東京高等裁判所 平成17年(ネ)5332号 判決 2006年5月10日
控訴人兼附帯被控訴人
株式会社生活創庫
(以下「控訴人創庫」という。)
同代表者代表取締役
堀之内九一郎
控訴人兼附帯被控訴人
株式会社日本リユース
(以下「控訴人リユース」という。)
同代表者代表取締役
堀之内九一郎
上記両名訴訟代理人弁護士
関口裕
被控訴人兼附帯控訴人
X1
(以下「被控訴人X1」という。)
被控訴人兼附帯控訴人
X2
(以下「被控訴人X2」という。)
上記両名訴訟代理人弁護士
津田玄児
同
村中貴之
主文
1 控訴人らの本件各控訴をいずれも棄却する。
2 被控訴人らの本件各附帯控訴に基づき原判決主文第1項を次のとおり変更する。
(1) 控訴人らは,連帯して,被控訴人X1に対し,1006万9055円及びこれに対する平成16年2月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 控訴人らは,連帯して,被控訴人X2に対し,1852万1055円及びこれに対する平成16年2月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,第1,2審を通じて,被控訴人X1と控訴人らとの間に生じた費用のうち,5分の3を被控訴人X1の,その余を控訴人らの各負担とし,被控訴人X2と控訴人らとの間に生じた費用のうち,5分の1を被控訴人X2の,その余を控訴人らの各負担とする。
4 本判決主文第2項(1)及び(2)は仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴の趣旨
(1) 原判決中控訴人らの敗訴部分をいずれも取り消す。
(2) 被控訴人らの控訴人らに対する各請求をいずれも棄却する。
(3) 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人らの負担とする。
2 控訴の趣旨に対する答弁
(1) 主文第1項と同旨。
(2) 控訴費用は控訴人らの負担とする。
3 附帯控訴の趣旨
(1) 原判決を次のとおり変更する。
(2) 控訴人らは,連帯して,被控訴人らに対し,それぞれ1852万5164円及びこれに対する平成14年10月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は,第1,2審とも,控訴人らの負担とする。
(4) (2)につき仮執行の宣言
4 附帯控訴の趣旨に対する答弁
(1) 本件各附帯控訴をいずれも棄却する。
(2) 附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。
第2 事案の概要
本件は,控訴人創庫経営の「創庫生活館」春日部本店内で,同店に応援に来ていた同控訴人経営の北春日部本店の店長A(以下「A」という。)が,当時アルバイトで春日部本店で勤務していたB(以下「B」という。)及びその友人のC(以下「C」という。)が同店内において引き起こした強盗殺人等の事件(以下「本件事件」という。)の被害者となって死亡したことについて,Aの相続人(父母)である被控訴人らにおいて,雇用主である控訴人らが強盗等の侵入防止のためのセキュリティシステム(施錠,監視カメラ及び通報装置)を設置し,従業員の増員や安全教育等を行って従業員の安全を図るべき債務の不履行があったことによって従業員であるAが死亡したとして,控訴人らに対し,それぞれAの死亡による損害の相続分及び固有の損害の合計2348万1600円(Aの逸失利益2269万3550円,慰謝料2800万円,被控訴人らの慰謝料2人で合計1000万円及び葬儀費用415万5650円の合計から,B及びC側からの支払分合計2300万円を控除し,弁護士費用511万4000円を加えた金額の合計4696万3200円の2分の1に相当する額)及びこれに対する本件事件の発生した日である平成14年10月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めた事案である。
これに対し,控訴人らは,Aの雇用主は控訴人リユースであって,控訴人創庫とは雇用関係はない,当日のAの春日部本店への応援は親友であった同店店長D(以下「D」という。)の個人的要請によるものであって控訴人らの業務命令によるものではなかった,同店には高価品や大金が存するわけではなく近隣には夜間でも人通りがあり強盗事件の発生もない状況であった,B及びCが侵入した従業員用通路は同店の裏手にあり物品の外部への出し入れ等に頻繁に使う場所であってその都度施錠を繰り返すのは業務の円滑を妨げるものであり当時の状況からは無施錠を責めることはできない,控訴人創庫は店内の人の所在を検出する温度センサーの設置,非常通報装置の設置及び当日の複数人員勤務等という同店における業務と当時の状況に対応した通常の安全措置を講じていた旨主張して,本件の強盗殺人事件の発生は控訴人らの管理し得ない事由又はその予見し得ない事由によって生じたもので,その被害を回避することはできなかったから,控訴人らに安全配慮義務違反はないと反論した。
原審は,本件事件当時,控訴人らはいずれも雇用主(控訴人リユース)又は労働指揮を行う者(控訴人創庫)として,Aが従事する業務について安全配慮義務を負う立場にあったとして,控訴人らの安全配慮義務違反を肯定した上,同義務が履行された場合の結果回避可能性を3分の1として,その割合に応じて控訴人らの責任を認め,被控訴人らの請求をそれぞれ617万及び遅延損害金の連帯支払を命じる限度で認容し,その余の請求を棄却したところ,控訴人らが各敗訴部分の取消しを求めて控訴を申し立て,被控訴人らが原判決の変更を求めて附帯控訴(ただし,被控訴人らは,不服申立ての範囲を上記第1の3(2)のとおり1852万5164円及び遅延損害金としている。)を申し立てた。
なお,被控訴人らは,本訴請求について控訴人らに加え,本件事件の犯行に及んだB及びCに対しても,不法行為に基づき,連帯して,それぞれ損害3348万1600円及びこれに対する平成14年10月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めて提訴したが,いずれも原審第1回口頭弁論期日に出頭せず,擬制陳述された各答弁書には請求原因を全部認める記載があり,B及びCに対する弁論は,控訴人らに対する弁論と分離された上,終結され,第2回口頭弁論期日において被控訴人らの請求を全部認めるいわゆる(擬制)自白判決がされ,B及びCから控訴もなく,上記(擬制)自白判決は既に確定している。
そのほかの事案の概要は,次のとおり訂正するほかは,原判決の事実及び理由欄の「2 事案」に記載のとおりであるから,これをここに引用する。
1 原判決2頁7行目から同8行目にかけて及び同16行目の各「B」をいずれも「B」に,同19行目の「原告の雇用主は」を「Aの雇用主は」に,同3頁9行目及び同10行目の各「B」をいずれも「B」に,同20行目の「店長D・従業員Eも」を「店長D,従業員E(以下「E」という。)に対しても」にそれぞれ改める。
2 原判決4頁1行目全体を次のとおり改める。
「④ 労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)64条1項1号に基づく履行猶予の抗弁の可否
である。
(上記争点に関する控訴人らの補充主張)
(1) 争点②の安全配慮義務について
最高裁判所昭和59年4月10日第三小法廷判決(民集38巻6号557頁。以下「昭和59年判決」という。)は,『使用者の安全配慮義務の具体的内容は,労働者の職種,労務内容,労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきもの』としており,労働契約の趣旨,内容,命じた業務の内容,提供された勤務場所及び施設等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等の事実関係を相関的に検討し,その結果,条理上,当該事実関係の下でどのような措置を執るべきことが安全配慮義務の具体的内容として要求されるのかを判断する手法を採っている。
原判決は,強盗侵入の予見可能性について,Aの担当していた業務の性質や,春日部本店に所在する現金や商品の価値,Bらの犯行の可能性をうかがわせるに足りる本件事件前の客観的状況の有無などを検討することなく,『昨今の犯罪状況』なる一般的,抽象的な事由をもって直ちに控訴人らの予見可能性を肯定しているが,本件事件当時,Aが従事していた業務は,レイアウト変更の手伝いという日常的なものであり,それ自体に危険性を内包するものではなかったし,春日部本店においてBらによる犯行を窺わせるような出来事は全くなかったし,春日部本店においては閉店後も通常の業務の遂行として従業員出入口を開放しておく事情があった(なお,原判決が,春日部本店の従業員出入口が通常施錠されていなかった事実につき,従業員はともかく,『かなり』の者(客)が知っていた事実はないから,この点は事実誤認である。)から,控訴人らが通常の人員の配置による勤務態勢を執っていたことは何ら責められるものではなく,また,業務遂行上,閉店後も従業員出入口を開放しておく事情があり,常に開放の際の監視要員を配置することは控訴人らに難きを強いることになる。
原判決の判断手法によれば,一般的な昨今の犯罪状況からすれば,どのような企業,どのような店舗においても従業員の生命,身体に対する一般的,抽象的な危険は常に存在することになるのであるが,このような一般的,抽象的な危険は,使用者にとって管理し得ない危険というべきであり,使用者が行った具体的労務指揮又は提供した場所,施設等とは無関係な危険というべきである。したがって,このような一般的,抽象的な危険を前提として,これから直ちに,夜間の従業員出入口の施錠の徹底,業務のために開放する場合の監視要員の配置及びこれらに対する安全教育の徹底を安全配慮義務の具体的な内容として要求することは,具体的な安全配慮義務の内容の外延を曖昧にする上,金融機関や高価品を取り扱う店舗,企業のみならず,およそ日常の生活用品等を取り扱う一般の中小売店舗においてもこのような義務づけがされることになって,安全配慮義務に対する使用者の予測可能性を害することになり,巨視的には企業活動を萎縮させてしまう危惧があり,相当とはいえない。
また,本件事件は,春日部本店において,従業員Eが1人になることはないことを現実に知ってもなおかつ本件事件の犯行に及んだものであり,BとCの犯行に対する強固な意志があったことに加え,同人らが互いに弱みを見せないよう張り合うという特殊な心理状態の下で敢行されたものであり,そのような心理状態は控訴人らの予見できるところではなく,本件事件についての予見可能性は盗賊の侵入の可能性についての予見可能性の範囲を超えるものであるから,控訴人らに本件事件を予見することも回避することも不可能であった。
そして,このような従業員の金銭奪取目的による犯行によって他の従業員が殺害されたという特殊な事案について,特段の理由を示すことなく使用者の予見可能性が肯定されることになると,企業活動に関連して従業員が他の従業員を殺傷したときはほとんどの場合に予見可能性が肯定されることになり,控訴人らのみならず,一般の企業も常に従業員の他の従業員に対する殺傷の可能性を前提として企業活動を行わなければならないことになり,使用者と従業員及び従業員相互が信頼関係に基づいて業務を遂行すべきことを前提として成り立っている企業の合理的な経済活動を害する危惧があることになり,この点でも原判決には誤りがある。
なお,安全保証義務違背を理由とする債務不履行に基づく損害賠償債務は,期限の定めのない債務であり,債務者は債権者から履行の請求を受けた時に履行遅滞となる(最高裁判所昭和55年12月18日第一小法廷判決・民集34巻7号888頁。以下「昭和55年判決」という。)ところ,控訴人らが上記安全保証義務と同一内容を示すものと理解できる安全配慮義務の違反ありとして被控訴人らから損害賠償請求を受けたのは本件訴訟の訴状(平成16年2月5日送達)が最初である。
(2) 争点④の履行猶予の抗弁について
労災保険法64条1項1号に基づく履行猶予の抗弁は,遺族補償年金の受給権者が,同一の事由について使用者から損害賠償を受けることができる場合は,使用者は前払一時金の最高限度額の法定利率による現価の限度で損害賠償を履行しないことができるというものである。
本件において,仮に控訴人らに安全配慮義務違反による損害賠償責任が認められるとすれば,控訴人らは,上記労災保険法の規定に基づいて被控訴人X1に対し遺族補償年金前払一時金の最高限度額である768万2000円の限度において履行猶予の抗弁を主張する。
なお,被控訴人らは,上記抗弁が時機に後れた防御方法であると主張するが,原審における弁論準備手続では,控訴人らの安全配慮義務違反が認められることを前提とする争点及び証拠の整理は全く行われていなかったし,控訴人らは仮定抗弁として主張しているものであり,かつ,その判断となる前提事実は既に証拠(乙10)として提出されており,これによって本件訴訟の完結を遅延させることにもならないから,被控訴人らの主張は理由がない。
(上記争点に関する被控訴人らの補充主張)
(1) 争点②の安全配慮義務について
控訴人らは,原判決には,強盗侵入の予見可能性について,Aの担当していた業務の性質や,春日部本店に所在する現金や商品の価値,Bらの犯行の可能性をうかがわせるに足りる本件事件前の客観的状況の有無などを検討することなく,『昨今の犯罪状況』なる一般的,抽象的な事由をもって直ちに控訴人らの予見可能性を肯定した誤りがあると主張する。
安全配慮義務違反の場合の判断につき,昭和59年判決が,当該具体的事実関係の下でいかなる安全確保措置を執ることが要求されるのかを個別的に判断するという判断手法を採っていることは控訴人らの主張するとおりであるが,原判決は,春日部本店に所在する現金や商品の価値,同店の立地状況,安全管理状況(特に出入口の施錠の状況),安全管理に関する控訴人らの従業員に対する指示や指導の有無等の数々の具体的状況を検討し,統計的に明らかな具体的な犯罪状況を考慮して控訴人らの予見可能性を肯定しており,昭和59年判決と同様,当該具体的事実関係の下でいかなる安全確保措置を執ることが要求されるのかを個別的に判断する手法を採っていることは明らかである。
また,仮に原判決の認定した予見可能性がある程度概括的であったとしても,昭和59年判決は事故防止に対する使用者の安全配慮義務の内容を極めて高度なものと考え,安全配慮義務の予見可能性は,宿直員が盗賊に侵入されて危害を加えられるおそれのある危険な環境に置かれているという『概括的な予見』で足りるとしており,この判断は,自衛隊員が駐屯地内において過激派活動家に刺殺された事案に関する最高裁昭和61年12月19日第三小法廷判決(裁判集民事149号359頁)でも繰り返し判示されており,原判決も同様の考え方に立って控訴人らの予見可能性を判断したものと考えられる。
本件の被害者であるAは,夜間人目が少なくなり,20万円から30万円の現金が保管され,10数万円の取扱商品が置いてある店舗内において業務に従事していたものであって,深夜の小売店舗での業務はそれ自体強盗の被害に遭うリスクがあるとされており(甲22),本件事件当時Aの遂行していた業務が,それ自体において強盗犯による生命,身体に対する侵害の危険性を内包するとともに,その具体的状況に照らせば強盗犯による生命,身体に対する具体的な危険性を有しており,かつ,かかる危険が使用者にとって十分に管理可能であることは明らかである。そして,春日部本店において事前に犯行を窺わせるような出来事がなかったとしても,原判決が認定した本件事件当時の春日部本店を巡る具体的事実と統計的に明らかな本件事件当時の具体的な犯罪状況からすれば,控訴人らの予見可能性が肯定されることは前記のとおりであり,また,春日部本店の業務遂行上,閉店後も従業員出入口を開放しておく事情があったのであれば,従業員の安全確保のためには,まさに施錠に代わる方策として,出入口に監視する人員を置き,店内に相応の人員を配置して防衛策も考えた方策を執るべき義務があったというべきである。なお,春日部本店の従業員出入口が通常施錠されていなかった事実を従業員を始め『かなり』の者(客)が知っていたことはDの陳述書(甲11)からも明らかである。
控訴人らは,本件事件はBとCの強固な意志に加え,互いに弱みを見せないよう張り合うという特殊な心理状態の下で敢行されたものであり,そのような心理状態は控訴人らの予見できるところではなかったなどと主張するが,本件において要求される使用者の予見可能性の内容は,春日部本店で夜間店舗荒らし等の被害に遭う可能性があること,その際に従業員と犯人が顔を合わせると犯人が凶悪な行動に出て従業員に危難が及ぶ可能性であり,かつ,それで足りるというべきであって,それを超えて加害者の犯行の動機や心理状態に至るまでの予見可能性を要求するのでは,およそすべての場合に予見可能性が否定されることになり,安全配慮義務の具体的な内容を画するという予見可能性の機能を喪失させるものである。
(2) 争点②の因果関係(附帯控訴の理由)について
金銭等の奪取目的で店舗等に侵入した盗犯が従業員に発見された場合に,当該従業員に危害を加え,場合によっては殺害に及ぶ可能性が類型的に高いことは過去の同種事件より明らかであり,Bらによる犯行は典型的な強盗殺人事件であって,控訴人らは十分に予見可能であり,原判決が判示する安全配慮のための方策を執っていれば,十分に防止できたものといえるから,原判決が3分の1の限度でしか控訴人らの安全配慮義務の不履行と損害との間の因果関係を認めなかった点には誤りがある。
控訴人らの安全配慮義務の不履行が認められる以上,損害との間に100パーセントの因果関係があることは明らかであり,本件の損害額は,原判決で認められたAの逸失利益2269万3550円,慰謝料2800万円,葬儀費用150万円の合計額から加害者側からの支払額2300万円に基づく按分充当額1851万1433円(2300万円×5219万3550円÷6484万9200円(前記B及びCに対する弁護士費用を除いた損害賠償元金部分))を控除した3368万2117円にこの金額の1割の弁護士費用336万8211円を加算した3705万0328円となる(被控訴人1人につき1852万5164円)。
(3) 争点④の履行猶予の抗弁について
控訴人らは,労災保険法64条1項1号に基づく履行猶予の抗弁を主張するが,控訴人らは,被控訴人X1が労災保険の申請を行い,受給が決定されていたことを原審の争点整理段階において既に知っており,原審において上記抗弁を提出する機会を十分に与えられていたのにその主張をしなかったものであって,かつ,訴訟の完結を遅延させることが明らかであるから,上記抗弁は時機に後れた防御方法として却下されるべきである。
控訴人らは,被控訴人X1が取得する損害賠償金のうち遺族補償年金の前払一時金の最高限度額である768万2000円の範囲で履行が猶予されると主張しており,確かに,労災保険給付は,労働災害による財産的損害のうち,消極的損害の填補を目的とするものであるから,逸失利益は使用者が被用者に対して負担する民事上の損害賠償と同一の事由の関係にある損害項目となる。
しかしながら,本件において被控訴人らが控訴人らに請求している損害賠償には,Aの逸失利益のほか,原判決において認容されたものだけでも同人の慰謝料,葬儀費用が含まれているところ,これら逸失利益以外の損害項目については労災保険と同一の事由の関係にある損害項目とはいえない。したがって,控訴人らの負担する損害賠償のうち,逸失利益を除く損害項目にかかる金額については履行猶予することはできず,これは労災保険の給付額が逸失利益に対する損害賠償額を上回る場合であっても同様であるというべきである。判例も,労働者災害補償保険法に基づく遺族補償費が支給された場合にその分の損害賠償からの控除が問題となった事案につき,控除できないと判断しており(最高裁昭和37年4月26日第一小法廷判決・民集16巻4号975頁),その趣旨は履行猶予の場合にもあてはまるというべきである。
以上より,仮に控訴人らの履行猶予の抗弁に理由があるとしても,履行猶予される金額は前払一時金の最高限度額相当額ではなく,被控訴人X1の取得する損害賠償金のうちAの逸失利益相当額の限度に限定されることになる。」
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所は,被控訴人らの各請求は本判決主文第2項の(1)及び(2)記載の限度で理由があるから,これを認容すべきものと判断する。その理由は,次のとおり訂正し,又は付加するほかは,原判決の事実及び理由欄の「3 検討・判断」に記載のとおりであるから,これをここに引用する。
(1) 原判決4頁10行目及び同5頁8行目の各「Dの証言」をいずれも「証人Dの供述」に,同17行目の「設置はながった。」を「設置はされていなかった。」に,同6頁4行目の「B」を「B」にそれぞれ改める。
(2) 原判決6頁8行目冒頭から同12行目末尾までを次のとおり改める。
「 使用者は,労働者に対する報酬支払義務にとどまらず,労働者が労務提供のため設置する場所,設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示の下に労務を提供する過程において,労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っているものと解するのが相当であり,その具体的内容は,労働者の職種,労務内容,労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものであるところ(昭和59年判決参照),前記①のような春日部本店の立地状況,特に夜間の状況,同店に所在する現金や商品の価値,同店の安全管理状況,特に従業員出入口の施錠が通常はされていなかったこと,安全管理に関する控訴人らの従業員に対する指示や指導がほとんどされていなかったことに加え,一般に知られている昨今の犯罪状況,特に夜間店舗荒らし等の被害が少なからず発生していたことなどに照らすと,控訴人創庫の春日部本店においても夜間店舗荒らし等の被害に遭う可能性があること,そして,その際に従業員と犯人が顔を合わせると犯人が凶悪な行動に出て従業員に危難が及ぶ危険性が高いことは,本件の強盗殺人事件の発生前においても,控訴人らにおいてその危険性を予見し得たものというべきである。」
(3) 原判決7頁2行目冒頭から同8頁3行目末尾までを次のとおり改める。
「③ 控訴人らは,強盗侵入の予見可能性について,Aの担当していた業務の性質や,春日部本店に所在する現金や商品の価値,Bらの犯行の可能性をうかがわせるに足りる本件事件前の客観的状況の有無などを検討することなく,『昨今の犯罪状況』なる一般的,抽象的な事由をもって直ちに控訴人らの予見可能性を肯定することはできない旨主張する。
しかしながら,本件においては,前記のとおり,本件事件の被害者であるAは,夜間でも国道4号線沿いの通行はかなりあるものの,裏手は住宅地で夜間は人目も少ない場所に位置する春日部本店内において業務に従事していたものであって,同店舗内には10数万円の取扱商品が置いてあり,20万円から30万円の現金が保管されており(小売店舗であり,従業員が同店舗に残っている以上,一般的に一定金額の現金を保管していることが予想されるものであるし,本件においては,本件事件の加害者であるBは同店のアルバイト店員であってこれを認識していた。),本件事件当時には,金融機関や高価品を取り扱う店舗のみならず,コンビニエンスストア等における強盗事件等も発生しており,深夜の小売店舗での業務はそれ自体強盗の被害に遭うリスクがあることが認識されていたこと,本件当時同店では,従業員用出入口は店の裏手駐車場側にあり,通常無施錠であって,来客や部外者が出入りすることも度々あって,従業員を始めかなりの者がそこが通常無施錠であることを知っていたこと(控訴人らは,この点につき事実誤認であると主張するが,D作成の陳述書(甲11)によれば,『この出入口は店内に人がいる間は常時鍵がかかっておらず,店の営業時間中も,お客様が間違ってこの出入口から出入りすることもよくありました。ですから,従業員だったBだけでなく,多くのお客様がこの出入口から店内には入れることを知っていたはずです。』との記載があること,検証調書(乙1)によれば,春日部本店の裏側(東側)にも駐車場があり,そこからは国道に近い北西側の出入口よりも従業員出入口の方が近いため,従業員出入口が開いていればそこから出入りすることが十分考えられ,上記記載を裏付けていることに照らし,採用できない。)に照らすと,本件事件当時Aの遂行していた業務は,強盗犯による生命,身体に対する侵害の危険性を内包するとともに,強盗犯による生命,身体に対する具体的な危険性を有しており,かつ,かかる危険が使用者にとって十分に管理可能であったことを認めることができるものである。
控訴人らは,本件事件当時,Aが従事していた業務は,レイアウト変更の手伝いという日常的なものであり,それ自体に危険性を内包するものではなかったとも主張するが,この業務内容自体には危険性がなくても,上記のように夜間に付近の人通りも少ない店舗内で出入口の施錠をしない状態で作業を行うことについて危険性があることは否定できない。
控訴人らは,業務遂行上,閉店後も従業員出入口を開放しておく事情があり,常に開放の際の監視要員を配置することは控訴人らに難きを強いることになるとも主張するが,それ自体犯罪被害に対する無防備を正当化する理由とすることはできないものであることに加え,被控訴人X2本人は,事前に控訴人らの本部に電話であらかじめ依頼した上,Aの一周忌の同じ時間帯である午後9時過ぎに線香と花を持って春日部本店に出向いたところ,従業員出入口は施錠されていたことが認められるから,これ自体は本件事故があってからの措置とはいえ,施錠をすることがそれほど困難であったということもできない。そして,春日部本店の業務遂行上,閉店後も従業員出入口を開放しておく事情があったのであれば,従業員の安全を確保するため,施錠に代わる方策として,出入口に監視する人員を置き,店内に相応の人員を配置するなどの方策を執るべき義務があったものというべきである。
控訴人らは,春日部本店においてBらによる犯行をうかがわせるような出来事は全くなかったし,一般的,抽象的な危険を前提として,これから直ちに確実な施錠,代替措置の実施,防犯安全教育の実施を要求することは,およそ日常の生活用品等を取り扱う一般の中小売店舗においてもこのような義務づけがされることになって,安全配慮義務に対する使用者の予測可能性を害することになり,巨視的には企業活動を萎縮させてしまう危惧があると主張するが,前記のとおり,夜間に付近の人通りも少ない春日部本店の立地状況,従業員出入口の施錠が通常はされていなかったこと,安全管理に関する控訴人らの従業員に対する指示や指導がほとんどされていなかったこと,夜間店舗荒らし等の被害の発生状況や春日部本店においても夜間店舗荒らし等の被害に遭う可能性があったことなどからみて,控訴人らに安全配慮義務があったことは否定できず,従業員に危難が及ぶ状況が存在するのに,巨視的に企業活動を萎縮させる危惧があるとの理由で,安全配慮義務を否定することはできない。
控訴人らは,本件事件はBとCの強固な意志に加え,互いに弱みを見せないよう張り合うという特殊な心理状態の下で敢行されたものであり,そのような心理状態は控訴人らの予見できるところではなかったと主張するが,そもそも安全配慮義務を肯定する前提として加害者の犯行の動機や心理状態に至るまでの予見可能性が要求されるものではなく,前記のとおり,本件においては,春日部本店で夜間店舗荒らし等の被害に遭う可能性があり,その際に従業員と犯人が顔を合わせると犯人が凶悪な行動に出て従業員に危難が及ぶ可能性があった以上,控訴人らにおいて従業員に対する安全配慮義務があったことを否定できないから,上記主張も理由がない。
さらに,控訴人らは,従業員の金銭奪取目的による犯行によって他の従業員が殺害されたという特殊な事案について,特段の理由を示すことなく使用者の予見可能性が肯定されることになると,企業活動に関連して従業員が他の従業員を殺傷したときはほとんどの場合に予見可能性が肯定されることになると主張するが,本件においては,春日部本店でアルバイトをしていたBらによる犯行がされたものではあるが,Bは,その勤務を終了していったん同店舗から出た後に,本件事件当日はD店長が休みの予定であり,午後5時まで勤務するFが帰り,午後8時過ぎにBが帰った後は従業員Eが1人となる予定のところ,クレーム処理のためD店長が出勤していたが,同店舗に2人残っていてもそれほど支障にならないと考え,無施錠であることを知っていた従業員用出入口から侵入した(Bの検察官に対する供述調書(乙6)及び弁論の全趣旨)ものであって,かかる侵入状況等に照らし,Bは春日部本店における日ごろの管理状況から犯行に及ぶことが容易であると判断した上で,本件事件の犯行に及んでいるということができ,したがって,企業活動に関連して従業員が他の従業員を殺傷したときとして一般化することは相当とはいえないものであって,控訴人らの上記主張はその前提に誤りがある。
④ 上記認定の事実関係に照らすと,控訴人らには,Aに対する上記安全配慮義務の不履行があったものといわなければならず,かつ,控訴人らにおいて上記のような安全配慮義務を履行していれば,本件のようなAの殺害という事故の発生を未然に防止し得たというべきであるから,上記事故は,控訴人らの上記安全配慮義務の不履行によって発生したものということができ,控訴人らは,上記事故によって被害を被った者に対しその損害を賠償すべき義務があるものといわざるを得ない。
原判決は,本件の強盗殺人等の事件については,Bらの強固な意志に加えて,上記Bが共犯者のCと互いに弱みを見せないように張り合った部分も窺えるとしているが,本件事件は,侵入を発見された盗犯が従業員を殺害したという典型的な強盗殺人事件であって,控訴人らはこれを予見することが可能であった上,前記のような安全配慮のための方策を執っていれば,これを防止することができたものといえるから,安全対策による結果回避の可能性の割合を限定すべき理由を見出すことはできない。この点に関する原判決の判断は相当とはいえない。」
(4) 原判決8頁6行目の「5219万3550円」を「5219万3541円」に改め,同8行目冒頭から同14行目末尾までを次のとおり改める。
「ア Aの逸失利益
Aは,本件事件の被害に遭って死亡した当時満27歳(昭和49年*月*日生まれ)の独身男性であり(甲1),平成14年4月分から同年11月分までの8か月分の給与及び賞与の合計は176万3393円(甲4の1〜9)であり,年収は264万5089円(1円未満は切り捨てる。以下同じ。)であったから,就労可能な67歳まで40年分の逸失利益は,生命費割合として5割を控除し,中間利息としてライプニッツ係数による控除をして計算すると,次のとおり,2269万3541円となる。
264万5089円×(1−0.5)×17.1590=2269万3541円」
(5) 原判決9頁9行目冒頭から同22行目末尾までを次のとおり改める。
「 そこで,上記支払済みの2300万円のうち,上記①で認定した本件の損害額5219万3541円に充当されるべき金額は,前記B及びCに対する弁護士費用を除いた損害賠償元金部分6484万9200円で按分すると,次のとおり,1851万1430円となる。
2300万円×5219万3541円/6484万9200円=1851万1430円
したがって,上記①の損害額合計5219万3541円からこの按分による充当額1851万1430円を控除すると,残額は3368万2111円となり,被控訴人らの相続分に応じてそれぞれ2分の1ずつに分配すると1684万1055円となる。
③ 履行猶予の抗弁について
労災保険法64条1項1号は,遺族補償年金の受給権者が,同一の事由について使用者から損害賠償を受けることができる場合は,使用者は前払一時金の最高限度額の法定利率による現価の限度で損害賠償の履行をしないことができるとして履行猶予の制度を定めている。
春日部労働基準監督署に対する調査嘱託の結果によれば,Aの死亡による遺族補償年金の受給権者は被控訴人X1であること,給付基礎日額は7682円であることが認められ,本件の労働災害はBらの犯行によるものであり,控訴人らの安全配慮義務違反に基づいて発生した事故であるから,労働災害は同一であり,被控訴人X1はこれにより財産的給付(被害者の逸失利益)を内容とする遺族補償年金の受給権を取得したものといえるところ,控訴人らの被控訴人X1に対する損害賠償債務には上記のとおり逸失利益を内容とする財産的損害の賠償が含まれているから,この限りでは補償の対象である損害の種類も同一であるといえる。
そして,遺族補償年金の前払一時金の最高限度額は,給付基礎日額の1000日分に相当する額であるから(労災保険法60条2項),本件における遺族補償年金の前払一時金の最高限度額は768万2000円となる。
履行猶予額は,前払一時金最高限度額から,当該履行猶予額につき損害発生時から前払一時金を受ける時までの法定利率により計算される額を控除して得られるが,遺族補償年金前払一時金の請求は遺族補償年金の請求と同時に行うことができ,請求があれば速やかに支給決定がされるものであるから,本件のように権利行使期間の制限によって遺族補償年金前払一時金の請求ができなくなったような場合には,これを差し引くべきでない。したがって,控訴人らの被控訴人X1に対する労災保険法第64条1項1号に基づく履行猶予額は768万2000円というべきである(なお,上記回答書によれば,本件においては,被控訴人X1は,遺族補償年金の支給決定があった日の翌日から起算して1年を経過する日までの間に遺族補償年金前払一時金の請求をしていないので遺族補償年金前払一時金の請求をすることはできない(労働者災害補償保険法施行規則附則33項において準用する同附則26項)が,このような権利行使期間の制限によって前払一時金給付を請求することができないだけであるときは,その時点では一時金による即時一括補てんの機会が与えられていたのであるから,労災保険法64条1項1号の前払一時金給付を請求することができる場合に該当するというべきである。)。
被控訴人X1の請求しうる逸失利益の額は,前記①アの2269万3541円の2分の1である1134万6770円であり,上記②の按分による充当額を控除した残額は1684万1055円であって,いずれも上記履行猶予額768万2000円を上回っているから,上記1684万1055円から上記768万2000円を控除すると,残額は915万9055円となる。
なお,被控訴人らは,控訴人らによる履行猶予の抗弁を主張するのは,時機に後れた防御方法であると主張するが,原審においても労災保険法に基づく給付についての主張はされており,被控訴人らから年金・一時金支給決定通知(甲19)も提出されており,当審における調査嘱託の申出状況等に照らし,時機に後れた防御方法とまでいうことはできないものであるから,上記主張は採用しない。
④ 弁護士費用
本件事案の内容,訴訟活動の状況,認容額,その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すると,本件において控訴人らの行為と相当因果関係のある弁護士費用は,被控訴人X1については91万円,被控訴人X2については168万円をもって相当と認める。
⑤ まとめ
よって,控訴人らは,連帯して,被控訴人X1に対しては1006万9055円及び被控訴人X2に対しては1852万1055円並びにこれらに対する各訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成16年2月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払義務がある(債務不履行に基づく損害賠償債務は期限の定めのない債務であり,民法412条3項によりその債務者は債権者からの履行の請求を受けた時にはじめて遅滞に陥るものというべきである(昭和55年判決参照)ところ,本件においては訴状送達の日の翌日から遅延損害金が起算されることになる。)。」
2 よって,控訴人らの各控訴はいずれも理由がないから,これを棄却することとし,被控訴人らの附帯控訴は本判決主文第2項の(1)及び(2)記載の限度で理由があり,これと異なる原判決は相当でないから,原判決を変更することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・宮﨑公男,裁判官・上原裕之,裁判官・今泉秀和)