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東京高等裁判所 平成18年(ネ)2685号 判決 2007年3月28日

《住所省略》

控訴人・被控訴人(一審原告)

A野太郎(以下「控訴人A野」という。)

他1名

上記二名訴訟代理人弁護士

大木一俊

若狭昌稔

田名部哲史

《住所省略》

控訴人(一審被告)

栃木県

代表者知事

福田富一

訴訟代理人弁護士

谷田容一

船田録平

指定代理人

赤坂浩

他1名

《住所省略》

被控訴人(一審被告)

B山梅夫(以下「被控訴人梅夫」という。)

他1名

上記二名訴訟代理人弁護士

松村太郎

寺井勇人

主文

一  控訴人A野及び控訴人A田の本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴人栃木県の控訴に基づき、原判決主文第二項及び第五項を次のとおり変更する。

(1)  控訴人栃木県は、控訴人A野に対して八二五万円、控訴人A田に対して二七五万円及びこれらに対する平成一一年一二月二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  控訴人A野及び控訴人A田の控訴人栃木県に対するその余の請求を棄却する。

三  被控訴人梅夫及び被控訴人春子に対する各請求に関する控訴費用は、控訴人A野及び控訴人A田の負担とし、控訴人栃木県に対する各請求に関する訴訟費用は、第一、二審とも、これを一〇分し、その九を控訴人A野及び控訴人A田の負担とし、その余を控訴人栃木県の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  控訴人A野及び控訴人A田

(1)  原判決中控訴人A野及び控訴人A田の被控訴人梅夫及び被控訴人春子(以下「被控訴人B山ら」という。)に対する各請求に係る部分を取り消す。

(2)  被控訴人B山らは、連帯して、控訴人A野に対し八四五三万〇四四六円、控訴人A田に対し二八一七万六八一五円及びこれらに対する平成一一年一二月二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(3)  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人B山らの負担とする。

(4)  仮執行宣言

二  控訴人栃木県

(1)  原判決中控訴人栃木県敗訴部分を取り消す。

(2)  上記取消部分に係る控訴人A野及び控訴人A田の請求をいずれも棄却する。

(3)  訴訟費用は、第一、二審とも控訴人A野及び控訴人A田の負担とする。

第二事案の概要

本件は、一審被告B山竹夫(以下「竹夫」という。)、一審被告C川夏夫(以下「C川」という。)及び一審分離前相被告D原冬夫(以下「D原」といい、これらの三名を「加害者ら」という。)が、A野松夫(以下「松夫」という。)を約二か月にわたり拘束し、同人から金員を強取し、同人に対して暴行を加えて傷害を負わせた上で、殺害するに至った一連の行為について、松夫の遺族である控訴人A野及び控訴人A田が、①竹夫及びC川に対して、上記一連の行為に係る不法行為に基づく損害賠償責任、②竹夫の両親である被控訴人B山らに対して、竹夫に対する適切な監督を怠った過失により松夫を死亡させたことについての不法行為責任に基づく損害賠償責任、③控訴人栃木県に対して、加害者らによって松夫の生命等が危険にさらされていることを栃木県警警察官が十分認識し、又は認識し得たにもかかわらず、捜査権限を適切に行使せずに、松夫を死亡に至らせたこと(予備的に警察による保護に対する期待権の侵害)についての国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任がそれぞれあると主張し、損害賠償を請求した事案である。

控訴人A野及び控訴人A田は、竹夫、C川、被控訴人B山ら及び控訴人栃木県に対して、松夫の死亡による損害(死亡による逸失利益、慰謝料、葬儀費用等及びこれらに対応する弁護士費用)として、控訴人A野へ八五一三万八五一八円、控訴人A田へ二八三七万九五〇六円及びこれらに対する松夫の死亡日である平成一一年一二月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うよう請求し、また、竹夫、C川、被控訴人B山らに対して、松夫の生前の損害(金員強取による損害、監禁による逸失利益並びに傷害、監禁及び恐喝等の行為に係る慰謝料)として、控訴人A野へ三〇〇〇万九六七二円、控訴人A田へ一〇〇〇万三二二四円及びこれらに対する松夫の死亡日である平成一一年一二月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うよう請求した。

原審は、上記各請求につき、(1)竹夫及びC川に対する各請求の一部を認容し、(2)控訴人栃木県に対する請求を控訴人A野について七二二四万八九二六円、控訴人A田について二四〇八万二九七五円及びこれらに対する平成一一年一二月二日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を認める限度において認容し、(3)被控訴人B山らに対する各請求をいずれも棄却した。

これに対して、控訴人A野及び控訴人A田が原判決の上記(3)について控訴し(控訴の趣旨のとおり請求を減縮。)、控訴人栃木県が上記(2)について控訴した。

二 前提事実、争点及び当事者の主張は、原判決七頁一五行目の「一一月三〇日に」から一六行目の「出たことから、」までを削除するほか、原判決の「事実及び理由」第二の一及び二に摘示されたとおりであるから、これを引用する。

第三当裁判所の判断

一  本件事件は、加害者らによる残虐非道な行為により松夫が死亡した事件であり、死亡の結果のみならず、それに至る過程においても、許し難いものであり、松夫の遺族がやり場のない感情を整理することにすら多大な精神的被害を被ったことは十分に理解することができるが、加害者である竹夫に対する請求のほかに、本件事件に対するその両親の監督責任を法的に問うことまではできないと判断した。また、控訴人栃木県における警察権の行使の違法については、栃木県警警察官に過失があったと認めることはできるものの、当該過失と松夫の死亡を回避できなかったこととの間の相当因果関係を認めるには足りず、松夫の死亡を回避し得た可能性を侵害された限度において損害を認めることができるものと判断した。

その理由は、以下のとおりである。

二  事実経過

前記の前提事実に《証拠省略》を総合すると、本件事実経過として、以下の事実を認めることができる。なお、以下は、すべて平成一一年中の事実であり、栃木県警に関する部分は、これを明らかにするため、アンダーラインを付した。

(1)  九月二九日ころから一一月一日ころまでの加害者ら及び松夫の行動等

ア 加害者らは、九月ころからは、三人で一緒に行動していた。加害者らの中では竹夫がリーダー格であり、松夫から強取した金員は同人が管理し、加害者らの行動を決定していた。

竹夫は、C川及びD原に消費者金融会社から借金をさせて、自己の生活費や三人の遊興費として使っていたが、さらに、C川に金を引き出す相手を探すよう要求し、C川は勤務先の同僚である松夫に目を付けた。

九月二九日、C川は、松夫を電話で呼び出した。加害者らは、暴力団員の車と交通事故を起こし、暴力団員から金員を要求されているなどとうそを言って松夫に借金を申し入れ、これを信じた松夫から、預金七万円を払い戻させて、これを騙し取った。その後、怯えて抵抗できない松夫に対し、同人の頭髪をカミソリ等で剃り上げ、無理矢理スキンヘッドにするなどし、そのまま松夫を帰さず、車中に泊まらせた。

九月三〇日、加害者らは、松夫に消費者金融会社二社から一五万円宛合計三〇万円の借金をさせたうえ、これを取り上げた。

松夫は、以後、一〇月五日から八日までの間、一時的に勤務先の日産自動車株式会社(以下「日産自動車」という。)A工場に出勤したものの、その後は加害者らから、出社を止められ、殺害されるまでの約二か月間にわたり、加害者らの監視下に置かれ連れ回された。松夫は、その間、加害者らからの暴行、威迫により精神的に逃走する気力を喪失した状態となっていたため、加害者らと一緒に飛行機やバスの交通機関を利用したり、銀行に赴いたり、加害者の一人のみと外出するなどの機会においても、逃走をはかったり、加害者らからの被害を訴えて助けを求めたりすることはなかった。

加害者らは、松夫から強取した金員を使って、松夫を伴い、一〇月一五日から一八日まで、飛行機を使って北海道に旅行をした。

イ 九月三〇日、加害者らは、松夫に、携帯電話で、職場の同僚であるE田一郎(以下「E田」という。)を宇都宮市内の書店まで呼び出させた上、同人に対し、ヤクザの車と物損事故を起こしたので、今日中に一〇〇万円支払わないといけないなどと虚偽の事実を告げさせて金員を無心させ、加害者らからも松夫に貸すよう言い添えるなどして、E田から金員を借りさせた。

E田は、松夫の話に疑念を抱きつつも、竹夫の脅迫的な言辞や、加害者らと共に竹夫の車に乗せられ、ドアをロックされて逃げられない状態にされていたことなどから、暴力をふるわれるかもしれないと恐怖を感じ、金員を貸すことに同意した。E田には手持ちの金員がなかったため、加害者らは、E田を消費者金融会社に連れて行き、無人契約機を通じて二〇万円の借入れをさせた。

E田は、松夫が、スキンヘッドで、まゆも剃った状態になっており、生気のない暗い表情をしていることに気付いた。

ウ 一〇月二日、加害者らは、松夫に、携帯電話で、日産自動車の先輩であるC野六夫(以下「C野」という。)に対し、友達が運転していた車がいかがわしい者と物損事故を起こして金が必要となった等と虚偽の事実を告げさせて、C野を栃木県下都賀郡壬生町の病院の駐車場に呼び出させ、同人から金員を借りさせた。

C野は、松夫との電話のやりとりの状況や、C野が良い印象を持っていなかったD原がいきなり電話に出て名乗るなどしたことから、不審を抱きながらも待ち合わせ場所に赴き、松夫がスキンヘッドになって眉毛が剃られている異様な様子であることなどから、事故の話自体に疑念を抱いたが、松夫に二万円を手渡した。C野は、D原から、更に消費者金融会社からの借入れを求められたが、これを拒否した。

エ 一〇月六日、加害者らは、松夫に、携帯電話で、勤務先の同僚であるB野四郎(以下「B野」という。)を日産自動車上三川工場近くのコンビニエンスストアに呼び出させた上、同人に対し、ヤクザの車と物損事故を起こしたので、五〇〇万円要求され、坊主にしたら一〇〇万円で許してやるなどと言われたなどと虚偽の事実を告げさせて金員を無心させ、竹夫においても「俺も貸している、貸してやれよ」などと言い添えて、B野から金員を借りさせた。

B野は、加害者らの風体や、スキンヘッドにしていた松夫の様子に違和感を感じながらも、それ以前にE田から同じように二〇万円を貸したという話を聞いていたこともあって、本当に松夫がヤクザから金員を要求されて困っているかもしれないと思い、真岡市内の消費者金融会社の無人契約機から二〇万円を借りて松夫に貸した。松夫は、B野に対して、後日借用書を作成する旨を約束した。

オ 一〇月一四日、加害者らは、松夫に、携帯電話で松夫の日産自動車の先輩であるD野十郎(以下「D野」という。)を宇都宮市内の書店まで呼び出させた上、同人に対し、友人であるヤクザの息子から借りた車を運転中、電柱と民家の塀にぶつかって物損事故を起こし、友人が自分で修理代を出したが、その友人は明日から旅行に行くので、今日中に支払わないといけないなどと虚偽の事実を告げさせて、金員を無心させた。

D野は、松夫が告げた内容を信じ、近くの消費者金融会社の無人契約機から三〇万円を借り出し、松夫に交付した。

さらに、竹夫が「B田七夫」と偽名を名乗りながら上記友人の役を演じて、D野の面前において、松夫に対し、車をぶつけて壊した民家の塀の修理代八〇万円を立て替えたので払うよう要求し、これを受けて、松夫がD野に対して更に金員を無心し、竹夫も「おまえのせいで金なしで旅行に行ってもつまらない。」「金がねえなら借りるようにD野さんに頼めよ。」などと松夫に対して怒鳴るなどし、さらに、松夫がその場に土下座までして懇願するなどしたため、D野は、松夫を哀れに感じて更に金員を貸すことにし、新たな消費者金融会社に赴いて五〇万円を借りて松夫に貸し、その後も更に芝居を続けさせられた松夫から無心されて、更に二〇万円を借り入れて松夫に貸した。松夫は、D野に借用書を差し入れた。

松夫の顔は、顔全体が腫れ上がっており、スキンヘッドでまゆもそり上げられた状態であった。D野が、顔のことを尋ねると、松夫は「飲みに行った帰りに酔っぱらいとけんかした。」などと答えた。

竹夫は、同月一五日にもD野に電話をかけ、更に金員を巻き上げようとしたが、D野はこれに応じず、同日までに日産自動車の上司に松夫に計一〇〇万円を貸すに至った経緯を報告した。

カ 一〇月二五日、加害者らは、松夫に、携帯電話で、返金すると申し述べさせて、E田を宇都宮市内の書店まで呼び出させた。E田は、松夫と行動を共にしているであろう加害者らのことを想起して、B野と相談した上で、二人で同所に赴いた。

松夫からの金員の無心をE田、B野共に一度は断った。しかし、B野は、加害者らから取り囲まれる形になり、松夫が、C川から「おまえがきちんと頼まないので貸してくれないんだ。」などと言われて頭を平手で叩かれ、土下座するなどして引き続き金員を無心し、加害者らからも「貸してやれよ。」などと言われるうち、松夫は顔が腫れ上がるなどけがをしていたことから、自分も暴力をふるわれかねないとのおそれから、貸すことに同意し、現金自動預払機から一〇万円の自己の預金を下ろして松夫に貸した。松夫は、B野に借用書を差し入れた。

松夫は、つばのない帽子を深めにかぶっていたが、顔全体が腫れ上がっており、寒くもないのに右手には軍手のような白い手袋をはめており、目はどろんとして生気のない状態であった。

(2)  一〇月から一一月一日までの松夫両親と日産自動車関係者の行動等

ア 一〇月四日、松夫の両親の控訴人A野及び亡A野花子(以下「亡花子」といい、控訴人A野とあわせて「松夫両親」という。)は、松夫の日産自動車における直接の上司であるE川八夫(以下「E川」という。)から、松夫がうそをついて欠勤している旨の連絡を受け、初めて本件事件にかかわる事実を認識した。

松夫は、一〇月五日、日産自動車に出勤した際には、頭はスキンヘッドになっており、まゆも剃られていて、顔にはいわゆるアオタンができ、血が何か所か小さく付いていてけがをした状態であった。E川が、スキンヘッドにした理由、けがの原因及び欠勤した理由などを尋ねると、松夫は、頭についてはごまかし、傷跡については、転んだと言い訳をし、C川と一緒にいたことについては明らかにしたが、その他の欠勤の経緯等についてはうそを述べた。そして、同月一二日以降、松夫の欠勤が続いた上、松夫が日産自動車の同僚やC野等の先輩数名に金員を貸してほしいと申し入れ、実際にD野が一〇〇万円を消費者金融会社から借りて貸したことなどが判明したことなどから、E川が、亡花子に電話で連絡した上、同月一八日、亡花子を日産自動車に呼び出して(控訴人A野は支障があって同行できなかった。)、松夫がスキンヘッドになり眉毛を剃り落とした状態で出社していたことや松夫がうそをついて欠勤していると判断したこと等の日産自動車による事情調査の結果を知らせ、D野を紹介し、松夫が事件に巻き込まれているように感じるとして警察に家出人捜索願を出すよう勧めた。

なお、日産自動車は、松夫を出勤状況が不良で数回にわたり注意を受けても改めず、他の従業員に借金を申し込んで消費者金融会社から借金をさせる等の同社にとって好ましくない影響を及ぼす行為を継続している従業員として問題視しており、警察に対して、暴行や恐喝等の被害者として松夫の救済を求めることはなかった(丙四の一ないし四の文書には、松夫がうそをついているとする上司の判断が記載されている一方で、松夫に対する暴行、恐喝の事実が記載されていないこと、一〇月二九日の時点でも松夫を従業員から金員を喝取したりする「四人組」の一員とみていること、また、松夫を、最終的に一一月二四日付けで出勤状況の不良を理由として諭旨退職扱いとしていることから推認することができる。)。

イ 一〇月一八日、亡花子は、E川と日産自動車の部付で警察官のOBであるE野一男(以下「E野部付」という。)に同伴されて、同月一八日、石橋警察署を訪れた。D野から事情聴取した際に、同人の説明に、ヤクザに関係する内容があったため、E野部付の手配により、最初に暴力団の関わる事件を担当する刑事課のA原係長に相談を受けることとなり、松夫がヤクザのような人の車を借りて壊してしまい金員を要求されている旨、また、松夫が欠勤し、寮にも自宅にも戻らない旨の相談をした。これに対して、同係長は、松夫から事実関係の確認ができておらず、車を借りた事実や車を損傷した事実、金員の要求の事実とその相手方を確認できない状況にあることを踏まえ、事案の進展によっては恐喝事件とも認められるが現時点では暴力団の関わる事件として確定できないと判断し、今後の推移を見ることとし、亡花子にトラブルが発生した場合は即時に申告するよう指導した。そして、相談は、同署生活安全課に引き継がれ、同課のC林四夫主任(以下「C林主任」という。)が担当して、E川が持参した日産自動車の社内で作成した松夫の欠勤状況についての調査資料(丙四の一ないし四)の提出を受けた上で、亡花子及びE川から事情を聴取し、D野に来署を求めて同人からも事情聴取を行い、亡花子からの家出人捜索願の届出を受理した。

C林主任は、相談の内容から、松夫と一緒にいた「B田」なる人物がD野に対し更に金員を借りようと考えて電話をかけている節があり、D野が貸すのを渋った場合、恐喝等の犯罪に及ぶ可能性も考慮し、D野から事情聴取を行い、「B田」が、ヤクザっぽい口調で話す怖い男で、D野が金員を貸した後もD野の携帯電話に何度か電話をしてきていることや、D野の携帯電話の着信履歴から「B田」が使用していた携帯電話番号を聞き知った。

C林主任は、上記調査資料及び事情聴取において聴取した、前日松夫から亡花子に連絡があり、松夫が「おみやげを送った、だからそんでよかんべ。」と言って電話を切ったことなどの事実を総合した上で、松夫が恐喝の被害を受けている可能性は低く、「B田」らと一緒に同僚から借金して遊び回っているだけであり、親とも連絡があり通常の家出人とも異なっているという判断をした。そして、上司のA本二夫課長(以下「A本課長」という。)の判断を求めた上で、家出人捜索願受理票の家出人の原因動機欄に「借金苦」「遊び癖」と記載した。

ウ C林主任は、前記D野からの事情聴取結果に基づき、更に電話会社に対する携帯電話の所有者に関する調査等を行い、一〇月一九日までに、「B田」使用の携帯電話の契約者が被控訴人春子であって、電話料金の請求書が竹夫あてに送付されていること、竹夫が現職の警察官であった被控訴人梅夫の次男であり、恐喝罪による逮捕歴を含む非行歴を有していること等を確認した。そして、竹夫の写真を入手してD野に再度来署を求めていわゆる面割り捜査を行ったところ、D野は示された写真の中から、竹夫の写真を選んで「B田」に似ている旨指摘した。

エ 一〇月一九日、松夫両親は、松夫を早期に探し出してほしいという希望を伝えるため、石橋警察署を訪れ、C林主任に面会した。松夫両親は、C林主任に対して、松夫が他人から一〇〇万円も借金することは想像できず、数人の男たちが松夫の周りにいるので、松夫が何らかの犯罪に巻き込まれているのではないかなどと訴え、また、松夫が前日亡花子との電話の中で、家出人捜索願の取下げを要求していたことを述べ、松夫が帰ってこないうちは、松夫から警察に要求があっても、家出人捜索願の取下げの取扱いをしないよう依頼した(控訴人A野の供述(甲八四、本人尋問)中、松夫からの上記要求があったこと及び上記依頼をしたことを否定する部分は、甲四五(控訴人A野の本人尋問における供述によれば、本件事件に対する栃木県警の権限不行使がマスコミにおいて批判されるより前の時点において作成されたものと認められる。)、丙一七及び丙一九に照らし、採用できない。)。C林主任は、家出人捜索願の提出の効果としては、今後、職務質問、交通違反や事件事故などで松夫の居所が判明することがあり得ることを説明し、松夫が借金をして他の仲間と遊んでいるのではないかとする事案への見解を述べた。

その後、午後二時一九分に松夫から同警察署に電話があり、応対したC林主任に対し、松夫は、自分は家出人ではないので家出人捜索願を取り下げるよう強い口調で要求したが、C林主任は、これを拒んだ(丙一七、一九、証人C林)。

オ 一〇月二一日、控訴人A野は、松夫の携帯電話に電話をして、家に帰るよう説得した際に、他の人間の声を殺した笑い声が聞こえたように感じ、側にC川がいるのかと質問すると、松夫は誰もいないと否定した。しかし、控訴人A野は、その発言の内容に不自然さを感じ、松夫が何者かに監禁されているのではないかとの疑念を抱いた。

カ 一〇月二二日、松夫両親は、石橋警察署を訪れ、先日電話で松夫と話ができたが、電話の周りから変な笑い声が聞こえた旨述べて、松夫の背後に誰かいるようであり、松夫が軟禁か監禁状態にされているのではないかとの懸念を訴え、また、松夫が以前、彼女がいるとか言っていたので、人質にとられたりしたら、松夫も逃げられないのではないかとの発言をした。

これに対し、C林主任は、一九日に松夫と電話で話をした際の印象から松夫は自分の考えで発言していると感じていたことから、控訴人A野の懸念は憶測にすぎないなどと述べ、また、一九歳になっており、携帯電話も持っている松夫が、監禁等されているのであれば、逃げたり助けを求めたりしないことは不合理であるとの意見を述べ、松夫が薬物を使用しているのではないかといった趣旨の発言を行った。

キ 控訴人A野は、一〇月二七日、松夫の同級生ら数人に電話して松夫が借金を申し込んでいないかを確認したところ、松夫の中学校の同級生であったC山五郎(以下「C山」という。)が合計で三一万円を松夫に貸したことや同日松夫がその返却にくる予定であることが分かり、控訴人A野は同日C山宅を訪れた。C山が、逆恨みを恐れて立ち会うことを承諾しなかったため、控訴人A野は、離れた場所で待ち、C山から、松夫がC川と一緒に来たこと、借金の一部の三万円を返済したこと、松夫は右腕に包帯を巻いており、ラーメンを作る際に火傷をしたと説明していたこと等を聞いた。

控訴人A野は、翌二八日、C川の母親であるC川一江(以下「一江」という。)に松夫の居所をC川が知っているはずであるので本人に確認してほしい旨依頼すると共に、日産自動車の人事課にも電話し、松夫がC川と一緒にいることを伝え、一〇月五日以降松夫と会っていないとするC川の発言を信用できるとした社内調査をやり直してほしいと伝えるなどした。

ク 一〇月二八日、日産自動車の人事課は、E田及びB野と面談し、C川が松夫と一緒に行動していることや、同人らが松夫に金員を貸していることを聴取した。これにより、E田及びB野は、松夫が自分たち以外の同僚や友人らから借金をしていることやずっと欠勤していることを知った。控訴人A野は、同日、日産自動車から、社内で再調査をしたところ、C川がうそをついていることが分かり、松夫がD野以外にも社内の同僚二名(E田及びB野)から借金をしていたことも分かった旨の連絡を受けた。

翌二九日、日産自動車人事課は、C川及び一江と面談を行い、松夫のことについてC川に問いただすなどしたが、C川は、松夫の所在を知らないと言い続けた。日産自動車は、一〇月一八日の時点において信用できると判断していたC川の供述についてうその供述であり信用できないとの判断に至り、C川が松夫と行動を共にしていることを認識したものの、松夫が加害者らによって監禁され暴行を受けている被害者の立場にあると認識するまでには至らなかった。そして、松夫が借金をしていた従業員の範囲が更に広範であったこと、この日C川から事情を聴取したことで「四人組」(日産自動車の担当者において、加害者5及び松夫の四人をこのように記述している。)が何らかの行動を起こすおそれがあると考え、これに対処するため、警察に対し、立件が可能であるとの警察の判断が得られれば、E田及びB野が「四人組」により松夫への貸付名目で金員を詐取又は喝取されたとして被害届を提出することにした。また、このころ、E田及びB野は、加害者らが金員を要求して日産自動車の寮まで押しかけて来る事態をおそれて、寮の部屋から引っ越しをした。

ケ 一一月一日、E田及びB野は、日産自動車の上司や同社の警察官OBのE野部付など四名に伴われて、一〇月二五日に松夫に金員を貸すこととなった件について恐喝等による被害届の提出などを念頭に置いて石橋警察署を訪れた。

E田とB野は、石橋警察署警察官のC林主任により、両名が詐欺又は恐喝の被害者として事件を立件できるかどうかの観点から事情を聴取され、C林主任に対して、E田は、九月三〇日に、B野は、一〇月六日と同月二五日に、それぞれ松夫に金員を貸すことになった経緯について説明し、車の中に連れ込まれたこと等、同人らが威迫を受ける状況が存在したことについては説明がされたが、松夫が被害者であるかどうかについて話題が及ぶことはなく、松夫がけがをしていた事実について、E田又はB野が述べたことはあったが、松夫を被害者とする監禁又は暴行行為の存在を示唆するまでの内容ではなく、C林主任は、これを聞いても松夫が監禁又は暴行行為の被害者となっている事実を認識することはなく、E田及びB野についても、同人らの説明した事実関係のみでは、松夫が土下座をして借金を頼んでいたことなどの状況も考慮すると恐喝等の被害に遭ったとは判断できなかった。そして、途中から同席したA本課長が指示したこともあって一〇分程度で事情聴取は打ち切られ、被害届は提出されなかった。この点につき、E田及びB野は、上記機会に、事情聴取に当たった警察官に対して、松夫が負傷していた旨を伝えたと供述するが、採用し難い。同人らが、松夫の負傷を認識したことは真実であると解されるが、松夫が被害者の立場にあるとの趣旨で、この事実を社内で明言していたとすれば、松夫に対する日産自動車の認識も前記と異なるものとなり、松夫が諭旨退職となることもなかったと考えられるうえ、司法警察員に対する供述は、被害届の趣旨に従って聴取される可能性が高く、恐喝被害を離れて松夫の負傷を積極的に申述したとの事情もうかがえないから、E田及びB野が本件犯行期間(九月二九日から一二月二日まで)当時に栃木県警警察官に対して松夫の負傷について申述を行ったとは認め難い。また、松夫殺害に係る刑事事件において、E田、B野らほか松夫の同僚が、捜査機関に対して、松夫に呼び出されて金員を貸した際に、松夫の顔面が明確に脹れ上がっていたとする供述をしているが、上記刑事事件においては、前記の日産自動車による相談や被害届の提出の場面とは異なり、被害者とされるのは松夫であり、同人の被害状況を焦点として事情聴取が行われたものであること、そして、当該事情聴取の時点においては、松夫の殺害について報道され、その影響によって、松夫の負傷状況等同人の被害に係る事実について、記憶が強化されていた可能性があることに照らせば、上記同僚らの供述によって、前記認定が妨げられることはない。

(3)  一一月二日ころから松夫殺害まで

ア 一一月二日、C山の父親が控訴人A野を訪ね、C山が同日、松夫の借金の依頼を断ったこと、その際に松夫が乗ってきた車両の登録番号、松夫のほおにまだ新しい傷があったことなどを伝えた。

イ 一一月三日、控訴人A野は、石橋警察署に電話をかけ、応対に出た生活安全課のD田五夫主任(以下「D田主任」という。)に対し、松夫が乗っていた車両の登録番号を告げて持ち主の調査を依頼すると共に、松夫が中学の同級生のところに借金しに来た際、右腕の肘から先に包帯が巻かれており、右ほおには新しいあざがあったことを伝えた。D田主任は、車両の使用者がD原の父親であることを調べて、その住所と共に控訴人A野に伝えた。D田主任は、松夫が両親と電話連絡が取れているのに助けを求めていないこと、同級生の元に二人で借金に来ているのに逃げもしないし、助けも求めていないことから、上記事実を聞いても、松夫が犯罪の被害に遭っているとは判断しなかった。D田主任は、控訴人A野が松夫の安否を心配している様子であったことから、松夫のけがが誰かに負わされたものであるとすれば、松夫は救いを求めるはずであるから、誰かにけがを負わされた事実はないとの認識を示して安心させようとして、控訴人A野に対し、誰かにけがをさせられたのであれば、金員を借りに来たときなどに救いを求めることができると思う旨を述べた。D田主任は、同日中に、控訴人A野から電話があり自動車の登録番号から所有者を調査して住所を教えた旨、松夫がけがをしているらしい旨をA本課長等に報告したが、同課長も松夫のけがについて犯罪によるものとは認識しなかった。

ウ 松夫両親は、日産自動車から弁護士の紹介を受け、その事務所を訪れて、従前の経過を説明して松夫の救出のための方策について相談をした。弁護士からは、傷害事件や恐喝事件などが考えられるとして、以後の松夫からの金員の振込み要求への対応の仕方や、これまでにまとめたメモを警察官に見せて相談すれば、何らかの調査をしてくれるのではないかといった助言を受けた。

エ 一一月九日、松夫両親は、石橋警察署を訪れて、「A野松夫の動き」及び「松夫の借金」と題する、それまでの本件事件にまつわる経過などを記載した書面(丙八の一及び二)を、松夫の捜索の参考にしてほしい旨述べて、事情を知っている生活安全課所属の警察官が全員不在であったため、同署少年補導嘱託員に手渡して提出した。

上記「A野松夫の動き」には、松夫の負傷の状況については、一〇月二七日の項に、C山からの伝聞として、松夫が同日右腕に包帯を巻いていたこと、一一月二日の項に、C山からの伝聞として、松夫の頬に同日まだ新しい傷があった旨の記載がある。また、松夫の同級生や先輩からの伝聞として、借金の電話を断ると、電話の相手が次々と変わり、相手に脅されたと言っているとの記載がある。

外出から帰署したA本課長は、これを一読した後、同嘱託員に指示して松夫の家出人捜索願と一緒に綴らせた。

オ 一一月二二日、松夫は、加害者らに伴われて東京都千代田区所在の株式会社足利銀行東京支店を訪れ、自己名義の預金三〇万円を払い戻させられた。また、同月二四日、松夫は、C川に伴われて再び同支店を訪れ、店頭窓口で二〇万円の預金を払い戻させられたが、その際、応対した同支店行員が確認したところによれば、松夫はフード付きジャンパーを着ており、店内でもフードをかぶっていたが、顔全体が腫れ上がり、顔の右側や右手の小指側がひどく赤く皮膚がむけており、火傷の跡であると容易に確認できる状態であった。松夫及びC川は、翌二五日にも同支店に訪れ、松夫は自己の預金一四万五〇〇〇円を払い戻させられた。

同支店の次長は、松夫及び加害者らの服装や格好が同支店の一般の顧客と異なるものであったことから、通帳の盗難等を疑い調査を行った結果、払い戻された預金がいずれも払戻日当日に控訴人A野から振り込まれたものであることや、同月二四日に松夫に応対した行員の供述により、松夫が顔や手などに火傷や傷跡があったこと等を把握したため、それ自体を犯罪の結果として地元警察に連絡することはしなかったが、不審を感じ、入金者について調査するために入金先である同銀行黒羽支店に対して連絡を取ったところ、入金者の控訴人A野から同支店に対して、松夫がどこで払戻しを行っているか調べてほしい旨の相談があったことを聞き及び、控訴人A野に連絡を取ってもらうよう同支店に手配した。なお、同月二四日に来店した松夫及びC川の様子は上記東京支店の防犯カメラに撮影されていた。

控訴人A野は、同月二五日、同銀行黒羽支店支店長から連絡を受け、同銀行東京支店で松夫が預金を引き下ろしたこと、松夫が顔に明らかな火傷をしていたこと、後ろに男たちが付いていること、これらが防犯カメラに撮影されていることを聞き、警察から要求があれば撮影した画像を証拠として提出するとの申出を受けた。控訴人A野が同控訴人において上記画像の提出を受けることが可能か確認したところ、警察に対してでないと出せないと言われ、このことを亡花子に伝えた。

カ 一一月二五日夕刻、亡花子は、松夫の安否を心配して、石橋警察署に電話をかけ、控訴人A野が聞いた上記内容を伝えて、防犯カメラの画像の取り寄せと松夫のけがの状況の確認をしてくれるよう依頼したが、電話を受けたD田主任は、別件で令状請求のため小山簡易裁判所に出かける直前であり、電話を受けた後、急いで令状請求に出かけたため、電話があったこと自体を失念し、上司や他の警察官に報告しなかった。

キ 一一月二六日、控訴人A野は、松夫が火傷を負っていると聞いて松夫の安否を強く心配し、松夫を捜すため、松夫と行動を共にしているとみられたD原、C川の親と一堂に会して事情を説明し、協力を求めることとし、D原及びC川の各親に連絡を取り、同月三〇日に会うこととした。

一一月三〇日、松夫両親は、D原の両親のD原三郎及び二江、一江及びC川の伯父と宇都宮市内のファミリーレストランで話合いを持ち、「A野松夫の動き」及び「松夫の借金」と題する書面(丙八の一及び二)を示しながら、松夫が二か月余り行方不明となっており、その間消費者金融会社や友人らから四〇〇万円、五〇〇万円もの多額の金員を借りていること、松夫の身辺にはC川とD原がおり、更にもう一人名前が知れないやくざ風の男が付いていること、東京の銀行で顔に火傷をしていることが確認され、防犯カメラに撮影されていること等を説明の上、どちらでもよいからD原又はC川本人から事情を聞いてもらいたいこと等を訴えた。そして、D原及びC川の親からの発言により、D原とC川が松夫と行動を共にしていること、もう一人の男は、竹夫であると考えられること、竹夫は、度々恐喝事件を起こし、少年院に入所したことがあること等が確認された。

その結果、早速、一緒に警察に行き、子らを捜してもらおうということにした。

ク 一一月三〇日、松夫両親、D原三郎及び一江は、まず、宇都宮東警察署を訪れ、同署で、松夫の家出人捜索願を提出している石橋警察署に行くよう指導を受けて、石橋警察署を訪れた。

石橋警察署において、控訴人A野は、C林主任に対し、松夫が足利銀行東京支店で預金を引き下ろしに訪れ、その際、顔に火傷をしていたこと、その様子が防犯カメラに撮影されていたことを説明し、上記銀行が、警察に対してであれば撮影された画像を証拠として提出できると言っているので取り寄せて調べてほしい旨依頼し、また、松夫らが移動に使用しているとみられるD原運転車両の捜索手配についても依頼した。

控訴人A野がC林主任と応対している際、松夫から控訴人A野の携帯電話に電話が入り、帰宅するための電車賃が必要であるとの口実により相当額の振り込みの依頼があったが、控訴人A野は、これを拒絶しつつ、帰宅するよう説得した。その間、亡花子は、控訴人A野の側で、「このでれすけ野郎」と、松夫を叱りつける発言もした。松夫は、更に涙ながらに振込みを求め続けたことから、控訴人A野は、松夫の異常さを理解してもらいたいという意識から、「友達に代わるから。」などと言って、C林主任に電話を代わった。C林主任は松夫に早く帰宅するよう呼びかけたところ、松夫から誰かと質問され、石橋の警察だと名乗った。これに対して松夫は控訴人A野に代わるよう要求するなどしていたが、竹夫の命令を受け、電話を切った。

C林主任は、控訴人A野からの撮影画像の取り寄せの依頼に対しては、本件では事件になっていないので取り寄せはできないとして応じなかったが、D原の車の捜索については手配しておく旨回答し、一二月一日に栃木県警本部に登録が依頼され、同月二日に県警本部での電算登録が完了し、車両のナンバーを照会した際には家出人の使用車両であることが即時に判明する状態となった。D原が同月一日に起こした後記交通事故の際には未登録であった。

ケ 加害者らは、一一月二日以降も松夫を同行して監視下に置き、居所を変えながら遊び歩き、松夫に両親や友人に電話等により無心をさせ、借り入れた金員を宿泊費や遊興費等に充てていた。加害者らは、一一月中旬までに二、三回、松夫を伴い、松夫から強取した金員を使って航空機を使って北海道に旅行していた。加害者らは松夫を連れて一一月二〇日から二八日までは主に東京又は神奈川県等で行動し、同月二八日午後四時半すぎに東北新幹線を利用して宇都宮駅に到着し、一度D原の家に立ち寄った(同所においてD原の母親に現認された。)後、B山の乗用車とD原の乗用車に分乗して、その後は栃木県内を移動した。同月二八日は、宇都宮市下川俣町のホテルに、同月二九日及び三〇日は栃木県下都賀郡石橋町のラブホテルに、一二月一日は鬼怒川の河川敷にD原の乗用車を止めて宿泊したが、B山は一二月一日の夜は帰宅して自宅で両親等と過ごした。

松夫は両親に頻繁に電話をして、無心をし、松夫両親は、松夫のために、一一月二二日から二五日にかけて三回にわたり、松夫名義の足利銀行上三川支店の普通預金口座に合計六四万五〇〇〇円を振り込んだ。その後も、松夫から両親に対して、友達にパチンコ代を借りていたのでこれを返してから帰りたい等として、繰り返し無心の電話があり、一一月二六日には、午後二時ころから午後五時四〇分ころにかけて二三回、同月二七日には、午後〇時過ぎから午後四時前にかけて八回、同月二八日には、午前一一時二〇分から午後一〇時三〇分ころにかけて一四回、同月二九日には、午後〇時過ぎから午後三時二〇分ころにかけて七回の電話があった。

加害者らは、前記各経緯により、松夫について、警察に家出人捜索願が出されていること、また、C川が松夫と一緒にいることを疑われていることを認識していた。さらに、一一月初めに北海道を旅行中に、松夫が、控訴人A野から、電話で、「D原と一緒にいるだろう。」と言って問い詰められ、D原の乗用車の登録番号を告げられるなどしたことから、控訴人A野にD原の乗用車の登録番号が知られていることも認識していた。

加害者らは、一一月三〇日、前記のとおり、松夫から控訴人A野に対する電話に警察官が出たことから、警察の関与を意識することとなっていた。そこに、一二月一日午後六時三六分ころ、D原が、宇都宮市内の路上で、原動機付自転車と衝突する交通事故を起こしてそのまま逃走する事態が発生し、また、同日夜ころ、D原は、弟から、松夫を連れて金員を借りて回っている件で母親が自分を探していることを聞いた。

一二月二日朝、竹夫は、上記交通事故を起こしたことや控訴人A野に自分たちが松夫を連れ回していることが露見していることを聞き、さらに、D原の母親が、宇都宮東警察署の警察官に依頼して、D原の所在を尋ねる電話を竹夫にかけてきたことから、交通事故を起こしたことによりD原の使用車両を警察に探されることとなったため、このままでは、D原の乗用車を警察に発見されて同時に松夫も発見され、松夫のけがの状況から自分たちが松夫にした犯罪の数々が明らかになって捕まり、刑務所に入れられてしまうと考え、松夫を殺害することを決意した。そして、松夫の殺害をC川やD原に持ちかけ、一二月二日、前提事実のとおり、松夫を殺害した。

なお、加害者らが殺害しなかったとしても、松夫は、上記時点において、体表面積の八〇パーセント程度に及ぶ広範囲に火傷を受けた重度の火傷の状態にあり、数時間から一日くらいで死亡したとみられる。

三  被控訴人B山らの監督義務違反による不法行為責任の成否(争点一)

(1)  竹夫の生育歴、非行歴、家庭への立ち寄り状況等については、原判決の「事実及び理由」第三の二(1)において認定されたとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決四四頁六行目の「なお、」の前に、「このうち、一〇月三一日、一一月二日及び一二月一日には、自動車ローンの支払代金を持参し、被控訴人春子に渡した。」を加える。)。

(2)  未成年者が不法行為を行った場合において、当該未成年者が責任能力を有するときにも、監督義務者に監督義務の違反があり、当該義務違反と未成年者の不法行為によって生じた損害との間に相当因果関係を認め得るときは、監督義務者につき民法七〇九条に基づく不法行為が成立すると解することが相当である(最高裁判所昭和四九年三月二二日第二小法廷判決・民集二八巻二号三四七頁参照)。

本件において、控訴人A野及び控訴人A田は、竹夫の成長過程における被控訴人B山らの竹夫に対する監督義務の違反を問題としているが、子に対する監督、教育の誤りによって、当然に子が犯罪者となるわけではないから、被控訴人B山らが、過去に竹夫に対して行った監督、教育が結果的に適切でなかったと認められるとしても、そのことと竹夫の本件事件に係る行為との間に相当因果関係を認めることはできない。

次に、本件事件当時の被控訴人B山らの竹夫に対する監督義務についてみると、前記(1)において引用する原判決の認定事実によれば、竹夫は、過去に暴行、恐喝等を繰り返し、暴力団構成員とも交際するようになり、少年鑑別所に入所した際にも反省の態度に欠けるなど規範意識が希薄であったこと、就労しても長続きせず、平成一一年五月には一生懸命仕事をする約束で車を購入する承諾を親から得ておきながら、車を購入するや、仕事に行かずに遊び回るようになり、同年七月分の給料を受領した後、出勤しなくなり退職し、収入がないまま遊び暮らしていたこと、同年九月末に事故を起こして親から叱責された後、ほとんど自宅に寄りつかなくなったこと、自動車のローンの支払のための金員を持参していたことなどの事実があり、これらの事実からすれば、竹夫が、本件犯行期間において、遊興費を得るため恐喝等の犯罪行為に及ぶことについて、一般的な予見可能性があったということができるが、何らかの具体的な予見可能性があったものではない。

しかも、被控訴人B山らも竹夫の行状を放任、放置していたものではなく、被控訴人梅夫は、少年時の行為に対しては警察へ出頭させ、竹夫が一九歳になった後にも、車両事故に対して叱責するなど、違法な行為を犯してはならないことへの注意をしていたものであり、ただ、竹夫の年齢等において、就職への指導、違法な行為をしないようにとの一般的な注意、外出先や交遊関係の確認、遊興費の入手経緯や使途の確認等といった一般的な監督義務を尽くしても、その効果を期待しがたい状況になっていたものということができる。また、被控訴人B山らにおいて、本件事件の発生を具体的に予見し又は認識し得たと認めるべき証拠はないから、上記予見、認識に基づき、本件事件の発生を防止又は中止させるための具体的な監督義務があったということもできない。

なお、竹夫に自動車を買い与えたことについては、自動車の保有が、竹夫の遊興を容易にし、また、本件事件に係る行動を容易にした効果をもたらした結果となっていることは明らかであり、また、自動車ローンの支払を負担することによって、そのための金員を確保する必要から違法な行為に及ぶこととなる危険性が生じることとなるものの、本件において、自動車を買い与えたこと自体が竹夫の本件事件に係る行為を誘発したと認めるべき根拠はないから、竹夫に自動車を買い与えたことについて、被控訴人B山らに監督義務違反を認めることはできない。

以上によれば、本件事件に関して、被控訴人B山らに竹夫に対する本件事件の発生と相当因果関係のある監督義務違反があったと認めることはできないから、当該義務違反があったことを根拠とする控訴人A野及び控訴人A田の損害賠償請求は理由がない。

四  控訴人栃木県の警察官の対応と国家賠償法一条一項の責任の有無(争点二)

(1)  警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当たることをその責務とする(警察法二条一項)。ただし、警察の活動は、厳格にこの責務の範囲に限られる(同条二項)。また、警察官職務執行法五条により、警察官には、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のため関係者に必要な警告を発し、また、もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受けるおそれがあって、急を要する場合においては、その行為を制止することができる権限が付与されているが、警察権の行使は、その目的のため必要な最小限度において用いるべきものであり、警察権の行使については、同法又は刑事訴訟法等に、強制力行使の要件が規定されている。

したがって、警察権に基づく強制力の行使は、その行使の要件を欠くときは、そのことにより違法と評価される。他方、警察権の不行使が国家賠償法一条一項との関係で違法と評価されるのは、犯罪行為が行われている旨の申告又は状況に対応して、通常なすべき措置を怠った場合であり、この措置として具体的な警察権の行使をすべき作為義務が発生するためには、①犯罪等の加害行為、特に国民の生命、身体、名誉等に対する加害行為がまさに行われ、又は、行われる具体的な危険が切迫していること、②警察官においてそのような状況であることを知り、又は、容易に知ることができること、③警察官が上記危険除去のための具体的に特定された警察権を行使することによって加害行為の結果を回避することが可能であること、及び④強制捜査権の行使にあっては法律上の要件を備えていることが必要となるものと解される。

(2)  松夫に対する加害行為

本件において、加害者らは、松夫に対して、本件犯行期間中、暴行を継続し、裸にさせて顔や体に高温のシャワーを浴びせるなど、重度の傷害を負わせる危険のある態様の暴行を繰り返していたものであり、この間、松夫に対して、常にその身体に対する加害行為が行われ、また、当該行為の結果として生命に対しても危害の及ぶおそれが存在し続けていたと認めることができる。

(3)  警察官における上記行為の認識状況及び結果回避可能性(要件②及び③)

前記認定に係る本件事実経過のうち、松夫が加害者に呼び出された平成一一年九月二九日から殺害された同年一二月二日までの間の栃木県警警察官の認識に関する部分を、順次、検討する。

ア 一〇月一八日及び一九日(前記二(2)イないしエ)

一八日にE野部付と共に亡花子が、石橋警察署を訪れ、家出人捜索願を提出したが、前記事実関係によれば、この段階での、日産自動車の松夫に対する認識は、虚偽の理由を述べて欠勤を重ね、他の従業員に借金を申し込んで消費者金融会社から借金をさせる等の同社にとって好ましくない影響を及ぼす行為を継続している従業員であり、未だ暴行や恐喝等の被害者として救済を求める対象とは認識されていなかった、いわば、加害者らとの四人組の一人という認識であり、同社の従業員が一〇月一八日に亡花子による家出人捜索願の提出に石橋警察署に同行して、同署の警察官の事情聴取を受けたのは、D野が松夫に一〇〇万円を貸した件について暴力団関係者の関与の有無やD野を被害者とする恐喝事件となるかについて相談を行うためであって、松夫を恐喝や暴行の被害者としてその救済を求める相談ではなかった。また、亡花子としても、日産自動車の助言により、家出人捜索願を提出したもので、当面の事態に対処するために、早期に松夫を捜し出して欲しいと希望したが、松夫の身体、生命の危機を感じていたものと認めるには足りない。

なお、D野は、一〇月一八日及び一九日に石橋警察署に赴き、事情聴取を受けているが、暴力団関係者の関与が疑われる恐喝案件の被害者として事情聴取を受けたものであり、松夫を被害者として同人の被害の聴取を受けることを目的とするものではなかったことから、松夫が負傷していた事実を述べる必要はなかった。そして、同人が松夫が負傷していた事実について警察官に供述した事実を認めることはできない。なお、同月一八日に石橋警察署に提出された日産自動車における同人からの事情聴取の記録中にも、松夫の負傷に係る記載はない。

以上のとおり、この時点で栃木県警警察官(C林主任)に明らかになった事情は、D野を被害者とする日産自動車からの相談により、松夫については家出人捜索願の手続を受けたものであり、同日に石橋警察署に提出された資料やD野の事情聴取の結果等において、松夫は、D野を呼び出して金員を借りた者であり、日産自動車から提出された資料によれば、加害者らの影響のない場であるはずの職場においても虚偽を述べて欠勤しており、所在を明らかにしないものの勤務先や両親のもとには電話の連絡があり、監禁状態にあることを推認するに足りる根拠はなく、また、松夫の負傷を現認したものでもない。そして、翌日までにD野からの借入れに恐喝等の前歴のある竹夫が関与している可能性が濃厚となったが、当該事実を考慮しても、栃木県警警察官が松夫が犯罪行為の被害者となっていた事実を認識するに足りる情報があったとは認められない。

そして、家出人捜索願の提出により、警察において積極的に家出人とされた者の所在を捜索することは予定されておらず、何らかの事件において、家出人とされる者の関与が明らかとなった場合に届出人に連絡をすることが予定されている手続にすぎないものであり、松夫両親が積極的な捜索を期待したことは親として当然の感情ではあるが、上記のとおり、栃木県警警察官が家出人捜索願として本件に対応したことに違法は認められない。

イ 一〇月二二日(前記二(2)カ)

この時点は、日産自動車から、松夫の欠勤、四人組との不良交友の事実を聞いた松夫両親が、従来の真面目でおとなしい性格から乖離した松夫の行動に当惑すると共に、その周囲に素行が不良な者たちの存在及び身柄の拘束等を危惧した時期であるが、警察の認識としては、暴力団の関与についての可能性は低く、竹夫を含む不良集団との交友の可能性が大きいと判断していた時期であり、松夫両親の松夫が軟禁か監禁状態に置かれているのではという懸念はその真否を確認し得る客観性をもつものではなく、松夫と交際中の女性が人質にとられるといった懸念も憶測にすぎないものであり、松夫が不良集団に加わっているという認識を変えるに足る新たな客観的資料はなかった。したがって、同日の控訴人A野及び亡花子からの情報によっても、栃木県警警察官において、松夫が犯罪行為の被害者となっていることを容易に認識し得るまでの情報があったとはいえない。以後、一〇月中に、栃木県警警察官に対し、松夫が犯罪行為の被害者となっていることを認めるに足りる情報が提供された事実は認められない。

ウ 一一月一日及び三日(前記二(2)ケ、(3)イ)

一一月一日、E田及びB野は、日産自動車の上司や同社の警察官OBのE野部付など四名に伴われて、一〇月二五日に松夫に金員を貸すこととなった件について恐喝等による被害届の提出などを念頭に置いて石橋警察署を訪れたが、この時点において、日産自動車としては、松夫より信憑性が高いと考えていたC川の申述を疑い始めたものの、石橋警察署に赴いた目的は、「四人組」による従業員への被害拡大を懸念したものであり、提出を打診した被害届の被害者はE田らであって、松夫ではなかった。

一一月三日、控訴人A野は、石橋警察署に電話をかけ、応対に出たD田主任に対し、松夫が乗っていた車両の登録番号を告げて持ち主の調査を依頼すると共に、松夫の負傷に関する伝聞情報を伝えた。

この段階では、松夫両親は松夫の身体への危害を案じたことが認められるが、松夫の傷害を理由に捜査を開始するまでの客観的証拠はなく、その程度、原因(事件性の有無)も不明であり、他方で、それまでに松夫からあった連絡は、家出人捜索願の取下げを求め、松夫自身が両親のもとへの帰宅よりも不良集団に止まることを選んでいるとも取れるものであり、その点では、一〇月五日から八日に出勤しながら虚偽を述べ、同僚からの借財を重ねていた状況と一致するものであり、栃木県警警察官においては、松夫の身体に対する加害行為がまさに行われ、又は、行われる具体的な危険が切迫していたと認識し得る状態にあったということはできない。

なお、この段階で、E田、B野らからの松夫の借財が加害者らの指示によるものと疑い、詐欺又は恐喝といった財産犯への発展の可能性を認識し得たとしても、E田、B野、D野の金員交付時の状態から恐喝に該当するというには難があり、また、客観的にも、D野やB野への借用書の差入れ(一〇月一四日、二五日)、C山への返金(一〇月二七日)という事情があったことを考慮すると、E田、B野らの松夫への金員交付の態様から、松夫又は加害者を含む者の詐欺、恐喝の嫌疑ありとして強制捜査権を行使し得たとは直ちに認め難い。また、松夫の身体に対する加害の切迫性を容易に認識し得たということはできず、松夫の身体の安全のためにE田、B野らへの財産犯に藉口して強制力を伴う捜査権を行使すべき義務があったということはできない。

エ 一一月九日(前記二(3)エ)

この日、松夫両親は、石橋警察署に「A野松夫の動き」及び「松夫の借金」と題する書面を、同署少年補導嘱託員に手渡して提出した。その内容としては、松夫の負傷の状況のほか、また、松夫の同級生や先輩へも、ときに脅迫じみた金員の無心がされているというものである。

この時点において、松夫への暴行は苛烈さを増しており、伝聞であれ、松夫の負傷を耳にした松夫両親の不安は高まっていたといえるが、他方で、松夫の多額の借財の処理も当面の課題となり、しかも、これまでの松夫の外形的態度は、控訴人A野との連絡にかかわらず無断欠勤による不良集団に止まって同僚、知人への無心を繰り返していたというものであり、松夫の負傷の程度、原因が事故等ではなく、暴行、傷害によるとまでの認識を有することは、松夫両親にも栃木県警警察官にも期待し難く、財産犯に止まるものであれば、被害者の拡大を防ぎ、加害者ら及び松夫が現れてから、事実関係を確認して対処すれば足りると考えることも、不当とはいえず、松夫への監禁、傷害を前提とする捜査に思い至らなかったことをもって、栃木県警警察官に職務上の義務違反があったということはできない。

オ 一一月二五日(前記二(3)カ)

一一月二五日の時点における松夫両親の本件事件に対する認識は、後記カの同月三〇日の時点における認識と同様に松夫が重大な暴行、傷害事犯の被害者となっているとの認識までには至っておらず、亡花子が、同日、このような切迫した事実を告げて救済を求めたものと認めることはできない。

しかし、亡花子は、東京の銀行からの連絡内容から松夫の負傷を懸念して松夫の救済を求める気持ちから警察に連絡を入れたものであり、亡花子が告げた東京の銀行からの連絡内容は、東京の銀行での第三者(銀行員)が異常と感じた火傷の状況であり、その程度は、現認した者が直ちに地元警察に連絡するほどではなかったとしても、松夫の負傷に関する客観的資料に関わるという点で、財産犯という枠組みから松夫への傷害に関する捜査の依頼という性格を持つものであるから、栃木県警警察官としては、これを真摯に受け止め、東京の銀行からの撮影画像の取寄せなど、適切な対応をとるべき義務があったということができ、失念により、これを怠ったことには職務上求められる注意義務違反(過失)があったというべきである。

次に、この過失がなかった場合に、松夫の殺害を阻止し得たかについては、高度の蓋然性をもってこれを肯定することができるか否かという、合理的推論の問題となる。

栃木県警警察官においては、速やかに上記撮影画像を取り寄せ、松夫両親の意見を聞き、東京の窓口行員から松夫を現認した際の状態を聴取すれば、松夫が重度の火傷を負っていたことを把握することが可能であり(上記撮影画像は、鮮明なものではないため、松夫の火傷の程度を正しく認定するには充分なものではなく、松夫が死亡に至るような重大な傷害を負っていることは当該画像中の松夫の動作からうかがうことができないが、松夫の過去の写真(甲一〇九の一)と対照することにより、松夫が顔面の形状が変わる程度の負傷をしていることの認識が可能であり、また、フードで頭を覆う格好をしていることや加害者らが同行していることが看取できるから、これを窓口担当行員からの事情聴取及び松夫両親からの事情聴取と総合すれば、栃木県警警察官において、松夫の負傷の状況について客観性の高い判断を行い得たことが推認できる。)、これと平行してB野、E田、C山に対して松夫への暴行、傷害事犯という観点から事情を聴取し、既に松夫による無心又は借入額は一一月二六日時点で判明していた額でも五一六万円という、勤労青年の立場では考えられない金額に達していること、不良グループには恐喝の少年犯歴のある竹夫が加わっていることも考慮すれば、一一月二八日ないし二九日には、松夫の不良グループへの参加が暴力による強制に基づくという可能性も考慮することが可能となり、松夫の負傷が十分に事件性を有するとの嫌疑に達し得たものということができる。

そして、上記嫌疑に基づく捜査手順としては、この段階でも、火傷の時期、原因、程度は不明であり、被害者となるべき松夫の協力も得られない状況であるから、直ちに傷害被疑事件として逮捕状を請求し得たということはできないし、松夫から頻繁に無心の連絡があり、松夫自身が自己の意思で加害者らに加わっている外形の下で監禁罪での強制捜査を行うことも期待し得なかったといえるから、この段階で松夫の生命への切迫した危険を予想しての緊急、広範かつ集中的な捜査の必要性までを認識し得たということはできないが、松夫の所在を確認して、職務質問をするなどの強制捜査によらない方法によって松夫の負傷の程度を確認し、その身柄を保護することは検討し得たものといえる。しかし、相当因果関係を認めるに足る蓋然性の有無という観点からみると、加害者ら及び松夫は、車を使用するなどして居所を転々としており、加害者らが松夫に対する家出人捜索願が提出されていることを認識していたことも考慮すると、上記のような捜査手順のもとで、松夫が殺害された一二月二日又は殺害されない場合において重度の火傷のために死亡したとみられる同月三日までの間に、松夫を発見し、その身柄を確保することによって松夫の殺害を阻止し得たと高度の蓋然性をもって認めるには足りない。

もっとも、一一月二六日以降も松夫から松夫両親に対する無心の電話が頻繁にあり、従前の加害者らの行動の態様からすれば、これらを利用して松夫の居所を探知したり松夫を誘い出す余地は十分にあったとみられること、加害者らが移動に使用している車両の登録番号は既に判明していたこと、加害者らが一一月二八日にはD原の両親の家に立ち寄り、一二月一日には竹夫が被控訴人B山らの家に立ち寄っていること、さらには、一一月二八日から一二月二日の間は加害者らは栃木県内において行動していたことを考慮すると、上記連絡に即応した捜査が行われていれば、殺害前に松夫を発見し得た可能性も三割程度はあったものと認めることが相当であり、そして、松夫が警察に発見され、その負傷の状況が現認されれば、加害者らに対して、その原因について任意に聴取が行われると共に、松夫に対する監禁、傷害の行為について加害者らに対する強制捜査の開始を待たずに、松夫が治療のために加害者らから引き離されて保護される結果となったことが予想されるところである。そうすると、上記過失がなかったとしても、松夫の殺害を阻止し得たとは認められないが、松夫の殺害を阻止することにつき三割程度の可能性はあったというべきである。

カ 一一月三〇日(前記二(3)キ)

この日に、松夫両親が、三郎及び一江と共に石橋警察署を訪れた目的は、松夫の負傷に対する危惧の下に、粗暴な者の介在を疑い、事態のさらなる悪化を防ぐためにも、子らを捜してもらおうということにあったと解される。

この段階で、松夫両親の松夫の身体の傷害に対する懸念は相当に大きくなっていたものと認めることができるものの、松夫が加害者らから受けていた凄惨な暴行の内容及びこれによる傷害の程度についてまでは情報が得られなかったため、これを認識することはできず、控訴人A野が、一一月二三日及び二六日に、繰り返し無心の電話をかけてくる松夫への対応として、夜間電話のコードを抜いたことからは、同控訴人が松夫の身を案じながらも、同人の生命に危害が及ぶ事態に至っていることについては認識が及んでいなかったことを推認することができる。また、一二月二日、控訴人A野が宇都宮中央警察署を訪れ、同署警察官A山九夫に対し、松夫が一〇月一八日から所在不明となったこと、加害者らと行動を共にして友人等に消費者金融会社からの借入れをさせてまで多額の金員を借りていることを説明して、竹夫やその背後にいるかもしれない暴力団関係者にその金員を取られているのではないかなどと相談したことが認められるが、これも、松夫両親が、松夫が殺害された一二月二日の時点に至るまで、本件の主要な側面は恐喝等の財産犯にあると見ていたことをうかがわせるものといえる。

したがって、松夫両親らが、内心において様々な不安と危惧を抱いていたとしても、栃木県警警察官に対して表示された働きかけは、一一月三〇日の時点においても、松夫の行方が不明であること、松夫が恐喝等の金銭上の犯罪行為に巻き込まれて被害者となっているのではないかという懸念及び松夫が負傷していることの懸念に基づき、松夫の捜索を開始するよう求めるものであって、松夫が生命に危害が及ぶような犯罪の被害者となっているとの切迫した認識を告げて救済を求めたものということはできず、栃木県警警察官においても、松夫両親からの働きかけによって、松夫が生命に危険が及ぶような犯罪の被害者となっていることについて切迫した認識を有するに至らなかったものといえる。

なお、控訴人A野の電話の側で、亡花子が「このでれすけ野郎」と、松夫を叱りつける発言をしたかが争われているが、松夫両親が当時置かれていた状況は、客観的かつ断定的な証拠はないものの松夫が不良集団に取り込まれて身体への危害を受けているのではないかという不安と、勤務先又は勤務先の同僚へ迷惑をかけた者の親としての責任感との混在した状態にあり、その事態解決のためにも、警察の力を頼んでいる状態にあったのであるから、松夫の一方的な金員の無心の電話に対して、これを叱責するような発言をしたとしても、事態を軽く見ていたことの証左となるものではない(反面、関係者が松夫の生命への危険が切迫しているとの認識を有していなかった、少なくとも、その認識が表明されていたといえないことは、上記のとおりである。)。

また、一一月三〇日にC林主任が松夫からの電話に警察官を名乗ったことが認められるが、松夫については既に家出人捜索願が出され、松夫からの取下げ依頼を断っている経過があり、控訴人A野から電話を代わったC林主任としては、松夫からの質問に対して警察官の身分を秘匿した虚偽の応答をすべき状況にはなかったというべきである。また、加害者らも、松夫に対する加害行為につきどこまで捜査が進んでいるかは知らないのであり、C林主任の発言が、松夫殺害を決断させたと認めるには足りない。

キ 以上によれば、一一月二五日の亡花子の捜査依頼を失念したことは、国家賠償法一条一項との関係において違法と評価することができ、また、これにより松夫の死亡を阻止する可能性(三割程度の生存可能利益)が侵害されたものということができる。

なお、ある過失がなければ有意の割合による延命可能性がある場合の延命可能利益の侵害による損害は、医療過誤に伴う不法行為においては論じられているところであり、過失が認められるが、この過失と生命といった重大な法益侵害との間に相当因果関係が認められないものの、有意な割合での結果回避の可能性(生存可能利益)が認められる場合には、同様の取扱を否定すべき理由はない。

五  損害額(争点三)

(1)  松夫への死亡を回避し得た可能性(生存可能利益)の侵害は、生命への侵害そのものではないが、この生存可能利益の金銭評価に当たっては、死亡損害による損害額が参考になる。

(2)  松夫の死亡による損害額については、慰謝料額(原判決の「事実及び理由」第三の四の(2)イ)を除き、原判決の「事実及び理由」第三の四(2)及び(3)に認定されているとおりであるから、これを引用する。

慰謝料額について、原判決は、松夫の死亡までの過程をも考慮要素とするが、栃木県警警察官の過失は、加害者らの行為を共同したものではなく、加害者らの犯罪を阻止しえなかったことに向けられたものであり、加害の態様について責任を負う関係にはなく、その非難可能性の程度も加害者と同列に論ずることはできない。したがって、控訴人栃木県との関係においては、松夫の慰謝料額は、二〇〇〇万円と認めることが相当である。また、松夫両親が支出した葬儀費用等のうち一五〇万円も松夫の死亡により生じた損害ということができる。したがって、松夫の逸失利益五〇八三万一九〇一円をも合算すると、松夫の死亡による損害額は、合計額七二三三万一九〇一円となる。

ところで、本件は、松夫の無断欠勤の当初から、加害者らの威迫により松夫が加害者らへの従属関係に陥ったために、被害者である松夫が衆人環視の中を加害者らと行動を共にし、勤務先、同僚のみならず、両親に対しても、自らの意思による如くにうそをついたり金員を無心したりすることを強制されながら、二か月という短期間で破局に至った事案であり、このような立場に追い込まれた松夫の立場は極めて痛ましいものであり、松夫本人に非難されるべき点はないが、控訴人栃木県に対する松夫の請求権として考慮する限り、松夫の上記行動が、栃木県警警察官に対して、被害者であることを認識することの妨げとなり、松夫を素行不良者グループの一員であると誤認させる原因となったものであり、損害の分担という観点からは、控訴人栃木県において全額を負担すべきものではなく、民法七二二条二項を類推し、控訴人栃木県が負担すべき範囲は五割をもって相当と解される。

(3)  上記の松夫の死亡による損害と前記の生存可能割合及び本件事案の特質を考慮すると、本件において控訴人栃木県が負担すべき松夫の生存可能利益は、一一〇〇万円と算定することが相当である。

亡花子の死亡に係る相続の結果として松夫の請求権は控訴人A野が四分の三、控訴人A田が四分の一の割合で承継された。

したがって、控訴人A野及び控訴人A田の控訴人栃木県に対する請求は、控訴人A野に対して八二五万円、控訴人A田に対して二七五万円及びこれらに対する平成一一年一二月二日(松夫死亡の日)から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるものと認めることができる。

(4)  なお、控訴人A野及び控訴人A田は、控訴人栃木県に対する予備的請求として、市民が警察において市民の受けた被害の回復ないし今後受ける恐れのある犯罪被害の防止を図るであろうことについて有している期待及び信頼という利益に対する侵害をされたことによる損害についての賠償を求めているところ、上記の期待及び信頼は国民の一般的期待ということはできても、これを個別具体的損害賠償の対象となる法的利益とは認めることができないから、上記予備的請求は理由がない。

六  よって、控訴人A野及び控訴人A田の被控訴人B山らに対する請求はいずれも理由がないとした原審判断は正当であるから、当該請求に係る控訴人A野及び控訴人A田の控訴をいずれも棄却し、控訴人A野及び控訴人A田の控訴人栃木県に対する請求については、控訴人栃木県の控訴に基づき、前記理由のある限度に原判決を変更し、仮執行宣言はその必要がないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 富越和厚 裁判官 中山顕裕 裁判官桐ヶ谷敬三は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 富越和厚)

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