え,呼吸器系の感染症に基づく喀痰の増加とその排出能の低下から気道閉鎖が起こる可能性も高く,余命はもっと短いとするが,結局,北野鑑定によっても,南野鑑定が推定する余命よりは短いという限度しかいえない。したがって,16日の時点で,太郎が約1週間後に死に至るのは不可避であったとはいえず,同人の死期が切迫していたとは認められない。
所論は,太郎は,心肺停止により広範な大脳皮質障害に加えて脳幹機能障害も認められる重篤な低酸素性脳損傷を負い,そのため,その後,感染症が重篤化し,16日時点においては,ペニシリン耐性肺炎球菌,セラチア菌,緑膿菌等複数菌かつ多剤耐性菌による重篤な気道感染症及び敗血症を合併していたのであり,治療は不可能で,既に予後1週間と判断される致死的段階にあったという。しかし,南野鑑定も北野鑑定も,治療が困難であることは認めながらも,16日以降の治療が医学的におよそ意味がないとは述べていないのであって,治療義務が限界に達していたと認めることはできない。
カ 最後に,本件におけるミオブロックの投与行為の評価について検討するに,当該行為が本件抜管と並んで殺人行為を構成するものであるところ,筋弛緩剤である同剤の投与こそ直接の死因を形成するものであって,適法化できない最大の要因とみる余地があるが,被告人としては,患者の苦悶様呼吸がどのような手段でも止まらないことから,ミオブロックの投与に及んだものであって,これだけを取り上げて違法性が強いとみるべきではなく,本件抜管と併せて全体として治療中止行為の違法性を判断すべきものである。
キ 以上のように,いずれのアプローチからしても,本件医療中止行為は法的には許容されないものであって,殺人罪の成立が認められるといわざるを得ない。
4 以上の検討によれば,被告人に殺人罪の成立を認めた原判決は結論においては正当であり,事実誤認をいう論旨は理由がないことになる。
第3 量刑についての職権判断
1 ところで,原判決は,「量刑の事情」において,被告人を次のように厳しく非難する。
被告人は,家業を率いる被害者が突然倒れ,精神的に大きな衝撃を受けたうえ,医療知識も乏しい妻らに,回復の見込みすら未だ不明な入院2日後に9割9分植物状態になる,入院6日後に9割9分9厘脳死状態などとの衝撃的で不正確な説明をするなど,配慮に欠ける対応をして家族らとの意思疎通を欠いた結果,家族らの誤解を招く一方,病状に関する診断の当否,回復可能性などについて,容易に実施可能な脳波検査等や複数の医師の意見聴取なども怠ったまま,治療中止に関する家族の真意を十分に確認もせずに,自己の看取る方針が了承されたものと軽信して,その方針で押し進め,家族らの意思に反して被害者の治療を中止するのみならず,筋弛緩剤まで投与して死亡させるに至ったのであるから,本件行為は医療行為として不適切であったというに止まらず,明らかに許される一線を逸脱しているものとして厳しい非難を免れない。
その行為の態様も,昏睡状態の被害者の生命維持に不可欠な気管内チューブを抜管し,生理的反応から苦悶様呼吸を続ける被害者の様子やその家族らの泣き叫ぶ声を聞くに至っても,家族の意向の再確認もせず,多量の鎮静薬を用いても十分奏功せず,結局,苦悶様呼吸を1時間近く継続させた挙げ句,筋弛緩剤を静脈注射して窒息により死に至らせたというものである。加えて,被告人は,本件犯行後,カルテに虚偽の記入までしており,事後の情状も良くない。さらに,被告人は,筋弛緩剤の投与方法などの点で不自然な弁解をするなど,素直な反省の態度がみられない点も甚だ遺憾というほかない。遺族らは,本件が発覚するまで被害者死亡の真の原因を知らず,平成14年4月,真相を知り,とりわけ当時の弁護人を通じ遺族らに責任転嫁するような報道がなされたことから,妻が神経科への通院を余儀なくされるなど再び強い精神的衝撃を受けているのであって,家族らの処罰感情が厳しいのもまことに無理からぬものというべきである。加えて,本件が大病院の要職にあるベテラン医師によって行われたことから,病院や医師に対する信頼失墜を加速し,患者・家族をはじめ一般国民の病院医療に対する不信感等を助長したものと窺え,その社会的影響も看過し難い。
2 しかしながら,これまで認定してきたところによれば,被告人は,太郎の予後についての検査をしておらず,家族に対する説明も万全とはいい難いが,家族に対する説明に配慮を欠いていたとは到底いえない。また,被告人は家族の真意を確認せずに独断で本件抜管を押し進めたわけでもないし,苦悶様呼吸が出現した時点で再挿管の意向を家族に確認せよというのは無理な注文といえる。被告人は看護婦に箝口令を敷くなどの罪証隠滅工作をしておらず,カルテの記載は罪証隠滅のための虚偽記載というよりも,被告人の後悔の現れとみるべきであろう。本件抜管が家族からの要請であることは否定できないのであって,その要請がなかったことを前提とする原判決の量刑判断はこの点でも維持し難い。したがって,原判決のようには被告人を非難することはできない。
そうすると,当裁判所の認定した事実を前提としながら,原判決の懲役3年,執行猶予5年(求刑・懲役5年)という量刑を維持することは相当ではなく,職権により量刑不当として原判決を破棄した上で,当審において適正な量刑判断を行う。
第4 破棄自判
刑訴法397条1項,381条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により当審において被告事件について更に次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は,川崎市川崎区桜本<番地略>所在の川崎協同病院において,平成10年11月2日から気管支喘息重積発作に伴う低酸素性脳損傷で意識が回復しないまま入院した甲野太郎(当時58歳)の治療に当たっていた医師であるが,同月16日午後6時ころ,同病院南2階病棟***号室において,太郎の回復を諦めた家族からの要請に基づき,太郎が死亡することを認識しながら,気道確保のために鼻から気管内に挿管されていたチューブを抜き取り,呼吸確保の措置をとらずに死亡するのを待ったが,予期に反して,太郎が苦悶様呼吸をし始め,多量の鎮静剤を投与してもその呼吸を鎮めることができなかったことから,同僚医師である夏山四郎に助言を求めたところ,筋弛緩剤であるミオブロックの使用を助言されたため,苦悶様呼吸を止めるためには同剤を使うほかないと考え,同日7時ころ,太郎が窒息死することを認識しながら,事情を知らない准看護婦東野六美に命じて,太郎に対し同剤3アンプルを静脈注射させて,まもなくその呼吸を停止させ,よって,同日午後7時11分ころ,同室において,太郎を呼吸筋弛緩に基づく窒息により死亡させた。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は,行為時においては平成16年法律第156号による改正前の刑法199条に,裁判時においてはその改正後の同法199条に該当するが,これは犯罪後に刑の変更があった場合に当たるから,同法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし,所定刑中有期懲役刑を選択し(刑の長期は,前同様に同法6条,10条により平成16年法律第156号による改正前の同法12条1項による。),なお犯情を考慮し,同法66条,71条,68条3号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役1年6月に処し,情状により同法25条1項を適用してこの裁判確定の日から3年間その刑の執行を猶予し,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
1 被告人は,本件抜管とミオブロック投与によって一人の患者の死期を早めたものであって,一定の非難は免れないところであるが,本件では次のような情状を指摘することができる。
2 本件抜管の情状についてみると,余命も正確に分からない状況の下で抜管に及んだことは早きに失したというほかない。また,やや割り切りすぎると評される被告人の生命観の下に家族を諦めの方向に誘導した嫌いもあり,家族の抜管要請を受けると直ちに被告人一人で抜管を決定したことは慎重さを欠いていたといわざるを得ない。被告人は,他の者に相談すれば,結局は家族の要請を受けないということになると供述するが,16日の時点で抜管を行うことが,患者とその家族が置かれた困難な状況を解決する最良ないしは唯一の策とはいえない以上,被告人一人で決めたことについては,非難されてもやむを得ない。すなわち,家族からの要請があったことは,証拠上は否定できないとしても,花子ら家族は,長い間の太郎の主治医であった被告人の言葉を信頼し,その判断を最大限尊重していたのであって,被告人が示唆する措置についてあえて反対することはなかなか困難であったといわざるを得ない。ことに,花子は,一家のまさに大黒柱である太郎がにわかに倒れ,意識を回復することなく,病床に横たわる姿を見て,太郎にそれまで頼り切っていただけに,その受けた精神的な苦悩は部外者が想像する以上のものであったといえる。前記のように,被告人から「再挿管しないで,自然にみていくという方法も考えられます。ご家族で検討しておいて下さい。」とか「昔は,ずっと最期まで診てあげることもできたのに,今の医療制度ではそれは難しくなりました。病状が安定すれば,意識障害というだけで,いつまでも病院に置いてあげるわけにはいかないんですよ。」などと言われれば,家族としても諦めざるを得ない心境にもなるのである。家族からの要請があったかどうかという場面に限らず,それに至る経緯を見れば,家族の最終的判断もやむを得ないものであって,この一場面のみをとらえて家族にも責任があるようなことをいうべきではない。被告人としても,医師としてそのような家族の心情を慮っていたことはうかがわれるけれども,より慎重な配慮に欠けていたように思われる。全体として本件の推移をみれば,家族側のイニシアティブではなく,被告人のそれによって事態が進行していたといわざるを得ない。そして,尊厳死が絡む終末期医療においては,医師には患者の家族の心情を十分に酌む姿勢が何よりも求められるのであって,少しでも医師が独走すれば,家族はこれを引き留めるのが困難であり,見方によっては,医師の思うがままにもなりかねないのである。一般的にも,専門家に対して強く自分の考え方や本当に思っていることを言うことは,専門家の側で考えている以上に難しい。しかも,肉親の死に直面して動揺している家族にとってはなおのことである。まして,事件が問題化すれば,家族として世間に対して肉親の死をみずから要請ないし同意したとは言いにくい立場に追い込まれかねない。尊厳死法やこれに代わり得るガイドラインにおいて,家族の意思の確認が書面によるとしても,結局は同じことであって,それが形式的なものとなってはならないのである。本件でも,被告人が家族からの要請があったと理解しても,なおその意向を再確認し,さらに他の医師にも相談すべきであって,独断で本件抜管を決断したことは,結果的には患者を軽視したといわれても致し方ないというべきである。
他方,①患者本人が意思を表明できない場合は,家族が事実上患者を代行して治療方針についての意思を表明しているのが医療の現場の現実と思われるが,更に進んで生命に関わるような治療方針の選択も家族が代行する例も存在するであろうことは想像に難くない,②死ぬときには家族に迷惑を掛けたくないというのは多くの者が持つ想いであって,被告人が,意識のない状態で家族に介護され,精神的にも経済的にも負担をかけることは本件患者も望んでいないだろうと考えたことをもって勝手な思い込みということはできない,③南野医師は,当審公判廷において,気管内挿管を2週間以上続けることは困難であり,気管切開をしなければ遅かれ早かれ抜管をせざるを得なかったのであって,抜管についてはやむを得ない面があるとの意見を述べているなどの事情は,被告人に有利に考慮することができる。
また,被告人は,治療中止について医療に従事する者が従うべき法的規範も医療倫理も確立されていない状況の下で,家族からの抜管の要請に対して決断を迫られたのであって,その決断を事後的に非難するというのは酷な面もある。
3 ミオブロック投与の情状についてみると,ミオブロック投与はおよそ治療行為とはいえず,被告人は許されない行為に及んだとはいえるが,患者の苦悶様呼吸がどのような手段をとっても止まらず,被告人としては追いつめられた状況において,同僚からミオブロック投与を助言されたことで本件投与に及んだという経緯をみれば,被告人は心ならずもミオブロック投与に及んでしまったものとみることができる。
4 以上の情状に加えて,被告人は事件が明るみに出たことで長年勤めてきた川崎協同病院からの退職を余儀なくされたこと,事件が広く報道され相当期間被告人の地位に置かれ社会的な制裁を受けたことなど酌むべき事情も考慮すると,被告人に対しては,主文のとおり,法律上最低限の刑を科した上で,その執行を猶予することが相当であると判断した。
(裁判長裁判官・原田國男,裁判官・田島清茂,裁判官・松山昇平)