東京高等裁判所 平成19年(ネ)4389号 判決 2008年4月16日
控訴人(被告)
国
代表者法務大臣
鳩山邦夫
指定代理人
吉田俊介
外3名
被控訴人(原告)
甲野花子
訴訟代理人弁護士
古田兼裕
同
新田明哲
同
市川謙道
同
城島聡
同
天野秀孝
同
関原誉士
同
石橋靖己
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 ただし,請求の減縮により,原判決主文第1項を次のとおり変更する。
控訴人は,被控訴人に対し,1390万7394円及びうち1345万1260円に対する平成17年2月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴費用は,控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を次のとおり変更する。
2 控訴人は,被控訴人に対し,45万6134円を支払え。
3 被控訴人のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。
第2 事案の概要
1 本件は,被控訴人運転の自動車と運転者不詳の自動車(以下「加害車両」という。)が愛知県内の交差点で衝突し,被控訴人が負傷した交通事故に関し,被控訴人が,控訴人に対し,加害車両の保有者が不明であるとして,自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)72条1項に基づき損害のてん補を請求し,損害の一部につきてん補を受けたが,その額に不服があるとして,同項に基づき,てん補限度額と既てん補額との差額1409万0823円及びこれに対する遅延損害金を請求するとともに,既てん補額に対する確定遅延損害金45万6134円を請求する事案である。
原判決は,被控訴人の請求を認容したので,控訴人が上記第1の2,3の限度で控訴をした(すなわち,既てん補額に対する確定遅延損害金45万6134円の部分については不服申立て対象としないものと解される。)。
なお,被控訴人は,当審において,1390万7394円及びうち1345万1260円に対する平成17年2月26日(てん補金支払請求の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員の支払請求に,請求を減縮した。
2 前提となる事実,争点及び争点に関する当事者の主張は,下記3に当審における当事者の主張を付加するほか,原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の2項及び3項(原判決2頁15行目から同17頁5行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
3 当審における当事者の主張
(1) 控訴人
ア 損害てん補の算定基準について
政府の自動車損害賠償保障事業については,必要最小限度の救済及び被害者間の公平を図るために,あらかじめ「政府の自動車損害賠償保障事業損害てん補基準」(てん補基準)及び同実施要領(実施要領)を定めているのである。これらが裁判所に対する法的拘束力を有するか否かは別として,交通事故における政府保障事業の趣旨目的を踏まえ,一定の合理性を有すると考えられるてん補基準等を設け,これらが政府の保障事業の対象となるすべての被害者に対して等しく適用されることによって,自動車事故による被害者間の公平を図ることができるのである。そして,上記保障事業は,加害自動車の保有者が明らかでない等のために自賠責保険による救済がされない被害者に対して救済を与えようとする制度であるから,加害車両の運転手が逃走し,その氏名が判明しない場合もあり得ることも想定された上で,てん補基準を定めている。本件において,加害車両の運転手が逃走し,その氏名が判明しないという事情を考慮して被控訴人へのてん補金を増額することは,かえって被害者間の公平を崩すことになり,合理的とはいえないものである。
イ 将来の障害年金給付の控除の可否
(ア) 自賠法73条1項を損益相殺的な調整を定める趣旨の規定と解するのは誤りである。同項において予定されているのは,他法令給付とてん補金という利益と利益との調整であって,損害と利益との間の損益相殺的な調整ではない。
そもそも,政府の保障事業による救済は,他の手段によっては救済を受けることのできない交通事故の被害者に対し,最終的に最小限度の救済を与える趣旨のものであると解されるのであり,てん補金請求権は,不法行為に基づく損害賠償請求権としての性質を有するものではなく,不法行為法の枠外において,交通事故による被害者を救済しようとするものであって,社会保障政策上の見地から特に認められた公法上の権利であると解すべきである。したがって,上記のてん補金受給は,不法行為による損害賠償請求権について同一原因により利益を受けた場合に当たらないのである。
さらに,労災保険制度は,民法上の不法行為責任を進めて無過失責任化された,労働基準法上の災害補償の責任保険的機能を果たす制度であるのに対し,上記のとおり,政府の保障事業による救済は,交通事故の被害者に対し最終的に最小限度の救済を与える趣旨のものであり,てん補金請求権は不法行為に基づく損害賠償請求権としての性質を有するものではないから,労災保険とてん補金との間には目的及び機能における同質性も認められないのである。
したがって,自賠法73条を損益相殺的な調整を定めるものと解して,平成5年最判の考え方を当て嵌めるのは誤りである。
(イ) 将来の障害年金給付を控除しない立場に立つと,てん補金の支払が遅延すればするほどその額が減少することになって不合理である。また,自賠法73条の「受けるべき場合」という文理に照らしても,将来給付を受けるべき場合も含めて控除する趣旨であると解するのが相当である。なお,逸失利益の算定に関しても不確実性があるのであり,将来の障害年金給付についてのみ不確実性を云々するのは合理性がない。
(ウ) 損害てん補と労災障害年金の二重利得
また,仮に将来の労災障害年金給付を控除しない場合,保障事業による損害てん補には労災保険法12条の4は適用されないので,労災障害年金の支給が停止されることはなく,その結果,被控訴人に対し,上記政府による損害てん補と労災障害年金の二重利得を許すことになる。しかしながら,それは,政府の保障事業の最終・最小性という立法趣旨に反するものといわなければならない。二重払いの可能性がありながら,この点について何ら具体的な調整規定を定めていないということからしても,将来の労災保険給付により損害のてん補が予定される場合には,同事業からのてん補をしないとするのが現行自賠法の立場と解されるのである。
(エ) 障害年金受領額の変更の可能性について
被控訴人は,控除説によると,後に年金受領額に変更が生じた場合に被害者の損害てん補に差異が生じることがあり,被害者保護や法の下の平等に反すると主張する。しかし,損害てん補金は自賠法によって創設された社会保障的色彩の強いものであり,一定の金額を法定限度額と定め,一時金による打切り保障の形を採っている。そのような制度である以上,支給以後に生じる事態によって被害者間に差異が生じることを一切排除することはできないのである。また,このように政府の保障事業には法定限度額が定められていることなどからして,被害者保護についても必ずしも徹底されていないのである。
(2) 被控訴人
ア 将来の障害年金給付の控除の可否
(ア) 労災給付も,保障事業によるてん補も,交通事故を原因に発生し,支給額が被害者の損害に対するてん補となる点において共通する。自賠法73条1項は,てん補金請求権とその他の公的給付が競合した場合,被害者が二重に利得することがないよう,公平の見地から,両者の調整を図る趣旨で設けられたものであり,その「調整」の趣旨は,平成5年最判における「損益相殺的な調整」と何ら異ならない。自賠法73条1項に続く同条2項には,被害者が加害者より損害賠償を受けた場合には,その限度で保障事業によるてん補を行わない旨が定められており,これが損益相殺的な調整を定めたものであることは明らかであるところ,1項についても別異に解する必要はない。
被控訴人に対する損害てん補金は,被控訴人の後遺障害に基づく全損害額(後遺障害逸失利益,後遺障害慰謝料等)に対するてん補となるものであるのに対し,労災障害年金給付は,被控訴人の後遺障害逸失利益に対するてん補となるものであり,両者は,被控訴人の後遺障害逸失利益に対するてん補となる点で共通している。
(イ) 政府保障事業によるてん補制度が,被害者の実損害をてん補する制度である以上,現実の補てんとならない将来年金分を控除することは,自賠法73条1項の予定するところではなく,保障事業によるてん補がなされた後に年金等の給付がなされたとしても,それは保障事業の最終性に反するものではない。平成5年最判は,重複てん補の可能性と社会保険給付の存続の不確実性を比較し,後者をより重視したものである。
なお,損害賠償と労災給付との調整の場面においても,調整規定(労災保険法12条の4第2項)があるにもかかわらず,重複てん補の問題点が全部解消されているわけではない。すなわち,被害者が加害者から損害賠償を受領した後も,実務上は,3年間労災給付を停止するのみで,その後は年金が支給されている実情にある。
イ 請求額について
原審口頭弁論終結後に給付が確定した障害年金の額は,合計63万9563円である。よって,その分につき,当審において,請求の減縮をした。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所は,被控訴人の請求は理由があると判断する。その理由は,下記2以下に付加するほか,原判決の「事実及び理由」欄の「第3 当裁判所の判断」の1項ないし3項(原判決17頁7行目から同22頁26行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
2 争点1(被控訴人の後遺障害による損害)について
自賠法72条1項前段の規定により政府が被害者に対しててん補することとされる損害は,同法3条により自己のために自動車を運行の用に供する者が賠償の責めに任ずることとされる損害をいうのであるから(平成17年最判参照),同条に基づいて損害を認定する場合と同様に,裁判所が,証拠に基づき,自由な心証によりこれを認定することができることは明らかである。裁判所は,行政庁の内部基準にすぎない「てん補基準」に拘束されるものではない。
3 争点2(将来の障害年金給付の控除の可否)
(1) 自賠法72条1項前段は,「政府は,自動車の運行によって生命又は身体を害された者がある場合において,その自動車の保有者が明らかでないため被害者が第3条の規定による損害賠償の請求をすることができないときは,被害者の請求により,政令で定める金額の限度において,その受けた損害をてん補する。」と定める。これは,ひき逃げ事故のように自動車の保有者が明らかでない事故の被害者の救済のため,社会保障政策上の見地から,被害者に対し,政府が損害賠償義務者に代わり,生じた損害のてん補をすることにしたものである(なお,損害のてん補をしたときは,政府は,その支払金額の限度において,被害者が損害賠償の責任を有する者に対して有する権利を取得する(同法76条1項)。)。そして,上記のように,政府が被害者に対しててん補することとされる損害は,同法3条により自己のために自動車を運行の用に供する者が賠償の責めに任ずることとされる損害と同義であるが,政府がてん補する損害の範囲は,生じた損害全額ではなく,政令で定める範囲に限定されることとしている(その限りで,完全な救済ではなく,最小限度の救済を与えるという趣旨が示されているといえる。なお,同法72条1項後段は,いわゆる無保険車により引き起こされた事故により損害を被った被害者に対する政府の損害てん補を定めている。)。
そして,自賠法73条1項は,「被害者が,健康保険法,労働者災害補償保険法その他政令で定める法令に基づいて前条第1項の規定による損害のてん補に相当する給付を受けるべき場合には,政府は,その給付に相当する金額の限度において,同項の規定による損害のてん補をしない。」と規定する。この規定は,健康保険法,労災保険法その他政令で定める法令に基づく給付(他法令給付)を受けることにより同法72条1項の規定による損害がてん補されると評価される場合には,他法令給付を先に受けるものとし,政府は同項に基づく損害のてん補をしないというもので,同項による政府の損害てん補があくまで他の手段によっては救済を受けることができない交通事故の被害者に最終的な救済を与える趣旨のものであることを示すものである。
ただし,自賠法73条1項にいう「損害のてん補に相当する給付を受けるべき場合」とは,その「給付を受けるべき場合」という文理と被害者保護という自賠法の趣旨・目的を併せ考えると,他法令給付による給付が現実に履行され,損害が現実にてん補された場合に限定されるものではないものの,将来の給付分については,これを受けられることが確実なものに限定され,給付を受けられるか否かが不確実なものまでは含まれないと解するのが相当である。けだし,将来給付が受けられるか否か不確実なものまで「給付を受けるべき場合」に該当するとしてその分をてん補しないということになると,結局,その分につき被害者に最終的な救済すら与えられない可能性が残ることになって,妥当でないからであり,このように解することは,同法72条1項による政府の損害のてん補が他の手段によっては救済を受けることができない交通事故の被害者に最終的な救済を与える趣旨のものであることから,同法73条において被害者が他法令給付に基づいて災害補償給付を受けることができる場合には,被害者はそれらの給付を先に受けるものとしたことと矛盾するとはいえないというべきである。なお,このように解すると,政府によるてん補をいつ受けるかによっててん補の額が異なってくる事態が生ずるし,また,政府によるてん補と他法令給付の重複てん補の可能性が生ずることにもなるが,被害者保護の観点からして,これらの点も,上記解釈を左右しないというべきである(なお,政府の保障事業運営のための財源は,主として保険会社及び自賠法6条の組合が納付する自動車損害賠償保障事業賦課金(同法78条),自賠責保険適用除外者から徴収される過怠金(同法78条,82条1項),無保険(共済)車を運行の用に供した者から徴収される過怠金(同法79条)によりまかなわれているのであり(公知の事実),かつ,保険会社及び同法6条の組合が納付する自動車損害賠償保障事業賦課金は,自動車保有者が支払う自賠責保険料によりまかなわれているのであるから,政府が税金により拠出しているものとは言い難いものである。したがって,財源という面からみても,同法72条1項による政府のてん補が不確実な他法令給付より先行し,両者が重複する可能性が生ずるとしても,それが直ちに許容されないとはいえないということができる。)。また,重複てん補の問題については,労災保険法12条の4第2項を類推適用して,調整する余地があるのである。すなわち,確かに同項は,「保険給付を受けるべき者が当該第三者から同一の事由について損害賠償を受けたときは,政府は,その価額の限度で保険給付をしないことができる。」と,加害者が損害賠償により被害者の損害をてん補した場合の保険給付との調整を定めるもので,自賠法72条1項による政府の損害てん補(法的性質は損害賠償ではないと解される。)と労災保険給付の調整を定めるものではないが,政府の損害てん補は,加害者が行う損害賠償に代わるもので,被害者の損害のてん補を目的とするものなのであるから,政府の損害てん補と労災保険給付との重複の場面でも,労災保険法12条の4第2項を類推適用して,調整する余地があるのである。
(2) そして,本件のような障害年金の場合,将来にわたって給付要件や給付額が同一であるかどうかには不確実な点があり,また,受給者の受給権が途中で消滅したり,受給の内容が変更になる場合があり得ること,現に被控訴人についてみると,2回にわたり傷病が再発し,その都度,障害年金の受給権が消滅したことに照らすと,被控訴人に対する未だ支給を受けることが確定していない障害年金給付は給付を受けられるか否か不確実なものであるということができ,上記立論に照らすと,自賠法73条1項所定の「給付を受けるべき場合」には当たらないというべきである。
4 したがって,被控訴人の請求は理由がある。ただし,当審において,被控訴人は,現に支給を受け又は支給を受けることが確定した障害年金の額の増加に応じて請求を減縮した。
5 結論
よって,被控訴人の請求を認容した原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとする。ただし,当審における請求の減縮に基づき,原判決主文第1項は変更されたので,主文においてそれを明らかにすることとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大坪丘 裁判官 宇田川基 裁判官 新堀亮一)