東京高等裁判所 平成17年(ネ)5173号 判決 2007年3月28日
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人らは,各自,控訴人らそれぞれに対し,430万円及びこれに対する被控訴人鹿沼市については平成13年9月5日から,被控訴人栃木県については同月6日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,第1,第2審を通じ,これを5分し,その4を控訴人らの負担とし,その余を被控訴人らの負担とする。
5 この判決の第2項は,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人らは,各自,控訴人らそれぞれに対し,5416万2468円及びこれに対する被控訴人鹿沼市については平成13年9月5日から,被控訴人栃木県については同月6日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 仮執行宣言
第2事案の概要(略語等は,原則として,原判決に従う。)
1 請求の概要
控訴人らは,その子であるAが,栃木県鹿沼市立甲中学校第3学年に在学中,同級生から継続的にいじめを受けていたにもかかわらず,教員らが安全配慮義務に違反して必要な措置を講じなかったため,平成11年11月26日,自死するに至ったと主張して,被控訴人鹿沼市(被控訴人市)に対しては国家賠償法1条1項に基づき,被控訴人栃木県(被控訴人県)に対しては同法3条1項に基づき,相続した損害(各2分の1の割合)及び自ら被った損害の賠償,各5416万2468円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の各自支払を求めた。
2 原審の判断とE1らとの和解
原審は,Aがいじめを受けたと認め,甲中学校教員らがいじめを阻止しなかったことについて安全配慮義務違反を認めたが,いじめは第3学年1学期を中心に行われ,夏休み以降は減少したと認められる一方,Aは10月ころから進学問題について悩んでおり,いじめが自死に至った主たる要因であるとは認め難く,いじめとAの自死との間に相当因果関係を認めることはできないと判断して,被控訴人らに対して控訴人らそれぞれに120万円(慰謝料100万円及び弁護士費用相当額20万円)及び遅延損害金の各自支払を命ずる限度で控訴人らの請求を認容した。
控訴人らは,原審においては,上記各請求に加え,民法709条及び719条1項に基づき,第3学年1学期中に執拗にAをいじめたE1及びF1に対して控訴人らそれぞれに100万円及び遅延損害金を各自支払うことを求め,E1の両親であるE2及びE3並びにF1の両親であるF2及びF3に対して控訴人らそれぞれに被控訴人市及び被控訴人県に対する上記各請求と同額の金員を各自支払うことを求めた。控訴人らの請求中,E1及びF1に対する請求は原審で全額認容されて確定し,E2,E3,F2及びF3に対する請求は,原審で一部認容されて控訴人らが敗訴部分につき控訴した。
当審において,E1及びF1並びにその両親が控訴人らに対して合計240万円を支払うことなどを内容とする訴訟上の和解が成立した。
3 当裁判所の判断
当裁判所は,原審と同様に,Aがいじめを受けたこと及びAに対するいじめを阻止しなかった甲中学校教員らの安全配慮義務違反を認め,Aの死亡につき,原審と異なり,いじめとの事実的因果関係を認めたが,結論としては原審と同様,上記安全配慮義務違反との相当因果関係を認めるには足りないとして,いじめによりAが受けた肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料及び弁護士費用相当額として,被控訴人らが,Aの相続人である控訴人らに合計1100万円(各控訴人につき550万円)を賠償する義務を負うと判断し,被控訴人らと連帯して損害賠償義務を負うE1及びF1並びにその各両親が当審における訴訟上の和解により控訴人らに支払った240万円(各控訴人につき120万円)を控除した残額である860万円(各控訴人につき430万円)及び遅延損害金の各自支払を被控訴人らに命じる限度で控訴人らの請求を認容すべきものと判断した。
4 争いのない事実等(以下,本判決においては,断らない限り,平成11年については,月日のみを記す。)
(1)A(昭和59年4月17日生)は,4月,甲中学校第3学年に進級した。
Aは,11月26日早朝,自宅1階にて死亡した。
控訴人らは,両親として,相続により,Aの権利義務を2分の1ずつ承継した。(甲1の1)
(2)E1及びF1は,第3学年時,Aと同クラスに在籍していた。
E2及びE3は,E1の両親である。
F2及びF3は,F1の両親である。
(3)被控訴人市は,甲中学校(当時の校長,G)の設置者で,H教諭は,Aの第3学年時のクラス担任であった。
被控訴人県は,市町村立学校職員給与負担法1条の規定により,甲中学校の教員の給与等を負担する者である。
(4)E1及びF1並びにその各両親と控訴人らとの間で,平成18年7月5日,以下の内容の訴訟上の和解が成立した。
ア E1及びF1が,Aに対して,甲中学校第3学年在籍中,「肩パン」,「プロレスごっこ」などと称して反復して暴力をふるい,また教室内でAのズボンとパンツを引き下ろして性器を露出させ,女子生徒を含む他の生徒に晒し,あるいはまたE1が授業中にAの両目の瞼付近をサインペンで塗りつぶすなど,継続的ないじめを繰り返したことにつき,これらのいじめのためAが精神的に深く傷ついたことを理解し,E1及びF1は,控訴人らに対し深く謝罪するとともに,Aが自殺したことにつき,心から哀悼の意を表する。
イ E1及びその両親は,謝罪の意を示すため,本日,控訴人らに対し,慰謝料として120万円を支払い,控訴人らはこれを受領した。
ウ F1及びその両親は,謝罪の意を示すため,本日,控訴人らに対し,慰謝料として120万円を支払い,控訴人らはこれを受領した。
5 争点
(1)Aに対するいじめの有無(争点1)
(2)教員らの安全配慮義務違反の有無(争点2)
(3)上記安全配慮義務違反とAの死亡との相当因果関係の有無(争点3)
(4)損害額(争点4)
6 争点1(Aに対するいじめ)についての当事者の主張
以下のとおり訂正するほかは,原判決の事実及び理由の「第2 事案の概要」3(1)(原判決5頁20行目から16頁2行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,E1及びF1並びにその各両親(原審被告ら)の主張部分(原判決11頁21行目から14頁19行目まで)を除く。
(1)原判決5頁20行目,23行目,11頁初行,14行目の「被告E1及び同F1」の次に「並びにその他の同級生ら」を加える。
(2)原判決11頁20行目末尾に,改行の上,次のとおり加える。
「 その他の同級生らは,E1及びF1によるいじめを止めることができないどころか,自らがいじめの対象となるのを避けるため,Aに対するいじめに積極的に加わった。Aは,E1やF1だけでなくその周囲にいる複数の者たちからいじめられ,しかもそれを誰にも告げることができず,誰も助けてくれないという状況に置かれていた。」
7 争点2(教員らの安全配慮義務違反)についての当事者の主張
原判決の事実及び理由の「第2 事案の概要」3(4)(原判決19頁18行目から31頁7行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,原判決23頁5行目から26頁末行まで,30頁初行から6行目まで及び30頁25行目から31頁7行目までを除く。
8 争点3(上記安全配慮義務違反とAの死亡との相当因果関係)についての当事者の主張
(1)控訴人ら
ア いじめとAの死亡との因果関係
甲中学校において長期間にわたって同級生らがAに執拗で陰湿ないじめを続けたにもかかわらず,教員らが安全配慮義務に違反していじめの防止・中止の措置を講じることなくAを孤立したままに放置したことにより,Aは,うつ病にり患し,自殺に至った。
(ア)Aに対して加えられたいじめは,少なくとも1月から10月末ころまで約10か月にもわたること,その内容が過酷で悪質なものであったこと,他の生徒がAを助けることがなかったこと,担任のH教諭や学年主任のK主任もAをいじめから守るべき行動を一切とらなかったことを総合すると,Aに加えられたいじめや周囲の者の行動は,Aに著しい心理的負荷を課す性質のもので,Aをうつ病に追い込むだけの性質を持っていたことが明らかである。
うつ病の典型症状とされるものは,①抑うつ気分,②興味と喜びの喪失及び③易疲労感とされているところ,Aは,①第3学年進級当初から抑うつ気分を有しており,夏休みに回復傾向を見せたものの,2学期の開始によって再び抑うつ気分が発生し,少なくとも11月1日からの不登校期間中の抑うつ気分は極めて重く,②第3学年の2学期以降は,外部に対して極端に無関心となり,不登校期間中は,何事に対しても興味を失い,喜びの感情を失っており,それは,親しい友人から見て別人格を思わせるほど,極めて重度のものであったのであり,③第3学年2学期に学校での休み時間中に机にうつ伏せになっていた状況や,不登校になった以降昼間から布団に入って終日ベッドに入っていた状態は,Aの易疲労感を表現している。
また,ICD-10の診断基準には,うつ病エピソードとして,①集中力と注意力の減退,②自己評価と自信の低下,③罪責感と無価値感,④将来に対する希望のない悲観的な見方,⑤自傷あるいは自殺の観念や行為,⑥睡眠障害,⑦食欲不振が指摘されているところ,Aは,①第3学年に進級後,勉強にあたっての集中力と注意力が明らかに減退した様子が家庭教師によって認められており,②Aがいじめにより自尊心を深く傷つけられ,自信を失っていったことは想像に難くないし,教師や周りの者にいじめの事実を訴えようとしなかったことの背後には,Aが屈辱感や劣等感という感情に深く捉えられていた事実が存在している。③Aが11月11日に母親に対して「もう俺にお金をかけなくてもいいよ」と話したのは,Aの内部に罪責感・無価値感があったことの表れであるし,④この発言は,従来抱いていた進学という将来の希望を完全にあきらめ,放棄したものとも解される。⑤Aが現に自殺したことにより,Aが極めて強度の自傷・自殺の観念に取り憑かれており,首吊りという致死性の高い方法でそれを実行に移したことが明らかである。⑥Aは,不登校開始後しばらくすると,昼間から布団に入っていることが多くなり,このような状態の背後には,夜に寝て朝に起きるというそれまでの睡眠パターンが崩れ,睡眠障害が発生していた可能性が指摘できるし,⑦不登校中,顕著な食欲不振を示している。
このように,Aは,いじめによる著しい心理的負荷を受け,うつ病の典型症状のすべてを示し,うつ病エピソードについてもほとんどすべてを示しており,遅くとも不登校開始後の時点で,ICD-10の基準に照らして重症うつ病に該当する。
(イ)自殺はうつ病の典型的な症状の1つであり,うつ病における自殺は,病気によってもたらされた結果である。
また,うつ病者の自殺は,周囲に迷惑がかからないように配慮したものが多く,また,自己の身体・生命に対して過酷な手段を加えることは少ないと専門家により指摘されているところ,Aの自殺手段は,首を吊るというものであり,周囲への迷惑が少なく,飛び降りや飛び込みといった他の方法と比べて自己の身体を傷つける程度が少ない方法でもあった。
よって,Aは,うつ病によって自殺に至ったといえる。
(ウ)被控訴人らは進学がAの重要な悩みであったと主張するが,Aの成績は,決して希望高校に入学できない程度ではなく,希望して進学することができる高校は複数存在した。Aは,特定の高校に合格することを最大絶対の重要事と考えてそれが果たせなければ自分の存在意義すら見いだせないというような偏った価値観は有していなかったし,不登校となってからの控訴人らのAに対する接し方の基本は,「そっとしておいてあげる」というもので,進学に関するプレッシャーは与えていない。このように,進学問題がAの自殺の原因となったことはあり得ない。
被控訴人市は,パンツ下げ事件(4月23日)と11月26日の自殺との間に間隔が空いていると指摘するが,第3学年2学期にもE1による肩パンなどのいじめが回数はともかく継続していたことは事実であるし,E1やF1以外の同級生らによるいじめ行為を併せて考慮すると,登校しなくなる直前までAに対するいじめ行為は継続していたと評価すべきである。
イ 教員らの安全配慮義務違反とAの死亡との相当因果関係
(ア)悪質かつ重大ないじめは,それ自体で必然的に被害生徒の心身に重大な被害をもたらし続けるものであるから,いじめを阻止しなかった教員らの安全配慮義務違反と被害生徒の自殺との相当因果関係を認めるためには,教員らにおいて当該いじめが被害生徒の心身に重大な危害を及ぼすような悪質かつ重大ないじめである旨の認識があれば,必ずしも被害生徒が自殺することまでの予見可能性があったことを要しないというべきである。
教員らは,遅くともパンツ下げ事件を認識した時点において,Aの心身に重大な危害をもたらすような悪質重大ないじめがあったことの認識を有していたのであるから,教員らの安全配慮義務違反とAの自殺との間には,相当因果関係がある。
(イ)教員の安全配慮義務違反といじめの被害生徒の自殺との相当因果関係を認定するには自殺についての予見可能性が必要であるとの見解に立つとしても,自殺の予見可能性について,内心の動きの予見の立証を被害生徒側に厳格に求めると,いじめによる自殺について加害者に対する責任の追及が著しく困難となるから,少なくとも,通常社会生活上許容できない悪質,重大ないじめが継続し,その結果,被害生徒が精神的に追い詰められていた状況にあることを予見し,又は予見可能であれば,生徒が自殺することの予見可能性があったと認めるのが相当であり,本件についても,教員らにAの自殺についての予見可能性があったことは明らかである。
(ウ)自殺の具体的な予見可能性が必要であるとの見解に立つとしても,以下の事情に照らすと,教員らにおいては,Aがいじめを原因として自殺に至ることについて,具体的な予見可能性があったというべきである。
① いじめについての一般的な知識及び旧文部省の指導
Aに対する一連のいじめ及びAの自殺は,平成10年から平成11年にかけて起きたが,このころ,いじめ及びそれを原因とする自殺が頻発して社会現象となってから相当な時間が経過しており,過酷ないじめが容易に被害児童・生徒の自殺に結び付くことは,平均的な一般人を基準としても,半ば常識化していたというべきである。
加えて,甲中学校のような教育機関に対しては,旧文部省がいじめ対策のために必要な指針を通達等として示しており,その指針には,いじめを受けた子は自殺に至る可能性があるといういじめと自殺との関係,いじめの特徴(表に表れない形で行われることが多く,したがって露見したいじめは氷山の一角であること等),いじめられている生徒は誰にも相談できずに1人で抱え込むこと,そうしたことから,どんな些細な徴表でもこれを軽視してはならないという,いじめ及びいじめによる自殺についての知見が盛り込まれていたのであるから,教育に携わる専門家である教員らとしては,このような知見を持った上,生徒からの報告を待っていじめに対処するのではなく,積極的にいじめの探知に乗り出さなければならなかった。
② Aに対するいじめの認識
教員らは,Aが自殺する以前から,次のようなAに対する個々のいじめを認識していたのであり,このようないじめの徴候が認められた以上,さらに進んでAに対するいじめの詳細な事実を把握すべきであった。自殺に対する予見可能性については,教師らが適切な時期に適切な行動をとっていれば知り得たであろういじめ行為の実態を前提として判断すべきである。
a Aは,第2学年当時,英語の授業時間中,何者かによって体操着を汚され,担当のI教諭及び外国人の補助教員が直後にこれに気付いており,また,3月,Aの自転車が壊された際には,控訴人らが連絡した。
b Aが3月に欠席した際,Aの友人が,当時の学級担任のJ教諭又は学年主任のK主任に対して,「A君がいじめられている。」と告げた。J教諭及びK主任は,3月5日,控訴人ら宅を家庭訪問し,その後,同月15日,16日にも繰り返し家庭訪問をした。この際,控訴人らは,J教諭らに対し,「Aが学校に行きたがらない。」と話した。
c 第3学年1学期にAに対して集中的に行われた肩パンは,理科の授業時間中にも多く行われた。理科担当のL教諭は,その全部又は一部を現認していたが,何ら注意を与えず,E1及びF1らの行為を黙認していた。
d パンツ下げ事件(4月23日)から少なくとも1週間以内のうちに,同事件を目撃した生徒の1人が,H教諭に報告し,そのころ,Aの友人であったMも,H教諭及びK主任に対し,同事件を報告した。A自身も,5月1日,H教諭に対し,事件について話した。
e アイシャドー事件及び筆箱事件は,いずれも理科の授業時間中に行われ,L教諭は,目撃していたが,E1に対して一言注意しただけで授業を続けた。
f Aは,7月,体育でプールの授業が始まっても,1度もプールに入らずに見学し,体育の担当であったH教諭は,それを認識していた。
g Aは,第2学年3学期以降,明らかに欠席日数が増え,登校しなくなるまで,欠席,遅刻等の多い状態が続いた。
③ 自殺についての具体的予見可能性
前記のとおり,Aはいじめによりうつ病にり患し,その症状の1つとして自殺に至ったのであるが,本件でAに加えられた長期にわたる極めて過酷ないじめのように強い心理的負荷によってうつ病が発症し得ること及びうつ病者がしばしば自殺することは,広く知られたところであり,教員らはもちろん一般人にも予見可能であって,いじめを阻止しなかった教員らの安全配慮義務違反とAの自殺との間には相当因果関係が存在する。
なお,うつ病の発症に対してAの病前性格が影響していたとしても,Aの性格が同年代の子どもと比較して通常想定される範囲を外れたものでないことは明らかであり,過失相殺をすることは許されない。
Aがうつ病にり患していた事実を前提としないとしても,Aに対するいじめ行為は,本件訴訟で明らかとなった事実だけを捉えてみても,極めて陰惨で長期間にわたるものであり,本件に顕れたいじめ行為を通常人の感受性をもって虚心に判断すれば,Aの自殺を予見することは十分に可能であったというべきである。また,日々生徒と接し,その心身の生育に立ち会っている教師という職業の者に限っていえば,自殺の予見は一層容易であったというべきである。
仮にそうでないとしても,本件では,いじめの徴候に対する教員らの対応は極めて鈍く,本来なら把握可能であったいじめの実態が教師らの怠慢が原因で把握されずに闇に埋もれてしまった可能性も極めて高いのであり,本件においては,Aの不登校直前においても,既に控訴人らが本件訴訟を通じて主張してきたもの以外に,陰湿化したいじめが継続していたと判断するのが合理的であり,これを前提にすると,教員らがAの自殺を予見することは,十分に可能であった。
(2)被控訴人市
Aの死亡原因は,縊頸(頸部圧迫)による窒息であり,座った姿勢のまま首を吊っていたという頸部圧迫の態様からみて,Aに自殺企図があったとは考えられず,縊頸の真似事をしているうちに誤って縊頸状態になってしまった可能性が高い。さらに,Aの死亡直前の行動には日常性が保たれており,同人が死を覚悟していたとは考え難いこと,死亡前日にもAの様子に異常を感じた者はないこと,遺書が存在しないこと,死亡当時Aは不登校になっていたから,学校に関して心理的に切羽詰まったという事情は認められず,直接的な自殺の動機が認められないことを併せ考えると,Aの死亡が自殺によると認めることには合理的な疑いがあり,本件は事故死である可能性が大きく,教員らの安全配慮義務違反が認められるとしても,これとAの死亡との間には事実的因果関係がない。
Aの死が自殺であったとしても,教員らは,Aの不登校開始後,家庭訪問をしてAの様子を見る以外になかったこと,両親にも分からなかったAの内心状況特に自殺企図を教師が知ることは不可能だったのであり,教員らにはAの死亡について予見可能性がなかったから,この点についての過失はない。
(3)被控訴人県
控訴人らがいじめと主張する事実そのものが,Aを自殺に追い込むほど過酷なものであったとは到底考えられず,A自身,一貫していじめられている旨を否定していたこと,Aが死亡したころには控訴人らがいじめと主張する事実は止んでいたこと,H教諭を始めとする教員らがAに接した際には,Aは自殺の危険性を窺わせる徴候を何ら示していなかったことなどからすると,教員らにおいて,Aが死亡した当時,同人がいじめによって自殺することを予見するのは不可能であった。
したがって,被控訴人市にAの自殺についての損害賠償責任を負わせることはできず,被控訴人市に損害賠償責任がない以上,被控訴人県にも責任はない。
9 争点4(損害額)についての当事者の主張
(1)控訴人ら
原判決の事実及び理由の「第2 事案の概要」3(7)(原告らの主張)ア(原判決37頁4行目から38頁8行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(2)被控訴人ら
以下のとおり加えるほかは,原判決の事実及び理由の「第2 事案の概要」3(7)(被告市の主張)及び(被告県の主張)(原判決39頁初行から12行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
ア 原判決39頁2行目末尾に,改行の上次のとおり加える。
「 本件につき,被控訴人市に損害賠償責任が認められる場合,被控訴人市とE1及びF1並びにその各両親とは共同不法行為者となる。したがって,同人らが平成18年7月5日に裁判上の和解により控訴人にした合計240万円の支払は,共同不法行為者による債務の弁済に当たる。」
イ 原判決39頁12行目末尾に,改行の上次のとおり加える。
「 E1及びF1並びにその各両親は,平成18年7月5日,裁判上の和解により慰謝料として控訴人らに合計240万円を支払った。」
第3当裁判所の判断
1 事実経過
以下のとおり訂正するほかは,原判決の事実及び理由の「第3 争点に対する判断」1(原判決39頁14行目から71頁20行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1)原判決47頁3行目から8行目までを,次のとおり改める。
「 Aは,3月ころ,同級生に前髪を不揃いに切られ,経緯を尋ねた控訴人X2に対し,友達のパーマ屋さんの子に切ってもらったと話したが,それ以上詳しく説明することはしなかった。」
(2)原判決48頁12行目から13行目「希望して髪を切ってもらったことが判明したので」を「髪を切られた生徒らが希望して切ってもらったと説明したので」に改める。
(3)原判決56頁21行目末尾に,次のとおり加える。
「また,E1及びF1以外のAの同級生も,この事件の後,相当期間にわたって,Aを「ドリル」というあだ名で呼ぶなどしてからかった。」
(4)原判決61頁21行目から23行目まで「が,本件全証拠によっても,この胸の痛みが,被告E1及びF1のいじめに起因すると認めるに足りない」を削る。
(5)原判決66頁9行目「後日,」を「同日,」と改める。
(6)原判決67頁末行末尾に,改行の上,次のとおり加える。
「 同月23日,Aは,同月になって初めて授業のために来訪したNから,Aの自宅から遠く,甲中学校の生徒が進学する可能性が低い私立乙高校への進学を勧められ,表情を少し明るくし,勉学の意欲を示した。(甲26)」
2 争点1(Aに対するいじめ)について
(1)Aの死亡前日までの事実経過等
原判決引用部分を含め,認定事実は,再掲すると,Aの甲中学校在学中の1月(第2学年3学期)から11月25日(第3学年2学期。Aの死亡前日)までの間,要旨,以下のとおりである。
ア 甲中学校臨時懇談会において,2月4日,生徒の保護者に対し,第2学年につき,授業中に離席して騒ぐ生徒のために授業崩壊の様相を呈し,多くの女子生徒が授業を受けず,保健室や図書室にたむろするなど,勉学に集中できない状況で,生徒間にいじめが認められ,対策として,第3学年進級時,通常実施されないクラス替えを予定していると報告され,4月,クラス替えが実施された。
イ Aは,第2学年3学期ころから,自転車の荷台,前かご等を曲げられ,パンクさせられ,教科書等を隠され,前髪を不揃いに切られるなどし,登校をいやがるようになり,3学期に11日欠席し,控訴人らからの通報や教諭の家庭訪問を契機として,Aの不登校に配慮したクラス替えがされた。
ウ Aは,E1及びF1により,4月以降,頻繁にプロレスごっこや肩パンと称する遊びの相手をさせられ,1学期の間,毎日のように上記遊びに藉口して一方的に暴行を加えられるようになり,この間,他の同級生による制止もなく,4月23日(金曜日),授業終了後,女子生徒を含む同級生の面前で,F1により羽交い締めにされて倒れ,E1によりズボンとパンツを引き下げられた後,F1により無理矢理仰向けにされて性器を露出させられ,その後初めて登校した26日,上記両名から性器に関連してからかわれ,27日,28日及び30日欠席した。H教諭は,Aの欠席中,Mから23日の出来事について通報を受けたが,後日の事情聴取において,Aから,単なる事故で,いじめられたのではなく,E1に注意を与える必要もないとの応答を受け,格別の措置を講じなかった。
エ Aは,5月15日ころ,理科の授業中,E1により,両眼の瞼付近をサインペンで汚く塗られ,E1は,L教諭の制止に対してAの承諾を得たと強弁したのみで,叱責もされず,級友も,E1の行動を制止せず,傍観していた。H教諭は,後刻,L教諭に顛末を聞き,E1に注意を与えようとしたが,その必要がない旨のAの意見を受け,E1に対する指導も,叱責もしなかった。
オ Aは,6月14日,履いていた新しいスポーツシューズをE1に取り上げられ,数日間履き続けて泥まみれにされ,また,1学期(日時不明)の掃除作業中,L教諭の面前で,F1により,太股を蹴りつけられた。
カ Aは,第3学年2学期には,6日から8日までのほか9月中欠席せず,回数は減ったもののE1から肩パン遊びの相手をさせられ,休み時間中,同級生と話すことが減り,机上にうつ伏せになっていることが多く,同級生と一緒に帰宅することはなく,クラスの異なるMと帰宅するようになった。
キ Aは,10月26日,遠足の休憩時間中,Mと過ごした後,同級生の下に戻り,同級生にリュックサックを奪われ,取り戻そうとして坂の下に向かって押し倒され,持参した弁当を食べないまま帰宅し,28日,10月に入ってから初めて欠席した。
ク Aは,11月1日(月曜日),控訴人らに対し,今後一生学校に行かない,勉強に疲れた等と登校拒否の強い意思を示し,以後,登校も,高校受験に備えるための勉強もしなくなり,来訪したK主任等から,励ましや学校祭への誘いを受けても登校せず,6日ころ以降,自室で日中もカーテンを閉めて過ごし,数日間,自室に運ばれた食事にもほとんど手をつけず,時折,テレビを見,ゲームをするほか,2,3日に一度来訪するMと雑談やゲームをして過ごした。
ケ 控訴人X1は,同月7日夜,H教諭に対し,電話により,Aの様子を伝え,前日Mから聞いて初めて知ったパンツ下げ事件への同教諭の対応について抗議し,8日,学校において,G校長,教頭,K主任及びH教諭から,同事件の詳細につき調査中であると説明を受け,E1らに謝罪させるよう要求した。
コ Aは,同月10日,H教諭から,E1及びその両親が謝罪に来訪した旨伝えられたが,謝罪されることはないと述べ,面会に応じず,E1の持参した謝罪の念書をゴミ箱に捨てた。
サ Aは,同月13日(土曜日)午後,H教諭の誘いにより登校して同教諭の手助けをし,同じころ,N家庭教師に誘われて宇都宮市に赴き,購入したハンバーガーを共に自宅で食べ,同月後半には,時折,食事を摂り,自室を出るようになった。
シ Aは,同月17日,控訴人X1に学校を怖がる発言をしたが,21日,H教諭に勧められて来訪した級友とゲームをして遊び,同月23日,同月初めての授業のために来訪したNから,甲中学校の生徒が進学する可能性が低い私立乙高校への進学を勧められ,表情を少し明るくし,勉学の意欲を示した。
ス Aは,同月25日,消灯して自室に伏せっていたが,来訪したMとしばらく雑談し,午後6時ころから7時ころまでは,N家庭教師と雑談して過ごし,午後8時半ころ,控訴人らとともに,夕食を摂り,ロールキャベツがおいしいと言って多く食べ,その後,ゲームをした後,控訴人X1から促されて入浴しており,同日のAの様子に変わった点は認められなかった。
(2)上記事実経過の評価等とAの自死
ア Aは,甲中学校第2学年3学期ころから嫌がらせを受けて不登校の徴候を示し,異例に実施された進級時のクラス替えに当たり,この点を配慮されたが,第3学年1学期には,肩パン等の遊びに藉口した暴行,性器を露出させられる暴行(4月23日。それが,いまだ人格を確立するに至らず,不安定な心理状態にある思春期の男の誇りを著しく傷つける理不尽なものであることは,Aの数日間の欠席の事実により明らかである。)及び授業中に顔面に色を塗られる暴行(5月15日ころ。生徒を学習に集中させる力量を備えた教諭の下では,このような暴行は,発生を想定し難いというべきである。)を受け,真新しい靴を奪われ(6月14日),この間,級友から,上記の理不尽な状況に救いの手を差し伸べられることもなく過ごした。
イ Aは,第3学年2学期には,目立つ暴行を受けることが減り,休み時間中,級友と話すことも減って机上にうつぶせになっていることが多くなった。この事実は,Aの被害が軽減されたことを意味するものではなく,級友との接触を避け,いわば,息を潜めて日々を過ごす途を選び,これにより暴行に晒される機会を減らすように努めた結果にほかならないと推認され,Aにとって,学校生活が針のむしろに座すに等しい状態であったことに変わりはなかった。
ウ Aは,10月26日,遠足の際,級友にリュックを奪われ,押し倒され,持参した弁当を食べないで帰宅し,11月1日,強い登校拒否の意思を示し,以後,登校も,勉強もしなくなり,6日ころからは自室で日中もカーテンを閉めて過ごし,自室に運ばれた食事をも摂らなくなった。この事実は,Aが,息を潜めて過ごす途を選んでも,なお,級友に嘲弄され,暴行を加えられ,孤立感を深め,学校及び級友に対する恐怖すらも覚え,勉学だけではなく,生きる意欲をも失いかけるに至ったと推認させるもので,食事も摂らず,昼間から自室に籠もり,時に学校を怖がる発言をしたことは,これを裏付ける。前記遠足の際の出来事は,客観的には,他愛がなく,取るに足りないもので,それのみが,登校せず,自室に籠もり,食事を摂らないというAの上記行動を導いたとは推認し難く,それが,登校して息を潜めて過ごしていた学校生活についてのAの忍耐の限界を破る契機となったと推認するのが本件の事実経過に則しているというべきである。
エ 以上を要するに,Aは,甲中学校第3学年に進級後,E1らの継続的な暴行によるいじめを受け,級友の助力もないままに過ぎ,次第にクラスの中で救いのない状況に陥り,2学期以降,それでも息を潜めるようにして登校を続けていたが,孤立感を深め,前記遠足の際の出来事を契機として,生きること自体にも執着しなくなって登校することを止め,遂に自死するに至ったと推認することができる。このような経過は,集団におけるいじめに通有のものというべきで,本件においては,E1らの上記暴行がAを自死にまで至らせた重要な契機の一つとなったことは疑いないが,それのみではなく,理不尽な暴行を阻止せず,これによるAの被害の継続を放置した級友の卑怯な態度も,それ自体がいじめとして,Aが孤立感を深め,自死に至った一つの原因となったと推認することができる。
オ 本件においては,原判決の認定した事実を前提としても,受験に対する不安等はAの死に関係を有すると認めることはできない。確かに,Aは,H教諭から,志望校への進学が難しいと言われて落胆の様子を示したことを窺うことができるが,受験生として,テストの結果や教諭の言葉に一喜一憂することがあることは格別異例のことではなく,11月1日以降,登校しなくなり,高校受験に備えた勉学をしなくなった後も,Aが,高校進学の希望を失ったとまでは認めるに足りず,特定の高校に固執する気配も窺うことはできないのであり,進学に対する不安等のためにAが自死に至ったと認めることは到底できないというべきである。
(3)E1らの行為がいじめに当たらないとする被控訴人の主張について
標記についての判断は,原判決75頁初行「被告E1及び同F1」の次に「並びにその他の同級生ら」を加えるほかは,原判決の事実及び理由の「第3 争点に対する判断」2(2)(原判決72頁16行目から75頁3行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
3 争点2(教員らの安全配慮義務違反)について
(1)いじめ,特に学校におけるいじめについて
ア いじめの類型(裁判所に顕著な事実)
いじめと称せられる現象は,よくみられるものとしては,①本件におけるように,暴行等の犯罪行為が一定の期間,継続的に加えられるという,それ自体が法律違反として処罰の対象とされ,社会的に排除されるべき内容のもの,②犯罪に当たるとまでいうことができないものの,行為の継続と集団の力によって被害者が疎外され,属する組織や社会における生活が困難となるもの,更には,③業務,研究,学習等分野を問わず,内容が正当なものであっても,指導や叱責が,これを受ける者にとって発憤の契機とならず,重荷となり,属する組織や社会における生活が困難となる原因となり得るものがある。①は,犯罪として法的に排除され,又は周囲の者が傍観せず,無法を排除する行動を採るのが常であるため,一般社会においては生じ難い種類のもので,閉鎖され,未成熟な者から成る学校において生じ易い形態である。②は,いわゆる村八分のように,属する組織や社会から理由なく排除されるもので,一般社会においてはもとより,学校においても,生じ得る。③も,指導や叱責をする者には,悪意もなく,内容も相当である場合でも,これを受ける者の心理的負担の程度及び内容によっては,いじめとなり得る。もっとも,③は,指導や叱責だけで,これを受ける者が属する組織や社会での生活が困難となるのは稀で,他の事情も相俟っていじめと評価されるのにとどまるであろうが,社会的に相当で,不可欠な行為ですらいじめと評価される事例があることは,人間の営む社会においては,いじめが消滅することはあり得ないことを示唆するといい得る。
イ Aの受けたいじめと加害者
Aに対する前記認定のいじめは,①及び②が複合した形態と認めることができ,この種のいじめは,加害者を特定し,非難することによって解消するものでも,事後いじめが生じなくなるものでもないし,加害者の特定が困難であるか,又はそれが無意味な場合もある。本件は,先に見たように,暴行を加えた者だけではなく,被害者の陥った状態を放置した級友の卑怯な態度も,いじめの大きな要素であり,敢えて言えば,被害者以外の級友のすべてが加害者と言ってよい事例である。
ウ 被害者側の対応
いじめは,その事実を明らかにしても,いじめから逃れることができるとは限らず,対処が適切を欠くと,かえっていじめを増幅する結果となることがあまねく知られ,被害者は,被害を耐え,これを抱え込む途を選ぶことが多い。本件において,H教諭の確認等に対し,自死するまで,Aがいじめを受けたことを自認したことがないことが雄弁にこれを物語る。また,いじめの被害の拡大は,加害者によるものだけではなく,いじめに対して適切な措置を講じ,いじめの害を取り除く技能を備えた者を欠くために生じることもある。いじめは,人間社会では消滅することのない病理現象ではあるが,その発生を予防する努力は期待どおりの成果を期し難いものではあっても,不断に続けることを要し,一方で,予防が奏功しない場合の備えも重要である。被害者による通報は,いじめに対して適切な措置を講じる上で極めて重要で,被害者がいじめの事実を否定するとき,いじめを発見して措置を講じるのには大きな困難が伴う。本件においても,Aは,教諭による事情聴取に対しても,一貫して暴行を受けた事実を否定し,これが学校当局が適切な措置を講じることができなかった一因でもある。被害者は,理由もなくいじめを受けながら,羞恥心から,事実を通報することに強い心理的抵抗を覚え,通報しないばかりか,確認を求められてもこれを否定する態度に出ることが多いことも周知のところである。しかしながら,被害者のこのような対応は,被害を解消するのに資するところがないばかりか,結果として,害毒を拡散する途を拓くに等しい。いじめの解消は,被害者が,羞恥心から自己を解放し,被害の拡大を防止する強い決意を示す行動として,いじめを通報することから始まるというべきで,このような被害者の勇気こそが望まれるのである。
学校におけるいじめ被害については,被害生徒の保護者の対応も重要である。いじめにつき,加害者の謝罪を性急に要求するのは,最も避けるべきことである。犯罪に当たるいじめ行為の処罰を求めるのであれば格別,加害者の問責より,生じた被害の解消又は将来の被害の予防こそが,被害生徒のために最も重要と心得るべきである。
エ 加害者側の対応
本件におけるようないじめ行為については,加害生徒に加害行為について非難を与え,これを戒めることが必要であることは論をまたない。いじめの増加は,その原因について巷間色々言われるが,社会一般に,自主性の尊重の美名の下,保護者による子に対する社会の規範についての躾が怠られてきたこともあずかっている。世に,子は,親の意見は聴かないが,親のすることは真似る,と言われるように,保護者自身も,範となる社会的規範を身に着けず,これを子に示すことができていない結果がいじめの増加を招いているのでなければ幸いというもので,親は子の最良の教師といわれる実態が維持されるよう,世の親は心すべきであろう。
オ 学校,教員の対応
校内における生徒の生命,身体の安全は,後に見るように保護者の委託を受けて生徒を預かる学校が確保することを要し,教員も同様である。暴行等犯罪に当たるものはもとより,そうでないものも,いじめに当たる現象は,授業だけではなく,学校という共同社会の存立の基盤を脅かすもので,これが生じないようにし,生じた場合においても,害を小さくすることが不可欠で,教員の果たす役割は大きい。生徒間のいじめは,教員に隠れて行われるのが通例で,いじめの現象を発見するのは容易ではなく,その発見や,これを発見したときの対処にはそれなりの準備と工夫を要する。いじめは,本件におけるように,被害生徒が通報することがないのが通例で,他の生徒の通報が発見の契機となる。通報を契機として,事情聴取しても,被害生徒すら事実を否定するものであり,それのみからいじめがないと判断するのは愚かの極みである。被害生徒は,教員に期待することができないと判断するとき,通報を理由とする被害の拡大を避けるためにいじめの事実を否認するのであり,この見易い道理を踏まえ,教員は,教員同士,互いに足らざるを補い,事態に対処することを要する。加害生徒側への謝罪の要求を受け,事態を的確に把握しないまま,加害生徒を謝罪させるなどは,いじめに対する対策の名にも値しない。
(2)教員の安全配慮義務
学校は,保護者の委託を受けて教育する責務を負い,保護者から受託した生徒につき,学科について教育するだけではなく,学校における教育活動及びこれに密接に関連する生活関係における生徒の安全を確保すべき義務を負うのであり,学校の支配下にある限り,生徒の生命,身体,精神及び財産等の安全を確保すべき義務を負い,外部者による侵害だけではなく,生徒による侵害に対しても同様で,学校において,他人の生命,身体等の安全の確保に関する規律を習得させる機会を生徒に与えることも期待されていると解せられる。教員は,学校のこれらの義務の履行を補助する者としての責任を負うというべきである。以下,時期を分けて,本件における教員の安全配慮義務違反の有無について検討を加える。
(3)第3学年1学期
ア H教諭は,第1学年当時からE1が問題行動の多い生徒であることを認識しており,同人の第2学年在学当時,同人から叩かれ,又はプロレスごっこの相手をさせられて暴行を受けた生徒からその都度通報を受け,E1に注意し,当該生徒に対する暴行が止むに至ったことがある(甲3の37)。
H教諭は,パンツ下げ事件(4月23日)の数日後,同事件及びAの複数日にわたる欠席について知り,また,理科の授業中,AがE1により両眼の瞼付近を汚く塗られた事件(5月15日ころ)の顛末を,発生当日,L教諭から聴いていた。上記両事件は,いずれも,E1が加害者で,多くの同級生の面前で発生した点において共通し,後者は授業中に発生した点において異常性が際立つ。
H教諭は,被害生徒が,通報に基づく不適切な措置による被害の拡大を怖れていじめの事実を明らかにしないものであるという見易い道理を踏まえて,本件において,Aのみでなく,目撃した同級生に対し,事実の経過及び態様等を確認していれば,前記認定のように,両者ともに,Aに対する執拗で理不尽な暴行であること,加えて後者につき,生徒が学習に集中を欠き,いわゆる授業崩壊の様相を疑うべき事情にあったこと及びAが他にも暴行を受けるなど,いじめに遭っている可能性があることをも容易に知り得たというべきである。
イ K主任及びL教諭は,いずれも第1学年当時からE1が問題行動の多い生徒であることを認識しており,L教諭は,5月15日ころ,授業中に上記事件の発生をみたほか,Aが授業中にE1から繰り返し嫌がらせを受け,F1に突然蹴られたのを目撃し,K主任は,5月上旬にH教諭からパンツ下げ事件について報告を受けていた。
ウ 甲中学校においては,Aの学年の生徒について,第2学年当時から,授業崩壊の様相を呈していることが危惧され,その対策のためにも異例のクラス替えが実施されたのであり,この事実をも基礎にすれば,甲中学校の教員らは,上記両事件を契機として,職員会議等における意見及び情報の交換,生徒からの事情聴取を実施することにより,上記事件以外にも,前記認定のとおり,Aが,プロレスごっこ等の遊びに藉口した暴行を繰り返され,同級生から蹴られ,靴を奪われる等の理不尽な被害に遭っていた事実を知り得たと認めることができる。この事情の下においては,同校の教員らは,加害生徒を諫めることはもとより,その保護者に対し,加害生徒の指導,監督等,保護者としての責任を果たすよう求め,Aに対する暴行を知りながら傍観したり,暴行に加担したりする生徒には,暴行を受ける生徒の心の痛み及び傍観することもいじめにほかならないことを理解させ,いじめを解消する行動を促すなどし,いじめによる被害を解消するための指導及び監督の措置を講じる注意義務を負っていたというべきである。
エ H教諭は,上記注意義務に反し,パンツ下げ事件について,Aの説明と事情を知らない旨の同級生2名の説明のみに依拠して,E1の暴行によるものではないと速断し,両瞼を汚く塗られた事件についても,E1に注意を与える必要はない旨のAの意見のみに依拠して,E1に対する指導も,叱責もせず,K主任及びL教諭は,H教諭とともに,自己の見聞きした事実のみに基づいていじめと受け止めず,上記措置を講じず,その結果,前記認定のとおり,その後もAがプロレスごっこ等の遊びに藉口した暴行を受けるのを阻止できなかったのであり,同教諭らには,Aに対する安全配慮義務を怠った過失があるというべきである。
(4)第3学年2学期(10月末まで)
ア Aは,第3学年2学期には,目立つ暴行を受けることが減ったものの,E1から肩パン遊びの相手をさせられ,休み時間中,机上にうつ伏せになっていることが多く,同級生と一緒に帰宅することはなく,クラス内での孤立を深め,9月27日及び28日,胸の痛みを訴えて診察を受け,10月26日,遠足の際,同級生らからそれ自体は他愛のないからかいを受けた後,登校しなくなり(上記1(原判決引用部分を含む。),2(1)及び(2)),後記のとおり,登校しなくなった時点ではうつ病にり患していたと認められ,11月26日,自死するに至った。
イ この経過を総合すると,Aは,クラス内において,時折同級生による理不尽な攻撃を受け,同級生の助力も受けられず,自尊心を傷つけられ,孤立感を深め,甲中学校における生活に強い苦痛を感じていたと推認することができる。
ウ Aが第3学年1学期にE1らの執拗ないじめを受けていたことを踏まえると,甲中学校教員らは,更に注意深く,2学期以降のいじめの継続について観察し,いじめの徴候の有無を把握するようにつとめていれば,Aの置かれた状況について的確に把握することができたのではないかと考えられ,この点が惜しまれるものの,長期の夏期休暇期間が挟まれ,2学期には,Aが,席替えにより,理科室においてE1に嫌がらせを受けることがなくなり,E1やF1からプロレスごっこ等の遊びに藉口した暴行を受けることが減り,「ドリル」というあだ名でからかわれることもなくなり,1学期のような目立った事件が起きておらず,これらの事実を総合すると,Aがクラス内で置かれていた状況を改善するための具体的措置を講ずべき安全配慮義務を甲中学校教員らが負っていたとまでは認め難い。
(5)11月1日から25日まで
ア H教諭は,Aが登校しなくなった後は,頻繁にA宅を訪問し,Aや控訴人らと面談し,Aに対するいじめについて調査し,生徒から詳しい事情を聴取し,Aの様子を見て他の生徒がいない土曜日の午後に登校を促して作業を手伝わせ,同級生にA宅の訪問を勧め,Aに登校を促すよう依頼するなどし,登校についてのAの抵抗感を減じようと努めた(上記1(原判決引用部分を含む。)及び2(1))。結果として,これらのH教諭の行動は,奏功せず,Aの自死を阻止することができなかったものの,甲中学校の教員の負う法的義務としての安全配慮義務を怠ったとまで評価することはできないというべきである。
イ 甲中学校教員らは,控訴人らが11月6日にパンツ下げ事件を初めて知り,学校に強く抗議し,E1らに謝罪のために来訪させることを要求したのを受け,同人らをA宅に訪問させたが,このことが,かえって心理的負荷を与え,Aの自死を誘発した可能性を否定し得ず,上記措置は相当であったとは到底いえないものの,当時,同教員らには,Aのうつ病り患についての認識がなかったことは明らかで,これをもって,同教員らの安全配慮義務違反ということはできない。
(6)結論
以上によれば,被控訴人市は,国家賠償法1条1項に基づき,遅くとも4月23日(パンツ下げ事件)から7月末ころ(第3学年1学期終了時)までの間に,Aが同級生によるいじめを受けることを阻止すべき措置を講じなかったことによりAが受けた損害を賠償する義務を負い,被控訴人県は,甲中学校教員らの俸給,給与その他の費用を負担する者として,同法3条1項に基づき,被控訴人市と同様の損害を賠償する義務を負う。
4 争点3(教員らの安全配慮義務違反とAの死亡との相当因果関係)について
(1)Aの自死
ア Aは,前記1(原判決引用部分を含む。),2(1)(2)の事実経過の後,11月26日,自死した。
イ Aが自死したことを争う被控訴人市の主張を採用できないことは,上記引用に係る原判決(68頁末行から69頁4行目まで)記載のとおりである。
ウ Aは,自死に至る前に自殺念慮やその動機を遺書等の文章や発言で表現することは全くなかったが,登校しなくなってからは,日中でもカーテンを閉め切って自室に籠もり,食事をほとんど摂らず,勉強への意欲を全く喪失し,母親に向かって「もう俺にお金をかけなくてもいいよ」と将来への希望を全く失っていることを示す発言をし(上記1,2(1)及び(2)),表情から生気が失われるなど,うつ病の典型的な症状として指摘されている症状(甲27~43)を示し,遅くとも登校しなくなった時点で,うつ病にり患していたと認められる。自殺の念慮や自殺の行為は,うつ病の典型的な症状の一つに挙げられており,うつ病患者の自殺率は,一般人口に比して少なくとも数十倍高いと報告されており(甲30,33),Aの自死は,うつ病によるものであると認めるのが相当である。
Aがうつ病にり患した主な誘因は,①Aが,甲中学校第2学年3学期ころから嫌がらせを受け始め,第3学年1学期にはクラス内の同級生のほとんど誰からも助けを受けられず,これを求めることもできない孤立無援の環境で主にE1及びF1から執拗ないじめを毎日のように受け,2学期にはクラス内での孤立を深め,遠足の際同級生からからかわれた後,登校しなくなり,H教諭らに伴われてE1と両親が謝罪に訪れた約2週間後に自死に至った事実経過,②Aは,元々は明るい性格であったが,いじめがひどくなった第3学年1学期ころから,夏休み期間中を除き,暗く沈み込んでいき,あまり笑わなくなり,同級生からは,いじめに伴うものであったと観察されていること(甲3の49,52,甲4の32),③Aは,謝罪に訪れたE1や同行した校長らには面会せず,受領した謝罪文を丸めてゴミ箱に捨て,強い怒りや恨みを持っていたことが窺われること,④Aが,11月17日,控訴人X1に対して学校を怖がる発言をしたこと,⑤いじめを除き,Aに極めて強い心理的負荷を与えていたものは取り立てて認められないこと(成績が第3学年在籍中に低下していたとは認められず(甲9の1~3,24の1~3,25),Aが進学について悩んでいたと認めるに足りない。),以上を総合すると,Aのうつ病り患は,甲中学校において長期にわたって人格を否定されるようないじめを受け,クラスで孤立無援の状況に置かれ,極めて強い精神的負荷を受け続けたことによると認めることができる。
(2)教員らの安全配慮義務違反と相当因果関係のある損害
ア 被控訴人らは,前記のとおり,4月23日(パンツ下げ事件)から7月末ころ(第3学年1学期終了時)までの間,甲中学校教員らが安全配慮義務に違反したことによりAが受けた損害につき賠償義務を負う。
イ 前記のとおり,教員らが安全配慮義務を尽くしていれば,第3学年1学期中早期にパンツ下げ事件以後のいじめを阻止し得た高度の蓋然性を認めることができ,第3学年1学期が終わるまでの間にAがE1らからほぼ毎日のように暴行や辱めを内容とするいじめを受け,肉体的・精神的苦痛を被ったことが,教員らの安全配慮義務違反と相当因果関係のある損害に当たることは明らかである。
ウ Aは,第3学年2学期(10月末まで)にも,E1から暴行を複数回受け,クラス内で孤立無援の状況に置かれて深刻な疎外感を感じ,甲中学校における生活に強い精神的な苦痛を感じて生活していた(前記認定)が,1学期中にAに対して加えられた執拗ないじめの態様を考慮しても,夏休みを挟んだ2学期においてもAがいじめを受けたり,クラス内で疎外された状況に置かれたりすることが通常であるとまではいえず,甲中学校教員らにおいて,Aに対する安全配慮義務を怠っていた1学期の当時には,2学期にもAに対するいじめが続くことを予見し得たと認めるに足りず,Aが2学期に受けた肉体的・精神的苦痛につき,教員らの安全配慮義務違反と相当因果関係を認めることはできない。
エ Aは,第3学年2学期途中から登校しなくなった時点では,長期にわたっていじめを受けたことを誘因としてうつ病にり患しており,これにより自死に至ったのであるが,甲中学校教員らの安全配慮義務違反は,4月23日(パンツ下げ事件)以後1学期終了時までの期間について認めることができ,この期間中にAが受けたいじめの内容及び程度は,暴行による苦痛を与えるだけでなく継続的に人間としての尊厳を踏みにじるような辱めを加えるものであって,E1及びF1によるいじめを傍観し,時には加担した同級生の態度も加わって,極めて強い精神的負荷をAに加えるものであった。しかし,Aは,1学期が終了した時点ではうつ病にり患していたとまでは認められず,その後の経緯を経てうつ病にり患したこと,Aに対するいじめは,暴行自体は深刻な傷害を負わせる程度であったとは認めることができず,いじめにより受けていた精神的な苦痛が他者からは把握し難い性質のものであったことを併せ考えると,Aが1学期中に受けたいじめを原因としてうつ病にり患し,自死に至るのが通常起こるべきことであるとはいい難く,いじめを苦にした生徒の自殺が平成11年以前にも度々報道されており,いじめが児童生徒の心身の健全な発達に重大な影響を及ぼし,自殺等を招来する恐れがあることなどを指摘して注意を促す旧文部省初等中等教育局長通知等が教育機関に対して繰り返し発せられていたこと(甲13,23,弁論の全趣旨)を勘案しても,甲中学校教員らが,第3学年1学期当時,Aがいじめを誘因としてうつ病にり患することを予見し得たとまでは認めるに足りないといわざるを得ない。
よって,甲中学校教員らの安全配慮義務違反とAのうつ病り患及び自死との相当因果関係を認めることはできない。
5 争点4(損害額)について
(1)Aの損害
以上によれば,4月23日(パンツ下げ事件)から第3学年1学期終了時までの間にAが受けたいじめを甲中学校教員らが阻止できなかったことによりAが受けた肉体的・精神的苦痛に対し,被控訴人市は,国家賠償法1条1項に基づき,被控訴人県は,同法3条1項に基づき,連帯して損害を賠償する責任を負うというべきであるが,Aが第3学年2学期(平成11年9月以降)に甲中学校で被った苦痛,その後のうつ病り患及び死亡については,被控訴人らは損害賠償責任を負うと認めることはできない。
ア 慰謝料
Aは,上記期間,毎日のように同級生から暴行を受け,また,人間としての尊厳を踏みにじるような辱めを受け,同級生は不当な被害を受けているAの様子を知りながら,傍観し,時には嘲笑したのであり,誰にも助けを求めることができず,いじめにひたすら耐え,その苦痛を誰にも訴えることができず,学校に通い続けたAの肉体的・精神的苦痛は甚大なものであったというべきである。
Aが被った上記苦痛がうつ病り患及び自死に寄与していることが容易に推認されることをも考え併せると,Aの苦痛を慰謝すべき金額は,1000万円をもって相当とするというべきである。
イ 弁護士費用
本件に表れた諸事情を考慮すると,控訴人らが訴訟代理人弁護士らに支払った弁護士費用のうち100万円をもって,甲中学校教員らの安全配慮義務違反と相当因果関係のある損害と認める。
(2)控訴人ら固有の損害
原判決の事実及び理由の「第3 争点に対する判断」8(2)(原判決86頁3行目から12行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(3)一部弁済
控訴人らは,Aの死亡により,Aの被控訴人らに対する上記の1100万円の損害賠償請求権を各2分の1の割合(550万円ずつ)で承継取得した。
E1及びその両親は,E1がAに加えたいじめについての謝罪の意を示すため,平成18年7月5日,控訴人らに120万円を支払い,F1及びその両親も,F1がAに加えたいじめについての謝罪の意を示すため,同日,控訴人らに120万円を支払ったところ,E1及びF1並びにその各両親がAの被った損害について控訴人らに対して負う損害賠償責任は,被控訴人らの上記損害賠償責任と不真正連帯の関係にあるから,上記の合計240万円(各控訴人につき120万円)の慰謝料の支払は,被控訴人らの債務の一部弁済に該当する。
6 よって,控訴人らの請求は,被控訴人ら各自に対しそれぞれ430万円及び遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
第4結論
以上によれば,控訴人らの被控訴人らに対する請求を各120万円及び遅延損害金の限度でしか認容しなかった原判決は相当でないから,これを変更することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 江見弘武 裁判官 植垣勝裕 裁判官 市川多美子)