東京高等裁判所 平成17年(ネ)303号 判決 2006年9月07日
控訴人
和田健治
同訴訟代理人弁護士
柱実
被控訴人
株式会社 教文館
同代表者代表取締役
宮原守男
同訴訟代理人弁護士
若井英樹
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴人の当審における新たな予備的請求を棄却する。
三 控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
(1) 原判決を取り消す。
(2)ア 主位的請求
被控訴人は、いのちのことば社に対し、別紙書籍目録三記載の書籍の取引拒絶をさせてはならない。
イ 予備的請求
被控訴人は、控訴人に対し、九六三万二八八五円及びうち六五一万六一九五円に対する平成一六年五月一九日から支払済みまで、うち三一一万六六九〇円に対する平成一八年四月一二日から支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。(当審における新たな請求)
(3) 被控訴人は、控訴人に対し、一〇〇〇万円及びうち二〇〇万円に対する平成一六年二月一八日から支払済みまで、うち八〇〇万円に対する平成一六年九月二六日から支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。(当審において請求を減縮した。)
(4) 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
(1) 当事者
控訴人は、元尚美学園短期大学教授であり、教会音楽家として、教会音楽に関する著作、作曲、演奏、出版及び指導などの諸活動を行ってきた者である。
被控訴人は、音楽著作物の管理、音楽著作物の利用の開発、キリスト教に関する図書及び修養に資する一般図書の出版販売等を業とする会社であり、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という。)二条一項に定める「事業者」に当たる者である。
(2) 各書籍の出版の経緯
ア 中田書籍
亡中田羽後は、別紙書籍目録一記載の書籍「聖歌」(以下「中田書籍」という。甲一一九)を編集し、昭和三三年一一月三〇日ころ、編集者を日本福音連盟聖歌編集委員会中田羽後とし、発行者を日本福音連盟、発売所をいのちのことば社として発行した。
中田羽後は、中田書籍の初版において、六〇篇の詩と自ら訳詞・編曲した欧米の聖歌及び独自に作詞作曲をした聖歌の中から六四〇曲を選択して発行し、その後、三四曲を追加して六七四曲とする増版を行った。
イ 被控訴人書籍
日本福音連盟新聖歌編集委員会は、中田書籍の中から二七八曲、賛美歌の中から一二六曲、その他から一一七曲、合計五二一曲を選択して別紙書籍目録二記載の書籍「新聖歌 交読文付き」(以下「被控訴人書籍」という。乙一三)を編集し、平成一三年六月二〇日ころ、被控訴人から発行し、それと同時に中田書籍を廃刊した。
ウ 控訴人書籍
被控訴人書籍には、実際には中田書籍のうちの四一パーセントに相当する曲が収録されているにすぎず、特に重要な曲である「賛美」のうちの礼拝賛美歌が八九パーセントも除外され、また、被控訴人書籍の楽譜のうちにフェルマータや強弱記号などのない楽譜に変えられたり訳詞の一部が正当な理由なく改作されたに等しいものがあったため、中田書籍の普及活動をしてきた控訴人としてはこれを看過することができなかった。
そこで、控訴人は、過去四〇年にわたって編集してきた聖歌集などと中田書籍から選曲した合計八一八曲について新たに編集した上、著作権者から楽曲に関する著作権の信託譲渡を受けて著作権の管理をしている社団法人日本音楽著作権協会(以下「著作権協会」という。)からその管理に係る中田羽後の作詞、作曲、訳詞あるいは編曲した著作物(以下「中田著作物」という。)を含む楽曲の著作権に関する出版許諾(許諾番号〇二一一五九八―二〇一号)を得た上、別紙書籍目録三記載の書籍「聖歌 総合版」(以下「控訴人書籍」という。甲一二〇)を、平成一四年一〇月一二日、聖歌の友社名義で発行し、いのちのことば社を通じて販売した。
(3) 被控訴人の妨害行為等
被控訴人は、控訴人書籍の発行・発売の前後において、控訴人といのちのことば社に対し次のような妨害行為を行うなどした。
ア 控訴人は、平成一三年七月ころ、諸教会に対し、控訴人書籍の発行計画案を送付した。これに対し、被控訴人(宮原守男代表取締役会長(以下「宮原会長」という。))は、中田羽後の相続人である中田純の代理人である有馬式夫に対し、著作権協会に対して「控訴人書籍は被控訴人書籍の出版権を侵害するものであるから、著作権者の意向に反する控訴人の使用申請に応じないように。」との上申書を提出することを教唆し、幇助した。
イ 控訴人書籍の発行に先立ち、いのちのことば社の報道部門であるクリスチャン新聞が控訴人書籍の発行計画を平成一三年九月二日付け紙上に載せたところ、被控訴人は、その前後に、クリスチャン新聞の根田祥一編集長(以下「根田編集長」という。)に対し、「控訴人には控訴人書籍を発行する権利はない。」などと電話で伝え、控訴人書籍の発行計画に関する記事を出させないように圧力を加えた。
ウ 被控訴人は、クリスチャン新聞の平成一四年三月三一日付け紙上に同様の計画の記事が掲載された前後にも、上記イと同旨の電話を繰り返した。
エ 被控訴人(宮原会長ほか二名)は、平成一四年四月二二日ころ、いのちのことば社に対し、「聖歌総合版の制作・出版に関わっているか。関わったら訴えるぞ。」と語気荒々しく脅迫的言辞を弄し、控訴人書籍が中田書籍の著作権を侵害するとして、その制作・販売に関与しないよう申し入れた。
オ 被控訴人(宮原会長)は、平成一四年九月ころ、中田純に対し、著作権協会に対して「平成一五年四月以降の著作権協会との管理委託契約を解除する。」との通知を九月末日までに出すよう教唆し、幇助した。
カ 控訴人は、上記(2)ウのとおり、平成一四年一〇月一二日ころ、控訴人書籍第一刷を聖歌の友社名義で発行し、いのちのことば社を通じて販売した。
キ 被控訴人は、クリスチャン新聞の平成一四年一〇月二七日付け紙上に控訴人書籍の献呈式等の記事が掲載された前後にも、上記イと同旨の電話を繰り返した。
ク 被控訴人(宮原会長)は、平成一四年一〇月二五日ころ日本キリスト教書販売株式会社(被控訴人の卸部門が分離独立して設立された会社。以下「日キ販」という。)の木村三雄取締役(以下「木村取締役」という。)に指示して、控訴人書籍の販売に関し、「聖歌総合版(聖歌の友社)の販売について日キ販は協力しません。著作権上の問題が解決されていない作品について取り扱いは控えさせていただきますのでご了解ください。」との記事を掲載した平成一四年一〇月二八日付け日キ販ニュース五一八号を全国のキリスト教書店及び一般取引先に送付させた。
ケ 被控訴人は、宮原会長ほか二名の名義で、平成一四年一一月二七日ころ、いのちのことば社に対し、「控訴人書籍は、書名、全体の構成、記譜のスタイルなど、中田書籍の模倣、盗作であることは疑いを入れないことであると断定せざるを得ない。また、控訴人は、著作権者らからは何の了解も承諾も取り付けていないのにそれを偽って、著作権者の了解による発行であるかのごとき言辞をもって一部取次に販売を迫っている。四月二二日の私どものお願いに貴社が耳を傾けてくれなかったことを極めて遺憾に存じ、是非本著作物の販売に絶対関わらぬよう改めて申し入れます。」という旨が記載された文書を送付し、控訴人書籍の販売に関与しないよう申し入れた。
コ いのちのことば社は、被控訴人の上記のイウエキケの行為に対し、当初は、「控訴人書籍について違法とする司法判断が出たときは、取扱いを止める。」との態度をとっていた。
サ 被控訴人は、平成一五年三月ころ、約束したクリスチャン新聞への広告掲載を取り止め、これによっていのちのことば社の不安をかき立てた。
シ 被控訴人は、平成一五年三月ころ、中田純と著作権協会との間の中田著作物の著作権についての信託譲渡契約を解除させた。これを受け、著作権協会は、そのころ、出版利用者に対し、中田著作物の著作権の信託譲渡契約が平成一五年三月三一日をもって解除されるので同年四月一日以降利用許諾手続をする場合には被控訴人出版部に連絡するように、との通知をした。
ス 控訴人は、著作権協会から上記シの通知を受けた後、平成一五年六月二〇日、著作権協会から中田著作物を除く楽曲の著作権に関する出版許諾を得た(許諾番号〇二一一五九八―三〇二号)上、同年七月一〇日、控訴人書籍第二刷を聖歌の友社名義で発行した。
セ 被控訴人は、平成一五年七月ころ、中田純から中田著作物の著作権の信託譲渡を受けた。
ソ 被控訴人は、中田純から中田著作物の著作権の信託譲渡を受けたことを踏まえ、平成一五年七月ころ、いのちのことば社に対し、中田著作物の利用許諾については自ら「吟味して承認する、しない」を決める旨の通知をして圧力を加えた。
タ いのちのことば社は、上記のイウエキケサソの妨害行為特に上記ソの通知により社員の一部に強い不安が生じ社内が混乱したため、平成一五年八月下旬、控訴人書籍第二刷の販売取扱いを当面中止せざるを得なくなった。
(4) 販売妨害行為の差止請求(主位的請求)
ア 独占禁止法一九条違反
控訴人は、控訴人書籍の販売を依頼していたいのちのことば社が被控訴人の上記妨害行為によって販売取扱いを中止するに至ったことにより、その利益を侵害された。
日本におけるキリスト教関係出版物に関しては、その卸売業者が日キ販、いのちのことば社、伝販の三社しかなく、この三社がそれぞれ系列のキリスト教書店を抱えて独特の閉鎖的な流通機構を作っている中で、被控訴人は、キリスト教関係出版社として売上げが業界二位という有力な事業者であるが、被控訴人は、競争者を排除することにより聖歌市場において形成した被控訴人書籍の支配力を確保するという独占禁止法上不当な目的を達成するための手段として、上記の妨害行為をし、いのちのことば社に対して控訴人書籍の販売取扱いを中止させたものであるから、被控訴人による上記の妨害行為には公正競争阻害性が認められる。したがって、被控訴人は、この妨害行為により不当にいのちのことば社に対して控訴人書籍の販売を拒絶させたものであるから、これは不公正な取引方法(独占禁止法二条九項一号、昭和五七年公正取引委員会告示第一五号二項後段にいう単独による間接取引拒絶。以下、同告示を単に「告示」という。)に該当し、独占禁止法一九条に違反するものである。
イ 独占禁止法二四条に基づく差止請求
(ア) 被控訴人は、現在においても、第三者の問合せに対し、「中田純さんご自身が、聖歌総合版の編集者の和田健治氏にはご自分の継承しておられる著作権を使用させたくない、という意志をもっています。」、「教文館は、中田さんの意志にそむいて聖歌総合版に著作権の使用を許可することはありえません。」などと回答していることから、今後も被控訴人の販売妨害行為が反復ないし継続されることは確実な状況にある。
(イ) したがって、これを放置するならばさらに将来にわたって控訴人の損害が増加する状況にあるから、控訴人は、独占禁止法二四条に基づき、被控訴人の販売妨害行為の差止めを求める。
(5) 販売妨害行為に基づく損害賠償請求(当審における新たな予備的請求)
上記の販売妨害行為の差止請求が認められないときは、控訴人は、下記のとおり損害賠償請求をする。
ア 被控訴人の上記(3)のアイウエオキクケサソの妨害行為は、「不公正な取引方法」に当たり、独占禁止法一九条に違反する。また、これらの妨害行為は、競争者を排除することにより聖歌市場において形成した被控訴人書籍の支配力を確保するという不当な目的を達成するための手段として行われたものであるから、公序良俗にも違反するものである。
イ 被控訴人の上記妨害行為によって、いのちのことば社は控訴人書籍第二刷の販売取扱いを中止するに至り、控訴人は、これによって営業利益を失うに至った。したがって、被控訴人は控訴人に対して不法行為に基づく損害賠償義務を負う。
ウ いのちのことば社が平成一五年九月以降も控訴人書籍第二刷の販売を取り扱っていれば、平成一八年三月までの控訴人の得べかりし利益は、少なくとも九六三万二八八五円を下らない。すなわち、被控訴人による妨害行為がなければ、いのちのことば社が平成一五年九月から平成一八年三月までの間に取り扱ったであろう控訴人書籍の部数は八四一三部であり(平成一四年一一月から平成一五年八月までの一か月平均の取扱部数が二七一・四部であることからの推計)、一部当たりの利益は一一四五円(一部当たり、卸値が二〇四〇円、諸経費が八九五円である。)であるから、九六三万二八八五円が得べかりし利益となる。
エ よって、控訴人は、被控訴人に対し、損害賠償金九六三万二八八五円及びうち六五一万六一九五円に対する請求の日の翌日である平成一六年五月一九日から支払済みまで、うち三一一万六六九〇円に対する請求の日の翌日である平成一八年四月一二日から支払済みまで各民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(6) 名誉毀損に基づく損害賠償請求
ア 名誉毀損行為
(ア) 被控訴人は、前記(3)クのとおり、平成一四年一〇月二五日ころ日キ販の木村取締役に指示して、控訴人書籍の販売に関し、「聖歌総合版(聖歌の友社)の販売について日キ販は協力しません。著作権上の問題が解決されていない作品について取り扱いは控えさせていただきますのでご了解ください。」との記事を掲載した平成一四年一〇月二八日付け日キ販ニュース五一八号を全国のキリスト教書店及び一般取引先に送付させた。
(イ) 被控訴人は、前記(3)ケのとおり、宮原会長ほか二名の名義で、平成一四年一一月二七日ころ、いのちのことば社に対し、「控訴人書籍は、書名、全体の構成、記譜のスタイルなど、中田書籍の模倣、盗作であることは疑いを入れないことであると断定せざるを得ない。また、控訴人は、著作権者らからは何の了解も承諾も取り付けていないのにそれを偽って、著作権者の了解による発行であるかのごとき言辞をもって一部取次に販売を迫っている。」旨を記載した文書を送付した。
(ウ) 被控訴人の渡部満常務取締役(現社長。以下「渡部常務」という。)は、平成一五年九月四日、所属する教会で控訴人書籍を採用することを決めた藤野慶一郎牧師から教会員に説明する必要があると明示してなされたメールによる問合せに対し、「すでに中田先生の死後何十年にもわたって和田健治氏が中田羽後の著作権を自分のものにしようと画策し、訴訟まで起こしてきているからです。以上の経過があるにもかかわらず、再び自分に著作権があると僭称して作成したのが、聖歌総合版です。ですから、これはそもそも著作権者の意志を、ふみにじった違法出版なのです。」とのメールによる回答をした。
イ 被控訴人による上記アの(ア)ないし(ウ)の行為は、いずれも、公然事実を摘示し、控訴人の教会音楽家としての名誉を著しく毀損するものである。すなわち、控訴人は、教会音楽家として高い評価を受けており、また、中田羽後の後継者として自己の経済的負担と個人的労力により永年中田書籍の普及活動に努めてきた者であるが、上記ア(ア)においては、控訴人書籍が著作権上の問題を抱えていた事実がないのに、著作権上の問題が解決されていないという虚偽の事実が全国の教会にまで伝えられ、上記ア(イ)においては、控訴人書籍が中田著作物の著作権を侵害している事実がないのに、その著作権を侵害し、また、中田書籍の模倣、盗作であるとして、いのちのことば社に対して控訴人書籍の販売取扱いを中止するよう要請され、上記ア(ウ)においては、東京高裁において控訴人の今後の中田書籍の普及活動に支障をきたさないよう実質的に著作権を有すると同様の内容によって和解が勧告され成立をみたにもかかわらず、ことさらにそれを秘して事実を著しく歪曲し、また、極めて悪意に満ちた不適当な表現により控訴人の個人攻撃をなしたもので、いずれも、控訴人についてその教会音楽家としての名誉を著しく毀損するものである。
控訴人はこれらの名誉毀損により無形の損害を被った。この損害を金銭に見積もれば一〇〇〇万円は下らない。
二 請求原因に対する認否
(1) 請求原因(1)の事実(当事者)のうち、控訴人については不知、被控訴人については認める。
(2) 同(2)の事実(各書籍の出版の経緯)のうち、アのうち、「編集」とする点を「編集著作」とするほかは認め、イのうち、「編集」とする点を「編集著作」とし、中田書籍を廃刊したとする点を否認するほかは認め、ウのうち、被控訴人書籍の評価及び控訴人が控訴人書籍を新たに編集したという点は争うが、その余は認める。
(3) 同(3)の事実(被控訴人の妨害行為等)のうち、イ、ウは否認し(ただし、イに関し、被控訴人がそのころ根田編集長に対し「控訴人には中田著作物を使用する権利はない。」と電話で伝えたことはある。)、エのうち、宮原会長らが「聖歌総合版の制作・出版に関わっているか。関わったら訴えるぞ。」と語気荒々しく脅迫的言辞を弄したとの点を否認し、その余を認め、カは認め、キ、クは否認し、ケ、コは認め、シのうち、被控訴人が信託譲渡契約を解除させたとの点は否認し、その余を認め、ス、セは認め、ソは否認し、タのうち、いのちのことば社が平成一五年八月に控訴人書籍第二刷の販売取扱いを中止したことは認めるが、その余は否認する。
いのちのことば社は、被控訴人からの申入れにかかわらず、自らの判断に基づいて、控訴人書籍第一刷の販売を取り扱っていたところ、控訴人書籍第二刷については、版権処理ができていないことから販売を取り扱わないこととしたものであって、被控訴人の申入れといのちのことば社による控訴人書籍第二刷の販売取扱中止との間には因果関係がない。
(4) 同(4)の事実(販売妨害行為の差止請求)のうち、アは否認し、イ(ア)のうち、被控訴人が第三者の問合せに対して控訴人主張の回答をしていることは認め、その余を否認し、イ(イ)は争う。
(5) 同(5)の事実(販売妨害行為に基づく損害賠償請求)は、すべて否認し争う。
(6) 同(6)の事実(名誉毀損に基づく損害賠償請求)のうち、ア(ア)のうち、日キ販ニュース五一八号に控訴人主張の記事が掲載され全国のキリスト教書店に送付されたことは認めるが、被控訴人が日キ販に指示をして同記事を掲載させたとの事実及びそれが控訴人の名誉を毀損することは否認し、アの(イ)(ウ)は認め、イは否認する。
三 抗弁(請求原因(6)の名誉毀損に基づく損害賠償請求に対して)
(1) 被控訴人による請求原因(6)アの(イ)(ウ)の行為は、公然事実を摘示したものではないから控訴人の名誉を毀損しない。
(2) 仮に控訴人の名誉を毀損するものであったとしても、公共の利益に関する事実に係り、かつ、専ら公益を図る目的に出たものであり、そして、次のとおり、摘示事実は真実であり、少なくとも、被控訴人が真実であると信じるについて相当の理由があったから、不法行為は成立しない。
ア 控訴人書籍第一刷は、中田書籍を残すために作成され、中田書籍六七四曲のうち大半の六三八曲を収録し、収録曲のほとんどを中田書籍のとおりの順番としているのであり、中田書籍における曲の選択及び配列の創作性を流用しているものであって、中田純に属する編集著作権を侵害するものであるから、これを「模倣、盗作」と指摘しても違法ではない。
イ 控訴人書籍第二刷は、上記アの編集著作権の侵害に加え、さらに、中田著作物について著作権者から許諾を得ていないので、平成一五年四月一日以降は中田純の著作権を、同年七月以降は中田純から信託譲渡を受けた被控訴人の著作権を侵害するものであるから、これを制作・販売することは違法な行為である。
四 抗弁に対する認否
(1) 控訴人書籍は、中田書籍と比較すると、書名は「聖歌 総合版」と変えており、全体の構成は初の生涯学習教則本を兼ねたもので各種の解説を加え、多くの楽譜にコードネームを付けるなど、全体の細部に至るまで多くの工夫で統一してあり、曲順も新しく組んだものである。また、記譜のスタイルは、中田書籍も控訴人書籍も世界中の聖歌集が守っている共通の基本に従ったものであるから盗作にはなり得ない。そして、控訴人書籍は、著作権協会から出版利用許諾を得た上で出版したのであるから、被控訴人は著作権侵害を主張することはできない。
なお、著作権協会は、曲集の編集の著作権に関しては編集の著作権を認めておらず、中田書籍についても編集著作権は成立しない。そもそも、中田書籍の書名「聖歌」は由木康編「聖歌」の模倣であり、その全体の構成もThe Hymnal Army and Navy全部を訳してそれを土台として模倣したものである。
したがって、控訴人書籍第一刷は中田書籍の模倣、盗作ではない。
(2) 中田羽後は、「妻子とは縁もゆかりもなくなり、控訴人以外に頼れる者はいない。それに、自分の作品を理解し、指導し得る者は控訴人しかいない。特に中田書籍は共通賛美歌として献呈したものであるから、その収録曲を永続出版のための指導、普及、出版などをする後継者を作ることは生涯の使命であった」として控訴人を後継者に選定したのであるから、控訴人は、中田羽後からすべての中田著作物の無償使用権を取得していた。したがって、控訴人書籍第二刷は中田著作物の著作権を侵害していない。
(3) 被控訴人が、控訴人書籍について中田著作物の著作権侵害であると主張することは、権利濫用として許されない。被控訴人の行為は、独占禁止法二一条にいう「権利の行使と認められる行為」には当たらず、独占禁止法の適用を受けて違法行為を構成するものとみるべきである。したがって、控訴人書籍第二刷は中田著作物の著作権を侵害しない。
第三当裁判所の判断
一 認定事実
《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
(1)ア 控訴人は、元尚美学園短期大学教授であり、教会音楽家として、教会音楽に関する著作、作曲、演奏、出版及び指導などの諸活動を行ってきた者である。
イ 被控訴人は、音楽著作物の管理、音楽著作物の利用の開発、キリスト教に関する図書及び修養に資する一般図書の出版販売等を業とする会社であり、独占禁止法二条一項に定める「事業者」に当たる者である。
ウ 中田羽後は、生前、賛美歌の訳詞の仕事等に携わり、昭和七年に「リバイバル聖歌」を出版したほか、ボヘミヤ民謡「おお牧場はみどり」の訳詞を著作し、その著作権を有していた。
(2) 中田羽後は、キリスト教に関連する六〇篇の詩と自ら訳詞・編曲した欧米の聖歌及び独自に作詞作曲をした聖歌の中から六四〇曲を選択・編集して、聖歌集である中田書籍(初版)を完成させ、昭和三三年一一月三〇日ころ、編集者を日本福音連盟聖歌編集委員会中田羽後とし、発行者を日本福音連盟車田秋次、発行所を日本福音連盟、発売所をいのちのことば社として発行し、その後増版した際に三四曲を追加して六七四曲とした(甲一一九)。
(3) 控訴人は、昭和三五年ころから、中田羽後の教会音楽全般の指導を受けるようになり、次第に同人に傾倒するようになった。
中田羽後は、昭和四三年ころから狭心症により入退院を繰り返すようになり、そのため、それまで行ってきた活動をまとめたいと考え、控訴人に対し、中田羽後の音楽作品や原稿等を掲載し全国の教会音楽関係者に聖歌の指導活動をするための雑誌を発行することを依頼した。控訴人は、この依頼を受け、昭和四四年一月から、発行所を教会音楽研究会(別名 聖歌の友社)、主筆を中田羽後、編集・発行人を控訴人とする月刊誌「聖歌の友」の発行を開始した。同誌は、昭和六〇年八月までは月刊誌として、その後は年一回ないし四回発行される雑誌として、出版が続けられたが、平成四年に休刊した。
(4)ア 中田羽後は、昭和四九年七月一四日、心筋梗塞により死亡した。
イ 中田羽後の遺言(甲四五の一~三)では、中田書籍など中田著作物の著作権は、「中田教会音楽基金」(理事として森山諭、北村武雄、園部治夫)に遺贈することとされたが、遺族を含む関係者らの協議により、中田著作物の著作権は中田羽後の長女である中田純が相続した。中田純は、関係者らと協議の上、昭和四九年九月一五日、中田著作物の著作権を著作権協会に信託譲渡して、その管理を委託した。
ウ 他方、中田羽後の遺言において、「「聖歌之友」の主筆は和田健治に移る。従って、「聖歌之友社」出版の諸出版物は、今まで通り和田健治が所有する。」とされた。そこで、中田純は、控訴人からその遺言の趣旨に関する説明を聞いた上、昭和四九年七月二九日、その説明内容に沿って、「「聖歌の友」社出版の諸出版物を和田健治氏が所有することを認めます。ゆえにその諸出版物に収録の中田著作物の版権を控訴人に贈与します。ただし、今後、すでに他社から出版中の中田羽後著作物の版権を「聖歌の友」社の出版物に収録する場合は、版権を贈与するのではなく、無料使用することを認めます。」との承認書(甲六)を作成して控訴人に交付した。
エ 昭和五二年、権利能力なき財団「中田羽後記念聖歌協会」(代表者園部治夫。上記イの「中田教会音楽基金」。)と園部治夫は、中田純(角田純)を被告として、中田書籍等の中田著作物の著作権を有することの確認等を求める訴訟を東京地方裁判所に提起し(同庁昭和五二年(ワ)第四九三五号。その後、昭和五五年(ワ)第四四四六号事件が併合された。)、昭和五八年五月二三日、控訴人が利害関係人として参加して、「原告らと被告は、亡中田羽後著作編集にかかるすべての著作物の著作権が被告中田純の所有であることを確認する。本和解成立後、被告中田純は、著作権協会に対し、上記著作権についての昭和五二年六月から昭和五八年五月までの著作物使用料の支払を請求し、支払を受けた場合その二分の一を原告園部治夫に支払う。」等を内容とする訴訟上の和解が成立した(乙一)。
オ 平成二年、控訴人は、中田純を被告として、いずれも中田著作物に係る①雑誌「聖歌の友」に掲載された聖歌解説等、②「メサイヤ」の訳詞、③「聖楽独唱名曲集」に掲載された曲の作詞・訳詞、④「青年聖歌」(後に「聖歌集」と題名変更)に掲載された曲の作詞・訳詞・作曲・編曲、⑤「こどもせいか」に掲載された曲の作詞・訳詞・作曲・編曲、について、その著作権を控訴人が有することの確認を求める訴訟を東京地方裁判所に提起したが(同庁平成二年(ワ)第三一三九号)、平成六年三月一八日、上記ウに記載の中田純作成の承認書は錯誤に基づくものであり無効であるなどとして、請求を棄却された(乙二)。控訴人はこれを不服として東京高等裁判所に控訴したが(同庁平成六年(ネ)第一二七三号)、平成七年八月三日、「控訴人と被控訴人中田純は、上記①ないし⑤のすべての著作物の著作権が被控訴人中田純に帰属することを確認する。被控訴人中田純は、控訴人に対し、上記①ないし⑤の著作物を無償で複製すること、上記②ないし⑤の著作物を無償で演奏及び放送すること、上記④及び⑤の著作物を無償で編曲することをそれぞれ許諾する。この許諾は被控訴人中田純が第三者に対して同様の許諾をすることを妨げるものではない。」旨を内容とする訴訟上の和解が成立した(乙三)。
(5) こうした経過の後、日本福音連盟新聖歌編集委員会は、中田書籍に準じた六〇篇の詩(交読文)、中田書籍の中から二七八曲、賛美歌の中から一二六曲、その他から一一七曲、合計五二一曲を選択・編集して、聖歌集である「新聖歌 交読文付き」(被控訴人書籍)(乙一三)を完成させ、平成一三年六月二〇日ころ、被控訴人を発行所として発行し、日キ販を配給元として販売し、それと同時に中田書籍は廃刊とされた。
(6)ア 控訴人は、被控訴人書籍には中田書籍のうちの四一パーセントに相当する曲が収録されているにすぎず、とくに重要な曲である「賛美」のうちの礼拝賛美歌が八九パーセントも除外され、また、被控訴人書籍の楽譜のうちにフェルマータや強弱記号などのない楽譜に変えられたり訳詞の一部が正当な理由なく改作されたに等しいものがあると考え、さらに、被控訴人書籍の出版と共に中田書籍が廃刊されることにもなったため、中田書籍の承継と発展を目指す新たな聖歌集を自らが編集してこれを出版することを企画した。
イ 控訴人は、平成一三年七月ころ、諸教会に対し、控訴人書籍の発行計画案を送付した。
ウ 被控訴人は、控訴人が中田書籍を承継する聖歌集を企画していることを知り、中田純の代理人である有馬式夫に版権について問い合わせたところ、同人は、「東京高等裁判所での和解によって、その調書に記載された「聖歌之友」発行等の著作目録についてもその著作権は中田純に帰属し、使用権のみが控訴人に認められたものである。」旨、「控訴人書籍は、東京高等裁判所での和解によって認められた著作物の使用の使用権の範囲を超えるものである。」旨を答え、被控訴人の協力によって控訴人書籍の発行を阻止したい旨を述べた(乙四)。
エ いのちのことば社の報道部門であるクリスチャン新聞は、平成一三年九月二日付け紙上で、控訴人が中田書籍の解説付きの改訂版を発行することを計画している旨の記事を載せた(甲二七の一)。
オ 被控訴人においても、控訴人書籍が中田著作物の著作権を侵害するおそれがありまた被控訴人書籍の出版権を侵害するおそれもあると考え、平成一三年九月二日の前後ころ、クリスチャン新聞の根田編集長に対し、「控訴人には中田著作物を使用する権利はない。」旨を電話で伝えた(前記第二の二(3)、甲五八)。
カ クリスチャン新聞は、平成一四年三月三一日付け紙上で、控訴人が編集する新たな聖歌集は、中田書籍中の六七四曲から六四一曲、関連聖歌から一八二曲、計八二三曲を収録し、曲の解説を加える計画であることや、それが同年七月ころに発行される予定である旨の記事を載せた(甲二七の二)。
キ 被控訴人の宮原会長、中村義治代表取締役社長(当時。以下「中村社長」という。)及び渡部常務は、平成一四年四月二二日ころ、いのちのことば社を訪れ、同社の多胡元喜会長、丸山泰輔専務理事及び鴻海誠専務理事(以下、それぞれ「多胡会長」、「丸山専務理事」、「鴻海専務理事」という。)に対し、控訴人が企画している聖歌集は著作権を侵害するおそれがあるからその制作・販売に関与しないよう申し入れ、その際、「控訴人に協力しているのか。もし控訴人の制作・販売に協力したら裁判所に訴える。」旨を述べた。これに対し、いのちのことば社は、控訴人が企画している聖歌集の制作には全く関与していないと述べたもの、販売に関与するかどうかについては回答を留保した。
ク クリスチャン新聞は、平成一四年九月一五日付け紙上に被控訴人の発行する書籍の広告を載せた(乙九の二)。
(7) 控訴人は、中田書籍中のものと同じ六〇篇の詩と、中田書籍中の聖歌六七四曲から六三八曲、控訴人が過去四〇年にわたって編集してきた「青年聖歌」などの聖歌集から一八〇曲、合計八一八曲を選択し、これを中田書籍の基本的な配列や構成を承継しながら新たに編集し、さらに、生涯学習を意識した総合解説や特定の曲の解説を付けるなどの工夫を施して、「聖歌 総合版」(控訴人書籍)(甲一二〇)を完成させ、著作権協会から中田著作物を含む楽曲の出版許諾を得た上、しかしそれ以上に中田純から特段の了解や承諾を得ることはなく、平成一四年一〇月一二日ころ、控訴人を編著者及び発行者とし、聖歌の友社を発行所とする控訴人書籍第一刷を発行し、いのちのことば社を通じて販売を行った(なお、控訴人書籍中の中田著作物の大半は、前記(4)オに記載の東京高等裁判所における和解で控訴人に無償使用が許諾された中田著作物以外のものであった。)。
(8)ア クリスチャン新聞は、平成一四年一〇月二七日付け紙上に控訴人書籍が発刊された旨の記事を載せた(甲一、二七の三)。
イ 日キ販ニュース五一八号は、平成一四年一〇月二八日付け紙上で、控訴人書籍の販売に関して、「聖歌総合版(聖歌の友社)の販売について日キ販は協力しません。著作権上の問題が解決されていない作品について取り扱いは控えさせていただきますのでご了解ください。」との記事を載せ、これが全国のキリスト教書店八〇店及び一般取引先二店に送付された(甲一二)。
これに対し、控訴人は、同月二九日ころ、日キ販の木村取締役に対し、上記の記事を掲載したことに抗議をした。
ウ 被控訴人は、控訴人書籍の内容を検討したところ、書名、全体の構成、記譜のスタイル等が近似していたことから、控訴人書籍は中田書籍の編集著作権を侵害しているものと考え、控訴人書籍について「収録曲の順序の入れ替え、一部の削除および追加がなされているとはいえ、書名、全体の構成、記譜のスタイルなど、……『聖歌』の模倣、盗作であることは疑いを入れないことであると断定せざるを得ません。しかも、……和田健治氏は『聖歌』の著作権者である角田純氏……からは何の了解も取り付けて……いないのにもかかわらず、それを偽って、著作権者の了解による発行であるかのごとき言辞をもって、一部取次に販売を迫っているとのことです。……四月二二日の私どものお願いに貴社が耳を傾けてくださらなかったことを極めて遺憾に存じ、……是非本著作物の販売に絶対にお関わりになりませぬよう、改めて申し入れます。」という旨を記載した平成一四年一一月二七日付けの宮原会長、中村社長及び渡部常務名義による書面(甲一)をいのちのことば社に対して送付し、改めて控訴人書籍の販売に関与しないよう申し入れた。
エ これに対し、いのちのことば社は、「控訴人書籍が中田書籍の著作権を侵害するか、その模倣・盗作に当たるかどうかについては判断できないし、また、判断をする立場でもないので、司法の判断が出てもし違法なものであることがはっきりすれば取扱いをやめます。」という旨を記載した平成一四年一二月二七日付けの多胡会長、丸山専務理事及び鴻海専務理事の名義による書面(甲二)を被控訴人に対して送付し、控訴人書籍第一刷の販売を継続した。
(9)ア 中田純は、著作権協会が控訴人書籍に出版許諾を与えたこと等を理由に、平成一五年三月三一日限りで、著作権協会との間で締結されていた中田著作物の著作権の信託譲渡契約を解除した。
イ これを受けて、著作権協会は、平成一五年三月一九日、出版利用者に対し、中田著作物の著作権の信託譲渡契約が平成一五年三月三一日をもって解除されるので同年四月一日以降利用許諾手続をする場合には被控訴人出版部に連絡するように、との通知をした(甲一一)。
ウ 中田著作物を管理していた被控訴人は、平成一五年四月、いのちのことば社からの中田著作物使用申請を許諾した(乙一一の一・二)。
エ 控訴人は、平成一五年六月二〇日に著作権協会から中田著作物を除く楽曲の著作権に関する出版許諾を得た上(許諾番号〇二一一五九八―三〇二号)、しかしそれ以上に中田純から特段の了解や承諾を得ることはないまま、同年七月一〇日ころ、控訴人書籍第二刷を聖歌の友社名義で発行した。
オ 中田純は、平成一五年七月ころ、中田著作物の著作権を被控訴人に信託譲渡した。
カ いのちのことば社は、平成一五年八月下旬以降控訴人書籍第二刷の販売を取り扱わない方針を採るに至り、その販売取扱いをしていない。その理由は、①控訴人書籍第一刷は著作権協会の承認のもと版権処理(著作権者による出版許諾)がなされたものであるが、控訴人書籍第二刷については、中田著作物の出版許諾の権限が著作権協会から被控訴人に移り、控訴人は被控訴人から版権処理を受けていないこと、②この点について、控訴人からは、「控訴人は中田著作物について無償使用権を有しているから控訴人書籍を発行するのに支障はない。」旨の説明を受けているが、被控訴人からは「控訴人書籍が中田純の有する中田書籍の著作権を侵害しているから、その販売に関与しないように。」と強く警告されていること、③仮に、被控訴人の警告を無視すると、被控訴人が中田著作物の利用許諾について、著作権協会が申請があれば誰にでも承認していたのと違い、「被控訴人が吟味して承認する、しないを決める。」との態度をとっていると解されるので、いのちのことば社自身が被控訴人に対して中田著作物の利用許諾を申請した場合にこれを拒否されるおそれがあり、それはいのちのことば社にとって脅威となると考えたこと、④そして、いのちのことば社としては、この脅威は、被控訴人が控訴人書籍を取り扱わないよう強い警告の態度を示していること、平成一四年末から一五年春ころにかけて被控訴人がいのちのことば社へ依頼していた広告を取りやめたことがあったことから、現実味のあるものであると判断したこと、⑤いのちのことば社としては、訴訟に巻き込まれるようなトラブルは回避したかったこと、などであった。
キ なお、いのちのことば社に対する控訴人書籍第一刷の納品部数は、平成一四年一一月に二〇〇〇部、平成一五年四月に一一二部、同年五月に二四〇部、同年六月に二〇〇部、同年七月に一三二部、同年八月に三〇部であった(甲二四)。
(10) 被控訴人の渡部常務は、平成一五年九月四日、所属する教会で控訴人書籍を採用することを決めた藤野慶一郎牧師から教会員に説明する必要があると明示してなされたメールによる問合せ(甲一三の二)に対し、「中田純さんご自身が、聖歌総合版の編集者の和田健治氏にはご自分の継承しておられる著作権を使用させたくない、という意志をもっています。」、「すでに中田先生の死後何十年にもわたって和田健治氏が中田羽後の著作権を自分のものにしようと画策し、訴訟まで起こしてきているからです。以上の経過があるにもかかわらず、再び自分に著作権があると僭称して作成したのが、聖歌総合版です。ですから、これはそもそも著作権者の意志を、ふみにじった違法出版なのです。」、「教文館は、中田さんの意志にそむいて聖歌総合版に著作権の使用を許可することはありえません。」とのメールによる回答をした(甲一三の三)。
以上の事実が認められる。
二 販売妨害行為の差止請求(主位的請求)について
(1) 控訴人は、「被控訴人は、キリスト教関係出版社として売上げが業界二位という有力な事業者であるが、被控訴人は、競争者を排除することにより聖歌市場において形成した被控訴人書籍の支配力を確保するという独占禁止法上不当な目的を達成するための手段として、妨害行為をし、いのちのことば社に対して控訴人書籍の販売取扱いを中止させたものであるから、被控訴人による妨害行為には公正競争阻害性が認められる。したがって、被控訴人は、この妨害行為により不当にいのちのことば社に対して控訴人書籍の販売を拒絶させたものであるから、これは不公正な取引方法(独占禁止法二条九項一号、告示二項後段)に該当し、独占禁止法一九条に違反するものである。」旨を主張する。
(2) そこで判断するに、控訴人は、まず、被控訴人の妨害行為として前記第二の一(3)のアイウエオキクケサソに記載の行為があった旨を主張する。
ア アの行為について
控訴人は、「被控訴人(宮原会長)は、平成一三年七月ころ、中田純の代理人である有馬式夫に対し、著作権協会に対して「控訴人書籍は被控訴人書籍の出版権を侵害するものであるから、著作権者の意向に反する控訴人の使用申請に応じないように。」との上申書を提出することを教唆し、幇助した。」旨を主張する。
しかし、本件全証拠によっても、これを認めるに足りる証拠はない。
イ イの行為について
控訴人は、「被控訴人は、平成一三年九月二日の前後に、クリスチャン新聞の根田編集長に対し、「控訴人には控訴人書籍を発行する権利はない。」などと電話で伝え、控訴人書籍の発行計画に関する記事を出させないように圧力を加えた。」旨を主張する。
しかし、前記認定一(6)オのとおり、被控訴人は、平成一三年九月二日の前後ころ、クリスチャン新聞の根田編集長に対し、「控訴人には中田著作物を使用する権利はない。」旨を電話で伝えたこと(以下「Aの行為」という。)は認められるが、「控訴人には控訴人書籍を発行する権利はない。」などと電話で伝えたことを認めるに足りる証拠はない。
ウ ウの行為について
控訴人は、「被控訴人は、クリスチャン新聞の平成一四年三月三一日付け紙上に同様の計画の記事が掲載された前後にも、上記イと同旨の電話を繰り返した。」旨を主張する。
しかし、本件全証拠によっても、これを認めるに足りる証拠はない。
エ エの行為について
控訴人は、「被控訴人(宮原会長ほか二名)は、平成一四年四月二二日ころ、いのちのことば社に対し、「聖歌総合版の制作・出版に関わっているか。関わったら訴えるぞ。」と語気荒々しく脅迫的言辞を弄し、控訴人書籍が中田書籍の著作権を侵害するとして、その制作・販売に関与しないよう申し入れた。」旨を主張する。
前記認定一(6)キのとおり、被控訴人の宮原会長、中村社長及び渡部常務は、平成一四年四月二二日ころ、いのちのことば社を訪れ、同社の多胡会長、丸山専務理事及び鴻海専務理事に対し、控訴人が企画している聖歌集は著作権を侵害するおそれがあるからその制作・販売に関与しないよう申し入れ、その際、「控訴人に協力しているのか。もし控訴人の制作・販売に協力したら裁判所に訴える。」旨を述べたこと(以下「Bの行為」という。)が認められる。
オ オの行為について
控訴人は、「被控訴人(宮原会長)は、平成一四年九月ころ、中田純に対し、著作権協会に対して「平成一五年四月以降の著作権協会との管理委託契約を解除する。」との通知を九月末日までに出すよう教唆し、幇助した。」旨を主張する。
しかし、本件全証拠によっても、被控訴人が中田純に教唆し同女を幇助したことを認めるに足りる証拠はない。
カ キの行為について
控訴人は、「被控訴人は、平成一四年一〇月二七日前後にも、上記イと同旨の電話を繰り返した。」旨を主張する。
しかし、本件全証拠によっても、これを認めるに足りる証拠はない。
キ クの行為について
控訴人は、「被控訴人(宮原会長)は、平成一四年一〇月二五日ころ日キ販の木村取締役に指示して、控訴人書籍の販売に関し、「聖歌総合版(聖歌の友社)の販売について日キ販は協力しません。著作権上の問題が解決されていない作品について取り扱いは控えさせていただきますのでご了解ください。」との記事を掲載した平成一四年一〇月二八日付け日キ販ニュース五一八号を全国のキリスト教書店及び一般取引先に送付させた。」旨を主張する。
しかし、本件全証拠によっても、被控訴人(宮原会長)が日キ販に指示をして上記の記事を掲載させ送付させたことを認めるに足りる証拠はない。
ク ケの行為について
控訴人は、「被控訴人は、宮原会長ほか二名の名義で、平成一四年一一月二七日ころ、いのちのことば社に対し、「控訴人書籍は、書名、全体の構成、記譜のスタイルなど、中田書籍の模倣、盗作であることは疑いを入れないことであると断定せざるを得ない。また、控訴人は、著作権者らからは何の了解も承諾も取り付けていないのにそれを偽って、著作権者の了解による発行であるかのごとき言辞をもって一部取次に販売を迫っている。四月二二日の私どものお願いに貴社が耳を傾けてくれなかったことを極めて遺憾に存じ、是非本著作物の販売に絶対関わらぬよう改めて申し入れます。」という旨が記載された文書を送付し、控訴人書籍の販売に関与しないよう申し入れた。」旨を主張する。
前記一(8)ウのとおり、被控訴人は、控訴人書籍について「収録曲の順序の入れ替え、一部の削除および追加がなされているとはいえ、書名、全体の構成、記譜のスタイルなど、……『聖歌』の模倣、盗作であることは疑いを入れないことであると断定せざるを得ません。しかも、……和田健治氏は『聖歌』の著作権者である角田純氏……からは何の了解も取り付けて……いないのにもかかわらず、それを偽って、著作権者の了解による発行であるかのごとき言辞をもって、一部取次に販売を迫っているとのことです。……四月二二日の私どものお願いに貴社が耳を傾けてくださらなかったことを極めて遺憾に存じ、……是非本著作物の販売に絶対にお関わりになりませぬよう、改めて申し入れます。」という旨を記載した平成一四年一一月二七日付けの宮原会長、中村社長及び渡部常務名義による書面(甲一)をいのちのことば社に対して送付したこと(以下「Cの行為」という。)が認められる。
ケ サの行為について
控訴人は、「被控訴人は、平成一五年三月ころ、約束したクリスチャン新聞への広告掲載を取り止め、これによっていのちのことば社の不安をかき立てた。」旨を主張する。
しかし、本件全証拠によっても、これを認めるに足りる証拠はない。かえって、被控訴人は平成一五年七月にクリスチャン新聞に広告を掲載していることが認められる(乙一〇の二)。
コ ソの行為について
控訴人は、「被控訴人は、中田純から中田著作物の著作権の信託譲渡を受けたことを踏まえ、平成一五年七月ころ、いのちのことば社に対し、中田著作物の利用許諾については自ら「吟味して承認する、しない」を決める旨の通知をして圧力を加えた。」旨を主張する。
たしかに、丸山専務理事の陳述書(甲一〇三)には、「平成一五年七月ころ、クリスチャン新聞記者及び広告営業担当者を通して、いよいよ被控訴人が中田著作物の管理を始めたことが伝わってきました。」、「その後、被控訴人の中田著作物の管理も、申請すれば誰でも承認するというのではなく、「吟味して承認する、しないを決める。」というものであること、控訴人書籍には中田著作物の使用を許可することはあり得ないということも伝えられてきました。」旨の上記の行為があったとする控訴人の主張に沿う陳述記載がある。
しかしながら、この陳述記載によっても、被控訴人の誰がどのようにしていのちのことば社に対し中田著作物の利用許諾について被控訴人自らが「吟味して承認する、しないを決める。」旨を通知したのかが明らかでなく、他方、被控訴人はこのような行為はないと否認しているところ、被控訴人は、B、Cの行為のとおり、平成一四年四月以降は宮原会長らにおいていのちのことば社に対する対応を直接行っていたことに照らすと、丸山専務理事の上記の陳述から直ちに控訴人の主張する上記の行為があったと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(3) そこで、被控訴人のA、B、Cの行為が、控訴人の主張する不公正な取引方法(独占禁止法二条九項一号、告示二項後段)に該当するか否かを検討する。
ア 独占禁止法一九条は「事業者は、不公正な取引方法を用いてはならない。」と、同法二条九項は「この法律において「不公正な取引方法」とは、次の各号のいずれかに該当する行為であって、公正な競争を阻害するおそれがあるもののうち、公正取引委員会が指定するものをいう。一 不当に他の事業者を差別的に取り扱うこと 二~六(省略)」と、告示二項は「不当に、ある事業者に対し取引を拒絶し若しくは取引に係る商品若しくは役務の数量若しくは内容を制限し、又は他の事業者にこれらに該当する行為をさせること。」と、それぞれ規定している。したがって、被控訴人のA、B、Cの行為が独占禁止法一九条に違反するためには、被控訴人のこれらの行為が「不公正な取引方法」に当たること、すなわち、これらの行為に「公正競争阻害性」が認められることが必要である。そして、「公正競争阻害性」が認められるか否かは、結局のところ、その行為の目的や態様等からみて、その行為が社会的に妥当なものとして是認され得るか否かによるものと解される。
イ そこで検討するに、被控訴人のA、B、Cの行為は、前記一の(6)ないし(8)に認定した事実の経過の中で、いずれも、控訴人が出版を計画し又は出版をした控訴人書籍が中田純の有する中田著作物の著作権とりわけ中田書籍の編集著作権を侵害するおそれがある又は現に侵害しているとして、いのちのことば社に対して控訴人書籍の制作・販売に関わらないよう求めるという警告行為の外形をとってなされたものである。
ウ しかるところ、前記認定一(2)のとおり、「聖歌」(中田書籍)は、中田羽後がキリスト教に関連する六〇篇の詩と六七四曲(増版。なお、初版は六四〇曲)を選択・編集した聖歌集であり、「編集物でその素材の選択又は配列によって創作性を有するもの」(著作権法一二条一項)といえるから、編集著作物として保護されるものである。この点、控訴人は、「著作権協会は、曲集に関しては編集の判定に不明確な点が多いことから編集著作権を認めておらず、中田書籍についても編集著作権は成立しない。」と主張するが、採用できない。
そして、前記認定一(4)によれば、中田純が中田書籍の編集著作権を有しているものと認められる。
エ しかし、控訴人書籍が中田書籍の編集著作権を侵害するものであるか否かは、慎重な検討を要する問題である。
被控訴人は、「控訴人書籍第一刷は、中田書籍を残すために作成され、中田書籍六七四曲のうち大半の六三八曲を収録し、収録曲のほとんどを中田書籍のとおりの順番としているのであり、中田書籍における曲の選択及び配列の創作性を流用しているものであって、中田純に属する編集著作権を侵害するものである。」旨を主張する。たしかに、前記認定一(7)のとおり、控訴人は、中田書籍中のものと同じ六〇篇の詩と中田書籍中の聖歌六七四曲のうちの六三八曲を選択し、これに控訴人が編集してきた「青年聖歌」などの聖歌集から選択した一八〇曲を加え、これらを中田書籍の基本的な配列や構成を承継しながら編集したものであり、編集物の素材の選択や配列に類似性を認めることができる。なお、控訴人は、「中田羽後は、聖歌に関する自己の事業を承継する後継者として控訴人を選定したのであるから、控訴人は、中田羽後からすべての中田著作物の無償使用権を取得していたのであり、控訴人書籍は中田著作物の著作権を侵害するものではない。被控訴人が、控訴人書籍について中田著作物の著作権侵害であると主張することは、権利濫用としても許されない。」旨を主張するが、本件全証拠によっても、これを採用することはできない。
しかしながら、他方、《証拠省略》によれば、控訴人書籍には中田書籍にはない一八〇曲もの曲が新たに加えられ、生涯学習を意識した総合解説なども加えられており、配列や構成にも相違点がある上、そもそも、キリスト教の宗教上の教義と密接に関わる聖歌集という性質上、聖歌集にはその配列や構成にある程度の共通性があるものと認められるのであり、さらに、中田書籍以前に出版された聖歌集と比較して中田書籍の編集に関する創作性はどの点に認められるか、そして、控訴人書籍はどの点で中田書籍の編集に関する創作性を流用したといえるのか、等についても詳細に比較検討されるべき困難な問題がある。そうとすると、結局、本件における被控訴人の主張や全証拠を総合しても、未だ控訴人書籍が中田書籍の編集著作権を侵害しているものであるとはいえないというべきである。
オ しかしながら、上記エによれば、また、前記一(7)のとおり、控訴人が中田純自身からは中田書籍の編集著作権に関する何らの了解や承諾も取り付けていなかったという事実によれば、たとえ控訴人書籍が中田書籍の編集著作権を侵害するものであると断定することはできないとしても、少なくとも被控訴人が控訴人書籍は中田書籍の編集著作権を侵害するものであると考えたことには無理からぬ点があったものと認めることができ、そのように信じたことには相当の理由があったものというべきである。
そして、被控訴人は、控訴人書籍が中田書籍の編集著作権を侵害するものであると考えたがゆえにA、B、Cの行為に出たものであり、その行為の目的は社会的に妥当なものとして是認することができ、被控訴人がキリスト教に関する図書及び修養に資する一般図書の出版販売等を業とする会社であることや、被控訴人がそのように考えたことには相当の理由があったことによると、被控訴人のA、B、Cの行為には未だ「公正競争阻害性」がないものというべきであり、それらの行為は未だ独占禁止法一九条に違反するものではないというべきである。
控訴人は、「被控訴人の妨害行為は、競争者を排除することにより聖歌市場において形成した被控訴人書籍の支配力を確保するという不当な目的を達成するための手段として行われたものである。」旨を主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。
(4) 以上のとおりであり、控訴人の被控訴人に対する独占禁止法二四条に基づく妨害行為差止めの請求は、その余の点について判断するまでもなく、棄却を免れない。
(5) なお、控訴人は、平成一八年四月一一日の当審における第五回口頭弁論期日(弁論終結日。その後、再開されたため、最終的な弁論終結日は同年七月二〇日。)において、控訴の趣旨(2)アの主位的請求を「被控訴人は、控訴人書籍について、控訴人に対する取引拒絶をしてはならない。」と変更する旨を申し立てたが、これを許せばさらに新たな審理を尽くす必要があり著しく訴訟手続を遅滞させることとなるから、当裁判所は、この変更を許さない。
三 販売妨害行為に基づく損害賠償請求(当審における新たな予備的請求)について
(1) 控訴人は、「被控訴人の妨害行為は、「不公正な取引方法」に当たり、独占禁止法一九条に違反する。また、これらの妨害行為は、競争者を排除することにより聖歌市場において形成した被控訴人書籍の支配力を確保するという不当な目的を達成するための手段として行われたものであるから、公序良俗にも違反する。被控訴人の妨害行為によって、いのちのことば社は控訴人書籍第二刷の販売取扱いを中止するに至り、控訴人は、これによって営業利益を失うに至った。したがって、被控訴人は控訴人に対して不法行為に基づく損害賠償義務を負う。」旨を主張する。
(2) しかしながら、被控訴人のA、B、Cの行為は、前記二(3)のとおり、未だ「不公正な取引方法」に当たるものとはいえず、したがって、独占禁止法一九条に違反するものとはいえないのであり、さらに、公序良俗に違反するものともいえないから、被控訴人のA、B、Cの行為がこれらの理由による不法行為を構成するものということはできない。
控訴人の被控訴人に対する上記損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、棄却を免れない。
四 名誉毀損に基づく損害賠償請求について
(1) 控訴人は、「被控訴人は、下記の(ア)ないし(ウ)の行為をなしたものであり、これらの行為は、いずれも、公然事実を摘示して控訴人の教会音楽家としての名誉を毀損するものである。」旨を主張する。
ア (ア)の行為について
控訴人は、「被控訴人は、平成一四年一〇月二五日ころ日キ販の木村取締役に指示して、控訴人書籍の販売に関し、「聖歌総合版(聖歌の友社)の販売について日キ販は協力しません。著作権上の問題が解決されていない作品について取り扱いは控えさせていただきますのでご了解ください。」との記事を掲載した平成一四年一〇月二八日付け日キ販ニュース五一八号を全国のキリスト教書店及び一般取引先に送付させた。」旨を主張する。
しかし、本件全証拠によっても、被控訴人が日キ販に指示をして上記の記事を掲載させ送付させたことを認めるに足りる証拠はない。
イ (イ)の行為について
控訴人は、「被控訴人は、宮原会長ほか二名の名義で、平成一四年一一月二七日ころ、いのちのことば社に対し、「控訴人書籍は、書名、全体の構成、記譜のスタイルなど、中田書籍の模倣、盗作であることは疑いを入れないことであると断定せざるを得ない。また、控訴人は、著作権者らからは何の了解も承諾も取り付けていないのにそれを偽って、著作権者の了解による発行であるかのごとき言辞をもって一部取次に販売を迫っている。」旨を記載した文書を送付した。」旨を主張する。
前記一(8)ウのとおり、被控訴人は、控訴人書籍について「収録曲の順序の入れ替え、一部の削除および追加がなされているとはいえ、書名、全体の構成、記譜のスタイルなど、……『聖歌』の模倣、盗作であることは疑いを入れないことであると断定せざるを得ません。しかも、……和田健治氏は『聖歌』の著作権者である角田純氏……からは何の了解も取り付けて……いないのにもかかわらず、それを偽って、著作権者の了解による発行であるかのごとき言辞をもって、一部取次に販売を迫っているとのことです。……四月二二日の私どものお願いに貴社が耳を傾けてくださらなかったことを極めて遺憾に存じ、……是非本著作物の販売に絶対にお関わりになりませぬよう、改めて申し入れます。」という旨を記載した平成一四年一一月二七日付けの宮原会長、中村社長及び渡部常務名義による書面をいのちのことば社に対して送付したこと(以下「(c)の行為」という。)が認められる。
そして、上記の書面の内容は、①事実が摘示されており、かつ、控訴人書籍の販売取扱いをしているいのちのことば社から不特定又は多数の者に伝播する可能性があるから(いのちのことば社が、被控訴人の警告を受け入れて控訴人書籍の販売を中止するときは、取引先等からその理由を尋ねられることが予想される。)、公然事実を摘示したものと認められ、②宗教音楽家である控訴人の社会的評価を低下させるものと認められるから、被控訴人は(c)の行為により控訴人の名誉を毀損したものというべきである。
ウ (ウ)の行為について
控訴人は、「被控訴人の渡部常務は、平成一五年九月四日、所属する教会で控訴人書籍を採用することを決めた藤野慶一郎牧師から教会員に説明する必要があると明示してなされたメールによる問合せに対し、「すでに中田先生の死後何十年にもわたって和田健治氏が中田羽後の著作権を自分のものにしようと画策し、訴訟まで起こしてきているからです。以上の経過があるにもかかわらず、再び自分に著作権があると僭称して作成したのが、聖歌総合版です。ですから、これはそもそも著作権者の意志を、ふみにじった違法出版なのです。」とのメールによる回答をした。」旨を主張する。
前記一(10)のとおり、被控訴人の渡部常務は、平成一五年九月四日、所属する教会で控訴人書籍を採用することを決めた藤野慶一郎牧師から教会員に説明する必要があると明示してなされたメールによる問合せに対し、「中田純さんご自身が、聖歌総合版の編集者の和田健治氏にはご自分の継承しておられる著作権を使用させたくない、という意志をもっています。」、「すでに中田先生の死後何十年にもわたって和田健治氏が中田羽後の著作権を自分のものにしようと画策し、訴訟まで起こしてきているからです、以上の経過があるにもかかわらず、再び自分に著作権があると僭称して作成したのが、聖歌総合版です。ですから、これはそもそも著作権者の意志を、ふみにじった違法出版なのです。」、「教文館は、中田さんの意志にそむいて聖歌総合版に著作権の使用を許可することはありえません。」とのメールによる回答をしたこと(以下「(d)の行為」という。)が認められる。
そして、上記のメールの内容は、①事実が摘示されており、かつ、所属する教会で控訴人書籍を採用することを決めた藤野慶一郎牧師から教会員に説明する必要があると明示してなされたメールによる問合せに対するものであり、同牧師から不特定又は多数の者に伝播する可能性があるから、公然事実を摘示したものと認められ、②宗教音楽家である控訴人の社会的評価を低下させるものと認められるから、被控訴人は(d)の行為により控訴人の名誉を毀損したものというべきである。
(2) ところで、民事上の不法行為である名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合には、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があれば、同行為には違法性がなく、また、真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、同行為には故意又は過失がなく、不法行為は成立しないというべきである(最高裁昭和三七年(オ)第八一五号同四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁参照)。そこで、被控訴人の主張する真実性の証明及び誤信の相当性について検討する(なお、被控訴人の主張には当然に後者の主張も含まれているものと解される。)。
ア (c)の行為について
(ア) 被控訴人の宮原会長、中村社長及び渡部常務名義によるいのちのことば社に対する(c)の行為は、前記一の(6)ないし(8)に認定した事実によれば、控訴人書籍が中田純の有する中田書籍の編集著作権を侵害しているものとして、いのちのことば社が控訴人書籍の制作・販売に関わらないよう求めるという警告の趣旨でなされたものと認められるから、(c)の行為は公共の利害に関する事実に係りその目的も専ら公益を図るものであったということができる。
(イ) そこで、上記書面中の「収録曲の順序の入れ替え、一部の削除および追加がなされているとはいえ、書名、全体の構成、記譜のスタイルなど、……『聖歌』の模倣、盗作であることは疑いを入れないことであると断定せざるを得ません。しかも、……和田健治氏は『聖歌』の著作権者である角田純氏……からは何の了解も取り付けて……いないのにもかかわらず、それを偽って、著作権者の了解による発行であるかのごとき言辞をもって、一部取次に販売を迫っているとのことです。」との記述部分が真実であるか否か等について検討するに、この記述は要するに一般通常人をして「控訴人が『聖歌』の編集著作権を侵害している」との印象を与えるものであるところ、この点については、たしかに、前記二(3)エのとおり、控訴人書籍が「聖歌」(中田書籍)の編集著作権を侵害するものであると断定することはできないものであるが、しかしながら、前記二(3)オのとおり、たとえ控訴人書籍が「聖歌」(中田書籍)の編集著作権を侵害するものであると断定することができないとしても、少なくとも被控訴人が控訴人書籍は中田書籍の編集著作権を侵害するものであると信じたことには相当の理由があったものというべきであるから、そうとすれば、被控訴人の宮原会長らがした(c)の行為については、故意又は過失がなく、不法行為は成立しないというべきである。
イ (d)の行為について
(ア) 被控訴人の渡部常務による藤野慶一郎牧師に対する(d)の行為は、前記認定一(10)のとおり、所属する教会で控訴人書籍を採用することを決めた藤野慶一郎牧師から教会員に説明する必要があると明示してなされたメールによる問合せに対しメールでその理由を回答したものであるから、(d)の行為は公共の利害に関する事実に係りその目的も専ら公益を図るものであったということができる。
(イ) そこで、上記メール中の「すでに中田先生の死後何十年にもわたって和田健治氏が中田羽後の著作権を自分のものにしようと画策し、訴訟まで起こしてきているからです。以上の経過があるにもかかわらず、再び自分に著作権があると僭称して作成したのが、聖歌総合版です。ですから、これはそもそも著作権者の意志を、ふみにじった違法出版なのです。」との表現部分が真実であるか否か等について検討するに、この表現は要するに一般通常人をして「控訴人が中田著作物の編集著作権を自分のものにしようとしている」、「聖歌総合版は中田著作物の編集著作権を侵害している」との印象を与えるものであるところ、前者については、その文言はいささか穏当を欠くものではあるが、しかし、前記一(4)オのとおり、控訴人が、平成二年に中田純を被告として中田著作物の一部につき著作権を有することの確認を求める訴訟を提起し、平成六年三月に中田純作成の承認書は錯誤に基づくものであり無効であるなどとされて請求棄却の判決を受け、平成七年八月に控訴審で「争に係る中田著作物の著作権を中田純が有することを確認し、中田純が控訴人に対して同著作物を無償で複製すること等を許諾する。」旨の和解が成立したという事実があったことからすれば、その重要な部分において真実であるということができ、後者については、上記ア(イ)に述べたとおりであって、「聖歌 総合版」(控訴人書籍)が中田著作物の編集著作権を侵害するものであると断定することはできないとしても、少なくとも被控訴人が控訴人書籍は中田書籍の編集著作権を侵害するものであると信じたことには相当の理由があったものというべきであるから、被控訴人の渡部常務がした(d)の行為については、故意又は過失がなく、不法行為は成立しないというべきである。
(3) 以上のとおりであり、控訴人の被控訴人に対する名誉毀損に基づく損害賠償請求も、その余の点について判断するまでもなく、棄却を免れない。
第四結論
よって、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴人の当審における新たな予備的請求も理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 原田敏章 裁判官 氣賀澤耕一 渡部勇次)
<以下省略>