大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成17年(ネ)5613号 判決 2006年3月22日

控訴人

甲野太郎

同訴訟代理人弁護士

髙橋孝志

被控訴人

エイアイジー・スター生命保険株式会社

同代表者代表取締役

トーマス・バークハード

同訴訟代理人弁護士

岸上茂

春田博

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は,控訴人の負担とする。

理由

第1  当事者の求める裁判

1  控訴人

(1)  原判決を取り消す。

(2)被控訴人は,控訴人に対し,原判決別紙生命保険目録記載の保険契約について,保険契約者を訴外株式会社リスク・マネジメント研究所(東京都江東区ab丁目c番d-e号所在)に,保険金受取人を同会社に各変更する旨の書換え手続きをせよ(控訴人は,当審において,請求の趣旨を,従前の「被控訴人は,控訴人に対し,控訴人の原判決別紙生命保険目録記載の保険契約者及び受取人を,訴外株式会社リスク・マネジメント研究所(東京都江東区ab丁目c番d-e号所在)に変更する旨の平成17年1月6日付け「名義変更請求書」に同意せよ。」から上記請求の趣旨に訂正した。)。

(3)  訴訟費用は,1,2審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文同旨

第2  事案の概要

事案の概要は,次のとおり付け加えるほか,原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」記載のとおりであり,証拠関係は,本件記録中の証拠目録記載のとおりであるから,これらを引用する。

1  原判決2頁3行目の「原告が,」から4行目末尾までを「控訴人が,被控訴人に対し,上記保険契約の保険契約者及び受取人をそれぞれ同契約者の地位の譲受人に変更する旨の書換え手続きを請求した事案である。」に,3頁8行目の冒頭から9行目の末尾までを「被保険者の同意があり,かつ,公序良俗に反しない場合に限る。2親等内の親族がいるにもかかわらず,第三者が新契約者になるような場合等,変更内容に不自然なところがある場合は,同意を求める者に対し,事情報告を求めることがある。」に,13行目の「同意をしない。」を「同意をしない場合もある。」にそれぞれ改め,10頁25行目の次に行を改め,次のとおり加える。

「4 争点

(1)  本件約款の解釈(本件約款は,保険契約者がその地位を譲渡した場合,その同意を拒否すべき正当な事由がない限り,保険者である被控訴人がこれに同意すべきことを規定したものか。)

(2)  仮に,本件約款が上記趣旨の規定であると解される場合,被控訴人には本件同意を拒否することができる正当な利益があるか。

仮に,本件約款がそのように解されず,被控訴人に原則として同意を拒否する自由があるとしても,被控訴人の本件同意の拒否は権利濫用又は信義則違反か。」

2  控訴人の当審における補足的主張

(1)  被控訴人に本件保険契約の地位の譲渡について同意する自由があるとしても,①被控訴人が本件について同意を拒否すれば,控訴人に甚大な不利益を及ぼす反面,被控訴人にとっては格別不利益はなく,逆に莫大な死差益(当初予定した保険金の支払を免れることにより取得する利益)を被控訴人に取得させることになること。②被控訴人は,譲受人の人柄(生保業の経営実態を知り得る専門の法人であることから,平凡な一般市民の保険契約者より扱いにくい。)を問題にしていることは明らかなところ,このようなことは,控訴人の悲痛なまでの窮状と比べて極小の利益にすぎず,社会的妥当性を欠くことからすれば,被控訴人の同意,不同意の裁量権は収歛され,被控訴人には同意すべき義務がある。

(2)  次の諸事情に照らせば,本件同意の拒否は信義則に反する。

ア 本件約款は,他の「…できます」の条項と同様に,特別な法的能力のない控訴人のような者にとっては,拒否事由の例示がなければ余程の事情がない限り同意されると理解するのが通常である。

イ 被控訴人にとっては,保険契約上の地位の譲渡ができれば解約金の32倍ないし60倍以上を取得でき,したがって,その譲渡の可否が重大事項であること,他方,被控訴人は,約款を策定し,上記アのような誤解を容易に回避できる措置が講じられる高度の能力を有する金融専門会社であることからすれば,約款において保険契約上の地位の譲渡について同意又は同意を拒否する場合を具体的に明記すべきであるのに,被控訴人はこれを怠った。

ウ 被控訴人は,控訴人が本件保険契約を締結してから10年後に,密かに本件内規を作成し,それを本件に遡及適用したものであり,法の基本原則である遡及禁止に反する不当な取扱いである。

第3  当裁判所の判断

当裁判所も,控訴人の本件請求は理由がないものと考えるが,その理由は,次のとおり付け加えるほか,原判決「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」記載のとおりであるから,これを引用する。

1  原判決12頁13行目末尾の次に「また,本件死亡保険金請求権を担保として控訴人が金銭を借り入れる方法については,分割返済としても控訴人は利息を含めた金員の返済を行うことができる収入及び資産状況にはない(甲7,10)。」を,15頁2行目の「問題が生じたため,」の次に「保険業界の積極的な対応と保険買取業界の自主規制が呼びかけられていると同時に,」をそれぞれ加え,17頁19行目から20行目にかけての「解約返戻金は約28万円にしかならない。」を「解約返戻金は約28万円にしかならず,また,本件死亡保険金請求権を担保に融資を受けることも困難である。」に改める。

2  原判決18頁13行目冒頭から20頁13行目末尾までを次のとおり改める。

「ウ 以上の諸事情とりわけ,控訴人が現在置かれている窮状に照らせば,控訴人が本件保険契約上の地位の譲渡を被控訴人に対して求める理由は理解できなくもなく,またその必要性は高いということができる。

しかしながら,上記2(1)において説示したとおり,被控訴人には上記譲渡についての同意を原則として拒否することができるのであり,その形式的理由は契約の性質から導かれるものではあるが,本件事案に鑑みれば,一般的に生命保険契約における保険契約者の地位が売買取引の対象となることによる不正の危険の増大や社会一般の生命保険制度に対する信頼の毀損が実質的な理由として存在する。

すなわち,米国においても,健康状態の優れない被保険者の生命保険ほど買取会社や投資家にとって魅力的な投資対象となるのに対し,買取会社の交渉相手たる被保険者は,気力,体力ともに衰弱した病人である場合が多く,当事者間の交渉能力に当初から格段の差が存すること,生命保険契約譲渡の対価の合理性を判定すべき客観的基準が存在しないため,生命保険契約の譲渡を自由放任とすれば,買取会社が,窮乏した契約者,高齢者,判断能力の不十分な者,死期が迫った者等から不当に廉価で生命保険契約を買い取る等の暴利行為を招きやすいこと(我が国における利息制限法3条や貸金業の規制等に関する法律14条1号等が利息と同視すべきみなし利息について厳格に規制している趣旨を逸脱しかねないことになる。なお,本件事案においては,本件保険契約の譲受人とされているリスク・マネジメントは,最少額でも約1100万円の利益を取得することが売買契約上予定されている。),詐欺的取引や暴力団の資金源とされる等の危険性が危倶されること,米国でも生命保険買取業界は未成熟で競争が少なく,監督機関の監視が行き届かず,ディスクロージャーもほとんどされていない上に,その代理店も未だ十分に教育や訓練を受けておらず,買取会社の買取資金の出所もほとんど知られていないこと(米国の生命保険買取業界の実態の報道については乙6)等の事情が指摘されている。そして,これらを理由として,生命保険買取事業に反対する考えも表明されており,また,米国フロリダ州では,買取会社について認可制を採用し,認可を受けていない業者については,生命保険の売買を認めていない。

我が国においては,生命保険買取事業を規制する法令は存在せず,生命保険を業とする生命保険会社は,生命保険契約締結の前提として,保険契約者,被保険者,保険金受取人の間に生命保険を必要とする相当の関係があることを認めているのに加え,生命保険契約における保険契約者の地位が売買取引の対象となることは,場合によっては人命が売買の対象となることに等しい事態もあり得るのであり,ひいては社会一般の生命保険制度に寄せる信頼を損ねる結果になると考え,いずれも,生命保険契約における保険契約者の地位の売買に対しては,内規に定める一定の要件が充足されなければ原則として同意をしないという取扱いをしているものと窺われる。そして,死期が切迫した余命6箇月以内の被保険者の場合についてのみリビングニーズ特約の対象として,それに該当する場合には死亡前の保険金の支払に応じている。また,簡易保険の保険契約者の任意承継については,被保険者の同意は必要とされるが,保険者の同意は必要とされていない(簡易生命保険法57条)。しかし,この点は,保険金額が民間の生命保険の場合よりも少なく,上限も設定されていて(同法20条),モラルリスクや公序良俗に反する場合が少ないからであるとみられる(乙9)。

以上によれば,被控訴人は,控訴人からの本件保険契約上の地位の譲渡についての同意の求めに対し,単に本件個別事情に限定されずに同意を必要とする実質的理由とされるこれらの一般的事情に照らし,上記同意を拒否することができるというべきであり,したがって,被控訴人による本件同意の拒否は,権利濫用又は信義則違反に該当するとはいえない。

もっとも,このように解したときは,控訴人の現在の窮状は解消されないおそれが高いことになるが,それだからといって,現時点において被控訴人が上記同意を拒否したことが権利濫用又は信義則違反に当たるとはいえないというべきである。この点については,上記のとおり個別事案による解決は困難であるというほかはない。生命保険契約の被保険者の死期が切迫したとまではいえないものの,重篤な疾病のために死の危険があり,その治療費や生活費等の捻出に困難をきたしており,そのために当該生命保険契約を使用するしか方途がない場合について,今後いかなる救済を図るべきか,同生命保険契約の買取の効力を認めるためには,生命保険買取業者の規制をも含めて法令によるべきか,その場合の要件はどうすべきか,保険業界の自主的規制に委ねるとした場合は,今後本件のような事案をも踏まえて,保険業界として保険契約の譲渡の同意の可否の規準について更なる検討が必要となろうが,いかなる具体的な規準を設定するのが相当か等についての慎重な検討が必要であると考える。そして,このような議論が未だ熟しているとはいえない現段階において,主として控訴人の個別の事情を重視し過ぎる余り,被控訴人の上記同意の拒否を否定することはできないというべきである。」

3  控訴人の上記補足的主張に対する判断

(1)  (1)(裁量権の収歛)について

控訴人は,本件においては被控訴人の裁量権は収歛されると主張し,なるほど,控訴人が保険期間を超えて生存することを前提とすれば,被控訴人が本件について同意を拒否することにより控訴人に莫大な不利益をもたらす反面,被控訴人にとり金銭面では格別の不利益はない(なお,死差益の有無については,同意の有無を問わず,変わらない。)。しかしながら,上記のとおり,被控訴人が本件について同意するかどうかは,本件事案の個別事情のみに係るものではなく,本件のような保険契約の売買を承認することが一般にもたらすであろう弊害や社会的信用の毀損等を斟酌することができるのであるから,主として本件の個別的事情から被控訴人の裁量権は収歛されるとする控訴人の主張は理由がなく採用することはできない。

(2)  (2)(信義則違反)について

控訴人は,本件保険契約上の地位の譲渡ができるかどうかは重大な関心事項であり,また,本件約款についての素人解釈では同譲渡についての同意が得られると解釈するのが当然であるから,金融専門家である被控訴人としては,同意の可否についての具体的基準を本件保険契約締結に当たって明記すべきところ,これを怠ったことや,同契約締結後に策定した内規を本件に適用しているが,それは遡及禁止の法原則に違反することを理由として,被控訴人の本件同意の拒否は信義則に反すると主張する。

しかしながら,保険契約の売買は法令又は特約の存在しない限り,被控訴人の同意がなければ効力を生じないのは契約の性質上当然である上,同売買が可能かどうかという点は,保険契約の基本的事項を構成するものとはいえないから,本件約款の文言以上に同売買について被控訴人が同意する場合又は同意を拒否する場合を同契約締結の際に明記しなければならないとする合理的理由はない。また,内規を遡及的に適用するのは不当であるとの点については,仮にその適用がないとした場合は,被控訴人は,内規のような比較的明確な基準がなくても上記同意を拒否することができるのであるから,そのような場合に同意の可否を決する時点において既に存在している内規を適用して本件同意を拒否したとしても,あえて不当であるとはいえない。

してみれば,信義則違反をいう控訴人の主張は理由がなく採用することはできない。

第4  結論

よって,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・南敏文,裁判官・佐藤公美,裁判官・堀内明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例